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隠居人はせじぃさん
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紅葉の裏の一の谷駐車場は既に満車状態。

紅葉の真っただ中で、感動で高揚する自分がいた。

黒と赤の世界。赤を貫く幹の黒。

赤の海。

そして一の谷でUターンして吊り橋・香嵐橋を渡り対岸へ。
私の前を歩くSさんの足取りはなぜか不自然。Sさんは高所恐怖症で
揺れる吊り橋は苦手。
そしてこの日から2日後にはこの香嵐橋の敷板の一部に破損を確認したため、
橋の通行が出来なくなり、代わりに薫楓橋を利用したとの情報がネットに。
現在は復旧しているのであろうが。
更に5日後には香嵐渓の園内で、斜面から切り株が落下。
参道を歩いていた女性(63)が避けようとして石階段につまずき転倒、
顔や胸の骨を折る重傷を負ったと。

香嵐橋からの巴川沿いの遊歩道の紅葉。

対岸を戻ると薫風橋が前方に。

薫風橋を渡り、元の遊歩道に戻り、次に香積寺への階段を上がり見下ろすと。
ここも香嵐渓の紅葉の人気のスポット。

緑の光も美しかった。

紅葉が進む工程が一目でわかる光景。
下から上への色の変化が美しかったのであった。

黄金の世界。

香積寺山門。

山門を潜った境内の紅葉も美しかった。

本堂への階段を上り、山門方面を振り返る。

香積寺(こうじゃくじ)本堂。
曹洞宗の寺。山号は飯盛山(はんせいざん)。
開基は関白二条良基、足助重範の娘・滝野と、孫である成瀬三吉丸基久・基直(成瀬氏の先祖)
などで、滅亡した足助氏の菩提を弔うために飯盛山(いいもりやま)の足助氏の居館(飯盛山城)
跡に建立された。応永34年(1427年)、白峰祥瑞禅師により開山。寺号は維摩経香積仏国品から
名付けられたと。本尊は聖観世音菩薩。
境内はお参りする観光客で長蛇の列。我々3人は列に並ばず遠くからお参り。

本堂横を通り飯盛山を更に上ると中腹には歴代住職の墓そしてその奥に
十六羅漢の石仏が。

足助城主だった鈴木氏五代の墓も現存し、二条良基の死を伝え聞いた滝野が良基の残した
装束を埋めたと伝わる「装束塚」も。

中腹からは香積寺本堂の大きな屋根が見えた。

開山当時から寺の鎮守としての豊栄稲荷が奉られていた。

そして更に歩を進めると再び紅葉の世界が始まる。

真っ赤に染まった紅葉を楽しみながら、そして息を整えながら一歩一歩進む。

そして漸く飯盛山頂上に到着し、東屋のベンチで一休み。

頂上は柔らかな陽光がモミジの葉を照らしていた。

そして帰路は別ルートで。
未だ緑の葉の世界も残っていた
香嵐渓には11種類の楓があるといわれており、イロハカエデ・ヤマモミジ・
ウラゲエンコウカエデ・オオモミジ・コハウチワカエデなどが多く、
楓の葉をひとつひとつ見比べてみるのも楽しいのであった。

中腹のこの場所は、3月中旬~4月上旬ごろにかけ、カタクリの花が見ごろを迎え、
見事なピンク色の絨毯を敷き詰めるのだと。

太子堂が眼下に。
六角形の『太子堂』は、昭和6年に地元宮大工の方々で建てられ、聖徳太子が
祀られていると。足助町の聖徳太子信仰の起こりは不明のようだが、
色づいたモミジの中に佇む法隆寺夢殿を思わせるような建造物は、風情十分。

そして再び巴川の流れがモミジの幹の合間に見えた。

西町第二駐車場近くの広場にはチンドン屋さん姿と音が。

香嵐渓と赤く刻まれた巨大石。

もみじのトンネルを待月橋に向かって進む。

紅葉鑑賞には陽光が必須条件。

待月橋を渡る人の数もますます増えて。

待月橋から先ほど歩いた三州足助屋敷に向けた遊歩道沿いの紅葉。

再び見事な配色の紅葉。
光が当たるとさらに見事な色合い、いや色逢。
これも一期一会。

待月橋を再び渡り大混雑の巴川沿いの遊歩道を進み国道420号に出て
巴橋を再び渡る。
巴橋からの香嵐渓を再び。川面に写る紅葉も美しかった。
曽木公園のモミジと同様にライトアップ時は水面に逆さ紅葉が映り込み
美しい別世界を創り出すのでしょう。

巴橋には『香嵐渓』と書かれた表示板が。

落部駐車場に向かって国道を歩くと人気のうなぎ屋が左手に。
行列のできる人気の鰻屋・『川安』だが、やはりこの日も長蛇の列。
私もSさんも別々に、以前この店でうなぎを味わったのであった。
時間があれば運転でお疲れのNさんに高級うなぎをご馳走したかったのですが
幸運いやいや生憎・・・・・・・。

そして駐車場に戻り、今年の香嵐渓紅葉狩りを終えたのであった。
そして帰路へ。時間は13時前。しかし対向車線は行けども行けども渋滞中。
渋滞の中にツアー会社の多くの観光バスも。
明るいうちにたどり着くのであろうか、それともライトアップ鑑賞が目的の
ツアーバス?

東海環状自動車道、新東名を利用して順調に車は進む。
新清水IC付近からは富士山の雄姿が車窓に。

頂きは既に真っ白。

そして御殿場IC付近から3ヶ所での事故による大渋滞が始まったのであった。
なんとか秦野中井ICまでたどり着き、ここで降りる決断をして一般道を
茅ヶ崎に向けて進むが、考えることは皆同じで一般道も渋滞していたのであった。

何とか茅ヶ崎のSさん宅に到着し、自分の車に乗り換え帰宅。
しかしNさんは茅ヶ崎から都内練馬まで更に渋滞と戦ったのであった。
Nさん、長距離ドライブ、お疲れ様でした。
これに懲りずに来年もご家族の許しをもらっていただきお付き合いの程よろしく!!
-------完--------
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