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「天狗」の日記へのコメント、ありがとうございます。昨日は、皆様のところにお邪魔できず、失礼しました。天狗になってはいけない。そのとおりです。ただし、ブログでは若干お許しを。少なからず、ブログには自己主張の面がありますので。鞍馬天狗が天狗に…。なっているような、なっていないような。うぬぼれは、ピノキオを思い出しますね。天狗が1枚歯の下駄で歩けるのも、神通力かもしれませんね。山伏の火の祭り、拝見したい。鼻の高くない、カラス天狗の写真を、下に紹介します。流星が、なぜ天の狗か。なぜでしょう。天を駆けるから?伝わるうちに、変わりますね。本当に流星が落ちた場所は、たしかに災難です。今年は大変、皆様にお世話になりました。ありがとうございました。また来年も、変わらずブログを継続したいと思います。来年の今日の日を、また皆様と迎えることができますように。よろしくお願いします。【日記】 流星に 託す願い -天狗-
2008.12.31
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赤ら顔に、大きな鼻が特徴の天狗。天狗といえば鼻が特徴ですが、かつてはからす天狗のみでした。つまり高い鼻のない、くちばしのある天狗。もとをたどれば、天狗の正体は流星や彗星。流星,彗星を、中国では「天の犬(狗),ティエンゴウ」と呼びました。そして、流星の落ちる場所は、不吉な場所とされました。しかし日本に伝わったティエンゴウは、山の神,火の神として祭られます。さらには、山に住む鳶や鷹と、山伏のイメージが合わさって、天狗に変わります。次々と、その姿を変えた天狗。流星となり、天を駆ける天狗。流星に託す願いは、天狗への願掛け。神秘の力を信じる、私たちの願い。
2008.12.30
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「シーサー ふたたび」の日記へのコメント、ありがとうございます。シーサー、沖縄以外にも進出中ですね。一体だけおられるというかた、オブジェとしてというかた、お守りにいるというかた、魔除けとしてというかた、様々ですね。それでも沖縄特有の文化を、皆さんも強く感じられているご様子。シーサーは、中国から獅子が伝わり、変化したものです。しかし既に、特有の幻獣に変わっているでしょう。ガーゴイルにはない、やさしさや親しみがありますね。玉陵の古いシーサーの情報も頂きました。石に対する信仰。それは永遠への憧れかもしれません。瓦でシーサーをつくるのも、永遠の守護者としての位置づけかもしれませんね。戦争の悲しい歴史のある沖縄に、やさしいシーサー。シーサーには、二度と戦争をおこさない、強い魔除けとしてがんばって欲しい。戦争を繰り返さない。それは、私たちとシーサーの誓いでもあります。おいそがしいところ、皆さん、ありがとうございました。【日記】 やさしい気持ちを 笑顔にかえて -シーサー ふたたび-
2008.12.29
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シーサーにこめられた、感謝の気持ち。屋根に乗る、沖縄のシーサー。琉球王朝時代、王族,貴族,武士以外は、屋根瓦の使用は禁止されていました。その禁令が解けたのは、明治12年。屋根の上のシーサーの歴史は、意外と新しい。改築祝いの時、シーサーは作られました。屋根瓦を割って、漆喰でつなぎ合わされたシーサー。それは、屋根瓦職人と漆喰職人からの、感謝の気持ちの象徴でした。施主への感謝と、魔除けのため、屋根に乗るシーサー。そこには、温かい心がこめられています。シーサーのほほえみは、やさしい沖縄の人々の、こころをつなぐメッセージ。【過去の日記1】 屋根の上の孤独な勇者 ― シーサー ―【過去の日記2】 生と死の境界を見つめて ― 阿吽 ―【参考】 林 義勝,「十二支伝説」,PHP研究所,1993年,136P
2008.12.28
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いつも日記へのコメント、ありがとうございます。コペンハーゲンのキッチンマグネット、皆さん、見つけることができたでしょうか。私はグレイのマグとプレートを持っています。マグネットが強力です。年末、忙しいですね。私も慌しく東奔西走し、すっかりお返事が遅れました。すみません。それでも、時には夜空を見上げてください。自身の余裕がなさを、見つめなおす機会になります。星に思い出があるなら、なおさらでしょう。今年もブログで皆さんと、時間を共有できたことを感謝します。出会い、別れ、様々なことがあるブログ。100年に一度の激動の年を、来年も皆さんとともに乗り越えられますように。【日記1】 12月24日の思い出【日記2】 はかなく かすむから -オリオン大星雲-
2008.12.27
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夜空は、冷たく澄んで。冬の夜空に、大きく浮かぶオリオン座。その中央の三ツ星の下。縦に並ぶ三ツ星とともに、かすかに見えるオリオン大星雲。オリオン大星雲を、私に教えてくれた人。夜空を、いつも見上げていた人。あの人は、その星雲が好きだった。かすむように、見える様が好きだと言った。見つめなければ、消える様で好きだと言った。あの人は、儚さを愛した。冷たい夜空に、とらわれて。空から、あの人の、嘆く声が聞こえるから。もう星雲は、かすまない。あの人には、近すぎるから。星になった、あの人には近すぎるから。【参考】 オリオン大星雲
2008.12.26
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12月24日。この日を皆様も覚えておられるでしょうか。今日は、北猫さんの一周忌です。1年が経ちました。私にとっては、北猫さんのいらっしゃらない、長い長い1年でした。1年前の今日。私は十分に日記を書けませんでした。そのため、前日2007年12月23日の日記をリンクします。【過去の日記】 北猫さん・・・救いは、この日記へのコメントを下さった皆さんが、全員、今もブログを継続していること。あの頃の思い出が、今も継続されていること。北猫さんの、ご冥福をお祈りします。*昨晩は、再び忘年会。皆様のブログをお邪魔できず、すみませんでした。コメントのお返事も遅れています。遅れつつも、お邪魔しますので、ご容赦ください。今日の猫さんは、北猫さんが呼び名を考えた「ニャンモナイト」です。
2008.12.24
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「ピカソとランプ」の日記へのコメント、ありがとうございました。いきなりですが、SIR JAPANさんのご紹介くださったリンクの3枚目の写真が、ランプがピカソのウサギを捕獲した瞬間です。ご紹介ありがとうございました。●「写真集」ピカソはオブジェを食べられても、すぐに描けるから平気なのでしょう。それにその作品は、写真として姿を残しました。レオ0503さんからは、ピカソのダックスフントの絵のご紹介も頂きました。●「ダックスフントの絵」ありがとうございます。私もですが、ピカソと愛犬の関わりを意外に思う声が多くありました。巨匠ピカソの人間味を感じた気がします。ダックスフントは、穴にもぐるために短足・胴長となっています。今では狩猟より、かわいい家族としてすごす子が大半ですが。ダックスフントを飼っているかたもみえました。この話を聞くと、巨匠も「人」だと感じます。生き物を前にすると、人は素直になれる気がします。【日記】 芸術を支えた ダックスフント -ピカソと愛犬ランプ-・・・・・・・・・・・・・・・・・・・突然ですが、コペンハーゲンのキッチンマグネットのおまけが、ペプシコーラに付いているのを見かけました。マグカップとプレートの2種で、色が4色。合計8種類です。コペンハーゲン好きのかたは、気になるかもしれません。もちろん樹脂製で、陶器ではありません。意外にこの製品、ネオジム磁石が強力なのに驚きました。(結局、購入したらしい・・・)【ペプシ】 「コペン・キャンペーン」最後に、少し「陶磁器のブログ」のフリをしてみました。なにしろ、「キッチン雑貨」カテゴリーのブログなのですから。
2008.12.23
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巨匠ピカソの愛犬、ダックスフントのランプ。ピカソとその妻ジャクリーヌは、愛犬ランプと芸術活動の日々をすごしました。そしてその生活を撮り続けた、写真家ダンカン。ある日、ピカソは、ウサギを描きました。ウサギを切り抜いて、実物大のウサギのオブジェを作ります。ピカソ最新作の完成です。愛犬ランプはローマ育ち。ウサギを見たことがありません。そのランプの前に、ウサギのオブジェを差し出します。ランプはしばらくウサギを見つめ、そして無邪気にかみつきます。そしてジャクリーヌに見せるため、ウサギを運んでいきました。ピカソは拍手し、大笑いします。「ほら、あいつはウサギが好きなんだ!」ピカソの最新作が、犬に食べられた一瞬でした。ピカソと愛犬ランプは、17年の時をともにすごします。ピカソの作品にも、胴の長い犬がたびたび登場することになります。ピカソの芸術を支えた、愛犬ランプ。やがて訪れた、ピカソ旅立ちの時。ピカソの享年、1973年。そして、愛犬ランプの享年も、1973年でした。【参考】 D.D.ダンカン:「ピカソと愛犬ランプ」,ランダムハウス講談社,2007年,101P
2008.12.22
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「ダーウィン」の日記へのコメント、ありがとうございました。皆さんのコメントの中にもありました様に、私も文章が下手で、注意力もないという困った人です。なるようになる、というご意見、共感します。文章表現によっては、メールでも誤解を生みますね。これはブログも同じなので、悩みます。欠点は個性、それが長所になるのが興味深いとのご意見もありました。私も皆さんのご意見も参考に、まずは自分を信じてみたいと思います。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2年前にマスコミを騒がせた、崖っぷち犬。里親に引き取られたものの、散歩もさせていなかった里親から脱走し再び野犬化。その後、動物愛護管理センターで、なんとか生きながらえています。里親、そして殺処分の問題が、この事件でも提起されています。【崖っぷち犬】 「徳島新聞Web」そしてその一方で、「不要ペット回収車」で回収され、殺処分されるペット。下記のリンクには、回収車のニュース動画などがあります。途中のCM以降はご覧にならないのも良いかと思います。悲しくてなりませんから。【不要ペット回収車】 「個人のブログ:ニュース動画あり」私がたどることができたのは、この個人ブログまで。「転送可」とありますが、チェーン化しているため、私は転送を望みません。個人でお考えになる資料としてご覧頂き、リンクするとしてもなるべく情報源をたどってください。【日記】 いつのときも かわりはしない -チャールズ・ダーウィン-
2008.12.21
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あまりに想像を超えた出来事を前に、何をすべきか見失っていました。あまりに変化が早すぎて、何もできなくなりつつありました。しかし、常に、答えは自分自身にあるものです。チャールズ・ダーウィンが、進化論について記した本「種の起源」。爆発的に売れたこの本は、決して読みやすい本ではありません。ダーウィンは、文章が苦手でした。ダーヴィン自身、語ります。「私は自分の考えを文章で表現するのに、ひどく苦労する。 間違った意見や、へたくそな文章を書かせてしまう欠陥が、私にはある。 しかしそのおかげで、私は注意深さを身につけた。」ダーウィンが何度も注意深く読み返し、修正を繰り返した文章。それは読みやすくはなくても、読者に誤解を受けにくい文章でした。文章が下手な欠点から、ダーウィンは注意深さという長所を得ました。「種の起源」は、学術専門書ではありません。そのため、専門書に必要な引用も脚注もありません。一般向けの教養書「種の起源」は、専門家以外も読むことができました。一般向けのこの本は、専門家も惹きこむ内容を持っていました。こうして、文章下手のダーウィンから、ベストセラー「種の起源」が生み出されました。自身の欠点を知り、魅力に変える。どんな状況でも、それを越えてゆくのに必要なのは自分自身。欠点も、長所も、それらを含めて、自分自身。自分を知り、大切なものを忘れなければ、如何なる試練も越えることができます。何も迷うことはありません。自分が信じる「たしかな真理」を、貫き通せばよいだけ。如何なる苦難が訪れても、如何なる課題が課せられても、過去も、現在も、そして未来も、私たちを支えてくれるのは、「たしかな真理」に変わりありません。【過去の日記】 進化論とともに -ダーウィン展-【参考文献】 渡辺正隆:「一粒の柿の種」,岩波書店,2008年,197P
2008.12.20
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「絵馬 ふたたび」の日記へのコメント、ありがとうございました。皆様のコメントからも、クリスマス、そして年末を感じる時期になりました。眼病の神社を幾つかご紹介頂き、ありがとうございました。実は「絵馬に願いを」には、全国の社寺御利益案内も掲載されており、各神社のご利益も分かります。ご紹介しきれなかった、面白い絵馬もたくさんありますので、皆さんもご近所の神社でご覧ください。慌しい年末で、十分なコメントができずすみません。皆さんもお忙しい時期かと思いますので、体調には十分ご配慮ください。【日記】 消えるもの 消えないもの -絵馬 ふたたび-
2008.12.19
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絵馬にこめられた、人々の願い。日本には、様々な絵馬があります。来年の干支、牛。牛の絵馬にこめられた願いも様々。牛の絵馬のひとつの願いは、皮膚病の治癒。湿疹(くさ)を「草」に例え、牛に「くさ」を食べさせます。牛の絵馬の更なる願いは、家運隆盛。牛の力強さで、家運を強めます。そしてもうひとつは、学業成就。牛は天神様の使い。天神様に、学問成就の願いを届けます。私は、眼病の絵馬を探しましょう。「め」の文字が、向かい合って書かれた「向かいめ」の絵馬。眼の絵が、8個、16個と並ぶ「八つ目」、「十六目」の絵馬。八つあるのは、「病む目」の意味。人の目玉に似た「タニシ」の絵馬。タニシ(螺,ツブ)と、眼(ツブラ)をかけたもの。食べると眼が悪くなると信じられていた「イワシ」の絵馬。2匹のイワシを「×」の字に配し、イワシを禁じます。鮮度が落ちると眼が白くなる、「サバ」の絵馬も眼病平癒。丈夫なタコの目玉にあやかった「タコ」の絵馬。鳥目などの眼病を治す、「鶏」の絵馬。人の願いだけ、絵馬の種類はあります。散髪、入浴嫌い、縁切りや、夫と愛人の仲を裂く願いまで。物騒な禁酒の絵馬もありますが、これはいりません。風に揺れ、風雪に色あせる絵馬。消えてゆく、描かれた絵。そして、いつまでも消えない、人々の願い。【過去の日記】 問題は 信じることができないこと ―絵馬―【参考文献】 岩井宏實:「絵馬に願いを」,二玄社,2007年,125P
2008.12.17
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「除夜の鐘」の日記へのコメント、ありがとうございました。除夜の鐘に関しては、煩悩云々よりも、1年の区切りと考えるかたが多いですね。あの鐘を聞かないと、落ち着かない気にもなるのもたしか。さて、これも煩悩でしょうか。鐘をついたかた、鐘を聞くことがなくなったかた。様々ですね。横浜では、汽笛とともに除夜の鐘がなるそうです。除夜の鐘と欧米の贖罪の違い、かなりありますね。東洋の考え方はあいまいですが、それも私は良いかと思っています。苺の招き猫は人気ですが、高いと言う声も。物欲に支配される私の煩悩は、簡単には払えません。それも良いかも。(よくないですね。)寒くなり、霜も降る季節です。風邪には、お気をつけてください。そして年末は、このお話を思い出しながら、除夜の鐘を。【日記】 だれか 清めてはくれないか -除夜の鐘-
2008.12.16
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除夜の鐘で払われる、108の煩悩。人は六根に、煩悩を持つと言われます。六根とは、眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)。視覚,聴覚,嗅覚,味覚,触覚に、心の働き「意」が加わります。これで煩悩は6。その煩悩は、好,悪,平の3段階に分かれます。良い,悪い,どちらでもよい,の3段階。これで、6×3=18となります。これはさらに、清(清い),染(汚い)の2つに分かれます。それが、現在,過去,未来の3つに分かれ、18×2×3=108となります。程度を示す好・悪・平、質の清・染、そして時間。この分類は、私には不要にも思えます。いわゆる六根、人の感覚が問題なのでしょう。ふと、思います。もし六根のどれかが欠ければ、人の煩悩は一瞬に36も減るのかと。それに、意の煩悩は、無限にあるようにも思えてなりません。除夜の鐘は、107までは旧年中につき、残り1回は新年につくものでした。今ではそのしきたりも、変わっていきます。今年は「変」の年。これも大きな煩悩のひとつでしょう。煩悩に翻弄され、崩壊した今年の世界。だれか、この世界の煩悩を、一掃してはくれませんか。【除夜の鐘】 産経ニュース企画除夜の鐘 ※各地の除夜の鐘を聞くことができます。
2008.12.15
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「荼吉尼天」の日記へのコメント、ありがとうございました。荼吉尼天の話はとても複雑ですが、お稲荷様の裏話として頭の片隅にでも。豊川稲荷に限らず、仏教系のお稲荷様には祭られています。岡山県の最上稲荷もそのひとつ。皆さんも初詣の機会に、荼吉尼天を探されてはいかがでしょうか。日本で見られる神様の変化。やさしくなってゆく神様に、何か安堵致します。ご参考までに、今日は昔の七福神の日記もリンクします。どの神も変化していますので、興味がありましたらご覧ください。年末、お掃除など、皆さんお忙しそうですね。風邪やインフルエンザにもお気をつけて、明るい新年を迎えることができますように。「七福神」【関連日記1】 人とは違う生き方を ―布袋-【関連日記2】 悲しみを内に秘めて ―恵比寿― 【関連日記3】 もう血に飢えることはない ―大黒天―【関連日記4】 時とともに変わる ―毘沙門天―【関連日記5】 星のように消えてゆく ―福禄寿と寿老人―【関連日記6】 寒さに震える ―弁才天―***【日記】 夜叉から 姿と心を変え -荼吉尼天-
2008.12.14
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愛知県 豊川稲荷などに祭られる荼吉尼天(だきにてん)。荼吉尼天は、人の心臓や肝を喰らう夜叉。なぜ、この恐ろしい神が、お稲荷様に祭られるのでしょうか。人の死を6ヶ月前に予知できる荼吉尼天は、死人の心臓を貪り食う。荼吉尼天は、インドではダキーニと呼ばれていました。集団で死肉に群がるダキーニ。性や愛欲の神でもあるダキーニは、もちろん女神の姿をしていました。しかしインドから中国に伝わり、そこで大きな変化が起きます。中国には「野干(やかん)」という、空想上の獣がいました。野干は集団で死肉をむさぼる獣。そのそっくりな性格から、ダキーニは獣の野干に姿を変えます。中国で獣の野干になったダキーニは、日本に渡ります。もちろん、日本には野干はいません。そこで、野干に似た姿をした、狐に姿を変えました。そして、日本の稲荷信仰と結びつき、ダキーニは荼吉尼天となったのです。夜叉から幻獣に、そして狐に姿を変えた荼吉尼天。その予知能力は、農作物の吉凶を占う力に変わっています。本人さえも、予想外の変身を遂げた荼吉尼天。慈悲深い豊穣の神は、もう死肉を喰らうことはないでしょう。何も、変われないものはありません。【過去の日記】 まだ ゆるされるなら ―秋祭り―【参考図書】 正木 晃:「魔法の猫と魔女の秘密」,春秋社,2003年,252P
2008.12.13
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「お正月」の日記へのコメント、ありがとうございました。皆さんも実感されますように、最近のお正月は普段とあまり変わりません。忙しく年末近くまで稼動する企業が増え、年始も早々に業務を開始する所が多いことでしょう。注連縄も減り、門松はほとんど民家では見かけません。門松の切り口の形も変りましたが、それ以前に樹脂製門松もあります。日の丸を揚げる家も少なくなりました。神様の居場所もないことでしょう。その中で、魂を形どる御餅とお年玉は健在ですね。とはいえ、樹脂パックされた鏡餅は、かなり普及しました。また関東の角餅は独特です。この日記の更新方法は、賛同してくださる形もみえます。本来は個々にお答えすべきですが、あまりに多忙なかたの御返事方法としては、ひとつのスタイルかもしれません。ただし、十分に全ての人にお答えできない欠点もあります。また、ご迷惑をおかけするのを懸念して、この日記中ではコメントくださったかたのお名前は今回は書きませんでした。お名前は、どうすべきと皆さんは思われます?目は通院中ですが、今は落ち着いています。このまま無理をしなければ、大丈夫でしょう。これからも、よろしくお願いします。【日記】 清めも 再生も 許されず -お正月-
2008.12.12
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変わってゆく、お正月。お正月の慣習が、変わり、そして廃れてゆきます。12月13日の“すす払い”。この日に神棚などの掃除をし、心身を清らかに正月を迎える準備をします。掃除に使った箒は、立ててシメが張られます。元旦に井戸から汲む“若水(わかみず)”。元旦の井戸水は澄み、これを飲めば邪気が払われます。山で松を取り立てる“門松”。松などを山で取るのは、山の祖霊を家に運ぶため。門松は、祖霊、そして年神が宿る神木です。餅が丸いのは、霊魂を型どるから。お年玉も年霊、年魂を意味します。いずれも生命力の再生を図るもの。正月のあいさつ回りの代わりの“年賀状”。本来は、元旦に投函する年賀状も、年内に投函するようになりました。すす払いは、片付けるだけの大掃除に。若水を取ろうにも、井戸水はありません。門松を立てる家も減り、立てても店で買った門松。山の祖霊が、家に迎えられることはありません。買ってきた門松は、やがて単なるゴミとして捨てられます。中国から輸入された、注連縄(しめなわ)とともに。神を迎え、生命の更新を図るお正月は、まさに消えつつあります。若水で邪気も払えず、水道水の塩素に侵されていく私たち。変わってゆく正月は、病んでゆく私たちの姿。清めも、生命の再生も許されず、病んでゆくだけの、私たちの姿。【参考図書】 石井研士:「日本人の一年と一生」,春秋社,2005年,216P
2008.12.11
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「送りオオカミ」の日記へのコメント、ありがとうございます。すっかり返事が遅れてしまいました。すみません。悪いイメージのあるオオカミ。野いちごさん、LimeGreenさん、マグcupさんのおっしゃるように、童話との関連もあるかもしれません。もちろん、koi^^さんのオオカミにたくましさを感じるご意見も同感します。MasaGOnさんの様に、ニホンオオカミに興味を持って調べてくださったかたも見えます。marnon1104さんの、なぜ滅んだかというご質問。もちろん原因は人。毛皮の目的より、家畜を狙うオオカミが多量に駆除されたためです。いつから送りオオカミが、悪い意味になったかは分かりません。おそらくは、ニホンオオカミが滅んだ明治以降の近代だと思います。日記お休みの時は、たくさんの暖かいコメントを頂き、ありがとうございました。少し、ストレス発散させていただきました。ただし残念ながら、その間に、す~ぱ~はなちゃんのブログが突然に閉鎖されたようです。ブログを閉鎖なさると私のブログには書き込めませんので、その後のことは分かりません。どうされたのか、心配です。出会いや別れ、様々なことがあるブログ。残念なことですが、私はこれからもブログを続けます。これからもよろしくお願いします。
2008.12.10
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昨日12月7日は、二十四節気のひとつ大雪でした。大雪は、文字どおり寒さが増して雪が積もる頃です。寒さも一段と増したように思います。昨日の「送りオオカミ」の日記は更新が遅かったため、返事はまだ待っております。また本日は忘年会で、帰宅が遅くなりますので、お返事自体が遅れるかもしれません。年末で慌しくなってきましたので、ご容赦ください。大雪の寒さに負けず、皆さん、お体を大雪になさってください。【日記】 弁解も ゆるされず -送りオオカミ-
2008.12.08
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「送りオオカミ」という言葉があります。その言葉通り、ニホンオオカミには、人の後をついて来る習性がありました。ついて来る目的は、人を襲うためではありません。自分のなわばりに入った人間を、監視するためです。オオカミは、人の後をついて行きます。そうすると、他の野生動物は、オオカミを恐れついてきません。そしてなわばりから人が出ると、安心してオオカミは帰ります。まるでオオカミが、人を送り届けるかのようでした。山道の安全の代名詞だった、送りオオカミ。いつしか、それは良くない意味で使われるようになりました。しかしニホンオオカミには、それを弁解することはできません。彼ら彼女らが、最も恐れた人によって、滅ぼされてしまったのですから。人の後をとことこ歩く、やさしいオオカミ。送りオオカミの、悪口を言わないで。遠く聞こえる、犬たちの声。それは、もう送ることのない、オオカミたちへのレクイエム。【日記】 未確認生物の謎 ―狼の水かき―【参考図書】 市石博ほか,「生物を科学する事典」,東京堂出版,2007年,238P
2008.12.07
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「スズメ ふたたび」の日記へのコメント、ありがとうございます。スズメの寿命については、少々、誤解を与えてしまった様です。スズメは5~10年の寿命があります。しかし野生では、幼鳥の死亡率の高さもあり、平均寿命1.3年になります。空を自由に飛ぶ野鳥は、厳しい生活を強いられているのです。LimeGreenさんの、多くのスズメに囲まれた話は面白いですね。スズメは、仲間意識が強いのでしょうか。itchannさんも、スズメのにぎやかさには悩まされているようです。マグcupさんの庭には、雨の日もスズメが来るそうです。美夢たんさんが幼少の頃に保護したスズメ、救うことはできなかったそうです。自然の摂理なのかもしれません。スズメは弱いため、巣も屋根などに目立たないようにあります。レオ0503さん、お答えになりましたでしょうか。19万ヒットのお祝いも、たくさんいただきました。ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。【日記】 明日を迎える 喜びを -スズメ ふたたび-
2008.12.06
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スズメを見分けるポイントはどこでしょう。スズメに似た野鳥はたくさんいます。見分け方のポイントは、ほっぺたの黒い斑点。ほっぺに黒い斑点のある、日本の野鳥はズズメだけ。楽しそうに群れてみえるスズメ。しかし、その平均寿命は1年3ヶ月。野生の厳しい掟により、巣立ち後、半年生き延びる雛は10羽に1羽。しかし、スズメは卵から12日間で孵ります。そして、わずか2週間で巣立ち。もし1/10という低い生存率がなければ、たちまち街はスズメだらけになるでしょう。厳しい野生の掟。しかし、例えば蛾の卵から成虫になる確率は1/600。成虫になるまでに、大半がスズメなどに食べられてしまいます。スズメの雛への餌運びは、1日300回にも及ぶのですから。明日があるのは、当たり前ではありません。日々の時間は貴重です。あっという間の今年1年。そして、19万ヒットのニアピンは、レオ0503さんでした。みなさん、ありがとうございます。そして、きっとある明日も、みなさん、よろしくお願いします。 【過去の日記1】 追い続ける 憧れを - スズメ - 【過去の日記2】 近寄りたい 離れたい - 電線 -【参考図書】 安西 英明:「スズメの少子化,カラスのいじめ」,ソフトバンク,2006年,206P
2008.12.05
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櫛の日記へのコメント、ありがとうございます。アクセサリーに対する関心は、今も昔も変わりません。今ほどに、物があふれていなかった時代。櫛さえも贅沢品として、制限されました。それだけ、物が大切に扱われました。アクセサリーはファッションでもあり、コレクションでもあるでしょう。ただしPOMUOさん、私は櫛は集めていません。またhana♪1202さんと同感で、男性のマニキュアは私にも理解はできません。でも櫛なら。(笑)まぁちゃん613さん、櫛の秘めた力が分かるとよいですね。いつもありがとうございます。あまりの景気の悪化に、少し疲れ気味な私です。皆様のコメントを力に、前向きにがんばりたいと思います。これからも、よろしくお願いします。【日記】 人を操る 秘められた力 - 櫛 -
2008.12.04
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縄文時代から、使われてきた櫛。ミミズク土偶のミミズク頭は、櫛をつけた人の髪型といわれます。江戸時代、豪華になりすぎた櫛に、何度も禁止令が出されます。1704年(元禄17年)、金銀を使った櫛が禁止されます。1743年(寛保3年)には、大型化し、金銀、蒔絵まで装飾された櫛が禁止。しかし、その禁令もおしゃれに目覚めた女性を止めることはできませんでした。幅21cmまで大型化した櫛に対し、さらに禁令は出されます。1824年(文政7年)、1825年の禁令。そしてついに、1826年には、禁令違反で芸者22人が処罰されます。その後は、幅10.5cmの小型な月型櫛に変化します。縄文時代、櫛は霊力や呪力を宿ると信じられました。その霊力に操られるように、江戸時代の女性は櫛飾りに狂騒しました。身を滅ぼすかもしれない、禁令を無視してまで。そして現代。髪飾りとして、櫛が使われることは減りました。1万年の時を経て、縄文から続くその霊力は、ようやく、その力を失いつつあるのかもしれません。【ミミズク土偶と古代の櫛】 埼玉県立川の博物館【参考図書】 露木 宏:「日本装身具史」,美術出版社,2008年,219P
2008.12.03
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落雷へのコメント、ありがとうございました。いきなりですが、その前の「どんぐり」に頂いた、レオ0503さんのコメントが気になっています。どんぐりを近所の店舗に持ち寄ると、植樹につながるそうです。みなさんの近隣のお店も対応していそうですので、緑化活動はいかがでしょうか。レオ0503さん、ご紹介、ありがとうございました。○「どんぐり銀行」では、「落雷」のコメントです。色々なご質問がありましたので、今日は回答コーナーと致します。●すーぱーハナちゃん:「どうして、くわばら?」 菅原道真の直轄領は、京都府の桑原でした。 死後、道真は雷神に姿を変え、藤原氏への恨みをはらそうとしたと言われます。 そこで、「ここはあなたの土地、桑原ですよ。雷を落とさないで」という意味で、クワバラと唱えたとか。 ただしこれは、諸説ある中の一説です。●ザビ神父さん:「避雷針を避けて雷は落ちる?」 避雷針を避けはしないかと思いますが、高層ビルでは避雷針に落ちず、ビルの側壁に落雷が発生して問題になっています。 また避雷針が、雷を引き寄せることはあり、落雷範囲には数百メートルのばらつきがあります。●LimeGreenさん:「男性の方が雷に打たれやすいのはなぜ?」 さて、どうしてでしょう。 男性の外出が多いのか、背が高いからでしょうか。●じゃここうこさん:「最近雷が多いのは?」 近年、落雷が増加していますが、原因は不明。怖いですね。●takanori6466さん:「雷おやじにも2箇所の出入り口がある?」 雷の威力が弱いので、恐れるに足りません。 雷おばちゃんなら要警戒。●kopanda06さん:「なぜおへそを隠すの?」 雷様はへそから魂を奪うと言われました。 また身を低くする姿勢がおへそを隠すようだとも、お腹を冷やさないようにするためとも言われます。最後に変な人が飛び入りですが、回答でした。ともかく、雷は怖いもの。くわばら、くわばら。【日記】 くわばら くわばら おへそを隠せ -落雷-
2008.12.02
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今日は、私の天敵、雷のお話。雷は、一度落ちたところには、二度と落ちない。これは大きな過ちです。むしろ雷は、同じところに何度も落ちやすいもの。落雷の被害にあいやすい家電製品。それはパソコン、テレビ、電話、エアコン、給湯器。共通点は、雷の電流の出入り口が2箇所以上あること。パソコンは電源から雷が入り、LANケーブルに抜けます。テレビは電源から入り、アンテナへ。電話も、電話線へ。しかし昔の黒電話は、電話線のみで電源不要なので雷に強い構造。エアコン、給湯器は、アース線に雷が抜けます。車の中は安全ですが、金属部品に手を触れると感電します。また窓から車内に、雷が飛び込んだ例もあります。高い木、軒下での雨宿りは厳禁。木や壁からの側撃を受けてしまいます。鉄筋コンクリートでできた家の中は安全。貴金属を身につけていても、露出していなければ安全。しかし傘は樹脂製でも落雷しやすい。なぜなら雷は少しでも高いところに落ちるから。金属を気にするより、高いところから逃げるべき。全国的には夏に多い雷。しかし日本海側では、冬に多くの落雷があります。そして今、雷の年間落雷日数は増えつつあります。年々増加する落雷と、温暖化との関わりは不明です。雷が鳴ったら、探してください。背を低くし、はうように、よろよろと、建物の中に逃げ込む人がいたら、それが、きっと私です。【過去の日記】 コパンダは 電気うなぎの夢を見るか? ―感電―【参考図書】 妹尾堅一郎:「雷の科学」,日刊工業新聞社,2008年,147P
2008.12.01
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