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Gママさん
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隠居人はせじぃさん
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旧街道沿いの昔の写真が紹介されていた。
トランスボックスにプリントされた梶荘本店の古写真(右)。

藤沢宿の街並み。
左上から鎌倉屋、下が田村屋そして右が旧名主家・廣瀬家の門構え。

小田急線藤沢本町駅(昭和12~15年)。

そして「伝源義経首洗井戸」の標柱。

交番の脇の細い道を奥に進む。

そして突き当たり右に井戸が。
義経と言えば知らぬ人の無い稀代の、そして悲劇のヒーロー。
平家滅亡の立役者でありながら兄・頼朝の不興を買い、逃げ延びた奥州・平泉で
かくまってくれていた藤原泰衡に裏切られて攻められ、自刃したとされた人物。
文治5(1189)年の事、討ち取られた義経の首は鎌倉に送られ、梶原景時らに
首実検された後に海岸に晒され、腰越の海に打ち捨てられたと。

しかし首は潮に乗って境川を遡り、この近くの白旗神社付近に義経の首が漂着。
里人がその首をすくいあげ、洗い清めたのがこの井戸と伝えられているのだ。
一説によれば、鎌倉に入る前に首実験に備えて化粧を施したとも、
また、夜間に鎌倉方面から、首が目を見開いて亀の背に乗り飛んで来たとも。

「義経首洗井戸」

首塚の石碑。

本町白旗商店街マップ。

ここにも藤沢宿絵図が。

この日に散策した旧跡、寺院の藤沢宿での位置関係が理解できたのであった。

白旗交差点を右折。

前方に白旗神社の鳥居が見えた。
この白旗神社も藤沢宿巡りでは大事な神社であるが、この神社は
何回か訪ねているのでこの日はパス。
以下に私が今年2月ににブログアップした白旗神社は下記に。
http://plaza.rakuten.co.jp/hitoshisan/diary/201602020000/

狭い路地に入り藤沢本町駅方面に向かう。
諏訪神社の標柱が。

藤沢本町駅の踏切手前で左折し急な坂を上る。
学生時代はいつもこの坂を上り高校に通ったのであった。
小田急線の線路の上の伊勢山橋。

伊勢山橋からの現在の藤沢本町駅。
ここの町名の読みは「ほんちょう」で、郵便局も藤沢「ほんちょう」郵便局であるが、
何故か駅は藤沢「ほんまち」。

この陸橋を渡った辺りが藤沢宿上方見附のあった所。
見附は、宿場の入出口に設けられた見張所で、有事の際には、関所としても機能した場所。
ここで、藤沢宿と別れ、いよいよ次は平塚宿への道程となるのだ。
![DSC01567[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/2/c1e6a37fc1dccc7e8fa76eaccfe5a2d1175cd283.15.2.2.2.jpg?thum=53)
伊勢山橋の斜め向かいの階段の上の高台には寺が。

浄土宗 風早山 真源寺 本堂。
創建は安永元年(1772年)空寂による。 文政3年(1820年)火災により本尊、
過去帳はじめ全て消失。慶応元年(1865年)にも火災、仮本堂を建て現在は再興と。
高校時代3年間、この寺の前を朝夕通ったのであるが全く記憶のない寺なのである。
私の記憶も風早山 真源寺の名と同じく、風の如く早く頭から吹き抜けていったのであった。

本堂には風早山の扁額が。

そして66年間住み慣れた藤沢の昔の姿を追いかける藤沢宿巡りをとりあえず
終了し、藤沢本町駅から帰路に向かったのであった。
江の島灯籠 2024へ(その7) 2024.08.30
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