JINさんの陽蜂農遠日記

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2014.03.07
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カテゴリ: 国内旅行

長野自動車道、上信越自動車道を利用し、松代城駐車場へ到着。

元々は海津城(かいづじょう)と呼ばれていたが貝津城とも言われた。

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松代観光案内図。

昭和期の太平洋戦争末期には国家中枢機能の移転を目的として松代大本営の地下坑道が造られた

ことで有名な町。 太平洋戦争以前より、海岸から近く広い関東平野の端にある東京は、陸軍により

防衛機能が弱いと考えられていた。そのため本土決戦を想定し海岸から離れた場所への中枢機能

移転計画を進めていたのだと。

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戦国時代、武田信玄と上杉謙信の川中島合戦に於いて、武田方の海津城が築城されたのだ。

武田家滅亡後は、森忠政が入り「待城」と改名。さらに、松平忠輝が入ると「松城」と改名。

そして1622(元和8)年に上田から真田信之が入り、以後は真田家の城下町として発展し、

1771(正徳元)年に3代藩主の真田幸道のときに、幕府の命令で「松代」と地名を

改名したと。

明治になって城は破却されたが、近年になって整備が大幅に進み、城下町と共に観光名所となって

いるのだ。 

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前橋&橋詰門。

奥の櫓門と手前の高麗門で内枡形を形成。発掘調査や絵図に基づき、太鼓門前橋と共に

復元されたと。 

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お堀と石垣の上の見事な老松。 

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「日本100名城スタンプ」は、太鼓門側入り口から堀沿いを左側に進んだ松代城址管理棟の

カウンターに置いてあった。 

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旅友のSさんも日本100名城スタンプラリーに挑戦中。 

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日本100名城のスタンプをGET。

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前橋&太鼓門表門(橋詰門)。

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太鼓門。

門をくぐれば、そこには本丸御殿跡地が。

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売店なども一切なし。観光客は我々含めて2組のみ。

天守台脇の北側の北不開門。

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表門(枡形門)。

冠木の上に束(つか)を建て、その上に屋根をのせているところ。 

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戌亥隅櫓跡。

最も高い石垣を持ち、まるで天守台のような戌亥隅櫓跡。石垣は野面積みで積まれていた。

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戌亥隅櫓跡から北不開門方面の眺め。 

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戌亥隅櫓跡の石垣。

松代城内でも古い近世初頭のものと言われており、その高さと勾配の美しさは、当時の石工の技術の

高さを物語っていると。 

駐車場の前にある」池田満寿夫美術館。

池田 満寿夫は、画家・版画家・挿絵画家・彫刻家・陶芸家・作家・映画監督などの従来の芸術の枠に

とどまらず多彩に活躍した芸術家。エロスの作家といわれるように、官能的な作風が多い画家。 

松代藩主・真田邸横を通り次の目的地、上田城へ向かう。






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Last updated  2023.02.13 19:49:24
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