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全日本女子柔道のS監督の暴力、暴言が問題になっている。オリンピック女子強化選手15名がJOCに訴えた。S監督は強い「かくあるべし」を持っていたと思う。オリンピックでは絶対に日本は勝たなければいけない。自分も指導者として名をあげなければいけない。そうした目で選手たちを見ていると、競技レベルがあまりにも低すぎる。練習時間に遅れるなど緊張感が感じられない。あらゆる面で理想とするレベルに達していない。そこで彼がとったのは選手の人間否定である。ダメ人間扱いして、暴言をはいたり、暴力を振るったのである。インタビューでは自己反省はあまりない。柔道を強くするためにはこうするのがよかったのだと思っている。かわいそうなのは選手たちである。恐怖心でおびえ、競技意欲の低下を招いた。彼女たちは、オリンピックの強化選手である。ある程度の力は持っている。その技をさらに磨きをかけて、オリンピック出場権を得て、メダルを取りたいという夢を持っていたはずである。監督やコーチは、その選手たちの夢を実現するために力を貸してあげる。手助けをする黒子になるのが仕事ではないのか。目標が高ければ、前に立ちはだかるハードルも高い。その過程で自信をなくして、柔道に背を向けることもあるだろう。技量の習得が遅々として進まないこともあるだろう。けがをして気が滅入ることもあるだろう。メンタル面で落ち込むこともあるだろう。その時に選手の力強い味方になるのが監督やコーチではないのか。その過程で選手を叱ったり、ほめたり、なだめたり、課題を与えたりたりして、選手がさらに発奮する材料を多彩に用意してゆくのが仕事ではないのか。本来は選手と一緒に大きな目標に向かって夢を追う素晴らしい仕事なのである。そうゆう監督やコーチは必ずしも輝かしい成果をあげられなくても、落ちこぼれの選手は作らないと思います。常に目標に向かって努力する本来の人間を作り上げるだろうと思います。この監督は森田でいうところの気分本位である。もっと悪いのは、自分ひとりで苦しむだけでなく、「かくあるべし」で他人を苦しめているのに、本人にはその自覚がないというのが問題なのである。
2013.01.31
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鈴木知準さんが入院前に、森田先生の診断を受けた時のことを「形外先生言行録」に書いておられます。私が遺精恐怖のことでいおうかいうまいかと迷って質問に答えなかったところ、横にいた父親がただちに、私の我がままきわまるいろいろの不安な症状をのべた。森田先生は言われた。すぐ助け船をだす父親の態度に、「そのようなあなたの態度がこのお子さんをつくったのです。」作曲家の遠藤実氏がこんなことを言っています。人を育てたいと思うなら、完成品を相手に与へたり、教えるべきことをすべて伝えるのは本人にとって、マイナスにしかならない。100パーセントの回答を手にしたとき、人は一から考えようとは思わない。そこには創意工夫の余地は残されていない。力を発揮させようと思うなら、入口と出口だけ与えてあとは本人に考えさせる事だ。汗をかきながら、懸命に出口を探しているといつしか本物の力がついてくる。集談会のアドバイスでも、相手が森田のポイントを自ら発見する喜びを取り上げてはならない。相手に刺激を与え続けることに専念した方がよい。一方的なアドバイスは参加者の成長を止める。また初心者は講師のよい話を聞くためにだけ参加しては森田が身につかないと思う。よい話のあとは必ず自分にあてはめてどうなのかを考えることが大切である。
2013.01.31
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会員になると送られてくる生活の発見誌を読み続けて27年、飽きることがない。今月号は64ページの「103日間地球一周の旅」がよかった。ピースボートの格安世界一周船の旅は知っていたが、実際生活の発見会の会員の人が参加されて、その詳細を書いておられた。19カ国を回られたらしい。乗船者900名のうち600名は60代以上だったらしい。4人部屋で最低150万円の費用。良かったのはエーゲ海に浮かぶミコノス島、全長204キロのフィヨルド、北極海の氷山であったという。船の中のいろんなイベントや習い事が多彩に用意されて楽しそうでした。私はハワイとシンガポールにいったことがある。異文化に接すると日本のよさを再認識したり、外国のよさを見つけたりできる。あと特に印象に残っているのは与論島のサンゴ礁、北海道の礼文島、知床半島の温泉である。私たちは好奇心旺盛なので、集談会でこうした情報を交換すると、それに刺激を受けて、自分の生活の中に取り入れたりすることがある。集談会に参加するとこうした刺激がある。
2013.01.30
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山田洋次監督作品である。大変感動した。森田との関連について書き込んでみたい。あらすじは、瀬戸内海の小島に住む元高校教師の老夫婦が、二男一女の住む東京見物に出かける話である。長男夫婦は男の子二人。長女は夫と二人暮らしで子供なし、二男は未婚だか彼女がいる。長男は東京郊外に病院を開業。長女は美容院を開業、二男は舞台設備の仕事をしている。山田洋次監督は公開された作品すべてに感じることだが、人間の触れ合い、思いやりなど良き伝統が日本からどんどんなくなりつつあることに対して警告を発しているように思われてならない。この映画で代表的なシーンが2つあった。東京見物の案内を誰がするかということになって、兄弟どうしで押しつけ合っていた。挙句の果てに、お金を出し合って横浜の高級ホテルを予約して、そこでおいしいものを食べてゆっくりしてもらおうとゆうことになった。老夫婦は2泊3日の予定のところ一泊しかしなかった。次に東京滞在中お母さんが突然死して、東京で火葬し故郷で葬式という場面があった。子供たちは葬式が終わると、すぐに形見分けの話をしていた。また仕事が忙しいということで、長男と長女は葬儀が終わるとすぐに東京に引き返した。これを見ての私の感想。家族の人間関係のあり方が昔と全く変化してしまった。昔は同じ家におじいちゃん、おばあちゃんがいてお父さん、お母さんそして子どもたちがいた。昔は親だけではなく、祖父母も子育てしていた。また近所の親たちもだれかれなくしつけや人間関係について教育していた。子供たちはそんな環境でいろんな人とふれあい、時にはけんかをし、時にはたのしい語らいの場を共有してきた。そうゆう世間に開かれた人間関係の中で成長していったのである。人を気遣う思いやりとかはそうした社会の中ではぐくまれていったのである。現在は多くは核家族である。核家族は外の世界に広がるということを拒んでいるように思える。家族が抱えた多くの問題は家族の中だけで解決しようとする。世代間教育はなくなり、家族と家族の付き合いも少なくなった。また社会が他の家の子供に教育的に関与することはほとんどない。外部との接点は今や学校中心である。そうした人間関係は問題が生じた場合、解決に向かうことは難しい。今や核家族というのは内へ内へと収縮しているのである。山田監督は人間と人間の触れ合い、人間の思いやりなど欠如を描いているが、実は家族が外向きにならず、内向きになって井の中の蛙現象をきたしていることが問題だと思うのである。なぜかと言えば、神経症に陥る過程と同じ道を歩んでいるからである。症状に落ち込む過程は、気になる一つのことに意識を向けて、精神交互作用の悪循環により蟻地獄に落ち込んでいったのである。それは換言すれば、外向きにならず内向きに傾斜していったそのことに原因があります。
2013.01.29
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曽野綾子さんの著書に「ないものを数えず、あるものを数えて生きていく」というのがある。森田先生の言いそうな言葉である。唯我独尊、物の性を尽くす、境遇に柔順なれに通じる言葉である。森田先生は小さい頃なにかものを欲しがると、下の人を見なさいと言われたそうである。私たちは自分の性格にしろ、持ち物にしろ、境遇にしろ、家族にしろ、自分のことは持っているのが当たり前ぐらいに思って、むしろないものねだりをしているようである。その段階ならまだいい方で、欲望の充足ばかりに走ってしまうと、弾みがついて歯止めがかからなくなってしまう。欲望が欲望を生み、欲望の充足のために仕事をするということになりかねない。私は最低限の必要なものだけで生活し、持っているものをもっともっと活かして生きてゆきたいと思っている。だからこの曽野綾子さんの言葉は大変共感できるのである。以前勤めていた会社で、多くの人は机の中にボールぺンやシャープペンシル、マーカー、消しゴムその他クリップ等山のように入れ込んでいた。そうゆう人は伝票などの扱いも雑であった。反対に必要最低限のものしか机の中に入っていない人もいた。ある人は万年筆を持っていたが、それを皮のペンケースに入れ丁寧に扱って、宝物のように使っていた。そうゆう人は一事が万事自分の持ち物はなんでも丁寧に扱っていたようである。車もよく洗車していたし、部屋もいつもきちんと整理していた。そうゆう人は伝票も丁寧に扱い、仕事もこまかいところまで行き届いていた。なによりも人生に対して真摯に向き合っているのがとても好感が持てた。私は6月と10月には夏物と冬物の衣類の入れ替えをしているが、持っているだけで全く着ることのない衣類がある。着ないものはバザーなどに出しているが、実にもったいなくて心苦しい。できる限り量を少なくして、多くの服に袖を通すようにしたいと思っています。
2013.01.28
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事実について玉野井幹雄さんの話です。昔武士が茶会に招待されたとき、茶室に入るのに刀を持っていては失礼になると思い、刀を持たずに入ったところ、師匠から「武士たるものが刀を肌身から放すとはなにごとか」といって叱られたそうです。そこで次に参加する時には、刀を持って入ったところ、同じ師匠から今度は「茶室に刀を持って入るとはなにごとか」といって叱られたというのです。もし普通の人は、このように以前と違う対応をとられると混乱をきたし、動揺すると思います。また首尾一貫しないその場、その場の対応に対して腹立たしく思うでしょう。その師匠の品格を疑うと思います。その武士は、何の言い訳もせずに、師匠のいうとおりにしたということです。この武士は過去の言動に関係づけないで、目の前の事実に従ったということです。森田の「事実唯真」から見ると、まさに素晴らしい対応であると思います。師匠の過去の言動は過去の事実であって、現在の事実ではありません。森田先生の事実に従えというのは今現在の事実に従えということです。過去の事実よりも現在の事実に焦点を当てているのです。こんな笑い話があります。一学期の終業式の時、ある高校の校長先生が、全校生徒の前で、「この夏休みは受験生にとってとても大事な時です。テレビなど見る暇はない。勉強に専念するように。」夏休みが終わって始業式の時、「君たちはあの横浜高校の松坂の熱闘を見たか。ピンチにも果敢に真っ向勝負を挑んでいたではないか。あの気迫に学んで受験戦争を乗り切ろう。」あまりのちぐはぐな言動に笑い声が起きたということです。これも先の例と同じで、今現在の事実に従うのが森田だと思います。我々は過去の経験をもとにして現在を価値判断しています。「かくあるべし」を作り上げ、自ら窮地に追い込んでしまっていることはありませんでしょうか。
2013.01.28
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草取りに「物そのものになりきる」を応用すると次のようになります。急いでとると失敗するので1本1本丁寧にとる。草の種類によってそれぞれ個性がある。丈が長くてもすぐに抜ける草もあれば、小さいのに横に根を張りめぐらせる草もあります。一番難儀をする草は、三つ葉のクローバーに似て、葉っぱは小ぶりで黄色い花をつける奴。大根のような根を張り、引き抜こうとしても葉っぱがちぎれるだけで、大根根は残る。ちょうどトカゲのしっぽ切りのような感じ。そこで、大根根がのぞくまで、表面の砂を取り除いてから、底をはさみ、引っ張ると抜ける。難儀な草だけど抜けると快感になる。しかし、この草、花が咲き終わると、オクラのようなさやをつけ、その中に種がギッシリ入っていて、少しでも触れると、爆弾が飛び散るような勢いで、種をまき散らすから驚きである。どの草でも花をよくみるとかわいいが、多くの種をつけるので、草取りは、花が咲いた時までに取るようにしている。草取りに夢中になっても、長時間やると飽きがくる。そこで森田が役に立つ。「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にあり」しゃがんでの作業から、立ち仕事に転換すれば、腰は休息になり、また別の作業で楽しめる。これが「なりきる」ことの見本です。「なりきる」とさまざまのことをよく観察して、いろんなことに気がつきます。そして創意工夫が生まれます。「なりきる」ことによって価値判断がなくなり、とるにたらないことで小さな楽しみをそこら中に作り出すことができます。私は「なりきる」ということを生活の中に取り入れて、症状を克服した人を集談会で見つけました。その方の生活は一事が万事、なりきった生活ですからとても面白いのです。また他の方に与える影響が大きいです。私もいつもあやかりたいといつも思っています。
2013.01.27
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自分の症状がまだよくならないとき、森田先生から「少しはよくなったか」と聞かれたら、どう答えるか。まだ実際によくならないから、正直に「まだまだです。」というか。あるいは、「おかげでだいぶよくなりました」というか。谷口さんという人は、「先生がせっかく今まで治そうと骨を折られているので、全く治らないというのは気の毒だと思いますから、おかげでよくなりましたという」と答えた。森田先生は、「それでよい。それが人情である。その人情の自然から出発すれば、万事がすらすらと流れるようになる。」といわれています。ここでは森田先生は感じから出発するということを言おうとしておられます。私はもう一つ別な面があると思います。もし私に聞かれたら、一方にはまた治らないという気持ちもある。また他方そう言っては森田先生に気の毒だという気持ちもある。そこでついつい会釈笑いして、もじもじしながら、頭を掻いて口ごもるだろうと思います。要はどちらか迷うときは、無理に態度をどちらかに無理やりに決めようとするのではなく、どっちつかずの態度がよいと思います。精神拮抗作用の応用です。事実森田先生も次のように言っておられます。森田施設から退院したO君、学資の援助をしてくれた人のところへ、就職のことで、依頼に行きたいのだが、就職が遅れた理由を聞かれると困るので、なかなか行けなかった。しかしやっと正直に答えようと決心がついた。それに対して森田先生は、「答えにくいことを聞かれたら、頭を掻いて口ごもればよい」といわれています。森田先生の言葉は、何を分からせようとしての発言なのだろうと考えながら読み解くことが大事だと思います。
2013.01.26
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「純な心」は、混じりけのない純粋な心のことではありません。物に接して最初に浮かんだ感情、直感、森田では初一念などと言います。でも私の場合、これだけだと「純な心」は十分に理解できませんでした。次の逸話でよく理解できました。「形外先生言行録」から片岡武雄さんの話。ある方がウサギの世話をしておられた。ウサギに餌をやりに小屋に入ったとき、突然猛犬が飛び込み、一頭のウサギをくわえて逃げ出し、噛み殺してしまった事件があった。この方は、これは入口の作り方が悪いからこんなことになってしまったと弁解された。途端にそこに居合わせた私たちもびっくりするほどの森田先生のお叱りの言葉。なぜ森田先生はそんなに叱られたのでしようか。ウサギの世話をしていた人の気持ちになってみましょう。きっとウサギが噛み殺されて一瞬背筋がぞっとするような、目をそむけたくなるような気持ちになられたことでしょう。誰でもそんな気持ちになります。でもそんな気持ちは一瞬で消えて、次にこれはまずいいことになった。森田先生にこっぴどく叱られるかもしれない。そうなったらまずい。その状況から逃れられたいと思われたのではないでしょうか。普通の人はそんな感情が自然に湧いてくるでしょう。そこでつい瞬間的に口をついて出た言葉が、「これは入口の作り方が悪い」と責任転嫁されたのです。これは森田先生の考えからみると見逃すことのできないゆゆしき問題です。そのお叱りの意味は、責任回避の表面的なことではなく、なぜかわいそうなことをしたと思わないのかと。なぜ感情の事実を無視したのかということです。ウサギが噛み殺されて一瞬背筋がぞっとするような、目をそむけたくなるような何ともいやな感情が湧き起ったという事実。もうひとつは、これはまずいいことになった。森田先生にこっぴどく叱られるかもしれない。そうなったらイヤだ。これは現実ではなく予期不安ですが、そういう感情が湧き起ったというのはまぎれもない事実だったのです。ここで森田先生の言いたいのは、その2つの感情の事実をごまかさないでなぜ認めて受け入れないのだということなのです。これが核心部分なのです。この方は、事実を認めないで、人に責任転嫁した。言い訳をした。自己弁護した。このことを叱っているのです。「純な心」とは、事実を無視して責任転嫁することではないのです。事実を正しく認識して受け入れることです。そして服従することなのです。私もかって仕事でミスをしたとき、ミスをしたという事実と、上司などに無能扱いされて自尊心が傷つけられることを恐れ感情の事実を認めることができませんでした。ミスを人のせいにする。事実を隠す、事実関係の報告を遅らせる。伝票操作してごまかす。ミスした商品を自費で買い戻しミスを帳消しにしようとした。そうゆう態度、行動は自分を生きづらくさせて、神経症を作り上げてきました。「純な心」とは、事実はどんなに受け入れがたいものであっても、決してごまかしたり、言い訳したり、責任転嫁したりすることではなかったのです。私は、これを「純な心」の相互学習から学びとりました。
2013.01.25
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森田理論では事実をよく観察する。事実を正しく認識する。事実を受け入れる。事実に服従ということを学びます。最も大事な学習の一つです。ここでもう一度事実を整理してみたいと思います。私は事実を4つに分けています。1、自然にわき起こってくる感情の事実です。森田理論学習では主としてこれを扱っていると思います。2、自分の素質、性格など自分の存在そのもの、自分の行動の結果としての出来事3、他人の素質、性格など他人の存在そのもの、他人の行動の結果としての出来事4、自然災害や世の中の出来事私は常に、今の事実は何番の事実のことかなと、分類するようにしています。1番については欲望があるので不安、恐怖などがでてくる。不安、恐怖は自分にとっては大事なものであるから排除してはいけないし、できない。「かくあるべし」があると、無限大に膨らむ性質がある。「かくあるべし」を小さくすることが大切だと思っています。2番については言い訳、弁解、隠し事をしないで素直に認めると、次へ進むことができる。これが一番楽な生き方になります。認めないといつまでも苦しむことになるのだと思っています。3番については、批判、指示、命令ではなく、私メッセージの発信を常に意識しています。4番については、事前に不測の事態を察知したときは、可能な限り対策を立てて実行するようにしています。それでも災難がふりかかってきたときは、それは受け入れてゆくしかないと思っています。
2013.01.24
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高良興生院に入院していた人で色弱の人がいた。長身で色白の好青年だったが、軽い色弱で悩んでいた。君の気になることはといわれると、彼は慌てて言葉を制し、「それを言わないでくれ、それを聞くと僕はダメになってしまう」と、この世の末を見たような情けない声を出し、「ああ、もう駄目だ」と言って畳の上にパタンと崩れ落ちたという。彼は軽い色弱を、全人格の欠陥のように考えて、人生に絶望しているのである。私も赤緑色弱で、色盲検査の数字が読めないで友達から不思議がられ、ショックを受けたことがある。だから彼の気持ちはよく分かる。どうして我々は部分的弱点を絶対視して大げさに考えるのだろう。私は次のように考えます。私たちは強い優越欲求を持っています。ここに原因があります。他人よりもすべての面で、少しで優れているという「快」の感情に浸っていたいという気持ちがあります。快の感情をずっと継続して、「安心」を得たいという気持ちです。実際は不可能なことですが、不可能を可能にできると思っているのです。するとわずかな自分の容姿の欠点、健康上の問題、家族の抱えた問題、自分の能力の見劣り、貧乏であるなどということがもし現実につきつけられると、とても我慢ができなくなるのです。不快感のためにとても居心地が悪いのです。そして精神交互作用で、失望や絶望の淵に立たされるのです。そうならないために、欠点や弱点、問題点をなんとか人から隠そうとするのです。隠せないと逃げるようになります。終いには欠点はあってもかまわないけど、人に見つけられ指摘されるのは我慢できないと思うようになります。人に見つけられて、非難されたり、指摘されたりすると、たちまち立ち直れないほど傷ついてしまうのです。それを一番恐れているのです。また自己防衛が強くバリアを張りますから、人は容易に近かづかなくなります。ますます人から遠ざかります。森田学習をすると、色弱であることはどうすることもできない。受け入れることしかできない。と考える事ができるようになります。ここが大事な出発点となります。そのように自分を認めることができれば、色弱では向かない仕事と、色弱でもできる仕事を分けて考えることができます。。理科の教師、分析化学のような仕事、航空管制や医師、電車の運転手、パイロットなど色の識別をするような仕事は無理かもしれません。でもそれ以外のことは大丈夫です。自分のできることの中から、運命を切り開いてゆくことができるようになります。そのことを境遇に柔順のなるというのです。
2013.01.23
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私は仕事を持っているので、必然的に規則正しい生活にならざるを得ない。毎朝7時頃起きる。どじょうすくいなど練習をして、身支度を整え、勤務先に行く。朝食はニンジンリンゴジュースとヨーグルトのみ。5時には仕事を終えて帰る。それからサックスの練習を一時間程度する。夕食を食べて、テレビはほとんど録画したものを見る。それから毎日ネット麻雀を半チャンする。20分ぐらい。それから読書などをする。風呂に入って、夜はいつも11時半から12時には寝る。これの繰り返しである。森田学習をして変わったのは、一つのことをだらだらと続けることがなくなった。意識としては30分で一つのことはおしまい。次のことに移る。こうゆう意識を持って生活しています。森田先生は、神経質は動き出すまで時間がかかる。しかし動き出すとなかなか止まらない。と言います。たしかにそうです。難しいことはいろいろと理由をつけてなかなか手をつけない。ところがいったん手をつけるとはまってしまい、時間などおかまいなしにずるずるとしまりがなくなってしまう。これは気分に左右されていることだと思っています。私もそうゆう態度になりやすいのです。嫌なことはすぐに逃げる。反対に好きなことは見境なくのめりこんでしまう。これは一つの事の裏表の関係です。これは症状の成り立ちと大いに関係があると思います。症状で苦しんでいる人は、症状一点に注意を集中して、他のことはおろそかになりがちです。症状を克服した人をよく観察してみると、時間の使い方がとても上手になっています。物の性を尽くすということから見ると、よくぞここまでと思うほど、時間の性を尽くしておられます。そのためには規則正しい生活を維持してゆくことが大切です。
2013.01.22
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事例1 人の評価が気になる 23歳 男性 公務員私は仕事で、上司に命ぜられたことを報告しなければならないとき、報告する前から、その上司に叱られるのではないかと心配したり、また外部からの依頼文書に対して期限までに資料を添えた回答文を作成して送らなければならないのに、どこから手をつけようかと考えているうちに、期限が迫ってきてパニックに陥り、憂鬱になってしまいます。次に対人関係については、他人と話をしていても、相手にあれこれと余計な神経をつかったり、また相手と共通の話題がないので、人と親しくなれません。友人が欲しいと思う反面、一人でいる方が楽だと思ってしまいますが、気が晴れません。事例2 夫が姑にやさしくするのに嫉妬する私の悩みは以前姑と言い争いになった時、夫が姑をかばった時から始まりました。どんなことがあっても夫は私の味方だと思っていただけに大変なショックで、喪失感を感じました。将来のことを考えると不安感に襲われ、不眠などもでてきて、絶望的な気分になります。その後、夫に私の気持ちを伝え、話し合い、夫のいうことがもっともだと納得できても、喪失感、不安感は消えません。あのトラブルの後、夫が姑にやさしくすると大変嫉妬してしまいます。悲しくなったり、腹が立ったり、冷静でいられなくなり、夫に冷たい態度で接してしまいます。事例3 視線恐怖 22歳 女性 会社員高校卒業後、民間の会社に入り、仕事や対人関係に気を使うことが多くなり、社会の厳しさを痛感しながらどうにか過ごしていましたが、2年ぐらい前の失恋をきっかけに、対人関係にすっかり自信をなくしてしまいました。人と対話していると胸がドキドキ緊張し、特に人の視線がこわくてまともに見られないのです。視線を合わせなければ失礼になると思い、無理に相手の目を見ようとすると自分の目もきつくなってしまい、自分の視線をどのようにすればよいのか、全く分からなくなってしまいました。特に一対一で話している時がきつくて、相手の話はほとんど頭に入ってこない状態です。この頃は知った人と道でであっても気づかないふりをしたり、人との対話の機会を少なくするように努めたり、会社の同僚や学生時代のお友達との付き合いもできるだけ避けて、自分の殻に閉じこもることが多くなりました。事例4 結婚していない劣等感に悩む 36歳 女性 会社員30代になってずっと悩んできたのですが、結婚していないことが強い劣等感になっています。何か自分が半人前の、みじめな存在であるかのように感じ、街を歩く時でも顔を伏せてしまいたくなります。お見合いもしてみましたが、意に染まない人と結婚しても、自分の性格では長続きしないと思います。男性に対してはどうしても消極的になります。また、特定の若い男性を意識してしまい、それが相手にもわかるようで、恥ずかしいやら、といってどうにもならず、困っています。一度しかない人生を、劣等感のため顔を伏せて生きていきたくありません。事例5 異性とのつきい方に悩む 23歳 男性 学生異性と話をするとき場がシラけたらいけないと思って緊張します。相手を面白がらせないといけないと思うのです。特に、若い女の子は、「ネクラはいや。真面目人間はダメ。面白くなければいや」という価値観を持っていると思うのです。面と向かって「面白いことを言って!」などといわれると、もうどうしてよいのか分からなくなってしまいます。普段は無口なのに、デートのときには饒舌になり、かえって下手なことを言って、結局失敗して落ち込んでしまうのです。
2013.01.21
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私は負けず嫌い、目立ちたがり屋、勝ちたがりの面があります。神経質者は多くの人がそうした一面を持っておられるような気がします。これを困った気質だという人がいます。私はこれ自体は持って生まれた気質ですから、悪いものではないと思います。むしろその素質は優れた面として活かしてゆく態度が大切だと思います。負けず嫌いの面があるからこそ、人に負けないように努力することができます。目立ちたがりの面があるから、完全欲でもって何事もおろそかにしないのだと思います。そうした素質を持っていない人は、努力してゆこうというエネルギーが湧いてきません。でも反面、そうした努力をしないで、そうならなければいけない。という「かくあるべし」と結びつくと自分も他人をも苦しめることになります。「かくあるべし」で自分や他人を価値判断することは大きな問題です。すべてを否定してかかるからです。劣等感は自分を否定することです。優越感は人を否定していることです。否定することからは将来の明るい展望は見えてきません。森田で言う否定ではなく、どんなに受け入れがたい事でもすべてを認めて、受け入れる事を大切にします。言葉を換えれば、すべてを肯定するというということから、将来の展望は開けてきます。私はふと頭に浮かんだ考え、他人に対して口出しそうなことは、それは「かくあるべし」ではないだろうかと一応自省しています。歯止めをかけているのです。すると、自分を責めたり、苦しい場面から逃げたり、他人を非難したり、命令したり、腹立たしさをぶっつけることはほとんど「かくあるべし」からでてきていることに気がつきました。「かくあるべし」は自分も人も自然も傷つけます。森田理論学習で「かくあるべし」がいかに自然な生き方から反したものであるかが分かると、次は具体的に「かくあるべし」をどんどんと小さくすることにエネルギーを注いでゆけるようになると思っています。「かくあるべし」がどんどん小さくなるとほんとにのびのびとした自由な世界が広がってきます。これは一人でそのような境地に達することは不可能だと思います。そんなときはそれを手にしている人から教えてもらうことです。これが自助グループの醍醐味だと思います。
2013.01.21
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一人一芸としてどじょうすくいをやっています。原稿を頼まれまして、こちらにもアップしてみました。 「おやじー どこへゆーく 腰に籠下げてー 前の小川へ どじょう取りに― ・・・」私は月一回どじょうすくい教室に通っています。いつも7,8名ぐらいいる。年配の人が多く、特に女性の人が多い。男踊りと姉さんかぶりの女踊りがある。まず歩き方。ちっとこ、ちっとこと腰を振りながら歩くのだがこれがとても難しい。入れ替わり立ち替わりいろんな人の芸を見ているが感心できるのは3、4人しかいない。奥が深い。私はまずリズムに合わせて踊る段階である。それから顔芸、所作など勉強する項目は多い。私は先生から「あなたはどじょう顔で、笑い顔がとてもよろしい」などとおだてられている。どじょうをザルですくってビクに入れる動作。顔に泥がついてはねのける動作。どじょうが逃げて追いかける動作。どじょうを踏みつけてこそばゆい動作。足にヒルが噛みついてむしり取る動作。どれをとっても滑稽であり、老人ホームの慰問ではいつも大はしゃぎされる。時間は3分ぐらい。女踊りを入れて6分間ぐらい。どじょうすくいは島根県安来市の近郷のものが、昔どじょうを小川からとってきてそれを肴に酒盛りをした。その席では決まって、どじょうをすくうときの動作を真似た踊りを踊って座興にした。この踊りが安来節とよく合って広まったということです。安来市には足立美術館の隣に安来節演芸館があり、即席体験ができます。
2013.01.20
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森田先生は結婚するにあたって神経質どうしよりも、違う気質の人と結婚するほうがうまくゆくといわれています。でもすでに神経質どうしで結婚している人はどうしたらよいのでしょうか。これは精神拮抗作用を応用したらよいと思います。その際夫婦漫才が参考になります。宮川大輔花子、花子は勝気でおてんば、夫を徹底的にけなします。突っ込み役です。それに対して大輔はそれを受けてボケをかまします。これがもし大輔がそれに対して猛反発していたら漫才にはなりません。ただの夫婦喧嘩です。一方が強気に出れば、受け手は引くというバランス感覚は、夫婦関係については大切です。夫婦関係がうまく動くコツかもしれません。バランス感覚がとても持てないという人は、最後は破たんするかもしれません。気に入らないことがあって大喧嘩をしても、あとで謝ったり、何かプレゼントをしたり、外食に誘ったりすることはバランス感覚を取り戻すことです。京唄子と鳳啓介、南都雄二と都蝶々のコンビも見事なバランス感覚の芸を見せてくれました。西川きよしと横山やすしの漫才は、二人が時には突っ込み役になり、ある時はボケ役になり、突っ込みとボケが交互に入れ替わるというバランスの妙技で人々を笑いの渦に巻き込んでいました。森田ではこのバランス感覚、調和、精神拮抗作用の学習は必須です。これは欲望と不安の学習の中ででてきます。しっかりと自分の生活に取り込んでゆきたいものです。
2013.01.20
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対人恐怖症はアメリカの精神分析によると、回避性人格障害といわれています。その特徴を見てみましょう。1、人から非難、批判、拒絶されることに対する恐怖のため、重要な対人接触のある職業または学校活動を避ける。2、この人たちは、嫌われていないか、批判されずに受け入れてもらえるかが、確認できない限り、新しい友人を作ろうとしない。3、馬鹿にされたり、恥をかかされたりする場面に出会うことを恐れるあまり、行動を抑制したり、自分自身について話すのをためらったり、親しい気持ちになるのを控えたりする。4、批判されたり拒絶されたりすることに心がとらわれているために、社会的に常識的な事ができない。5、自分では社会的に不適切である。人間的に長所がない。または他人よりも劣っていると思っている。6、不適切感があるため、新たな対人関係が生じる状況で制止が起こる。7、恥ずかしいことになるかもしれないという理由で、個人的に危険を冒すこと、または新しい活動に取り掛かることに、異常なまでに引っ込み思案である。こうゆう人は負けず嫌いでプライドが高い人です。それが現実問題として、いつもびくびくとして繊細で弱弱しい自分を受け入れられなくで苦悩し、神経症に陥っているのです。こうゆう人は森田療法の適応者です。森田理論で複雑に絡み合った糸をほぐしてゆけば、症状を治してゆけます。どうか森田理論に注目していただきたいと思います。
2013.01.20
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今日は会社の懇親会でサックスの演奏をしました。いつもは二人でやっているので、多少気が楽なのですが、今日は自分一人で、あとは私の演奏に合わせて、15名ぐらいが合唱しますのでプレッシャが大きいのです。ホテルの結婚式場で、聴衆は約150名ぐらいだったと思います。なんとか間違えることなく、スムーズに演奏できました。途中からは多少のりまくりました。今日までの一週間は演奏する二曲を家で何回も練習しました。50回以上は練習したと思います。毎日40分ぐらです。途中指づかいの難しいことろが2か所あり、そこはゆっくりと繰り返し繰り返し指が動いてくれるまでやりました。今朝も最終チェックで1時間練習して、自分としてはこれで間違えたら仕方ないと思って出かけました。練習では100パーセントのできです。ところが出番15分ぐらい前になってウォーミングアップをしたのですが、なんでもないところで何回も間違えるのです。とても動揺しました。できとしては急に60パーセントぐらいのできです。まあとにかく、楽器はウォーミングアップが必須ですから、ひととおりやりました。すると司会が出番ですと連絡にきました。少し動揺しましたが、もうじたばたしても仕方ありません。あとは練習してきたことを出し切るしかありません。あのイチローだってプレッシャで押しつぶされそうになるといいます。イチローはプレッシャは受け入れていくしかないと思っているといいます。私もそうです。苦しい。だったら辞めれば楽になるのにとつい思ってしまいます。でも辞めようとは思いません。私の体験では、ここはうまくいくかなと脳裏に少しでも浮かぶ時はまちがいを起こします。そこは何回も練習することで、指先が自然に動くようになり観念がでてこない状態まで努力するしかないと思っています。どんな難しい指遣いでも単純な指遣いの組み合わせだと思います。
2013.01.19
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毎日の生活が退屈だという人がいます。そういう人をよく観察してみると、価値のある仕事、クリエイティブの創作活動、意味のある行動、人から称賛されることに大きな価値があると思っています。そして価値のあまりない仕事、人から拍手喝采されないようなことは軽視して手をつけない。そうかと言って価値のある仕事はどこから手をつけていいのか、きっかけさえつかめない。つまりどちらに転んでも、何もしないので退屈になるのである。実践という言葉の「践」の右のつくりはわずかという意味があるそうです。「浅」はわずかな水深です。「銭」はわずかなお金です。実践というのはわずかに自分の足を使って動いてみるということです。日常生活の中でわずかな実践は数限りないほどあります。それらを手を抜かないで、一心不乱に取り組んで見る。すると工夫や発見が次から次へと浮かんでくるようになります。入院森田療法はそこに焦点をあてていました。
2013.01.19
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帯広のジャガイモ、嬬恋のキャベツ、淡路島の玉ねぎ、蒜山の大根、島原のショウガ、鹿児島のサツマイモというふうに日本には代表的な野菜の産地があります。これって人間にとってはいいことかもしれませんが、野菜にとっていいことなんでしようか。野菜は同じ野菜を作り続けると連作障害が起きて、収量は減るし、土壌障害が起きます。それに対して土壌消毒という対症療法によって大産地は存続しています。人間がこの方法がベストだと決めつけて自然に働きかけることは、問題が発生し、その問題を解決しようとして、手を打てば、また次の問題を生み出すという悪循環を招いているような気がするのです。農業がかくあるべしから逃れるとすると、人間の都合ではなく野菜の立場に立って野菜作りをすることではないでしょうか。野菜の立場とは野菜の輪作を取り入れること。野菜がよく育つような土を作ること。これは森田でいう物の性を尽くすということと一緒のような気がします。物の価値や特徴をどこまでも活かすこと、人の特徴や能力を精いっぱい開花させようとする意思、そんなことを感じます。
2013.01.18
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地震で津波が押し寄せてきた。放射能の被害がでそうだ。こうした時はなるべく早く逃げないといけません。そのためにはできるだけ正確な情報が必要になります。森田先生によると、関東大震災の時はその情報がなく、流言飛語によりみんな右往左往しました。事実に基づく対応ができていたら、震災以外の混乱はなかったと思われます。対人タイプの人は、人から非難された、自尊心を傷つけられた。だから今後その人には近づかないようにしよう。挨拶もしない。必要な付き合いもやめて、まったく離れてしまいがちです。これは予期不安により、嫌な場面から逃げていることになります。嫌な感じが起きてきたという事実。その事実を認められないのです。受け入れることができないのです。その時は一時的に楽になるでしょう。でも事実を無視したことの代償は大きい。その後悩み続け、自己嫌悪感も起きてきます。嫌な気持ちになった。その事実はいかんともしがたい。本来その事実は受け入れるしか方法はないのです。事実に服従するしか道はないのです。先の例は事実に基づいて早く逃げないと生命が危ない。次の例は安易に事実を無視して逃げると、楽になるのではなく、反対に苦しみを増すだけになってしまいます。森田理論学習の中でよく逃げてはいけないという話がでますが、私は逃げなくてはいけないときもあるし、安易に逃げてはいけないときもあると思います。大切なことは事実をよく観察して、その事実を私情を交えないでそのまま認めること、そして受け入れるということに尽きると思います。
2013.01.18
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多田茂さんの言葉です。神経質者は、一般的に向上心や発展欲が非常に強い素質を持った人たちでございます。こういう人たちはちょっと見ると、モタモタして融通がきかないとか、あるいは引っ込み思案であるというようなことで、非常にダメ人間のように見えますけれども、実は素質的には決して悪くないばかりではなく、将来立派な社会人として役に立つ可能性というものを、豊かに持った人たちでございます。森田先生は、「釈迦も孔子も神経質である。真に偉大な人格は神経質である。知能の優秀な人間でなければ神経質にはなれない。」ということをいわれています。私は気の小さい、ちょっとしたことを気にする性格を、大胆な、物事に動じない性格に変えようとしてきました。神経質の性格特徴を学習して、性格には二面性があり、心配性は裏を返せば、いろんなことを味わうことのできる感受性が強い性格だと認識できました。これを活かしていこうと考え方を変えてきました。
2013.01.18
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森田先生は純な心ということについて次のように説明しておられます。「純なる心とは、我々の本来の感情であって、この感情の厳然たる事実をいたずらに否定したり、やりくりしないことである。我々はこの事実をもとにして、初めて成長発展するのである。まず是非善悪の標準を定めて、それから後にこれに従っていくというような観念的理想主義ではいけない。あるいはまた自分の気分を満足させればそれでよいという気分本位でもいけない。いま私どもが仕事をするときに、いやなこと、面倒なことがあっても、いやだなあ、面倒だなあというそのままの心から出発したときには、そこには必ず手軽に有効に迅速に、それをやり遂げたいという工夫が起こってます。そのままの気持ちでやったらいいじゃないかと。ところが観念的理想主義を立てて、我々は忍耐し、努力しなければならないとか、あるいはいやとか面倒とか思ってはならないとか、そうゆうことを考えるために、心の働きはいたずらにその本来の感情を否定しようとする。これは不可能な努力でありまして、この不可能な努力のために費やされて、自己本来の欲求に従って困難を切り開いて前進しようという方向には少しも発展しない。」私たちは不快な事実を認めようとしない。受け入れようともしない。「かくあるべし」「かくあらざるべし」という価値判断を下して、事実を捻じ曲げようとする。自分の都合のよいように解釈してしまう。向き合わないですぐに逃げようとします。「純な心」は事実を認める。受け入れる。ことだと思います。事実とは、不安、恐怖、違和感、不快感などの感情の事実。自分の存在や行動の事実。他人の存在や行動の事実。さまざまな自然の出来事。それらすべてが含まれます。その上に立って本来の欲望に従って運命を切り開いてゆくようになれば、自然な生き方ができるようになります。
2013.01.17
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森田先生のところではサルを飼っていた。その名をお軽と勘平という。森田先生は言葉づかいにやかましい人だった。ことに敬語の乱用を嫌っておられた。だから患者さんがサルにカキをあげるとか、サルがカキを食べるなどというと、すぐにお小言だった。サルは餌をくうのであって、食べるのではない。ライオンが人をたべ殺すなんていうのは、いかにも妙に聞こえるではないか。こうしたことばづかいのはしばしにも、神経質者は神経質らしいこまかい配慮をすべきだというのが森田先生の主張だったなにごとにも神経質らしく、ゆるがせにしないという態度、それが神経質を生かす道なのである。私の反省。先日の日曜日夕方から雨が降った。仲間は天気予報を見てみんな傘を持ってきていた。私は天気予報を見ていなかったので傘を持っていなかった。駅から家まで雨に打たれて帰った。今考えると、細かい配慮に欠けた事だったと思う。
2013.01.17
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水谷啓二先生のところで指導を受けられた山中さんがこんなことを話してくださいました。水谷先生は、「山中君は山中君自身として生きなさい」とよくおっしゃっていたというんです。これは「自分で自分をそのまま認める」ということだといわれています。理想的な自分を持たないということです。それで、それからはこの言葉通り、「私は私として生きればいいのか。」と思い、そんな方針でやってこられたそうです。おかげで、家庭でも職場でも、あまり役割に振り回されることなくやってこられたといわれています。つまりどんどん上の役職を得て、みんなから羨望のまなざしで見られるような人間にならなければいけないとは考えなかったのです。霞が関にはキャリアと呼ばれる役人がたくさんいます。その方たちは30歳を過ぎると熾烈な生き残り競争にいやおうなく巻き込まれるそうです。どんどんふるいにかけられ最後に次官に上り詰めていく人は一人だけです。もし自分はどうしても勝ち残らなければならないという「かくあるべし」を背負って仕事をしていたとしたら、他人を蹴落とすことも平気でやり、また脱落すれば自己否定に走り、苦悩に満ちた人生が待っているのではないでしょうか。山中さんの話は「かくあるべし」の弊害を教えてくれています。
2013.01.17
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一つには子供のころからそうゆう教育を受け続けてきていることがあります。もうひとつの原因があります。「生の欲望」の発揮には、苦労が伴います。頭を使っていろいろと創意・工夫して考えなければなりません。また体を動かして対象に働きかけ、一歩一歩努力を積み重ねていかなければなりません。決して楽なものではありません。その道は決して平たんなものではありません。でも「生の欲望」の発揮には、苦労することはつきものです。でも苦労をし続けるのはつらいものです。もともと人間は、よりよく生きたいという「生の欲望」を持っている反面、「休みたい、楽をしたい、人が見てなければさぼりたい」といった一面が前面に出ることがあります。つい努力を怠り、安易な方向へ流されてしまうことがあります。その方が楽だからです。立ち止まった時私たちの意識はどこに向かうでしょうか。一つには私たちが目的としていたもの、目標としていたものに向かいます。現実とはかけ離れた理想に目が向いてゆくのです。そして苦労や努力しないで目的・目標が達成できたらどんなにかよいだろうと考えます。努力をしないで目的物を手に入れようとするのです。もうひとつの目の行き場は、今現在の自分の心や体の状態、他人の発言や行動などに向かいます。目的・目標とするものからみると、何とも心もとない自分、ふがいない自分に向かうのです。また頼りない、物足らない他人に向かうのです。次に目的・目標と現実・事実を比較対照するようになるのです。そして目的・目標達成、理想主義から現実や事実を見るようになります。さらに現実の自分や他人を、理想の状態に早く持って行かないと大変なことになると考えるようになります。それは不可能なことに挑戦することですから、エネルギーだけ消耗して疲れ果ててしまいます。この時点では、「生の欲望」の発揮ということはもはや蚊帳の外になっています。このように「生の欲望」の発揮は、歩みを止めてしまうと、いずれ「かくあるべし」にすり変わってしまい、自分に刃を向けてくるものなのです。手段の自己目的化が起きているのです。神経質性格を持ちながらも、強い感受性を活かし、向上発展を常に目指している人は、森田にはまったく見向きもしません。学習する必要もありません。それは「かくあるべし」がないからです。「かくあるべし」がない人は現実とのギャップに苦しむことはありません。神経症から解放されるとまさにそのようになるのです。
2013.01.16
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感情はそのまま放任し、その自然発動のままに従えば、その経過は山形の曲線をなしひと昇りひと降りして、ついに消失するものである。これは感情が消えていく場合の法則です。感情は心の中の自然現象ですから、発動の程度を意識的にコントロールしたり、消えていく速さを人工的に速めたり、遅らせたりすることはできないのです。感情が発生したときは、この法則に従ってじっとそれを感じていれば、時間の経過とともにやがて消えていくことになります。これが感情に対する最良の対処法であって刺激の内容によって消えるまでの時間に差がありますが、あれこれと小細工する必要は全くないのです。私たちはただそれを感じておりさえすればいいのであって、それ以外のことをする必要はありません。このように感情は、常に変化していて、停滞する性質のものではありませんから、邪魔さえしなければ早く消えてゆくものです。その消えていく様は、あたかも池の水面にできた波によく似ているように思われます。不快な感情もじっと味わっていれば、そのうち消えてゆきます。ところが、私たちは、我慢することができなくて、それを早く消そうとして、いろいろとやりくりする傾向があります。やりくりすれば問題が発生します。不快な感情を避ければ避けるほど、それが気になって、苦しむようになります。
2013.01.16
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森田先生は金銭も気前よく人に与えている。郷里の冨家村(ふけむら)には彼が当時の金額で4000円を寄付して建てた森田館という講堂がある。また子供たちのために、学校にブランコや滑り台、図書などを寄付し、帰省するたびに村の小学生たちにおみやげ物を携えていった。昭和12年63歳の時、彼が帰省したときの話である。学校での講話が終わり、森田先生と村長、校長らが談笑しているとき、校長が「実は先生、せっかく立派な講堂を建てていただいたが、まだ時計がないので・・・」私はずうずうしすぎると思うが、いくらぐらいですかと聞くと校長は30円ぐらいと答えた。森田先生は早速30円の寄付をしたということである。 当時1円は今の一万円である。ちなみに河原宗次郎氏によると、当時入院料は1日4円、40日入院するとそれだけで160万円かかっていたことになる。また診察30分で8万円というから結構高かったようである。
2013.01.16
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森田先生は18歳のときから、亡くなるまでずっと日記を書いておられた。簡潔に1、2行もの。簡単なものはいつ起きて、いつ寝たとだけ書いてある。事実の羅列。感情的なことは書いてない。例として年賀はがきの枚数。書いた原稿の枚数。完成するまでの日数。病院へ行く道すがら食べたアンパンの数。父からの仕送りの額はいくらだった。ちなみに総額2587円だった。自分でこれをためるのに8年かかったといっている。妻とのセックスの回数。月末には集計までしている。誰だって隠したいことはある。森田先生にはそれはない。事実を具体的にということに徹底してこだわった。森田先生の影響を受けて7年前から日記をはじめた。3年日記をつけていたが、以前の日記を見るのが大変なので今年から10年日記に変えた。私は毎日夕食に何を食べたかを書いている。後社会のおもな出来事も書いている。3行か4行なので続いているのかもしれない。以前の同じ日付を見ていると、今年もそろそろ準備しようと思うことがある。
2013.01.16
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アメリカの森田療法家のレイノルズ博士は、神経症が治る過程に次のような段階があるという。1、一番苦しい段階は部屋が汚くても、それに掃除機があっても、自分の悩みでいっぱいですから何もしない。イヤー、汚いなという感じで、それは悩みの最低の状態です。2、自分の悩みから逃げたいから掃除機を使って掃除をする。それは症状から気をそらすためですが、これは最低よりはよい。部屋はきちんときれいになるし、一時的には治るのです。3、部屋が汚いから掃除をする。2番目と3番目は大きく違う。違いが分かりますか。4、実はもっとよい段階があるのです。部屋が汚い、いつの間にか掃除機が動いている。そして部屋がきれいになる。そこには、自分の気持ちというものが全くないのです。1の場合は気分本位といえると思います。2の場合は、症状は持ちながらなすべをなすということができています。これができるようになると、第1段階の治るということです。この段階では苦しいでしょうが、この態度を続けることが大切です。3の場合は多少「かくあるべし」が少なくなり、事実本位、物事本位の大切さが理解できた段階です。○○しなければいけない○○してはいけない。という自分への縛りが少なくなると神経症の苦悩は小さくなります。4は「かくあるべし」にとりつかれていた状態から完全に解放され、「生の欲望」にそって運命を切り開いていく段階だと思います。
2013.01.16
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岡山の伊丹先生の生きがい療法では、ガンの患者さんに森田療法を応用されています。私はその中で、ユーモア小話作りに影響を受けました。ユーモア小話を作ろうとすると、ネタを集めなければいけません。自然と目が外に向きます。次に話の構成をねらないとおもしろくなりません。したがって、症状にかまっていられなくなります。私の100ぐらいのコレクションから一点紹介します。ああ、無知の知以前、島田紳助が伊達正宗のことを「イダチマサムネ」と言っていたコマーシャルがありました。宮城県の人に悪いよ。五木ひろしのことを、「ゴキヒロシ」というのは論外。ゴキブリではないんだから。私は、鬼島君(きじま君)のことを、「オニシマ君」といってえらい憤慨されたことがある。鬼のような形相で。カープの殿堂入りした外木場投手(ソトコバ投手)のことを、巨人の川上前監督は、「ソトキバ」と呼んでいた。そういえば巨人戦キバを向いてほえていたからね。よほどむかついたのでしょう。日下(くさか)さんのことを、「ヒシタ」さんと呼ぶのは許せるとしても、芥川さんのことを、「チャガワ」さんというのはやめようよ。アクタガワさんがいっていたけど、「わしはコメディアンかよ。」同僚が得意先の中西副社長のところへFAXを送った。その時わざと「中西福社長」と書いて流した。福がついて来るからいいじゃないですか。そしたらおまえはオレのことをおちょくっているのかと言われた。「兎に角」をずっと「ウサギのツノ」と思っていた。どうも意味不明だと思っていた。「とにかく」が分かったときはとてもうれしく思いました。お洒落のことを「オサケオトシ」と読む人がいた。なんでも読めばいいというもんでもなかろう。ちなみにうちの近くにお洒落(オシャレ)をもじって「シャレオ」という有名な地下街があります。シャレではないがはやっていないらしい。月極駐車場のことを「ゲッキョク」駐車場と言う人もいた。ここは南極でもないのに!相撲の土俵入りで雲龍型と不知火型があるが、不知火型(しらぬいがた)のことを「フチビガタ」と思っていた相撲の大ファンがいた。あんたは幸せな人だね。 チビまるこ。フウテンの寅さんは、「そんな封建的なことをいうな」というところ、「そんなフウケン的なことをいうな」といっていた。さくらがこれが血を分けた兄妹かと唖然としていた。寅さんならそんなこともあり得るね。寅さんの露天の口上はうまかったね。近くに「あさひヶ丘」という町がある。郵便のあて先に「あさひヶ兵」と書いている人がいた。兵庫県の人に悪いよ。
2013.01.15
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最近読んだ本の中に、自分の娘さんが知的障害児で筋力が弱く、運動会の徒競争ではいつもビリという人の話がありました。今年は足をねん挫している子がいるのでビリではないだろうと思っていたそうです。その運動会。家の娘は捻挫をした友達を気にかけながら、心配そうに、振り返り振り返りして走り続けたそうです。するとその友達が転んでしまったそうです。すると娘は友達のところに駆け寄り、手を引いて一緒に走り始めた。そしてゴールまで来た時、その子の肩をポンと押してその子を先にゴールさせたというのです。普通この子の立場になるとなんで私だけこんなかたわで生まれてきたの。どうしても受け入れられない。親のせいだ。責任とってもらいたい。自己否定。自暴自棄。これが普通ではないでしょうか。でもこの子は違います。そんな自分を認め、受け入れています。そして、その自分を土台にして、そこから人のためになることを行動として実践しています。盲目の天才ピアニスト辻井伸行さんも一緒ですね。目が見えない自分を恨んだりしていません。家族を怨むこともありません。辻井さんは研ぎ澄まされた耳の感性を十分に活かすことばかりを考えられています。森田で言う「生の欲望」の発揮そのものですね。自分の理不尽な事実を素直に認め、そこから出発しようとすること。森田での最重要の学習テーマです。森田先生は言います。人から少々間抜けと思われようがそんなことはどうでもよい。それよりも人を気軽に便利に幸せにすることを実践する。この態度を養うこと。これは対人タイプにとって、「かくあるべし」を少なくしないととてもではないができないことです。
2013.01.15
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形外先生言行録の中に田原あやさんの原稿があります。森田先生から物の性を尽くし、100円のものは1000円に、1000円のものは1万円に、というふうに、その物よりもっと高く活かして使いなさい、とよく言われました。「綾子たちは、1000円のものは100円に、100円のものは10円にしてしまう。もったいなくてやる気にもならない。」といわれました。森田先生はお金も価値以上に活かして使うように工夫しなさいといわれているのです。私はこのお金の価値を十分生かすということを生活の中に取り入れています。森田先生と同じように、年間予算を組みます。妻には日常生活にかかる費用を手渡します。私はわずかな自分のこずかいと、冠婚葬祭費、税金、車維持費、家の修理費、家電製品買い替え、町内会費用、田舎でかかる費用、旅行費用、外食、レジャーなどの管理です。これらの費用が馬鹿になりません。家計簿はパソコンで表を作り数字を入れれば集計も自動的にできます。予算を決めているので、予算対比がすぐにできます。これをやるまではとにかく節約一辺倒でしたが、年間予算を立ててからは趣味や旅行など予算の範囲で思い切って使うことができるようになりました。またパチンコなどの遊戯費はあまりにばかばかしくなり全くしなくなりました。そしてお金を使うメリハリがつき、これは生きた使い方かどうかよく考えるようになりました。それにしても、経済番組ではもっともっと消費を増やさなければいけないといわれますが、そんなに見境なく使うと将来の生活不安があり少しは貯蓄をと思っていますが、みなさんはどう思われますか。
2013.01.15
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私は森田先生の好奇心旺盛なところをまねてみようと思い、趣味ややってみたいことの棚卸をしてみました。すると、でて来るわ出てくるわで、私もとても好奇心旺盛だなと思いました。コンサート 市の情報誌による検索、区民文化センター行事 クラッシック観賞、警察、消防、自衛隊の音楽隊の観賞、アマチュアオーケストラサックスの情報 チンドン屋の情報 練習場所 楽器情報 グループ情報 習い事情報 ブログ、デジカメ画像処理、DVD加工、パソコン活用情報 川柳、ユーモア小話の作り方 安来節、どじょうすくい 獅子舞い 浪曲奇術 蕎麦打ち、加工食品、燻製作り、男の料理教室、魚のさばき方 第9合唱団員参加、健康麻雀、自家用野菜作り、大菊仕立て健康情報 ヨガ、水泳、卓球、ハイキング、魚釣り花盆栽 季節の花見情報 盆栽展 らん展 菊花展 五月展 花ごよみ作成 公園、植物園情報旅行情報 工場見学、ビール工場見学、博物館、美術館、温泉情報、グルメイベント情報 祭り、プロ野球、サッカー、イベント情報、写真展、公開講演情報映画、テレビ、ビデオ、書籍情報、落語情報公共施設利用情報みなさんも趣味などの棚卸をして、常にアンテナを四方八方に張って、有用な情報の取得に力を入れてみてはどうでしょうか。生活がすぐに活性化すると思います。
2013.01.14
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以前、高校の先生が家庭内暴力の絶えない長男を、包丁で刺し殺すという事件がありました。この事件は社会に衝撃を与え、そのルポは、「仮面の家」として単行本化されました。私はこの事件は、「かくあるべし」でがんじがらめになった家族が陥った典型的な事件として注目してきました。東京都精神医学総合研究所の斎藤先生は次のように分析されていました。規範にとらわれすぎた家族が陥った絵にかいたような事件です。普通の家族は、もっといい加減で、本音をむき出しにしたり、理想に燃えたりといったジクザグを繰り返しながらやっていくんですよ。殺すという結論に飛躍がありますね。じゅん先生は、父親や教師の役割を全うすることと、自分が好きなように生きることを、バランスを取りながらやっていけない人なんですね。また自分の女性性、いわゆる女らしさが嫌いだと思うと、抹消しないと気がすまない。それが極端になると、いい子活かす子、悪い子殺す子という二者択一の考えに陥ってしまう。長男もその性格を受け継いでいることが、彼女との関係で示されていました。長男は遊びとしてのセックスは可能なのですが、一対一の人間関係となると、できなくなる。それは相手がどう自分を評価するかということが、ものすごく気になる。失敗したら男として恥ずかしいといった緊張感が委縮させてしまう。普通はそんなに気にしなくていいんですが、泣いて「ごめん」と謝ったところが父親に似ていて、長男も外面的な男らしさにこだわり、しかも白か黒かの二者択一の思考方法に染まっていたんです。どうしてそんな考えになってしまうのか。親との関係での安心感、自分と一緒にいることを親が楽しんでいるという感覚、つまり親に愛されているという自信のある子は、親のネガティブな側面も受け入れることができるのです。そうした安心感がない子は、親が自分に関心を示しているのは勉強ができたからだといった感覚だけが強くなり、それが二者択一の思考方法を生む母体になる。そうゆう人は、いつも自分は有能で、役に立っていなきゃいけないと思いやすい。そうでなければだめだ、抹殺しなきゃいけなくなる。自分に厳しすぎると、他者と普通の人間関係を結ぶことができなくなってしまうのです。親が何を期待しているかを、いつも気にかけないといけないような育て方はかえって人間としての自立を困難にしてしまうのです。完全主義、理想主義のつよい「かくあるべしは」物足りない、ふがいない自分や親や子へと刃を向けてそのギャップを埋めようとして誤った努力を続け破滅してゆくのです。この親子は神経質性格を持ち合わせていれば、森田理論学習をすることによってその苦悩のメカニズムは理解できたと思われます。
2013.01.14
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森田療法は慈恵医科大学初代精神科教授の森田正馬博士(1874~1938)がはじめられた精神療法です。森田先生も私たちと同じ神経症で苦しまれた経験をお持ちの方であります。森田療法が完成したのは1919年(大正8年)森田先生45歳の時です。それ以来自宅を開放して入院生を受け入れ、寝食をともにしながら、神経症の治癒のため一生をささげられました。そしてたくさんの根治者を出しました。また名だたる後継者も作られました。また私たちにとってはありがたいことに著作もたくさん残されました。その中でも森田全集第5巻に収録された「形外会の記録」(退院患者や入院患者に対しての対話記録)、「神経衰弱と強迫観念の根治法」「神経質の本態と療法」は今も燦然と読み継がれる名著となっております。森田先生は1938年(昭和13年)64歳の若さで惜しまれつつお亡くなりになりました。森田先生の死後、慈恵医大では高良武久教授が引き継がれました。高良先生は「高良興生院」で神経症の治療にあたられました。森田理論は森田先生、高良先生によって完成したといわれています。その後森田先生の入院治療を受けた共同通信社論説委員の水谷啓二氏は、1956年(昭和31年)森田療法の普及と神経質者の相互扶助を目的として啓心会をスタートさせました。昭和34年からは「啓心寮」を開設し、自宅を開放して神経症に悩む人たちと寝食を共にしての家庭における森田療法の実現にのりだしました。また1957年(昭和32年)には機関紙「生活の発見」を創刊しました。その後水谷啓二氏は1970年(昭和45年)58歳でなくなりました。水谷啓二氏の死後、活動は存亡の危機に見舞われましたが、長谷川洋三氏、斎藤光人氏らに引き継がれ、森田理論の学習のための集談会の全国展開へと花開き、最盛期には会員が6000名を越えるまでに拡大してきました。そんな中、生活の発見会と協力関係にある医師も数多く全国に存在しています。また財団法人 メンタルヘルス岡本記念財団のような生活の発見会を支援していただいている団体も現れました。現在では日本森田療法学会、国際森田療法学会も開催されています。森田療法は日本が生んだ精神療法として、海外でも高く評価されており、特に中国での普及はすさまじいものとなっています。
2013.01.14
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神経症で悩んでいる人は、自分がくよくよ悩んでいたり、失敗やミスをしたり、あるいは身体的な欠点と思うものがあると、そんな自分を見た他人は、自分が思っていると同じように、そのことに重大な関心を持ってくる。そして自分に対して軽蔑したり、毛嫌いしたり、迷惑がったり、反発をしてくるようになる、という風に考えてしまうのです。長谷川洋三氏は言います。対人恐怖や体臭恐怖に悩んでいる若い主婦によくあることですが、近所の奥さんたち二、三人が立ち話をしていると、自分のことを軽蔑して話題にしているのではないかと思って、そばを通ることもできず、わざわざ遠まわりをしたり、駆け抜けるようにして通り過ぎ、そこで笑い声でも聞こえようものなら、やっぱり自分のことを問題にしているのだと信じ込む。そしてついには、近所の人と顔を合わせることが苦しくなり、買い物にもでかけられず、子供や夫に買い物を頼むようになってしまう例もあります。自分の目つきが他人を不快にすると思っている視線恐怖のある学生は、教室などで、隣に座った学生はもちろん、前に座っている学生さえ不快を感じて席を変わると信じ、そうゆう迷惑をかけないために、授業の始まる直前まで教室にはいらず、直前になって、できるだけみんなと離れた席に座るように心掛けるといった例もあります。そしてついに、学校に行けなくなるといった例があります。
2013.01.14
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神経症に悩んでいる時、自分の苦しい症状一点に注意を集中させて、これさえなければ、私の人生はうまく回転していくはずだと思っていることです。そして、なんとかその苦しみから逃れようと格闘を続けているのです。神経症の苦しみはそれ自体を、取り除くことが不可能なものです。(但し、森田理論学習によって神経症の悩みから解放されることはできますのでご安心ください)多くは不毛の努力になります。すればするほどその苦しみは加速度を増してゆきます。そしてアリ地獄の底に落ち込みます。そうなってきますと、症状以外のことは上の空になってきます。毎日しなければならない最低限の日常茶飯事の雑事、最低限の人との付き合いがおろそかになってきます。仕事や家事、育児をしていても、心ここにあらずで、間違いが多くなります。そうした入院生に対して森田先生はどのように接してゆかれたのでしょうか。森田先生は、日常生活を共にする中で、さまざまなことを身近に体験することによって、折に触れて徹底して指導をされています。価値観やプライドの高い入院生に、生活に必要なことは、男、女、職業にかかわらずなんでも手をつけさせました。そして手をつけることによって、面白さや気づき、工夫などの感情が生まれてきて、感情が流れていくことを体感してゆけるように指導されています。そして、入院生は昆虫の触角がぴくぴく動いて四方八方に注意が向いて、症状一点に向いていた注意が、外向的になり、心身ともに活動的になるようになっていったのです。根治して退院した人は、その変わりように、家族をはじめ周囲の人を大変驚かせていたようです。森田理論の学習をすると、このようにして、症状のみにむいて主観の世界にどっぷりと漬かっていた状態から、外に目が向き、活動的な前向きな生活態度を養うことができます。こうした状態のことを森田理論では「無所住心」といいます。周囲のことすべてに気がついて、しかも何事にも心が固着しないで、水が流れるごとくに、心が自由自在に流転、適応してゆくありさまであります。あたかも明鏡に物が映るがごとく、来るものは明らかに映り、去れば直ちに影をとどめないというふうである。
2013.01.14
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車のセールスで上位にランクされるような人が、飛び込み営業の話をされていました。500人の飛び込み営業をして見込客は4人から5人ぐらいの割合になるそうです。ということは495人には断られているのです。その中には虫けらやゴキブリを扱うようにきつい言葉を浴びせて断る人もいるようです。自尊心が粉々に砕かれるときもあるそうです。トップセールスマンになるような人は、それを乗り越えて仕事をされているのです。そうした実態を知らないと、トップセールスマンの人は、大変販売するための話法に優れていて、お客さんがこう言えばああいうという風に、巧みに断り文句をかわして、いつも苦労はたいしてしないで仕事をしているのだろう。と思ってしまいます。これは事実認識の誤りです。そういったことが普通の人なんだ。私の悩みは、自分ひとりだけのものではなく多かれ少なかれ他の人もみんな持っているのだという風に思えれば、その人は神経症から解放される方向に向いているのです。
2013.01.14
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森田関連図書はかなりの数が出版されています。私は下記の図書が参考になりました。・森田正馬が語る森田療法 岩田真理 白揚社この本は森田先生のエピソードが満載です。森田先生の生活を真似るには最適です。巻末に詳しい年表がついています。・流れと動きの森田療法 岩田真理 白揚社 目立った症状はなくなったのに、もう一つ吹っ切れないという方に読んでいただきたい本です。思想の矛盾の打破について丁寧に書いてあります。・自分に克つ生き方 岡本常男 ごま書房 性格の活かし方、サラリーマンとしての生き方が参考になりました。 メンタルヘルス岡本記念財団元会長・森田理論という人間学 三重野悌次郎 春萠社 事実唯真の説明に説得力がある。・強迫神経症の世界に生きて 明念倫子 白揚社 強迫行為をともなう強迫神経症の人の必読書。精神拮抗作用の説明が明快。・森田療法で読む 社会不安障害と引きこもり 北西憲二・中村敬編 白揚社引きこもりの人の臨床例が豊富に紹介してあります。・森田療法で読む うつ 北西憲二・中村敬編 白揚社 「うつ」の治療戦略が参考になった。臨床例多数紹介。・森田療法で読む パニック障害 北西憲二・中村敬編 白揚社 不安神経症の人は必読書。豊富な症例の紹介あり。・我執の病理 北西憲二 白揚社 現代人に多い完全主義、過大な自己愛が参考になった。・実践森田療法 北西憲二 講談社 かくあるべしと神経症の発症の関係がよくわかる本・神経症を治す 中村敬 保険同人社 薬物療法、神経症周辺の精神病、神経症者の家族、職場の対応などに詳しい。・森田式精神健康法 長谷川洋三 三笠書房 この本に出会って森田療法に出会いましたという方が多い。森田の初歩的解説書です。 長谷川洋三氏は、全国に森田学習運動を定着された方です。
2013.01.14
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森田先生は子供の教育は具体的に指示しないといけないといわれる。先生は電車道を横切る時、子供に対して静かに歩き、決して走ってはいけないということを教える。そしてこれを実行し教える。そうすれば子供は、それ相当に恐怖本能というものがあるから、必ず電車の行きちがいやその周囲の危険に対して、全力を挙げて、心の緊張が働くようになる。これを気をつけよ、気をつけよと追い立てるから、子供はあわてふためき、心の全般の緊張を取り乱し、一つ電車を見つめて、車道を抜けようとして、横から来た自転車につき当たるのである。森田先生の子、正一郎君は、その癖がついており、おばあちゃんに対して電車道では急いではいけない。ゆっくり歩かなければと言っていたそうです。家の外孫は私を見つけるとところ構わず走り回るので、これを応用しています。道路にでたときには、「走らずゆっくり歩け」というのです。すると左右をよく見て横断するようになりました。
2013.01.14
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森田先生は事実唯真と言われます。事実を置いて真実はない。事実は動かしようがない。事実はそれに従うしかないといわれています。それほど事実にこだわられました。街中で熱湯の中に手をつけるパフォーマンスを見て、森田先生は実際に自分自身で確かめられています。55度の熱湯は2秒しか耐えられない。23度の水に1分間手を浸して、その後挑戦すると4秒になった。はじめ手を入れた時は甚だ低温に感じた。0度の冷水に30秒手を浸した後では、熱さを感じず、6秒間耐えることができた。エーテルを手に散布した後は5秒耐えた。ワセリンは少しも効かない。40度の湯から、55度のものに手を移せば、普通よりも高温を感じた。森田先生は先入観で物事を決めつけることをひどくきらっています。どこまでも納得できるまで事実を確かめるという一貫した姿勢である。そうした極めつけは大正13年9月1日に起きた関東大震災の記録であろう。自分で足を運び、震災の生々しい記録はもちろんのこと、その後の流言飛語がどのようにして生まれ拡がっていったのかという観察と分析はものすごいものがあります。森田全集第7巻の309ページから341にかけてこの詳細が紹介されています。我々は圧倒的な事実の前にただ唖然とするばかりです。
2013.01.14
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森田先生はよく事実を観察し、時には自分で実際に実験をしてみたりしました。事実を述べるだけで、だからこうしなければいけない。こうするべきだなどということは書かれていません。そこにはただ圧倒的な事実の集積があるだけです。熊本第五高等学校二年級のこと。ある日学校から帰って、新聞をみると、市内の某所で、時々幽霊がでるということが、こまごまと書かれてある。私は早速幽霊探検を思い立った。友人など同行すれば、幽霊も出にくいだろうと思い、一人で出かけることにした。日暮れ前に明るいときに下見をした。そして理髪屋に行き理髪屋のおかみさんに噂話を聞き出した。理髪のおかみさんは、その家の病身の嫁が、姑に虐待された事、嫁は終に死に、家には不運がつづき、家は売ることになったことなど、よく話してくれた。最後に「それは幽霊も出る筈ですよ。出なくちゃなりませんよ」と結んだ。夜になった。空は半月の宵月夜で、薄明かりに、足元も危ぶみながら、その屋敷を一巡し、さらに井戸をのぞきこみ、便所を開き、物置の内を伸びあがり見たりした。その間どうか幽霊がでてくれればよいがと思ったり、一方には、自分の心からのまぼろしを起こさないようにと、丹田に力を入れ、身を整えゆっくりと歩いた。念のため、しばらくたたずんで待ったけれども、幸いにして幽霊は出てこなかった。私は安心して、胸をなでおろした。帰り道はさみしい暗い小道である。後ろから幽霊が冷たい手を首筋に当てられるようなことがあっても、決して驚いたりしないように、耳も目も、全身の注意は、後ろの方に張りきっていながら、幽霊に我が卑怯の心をみすかされないようにと、決して後ろを振り向かずに、しづしづと歩みを運んだ。町明かりがほのかにみえると、力が抜けて、勢いすさまじく、町の中に駆け込んだのである。
2013.01.14
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お寺の住職さんの話です。ある日サラリーマンの方が、会社の仕事で出向先にバスで向かっていたそうです。そのバスはぎゅうぎゅう詰めだったそうです。中の空気はすごい熱気で最悪の状態で、しかもバスの奥の方で赤ちゃんがギャアギャア泣いていたそうです。彼はなんでこんなバスに乗り合わせたのだろうと、自分の運の悪さを嘆いたそうです。すると赤ちゃんの泣き声がだんだんと大きくなりました。不快感も限界だと思っていたら、赤ちゃんを抱いたお母さんが人の中を近づいていることに気がつきました。お母さんはバスを降りようとしていたのです。彼は内心やれやれよかったと思いました。ここまでは、誰でも不快な気持ちの一つがなくなるのでうれしく思うでしょう。でも事態は予想外の方向に展開してきました。バス停でお母さんがバス停でバスを降りようとした時、運転手さんがお母さんに聞かれたそうです。「どこまで行きたいんですか。」するとお母さんは、「大学病院まで行きたいんですが、この子が泣いてみんなに迷惑をかけるので、ここで降りて歩こうと思います。」と答えました。さらに運転手さんは「赤ちゃん病気なんですか。」と聞くと「熱があってしんどいようなんです。風邪をひいたのだと思います。」とお母さんは答えます。すると運転手さんはマイクを持ってみんなに言いました。「ここに風邪をひいて熱のある赤ちゃんとお母さんがいます。みんなに迷惑になるのでここで降りて歩こうとしています。大学病院まで停留所はあと3つです。みなさん我慢していただけませんか。」一瞬乗客はシーンとなったそうです。その後何人かの人が拍手をしました。そしてその拍手はバス全体に響く大拍手になりました。お母さんは赤ちゃんを抱いたまま泣き始めました。彼も目頭が熱くなったそうです。そして「自分は素晴らしいバスに乗れてよかった」と思ったそうです。その赤ちゃんが泣いても、人の熱気でムッとしても、むしろそれらが有り難く感じられたそうです。私はこの話を聞いて、赤ちゃんの泣いている状況を運転手さんがみんなに話し、みんなが状況が分かり、その事実を共有化できたのでこんな素晴らしい体験につながったのだと思います。この事実を掴めなかったら、不快感がなくなって一件落着ということになっていたでしょう。私たちは事実をよくみない、分かろうとしない、先入観で事実を歪曲してしまいがちです。森田でいう十分に事実をつかもうとする態度は、このような素晴らしい体験ができるのだということを分かっていただきたいと思います。
2013.01.14
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森田先生は家庭的にも恵まれない人であったが、森田先生の人生は病気との闘いの連続だった。年譜をみるとこんな状態である。18歳 脚気20歳 腸チフス 死の恐怖に直面する23歳 坐骨神経症 25歳 神経衰弱兼脚気29歳 肺結核37歳 赤痢46歳 反復性大腸炎 死の恐怖に直面する47歳 老人性の咳50歳 肺結核 血痰52歳 肋膜炎53歳 富士登山の時 嘔吐、呼吸困難、下痢57歳 喘息で重症63歳 赤痢64歳 肺炎で死去森田先生は心臓神経症でした。15歳 心臓が悪いと高知病院に通院しています。心臓神経症 パニック障害発症 適応不安です。秀才たちの集まったその学校で勉学についてゆけるのか、父の期待に沿えるのか、失望させるのではないか、その不安を疾病恐怖(病気になることで困難に直面することを避けること。)という形で回避したのかもしれない。事実中学時代成績不良で2回落第している。25歳 東京帝大 上京していた母の前で心臓神経症発症している。 大学時代に何回か発作を起こす しかし大学卒業後は発作は経験しなくなった。
2013.01.13
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これは言葉からして分からないという人が多いと思います。2001年生活の発見会で始められ、すでに十数回開催されている。全8回、週一回で2カ月にわたって行われる。ただ最近は1泊2日の体験版も開催されている。私はかろうじて1泊2日の研修を受けました。だからこれは「かくあるべし」を小さくするのに有効であるという確信はありません。ただ2カ月にわたって研修を受けた人は、確かに生活が変化してきているようですので簡単に説明してみます。森田療法の3つの概念「ものそのものになる、見つめよ」「あるがままと自覚」「純な心」をテーマに具体的に体験を話す。聴くということに徹し、反論したり、正解は求めない。ねらいとしては、人の心に湧いてくる感じ、感情は、自然なものであり、それに価値判断をするのは無意味である。自分が批判し、排除しようとしている「感じ」「感情」が批判の対象ではないということを、参加者全員で感じあい、認め合うというワークである。私の以前の体験では、たとえば、赤ちゃんをマンションのベランダで抱っこしていた時、ふと我が孫である赤ちゃんを外に放り投げたらどうなるだろうという感情が起きた。とっさに私はなんと恐ろしいことを考えたのだろう。ひょっとすると本当にほうり投げるかもしれない。私はなんと恐ろしい人間だろうと自分が信じられなくなった。そしてあまりの体験に身震いが止まらなかった。すぐに家の中に入り孫から離れた。そんな話をしても、それに対して誰もそんなことを考えてはダメだとかは言わない。インストラクターがそんな感情が湧いて来たのですね。つらい感情ですねと認めてくれた。他の人もそんな体験談をいろいろと話されました。中には泣きながら話す人もいて、私はもらい泣きをしてしまいました。それらをじっと聞いていると、どんな感情でも感じるだけならいいのだと自然に納得できるようになりました。こんな体験を数多く続けると、どんなに不安、恐怖、不快な感情でもまずは、その感情を十分に味わう。認める。受け入れるということができるようになるのではないかと思いました。こうした学習は「かくあるべし」を少なくするためには必要だなと感じた次第です。
2013.01.13
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森田先生は治っていく過程を小学校、中学校、大学卒業程度に分けて説明されています。小学校卒業 気分の悪いままこらえて働くことができる。症状はあるがままに受け入れてなすべきをなす。なすべきをなすに重点が置かれている。靴磨き、風呂の掃除、部屋の掃除、整理整頓、布団あげなど。現実の生活はなんとか回りだすが、依然として症状そのものはとれない。自分の核の部分で違和感を感じたまま。人との間に距離感を感じる。劣等感にとらわれる。自分自身に自信が持てない。いつも何かが気になる。自己受容ができない。それはけがをしたときに出血を止めただけであり、本格的な治療になっていないからである。思想の矛盾に陥ったまま。中学卒業 事実から逃げたり、ごまかしたりしないで事実をそのままに認めることができる。このように「事実唯真」の動かすべからざることを知れば、いまさらいやなものを朗らかにしたり、無常を恒常のものに見替えたり、相対を絶対にしたりする不可能な精神葛藤が無くなるから、ただそれだけで非常に安楽である。自然にわき起こってくる感情は意志の力でコントロールすることはできない。それは自然現象と同じ。事実から逃げたり、ねじまげないでそれをそのまま認めなければならない。事実を素直に認めることは簡単なようで難しい。ここを超えるということが最重要課題となります。交通事故で人をはねた。しまった。どうしよう。これは純な心である。ふつうは被害者救済。警察への連絡。二念、三念がすぐに顔を出す。被害者の家族に何を言われるかわからい、新聞やテレビに出るかもしれない。そうなれば会社を首になり、自分の家族が路頭に迷う。警察の取り調べ、交通刑務所などのことが頭をかけめぐる。そうしたことはなんとか避けなければならい。つまり事実を素直に認めることができずにその場から逃げよう、かくそうということにもなる。その場は少し楽になってもいつ捕まるか生きた心地はしない。最後にひき逃げ犯として逮捕されたときはどうすることもできなくなっている。仕事でミスをした。 見つかると人に能力のない奴だと馬鹿にされる。 その事実は認められない 逃げる。伝票操作をする とらわれる ミスが発覚する 大きく信頼を失う。大学卒業 この善し悪しとか苦楽とかいう事は、事実と言葉との間に非常な相違がある。この苦楽の評価の拘泥を超越して、ただ現実における、我々の「生命の躍動」そのものになりきって行く事がそれが大学卒業程度のものであろうか。比較対象のない世界だと思います。自然と同化し、なりきった世界。「かくあるべし」小さくなった世界。台風、地震、大雨、雷など自然現象はよいとか悪いとか思わない。それをあるがままに受け入れている。受け入れがたい感情も同じようによいとか悪いとか、苦しいとか楽しいとか、思うとか思わないとか、正しいとか間違いとか、気分がよいとか悪いとかを超越して、神経質の性格を持ったまま、境遇に服従して、精一杯生きてゆく。そういう世界かなと思います。当面我々は、小学校、中学校卒業を目指したいものです。
2013.01.13
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生の欲望の発揮にあたっては集談会参加者からの情報、趣味や行動に触発されて自分が変化していく側面があります。以下を参考にして自分の参加している集談会でもアレンジしてみてください。新しい森田学習プログラム「生活森田、応用森田」毎集談会で15分程度事例発表や話し合い等を行いながら進めてゆく。テーマは以下の項目です。これは森田先生が生活指針として何度も指導されていたことです。1.好奇心そのままになんにでも手を出す。遊びや芸事の奨励。 趣味や習い事の披露や紹介。健康、特技、旅行、お得な情報の紹介。2.常に緊張感を持って生活すること。実践課題のストックと取り組み内容の発表。3.事実をよく観察すること。たとえばみんなで絵を描く体験。川柳、ユーモア小話作り。4.事実を具体的に詳しく話すこと。たとえばテレビドラマ、気に入った映画をみんなによくわかるように説明してみる。5.不安、不快感、恐怖、怒り、嫌悪感などに対して取り除こうとやりくりしたり逃げたりしないこと。そのまま受容すること。事例研究をする。6.常に感じから出発せよ。理屈や「かくあるべし」で感じを押さえつけない。事例研究。7.物の性を尽くせ。自分、他人、持ち物、お金など最大限に活かす工夫例の発表。8.生の欲望にのって、向上発展努力している体験談など。
2013.01.13
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森田先生は精神拮抗作用とバランスについてしばしばコメントされています。免疫学の権威である安保徹医師が、免疫をつかさどる白血球のバランスが崩れることによって、ガンをはじめとするほとんどの病気は発生するのだといわれています。白血球の95パーセントは、顆粒球とリンパ球と呼ばれる細胞からできているそうです。そして顆粒球54%から60%、リンパ球35%から41%の比率になっているときバランス的に安定しており、病気にならず健康に暮らしてゆけるそうです。ガン細胞は健康な人でも毎日数千単位で作られているそうです。これを処理しているのはリンパ球です。この微妙なバランスを支えているのは自律神経ということです。自律神経にはご存知のように、交感神経と副交感神経があります。自律神経がどのように白血球の調整をしているのか。交感神経が優位になると、顆粒球が増えて働きが活発になります。副交感神経が優位になると、リンパ球が増えて働きが活発になります。自律神経は私たちの意志とは無関係にコントロールされているのですが、実はストレスの影響を受けやすいという特徴があります。ストレスが多いと交感神経優位になります。人間関係や争い、気候変動、自然災害などのストレスなどにさらされると、顆粒球の割合が増えて、リンパ球の割合が減ってきます。ガンで外科的手術を受けると、途端にリンパ球が減少してきます。がんが再発した後亡くなる人が多いというのは、ガンを攻撃するリンパ球が少なくなっているということが原因の一つです。だから病気にならないために過度のストレスのないバランスのとれた生活を心がけることです。人間の寿命は125歳といわれていますから、それに向かうためには自然に沿った生き方が大事になります。安保徹先生は一般人分かりやすく免疫の話を本にされています。森田先生は筋肉の動きや宇宙の営みから調和とかバランスを論じられていますが、世の中の出来事を見てるとよくバランスの取れているものだなと思います。
2013.01.13
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大阪の市立高校で、バスケットボール部の顧問の教師から体罰を受けていた男子生徒が自殺した問題で、顧問が大阪市教育委員会の調査に対し、「強い部にするためには体罰は必要で、それによって生徒をいい方向に向かわせるという実感があった」などと話していた。この先生はこの高校のバスケットボール部を強くしたいという気持ちを強く持っていました。それに向けて生徒の力を把握して、少しずつ強くなるように努力を続ければよかったのですが、ある時点からそうした地道な生徒指導の熱意が「かくあるべし」にすり替わっていったのではないか。うちの学校は府内の強豪校である。変なプライドがあります。これは自分の指導で作ったものである。変なおごりがあります。これからも常に勝ち続けなければならない。○○しなければならないという「かくあるべし」があります。学校という閉鎖社会の中で、先生という権力を利用して独裁者のように「かくあるべし」路線で君臨してきました。そこで被害になったのは生徒です。「かくあるべし」というのは、「生の欲望」の発揮の手を休めたときに突然として問題が噴出するものです。高い完全主義と理想主義は、現実の中で、技術が未熟、やる気が見られない、ミスをした、指導通りの事をしないという事態に遭遇するととても大きな葛藤を生み出します。そしてはたから見ていると常識とは思えない異常な行動をとるようになります。その葛藤を取り去り不快感を払拭しようということは、神経症で苦しむ人が不安、恐怖を取り去ろうとするのと同じことです。この先生には、森田的観点から、「かくあるべし」教育は、自分も苦しく追い込みますし、他者(生徒)も巻き添えにして二重の苦しみを引き起こすのだということを伝えたいです。森田理論学習をしていると絵にかいたような「かくあるべし」の事例です。
2013.01.13
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