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この詩を読んで何かを感じてもらえれば嬉しいです。 応 援 し て る よ人は生まれた瞬間から「死」に歩きはじめる。笑った、泣いた、怒った、くじけた、つまずいた、転んだ。何度も何度も繰り返しながら生きている。人と支えながら一緒に歩いている。頑張ったね。疲れたなら立ち止まってもいいよ。また、元気を取り戻して歩けばいいよ。あぁ・・もう動けなくなってしまったよ。歩ける力が無くなりかけている。ここで立ち止まるねそして・・僕はここで立ち止まってみんなを見守るよ。ずっと応援しているよ。振り返らずに前を向いて歩いてね。みんなのゴールはまだまだ先だから・・。今日もお付き合いくださり、有難うございます。では・・・・また。
2007.06.28
痛ましくて悲しい事件がまた起きてしまいましたね。宮城県で15歳の女子高生が自宅で出産そして押入れに遺棄。親の付き添いで病院に遺体を持ち込んだ事から発覚、警察に通報。こんな事がなぜ起こるのでしょうか?女子高生も凄く悩み、そして苦しんだでしょう。もっと早くに両親に打ち明ければ、こんな事にならなかったのに・・。彼女のとった行動は考えた挙句の結果だったんだろうなぁ。でも、一緒に生活している親なら子供の変化に気がつかなかったのでしょうか?同じ女性として母親が気づいても不思議ではないのだけど・・。親子のコミュニケーションが取れているなら、悲惨な出来事にならなかったかと・・。傷つくのは親以上に女子高生だと思うのです。身体の異変を伝えたかったけど、言えなかったのかな?親とは「木の上に立って、子供を見守る」って字から成り立ちます。もう直ぐ夏休みが始まりますね。親御さんは子供の変化には気を配ってください。☆普段と服装が変わってきた。☆外出が頻繁になり、帰宅が遅くなっている。☆髪の毛を染めるようになった・・。☆言葉使いが荒くなってきた。☆外泊をするようになってきた。☆性格が変わってきた。などなど・・。子供の変化は「助けて~。どうしよう?」ってシグナルですから・・。自分の可愛い子供なら親は真剣に怒れるはずです。子供に遠慮していると、子供が遠い存在になってしまいます。良い事、悪い事を教えるのが親の最低限の躾だと思います。(親でさえも良い事、悪い事を理解していない人も中にはいますが・・><)先日の新聞にも掲載されていましたが、無理難題な事を学校に要求してくる親が増えていると・・。例えば、あるクラスメートとは気が合わないから相手を転校させろ!また、運動会で兄弟がバラバラになるから一緒のチームに入れろ!中には、制服が似合わないからうちの子だけコチラに変えてくれ!などなど・・。あまりにも理不尽な事が多過ぎますよね。私は「あなたが言われる立場になったらどうしますか?」って言いたいです。自分勝手なことばかりで、協調性ってのが無いのでしょうか?社会でも学校でも家庭でも人と人とのコミュニケーションを持ちましょう。言葉を交わしながら相手を認め、自分を認めてもらう。話すことが相手との距離を縮めたり遠ざけたりする手段なのですがね。世の中全て自分の思い通りにはならないってことを知って欲しいですね。因果応報って言葉がありますが、いつかは自分に降りかかってきます。あなたはどう思われましたか?最後までお付き合いくださり、有難うございました。では・・また。
2007.06.27
人って慎重派と行動派とあります。あなたはどちら?私は後者の行動派(好奇心旺盛派)なんですよ。え?どうしてって思うでしょう?だって・・一度の人生だからこそ、色んな事にチャレンジしたくないですか?猪突猛進まではないけれど・・。まず、ある程度は行動を移すには考えますよ。でも、結果を恐れていても何も始まらないです。だから、自分に出来るか出来ないか試してみるのです。結果よりもプロセスを体験すれば必要な時に役立つこともあるんだなぁ。例えば「恋愛告白」なんて良い例です。異性に告白したいけれど、躊躇して言えない。告白しようか迷ってる間に他の人に奪われてしまったとか・・。異性が興味を持ってくれたけど、叶わなかったとか・・。恋愛などはお互いの気持ちのタイミングなのですよね。当たって砕けろって精神があれば案外スムーズに行くこともあるんだよ。仮に失恋したってお互いの価値観が違ったんだぁ。って諦めも必要だよ。何が言いたいかと言えば・・・何も行動を起こさずに悔やむなら、行動を起こしてはっきりさせる方が、前向きになれるってことだよ。一度きりの人生だからこそ、自分と上手く付き合いながら、ポジティブに行こう!!クヨクヨしたってなるようにしかならないよ~!今日もお付き合い有難うございます。では・・また。
2007.06.26
みんな、自分の夢とか希望ってあるよね?日常の生活をただ漠然と過すのでは無くって、自分の目標をもつことが大切だと思うなぁ~。どんな些細な事であっても、人から何と言われようと、目標をもって突き進むことが輝いた自分を発見するよ。人って周りを意識したり、自信不安になったりすけどさぁ・・・。他人は他人、自分は自分って思わないとね。だって、自分の人生は自分で開かないと道が作れないよ。勉強が苦手であっても、他人には勝る何かがあればそれだけでも充分だ。目標が見つからなければ、色んな事にチャレンジしよう!失敗を恐れていたら何も始まらないやぁ~。失敗は次へのステップだしね。^^:「人生」は「人が生きる道」って書くけど、「人が日々生まれ変わるからこそ」から「人生」とも言えるね。さぁ~自分探しをしてみよう!!明日も素敵な一日になりますように、祈っています。最後までお付き合い有難う。では・・また。
2007.06.25
嬉しい時、悲しい時、寂しい時、悔しい時・・。自然と顔が笑ったり、曇ったりと表情がでるよね。これってすべて心がいっぱいになってるからなんだよなぁ。何かで満足感溢れる時、実力を発揮されなかった時、願い想いが達成できなかった時、信頼してた人に裏切られた時など・・。心の中の汗が自然と流れてしまうんだよなぁ。これが眼から溢れる水滴なんだけど・・。こんな時は我慢せずに思いっきり流そう!永遠に続く水滴にはならないから・・。きっとあなたの近くの存在の人が手を差し伸べてくれるよ。水滴が枯れたら無理せずに時間をかけて受け止めてみよう!水滴を流す原因があるから結果として流れるんだよね。誰しもが経験する通り道。あなただけじゃないから・・苦しければ誰かと一緒に受け止めてもらおう!さぁ~頑張って生きようね!
2007.06.23
おはようございます。朝から生憎の雨模様ですが・・。雨を必要とする生物、食物、人達にとっては恵みの雨でしょうね。雨ってイメージはどうしても鬱陶しく感じさせたり、外出したくないとか・・。気分的に滅入りさせてしまいますよね。これって人によってはストレスにもなりますが、自然現象だから仕方がないですね。四季の変化があるからこそ「生きてる」って感じられることもあります。ところで、みなさんはストレスとどのように向き合っていますか?人それぞれストレス度が違うのですが、誰しもがストレスを抱えています。ストレス度が強いほど集中力に欠けるのですよね。このような時は心の中がいっぱいになってしまって、受け入れるスペースが無いのです。例えば心の受け皿をコップ1杯としましょう。コップに水を入れていくと、いつかは溢れてしまいます。受け入れるには水を捨てるしかないのです。受け入れるには自らが行動を起こさない限り、いつまでも溢れるままなのです。水を止める、受け入れるコップの水を捨てる行為は自分でするしかないのです。この自発行為がストレスを吐き出す為のリフレッシュなのですよね。自らの精神状態を把握できていると、立ち止まって次の受け入れる準備が出来ます。このコントロールが上手に出来ないと、心の病に近づいてしまうかもしれません。ストレス発散には趣味に没頭するとか親しい友人と会話をする。或いは旅行をして環境を変えるとか方法が色々あります。自分に一番あってるストレス発散法を知るのと知らないでは随分変わりますね。私などは大声を出したり(近所迷惑なので海などで・・)カラオケで歌ったりなどして、声を発生することで心の垢を吐き出しています。大声を出す事で心の中がスッキリするか一度試してみてください!嫌な上司の名前を叫ぶとか自分の心の中に溜まった思いを吐き出す。(ただし、誰にも聞かれない場所が必要ですが・・。^^)大声を出すって恥ずかしいから嫌だって思われてる方が多いのですよね。でも、声を出す事がどれほど気分爽快になれるか・・。^^:後は自分のタイムスケジュールをいかに区別するかだと思います。社会人などはアフター5後も付き合いとかで仕事が付きまといます。帰宅しても仕事の事を考えながら朝を迎える。そして出勤の毎日・・。これじゃ気分のメリハリが失われ、仕事をする意欲も減少しますよね。せめても会社を退社したら仕事から開放するって気持ちを持ってみてはどうでしょうか?管理職になればそんな甘い事言ってられないよ!って声が聞こえてきそうですが・・。心の病を抱える家族の方から良く聴かせられるのが、「企業って所は凄く冷たいですね。」って言葉を言われます。言葉を裏返せば「自分の健康管理は自分でしなさい!」って事なのですね。もっと酷く考えるなら「会社は病気になってもあなたの代わりはいます。」って事なのです。心の病を抱える人の共通点は責任感がとても人一倍強い傾向があります。人の苦しみは経験した者でしか理解ができません。ほどほどって言葉がありますが、無理せず我慢せず、自分なりのペースで対処してみてはどうでしょうか?一度きりの人生です。同じ過すならボチボチとしてみませんかぁ?今日もお付き合いくださり、有難うございました。では・・また。
2007.06.22
みなさん、お久し振りです。14歳で小児癌に侵された少年が6月18日に天国に旅立ちました。彼との再会を約束していたのですが、悲しい結果になってしまいました。月曜の夜10時頃、ご両親から私宛に電話があったのです。「もしもし、夜分恐れ入ります。○○ですが、息子の状態が不安定になりました。先日訪問された時の息子との再会を果たせるか難しい状態です。・・・・。取り急ぎご連絡をさせて頂きました。」私「そうですか。有難うございます。でも、お母さんお父さん、息子さんは今も一生懸命病気と闘っておられるのですよ。傍についてあげて手を握り締めてあげてくださいね。」電話は数分で終わった。電話が切れてから彼と出会った日の事が走馬灯の如く、想い巡らせた。病室に訪れても彼は我武者羅にスケッチブックに絵を描いてた。そこに描かれた絵は今現在の状況でなくて、数ヶ月先の未来の絵であった。彼の絵に込められた魂はその時期まで「生きたい!」って願いだったのだろう。彼の年齢で「死」を告知され、「事実」を受け入れる。「恐怖と不安」「事実と幻滅」「夢と絶望」彼の心情を察すると心の葛藤があっただろう。昨日葬儀に参列させてもらいました。小さな棺の中には、今にも眼を覚ますような感じでとても穏やかな表情でした。棺の中には彼の学生服、クラスメートから贈られた千羽鶴と手紙、彼の愛用品など・・。葬儀後ご両親から一通の手紙を手渡されました。拝見すると手紙の内容は・・。彼からご両親への別れの挨拶でした。「お父さん、お母さん、僕を産んでくれて、そして育ててくれてありがとう。今まで凄く楽しかったよ。病気になったけど、ごめんね。もっと、長生きをして親孝行したかったけど、出来ないね。僕が居なくなっても、みんなを見守ってるから。病気になったのは、お父さんお母さんのせいではないよ。僕が好き嫌いが多かったからだと思う。わがままばかり言ってごめんなさい。今まで一緒にいてくれて本当にありがとう。」私はこの手紙を拝見して、彼の親に対する「感謝の気持ち」が滲み出てる感じがしました。病気になった事を何一つ親に対して責めもせず、好き嫌いが多かった自分がいけなかった。と親を庇う気持ちが溢れています。親にすれば子供を守れなかった悔しさでいっぱいだと思うのですが、彼の言葉によって少しは救われたのではないかと・・。現在年間3万人近く「自殺」する方がおられます。でも、反面生きたくても病気と闘っておられる人もいるのです。自らの命を絶つにも恐怖と不安が襲うでしょう。自らの「死」を選択する前に、もう一度人生をやり直す気持ちになって欲しいですね。人生のどん底を体験した人物が這い上がってくれば、人の思い遣る気持ちも苦しみも分かるのではないでしょうか?この世には誰一人として不要な人物はいないと思います。人それぞれが与えられた「命」を授かって、「生きる」のが人間の価値を生むのであろうと・・。最後に14歳で人生を全うした彼のご冥福をお祈り申し上げます。今日もお付き合いくださり、有難うございました。
2007.06.21
みなさん、おはようございます。今日のテーマは新聞紙上を騒がせた「訪問介護の企業」についてです。ここに申し上げる事は私個人としての意見ですのでご了承願います。さて、在宅ケアーを必要とする利用者の方にとっては今回の件は大変迷惑な事でしょう。高齢化社会現象を見越しての企業の設立。そして、規模の増進革命。現在の医療制度のしわ寄せが民間企業に押し寄せているのではないだろうか?国立病院となる大病院が利益圧迫から採算が取れない地域は閉鎖に追い込まれ、近隣国立病院への統合。そして、施設及び建造物を民間医療への売却。売却された金額で持って累積赤字の補填と・・・。閉鎖に追い込まれた病院に勤務していたスタッフの方達もまた、犠牲者である。厚労省からの辞令発令を受け、新天地への赴任。単身赴任される方も居れば、退職せざるを得ない方も出てくる。言い方を返れば「リストラ」に相当するかもしれない。そして、「独立行政医療法人 国立病院機構」として独立採算制がスタート。QOL(Qualty of Life=生活の質、健康増進を図る)という意味である。QOLを提唱する医療機関が近場になければ、必要とする者にとって不便な事は無い。そこで在宅ケアに頼らなければならない。患者の立場になっての訪問介護はとても大切な事だ。でも、営利目的とした訪問介護なら利用者にとっては「不快感」を覚えてしまう。介護に当たるスタッフも少しでも利用者の為と頑張っておられる。人様のお世話をする事ほど、大変な事なのです。自分の親、兄弟の面倒を看るのとは違いますからね。仕事には「ノルマ」って言葉が付きものです。でも、介護にノルマが必要なのでしょうか?この「ノルマ」って言葉がなんだか義務的にモーションを起こさせているような気がするのです。だから、限られた時間に追われて訪問介護も言葉が悪いですが、「手抜き」に繋がってるとしか思えないのです。ここの社長の新入社員の訓示にて、「革命」って言葉がありました。前向きな発言だとは思いますが、彼の育った環境、生い立ちからして、彼にとっての「革命」は社会への「復讐」「野心」としか私には思えないのです。今回の事件で真面目に勤務されてる社員の方達の今後の生活を彼は考えているのでしょうか?また、利用されてた人達のフォローが本当に出来るのでしょうか?以前、「コムスン」に勤務されてたスタッフから聞いたことがあります。「仕事の内容から判断して思った以上に収入が無いんです。」と・・・・「会社からは嫌なら辞めて貰って結構です。あなたの代わりは大勢います。」この言葉を聞いて考えさせられた。それは・・「介護ケアースタッフは使い捨て?」って・・・・現場で働くスタッフは心暖かく「利用者の方により良い介護と笑顔でもって、頑張って生きて欲しい」と言う願いを込めて、接している事をトップには知って欲しい。現場を知らないからこそ、責任逃れとして関連企業に面倒をみさせて、自分の立場を守ろうとするのだろ。本当の幸せとはお金ではないでしょう?お金があるには越した事が無いけど・・・。人として「心と心のふれあいが、生きている喜びを与え与えられている」と思うのは、私だけだろうか・・・・。みなさんはどう思われますか?今日も最後までお付き合い、有難うございました。では・・。また・・。
2007.06.08
みなさん、おはようございます。昨日の続きを書きます。ホスピスにて療養する14歳の少年。病名は「悪性小児癌」身体異変が昨年秋終わり頃。身体の倦怠感、微熱、吐き気の日々が続く。検査入院にて病状が癌中期後半、余命は半年と診断される。治療法は抗がん剤による投薬治療。若い彼の身体を襲ったがん細胞。医療として出来る治療は進行を遅らせる方法しか残されていなかった。抗がん剤治療による副作用の異変に彼が気付いたという。髪の毛が抜け始め、ベッドの枕元に落ちるのを見た時、少年は母親に向かって尋ねたとのこと。「お母さん、僕の病気は何?」と言われた母親は絶句したらしい。情報過多の時代。少年は気がついたのかもしれない。「僕死ぬの?後どれくらい生きれるの?」母親はそっと子供を抱きしめ、「一緒に病気を治そうね」って・・。彼の眼から溢れるばかりの涙が母親の胸を濡らしたらしい。14歳の少年。まだだま同世代の少年少女は学校で元気良く走り回ったり、勉学に励んだり、友達と談話したりと楽しい時間を過しています。彼が受けた心のショックは誰にも推し量ることが出来ないです。自分の描いてた夢を実現できない現実、人生に対する絶望感。死に対する恐怖感。彼の小さな胸の中ははち切れそうに苦しかったのでは?って感じます。ご両親が医師と話し合った結論が、「告知」14歳という年齢は一人の人間として感情も知識も理解力も備えてる。だから、「彼の尊厳」を守りたいという観点から踏み切ったらしいです。僕はこの話を両親から聴かされた時、「親として子供の尊厳を重視されたことに敬服した。」両親は子供のために出来ることはなんだろう?って考えたらしいです。隠し通しても子供に対して後ろめたい気持ちが残る。子供がどうして教えてくれなかったの?って言われるのが辛いと感じる。だからこそ、少年に現実を話し、残された時間を一緒に悔いる事ないよう過そう。と、決断されたのでした。話す側と受ける側。14歳の彼にとって「告知」をどう受け止めたのだろうか?人は母親から生まれた時点から「死」に向かって歩き始めてるのですよね。人それぞれには短命、長寿、不慮の死と神様の悪戯かレールが敷かれてるように思われます。でも、与えられた命を一生懸命生きることが、大切なのではないでしょうか?自ら命を絶った人、不慮の事故死をされると残された家族、親友、知り合いの人は鉛のような塊がズッシリと残ります。人生を全うしてこそ、人の死を受け入れるのではないかと・・。この少年は告知されてから4日後に変化が見られたらしいです。それは同じ病棟に入院する同世代の少女の一言とのこと。「自分の人生を楽しくも、苦しくもするのは全て自分の気持ち次第だよ。メソメソしたって良いことないじゃん。」って言われたらしい。彼は彼女の言葉に感化されたのか、「自分の生きた証を残したい。」って・・。それからの彼は元気を少し取り戻し、宣告された余命半年が過ぎてしまった。人の生命は「生きたい!」って気持ちが寿命を長くさせてるのかもしれませんね。僕は彼と3週間後に「再会」することを約束して病室を後にした。彼がベッド上から投げかけた眼には「ありがとう。」って気持ちが込められてる気がした。みなさんはどう感じられたでしょうか?最後まで読んでいただき、有難うございます。では・・・また。
2007.06.07
みなさん、お久し振りです。数日仕事で出張してまして、今夕戻りました。今回はあるホスピス病棟を訪問してたのですが、末期患者さんには大人も子供も関係がないなぁって・・感じました。それは何故か?って言うと・・僕もその「時」を迎えなければ、分かりませんが。自らの最期が近いって分かっているのでしょうか、凄く穏やかなのですよ。本来なら「死」という事に対して「不安・恐怖感・後悔・寂しさ」を抱くでしょうね。また、自分自身に対しても「なぜ?自分が?」って思いませんか?でも、私が訪問した患者さんは明るくて、一生懸命生きよう!って感じたのです。私が昨日訪問した14歳の少年には驚かされました。大人の私が驚くのも変なのですが・・・。実は彼の部屋を訪れると、彼はベッドの上で一生懸命絵を描いているのです。それも、窓から見える風景なのですよ。話しかけるのも邪魔になると思って、静観していました。彼がスケッチブックに描いている絵は今の絵ではないのです。どういう意味かわかりますか?スケッチブックに描かれた絵は現時点よりも未来の景色なんです。彼の心の中には「もっと生きたい!この風景を見たい!」って願いが込められているのです。僕は彼の絵を覗きこみながら、自然と熱いものが流れるのを我慢できませんでした。彼もそんな僕に意気を感じたのでしょうか、ようやく話しかけてくれました。「叔父さん、僕の病気は小児癌だよ。後どれくらい生きているかわからないけど・・。」僕は思わず彼に「今書いてる絵の時期よりもっと長く頑張ろうね!」って言いました。彼は大きくうなずくようにして、「うん」って笑顔で・・。僕は思わず彼を抱きしめてしまいました。ご両親がたまたま居られて、話を聴けたのですが、医師から告知を受けてどう対処すれば良いのか錯乱されたようです。でも、彼に何も告げずに「死」を迎えさすのも酷だと判断されたようです。そこでセラピストの先生と同席で彼に病状を伝えたとのこと。親と医師は「彼の受け取り方に不安を抱いてたようですが、彼には長く生きられないかも・・」って感じ取ってたようです。病魔に侵されて8ヶ月。進行が進むだけで、治療をするには手の施しが出来ない状態。延命治療もしなくて、緩和ケアーといって家族との時間を持ちながら最期を迎える。あなたが病魔に侵され「死」を覚悟する時はホスピス治療を選択されますか?彼と出会って驚かされたことは、また明日書きます。今日もお付き合いくださり、ありがとう。では・・また・・明日。 to be continue!
2007.06.06
みんさん、こんにちは。休日をどう過されていますか?今日のテーマは「ストレス現在社会をどう乗り越えるか?」です。私を含め人それぞれ育った環境、教育・思想感・価値観があります。学校・社会・家族の現場において個性豊かな人間の集まりで構成されています。人は自分一人で生きているのではないのですよね。周りのサポートがあるからこそ、生きていけるのではないでしょうか?家庭では子供にとって親がサポートします。会社では上司・同僚のサポートがあるからこそ、成り立っているのではないでしょうか?人間関係で一番難しいのが、自分を取り囲む人との関わり方です。八方美人になれば自分が疲れてしまいます。(器用な人はできますが・・。)人間関係には「相性」ってのがあります。気が合う・合わない。相手に合わせたいけど、限度がある。もう、はなっから顔も見たくないなど・・。人と話す事も苦手って方も中にはおられるでしょう。みなさんはこのような経験はないでしょうか?私は○○さんとは凄く気があって、何でも話せる。でも、○○さんには気を遣うし、一線を引いてしまう自分が居る。誰にも多かれ少なかれ、この様な経験をされたでしょう。最初に述べた育った環境、教育、思想感、価値観に関係するのですよね。気が合うってのはお互いが共感できる部分があるからこそ、フランクな関係になれるのですね。でも、相手を否定するのではないけど、どこかシックリといかないなぁって関係には制限がついてしまうのです。自分の存在を否定される、或いは認められない人間関係が多いほど、ストレスを抱えてしまいます。では、どうすれば良いのでしょうか?凄く簡単なことなのです。それは、自分の「身の上話」を全て打ち明けられる友人を一人だけ探せば良いのです。全て明かせるってかなり相手を信頼できる人ですよね。お互いの事を理解し合えて、また存在感を認め合える関係であります。所謂「ラポールの関係」です。自分が悩みを抱えた時、信頼できる友人に話をする・聴いてもらうだけで、心が軽くなるのです。悩みの解決に至らなくっても、言葉にして吐き出すことが、次へのステップになるのです。心の悩みがある方は自分にとって一番信頼できる友達・上司・同僚に相談なり、話を聴いてもらいましょう!!話す相手を間違えてしまったら・・「絶望しかありません」ので気をつけてください。話し相手を間違えるってことは、相手を見る眼が無かったあなた自身ですから・・相手を批難することだけはやめましょうね。逆に言えば、人を見抜く力のチャンスを与えられたと考えましょう!物事をネガティブに受け入れるのでは無くって、ポジティブにしましょう!良いこともあれば、悪い事があるのも「人生」ですから・・。二つを足して割れば・・プラスマイナス=ゼロです。より良い生活が出来るようにプラス思考でいきましょう!今日も最後までお付き合いくださり、有難うございました。では・・また・・。
2007.06.03
みなさん、こんにちは。今日のテーマは「子供とは?」です。子供を持たれる親御さん、いつもお疲れ様です。子供を育てる、出産するって大変ですよね。でも、子供の成長を見守るのも親としての責任でもあり、また楽しみですね。昨日も母親が11歳の我が子を殺害するという、痛ましい事件がありました。ご近所の話ではいつも仲良くしていたと・・。親の責任感から自分だけ逃避をすれば残された家族が可哀想って思ったのでしょうか?溺愛する我が子を道連れにと考えたのでしょうか?真意はご本人しかわかりませんが・・・。さて、子供さんをお持ちのお母さん、お父さんへ質問です。子供さんに対してどのように接しておられますか?お父さん、「時間がある時に適当に接してるよ。」ってですか?お母さん、「私はいつも一緒に居る時間が長いから良く分かってる。」って言えますか?子供さんは親御さんからすれば可愛い子供さんですよね。でも、「一人の命ある人間」って思われたことがあるでしょうか?親はどうしても子供に対して抑圧的、或るいは自由奔放的のどちらかです。両者共良いとか悪いとかは判断は出来ません。「三つ子の魂百まで」って諺がありますが。これって凄く大切なんですよ。生後もの心が付き始めてから子供は自分の「知らない世界」だからこそ、色んな物、人に興味を持つのですね。人は体験・経験をして成長していきます。物事の判断が出来ないのが子供です。出来ないからこそ、親が見守るのですが・・。ここで考えてみてください。子供(幼少)が鉛筆などで何かを書く事に興味をもったとします。そして、書く場所が部屋の壁・襖だとすれば、あなたはどうされますか?子供を叱る・褒める・書く場所を変えさせる・放置する。普通なら子供を叱ってから紙などに書かせますよね。子供にすればどうして叱られたのか、なぜ?ってなるのです。まず、叱る前に子供を褒めてあげることが子供を成長させます。「上手に絵をかけたね!」「何を書いたの?」って子供の行動を認めることが大事なのです。子供は褒められたことで「喜び」を覚えます。そしてさらに褒められようと一生懸命になります。これが持続力を養う一歩です。「何暢気なこと!」って言われそうな気がしますが・・><でも、子供の立場になって考えてみてください。いきなり叱られるよりも褒められた方が嬉しくなりませんか?短気な方なら子供が壁にでも書き事でもしようものなら・・「!!!何やってるの~!!」って怒り爆発ですよね。でも、子供の叱り方があるのです。叱る時は大人は子供より目線が上になりますから・・同じ子供の目線で話しかけることが大切です。子供には子供の考えってのがあります。子供の言い分を遮るように、大人の目線から話しかけると子供は威圧されて何も言えなくなってしまうのです。叱る前には子供の理由を聴いてあげてください。それからもし、壁などに絵を書いたなら壁は書いてはいけない場所だよ。って教えてあげることが親の躾です。私がお伝えしたい意味がわかるでしょうか?子供は何も意識せずに思うがまま行動を起こしてしまいます。その行動を否定するような言葉を発することで、子供の興味が薄れてしまい、物事にチャレンジしようとする可能性が低下を辿る傾向になるのです。子供の発想は無限です。大人には理解しえない「宝物」を持っています。子供を成長させるもさせないも、全て親からの愛情ある問いかけです。子供にも一人の人間として接っして「心のキャッチボール」をする事ですくすくと成長されるだろうと・・・私は思うのですが・・。みなさんはどう思われますでしょうか?最後までお付き合いくださいまして、有難うございます。では・・また・・。
2007.06.01
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