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Gママさん
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隠居人はせじぃさん
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翌朝は6時から朝食。一番乗りか?


そしてホテル周辺を早朝散歩。
ホテル近くの道路脇には甘美な香りの濃いライラックの如き花が満開。
そしてサンクトペテルブルクでの最初の観光場所は南に25kmのツァールスコエ・セロー
にあるエカテリーナ宮殿。
宮殿の名前は、ピョートル大帝の后でもあった、第2代ロシア皇帝エカテリーナ1世
(在位:1725年 - 1727年)に由来。エカテリーナがドイツの建築家を雇って
夏の避暑用の離宮として1717年に作らせたのが最初のもので、その後、第4代ロシア皇帝
アンナ(在位:1730年 - 1740年)がロシア人建築家に命じ増築させたのです。
開門を待って、扉の美しさが見事なエカテリーナ宮殿正門より入場。

エカテリーナ宮殿の外観。ブルーが美しく輝く宮殿。

宮殿内は靴にビニ-ル袋を被せて入場。
最近の世界遺産系はこういったところが多くなって来たことを実感。
椅子に腰掛け、袋を被せる旅友。

2階に上る階段へ。ゆったりとした踊り場があり、歩みを止めて鑑賞できる豪華な階段。
白い壁の中の赤のカーテンのシンメトリーが美しかったのです。
そしてカーテン越しの日光が白壁をほのかに赤く染めて…。
広い階段は、上り口が対面にもあり、見上げると両サイドの壁には
一区画の中心に古伊万里の兜鉢が埋め込まれ、シンメトリーにラッパ型の壷や蓋付きの
沈香壷が飾られていました。何本か中国の陶磁器も混じっているが殆どが日本の古伊万里。

宮殿には食堂と名の付いた部屋が沢山あるのでした。
まず入ったのは、「帯勲者の食堂」。家具や食器類は全て当時の物と。

陶器製のペチカ。オランダ焼とのこと。

宮殿内部からの正面ゲート。

大広間(玉座の間)。左右に大きな窓、窓の間に配された鏡、磨かれた床、天井にフレスコ画が。
この宮殿で一番広い部屋で、17×47mもある。その全てがキンキラと輝いていた。
床は寄せ木の絵で、広間全体の装飾は、金箔された木造装飾。
あの大黒屋光太夫がエカテリーナ2世に拝謁し、帰国の許可を得たのもこの大広間。

大広間の天井画。天井は余り高くないと感じましたが、高く見せるために青空が
描かれているのでした。

大広間の鏡の前で鏡に向かって旅友と。

窓からの陽光で彫刻も輝きを増していました。

再び正面階段上、西側窓辺の「眠れる天使」。

白の食堂。
大貴族達を接待したときに使う食堂。
狩りなどを行ったので、飾ってある絵も狩りの絵が中心。
鳥の絵で埋め尽くされていました。気持ち悪い「鳥の死骸の絵」も。

白の間に置いてあった飾り壷も見事。マイセン装飾作品・18世紀に生まれたロココの華、
スノーボールと呼ばれる貼花装飾のアジサイ?の飾り壺。

赤柱の間。
家族の食堂とのこと。

緑柱の間。
こちらも同じく家族の食堂とのこと。
肖像画の間。
部屋の中央に女帝の衣装が展示されていました。

この部屋にはエカテリーナ二世や皇后エリザベスなどの肖像画ががざられており、
白いダマスク織の壁は金のフレームに縁どられていました。

アレクサンドル1世の肖像画。
エカテリーナ2世の孫にあたります。エカテリーナ2世に大いに可愛がられたと。

そして眩いばかりの琥珀の間。 エカテリーナ宮殿一番の見所。
琥珀とは、木の樹脂(ヤニ)が地中に埋没し、長い年月により固化した宝石。
ここの内部撮影は禁止とのことで入り口から。

入り口から再びズームで。
部屋全体の装飾が琥珀で出来ており、これは世界で唯一のもの。
琥珀が第二次世界大戦のレニングラード包囲戦中にドイツ軍に持ち去られため、
この琥珀の間は失われていたが、1979年から始まった復元作業により、2003年に
琥珀の間は完全に復元されたとのこと。
黄金が光るのとは違った深みのある輝き。

次は絵画の間。
作者・モチーフ・年代にかかわらず単純にサイズだけで絵画を並べた部屋。
無節操ではありますが、こういう絵の飾り方もこれはこれで圧巻と感じたのです。

白の小食堂。
ロマノフ朝第6代のロシア皇帝・エリザヴェータのプライベートルーム。
当時の調度品も残っていました。

緑の食堂のテーブル。

淡い緑色の壁と白いレリーフが特徴的で優しい感じ。
エカテリーナ2世がスコットランドの建築家に依頼した部屋とのこと。

床の寄せ木細工も美しかったのです。

そして宮殿内部見学終了後はトイレ&自由時間。
お土産SHOPの展示品を楽しむ。
マトリョーシカも種類が豊富。

インペリアル・イースター・エッグ。

そして琥珀のネックレス。

そしてトイレの小便器は北欧と同じく私にはやや高すぎたのでした・・・・・。