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私の住んでいる所では時々「紙芝居祭り」がある。いろんなところから、多くの人が集まってくる。同好の仲間は多いのである。地域の民話やアンパンマンなどの漫画、広島カープの苦難の歴史などを漫画化している。今は音響効果も入れてとても派手になってきている。滑舌は無声映画の弁士並みである。紙芝居も絵も綺麗だし、話の組み立てもとてもよくできている。私は時々「紙芝居祭り」に呼ばれて、 日本昔話や広島カープの応援歌をアルトサックスで演奏する。あるいは、子供向けにアンパンマンのマーチや昔懐かしい金色夜叉の曲を演奏したりすることもある。広島カープの紙芝居は、資金難で樽募金をした苦難の歴史などを面白おかしく紹介している。悲願の初優勝を果たした時の紙芝居は見ている人たちの涙を誘う。「紙芝居祭り」に参加していて思ったのだが、「森田療法誕生秘話」「人間森田正馬の一生」などを紙芝居にして、心の健康セミナーなどで上演するというのはどうだろうか。一般の人に森田に興味を持ってもらうための有効なツールになるかもしれない。あるいはYouTubeにアップする。森田療法の認知度は高まるのではないだろうか。そのためには、紙芝居を15枚から20枚ぐらい作らないといけない。専門家に聞いてみたところ、紙芝居の絵は大きさにもよるが、最低でも1枚1万円だそうだ。それを虫のいい話だが、格安で作ってくれる人はいないだろうか。そのためにはまずはストーリーを考えなくてはならない。先生のエピソードを森田理論と絡めて紹介するのも面白そうだ。森田先生の一生を紹介する紙芝居はどんなストーリーがいよいだろうか。次のようなエピソードはぜひ紹介したいものだ。・近くの寺で地獄・極楽の絵画を見てから、死の恐怖を意識して悪夢を見るようになった。・ 13歳の頃、頭痛で悩まされた。 15歳の時、心臓が悪いと病院に通院していた。のちに不安神経症と分かった。・ 18歳の時、脚気にかかる。 20歳の時、腸チフスにかかる。また、心悸亢進発作を起こしている。・ 23歳の時、坐骨神経痛のため、鍼灸、温泉転地治療法をしたが治らなかった。後に神経性のものであったと分かった。・ 25歳の時、東京帝国大学の医学部に入学した。この年、大学の医師の診察を受け、 「神経衰弱兼脚気」の診察を受け、治療を続けたが一向に良くならなかった。田舎からの仕送りが途絶え、やぶれかぶれになって進級試験に取り組んだところ、進級できたばかりか症状そのものもよくなった。この体験が森田療法誕生のきっかけとなった。・ 29歳の時医師免許を取得している。この年に右肺尖に硬結が発見された。これが後年、彼の命を奪う肺結核の兆候であった。・ 1919年45歳の時、巣鴨病院永松看護長が神経衰弱で悩んでいたの自宅に引き取り軽快させた。この年は森田療法確立の年とされている。これ以降、神経症患者を自宅に入院させ治療するようになった。・ 46歳の時、血便があり、発熱が続き、しばらくお粥しか食べられなかった。痩せて本人も家族も死を予感した。・ 50歳の時、血痰を見た。肺結核が進行していた。・ 51歳の時喀血。肺結核静養の為、高知に帰郷している。・ 52歳の時、 肋膜炎で2か月間病気療養している。・ 56歳の時、一人息子の正一郎君が肺結核で死亡。・ 57歳の時、喘息が悪化する。階段を登ることもできなくなる。・ 61歳の時、妻久亥さん脳溢血で死亡。・ 63歳の時、赤痢を発症。・ 64歳の時、母亀女死亡。森田正馬先生肺炎にて逝去。病気ばかりではなく、入院患者とのやり取りのほうが面白いかもしれない。どなたか絵の上手な人はおられないだろうか。
2018.01.31
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形外会で水谷先生が次のように発言されている。この前の形外会の余興について、会員の1人が、 「余興も面白いけれども、先生のお話を伺うことが少ないのは残念だ」と言われた。森田先生にこの事をお話したところが、先生は、 「患者さんが話を聞いただけで、神経症を治そうとするのは、あまりおもしろくない。それに実行を重んじなくてはいけない。この余興でも、私と一緒になって、天真爛漫に遊び歌うことによって、多くの赤面恐怖や、強迫観念が治るのである」と言われました。 (森田全集第5巻308ページより引用)形外会は、普通は午後から始められています。時には3時ごろから始められていることもある。そして夕方になると食事が出ることがあった。また余興の時間を設けてみんなで楽しんでおられた。落語家を呼んで落語を聞く。自分たちで寸劇をする。ゲームをする。歌を歌う。踊りを踊る。踊る時の浴衣はみんなで踊るために揃えの浴衣をあつらえていたと言われている。これらはすべて詳しく森田全集第5巻に紹介されている。森田先生はこのような余興についてどのような見識を持っておられたのだろうか。「遊戯競技の類は、注意の活動を盛んにし、努力、勇気を養い、社交的に規律、調和、妥協、共同心、一方には独立心を要請するものであるから、これを奨励する」と言われていた。「盆踊りでも、あっさりと和して、一緒に踊ればよいのである。強いて自分が高くとまり、白眼視して・すましているにも及ばぬことである。同じでなくとも、和するところに社会的の平和安寧があるのである」 (森田全集第5巻413より引用)森田先生自身も、衣装を整え 「土佐木遣り節」を歌ったり、隠し芸を演じられている。森田先生はこのような余興の時間を作ってみんなで楽しむことが神経症の治療に大いに役立っていることを様々な試行錯誤を重ねた上で会得されていたのである。私は森田全集第5巻の中で紹介されているゲームなどを実際に集談会でやったことがある。今でも使えるようなゲームがふんだんにあった。歌では替え歌を作って何かイベントがあるとみんなで歌っている。青い山脈の替え歌で、 「森田とともに」などである。昨年はカラオケの上手な人に誘われて、月1回程度はカラオケに行くようになった。だんだん歌えるようになってきた。とても楽しみだ。また、老人ホームの慰問活動で使えるような手品を4種類覚えた。皿回しの芸も上手にできるようになった。私の声は田中角栄に似ていると言う人がいたので、田中角栄の物真似もできるようになった。アルトサックスの演奏、どじょうすくい、獅子舞、浪曲奇術はセミプロ級になってしまった。「一人一芸」に意識や注意を向けていると、神経症的な悩みは一時的には解消する。そこら中に、人生を楽しむ面白いことがいっぱい転がっていることに気がついた。その方面から森田理論に迫っていっても、神経症を克服し、素晴らしい人生観を確立できるものだと考えるようになった。
2018.01.30
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森田先生のお話です。神経質には「全治した」と言っても「本当に治ったのだろうか、また再発することはないか」という風に心配する。10の症状が、8つよくなっても、残りの2つをいい立てて、治らないと主張し、決してその治った方を喜ぶという事しないのがその特徴である。これが着眼点が変わって、心機一転の状態になると、ひとつの症状がよくなれば、その一つを喜び、 2つ治れば、その2つを喜ぶと言う風になって、日ならずして全治するようになるのである。(森田全集第5巻 380ページより引用)これは森田理論の修養が進んでいないと、森田先生の言われてる意味がよく分からないのではないかと思う。不安と格闘しなくなり、目の前の家事や仕事に注意や意識が向くようになれば、第一段階の神経症か治るという目的は達成されます。これは森田先生によると、小学校卒業程度の治り方だと言われています。普通はそこで森田理論はよくわかったと判断して、森田から離れていってしまう人が後をたちません。これはガンで言えば、主な腫瘍を取り除いて「治った、治った」と喜んでいるようなものです。しかし、ガンになる様な人は、転移して他の箇所で、再発という不安があります。神経症で言えば、 、実践や行動ができるようになっても、神経質性格は変わっていないわけですから、生活していても何かに怯えて、重苦しい気分は払拭できていない場合があります。実際に行動できるようになった人は、次はこの部分に焦点をあてて修養していく必要があるのです。森田では「かくあるべし」という考え方を改めて、事実にしっかりと足をついた生き方を身につける必要があると言っています。森田先生はこれを「思想の矛盾の打破」として説明されています。そういう点から考えてみると、10の症状のうち8つがよくなっても、治らない2つのことにこだわっている人は、 「かくあるべし」的思考態度が依然として続いているのです。そういう態度は、現実や現状を否定しているのです。あるいは、自分や他人をいつも否定しているのです。現実を踏まえて、そこから症状克服に取り組もうという態度ではありません。上から下目線で自分の症状を見つめているのです。全部すっきりと治っていない自分を否定しているのです。発想がもともと間違っているわけですから、神経症が完治するということはありません。神経症がひとつよくなれば、その一つを喜び、 2つよくなれば、その2つを喜ぶという人は、現実や現状を踏まえて、神経症克服に取り組んでいる人です。そういう人は下から少し上に視線を向けて、一歩一歩階段を上っているような人です。こういう人は自己否定や他人否定に陥ることはありません。事実唯真の立場に立っていますので、どんなに大きな問題を抱えていても、常に事実に寄り添って生活できています。そこには葛藤や苦しみはありません。この思想の矛盾の打破は、森田先生によると、中学卒業程度(旧制中学ですから、今で言うと、高校卒業程度です)であると言われています。大変大きなハードルではありますが、森田理論学習を深めることによって、達成できることです。神経質性格を持ち、神経症でのたうち回った経験を持っている人は、ぜひとも中学卒業程度の学習は続けていただきたいと思っています。
2018.01.29
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森田先生のお話です。神経質は早いのは、 16、 17歳から発病して、 20、 24歳くらいで、煩悶を切り抜けることができたら、1番都合がよいかもしれぬ。白隠禅師なども、神経衰弱の最も激しかった時は、 20歳を少し過ぎた時でもあったろうか。お釈迦様は、 16 、 17歳から煩悶し、 29歳で山に入り、 35歳で切り抜けたのであります。30歳あまりで発病するのは、神経質が足りない。また発病して、 20年も30年も経って、治らない人は、もはや治したいという気力がなくなってしまう。将来の希望がなくなり、無理な骨折りをするよりも、このままに、どうかこうか、日を暮らした方がよい、という気持ちになってしまう。これに関連して、井上常七さんは、せいぜい3年くらいでよいと思う。あまり短いのもまたいけないと言われている。(森田全集第五巻 183頁より引用)30歳あまりで発病するのはいけないと言われているが、その当時の状況を加味しないといけないと思う。当時入院森田療法を受けている人は、ほとんどの人が10代後半から20代の人であった。30代以上で入院森田療法に取り組む人は少なかったのである。当時の平均寿命も60歳までであった。現代は平均寿命は90歳位までに伸びており、そういう年齢の縛りはないと思う。インターネットなどで探して、森田理論は価値がありそうだと思った時が学習を始まる時である。その際、3年くらいの期間で短期集中型で取り組むことは大いにお勧めしたい。時代の変化が激しい時代に、森田理論が理解できて生活に応用でき、人生の煩悶がとれてくるのに10年以上もかかるようだと、新たに学習する人がいなくなると思う。私は神経質者にとって、森田理論が素晴らしい内容を含んでいると感じ始めたのは、20年も過ぎてからであった。それまではなんども森田理論学習から手を引こうとしていた。でも生活の発見会に所属し、集談会で色々世話役を持っていたため、手を引くことができなかったのである。特に集談会の参加者が5人未満のときは、集談会に参加する意義を見失っていた。理論学習もマンネリ化しておりおもしろくない。唯一楽しかったのは会が終わった後の飲み会であった。イヤイヤ世話役を続けていたことが、その後大きく花開き、実を結ぶとはその当時は考えもしなかった。その後、一つの集談会活動から、多くの集談会活動に関わるようになった。派遣講師で他の集談会に参加したり、支部の活動に参加したり、全国レベルの活動に参加し始めたのである。すると、生活の発見会は今まで見えてこなかったが、素晴らしい人材の宝庫であることに気がついた。満天の夜空にきら星のように輝く人材がそこらじゅうに存在しておられたのである。こんな経験は今までなかった。普段は口もきけないような人たちでも、集談会活動の中では自由自在に交流できた。これは岡田尊司氏が言われている「心の完全基地」作りにあたるものであると思う。「心の安全基地」を持っていると、少々の荒波にでもなんとか立ち向かっていける。その後、私は森田理論の学習の仕方に問題があると気がついた。これを改善して、森田理論学習はすればするほど面白いと言えるものを作りたかった。そして自分なりに「森田理論の全体像」の理論化に取り組み始めた。これも7年ぐらい試行錯誤を繰り返したが、最終的には納得ができるものが出来上がった。その内容についてはこのブログで何度も投稿してきた。これこそ私が求めていた森田理論の理論化だった。そのプログラムに沿って学習をしていくと、約3年間という期間で「森田という学校」を卒業できることがわかった。あらゆる機会をとらえて、声を大にして説明をしているが、まだまだ認知度が低い。でもこれはとても役に立つという考え方が変わることがないので、自分のライフワークとしてか取り組みたいと思っているのである。今や私のように、 20年も失意のうちに森田理論にしがみついている時代ではなくなった。約3年間という期間で森田理論の真髄をつかみ、後は森田理論を実際の生活場面で縦横無尽に活用していけばよいのである。嘘だと思われる人が多いと思うが、これは紛れもない真実なのだ。そうなればあなたの人生は前途洋々たるものになるはずである。そのための足がかりとなる投稿をこれからも続けてゆきたい。
2018.01.28
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神経症を克服した人は、次の2つの点で、以前とは大きく変化していると感じている。 1つ目は、何かにつけて好奇心旺盛になっているということです。 例えば食品スーパーに行ってもいろんな商品が気になる。 ダイソーに行ってもいろんな商品を見て回るのが楽しみになる。 本屋に行ってもいろんなジャンルの本を見て回る。 とにかく注意や意識が外向きになって、興味や関心はいろんな方面に向いていくようになる。 何かにつけてそういう傾向が強くなるので、好奇心が強くない人と行動していると、相手はイライラするようである。 いろんな方面に興味や関心が出てくると気づきや発見が格段に増えてくる。 すると、欲望が発生してくる。創意工夫が色々と次から次へと生まれてくる。 ひとつの悩みに翻弄されて精神交互作用によって神経症固着の途に突き進むということは回避することができる。 もう一つは、今まで相手に対して自分の「かくあるべし」から口走っていた言葉が少なくなる。相手に自分の考えを押し付けなくなる。相手を自分の意のままにコントロールしようという発言はなくなる。 批判、説教、命令、指示、禁止、叱責、怒りなどの発言が少なくなる。 そして目の前の問題ある事実を正確に述べるだけに留まるようになる。 それ以上の自分の「かくあるべし」という気持ちは付け加えなくなる。 自分が言った事実に対して、それを相手がどう受け取ろうがそれは相手の自由であるという気持ちになる。相手は事実を正確に言われ、自分を意のままにコントロールしようとしていないことが分かると、自分はその事実にどう向き合おうかと考えるようになる。 たとえば、妻が焼き魚を真っ黒に焦がしてしまったとする。夫婦の力関係で夫が強い場合は、「お前はなんて料理が下手なのだ。こんなもの食べられるわけがないだろう」と叱り飛ばすだろうと思います。妻は立場がありません。夫婦の人間関係は一挙に悪くなります。これは「かくあるべし」で相手を意のままにコントロールしようとしているのです。森田の事実本位の態度が身についてくると、「見事に焦げちゃったね」と目にした事実だけを口にするだけになります。それ以上の自分の気持ちは何も付け加えません。この場合は夫と妻が支配、被支配の関係にはなりません。事実の指摘を受けて、妻は「ごめん。今度は気をつけるから許して」あるいは「まだあるから焼き直そうか」などの言葉が出てくるようになります。 このような関係は、縦の支配・被支配の人間関係から、お互いを尊重し合う温かい横の人間関係に変化してきたと言えると思います。
2018.01.27
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森田先生が朝寝について語っておられる。「もっと心持ち良く、寝ていたい」ということと、 「 すぼらではならぬ、起きなくてはいけない」と言うことの間に、葛藤がある間は、なかなか起きられない。「思い切って、床を蹴って起きなくてはいけない」とか、なんとか都合の良いことばかりを考えながら、ちっとも床を蹴らない。いつか佐藤君が、 「朝寝は、心の内に葛藤のある間は、なかなか起きられないが、考えが尽きた時にふっと起きるものである」と言われたことがあるが、本当にその通りである。その葛藤が尽きた時に、欲望の衝動が発動してくるとすぐに起きられる。例えば、腹が減ったとか、池の鯉はどうなっただろうかとか、講義のことを忘れていたとか、様々なことが頭に浮かんできて、それが衝動になって、初めて床を蹴って起きるようになるのである。我々の心は、事に触れ、物に接して、何かにつけて、絶えず心が発動するものである。朝寝ている時にも、池の鯉のはねるかすかな音にも、昨日入れた鯉はどうであろうか、机の上の一輪挿しが、目に留まっては、昨日、外へサボテンの鉢を置き忘れていたとか言うことを思い出して、些細な事でも、それが床を蹴って起きるという衝動になるのである。(森田全集第5巻 360ページ要旨引用)私は毎朝6時40分に目覚まし時計をセットしている。目覚ましが鳴ると、 「ああ、もう起きる時間か。もう少し寝ていたい」という気持ちになる。でもこのブログの原稿作りのことが頭に浮かび、すぐに跳ね起きる。 6時40分から約20分の間で、すでに予約していた投稿がアップされているので、誤字脱字がないかチェックする。さらに明日投稿する予約原稿の事前チェックをして、問題があれば修正をする。次に7時から8時までの1時間の間で、投稿原稿を1本作る。もしそれが未完成で終われば、夜完成させる。投稿原稿を作るにあたっては、前日までに、テーマだけは決めている。それを音声入力というツールを使って仕上げているのである。私の場合、朝は頭脳明晰で、しかも緊張感があるので作業がはかどりやすい。8時になると、しばてん踊りとどじょう掬い踊りのけいこをしている。約7分。その後、身なりを整えて8時30分には職場に向けて家を出る。朝の食事はニンジンリンゴジュース1杯で済ませている。以前ブログをやってないときのことを考えると、「起きなければいけない」という気持ちと、「もう少し寝ていたい」という気持ちが頭の中で渦巻いていた。いつももう少し寝ていたいという気持ちが勝り朝寝をすることが多かった。今日は休みという場合は、 9時ぐらいまで寝て後で後悔することが多かった。朝寝の習慣をやめたいという人は、朝起きてからしなければならないこと頭に思い描いて寝ることである。もう少し寝ていたいと思っても、その事がきっかけになり、床を蹴って飛び起きることができる。森田先生は朝寝を克服するためには、欲望の衝動が発動があることが肝心であると言われている。そのためには、常日頃から、次の日にやらなくてはならないこと、やってみたいことのストックをたくさん紙に書くなどして持っていると、いつまでも朝寝をすると言う事はなくなると思われる。毎日決まった時間に起床するということは、生活が規則正しくなり、生活にリズムがついてくることである。リズムが狂ってしまうと、余計なことばかり考えるようになり、神経質性格を持った人は、神経症に陥りやすくなるのではなかろうか。
2018.01.26
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水谷先生が形外会で発言されたことです。今日、森田先生はお庭でバラの木の葉に 、小さい虫の糞がたくさんあるのを指されて、これを見つけると、虫のいることが分かるといわれる。なるほど、よく見ると、その上のほうの葉に、小さい青虫がいっぱいたかっている。虫は保護色のために、容易に見つける事はできないが、糞は黒いからすぐに見つかるのである。先生はこのとき患者たちに説明された。先生から、こんな事を指摘されて、たちまち「ハハァ、なるほど・面白いことだ」と感じる人は、上等で、知識は「日に新たに、また日々に新たに」進歩するようになる。あるいは、一方には、 「今日はひとつよい事を覚えた。書きつけておかなくてはならない」というのは、下等であって、習ったことより、他の事は、何も出来ない人で、10を聞いて1しか働きのない人である。また、他の人は「自分は、こんなことにも気がつかない。もっと注意を働かするようにしなければならぬ」 と言うのが、最下等で「悪知」であり、心は内向的で自分のことばかりを考えて、少しも物を見ることができない。せっかく教えられたバラの虫取りに、手を出すこともできず、外界から入ってくる知識の門戸が、まったく閉鎖されてしまうというようなお話があった。 (森田全集第5巻 387頁より引用)実に面白い話である。水谷先生がこういう話を聞き逃さなかったというのもすごいところだ。森田先生が最下等と言われる人は、注意や意識が外向きにならずに、常に内向きである。しかも反省心があるというのではなく、自分自身を先入観や決めつけによって、絶えず否定的に取り扱っている。こういう人は、ちょっとした不安や恐怖が発生すると、すぐに精神交互作用の悪循環にはまり、神経症を作り出してしまう。こういう人こそ森田理論学習が必要な人である。神経症とは何か、神経症の発症のメカニズム、神経質性格の特徴、行動の原則、認識の誤りなどの基礎的学習を始めることが大切だ。そしてそれらを踏まえて実践することである。次に下等と言われる人はどうすればよいのか。この人の特徴は、応用力が効かないということである。森田先生から指示されたことに手をつけるけれども、それは自発的に取り組んでいることではない。どちらかというと、 「おつかい根性」的な取り組み方である。実践や行動をするという面では、最下等の人と比べると数段上である。しかし、このような行動を続けるという事は、ハツカネズミが糸車を回すようなものである。致命的な問題は、どんなに行動力がついたとしても、興味や関心、気づきや発見が生まれてこないことである。森田では目の前のことに取り組むことによって、感情が発生し、動き出すことを重視している。それは、一心不乱になって取り組んでいないことである。ものそのものになりきっていない。行動することによって、絶えず神経症の症状が改善しているかどうか点検しているようなものである。入院森田療法では、下等の人が上等の人に変身していくことを狙っているのである。上等の人になると、退院して家に帰っていくと、いろいろと手をつけなければならないことが目につくようになる。それに従って自然に体を動かすようになる。すると、体重も増え、血色がよくなって、家族が大変驚くようになるのである。森田先生の所の入院療法では、上等の人に変身した段階で退院をさせておられた。神経症の克服という面では、もう一つ「思想の矛盾の打破」に手をつけなければならない。これは少しだけハードルが高い。人生観の確立にかかわってくる部分である。これは退院後、月1回開かれていた形外会に参加することで達成できていたのではないかと考える。そうでなければ、初期の段階の神経症を克服した人が、わざわざ毎月森田先生の家に集まって勉強会をする意味はなかったのではないかと思う。価値判断なしに、現実、現状、事実にしっかりと根を張った生き方ができるようになれば本物である。
2018.01.25
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森田先生は次のように言われている。自分は偉いと思う人は、実際には偉くない人である。自分は正直者だと言う人は、実際には不正直な人である。自分は従順であると言う人は、我儘者の証拠である。親鸞聖人は、自分は悪人だと言われたが、それは善人である。事実において善人であるのである。非常に慇懃(丁寧すぎて重々しい)な人は、必ず強情で妥協の出来ない人である。嘘だと思うならよく観察してみるとよい。人に対して、非常に慇懃な人は、他の人の、どんな場合をも無頓着に、単に自分の礼儀を全うし、独善を押し通して、融通の利かぬ人である。つまり、人に思いやりがなく、強情の人である。すなわち人は、その言葉や見かけの装いによって、そのままに判断しては、間違いの多いものであるということを注意しなければならないのであります。(森田全集第5巻 245ページより引用)これは、その人が言っていることや行動の内容が、事実や実際とは違うということです。むしろあべこべになっていると言われているのです。こういうケースはそこら中にあります。自分ほど統率能力があり、信頼されている上司はいないと思っているような人が、部下から煙たがられている場合があります。自分は優秀な営業マンであると思っている人が、会社の公金を使いこんで解雇されたりする。私はいまだかって嘘を言ったことはありませんという政治家が、平気で賄賂を授受している場合がある。弊社は一流企業ですといわれているような会社が、従業員に過酷な残業を強いるブラック企業であったりする。あるいは、談合して受注し、不良品を販売して、マスコミに叩かれたりする。自分ほど能力がある人間はいないと公言している人が、実は裏で不正を働いていたりする。これらは、理想主義や完璧主義を自分の信条にしている人によく見られる。あるいは、自分の思い通りに周囲の人をコントロールしたい人にもよく見られる。さらに、人間の都合通りに自然を作り換えたりしている人にも見られる。森田理論でいうところの、強力な「かくあるべし」を持って、事実や現実を見下している人である。権力者が一般民衆を見下して嘲笑って支配しているような光景である。そういう人は、事実や現実が理想とかけ離れているのが我慢がならないのである。常に事実や現実を馬鹿にして軽視し批判や否定を繰り返しているのだ。そして今すぐにでも、問題の多い現状を、自分の考える理想状態に変革しようとしているのです。それが不可能で、神経症を作り出しているということが分かっていない。標的にされた人はたまったものではありません。存在価値を認めたり、評価、賞賛、激励などは全くないのです。拒否、無視、批判、否定、叱責、脅迫のオンパレードで、自分たちに迫ってくるのですから怖ろしくなるのです。でも「かくあるべし」的理想主義が主導権を持って、我が物顔で抑圧してくるのでなすすべがないのです。本当は事実・現状のほうが主導権を持って、「かくあるべし」を制御するようになるとよいのです。森田理論学習の進んだ人は、そのことの弊害は身にしみて感じておられることと思います。私たちは、最初にあげたような人を反面教師として、「かくあるべし」的思考をできるだけ少なくして、事実や現状にしっかりと足をついて、生活を組み立てていく方向を目指さなくてはなりません。
2018.01.24
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アメリカでは余命6か月などの不治の病にかかった場合、安楽死が認められている州があるという。確かに余命6か月ですなどと宣告されると、その気持ちも分からないではない。これは第3者がとやかく言うことではないかもしれない。でも森田理論に照らし合わせてみると、どうしても引っかかるところがある。この問題は森田先生の見解を聞いてみたいと思う。その手がかりは残されている。森田先生は何度も死と隣り合わせの大病を経験されていた。森田先生は、亡くなる前に主治医に向かって、たとえダメであっても、できる限りの手を尽くしてくれと言われていた。簡単に見放すことはしないでくれと言われていた。最後にこと切れるまでは、何度でも生き返って神経症の治療や研究を続けたいと願っておられた。喘息で息をするのが苦しいから一思いに死んでしまいたいなどということは、考えもしないことだった。この点、現在のがん治療について、「日本のガン治療の名医100人」に選ばれている倉敷のすばるクリニックの伊丹仁朗医師の話を伺った。今のがん治療は、ほとんどのがん拠点病院では、手術、抗がん剤、放射線の治療である。それ以外に30種類も治療法があるが、まったく無視されている。問題は、3つの治療法でだけで治らずに悪化した場合どうするのか。ほぼホスピスに行って安らかな死を迎えてくださいということになるそうだ。そんなことで患者が納得できるでしょうか。患者が別の治療法を試みてくださいなどと要求しても無視される。生の欲望はきっぱりと否定されるのだ。患者の立場に立って至れり尽くせりの治療は望むべくもないといわれる。伊丹医師はがん患者の組合、生きがい療法ユニオンを作って頑張っておられる。伊丹先生は難病治療の権威であると同時に、森田療法の専門医であることを付け加えておきたい。さて、森田先生は正岡子規の話をよく出される。正岡子規は結核と脊椎カリエスで7年間は寝たきりであった。最後は寝返りもできなくなった。そこでひもを体に巻いて、柱に通したひもを引っ張って体の向きを変えるというありさまだった。それでも俳句を作り続けて、創作活動を中止することはなかったという。理論物理学者のホーキング博士は、脳だけが機能しているだけで、体の自由は全く効かない。車椅子で講演される。口もきけない。顔も動かすことができない。それでも世界の宇宙科学をけん引しておられる。運命を切り開くとはこのような人のことをいうのだろう。森田的生き方の具現者であると思う。森田先生は、「死の権利」の合法化については、きっと反対されるだろう。我々人間は、どんな身体的困難な状況に陥っても、残された機能を活用して、死ぬ真際まで生の欲望を発揮して、運命を切り開いていくという宿命を負った存在である。簡単にあきらめてはならない。命のある限り、生き尽くさなければならない。つまりこの問題は、「あなたはどう人生に立ち向かうのですか」という生き方を問われているのである。皆さんはどうお考えでしょうか。
2018.01.23
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形外会である人が、次のような質問をした。自分の職業を決める場合、興味のあるものを選んだほうがよいでしょうか。あるいは、自分の才能のある方を選んだ方がよいでしょうか。これに応えて森田先生曰く。興味とか才能とかいうものは、単なる机上論であって、実際に行われるものではない。「自然に服従し、境遇に従順なれ」というやり方になる。これに反応して、その人が次のように反論された。しかし、得手・不得意は、先天的に、あるいはそうでなくても、後天的にはほとんど決定的のもので、足の筋肉の弱い人が、いくらランニングの練習をしても早くはなりません。私は語学が下手です。建築家へでも行けば、自分の才能が表われるような気がするのです。これに応えて森田先生はさらに説明をされている。このような考え方は、もっともらしく思われるけれども、実際にはそんなことはない。自分の興味とか得意とかいうものが予定されているものではない。もし自分が軽率に、これを想像したり・独断したりしては、大いなる間違いの元になり、またわがままになることが多い。興味は実行により、得意は熟練し・成功することにより、次第に後からわかってくるものである。我々の仕事なり・職業なりは周囲の境遇によるいわゆる運命によって定まることが多い。従って富裕で・自由に何でもできるような人は、いたずらに仕事に迷うことが多く、なす事もなく終わることが多い。これに反して、貧乏の人はやむをえず、境遇に従順であるよりほかに仕方がないから、ますますその才能を発揮するようになることが多い。野口英世・ 後藤新平・エジソン・ムッソリーニなど、みなその実例である。これらの人々が、自分の興味とか才能とか、何が自分に適するかといった事は、ないようである。(森田全集第5巻 341頁より引用)森田先生は職業は、周囲の境遇によって決まるのであって、頭の中で取捨選択して最適なものを選択するというやり方はよくないと言われている。親が歌舞伎役者だった場合は、自分には向かないと思っても、成り行き上、後を継がなければならない場合が多い。親の稽古などを見ているので、必然的に興味がわいてくるのだろう。普通の人は、職業に就く前にあれやこれやと悩むことが多い。森田先生に言わせると、職業の選択はその時の自分の置かれた境遇によって決まるのだから、それに素直に従っていけばよい。何に就くかで悩むよりも、実際に仕事をしてみることがより大切である。むしろ大切なのは、職業に就いてからのことである。腰掛け的な仕事ぶりではいけない。一心不乱になって運命を切り開いていくような態度で取り組んでいく必要がある。そうすれば、興味や関心が高まり、多くの経験と成功を積むことができる。何年か経って考えると、自分はこの仕事に興味や才能があったということが分かるようになるのがベターである。このようにして、自分の職業を見つけていくというのが森田のやり方である。これは職業を見つけるというだけではなく、普段の生活ぶりにも応用ができる。最初は興味や関心がなくて、イヤイヤ、仕方なく取り組まなければならない課題は多い。先に嫌な気分をなくしてから、課題に取り組むというやり方では、いつまでたっても重い腰を上げることができない。そういう時はイヤイヤ、仕方なく、ボツボツ取り組んでいくしかない。森田先生は富士山や筑波山への登山でそのことの重要性を説明されている。そのうち弾みがついて、興味や関心が出てくることがある。そして目標を達成して、自信が出てくる。そうすればしめたものである。次第に面白くなって積極的に目の前の課題に取り組んでいくことができるようになる。嫌な気分を払拭してからそのうちにと思っていた人から比べると、雲泥の差となってくるのである。どうしても興味が湧いてこない、能力的に無理という場合はその時点で考え直せばよい。
2018.01.22
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先日プロフェッショナル仕事の流儀で、卓球の石川佳純選手の番組を見た。石川選手は世界ランキング4位である。しかし、 2017年1月日本選手権で高校生の平野美宇選手に負けた。これは球がセルロイドからプラスチックに変更になったことが大きく影響していた。セルロイドは1秒間に122回転する。プラスチックは115回転である。その差はわずか7回転であるが、この差が選手生命を脅かすという。石川選手のプレースタイルは、球に回転をかけることと、強力なフォアドライブを打ち込むことだった。フォアドライブとは、球に上回転を与えて、ボールが弧を描いて急速に沈み込む打法である。 球の素材が変わり、回転数が7回転落ちたことによって、球の威力が弱くなっていったという。それまでは、相手選手は球の大きな変化をある程度見極めてから打ち返していた。ところが、球の変化が少ないために、球が落ち込む前に球をとらえて強力に撃ち返すようになったのだ。10代の力のある選手は、最初からプラスチックの球になじんでおり、回転がかからない球を、落ちる前にとらえて、素早く強力に撃ち返すという高速卓球になっているのである。石川選手は小さい頃から変化の激しいセルロイドの球になじんでいた。それで世界ランク4位にまで上りつめていたのである。そのプレースタイルを変えていくということは大変難しい。あるベテラン選手は今までの常識が通用しないといって引退を余儀なくされていた。なにしろ球の軌道が今までと全く違うので、疑心暗鬼に陥り自信がなくなったのだ。石川選手は負けず嫌いを絵にかいたような人である。東京オリンピックで中国選手に勝ってメダルをとりたいという大きな目標があった。そこで、石川選手がとった対応策は、今までのプレースタイルを変更することだった。プラスチックの球に対応した自分のプレースタイルを新たに確立することだった。つまり、今までの栄光を捨てて、 一から卓球に取り組むことだった。卓球の選手は練習方法や用具については強いこだわりを持っている。しかし、それでは勝てなくなっている。そこで今までの練習方法や用具を大きく変更していった。今まで4年間変えることのなかったラケットは、より遠いところに球を飛ばせるものに変えた。最初は卓球台を飛び出す球が多かった。それでも粘り強く取り組みなんとかものにしていた。プレースタイルでは、より強く、より素早く、より厳しいコースをねらう練習に切り替えた。つまり球に回転を加える、強力なフォアドライブを打ち込むスタイルを封印して、プレースタイルを変えた。そのために今まではあまり取り込まなかった筋力強化や俊敏性の運動等にも積極的に取り組んでいった。石川選手は、格下の選手に負けると、すぐに世代交代だとか言われるという。実際変化に対応しないと勝てない。変わることは強さになる。自分は変われると信じる。一旦栄光をつかんだ人は、それを捨てて新しい道に挑戦することは大変難しい。それなのに、石川選手は、東京オリンピックでメタルを獲得するという目標に向かって、過去の栄光を捨てて、プラスチックの球に対応できるように自分を変える道を選択した。成果は現れ始めている。今後に期待したい。森田理論でも、自分の周囲の状況をよく見て、周囲の状況の変化に対応していくということ重視している。そこには「かくあるべし」が入り込む余地はない。「種の起源」を著し、進化論で有名なダーウィンは次のように言っている。「この世に生き残るものは、最も力の強いものか。そうではない。では最も頭のいいものか。そうでもない。最後に生き残る者は、時代の変化に対応してきた生き物だ。そうした生き物が今現在生き残っているのだ」変化に対応しようとすると、いかに栄光の過去を持っていようとも、もはやそれにこだわっていてはいけない。われわれで言えば、 「かくあるべし」 にとりつかれて、現実を否定していれば、真っ先に淘汰されてしまう運命にあることを忘れてはならない。
2018.01.21
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森田先生は「自信」について次のように語られている。強い人が勝ち、弱い人が負ける、上手の人がよくできて、下手な人がうまくできない。それが事実であって、その事実そのままに見るのが、信念であり、自信であります。皆さんは、できないこともでき、強い人にも勝つように、自信というものを作りたいという野心があるのではありませんか。それは自欺であり、間違いだらけになる原因であります。「事実唯真」の私の言の反対になります。そこで、例えば高跳びの時、気後れして、やれなくなる。その時に、どうすればよいかといえば、自信とか、その他いろいろの自分の心の態度を決める、というはからいごとに迷わずに、私は「静かに自分自身を見つめよ」といいます。そうすると、自分はもう少し上達したい、ちょっとでも余計に飛びたいという欲望があるかないかを見定めることができます。もし欲望がなければ、楽なものです。気おくれも何もいらない。ただ、やめさえすればよい。しかし、また欲望の強いときには、一方にはその努力の苦心を考えると、その欲望を否定するような、 「自分はこんなことよりも、勉強しなければならない」とか、 「自分の素質には不適当だ」とかいうような考えが起こって、闘争心を鈍らせて、中止する。しかしまた、次の日には、ついついその欲望にかられて、手を出してみると言う風で、それでも辞めずに続けていさえすれば、ついには上達して、自信も出てくるようになる。それで、気の勝った人は、一途に自分の欲望を見つけて奮闘し、意志薄弱のものは、少し骨の折れるようなことには、じきに中止してしまう。神経質はまた、その中間にあって、欲望は捨てられず、一方には、自分の素質や力量を較量して、種々の迷いを起こし、それでも中止しきれないで、引きずられていくうちに、人並み以上に上達すると言う風になるのは、人間の種々の素質の模型的の成り行きであるのである。 (森田全集第五巻 606頁より引用)物事を始める前から「自信」を持っている人は誰もいません。最初は自信よりも、興味や関心があるのだと思います。できるのかできないのか取り組んでみる前には想像もできません。取り組んでみても、素質や能力の面で無理なこともある。また人がやるのを見て、簡単そうに見えても、実際に自分でやってみるととても難しいということもある。その困難な壁にぶち当たって、途中でくじけてしまうこともある。そこであきらめてしまえば、自信につながる事はない。指をくわえて見ているだけになってしまう。それでも欲望を捨てきれず、困難に打ち勝って目標に向かって努力精進した人が成功をつかむ。目標に達すると、自信が湧き出てくる。 二度、三度と目標を達成すると、ますます自信がついてくる。森田先生は、最初から頭の中で自信を作り出してから物事に取り組むという姿勢を問題視されている。自信があろうがなかろうが、興味や関心のある事には、すぐにとりかかってみる。とりかかってみて、どうにもならなければそこで中止すればよい。時には思っていた以上にうまくいくこともある。それがきっかけとなって、次から次へと欲望が膨らんでくることもある。尻軽に、手足を出していけば、 「努力即幸福」というやりがいを見つけることができる。とにかく森田理論は実践や実行が大切なのである。森田先生は修養という言葉をよく使われるが、これは実践や実行によって、精神の働きが分かるようになり、神経質者の生き方、人生観を確立していくことであると思う。
2018.01.20
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私の家の近くにスーパー銭湯がある。冬場の寒い時期はよく利用している。そこは最新式のスーパー銭湯ではないが、大浴場のほかジャグジィや薬草湯、ゆずやワインの湯などもある。サウナを利用しなければ400円と格安なのがよい。先だって大浴場に浸かっていると、お年寄りの人が大浴場から出たとたんによろよろとして倒れられた。みんなあわてて近寄ってみたが、失神状態だった。誰かが受付に知らせたのか、係の人が飛んできた。救急車を呼ぶということだった。その後どうなったかは定かではない。私も薬草湯などに5分ぐらい浸かって、立ち上がったときに立ちくらみすることがあるので心配になった。そこで受付で聞いてみると、そんなに急に立ち上がって移動してはならないといわれた。湯船にどっぷりと浸かっているときは、全身の血管が拡がって血圧が低下している。その時急に立ち上がると、頭に送られる血液が不足してくる。脳の血液量が少なくなると立ちくらみのようなことが起きるそうだ。それで毎年何人ものお年寄りが命を落としておられるという。早速湯船に浸かり方について教えてもらった。湯船から出るときは、急に立ち上がってはいけない。ゆっくりと体を動かすことが大切だ。大浴場は浅くて腰を下ろせるようになっているところがある。そこにしばらく浸かって休む。胸から下は湯船の中である。その状態で3分から5分ぐらいやり過ごす。次に湯船からゆっくりと出て、浴場の縁の大理石のところに腰を下ろして少し休む。決してすぐに立ち上がってうろうろしてはならないそうだ。その後はおもむろに立ち上がって洗い場や薬草湯などに移動してもよい。私はうかつだった。森田理論を学習して、緊張状態から弛緩状態に移るときはソフトランディングを心がけなければいけないと分かっていたのに、実際の生活面では応用できていなかったのである。これは弛緩状態から緊張状態に移るときも同様のことが言える。それを教えてもらって以降は、入るときも、急に体全体を沈めるようなことはやめた。少しずつ体を慣らしてから、徐々に体全体を沈めるように変えた。出るときはその逆のことをすればよいのだ。それ以降は立ちくらみの心配は全くしなくても済むようになった。ソフトランディングを心がけるだけで、立ちくらみから解放されるとは嬉しいことだ。そういう視点で人を観察していると、慣らし運転をしながらスーパー銭湯を利用している人はとても少ないことに気が付いた。若い人はまだよいかもしれないが、お年寄りは大変危険だと思う。この話を教えてあげたいところだが、見ず知らずの人に話しかけるのはきまりが悪いのでそのままにしている。森田では風邪を引くのは、緊張状態から急に弛緩状態に移ると、体も精神もその急激な変化に対応できないと言っている。切り換えは極力ソフトランディングを心がけたいものだ。
2018.01.19
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先日、プロフェッショナル仕事の流儀で広島カープのスカウト苑田聡彦さん(72歳)の放送があった。広島カープは親会社を持たず独立採算性を入れており、地方球団ということもあって、潤沢な資金があるとは言えない。したがって、他球団のようにフリーエージェント制度を利用して、実績のある選手を獲得することができない。隠れた逸材を見出して、それを自前で鍛えあげて中心選手に育て上げるというのがチームの方針である。中心選手に育っても、これからという時に、 フリーエージェント制度を利用して、 金に糸目をつけない他球団に移籍する例が後を絶たない。残念だがそれが現実だ。ドラフト制度がない頃は、有望選手は意中の球団を逆指名することができた。その時、業界では「誠意を見せるのは金だ」という風潮が蔓延した。当然金のある球団に有望選手が流れていった。カープは資金難からその波に乗ることができなかった。ずっと弱小球団のままだった。そんな時どういう戦略をとったのか。他球団に騒がれない選手を見つけて、足しげく通いつめるという戦略だった。そうして獲得したのが北別府学、江藤智、金本知憲、野村謙二郎、黒田博樹であったという。黒田投手は他球団が目を付けていない専修大学の1年生の時から見続けてきた。頭角を現した黒田投手はドラフト前には他球団から1位指名の候補に挙がっていた。金の面では全く勝ち目はなかった。そんな折、ドラフト3週間前になって、黒田投手が他球団に指名されてもカープに入団すると公言したという。縁もゆかりもないカープを逆指名したのだ。当時としては大変な驚きであったという。黒田投手は、無名のころから注目して励ましてくれた人に、誠意で応えないわけにはいかなくなったのだという。他球団の札束交渉を断った。金ではない誠意だといってはばからない。苑田さんは、選手に惚れぬいて、足しげく通いつめるという誠意を見せ続ければ、いつかは野球の神様が応えてくれる時があると言われるている。粘り強く、できるだけ他球団と競合しない無名の選手を発掘して、注目して見ているという誠意を見せる。働いてもいないのに、いくらくれるのかというような選手はすぐにわかる。そういう選手はカープのカラーに合わないという。苑田さんの選手を発掘する方法はとても面白い。丸選手は高校時代、ピッチャーだったが、注目したのはハンドワークが柔らかく、フォローが広いというバッティングであったという。三振にも素晴らしい三振があるという。タイミングが合って思い切ってスイングする選手は見込みがあるという。そういう選手こそ、その後も何回も見て見極めをしたいという。高校生の段階で、打率がよいとか、通算ホームランは何本打ったとかいうのは、あまりアテにならないそうだ。だから球場に足を運んで自分の目で確かめないと見極めなどできないという。今年ドラフト2位で熊本工業の山口翔投手を指名した。山口投手は肘が柔らかく、軸がぶれないという長所があるという。ところが、コントロールが悪く、5、6球に1球ぐらいしかいい球がこない。フォアボールを連発して自滅するタイプだ。しかしフォアボールを連発しても、決してうつむいたりしない。ここが彼の最大の長所であるという。プロでは逆境に耐えうる強い気持ちを持っているかどうかが不可欠である。例えばインコースに投げてホームランを打たれても、次の打席で意識してインコースを投げて、「打てるものなら打ってみろ」と言うような負けん気の強さがプロ向きの選手であるそうだ。負けず嫌いでも、大のつく負けず嫌いでないとその後大成はしない。山口投手はそれを持ち合わせている。このような選手は昨年は関東にはいなかったという。フォアボールを連発するのはリリースポイントが一定でないからである。これはプロに入ってから修正できるので、今の時点では問題ないという。ドラフト4位では二松学舎大付属の永井敦士選手を指名した。これは現場サイドから内野手をピックアップしてほしいという要望に応えてのものだった。現在の内野はセカンドに菊池、ショートに田中という選手を擁しているが、バックアップ要員が不足しているという。しかし今年はめぼしい内野手が見当たらない。そこで目をつけたのが永井選手だった。永井選手は、現在センターを守っているが、打球処理の足の運びをビデオで見ていると、内野手に転向しても十分に対応できる能力があると判断した。緒方監督も納得した。何より強い身体、そして50メートルを5秒で走るという優れた脚力を持っている。苑田さんは、かって3球団競合の末にドラフト1位で川島堅投手を指名したことがある。ところが、川島投手は肘を壊し一勝しかあげられなかった。その後引退し今では接骨院を開業している。苑田さんは、その接骨院にずっと通っているという。引退しても自分の指名した選手には目をかけているのである。人間的な優しい面も持ち合わせている。スカウトは野球が好きでないとできないという。球界最年長スカウトとしてこれからも精進してゆかれるそうだ。
2018.01.18
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森田正馬全集第5巻の293ページに「森田先生の綱渡り曲芸」が紹介されている。チョン髷のカツラをかぶり、黒紋付きに赤だすき、 尻はしょおりで、日傘をさした身軽な出で立ち、口上と曲芸とをみなお一人でやられる。広瀬夫人が、三味線方である。(口上) 「鳴り物を鎮め置きまして、太夫お目通り正座まーで控えさせます。ハッ」と右手をかざした様おかし。「まずは最初、綱調べと御座い」畳の上を、両足を順次に、ずらせ進む様、その姿勢・態度全く綱渡りのようである。「次は鶯の綱渡リーイ、チンチン チンチン チンチン」、両足を同時に、小刻みに、早調子で進行するのである。鶯の綱渡りに引き続いて、「次は千番に一番の兼ね合い、義経八双飛びーイと御座いますけど、太夫チト喘息の気味に御座りますれば、次なる芸を差し替えて御覧に入れます。ハッ」といった調子で、思いがけない先生の芸のうまいのに、一同どっと喝采した。私は森田理論学習に行き詰まったときに、この文章を読んで、大いに影響を受けた。その頃森田先生の普段の生活をそっくり真似てみようと思っていた。そんな時にこの形外会の余興の話を知ったのである。早速東急ハンズに行って武士が被るチョンマゲのカツラを買ってきた。そして素浪人が着ているような着物も買った。日傘と日の丸が描いてあるある扇子も買った。そして家で着物をたくりあげて、畳の縁をふらふらしながらバランスをとって歩く鶯を演じてみた。ある程度、これならいけるという感触をつかんだので、老人ホームの慰問活動で使ってみた。実際には演技力がなかったので、森田先生のようにはあまり受けなかった。しかしそれで弾みがついて、老人ホームの余興探しにのめりこんでいった。スポーツアナウンサーの物まね、田中角栄の物まね、しばてん踊り、ヤングマンの踊り、ハワイの踊り、炭坑節の踊り、手品、けん玉、皿回し、アルトサックス演奏、どじょう掬い踊り、浪曲奇術、獅子舞、模型ヘリコプターの操縦などである。最近は、サックス演奏、どじょう掬い踊り、浪曲奇術、獅子舞は私のメインの持ち芸となり名刺にすりこんでいる。出演依頼も多くなった。忘れないように一通り毎日練習している。こういう方面で活動していると、利害関係のない友人がたくさんできた。またいつも熱中できるものがあるために、対人恐怖症に振り回されなくなってきた。さらに人生を精一杯楽しんでいこうという気持ちが強くなった。今や慰問活動は年間25回から30回は行っている。アルトサックスは最大500人くらいの前で演奏しても何とかそれなりにこなすことができるようになった。私の対人恐怖のもとには、人から賞賛を与えてもらいたいという強い欲求があったのだが、くしくもこの一人一芸の実践によって、目的が達成できるようになった。昔神経症のどん底にいたころは、いつも死にたいと思っていたが、今では死なないでよかったと思っている。今では反対に100歳以上まで長生きがしたいと願うようになった。
2018.01.17
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森田先生は森田療法に取り組むにあたって、強情でも盲従でもだめだといわれている。強情というのは、森田先生が指導すれば、すぐにそれに取り組んでみると言うのではなく、家に帰って考えてみると言う。そういう人は森田先生が神経症の治療の分野ではすぐれた医師であるということを忘れている。私が指示したことは、納得はできないなと思いながらも、いやいやながらでも手をつけてみることが大切である。頭の中で納得して決心するとか、自信がついてから取り組むという態度はダメだと言われている。たとえば神経症が治らなければ論文が書けないと考えてズボラをしている人がいる。そういう人に私は次のように言う。ただ自分の机の上に原稿用紙とペンと参考書などを並べて、静かに、退屈しながら、それと、にらめっこをしていればよい。その時間は、 1日に、10分なり30分なり短い時間で、何回でもよいから、なるべく度々 、机の前に座ればよい。そして三行でも、落書きし、また参考書手当たり次第、開いたところでたらめに読んでいればよい。その有様を1週間なり、 2週間なり忍耐して続ければよい。その全体の意味から言えば、てきても出来なくても、いやでも応でも、しなければならない事は、ともかくもするということに帰着する。その時に、勇気とか自信とか言うものの、付け焼き刃をしてはいけない。私の言う通りにすれば、たちのよい人は、 2日目から、はや書く気になる。遅い人でも1週間もすれば、自然に調子に乗ってくる。ただ、その初めの皮切りの間は、少々苦しいというまでのことである。それを「こんなに頭が悪くてはできるはずがない」と短絡的に考えて手をつけない人のこと強情というのである。先生の仰に従って行き着くところまでやってみようと言うのが、 「まかせる」とか「従順」と言うのである。盲従と言うのは、森田先生の言われたこと万能の神様のように信じて、馬車馬のように突進する態度のことである。森田先生は入院されていた水谷さんに、皆がいる前で、そこで三回ぐるぐる回ってお辞儀をしなさいと言われた。水谷さんは森田先生の言われる通りに行動した。まわりにいるひとたちがクスクスと笑った。森田先生は、だから君はダメなんだと言われた。普通の人はみんながいるのでそんな犬のようなマネはちょっと出来かねますと言って断る。君のような態度では、 「我」というものが全く出ていない。私の言うことを金科玉条のように信じて盲従していては、感じが出てこないのである。感じが出てきて感じが高まり、関心や気づき、発見やアイデアが浮かんでくることが大事なのである。言われたことを言われたなりにするというのは、「おつかい根性」の行動であって、神経症が治る方向とは程遠い。(森田全集第5巻 266から268ページより要旨引用)森田先生は、自分が指示した事は、 「これは果たしてどうかな」と感じながらも、一応先生の言うことだからと思って試しに試みてみるという姿勢が大切である。反発ばかりして少しも実行しないという態度はダメだといわれている。実行して、神経質性格の活かし方を身に着けていくのが修養である。次に取り組むにあたっては、物そのものになって一心不乱に取り組んでみることだ。そこに興味や気づき、新たな発見が生まれてくるということが大切なのだと言われている。感じが全く発生しない実践は、神経症が治るのではなく、益々神経症が強化されてしまうということを言われているのだと思う。
2018.01.16
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第28回形外会で山野井さんが、次のような話をされている。新聞に出ていたことです。母のなくなった小学生で、その父の行跡が悪くて、その子供は、たびたび父を諫めたけれども聞き入れない。ある時父が博打をやっているところを、子供が警察に届けたので、父はそのために捕らえられた。それについて、批評家たちは、ある人は、それは人情でない。普通の子供の考え方じゃないという。また一方の人は、学校では、悪を憎むことを教えて、それがよくわかり、先生の教えを守る感心が子供だと言っています。どちらが正しいのものでしょうか。これに応えて森田先生曰く論語にこういうことがある。 「葉公が孔子に語りて曰く。我党に、身の正直を立てるものがある。その父羊を盗みて、子がこれを訴え出たと。孔子の曰く。我党の正直者は、これに異なり、父はこのために隠し、子は父のために隠す。正直と言う事は、その内にあり」と言う事である。人情から出発しなければならない。人情が道徳であり人生観であり、哲学であるのである。もし、子供が親を訴えることができたら、その子供は、低能か変質者かです。(森田全集第5巻 290ページより引用)法律は私たちが選挙で選んだ人が、社会生活を円滑に進めるために、国民みんなが守るべきルールを定めたものです。これを厳格に厳守することは大変だと思います。たとえば道路交通法です。高速道路は最大速度80キロと決められています。でも高速道路で常に80キロ制限を厳守することは難しいです。また一般道でも40キロ制限の道路はたくさんあります。どうしてここが40キロ制限なのかと思う場所は確かに存在します。実際には他の車の走行に合わせて、スピード違反状態で走行しているのではないでしょうか。警察が取り締まりをしていればほとんどの人がスピード違反で捕まってしまいます。スピード違反したとき、同乗していた家族が、身内を「あなたは交通違反をした」といって警察に通報するようなことがあるでしょうか。もしそんなことがあれば、訴えられた人は、一番信頼できる家族から裏切られるようなものですから、人間不信に陥ってしまいます。こんなことをされると、簡単に家族はバラバラに壊れてしまいます。森田先生は、法律で博打をしてはいけないと決められているから、その法律に従って、その罪を訴え出るというのは間違いだと言われています。純な心で言えば、親が子をかばい、子が親をかばうというのは、法律以前の人間としての当たり前の素直な感情です。そこから出発しないで、 「かくあるべし」 や法律や社会的ルールを持ち出して正論を展開するというのはだめだといわれているのです。親や子供が法律違反を犯していても、普通は家族の味方になって、守りたいというのが人情です。いつもその人情(自然な感情)から出発するという態度をとり続けることを勧められているのです。事実本位・物事本位の態度を身につけるためには、ここが肝心なところです。私が中学生の頃、国語の先生が黒板に間違った漢字を書いたことがあります。すると、それを見たある生徒が、 「その漢字は間違っています」と指摘したことがあります。するとその教師は突然不機嫌になり、腹いせで長い棒でその生徒の頭を小突いてしまいました。理不尽なことをされたその生徒は、そのうち泣き出して教室を出て行ってしまいました。今になって思うことは、その教師も教師ですが、その原因はその生徒にもあると思います。その生徒は国語を教えている教師が、間違った漢字を黒板に書くという事は許されないことだと思っていたのかもしれません。でも、そう思っていたとしても、先生の気持ちを思いやって見逃してあげる。それを先生から一本取ったような態度で間違いを指摘しては、先生の面目が丸つぶれです。伝えるにしても、授業が終わった後にこっそりと教えてあげるという配慮があってもよかったのではないか。この手の正義感に燃えて、相手の間違いを見つけるとすぐに指摘する人はたくさんいます。本人は痛快かもしれませんが、言われた本人は自尊心を傷つけられたような気分になります。普通の人は、間違いを正したいという気持ちが出てきた時に、同時にこんなことを指摘したら相手がどんなに不快な気持ちになるだろうという感じも同時に湧き上がってきます。その2つの気持ちがせめぎ合いを始めるのが普通だと思います。森田理論でいう、精神拮抗作用です。二つの間で右往左往して態度を決められないのです。どちらか一方に態度を決めてしまうというやり方は、のちのち収拾のつかない結果を招いてしまいます。
2018.01.15
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高良武久先生は、部分にこだわって、全体の調和を破ること問題視されている。沢庵和尚の文章に、 「たとえ1本の木に向うて、そのうちの赤き葉ひとつを見ておれば、残りの葉は見えぬなり。葉ひとつに目をかけずして、 1本の木に何心なく打ち向かい候えば 、数多くの葉残らず見え候。葉一つに心を取られ候わば、残りの葉は見えず、一つに心を止めねば、 百千の葉みな見え申し候。これを得心したる人は千手千眼の観音にて候」と言われている。部分的なことに重点を置くと、生活全体の調和が破れることを知らなければならない。不潔恐怖で手を洗うことに専念する人は、手以外のところがかえって不潔になる。不完全恐怖の人が仕事をする場合は、心残りをなくするやり方とか、仕事をするための予備操作に時を費やすので、仕事そのものがはかどらない。種々の強迫行為の人の態度がそれである。病気恐怖の人が衛生のとりこになって、全体の活動をにぶらしているのは、すべて部分的なものにとらわれていることに他ならない。いろいろな思案工夫が細くなるほど、ますます本道を遠ざかっていくのは、初めの一歩のちがいが到達点では千里の差を生じるようなものである。私たちは友人の顔を見た瞬間、すぐにこれは山田くんの顔であると認知するのは、顔の各部分、つまり眼、眉、英、口、耳、髪などを分析して、さらにそれを総合して山田君であると決定するのではない。第一印象で、ただちに全体を把握して山田君であると認めているのである。いちいち眼、鼻などを分析するだけでは、全体がはっきりせず、山田君のようでもあり、川野くんのようでもあるということになろう。言葉で言うのは難しいが、 「第一印象」 「初一念」のような作用は全体的なもので、我々の日常の行動は大体それに従って生活全体を保っている。言葉に拘泥しないで、文字に含まれた全体の気分を感得してもらいたい。(森田療法のすすめ 高良武久 白揚社 133ページより引用)私がこの話を聞いて感じることは、森田理論学習の進め方のことである。森田理論には、あるがまま、事実唯真、純な心などの独特なキーワードがたくさん出てくる。一般的には、その意味を正確に掴もうとする学習が中心となっている。私もそのような方向で20年間学習をしてきた。この方向は高良武久先生が言われている、木の葉っぱを一つ一つ観察していくような学習ではないだろうか。このような手法では、森田のキーワードの意味についてはよくわかるようにはなるが、実際には身近に自分の生活の中で応用することは難しいのではないかと考える。森田は特殊用語を正確に説明できるようになっただけでは、あまり意味はないのである。実際、私の場合、そのとおりであった。そんな時、ディズニィランドに行った人から、施設のご案内図を見て目当てのアトラクションを探すのだという話を聞いた。私は、森田理論学習に欠けているものは、この施設のご案内にあたるものだと気づいた。しだいに森田理論の全体の枠組みはどうなっているのだろうかという方面に関心が移っていった。そして試行錯誤の末に作り上げたのが、「森田理論の全体像」であった。全体像を理解して、森田のキーワードを学習することは大きな意味があることに気づいた。これは大きく分けて4つの柱から成り立っている。その内容はすでに何回も投稿している。私は「やじろべい」とともに、これを大きく図示して机の上に張り出している。森田理論学習をするときは、いつも今どこの学習をしているのか確認している。地図で今から行く目的地を確認しているようなものだ。これを見ていると、自分の学習場所がはっきりする。4つの柱の相互の関連性が分かる。またどこの学習が不足しているのかが分かる。それから、神経症を治すための3つの道が一目瞭然である。森田を生活に応用していくにあたり、どこに重点を置けばよいのか、目標が立てやすい。注意点としては、森田全体像の学習にあたっては、その前に1年ぐらいかけて、森田理論の基礎的学習をしておくことが大切であることが分かった。このようなステップを踏むことで、短期間で森田理論が効率よく理解できると考えている。あとは実際に森田を仕事や生活に応用して、集談会でその情報を交換して、膨らませてゆけばよいと考えている。
2018.01.14
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高良武久先生は、神経症に陥った人は片寄った自己防衛をしていると言われている。自己を外敵から防衛する働きは、すべての生物に共通する本能である。しかし、消極的な防衛にのみ専念すると仮定すれば問題だ。貝類は身を守るために、厚い殻に身を固めているが、そのために運動が極端に鈍くなって、人の手にかかれば無抵抗に捕らえられてしまう。装甲をむやみに厚くした戦艦は、速力が落ちて、飛行機や魚雷の攻撃にさらされる結果になる。人間における片寄った自己防衛は、神経質症状を起こしやすくなる。病気から身を守ることに専念するあまり、疾病恐怖症という症状を起こす原因になる。彼らは病気にかからないことが人生の最大の関心事になり、そのために建設的な活動が弱められる。生の欲望の発揮が置き去りにされてしまう。他人の思惑に対する防衛へのかたよりは、対人恐怖症にかかりやすくなる。他人から軽蔑されるのではないか、他人に不快感を与えるのではないだろうか、バカにされるのではないだろうか、悪い噂を立てられるのではないだろうか、そのような警戒心が強すぎると、人と会うこともつらくなり、人との会話を楽しむことなど思いもよらないことになる。どこにいても他人から注視されているように感じたり、人から圧迫されているようで、人前でかたぐるしくぎこちなくなる。金縛りにあったようで自由自在な活動ができなくなってしまう。こうなると最終的には、他人との接触を避けて外出も難しくなり、非社会的になってしまう。自己防衛がかたよると、物事に対して過度に用心深くなり、行動力が半減する。石橋を叩くばかりで、一向に渡ろうとしないので、用心深いと言うよりはグズになる。失敗恐怖症などもその1つの表れである。私たち人間のやる事は、すべてのことに万全を期することはできない。ある程度の失敗は避けることができないといってもよい。絶対に失敗してはならない、と考えれば考えるほど、ついには何もしないでじっとうずくまっているほうがましだということになる。しかし何もしない事は、人生においては、それ自体が大きな失敗であると言わなければならない。自己防衛の偏向は、外敵に対してばかりではない。自分自身におけるいわば内敵に対しても行われる。雑念が勉学を妨げるものと思い込んで、雑念からの防衛に熱中して、雑念をいちいち意識してしまう雑念恐怖、あるいは犯罪的、反社会的な考え、もしくは他人に知られたくない想念が心に浮かぶことを恐れて、そのために、そのような想念との争いに明け暮れているものなど、すべて広い意味での自己防衛の片寄った現われであると言わなければならない。このようにして自己防衛にかまけていると、外界の刺激や内心の不安がすべて自分に襲いかかる強敵のように感じられる。すでに精神的敗北主義に陥っているのである。(森田療法のすすめ 高良武久 白揚社 99ページより引用)私たちはともすれば専守防衛に陥りやすい。バランスを取るためには守り一辺倒の態度を改める必要がある。この際自己防衛には手をつけない。言葉は適当ではないかもしれないが、攻めや攻撃を前面に押し出すことが大切になる。言い換えれば注意や意識を積極的に外向きにしていくようにしてみる。そのためには、まず実践課題を設けて取り組んでみる。その次には気づいたことを忘れないようにメモして、行動に移していく。好奇心に沿って興味や関心のあることに手を出していく。課題や夢を持って挑戦してみる。そして時々は、心の中にやじろべいや天秤を思い浮かべて、「不安・恐怖」と「生の欲望の発揮」のバランスが保たれているのかどうかを点検していくことが大切になる。バランスが壊れたところに人生の意義は見出すことはできないと思う。
2018.01.13
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精神科医の市川光洋医師の著書に「外来森田療法」がある。これによると、特徴的な事は、治療期間を十回に区切られていることである。週に1回の通院として、 2ヶ月で8回、 3ヶ月で12回、キリのいいところで十回にしておられる。平均治療日数は90日である。もちろん薬物療法も併用しておられる。そしてその十回を、前期、中期、後期に分けて治療を時間的に構造化し、絶対臥褥、作業と講話、そして退院に相当するものを埋め込んでおられる。1回ずつの面接にそれぞれ意味を持たせて濃縮した治療を行う。高良興生院の治療に型があったように、外来でも標準的な形を持った森田療法を実施する。これを外来標準型森田療法と呼んでおられる。治療前期は、外来森田療法の適用者かどうかを見極めることから始める。適用者の場合、治療回数が10回であることを最初に伝える。そして、次回までに自分の症状と回避行動について、具体的に書いてくるように指示をする。また、神経症の成り立ちや特徴を理解してもらうために「森田療法のすすめ」という高良武久先生の著書を読んでくるように指示をする。次に実践課題に取り組んでもらう。それを行動記録として作成し、次回の面談時に提出してもらう。そして実践課題の実行と不安の検討を行う。治療中期では、自発的な実践課題を設定してもらい、実践課題の幅を広げていく。そして症状と行動以外への森田療法的対話を始めていく。現在の適用不安。症状以外の生活上の不安。生活史、家族関係、対人関係のパターン。完全主義、先取り不安などの性格特徴。平等感、客観性、人間性の事実。関わる事と愛情などである。治療後期では、治療は10回で終結する旨をお互いに確認をして行く。治療終了前の不安の出現と本人の対応を吟味していく。治療前と治療後の変化について3つの視点から話し合う。症状の変化、行動の変化、心境の変化である。患者さんからフォローアップの希望があれば、 1ヶ月から3ヶ月後に再面接を設定し、治療終結とされている。(外来森田療法 神経症の短期集中治療 市川光洋 白揚社 118ページより引用)この本を読んで、私の感じたこと書いてみたい。生活の発見会の集談会には、神経症のために日常生活が後退し、止まったままの人が来会されることがある。神経症で蟻地獄に陥ってしまっている人である。そういう場合は、我々が積極的に対応するよりも、生活の発見会の協力医を紹介する方がよいと思う。慈恵医科大学第3病院などの入院森田療法施設。あるいは、外来森田療法に熱心に取り組んでおられるクリニックを紹介する。集談会に参加しておられる先輩は、日本全国どこに森田療法に熱心なお医者さんがおられるかよく知っている。我々の主な役目は、それらの病院への橋渡しである。我々の行っている森田理論の集団学習は、神経症的な苦しみや悩みを抱えながらも、なんとか日常生活や仕事がこなせている人が対象である。ここでは生きづらさを抱えた人が、、仲間同士助け合いながら、森田理論の学習によって今後の神経質性格の活かし方、生き方の指針を見つけていく場である。医療としては手が付けられない部分の活動を行っているのである。この部分は精神科医の専門分野とはいいがたい。生き方や人生観を精神科医や臨床心理士に求めるのは間違っていると思う。精神科医や臨床心理士の仕事はそういうところにはない。むしろ生活の発見会で森田を学習して、生活に応用している人の中にこそお手本がある。ここを間違えて深入りしてもお互いのためにならないと思う。身近に森田理論を生活に応用している人を見ることによって、次第に影響を受けて、人生観の確立に結びついていくのである。餅屋は餅屋で自分の役割をそれぞれに果たすことが重要であると思う。それ以上のことに手をつける事は、結局は一害あって一利なしであると思う。
2018.01.12
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精神科にかかると、治療方針を決めるために様々な検査が行われます。脳波やCT、 MRIなどで脳の状態を調べます。その他、性格検査、欲求やパーソナリティーの検査、無意識の精神状態など様々な検査があります。その中に性格検査としてウェクスラー式知能検査があります。これには幼児用、子供用、成人用の3つがあります。検査の中身としては、言語性検査と動作性検査があります。言語性検査とは知識や基礎的な学力、計算能力などを調べます。つまり、一般的に言うと、知識が豊富であるのかを調べているのです。論理的思考能力を調べているのです。次に動作性検査では、身体能力、運動能力、危険などを察知する能力、想像力、問題解決能力、類推能力、統合能力などを調べています。変化対応能力、対人交渉能力などなどを調べているのです。この検査を行うと、頭脳明晰で、論理的、観念的思考の傾向が強い人であるのか、あるいは身体感覚を重視して変化対応力、対人関係重視型の人であるかが分かるそうです。あるいは内向的な人か外交的な人かが分かります。本来は言語性検査と動作性検査の結果がバランスが取れているということが理想です。ところが、神経症に陥っている人を見るとバランスがあまりよいとは言えない。一般的には言語性検査の結果が動作性検査に比べると得点が高い。観念的な判断や論理的な思考を前提にして、目の前の課題や問題に対応していく特徴がある。実際に動きながら試行錯誤を繰り返して方向性を決めるというよりも、まず自分の頭の中で納得するまで考えるという傾向が強い。考えつくあらゆるシュミレーションをすることはできるが、それにとらわれるあまり、実際に行動に移すことが少ないという特徴がある。なかなか100%安心感を得られなくて、石橋を叩いても吊り橋を渡ることができない。身体表現を基にして得られたものよりどころとして、失敗や成功を積み重ねながら、大きな目標を目指していくというやり方ではない。そのことを理解すれば、言語性能力のほうはそのままにして、動作性能力を鍛えていく必要がある。森田理論でいえば、「かくあるべし」で現実を支配するのではなく、あくまでも現実に根を張って、現実から目線を少し上に向けて行動・実践することが大切である。またそういう自覚があれば、結婚をする場合も、ペアを組んで仕事をする場合も、どちらかというと動作性能力の優れた人と協力し合う人間関係の方がよいのかもしれない。そうすればお互いのプラスマイナスが有効に作用して、バランスがとれてくるのではないかと思う。
2018.01.11
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私たちの体の中は、不安や恐怖が強くなってくると、それを中和するために脳内麻薬と言われる神経伝達物質が放出されるようになっています。仕事でのストレスを受ける。人間関係で苦しんでいる。そのようなトラブルを抱え続けていると、脳内麻薬と言われているβエンドルフィンという物質が放出されます。この物質が放出されると、苦しみが軽減されていくのです。しかもこれは即効的です。私たちの体はそのようにして、不安や恐怖とのバランスをとっているといえます。これは死ぬような怪我で苦痛に喘いでいるような人の状況でも、脳内麻薬が放出されて、本人は周りから見ている人ほどには苦痛にのたうちまわっているわけではないそうです。私たちの体は自然にそのようにして過度な不安や痛みの軽減を図るようにしているのです。とてもうまくできています。さて、金遣いが荒く、まったく働かない男性と一緒になって生活している女性がいます。周囲の友達からは、 「そんな男とは別れた方がいい」と忠告されるにもかかわらず、 「この人は私がついていないと生きていけなくなる」と言って離れることができないのです。これはよく言われる共依存の人間関係にあります。相手に甘えたり世話することで心地よくなるのです。しかしこれは脳内麻薬の仕組みから見てみると、十分に納得ができます。生活不安・恐怖などがある一定の限界を超えたところで、脳内麻薬であるβエンドルフィン、ギャバ、セロトニンが常時放出されるようになります。それらは、不安や苦しみを和らげ、いわば心地よい快楽をもたらしています。共依存というのは、双方の自立を破壊してしまう危険性を持っていますが、そのようなメカニズムが働いて周りの人たちが心配するような精神的苦痛を抱えているわけではないのです。男女とも至福の時間を過ごしているのです。人間にはある一定の限界を超えると、脳内麻薬が放出されますので、非常に気分がよくなります。逆に言うと、人間の体は不安や苦しみがあると、その先に苦しみを和らげてくれる仕組みが備わっているということが体験的に分かっているのです。そのために、時として積極的に困難や苦しみに向かって行動していくという場合もあります。エベレスト級の山に登頂したり、過酷なバイアスロンに挑戦したり、オリンピックでメダル獲得を目指すことがあります。過酷な運動を続けることができるのは、苦しい挑戦をしている間に、得も言われない幸せなハイの気分を味わうことができることを体験的に知っているからです。見返りが全くないとしたら、そのような努力をする人はいなくなります。ところが、そのような快楽を得ることを目的とした行動は、憂慮すべき副作用もあります。1つは耐性という問題です。例えば、アルコール、ニコチン、ベンゾジアゼピン系抗不安薬など常習的に使っている人によく見られますが、その効能はどんどん薄れてくるのです。効果がなくなってくるので、どんどん使用量が増えてくるという問題があります。つまりそれらを放置していると最終的に依存症に陥ってしまいます。2つ目は離脱症状が現れるという問題です。依存症に陥った人が、 「こんな生活を続けていてはいけない」と気づいて、依存症から逃れようとしても、不安症状やイライラ感がしつこくつきまとうのです。気持ちとしては依存症から脱却しなければならないという強い気持ちがありますが、体の方がついていかないのです。その苦しさ、つらさからまた依存症に舞い戻ってしまうという問題があります。まとめてみると、耐えがたい不安や恐怖に対して、脳内麻薬を即効的に用いることは、大変効果的だと思われます。しかし、不安や恐怖に対して安易にその方向に頼り続けることは、決して褒められたことではありません。その方向にどっぷりはまってしまうと、取り返しがつかないことになってしまうのです。不安や恐怖に対しては、森田理論学習によってその成り立ちをよく学習し、森田的な生き方を身に着けることによって、最終的に不安や恐怖を止揚していく方法をとらなければなりません。不安と欲望の関係。不安の役割。過度な欲望の制御。不安と欲望の調和については重点的に学習する必要があります。それは神経症の成り立ちを学習することでもあります。森田理論は、きちんと理論化されていますので、いつも不安や恐怖に翻弄されてしまう人は、ぜひとも取り組んでみてください。
2018.01.10
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先日クローズアップ現代プラスを見た。夫婦喧嘩が子供に与える影響についてだった。それによると、 DVと呼ばれる直接的な暴力行為よりも、口論による夫婦喧嘩が子供の扁桃体、海馬、一次視覚野の萎縮を起こすことがわかっているそうだ。それらの器官が正常な働きをしなくなっているのである。機能障害を起こしているのである。それらの器官が全く機能しなくなると、恐ろしいものを見ても、怖がるという感情が湧き起こっらなくなります。たとへば、蛇を恐れていた人が、平気で蛇をつかみに行くようなことが起こります。機能障害は、その1歩手前です。正常な働きが阻害されているのです。扁桃体は、 一時視覚野などから送られてくる感覚情報と海馬や大脳新皮質からの記憶情報を統合して、情動として出力していると考えられています。不快感、怒り、恐怖などを感じると、戦うかその場から離れるか瞬時に判断して、自分の身の安全と精神的安定を保っているのです。役割を果たすと、偏桃体などの興奮状態はすぐに収まります。そうした器官が正常な機能を果たさないと、一方では極度の緊張状態が持続することになります。それは成長したのちに様々な弊害となって表面化してきます。中学生ぐらいになると、イライラして、少しのことできれたりするようになります。他方では、無気力、無関心、無感動になって、意欲ややる気が失われてきます。それが、うつ病の発症などにつながっていきます。普段どこの家でも繰り返されている口喧嘩がひどくなったり、継続していると、自分たちが不快な思いをするだけではなく、子供の脳の機能に重大な損傷をひき起こしているということは由々しき問題です。最近は女性も外で働く機会が増えてきました。男性の収入だけで生活が成り立たなくなっているのです。そんな状況の中で、近所のつきあい、家事や育児などを女性が一手に引き受けるということになると、そのストレスは大変なものです。結婚当初は夫を立てて追随していた女性でも、つい「なんで私がここまでしなければならないの」という気持ちになります。これに対して、夫が家事や子育てはどこの家でも妻の役割だと思っていると、夫婦はすぐに対立関係に陥ります。その上、夫がつきあいだと称して夜遅くまで飲み歩いたり、日曜日にパチンコやゴルフや釣りに出かけていると、最悪の状況になります。これがひどくなると家庭内別居状態になります。夫は妻を思いやり、よく話し合いをして、仕事以外の諸問題は少なくても半々ぐらいには役割分担をする必要があります。亭主関白を押し通す人は、もはや結婚する資格がないといえるかもしれません。夫婦はもともとそれぞれの人格を持った他人です。性別、性格、趣味、好き嫌いも違います。だから常日頃対立するのはごく自然なことです。だから自分の意見を言い合うことは避けて通ることはできません。そうしないということは、夫婦関係が支配、被支配の関係になっているかもしれません。そういう姿を子供に見せるよりも、絶えず意見の衝突を子供に見せつけているほうがいいと思います。ただ不快感を払しょくするために感情的になって、相手の人格否定をすることはダメなのです。夫婦が話し合いによって妥協点を探して交渉しあっている姿は子供にとっともプラスになるはずです。夫婦は二人で協力して家計をやりくりし、親戚や近所付き合い、子育てをしなくてはなりません。お互いに意思の違いを認めたうえで、自分の意思を押し通すところは押し通し、妥協するところは妥協しながら生活していくしかないのです。森田理論では、決して相手を自分の思い通りにコントロールしようとしてはならない。自分の「かくあるべし」を相手に押し付けてはならないといいます。そのうえで、自分の意思は「純な心」「私メッセージ」などを応用してできるだけ相手に伝えていく。また配偶者の気持ちや意思も、先入観や決めつけで判断しないで、一旦はよく聞くようにする。二人の間に埋めがたい溝があれば、少しでも溝が埋まるように話し合いをしていく。最終的には不満足であっても妥協点を見つけて折り合いをつけていくしかないのである。その反対の道を歩むことは、知らず知らずに子供に悪影響を与えていることを忘れてはならない。
2018.01.09
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憑依(ひょうい)現象という言葉があります。これは自分の体の中に他人や動物の霊が入ってきて、自分を意のままに支配するということだそうです。自分自身が他者にのっとられて支配されているような状態を言います。森田先生は高知に伝わる犬神憑きの研究をされていました。精神異常をきたした人の研究です。昔は精神病になった人は、その人の中に悪霊が入り込んだと思われていたのです。その悪霊を祈祷などによって追い出さなければならないと考えられていたのです。森田先生は、それは迷信だと発表されています。ヨーロッパでも魔女狩りというのがありました。これもその類です。そこまでいかなくても、神経症で悩んでいる人はなにか悪霊のようなものがとりついたように見えることがあります。例えば対人恐怖症の人は人の思惑がとても気になります。人の思惑を気にして、自分の意志を前面に押し出した自由自在な行動が極端に制御されています。これは周りから見ると、金縛りにあった一種の「憑依現象」に見えるのではないでしょうか。自分という1人の人間の中に、他人が入り込んでいるような状態です。しかも元々存在していた自分を押しのけて、勝手に入り込んできた他人がすべてを取り仕切っているようなものです。他人が支配者で、元々存在していた自分はその子分のようです。そのような状態が継続すると、ストレスがたまり、生きていることに意味を見いだせなくなってしまいます。私はその原因を「かくあるべし」という思考方法にあるとみています。販売の仕事をしている女性が、自分が商品説明をしている途中で、お客さんが視線をそらしてしまうと、 「このお客さんは私の事をたいした人間ではないと思っている」に違いないと感じてしまう。そうすると、急に商品説明をする意欲がなくなり、上の空になって商品説明がしどろもどろになる。すると、お客さんはこの店員は商品知識が全くないのだ。その上接客態度がおどおどしてみっともない。その店員から離れたくなる。 「もういいです。自分でゆっくり見てみたい」などという。するとその女性は、 「やっぱりあのお客さんは自分を馬鹿にしていたのだ」と感じてしまう。このような考え方をする人は、「他人から馬鹿にされたり、批判されるような人間であってはならない」という強い「かくあるべし」が居座っていることが考えられます。別の表現をすれば、かけがいのない自分の中に、他人がしっかりと居場所を持っている「憑依現象」が起きている状態と理解しても差し支えないと思うのです。自分では分からなくても、症状を持った人の言動を見ていると、そのように見えてしまう。そのような人はどうすれば本来の自分を取り戻すことができるのでしょうか。森田理論では、事実を無視した「かくあるべし」という完全主義、理想主義の考え方が神経症を作り出す原因になっていると指摘しています。理想と現実のギャップに翻弄されて、格闘したり、苦悩するために神経症に陥ってしまうという。その状態は、他人という第三者が、自分の頭脳を占拠して、傍若無人な要求を自分に押し付けているようなものではないでしょうか。赤ちゃんや幼児だった頃は、まだ第三者である他人が自分の頭の中に乗り込んではいなかった。それが成長するとともに、元々いた自分が片隅に追いやられて、第三者である他人が我がもの顔ですべてのことを取り仕切り始めたのだ。本末転倒状態です。そういう人は、よそから入ってきた第三者が、元々いた自分に「かくあるべし」を押し付けるのは、なんかおかしいと認識することが大事です。自分はもともと自由でのびのびと生を謳歌して人生を楽しみたいと思っていたのだ。もし「憑依現象」が自分の中に起きているのならば、何とかして自分の中に入り込んできた他人という第三者を追い出すことに取り組まなければならない。自分自身が自分の主人公としての誇りを取り戻すべく努力する必要があるのです。森田理論では、相手の思惑が気になったとき、自分の素直な気持ちを見つめてみることだという。これを純な心といっている。いつもそこを出発点にするという気持ちを失わないことだ。あくまで自分が主人公なのだ。例えば、自分の仕事で手一杯な時に上司から、 「これを急いでやってくれ」などと言われる。それを優先して無条件に引き受けるとなると、自分の仕事を一時中断することになる。でも、本心では素直に受け入れている訳ではない。本当は急ぎの自分の仕事を優先したいのだ。その「本心」に立ち戻れば、 「すみませんが、私の仕事の納期が迫っているのですぐにはできません。他の人に頼んで頂けませんか」という言葉が出てくる。それでも 「つべこべ言わずにすぐにやれ」と言われれば、 「それでは今の仕事を急いで処理しますので、少し待っていただけませんか。納期はいつまでですか」と返答する。自分の本心を偽って、いつも上司の言いなりになっていると、上司はこの部下は使いやすい部下だと思って、無理難題の仕事を次にも押し付けてくる。すると自分は精神的に苦しくなって、自滅してくる。負のスパイラルに入り込んでしまう。「純な心」「私メッセージ」「winwinの人間関係作り」などを応用して、険悪な対立関係を避けながらも、上手に自己表現をする方法を身につけなければならない。これは他人本位の生き方から、自分中心の生き方に転換することになる。自分の心の領域に勝手に土足で入り込んできた他人を追いだすことが、森田理論学習の大きなテーマである。「かくあるべし」を少なくする方法は、よく学習してぜひとも身につけていただきたいと思う。
2018.01.08
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森田先生は熱海で旅館を経営されていた。そのいきさつを知らない人は、精神科医が儲けたお金でさらにお金儲けをしようとしていると非難する人も多かったようだ。確かに森田先生の所の初診料や入院費用は、とても高くて、経済的に余裕のある人以外はいけるようなところではなかった。もちろん今のように保険診療ではなく、自由診療だった。初診料8円。入院費1日4円。今でいうと、初診料8万円。入院費1日4万円ぐらいにあたる。しかし、森田先生はそのお金を自分のために使われるという事は考えられてはいなかった。そのお金で形外会の会場となる自宅を建て替えられたり、余分なお金は慈恵医科大学に寄付をされたり、故郷の学校の講堂をを建設するために寄付されている。ご自分はプライバシィがなく、服装も粗末なもので、せんべい布団に寝ておられていたという。熱海の森田旅館という旅館の経営も元はと言えば人助けから始まっている。森田旅館は元々は伊勢屋という旅館であった。森田先生は伊勢屋という旅館を知られたのは、入院生の浦山さんからであった。昭和2年7月のことです。この浦山さんの親戚が伊勢屋旅館であった。ところがその後昭和6年暮れに伊勢屋に避寒に行ったところ、畳はすっかり真っ暗になっていた。森田先生は早速、自費で畳の表換えをさせた。そのようなことから、伊勢屋と懇意になった。昭和7年2月、また避寒に訪れたところ、突然伊勢屋のお婆さんが泣きついてきた。今、 5日以内に1,500円のお金がなければ、 10人の家族が路頭に迷わなければならないという。その時に森田先生は、ついうっかりと「浦山君から頼まれるればともかく、だしぬけにそのようなことを言われても、どうすることもできない」と言われた。するとおばあさんが連絡したのか、突然大阪にいた浦山さんが熱海にやってきた。そのようないきがかり上、森田先生も仕方なしにそのお金を出すことになった。弾みがついて、昭和7年5月200坪の地所を銀行から引き取ることになり、引き続いて、今度この新築ができたのである。このお金は、森田先生の国元の母や親戚の金を寄せ集めたり、銀行から借金したりして、ようやく整えたそうです。そして昭和7年12月31日開業にこぎつけたのである。この旅館は入院生であった井上常七さんを支配人にして経営に当たらせている。儲けようという気持ちはなく、料金を安くして、しかも料理を豪華なものにした。そのため、宿泊客が多く盛況であった。宿泊客の中には慈恵医大の学生などもあった。森田先生も入院生や元入院生などを引き連れてたびたび訪れている。形外会も熱海で行ったこともある。その費用も1部森田先生が負担をされたりしている。つまり神経症で苦しんでいる人たちのオアシスの場となっていたのである。私利私欲に目がくらんで旅館経営にまで手を広げていったというのは全くのデマである。(森田全集第5巻 299ページより引用)
2018.01.07
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11月23日島根県浜田市のイベント会場に来ていた乗馬体験の馬が大暴れして10人の人がけがをした。その馬は、普段はとても優しい馬であったという。実際木につながれる前は、問題なく乗馬体験をこなしていた。そんな馬がどうして暴走したのだろうか。事件のあった時間、この馬は休憩時間に入っていたそうだ。ところがどういうわけか繋がれていた木が折れた。あり得ないことが起きたので、馬は気が動転したのか、突然1000人のお客さんで賑わっていた場所に突っ込んで暴れたのである。折れた木を引きずって振り回したのだから、多くの負傷者が出たのだ。でも乗馬のインストラクターが駆けつけて、止まるように声で指示をするとすぐに暴れるのをやめたという。馬小屋に戻ったその白い馬はなんかバツの悪そうな顔をしていた。見るからに優しそうな馬だった。処分されずに済んだので安心した。これを人間の場合に当てはめて考えてみたい。相手から理不尽で予期せぬ扱いを受けた場合、とても腹が立ってくる。例えば私の場合でいえば、楽器演奏中にリーダーがお客様の前で演奏を間違えた事を叱責する様な場合である。すると怒りの感情が一挙に山の頂上目指して駆け登っていく。そして最後には、演奏中にもかかわらず、リーダーに仕返しをしたくなる。罵詈雑言をはいたり、暴力に訴えてでも怒りの感情を鎮めたくなるのである。でも、そんなことをすればグループから弾き出されることは分かっている。またお客様の前で取り返しのつかない破れかぶれの行動で演奏が台無しになる。気分本位の行動は、人間関係に最悪の事態を招くのはよく分かっている。今までもそんなことで数多くの失敗を積み重ねてきた。分かっていても、その場では、不快な感情を直接速やかに取り除きたいのだ。反射的に相手に仕返しをすることによって、自分の怒りの感情を発散して楽になりたいのだ。これは理屈でどうのこうのといっても、瞬間的なことであり、自分自身では制御不能に陥っているのでどうすることもできない。これはちょうどブレーキの壊れた自動車を運転しているようなものだ。最終的には、スピードが出ていなければ、比較的安全なところにぶつかって車を止めるしかない。坂道を猛スピードで疾走していれば、大事故につながることは容易に想像できる。激情するタイプですぐにそのような態度に出る人は、他人にも迷惑かけるし、自分自身も自滅してしまうので特に注意が必要だと思う。そういう傾向にある人は、自分はそういう特徴があるという事を普段から自覚しておく必要がある。これは神経質性格の人であろうが、そうでない人であろうが関係のないことだと思う。自分はブレーキが壊れた車を運転しているという自覚を持っておくことが必要である。特にお酒が入ると罵詈雑言を吐いたり、暴力的になる人。満員電車に乗ると性的な欲情を抑えることができなくなる人。車の運転中、割り込みをされただけで煽り運転や無謀運転を繰り返すような人。そういう自分の傾向を自覚していれば、そういう場に自分の身をおくことをセーブするようになると思う。そういう危険な場所に身をさらさなくなる。そうしなければ、自分と自分の家族が崩壊してしまうのだ。これは依存症の人についても言える。アルコール依存症、薬物依存症、セックス依存症、 ネットゲーム依存症などは、その快楽経験が快楽中枢神経の中にしっかりと刻み込まれている。一旦しっかりと刻み込まれた快楽神経は取り除くことができない。一旦やめようと固く決心をしても、少しの刺激で元の木阿弥になるのである。再発事例が後を絶たないのが現状だ。だから、そういう誘惑のある場所には決して近づかないことしか方法がないのだ。もう一つ重要なことは、自分の行動を監視し、ダメ出しをしてくれる相棒を作っておくことである。それが配偶者ならもっともよい。仲の良い友達でもよい。自分が暴走しそうになった時、注意してくれたり、力ずくでも止めに入ってくれるような人が必要なのだ。そういう人と常に行動を共にしていると、感情の暴走はある程度防ぐことができる。もっともまずいことは、感情が暴走したときに一緒になって騒ぎまくるような夫婦や仲間である。火に油を注ぐような結果になり、最も危険なパターンだ。そういう意味では、自分とは気性の違う人と付き合って、冷静な時に自分の行き過ぎた言動に歯止めをかけてもらえるようにお願いしておくことだ。それで、人に迷惑がかからず、自分と自分の家族を守ることができたならば望外の喜びである。
2018.01.06
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元歌 舟木一夫の「仲間たち」歌をうたって いたあいつ下駄を鳴らして いたあいつ思い出すのは 故郷の道をみんな一緒に はなれずにゆこうといった 仲間たち帽子まるめて いるあいつリンゴかじって いるあいつ記念写真は とぼけていても肩をならべた ツメエリにゃ夢をだいてた 仲間たち手紙よこせと いうあいつあばよあばよと いうあいつ口じゃ元気に どなったくせにぼくが故郷を たつ朝は涙ぐんでた 仲間たち替え歌 「集談会の仲間たち」グチをこぼして いたあなた悩みを話して いたあなた思い出すのは 昔のことよみんな一緒に 励ましてゆこうといった 仲間たち会に続けて 来たあなた生きる勇気が でたあなたきつい悩みは つらかったけれど森田頼りに 生きてきた夢を抱いてた 仲間たち森田森田と いうあなた生きてて たのしと いうあなた今じゃつらいと 言わなくなってどんな事にも 手を出して元気いっぱい 仲間たちこれをこの休みの間に、模造紙に大きく書いて、次回集談会の余興でカラオケに合わせて、みんなと合唱したいと思います。それまでに歌えるように練習しておきます。なお、2015年4月11日に、青い山脈の替え歌で「森田とともに」を投稿しています。この歌は集談会などの催し物での定番曲となりました。皆さんも、よかったらご活用ください。
2018.01.05
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森田先生は長らく東京電力の株を持っておられた。この株の配当金で生活を安定しようと思っておられたそうだ。ところが配当がなくなり、生活費の出所がなくなったといわれている。(森田全集第5巻 384ページ)私はファイナンシャルプランナーとして、金融資産運用設計に特化して株式投資の研究を続けている。株式投資の主流の考え方は、新高値を付けた銘柄を探し出して、さらにその新高値を超えていくような勢いのある銘柄に投資するやり方である。うまくいけば、短期間で何倍にもブレイクする銘柄に出会うことがある。しかし、このやり方は大きなリスクを伴う。新高値を付けた時点が山の頂上で、それからすぐに下がってくる銘柄も多い。この手法をとる場合は、ロスカットをしっかりしておかないと、大きく自分の資産を減らしてしまう。また上昇を続ける銘柄でも、トレーリングストップを用いてリスク管理を徹底しないと、すぐに痛い目にあう。つまり、このやり方では株価の上下に常に注意を集中しておかないといけないのである。セミプロとして株式投資をやる人はいいかもしれないが、普通の人は神経をすり減らすばかりである。また、このやり方では大きく資産を増やすつもりが、大きく資産を減らすという反対の結果になる場合がある。私はお勧めしていない。その他株式投資には、サヤ取り投資法、波乗り投資法、 3点チャージ投資法、うねりチャート投資法など数え切れないぐらいな手法がある。私は、これらのすべてに取り組んでみた。ほとんどうまくいかなかった。だからどれもお勧めできない。しかし今は銀行に100万円預けていても、年間200円か300円の利子しかつかない。また最近、退職金は確定拠出型年金といって、自分の裁量で退職金を運用する時代に入っている。昔のような確定給付型の退職金制度ではないので、自己責任で運用しなければならない時代になっている。資産運用の上手な人と下手な人では退職金に莫大な差がついてしまうので、運用は分かりませんということでは済まされない時代に入っていることは認識しておいたほうがよい。私の考えている投資法は、例えば100万円の資金があれば、年間で1万円から3万円の利益が出ればよいという考え方である。一攫千金を狙うようなギャンブル投資はダメだという考えだ。500万円の金融資産があれば、年間15万ぐらいの利益である。次に、普段の生活では色々とやることが多いので、株価の上げ下げに一喜一憂するような事はしたくない。放っておいたらいつの間にか株価が上がって利益が出ていたというのが理想である。そのように考えて、私が取り組んでいる株式投資を紹介していきたい。まず株式投資をすると配当金がある銘柄がある。例えば100万円投資をしたすると、高配当銘柄になると4%ぐらいな配当がある。 3 %台の配当をする優良企業はたくさん存在する。これだけで年間3万円から4万円の配当金が入る。ただし税金が20パーセント差し引かれる。倒産のリスクの極めて少ないこういう株を保有し続けるだけで配当金は入ってくる。株式配当は、年に2回という企業が多い。3月に決算の会社では、 9月末と3月末の4日前ぐらい(権利落ち日)に株主になっていれば、 12月と6月ぐらいに配当が入ってくる。しかし企業の業績の低迷や不祥事によって暴落リスクはあるので注意を怠ってはならない。一定のボックス圏で上がったり下がったりを繰り返している銘柄は保有し続けたほうがよいかもしれない。あるいは想定外の高値を付けた時に売ってしまってもよいだろう。配当狙いの株式投資の場合、権利落ち日を過ぎると早速手放してしまう人がいる。そういう人が多いと、配当金以上に1日で下げてしまう。これでは意味がない。私は、権利落ち日になる前に、 3%から5%の株価の上昇があった場合は、早めに処分するようにしている。配当目当てで株を買う人が多いので、傾向としてその直前は株が上がりやすいのだ。反対に、権利落ち日の前に下げに見舞われた場合は、そのまま持続して保有している。そして、配当金をもらい、その企業の株価が上昇するまで気長に待つことにしている。今までの経験で言えば、優良企業の株価が下がりっぱなしという事はなかった。上がったり下がったりを繰り返しているのがほとんどである。私は、下値抵抗線に近づいた銘柄しか買っていないので、ほとんどの場合、半年から1年もすると元に戻ることが多かった。そうなれば、ヤレヤレ売りをしても、最悪でも配当収入だけは確保できる。次に配当以外の株式投資についても述べてみよう。私のスタイルは株価が上がってもうれしいし、下がっても気にならないし、むしろ下げればチャンスが拡がると思ってうれしくなる。ここが株価が下がって意気消沈している人とは違う。まず6か月から3年の日足チャートを見る。そして、ある程度のボックス圏の中で上がったり下がっている銘柄を、日経平均採用銘柄から選ぶ。50銘柄ぐらいはピックアップできる。そのリストを毎日チェックしている。その中でも100株で30万以内で買える銘柄をピックアップしておく。つまり株価3000円をめどにしている。次にkabutanで企業業績が上向きか、悪材料はないかを見る。それらの条件に合う銘柄を、ボックス圏の底に来た時を待ち伏せして100株だけ買うのだ。反転して、上がってくれれば基本的には1万円から2万円以上の利益がのったところで売る。それを繰り返しているだけだ。問題は下がったときである。この場合は、買値から100円程度程度下げたところで、また100株買い増しする。さらに下げてきて100円下げてきたところでまた100株だけ買い増しする。それを5回まで繰り返す余裕資金を準備して取り組んでいるのだ。つまり500円下げても耐えられるだけの余裕を持って取り組んでいるのである。そのために最初からたくさんの株数を買わずに小分けにして買うのだ。当然大きく儲かることはない。しかし大きな痛手を受けることはない。精神的に一喜一憂することは全くない。むしろ今は下がれば下がるほどチャンス拡大と思えるようになった。下げに下げても、平均買い付け価格がどんどん下がってくるので安心感がある。また底を打って反転したときに、株数が増えているのでより多くの利益がのってくる。注意点は、長期に保有するケースが出てくるので、絶対に現物買いをすることだ。よく信用取引をする人がいるが、それだと期限がくると強制決済を余儀なくさせられてしまうので、結局は博打のようなものになる。博打は資産運用とは似て非なるものである。株本を読んでいると、わずかの資金を数年で1億円以上にしたというような本が多すぎる。またこの株を買えば短期で大きく儲かりますよというような顧問業者が多すぎる。そんなリスクを負ってしまうのは、ギャンブルのようなものだと考える。そんな場合は、この投資法は1億の損失を被る危険性があることを説明してほしいものだ。私たちは決してそんな話に惑わされてはならない。100万円の資金が1年で2万円か3万円に増えれば、それで十分だと考えて取り組めば大きなやけどをすることはないと思う。それでも銀行預金と比べれば雲泥の差なのである。手持ち資産をできるだけ最大限に増やしたいと考えている人は多いが、そんな考え方はやめたほうがよい。年間3%ぐらいを目標にすれば、精神的にもとても楽である。投資は楽しみでさえある。特に年配者の資産運用は、全財産の20から30パーセントを株式運用に振り向けるぐらいにする。基本的にそれ以上のリスクを負うべきではないと考える。資産運用も人生の楽しみの一つとしてとらえるぐらいがちょうどよいのではないのか。
2018.01.05
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富士山の登山ルートは4つあります。吉田口、御殿場口、富士宮口、砂走り口です。登山時間はそれぞれ、 6時間10分、 8時間10分、 5時間30分、 6時間後50分と違いがあります。人気度から言うと、 1位は吉田口、2位は富士宮口、 3位は砂走口、4位は御殿場口です。難易度から言うと、 1番難しいのか御殿場口、続いて吉田口と砂走口が続き、比較的登りやすいのか富士宮口です。しかしどの登山ルートを選択しようが、最後には富士山頂に到達するのは間違いありません。どうしてこのような話をするのかといいますと、森田理論を生活に応用するということを考えた場合に参考になることがあるからです。森田理論は最終的には生活に応用していかないと、ほとんど意味をなしません。ここで問題となるのは、その切り口が多種多様であるということです。ざっと挙げただけでも、実践力や行動力をつける。大きな課題、目標、夢を持つ。ものそのものになりきる。バランス感覚を磨く。変化対応力を磨く。生の欲望に邁進する。物の性を尽くす。純な心の実践、 無所住心、あるがまま、事実本位・物事本位などがあります。森田理論学習では、これらの一つ一つについては十分に学習されることと思います。この段階では、例えば医者になるのに、医学の基礎知識を一通りすべて学んでいきます。その後自分の専門分野を決めて、内科、外科、精神科、麻酔科、小児科、耳鼻咽喉科、肛門科、眼科、整形外科、産婦人科のように分かれて行きます。ファイナンシャルプランナーの場合もそうです。一応は基本科目の6項目すべてについて学習していきます。ところが、開業するにあたっては、金融資産運用、不動産運用、保険分野、ライフプラン、税金、相続・事業承継等専門分野に分かれて行きます。一般的な知識では、 ほとんど顧客のニーズに応えることができないのです。この考え方はT字理論と言われています。最初は幅広く基礎的な事を学び、その後は専門分野を1つに絞って、どんどん深耕していくやり方です。私はこの考え方を「森田理論を生活に活かす」という方面にも応用していくことを提案しています。私の森田理論学習の先輩に、「物の性を尽くす」「ものそのものになりきる」という2点に集中して森田実践を続けている人がおられます。その方の話を聞くのがとても楽しみとなっています。私が判断するに、とても地味ではありますが、森田の達人の5本の指に入るような話をされます。例えば、庭の雑草退治の話、ビールを美味しく飲む方法、鯛のアラ炊きの話など具体的な話がたくさん出てきます。庭の雑草退治の話は、 2016年5月5日にすでに投稿していますのでご覧ください。物の性を尽くすにしても徹底して生活の中に取り入れられています。私は、森田先生の多彩な芸を真似ることから始めました。題して「 一人一芸」を磨くことです。これは森田全集第5巻の中の余興の数々の紹介が参考になります。そのうち弾みがついて、自分で本を参考にしたり、詳しい人の集まりに参加するようになります。アルトサックスの演奏、どじょうすくいの踊り、高知のしばてんの踊り、獅子舞、浪曲奇術等をマスターして老人ホームの慰問活動を行っています。この正月には大型ショッピングセンターで客引きの音楽演奏に呼ばれて行ってきました。森田を学習し、1つのことを極めた人は、富士山頂に到達したようなものです。すると芋づる式に森田理論の伝えたかったことがよくわかるようになるのです。この喜びは達成したことのある人でないと、実感がわかないのではないかと思います。ひとつのことが体得できれば、森田理論の10が分かるようになるのです。あるいはもつれた糸が次第にほぐれてくるようなものです。プロ野球の王貞治さんはバッティング理論の解説をすると、球をいかに遠くへ飛ばすかということにかけてはとても納得ができる説明をされます。王貞治さんは800本以上のホームランを打たれたわけですから、無理もありません。しかし、私が感心しているのはバッティング理論だけではありません。王貞治さんは、人間が生きるということはどういうことかについてのしっかりとした見識を持っておられます。これは一般的には木の棒を振り回すという、たいして意味のないようなことに真剣に取り組むことによって、培われたものだと思います。森田理論も総花的にあらゆることに手を出してつまみ食いをすると言うよりも、 1点か2点に絞って粘り強く継続して深耕していく態度が欠かせないと考えます。自分が取り組むべき事は、人それぞれに違います。自分が取り組みやすいこと、興味のあることから始めてみてください。きっとよい結果が出ると確信しています。
2018.01.04
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昨年のノーベル平和賞は、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN=International Campaign to Abolish Nuclear Weapons)が受賞した。この団体は2007年に発足した国際NGOである。 101カ国から468団体、日本からはピースボートなどが参加する。 核兵器の開発や使用を禁止する「核兵器禁止条約」が国連の会議で採択されるよう、各国に働きかけたり、世論を盛り上げたりといった活動で貢献したのが授賞理由だ。 核兵器禁止条約は、今年7月、国連で122カ国が賛成して採択された。 50カ国が批准すれば発効する。締約国には核兵器の開発、実験、生産のほか、核兵器を使った威嚇などを幅広く禁止している。 しかし、現在核兵器は、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国を中心として15000発程度ある。それ以外新興国も簡単に核兵器を保有できる時代に入っている。 これらの五大大国の大使は授賞式に出席していない。アメリカの同盟国である日本は、世界で唯一の被爆国でありながら出席していない。 私はそれらの国は今後も引き続いてこの活動に積極的に参加することはないと思う。これらの国が参加しない核兵器廃絶運動はとん挫するだろう。 これらの国は武力を前面に押し出して、金融戦争、経済戦争を勝ち抜いて、世界の覇者になろうとしている国ばかりだからである。 世界の富を自分たちの国で独り占めにしようとしている国々ばかりである。 その先兵等いうべき、フォーチュン500に入っている国際多国籍企業はほとんどこれらの5か国で占められている。 それらの国々が、核兵器の後ろ盾を持たずに、互角に生きるか死ぬかの経済戦争を戦おうとしても、無理なことだ。だから絶対に核兵器を手放すことはないと考える。 今神経をとがらせているのは、新興国が破れかぶれになって核兵器を開発し発射することを阻止することだけだ。それは大人が飲酒やたばこを吸っているのに、未成年だからといって子供たちに禁止しているようなものだ。 ICANは、今から世界中で草の根運動を展開して、5大大国の政府を動かしていくのだという。その手法は、サーロ節子さんのような、被爆体験者の悲惨な実体験を訴えていくやり方である。尊い活動ではあると思うが、これではうまくいかないと思う。 私は戦法を変えて取り組む必要があると考えている。 その際私たちが学習している、森田理論の考え方が一つの答えを持っていると思う。 森田理論の基本的な考え方は、生の欲望はどこまでも追及したほうがよいという考え方だ。豊かな生活を求めて経済的に豊かになるという欲望を追及してもよいのだ。お金儲けの好きな人は、お金儲けをしてもよい。これこそが生きる証のようなものだ。 しかし、それを野放しに際限なく追及してはならない。野放しに欲望を追及していると欲望の暴走が起きる。一旦暴走し始めると、途中で反省して中止しようと思っても、すでに時遅しという状況に直面する。現在社会がもうその域に突入しているかの様相である。 森田理論では欲望が起きると、必ず不安が起きるといっている。 その不安を活用して、欲望の暴走に制御機能を持たさなければならないといっているのだ。それが不安の持つ大きな役割なのだ。 車の操作でも、アクセルがないと車は前に進まない。しかしアクセルを制御するブレーキがなかったり壊れていると事故を起こしたり、大惨事を引き起こす。ブレーキの役割は重要だ。 これを今の金融資本主義社会でいえば、際限なく物質的に豊かな生活を追い求め続けること、人を不幸に陥れてでも自分の儲けを追及し続けるようなあくなき欲望の追及が無制御に行われていることが問題なのだ。それを5大大国が国益の追及と称して血眼になって先導しているのだ。 もし草の根運動から、核廃絶運動をしようとするのならば、先進国に暮らしている我々自身の生活の仕方、あるいは国際多国籍企業の際限のない利潤追求の社会のしくみなどを修正していく必要があると考える。そういう森田的な考え方を持てるような人が、世界中に増えてきて、自分自身の生活スタイルを変えて、経済活動や政治活動に影響を与えようになることが一番求められている。そうしないと人類は支配者と被支配者に二極分解して、どんどんと生きづらさを拡大していくかもしれない。最後には、一部の人の欲望の暴走が大爆発を起こして人類の滅亡の時を迎えるかもしれない。
2018.01.03
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小学校6年生の孫が元旦2日目にやってきた。 孫が来てくれるのはとても楽しみだ。 「おじいちゃん、おばあちゃんおめでとうございます」 「おめでとう。見るたびにしっかりしてくるねえ。冬休みの宿題ははかどっているの」孫がそわそわしている。すぐに原因は分かった。お年玉の催促だ。 早速お年玉袋を渡す。「ありがとう」と言うとすぐに開封して金額を確かめている。 「5000円か。向こうのおじいちゃんは1万円くれたという」 慌てたのはこちらのおじいちゃん、おばあちゃんのほうだ。 孫は両家で事前に根回しをしていないと、予定が狂うようなことをいう。 小学生といえどもしたたかだ。友達には絶対負けたくないのだという。 おいおい、それは勉強やスポーツのほうではないのか。 お年玉の額なんかどうでもいいではないか。どうもおじいちゃんは納得できないな。 来年は納得のいくお年玉を用意することで、やむなく引き下がってもらう。 このままいくと、中学生や高校生になったころにはいくらに跳ね上がっていることやら。いまから先が思いやられる。お年玉破産にならなければよいが。 続いてトイザらスにおもちゃを買いに行く。今のおもちゃは電動式のものが多く値段が張る。お年玉から買うのかと思いきや、「おじいちゃん、誕生日とクリスマスプレゼントはまだだったよな」とたたみかける。 これもおじいちゃんの出費だ。うまく予算組をしている。私も見習いたいものだ。 今日はこれからまっすぐ家に帰るのかと聞くと、おばさんとおじさんの家に回るという。見るとノートにお年玉をもらう予定先をしっかりと書いている。 新年のあいさつに行くのはいいけど、お年玉をちらつかせたりするなよと忠告した。 おじいちゃんは毎月の小遣のやりくりで苦労している。 いつか孫から借り入れをすることになるかもね。 「おじいちゃん利子がつくけどそれでもいい」などという。お前はお年玉で金融業に手を出していたのか。 ここで一句。孫が来るとうれしい。帰ってくれたらもっと嬉しい。 台風一過の家の後片付けに精出すおじいちゃんとおばあちゃんでした。 チャンチャン
2018.01.02
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管理会社が管理しているマンションには、受付のところに「お客様の声」というハガキが設置されている。お客様が気づいたことを自由に書いてもらっている。感動を受けるサービスを受けたとき、クレームの事案がある時、このハガキに書いて投函してもらっている。このハガキを見ると、苦情やクレームの内容のものが圧倒的に多い。ある時、こんな内容のハガキが本社に届いた。管理人を見かけた時、ふらふらしながら歩いていた。これはきっと勤務中に酒を飲んでいるのではないでしょうか。タバコは注意しても、吸っているようです。エレベーターの周辺にまでタバコのにおいがして気持ちが悪いです。特定の居住者の人と仲良くなり長話をしている。そんな暇があるのなら、もっと丁寧に清掃をしてほしい。埃が溜まっているのに何日も放置されているところがある。このような管理人に給料を支払いたくない。こういうハガキが届くと、管理会社としては、そのような不満を持っている居住者がいるということを受け入れる。もしそれが事実ならば、管理人に改善要求をする。あるいは配置換えなどを行う。そのためにはまずハガキの内容が事実かどうかを電話で管理人に確認をとる。居住者の言い分と管理人の言い分が一致しているのかどうか、現地に出向いて事実確認を行う。上記の例で言うと、この管理人さんは酒は全く飲めない人だった。またタバコは全く吸わない人であった。つまり酒を飲んでフラフラしているとかタバコの匂いが充満しているという話は嘘であった。特定の居住者と長話をしているというのは、以前この居住者の方との関係に当てはまる事象であった。他の居住者の人と5分以上にわたって世間話をするという事はないということだった。清掃に関しても、点検して歩いても、おおむね会社から指示されている清掃は無難にこなされていた。管理人によれば、 可燃物のゴミ出しの時に灰汁のようなものを何回か開放廊下に撒き散らされたので注意をしたことがある。それ以来、それを根に持って何かにつけてクレームをつけられるようになったという。その居住者の人と管理人の人間関係が悪くなっていたのである。ただ、それは管理人の言い分であり、それが全く事実通りであるかどうかは疑わしい。そこで、管理会社はどうするかというと、理事長や理事さんにこのクレームの内容を伝えて果たして事実はどうなのかと確認をとる。つまり客観的に第3者の目で公平に判定するのだ。この場合、この居住者の人はマンションの中の人間関係で孤立していることが分かった。消防点検や排水管清掃、大規模修繕工事、来客専用駐車場の使用、ゴミ出しなどで他の居住者と言い合いになることが多数発生していた。理事長さんや理事さんは、ハガキの内容は事実無根の内容が大半であり、管理人さんに大きな落ち度はないという事だった。従って解雇などの事案には当たらないということだった。これがもし、管理会社が居住者のクリームを真に受けて、管理人はけしからんと改善要求をしたらどうでしょうか。管理人は自分の立場を無視されて、居住者の肩をもっている管理会社に対して不信感を募らせたことでしょう。中には腹を立てて、管理人の仕事を辞めてしまう人がいるかもしれません。実はお客様のクレームに対して、それを間違いないものだと先入観で決めつけて、従業員を責めたてるという事はよくあることです。それでは、従業員はたまったものではありません。こういう場合は、居住者の言い分をそのまま受け入れるのではなく、従業員の言い分もよく聞いてみることです。森田理論で言うと両面観にあたります。そしてさらに客観的に第三者の判断を仰いでみることも必要です。第三者は比較的公平で冷静な目で事実を見ています。この場合、事実を見極めるためには、クレームをつけた居住者、管理人、理事長さんや理事さんの三者の意見を価値判断なしに聞いてみることが必要です。そうすれば、本当の事実に限りなく近づきます。対策を立てたり指導、勧告をしたりするのは、そのあとにすべきです。言葉で言ってしまえばその通りなのですが、事実を確かめる前に、先入観や決めつけによってすぐに対策に走ってしまう場合が後をたちません。事実を無視すると、すぐに人間関係が悪化してきます。事実誤認の上に立って対策を講じることは、時間や労力が無駄になります。森田でいう事実本位の立場に立つということは、ぜひとも身に付けたいものです。これは他人との場合ですが、自分自身に対しても、すぐに自分はダメだと自己否定してしまう人は、事実誤認をしているのではないでしょうか。もっと両面観を活用してに事実を見ることが大事です。
2018.01.02
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皆さんあけましておめでとうございます。健やかな新年をお迎えのことと思います。いつもこのブログを読んでいただいてありがとうございます。いつも温かく寛容な態度で見守っていただき言葉もありません。またコメントやメール等で励まし続けていただいた方にはこの場を借りて感謝申し上げます。最初は5年間限定で、森田の魅力を紹介しようと思って始めました。5年間で10万人ぐらいのアクセスがあればと考えておりました。実際には1年目総アクセス3万人でした。2年目8万人になりました。3年目198,000人でした。4年目423,000人でした。そして昨年末は724,000人でした。この1年間は延べ300,000人の方がアクセスしてくださいました。森田理論にはそれだけ多くの人を引き付ける魅力を内包しているのだと思います。このブログが多くの人に読まれるようになった時、森田の認知度は少しは高まるのかもしれません。高良武久先生が10年間一つのことに取り組んでいけば、その道のエキスパートになれると言われています。その目標が達成できれば、他人の思惑は気にならなくなるといわれていました。対人恐怖症の私にとってはとても魅力的な話です。それを確認する意味でも、あと5年は続けてみたいと考えています。投稿原稿を準備する中で、私自身もびっくりするくらい森田理論を深めることができました。今では「この道より我を活かす道なし。この道を愚直に進む」という心境になりました。今後どんな方面に森田理論が花開いていくのか、どんな自分に変身できるのか、楽しみでもあります。私にはこのブログを続けていく事以外にも、「森田理論の全体像」をベースにしたネットの掲示板を活用した学習会を始めてみたいという夢があります。また今までの投稿原稿を整理して、「森田理論の日常生活への応用」という新たなテキストを書いてみたいとも考えております。これらの夢の実現に向けて、今年1年気持ちも新たに取り組んでゆく所存です。読者の皆様、今後ともよろしくお願いいたします。
2018.01.01
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