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コロナ禍でいろんな行事は中止になって、ほとんど家に閉じこもっていた。それでも公的な機関や地域団体の議事の書面審議がいくつもやってくるし、町内会総会の書面審議ではいつもの倍以上の書類を作り、集計・報告に至るまでほぼ一人でやらなければならなかった。 5月中旬以降は、行事再開のための感染防止マニュアルの作成と予防用のグッズの準備に追われた。非接触型体温計、予備のマスク、消毒用アルコールとスプレー容器、ゴム手袋、施設消毒用次亜塩素酸溶液と噴霧器などをネットで探し出して購入した。そして、6月末からいくつかの町内会行事が再開するのだが、それはそれで落ち着かない気分になる。 どこか気ぜわしい3ヶ月間だったが、気分はどうあれ物理的にはあきらかに暇には違いなかった。もう少し若い時分ならいくらか読書が進んだはずなのだが、結局のところディネシュ・J・ワディウェルの『現代思想からの動物論――戦争・主権・生政治』と、ジャン=リュック・ナンシーの『共出現』(ジャン=クリストフ・バイイとの共著)の二冊に四苦八苦していた3ヶ月だった。 ワディウェルの本は、ジャック・デリダの『動物を追う、ゆえに私は(動物)である』とおなじく西洋思想に強固に根付いているヒューマニズム(人間中心主義)が動物の過剰な虐待、殺戮に至ることを強烈に批判している本である。ナンシーの論考は『無為の共同体』に連なる現代の私たちの「共同性」に関するものである。 3ヶ月もかかってこの二冊だけしか読めなかったことにだいぶ気落ちしている。しかも、デリダは再々読、ナンシーは再読という体たらくである。 悲惨かつ貧しい読書にもかかわらず、この3ヶ月、過剰な暇に煽られるようにネットでブルゴーニュの白ワイン「シャブリ」を何種類も(安物ばかりだが)集めてにんまりしながら飲み比べるなどということを行っていた。いまは、イタリアの白、「ガヴィ」を10種類ほど見つけてネットで注文するばかりになっている。 なんとも味気ないステイホームの3ヶ月だったが、「スティ!」、「ホーム!」(「ハウス!」とちょっとちがうが)と命令されて、むかし買っていたクロやホシやイオのことを思い出した。いまや君たちの飼い主は君たちと同じ扱いを受けているのだよ。ワディウェルの本ではないけれど、これを「報い」というのだろうか。 3ヶ月間に私がこの陥ったこの二重の頽落から抜け出るすべを探すのがこれからの仕事になるような気がして、クロやホシやイオの写真を再整理しながらゆっくり考えることにする。元鍛冶丁公園から一番町へ。(2020/6/26 18:15~18:38) 微熱があって先週のデモは休んだ。風邪をひきやすいたちなのだが、コロナ禍の3ヶ月の間、一度も風邪をひくことはなかった。ただ2度ほど疲労からくる微熱が出ただけだった。暇なのに疲れたのである。「暇疲れ」というのがあるらしい。 集会では、東北電力株主総会について二人が話された。6月25日に開催された株主総会に原発の禁止などを求める定款の一部変更など6件の提案をしたが否決され、東北電力は女川原発と東通原発の再稼働を目指す方針を改めて主張したという。「脱原発東北電力株主の会」は、東北電力に対して116項に及ぶ質問書を提出していて、今後回答を待って議論を詰めていくと話された。 もう一人は、東北電力株主総会に対する仙台市の対応に納得がいかないと市に直接抗議に行ったことを話された。郡和子市長は3年前に市民団体「私たちの市長を選ぶ仙台市民の会」の支持・応援もあって当選したが、原発に対する態度はきわめてあいまいで、多くの人は直接抗議に行ってほしいと話を締めくくられた。 そのほかに数人がスピーチをした後、30人のデモの列は元鍛冶丁通りを通って一番町に向かった。一番町。(2020/6/26 18:41~18:50) 6月22日に安倍自公政府の原子力防災会議は、女川地域原子力防災協議会が取りまとめた住民の避難計画を了承したというニュースが報道された。その避難計画には、原発事故とコロナウィルス感染症などの流行の併発を想定したて感染者と非感染者の避難車両や避難所を分けたりするなどの対策も初めて盛り込まれた。 しかし、女川原発の半径30キロ圏内の7つの市と町に暮らす19万9000人を対象として、コロナ対策のために従来の2~3倍に増えることが予想される車両を汚染検査するばかりではなく、避難者のコロナウィルス感染検査を含めて行うことの実現性はほぼゼロに等しいのではないか。 政府が避難計画を了承した6月22日の4日前に、「被ばく回避と換気は両立困難 専門家「コロナ収束まで原発停止を」」と題する記事が 東京新聞WEB版に掲載された。 日本科学者会議(共同代表幹事の一人はノーベル物理学賞受賞者の益川敏英さん)は、原発事故の際の避難計画や防護措置に新型コロナウィルスの「三密」対策が十分盛り込まれていないことを明らかだとして「コロナ収束まで運転停止を」との声明を出したというニュースである。 記事には避難計画とコロナ対策との矛盾を簡明にまとめた図表が掲載されていたので引用しておく。 女川原発の広域避難計画を政府が了承した翌日、ただちに宮城県内の25市民団体が連名で宮城県と内閣府にそれぞれ詳細な公開質問書を提出している。誠実な回答を期待したい、と一応は言っておく。青葉通り。(2020/6/26 18:52~19:01) 今日は降りそうで降らない一日だったが、昨日は降らなそうで降るという一日だった。要するに、仙台はふつうに梅雨なのである。3、4、5月という春から初夏への気候のいい時分にはステイホームで、梅雨が始まるころに規制緩和で活動再開というのはいささか皮肉ではある。 町内会活動も再開するのだが、いささか心配ではある。東京では第3段階まで規制緩和が進んだが、感染者数が再び増加している。政治家は第2波ではないとしきりに主張しているが、第2波だったら規制緩和を含め、コロナ対策がいい加減だったということになってしまうので否定しているが、第2波が始まったと考えて行動するのが私たちの正しい行いだろう。 最近の傾向としては、政治家や役人の言うことを聞いていたら殺されかねない、そう考えるのが自分たちの身を護るための必須要件となりつつある。いやな時代だ。 デモが終わり、「暇疲れ」にデモの疲れが重なったもののけっこう足取りは軽く帰宅した。活動再開のためにいろんなものをネットで購入したが、その費用の請求をし忘れていた。それが次の仕事である。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2020.06.26
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私の金デモのブログは2月14日が最後で、それ以降はコロナウィルス禍でずっと別の話題と休みが続いていた。外気の中の行事とはいえ、デモは繁華街を歩くので慎重にならざるをえなかったのである。3月11日がやってくるのでメモリアルイベントが計画されていたのだが、それもなしになった。やっとのデモ再開である。元鍛冶丁公園から一番町へ。(2020/6/12 18:17~18:38) 日中は仙台としては真夏のような気温だった。昼前に15分ほど歩いて歯科医院に行ったが、だいぶ汗をかいた。それでも、元鍛冶丁公園に向かう午後6時ころには涼しくなって、20分ほどの道のりで汗をかくことはなかった。 元鍛冶丁通りに入ると通行人が多くなったのでマスクを着用した。集会が始まったばかりの公園に着いて、顔見知りに挨拶をするなり「手を出して」とアルコールをと吹きかけられた。私がいつも吹きかける量に比べればずっと少なかったが、携帯用のスプレー容器ではやむを得ないのだった。コロナ禍が始まってすぐ携帯用スプレー容器を買ったが、噴霧量が少なすぎて誰も使わないまま玄関に放ってある。主催者挨拶では、デモの許可や公園の使用許可をもらうときにソーシャルディスタンスを守って行うように強く念押しされたとので協力願いたいという話があった。しばらくはコールはなしで、メッセージは録音したものを流し、これまでは3列で歩くデモは2列で行うということになった。 フリートークでは、6月14日開催の「女川原発2号機再稼働を止めよう!作戦会議」の案内があった。5月中旬にコロナウィルス感染の非常事態宣言が解除された宮城県では女川原発2号機再稼働の「地元同意」手続きに動き出すことが考えられるため、県内で原発問題に取り組む諸団体が集まって今後の運動方針について話し合うというのである。 そのため、定員130人の会議室を準備したが、50人ほどに参加者を限定して、それ以外の方には、「ZOOM」を用いてインターネットを通じて参加してほしいということだった。 15分という短い集会が終わって、40人の参加者はまだまだ明るい仙台の繁華街に向けて出発した。一番町。(2020/6/12 18:39~18:52) ここ3カ月ほどは、コロナウィルス関連のニュースがメディアに溢れていて、原発関連のニュースはあまり目立たなかった。目立たないからといって、重大な動きがなかったわけではない。 最も気になったニュースは、「福島原発の避難指示、未除染でも解除へ 国の責務に例外」(6月3日付け朝日新聞DEGITAL)という記事だった。 東電福島第一原発事故による放射能汚染地域に次々と避難指示解除を発して、原発事故をなかったかのようにしたい自公政府は、このままでは避難指示解除ができない高濃度汚染区域について除染をしていないままでも避難指示を解除できるようにする方向で最終調整に入ったとニュースである。もともと政府が定めた放射性物質汚染対処特措法は、汚染地域を除染することを国の責務と定めている。そのうえ、避難指示解除の要件は、①線量が年20mSv以下に低下する、②水道などのインフラ整備や除染が十分進む、③地元と十分な協議をする、というのが自公政権の方針として決められている。 年間20mSvという被ばく線量自体が、事故後に急ごしらえで作った無茶な被ばく量なのだが、それすら放棄しそうな勢いなのである。たしかに、将来人が住む見通しがないなどの条件を満たした地域を除染しないということらしいが、それでも帰還する人たちは高濃度汚染地域と隣接しながら暮らさなければならないのである。 このニュースに接して、かつて人が立ち入らない森林の除染を政府が放棄したとき、社会学者の赤坂憲雄さんが「山野河海(さんやかかい)を返せ」と主張したことを思い出した(2016年1月17日付け福島民報)。ほんとうに切実に思い出した。このブログで引用させてもらったが、もう一度引用しておく。 わたしは民俗学者である。だから、見過ごすことができない。生活圏とはいったい何か。人の暮らしは、居住する家屋から20メートルの範囲内で完結しているのか。もし、そうであるならば、民俗学などという学問は誕生することはなかった。都会ではない、山野河海[さんやかかい]を背にしたムラの暮らしにとって、生活圏とは何か、という問いかけこそが必要だ。 〔中略〕 除染のためにイグネが伐採された。森林の除染は行われない、という。くりかえすが、生活圏とは家屋から20メートルの範囲内を指すわけではない。人々は山野河海のすべてを生活圏として、この土地に暮らしを営んできたのだ。汚れた里山のかたわらに「帰還」して、どのような生活を再建せよと言うのか。山や川や海を返してほしい、と呟[つぶや]く声が聞こえる。 そのうえ、卑怯きわまりないことに「除染後に解除する従来方式と除染なしの新方式のどちらを選ぶかは、地元自治体の判断に委ねる」というのだ。故郷を捨てがたい思いにかられる人々に判断責任を押し付けるというのだ。自分たちは手を汚さず、被災住民が自分たちの責任で除染しない高濃度汚染地域に帰還することを期待しているのだ。 もう一つ、「やっぱりメルトダウンだった…東電幹部が「隠蔽」認める」(5月31日付け日刊ゲンダイDEGITAL)というニュースもあった。 東電福島第1原発事故が「炉心溶融」(メルトダウン)」という原発事故としては最悪の事故だったにもかかわらず、東電はその事実を認めることはなかった。そのことについて、東電の姉川尚史原子力・立地本部長が30日の会見で「炉心溶融に決まっているのに『溶融』という言葉を使わないのは隠蔽だと思う」と発言し、東電は炉心溶融であることを知っていたにもかかわらず隠蔽し続けていたことを事実上認めたというのである。 事故当初から、「メルトダウン」が起きているに違いないと多くの専門家は判断していたし、そう主張する人もいた。ごく少数の御用学者が「メルトダウン」は起きていないと主張していたが、まもなく「メルトダウン」は周知の事実となった。にもかかわらず、長い間東電はその事実を隠蔽し続けたのは、自公政府(通産官僚)との協働作業あってのことである。安倍政権の本質だが、科学的事実、法的正当性を権力によって暴力的に無視してきたのである。 東電はなぜ今頃になって「隠蔽だった」と公然と語り出したのか。事故から9年も経過して、責任意識が薄れ、あたかも〈時効〉によってすべてが免責された気分が彼らに蔓延しているのではなかろうか。自公政府が高濃度汚染地域の除染を放棄したいという意識を明らかにしたのも、いっさいの責任がチャラになる〈時効〉気分に浸っているためではないか。そんなふうに疑ってみる。 しかし、日本で起きた歴史上最悪の原発事故の責任に〈時効〉などありうるはずがない。まだ多く避難者が苦しんでいるのに〈時効〉など赦されるわけがない。多くの子どもたちが甲状腺癌に苛まれているのに〈時効〉などと思うことすら許されない。この原発事故で大きく揺らぎ傷ついた日本の科学・技術、いや世界の科学・技術はその歴史に深く事故の記憶を刻み込んだ。科学・技術に〈時効〉はない。青葉通り。(2020/6/12 18:54~19:05) デモの40人という人数はコアの人数(おそらく20~25人)よりは多いうえに、2列でソーシャルディスタンスを維持するのでデモの列は意外に長くなった。その列の最後まで写真を撮って、また列の先頭まで急ぎ足ときどき小走りで戻るのは意外と歩きがいがあるのだった。 明るい時間に元鍛冶丁公園を出発したデモが青葉通りの流れ解散地点にさしかかるころにはしっかりと夕闇に包まれていた。ときどき吹く風が涼しい。 コロナ禍の自粛で十分な休息だったはずなのに、じつのところ、この数日は疲労気味なのである。自粛のホームスティというのはそこそこ忙しいのだった。みんなで分担するはずの仕事を、会合自粛のため私一人で片付けなければならないという事態になっている。何もできないのだが、何もできないことを説明する文書が必要になる。3月以降は書類作成量が数倍に跳ね上がった。 夕闇の中を急ぎ足で帰り、明日の朝まで作成する約束の書類に取りかかるのである。疲れ気味だったはずなのに、意外に足取りは軽い。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2020.06.12
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