PR
Keyword Search
Comments
New!
Gママさん
New!
隠居人はせじぃさん
noahnoahnoahさんCalendar
『旧東海道を歩く』ブログ 目次
松林寺を後にし、更に浜松城に向かって進むと、直ぐ右手に黒い塀が重々しい
『金原明善(きんぱらめいぜん)生家』があった。
金原明善は、明治時代に、私財をなげうって水害で悩む天竜川流域の治水に尽力した人物。
『金原明善翁生家』と刻まれた石柱と生家の門。
現在は明善記念館 ( めいぜんきねんかん )として金原明善の遺品や資料を展示し、
彼の業績を紹介していた。
現在は、一般財団法人『金原治山治水財団』が金原明善生家<・明善記念館を運営していると。
金原 明善(天保 3
年 6
月 7
日( 1832
年 7
月 4
日) -
大正 12
年( 1923
年) 1
月 14
日)は、
明治時代の実業家。遠江国長上郡安間村(現浜松市東区安間町)出身。
浜名郡和田村村長。天竜川の治水事業・北海道の開拓・植林事業など近代日本の発展に活躍した。
明善記念館は、その偉業を顕彰するために、 1960
年、生家の前を通る旧東海道を隔てた南側に、
建築家十代田三郎(そしろだ さぶろう: 1894-1966
)の設計で建てられたものです。
記念館には、治山治水や植林事業で使った測量器具、地図、請願書、公文書、私信、遺墨などが
多数収蔵・展示され、当時の難事業の様子を知ることができます。展示室は 1
階と 2
階回廊部分に
分かれ、 1
階には天竜川流域の治山治水、植林事業の計画書や申請書、実際に測量や植林に
使用したさまざまな道具類や愛用したカバン、 91
才の最後の山林視察で使った籠などを
見ることができた。 2
階の回廊には、親交のあった多くの著名人からの手紙や、
明善直筆の遺墨などが展示されていた。
大きな和室が続く。
名善自筆の屏風。
読んで内容が理解できれば最高であったが・・・・。
この部屋でビデオ鑑賞。
金原明善の生涯を画いた映画が製作されたと。
金原明善は、幕末、明治に渡って活躍した浜松の偉人。
社会企業家の草分けと言えるその実績と業績は、現在でも学ぶところが多々あります。
金原明善とは如何なる人物なのか。なぜ、偉人として浜松史にその名を残しているのか。
今また見直され、注目されている明善の生き方が紹介された『 金原明善の生涯
』👈リンクの
ビデオを鑑賞した。







1877
10
年)、全財産献納の覚悟を決めた明善は内務卿大久保利通に
築堤工事実現の為に謁見した。明善自身も一介の田舎農民が内務卿への謁見は叶わないと
思っていた。ところが快く大久保利通との謁見は実現した。
それは長年、誠実一途に天竜川の治水工事に奔走している明善の話が大久保利通の耳に
入っていたからである。そして、近代的な治水事業が始まった。
それは、主に堤防の補強・改修をはじめ
・天竜川を西洋式の測量器を使用して全測量
・鹿島村から諏訪湖に至る高低測量
・天竜川河口から二俣村に至る実測量
・駒場村以下 21
箇所の測量標建設
・自宅に水利学校を開き、治水と利水の教育を行う。
を実施した。後年の天竜川における治水計画の基礎となったと。

































藤澤浮世絵館・「御上洛東海道と幕末の浮… 2020.08.14
藤澤浮世絵館・「御上洛東海道と幕末の浮… 2020.08.13
藤澤浮世絵館・「御上洛東海道と幕末の浮… 2020.08.12