JINさんの陽蜂農遠日記

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2025.06.11
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カテゴリ: JINさんの農園
続いて 「静嘉堂」の歴史 について。
静嘉堂@丸の内は2022年10月 明治生命館1階に・・・。



静嘉堂文庫は、1892年(明治25)東京駿河台の岩﨑彌之助邸内に創設されました。その後、
彌之助の恩師で歴史学者の重野安繹やすつぐ(成斎1827-1910)を文庫長に迎え、図書館としての
活動が始まります。次いで小彌太が高輪邸に文庫を移設し、諸橋轍次(1883~1982)文庫長の下、
活動が継続されます。

現在の文庫(桜井小太郎設計)を建設し、1940年(昭和15)、財団法人静嘉堂を設立。
図書その他の財産を寄付して文庫の永続を図りました。小彌太没後の1946年(昭和21)、
その遺言によって国宝・重要文化財を中心とする美術品が孝子夫人から財団に寄贈されました。
1977年(昭和52)より静嘉堂文庫に併設された展示館で、美術品の一般公開が始まりました。
1992年(平成4)4月、静嘉堂創設100周年を記念し、静嘉堂文庫美術館を新設、2021年
(令和3)6月まで世田谷岡本の地で展覧会を開催してまいりました。
そして、創設130周年の2022年(令和4)10月、岩﨑彌之助が美術館建設を願っていた
東京丸の内の、重要文化財・明治生命館1階にて展示活動を始めました。



「​ 国宝7件 👈️リンク  重要文化財84件を含む約6500件を所蔵する日本・東洋美術の殿堂 」 






(1879~1945 三菱第四代社長)の父子二代によって創設・拡充され、現在、上記の如く、
国宝7件、重要文化財84件を含む、およそ20万冊の古典籍(漢籍12万冊・和書8万冊)と
6,500件の東洋古美術品を収蔵しています。
「静嘉堂」の名称は中国の古典『詩経』の大雅、既酔編の「 籩豆静嘉 へんとうせいか 」の句から採った 彌之助の
堂号
左・三菱第二代社長 岩崎彌之助
右:三菱第四代社長 岩崎小彌太



始まりは1892年の彌之助が駿河台邸に創設した静嘉堂文庫 」 





1924年世田谷区岡本に移り保存・公開を行ってきた。 」 



約20万冊の古典籍を所蔵 」。



1992年文庫に隣接して静嘉堂文庫美術館が開館 」 



美術館は文庫創設130年を機に展示ギャラリーを新設することに 」。



丸の内に美術館をつくることは 彌之助の夢



彌之助は丸の内に日本初となる近代的なオフィス街の礎を築いたが



ジョサイア・コンドル「丸の内美術館」平面図1・2階
明治25年(1892)頃三菱地所株式会社蔵
同時に丸の内を文化的な場にしたいと思っていた 」。



イギリス人の建築家ジョサイア・コンドルに設計図を描かせたが計画は実現せず 」 



130年を経た2022年「静嘉堂@丸の内」が近代洋風建築の傑作明治生命館にオープン



明治生命館は昭和の建造物として初めて重要文化財に指定された 」 



空間そのものが美術品のような展示室 珠玉の作品が彩る





国宝《源氏物語関屋 標図屏風》俵屋宗達  江戸時代 寛永8年(1631 )
江戸時代初期の天才絵師 俵屋宗達 」 



物語の時空間を内包した斬新な源氏絵



「すれ違う男女の心模様を、大胆な画面構成と色遣いの中に描き出す」



「源氏物語」第14帖「 澪標(みおつくし) 」の場面



住吉大社に詣でた明石君は光源氏一行の華麗な姿を目にし



身分の違いを痛感し 光源氏に会わずに引き返す



金の美しい浜と墨のさみしげな海に浮かぶ船 その巧みな対比





「彌之助が明治中頃に醍醐寺に寄進した際の返・・・
自ら本作を選んだと伝えられる」 



国宝の俵屋宗達
国宝《源氏物語関屋 標図屏風》」をネットから。

源氏物語関屋澪標図屛風

そして「 国宝《太刀 銘 包永》手掻包永(てがいかねなが) 」 



反りの高い太刀姿 変化に富んだ刃文 」 
初代包永は、大和国最大の刀工集団・手搔派の祖で、奈良東大寺の転害門前に住したという。
本作は、均一な反りを見せる典雅な姿や「柾目肌」の地鉄、直線的な刃文が特色。700余年の
星霜を経てなお地刃の健全さを保つ大和物を代表する名作である。



大和国最大の刀工集団 手掻派の祖 包永による名刀 」 



包永 」と刻まれていた。



彌之助の収集は刀剣に始まる
廃刀令により海外に流出することを憂えた 」 



包永は父の思いを継いだ小彌太が入手



                                   ・・・​ もどる ​・・・



                  ・・・​ つづく ​・・・








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Last updated  2025.06.12 06:14:45
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