全204件 (204件中 101-150件目)
平成25年9月4日(水) 午前6時起床。夜来の雨が強かったです。昼に上がりました。午後は陽が射しました。台風一過。涼しい一日でした。 終日デスクワーク。午後、遅くにミーティングが入りました。会社が引けて、駐車場に向かう時、青空が広がりました。クスノキとのコントラストがよいです。余談ですが、この場所は江戸時代、佐伯藩の刑場でした。この大木、罪人の血を吸って大きくなったんです。ガレージの邪魔をしていますが、誰も切ろうとしません。たたりを恐れてのことでしょう。1万円くれたら、私が切り倒すのですが。 夕方、運動公園へ。ラン10km。涼しい風に吹かれました。秋です。 帰宅してシャワー。英会話につき不在の妻。鬼の居ぬ間に燗酒を。居間にて窓外の虫が音を聞きながらの徒然。以下のとおりです。 私、結構メモ魔です。ipadに変えてから、ペンによる筆記をしなくなりました。会議も、画面のキーボードを打ちます。字を忘れそうです。時々、無性にペンの日記を書きたくなります。 出張や旅行にはメモ帳を欠かしません。無地のモレスキンです。この手帳、ヘミングウェーがスペイン内戦で肌身離さずだった代物です。持っているだけでかっこいいというか、悦に入る気分になります。とまあ、そんなことはどうでもいいことですが、この手帳、初めて手にしたときはハードカバーの堅さにいささか抵抗がありました。数冊、使い込んで慣れました。書き込むのは私的な内容です。訪ねた先にスタンプがあると、押します。日付を書き込むと、いい記念になります。先日、北海道の際も、持参しました。釧路湿原展望台、細岡展望台、根室駅、MOO・・・。めくり返すと、写真とは違った味わいがあります。 その釧路旅行、メモ帳のことをつらつら思うにつけ、ふと頭を過ぎったことがあります。それは亮さんの車中にあったスケッチブックことです。釧路の港界隈、街の姿、自然などが描かれています。淡い色合いです。とても緻密な水彩画です。一枚にとても時間をかけていること、素人ながらも判ります。亮さん曰く、絵の具は固形なんだそうです。レンブラントかな、ラウニーかな。 線の精緻というか精巧さに見とれて、そうかとひとりごちました。亮さんは建築関係の仕事をしているんだった。営業ではなく、もしかして技術畑の人かな。建築士なのかもしれないな。何とはなしに設計の図面を連想したのでした。妻と二人、スケッチブックに驚いたら、シャイな亮さん、ムフッとはにかんだようでした。 シャイ、そうなんです。私はおしゃべりです。ペラペラ、ヘラヘラです。浮ついた適当人間ですし、自意識過剰。亮さんはその反対です。物静かで、多くを語りません。でも暗いとか陰のあるというのではなく、じわりほんわか、引きつける味を醸すんです。4日間一緒いただいたこと、今思い返すと、宮沢賢治の「雨にも負けず」を連想しました。以下に引用します。雨にも負けず風にも負けず雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫なからだをもち慾はなく決して怒らずいつも静かに笑っている一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べあらゆることを自分を勘定に入れずによく見聞きし分かりそして忘れず野原の松の林の陰の小さな萱ぶきの小屋にいて東に病気の子供あれば行って看病してやり西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い南に死にそうな人あれば行ってこわがらなくてもいいといい北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい日照りの時は涙を流し寒さの夏はおろおろ歩きみんなにでくのぼーと呼ばれ褒められもせず苦にもされずそういうものにわたしはなりたい 1日4合の玄米と味噌に少しの野菜の下りは、ちょっと違いますが、総じてこの詩の醸す味わいが彼に重なるんでした。今日の一句秋風の立ちて鈴虫鹿の鳴く亮さんの誰に似たりは賢治かな
2013年09月04日
コメント(8)
平成25年8月20日(火) 午前5時半起床。晴れ。残暑厳し。 朝ランは無し。終日デスクワーク。あれこれの作戦を練る一日でした。 夕方、運動公園へ。ラン10km。キロ5分40秒のペースで60分近く。たっぷり汗をかきました。スピードアップはしませんでした。こんな日があってもいい。 ところでこの頃、ここで会う人の顔ぶれが変わりました。夏を越したからなのでしょうか。スコアボード裏のコンクリート壁に軟式野球のボールを投げては受ける一人キャッチボールのおっさん。彼は後ろによく逸らします。老夫婦と孫らきし少年の散歩。小学校の半ばかな。少し太り気味、ちょっと走ってもいます。祖父さんの指示のようです。次いでグランドゴルフの一人練習。この方も年配の男性です。黙々とやっている。もうひとり、高齢の方。球場玄関に車を乗りつけ、30分ほどウォーキングをして帰ります。麦わら帽子をかぶり、首筋に手拭いを巻いています。彼もほぼ毎日。何れの人も名を知りませんが、顔見知りになりました。こころなしか仲間意識のようなものがあり、互い、挨拶はぎこちなさがなくなりました。 そうそう、今日は60を過ぎたと思しき女性が、軽トラに乗ってやってきました。普段着のようなワンピースに長靴姿でした。陸上競技場第4コーナーの場外に付近に止めました。刈り捨ててあった草を集め、紐で束ねて積み始めました。いいことをしていますね、と声をかけました。キュウリを植えたのでその下に敷くのよ、と返ってきました。 帰宅してシャワー。缶ビールは1本だけ。ワインの残りを舐めながら、録画しておいた映画「あなたへ」を妻と見ました。主人公が亡くなった妻の骨を海に撒く話です。余韻の残るいい感じのシネマでした。高倉健は歳を取りました。見終わって私「お母さんが先に死んだら(お母さんの)骨を食べるよ」と妻にいいました。好きにしてよ、というような顔でした。でも私が先に死んだときは、気持ち悪がって多分食べないでしょう。鶏の餌にするかもしれません。まあそれでもよいです。それはそれとして、私も妻も墓の要らないと思うのは共通のようです。今日の一句骨食べる一人の吾は哀しけれ 今日の写真はお漏らしです。嘘です。走って汗びっしょり。屈伸運動中、座り込んでボタボタの仕儀。
2013年08月20日
コメント(6)
平成25年8月17日(土) 午前6時起床。晴れ。 昨夜は、午後8時過ぎ、床つきました。午前1時前に目が覚めました。冴えてしまい、起きました。喉が渇いてスイカをムシャムシャ。水も500ml飲みました。日記を書いたり本を読んだり。あれこれして、また眠くなりました。午後5時過ぎに横になりました。ということで、野菜の水やりに起きた妻に、後れをとりました。 朝のうちは新聞と本。楽しんでいたら、父からTELあり。客が来るからおまえたちも来て相手をするよういわれました。その人は旧制中学の時に机を並べた父の友人でした。 訪問時間前からそわそわしていました。道に迷ったのではないか、おまえを迎えにやるべきだった、家を判らないのかも知れない、とブツブツ。終いに、外に出て門に立っておけ、との命令が下りました。麦わら帽子をかぶって、梅の木の蔭で待ちました。15分遅れでやってきました。(右がその方です) その人は、いやその方は私が魚市場に入社するにあたって、保証人になってくれました。父が、同級生のよしみということで、頼んでくれたのです。以下はその方のことです。 彼が学年一の秀才だったそうです。佐伯中学に在席したのは1年間でした。陸軍幼年学校を受験、成績優秀につき当然合格。(ちなみに父は不合格だったとのこと。私がまだ高校生だったとき、父に、受験の時に泊まった旅館の豆電球が眩しく、眠れずに思うような答案をかけなかった、と負け惜しみじみた話を聞きました。しかし、今日は、数学を白紙で出した、全く歯が立たなかった、とあっさり白状しました)佐伯を離れ、同校に入学。終戦は陸軍士官学校生でした。その後、某大学文学部に入学、在京のテレビ局を経て全国紙に入社。同社の発行する内容の堅いことで有名な雑誌の編集長をしました。新聞社を退職後、四国、続いて北陸の大学で教鞭をとりました。70歳を機に一線を退いたあとは、自適の生活をなさっている由。今回の帰省は、母の初盆と聞きました。父はアトリエにその方を案内しました。 おまえの肖像を描くんだと言って写真を撮りました。 前後しますが、私がセリ人見習いだった頃、何かと気にかけてくれました。銀座の「エスコフィエ」で白ワインにカシスを入れて飲むことを教えてくれました。お礼に東銀座にあった「次郎長」へ案内しました。そこで、つい先だって、ソルジュニーツィンが日本に来ていたことを打ち明けてくれました。お忍びだった、その後台湾へ向かったとも。そこのおあいそは私が支払うつもりでした。しかし、勘定は彼がしてくれました。新聞社にニュージーランド産の大きなマダイを届けたら、編集室に案内してくれました。雑多なフロアだったことを覚えています。他にも季節の魚を差し上げました。あるとき、長靴を履いて発泡スチロールを持っていったら、新聞社にポーランドの連帯、ワレサ議長が訪ねてきていて、遠目に彼の姿を見ました。ある日、中央線沿いにある自宅に招いてくれました。手製のローストビーフを馳走になりました。某女子大英文科の奥さんはクラシック音楽が好きとのことでした。話が合いました。彼女からは、前橋汀子のリサイタルに連れて行ってもらいました。娘さんが二人いて、紹介してくれました。どちらも知的で美しい方でした。 話を戻します。今日は、父とその方が久闊を叙す日でした。旧制中学の恩師や友人たちの消息、学徒動員による造船所の作業などを語りました。戦争の語り部をしている父の自慢話が始まると、話題は次第に先の戦禍へと向かいました。会話は次のような感じでした。 父:佐伯に海軍航空隊を誘致したのは痛恨の極みだった。当時は景気に湧いた。しかし戦争末期、軍港佐伯は爆撃を受け、50人近くが死んだ。寺に遺体を運んだ。悲惨さを身をもって知った。しかし、その航空隊が中国大陸への爆撃に関係したことを後になって知り、戦慄(わなな)いた。日本の重慶爆撃では6万人が死んだ。この仕掛けがこの地佐伯だったなんて・・・。 その方:この渡洋爆撃は、その後、英国がドイツに対しておこなった空爆の見本になったという点で戦争史に刻まれる。ドレスデンへの空爆は、日本の戦略を参考にしてのことだ。(私が、クリスタルナハトのことを持ち出すと、あれは爆撃とは関係ない、ユダヤ人に対するドイツ市民の打ち壊しだよ、と教えてくれました。スミマセン)それにしても佐伯にある平和記念館はよろしい。 父:某のカバンなども展示したらいい。某はヒトラーのベルリンオリンピック、水泳に出場した。その時持っていったカバンだ。某はその後、南洋に散った。持ち主の栄光とその後の不如意を語るそのカバン、今も駅前の菓子店にあるんだ・・・。 その方は、北陸の風土と生活、歴史と文化に対するものの見方、サッカーの役割、マスコミのあり方などについて、話してくれました。妻も母も興味津々でした。私には、仕事の仕方について。人に理解・協力を求める際は実際に会うことが大切なんだそうです。その人が東京にいたら、旅費はかかっても実際にそこまで行って面会するべしと。そして、求める人はその道の専門家でなくてはならないとも。は私の立場を思ってのアドバイスでした。最後に、絶対にしないといけないことは、他のことを捨ててでもやるべしとおっしゃいました。なんだか、腹の底を見透かされたような気持ちになりました。 楽しい時間はあっという間に過ぎます。妻が冷えたスイカを切りました。父が自分の作ったものだというと、君のこさえたものをいただいて、これでもう満足だ、とつぶやきました。何とはなしに目が潤んでいるようでした。午後2時前、見送っての後、「もう帰って来やしまい、最後だわな、手に注射針の跡があった、病気をしているのだろうか」つぶやく父も寂しそうでした。 閑話休題。夕方、運動公園へ。今日は陸上競技場の中を走りました。タータンのトラックはいい感触でした。5kmジョグして汗をかいた後、300mのインターバルを5本。1本67秒前後でした。その後に1,000mのタイム計測をするつもりでしたが、心が折れました。1人練習だと、こうなってしまいます。 元オリンピック選手成迫健児選手が練習をしていました。彼は、北京五輪の400mハードルに出場しました。5月末だったか、拙宅へ梅取りに来ました。私を覚えていてくれ、梅酒が漬かった、美味しい、と声をかけてくれました。練習を再開できるようになった、元の調子に戻りつつあるとも。怪我をしていたのかな。今日の一句照りつけて叙す久闊は七拾年語るなと渡洋爆撃知らずして
2013年08月17日
コメント(0)
平成25年7月17日(水) 午前4時起床。晴れ。 朝ラン10km。岡の方から門の鼻橋経由で支援学校へ。木立川を遡り、林道の取り付けまで。調子の出たのは、5kmを過ぎてからでした。後半はキロ5分20秒くらいでしょうか。足が軽くなっていい感じでした。 午前中ミーティング。週末に仕事が入りました。この打ち合わせでした。早昼をして、ホテルKに行きました。そこの玄関で、某社工場長のUにばったり。彼は高校時代、机を並べた仲です。時々、ランニングの大会で一緒します。走っているか問うと、今月は150kmいかないだろうとの返事。ロータリークラブの昼食会があるようでした。 私の方は、会議を主催していました。午後、宮崎、熊本の両県からお客様が集まりました。業界関係者でした。議事を一通りのあとは講演会。講師は別府のホテル経営者でした。温泉の話を聴きました。いろいろと勉強になりましたが、なかでも「人の目利きが大切だ」という言葉が印象深かったです。これで今日の仕事はお終い。別室で軽いパーティーをしました。オードブルをつまみました。今日から禁酒と決めていました。ノンアルコールビールを少し飲みました。熊本の方と隣り合わせになりました。くまモンの話を聞きました。彼曰く、くまモンは国内はおろか海外へも進出している、先々週はパリに行った、昨年は上海のF1にも行ったようだ、話は変わるが馬刺について、プロモーションビデオをこさえ海外で流した、途端にオーノーッと言われた、馬肉を生で食べる宣伝、まずいよ外国では・・・。うーん、食文化の違い。韓国は犬を食べるしなーぁ。 会が跳ね、真っ直ぐ帰宅。長風呂をして、床につきました。目が硬く、本がすすみました。池井戸潤「オレたち花のバブル組」、同「オレたちバブル入行組」。何れも文春文庫。月曜日に購入したものです。陳舜臣の「阿片戦争」は難儀でしたが、こういう感じは一気です。もちろん面白く、引き込まれます。今日の一句判っても三日坊主の誓いする今日の写真は部下のKです。面白いメガネのかけ方です。こうすると、人の心の中まで見えるそうです。でも彼、奥さんを見ることはしないと思います。多分。番匠川に沈む夕日です。午後7時過ぎの時刻。
2013年07月17日
コメント(0)
平成25年7月16日(火) 午前4時起床。晴れ。暑い一日でした。 朝ラン6km。いつものコース、林道順良線の取り付けを折り返しました。小中尾から大中尾にかけて、元越山を主峰とする稜線が青く広がっていました。夏山です。早朝のしっとりとした空気が爽快でした。蟬時雨、今日も暑いぞという感じでした。 終日デスクワーク。昼にKさんが訪ねてきました。マラソン協会の事務局長をしています。知り合ったきっかけも、ランでした。彼は佐伯豊南高校在校時、宗兄弟と机を並べました。しかも同じ陸上部に所属。ということで兄弟のあれこれを聞くことができました。曰く、当時の高校駅伝、大分県は中津商業が強かった、京都である全国大会を制したこともある(ちなみに平成21年に中津工業と統合し、今の校名は中津東高校です。ちなみのちなみですが、中津工業はプロ野球選手を輩出しています。有名どころは現野球解説者の大島康徳氏。私のまち出身の力士嘉風も高校はここでした)、陸上部に入部したての頃、監督はおまえ等が3年になったとき、中津工業を破って都大路を走るのだと言った、その目標を実現した、京都では宗茂が1区、3区を弟の猛、自分は5区だった、兄弟は当時無名だったがここで目を見張る活躍をした、特に茂は花の1区で3位だった、最終順位は8位入賞。旭化成に入ってからの彼らの活躍は言わずもがなだ、瀬古と2人の勝負は伝説だ、弟はロス五輪で4位入賞を果たした、あと一歩だった、同級生の私にはモスクワ大会に出場していたらという思いが今もある、日の丸が三本揚がっただろうに、いや、ド・キャステラにしてやられていたかも知れない・・・。 閑話休題、話に触発されたわけではありませんが、夕方、運動公園へ。ラン10km。久しぶりにKさん(昼のKさんとは違います)が引っ張ってくれました。疲れがたまっているのか、ヘロヘロになりました。腹も減って、力が出ませんでした。終盤になると彼がとばすんです(といっても私にとってペースが速いだけで、彼は平気の平左ですが)。キロ4分半で最後の2kmを走りました。クタクタになりました。 大会を控え、今日からノンアルコールと決めていました。しかし、夕食はシャブシャブでした。風呂上がりにプルトップを引き、ワインを抜栓しました。バタンキューでした。明日、仕切り直しです。 ランニングのことばかりを書きました。今日の一句アフガンが双子の走り取って消し今日の写真は夕日です。走り終えての帰宅途中、蛇崎あたりで撮りました。これを見るにつけ、幣舞橋のそれが楽しみです。
2013年07月16日
コメント(2)
平成25年5月29日(水) 午前4時半起床。晴れ。蒸し暑い日でした。 午前中は調べ物。午後は会議を2つ。熊本や宮崎の同業他社を招いての所為でした。2年スパンの取組に一区切りがつきました。担当した部下が肩の荷を下ろしました。 社内はまだエアコンのスイッチを切ったままでしたが、今日の会議室だけは別でした。快適でした。 夕方、運動公園へ。アップダウンの2km周回コースを5周、計10km。身体が重かったです。今日の一句2年越し帳面終えて酒美味し今日の写真は女性です。Sさん。訪ねてきました。友人です。妙齢です。5kmを25分で走るランナーです。会話は打てば響くの感です。実家が寿司屋なので、江戸っ子気質なのでしょう。一緒にいて楽しい方です。
2013年05月29日
コメント(0)
平成25年5月7日(火) 午前4時起床。晴れ。肌寒い。 弊社のクールビズは5月1日からです。ノーネクタイで出勤しました。ところが急に会議が入り、締める羽目になりました。年に幾度もないことです。部下に借りて凌ぎました。1本忍ばせておかねばと思いました。ということで朝からバタバタ。連休気分がふっ飛びました。午後に一段落。 遅い時間に取引先の社長を訪ね、挨拶をしました。組織の再編があり、取引の一部が他のチームに移りました。世話になった礼を言いました。「あなたは言葉を選ぶ人だ」と言われました。褒められたのか、のらりくらりの人間と言われたのか、判りかねました。この1年、商談の解約に絡むやりとりだっただけに、多分後者なのだろうなと思いました。忸怩たる思いでした。 夕方、運動公園へ。ラン10km。今日はキロ5分前後のペースで押しました。Kさんとの並走はいい練習になります。話ながらです。息が上がります。きつくなって、無口になります。これって50過ぎの男のすることなのかな。何とはなしに可笑しいです。彼の話した内容は以下のとおりです。4月末にあった番匠健康マラソンで交通整理のボランティアをした、特段トラブルはなかった、ハーフの優勝タイムは1時間12分くらいだったか、K社の社員が大勢参加した、工場長がランナーだからかな、連休後半は娘を高崎山に連れて行った、リヤカーに積んだ芋を撒くときが面白かった、引く男性が転んで人だかりならぬ猿だかりになった、今週末は延岡でゴールデンゲームズがある・・・。 ハーフ、Kさんが走ったら入賞間違いなしだったのにというと、とんでもないと謙遜しました。延岡の大会は失念していました。国内のトップランナーがやってきます。惹かれます。見に行きたいですが、既に別の予定を組んでいます。残念です。 NのZが亡くなりました。一つ年下。幼なじみでした。農業高校を卒業し、そのまま農業助手として残りました。しばらくして米作中心の家業を継ぎました。消防団の分団長をしました。こんなことがありました。聞いた話です。台風時、某家が半水没、婆さんが取り残されたときです。消防のレスキュー隊がやってきて、そこまでのボートが必要だ、署へ取りに帰る云々。Z蔵はそんな時間はないと言い、ロープを腰に巻き、濁流を泳いで向かいました。助け出し戻って曰く「お婆が畳に座って浮いていたわい、面白かったわい」こんなこともありました。別の台風時、公民館に避難したお年寄りが一夜を過ごしたとき、奥さんに命じ、炊き出しをさせました。誰も気づかない先からの仕儀でした。親分肌がありました。も一つ、台風時、見回りの際に冠水した道路を消防車で走り、エンジンをダメにしました。消防署からお叱りを受けると思いきや、彼のしたことだから仕方ないと不問に付されました。大の酒好きでした。焼酎一本やりでした。痩せてガリガリの体躯でした。白髪、頬が痩け、前歯も何本か抜けていました。風の便りに、最近は不遇をかこつ日々と聞いていました。いろいろと事情があったのでしょう。私が少年野球チームの監督をしていたとき、彼の子どもも入部していました。内気な性格はベースボールに向きませんでしたが、好感の持てる少年でした。彼は今どうしているのかな。今日の一句訃報聞き巡る思いは何故と問う今日の写真はブーゲンビリアです。拙宅居間に満開です。Zへの手向けになればよいです。
2013年05月07日
コメント(2)
平成25年4月16日(火) 午前5時過ぎ起床。晴れのち曇り。 たっぷりの睡眠でした。朝ご飯が美味しい。 午前中、会社でセレモニーがありました。4年に1回です。気持ちを新たにしました。 午前と午後ともディープなミーティング。どちらとも悩ましい案件でした。特に午前の内容は、鼎の軽重を問われることになりかねません。同僚の話とはいえ、鵜呑みにはできません。 夕方、Sさんと話をしました。彼女はマスコミ関係者です。女性と話すことは滅多にありません。舞い上がってオーディオやクラシックのことを自慢しました。自分勝手なおっさんです。鼻につく手前味噌の後、趣味を尋ねました。読書とのこと。面白いのを紹介してよというと、思わぬ答えが返ってきました。時代物が好き、特に中国もの、宮城谷昌光を読むそうです。三国志、水滸伝は吉川英治だろうというと、宮城谷の他に北方謙三もよいと返されました。それぞれに味があるのだそうです。北方謙三は読まず嫌いでした。私は昭和期の純文学や文藝評論を好きですが、今さら川端や井伏、亀井勝一郎や唐木順三、高校の教科書に載るようなものを勧めるのは興ざめです。高村薫「レディー・ジョーカー」、船戸与一「猛き箱舟」「蝦夷地別件」、佐々木譲「ストックホルムの密使」「エトロフ発緊急電」「ベルリン飛行指令」を挙げました。宮城谷と北方謙三の中国ものは、読んでみよう。それにしても爽やかな女性でした。読書日記をつけているとのこと。京極夏彦がよい、衒学的なんですよ、といいました。若い女性が「衒学的」という言葉を会話で使うの図、なんだか嬉しくなりました。ますます素敵です。今日の一句才媛の話に惹かれ胸騒ぐ康成の話を出したので、今日の写真は川端康成の名がついた酒です。久住で千羽鶴を造る蔵元です。先日、長湯温泉に行った際、喫茶店の冷蔵庫にありました。非売品とのこと。飲んでみたい。
2013年04月16日
コメント(0)
平成25年4月12日(金) 午前4時半起床。晴れ。外気温5℃。今年は4月中旬になっても朝が冷えます。日中も肌寒い。稲苗の植わった水面が新緑の山々を映しています。出勤の途中、田んぼの中に新品の農機具がありました。メーカーがトラクターと田植機を並べていました。実演もあるのでしょう。 終日デスクワーク。 夕方、運動公園へ。着替えようとYシャツを脱いだところに選挙カーが通りかかりました。私のまちは今週末が市長と市議会議員の投票日です。選挙運動たけなわです。この候補、見知った人でした。頭を下げると、本人と、そろいのジャンパーを着た5人が車から降り、走り寄ってきました。全員から握手攻め。みなさん必至です。中でも20台と思しき女性が「次男の嫁です」と言いなながら手を差し出してきました。握り返すととても小さく柔らかい。細面の美人でした。涼しげな目が潤んでいました。たまたまですが私、かつてその次男の方と一緒に仕事をしたことがあります。その際、独身と言っていました。結婚したのは最近なんだ。この若奥さん、義父の運動員として選挙カーに乗ること、想像だにしなかったと思います。なぜなら、義父さんは新人候補だからです。まあそれはそれとして、私、上半身下着、下はスーツに革靴の格好でした。軽トラの横に立つこんな態のおっさんに6人が握手をするの図、滅多にないシーンでした。 着替え終えたところにKさんが。ではということで一緒に走ってもらいました。ラン10km。今週は中に出張を挟みましたが、月曜から金曜まで休まず練習することができました。並走しながら彼曰く、市役所にオリンピック選手が入った、北京で活躍した成迫健児君だ、400mハードルが専門だけれど長距離も走るといいのにな、県内一周駅伝のメンバーに入ってくれないかな、肺活量は十分なのできっといけると思うんだが、でも走り方が違うからだめかもしれないな、子どもたちの指導はするのかな、日本一になった人にコーチしてもらうのは嬉しいだろうな・・・。ここのトラックで練習する彼をまだ見たことはありません。楽しみです。サイン、もらえるかな。彼の父親とは顔見知りです。高校の同級生でした。10種競技の選手で早稲田に進みました。今はこのまちで体育の教師をしています。リチャード・ギア似、ハンサムです。余談ですが、何年か前に同窓会をしたとき、彼を女性陣が囲み、大はしゃぎでした。 帰宅してシャワー。妻はコーラスの練習に出かけました。一杯ひっかけて、布団の中で本をと思いましたが、そうしませんでした。録画しておいた番組を見ました。NHKの大岡越前。第1回と2回。いい感じでした。音楽は民放のそれと同じでした。はまりそうです。明日第3回があります。今日の一句鶯も鳶も鳴いて濃さを増す緑の山並み椎の花咲く人情に惚れたし見たし時代劇番組減りて局恨めし今日の写真は会社の駐車場脇に咲く花です。赤がよろしい。
2013年04月12日
コメント(0)
平成25年3月18日(月) 午前5時半起床。曇り一時雨、午後2時過ぎには晴れ間がのぞきました。夕方、運動公園に行ったときは青空でした。ラン7km。ほぼ1週間ぶりの練習でした。気温が高く、汗びっしょりになりました。何度も額をぬぐいました。獺祭がしみ出るようでした。 前後します。今日聞いた話を。午後の講習会でMさんに遇いました。大阪からIターンした方です。会社を定年になり、私のまちにやってきました。大手ゼネコンで土木建築の仕事をしていたとのこと。次のような内容でした。曰く「佐伯の城山には石垣がある、石垣は下から見上げるのではなくその上からまちを眺めるのがよろしい、殿様の視線なんだ」なるほど。それから石についての談義が始まりました。石工の鑿はカミソリのようだとか、墓石はほとんど中国からの輸入物だとか、朝鮮半島は花崗岩で形成されているとか、穴太衆の話であったり。面白かったです。仕事で実際に石積みをしていたとのこと。話題は佐々木譲の小説や西洋城郭建築技術の導入時期、石灯籠の芸術性、瀬戸内・家島や香川の庵治に及びました。僅かの時間でしたが、興味本位の話が巡るの図、楽しいです。 帰宅してシャワー。焼酎パックの底たまりをロックにして流しました。日向木挽。少し樫樽の香りがしました。当ては昨日のナンバン。 腹が落ち着いて、マイルス・デイヴィスを聴きました。アランフェス。ディープな演奏でした。次いでラデク・パボラークでBACHの無伴奏チェロ。これ、出色の演奏なのです。ホルンの音色がとても柔らかい。チェロとは違い、悲しい深さがあります。 今日の写真は隣に住むおばちゃんにいただいたバラ寿司。筍が出たので、彼岸の入りに合わせて作ってみたとのこと。味もですが、近所づきあいもいい感じです。
2013年03月18日
コメント(2)
平成25年2月28日(木) 午前6時半起床。晴れ。 数日前、サヴァリッシュの訃報がニュースになりましたが、今朝はクライバーン逝くの報道を目にしました。さらにマリー・クレール・アランも。 午前は忙中閑ありでした。ハンコ押しと業界紙の斜め読みをしました。午後は会議。塩糀ブームの火付け役、浅利妙峰さんに遇いました。話を聴きましたが、その慧眼に恐れ入るばかりでした。昨夏はNHKが彼女の経営する糀屋本店を取り上げました。本も出しています。私のまちの誇りです。 夜、会議を持ちました。イベント企画についてでした。寄付の依頼や人集めについての意見が出ました。面倒は誰もしたくありません。紛糾に近い感じになりました。でも、悩ましいことをメンバーが共有できたという意味では、奏功したといえなくもないです。 侃々諤々の最中、胸の携帯電話がブルブルしました。部下のAからでした。彼とTの二人は繰り出していたのでした。会議が終わり、折り返すと、大衆居酒屋二八萬石に突っ込んでいました。弊社の嘱託T君が実家のある東北へ帰ることになり、送別会を開いたのでした。彼はT京大を卒業後、私のまちにやってきました。柔道三段の猛者です。午後9時前、つね三で待ち合わせました。私の方が先に暖簾を潜りました。瓶ビールを飲んでいたら、やってきました。写真は私とT君のツーショット。 後の二人は出来上がっていました。大将がマムシ焼酎を注いでくれました。 酒精の廻ってなお猪口を口にするT。 剣道七段も毒蛇にはかないません。 T君は明日離佐します。最後にこの店のアジ寿司ごまだしうどんセットを食べたいとのこと。馳走してあげました。くちなわのエキスには一口つけただけでした。私も一献いただきました。三楽の25度が半分、エチルアルコールが半分とのことですから75度です。参りました。さすがのうわばみ兄弟も沈没。私は寿司を食べました。 大将がハモの吸い物をサービスにこさえてくれました。 1時間足らずの酒席にして不完全燃焼。妻が迎えに来てくれました。スッテンテンのAを送りました。
2013年02月28日
コメント(2)
平成25年2月25日(月) 午前5時起床。晴れ。 朝のニュースが訃報を報じました。ウォルフガング・サヴァリッシュです。出勤前のバタバタした時間でしたが、遙かな想いがよぎりました。フォンタナレーベルのレコードが懐かしいです。フィリップス系です。ウィーン交響楽団のベートーベン、ブラームスは定番でした。学生時代に大学生協で買った廉価版です。棒捌きを字体にたとえると、楷書です。後にスイスロマンドやフィラデルフィアを振ったとのことですが、それは聴いたことがありません。N響との関係が深かったとのことです。よくテレビに登場していましたから、それはそうでしょう。ウィキで調べたら、カラヤンに嫌われていた由。地味な感じをして活躍の場が偏っていたようなイメージを持っていましたから、そうと知ると何とはなしに分かるような気がします。巨星堕つの感です。 午前も午後も会議とミーティング。夜は某公民館を訪ねました。営業活動です。幾晩も続きそうです。今週は忙しくなりそう。ランニングの練習はしばらくお預けです。帰宅の途中、中天に満月が浮かんでいました。黄味を帯びた色に、そろそろ春宵一刻値千金の頃が近づいたと思いました。 今日の写真はスズメバチの巣です。家の東側にある生け垣、ツバキの枝中にありました。日曜日の昨日、鉈で引っ張り出しました。
2013年02月25日
コメント(0)
平成25年2圧19日(火) 午前6時過ぎ起床。雨のち曇り。夕方は寒くなりました。 朝のうちミーティングが重なりました。その後、隣のまち延岡からお客様がありました。要件はそれはそれとして、世間話に東京ガールズコレクションのことが出ました。曰く、来月末、私のまちにやってくる、チケットをお世話しますよ、とのこと。私はそれを知りませんでした。はー、へー、そー。頷くばかりでした。 午後も会議。投資話が難航しました。 夕方、運動公園へ。レース後なので、軽いジョグを8km。途中、某社の社長と並走。数年先までの受注状況を教えてくれました。数年先まで大丈夫とのこと。でも、それがいいことなのか判らない、経営は為替の影響を受けるし、鋼材相場も流動的、電気料金値上げも懸念材料・・・色々情報をいただきました。ひょんなことからプライベートの話になりました。彼は私より一回り年上です。T商船大を卒業、今は大学の名前が変わり寂しい思いをしているとのこと。私は、チューニックの学部、商船大の制服が羨ましかった、商船大の奴らは水産学部の連中をイワシ殺しと馬鹿にするんです、といいました。彼は微笑んで曰く「白い三つボタンを着て田舎に帰ると、母親が喜んだ」なんともいい話です。ちなみにその服は海軍の白い制服に近いです。チューニックは紺色でボタン無しの詰め襟です。 夜、ヨハネ受難曲を聴きました。マイナーですが、マタイ受難曲とは違った趣もあります。紅茶とケーキを楽しみながらの至福でした。 今日の写真は私です。先の日曜日に撮ったのを部下のIがくれました。彼の息子さんはこの大会で2位になったとのこと。 もう一枚、部下I一家。両親揃って息子さんの応援です。奥さんはとびきりの美人です。 さらに一枚、昨日から郡市対抗県内一周駅伝が始まりました。弊社近くに止まっていた監督車です。右側が監督兼選手のTさん。40才以上の部1,500mでは県下ナンバーワン。一流ランナーです。左は庶務のT君。少林寺です。
2013年02月19日
コメント(0)
平成25年2月18日(月) 午前6時起床。雨模様。 慌ただしい月曜日でした。社内のあれこれに調整が必要でした。なにをやってんだか判らないような気分でした。午後、山陽のまちM市からお客様がありました。取引の話は別として、初対面の方とは、互いの土地のあれこれを話すよう心がけます。土地の有名人であったり、山や川のことであったり、はたまた名所旧跡、名物・特産品であったり。打ち解けるのが早くなります。今日は、カープ監督の出身地であること、一級河川番匠川が流れていることを自慢しました。お客様は人口10万人足らずのまちなのに港湾や新幹線の駅、加えて空港もあるとおっしゃいました。手土産にタコ煎餅をいただきました。これが美味しかった。 会社が引けて、繰り出しました。友人Kと私が、オーディオの師匠を招いて飲もうと考えたのでした。私たち二人は師匠の舎弟です。私は言うに及ばず、Kもスピーカーのエッジを張り替えてもらったり。世話になっています。オーディオ談義、音楽談義をたっぷり楽しもうという算段でした。音楽との出会いに始まり、スピーカーやアンプのあれこれ、加えて師匠夫婦とK、それに私の妻が高校の同級生とあって、話が弾みました。料理は以下のとおりです。私は冷酒、Kは杜谷で流しました。師匠はノンアルコールでした。スッテンテンに酔っ払いました。 付け出しはナマコ。 刺身 サザエもありました。 アンキモ 地鶏 出汁巻き玉子がデカイ。 揚げ出し豆腐 グールドのバッハを語る師匠。 Kです。ジャズはマイルス・ディビスだ、と熱弁を振るいました。
2013年02月18日
コメント(2)
平成25年2月8日(金) 午前5時起床。新聞受けに日経が届いていませんでした。年に1~2度、こんなことがあります。入れ忘れたのか、それとも印刷工場からの道中に不可抗力があったのか。以前ですと、夜の明けて、その旨を販売店にTELしていました。しかし私、帰宅してからは滅多に読みません。その夜、後で届いたものも多分、手に取らなかったと思います。今思い返すと、なぜそんな詮のないことをしたのか。朝ご飯を食べずに出勤するような気分だったからなのか。でも今は、届かなくても、不愉快というか未練がましい気持ちにはなりません。朝日と日経の電子版会員になったからです。これは便利がよいです。 朝から会議。昼まで休憩を挟んでみっちり。疲れました。午後は融資関連の案件に首を突っ込んでしまいました。出張の部下が帰ってきて、助かりました。 会社が引けて、さあ花金、突っ込むぞ、ということで飛び出しました。でもそうしませんでした。運動公園へ。寒い中、ラン6km。帰宅してシャワー。野暮用を思い出し、それを済ませました。 夕食は炒めた鹿肉でした。塩糀にまぶして一晩おいたものとのこと。美味しかった。熊本・人吉の甘露「白岳」を湯で割って流しました。ぼんやりしていたら、BS-TBSが「こころの歌遺産」という番組をやっていました。最後の方だけ見ました。知らない歌手が登場しました。扇ひろ子、歌は「新宿ブルース」でした。痺れるような美人でした。とにかく歌が上手です。歌詞にアンニュイが漂っていました。涼しげな瞳がすこし愁いを帯びていました。面長。着物姿、うなじが細い。一目惚れというのはこのような気分になることをいうのだとひとりごちました。映像は多分1960年代後半のものでしょう。彼女のことを調べたら昭和20年生まれ。画面中の彼女は20代中盤かな。生いたちと略歴がウィキに載っていました。今も全国各地のホール、温泉場で公演を続けている由。聴きに行ってみたいですが、今は私より13年上です。これも詮なきです。 今日の写真は9日にシネマ5で公開される映画「次郎は寿司の夢を見る」の宣伝です。必見です。
2013年02月08日
コメント(0)
平成25年2月4日(月) 午前5時半起床。曇り。午前も午後も会議でした。前向きのものもあれば後ろ向きというか始末をつけなければならない案件もありました。慌ただしかったです。一日がたちまち過ぎました。帰宅する途中、変な天候に気づきました。新佐伯大橋を渡っていて、強い東風(コチ)が吹いているのに、雲は西から東に流れていました。雨模様。寒冷前線通過直前のことなのでしょう。 今日は拙宅の薪ストーブを見にトン様がやってくる日でした。モイ香先生の友人です。二人が酒持ってピンポーン。釣ったアオリイカを土産にいただきました。早速妻が刺身にしました。先日、山奥U集落に住むSさんからいただいた鹿ロースもルイベの刺身にしました。暖房の蘊蓄をあれこれ話した後はトン様自身の話。面白かった。概ね次のような内容でした。「若い時分はモジャコ船に乗った、辛かったが、3年ほど過ぎたら慣れた、魚影は太平洋よりシナ海の方が濃い、後者では1日で満船になることもあった、海がモジャコで膨れているような感じだった、しかし九州の西は自分たちの操業区域ではない、巡視船に追いかけられた、拘留されたことも数度ある、同僚がめいめい勝手な証言をするので話がかみ合わず留置が長引いたこともある、東海に比べ豊後水道は庭のようなものだ、大隅半島沖の潮目にできる段差の恐ろしさを経験したら怖いものはない、もちろん凪であっても海を侮ってはいけないが、沖に出ての漁は初夏の一ヶ月間ほどだ、残りの期間は大工仕事をした、薪ストーブも煙突も自分で設置する・・・」他にも面白い色々を聞いたのですが、プライベートに過ぎた内容で、人に迷惑がかかるといけません。忘れたことにします。楽しい夜でした。 今日の写真はその二人です。写真はそう見えませんが、二人とも紳士の方です。
2013年02月04日
コメント(0)
平成25年1月16日(水) 午前5時半起床。晴れ。 午前中デスクワーク。午後、同僚と情報交換。長話になりました。 夕方運動公園へ。ラン6km。調子悪し。体が動きませんでした。スローペースなのに息が上がりました。こんなことではいけない。 出勤途中、火曜日はいつもラジオを聴きます。「日本全国8時です」に荒川洋治が出演するからです。昨日は国語辞典の話をしました。先月、集英社が発売したものを取り上げました。人名、地名を掲載しているのが特徴とのこと。なるほど。普通、これらは国語辞典に載っていない。たとえば「フランスパン」はあるが「フランス」はない。続けて、最近は辞書を引く人が少なくなった、携帯電話やパソコンで簡単に調べることができる、これはこれでよいが、辞書を引くことは別の楽しみもあることを知ってほしい、と話ました。その楽しみとは、一つの言葉を探し、見つけて目的達成、その後にその言葉の周囲にある語句を眺め、勝手にあれこれ考えたり思いを巡らすことだそうです。このことに意味があるのだそうです。この感覚、わかります。私、百科事典をぺらぺらめくるのが好きです。あれこれの内容についてうんちくを知る楽しさに通じるところがあります。 辞書とモバイルの関係に話が及びました。ついでといってはなんですが、インターネットの電子図書館「青空文庫」について。前にも書きましたが、吉川英治について。ご存じ、宮本武蔵や新平家物語を書いた大作家です。昨年、著作権が消滅しました。今月、青空文庫に彼の作品が登場し始めました。長編小説「私本太平記」。彼の作品はどれもおもしろい。そのうち三国志も登場するでしょう。時代小説好きにはたまりません。楽しみです。 今日の写真はパキラです。剪定した枝を水に差していたら芽が出ました。いい感じです。このことに限らず、拙宅は観葉植物が元気です。
2013年01月16日
コメント(0)
平成24年11月29日(木) 午前6時前起床。曇り一時雨。 終日デスクワーク。 日が落ちて会社を出ました。雨なので今日も走るのをやめました。最近、練習をサボっています。そのせいか、ふくらはぎの調子は元に戻りつつあります。腹が出ないよう、腹筋と腕立て伏せをしています。 今夜の当てはサバの塩焼きとシメサバ。ハイボール2杯で流しました。グラスワインを1杯飲んで、白州の生で締めました。就寝午後9時前。 先日、義弟のお嫁さんからお菓子が届きました。 彼女は「焼き菓子職人」です。自宅で焼き、都内の店に卸しているとのこと。粉にこだわっているとは彼女の弁。どうですか、この色。香りも味も抹茶プンプン、芳醇、濃厚です。コーヒーとのマッチングもよろしい。至福の時間です。
2012年11月29日
コメント(2)
平成24年11月15日(木) 午前5時起床。昨晩は本を読んで午前様。日付変更線を越えることは滅多にありません。寝起きはよい方ですが、今朝は眠たかったです。 午前中、シリアスな会議。午後はデスクワークとこれまた懸案事項を議題としたミーティング。前に会議を減らすハウツー本を読みましたが、どうもうまくいかない。 でもね、いくはずがありません、本気で努力していないから。 同僚にして県内一週駅伝の一流ランナーT氏に、足の痛みを訊いてみました。曰く「休むべし」。スプリンターだったオーディオの師匠も同じアドバイスしてくれたことがあります。そうしようと思います。思い切って1週間練習を休みます。私は肥える体質です。飲んで太らないようにしなければ。 今夜はNHKFMでNHK音楽祭2012を聴きました。ゲルギエフ、マリンスキー劇場管、ヴァイオリンはレオニダス・カヴァコス。シベリウスのコンチェルトでした。酔ってしまいそうな演奏でした。音質もよい。FM放送侮るなかれです。タンノイも臨場感たっぷりの演出をしてくれました。うっとり、至福の時間。 上にオーディオの師匠のことを書きました。今日、彼が弊社に所用でみえました。合間にマランツのプリアンプ「7」の話を聞きました。そそられました。聴いてみたい。それはそれとして私「ところで師匠、師匠には肖像権はあるのですか」師匠曰く「ない」私「それならば写真を一枚、魚眼レンズでもう一枚。本当にありませんね」師匠「ない」 ということでオーディオの師匠の写真。 ホントは笑顔の素敵な男前です。奥さんは私の妻と同級生にして同じ名前です。クラシック好きは奥さんの名前も同じになるということでしょうか。
2012年11月15日
コメント(0)
平成24年11月1日(木) 午前4時起床。晴れ。 いつもより40分ほど早く家を出ました。バスターミナルから出る空港バスに乗りました。朝の便で名古屋に向かいました。IBEXとANAの共同運航便。小さなジェット機でした。滑走路に降りて、歩いて搭乗。タラップは飛行機の前口を半分輪切りにしたような感じでした。経験したことがありません。 前後しますが、空港ロビーにジャージを着た若者の集団がいました。日本文理大学陸上競技部の選手たちでした。4日(日)に伊勢路で行われる全日本大学駅伝に出場するのです。「私は君たちのファンだ、頑張ってくれ、エースは誰?一緒に写ろうよ」と言い寄りました。なんだい此のオヤジは?と思いながらも並んで写ってくれました。黒トレーナーの青年がエース、1区を走るのかな。 機内からは室戸岬がよく見えました。 セントレアに着陸、名鉄で名古屋駅へ。その時、携帯がブルル。ブロ友のnkucchanさんからでした。数日前、岐阜へ出張すると書いたところ、K市から車を飛ばして会いに来てくれました。驚くやら嬉しいやら。鰻屋に案内してもらいました。仕事の合間を縫ってのことでしょう、時間がないから一緒できないけれど、ここは美味しいからとのこと。とんでもない、恐縮しました。店の玄関脇で固い握手をして別れました。見送って手を振ると、遠くになってしまったリアガラス越しに返してくれました。ブログで互いに書き込みをするだけの仲。面識も電話で話したこともありません。それが突然今日のようなことに。「ひょんなことから」という言葉がありますが、まさにその感じなのでした。会っての印象は一言で表現すると「知的なおじさま」。スリムな身体にセンスのよい服装。言葉を交わすと、端々の表現にデジタルとアナログのよいところを併せ持つ素敵なスマートさを感じました。とてもいい感じに齢を重ねていらっしゃる。こんな方と友だちになることができて嬉しいな。 そうそう、鰻の美味しかったことは言うまでもありません。 話は変わりますが、勝手に二人だけ会ってしまっては、釧路の亮さんが羨ましがるだろうなと思いました。。大丈夫ですよ亮さん。何時かわからないけれど「近いうち」に必ず赤横を絨毯爆撃しに行きますから。 名古屋駅から岐阜へ。高山本線に乗り換えS町へ。明日、業界の抱える深刻な問題についてのシンポジウムがあります。今日はそれに備えて同業他社との打ち合わせ。これが終わり、そのまちの奥の院へ案内されました。乗った車はとっぷり暮れた山道を奥へ奥へと分け入りました。その先に現れたのが野田郷という宿。ここで晩ご飯をいただきました。着物を着た女将さんが迎えてくれました。 薪ストーブが燃えていました。 中の一部屋はこんな感じです。 落ち鮎を焼いてくれました。大きかった。子持ちです。 地酒「せんぐりせんぐり」を合わせました。 豚バラがいい感じでした。 自然薯を摺り下ろしたものに餡をかけた「真丈(しんじょう:真薯とも書くらしい)」。 これは綾小町で流しました。取引先の方が持ち込んだのでした。 カッポ酒も出ました。 松茸の土瓶蒸しで締めました。 ここの料理、山奥ですから当然海の幸は無し。港町に住む私にはそれが新鮮でした。ほろ酔いになって町まで戻りました。疲れた。
2012年11月01日
コメント(4)
平成24年9月29日(土) 先生は午前3時に起きていました。新聞を渡し、私はもう1時間寝ました。午後4時に起きると、先生の部屋は灯が消えていました。妻が起きてきて、朝ご飯を作りました。物音が聞こえたのでしょう、先生は着替えてすぐに居間へ来ました。「おい、ちょっと散歩に行ってくる」白み始めた中を出かけました。座敷の布団はたたんでありました。帰ってきて、食卓を囲みました。ゴーヤのジュースを美味しいと言ってくれました。ご飯、味噌汁、玉子焼き、メザシ。楽しい朝ご飯でした。 午前7時に家を出ました。妻も一緒でした。道中は雨でした。車中は楽しい会話、大分空港までの時間がたちまち過ぎました。妻が空港のラウンジでソフトクリームを馳走になりました。先生も食べました。写真は美味しそうに頬張る姿です。 もう一枚、妻とのツーショットです。 先生は午前10時前の中部国際空港行きに乗りました。名古屋から静岡方面に向かい、交付を経て諏訪に行くとのこと。あっという間の3日間でした。手荷物検査のゲートに消えるとき、片手を上げて「じゃあな、またな」とニッコリ。しかし、なんだか寂しい別れでした。次はいつ会えるかなという思いが頭を過ぎりました。矍鑠とはいえ82才です。先生の命のこともですが、札幌が、北海道がスルリと手のひらから抜け落ちた気分でした。楽しい夢から引き戻された感じです。もう学生時代に戻れはしないという現実、甘言に身を任せた後の寂しさがこみ上げました。 雨の中を見送った後、帰りの車中で、先生の人となり、私との関係、鹿児島旅行の際に聞いたことなどを妻に話して聞かせました。昨日まで、先生のことを話すと「そんな人がいるなんて、あきれるわ」と言っていました。でも今日からは違います。妻も先生のファンになりました。(先生のこと) 3日前から先生先生と、先生のことばかり書きました。どんな方なのかを少し書きます。先生は医学部に入学しましたが、紆余曲折あって卒業後は高校の教員をしました。まだ30にならないときに大学に戻り、教官となりました。専門分野は基礎医学です。アメリカやヨーロッパに何回も留学したそうです。フルブライト留学生でもあります。旧制中学の時から野球部でした。大学を退官するまで監督・顧問をし、今も名誉顧問のようなことをしています。私との接点はこの野球でした。 大学には12学部あります。野球部にも各学部の生徒が入部します。学生には学部横断の友人ができる環境です。先生は単に自分の教室の学生だけでなく、野球を介して集まる理系文系の学生を相手にしてきました。しかも40年近くです。今は82才ですから、教え子は各界に散らばっています。功成り名をなした人も、不遇を託つ者も、皆、先生先生と先生と慕います。先生は出鱈目な学生、卒業してなお芽の出ない教え子、人生失敗の連続であったり馬鹿をやらかして自ら墓穴を掘った者をことのほか可愛がります。面倒見がいいのです。順風満帆を行く教え子の仲人はしません。引き受け手のいない媒酌を買って出ます。具体的なことは欠くこと能わずですが、不如意の警察沙汰、離婚問題、就職の世話、頼まれて為らぬことを成してきました。今回の旅行では、そのあれこれを聞くことができました。市井に過ごす教え子のことだけではありません。学生時代、後輩にいた女好きの某直木賞作家にビンタをはってやったとか、有名女子アナは俺の紹介で局に入ったとか、はたまたノーベル賞受賞者の某は工学部で芽が出ず仕方なしに理学部へ転部したとか、驚く裏話もありました。驚き、笑い、少し涙の混じった内容でした。先生を介しての輪廻というか、因果律のようなものがあります。私もその1ピースになることができて幸せの気分です。 今は学校や団体を相手に、産業医に近いカウンセリングのようなことをしています。もちろん、無報酬です。しゃべり方はべらんめー調です。酒も女も下ネタも好きです。例えば色話をアカデミックな用語を交えた講義風に話します。当然、格調高く聞こえます。しかし元々が下賤の内容です。そのギャップがいいのです。本物の博士ですからケーシー高峰とは違いますが、一部になんだか近い感じもあります。 今日の一枚は先生と私のツーショットです。錦江湾上のフェリーにて桜島をバックにとりました。よい記念になりました。
2012年09月30日
コメント(2)
平成24年9月21日(金) 午前5時起床。晴れのち曇り。 秋の交通安全週間です。いつもより30分早く家を出ました。会社の総務から黄色い帽子、タスキ、それに交通安全の旗を受け取り、近くの四辻に立ちました。同僚のOさんと隣り合わせになりました。彼は50代後半、往年の名ランナーです。ランの話を聞きました。曰く「今は1キロ4分ペースの練習を目指している、1日に10km走るかな、ダラダラ走りをしていても速くならないよ、インターバルだよインターバル、脚が締まって嬉しくなるよ、若いときは300mを1日に50本やった」すごいです。かつて、大分県の代表として県対抗九州一周駅伝を走った人です。今も毎日10kmを40分で走る練習をしているなんて。信じられない。 午前中、お客様がありました。弊社10人ほどで対応しましたが、もうけ話にはほど遠い話でした。午後は社内協議。1時間早退し、S内科へ。2ヶ月に一度、血圧の薬を処方してもらいます。看護師が血圧を測ってくれました。128-68でした。なんだか低いな。先生曰く「樵夫さん、最近どうですか、飲んでますか、そうですか土佐の純米吟醸ですか、えっ磯自慢も、うんうんあれは独特の旨味がありますね、静岡の酒はじつにいい、ちょっと胸を出して下さい(聴診器を数秒だけ聴きました)、なるほど結構です、えっ、ワインもですか、そういえば玉井で遇いましたね、またやりましょう、お大事に」診察というか、「近いうちに」一緒に飲もうというような世間話か、わかりません。 運動公園に回りラン10km。今日も坂中心の練習。なんだか疲れて、足が重かったです。帰宅してシャワー。晩ご飯のおかずはカボチャコロッケとイワシの酢締めでした。魚は父の友人Mさんにいただいたものだそうです。これを当てに出羽桜のそこたまりを飲み干しました。彼女がコーラスの練習に出かけたので、私は録画しておいた映画を見ました。「瀬戸内少年野球団」往年の名作です。夏目雅子が美しかった。65点。夜が更けてきたので、タンノイに火を入れました。バロックをオムニバスで。畳にひっくり返って聴き入っていたら、本が目に入りました。昭和文学全集を床の間のスペースに積んでいるのですが、その中の一冊。第7巻、梶井基次郎、中島敦、内田百けん(もんがまえのなかに月)、広津和郎・・・。11名の文士が詰まっています。丸岡明は知りません。梶井にしても檸檬しか読んだことがありません。それなのにこの本は、彼のものだけでも20編を収録しています。よし、この本をやっつけよう。でも開いてすぐウトウト。眠り薬の効果てき面です。 今日の写真は某全国紙記者のF氏です。文士の話を書きましたが、彼もペンの仕事を生業にしています。どうですか、この意志を持った顔。深みのある色合いの目、引き締まった唇。私は男色ではありませんが、引き込まれます。先日載せた親方の写真と言い、このF氏といい。モデルのよさは言うまでもありませんが、それはそれとして、内に秘めたるものを引き出す私の腕前も、手前味噌ながらなかなかのもの(ナンチャッテ)。Fさん、肖像権、無かったですよね。
2012年09月21日
コメント(4)
平成24年9月16日(日) 午前4時起床。台風が近づいています。日中は雨脚が強かった。夜になって風が吹きました。金、土、日、ランを3日間休みました。 午前中、妻は支援学校の卒業生が集まるお楽しみ会のようなものに出かけました。 オーディオの師匠にTELしました。トーレンスのプレーヤーが不具合でした。見に来てくれるという言葉に甘えました。ターンテーブルは独楽のようになっています。心棒の入る穴にオイルを注しました。ベルトも替えました。その時は、わざわざビニールの手袋をしました。一々の気配りというか、機械を扱う師匠の丁寧さに驚きました。ホルストの「惑星」とチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番を聴きました。針を落とした瞬間、師匠と目が合い、互いにニンマリ。そうなんです、レコードの音は違うのです。全体として暖かさ、ぬくもり、ふくらみ、こういうものが混ざり合ってふんわりした空気が漂います。もちろん、楽器のそれぞれの音も本物が鳴っているように艶めかしいのです。CDだと、そうはいきません。スピーカーの音になってしまいます。トーレンスは、なお、少し不具合ありということで、この雨の中、持ち帰って分解修理をしてくれることになりました。 一通り始末がついて、コーヒータイム。師匠にいろいろな話を聞きました。バイクのこと(師匠はカワサキの1,400ccに乗っている)、風を切る楽しさを楽しそうに語りました。私に自動二輪の免許を取るよう勧めてくれました。でも、こればかりはその気にはなれないな。話は機械、メカニックのことになりました。師匠は、何年経っても修理部品を提供する海外メーカーの姿勢を褒めました。日本の製品は製造が打ち切られると、修理部品はすぐに在庫なしとなると、苦言を呈しました。インターネットの功罪に話題が及びました。ブログやツイッターへの書き込みはマナーが大切、自身の名前を隠しての誹謗、中傷は暴力だとの結論になりました。 師匠からも一ついい話を聞きました。彼曰く「私の師匠は五味康祐だ」かの有名な芥川賞作家です。と言うことは、私、五味氏の孫弟子になります。オートグラフはありませんが、同じ15インチのタンノイを持っているから、その資格は少しだけでもあるのかな。何となく嬉しいです。 師匠に虎屋の羊羹を頂きました。好物です。おつりにナスやキュウリ、ゴーヤを上げました。でも、なんだかエビでタイを釣った気分です。 午後は録画した吉田類を、そして大相撲中継を楽しみました。もちろん缶ビール片手です。日馬富士の腕立て伏せ仕切りに国技館がどよめきました。相撲はこれはこれでいいのですが、おいカープ、ナントカナランノカ。 今日の写真はカップケーキです。東京に住む義妹が焼いたものです。プロの腕前です。美味しい。
2012年09月16日
コメント(2)
平成24年9月15日(土) 午前5時起床。ちょっと二日酔い気味。 「弥生の某所で敬老会があるの、そこでコーラスを披露するのよ、行ってくるわ」妻が車のキーをもって外に出ました。「誰か、軽トラに乗ってきたわ、あっ、親方よ」会うのは、先月下旬、一緒に病室を見舞って以来でした。 彼女は支援学校の教師をしていたとき、彼の世話になりました。「森の学習」というくくりで授業を組み立てたのですが、彼なしにはことが始まりませんでした。植樹、コマ打ちなど、子どもたちにいろいろな体験をさせてくれたようです。私も彼の指導の下、彼らの前で大木を切っせみせました。ドドーン、轟音を響かせて倒れる様子を目の当たりにしたときの顔顔顔。よい思い出です。 その彼、この7月に胃を患い、入院していたのでした。点滴だけで何十日も過ごしたようでした。しかし、検査をしてもどこが悪いのか判らず終い。何か悪いものを拾って食べたのでしょう。入院中、何度か電話をしましたが、元気のない声でした。ガンではないか、死ぬかもしれない、という心配をしたようでした。思い切って妻と見舞ったときは、もう無罪放免が近づいていたような感じで、顔つきも声色もよかったです。今日はさっぱりして、海外旅行帰りのような感じでした。どうですか、この感じ。 音楽を聴かせてあげました。サム・テイラーのサックス。もちろんアルテックで。いろいろな話をしてくれました。その1 Aさんのこと。 Aさんは自分と同じ集落に住む。ずっと独身を通し、今は70台後半の年齢だろう。住まいは、家というより小屋と表現した方がいいような感じ。古い掘っ建てだ。引き戸を開けると土間がある。土だよ土。上がり口の障子を引くと、一間だけ。8畳ほどの広さに足の踏み場もないほどガラクタが散乱。小さなテレビと敷きっぱなしの布団。その中に寝起きしている。生業は山仕事。1丁のチェーンソーと鳶口に鉈・鋸のみで山の管理を請け負う。切り捨ての間伐材を人力で作業道へ引き出して売る。自然薯堀、川漁も生活の足しだ。人は皆、彼のことを蔑みはしないけれど、気にも掛けない。話もしない。こんなことがあった。集落には70軒ほど家があるが、昨日は3軒に、今日は2軒にという具合で、全世帯に掘った山芋を2本ずつ配った。自分はそんなに無理をせず、付き合いのある人だけに限ってのことでいいのではないかと言ったが、彼はそうしなかった。思うところ遇ってのことだろう。彼は黙々と生きている。その2 Mさんのこと。 Mさんには、両親が生活に困らないだけのお金を残した。しかしそれを使い切って後、泥棒をした。以来、言葉遣いは「そうであります」になった。刑務所の生活が染みこんだんだ。出所後、更正したようだった。しかし、魔が差してまた盗みを働いた。猪の肉を盗んだ。謝れば済む程度のものだったが、前科があり、また刑務所に戻った。その彼が先日死んだ。兄弟のみの火葬だったらしい。葬儀も、法事も一切なしだった。 寂しい話でしたが、Aさん、Mさんともそれぞれの人生をよく生き、生きた人だったというのが親方の話したかったことだと思います。1ヶ月あまりの入院生活は色々と思うところがあったのでしょう。人間の生は短く、朝露のようなものなんだ、ときめく人もきらめく人も、蓋棺の時は皆一緒なんだと言いました。親方、なんだか和尚になったみたいです。無常の話をするなんて。それならばと平家物語の序文、方丈記、蓮如上人の白骨文章を話してやりました。「風の前の塵に同じ」というと、そうだそうだ、と頷きました。 昼近くになりました。親方に送ってもらいました。昨夜、飲んで帰ったので、軽トラを会社の駐車場へ置いたままでした。運動公園に回りました。走ろうと思いましたが、周囲も含め、車で一杯。少年サッカーの大会をやっていました。走らずにとって返し、野良着に着替えました。チェーンソーで雑木を玉切りました。薪作りでした。そのうち、妻が帰ってきて、言いました。「野菜を植えるわ、畝を作って頂戴」へい、わかりまいた。二つ返事。トラクターに乗りました。耕耘し、土を軟らかくしました。次いで、一番嫌いな鍬の作業をしました。続いてコンニャク畑の草刈り。オシロイバナの緑に玉虫がいました。 カマキリも。行く夏を惜しんでいるかのようでした。 明日は台風ということで、ブーゲンビリアやハイビスカスの鉢を玄関に入れて作業終了。喉が渇きました。間に合いません、服に土の付いたまま、プルトップを引きました。シャワーを浴び、ワイングラス片手に相撲観戦。嘉風は白星先行。いいぞ。
2012年09月15日
コメント(2)
平成24年8月31日(金) 午前4時半起床。晴れ。 終日会議の予定でした。のっぴきならぬトラブルがありました。午後の予定をキャンセルし、対応しました。全くもって鬱陶しい。 午後遅くに人と会いました。同級生U。高校を卒業以来ですから、35~6年ぶりでした。コースは理系の生物・化学でしたから、2年3年次が同じクラスでした。四国の某大農学部に進みました。卒業後、発酵・化成を主とする会社に就職しました。私のまちにも大きな工場があります。この春、工場長として帰ってきました。広い敷地の入り口で、守衛にパスをもらいました。カイズカイブキの道路を進みました。管理棟の応接室に通されました。私も部下を伴いましたが、彼にも2人が同席しました。訪ねた用件は、弊社が関連するメセナに協賛をいただくことでした。二つ返事で快諾してくれました。その後、30分ほど世間話をしました。素敵なバリトン、落ち着いた立ち振る舞い、部下に対する言葉遣い、どれをとってもいい年の取り方をした管理職です。工場を後にして、つくづく思いました。流石大きな会社の工場長、とても立派になっていました。嬉しくもあり、羨ましくもあり。一献の約束をし、別れました。 会社が引け、運動公園へ。ラン10km。今日は調子がよかったです。タイムを計測しなかったけれど、4kmの周回コースで新記録を更新できたような気がしました。帰宅してなお、今日のトラブルに関する長電話を2本。プルトップを引くのが遅くなりました。缶ビール2本。バタンキュー。 今日の写真は、朝露を集めた広葉です。キラキラ輝いて美しかったのですが、上手く撮ることが出来ませんでした。
2012年08月31日
コメント(0)
平成24年8月17日(金) 午前6時半起床。終日晴れ。夏の陽射しが強かった。 午前中ミーティング。午後は会議を二つ。お盆の週間なのに会議会議。嫌になっちゃいます。 夕方運動公園へ。野球場は高校野球の試合が終わったところでした。甲子園たけなわですが、こちらは新チームで秋の大会を目指しているのでしょう。佐伯鶴城のユニホームにたくさん土が付いていました。ラン8km。今日のコースは公園の周囲を巡る小道でした。途中に墓地があります。今日も線香の匂いがしました。地蔵のあるところにサクラが1本あります。犬走りのコンクリート道がその横を走っています。ここを行くと、木にとまったアブラゼミが驚いて飛び逃げます。その数10匹は下りません。明日は練習を休みます。明後日、湯布院・塚原で10kmのレースを走る予定です。 A先生から封書の便りがありました。札幌在住の恩師です。82歳とは思えない矍鑠ぶりです。今年、すでに知人の葬儀9回目、香典で破産寸前、毎日朝3時起きのゴルフ三昧、先日はスイスへ行ってきた由(写真が同封されていました)、秋風が立ったら鹿児島・知覧にいく、おまえのところを急襲するかもしれない云々。私は先生の前では「ハイ」しか言うことが出来ません。しかし、それが何とも快感なのです。先生の元に集まる弟子たちも同じです。通常、子分は親分のおこぼれに預かろうとしてその仕儀になります。しかし、先生からのおこぼれはありません。弟子の連中はおこぼれなんか期待しません。ただ子分であることが快感であり、ある意味自慢、誇りなのです。美味く書くことが出来ませんが、要するに毛の三本足りない師弟関係なのです。 今日の写真は入道雲です。運動公園からの帰りに撮りました。夏が行きます。
2012年08月17日
コメント(0)
平成24年8月8日(水) 晴れのち曇り。 午前5時半起床。 午前、午後とも懸案事項についての協議。処理を終えるのに時間を要しそう。長丁場になりそうです。私は毛が三本足りませんから気の滅入ることはありませんが、部下がモチベーションを落とさないよう、配慮する必要があります。難しいなぁ。一席設けるか。 夕方、運動公園へ。周回コースを2周。ラン9km。暑かったですが、キロ5分のペースを刻むことが出来ました。このところ、調子がいいです。インターバル練習を始めてもタイムがアップしたわけではありませんが、何となく走りが楽になりました。ただ、左足甲の外側近くに鈍痛、いや疼痛に近い感じがあります。不安。 夜、オーディオの師匠来宅。先にお願いしたトーレンスTD126の調整が出来たとのこと。早速繋いでくれました。師匠曰く「モーターのトルクが弱っているかもしれない、ベルト交換は最低限必要、オイルの確認をするように」指示の通りにします。デュプレ、バレンボイム、ニューヨークフィルでドヴォルザークとシューマンのチェロコンチェルトを聴きました。その後、ジャズバラード。夜の更けるのを忘れ、あれこれ世間話をしました。話題は佐伯、大分、別府、福岡のランチについて。師匠はグルメでした。 今日は写真がありません。
2012年08月08日
コメント(0)
平成24年6月15日(金) 午前5時起床。終日雨。夜、雨脚が強くなりました。梅雨です。本格的です。梅の実が熟れ、取り付け道路に沢山落ちます。完熟のいい香りが漂います。しかし、掃かなければなりません。毎朝の仕儀です。 アジサイの色は深みを増しました。 家の周囲、緑が濃くなり、瑞々しいです。父の芋畑は、蔓に生気が出ました。 午前中会議。午後デスクワークとミーティング。走りませんでした。 昨日、友人Iに「明日の晩、一杯やろう」と誘われていました。もちろん二つ返事。彼は弊社の同僚です。財務を切り盛りする立場。私は企画部門に所属しています。高校時代、机を並べたこともある同級生です。算数が得意でした。高校数学の教師になりたくてK大学理学部数学科に学びました。魔が差して弊社に入った男です。高2の娘さんがいて、彼女の数学をみてやっている時が一番幸せと言いました。 午後6時、人気の失せた会社を後に、傘をさして盛り場へ。久しぶりに鳥将軍へ。老婦人のやっている老舗の焼き鳥屋です。ビールで乾杯。盛り合わせを頼みました。名物のコロッケも。ジョッキを傾けながら、情報交換&作戦会議。共通知人の消息、互いの家庭事情、趣味のことにも話が及びました。同じ会社だし、机も近くにあります。でも、二人して飲むのは久しぶり。楽しい時間を過ごしました。生を3杯やっつけ、店を出ました。 次はワインバー玉井へ。ポイヤックのグラスワインをなめた後、山崎をストレートで。 次いでブラントン。バーボンは久しぶりでした。2杯。マスターがイチローズというウィスキーをサービスしてくれました。度数の高いシングルカスクです。よい感じのフレーバーです。1杯を二人で分け合いました。 午後10時帰宅。シャワーを浴びました。何となく生殺しのような気分です。飲み足りない。ということでショットグラスを出してスミノフを。甘い。続いてアイラモルト。抜栓して久しいラガウリンがありました。口を切って3ヶ月経つと、ウィスキーは香りがとんでしまうと言いますが、確かにそんな感じになっていました。あと四分の一残っています。早くやっつけなければ。 今日は洋酒で通した一日でした。こういうのも時にはいいな。 帰宅はコーラス帰りの妻が運転する車に便乗。ラッキーでした。
2012年06月15日
コメント(0)
平成24年6月11日(月) 午前5時前起床。終日曇り。 今朝はNHKFMで「古楽の楽しみ」を聴きました。後半にBWV1067が流れました。管弦楽組曲の2番です。演奏はカフェ・ツィンマーマン、指揮はヴァイオリンがパブロ・バレッティ。気鋭の古楽グループです。目指すはコレギウム・ムジクムの系譜なのかな。 午前も午後も2時間程度の会議。4時を過ぎてお客様がありました。古い友人T・Yさん。神主をしています。私より2つ年上。落語が得意の面白い方です。お喋りのリズムがよい。用件はメセナ関連でした。彼の奥さんは妻と同級生です。 夕方、運動公園へ。小雨の降る中を走りました。ラン5km。次いで600mのインターバルを始めましたが、1本目で心が折れました。自動車の轍ができ、足をこねそうだったこともあり、スピードが落ちました。すっかりやる気を無くし、そのまま帰宅。昨日今日とノンアルコール。 夜、天草市に住む友人TさんからTEL。私より一回り年上。曰く、血圧が高く医者にかかった、隣の薬局で薬をもらった、妙齢の薬剤師に「佐伯の方ですか?」と言われた、まだ住所変更をしていなかったので気がついたのだろう、彼女が私も佐伯出身ですと言った、佐伯の女がなぜここに、患者の少ない昼下がりだったので話し込んだ、なんと彼女はあなたの奥さん(私の妻)と知り合いだったよ、Y子という名だ、高校時代の同級生とのこと。へーっ、こちらも同級生の話か。こんな日もあるんだ。 妻にY子さんのことを話しました。私たち夫婦の結婚式に参列してくれた妻の友人でした。熊本・本渡の旧家に嫁したとは聞いていました。Tさんを介して近況を知ることになるとは。不思議な感じです。 それはそれとして、そのTさん、養蜂が趣味です。今日はニホンミツバチのこともひとしきり聞きました。曰く「佐伯は椎や栗の花があり、美味しい蜜が採れる、冬場もサザンカが沢山咲き、養蜂家にとってはよい場所だ、セイヨウミツバチはダニに弱いから駄目」かつては船乗りでした。50代は内航船タンカーの船長でしたが、若い時分は東南アジア航路の航海士。ファーストネームがYなのでボルネオのYと呼ばれていたそうです。南洋に付きものの嘘のようなホントの話、ホントのようで嘘の話を沢山聴きました。ペナンの蛇寺、横に切れ目の入っている性器の女性、コタキナバルの人食い鮫、サンダカンの隠し子・・・。それぞれブログネタとして一級品です。いつかアップします。 今日の写真はアサガオ2題。入梅しました。この花の映える季節です。
2012年06月11日
コメント(2)
平成24年6月6日(水) 午前5時起床。晴れ。 午前中デスクワーク。午後は会議。悩ましい案件のせいか、終日、もやもやした気分でした。 夕方運動公園へ。8kmのビルドアップ走+600mのインターバル2本。 昨晩は夢を見ました。だいたいのストーリーは以下の通り。 木立の原っぱで電車を待っている、やってきた、ホームの端から落ちそうになり、飛び乗る、場面は変わり、国立競技場で日本代表がサッカーの試合をやっている、私が原始爆弾を仕掛ける、爆発、爆風でまちが壊れる、ビルのがれきが横殴りに流れていく、スローモーション、建物の陰に隠れた私は助かるが東京壊滅、なぜか札幌にいる妻と連絡を取ろうとして携帯電話不通、北海道に向かうか大分に戻るか迷う。ここで目が覚めました。アー疲れた。汗びっしょり。 昨晩TELあり。Kからでした。先日、別府にやってきて、一緒に飲んだ男です。大学の同級生。妻が受話器を取りました。いきなり「鬼がおりよった」。妻は??。再度「鬼がおりよった」。妻「あっ、Sさんと飲んでいるのですね」。 Sも同級生。資源生物学講座に所属した8人のうちの一人です。胴長短足、細い目はつり上がり、ヒゲのそり跡が青白く、鬼、または青鬼と呼ばれていました。兵庫・芦屋の出身。私の結婚式に、大分へ来てくれました。妻はその時に会っただけでした。しかし彼女はK、或いは大阪に住むTとは何度か会う機会がありました。その際、一番の話題はSであったため、彼女の中でSのイメージが膨らみ、すぐ判ったということのようです。 彼のことを。学生時代は剣道一本やりでした。えげつない関西弁、先に述べた容姿、加えて汚い酒、どうしようもない男でした。でも皆に好かれました。「おい、S」というと「なんや」と返すえも言われぬ心地よい掛け合い。南国育ちの私をスケートに誘ってくれました。ジャズ喫茶にも。入学して間もないのに、札幌のことをよく知っていました。 卒業してマグロ専門の小さな商社T物産に就職。しかし、すぐに倒産。水産物卸の業界を転々としました。大学の先輩が世話をしてくれ、水産物専門の商社Hへ入社。今は静岡・清水で働いています。そこでも鮪を扱っています。ここまではKに聞いて、知っていました。昨夜、TELを代わってもらい、20年ぶりに話しました。声色は素敵なバリトン、全く変わっていません。曰く「結婚してもうてん、子どもは女二人、長女は某大海洋学部海洋生物学科、わいらと同じや、次女は高校生、弓道でインターハイに出よる」と嬉しそうに話しました。へーっ、あの青鬼が・・・。よかった、よかった。 こんなことがありました。8人のうちで一番の出世頭はWです。彼は総合商社Nに就職しました。今は社名が変わりSとなっています。彼は会社のヨットクラブでした。葉山で出会いがあり、結婚することになりました。相手は天下のS商事会長秘書。容姿端麗の美女。講座の仲間も結婚式に呼ばれました。仲人はS商事会長その人でした。雲上人です。Wの上司や同僚もいました。披露宴は商社の人であふれていました。華やかな空気でした。市場のセリ人にして魚臭い私と、勤務する会社が倒産し不遇にあるSにとって、ニューオータニは居心地の悪い場所でした。2次会は新郎新婦の友人、商社に勤務する前途洋々の青年と、着飾った若いお嬢さんばかりでした。会場は青山のリストランテでした。ワインの香りなど判るよしもないS。がぶ飲みの仕儀。目がつり上がり、青白い顔の色がなお一層深みを増していきました。而して、東京言葉により交わされる浮ついた会話に入ること能わず。すぱすぱタバコを吸い、ウィスキーをあおるの図でした。その時です、何がきっかけとなったのか判りません。Sが突然「なんやて、もういっぺんゆうてみー。えっ。表へでたろか!」。売り言葉に買い言葉です。相手はWの同僚たち。どやどや外へ出ていきました。多勢に無勢。停めなければなりません。私も続きました。いくら剣道3段とはいえ、泥酔したSに立ち回るスピードはありません。殴られ蹴られ、鼻血を出して地べたへうずくまりました。傍観したつもりはありませんが、殴り合いの喧嘩をしたことのない私は、呆然と立ち尽くすだけでした。そのまま2次会の会場を後にしました。タクシーに彼を押し込み、東陽町へ送りました。トイレが共用の安アパートでした。部屋に入ると煎餅布団。悲しくなりました。 その彼が二人の娘をもうけて先の仕儀です。本当によかったのです。 今日の写真はアサガオです。風情のある季節になりました。
2012年06月06日
コメント(2)
平成24年6月3日(日) 午前5時半起床。晴れ。 日曜日は朝日にGLOBEというタブロイド版が入ります。映画欄に「キリマンジャロの雪」の紹介がありました。映画になったヘミングウェイの短篇小説に同名のものがありますが、今日掲載されたのは別物です。マルセイユが舞台。市井の労働者夫婦を描いた人間味あふれるストーリーです。地味だけれど味わい深そう。必見リスト記載。 朝ご飯の後、妻は出かける支度。今日は番匠の里に行くとのこと。支援学校の卒業生が通う支援センターです。コーラス仲間と一緒に歌を歌うのだそうです。合唱もですが、担任した人たちと会うのが楽しみのようです。 私も仕事でした。部下Aと大分空港へ。お客様が到着する前に昼をしました。Aとちらし寿司を食べました。カウンターに妙齢の女性が座っていました。横目で見ると腕にロレックス、耳にはプラチナであろう大ぶりのイヤリング。彫りの深い美形です。冷酒をやっていました。いいな。隣のテーブルは登山靴のグループ。ザックを横に置いています。仙台から来た、今から久住連山へ向かうとの由。こちらもいいな。 東京からお越しのお客様は、古希を迎えた方でした。見事な押し出しに銀髪。グラサンをかけて到着ロビーに出てきました。社用車にお乗せすると、鞄からサンマの棒寿司を取り出し、パクつき始めました。振り返って、美味そうですねと言うと、あなたも食べますか、とおっしゃいました。遠慮しましたが、いただけばよかった。何せお客様はその学会では超有名な大先生ですから。あとあと自慢になります。「俺は大先生に食べかけのサンマ棒寿司を馳走になったんだぞ」と。先生は骨髄バンク設立に関わった方です。今回の来佐、弊社と先生の関わりを書くこと能わずの仕儀、残念です。スケジュールをこなし、弊社社長秘書の運転する先生の乗った車を見送ったのは午後5時過ぎ。会社に戻り、もう一つの会議へ。日曜というのに、重なるときは重なるものです。簡単な挨拶をしました。 終わったのは午後7時。誰からともなく一杯やろうかとの声。話はすぐにまとまり、大衆居酒屋に突っ込みました。合計8人。午後9時までの2時間、飲んで食べての時を過ごしました。写真は嬉しそうに一升瓶を扱う部下Tです。もう一枚、カメラを向けるとポーズをとるA。ベロを出すのが好きです。ナントカナランノカこの顔。さらに一枚。両拳は万国共通の意味を持つ仕儀になっています。こちらもナントカナランノカです。妻に迎えを頼みました。疲れた。 今日の写真は、先生を案内した際に撮りました。私のまちの造船所です。4万トン近くの船を建造することができます。
2012年06月03日
コメント(0)
平成24年5月17日(木) 午前5時半起床。トラがまとわりついてきます。朝ご飯のおねだりです。手に負えません。まずはネコカリを。ついでポストの新聞を取り、ざっと目を通す。これが日課です。ところで皆さん、まず最初、どの紙面・記事に目を落としますか。新聞の開き方にも、いくつかのタイプがあり、その人の興味、大げさにいうと渡世の色が透けて見えます。 まずNHKタイプ。NHKニュースが報じる順番は、新聞の1面に大事件、次いで政治経済、文化・スポーツという並びと同じ。ということで1面から順に開く人のこと。 次いで週刊誌タイプ。文春やポストの特徴は、世事と色恋沙汰です。転じて、3面記事(最後のページを一枚めくったいわゆる社会面)から読む人のこと。ちょっと強引かな。 次はガキンチョタイプ。まず最終面にあるテレビ欄(日経のそれは中程にあります)から眺める人のこと。子どもの関心事。テレビ人間です。 4番目はグルメタイプ。まず最初にコラムや特集記事を、という人です。ただ満腹になればいいというのではなく、味わいを求める通人。天声人語や余録、「私の履歴書」や連載小説からという人のこと。 おやじタイプもあります。スポーツ面から読み始める、いや結果だけを知りたいのかもしれません。読むというより見るといった方がいいか。 そして最後はガラガラポンタイプ。新聞購読していない人のことです。インターネットの普及で紙媒体不要という人は、ここに入らず、上記5つのどれかに属します。ここに分類されるのは、ネットニュースも見ない、テレビだけでよいという人。 つまらぬことを書きました。 閑話休題。 忙中閑ありの一日でした。会議の無い一日はホッとします。ミーティングや打ち合わせの間を縫って人事考課。はかどりました。部下18人中、残るは後一人。 夕方、運動公園へ。ラン8km。体が重かった。昨日の疲れかな。インターバル練習をするつもりでしたが、とてもそのような気分になれません。こんな日は早く切り上げるに如かず。 夕食はタマネギ料理でした。妻がレシピを隣のおばさんに教えてもらったとのこと。1個まるまる蒸し焼きにしたものです。チーズとケチャップ、それに塩胡椒がかかっているのかな。悪くありません。白ワインで流しました。写真を撮らなかったのが悔やまれます。 ということで今日のそれは、玄関のアザミです。先週末、妻が鎌で刈って活けました。野趣もおつなものです。
2012年05月17日
コメント(0)
平成24年4月3日(火) 午前5時起床。雨のち晴れ。強い風が終日吹きました。 取引先への挨拶回り、席に戻ると営業の方がやってきます。今日も名刺が減った。 訃報。B・Tさん。90才の往生でした。仕事で厚誼をいただいた方です。ビルメンテ会社の社長さんでした。カラオケで軍歌「嗚呼堂々の輸送船」を歌うのが好きでした。戦中は従軍したとのこと。外地でのことは多くを話しませんでした。可愛がっていただいたのには理由があります。彼と私の伯父が旧制中学の同級生だったからです。曰く「君がT(伯父の、そして私の姓の頭文字)の甥っ子か。伯父さんはスマートだったよ。端整な顔立ちで女学生に人気があった。演劇をしていたな。マクベスだったかな。本をよく読み、寡黙だったけれど、馬が合った。家へ遊びに行ったこともある。私が戦禍を生き延び、Tは戦死した。サイパン島の玉砕だったよね。そうかそうか」と目を細めてくれました。昭和30年代前半生まれの私は伯父を知るよしもありません。写真で見知るだけです。はからずもこうやって、伺うことがあろうとは。 ご遺族の方々とは面識がありません。思いを認めた手紙を香典に忍ばせました。合掌。 夕方、運動公園へ。大風が吹いて、誰もいません。ラン8km。ビルドアップ。先週の暴飲暴食がたたり、今日も体が重かったです。 本日ノンアルコール。 今日の写真は北西の強風が吹く番匠川です。川面は穏やかではありませんが、河川敷は緑が目立つようになりました。 もう一枚は八重桜です。ほころび始めました。色合いが何ともよい感じです。
2012年04月03日
コメント(0)
平成24年3月6日(火) 午前6時起床。 某紙記者の取材有り、90分ほど根掘り葉掘り訊かれました。内容は書くこと能わずですが、比較的しゃべりやすかったです。神戸の状況も話しました。 MのS氏から書類の送付有り。ガビーン。予期せぬ内容。プロジェクトの一つに暗雲漂うの図でした。 なんだか疲れました。飲み過ぎのせいかもしれません。 まっすぐ帰宅。先週の金曜日から走っていません。 熱い風呂に入り、夕食を食べてバタンキュー。 今日の写真は部下のAです。今朝の顔、どうしたのでしょうか。剣道7段もこの仕儀では面目丸つぶれです。
2012年03月06日
コメント(0)
平成24年2月1日(水) 午前6時起床午前6時起床。曇り時々晴れ。北西の季節風強し。 出張。早朝出発。営業のKと大分大学へ。大分市の南側に広がる丘陵「旦野原」にあります。工学部、経済学部、教育福祉学部の建物が点在するキャンパスは冬枯れとも相まって寒々しかったです。加えてスマートな、味気ないとも言えますが、コンクリート棟が多い。この大学を大分県人は親しみを込めて「ブンダイ」と呼びます。弊社にもOBOGがたくさんいます。 今日はつてを頼り、民間であまた経験のある事務官に弊社懸案のオフレコ相談。得るものがありました。 仕事柄、こうして時々大学を訪ねることがあります。構内で学生を見かけると、自分のその頃を思い出し、若返るような気になります。楽しみの一つです。 仕事を終え、昼食。Kがスシローに寄りたいというのでそうしました。Kはこれから大分市内のホテルで商談のあることを聞いていました。そこへ送りました。私は午後2時に得意先との面会があったので、高速を走って戻りました。こちらのほうも懸案にめどがつきました。ばたばたしましたが、ケリのついた気分になった一日でした。 私の机を訪ね、山奥の鉄砲撃ちのO氏がぶらりやってきました。山から今帰ったところだというような格好をしていました。藪こぎをするときの服装。地下足袋は脱いでスリッパでした。飲みに行こうと顔に書いてありました。二つ返事でOK。残務をやりっ放しにして高級暖簾「はし本」へ突っ込みました。O氏とも面識のある同僚のTを誘いました。 私とTは大分・久住の銘酒「千羽鶴」を燗にしてもらいました。O氏はビールから。乾杯の後、大将に1升飲みあげるから口を切るよう頼みました。あっという間に空。では冷酒をということで「吉乃川」をもらいました。これも3人でかかればお湿り程度。ということでもう1升。気がついたら自分の口が回っていないような。Tに問うと「今日はかなりです」。先週のようなことがあってはなりません。慎重な帰宅となりました。 前後しますが、写真を。 お通しは肝和え。燗酒に合います。 続いてサワラのタタキ。「鯛の浜焼き鰆の刺身」という言葉がありますが、この魚、えもいえぬ妙味があります。 豊後水道の天然トラフグ白子。大将に問うと、延縄物とのこと。でかい。 その身です。箱のこちら側はアンコウ。 テッサは高そうなのでフグカラにしました。身が締まってなかなかよい感じ。 アンコウも揚げてもらいました。サクサクでした。O氏は黙々と盃を傾けるだけ。これだけの逸品にもかかわらず、箸をつけませんでしたが、このアンカラはうまいうまいと言って平らげました。 Tの頼んだトビグチ。中の軟骨が思わぬ柔さ。 おまけ。O氏の右手。曰く、「スコープぅ覗いて、この指ぅクイッちやりゃーおまい、猪ぁーいちころよ。わきゃーねーど」。(不適切な表現が混じっていますが、本人の口上を尊重し、敢えてそのままとしました) 最後は。飲んべーのTとマタギのO氏。向こうは素敵なナナさん。
2012年02月01日
コメント(2)
平成23年12月20日(火) 午前5時起床。外気温1℃。晴れ。 終日デスクワーク。午後、ボードのそれぞれと協議。 今日は2時間早く早退しました。某医院で受診。若干ですが血圧が高めのため、2ヶ月に1回、通っています。今日は身体のことについては何も話さず、忘年会や好みの日本酒についてやり取りをしただけでした。なんともおもしろいドクターです。 午後4時、そこを後にしました。運動公園へ回りました。まだ日のあるうちに走るのは久しぶりです。ウィークデーにこの仕儀はよいです。30分走った後、400mのインターバル。肺のいっぱいになるのが心地よかったです。走り終わってKさんがやってきました。先に練習を終わる失礼を伝えました。 帰宅してストーブに溜まった灰の掃除。汗をかいたまま、ブルブル震えながらの仕儀でした。新聞紙を突っ込み、火を点けました。炎が大きくなるとトラが近寄ってきました。ブラッシングをしてやりました。喉がゴロゴロいいます。トラ至福の時です。 今日はトスカニーニでベーやんのシンフォニー1番と2番を聴きました。毎度歯切れのよいタクトです。 昨日、マスコミがが金正日総書記の死を伝えました。今は拉致被害者の家族会事務局長をしている増元照明さんを思い出しました。私が魚河岸に勤務していたとき、隣の荷受け会社でマグロのセリ人をしていました。大学の先輩だということを知り、身近に感じました。一緒に酒を飲みました。豪放磊落、太っ腹の人でした。拉致被害者増元るみ子さんの弟だということは、後になって知りました。自民党政権の時代、彼の姿をニュースで何度も見かけました。会社をやめて国政選挙を戦いましたが落選、政権交代もあって、メディアに名の載ることは少なくなりました。今日は久しぶりにインタビューがテレビ画面に流れていました。彼のことを思うと、いろいろなことが気持ちの中を交錯し、遙かな心持ちになります。 今日の写真はトラです。意思のある顔です。
2011年12月21日
コメント(6)
平成23年12月10日(土) 午前5時起床。未明の外気温6度。晴れ。北風が吹いて寒かったですが、陽射しは明るかったです。ヴェデルニコフのバッハを聴きました。パルティータにトラがうっとり。 朝のうちに図書館へ行きました。本の借り換え。次いで地域の特産品販売店へ行き、歳暮をあちらこちらへ送りました。遠くの恩師、友人、親戚は佐伯のちりめんや干物を喜んでくれます。この店のママさんにソオラのクッキーをいただきました。嬉しいな。 運動公園へ回りました。向かう途中、番匠川の河川敷に生えた草を刈っている人を見かけました。使っている機械はたぶんモアです。 ついでにもう一枚、佐伯市のランドマーク城山をぱちり。 ランは16km。ナンキンハゼは葉を一枚残さず、坊主になっていました。クヌギも銀杏もそれに近い姿でした。日本文理大附属高女子駅伝チームが練習をしていました。200mの坂道ダッシュを繰り返していました。スパッツをはいているものの半袖短パン姿。今年の都大路を逃しました。残念です。でも、こうやって来年を目指す姿には若者のよさを感じます。うらやましい。 遅い昼を食べました。カレーでした。午後は読書。妻はエステ。 夕方、残飯を土に休めていたら、隣のS兄がやってきました。近所のKさんがなくなったとのこと。驚きました。老健施設に入所していたのですが、容態が急変したとのことでした。とるものもとりあえず黒ネクタイをしました。農協の経営する葬祭場の2階が通夜の会場でした。家族と親戚に悔やみを言いました。 Kさんは、私が幼児の時、近所に越してきました。それまでは山林の売買を手がけていたと聞いたことがあります。ここに住んで雑貨屋を始めました。10円を持って通う私を可愛がってくれました。小間物の商売は生計を保てません。電機メーカーの下請けを始めました。軌道に乗りました。バブルがはじけ、海外へ進出する工場が多い中、工場をたたみました。今となってはよい決断でした。以来、自適のようでした。私より5歳くらい年上の娘さんがいました。小さい頃、遊んでもらった記憶があります。田舎坊主の私に、都会の言葉で優しく接してくれました。まぶしかったです。長じて同じ地区に住む男性を養子に迎えました。その人は大手水産会社の航海士でした。彼にも遊んでもらった記憶があります。義父の葬儀には間に合わないと勝手に思っていました。しかし、通夜の会場にこの夫婦がそろっていました。会うのは何十年ぶりでしょうか。今はどうしているのか問うと、ご主人は水産庁の漁業取締船で船長をしているとの答え。驚きました。冷える夜、通夜への往復。満月が昇りました。昨日聴いたCD、ベーやんのミサソレムニスを車中で聴きました。凛とした空気。黄みを帯びて次第に白み始める冴えた月。何が斯くあるべしかわかりませんが、今日の通夜をして斯くあるべしと独りごちました。 膝を骨折し、入院していた兄が退院しました。手術を2回。長引きましたが、経過はいいようです。足の曲げ伸ばしや歩行も、リハビリをして筋肉がつけば元に戻るとのこと。こちらはひとまず祝着です。 今日の写真は妻にペロリ食べられてしまったソオラクッキーです。銀座・三越のものです。
2011年12月10日
コメント(2)
平成23年11月3日(木) 午前6時過ぎ起床。曇りときどき雨。 今日は祖母の25回忌でした。昨夜、迎えの車中で妻がゴニョゴニョ言っていましたが、一晩寝て失念。これだから酔っぱらいはいけません。 昼前、父の家に叔父夫婦と伯母がやって来て、父母と私、それに妻の7人で卓を囲みました。以前、書いたことがありますが寺不要論の父がY寺の檀家を退いたため、意味のわからない読経はありません。和尚の送迎も不要です。サッパリしたものです。 祖母は祖父との間に3男4女、あわせて7人の子をもうけました。うち女1人は夭逝。長男をサイパン島玉砕で失いました。夫(祖父)も戦後すぐに亡くしました。会話はそのあたり、叔父伯母の想い出話が中心になりました。すでに聞き知っていることがほとんどでしたが、幾つかは始めてでした。 伯母の話。戦死した兄はT(父の名字)の家に珍しく色白でスマート、ハンサムだった。戦争が始まり、父は召集令状の来ない教師になることを奨めた。しかし兄は家計がそれを許さぬことをわきまえ進学を断念。満鉄へ就職。而して召集令状。帰国から熊本の連隊へ入隊するまでの期間はわずか3日。私の通う女学校に会いに来てくれた。呼び出されて玄関に向かうと、背広にニューヨークハット、眩しいばかりの姿。同級生が2階の窓から兄に手を振って、私は鼻が高かった。戦況厳しく、女学校は戦地の兵士へ慰問文を書くことになった。知り合いの兵隊宛ということだった。クラスのほとんどが私の兄宛に書いてくれた。嬉しかった。女学校を卒業し、私は佐伯の海軍防備隊で働いた。入電する暗号を訳す仕事だった。南洋の島々には符牒が割り付けられていた。兄からの手紙も、村のそれぞれの家に届く出征兵士からの音信も差出人の名前の横に地名はなく、この符牒が書き付けてあった。検閲のため、在所を示す語句は塗りつぶされていた。私は仕事柄、それらがどこの島かを知っていた。隣近所の人が息子或いは夫からきた手紙をもって来て、この符牒は何処なのか、よく訊かれた。こそっと教えた。サイパン島は「イ-22」だった。某日「イ-22玉砕」という入電があった。あー、兄は死んだのかと思った。家に帰り、父母にそれを伝えた。父はムッとしただけだったけれど、母は聞かぬふりだった。その夜が更けて布団をかぶっていると、オイオイと泣く母の絞り出す声が聞こえた。私は戦死の哀しみにまして、そのことを母に伝えたことを悔やんだ。 叔父の話。長兄が戦死、戦後すぐにおとったんも死んだ。兄が中学を4年で卒業し、働いて私を大学を出してくれた。当時、K大の教養は久留米にあった。農家の納屋の2階を間借りした。1階部分は牛小屋だった。腹が減って野菜泥棒をした。畑の盗難が頻発したため、農家が見回りを始めた。見張りを立てた。巡回がが始まるとフランス国歌を歌った。期間が迫るとロシア語のインターナショナル。地域の人には何れも意味不明。六本松の学部へ移ったら、向坂逸郎先生がいた。この人のゼミに入った。師の話を聴いていると、今にも社会主義革命が起こりそうな気持ちになった。経済学部だったが、農学部の講義に興味があった。紛れ込んではよく聴いた。面白かった。大学時代は、人生で一番楽しかった。 何れも遠い昔のことですが、聞いていて楽しいです。法事はルーツにまつわることを聞くよい機会ではあります。さて、弟のこの言葉を聞いて、父は大学へ行くこと能わずの運命を悔やんだのか、それとも自己犠牲というと大げさだけれど弟にその思いをさせてやった満足感を覚えたのか。顔を見ていても私にはわかりませんでした。 午後3時、運動公園へ行きました。ラン16km。股関節に少しの違和感あり。 夜はシロサバフグの鍋を妻が作ってくれました。食べ終えて残りを雑炊に。美味。 録画しておいた映画「迷子の警察音楽隊」を見ました。アレキサンドリアの警察音楽隊がイスラエル文化省の招きに応じ訪問しますが、手違いから田舎町に迷い込みます。アラブとユダヤですから案配が悪い。しかし、映画は表面的にはそのことに触れず、音楽隊のメンバーとその街の住民の個人的ふれあいを物悲しく描きます。カフェの女性が美しかった。いい映画でした。100点満点中85点。 今日の写真は、祖父母と戦死した伯父の絵です。父が描きました。
2011年11月03日
コメント(6)
平成23年10月29日(土) 午前4時起床。曇り。 今日は佐伯支援学校の風の子祭り。妻が早起きしました。母から借りた炊飯ジャーで、ご飯を沢山炊きました。バザーに出すカレー用とのことでした。炊きあがったものを、ジャーごと抱え出かけました。 午前中ラン15km。芝の上をダラダラ走っていたら、Kさんがやって来ました。しばらく併走したあと、4kmの周回コースを2周。頑張ってついていきましたが、2周目の後半あごがあがり、一気に離されました。先日の10マイルは彼に遅れること10分余りでしたから、これが実力です。レースと変わらぬ練習内容になったせいか、5日間休んだ分を取り戻せたような気分です。そのKさん、造船会社から自動車部品メーカーへトラバーユした経歴の持ち主。40代です。体重は私より30kg近く軽い。羨ましい体つきをしています。今日は後ろにつきましたが、軽い走りです。バンビのようです。数年前、走り始めて知り合いになりました。今日は、週末に都合が着けば今後も一緒に走りましょうと言ってくれました。有り難い、早速携帯電話の番号を交換しました。 走り終わったとき、親方からTELあり。親方「おまいは『風の子祭り』へ行かないのか」私「かくかくしかじかでトレーニング中、親方は椎茸の駒打ち体験などを提供したので支援学校から招待状が来ているはず、是非行くべし」親方「今学校の校門前なんだ」私「じゃぁ中に入ればよい」親方はシャイです。人見知りします。1人なので、玄関までは行ったものの、敷居が高かったのでしょう。私の一言に背中を押され、中に入ったようでした。このことを夜妻に話したら、親方らしいと大笑いしました。 昼食は久しぶりにインスタントラーメンを作り、1人で食べました。 食後、図書館へ行き、本の借り換え。トラの餌と砂を買いました。 午後はハムとレオの試合を付けっぱなしにして読書。 昨日、新聞が北杜夫の死を報じました。感慨深いです。マンボウシリーズ、中でも青春記がよかった。古きよき時代の旧制中学に憬れました。彼のユーモアに、少なからず影響を受けました。今、私は毛が三本足りませんが、高校時代、この本を読んでいるときに抜けたのかもしれません。余談ですが狐狸庵もよいけれど私はマンボウ派かな。合掌。 今日の写真は本匠の水車小屋脇に並ぶカッパ像です。地元の人が趣味で焼いたものです。
2011年10月29日
コメント(0)
平成23年9月8日(木) 午前5時起床。晴れ。 午前中デスクワーク。午後は営業と打ち合わせ。これから9月末まで、営業各課とミーティングの毎日です。設備投資と営業計画の話を聞きます。毎年のことです。 夕方運動公園へ。ラン10km。今日はビルドアップで8kmやっつけた後、坂ダッシュを4本。一杯になりました。 マタギのKさんに会いました。弥生町に住んでいます。本匠に住む猟師Oさんの師匠です。自宅に精肉工場を持っています。獲物を解体し、道の駅に卸しています。夏の子猪が好きだというと、ウリは柔らかいが脂がない、といいました。美味しいのは雌、妊娠したことのない1歳が絶品とのこと。最近の猟事情を訊きました。曰く「農林業の被害を防ぐため市が捕獲報奨金を出しだした、鹿1頭につき7千円、猪5千円、猿は3万円、年に数百頭仕留める猛者がいる、荒稼ぎだ、そんな人は皆ライフルで撃つ、ワナと両刀遣い、散弾銃は射程距離が短い、猪は捨てるところがないがが鹿は背中のロースだけ、面倒な市役所の林業課へ届けるるため尻尾を切り取り証拠写真を撮った後はそこに放置する、ウジがわき死体を覆う、ものすごい臭いがする、鹿の個体数は減った」なるほど。猪の内臓はどうしているのか問うと、穴を掘って埋めるそうです。頂戴と言ったら、喜んで、と返してくれました。嬉しいな。冬の楽しみができました。でも「ホルモンばかり食べると尿道結石になるよ」と言われました。ビールで流すからよいと返すと「それじゃー痛風になるよ」とも。
2011年09月08日
コメント(0)
平成23年7月13日(水) 午前5時過ぎ起床。 朝のうちは新聞と音楽でした。ビーバーとテレマンをムジカ・アンティカ・ケルンで。スターデジオの番組でした。ついでにCDへコピーしました。 終日デスクワーク。退社後、運動公園へ。ランニングパンツをはいて気がつきました。靴下を忘れた。素足のまま走ろうかと思いましたが、やめました。真っ直ぐ帰宅。シャワーを浴び、早い時間に黒霧のロックを舐めました。 『神よ、アフリカに祝福を』を読んでいます。序文は辺見庸が書いています。沼沢は彼とアフリカで一緒しました。ウガンダに取材旅行した際のことです。引用します。 私とともに旅した、やはり93年の夏、沼沢均はタガヤサンの木の下やバナナ畑を背に、しばしば英語で演説をした。ウガンダはマサカ地域に拡大しつつあったエイズ孤児等に対してである。たくさんの感染者や余命幾日もない発祥患者を訪ね歩いているうちに、現地の長老等から、エイズで親を亡くした子供たちを励ましてくれるように強く請われたからである。毎日のように村人が死んでいた。私たちは打ちのめされ、参上に深く同情もしていたけれど、数日すれば村からかき消えてしまうだけの旅人が、いかに上手にスピーチをしたところで実は詮ないことであり、記事を中心に利己的に打算すれば、気恥ずかしさとそれに耐える労力は引き合わぬ話でもあった。だが、断ればトラブルが生じるかもしれない。結果、白状するけれども、私は演説役を沼沢にかなり強引に押しつけた。ごく軽い挨拶でいいんだよ、と。 彼は、しかし、日盛りに熱立ちのぼる大地に、弱々しい影のように整列している孤児らを前にして、激励の演説をのみ目的にここを訪れる私心も底意もない者がもしもいるとするのなら、彼等に少しも劣らぬ真剣さで、顔中のひげをふるふると震わせて熱弁をふるうのだった。別人のようであった。弾丸にもさして動じない彼が、激しく気息を乱している。吐く息、吸う息の、空気をこする音の一つ一つが私の鼓膜を打った。「ぼくには、君たちと同じような年頃の子供がいる」と彼はいった。「でもすごく恵まれている」と続けた。「帰ったら、君たちのことを、僕の子供たちに必ず話す」と約した。「生きること、なんとしても生き抜くことの大事さを、必ず伝える」と声をさらに強めた。幾人かの孤児らが彼を凝視したまま、目を雲母みたいにキラキラと光らせ、肩で大きく息をついた。そのとき、沼沢は記者でも伝道師でもなかった。磨き上げたように青いアフリカの空に、荒い息を吐く、ただの人であった。ただの男の真正直な息づかいが、黒い孤児たちの気息に不思議なほど自然に重なりつつあった。すごい男もいるものだ、と私は舌を巻いた。 芥川賞を受賞した辺見の名文にして、沼沢の人となりがわかります。30過ぎで飛行機事故に遭うなんて。酒を飲んで馬齢を重ねるばかりの自分。恥ずかしさを通り越して穴があったら入りたい気分です。 一方で、顔見知り程度ではあったけれど、大学で机を並べた人の中に彼のような男のいたことを誇りに思います。 今日の写真はその本です。
2011年07月13日
コメント(2)
平成23年6月16日(木) 午前5時前起床。雨。 終日デスクワーク。 帰りにスーパーで買い物。人に会い、立ち話をしました。 一人は隣村で水産加工を営むMさん。学校を卒業した妻が最初に赴任した小学校で、彼の娘さんを受け持ちました。当時、営業にいた私も彼の会社と取引がありました。ということで、私たち共通の知人です。娘さんは成人・結婚・出産。福岡県某市に家を構えたとのことでした。Mさんは明るい方で、合うといつも先生は元気にしていますか、よろしく、と言ってくれます。嬉しいですが、妻のことを「先生」と言われると、なんだか変な気分です。 もう1人は弊社のOB、Sさん。先だって奥さんを亡くしました。挨拶すると、エコバッグをかざし、家事・買い物は慣れたものよ、といいました。心配事を抱えているが、3人の子どもと頑張っていると話してくれました。彼には成人した立派な息子さん娘さんがいます。詳しいことは書けませんが、家族で力を合わせる姿に、心の中で大変だな、でも素晴らしいなと思いました。それに比べ、私の今の毎日はママゴトです。 室内のブーゲンビリアが満開です。梅の実は熟れてどんどん落果しています。スイカの蔓はぐんぐん伸びています。父の菜園はキュウリとトマトが実をつけはじめましたが、茄子はまだのようです。夏野菜の季節になりました。 今日の写真は茶に張られた蜘蛛の巣です。先日、朝の散歩時に撮りました。これもこの時期ならではのものです。
2011年06月16日
コメント(0)
平成23年5月31日(火) 午前5時過ぎ起床。曇りときどき晴れ。今日も過ごしやすい空気の一日でした。 朝ご飯前に散歩をしました。製材所は、昨日も営業をしたようでした。薪用ヒノキのセビンタが出たかどうか確かめるのが楽しみでした。少しだけですが、ありました。でもスギとの混在でした。バンセンで括っていたので、解いて選ると、社長へ迷惑をかけます。諦めることにしました。 田んぼの向こうは、アパレル工場跡地の先が川になっています。のぞいたらザーザーと音をたてて流れていました。でもドードーとかゴーゴーという表現をする水量ではありません。かなり降ったのに、そうならないのは、昨年の夏からこれまで、いかに雨が少なかったかを物語っています。 30分歩いて散歩の終わり、MのS兄に遇いました。彼曰く「台風は思ったよりこたわなかった、スイカの蔓がやられるかと思ったが大丈夫だった、6畝ある自分の菜園は土がよい、毎日が楽しみだ。」彼は造船所でエンジンメンテナンスの仕事をしていましたが、昨春、定年退職しました。今は魚釣りと菜園の番をしています。自適の生活です。歯がなく、かっぷりです。朝はそれを外しているので、フガフガでした。 終日デスクワーク。今日は書類作成の一日でした。 夕方運動公園へ。ラン10km。ゆっくりペース。汗をかいただけの練習でした。 早めの帰宅。NHKFMでダン・タイソンを聴きました。ショパンのワルツ、ポロネーズ。スマートな演奏ですが、淡泊とは違います。端麗と言いましょうか。オーソドックスにしてなおかつ深い。思い入れを過度に強調するでなく、かといって奇を衒うというのでもなし。正統とはこのような演奏をいうのでしょう。たとえが悪いですが、江川投手現役時代の糸を引くような直球。 今日の写真は、雨の休日です。トラがゆるりとした時間をバッハの音楽とともに過ごすの図です。
2011年05月31日
コメント(0)
平成23年4月21日(木) 午前6時過ぎ起床。昨晩は早く床についたのに、寝過ごしてしまいました。春眠暁を覚えずというわけではありませんが、寝が足りて気持ちよい朝でした。外気温5℃。 午前も午後も副社長室で会議。 昼に席へ戻ったら、部下が私の母からTELのあったことを伝えてくれました。会社へ電話をよこすことは滅多にありません。折り返すと、大変でした。隣のKちゃんが自殺した、とのことでした。ちゃん付けですが、還暦くらいの年齢。毎日顔を合わせ、時折酒を飲む仲でした。何故に。昨年だったか、自動車修理会社を退職しました。3人の子どもは大学を卒業し、立派な社会人です。老いた母親と妻を残しての仕儀には、言葉がありません。 今日は練習を休みました。午後7時からの通夜に間に合うよう、会社から妻へ連絡しました。待ち合わせて一緒に葬祭場へ行きました。夕焼けの色が悲しかったです。 Kちゃんのこと。隣家は女系家族でした。彼は婿養子でした。20戸あまりの集落に、人当たりがよく優しい人がやって来たと、地区の人は皆喜びました。私は、東京から帰ってからが初対面でした。彼にソフトボールをしないかといわれ、二つ返事でチームへ入りました。小柄なKちゃんは右投げ左打ち、速球投手のボールを流し打ちするのが得意でした。この打法は、どのチームにも知られていて、レフト線の守備を固めるKちゃんシフトなるものがありました。彼はいい酒でした。缶ビール1本と3合の焼酎が適量のようでした。いつもゆっくりした歩調で歩き、酒もスローペースでした。タバコを吹かしながら、コップをゆったりと口に持っていき、軽く飲む。話題はもっぱら身の回りのこと、集落のことでした。おもしろおかしく、歯を剥いて笑う顔には、こちらまでつられてしまいました。毎朝夕、赤犬の散歩を欠かしませんでした。彼の子どもさん飼い始めたのですが、それぞれが進学し、家を離れていってからはリードを持つのが日課でした。すぐ近くに彼の水田があります。サラリーマンの頃から米を作っていました。畔に佇み、一服しながら稲を眺め、空を見る姿をよく見かけました。一番印象に残っているのは、10年ほど前、彼が家を新築したときのことです。私の集落は、工務店に頼まず、大工さんを日雇いして家を建てるやり方が残っています。拙宅もそうでしたが、彼もそうしました。棟上げの時、親戚、友人、近所の人が加勢に集まります。彼等はコマイ板を垂木に打つ作業をします。朝から昼を挟んで夕方まで、結構な作業になります。棟梁は、この日のために、彼等の仕事を用意しておくよう、配慮します。そして夕方になって、施主が馳走と酒を振る舞う、という形が一般的です。しかし、その日は違いました。集まっても大した仕事がありません。皆が手持ちぶさたにしていたら、午前10時頃、彼が「小昼だ、茶を飲んでくれ」といいました。出てきたのはタライやクーラーボックスに山盛りの冷えた缶ビールでした。一同、昼前なのにいいのかな、と遠慮しながらもプルトップを引きました。アルコールが入ると、そこは皆顔見知り。そこここに怪気炎が上がり始めました。早くも軽いつまみがそろい、元気のいい某が「コマイを打たんで小昼から一杯やるたーのーっ。いいわい、こげな建屋ぁー初めてじゃー」と大声で喜びました。皆、そうだそうだと相づちを打ちました。その時のKちゃんの嬉しそうな顔といったら。なし崩しに昼となり、にぎりめしを食べました。昼酒だけに皆は飲み疲れ、そこここにしゃがんであくびをするばかり。棟梁と加勢に来た大工さんだけがトンテンカンテン働きました。午後3時を過ぎると、ビニールシートが敷かれ、折が並びました。Kちゃんの挨拶が終わらないうち、なし崩し的に焼酎を飲み始める輩がいました。そうなると、もう示しがつきません。どんちゃん騒ぎに突入でした。人が入れ替わり立ち替わり、いい建屋だ、こんなの初めてだ、これからはこげーしぇにゃぁならん、これが本式じゃ、などといい加減なことをいいながらワイワイがやがや。Kちゃんは歯を剥いて笑いました。 なのに何故なの、Kちゃんよい。 今夜はベートーベンのピアノソナタ8番「悲愴」を聴きました。フリードリヒ・グルダ。
2011年04月21日
コメント(0)
午前5時半起床。外気温12℃。雨。終日デスクワークとミーティング。プール休館日。雨ということもあり、練習を休みました。真っ直ぐ帰宅。夕食は昨日頂いたイカゲソと大根の煮付け。これが絶品でした。土佐の銘酒文佳人純米を併せました。さて、郷土出身の力士嘉風は、今日、白鵬と対戦しました。はたき込みで敗れました。身近に感じることの出来る力士が、あの横綱と相撲をとったとは名誉なことです。明日は琴欧洲とです。ということで今日は彼のことを少し。以前、佐伯支援学校にやって来て、子どもたちの作った紙の化粧まわしをまいたことを書きました。彼の同級生がこの学校の教師をしていて、斯様な仕儀になったのでしたが、その教師、モイカ釣りが趣味なのだそうです。九州場所の始まる少し前、嘉風が実家に帰省していたとき、友人である彼が釣りに誘いました。関取もモイカ釣りが大好きなのだそうです。二人して某釣り場でエギングをしていたら、周りの人が寄ってきて「嘉風だ、嘉風だ」ということになったそうです。2週間前、大分の片田舎、波止で一緒に釣りをした人が、今日は結びの一番で横綱と対戦。この感覚がよいです。一番而して今場所は白星先行、上位陣と対戦、横綱に敗れはしましたが、なお5勝4敗。三役も夢ではありません。頑張れ。今日の写真はコウテイダリアです。ブログ友だちのマロンピーチママさんがときどきご自身のブログに写真をアップします。気になっていた花でした。上堅田という集落の家に咲いていました。背が高いです。
2010年11月22日
コメント(4)
この写真は、高みにある親方の作業道から撮ったものです。材木の運搬車が、そろりゆらりと動いていく様です。遠くなので、ここまでジーゼルエンジンの音は聞こえてきません。ミニカーを見るかの如くです。この雰囲気、よいです。ちなみに積んでいる木は親方の山のものです。
2010年11月01日
コメント(6)
10月30日に親方の山へ行きました。その時の写真です。遠目には高倉健のようにも見えます。が、話し言葉を聞くと、ただの田舎のおっさんです。曰く「銭がねー(無い)、作業道を造らーおまい(造ればあなた)1mあたり500円が市ん(の)林業課から出るわい、ほいちぇ(それで)間伐ぅしたらおまい(すればあなた)また銭ぃなる、なんぼかぃならーいいわいのー(いくらかにでもなれば、それでよいです)」
2010年11月01日
コメント(0)
午前5時起床。終日雨。今日はイベントの手伝い。家を6時過ぎに出ました。雨合羽を着て、終日、駐車場係をしました。天気のせいで、お客様が少なく、忙しくはありませんでした。長靴を忘れ、スニーカーの中が一日中ジュクジュク。まいりました。午後遅く、通りを神輿が練り歩きました。観客が少なく、寂しいものになりました。その時間、私も交差点で警備をしました。警察署の係長と立ち話をしました。曰く、自分は50代中盤、20代の時に佐伯警察署へ勤務したことがあり、今回は2度目、交差点の切り回しが得意、マラソン大会の警備もした、別大マラソンでは大きな交差点を担当、白バイに乗ったりもした、若い時分、県北の某市代表として県内一周駅伝を走った、ランナーの気持ちもわかるつもり、昨年の番匠川健康マラソンでは某交差点が渋滞した、理由は慎重な警察官を配置したため、来年は大胆な警察官を配置したい云々。なるほど。わかるような気がします。午後8時過ぎ、イベントの最後を飾る花火が上がりました。15分間程度の短いものでしたが、楽しめました。足が棒になりましたが、この美しさに疲れが吹っ飛びました。帰宅は午後10時。シャワーを浴び、空きっ腹に酔鯨を舐めました。足先を見ると、白くなっていました。今日の写真は、これも名前を知りません。紫がステキです。
2010年10月24日
コメント(0)
午前4時過ぎ起床。終日雨模様。デスクワーク。午後フェリーで大入島へ渡りました。用件は別として、旧知の人二人に会いました。一人は漁師SのT兄。曰く、魚の値段が安い、魚市場の冷蔵庫使用料が高い、今はハモ漁、大分県延縄生産組合の役員をしていて多忙、息子が跡を継ぎそう、肴があったら持って帰らせるのに。彼は私より一回りほど年上ですが、兄弟のように思ってくれます。もう一人は高校時代の同級生K。卒業して以後、会ったことは数えるほどでしたが、何かと風の噂に上る人生を送る奴です。帰りのフェリーに同舟。久闊を叙するというような感じではありませんが、以来の諸々について、互いのことを話しました。私の頭は白くなっていますが、彼のそれは薄くなっていました。そのことを言うと彼曰く、40代前半にクモ膜下出血で倒れ40日間意識不明だった,N病院で頭蓋骨頂部をくり抜く手術を受けた、開けた穴はセラミックで蓋をした、今は鶴岡で居酒屋をやっている、毎週水曜日が休み、午前11時から夜の10時まで営業している、休み時間はなし、休憩を入れるとパチンコに行くから店を開けっ放しのほうがいいとつれあいに言われる。彼に腕をもたれ、ここだここだと言われました。頭の術痕を触りました。凸凹に盛り上がっていました。店を訪ねることを約束して別れました。雨の夕方、会社が引けて、早速Kのところを訪ねてみようと思いました。しかし、その道すがら、思い出しました、今日は水曜日。店が休みです。思い直し、気持ちを切り替えプールへと努力しましたが、酒に向け堰を切った流れは、そう簡単に断ち切れるものではありません。而していつもの河岸「つね三」へ。Tに近々声をかけると約束していたことを思い出し、TELしました。流石です、付き合い一番体は二番、二つ返事で飛んできました。しかもランの師匠S氏を連れて。ノー残業デー、そぼ降る雨、条件は揃いました。飲んべぇ3人、カウンターで燗をやりました。アテは刺身盛り合わせ、マダイ、スマカツオ、サバ、ヤズ。何れもハラミ。鯛のアラ煮と出汁巻き玉子も。今日は、自衛隊の艦船が入港していたのでしょう、それとわかる人たちが入店し、立て込んできたのを潮時に、そこを出ました。もう1軒、「榧の木」という店へ。ここはTの河岸です。越州という美味しい冷や酒を出してもらいました。甘露でした。ここでもカウンターで飲みました。しばらくすると、水産試験場に勤務するFさんが入ってきました。魚病の専門家、確かブリの連鎖球菌症でドクターを取ったはずです。以前、ヒラメの感染症に関する彼の講演を聴いたことがありますが、エボラ出血熱を引き合いに出し、わかりやすく説明してくれたことが印象深いです。しこたま酔いました。日本酒を飲むと、喉が渇きます。店を出て、誰ともなしに「もうつね三の客は帰っただろう、ビールを飲んでいこう」ということになり、再度暖簾をくぐりました。まだ立て込んでいました。カウンターの隅に座り、勝手にビールを出して3本やっつけました。これで打ち止め。代行運転で帰宅。運転手は女性でした。私をプールで見かける、走っていますね、と言われました。満更でもありません。今日の写真は、庭に咲く花です。妻に何度名前を聞いても、覚えることが出来ません。
2010年10月20日
コメント(2)
午前5時半起床。外気温18℃。終日晴れ。今日は仕事でした。弊社の商品を奨めるキャンペーン。部下はもちろん、営業部の人にも手伝ってもらいました。6時前に片付けが終了し、市内のホテルで打ち上げパーティ。30名ほどが集まりました。社長も出席し、歓談しました。ところで今日のチーフだった部下のS、昨夜、身内に不幸があり、一睡も出来なかったようでした。取り込み中にもかかわらず、責任感からなのでしょう、無理をおして出勤し、キャンペーンは成功しました。パーティが彼の慰労会となるはずでしたが、かなわず欠席。残念でした。落ち着いたら一献に誘おうと思います。彼に義理を立てて私もノンアルコール。一滴も飲まずにウーロン茶でビュッフェをつまみました。帰宅は午後9時を回りました。ということで本日のランは無し。今日の写真は久しぶりにトラです。出勤時、いつもこうやって見送ってくれます。「飼う・飼われている」のではなく、「一緒に暮らす」という感覚にさせてくれます。
2010年09月19日
コメント(2)
全204件 (204件中 101-150件目)