山行・水行・書筺 (小野寺秀也)
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
全1件 (1件中 1-1件目)
1
新型コロナ感染症による宮城県独自の「緊急事態宣言」とそれに続く「まん延防止等重点措置」の仙台市に対する発出のため、仙台の脱原発デモは長い休止を続けざるをえなかったが、ようやく5月14日に再開した。 今日は再開3回目の金デモだが、私にとっては再開初日になってしまった。5月14日の金デモは、ちょっと忙しくしていてさぼることになった。町内の高齢者のコロナワクチン接種申し込みのお手伝いをしようと、前日に町内会の役員数人で決めたのである。なにしろ3日後の5月17日から65歳以上の個人接種の予約が始めるので、急いで町内の高齢者の希望をまとめなければならなかった。それでも予約初日の朝9時半には町内の二つの医院へ希望者名簿を届け、予約を無事に済ませることができた。 次週の5月21日は、それなりに張り切って出かける準備をしていたが、直前に発熱して諦めた。疲れが溜まると数日間発熱するというよくあるパターンにはまった。たいした労働も人生も送ってもいないのにこうして時々疲れが出て発熱するのである。 元鍛冶丁公園から一番町へ。(2021/5/28 18:14~18:31) しばらくぶりの金デモなので遅刻しないように気を配って家を出たつもりが、元鍛冶丁公園に着いたらすでに集会が始まっていて、女川原発再稼働差止訴訟 今日(5月28日)、17人の石巻市民が原告となり女川原発2号機の再稼働の差し止めを求めて仙台地裁に提訴し、その原告の一人がスピーチしていた(河北新報ONLINE NEWS)。今日のブログのタイトルは、原告の一人、原信雄さんによる「「女川原発運転差止請求訴訟」を仙台地方裁判所へ提訴するに当たって」という副題のある挨拶文のタイトルをそのまま頂いたものである。 原告団はもともと2019年に宮城県と石巻市の避難計画には実効性がないとして再稼働に対する「地元同意」の差し止めの仮処分を仙台地裁に申し立てたが、地裁の判断は避難計画の実効性は争点ではないとして申し立てを却下した。仙台高裁も原告の即時抗告棄却した。 仙台高裁は避難計画の実効性には「相当程度の課題が残されている」ことを認めているのだが、原告の申し立てる原発の危険性は東北電力によるもので宮城県や石巻市の行為が直接の原因ではないとしていた。この仙台高裁の判断を基にして、原告団が差し止め請求の相手を東北電力としてあらためて提訴したのである。 さらに仙台高裁による避難計画の問題性の指摘に対しては、今年の3月18日に水戸地裁が日本原電の東海第二原発の運転差し止めを命じた判決がきわめて有力な反証になっている(朝日新聞DEGITAL)。水戸地裁は、「避難計画やそれを実行する体制が整えられているというにはほど遠い状態で、防災体制は極めて不十分」だとして運転差し止めを認めたのである。 ごくごく当然のことだが、原発を運転するためには事故時の避難計画が十分でなくてはならないのである。仙台高裁も宮城県も石巻市も避難計画には「現状ではなお相当の課題が残されている」ことを認めている。水戸地裁判決の論理は、女川原発2号機もまた運転差し止めとなるべき原発なのである。 金デモ休止前は集会もデモの時間もほとんど夜の内にあった。しかし、今日の集会開始の6時15分は十分に明るいのだった。6時30分に出発する30人のデモはほんのわずかずつ光が薄れていく仙台の中心街を進むのだが、カメラの絞りをどう変えればいいのかわからず、比較的開放に近い露出に設定してシャッターを押し続けた。どのように写るか自信はないのだが、今はいいソフトがあって後からかなりの修正ができるので、ソフト頼みの「いい加減」ということなのである。一番町。(2021/5/28 18:34~18:40) 2011年3月11日の東日本大震災とそれによる東京電力福島第1発電所の核燃料溶融・原子炉爆発事故以来、朝日新聞に掲載された朝日歌壇・俳壇の投稿作品の中から原発(事故)を読んだものを拾い上げてブログにまとめてきた。事故から10年も経てば、さすがに原発事故読む作品はだいぶ少なくなってきたが、この5月ごろに急激に増えた。 4月13日に政府が福島第1原発から出る放射能汚染水を海洋放出すると決定したことに対しての激しい危惧の念を表現する作品が次々と取り上げられたのである。そのいくつかを抜き書きしてみる。 原発に溜まる一方の「汚染水」を海に流すに「処理水」と呼ぶ (交野市)遠藤昭(5/23 永田和彦選) 「処理水の放出」と言い「汚染水の遺棄」とは言わぬ為政者は (観音寺市)篠原俊則(5/23 高野公彦選) 「処理水」の入った瓶を持つ総理両手に真白き手袋をして (観音寺市)篠原俊則(5/16 高野公彦選) 春水でありし日もあり汚染水 (八王子市)額田浩文(5/16 長谷川櫂選) 汚染水海に放つな初鰹 (東京都)橋本栄子(5/30 長谷川櫂選) 面白いことにほとんどの投稿者は「汚染水」と「処理水」をはっきりと見極めていて、政府や東電の意図を見抜いているように汚染水と表現している。政府が言うように処理水という言葉を使う時は「処理水」とカッコ書きにして疑念を顕わしているのである。 処理水とはALPS処理水のことだが、4月13日に経産省がそれを「処理途上水」という名称に変更したというニュースをおしどりマコさんのツイッターで知った。 東電福島第1発電所の放射能汚染水の70%が処理途上水、つまり処理していないのである。「処理水」という言葉で括っていい逃れようということはもう不可能になっているのである。もっともALPSそのものの性能は現在でもテスト段階なのだから、30%の「処理水」もALPSという装置を通って来たというだけで放射能除去が終わったという意味ではないのだろう。海洋放出の議論どころの話ではないのである。 ところで、朝日歌壇・俳壇をずっとフォローしているが、原発(再稼働)賛成、汚染水放出賛成という作品を見つけたことはないのである。短歌や俳句を詠む人はほとんど原発反対、環境汚染反対ということなのか、8人の選者の誰もがそのような作品を選ばないということなのか、あるいはその両方なのか。よくわからないが事実としてそうなのである。 産経新聞や読売新聞の短歌や俳句の投稿欄ではどうなっているか、少しばかり興味がある(そんな投稿欄があるかどうかは知らないのだが)。とはいえ、残り少ない人生の時間を産経や読売を読むことで費やするのはあまりにも惜しいので、そんな自分の興味は無視するしかないのだが………。青葉通り。(2021/5/28 18:44~18:46) 仙台の金デモはコロナ禍のため12月下旬~2月初旬、3月中旬~5月初旬の2回の休止期間があった。そして、これは偶然なのだが、胃の中に2個の早期癌を持っていた私は最初のデモ休止期間中の1月初めに入院して大きい方の胃癌を切除してもらった。さらに、2回目の休止期間中の3月下旬に入院して残りの小さい胃癌を除去してもらったのである。 内視鏡による除去手術では身体的負担はほとんどないのだが、2回もやるとなると気分は多少疲れ気味になる。というより、何となく病人らしくならないと申し訳ないような気分になるのだった。私としては、最近は異様におとなしくしているのである(などと言いながらひそかに山登りの準備をしているのだが)。 一週間ほど前に最終的な胃の検査をして病院から解放されたのだが、主治医から「2個できていたので3個目ができても不思議ではないのだが………」という言葉を贈られ、「やはり……」とだいぶがっかりしながら治療は完了したのだった。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2021.05.28
コメント(9)