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先月、パパはどこにもいかないよ。ここにいるよ・・っと言ってたパパ。我が家は何も変わらず、いつパパが帰ってきても全く問題ない状態なのにパパは帰ってこない。昨夜は絶不調で布団に入り、パパに会いたいといいながら寝たせいか、パパが夢にでてきた。パパも私も王子も、パパが死んだことを忘れたかのように、すごく普通に会話してた。パパ、元気に動いてた。パパにあえた。パパにあえたよ。
2016.10.27
あれから一か月がたった。昨年のいまごろは、パパが入院することになって、急きょ王子の誕生日の前祝いで映画をみたり、食事をしたりしてた。今年はどうしたらいいのか、全然思い浮かばない。何かを祝うとか、そういう気持ちになれない。学校行事も頭の痛いことのひとつだけど、冬休みも頭が痛い。正月というと、まわりは、帰省だの旅行だのと騒ぎだすけど、私には帰る家も、迎えてくれる人もいない。パパが元気だったときは、旅行にいったりしてたから、あんまり気にならなかったけど。今年も、どこにもいかなかったけど、パパがいたから気にならなかった。旅行じゃなくても、一歩家の外にでれば、家族みんなでおでかけする人たちがあふれてる。年に一回、一家そろって団らん楽しむとか、そういう風習、迷惑なんだよね・・。迷惑と思ってるのは私だけなのかもしれないけど。。正月は赤の他人がほかの人の家庭を邪魔しちゃいけない期間なんだよ。。と王子に教える。それもこれも、いつまでも続くものではないし、いつかは別れがくるものだから、冬休み中の仕事は全部受けることにした。冬休みなんてしょせん、帰るべき家がある人とか、一緒に旅行とか、余暇を楽しむ家族がいるひとのためのものなんだよね。。。・・と考えると、社内には、親も配偶者もいないひとは私しかいない。王子は、ママ以外のひとは他人なんだと、最近強く感じるというけど、ほんとに、自分と周りの人たちの差が大きすぎて、わびしい。。。
2016.10.26

これは昨年のバザー。パパ、1年もたなかった。。王子が中学生になるまでなんとか・・っていってたのに。今年もきて!っと王子にいわれてるんだけど、ちょっと行く自信がない。。。
2016.10.20
パパは最後はガンそのものではなく悪液質による衰弱で死んだ。悪液質で苦しんでいるとわかったときに、いろいろ調べたけど、予防策しかみつからなかった・・・。わかってたことだったのに、最期を考えるのが嫌で、ちゃんと調べてなかった。前もって予防策をとれていれば、もう少し違ったのかなとすごく後悔してる。あえでも、昨日、仕事終わりに、ある、ひとつの希望に気づいた。すべての生きている人は、死に向かって日々を送ってる。生きているということは死ぬことで、一日がたつということは一日寿命が短くなるということ。だから、どんなに無駄な一日を送っていたとしても、一日頑張れば、一日パパに会える日が近づく。あと何日したらパパに会えるのか分からないけど、でも、日々確実にパパに近づいてる。この一年、パパに早く会いたくて、無駄な残業を1分でも減らそうと頑張ってきた。いまは、無駄なことをしようが、なにをしようが、楽しい毎日じゃなくても辛くても、我慢してれば、パパに会える日が近づく。パパが生きているうちは、せまりくる別れの日が怖かったけど、いまは寂しいけど、日々を送ることにより、パパに近づく。早く会いたい。
2016.10.19
悲しみからの回復の達人というのがあった。回復が早かった例で、いくつかの点があげられていた。1.本人の性格楽天的とか、陽気とか。。。。 → およそ私と正反対・・。2.自分の領域がある仕事とか、家庭とか。 → まぁ、例の人が亡くしたのはお母さんだったみたいだから そうなんだけど・・。趣味や趣味の仲間がいる。看病中も、看病のみの状態になるのはNGで、仕事を続けていたのがよかった。 → 私の場合、まったくあてはまらない。 正直、仕事なんて、どうでもよくなってたし、仕事に時間を とられるくらいなら、パパと一緒にいたかった。 生活があるから、我慢して仕事してただけで、この一年はとにかく、 早くパパに会いたいから、残業したくなくて一生懸命だった。 いまや、なんのために仕事しているのかさえも分からない。(扶養家族のため?)3.取り巻く人間関係に問題ない。同居家族や、実家や兄弟とも良好だった。 → 私と真逆ですな・・。 このまえ、祖母が母に、私を堕ろすようにと強く支持していたと聞いたよ。。。 生まれてきて、生きててごめんなさい・・と、何度思ったかわからない・・。4.コミュニケーション能力が高い → ここまで私にないものばかり羅列されると・・。5.看取りの自己肯定感やりきった、という思い。葬儀でも、やりきった!という思いでしょう?・・って聞いてくる人がいたけど、どうやったら、そう思えるんだろう・・・。非常に不思議。こんなに短いなら、もっと早く会社休みだせばよかったと思ってるくらいだし、もう少し話ができるうちに話したいこともあった。緩和ケアの病院選びを最初失敗したのも後悔のひとつ。漢方薬を自分で試す前にパパに飲ませたのも後悔のひとつ。やりきったどころか、やりなおしたい。これがグリーフからの早く回復する例。何もかも私と正反対で、驚いた・・。こういう人もいるんだ・・。まぁ、同居してたかどうか、とか、相手が自分にとって(法的にではなく)どういう人であったか、が大きいと思うんだけど・・。あとは、・仕事はじめて元気になった。私にはまったくない。先週、久しぶりに会社にきて思ったのは、ここにはパパより年上の人もたくさんいるのに、死んだのはパパだけで、みんなは普通に健康に生活しているんだ・・ってこと。仕事中もむなしく、仕事が終わると、さらにむなしい。・何か趣味とか、楽しいことみつけて前向きになれ。これが最悪に辛い。できないことを強制されているようで、こういうこという人が恨めしい。苦しくなるばっかりだから、やめてほしい。
2016.10.18
ふと、昔昔にパパからきたメールがでてきた。まだ付き合う前で、聞いてもいないのに年だとか誕生日だとか血液型だとか書いてある。そういえば、パパって、こういう軽いノリだったよねぇ・・・。私や王子の手前、落ち着いたパパを演じてる部分があったけど、つまりは昔から今に至るまで、変わってなかったのね・・。今でも忘れられない、残業中のパパからのひとこと。「ねぇ、ねぇ、誰が好きな人とかいるの? なんか両手に男って感じだよねー」・・・・。それはおまえだろ・・・・。どんだけ失礼なんだよ・・。・・っと思ったけど、昔の写真を見ると、パパに負けてないくらい遊び人風な自分がいる・・。(つまりどっちも遊び人風)だったけど、パパからのメールはいつも、私のことが心配とか、信じてとか、愛してるとか、終始そういう内容で、それはこの16年、ずっと変わらなかった。思い出した・・。ああいう、ちょっと軽いノリの、馬鹿っぽいところはあるけど、頭がよくて仕事もできて、楽しいパパだから好きになったんだった・・。ただ、付き合ってみたら、思った以上に私が幼稚で、仕事以外のことは何もできないから、パパが大人になるしかなかったのね・・。(昔、よく、もう少し、しっかりした人かと思ってた・・とか言ってたけど・・)パパは私のことをよく、やっと見つけたとか、特別とか言ってたし、私にとってもパパは特別な、二人といない存在だったけど、パパにとっては、どうして私が特別だったのかは、今でもよくわからない。「ママにはパパしかいないんだから。パパ以外じゃ絶対ムリ。」と、パパはよくいってた。・・・うん・・。確かにそうだ・・。と納得したのはいつのことだったのか、たぶん、パパと初めて出会ったこの町に戻ってきてからだったと思うけど。パパの最期のときの看病は、いろんなひとが、えらいとか、がんばっているとかいろいろいってたけど、自分的にはあんまりえらくない。私はいつでも、自分がやりたいことをやってるだけ。パパ以外の人に同じことはできないと思うし、相手がパパだから、なんのがんばりもなく、苦もなく、してた。パパが生きててくれるなら、ずっと自宅看病でも全然よかったのに、パパは日に日に悪くなっていって、在宅療養になってから一ヶ月もたたないうちに死んじゃった。パパが元気になってくれるなら、なんでもするよって言ったのに。。。もう、一緒においしいものも食べられないし、テレビみたり、映画みたり、笑ったりできないね。お散歩もいけないし、王子のお誕生会もできない。一緒に旅行して、いろんなものを見たり聞いたりもできないね。でもどこにもいかないっていったよね。ずっと一緒にいるっていったよね。一緒にいるの? 今も。もうおいしいものを食べたいとも思えないし、どこかに行きたいとも思えないよ。
2016.10.14
パパが会社のひととやりとりしていたメールに、とあることが書いてあった。看護婦さんは妻がやきもちをやくほどかわいいとか、パンツすけてみえるとか、爆乳の子がどーたらとか、、、、なんか・・・違う意味で寂しくなった。パパは、私が、パパ死ぬかもと泣いているときに、こういうメールうってたのね・・。そうか・・。パパはそんなに胸が大きいほうがよかったんだ・・。だったら豊胸手術したのに・・。王子は、まぁ、仲のいいひととのノリで、そういう会話したんでしょというし、まぁ、そうだとは思うけどね・・。。。いまさら本音を知っても仕方がないんだろうけど、、もともと胸が小さかったのに、授乳期間が長かったのと、やたらと良く飲む子だったから、余計に胸がペッタンコになっちゃったんだよね・・。わかってて授乳してたけど、あのころは王子のことしか考えられなかった。。パパ、そういうふうに思ってたのね・・。だったら豊胸手術したのに・・。今更手術しても、どうしようもないし・・。なんか寂しい。
2016.10.13
あれから2週間たった。在宅医療の病院を切り替えたのが9月17日。その時点で、予後がとても悪い。もって1・2週間。9月を超すのは無理といわれた。その日、パパはひどい吐き気で寝ても起きてもいられない状態だったけど、パパはどこにもいかないよ。ずっとここにいるよ・・と言った。苦しそうに、「愛してる」っていった。在宅医療がはじまってから、パパが死ぬまでの一か月弱って、なんだったんだろう・・。毎日が事件の連続で、事件のたびにパパが弱っていった。ほんのひととき、一緒にコーヒーを飲んだり、果物たべたり、アイス食べたりする、ほんとにちょっとだけ、そういう時間があった。あとは苦しむパパの横で、マッサージしたり、讃美歌うたったり、聖書読んだり。パパが死ぬ不安に襲われることも、もうない。ただ、からっぽの自分がいる。
2016.10.12
パパに会いたい パパに会いたい 二週間前はまだ、おうちにいた。 辛い思いをさせてごめんねって言ってた。 一緒に死にたかったよ。
2016.10.09
毎日、同じ夢を見る。 うたた寝していても同じ夢を見る。 ガンや終末期について、緩和について、必死に調べてる。 よい方法がみつかり、やってみようとしたところで、パパはもういない。パパは骨になったことを思い出す。 そこで目が覚める。 いつも同じ夢。 パパはもういない。 それに気づいて目が覚める。 パパに会いたい。
2016.10.02
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