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『三つの革命――ドゥルーズ=ガタリの政治哲学』[1] をようやく読み終えた。遅々としてページは進んでいなかったのだが、二、三日前から続いている微熱のせいでメリハリなくぐずぐず暮していたら思いのほかに捗ってあっという間に読み終えてしまった。微熱といっても、その後に続くあれこれを畏れてぐずぐずしていたというだけなのだが。 佐藤嘉幸さんと廣瀬純さんの共著の「結論」と題された最終章は次の文章で始まる。 ドゥルーズ=ガタリは資本主義の打倒を目指している。資本主義をその下部から掘り崩すものとして彼らが構想する戦略(ストラテジー)は不変だ。『アンチ・オイディプス』で階級外主体集団の形成とされるものは、『千のプラトー』で万人によるマイノリティ性への生成変化とされるもの、『哲学とは何か』で絶対的な内在的脱領土化とされるものと同じである。『アンチ・オイディプス』ではブルジョワジーとの、『千のプラトー』ではマジョリティとの、『哲学とは何か』では人間との闘いがそれぞれ語られるが、「ブルジョワジー」、「マジョリティ」、「人間」はすべて同一の実体(資本主義的かつ民主主義的な主体)を指している。 差異は戦術タクテイクスの水準に存する。『アンチ.オイディプス』ではブルジョワジーに対するプロレタリアによる階級闘争が、『千のプラトー』ではマジョリティに対するマイノリティによる公理闘争が、『哲学とは何か』では死せる動物(マイノリティ)を眼前にした人間(マジョリティ)による政治哲学が、それぞれ資本主義打倒闘争の主戦場に位置付けられる。ブルジョワジー/プロレタリアート、マジョリテイ/マイノリティ、人間/動物。戦術のこうした変更は、運動の趨勢に応じてなされたものだ。 ([1] pp. 311-312) ドゥルーズ=ガタリが三つの革命を語ったのは、それぞれに時代状況の変化に応じてだったが、佐藤=廣瀬はその三つの革命が現代日本では同時発生的に進行していると分析している。 『アンチ・オイディプス』でブルジョワジーからプロレタリアートが割って出る運動として問題にされた階級の二極化(新たな階級の構成)は、二〇〇〇年代前半から日本のみならず世界各国で、プロレタリアートからプレカリアートが割って出る運動として闘われてきた。『千のプラトー』で問題にされたマイノリティによる公理闘争は、二〇一〇年に鳩山由紀夫民主党政権が普天間基地の「県外移設」を断念して以降の琉球での基地返還/独立闘争、また、二〇一一年に福島第一原発事故が始まって以降の福島での脱被曝/反原発闘争として闘われてきた。『哲学とは何か』で哲学の政治化として問題にされたマジョリティによる闘争は、一九九〇年代後半のオルターグローバライゼイション運動(G8に象徴されるような先進諸国のユニラテラリズムに対する異議申し立て)、二〇〇〇年代前半の反戦運動(国際的コンセンサスを無視した米英主導のアフガ二スタン及びイラクへの武力侵攻に対する異議申し立て)、アラブの春(チュニジア、エジプトなど)を契機とした世界各地での広場占拠運動において、また、日本ではとりわけ原発再稼働反対運動から安保法制反対運動へと至るこの六年間の一連の運動(民意をカウントしない閣議決定や強行採決への異議申し立て)において、民主主義をめぐる市民たちの運動として闘われてきた。 ([1] pp. 316-317) 私たちの脱原発運動は、市民(マジョリティ)による民主主義をめぐる闘いとして位置付けられる。ドゥルーズ=ガタリ風に言えば、哲学の政治化ということになる。しかし私たちの運動体には、福島に隣接する宮城に住む者として放射能被曝棄民としてすら認知されない、無視された被曝棄民という強い意識を持つ人々も含まれている。 また、なによりも原発設置県としての潜在的な被曝棄民としての未来を私たちは持っている。つまり、福島の人々と通底するような可能的マイノリティという自己意識もまた私たちの運動の基底として存在している。いわば、ドゥルーズ=ガタリの言う第三の闘いに第二の闘いが確実に埋め込まれている。 マイノリティの公理闘争において「マイノリティはマイノリティ性へ生成変化する」とドゥルーズ=ガタリは語る。明確にその意味を理解できているとは言い難いが、その意味を考えさせられ、今も考え続けているが、さしあたって現時点では次のように考えておくことにする。 様々なマイノリティが存在し、そのそれぞれはマイノリティゆえに孤立してる。その個別のマイノリティが個別の公理闘争に立ち上がり、その闘いの過程で個別特殊的なマイノリティから「マイノリティ性」(あらゆるマイノリティに共通するマイノリティとしての本性)へと生成変化する。その生成変化によって福島のマイノリティは沖縄のマイノリティと通底することが可能になる。理想的には、世界のあらゆるマイノリティと同じ基底に立つようになる(なりうる)ということだろう。 私たちの「脱原発みやぎ金曜デモ」も6年を過ぎ、7年目に入った。そして、今日は300回金デモである。微熱は続いているが、今日だけは遅刻しないように早めに家を出た。肴町公園。(2018/10/26 17:58~18:31) 300回記念デモというものの実際は299回目である。今日のデモを300回記念デモと決めて準備を進めている間に、台風の接近で中止になったデモが1回あったためだ。 肴町公園に集まってくる参加者は、それぞれハロウィーンらしい紛争に着替えたり、それらしい飾りをまとったりしている。 シンガーソングライターの苫米地サトロさんの歌い出しを合図のように集会が始まる。代表の西さんの挨拶は、長く続く脱原発デモにもかかわらず参加し続けていることへの感謝から始まった。まだまだ続くだろう脱原発デモの当面の目標は女川原発2号機の再稼働阻止であるが、その先にはすべての電力会社がすべての原発を諦めるまでという目標があって、いつデモを終えることができるか定かではないが、デモ人の覚悟は十分の様に見える。 ゲストスピーカーの一人目は、「女川原発再稼働の是非をみんなで決める県民投票を実現する会」代表の多々良哲さんである。東北電力が女川原発1号機を廃炉にすることを決定したというニュースに触れ、1号機廃炉を2号機再稼働の交換条件などに認めてはならないと強調された。その2号機の再稼働も政府や東北電力や宮城県知事に決めさせることなく、県民の総意として決定すべきだと県民投票の意義を語られ、現在精力的に進められている請願署名活動が署名するために人の列ができるほど活発に進んでいるという報告があった。 二人目のスピーカーは、「カトリック正義と平和協議会」の木元さん。脱原発デモが長く続く不幸と長く続ける意気込みとのない交ぜの気持を率直に語られ、周囲から聞こえてくる脱原発運動を貶める声に負けずに頑張って参加したいと話された。 集会の最後は、苫米地サトロさん作詞、作曲の「川」というとてもリリカルな歌で締め括られた。強い意志を持続させている50人のデモ人は、サトロさんの歌で優しい気持ちになって一番町目指してデモに出発したのである。一番町。(2018/10/26 18:37~18:42) 昨日の10月25日に東北電力が女川原発1号機を廃炉にするとして宮城県知事に表明したというニュースは各マスコミで一斉に報じられた。1号機は運転開始から35年を迎えているうえに、2号機、3号機と比べて出力も小さく、新規準適合のための改良工事も嵩んでコスト的に見合わないという判断で、朝日新聞はその事実を端的に伝えていた。 日経は、その事実を伝えた後で、「ただ女川原発では協力会社も含め約3000人が働く。地元にとっては雇用などの経済効果で極めて大きな存在で、自治体は税収面でも原発への依存度が大きい。こうした点を踏まえ村井知事は「関係する自治体への影響を検討する必要がある」との考えを示した。須田町長も「地域経済や住民への影響を精査する」としている」として、その経済的影響をネガティブに記述している。 これに対して毎日新聞の記事は、「東北電によると、女川原発の社員や協力会社員約2700人の半数あまりが地元住民だが、今後も廃炉作業が続くことなどから、雇用に大きな影響はないという」と締めくくっていて、日経とはまったく逆の記述になっている。 また、地元の河北新報には「廃炉決定には、審査が終盤を迎える女川2号機の再稼働に地元理解を得たいとの思惑もあるとみられる」という記述があって、デモに先立つ集会で多々良哲さんが「1号機廃炉を2号機再稼働の交換条件などに認めてはならない」と強調された話がじつにリアリティあるものだということがわかる内容である。 たまたま4社の報道を目にすることができたが、短い記事ながらその比較はけっこう興味深いものだ。日経の立ち位置は想像通りだが、毎日がまったく逆の見解を紹介していて面白い。女川原発に関しては河北新報の真摯な姿勢に好感を持っているが、2号炉に関する私たちの心配と通底していることが目をひいた。広瀬通り。(2018/10/26 18:43~18:42) 10月12日(前回)のブログで、南相馬市議会議員の大山弘一さんが南相馬市立病院から提供された病名ごとの患者数推移のデータを井戸謙一弁護士がフェイスブックに投稿した記事を紹介した。東電1F事故前の平成22年から事故後の平成29年の甲状腺癌(成人)の疾患数が29倍に増加しているという驚異的な数値が含まれていた内容だった。 その時、こうしたデータの評価はいずれ専門家によってなされるだろうと書いたが、ほかならぬ井戸弁護士から10月19日に追記の投稿があった。「疾患数」は単純な「患者数」ではないという批判があったと記されている。真偽は確定していないが、誤解のないように井戸弁護士の投稿記事の関連部分を転記しておく。私が10月7日に書き込みました南相馬市立総合病院の主傷病者数のデータについて、多くの人からご意見をいただきました。この「主傷病者数」というのは、前便でも書きましたとおり、同病院の医事会計システム上、その年度において「治療中」と把握されている患者の数であり、前年度の数字から、新規患者の数をプラスして、治癒、中止、転院、死亡等の患者の数をマイナスして当年度の数字が出したものです。したがって、理屈では、当年度に同病院で治療を受けた人の数(「患者数」といいます)であるはずです。そして私は、「主傷病者数」=「患者数」(当該年度に同病院で治療を受けた人の数)であるという認識で書き込みをしました。これに対し、批判される方は、病院がマイナスの人数を把握することは困難であるから、「主傷病者数」は累積することになる、すなわち、「主傷病者数」>「患者数」であると主張しておられます。この点は、調査をすればわかるでことしょうが、そうでない限り、同病院で実務を担っている方しか分からないことだろうと思います。ところで、この問題の発端は、2018年9月12日の南相馬市議会において、大山議員が、市立総合病院の「患者数」の推移について質問したところ、市立総合病院事務部長が、「患者数」として「主傷病者数」を回答したことにあります。平成22年から平成29年までの7年間に各種の病気の患者数が数倍に増加しているという回答に驚いた大山議員が、その要因の認識について質問したところ、事務部長は、増加していることを前提にした上で、その要因については分析中であると答え、市長も、増加の事実を認める答弁をしました。すなわち、市立総合病院当局や市当局は、少なくともこの答弁の時点では「主傷病者数」=「患者数」、少なくとも「主傷病者数」≒「患者数」と考えていたことがわかります。批判される方は、市立総合病院の事務担当の方が、「マイナスの把握は難しいから「主傷病者数」実質は累積されることになる」と説明したと主張されておられます。その説明内容の真偽は私には分かりませんが、少なくとも、「主傷病者数」と「患者数」の関係についての南相馬市や市立総合病院当局の公的な認識の表明は、上記の答弁しかないのではないかと思います。もし、他にあるのであれば、教えていただければありがたく思います。大山議員の質問に対する南相馬市当局の回答は、ここ(12分から24分)で見ることができます。 南相馬市の市長や病院関係者は患者数が増加しているという認識だと記されているものの、いずれにせよ、きわめて重要なデータなので、できるだけ早く精査されることを期待するしかない。青葉通り。(2018/10/26 18:50~17:15) 50人のデモ人のなかにはハロウィーンの扮装や飾りをまとっているので、カメラの被写体には困らないのだが、今日のコースには明るい一番町はほんのわずかしか含まれていない。集会の肴町公園もかなり暗い公園だし、公園からの暗い路地から出るとあっという間に一番町を過ぎて暗い広瀬通りに曲がってしまう。 120枚ほどの写真から50枚ほどを残したが、それでも満足できない写真がだいぶ含まれている。暗いシーンは暗くていいと思ってフラッシュを使わないので、これからもこんな撮影が続くのである。[1] 佐藤嘉幸、廣瀬純『三つの革命――ドゥルーズ・ガタリの政治哲学』(講談社、2017年)。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2018.10.26
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夏の間は比較的行事が少なくて、久しぶりに山登りなどを再開したのだが、9月に入るとスケジュールが埋まって慌ただしく過ごした。雨の中で車椅子を押して歩くたいへんな(それなりに楽しい)町内会の日帰り旅行もなんとか終えて11月に入ると、6日ほど何にも予定のない日が続いた。 なにかと取り紛れて例年よりも1ヶ月半も遅く播種したパンジーやビオラに本葉が出てきたので種床から植え替えた。あっという間に植え替えも終わったが、どうしたわけか昨年の倍以上の種類を播いてしまって、本植え替えの手間を考えるとうんざりするが、とにかくいまはやることがなくなった。まだ4日ほど空白が残っている。 読む本もない。一週間に一度の図書館通いの習慣は維持しているが、図書館に通ってもこの頃は読みたい本が見つからない。街の本屋に出かけるほどの暇もなかった。自分の本棚から何冊か抜いてきて読んでみた。もちろん、すべて読んだ本ばかりだが、中にはとても新鮮な文章に出合う(いったい私は何を読んでいたのだ)。 その中の一冊、ジョルジョ・アガンベンの『人権の彼方に』の中の一節。人間――潜勢力をもつ存在としての、つまり制作することも制作しないこともでき、成功することも失敗することも、自分を見失うことも見いだすこともできる存在――は、生において幸福が問題となる唯一の存在であり、人間は、取り返しのつかないほどに、苦しいほどに、生が幸福へと割り振られている唯一の存在なのである。しかし、このことは即、政治的な生としての〈生の形式〉を構成する。 [1] 私たちの生は、「取り返しのつかないほどに、苦しいほどに、幸福へと割り振られている」というのだ。誰の生も、どんな人間の生も切実に幸福に割り当てられているのだが、その生は政治的な生であることを避けられない。そして、それは幸福というよりも悲劇としての生へと人を駆り出す。それなのに、なぜ多くの人々は政治と無縁に生きていると信じてしまうのだろう。そうした迷妄が私たちをいっそう悲劇に駆り出すというのに。 さほど期待もしていないが、習慣なので図書館に出かけた。そこで佐藤嘉幸さんと廣瀬純さんの共著になる『三つの革命』という本を見つけた。出版されたことは知っていたが、副題に「ドゥルーズ=ガタリの政治哲学」とあって、もうドゥルーズはいいかなと思って逡巡していた本である。 パラパラと序文を読んでみた。次のような一文があった。 戦術は、主戦場をどこに見出すかによって決定される。反資本主義闘争の主戦場として同定されるのは、『アンチ・オイディプス』ではプロレタリアによる階級闘争、『千のプラトー』ではマイノリティによる公理闘争(諸権利や等価交換を求める闘争)、『哲学とは何か』では動物(マイノリティ)を眼前にした人間(マジョリティ)による政治哲学(哲学の政治化)である。プロレタリアとは何か、マイノリティとは何か、哲学とは何か。 [2] 私のドゥルーズは、『差異と反復』に始まって『アンチ・オイディプス』で終わっている。ドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』、『千のプラトー』、『哲学とは何か』かの三冊から、次のように「三つの革命」を論じることができるなどとはついぞ思っていなかった。 多くの論者が言うように、ドゥルーズ=ガタリが「六八年五月の思想家」であり、その六八年五月が、政治における欲望の前景化を特徴とする歴史現象であったとすれば、『アンチ・オイディプス』はプロレタリアによる階級闘争(とりわけロシア革命)を、『千のプラトー』はマイノリティによる公理闘争(「新たな社会運動」)を、『哲学とは何か』は犠牲者を眼前にしたマジョリティによる政治哲学(あるいはNGOの人道支援活動)を、それぞれ六八年五月の観点から論じた著作だと言えるかもしれない(これら三著作において、六八年五月がそれ自体として論じられることは一度もない)。六八年五月の観点からこれらの利害闘争を捉えるとは、『アンチ・オイディプス』及び『千のプラトー』での規定に従えば、それらを「分裂分析(スキゾアナリーズ)」の対象にするということである(『哲学とは何か』では「欲望」に代えて「大地」が、「分裂分析」に代えて「地理哲学」が語られることになる)。ドゥルーズ=ガタリは六八年五月を三度、再領土化する。『アンチ・オイディプス』では過去の上に、『千のプラトー』では現在の上に、『哲学とは何か』では未来の上に。過去からの革命、現在での革命、未来への革命。 [3] 幸福に割り当てられながら政治的生を生きるしかない私たちのそれぞれの時代の政治的存在と行動(の可能性と不可能性)を三冊の著作を通じて「三つの革命」として論じているということらしい。 この手の本の読者層がどれほど多いのか知る由もないが、新刊本は借り出しが続くことが多くて、書架に並んでいることは珍しい。さっそく借りてきた。空白は一日ほどしか残っていないが、読むしかないではないか。 夕方の金デモに出かけるまで本が読めると期待していたが、急に入った二つの行事のために電話をかけまくって人員配置に時間を取られてしまった。金デモが終われば、またバタバタとした日が続くのである。勾当台公園から一番町へ。(2018/10/12 18:15~18:43) 15分ほどの遅刻で勾当台公園野外音楽堂に着いた。急いでカメラを出して集会の様子を撮ろうとしたのだが、なかなかシャッターが下りない。暗すぎるのである。露出を開放にしてISO感度を1600まで上げても、オートフォーカスが効かないのである。 こういうこともあろうかと、かつて完全マニュアルで撮る練習をしたのだが、ファインダーを覗いてぴったりと焦点を合わせるのだが、出来上がりはボケているのだ。近眼で老眼の眼鏡で見る焦点距離とカメラのそれとにずれがあるのだ。目測で距離を決めればいいようなものだが、今どきのレンズには昔のレンズのような距離表示はないのである。オートフォーカスが標準ということだろうし、私のカメラの知識もこの辺が限度なのである。 とはいえ、シャッターが下りないのでは困るので、ファインダー視野の中に街灯などの明るい被写体を入れて撮った。焦点距離はいい加減になるが、まったく撮れないよりはマシである。 出だしで躓いたせいか、この夜の写真の出来はさんざんだった。構図はそれなりによくても、ほとんどピントが甘いか、シャッター速度が遅すぎてブレブレだった。ただし、パソコンの取り込んだ写真ファイルを次々と大してめげもせずdelete(削除)する判断の速さはたぶんに自信があるので、それは問題ない。一番町。(2018/10/12 18:43~18:54) 今、ネットで重要なデータ図表が飛び交っている。私がそれを最初に見たのは、原発を止めた裁判官として名を馳せた井戸謙一弁護士のフェイスブック投稿記事だった。それによれば、南相馬市議会議員の大山弘一さんが南相馬市立病院から病名ごとの患者数推移のデータの提供をする受けたものだという。 患者数のデータは次のような表にまとめられていた(井戸弁護士はデータ表の写真をアップしていたが、ここでは脱被ばく実現ネット(旧・ふくしま集団疎開裁判の会)がアップした表を少し見やすいように配置を変えて示している)。 事故前の平成22年度と事故後の平成29年度を比較するデータは衝撃的である。チェルノブイリで起きたことが福島で起きている証拠が出てきた。もともと。こうした放射線被ばくによる晩発性障害は起きることとは十分に予想され、それに対応しようと放射線障害予防規則などが定めらえてきたのであり、それがフクシマ事故後、あたかも晩発性障害は起きないかのように喧伝してきたのは、自公政権であり、福島県であり、福島県立医大を中心とした御用学者たちであった。データの隠ぺいに綻びが出てきたということだろう。 こうしたデータの評価は、これから専門家の手によってなされるだろうが、データを発掘する努力ももっともっとなされることを期待したい。 井戸謙一弁護士は子ども脱被ばく裁判を闘われているが、「私たち、子ども脱被ばく裁判弁護団は、次回口頭弁論期日(10月16日)にこの証拠を提出して、問題提起をする予定です」と宣言している。いい結果を期待したい。青葉通り。(2018/10/12 18:55~19:02) 左股関節周りの痛みの治療のために整形外科でマッサージを受けているが、マッサージで潜在的な弱点が顕在化してくるようで、少し歩くと左足のどこかに疲労がたまる。その個所はその時々で違っているが、今日は大腿部全体に疲労感が拡がっている。 青葉通りを行くデモが大通り(国道4号)を渡っていくデモを見送ったところで今日の私のデモは終わりとした。家までゆっくりと大股でストレッチをするような気分で帰ってきた。[1] ジョルジョ・アガンベン(高橋和巳訳)『人権の彼方に――政治哲学ノート』(以文社、2000年)p. 12。[2] 佐藤嘉幸、廣瀬純『三つの革命――ドゥルーズ・ガタリの政治哲学』(講談社、2017年)pp. 13-14。[3] 同上、p. 16。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2018.10.12
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秋が進むにつれて糠漬けがおいしくなった。こう書きだすと、ブログの趣きが変わってしまいそうだが、年齢のせいか、この秋はしみじみとそんな感慨に浸っている。いくつかあった退職後プロジェクトには入っていなかったが、いつの間にか糠漬け作りも始めてしまってもう10年近くなる。 わが家で糠漬けを食べるのは妻と私だけで、毎朝ほんの少しの野菜を入れたり出したりしている。これは早朝散歩から帰ってきた後の私の役目で、妻は糠床に一度も触れたことはない。 先々週の金デモは体調不良で休んでしまった。先週は台風24号の影響で休みとなった。金デモを休むと、週ごとに繰り返す生活のリズムに乱れが生じて、曜日を忘れてしまう。そのせいかスケジュールを飛ばしそうになって慌てた日が何日かあった。糠漬けの世話も金デモも生活のリズムには欠かせない(ように思う)。元鍛冶丁公園から一番町へ。(2018/10/5 18:14~18:31) 「女川原発の再稼働の是非をみんなで決めよう!」というスローガンをかかげて県民投票を実現しようと住民直接請求を求める署名運動が始まった。有権者の50分の1、4万人ほどの署名を集めなければならないが、マスコミのアンケートでは、女川原発再稼働に反対する県民は60~70%に上るのでそれほど難しいことではないだろう。 署名を集めて県民投票条例の制定を請求するのだが、県議会で条例を可決しなければならない。脱原発派の県議会議員は相当数いるが、けっして多数派ではない。潜在的な脱原発派がいるらしいので、そこに期待している。 何よりも、署名活動自体が強力な脱原発アピール行動になるのがいい。一番町(1)。(2018/10/5 18:33~18:34)「世界原子力産業現状報告」の2018年版(WNISR2018)は、2017年の原子力発電の設備容量がわずか1%の増加にとどまったのに対して、風力発電は17%、太陽光発電は35%とそれぞれ大幅に増加したことを明らかにした。 同報告書はまた、太陽光と風力が電力網に接続される電源として現在最も安価となっているとしている。一方、原子力発電所の新設は核兵器保有国に限られており、公的支援による投資で支えられているという。 こんなリードで始まる記事が日本経済新聞(9/27付け電子版)に掲載された。記事のタイトルは「「太陽光と風力が最安」原子力の専門家が報告書」となっていて、原子力から利益を得てきた(これからも利益を得たい)はずの専門家ですら原子力産業に未来がなくなってきたことを認めざるを得なくなったということだし、日経といえども、このような記事を掲載するしかない時代になったということでもある。 もうこんなことは言わずもがなだが、原子力はもう見捨てられた産業で、世界の趨勢は再生エネルギーに向かっている。原発にしがみついているのは、原子力に公的資金(税金)をばらまく政府があって、それに群がる企業と政治家がいる国ばかりで、日本がその典型例であろう。報告書には「原子力発電プロジェクトは、公的支援を行う用意のある国によって支えられているが、それらは利権や汚職絡みで進められることも多い」と明記されている。「利権や汚職絡み」でしか、原子力政策は進められないのである。 さて、女川原発再稼働を企む東北電力や原子力規制委員会、手ぐすね引いて再稼働を待ちかねている県知事をはじめとする地方政治家たちにはどんな「利権や汚職絡み」があるのだろうか。一番町(2)。(2018/10/5 18:37~18:45) 原子力はもうダメ、という記事が朝日新聞(10/1付け電子版)にも掲載されている。「米国ではいま、風力発電と太陽光発電が大きくシェアを伸ばす「エネルギー革命」が起きて」いて、「ここ7年間で全米の半数以上の石炭火力発電所が廃止に追い込まれ、100基近くある原子力発電も17年時点で半数以上が赤字になっている」と書かれている。 アメリカやヨーロッパでの自然エネルギーによる発電のコストの安さに比べれば、日本ではまだそれほど安くなっていないのは原発にしがみつく政府によって自然エネルギー関連の市場や企業が育っていないためで、原発は日本経済の没落の一要因になってしまった。自公政権は、「利権や汚職絡み」で目がくらんでいて世界の経済動向は見えていないということだろう。 このような世界の趨勢のニュースを見ていると、女川原発再稼働の是非を県民投票で問おうという署名活動は、日本経済の未来に大いに資する愛国運動のようにすら思えてくるではないか。青葉通り。(2018/10/5 18:45~18:54) デモが終わっての帰り道、たいていは歩いて帰るので、道々ブログに何を書こうかと考えることがある。今日もそうだったが、何も思いつかない。デモのことや原発のことは何とかなるが、個人的な話題がない。 このブログを「脱原発みやぎ金曜デモ」の報告ブログだと思われる人がいるが、けっして金デモの誰かや何かを代表したり代弁したりしているわけではない。これは、あくまで私の個人的なブログである。このブログを訪ねてくれる人は私の個人的なことなどに興味ないだろうと思うのだが、そのことをはっきりさせたくてごくごく個人的なことや個人的な興味を必ず書くようにしている。 ただ、個人的なことで書きたい、書いてもいいと思うようなことはほとんどなくて、糠漬けの話なんて苦し紛れなのである。糠漬けのことを書くのにふさわしいブログを別に作っているのだが、今度はそちらのネタを欠くことになる。話題ごとに異なるブログがあるが、いまやそれらも少しずつ持て余すようになってきているのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2018.10.05
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