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Gママさん
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隠居人はせじぃさん
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空堀に架かる朱塗りの橋・渡雲橋。
存城当時は、屋根のかかった廊下橋だったと。 
渡雲橋から見事な本丸の石垣。




石川啄木歌碑の説明版。


有名な「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心」の歌碑。
十五歳頃の純真でまっすぐな思いが心からなつかしい。あの時に戻ることはかなわぬ
願いだが、せめて心が戻ってくればとの回想の歌とのこと。。
少年時代の啄木が学校の窓から逃げ出してきて、文学書、哲学書を読み、
白日の夢を結んだのが盛岡城二の丸であったと。歌碑の文字は金田一京助の書と。


瓦門跡。
カクカクと進路が折れているのは、敵から侵入されにくい工夫。


盛岡城の石垣は基本的に切り込みハギと呼ばれる表面がキレイに整った積み方。


石垣が膨らんでいる場所も。


桜山神社横に降りる。


烏帽子岩。
三の丸跡、公園の北入口にそびえたつ巨大な岩石(高さ6.6m、周囲約20m)。
城地を削って三の丸を整地しているとき、烏帽子に似た岩石が出現、
古くからあった八幡社の宝として崇められていると。


烏帽子岩の横にも巨大な石が。名前は?


桜山神社の創建は寛延2年(1749)に当時の藩主利視が初代南部信直の功績を称え
社殿を建立したのが始まりと。




「おもかげ地蔵尊」
7000人以上の犠牲者を出した安政の江戸大地震の時、盛岡藩江戸屋敷が全壊した
にもかかわらず、地蔵さまのおかげで死者・けが人も少なく、特に子ども達を守り災難から
逃れたと云われ、それ以後、大切にされて来たと
この地蔵尊は南部家の江戸屋敷に祀られ、「おもかげ地蔵尊」と呼ばれていたと。


お堀の法面の植栽は見事に管理されていた。


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