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隠居人はせじぃさん
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クレムリンのスパスカヤ塔がテント越しに。
二日後の6月12日は独立記念日。赤の広場も独立記念日の祝祭行事が予定されており
その為のテントや仮設舞台等が既に準備されていた。
赤の広場も仮設フェンスで囲まれていた。

赤の広場前のグム百貨店。
「グム」とはロシア語で「総合百貨店」を意味する正式名称。
帝政ロシア時代の1893年に完成。モスクワを代表する百貨店だけでなく、
ロシアを代表する建築物。

ヴァスクレセンスキー門。
赤の広場の入口、国立歴史博物館の北側に接して建つ門。
17 世紀に建てられたものだが、パレードの邪魔になるとのことでスターリンによって
1931 年に破壊されてしまった。現在の門は、ソ連崩壊後の1995 年に再建されたもの。
門の前には「ロシア全道路の起点」と書かれた標識があり、コインを投げる観光客の姿が。

止んでいた雨が再び強くなったため、グム百貨店に駆け込み雨宿り。

天井は半透明な屋根になっており,内部は弱い自然の光が差し込むのです。

現在、グムの売り場面積は、約3万平方メートル。そこには、様々な店やレストランやカフェ、
映画館がある。グムでは、ヨーロッパのブランドの店も入っている。
グム百貨店の天井の様子

雨が止んだので再び赤の広場を散策。
赤の広場の西北端に、大きな4つの塔をもつ赤レンガつくりの巨大な建物。
ロシア最大の歴史博物館である国立歴史博物館。
歴史に関係する文物の展示のほかに、恐竜、マンモスの化石や石器、ロシア圏各国の
民族史の展示などがあるとのこと。

ヴァスクレンセンスキー門を入ってすぐ左手のカザンの聖母聖堂。

国立博物館前から聖ワシリー寺院側を望む。

赤の広場側のクレムリン城壁とスパスカヤ塔。

レーニン廟。
1924年にレーニンが死去した際、全国から弔問に訪れる市民にこたえるため、
その遺体に保存処理が施され、赤の広場に建築家アレクセイ・シューセフの設計により、
木造の遺体安置所が短期間(約3日間)で建設されたと。
1930年により恒常的な施設として、現在の石造の廟を建設し、完成させたとのこと。
赤の広場で行われる国家的行事に際しては、共産党・政府の首脳はレーニン廟の
ひな壇から観閲し、演説を行うのが慣例となっていたと。

赤の広場から見たスパスカヤ塔。
モスクワ・クレムリンの中でも一際目を引く尖塔。塔の先端にはルビーの赤い星が。
輝きを放つ星はシンボリックな塔を一層引き立てているのです。
更に塔には大時計も。ほかの大きな鐘や大砲と違って役目を果たしていると。 
再びテント越しの聖ワシリー寺院。
この日の赤の広場は仮設のテントやステージ等が設置されていたため
赤の広場の大きさを実感出来なかったのでした。

反対側から。

赤の広場の見学を終え次の訪問地へ。
車窓からは救世主キリスト聖堂が。

クレムリン内のイワン大帝の鐘楼が車窓から。

芸術家アパート。
高さ:160メートル(26階)、176メートル(26階)と二つの説があるとガイドブックより。
芸術家アパートは、その名の通りかつて芸術家が住んでいたアパート。
別の言い方では「コテーリニチェスカヤ(カテリニチェスカヤ)海岸通りの高層アパート」。
その名の通りクレムリンの東側、モスクワ川沿いのカテリニチェスカヤ通り沿いに位置。
目の前は、ちょうどモスクワ川とヤウザ川の合流地点。
建物の特徴として、「へ」の字のように建っていますので非常に立体感があると。
この形は他のスターリン建築の建物にはない特徴。

アクアマリーンサーカス近くの教会?