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天気もいいし、午前中の予定も思ってたよりも早く終わったので、どっか行こうかな!午後半日だから、片道150Kmくらいで設定かな。とりあえず出発高速を西進して、福山まで来た。あれこれ考えてたけど、江田島行ってみよう。前回時間切れで行けなかった海上自衛隊幹部候補生学校に行ってみよう。ついでに第二音戸大橋に寄ってみようっとナビにお任せで来たんだけど高屋ICから東広島道路に乗って阿賀ICで下車?阿賀にあんな橋ってあったけ橋のたもとのセブンで休憩。結局、半島の反対側からのアクセスになっちゃった。ちょっと遠回りやな~これが第一音戸大橋。現在も、もち現役。音戸側に渡ってから(写真右側)が、これでもか!っていうループ橋につながってます。実は写真の左側の山側は山の中がループになっていて、航空写真で見たら両岸グルグルループでつながっています。なんでかって言うと、ここ重要な航路で、船舶用に桁下制限があったのと、海峡部で橋脚が置けなかったのでこんな形になりました。塗装の朱赤は、共に平清盛と関係深い厳島神社の大鳥居の色に合わせていますで、旧音戸大橋のループ降りたところから見た新しい第二音戸大橋。新しい音戸大橋って今後拡幅の予定ありなのね。拡幅箇所は今は歩道になってます。第二音戸大橋はブロック架設してます。工場(ドック)で製作、組み立てした橋をクレーン台船で持ってきて、そのまま「あらよっ!」って架けちゃった。この時吊り下げた桁は3,500t(ジャンボジェット9機分相当)もあり、国内最大級のFC船が導入され、早朝から運び出された桁は午前11時までには全ての作業が完了しました。早!!この平成23年の4月の架設工事見に来たかったんだけど、仕事で来れへんかったよね。でもネットで中継してくれてたから、それを見ました。上の写真は、仮設の時の位置決め用の砲弾型ロックピン。早瀬大橋を渡って、江田島へほんと、広島県って橋大国やね。橋フェチにはたまらんね。海上自衛隊幹部候補生学校に着きました。前回は門が閉まってたもんね前回のブログはこちら門で受付して、バイクは入口の駐輪スペースに入れて見学受付まで少し時間があったんだけど、中で昼食を食べる旨を説明したら入館OKになりました。集合場所へ集合場所の横がレストランなんで、お昼取って集合時間を待ちます。昔ながらのラッパ型放送施設。もちろんお昼は「海軍カレー」でしょうなんで、カレーかって?日露戦争当時、調理が手軽で肉と野菜の両方がとれるバランスのよい食事としてカレーライスを採用し、当時問題であった海軍内の脚気の解消に成功した。現在も海上自衛隊では、同じ曜日に同じメニューを食べることで、長い海上勤務中に曜日感覚をなくさないようにするために毎週金曜日はカレーライスを食べる習慣になっているのです。受付を済ませて簡単なDVDを見て、案内スタートです。大講堂鉄骨煉瓦石造の大講堂は大正6年(1917年)に兵学校生徒の入校式、卒業式また精神教育の場として建築されました。外壁には瀬戸内海産の花崗岩を使い、内部はほぼ吹抜けとなっており、約2000名の収容能力があります。90年以上経った今日も、変わらぬ姿で、建っております。現在は幹部候補生、第1術科学校の学生等の入校式、卒業式等儀式に使用しております。(海上自衛隊第一術科学校HPより)演台の後ろには、一段上がった玉座スペースが用意されています。天井から吊り下げられたシャンデリアは、船の舵をイメージしています。幹部候補生学校庁舎(旧海軍兵学校生徒館 通称赤レンガ)通称「赤レンガ」と呼ばれ全国的に有名な、幹部候補生学校。現役です。庁舎は、日清戦争の前年、明治26年(1893)に海軍兵学校生徒館としてその生活、教育のため建築されました。設計は、東京築地にあった兵学校生徒館も手がけたイギリス人建築家によるものであります。(海上自衛隊第一術科学校HPより)この中庭は、改装中で入れなかったんだけど、この回廊がよく戦争映画のロケで使われてます。坂の上の雲でもっくんが制服着て歩いていたな。教育参考館ギリシャ神殿風の鉄筋コンクリート造の2階建てのこの教育参考館は、先輩の偉業を偲び、「温故知新」によって自己修養と学術研鑽の資とするため、兵学校卒業生の積立金及び一般企業等の寄付をもって、昭和11年(1936)に建築されました。 教育参考館には、戦前40,000約点の歴史的資料が保存されておりましたが、終戦時、一部の貴重な資料を厳島神社、大山祗神社等に奉納した他は、進駐軍による没収を恐れ焼却処分とされました。 現在は、返却された資料等約16,000点を保存しており、そのうち約1,000点を展示しています。 (海上自衛隊第一術科学校HPより)特殊潜航艇(甲標的)甲標的(こうひょうてき)は日本海軍において最初に開発された特殊潜航艇。真珠湾攻撃で使用された。真珠湾攻撃って、航空機の奇襲かと思ってたんだけど、海側の奇襲もあったのか!結局、微細な戦果を残すのみで、投入された5隻は帰還できていない。大本営発表では、大きな戦果として発表されており、初の作為報道とされている。海龍(竜)海龍(かいりゅう)は日本海軍において開発された特殊潜航艇。甲標的甲型→甲標的乙型→甲標的丙型→蚊龍(甲標的丁型)→海龍→回天特殊潜航艇は、それぞれの型式に小刻みな改造亜種がいるので凄い種類がある。蚊龍以降は戦争後期であったこともあり、特攻要素の強い運用が行われた。そもそも、大した機関や通信機器をもたない特殊潜航艇なので、帰還の頻度も低く、戦果も疑わしい。そもそも、特殊潜航艇で特攻っていう発想が、魚雷に人間を載せる人間魚雷の回天を生んだんでしょうね。そうでないと、なかなか砲弾に人間を乗せるなんて発想は浮かびませんよね。ん?グランドの向こうに見えるのは?戦艦陸奥の主砲(主砲第4砲塔)この2連装砲は、かつて日本海軍戦艦「陸奥」の4番主砲として搭載されていた40センチ砲であり、昭和10年(1935)海軍兵学校生徒の教材としてこの地に移設されました。(海上自衛隊第一術科学校HPより)ちなにみ、ここは立入禁止エリアで、教育参考館がお休みの火曜日のみ代替えで見学させてもらえます。こんな感じで、受付時間で区切られて案内してもらえます。ちなみに自由散策は禁止です。本日はありがとうございました。早瀬大橋のたもとで、往路で気になった自販機に寄り道。もち、プレミアムの焼きあご入りの750円を買いました。ペットボトルが出てきましたよ復路は半島の西側を戻ります。ここまできたら、アレイからすこじまに寄って帰るでしょここは、海上自衛隊第1潜水隊群司令部のすぐそばにあり、日本で唯一間近で潜水艦を見ることができる公園です。「アレイ(ALLEY)」は英語で路地を意味し、「からすこじま」は昔呉浦にあった「烏小島」が名前の由来。ちなみに烏小島は当時周囲40m程の小島で大正時代に魚雷発射訓練場として用いるため埋立てられて消滅しています。 海の反対側道路向かいが「昭和町れんが倉庫群」は、旧呉海軍工廠電気部の建造物で、明治30年代(1897年~)に作られたものです。夜景も見たいし、少しゆっくりしますか。せっかくなら、デッキで日が暮れるのを見ながらなんですが、お店の人曰く、今日は夕方雨なんで・・・。ってええ!雨なの!!雨が行くまで、ゆっくりしよう。もち、ご当地の呉海自バーガーをオーダー「ガンス」って何?魚のすり身を揚げたものなんだって!甘辛いタレと相まっておいしかったな。さて、通り雨も抜けて、いい感じで夕暮れ時になりました。夕暮れと船の照明と波止場の照明がいい感じ。スマホカメラの望遠+夜景モードでは、これくらいが限界かな?望遠がんばると、ちょっとぼやけちゃいますね。ここまで暮れて、クリアシールド持ってくるの忘れたことに気づいた無事帰着。約250kmの旅でした。今日のお土産は、大和パイと顎だしです。どちらも、いけたよ。
2019年09月29日

フェイスブックの広告で、下の怪しいフィギアミュージアム(?!)の存在を知りました。しかも、ちょうど北斗の拳フェアをしていると!ちょっくら、散歩がてら行ってみますか!でも、なんでフィギアミュージアムなんかね高速を北上!高梁SAで休憩?何にもないし、人もいない!お店が撤退して、廃墟になってマス湯原ICで下車して、R313を北上。倉吉に入りました。ナビで案内してもらったから迷うことはないんだけど、これ目立つな(笑)本当に円筒形してるわ!これ凄いね。旧小学校をリノベして、フィギアミュージアムにしてるんだけど、本当になんでフィギアかね(笑)ほかに何かなかったのかね紹介HPから「円形劇場 くらよしフィギュアミュージアム」の舞台となるのは、鳥取県倉吉市にある旧明倫小学校の校舎で、現存する円形校舎としては日本最古の建物!戦後ベビーブームの時に建設されましたが、児童数が減少し、建物自体も老朽化が進んだことにより解体される方向に。しかし、建築物としての価値、地元の人々の思い出がたくさんつまった地域のシンボル的な意味合いから再利用の声が高まり、今回の「円形劇場 くらよしフィギュアミュージアム」として生まれ変わることになりました。なんでーーー?創設にあたっては、大手フィギュアメーカーの「海洋堂」、倉吉市に工場を持つ「グッドスマイルカンパニー」、鳥取県米子市に拠点を構える「米子ガイナックス」の3社の全面的なバックアップを受け、開館にまでこぎつけることができたとのことです。なるほどね!「海洋堂」と「グッスマ」はフィギア屋「ガイナックス」は特撮屋やね! 鳥取県は「ゲゲゲの鬼太郎」の作者・水木しげるさん、「名探偵コナン」の青山剛昌さんなど、多数の漫画家を輩出している県でもあり、県も「まんが王国とっとり」をアピールしています。 観光名所となった「水木しげるロード」を目当てに訪れるマンガ・アニメファンも多い地域性を背景に、「円形劇場 くらよしフィギュアミュージアム」では「フィギュアの聖地」を旗印として掲げ、日本国内はもとより世界に対して新しいカルチャーを発信していくとのこと。 フィギュアファンにはお馴染みの大手フィギュアメーカー3社が全面バックアップしていることで、今後の企画展も期待できそうです。納得!それにしても、マニアックすぎない1Fの特設ブースは、北斗の拳フェアで、等身大?(少し小さい?)拳四郎とユリアがお出迎え北斗の拳のフィギアと言えば、海洋堂のオハコですやん!北斗の拳の隠れ人気No.1キャラの「ジャキ」もいっぱいいたわ海洋堂の宣伝1色海洋堂のフィギアって、北斗の拳シリーズはいろんなラインナップがあるからなー何故か、女性ファン多し数人組で来て、そのうちの1人がウンチク語ってるパーティーが多数(笑)横で聞いてたら、そのウンチクが詳しいのよ2Fに上がってきました。ここからは、常設展示エリアまずは、恐竜エリア目がいいね!次に、動物エリアやっぱり、模型は目が命昆虫もいますよ。ギミック怖わ!お次は、ミリタリーエリア洗車、戦艦、戦闘機、ジオラマ・・・。ボトムズ(スコープドック)は、ミリタリーじゃなくて、キャラエリアだろ!そんでもって、キャラクターエリアここは、少し大きめのフィギアあり。ギミックが凄いね。バットマンの髭とかも、超リアル。そんなに、めちゃ大きいって訳ではないんだけど、リアリティが凄いのよ。当然、日本が誇る、あのキャラもいますよねゴジラね!もち、エバもいますよ。アニメキャラ多数!最後は、日本文化ブース。僕の大好きな海洋堂の「自在置物シリーズ」ですね。3階に上がってきました。3階は体験コーナーフィギア作成ブースと撮影ブースフィギアを作成しなくても、ウルトラマンシリーズのソフビ人形や、キン肉マン消しゴムがたくさん置いてあるので、戦いごっこで遊べます(笑)円形校舎再現教室もあります。建物が円形なんで、教室が扇形!屋上へ出てみた。当たり前だけど、円形(笑)倉吉の街並みが一望。この交差点を右に行くと、倉吉の白壁土蔵造りの街並みになる。中心に螺旋階段があって上から見ると、こんな感じ廊下には、こんなおまけブースもあった。お姉さん一人占め!スパルタンXやりたかったな~再び1Fに降りてきました。今日は一人だったんで、自撮りはなしね。ほかにも、ラオウの兜やマント、ジャキのヘルメットなど撮影小物もありました。たまたまなんだけど、本日海洋堂の宮脇社長のトークショウ+サイン会もあった。この人たち、この動画どうするの?1Fのショップに併設して、フィギアの作り方の紹介があった。これ見て、うちの娘がフィギアにハマってしもうた(笑)「ねんどろいど」を100均のファイバー粘土や、プラスチック粘土で作って、アクリル塗料で着色しだしたわ。もともと、俺も中高生の時、こんな世界におったから娘にはアドバイスできるけど・・・。ここまでの物は作れんよ(涙)そんでもって、お土産ショップ。当然、北斗の拳モノも充実していますが、海洋堂のおもちゃも充実しています。ああ、このタケヤ式自在置物ほしいな・・・・。海洋堂が誇る独自のアクションフィギュアシステム=リボルテックと融合させ、自在ポーズを誇ります。ちょっとお高い6~7000円せっかくなんで、倉吉白壁土蔵群の街並みへ。初めて来た。倉吉の玉川沿いには、白壁土蔵群や甍(赤瓦)が広がっています。 この町並みは、室町時代に作られた打吹城城下町が原型となり、江戸時代には陣屋町として整備されたものです。玉川に架けられた石橋や、赤瓦に白い漆喰壁の落ちついた風情のある街並みを歩くと、時間がゆっくり流れていくのが感じられます。で、この先が、一番のハイライト箇所だったんだけど、スマホの電池切れ・・・。ああ、一番いい所が撮れてない。今度からは、予備の充電器は必ず携行するようにします。トホホ・・・。あと、時間が無くて、松井酒造の倉吉蒸留所でウイスキー買えなかったから、もう1回リベンジかな。今日も午後から出てきて、たっぷり楽しめたから散歩圏内だしね。帰りはR179で津山経由で帰ってきました。往復250㎞くらい。往路の高速よりは津山経由の方が近いし、早いな
2019年09月07日
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