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カテゴリ: 旅行
再び中央自動車道に戻り、長野自動車道を利用し松本ICで下り松本城駐車場へ到着。

松本城の安土桃山時代末期-江戸時代初期に建造された天守は国宝に指定され、城跡は国の史跡に
指定されているのです。

戦国時代には深志城と呼ばれ、信濃守護である小笠原氏の支城のひとつにすぎなかったと。
武田信玄の信濃攻略の時から松本平の押さえとして、俄然この深志城が脚光を浴びることに
なったとのこと。
武田家滅亡後の天正10年(1582年)になって、徳川幕下に加わった小笠原貞慶がようやく
返り咲くことに。
その時から、深志城は松本城と名前を変、転封や改易により、城主が転々と替わったと。

土壁の下の下見板張が、何とも形容しがたい美しさ。

歴代城主は、小笠原氏~石川氏~戸田松平氏~堀田氏~水野氏~戸田松平氏と変遷。
戸田宗家である松平氏6万石の城下町として、明治維新を迎えることに。

5重6階の大天守を中心に、乾小天守を渡櫓で連結し、辰巳附櫓と月見櫓を複合した
「連結複合型天守」。月見をするための櫓で、周りには朱塗りの回縁(まわりえん)が
めぐらされていて印象的。

お堀には2波の白鳥がゆったりと身体を休ませていた。

お堀の水も澄んでいてこちらものんびりと鯉も泳いでいた。
会社の先輩で、大学の教授に転身されたAさんが、この堀の浚渫浄化を昨年実施したのだ。
見学のお誘いのメールも頂いたが、スケジュールが合わずその時は出向でしず。

黒門が本丸の正門で、これより中に入るのは有料。
日本百名城のスタンプのみとチケット売り場で申し出ると1名だけは無料で入
場できたのであった。

黒門を内側から。
松本藩の本丸御殿が黒(奥)書院であったことから、その入り口を黒門と称したと。

松本城黒門(表門の裏側)

百名城スタンプをGET。

観光客の姿はまばら。

再び白鳥が仲良く。

そして次は松代城へ。
牛久大仏へ(その3) 2025.11.19
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