PR
Keyword Search
Comments
New!
Gママさん
New!
隠居人はせじぃさん
noahnoahnoahさんCalendar
羽田空港から『米子鬼太郎空港』へ。
知名度をアップして利用者を増やすために、郷土出身の漫画家水木しげるのキャラクター・
ゲゲゲの鬼太郎の名前を冠した「米子鬼太郎空港」という愛称で呼ぶことになったのは
昨年春。飛行機に跨った鬼太郎が迎えてくれました。

翌朝はいつもの早朝散歩。ホテルはJR米子駅の横。まずは米子駅に。
早朝のためか人は殆どいない。時計は5:40。

駅を背に大通りを海に向かって歩く。
駅前の歩道には、いろいろな種類の星座が埋め込まれていました。
歩いて楽しい美しい町並みの実現の為に道路に星座の名前を付けて整備したとのこと。
オリオン座であることが近くの表示板にて解りました。私は星座については全く知識なし。

寺町通りに向かいました。
米子・加茂川の外れ、寺町に寺院が各所にひっそり佇んでいたのでした。
ここ米子の通称"寺町通り"と呼ばれる通りは、9つのお寺が通り沿いに並んでいました。
これは米子城築城の際、伯耆の各地から移されてきたもの。室町時代中期に足利直義が
諸国に建てた内のひとつ「安国寺」など歴史の古い寺が建ち並んでいるのでした。
寺町通りの寺の前には石屋、花屋、桐箱屋が軒を連ねていた。付近の町並みはこれも
昭和の昔を思わせる古い町並みが佇んでいたのです。
少し残念なのは、各寺に自寺の紹介や歴史的由来、あるいは誰を祭ってあるかなどの
記載してある立て札、紹介などが殆ど無いこと。予習なく突然訪れるにはやや辛いのでした。

後藤家住宅。
昭和49年重要文化財指定されたとのこと。
後藤家は江戸時代の初期石見国(いまの島根県)から移住、鳥取藩の海運の中心地米子で
代々回船問屋を営んでいたとのこと。

清洞寺跡
米子市の湊山公園の日本庭園の中にある清洞寺跡は、昔、亀島と呼ばれる小島。
江戸時代に埋め立て、今は大きな松と岩が池と共に残っているだけ。
江戸時代初め、米子の城主は次々と替わり、それに伴い寺号も下記のように変わって行ったと。
曹渓院 → 海禅院 → 禅源寺 → 清洞寺
石の上で休んでいた野鳥たちが私の訪問で池の水面にに避難。

港山公園(みなとやま)に向かう。
湊山公園は中海に面した風光明媚なスポット。
湊山公園の海岸沿いへ。
中海方向へ目をやると下の写真"夕日"という題名の彫刻が。
夕日を見つめる三人の子供と犬の姿。私もここから夕日を見てみたいと思ったのでした。

SLのD51も展示されていました。

公園内には多くの桜の木々が。半月前には大勢の花見客でにぎわったのでしょう。
小高い山を15分ほど息を切らせながら登って行くと、米子城跡に到着。
米子城は、3つの城からなる城。湊山に築かれた本の丸、丸山に築かれた内膳丸
そして飯山の出丸。これらの3つの山の谷間に二の丸・三の丸が築かれ、一つの城となって
いるとの説明板が。

1591年毛利一族の吉川広家が築城を始め、17万5千石、伯耆の領主中村一忠が
1601年完成させたと。加藤、池田、荒尾と11代続きましたが、明治の初期、米子市内の
風呂屋に薪として売られてしまったと・・・・信じられない話。
城跡から見る景色は米子市街や中海、遠くに大山を望む事が出来絶景そのものでした。

約2時間弱の早朝散歩。8時前にはホテルに戻り朝食を取り仕事場に向かったのでした。
牛久大仏へ(その3) 2025.11.19
牛久大仏へ(その2) 2025.11.18
牛久大仏へ(その1) 2025.11.17