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ホームステイしている高校生も今日で滞在二週間。林檎を食べている時に、実が透明になっているところがあって、透明とは英語で何というかという話になった。transparent。ではその反対の言葉は、とたずねたら、なかなか思い出せず降参。opaqueという。「では、transparentとopaqueの中間は?」半透明はtranslucent。語彙では負けない。だからといって英語を話せるわけではないし、会話にこんな単語を知っている必要はないだろうが。娘が今日あった卒業式の話をしてくれた。娘も卒業まで一年しかないのだが、どんなふうだった、とたずねたら、し~んという答えが返ってきた。厳粛ということかとたずねた。「そう、それ」こんなふうに高校生は英語と日本語を学んでいく。今夜は週末の余裕からか少し話ができた。 写真は梅。日の光が差し込んでくるところを撮れた。ちょうど積もっていた雪が一斉に溶け出して、雨のように降ってきた。
2008年02月29日
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今日は仕事が予定していた分がなんとか達成でき、気分がよい。自転車操業という言葉が今も使われているのか知らないが、とにかく止まれば倒れるという状況でいくつもの仕事をかかえながら頑張れていることをありがたく思う。身体的にも、経済的にも厳しいが、人生の中でひょっとしたら今はかなり恵まれているのではないか、とこの頃思えるようになった。もっともこう思えるのは、多くの人に支えられているからであり、不義理を多々重ねていることは心苦しい。 昔、軽自動車で高速道路を走っていたら、80キロを超えると、警告音がなり、車体が振動し始めたことを思い出す。今の車はそんなことはないのかもしれないのだが、今の僕の状態はその時のようだと思う。高速を走れないわけではないが、走ろうと思えば、160キロでも200キロでも走れる車が80キロで走るのとは違うわけである。余裕のなさは、時に不安にさせるが、一番左の車線を次々に追い抜かされながらでも走れないわけではないことはありがたい。 人からよく思われるために動いていないか、今していることは共同体(相手)にとって自分がなしうる最善のことか。気を付けていないとすぐに忘れてしまう。 藤澤令夫先生が亡くなられたのは、2004年の2月28日だった。葬儀にこられていた池田晶子さんも三年後に鬼籍に入られた(2007年2月23日)。
2008年02月28日
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今週になって初めて外に洗濯物を干せた、と喜んでいたが、天気が不順で小雨が降り出したり、ついには雪まで降り出し、せっかく出したものをまた部屋の中に干すことになった。 夕方、用事ができて郵便局(とはもういわないのか)へ。番号札を取って、待つこと一時間。前もこんなに時間がかかったのだろうか。窓口で仕事をしている人たちは、こちらの方を少しも見ず、悠々と仕事をしているように見えた。 いつどんな時でも待つことになってもいいように常に本は持ち歩く。今日は歯の治療の時、治療の合間の待ち時間に(医師は何人も同時進行で治療をする)、椅子の横のかごにコートといっしょに置いてあった本を「お取りしましょうか」とスタッフの一人が。待合室の週刊誌を手渡されるのが嫌だったが、向こうもこちらのやり口がわかってきたのか。『ニーチェ・セレクション』(渡邊二郎編、平凡社ライブラリー)。「ひとはやむをえざる必然的なものを、ただたんに耐える忍ばなければならないだけではなくて、それを愛さなければいけない」 運命愛についてニーチェが書いている箇所を少し読んだところで、また治療再開。この痛みもか… 郵政公社では中島義道の『観念的生活』(文藝春秋)。待ち時間は長かったが、あれこれ考えることができた。
2008年02月27日
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この数年、経済的に不如意なので、本もあまり思うように買えないのだが、今日は二冊本を買う。プラトンの『饗宴/パイドン』(朴一功訳、京都大学出版会)。研究室の先輩の労作である。激務の中で成し遂げられた業績に驚く。時間だけはたっぷりあるはずの自分が恥ずかしくなる。『パイドン』について去年あれこれ調べていたので、何か手がかりがあればと思う。プラトンの『饗宴』『パイドン』を訳した森進一先生、藤澤令夫先生は共に鬼籍には入られた。 朝、息子から沖縄に無事着いたというメール。今日出発するということは聞いていたので、安堵。 左近司祥子の『本当に生きるための哲学』(岩波現代文庫)に、まだほんの三歳の左近司亜が、母親が大事にしていたお皿を割ってしまったことが書いてある。この時、母の悲しそうな顔を見て、後悔を初めて経験したが、それだけではなかった。時間が不可逆だということもしっかりと体験した、という(pp.178-9)。誰も幼い彼女のために時間を後戻りさせることはできなかった。 アドラーは、個人の一回性(Das Einmalige)という言葉をよく使う。自分が他の誰とも違う独自なものであるという意味だけではなく(したがって、人の独自性は一般的な法則に還元できない)、時間的な意味がある。もちろん、言葉としては(einmal)当然のことなのだが。私、私の人生はただ一度きりであるということ。森有正は、だから「とり返しのつかないものだ」という(『バビロンの流れのほとりにて』全集1、p.109)。
2008年02月26日
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雪が降ると見慣れた景色が一変する。色も失われるからか、記憶の中の子ども時代にタイプスリップするような気がする。いつもこの道を通って学校に通っていた。雪が降った日は、いつまでも遊んでいた。あの頃、よく雪が降ったように思うのだが、その時、膝まで雪に埋まったが、ただ小さかったということなのだろう。本の中に書いたことがあるが、初めて通知表をもらった日に、算数の成績がよくなくて、帰り道何度も通知表をランドセルから取り出して見直したのもこのあたりだった。 朝、7時過ぎには誰もいなくなる。娘はホームステイしている高校生と出かける。僕にはどこにも出かけるところがないというふうにはようやく思わなくなった。
2008年02月26日
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今日はいつも日記を書く時間に『教育困難な子どもたち』(アルテ)の校正をしていた。3月の終わりに出版の運びになりそうで嬉しい。心筋梗塞で入院し、退院した後、最初に手がけた仕事である。もとの訳は最終章をのぞいて、長期にわたって日本アドラー心理学会の『アドレリアン』に連載したもので、今回、大幅に手を入れ、解説を加えた。これがアドラーセレクションの二冊目になる。 三冊目は目下翻訳中で(まだ、というべきか)、もう少しで最終章に入るところ。今日は調子がよく、昼から夕方までに常の二日分訳せたのだが、このペースでは間に合わないので、勤勉に取り組まないといけない。勤勉と書いて思い出したが、いつかアメリカ人の友人にdiligentという言葉が通じなかった。その人の仕事ぶりは勤勉そのものだったのだが。
2008年02月25日
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今日も横になって本を読んでいたのだが、近くで開かれている写真展に誘ってくださった方があって見に行くことにした。力作揃いで大いに刺激を受ける。その後、写真を撮りに行ったのだが、もう止むかと思って傘を持たないで出かけたところ、全身雪まみれになってしまった。 今夜も娘の友人が来訪。娘が四人いるようで、夕食は華やいだ気分で楽しかった。 認知症の世界的ネットワーク「DASNI」の代表、リン・ジャクソンはいう。「すべて起こることには意味がある。私が病気になったのも人びとに何かを伝えるため」「自尊心と生きる力を取り戻そう」(『私の体のまま抱いて』朝日新聞ニッポン人脈記班編、朝日文庫、p.126) 意味は見つけていくものだろう。その意味づけの内容は自分が決められるし、自分しか決められない。 写真は先週、自宅のベランダから撮ったもの。夕焼けが出ているのに、昼間の青がなお空に残っているのが不思議だった。この光はこの後すぐに消えてしまった。
2008年02月24日
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外は大変な天気になっているようで、今外を見たら雪が降っていて驚く。昨夜から不調で、今日はずっと横になって、寝たり、本を読んでいた。久しぶりに呼吸が苦しかった。右に向いたり、左に向いたり、輾転反側。思い悩んでいたわけではないが。 娘の友達が二人、今日から(明日も、か)泊まりにきている。ホームステイの高校生とともども楽しそうに過ごしている。 昨日、書いたことの続きだが、僕の場合は、心筋梗塞になり、翌年、バイパス手術を受けるまでに一年以上あってその間、生と死の問題を考え続けたように思う。最初に入院した日々が精神的にはかなり厳しかった。
2008年02月23日
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今日は疲れてしまって、写真を撮りに出かける機会を逸してしまった。 木田元の『反哲学入門』(新潮社)を読んでいてふと思ったのだが、病気を真正面から受け止めていけないわけはないだろう。木田氏はこの本の最初に胃癌が見つかって、胃を切った時のことを書いているが、死に直面しても、考えることが変わるというほどのことはなかったという。そんな意図はないとは思うのだが、変わらなかったことをむしろ誇りにされているような印象を受けてしまうのは、僕の読み方のゆがみなのか。生真面目に生きていいではないか、というようなことを今日は何度も考えていた。
2008年02月22日
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朝から快晴の天気になった。外に行きたいのを我慢して仕事をしていたのだが、10時前に出かけることにした。青空をバックに10枚ほど撮った梅の写真の中の一枚。まだ花を探し出さないといけないほど、少ししか咲いていない。 前に書いた原稿を読み返していたら、こんなことが書いてあった。「「君はそんなに人に嫌われるのが怖いか」といつか息子にいわれたことがあった」 一体、どんな流れでこんな話になったのか覚えてない。 沖縄に行くという連絡。もうずいぶん前のことになるが沖縄のことを調べていたら、なぜ今沖縄なのだ、と息子に問われたことがあったことを思い出した。一度しか行ったことはないのだが、いつか再訪できれば、と思っている。
2008年02月21日
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今日は昼間治療した歯が激しくいたくて憂鬱。昼間はそれほど痛くはなかったのだが。こんなことでしっかり考えられなくなる。 風は冷たかったが、暖かい日だったので、久しぶりに長くあちらこちらを歩いた。オオイヌノフグリが咲いていた。 長谷川宏の『高校生のための哲学入門』(ちくま新書)読了。最終章で、法学部から文学部に転部し、その後、大学院に進むが、大学紛争を経て、大学を離れた。しかし「形はどうあれ哲学の研究らしきものは続けていきたいと思った。続けられれば、それこそ上昇志向とは無縁の研究となるはずで、それを思うと、不確定な将来のことながらちょっぴり誇らしい気分になった」(p.205) 僕は「誇らしい気分」どころではなかったのだが、この後に書いてあったことも読んで、頑張らねば、と思って、コンピュータを持って原稿を書きに出かけた。入院中に考えていたことだが、シモーヌ・ヴェイユのプラトン論を引き合いにして、患者の快復後の人生について書き始めた。これは今書いている書き下ろし原稿のうちの一つ。
2008年02月20日
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電車の中で、ガイドブックを一生懸命読んでいる若い男性がふと目があって、思わず、話しかけた。ドイツからきたということがわかって、話すのは得意ではないのだが、少しドイツ語で話したら、驚かれた。僕が、例えば、ウィーンにいって話しかけたら、日本語で返ってくるほどには驚くほどではないと思うのだが。 英語で書かれた折り紙の本を送ってくださった人があって、夕食後、挑戦中。ホームステイ中の高校生がめずらしく笑う。鶴を一度も(never so far in my life ...)折ったことがない、誰も僕に折り方を教えてくれなかったら、といったら、笑われてしまった。この高校生も日本語を勉強しているので、日本語の表現についてあれこれ話した。 長谷川宏の『高校生のための哲学入門』(ちくま新書)を読んでいたら、遊びは実用的ではなく、その時々で完結(始めと終わりがある)し、持続する。その場かぎりの楽しみが味わえれば十分だ、と書いてあったが、積み重ねられることで楽しみが増す遊びがあるかもしれない。仕事もこんなふうであればいいのだが、なかなかそんなわけにはいかない。毎日、翻訳を続けるのは、つらい。原稿を書くのは僕には遊びに限りなく違いのだが、締切がなければといいたくなる。しかし、締切がなければ書けるのかは疑わしい。
2008年02月19日
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朝、雪が降っていてすぐに出かけることができなかったのだが、咲き始めた梅の花がどうなっているか気になって、小降りになったところを見計らって外に出た。日が照り出すと、木々に積もっていた雪が雨のように落ちてきた。梅の花弁に積もっていた雪もこんな水滴になっていた。
2008年02月18日
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この三日、いくつか予定が入っていて、日曜の夜にはとうとう疲れ果てて早くに寝てしまった。疲れの恢復に時間がかかるようになったが、これはしかたがない。仕事とそれから恢復するための休息の時間を確保するために、本当に大事なことをしかしないと決心して生きるのはいやではない。病気の後、主治医に仕事を選んでもいいのですか、とたずねたら、もちろん、そうしなさい、といわれた。仕事を選んでいたら何も仕事がなくなるのではないかという恐れは今もあるのだが、命を失っては元も子もない。今はそんなふうに考えている。 今日は、週明け、静けさを取り戻したので、書斎から再びダイニングにコンピュータを持ち出してきて仕事を始めた。 昨日は読書会。長らく読み続けてきた本を読み終えることができた。ホームステイしている高校生を誘うと参加するというので一緒に出かける。まだ漢字をほとんど知らないという段階なので、本を読めないのはわかっていたのだが、幸い、参加者が扱われているテーマについて質問するなどして、ほうっておくということにはならなくて、そのことが今の読書会のあり方を示しているように思えた。 長い時間寝ると夢もたくさん見る。もう30年以上会ってない、学生の頃、ドイツ語を教わった先生が夢の中に現れる。一度、講義の後、四条に出かけ、天丼をごちそうになったことがあった。あの頃の僕は先生方が、家にきなさいといわれたら、真に受けて自宅を訪ねることがよくあった。その時にいただいた本で、今も大切にしている本もある。ドイツ語の先生は、その後、新進気鋭の哲学者として、雑誌論文や著書を出し、ひそかに僕は読んだが、当然のことながら、若かったのである。その先生とさらに若かった僕が一体何の話をしていたのだろうか、と思う。
2008年02月18日
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アメリカの高校生がホームステイにきて今日でちょうど一週間。少しうち解けたか、というところである。夕食時に娘が疲れて起きてこられなかったが、今夜は三人で話し込む。常の生活では英語を使う必要はないので、言葉を見つけてくるのに時間がかかる。しかし、この話をする時に感じる難しさは、その言葉が外国語だからではなく、日本語であっても同じではないかとカウンセリングの仕事をするようになって痛感している。具体的にいえば、専門用語を使わないで、可能な限り平易に話す、そのまま文字化できるように話すということである。 昨日書いたのとは別の原稿は今月の終わりには書き終える必要があるのだが、まだ脱稿までにはほど遠い。題名なども当然未定だが、「生きる勇気」というテーマで書き進めている。この言葉は『生きる意味を求めて』の238ページに出てくる。 写真は、京都市の動物園で見かけた鷺。動物園で飼われているわけではない。スタッフがペンギンに餌を与える時に横取りしようとしていると思ったのだが、この写真を見るだけでは、そんなふうには見えない。見ている方角、角度が違うから。
2008年02月16日
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行き詰まっていた原稿があったのだが、編集者と話し合った結果、方向性が見えてきた。一人でかかえこんで二進も三進もいかなることが多いので、少しは成長したといえるかも知れない。助けを求めてもいい時はあるだろう。自分でしかできないことがあることを知っていれば。 目下、一体いくつの仕事を並行して進めていることか。毎日朝からキーボートを叩いている。 寒さで開花が遅れているようだったが、ようやく少し梅の花が咲き出した。
2008年02月15日
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娘たちは今日は入学試験があって学校が休みらしく、朝食を食べ終えると、それぞれ自分の部屋に入った。その後静かになったので、また寝てしまったのかもしれない。僕は11時前くらいまで仕事をしてから、久しぶりに近所の見せに本と辞書を持って出かけた。「お久しぶりですねえ」と声をかけられた。たしかにもうずいぶん長く行ってなかった。翻訳についていうと、仕事の手順が確立したので、コンピュータから離れると、効率が悪いことになってしまう。もちろん、コンピュータを持ち出せばいいわけだが、本や辞書などと一緒に持って行くと大きな荷物になってしまう。 効率という言葉を使ったが、実のところ、一つの文に使えて、何時間も先に進まないことがある。 朝、目が覚める直前に夢を見た。今日は講義をする日で、ネクタイをするなんてずいぶん久しぶりのことだ、と思っている夢。夢とわかって本当にがっかりしてしまった。 雪が降っているところを写真に撮ってみた。常に見慣れている景色が一変してしまう。写真の上半分は白黒なのに、池に映った木は緑がかっている、と指摘される。たしかにそんなふうに写っている。
2008年02月14日
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今日も歯科へ。週に一度、もうずいぶん長く通っている。歯科の治療では歯茎に打つ麻酔の注射がいつも痛くて嫌だったが、今はこの麻酔法を使わない。僕が痛いというまで歯を削り、薬を入れ蓋をすることの繰り返し。痛いだろうという予期不安と実際の痛みは血圧を上昇させる。僕が午前中の最後だったらしく、治療後、先生と話し込んだ。 昨日の写真は環天頂アーク(circumzenithal arc)ではないかと指摘をもらう。前にも見たことがあるが、今回は間近に見ることができた。 今日の写真は10日に近くの池で撮ったもの。薄い氷が張り、見慣れた光景が違ったふうに見えた。蓮は今はこんな様子だが、季節がめぐってまた花が咲くことの不思議。寒い冬に想像することは難しいが、実際のところ、明日のことでも想像することは容易ではない。なぜなら明日は「未来」であり、明日は決まっているわけではないから。
2008年02月13日
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昨日、動物園で撮った写真。虹だ、と大きな声を出した人があって、空を見た。これはcircuhorizon arcとかsundogと呼ばれるもので、虹ではないだろう。虹であれば、先に雨が降ったはずであるが、この日は晴天だった。またアーチになっていない。数分で消えてしまったので、気がつかなかった人は少なかっただろう。こういう時にカメラを持っていてよかったと思う。 『てつがくこじんじゅぎょう』(鷲田清一、永江朗、basilico)の中で、鷲田が、普通の本であれば100パーセントわからないと損をした気持ちになるが、哲学書は最初読んだ時に一割もわかったら許せるだろう、といっている。この本は鷲田と永江の対談なのだが、レヴィナスについて話し合われた時、「乱入」してきた内田樹は、これを受けて、「一割わかったら、金返せって言いたくなりますよ」といっている。9割もわかる実用書は本ではない、とも。「結局、情報じゃないんですよね。本から情報を得るんじゃなくて、わからないからこちらのシステムを組み替えていく」… わからない自分が悪いと読者は本当に思うのだろうか。僕はわからないことを書くな、と責められている気がすることがある。だからつとめてわかりやすく、少なくとも言葉の難しさはないようにしているのだが。他方、哲学の本は、どうしても読めばすらすらわかるというふうにはならないとも思う。書き方、言葉の問題ではない。哲学で取り上げられる問題について関心がなければ、理解は容易ではないように思う。 目下、ホームステイしている高校生はあまり自分からは話さないので、こちらが話しかけなければ、夕食の時も、沈んだ感じになる。今夜は娘が疲れたのか、夕食の時間に寝てしまっていたので三人で食事をする。常は英語を話すことなどないので、うまく話せない。
2008年02月12日
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今日は娘がホームステイしている高校生と遠くに行きたいというので、車で出かける。僕は仕事があるのでどうしたものか迷っていたのだが、昨日の夜、娘が母親に「おとうさんもいかはるな?」といっているのを小耳にはさんでしまい、驚いてしまった。直接、たずねたらいいのにと思ったからである。娘は、七宝焼きを体験できるところがあって、そこに行った後、近くの動物園に行きたいという。動物園は久しぶり。娘と最後に行ったのはまだずいぶん小さかった時のことだと思う。昔は動物園はきらいやったけど、と娘がいうのだが、昔か…二人がはしゃいでいた。少しずつ慣れていってくれたらいいのだが。 朝早く起きて仕事をして出かけたからか、帰った時はひどく疲れていた。もっとも娘たちも帰りの車の中で寝てしまっていたのだから、疲れても不思議ではないのだろう。
2008年02月11日
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雪が止み、日が照り出すと、木に積もっていた雪が一斉に溶け出し、雨のように頭から降り注いだ。もうすぐに開花するかと思っていた梅が、この寒さに震え上がっているように見えた。もちろんそれ以上に僕が震えていたのだが。 夜中に目が覚めてしまったが、吉田秀和の『永遠の故郷 夜』に引いてあるドイツ語とフランス語の詩を読んでいたら、またいつのまにか寝てしまったようだ。 ヘッセの「眠りにつくに当たって」という詩。Und die Seele unbewacht,Will in freien Fluegen schweben,Un im Zauberkreis der NachtTief und tausendfach zu leben 最後の一連。吉田は次の訳している。「そうして、魂は誰にも見張られることなく自由に羽ばたきつつ漂わんとしている夜の魔術の輪の中で深く、千倍も生きるために」 (unbewachtとNacht、scwebwenとlebenが韻を踏んでいる) 朝、遅くまで寝ていて、ダイニングに行ったら、アメリカの高校生がいて驚く。そうだった、一月いるのだった。
2008年02月10日
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今日はヴァイツゼッカーの研究会。僕の担当だったので、緊張する。木村敏先生に毎回、テキストの読み方を教えてもらっている。一人で読んでいると気づかないことが多い。 帰り、こんな景色を見ることもあまりないと思って鴨川の土手を歩いてみた。時間が遅く、雪もひどくこの一枚しか撮れなかった。 帰ってたら昨日の日記に書いた高校生がきていた。一月ほど滞在予定。娘が英語を話しているのを聞くのは不思議な気がする。どうしたらそんなに話せるの、と娘はたずねる。もちろん、僕は娘が思っているほど話せないのだが、話を膨らませるコツを娘に教える。むずかしいことではない。yes,noで答えられない質問をしてみたら、といっただけだが。 吉田秀和の『永遠の故郷 夜』(集英社)を手に入れる。何度か書店に寄った際に探したのだが見つからず、調べてみたら、まだ出版されてなかったのだった。今夜はこの本を読みながら眠ることにしよう。夜、よく眠れない日が続いたが、幸せな夢を見ることができるかもしれない。
2008年02月09日
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今日は、明日のヴァイツゼッカーの会の準備。アドラーの翻訳は6章まで完了。 明日から高校生がホームステイにくる。おととしにも一週間ほど滞在したが、その時は僕は検査入院とぶつかりあまり話ができなかった。その時はもう二度と会うことはないだろうと思っていたのに、再び、短期留学することになったその高校生がやってくることになって驚いた。この間、息子の部屋に泊まってもらうことになるが、僕の本があまりにたくさんおいてあるので、掃除をしなければならなかった。 カフカがミレナに宛てた手紙は持ってないのなら、カフカの日記なら持っている。「詳しく書くことを私は恥じるのだが、ちょっとしたことで私は、最近の訪問は、いつものようにたしかに愛らしく誇らしいものだったが、少し疲れ、病人を見舞う時のように強いられたものであるという印象を持った。この印象は正しいのだろうか? あなたは日記の中で私を嫌いになる何か決定的なものを見たのか?」(1922年1月18日、Kafka, Franz. Tagebuecher 1910-1923, Fischer Taschenbuch Verlag, S.347) その後、5月8日にもM.(ミレナことをカフカは日記ではこのように記している)やってきている(「M.がここにいた…」S.362)。カフカはこの二年後に亡くなった。
2008年02月08日
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今日はまだ2ページしか訳せていない。数日、調子がよかったが、朝早く目が覚める日が続き、少し疲れた。今朝も時計を見たら4時。寒いので起き出そうとは思わなかった。6時になると、皆が起きてくるのでそれまで何とか過ごす。救急車を呼ばなければならなかったのは、こんな寒い朝で、夜が明けていないちょうど今頃だったというようなことをぼんやり考えていた。 ナチス女性収容所で病死したチェコのジャーナリスト、ミレナ・イシェンスカーの伝記(M.ブーバー=ノイマン『カフカの恋人』平凡社ライブラリー)を読む。一時期、カフカの恋人だったことでも知られている。あなたの生命を与える力が必要だ、というカフカの言葉どおり、ミレナは接する人にただそこにいるだけで力を与えることができた。生きる時間は短いのに、死んでいる時間はなんと長いことか、とミレナはいう。死ねば時間がなくなるのだから、本当は、死んだ人自身には長くも短くもないのだが。とはいえ、時間がないということがそもそも想像できない。 息子から、フランス語とラテン語の本(余計な本を二冊付け加えたのだが)が着いたという連絡。一体何冊ラテン語の本を持ってるんだ、といわれる。今は勉強している時間がない。
2008年02月07日
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今朝は4時に目が覚めそれからずっと仕事。11時に歯科の予約が入っていたので、眠くなったが、我慢して起き続けなければならなかった。今、訳しているところは、アドラーにしてはめずらしく長い症例がとりあげられていて、興味深く訳している。近刊の『教育困難な子どもたち』も症例が多い。問題は、語られる早期回想が非常に難しいということ。オーストリアの人にドイツ語を学んでいたが、よくテキストを持って行って質問した。微妙に大学で学んだドイツのドイツ語とは違う。今度の本にはウィーンの方言で書かれたところもあって、たずねなかったらわからなかっただろう箇所がいくつかあった。 歯科は麻酔を使わないので、いつもながら怖い。痛みを感じるところまで削る。痛いといったらそこで治療が終わり、薬を入れて蓋をする。翌週神経が弱ったところで再び同じことを繰り返す。循環器科や心臓外科で受けた検査、手術を思えば、これくらいなんということはないと思いながら、いつも怖くてかなわない。 今日は山茶花の写真を撮ってみた。梅は寒い日が続くので、いくつか開花したものもあるが、依然、蕾は堅い。
2008年02月06日
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寒い日が続く。今朝は早く外に出て行ったのだが、霧がかかっていて日の光が十分でなく、思うような写真が撮れなかった。新しく開いた梅はなかった。 去年も今頃、毎日寒い、寒いといって過ごしていたのだろうか、と思う。過日、フランクルの本を読んでいたら、Begnadigungswahnという言葉があって僕の注目を引いた。恩赦妄想と訳すのだろう。最後の最後になっても、なお助かるかもしれない、と思うわけである。心筋梗塞と医師に告げられた時も、こんな気持ちがあったようにも思う。結果的には助かったわけだが、母が脳梗塞で病床にあった時も、どんなに病状がよくなくても、最後には助かるとどこか思っていた。ところが、ある日、主治医から生還はむずかしいと聞かされた。そして実際、助からなかった。こんなことがあってもなお絶望しないで生きていけるのか。その問いをつきつけられた僕は、その後、もしこんなことがなければ何も思わず生きていけたかもしれないのに、一年ぶりに大学に戻った時はもはや元の僕ではなかった。 『教育困難な子どもたち』のカバーのラフ案を見る。メールに添付してあったわけだが、表示された画像を見て、本当に嬉しかった。時間的には『生きる意味を求めて』を求めてよりも先に脱稿していたものである。
2008年02月05日
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ほころび始めた梅があって写真を撮っていたら、すぐ近くにほんの数輪だったが梅が咲いていることに気がついた。今年初めての梅。まだ手の届かない高いところに咲いていた。去年の今頃は写真を毎日撮るという生活をしていなかったので、梅の写真は二枚しかハードディスクの中に保存されていない。 アドラー・セレクション第2作の『教育困難な子どもたち』には図表があって、今夜はできあがった図表の確認をしていた。なお細かい校正が残っているが、それほど遠くはない将来に出版される。 梅の開花と本の出版を待つ日々は悪くはない。
2008年02月04日
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昨夜は眠りにつくぎりぎりまで仕事をしていたのだが、今朝は反動のように長々と寝てしまった。翻訳は後43ページ(しかない、というべきか)。8章までの本の、目下、長大な6章の途中。 どんなことでも始めるのは簡単だが、続けるのは難しい。ある日、ふいに情熱がなくなっていて、やりさしになったことは多々あって、そのことを思うと胸が痛む。 この頃は「生きる勇気」という言葉をキーワードにして原稿を書いている。今、訳している本にも出てきた。 「治療に際して若者は、父親が人生を台無しにしたのであり、自信も生きる勇気も奮い起こすことができない、彼に残されたことは、孤立して人生を悲しみのうちに過ごすことしかない、と絶え間なく訴えた」(Adler, Alfred. Menschenkenntnis, S.102)
2008年02月03日
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今日は朝、娘が模試があるといって早く起きたので、僕の早くから仕事に取りかかることができた。昼までには常の一日分ができというくらいの勢いだった。 翻訳は遅読の極みで、なかなか読み進まないが、その分、細かいところまで読み解くことができる。そうでないと訳せないともいえるが。とにかく最後まで訳していかないと全体的な調整はできない。それからの仕事も大変だが、プリントアウトした訳稿を目にすると達成感がある。 串田孫一が手紙の作法について書いていたことをふと思い出した(『串田孫一エッセイ選 Eの糸切れたり』平凡社ライブラリー、p.101以下)。友人に出すメールなら大きな問題はないが、しかるべき作法をふまえて書かないわけにいかないことも時にはある。そんな時は、冒頭後を置き、時候の挨拶をし、先方の安否をたずねるというような作法は知っておいた方がいいこともないとはいえない。 ところが、これをただただ忠実に守って書くと、「甚だ滑稽な手紙」ができあがる。ある出版社の若い女性がいつも典型的な手紙を書くので、それとなく会った時にたずねたら、その社では社長が入社してからは何年かは厳しく検閲し、訂正加筆をした後に、もう一度清書させて投函することになっていた。ルールなしに自由に書くことも実際にはできないだろうから、どこまで作法に従うかは難しい。作法や型から外れるのは、若い人の方が得意なように思う。 墨が溶けていくような感じに撮れたので載せてみたが、見る人は少ないようだ。
2008年02月02日
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朝、娘が寝言でくすくすくす、と笑う声で目が覚めた。友達が3人も泊まりにきていて、彼女たちは先に目が覚めていたのか、その笑い声に同じく笑い声で返したが、当の娘はまだ深い眠りの中にあって、後でそのことをたずねられても全然覚えてなかった。娘は、生きていることを楽しんでいるように見える。 今日は頭がまわらなくて火を通せばいいようなものばかり買ってきてしまった。 娘が帰り友達と一緒に帰ってきた。一人はもうすぐ我が家にホームステイすることになっているアメリカの高校生だが(既に来日していて別の友達のところに滞在している)、おととしの11月にもきているので、久しぶりの対面になった。カメラを持ってきたと聞いたけど、といったら一眼レフを入れた鞄を指して笑う。写真関係の言葉を調べておかないと話せないだろう。
2008年02月01日
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