PR
Keyword Search
Comments
New!
Gママさん
New!
隠居人はせじぃさん
noahnoahnoahさんCalendar
【6月4日】
再びバスに乗り今度はダーダネルス海峡を右手に見ながらトロイに向かう。
この日はヨーロッパ→アジアへのグレートジャーニー。
漸く6時間以上をかけてトロイ遺跡に到着。
入場券をもらい入場すると目の前には、真っ白なそして甘い香りの花が満開を迎えていた。

そして花にはたくさんの蜂や虫たちが訪花していた。
素人養蜂家としてはこの樹木の名前が気になり辺りを見回すと名前が判明。
『KATALPA』との表示。
インターネットで調べてみると、この木は日本にあまり存在しない木とのこと。
このカタルパ、実はとても歴史のある木なのである。明治を代表するジャーナリスト、
日本のこの木は徳富蘇峰の恩師である新島襄が明治10年頃に北アメリカから持ち帰った
種子から育ったと言われいると。そして開花期間が極めて短いとも。
遠きトルコの地でこの花の開花の瞬間に巡り会えたことに感謝。

そしてトロイ遺跡の見学。
トロイの遺跡はエーゲ海北部の、マルマラ海沿岸地方のビガ半島に在る、低くて小さな
ヒサルルクの丘にあるのだ。ここに集落が作られた時代は丘のすぐ近くが海岸線であったが、
現在では海岸線が後退して、丘と海岸の間には畑や草原が広がっていた。
トロイの遺跡は初期青銅器文明の紀元前3000年から、ローマ時代の紀元前334年まで、
9層からなる複雑な都市遺跡。この中でホメロスが描いたプリアモス王(トロイ最後の王)
のトロイは一般的に「第7a市(紀元前1275~1240年)」と言われていると。
しかし考古学的には、木馬どころかトロイ戦争(紀元前1200年頃)そのものが有ったのか、
そして"トロイ人"とはどんな民族なのかも、まだ解っていないとのこと。
彼のシュリーマンは「トロイの財宝」に目が眩み、素人なので、闇雲に掘り進み、他の時代層を
破壊してしまったのだと。そして彼の手にした財宝は、エーゲ海交易の中心地として繁栄した
「第2市(紀元前2500~2200年)」時代の物で、その為に「第3市」「第4市」「第5市」は
崩され、其の時代の出土品が極めて少なくなってしまったと。
トロイの遺跡は直径約600m程の小さな城塞。
円形の城塞の石垣。
この石垣はトロイが一番繁栄していた「第6市(紀元前1800~1275年)」の物とのこと。
ほぼ円形に二重に城壁を巡らし、ここに造られた歴代の城塞都市としては最大規模。
トロイの石垣や城壁はいずれも低くて薄いという感じで、日本の城よりも、更に脆弱で、
本格的な籠城などが出来る城塞とは考えにくいのであったが。

レンガの石積み。
世界最古の日干しレンガ。5000年前?

石畳の坂道。
比較的新しい物で、完全な状態でしっかりと残っていた。まるで最近作られた物の様に
見え、時代を感じさせないもの。石畳の坂道は荷馬車や騎馬などがそのまま城塞の上段の
テラスへ登れるように造られたものとのガイドの説明。

ローマ時代の小オデオン。
第4市(紀元前500~334年)」時代のオデオン。さしずめ現代で言う処の小劇場。
この規模からしてこの町のおおよその人口が察せられると。

これぞトロイの木馬。
トロイ戦争の時に、トロイを攻めあぐねたギリシア軍が、トロイの木馬に兵士50人を密かに
忍ばせて、トロイ城の前に置いて、退却したと見せかけて、船を出発させて、島影に隠れて、
夜を待ち、トロイの人たちが、勝利の酒で、酔いつぶれるのを待って、木馬から兵士が出て、
城門をあけ、ギリシア軍を引き入れトロイの城を落としたとされてるとのことだが、
これにも、別の説もあると。
トロイの城壁は、地震で、崩れて、そこから、ギリシア軍が侵入して、トロイを打ち破ったもので、
木馬は、その後、海の神ポセイドンに捧げたというもの。私は城壁を見学して後者派。
木馬が極めて新しいのがこの場に不似合い。映画に使用したという木馬の方が本物らしい
とのことであるが、その木馬は、チャナッカレの港近くにあるとのこと。

トロイ遺跡の観光を終え、この日のホテルのあるアイワルクまで150km/3時間の移動。
途中、貯水湖の擁壁にDSIの文字が。翌日にも同じ文字を見たので、日本の国土交通省
に相当するものかとその場では理解したが、帰宅してインターネットで調べてみるとやはり
『トルコ国家水利庁』とのこと。

そしてトルコの家屋にはほとんどの家やビルに太陽熱温水器が載っているのである。
日照時間が長いし、石油は高い(税金が高い?)し、イスラムの掟で、毎日体を清潔にして
から祈らなくてならないから、温水器が普及するわけも解ったのであった。
部屋の数だけ乗っているのだろうか、異様な数。アパートや一戸建ての家の区別無く
至るところで。国民の義務?ではなさそうだが。
そしてパラボラアンテナも1軒で3個も違った向きに。
ヨーロッパ、アジアそして中東のそれぞれテレビ局用?電波の十字路でもあるのだろうか?

そしてアイワルクの街の海岸沿いにあるホテルに到着。
アイワルクはトルコ西部の港町。エーゲ海に面し、沖合にギリシャ領のレスボス島が浮かぶ街。
近隣には白い砂浜が広がり、海岸保養地として知られる街。
添乗員のZEKIさんの説明によると、古代ギリシアの文人にはレスボス島ゆかりの者も
多く、レスボス島出身者として、詩人のサッポーがいると。
サッポーが女性に対する愛を謳った作品を多く遺したことから、英語では、もともと
「レスボス人」を指した Lesbian という語は、後に女性同性愛者(レズビアン)を意味する
ようになったと。女性同性愛の意味での lesbianism というこの表現は20世紀以降、
この言葉は世界各国に借用され、広まったと何故か熱く語っていたのだ。
遠く、かすかに、このギリシャ領のレスボス島が見えた。

そしてホテルに到着。この日のホテルは『GRAND TEMIZEL』。

野菜サラダが旨い。
そして食後には海岸に出て夕焼け鑑賞。

エーゲ海が赤く染まっていた。そして爽やかな風が。
そしてふとこの歌がエーゲ海(Aegean)を眺めながら頭をよぎった。
もちろんジュデイ・オングの『魅せられて』。
エーゲ海の砂浜に立つ、アルコールのせいかやけに感傷的な還暦過ぎのオヤジが
いたのであった。
