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学生時代、いろんなバイトをしたけれど、共通して言えるのはバイトでも出世できなかった私。4.就職活動ずばり、私はバブル期に就職活動を行いました。男女雇用機会均等法も施行された後だったので、就職先は選り取り見取り。ただし、すでに書いたように、本来私にはキャリア志向がないどころか、大学入学時点では就職する気すらありませんでした。ところが、周囲に流されやすい私としては4年生になる頃にはやはりなんとなく一度ぐらいは就職するか、という気になり、さらに、どうせ就職するならいいとこ目指すか、ということになりました。これもすでに書きましたが、就職先の候補として、まず最初に除外したのが女性にのみ制服のある会社。日本K業銀行にもあこがれましたが、条件に照らすと×。T京銀行も×。一方、事務職(一般職)ではなく、男性と対等の立場で入るような仕事としてはシステムエンジニアを目指しました。手始めにシステム開発会社の内定をもらい、それから某ハードウェア会社の内定もとりました。ただし、ハードウェアメーカーのなかでも最も人気のあるI社は落ちてしまいました。というのも、適性検査と一時面接にパスしたところまではよかったのですが、最終面接になんとノースリーブのワンピースを着ていったので、おそらくこれがいけなかったのでしょう。私は就職活動を通じていわゆるリクルートスーツは着用しませんでした。その代わりに、某ファッションブランドの金ボタンがずらりとついたジャケットの紺のスーツを使用しました。理由は、画一的で地味なスーツを着るのがいやで、リクルートスーツを着ていないことを理由に落とすような会社はこちらからお断りしますという姿勢だったからです。(←生意気極まりない!!)さらに、I社を受けたときは一次面接には半袖のスーツを着ていきました。これはかろうじて受け入れられたようですが、さすがにノースリーブのワンピは非常識と受け取られたのでしょうか。早い時期に採用試験のあった会社としては、某コンサルティング会社を受けたことが私のその後の決断を大きく左右したと思います。この米系コンサルティング会社の採用試験は難しいことで定評があり、なんだか難しい論文を書かされたりしましたが、一応試験はパスして、一次面接にもパスしました。この試験の過程で仲良くなった他大学の男の子とお互いの進行状況を確認したりしていたのですが、ともに最終面接(パートナー面接)まで進んだときに二人の間には大きな差が生じました。彼が面接に行ったときには、たわいもない会話の後、パートナーがまあよろしく、と言う感じで手を差し伸べたのだそうです。ところが、私の時には、それまでに聞かれたことのなかった質問がメインでした。「結婚したらどうしますか?」「子供ができたらどうしますか?」がそれです。私は「結婚」の質問には「仕事は続けられると思います」と答えたのですが、「子供」の質問には「子供を持ってみないとわかりません。そのときになってから考えたいと思います」と答えてしまったのです。このような会社を受ける人間なら、嘘でもいいから「もちろん続けます」と言うべきだったのでしょう。でも、私はバカ正直に答えてしまいました。そうしたら、見事に落とされました。 男性の友人はもちろん受かって、その会社に就職しました。ここで落とされたことにより、私は例の音楽の教室から出て行ったときと同じ開き直りで「いくら能力で男性と張り合ったところで、所詮女性は女だからこそ余計に頑張らないとやっていけないんだ!!」と思ってしまいました。(だって、男性だからって必ず長く勤めるとは限らないし、実際家業を継ぐまでの腰掛けで就職する男性はたくさんいました。そんな人たちに「腰掛けですか?」とは聞かずに、なぜ女性にだけいやらしい質問を浴びせたんでしょうか!!)そう思ったらばかばかしくなったので、それ以降、男性と対等な職種を受けることはやめてしまいました。事務職としては第一希望だった会社の内定をもらったのと並行して航空会社の地上職を受けていました。この会社にはちょっとしたコネもあったのですが、内側から調べていただいたところ、まったく問題ないということでした。当初コネの先に伺いを入れたときには、「スチュワーデスなら大丈夫ですが、地上職の場合は一応自力で試験を通っていただかないと」というお話でした。私はスッチーはいやだったし、しかも地上職でも空港のグランドホステスは嫌だったので、都内の営業所勤務を希望と言い張って試験を受けましたが、それでも落とされずに最終面接まで進んでしまいました。ただし…この時点ですでに別の会社の内定をもらっており、私としては当時付き合っていた男性が土・日休みだったため、たとえ営業所勤務でも土日勤務になったら彼と会えなくなってしまう、と思い、結局最終面接で「当社が第一希望ですか?」と聞かれたときに嘘がつけずに、目の前にずらりと並んだ役員に頭を下げ、「申し訳ありませんが、XXに内定をもらってそちらにいきたいと思います」とお断りしてしまいました。(コネもあったので、内定をもらったのに行かないとなると気まずいと思ったのです。)まったく、今だったら喉から手が出るほどの就職先を自ら棒に振ってしまったのです。 なんというあさはかさでしょう。こうした経緯から、私はやりがいのありそうな職を自ら遠のけてしまいました。これが、私が今日浮かばれない立場にいる決定的な理由です。
April 29, 2005
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今日は仕事もほぼ定時で終わったので、一度家に帰ってから自転車でクラスに行ってきました。今日のジャンルは文化ですが、今日扱ったのは日本語のローマ字表記の方法について。日本ではヘボン式表記が一般的(※パスポートのローマ字表記に採用されています。こちらをご参照ください)ですが、スペイン語圏の人に日本語の読みを説明するという目的に限定すると不便なことが多々あります。たとえば、スペイン語ではHを発音しないので、花火を"Hanabi"と書いても「アナビ」になってしまうわけで、それならば"Janabi"と書けばいいかというと(実際そのように表記しているスペイン語で書かれた日本語に関する文献もあります)ヘボン式に慣れている人から見ると「ジャナビ」になっちゃうし、もっと言うならラテンアメリカ人なら「ハナビ」となるでしょうがJの音を喉を鳴らして発音するスペイン人に読ませたら日本語の「ハ」の音にはならない。訓令式なら読む人の言語に左右されにくいという意見も見逃せませんが、たとえば「千葉」を"Tiba"と書くことになるので英語圏の人が見ても日本人が見ても「ティ(-)バ」になってしまう。(ヘボン式と訓令式について知るにはこのページなんかも役立ちそうです。)Colegio de Mexicoが発行したテキストには、光源氏を"Guendyi Jikaru"と表記したものがありました。「ゲ」をgeと書くと「ヘ」(例:gente)の音になってしまうので区別するためにはgueとしなければいけないのはわかります。スペイン語には「ジ」の音がないために、jiだとヒになってしまうし、yiの組み合わせは存在しないし… ("All'i"のようにll'iと書けば大概の人は「ジ」と読んでくれるでしょうが、本来llの音は「流音」であり、濁音ではないんですよね…)とやっていくと、スペイン語圏の人にわかりやすい表記を作り出すことはできますが、非常に限られた人にしか通じないし、このようにやっていくと極端な話すべての外国語に対してそれに合わせた表記システムを作らなければならないことになってしまいます。それに、光源氏もそうだけど、源頼朝は"Minamoto(no) Yoritomo"なのか、"Yoritomo Minamoto"(←私の解答)みたいに西欧人にわかりやすいようにファーストネーム(nombre de pila)、苗字(apellido)の順がいいのか??あとは、日本語の「お茶」とか「お箸」、「お弁当」は"Ocha", "Ohashi", "Obento"なのか、"Cha", "Hashi", "Bento"なのか、"O-cha"のようにしたほうがいいのか、さらには"Bento"は"Bentou"がいいのか、oの上に^みたいな記号をつけたほうがいいのかなどなど、日本語のローマ字表記の仕方にはものすごくばらつきがあります。世界中すべての人に通じる共通した表記システムを作るとしたらどうするのがよいのか、といったことを次回までに考えていくことになりました。ちなみに今日の授業は日本人の先生の担当でしたが、なぜか先生も生徒もほとんどの部分をスペイン語で話していました。息子をお迎えに行ったら、今日は9時過ぎまでお仲間がいたようです。3歳児の女の子と仲良くお風呂にも入り、たくさん遊べて楽しかったみたいでした。昼間の職場でもそうでしたが、家に帰ってきてもすぐにJR福知山線の事故のニュースに目がいってしまいます。車は危険が伴なうけれど電車なら安全、という考え方は妄想だったと思うしかないほど恐ろしい事故でした。たまたまあの日、あの時間に、あの車両に乗り合わせたというだけの偶然にめぐり合ったあんなにも多くの方々が一瞬にして、またどれほどの苦痛を味わった末に命を落とされたかと思うと、心が痛むと同時にぶつけようのない憤りを感じます。亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げるとともに、残されたご家族の方々に少しでも早く心の平静を取り戻していただきたいと願います。また、負傷された方々には一日も早い回復をお祈りいたします。合掌。
April 27, 2005
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今日は主人と息子は早起きして二人で多摩テックに出かけていきました。二人でまる一日、男の子らしい遊びを満喫してきたようです。私は月に一度の日本料理教室にでかけてきました。今日は最初に包丁の研ぎ方(前回リクエストした内容です♪)を習い、各自持ち寄った自分の包丁をきれいに研いで持ち帰りました。お料理は春の食材(たけのこ、そら豆、たらの芽、菜の花ほか)をふんだんに使ったものにメインはステーキ!それぞれのお料理にあわせて出される飲み物は、今日は各種のオーガニックワインでした。料理教室を主宰している友人の友人で私が昔から知っている人や、共通の知人を持つ人なんかも参加していたので、おしゃべりも楽しみました。満足。ところで、私が先週書き始めた「わたしがえらくなれなかった理由」についてちょっと補足します。「えらくなれなかった」なんていうとまるで自分がえらくなりたかったとかえらくなれるはずだったかのように聞こえてしまいますが、決してそういうわけではありません。そもそも「えらい」ってどういうことなのか定義がすごく曖昧ですが、私がここで意味するところは「自分の信条に従って行動し、自分の役割や専門に対して誇りを持っていられること」という意味です。もっとも「えらくなれなかった」という言葉には、現在、日常感じているジレンマも込められています。それはどういうことかと言えば、私は現在派遣社員として仕事をしているわけですが、私が職場で置かれた立場というのは個人的にはかなり屈辱的なものだからです。課長は私より若干年上ですが、それ以外のスタッフは皆年下です。仕事ですから年下の社員のためにコピーをとってあげたり仕事の下処理を手伝うことには全然抵抗ありませんし、逆に職員の方も多少気を遣ってくれているようなのでその辺はうまくいっています。私が屈辱を感じるのは、こんな若い人たちが自分の専門性を追及し、日々邁進しながら仕事しているのに、自分にはそういう期待がされておらず、ただ同じところをぐるぐると回っているだけだからなのです。自分自身の持っていた選択肢と彼らのいる世界が最初からかけ離れたものであったなら潔く割り切りもついたのでしょうけれど、こんなことを言うと高慢ですが、実際はそうではなく、私だって過去に正しく行動してさえいれば、彼らの側の先輩にだってなれていたかもしれない、あるいは彼らと同じぐらいの専門性をもった人間としてもう少しましな立場で仕事上のかかわりを持てたかもしれないと思ってしまうからなのです。けれどもそうならなかった理由は、私という人間がなまけもので、長期的な視野に立ってこつこつ努力することをこれまでの人生を通じて怠ってきたことの積み重ねです。投資に例えるなら短期の運用オンリーで、目先の利益を追うことばかりに執着し、先行投資とかある確信に基づいた長期的な運用をまったくしてこなかったからです。「やるだけのことはやったのにできなかった」ならばともかく、「やればできたかもしれないなのにやらなかった」のは自業自得以外の何物でもありません。私のこれまでの人生、後者の積み重ねばかりだったので、今更手遅れではありますが、もう一度チャンスが訪れるならば今度こそは無駄にしないようにしようと思いつつ、過去の失敗をこの機会に徹底的に探ってみようと思ってこれを書いています。
April 24, 2005
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「自業自得」という言葉の意味をひしひしとかみ締めながらかつてを振り返る今日この頃。2.女の幸せ私は無事私立四年制大学への合格を果たしたわけですが、学部は本来希望していたものとは大きく異なりました。今だったら絶対にこんなおろかな選択はしないと思うのですが、当時私が簡単に頭を切り替えられたのには理由があります。それは、私にとって大学での勉強というのは一般教養の延長に過ぎなかったからです。将来あれをやりたいからこれを勉強したいと思っていたわけではなかったので、決まった学部での勉強に教養として十分に価値があると思えた以上、さほど文句はありませんでした。私は一度も働いたことのないある意味世間知らずな母の長女として育ち、その価値観をかなり植えつけられておりました。親戚中見回しても、女性は全員四年制大学を卒業したものの、結婚後に仕事を続けていた人はいませんでした。年上のいとこの女性達も仕事よりも結婚を選んでおりました。だから、この頃の私には仕事を結婚よりも優先させようという考えは毛頭ありませんでした。だったら短大で十分だったのでは、とも言えますが、短大では学生生活がたったの2年で終わってしまうではないですか。私に必要だったのは4年間のモラトリアム。男性に勝らずとも劣らない教養を身につけつつ、悔いなく結婚できるようにやりたいことを思う存分やっておくための時間だったのです。3.大学無事大学に入学すると、私はすぐにクラスの中で同じにおいを感じる人たちと仲良くなりました。1人を除いて私立女子高出身、2人は内部進学者だったので受験もしていませんでした。サークルでも同じく仲良しができ、私は思い描いたとおり楽しい大学生活を送り始めました。一年生のときは一般教養科目と語学のクラスおよび専門のゼミ入門が一こまあったのでけっこう大学には通っていましたが、大体出席必須のクラスを終えるとランチをして午後はぶらぶらしているか、バイトに行っていました。二年生では第二外国語のフランス語では頑張って楽勝クラスの座席を確保しました。先生は学生に関心があまりなかったのか、代返もOKでした。この先生、非常に良心的な方で、試験には必ず教科書の例題と教科書の文章まるのままの翻訳を出題されていたことから、試験時には翻訳とすべての例題の答えを記入し、さらにインデックスまで備えた豆本さえ作ればばっちりでした。先生は、試験の半分の時間は後ろのほうの学生がカンニングできるように教室の前の方で、もう半分は前の方に座っている学生を助けるために教室の後ろのほうでそれぞれ読み物をしたり窓の外を見てすごされるという寛容な方でした。私が諸々の試験のために作成した手のひらサイズの豆本のたぐいはA型の職人芸とでもいうべき繊細かつ詳細にまでこだわった芸術品だったので、捨ててしまったことが今になって悔やまれます。英語はそうは行かなかったので講読のクラスには出席していたのと、2年生から入れるゼミがあったので取っていました。三年生では一般教養の体育も夏のワンゲル合宿で済ませてしまったし、般教もほとんど残っていなかったので、出席をとる科目が少なく、週1回のゼミとあわせて週3回ぐらいしか学校へ行きませんでした。 サークルの陸トレもいやだったので行かず、その分駅の反対側のジムで週3回の筋トレをこなしながら同じく駅の反対側でひたすらアルバイトをしていました。こんな私でもなんと3年生で卒業単位のすべてを取り終えてしまったため、四年生では本当にやることがなくなってしまい、それでも日本の大学は3年間では卒業させてくれず学費も払わなければならなかったので、仕方なく登録したのがフランス語会話と1年生用のスペイン語のクラスでした。(英会話もやったような??)が、結局どれも就職活動で行かれなくなってしまうことからすぐにドロップアウトしたように記憶しています。このスペイン語のクラスを教えていらしたのが、今日私が尊敬している先生です。第二外国語でフランス語なんかとらずに少数精鋭クラス(??)でスペイン語を選択し、この先生に早い時期に出会っていたならば、私の人生は大きく変わっていたことでしょう。(実際、英文科に所属しながらこの先生の虜になり、師弟となって今ではスペイン語の指導や翻訳、執筆活動にいそしんでいる同期の卒業生と昨年知り合いました。)ちなみに私が人生でもっとも勉強した時期はおそらく大学3年生の1,2月でしょう。私の学部は出欠をとらず、年に二回か、一回の期末試験だけで成績がついてしまう授業が多かったので、試験前のノート収集と独学に命がかかっていました。学部には社会人入学の学生(当時は「なんでわざわざ社会人になってまで大学に戻ってくるんだろう」という目でその方々を見ていましたが、今の私は何度だって入れてもらえるものならば大学で勉強したいと思います)もいたので、気前よくノートを貸してくださったりして、その他何人かの優秀で勤勉な学生のノートをコピーしまくって、それを熟読したり、独自にわかりやすい参考書を見つけてきて勉強し、一年間のブランクを埋めて試験に臨んだのでした。(なので、試験には「私の顔はどれでしょう」といって教授の顔写真が並んでいる問題が出る、とよく噂になっていました)年に一度や二度のみの試験ですべてが決まってしまうということは、私のように年に一度や二度しかクラスに出ないものでも運よくパスしてしまうこともあれば、情け容赦なく不合格にされる学生も多かったので、学部全体の留年率は20%程度と高いものでした。今の私であれば、たとえ出席をとらない授業だろうときっと出席して、ノートもきちんと取ると思います。ちゃらちゃらした女子学生がノート貸して~♪と頼みにきたら貸すかどうかはクエスチョンですが、真面目そうな学生が頼みにきたら(←私の学生時代も頼みに行く役は比較的真面目な学生が担当でした)貸しても… いいかな。で、4年間も大学にほとんど行かずに何をしていたのかと言えば、ひたすらアルバイトしてお金をためて、冬ごとに最新のスキーウェアと用具を買って山にこもり、アルバイト(一応イントラ)しながら練習に励んでいたのでした。が、悲しいことに、元来運動神経に乏しい私はどんなに努力しても運動で報われることはなく、この面ではかなりいろいろと屈辱感を味わいました。スキー場での収穫は、1年生の冬にアルバイトしたスキー学校で知り合った他大学の2つ上の先輩とつきあうようになったこと(この人とは4年間続きました)と、他にも年上の知人もたくさんできたこと、この年に知り合ったスキー学校の先生がその後ペンションをオープンしたときに居候させていただいたこと、…(途中省略)… そして4年生の冬に、学生時代を通して打ち込んできたスキーがちっとも上達していなかったことに落ち込んで投げやりになっていた私に手を差し伸べて毎日入念に指導してくれた同い年のインストラクターのおかげで春の終わりには見違えるように上達が見られてやっとのこと達成感をあじわえたこと、でした。が、しかしです。学生たるもの、いくら課外活動で充足感を得られたとしても、学業のほうがおろそかでは本末転倒であって、褒められたものではありません。社会人になってから、日本では「大学でなにやってたの?」と聞かれても「えっ、スキーです(自爆)」と平気で答えていましたが、海外に出てからは自分の専門を口にすることすらはばかられたものでした。
April 23, 2005
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昨日の日記に制服のことを書いたら、昔のことを色々思い出しました。そこで、「私がえらくなれなかった理由」シリーズとして思いつくままに私の人生に対する自戒も込めて、私がいかに今の自分の置かれた立場に自らの選択(ミス)によって辿り着いたかを記してみることにします。1.~大学受験私は親の期待に沿えず、小学校受験には見事失敗して地元の公立小学校に行きました。 このことは私の人生のなかで貴重な体験となっています。 後悔はありません。そして小学校4年生から望んで塾に通い始め、以来ピーク時の6年生のときには週7日のうち6日は塾へ行く(すべて自分で選択、希望)生活をしていました。文句を言わずに自分達は節約しながら塾の費用をすべて払ってくれた親には感謝しています。その甲斐あってか(実際は特殊な受験方式をとる学校だったので、受験勉強をしなくても入れたのですが、)中学からは私立校に通うこととなりました。大学受験の準備に入るまでは塾にいく必要もなく、ひたすらクラブ活動(部活)をやっていました。中2では化学が大好きになり、将来は薬剤師になりたいと思いましたが、数学が嫌いだったので数学が必須となる理系はやはり無理だと早々にあきらめをつけてしまいました。(中3のレベル分けでは上級に入れるほど成績は悪くなかったんですけど、証明問題以外は大っ嫌いだったんです。)高校1年生の終わりに私の人生の歯車を狂わせる出来事がありました。私の学校は音楽教育に力を入れてました。高校1年生の芸術科目は音楽、書道、美術の中から選択だったので、私は音楽を選択しました。音楽の授業はクラスを3つに分け、学理、合唱、演奏を交代で行いました。演奏のパートのとき、私はクラリネットやバイオリンをそれなりに上手にひいたので、学理、合唱とあわせてA評価をもらえるものと信じていました。しかしながらある日、授業中先生が話している間にうっかり友達と机の上でおはじきをしているところを見つかってしまい、「おまえらでてけ~!!」と怒られたときに「スミマセンでした」と言う代わりに「はい、わかりました」と言って本当に教室を出てしまったのが災いしました。年度末の音楽の評価はCでした。あんなに人並み以上に演奏し、一生懸命歌を歌い、立派なレポートを書き上げたのにです。先生がおはじきの一件をかなり根に持っていたのは明白でした。このCは私の成績表においては唯一のものであり、唯一のCが選択科目の芸術でつくとは完全に「想定外」でした。私はできれば推薦入学で大学に行きたいと思っていたので、他の科目でもまずまずの成績をとりました。なのに、高1の音楽で、いきなりCを取ってしまったのです。私は「でてけ~」に対して「はい、わかりました」と言ったのと同じ潔さを以って、このCを唯一の理由として推薦入学をあきらめました。(普通なら2年目からさらに気を引き締めてがんばって挽回しようと考えるものでしょう)高校2年からの私は人が変わったように悪い生徒になりました。学校の勉強なんかやってもあんまり意味がないのです。私の目標は希望の大学に入ること。学校でいい成績をとることではなくなりました。英語の授業だけはレベル分けで一番上のクラスにいたのでやりがいを感じたのと、そもそも好きだったので真剣にやりましたが、それ以外の科目の授業中は眠っているか早弁しているかノートにバカなことを書いているかお手紙を書いて回しているかのいずれかでした。その分、高2から予備校に通い始めました。高3の生徒ほど切羽詰ってもいなかったのでゆとりの心境でした。こんな勉強法の結果、私はテストにおいて、先生が授業中に強調したこととか授業で扱った題材などが出てくる前半部分ではあまり点数が取れない代わりに、後半の応用問題で着実に点数を稼ぎ、結果的に成績は悪くないという先生から見れば最もたちの悪い生徒になりました。そんなこんなで高3のある日。一日平均7時間以上勉強した夏も終わり、周囲の友人の一部はすでに短大への推薦入学を決めて肩の荷を下ろしていました。外国語に強い某私立大学を目指していた私にとってはこれからが受験勉強の本番、というところでしたが、英語と古文にはめっぽう強いものの世界史が苦手だった私はふと弱気の虫に襲われ、もしかして、との気持ちから私に入れる推薦入学枠がないかとめったに行かない職員室に足を踏み入れました。結果、評定平均4.0以上の人に応募資格があるかわりに推薦枠の中で試験が行われるという某大学の某学部(まったくの想定外)であれば一つ枠が空いていますと言われ、しかも、高1の最初の学期ををピークにじりじり下げていた私の評定平均はジャスト4.0だったので、「それじゃあ、他に候補者が現れたらそれはそれでいいですが、もし他に誰も希望しないならば入れてください」と頼んでしまいました。「推薦入学っていうのは一度決まったら断れないんですから(断ったら翌年以降の枠がなくなるかも!)、第一希望であることが条件です。本当に行きたいんですか?」と言われても引き下がらずにいたら結局私が最後の一人として推薦枠に入り込み、試験を受けに行きました。倍率は2倍でした。結果、私は見事合格してしまいました。この件は、私の授業態度をよく知る周囲の友人達をも大いに驚かせました。(「よりによってXX子がなぜ推薦なんかで大学行かれるわけ…?!」(だって他に希望者いなかったんだも~ん))私が入った学部は本来の受験予定(英語関係オンリー)には入っていませんでしたが、物事を都合よく考える主義の私は、「私がこの勉強をすることになるのは運命の導きなのかもしれない」とか思いながら、これにて受験勉強を終了しました。(これ以降、卒業までは必死で受験している友人達には申し訳ないけどあまり学校にいかなくていい間、ずっと内緒でアルバイトをしていました。当時の時給550円なり)人生失敗のポイント:目標をいとも簡単に、しかも目先の小さな失敗や苦労を理由にあきらめ、努力をせずに放棄してしまう捨てたもの:薬剤師になる夢、希望大学への推薦入学、希望大学の受験、希望の専攻得たもの:予備校での知識、まったく関心のなかった学問への導き、アルバイト代(15万円ぐらい?!)
April 21, 2005
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今日は株の日。昨日の反発から今日も上げるだろうと読んで昨夜いくつか指値を入れておいたら、全部約定しちゃいました(汗)これでもう一度相場が下げたら目も当てられませんが、とりあえず対中関係はこれ以上経済に悪影響を及ぼさないだろうと。あとは米国企業の決算発表とか、北朝鮮の動きも場合によっては悪材料なのかな。今日のにっこりマークは、先日当たったIPO銘柄、今日は寄り付かずに明日に持ち越されたこと。ただし、証券会社の担当者(←母の。とても律儀で気の回る人です。私の担当者とは違うな~)は初日に値がつかず、二日目いきなり売り気配で始まることもあるので油断はしないほうがいいというようなことを言ってたので、明日の売り注文は成り行きではなくとりあえず指値にしておきました。まあ、GMOペイメントやリスクモンスターなんかに比べればすずめの涙みたいな利益ですが、確定したら口座を使わせてくれた母にお礼を兼ねてなにかプレゼントをしたいと今から考えています。スペイン語のクラスのほうは、今日のテーマは『制服』でした。日本人の子供は制服で結婚式にも葬儀にも出られるのはなぜ?制服を着ていくのはいいとしても、足元がスニーカーなのはどうして?職場で制服を着ろと言われたらどうする?どうしてそう思う?制服が強制でなくなった会社で、年配女性(45歳以上、とのこと。発言者(男性)がその人たちのことを"ancianas"(年寄り、ばあさんたち)と呼んだら先生は"chicas(sen~oritas) grandes"(大きい女の子達)に直してました)だけがあえて制服を着続けているのはなぜ?(⇔若い子は私服)若い子が職場で露出度の高い服などを着ていたときにどうやって恨みを買わないようやんわりと注意するか?などの話をしました。ちなみに私は個人的にはアンチ制服派で(中高の学生服を除く)、新卒のときから制服のある会社は航空会社以外無条件に就職先の候補から外しました。女性にだけ制服を着せる、ということが許せなかったのです。制服というのは女性職員を会社の備品に変えてしまうかのような強制力を持つうえ、みんなが同じ形の服を着なければいけないことから着る人の体型が目立ってしまうという難点があります(昔やってたドラマの「ショムニ」では地味~な制服も江角マキ子が着ればそれなりにかっこよかった記憶がありますが…)。私服だったら自分の体型の欠点を上手にカバーしたり目立たせなくするデザインを選んで着ることができますが、制服じゃぺちゃぱいとかまっすぐでない足とかがまともに人目にわかってしまうではないですか。制服反対!!ちなみに、メキシコの制服はデザインが奇抜だったり派手だったり、はたまたブラウスがかなり深いVネックだったりするそうです。首までボタンのついたブラウスを制服にしようものなら、従業員はみんな勝手に第一、第二、第三ボタンぐらいまで外しちゃうらしいですから。そんなことするぐらいだったら最初から、というわけでかなりセクシーな制服もあるんですって。すごいな…
April 20, 2005
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4月1日から保育園の担任二人のうち一人がカナダ人の先生になりました。日本語はどの程度できるのか知りませんが、この先生はずっと英語をしゃべっているようです。息子は英語で面と向かって話しかけられるとわかってるんだかわかってないんだかもじもじした態度をとるそうですが、クラスの進行全体に英語での指示が混じっているため、英語でのやりとりにやや慣れてきました。まだ、What~の質問をぶつけても"Yes!"と返してくることがしばしばあることから答えはだいぶいい加減ですが、最近の進歩は、以前であれば疑問文にはほぼ自動的に"Yes"と答えていたのに対し最近は少し考えて"No"と言えることが増えてきました。今日は、ThomasのABC Bookを読んでくれと言うので、"A is for all aboard!"から順番に読みながらところどころ英語で質問してみました。たとえば、"G is for Gordon. Gordon is a big, strong engine. Poop! Poop!"を読んだ後、"Where is the letter G?"と言うとちゃんとページの中のGの文字を指し、"Is Gordon big?"には"Yes"、"Is Gordon small?""Is Gordon little?"には"No"と答えました。"grumpy"(機嫌が悪い)という単語を教えた少し後で笑っている機関車が出てきたので"Does James look grumpy?"と聞くとすぐに"No!"と答えられました。(そして"Is James smiling?"には"Yes"と)"How many~"や"What color~"の疑問文にもすべて正しく答えていました。アルファベットは質問したものはV以外間違えずにすべて指すことができました。保育園で毎日英語に触れている成果でしょうか。それに対し、大して訓練していないひらがなはまったく駄目ですが、日本語の絵本が表音文字であることを察してか指で文字を追いながら発音してくれとよくせがむので、ひらがなを教えてやれば意外と早く自分で絵本が読めるようになるかな、なんて親ばかながら思っています。私は悪い親なのですぐにいたずらしたくなり、日本語、英語のほかに突然スペイン語でしゃべりだしたりして息子の反応を見ますが、スペイン語で何か言うと聞き取れなくて意味がわからなくても「今のスペイン語?」とか「あ、スペイン語はだめ~~」とか言うのが面白いです。(もっと他に色んなことばができたら面白いのになあ。)また、私がスペイン語で"Quieres chocolate?"(チョコレート欲しい?)と聞くと目を輝かせて"Yes!!"とか、"Vete al ban~o"(トイレに行きなさい)と言うと「はーい」とか、スペイン語以外の言葉で即座に返事をするのも不思議です。不思議と言えば、最近息子はふざけてたとえば「おかわりくださーい」の代わりに"O Ka Wa Ri, please!"みたいに日本語の単語を外国人がローマ字読みで発音するときのように発音して使うことが何度かありましたが、これって誰のどういう影響によるのか興味があります。カナダ人の先生の真似をしているのか、はたまた自分なりに英語の音を理解し、それを応用して日本語を英語風に変えているのか(そうだとしたらすごい!)。保育園の先生に少し聞いてみようかと思います。一方ママの英語は…帰国からすでに1年4ヶ月。この間英語はほとんど使わず。履歴書に書けば誰もが感心するようなTOEICのスコアももうすぐ期限切れだろうし、とうとう一度も何の役にもたちませんでした。このまま腐らせてはもったいないと思い時事英語のテキストを一冊買ってぱらぱらと読んでいますが、時事英語は身につきません。興味がない、事象に対する知識がない、使う当てがない、が理由でしょうか。最近ふと思うのは、自分には語学力だけあってもそれを生かして仕事をする能力がないので、せめて仕事で語学(スペイン語または英語)を必要とする人の語学の学習をお手伝いするような仕事ができたらなー、ということです。(今の職場で正規の職員達が外国語をあくまでツールとして使いこなしながらプラスアルファの仕事をしているのを日々目の当たりにしていると、ジレンマは募るばかりです…)
April 19, 2005
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今朝のダメ元指値ナンピン買いは予想に反してすぐに約定してしまいました。まだまだ甘かった…もう、総資産の目減りには目も当てられません。株は大幅マイナス。ファンドはものによりますが、さほど悪くはないです。あ、でもインデックスファンドは… 今日は買い増す意欲も失いました。しばらくは投資活動は中断して様子見したほうがよさそうです。腹をくくって。世の多くの人たちが痛手をくらっている今日のような日に大ニコニコのホリエモンはやっぱりただ者ではないな。
April 18, 2005
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今朝は寝坊をせずに計画を実行しました。家から歩いていけるところにある映画館での二本立て。一本目は『赤いアモーレ』。ペネロペ・クルスがイタリア語で演じています。ペネロペはハリウッドだと可愛いだけで演技はイマイチという印象がもたれなくもないですが、この映画では迫真の演技をしています。(実際、イタリア・アカデミー賞で主演女優賞をもらったようです)ラブシーンや内容の関係からR-18に指定されていたような気がしますが、ヨーロッパ映画ならでは、ヌードがさらされても自然な感じです。権威ある外科医できれいな奥さんがいて豪華な暮らしをしている主人公の男性がある日偶然であった貧しい女(ペネロペ)を衝動的に襲って以来、彼の表向きな立場からは見えない心の裏側にあった寂しさを満たしてくれるこの女性と密会を続け、次第に本当に愛しあうようになります。 二人は悲しい出来事により引き裂かれてしまいますが、外科医の心はいつまでも彼女のことを愛し続けます。そんな過去のエピソードを、娘が自分の働く病院に急患として運び込まれてきて手術を受けている最中に回想するというストーリーの構造になっています。こんな映画を見て最後には朝っぱらからちょっとだけ涙が浮かんでしまいました。15分の休憩をはさんで観た二本目は、私の好きなガエル・ガルシア・ベルナル(まだ観てないけど『モーターサイクルダイアリーズ』でゲバラの役をやったメキシコ人の俳優です。メキシコ映画"Amores Perros"を観て気に入ってしまいました♪)が主演する『ブエノスアイレスの夜』でした。今日の本命はこちらだったのですが、この映画もR指定が入ってます。この映画はかなりヘビーでした。アルゼンチンの軍事クーデターで捕らえられた過去を持つ主人公の女性(セシリア・ロス)は頭の切れるキャリアウーマンですが、冷徹な心を持ち、変わった趣味をもっています。彼女は他人の情事を壁越しに聞きながら性的満足を得るためにカップルを雇いますが、ある男性の声に魅かれたため次回からは男性(ガエル)だけを呼んで官能小説を朗読させます。 何度かの壁越しの会話を通じてこの雇い主に興味をもったガエルは彼女と対面し、二人は次第に惹かれ合っていくのですが、彼らの間には驚くべき事実が隠されていたことが判明します。この映画は舞台がアルゼンチンなのでガエル始め登場人物はアルゼンチンのスペイン語を話していますが、セシリアだけはスペインに20年も住んでいるのでスペインのスペイン語を話します。映画の最後の方に彼女が彼にセーターを渡して「はい、これセーター」と言うところで、彼女は"jersey"という単語を使うのですが、通じなくてガエルが"que?"と聞き返すと、彼女は"sueter"と言い直します。このやり取りに込められた二人の間に流れた時間と距離の隔たりを感じることができるのは、スペインとラテンアメリカのスペイン語を理解する人たちの特権かもしれません。ファミリーで鑑賞するにはお勧めできませんが、もし興味のある方は、是非ビデオでご覧ください。日なたでリニアモーターカーの模型を握り締め、気持ちよくお昼寝しているなと思ったら… 私が立てた物音に反応してこんな姿に様変わり!
April 16, 2005
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トップページにアフィリエイトでも入れてみようかといじっていたらページレイアウトが壊れてしまい、取り返しがつかなくなりました。なので、気を取り直してデザインを変えていますが、これは時間のかかる作業ですね。さてさて、今日の株式市場は米国株安を受けたとかやらで大暴落、日経平均が192円安の1万1370円でした(1円未満は省略)。さすがの私のポートフォリオも今日はマイナスに転じてしまいました。が、おとといナンピン買いした銘柄は下げなかったし、持ち駒の中にはこんな状況でも上がったものがあったので心臓に悪いほどには下がっていません。今日も悔しかったのでインデックスファンドを買い増しました。株と違ってインデックスファンドならいつか相場が上がってくるまで持ち続けていても、配当こそ入りませんが思わぬ事態によって暴落することもありませんから。いつになるかは知りませんが、日経平均が1万2,500円ぐらい(←売り目安)になるまでは平均買い単価を極力下げながら持ちこたえようと思っています。ぐるなびのIPO狙いで資金を普段使わない証券会社に移してしまったので今日は動かせる資金がなく、せっかく狙っている株がいい値段まで下がってきたのに買えませんでした。週明けはどうなるのか。今日話した証券会社の担当者いわく、今週は連日下げ続けたので、様子見で週明けに一旦上昇するだろうが、そのあとどちらに転ぶか次第で今後の状況が変わるかもしれないとのことでした。明日の朝は一人で映画を見に行く予定です。昼間っから見るような映画じゃないもの二本立てですが、夜はなかなか出られないのですから仕方ありません…
April 15, 2005
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昨日、今日の株式市場の下げ方はなんなんでしょう。私の株式投資のお勉強は付け焼刃でテクニカル分析が主だったため、マクロ経済のことや市況に関してはちんぷんかんぷんです。今日も何とかいままでの貯金を食いつないでポートフォリオはプラスを保っていますが、今までプラスの数字が増えてはホクホクしていたのが一転してマイナスの数字が増えるのをこわごわ眺めている状態です。そんな中、今日も買い増ししました。(ナンピン買いというのですね。)昨日約定した銘柄の注文は実は2口に分けて入れてあったのです。とりあえず昨日の最安値で一つ目の注文が約定したわけですが、今日の朝9時過ぎに二つ目の注文も無事約定し(今日の最安値!)、買い付け平均単価が下がったところでこの銘柄は持ち直したので、結果この銘柄に関してはすでに含み益が発生しています。インデックスファンドも買い増そうかと思いましたが、とりあえず明日の様子を見て決めることにしました。このまま1万1千円まで行ってしまったら…と恐ろしいシナリオも念頭に置きながらポートフォリオとにらめっこしなければいけません。ただ、所有しているどの銘柄も今のように下げた状態がずっと続くとは思えないので、今回は損切りせずに持ちこたえようと思っています。(←って、今までに一度たりとも損切りをしたことはありません。10年以上前に購入し大きな含み損を抱えている銘柄もこれまでずっと安定して配当をもらってきたし、今現在アナリストが買いを推奨するほど風向きがよくなってきたので、損切りどころか資金があればもう一度ナンピン買いをしたいぐらいです(←かつて一度成功!)。<息子>このところ何日か、天候や時間的な都合により毎日タクシーを利用しています。息子はタクシー乗車中もおしゃべりだし、結構おかしなことを言うので子供好きの運転手さんたちには気に入られます。昨日乗ったタクシーは小型タクシーだったので、私が「このタクシーはめずらしいわね」と言うと、「なんで?なにがめずらしいの?」と聞くので「小型タクシーだからよ」と教えると、「このタクシーは小型タクシーだからすっごくめずらしいんだよ」みたいな独り言を言い、しばらく乗っている間になぜめずらしいか(=小型タクシーだから)の部分は忘れてしまったのに「このタクシーはめずらしいね」というので私が「なんで?」と聞くと「しらなーい。」もう一度小型タクシーであることを教えた頃に家に着いたのですが、いつものように息子がお金のやり取りをした後、降りるときに「小型タクシーはかっこいいよねー!」と言ったので運転手さんはにこにこでした。さらに道路に着地後、タイヤのホイールカバーを見て「このタイヤはかっこいいね!!」と言ったので運転手さん、さらに笑ってくれました。今日の車の運転手さんにも明るくてよくしゃべるいい子だ、と褒められていました。逆に言えば、もし運転手さんが子供嫌いだったらうるさくってイライラするんでしょうねー。
April 14, 2005
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先週から始めたスペイン語のクラス、今日は2回目。今日は見学者が2名来ていました。先生は先週とは違う日本人。今日は日本の歴史の授業でした。まず歴史の基本的な用語、先史時代だの原始時代だの石器時代に始まり近現代に至るまでの時代のカテゴリの呼称を通して確認しました。私が知らなかったのは原史時代という単語(periodo protohistorico)単語を知らなかったという以前にそういう概念を日本語で知らなかったのです。ちなみにそれは先史時代と有史時代の中間だそうで、日本だと飛鳥時代がそれに相当するとか。その後話は日本の元号に移り、「元号を外国人に説明するとしたらどのようにするか」というテーマをグループに分かれて考えるように指示されましたが、そもそも日本語でだって説明のしようのない知っているようで知らない概念をまして外国語で説明する文が簡単に作れるわけもなく、結局先生に「元号」についてある程度解説していただいてからそれを基にスペイン語で簡単な説明文を作りました。元号ができたのは645年の大化の改新以降であること、元号は中国(隋)の制度を模倣したものであること、歴代に天皇は125人いて元号は250以上あること、一世一元制になったのは明治時代以降であること(これは考えればわかることではありますが)などなど、元号について知らない、あるいは忘れていたことだらけでした。(歴代の天皇の名前をすべて順番に言えた上、絶対に西暦を使わない(わからないふりもした)極右翼の父の娘としては恥ずかしい限りで、父が私の今日の姿を見ていたら遺憾極まりなかったことでしょう。)ちなみに私がクラスでささっと書いてみたのはこんな感じです:GENGO es el calendario que se establecio imitando al sistema chino y que se ha utilizado en Japon antes y, todavia hasta hoy, despues de que se introdujo el calendario occidental, el cual se basa en el concepto cristiano. Se nombra cada etapa segun el nombre del reinado, la capital, o el emperador. La denominacion cambia cada vez que cambiaba el emperador, o sucedia un hecho significativo. La agencia de la casa imperial esta encargada de escoger la denominacion.まあ練り直さないといけない部分、付け足さないといけない部分もありますが、とりあえず先生に直されたのは一箇所、esta encargada de を se encarga deにすることです。この部分は英語の be in charge of を先に思い浮かべながら書いたので、見事にやられたという感じでした。(*estar en cargo deとまではさすがにやりませんでしたけど。)英語をスペイン語に訳そうとすると、うまい具合に当たって知らなかった単語をさも知っていたかのように使えることも多いのですが、今回のように最初からスペイン語で考えていたなら起こり得ない落とし穴にはまることもまた多いのです。いやぁ~、それにしても今日の授業では自分の日本史に対する知識のなさを痛感させられました。歴史の授業は月1回だけですが、今後sedentarismo(定住性;tribu sedentaria=定住民族)の普及した意義やたとえば日本の稲作が灌漑農法であることが社会形成に及ぼした影響についての議論なんかもするそうです。うひゃ~、スペイン語の辞書の前にまず山川の教科書が必要です。<ちなみに息子>今日ははじめてのプール。4人のメンバーのうち2名が不参加だったので、先生1人が息子と息子の仲良しの女の子の2人を引率して行ってくださったようです。息子は行く前からずっと張り切りっぱなしだったみたい。夜は施設長の先生が最後まで残ってくださっていて、今日は息子をお風呂にも入れておいてくださいました。 本当に感謝です。<ちなみに株>今日もまた日経平均下げました。ポートフォリオはほぼ変わらず。売買無し。ぐるなびのブックビルディングに参加すべく朝、証券会社に資金を入金するも、つい仕事にうつつを抜かしていたら気づいたときには締め切りを5分過ぎていました。かなり悔しいけどまあそもそも当たるわけなかったので仕方ないか。その分、と言っては関係なさ過ぎですが、母の証券会社の1銘柄は思惑通り回してくれました。2つのうちの第一希望は外れてしまいましたが、もらったほうのこの銘柄は果たして上がるんだろうか… (「(上場後の)売りの注文も入れておかれますか」と聞かれたので、「とりあえず午前中は様子を見てから連絡します」と伝えました。当然初値売りするのだろうと読まれていたのですね。)
April 13, 2005
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今日は初夏のような暖かさ。半袖で外出してちょうどよかったです。出かけた先は、やはり都内の花見の名所といえばここでは、と思う、千鳥ヶ淵。昨日もそうでしたが、今日もものすごい人出。ピンク一色で美しかったのは金曜日までだったでしょうか、昨日今日は緑の葉っぱも目立ち始め、なんと言っても桜吹雪がすごくなってきました。花見をするたびに、日本っていいな、と思ってしまいます。
April 10, 2005
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今日は、私にしては珍しく、バイオリンのコンサートに行ってきました。奏者は高校時代の友人のお父様で、この春東京芸大を退官された方です。かつてN響のコンサートマスターをされていたこのバイオリニストは今もこの世界では要職に就いていらっしゃいます。もう60代後半に入られたというのに、その華麗なる指遣いは健在で、素晴らしいコンサートでした。伴奏のピアニストともぴったり息が合っており、絶妙なハーモニーを奏でられておりました。演奏を聴きながら、この方にまつわる昔のエピソードが想い起こされてきました。1)この方は非常にグルメで、奥様(同じく音楽家)が作られた食事であってもまずいと口にされないし、他人が作った食べ物に関してもずばずばと批評をなさいます(少なくともかつてはそうでした)。私が昔ある日友人宅に手作りのショートケーキを持って行ったことがあります。(理由はわすれました。)このお宅に持っていくということで上に飾るために奮発して立派なイチゴを買い、スポンジの間には手頃な値段の小粒のイチゴを刻んではさみました。このお父様がケーキを口にされたあとの感想:まず、生クリームはやや泡立てすぎである。(←その通り、8分立てぐらいのクリームをこねくり返してデコレーションしているうちにやや分離気味になってしまったのです。)スポンジケーキは合格。(←はあ、ありがとうございます。)次に、中に挟んであるイチゴはよろしい。だが、この上に並んでいるイチゴはうまくない。まるでキュウリみたいだ。こんなものはイチゴではない。(見た目だけよくするために作られた果物はまずい。)ということで、全体的には合格点をいただきましたが、見場をよくするためにわざわざ買った大粒のイチゴはお口に合わなかったようです…2)それは友人の軽井沢の別荘に遊びに行っていたときのこと。お父様が地元の小さなホールでコンサートを開かれたので、聴きに行きました。(ロシアの作曲家かなにかの作品で、とてつもない旋律の面白い曲があったように記憶しています。)その後、お父様が車で東京に帰られるときに友人と私も便乗して帰りました。このお父様は大の車好きで、頻繁に高級車を乗り換えておられましたが、この日、お父様はご自分のバイオリンを車の後ろの真ん中の座席にシートベルトでくくりつけ、「このバイオリンは一億ぐらいするんだぞ」とおっしゃっていました。多分、友人や私よりも大切なものだったのでしょう。そして友人が後部座席に座り、私が助手席に座って帰途につき、どういう理由だったか忘れましたが旧碓氷峠を通りました。ご存知の方にはわかるかもしれませんが、旧碓氷峠は険しいカーブの連続する道で、運転好きでなければ嫌気の差してしまうようなところです。スピード狂のお父様はそこで前を行く遅い車をパッシングしながらずんずんカーブを下り、興奮気味の私はすべてのカーブの数を数えていたように記憶しています。コンサート会場には友人がグループとして仲良くしている同じ高校の仲間もきていたので、私としては15年ぶりぐらいに再会しました。あまりに久しぶりだったのでちょっと照れくさかったです。そして、私が演奏中昔のエピソードを思い出していたという話をすると、みんなも「なんたって逸話の多いお父さんだからね」と納得していました。ちなみに私は母と一緒に出かけたのですが、コンサートの後はうちの地元で夕食をとりました。今日は昼間からものすごい人出ではあったのですが、飲食店も大盛況だったようで、ある店はもうお出しするものがなくなったから早仕舞いすると言って店を閉めていましたし、別の店はスタッフの方がてんてこ舞いしていてお皿やグラスが間に合わない、と言って断られてしまいました。結局にんにく料理の店にタイミングよく入ることができたので、久しぶりににんにくたっぷりのお料理とワインを満喫してきました。あー、満足。
April 9, 2005
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帰宅後しばらく息子を一人で遊ばせていると、「ママ~、お名前書いて」と言ってがさがさと持ってきたのは迷路のワークブックのページをはがしたものの束でした。半年以上前に買ってやった2歳から4歳用のめいろで、当初から息子は気に入って作業しており、結構簡単にできてはいたのですが、ワークブックは長い間しまいこまれていたためしばらくやっていませんでした。ところが最近になってワークブックを見つけ出した息子は次から次へと迷路をやりだし、たまっていたものを今日まとめて見せられました。「この分なら小学校のお受験もいけちゃうかも…」と親ばか根性が出てしまいそうになるほどすべての迷路は完璧にできていました。(小学校入試問題に迷路は出ないか?!)今年に入ってからの息子の中身の成長には驚かされることが多いですが、ちなみに今日もう一つ発見したのは、ぬりえもできるようになっていることです。以前はぬりえのやり方を教えても、枠線に関係なくめちゃくちゃな模様を紙にかいているだけでしたが、今日は自分から「ぬりえだよ」と言ってとんぼの迷路の羽の部分をクレヨンで塗って見せに来ました。今日でワークブックがすべて終わってしまったので、強い興味を示している今のうちにもう一冊別のものを買ってさらなる向上をめざしてもらおうかと思います。また、「お名前書いて」と言うのでシートの名前欄にひらがなで名前を書いてやると、一文字書くごとに字を追って発音していたので(←文字は読めませんが、一文字が一音節を表現している(実際はひらがなとカタカナの場合のみですが)ことを理解したようです)、そろそろ真剣にひらがなを教えてやってもいいかなと思いました。まだ年少さんであることを考えると早すぎる気もしますが。
April 8, 2005
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今日は現在大忙しの主人もいないので、夕方実家に行って花見(お散歩のみ)をしてきました。実家の前の通りは終戦直後の東京の整備計画にのっとって環状線を作り始めたにもかかわらず、500mぐらいできたところで計画が頓挫したのかそのまま放置された形になった道路なので、以前は中央分離帯をはさんで片側3車線あるにもかかわらず車通りの少ない不思議な空間でした。何年か前に真ん中の中央分離帯を広げてきれいな遊歩道にして人工の川までできました。実はこの通り、坂の上から下まで通りの両側と中央にずらりと桜の木が並んでおり、その数ざっと100本ぐらいあるように思います。ちょっとした花見の名所なのです。昔は桜の季節になると毎夜近隣の企業の人たちやらどこからやってきたのか花見客たちが宴会を繰り広げ、通りの両側の歩道はしらふで通るには肩身の狭いぐらいに出来上がった人たちで埋め尽くされており、私が高校の制服を着て部活の後の夕食時に帰宅する途中も何度となく「よぉ姉ちゃん、いっぱい飲んでかねーか」みたいな声をかけられたものです。それが、今では宴会は遊歩道に限定されているので、近所の住人も安心して夜の散歩が楽しめるようになっています。ちなみに、職場の周りもきれいな桜並木ですが、今日は実家の周りも職場の周りもまさに満開でした。<株>昨日の夜、日中ややいい動きをして上がったまま引けた銘柄を強気で売りに出しておいたら、今朝の初値で売れました♪そのあと一瞬だけ上がって、その後は一旦下げてからずっとだらだらした感じだったので、やや低めの指値でもう一度買いを入れておいたら買えました。(そのあとまたちょっと上がって終わりました。)一日のうちに同じ銘柄を売り買い両方したのは今日が初めてでした。証券会社によってはこういう場合片道の手数料しかとらなかったりするのに、私が使ったところはちゃんと両側取られたようですが、売った時点ですでに利益を確定させたうえ、まだ上がると信じているその銘柄をもう一度安い値段で買い戻せたというのは結構嬉しいものでした。また、仕込んでからしばらくの間下げたままなかなか上がってこなかった銘柄が今日上昇してきたので、とりあえず一度売りました。この銘柄は上下動が頻繁に見られるので、また前回買った値段で指値をして、少し上がったら売れば、ちょっとしたおこづかい稼ぎになります。ふと思ったのですが、私がここまでお金儲けに執着する理由の一つは、自分の収入が新人のとき一緒でその後もずっと勤め続けているキャリア組みの友人達に比してあまりに少ないのが悔しいという気持ちからかもしれません。自分は、同じ会社にずっと勤め続けていたら絶対にできないようなあれもこれもやってきて、十分いい思いをしたという自覚はありますが、それでもなお、いざ社会復帰してみると自分の置かれた立場の低さに愕然とします。株でちょっと儲けた程度ではとても埋められる差ではないし、そもそも地位の差は賃金の差だけでなく職能や責任の差なのですが、株や投資について学び、経済や社会の動きに興味を持つよう自分を仕向けることは、せめてものあがきなのかもしれません…
April 7, 2005
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今日から私の週1のお稽古事が始まりました。お稽古事、っていうと謙遜しすぎかもしれませんが、スペイン語を通して日本語や日本についてを学ぶクラスです。メンバーは私を含めて女性5人でした。クラスは当初様子を見て日本語とスペイン語半々、ということでしたが、全員の反応がよかったので基本的にはスペイン語で行われることになりました。先生はメキシコ人なのに日本語指導経験が豊富なせいか私達よりはるかに日本語についてよく知っています。また、スペイン語と日本語の背景にある違いについても随時指摘があります。たとえば相槌ですが、日本人はとりあえず人が話していることに自動的に相槌を打つけれど、スペイン語でそれをやると変だと。聞き手が黙ってうなずいてばかりいたら、話し手は「この人、私の話に興味がないのかな」と思ってしまうそうです。 確かに、スペイン語で誰かが話しているときに全員が黙ってうなずいて聞いているという場面は見たことがないなあ。先生は私の自己紹介を聞いた後、「日系人と言っても通用するんじゃない」なんて言ってくれましたが(笑)、その後(これは自分では気づかないことですが)日本語で話しているときとスペイン語で話しているときの態度やしぐさが違うことまで指摘されました。うーん、確かに日本語だとなかなか遠慮して発言しにくいけれど、スペイン語のほうが気軽に意見が言いやすいというのはあるかな。クラスの本題は最近の日本の若者の曖昧表現オンパレードの会話を外国人に解説するとしたら…という趣旨で若者言葉の意味不明な表現の意図と用法を一つ一つ分析していきました。そしてみんなで気がついたのは、私達それなりにいい年した大人も結構いまどきの表現を使っているということ。たとえば、~系(例文の中では「ゴージャス系」とありました)という表現ですが、全然若くない私ですら友達とのランチの約束のときに「今日は何系にしよっか?」「うーん、辛いもの系はちょっとパス。やっぱ今日は和食系かな」なんていう会話をしょっちゅうしています。先生いわく、この「~系」は物事をカテゴリ分けするための表現で、これだけ一般的に用いられている現状から、正しい日本語表現として受け入れられる日も近いだろうということでした。あと、「私的には」とか、並列のために用いるのではない「~とか」とか。言語とは、固定された規則の体系ではなく、ある意味生き物なので、使われることによって変化していきますから、昔ではありえなかった言い回しも現代の人が違和感や誤解なく普通に使っているものであればそれは正しい表現ということになっていきます。初日の2時間にして目からうろこの落ちる指摘がいろいろあり、これから自分の国の言葉や社会や文化について勉強していくのが楽しみです。ちなみに、保育園で9時半まで預かっていただいた息子は、8時までは仲のよい女の子とパワー炸裂状態で遊んでいたそうで、私が迎えに行ったときは保育士さんに絵本を読んでもらっている途中だったのですが、最後まで読んでもらうと言い張って聞かなかったのでそのようにお願いしました。その間、私は施設長と話をしていましたが、彼女の心配をよそに息子は他の子が帰ってしまって一人きりになり、時間が遅くなってもこれっぽっちも不安な様子を見せなかったそうです。夕飯はおかわりをしてたくさん食べていたし、その後にはフルーツをたっぷり食べさせてくださったそうです。来週以降慣れてきたら夜、お風呂にも入れてくださるそうです。保育園の先生方や母の世話になりながら始めることにしたお勉強。いろんな犠牲を払うだけの価値があるのかどうかも見極めながら真面目に取り組んでみようと思います。
April 6, 2005
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今、深夜3時です。いくら毎日夜が遅い私とはいえ、こんな時間に主婦&お母さんが何をしているのかといえば…飲みすぎて、早寝して、目が覚めてしまったのです(汗)今日は家の近所にあり(徒歩2分)前から気になっていたすし屋に食事に行きました。マグロ専門店としてTVなどでもかなり紹介されたようです。(某グルメサイトによれば、「★★(店名)の鮪5点盛り・鮪尽くしは築地にて競り落とされた絶品の生の大黒鮪を、部位毎にさらに選別した超こだわりの天下無双の逸品。 築地市場の最高級品の中からさらに選別するという頑固な仕入れを徹底している東京でも屈指の寿司屋。 ネタの質だけでなく量、価格も通であればあるほど納得する。 さらに地酒、焼酎の無双の殿堂として知る人ぞ知る。 その200種類以上に及ぶ垂涎の品揃えは、まさに美味しんぼ飲んべえさんを魅了する。」)電話して聞いたら3歳の子連れでもOKと言われたのでテーブル席を予約しました。この店の名物はなんと言ってもマグロなので、まず大黒マグロ5点盛りを注文。内容は赤身、中トロ、脳天のトロ、大トロ、カマトロのあぶったの。どれも厚切りで、とにかくおいしい!!飲み物は最初は焼酎、「佐藤」の黒を注文しましたが、これだけおいしい魚にはやはり日本酒が、と思い、「磯自慢」の純米吟醸(←これかな?)を飲んでみました。静岡県の日本酒ってどうかな、と頼んだときには思いましたが、いやこれが、うまく表現できませんが私好みでまったりしたこくとほのかな甘みと適度な切れのよさがあってとてもおいしかったです。息子はといえばつき出しのマグロの煮物をぺろりと平らげたうえ私の分までお替りし、汁まですすっていました。子供用の寿司もあったのですがエビとかかっぱ巻きとか食べそうにないものが入っていたので単品で鉄火巻きと玉子握りを1個頼んだら、まあそれはそれは立派な巻物と、2つに割って2個の握りが作れそうなほど大きな玉子の乗った握りずしが現れました。まず玉子をぺろりと平らげた息子にすしは手で食べるよう指示したところ、巻物を上手に醤油につけながらおいしそうにほおばっていました。大人はマグロのほかにイシダイの刺身、大山豆腐、店の自慢の手作りの胡麻豆腐を注文。主人が焼酎を注文したら、「さっきは佐藤の黒だったでしょ。じゃあこれがお奨め」とか言いながら出されたのが「黒瀬安光」でした。「これを飲んだら佐藤が水みたいに感じるよ」と言われてグラスを顔に近づければ、確かに香りからして濃厚。主人のグラスを受け取り、一口飲んでみて「んっ、これは…」店主に向かって「これはなんだか焼き芋焼酎のような感じですね」と言うと、そこから店主の態度がころりと変わりました。そのときは知らなかったのですが、私が数少ない夜のお出かけのなかで飲んだことのある焼き芋焼酎を造っているのは実はこの酒屋だったんです(「やきいも黒瀬」)でも、「黒瀬安光」の方がなんとなく上品でおいしかった~、と思います。(かなり気に入ったので帰宅後、さっそく楽天で注文してしまいました~)(ちなみに主人は「君はそれほど夜出かけてないにもかかわらず詳しいね…」とやや驚いていました。 たまにしか出られないからこそ、ひそかにおいしいものを狙い撃ちしているのです(笑))それから店主は私達の横に次々と自慢の焼酎やら日本酒を持ってきて披露し始めました。ずっと日本を離れていた上に、子供ができてからはめったに飲みに出るチャンスのない私には見知らぬ銘柄ばかりでしたが、店主の自慢は見えないところに常時保有している200種あまりの焼酎と100種あまりの日本酒でした。で、能書きを聞いて頼まずにいられなくなったのがこれです。何でも蔵元と懇意にしている店ですら100本注文して1本回してもらえるかどうかという超レアなお酒だそうで、もしオークションなどで取引されることがあったとしても10万はするんじゃないか、と店主は言ってました。1合のお値段でマグロ寿司がたっぷり食べられそうではありましたが、昨日の午後の株取引であぶく銭を手にした私は「それは私のお小遣いで」と主人を制していざ注文。それは、これまでに飲んだ日本酒に例えようのない、えもいわれぬ香りと口当たりで、その芳香はフルーティと言ってしまえば安っぽく聞こえてしまうし、すっきりでもない、軽めというほど軽くない、なにやら繊細で私のボキャブラリーでは表現できない上等な味がしました。最後にアナゴと山芋の巻いたのをつまんで、主人は巨大なハマグリの吸い物、私は毛ガニの味噌汁をすすり、息子はデザートにフルーツを出してもらって3人とも大満足で店を出ました。こんなに素晴らしい店の前を毎日通っていたにもかかわらず一度も来たことがなかったなんて…と主人と歩きながら話し、これからは四半期に一度かできれば2ヶ月に一度ぐらい連れて行ってもらえるように希望しておきました。※この街に住むということがエンゲル係数の上昇を伴なうであろうことは覚悟していましたが、この店の常連になるというのは大打撃です(笑)で、おなかもいっぱい、久しぶりにお酒をたっぷり飲んでしまった私は主人と息子がお風呂を入れて待っている間にばたんとベッドに倒れこんで眠ってしまったのでした。こんな時間に目が冴えて、一体どうしたものでしょう…
April 2, 2005
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今、ウェブを眺めていたらこんなニュースを見つけました。私の父はこの作家の研究会(体のよい右翼集団ともいえますが…)の会長をも務めていたほどこの作家を信奉していました。こんなものが見つかったなら、即座に飛んでいって穴のあくまでノートを熟視したことでしょう。「おとうちゃま、今頃こんなものがでてきたようですよ」
April 2, 2005
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今年は桜の開花がやや遅れているようですが、今日は4月1日。エイプリルフール… (←嘘つき忘れた。ウソ。)新入社員は見かけませんでしたが、会社は人事異動のあいさつ回りをする人たちでごった返していました。(派遣スタッフにはあまり関係ありませんでしたけど。)派遣さんも結構入れ替わりました。居心地のいい部署とそうでないところで派遣スタッフの入れ替わりサイクルがかなり違うのかな。(私が仲良くしている派遣さん達は10年前後勤めている人も多いですから…)昨日、一昨日で引継ぎを終えた人たちがいなくなり、新しい派遣さんが今日から独り立ちしていました。昨年の今日、私は今の職場に入りました。なぜか引継ぎは3月末ではなく、4月の1日から3日間でした。そういえばやめていった派遣さんと今のオフィスのある場所でランチしたとき、桜がとってもきれいだっけ。日本で久しぶりに見る桜だったので感激したなあ。あれから1年。私のお尻には根っこが生え始めてしまったのか、最近は今の職場にしばらくいることにそれほど迷いがなくなりました。そして、息子も去年の今日から保育園児になったのでした。最初に通ったのは駅前の認証保育園。息子はすぐに園に馴染んで、楽しそうだったなあ。あの保育園に6ヶ月通って、引越しをして、今の保育園に入ってからすでに半年が過ぎました。保育園のメンバーも先生も保育プログラムもまったく趣の違う園なのに、息子はすぐに馴染んだどころか今の園に通うのが毎日楽しくって仕方ありません。息子の知的好奇心を大いに満たしてくれる学習プログラムと、たっぷりの遊ぶ時間とおいしい手作りの食事と熱心な先生達に恵まれて、本当に幸せな幼児生活だと思います。(親とべったり過ごす時間は短めですが、今の状態が我が家にとっては健全なように思います。)特に3歳クラスに移ってからは赤ちゃんぽさがとれて本当にしっかりした子供に成長しています。そしてそして、今日は保育園でも人事異動がありました。息子が2歳クラスでお世話になった大好きな先生が3歳クラスの担任になったばかりか、新しくカナダ人の先生が担任に加わりました。今日初めて知ったのですが、このカナダ人の先生はモンテッソーリ教育のエキスパートで、保育園(幼児教育施設、と呼ぶべきでしょうか…)がビザをサポートしてわざわざカナダから呼び寄せたというのです。かつて日本にいて幼児教育に携わっていたこともあるそうなので多少日本語もできるのではないかと思いますが、基本的にはこの先生は終始英語で通すそうです。ってことは… 子供達の英語力も飛躍的にアップすることでしょう。現に、今日お迎えに行ったときの玄関で、息子はきれいな発音で英単語を発していました(笑) なので私も英語で会話し続けたら、息子からの返事は日本語でしたが、けっこうやり取りが成立しました。施設長は突然の英語オンリーのネイティブの先生の担任就任に子供達が抵抗を示すかと心配していたそうですが、初日の今日は子供達はさほど違和感なく過ごしていたそうです。今後の展開が楽しみです。それから、今月より私も週1回、ちょっとだけお勉強をするためのクラスに通うことにしました。息子を夜9時半まで保育園にお願いしないといけませんが、親子ともにうまい具合に新しい生活のリズムがつかめるようになるといいなと思っています。あ、それから、今日面白いものを見たんです。アークヒルズで桜祭りをやっていて、そこの舞台であの、サン○リーのアミノ式のCMをやっている中国のアクロバット集団のパフォーマーが技を披露していました。こちらのサイトにある「くるくるピクニック」をやっている人は、最初大きな大きな瓶を回して見せてくれたんですが、最後に大サービスでパフォーマーの14歳の女の子をCMのようにくるくる回して見せてくれました。その次に出てきた男性(逆さまお父さんとか空中挙式の人かな?)は、身長ぐらいの金属製の台の上に椅子を最高6脚まで積み上げて、一つ積むごとにその天辺で逆立ちポーズをして見せてくれたのですが、私はもうハラハラしすぎて、椅子が3つになった頃から「もうやめてぇ~~~!」ばかり叫んでいました。決して安定しているとはいえない金属の台の上に6脚の椅子を重ねて積み上げた上で最後には片手で体を支えてポーズを取ったり、6脚目の椅子を外して斜めに置きなおしてその上に登ってポーズしてしまったりと、あまりに見ている人たちをハラハラドキドキさせておきながら、拍手を要求したり、一瞬険しい表情を見せて見る人を不安にさせた後ににっこり笑ってみせたりと完璧なパフォーマンスでした。最後の演技と挨拶が1時をちょっと回るまで終わらなかったので昼休みから戻るのはだいぶ遅れてしまいましたが、今日はすごいものを見てしまいました~♪<今日もちょっと株>私ってほんとにバカです。ちょっと前に投資情報を参考に買い付けて、ずっと含み損を抱えていた銘柄にとってグッドニュースが昨日の日経新聞に出ていたのに、私は「お、これからこの株も上がってくるかな」と思いながら買い増しをしませんでした。そしたら昨日の値上がりに引き続き、今日… さらに10%近く値上がりしましたよ。あまりに自分のバカさが悔しかったので、自分が以前買ったよりかろうじて少し安い値段で買いを入れ、ためしにお小遣い程度の金額を上乗せした値段ですぐ売りに出しておいたら… 売れました。この間、わずか30分。こんなことならどうして昨日の朝、メディシノバをさっさとあきらめてこちらをすぐ買い付けておかなかったんだろう。(ちなみにメディシノバは今日さらに上がってしまったのでもう買いません。3月28日の安値が281円で、4月1日の高値が372円ですよ!!)最初に買い付けた分はしばらく保有し続けて、どこまで上がるのかをしっかり見極めてから手放そうと思います。
April 1, 2005
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