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仙台は1週間ほど前に梅雨入りした(というニュースがあった)。たしかにそれ以降は雨が降っているが、私の記憶の中の梅雨ほどではない。感覚的には空梅雨のような気がする。だいたい、わが家の前を流れる広瀬川はほぼ渇水状態のままである。 かつては、身を亡ぼすのではないかと周囲が気を揉むほど鮎釣りに夢中になっていたが、最近はほとんど釣りには出かけない。広瀬川が「鮎の川」とは思えなくなったのである。それでも、川の渇水や濁流はとても気になるのである。 梅雨らしいのだが、今日もデモには良い日になった。元鍛冶丁公園から一番町へ。(2021/6/25 18:27~18:34) 元鍛冶丁公園には着いたのは集会が始まって7分ほど過ぎた後だった。30人の参加者に向けて話されていた東北電力株主総会の報告スピーチが終わりかけていた。原発を稼働していないけれども日本原電は黒字経営で、その日本原電を資金的に支えている東北電力が赤字というのは問題ではないかとという内容だった。 会場では、まもなく400回の達するみやぎ金曜デモについてのチラシ配布があった。7月23日午後3時から400回記念デモが予定されている。 脱原発みやぎ金デモでは、金曜の夕方に参加が難しい人のために月に1回を日曜昼の開催としていたが、逆に参加するのが難しくなった人などもいて、それほど効果的ではなかった。そこで、参加者の一人の発案で、金曜の12時から13時までフォーラス前で脱原発を訴えるスタンディングを自主的に行うのでぜひ参加してほしいという案内もあった。スタンディングは、さしあさって知事選まで実行する予定で、1回目は7月2日ということである。一番町。(2021/6/25 18:35~18:45) 私たちはそれなりに肩に力を入れて反原発、脱原発を主張し、訴えているが、日本の保守政権や資本家集団は原発(の利権)に固執している。世論調査などでは原発を否定する人たちが70~80パーセントにも達するが、それがなかなか選挙結果に反映しない。選挙の争点の分散化とごまかし、それに国内に張り巡らされた利権としがらみから自由になれる人は多くないということが理由だろう。 原発をめぐる構図は、ごくごく粗っぽく言えばそういうことなんだろうと思っていたが、それは少し違うかもしれないと思わせる記事があった。「経済界は「原発推し」かと… 能條桃子さんも驚いた」という6月21日付の朝日新聞DEGITALの記事である。 朝日新聞が年2回実施している国内の主要企業100社に対するアンケート結果にについて、若者に政治参加を促す活動をしている慶応大学院生の能條桃子さんに感想を聞いたという内容である。 アンケートは多岐にわたるが、そのなかで脱炭素のための電源について次のようなやりとりが記載されていた。――脱炭素に向けて重視する電源(二つまで)を聞くと、83社が「再生可能エネルギー」をあげ、「原発」は計11社。「原発」の「新設・建て替え」を選んだのは2社だけです。複数回答可でこの結果は、担当者としても驚きでした。 「全く同感です。エネルギー政策を議論する政府の有識者会議などで出てくる経済界の意見は『「原発」推進』が多く、私も『経済界は「原発」推しなのかな』と思っていました。実際には「原発」に利権がある一部企業が『必要だ』と言っているだけなのかもしれません。私自身、『核のごみ』の処分方法が確立されていないのに「原発」を使い続けるべきではないと思っています」 この記事で注目したのは、じつは能條さんの応答ではなく、日本の主要企業100社の中で電源として原発を選んだのが11社のみだということである。私が上に書いた日本の資本家集団が原発に固執しているという構図はどうも正しくないようだ。 日本で原発にしがみついているのは自公の政治家と通産官僚、それに一部の国策企業というのが正しい構図だろう。もちろん、利権構造のためにそこにぶら下がる金魚のフンの諸々もあるだろうが、大体そんなところである。資本主義としての社会構造は脱原発へ大きな運動量(モーメンタム)を獲得しているのはほぼ間違いない。 変化時間の問題はあるが、このような歴史的な運動量を反転しうるような社会的・物理的な機構はおそらく存在しない。青葉通り。(2021/6/25 18:46~18:50) 7月27日のコロナワクチン接種に向けて、解熱剤を準備した。今日の朝、厚労省かどこか聞き漏らしたが、テレビでワクチン接種後の発熱に効果ある解熱薬として4種ほど推奨しているというニュース(ただの話題?)があった。気にして聴いていたが、私が購入した解熱剤にはその一つが含まれていて、いちおうは安心したのだった。もっとも、その話題の最後で「たいがいの解熱薬は効きます」という意味のコメントがあって、4種を推奨する意味を自己否定して見せたので、ビックリもしたが、「バカか」とも思ったのである。厚労省(かどこか)がバカなのか、テレビ局がバカなのか、適当に聞いていたので断言できないが………。 1回目の接種で、発熱(微熱だがほぼ1日)、注射した左上腕部から右上腕部にかけての筋肉痛(2日間、注射部は3日間)の副作用があった。同時に接種した妻の注射部だけの痛みと比べると、私の副作用の方が大きい。辛くて我慢できないなどというほどたいしたことではなかったのだが、なにか2回目接種の副作用を暗示しているようで怖いのである(そうです、私は臆病なのです)。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2021.06.25
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新型コロナウイルスワクチンの第1回目の接種を6月6日に終えた。左上腕部の筋肉注射なので、当日は腕を上げ下げするのがいくらか辛かったが、翌日は注射部だけの痛みになった。ちょっと痛いだけの違和感が三日だけ続いた。熱も少し出た。平熱より1℃は度高い状態がほぼ1日ほど続いてから何とか治まった。 2回目に熱が出るという話をよく聞くが、1回目の方がひどかったという人もいて、よくわからない。妻も一緒に接種したのだが、まったく熱は出なかった。人それぞれのようである。2回目の接種は3週間後の6月27日である。少し心配している。 65歳以上の予約申込み初日にまとめて代行予約した町内の高齢者のワクチン接種も順々に行われているはずだ。おおむね75歳以上の高齢者たちなので、注射後の副作用やショックが心配なのだが、いまのところ本人たちからは何の連絡もない。とくに一人暮らしの人たちが気がかりで、医院にも見守りが必要な人がいたら連絡してくれるように頼んでいたが、こちらもたぶん1回目は無事に進んでいるらしい。 順調にワクチン接種が進んでパンデミックが終息に向かうことを願うしかないのだが、第5波の流行が見込まれると専門家が予測しているのにオリンピック・パラリンピックを強行するという自公政権の判断は明らかに常軌を逸している。 オリパラは中止せよ! 元鍛冶丁公園から一番町へ。(2021/6/18 18:17~18:31) 夕方になれば暑くも寒くもなく、まったくデモにおあつらえ向きのいわゆる「デモ日和」になった。明日はけっこうな雨が降るという予報だが、ここのところ金デモは天候に恵まれている。 元鍛冶丁公園には30人が集まっていた。スピーチの主眼は、やはり東北電力の株主総会の話題であった。毎年、「脱原発東北電力株主の会」が総会に対して質問書を出しているが、今年も114項目に及ぶ質問書を提出する。カーボンニュートラルに向けた長期的な方針と原発の関係という大きな枠組みの質問から、「特定重大事故等対処施設」の期限内の建設と運用可能性、東海第2原発を持つ日本原電との契約・支援体制などなど詳細かつ緻密な質問が並んでいる。 アベスガのような宇宙人語らしきものではなく、さしあたって日本語での回答を期待したい。かつての日本では幼稚園でも小学校でも日本語での呼びかけに日本語で答えるというのはごくごく常識的なことだったが………。一番町。(2021/6/18 18:32~18:37) 上にも東北電力が資金的に支援していると書いたが、その日本原電(日本原子力発電株式会社)は国の肝いりで原発建設、運転の先兵として電力9社が出資して設立した会社で、東海原発1、2号機(1号機は廃炉作業中)、敦賀原発1、2号機(1号機は廃炉決定)を建設・運転した。 この3月、水戸地裁は「実効性ある避難計画や防災体制が整えられているというにはほど遠い状態で、人格権侵害の具体的危険がある」として日本原電に東海原発2号機の運転を認めない判決を出した。 もう一つの敦賀原発2号機も、今や「風前の灯火」状態である。もともと敦賀原発2号機はその直下の断層が活断層であると原子力規制委員会が判定して原発を再稼働できないままになってていた。もちろん、活断層であれば原発を建設すること自体が許されておらず、廃炉にするしかないのである。 ところが、2020年2月に日本原電が規制委員会に提出していた審査資料を委員会に無断で書き換えていたことが明らかになった。アベスガ政権お得意の「改竄」である。政府中央の権力機構のやることをそっくり真似たのである。 その後の経緯をまとめた記事が6月16日付け毎日新聞電子版に「敦賀原発の審査資料書き換え 規制委の調査で見えてきたのは」というタイトルで掲載されている。有料記事なのが残念だが、「改竄」についての部分を引用しておく。 具体的には、こうだ。資料には、敷地周辺で掘削した地質データが示されていた。地層が固まっていない状態の場合、「未固結(みこけつ)」と記載される。つまり、地層が固まっていないと、断層が動いた影響だと考えることができるのだ。 当初は「未固結」と記載していたのに、後になって提出した資料では、地層が固まった状態で活動していない可能性を示す「固結」に書き換えたり、断層の動きをうかがわせる「粘土を挟在(きょうざい)する」という文章を削除したりしていた。こうした書き換えや削除は、計80カ所で確認された。 明らかに活断層を「活断層ではない」と見せるための改竄である。規制委員会といえども、さすがにこの改竄を無視することはできず、日本原電に立ち入り調査を始めたうえ、そのような改竄を行った理由と経緯の報告を求めた。 日本原電はこの3月までに報告書を提出する予定だったが、いまだ提出に至っていない。もっとも「なぜこのよう改竄を行ったか」、「誰が改竄を指示したか」という問いに正直に応えることは不可能だろうし、かといって改竄が明らかになっている以上、新たな嘘をつくことも憚られて、結局解答不能状態になっていると思われる。国会での自公政権の大臣答弁とまったく同じ状態になっている。 今後、どのように進展するか、記事にはこうある。 規制委の石渡明委員は、これまでの規制委の会合で「(書き換えの意図は)審査の科学的、技術的な内容の正しさと関わる」と発言している。日本原電が提出する報告書の内容次第では、敦賀原発2号機の安全審査の行方が再び見通せなくなり、再稼働はおぼつかなくなる。 報告書を踏まえ、規制委が書き換えが意図的なものではなく、資料を作成する上での不注意だったと判断すれば、安全審査の中で敷地内の断層が活断層かどうかが判断されることになる。書き換えの不適切さの程度によっては、原子炉等規制法に基づく規定で定める「品質保証」の基準を満たさない恐れがあり、日本原電が行政処分の対象になる。ただ、審査自体は同様に続くという。 一方「断層が活断層だという結論にならないよう意図的に書き換えた」と規制委が認めれば、活断層かどうかの判断以前に審査の打ち切りもありえる。 活断層であるという科学的結論によって廃炉を決定するというのがもっともシンプルで健全な解だと考えるのは私だけではあるまい。いずれにせよ、日本原電は当面運転できる原電を持たず、資本主義社会で営利を目的とする企業の資質・存在理由ををすでに喪失している。自公政権を中心とする原子力村にかろうじて支えてもらっている状態である。日本の経済がどんどん落ち込むことに大いに貢献しているのである。青葉通り。(2021/6/11 18:42~18:48) 私は、書く内容ごとにブログを三つも走らせているのだが、この頃なかなか更新できないでいる。とくに、食事や花や家族、ペットのことなど生活のささやかなことを投稿しているブログは更新がなかなか進まない。 今、わが家の食事のすべてを私が作っている。そうなると以前のようにたまに作るランチをブログにアップするという雰囲気は消えてしまう。毎日のまったく同じくり返しをブログに書く気が失せてしまうのである。115歳まで生きた義母の介護も終わった。一緒に山登りしていたイオという犬も逝ってしまった。書く話題がないのである。 いまはコト(コトラ)という牡猫がいて、いろんなことが起きているのだが、写真を撮らせてくれない(カメラを構えると警戒してしまう)こともあって、なかなかチャンスがない。すっかりコトに気に入られた息子はなかなかにいい写真を撮っているのだが、その写真を借りてブログを書くというのはなんとも面白くない。 もう少し長く猫と付き合ったらどうなるか………。猫が猫の顔してゐたり それだけのひとひ、小糠雨は降りつづき 笹井宏之『八月のフルート奏者』(書肆侃侃房、2013年)p.61 「それだけのひとひ」を歌人はこのように詠えるけれども、凡庸な私はブログで書き表すことなど到底できないのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2021.06.18
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東電福島第1原発の炉心溶融爆発事故は、ギュンター・アンダースが語る原水爆の『核の脅威』となんら変わらない恐怖を私たちにもたらした。原発と原水爆は、私たちの地球の未来、人類の未来に決定的に関与する脅威、人類のカタストロフィーを予言する。明日は ガスマスクつけて 町に出よう 見えないのを いいことに あたしの生殖機能を おかしくする 妖怪放射能が 充満しているこの島と あの半島の 原子力発電所は 再稼働を命じられている 戦闘服に綻びがあったら 命取りだ 冨岡悦子『反暴力考』(響文社、2020年)p.22 2021年4月に第54回小熊秀雄賞を受賞した冨岡悦子が上のように断じた世界は、原発がもたらした放射能の街が、原水爆投下後の町とまったく同じような恐怖を与えていることを意味している。現代は、東電福島第1原発事故以前、ヒロシマ、長崎への原爆投下やビキニ水爆実験を受けて次のように詠まれた世界と何ら変わらない。街の灯によごれたる虹立たしめてストロンチウム九〇の雨 篠弘『現代短歌全集 第十七巻』(筑摩書房、2002年)p. 229。街頭に連呼の候補者も民衆も放射能雨に濡るるを思え 窪田章一郎『現代短歌全集 第14巻』(筑摩書房、 1981年)p. 267。肴町公園から一番町へ。(2021/6/11 18:14~18:33) 最近、金デモの集会場所はほとんど元鍛冶丁公園となっていて、たまに肴町公園になることがある。そのため、間違えて元鍛冶丁公園に行ってしまうことが数回あった。今日は、「さかなまちこうえん、さかなまちこうえん」とわが老体に言い聞かせながら家を出た。 少し遅刻したが、スピーチの話題は東北電力の株主総会の話題が続いた。女川原発は東北電力にとって経営上のメリットがまったくなく、廃炉こそが健全な経営に必要だという話題や、東北電力の大株主である仙台市に株主として女川原発の廃炉を提案すべきという申入れを行ったことなどが話された。 仙台市は、原発は国策イッシュウだとして逃げ腰なのだという。地方自治を担いながら、そこに住む住民の安全、安心について意見が言えないというのである。来たるべき市長選挙ではよくよく考えなければならない、という締めくくりだった。 「列は2列で! 2メートルの間隔で!」とくり返しの注意を受けて、25人のデモは日銀仙台支店の裏の道を一番町に向かった。一番町。(2021/6/11 18:36~18:38) 「「完了」発表済み工事、76カ所が未完了 柏崎刈羽原発」 (6月10日付け朝日新聞DEGITAL)という目を引く記事があった。短い記事なので引用しておく。 東京電力は10日、柏崎刈羽原発7号機(新潟県)の再稼働に向けて今年1月に完了したと公表した安全対策工事で、76カ所の防火工事が終わっていなかったと発表した。同原発では1月以降、テロ対策の不備が相次いで発覚し、原子力規制委員会から核燃料の移動を禁じる是正措置命令を受けた。再稼働日程が白紙となったのに加えて、工事のずさんさも明らかになった。 (中略) 東電は昨年11月、7号機について、「今年6月の営業運転再開」を可能とする工程表を規制委に提出。今年1月13日には「工事が12日に完了した」と発表していた。しかし、1月下旬に中央制御室がある建屋の空調設備の設置工事が終わっていなかったことが判明。その後、火災感知器の未設置や配管貫通部の止水工事の未施工なども発覚。点検を続けていた。 このようなニュースが流れるたびに「東京電力には原発を運転する資格はない」という批判が溢れる。東京電力は自らの原発運転無資格の条件を次々開示していると言ってもいいくらいである。 このニュースをチラッと見たとき、東京電力は安全対策工事の手抜きを〈隠蔽〉したうえに、安全対策工事は完了したと原子力規制委員会に〈虚偽〉の報告をしていたのだと思ってしまった。〈隠蔽〉、〈虚言〉は原子力村住人の習い性なのでどうしてもそう思ってしまうのだが、読んでみるとそうではないらしい。 安全対策工事を行っていた東電は、その工事がすべて完了したと思い込んでそれを公表したのだが、その後になって76ヶ所の工事が未完了であることが分かって、あらためてその〈事実〉を発表したということである。 少なくともこの記事からは〈隠蔽〉や〈虚言〉があったとは読み取れないのだが、それはそれできわめて深刻ではないかと私は思うのである。〈隠蔽〉や〈虚言〉は、それが暴露されたときに正すことができる。 しかし、安全対策工事が不完全であることに気づかないままでいたというのは、関係する東電社員集団が揃いも揃って安全に対する認識や注意深さ、慎重さに欠けていたということではないか。それは、安全性に対する組織的な無能力の証ではないか。 そのような人間集団が柏崎刈羽原発を再稼働するということは、「安全に対する認識や注意深さ、慎重さに欠け」たまま運転するということになる。なんとも恐ろしいことである。 やはり、どう考えても東京電力には原発を運転する資格も能力もないと言わざるを得ない。青葉通り。(2021/6/11 18:42~18:48) 前のブログで岸原さやの「僕たちは生きる、わらう、たべる、ねむるへんにあかるい共同墓地で」という歌を引用して、「明るい共同墓地」で「ねむる」というイメージに驚いたことを書いた。墓で笑ったり、食べたりすることは祭祀としてはありうるが、私の中には墓地で「ねむる」というイメージはまったくなかったからである。この話題には続きがあったのだが、文章が長くなりそうな気配がして端折ってしまった。岸原さや歌集の次に読んだ別の歌集に、同じように墓地を読んだ歌を見つけてさらに驚いたのである。真夜中の墓地あたたかし どのつちの下にも生の時間が眠り 笹井宏之『八月のフルート奏者』(書肆侃侃房、2013年)p.63 「死は永遠の眠り」というのは使い古された凡庸な概念だが、ここで詠われている墓の下の「眠り」は明らかにそれとは異なっている。「生の時間」が眠っているだけであり、死者が眠っているというなどという単なる死の比喩的な表現としての「眠り」を超えているイメージがすごい。「生」は生のまま、ただ時間が止まっているだけなのだ。 墓地には墓石の数に見合った「生」がとどまっているのである。その無数の「生の時間」によって、誤解を恐れずに言えば、その生が集まっている墓地は「生」の息吹によって「あたたか」いのだ。私(たち)の古めかしい死の概念を一瞬にして乗り超える若い歌人のイメージにただただ驚いているのである(とても残念なことだが、作者の笹井宏之は12年前に26歳の若さで闘病生活を終えてしまった)。 老いて読書力が衰えた心にも新鮮な驚きを沸き立たせる作品に出合えることはまだあるのだ。読書はやめられない、たぶん死ぬまで………。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2021.06.11
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僕たちは生きる、わらう、たべる、ねむる、へんにあかるい共同墓地で 岸原さや『声、あるいは音のような』(書肆侃侃房、2013年)p. 92 最近、若い歌人の本を少しずつ読み始めている。1月と3月の短い入院にも何冊か持参した。上の一首は、その中の一冊から選んだ。現代歌人といえども、かなりの人は旧仮名遣いが多いのだが、少なくとも、私が読んでいる若い歌人たちはほとんどが新仮名遣いである(26歳という若さで世を去った笹井宏之は旧仮名と新仮名を使い分けていたが)。 いずれも軽やかな詠いぶりで、うっかりすると軽やかに胸のあたりを通り過ぎていってしまう印象があって、少し慌ててしまう。取り上げられる事柄も日々のささやかな事象のことが多く、ことさら強い感情や印象を与えないように作歌しているのではないかと疑ってしまうほどである。 もちろんこれは現代短歌に対する私の感受力の問題なのだが、それでも何度か読み返しているうちに次第に心の奥底に落ちてくるものを感じるようになる歌もある。岸原さやの一首はその最たるもので、「明るい共同墓地」で「ねむる」というイメージから生まれ、湧き立ってくる感情がある。もっともっと若い歌人たちの歌集を読み込んでいけば、少しはそのような感性に馴染んでいけるのではないかと期待している。 『声、あるいは音のような』には、福島第1原発の炉心溶融爆発事故がまき散らした放射能について読んだ次のような一首も収められている。 朝ひらく放射線量予測地図いびつな舌のその下にいる 岸原さや『声、あるいは音のような』(書肆侃侃房、2013年)p.86元鍛冶丁公園から一番町へ。(2021/6/4 18:15~18:35) 日中は強風が吹き荒れ、午後になって次第に強まる降雨とで脱原発デモができるかどうか危ぶまれていたが、午後5時半ごろから雨も風も急激に弱まってきた。元鍛冶丁公園で集会が始まるころには風はすっかりおさまって、雨は傘なしでもなんとかなりそうなほどの小雨になっていた。 6月6日には大阪で「老朽原発うごかすな! 大集会inおおさか」という集会が開催される。脱原発みやぎ金曜デモもこの集会にメッセージを送っていることもあって、今日の金デモはこの集会への連帯行動でもある。 スピーチは「老朽原発うごかすな! 大集会inおおさか」実行委員会の集会メッセージで始まり、2017年12月7日に起きた沖縄緑が丘保育園に米軍ヘリから部品が落下する事故について「なんでおそらからおちてくるの?」と題する活動報告とDVD上映会が開催(6月6日14:30~、エルパーク仙台セミナーホール)されるという告知、さらには宮城県が開催する「女川原子力発電所環境保全監視協議会」(6月8日13:30~、ハーネル仙台2階 松島)への傍聴参加の要請などに続いた。 20人のデモは、傘をさす人、ささない人それぞれで元鍛冶丁通りを一番町に向かった。一番町。(2021/6/4 18:36~18:45) 集会で朗読された「老朽原発うごかすな! 実行委員会」による集会メッセージは次のような言葉で締め括られている。 若狭の老朽原発から100 km圏内には、福井のみならず、京都、滋賀のほぼ全域、大阪、兵庫、奈良、岐阜の多くの部分が含まれます。このことと、福島原発事故では事故炉から約50 km離れた飯舘村も全村避難になったことを考え合わせれば、高浜原発で重大事故が起これば、何100万人もが避難対象になりかねないことになります。避難は不可能です。しかも、今、新型コロナウィルスの感染終息の兆しも見えません。この中で、超危険な老朽原発が稼働され、重大事故を起こしたら、避難のバスの中で、長期にわたる避難生活の中で、感染を防ぐことは不可能です。 水戸地裁判決を追い風として、老朽原発廃炉を勝ち取りましょう! 老朽原発廃炉を突破口に、原発のない、人の命と尊厳が大切にされる社会を実現しましょう!青葉通り。(2021/6/4 18:47~18:53) 傘なしでデモを歩き通したが、少しの間、カメラをジャケットの下に隠して移動したときもあった。雨に濡れた路面はカメラ的にはとてもいい。もっとも上手に写せればということだが………。 コロナワクチンの接種予定日が決まった。私はいわゆる「反ワクチン派」ではないので、当然のように受けるのである。個人のリスク(の確率)ばかりではなく社会集団のリスク(の確率)を考慮することも必要だと考えるからである。6月6日と6月27日である。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2021.06.04
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