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夢を持ちながら、それを捨てざるを得ない時。昨日のウォルター・ロスチャイルドの話は、天才的奇人が生み出した科学の金字塔として終えることもできます。しかし、どうしても、ある事実に触れなくてはなりません。兄ウォルター・ロスチャイルドは銀行家としては務めを放棄し、夢に走りました。そのため、そのツケは弟に回りました。弟チャールズ・ロスチャイルドも、新種のノミを発見するなど、昆虫学・熱帯医学に深い関心を持っていました。しかしチャールズは、兄よりロスチャイルド家の家長としての自覚があり、昆虫学への興味を断念します。それは家のため。兄のため。その後、父ナサニエルの死により、チャールズは天文学的な相続税負担を背負います。さらに時は、第一次世界大戦中。全世界に広がったロスチャイルド家の財産は各国から狙われ、財産の回収さえままなりません。その難局を、チャールズはひとりで乗り切らなくてはなりませんでした。銀行経営に関心のない兄ウォルターの支援は、望むべくもありません。昆虫学者の夢を捨て、不器用に銀行経営に遁走するチャールズ。しかし国家も、時代も、彼に味方はしませんでした。1923年、ついにチャールズは、自宅で自らの命を断ちます。ロスチャイルド家を支える重圧に耐え切れず選択した死。その死は科学雑誌「ネイチャー」にも、「昆虫学・熱帯医学のはかり知れない損失」として発表されました。兄ウォルターが、弟を支えることができたなら。そう思わざるを得ません。ひとりの夢の追求が、他のだれかの犠牲を強いるとするならば、わたしたちは、何を求めて生きればよいのでしょうか。【昨日の日記】 「変わり者 そして天才 ― ウォルター・ロスチャイルド ―」【参考図書】 小山慶太:「道楽科学者列伝」,中公新書,(1997年)205P
2008.10.31
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世界に名だたる大財閥ロスチャイルド家。19世紀、急成長したロスチャイルド家は、自らの財産を守るため、一族の半数を超える近親結婚を繰り返しました。近親結婚は、時には天才、時には奇人を生み出しやすいと言われます。そして生まれたのが、まさに天才的奇人ウォルター・ロスチャイルド。ウォルターは、ロスチャイルド家5代目長男。財閥の跡継ぎたるべき彼は、銀行経営に全く興味を示しません。彼の興味は動物学。異常なほどの動物コレクションを彼は始めます。莫大な財産を使い設立したトリング博物館。個人のコレクションながら、一般動物標本7,500、学生用標本305万、蔵書3万冊。ロンドンの郊外に、ガラパゴスのゾウガメを144匹も飼ったことでも有名です。ロスチャイルド家には、ふさわしくないウォルター。彼の父ナサニエルは絶望し、1908年ウォルターを銀行から解雇します。一族の疫病神となった彼は、父から無視され、しかし嬉々として動物学にますます傾倒していきます。彼は王立協会会員に選出、英国科学振興協会動物部門会長、そして大英博物館評議員を30年勤めます。彼は1,200の論文や書物を書き、5000の動物の新種発見に関わります。そして、250種もの新種の動物に、ウォルターの名が冠せられました。例えば、5本ツノのキリンにもロスチャイルドの名が与えられます。そのため、ケニアでロスチャイルドの名を名乗ると、「キリンと同じ名ですね」と言われたというほど。科学の新発見に、250もの名を残す人物は多くはありません。ロスチャイルド家の、ひとりの天才、ひとりの奇人の物語。【参考図書】 小山慶太:「道楽科学者列伝」,中公新書,(1997年)205P
2008.10.30
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夜空に忽然と輝くほうき星。1682年、イギリスの天文学者エドモンド・ハレーは、夜空に現れた巨大彗星に注目しました。過去の観測記録との照合から、その彗星の回帰周期を割り出します。その周期は、76年。後にハレー彗星と呼ばれる彗星でした。何度も地球に接近したその彗星は、地球の歴史を見てきました。紀元前の史記にも記録を残し、バビロニア文明も見てきました。日本書紀にも記録を残し、礼拝堂の壁画にも描かれます。人々の歴史を見てきたハレー彗星。その周期は、76年。あまりに長すぎるその周期。エドモンド・ハレーは、次の接近を1758年と予測しました。しかし、彼はその最接近を見ることなく、85歳で没します。再接近まで、あと16年。とても無念なことだったでしょう。次の地球接近は、2061年夏。その時、ハレー彗星は何を見るのでしょう。ただひとつ言えるのは、わたしはその彗星に、きっと再会することは、もう“ない”ということ。
2008.10.29
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緊張の緩和には、時にはごまかすことも必要かもしれません。密教で僧が祈願する時に焚く護摩(ごま)。その時、僧はどんな願いも、それらしく祈願します。だから適当なことを、「ごまかす」と言います。江戸時代、「胡麻胴乱(ごまどうらん)」という胡麻菓子がありました。この胡麻菓子、見かけは大きく、中は空洞。だから、だますことを「ごまかす」と言います。おや、語源が2個ありますね。祈願してもらえば幸せに、お菓子を食べても幸せに。どちらも幸せで、よさそうです。そんなこんなで、語源もごまかし。昨日のコメント遅れも、ごまかし、いえ、うやむやに。(すみません、帰宅が遅く、コメント遅れています。かならずコメント致しますので、ご容赦ください。)【過去の日記】 「禅問答 - うやむや -」
2008.10.28
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雨の日は、映画鑑賞もよいでしょう。昔のSF映画に「2001年宇宙の旅」がありました。当時は画期的だったあの映画に、コンピュータ「HAL(ハル)」が出てきます。今は広まったHALの名前。それは、メーカIBMの一歩上を行く意味でつけられました。つまり、Iの前はH、Bの前はA、Mの前はL。IBMの一歩前は、HALでした。日本でも、複雑な由来を持つ名前は非常に多くあります。たとえば、へちま。なぜへちまを感じで、「糸瓜」と書くか、考える不思議です。繊維が糸の様に丈夫なので糸瓜。漢字は分かりますが、「へちま」とは読めません。昔、糸瓜(いとうり)は、略されて唐瓜(とうり)と呼ばれました。そして「と」は、いろはで「へ」と「ち」の間(ま)にあります。つまり、「と」は「へちま」です。こうして、糸瓜は「へちま」と読まれるようになりました。えっ、これでは「へちまうり」ではないかですって?それは、触れてはいけません。
2008.10.26
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観光シーズン、古墳をご覧になられるかたはご注意を。宮内庁が天皇陵としている古墳。それらの大半が誤りであることは、以前も日記に書きました。さらに神武天皇陵の様に、明治政府が作り上げた古墳もあることも。最も残念なのは、単なる自然丘を天皇陵としているもの。これらは古墳ですらありません。「実は古墳ですらなく自然丘の天皇陵」3代 安寧(あんねい)天皇陵: 奈良県橿原市吉田町4代 懿徳(いとく)天皇陵: 奈良県橿原市西池尻町5代 孝昭(こうしょう)天皇陵: 奈良県御所市三室博多山6代 考安(こうあん)天皇陵: 奈良県御所市玉手宮山7代 孝霊(こうれい)天皇陵: 奈良県北葛城郡王寺町本町25代 武烈(ぶれつ)天皇陵: 奈良県香芝市今泉32代 崇峻(すしゅん)天皇: 奈良県桜井市倉橋44代 元正(げんしょう)天皇: 奈良県奈良市奈良阪町弁財天47代 淳仁(じゅんじん)天皇: 兵庫県南あわじ市賀集岡ノ前50代 桓武(かんむ)天皇: 京都府京都市伏見区桃山町永井久太郎これらは単なる自然丘ですので、ご覧になるとがっかりすることでしょう。天皇陵は常緑木を植えますので、紅葉すら楽しめません。そして他にもあやしいものはあります。宮内庁管理の天皇陵は、それなりの管理費が必要です。自然丘を管理する宮内庁。管理されず破壊されていく真の古墳群。宮内庁は学術調査を推進し、守るべきものを守るべきでしょう。古墳を観にいく人はいないよと、声が聞こえてきそうな今日の日記でした。【過去の日記】 「今は21世紀、真実の時代 - 天皇陵とは何か -」【参考図書】 佐藤 實:「別冊歴史読本52 図説天皇陵」,新人物往来社,(2003年)216P
2008.10.25
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馬頭観音が伝える、動物と人の物語。馬頭観音には、いくつかの種類があります。「馬頭観音」と文字が刻まれた碑。観音様の頭の上に小さな馬頭を乗せた馬頭観音。そして私が良く見たのは、頭が馬の観音様。首から上が馬のキメラな姿。その異様な姿には、子供の頃は恐怖すら感じました。馬頭観音は、その役目も違いがあります。路傍に見る馬頭観音。これは牛馬の無病息災,長寿,安産を願うもの。大切な輸送手段として、馬を大切にした人の願い。峠道にある馬頭観音。もしその馬頭観音に「水青 安政三年」などの文字があれば、それは馬の供養塔。山中で馬が倒れれば、その巨体は運ぶことができません。里人と協力し、その場で解体して里に運ぶことになります。家族同様に、馬と語り合ってきた馬方。その愛馬が解体される姿は、見るにしのびません。せめてもの供養にと、馬方は峠に馬頭観音を建てました。馬頭観音は、馬と馬方の友情の記念碑。永く峠に立ち続ける、人の動物への愛情のなごり。【参考】 「馬頭観音」【参考図書】 外山晴彦:「野仏の見方」,小学館,(2003年)158P
2008.10.24
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最近、話題の八百長。明治時代、大変に囲碁の上手い人がいました。その人の囲碁の相手は、大相撲の伊勢ノ海五太夫親方。その人は優れた囲碁の実力を持ちながら、ご機嫌取りのために、その親方にはわざと負けていました。その人の名は長兵衛。職業は八百屋でした。八百屋の長兵衛。いつしか人は、手を抜いたり裏で仕組んだ試合をすることを、八百長と呼ぶようになりました。100年以上の時を越え、ふたたび話題の八百長。長兵衛さんは、日々のニュースで名前を連呼されています。ほんのささいな手抜きのため。じっとそのまま、眠ることも許されず。
2008.10.23
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古九谷焼の産地は、いまだに揺れています。1991年、東洋陶磁学会は、伝世古九谷は初期の伊万里焼との見解を示しました。つまり古九谷焼は、石川県で作られたのではなく、佐賀県の有田で作られたとされました。理由は、次の2つです。1.有田の窯跡から、古九谷焼に似た破片が出土すること。2.古九谷焼の土の分析結果が、有田の土と一致すること。また九谷古窯1、2号窯跡,さらには九谷A遺跡が石川県で発見されています。しかし例えば2号窯では、九谷焼の磁器は焼くことができないといわれます。それでも今日の本「古九谷の神秘」の著者の様に、「古九谷焼は石川産」を支持する人も多くいます。九谷焼は石川県。九谷焼の長い伝統は、今更、有田と言われても、急に変わらない気もします。産みの親より、育ての親。産地がどこであったとしても、陶磁器の素晴らしさは変わりません。【参考図書】 久藤豊治:「古九谷の神秘」,北国新聞社出版局,(2008年)277P******かずたく68さんのブログで、珍しいコペンハーゲンのイヤープレートの御紹介がありました。彩色のイヤープレートは珍しいので、ぜひご覧ください。○ カズタク68さんのブログ
2008.10.22
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「おあいそ!」居酒屋で、大きな声が飛び交います。「お勘定」を意味する「おあいそ」は、大声で叫ぶ言葉ではありません。人前で口にするには、少し恥ずかしい言葉です。「おあいそ」は「お愛想尽かし」の意味。それは、遊郭で使われた言葉です。女性を傍らにした客に、「お楽しみのところ、お愛想尽かしですが…」と勘定書きを店の人が差し出しました。遊郭で遊ぶ人に、店の人から使う言葉。いつしかそれが、客から言う言葉に変わりました。それにしても、「おあいそ!」と叫ぶのは、自らの遊郭遊びをさらけだす様なもの。とても恥ずかしくて、人前では使えないはず。「おあいそ!」と叫ぶのは、人々の恥じらいがなくなったからでしょうか。そういえば、女性も大声で叫んでいます。時代が変われば、言葉も変わる。そして変わった言葉は、人も変えてゆく。私は、店の人にお願いします。「お勘定」と。私達が、変わってしまわないために。
2008.10.20
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もう案山子も、役目を終えた地域が多いことでしょう。様々な姿の案山子がありますが、長い歴史があるのは人の姿の案山子。破れた蓑笠をまとい、弓矢を手にして、一本足で田に立ちます。案山子は、田を守る神様の姿。破れた蓑笠は、長旅後の来訪神の姿。弓矢は魔除けの呪具。一本足は田の神、山の神が人の前に現れる時の姿。収穫まで田を守った案山子は、稲刈りとともに役目を終えます。収穫祝いに案山子を家に迎え、お供えをして祝う地域もあります。例えば、長野県の10月10日の「カカシアゲ」等。役目を終えた案山子。その田の神も、今は山に帰っている頃でしょう。案山子も本来は、山の神なのですから。何も語らず、風雨に耐え、人のために田を守り続ける。これほど静かな神は、多くはありません。今年も、案山子は役目を終えました。神よりも、親離れする稲の母として。
2008.10.19
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フランス革命で、断頭台の露と消えた大科学者ラボアジェ。彼の運命を決めた、徴税請負人の職。科学者でありながらその職に就くことは、学会でも疑問視する声がありました。そして科学者としての厳格さは、脱税を許さない厳しさとして、人々から誤解を受けることになります。彼の致命的な失敗は、パリを囲う壁の建設。パリへの入市税逃れを防止するため、彼は高さ3m、周囲30キロメートルの壁の建設を政府に提言します。この壁はパリ市民に息苦しさを与え、徴税制度の象徴となります。事実、フランス革命勃発とともに、この壁は市民に破壊されます。科学反応の法則を根本から変えたラボアジェ。美貌の夫人マリーとともに、実験に専念した彼は幸せでした。莫大な収入を高価な実験装置につぎ込み、激務といえる実験計画を嬉々としてこなしました。革命での即日裁判、即日死刑判決、即日死刑執行。断頭台に向かう彼に、迷いはありませんでした。彼の妻に向けた、最期の手紙が残されています。「わたしは長い、非常に幸せな人生を送ってこられた。 そしてわたしの思い出にはいくらかの栄光がともなうだろう。 それ以上、何を望むことがあろうか? わたしに起こるできごとは、たぶん、わたしに老年の不如意を免れさせてくれるだろう。 とにかく、わたしは死んでゆく。 これは、わたしが今まで享受してきた数々の喜びに加えるべき、なおひとつの喜びであろう。」科学を道楽とし、道楽の喜びを享受しつくした、ひとりの人の美学がそこにはありました。【過去の日記】 この日記もラボアジェについて。誰が正義を語ることができるのでしょう - フランス革命 - 【参考図書】 小山慶太:「道楽科学者列伝」,中公新書,(1997年)205P
2008.10.18
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役者に対するほめ言葉、千両役者。人気役者は高級取り。特に江戸時代、役者の給金は上がります。もともと年棒制の給金は、女形の芳沢あやめで千両を越えました。千両は今日の2億円に相当する収入です。あまりのことに、寛政の改革で上限五百両に制限されたほど。しかしこの改革以降も、支度金などの別名目で給金が上乗せされました。栄光は、賛辞と富をもたらします。しかし賛辞や富のみを追えば、いつしか栄光を失うでしょう。栄光が与えられるのは、真の価値に対して。大切なのは、真の価値を見失わないこと。そして自らの生き方を、踏み外さないこと。
2008.10.16
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兵庫の里親探しも、ひとつの区切りを迎えました。先回の日記にも書きましたが、兵庫の里親探しは、全ての犬の仮移動で、命のタイムリミットを回避することができました。皆さんの気持ちが届いたのでしょう。この里親探しでは、私も反省することがありました。反省すべきは、「期限内に里親が見つかればよい」という考え方。ただ里親が見つかれば、すべては解決すると思っていました。しかし実際は、里親が見つかっても、数匹は里親元を脱走し、家に帰ろうとしました。その犬たちは、一緒にいたい誰かを求めて帰ろうとしたのです。わたしは、犬の気持ちへの配慮を忘れていました。犬は物ではなく、こころのある生き物です。その当たり前のことを、わたしは忘れていました。今まで、多くの生き物と一緒にすごしてきたのに。*犬卒塔婆(いぬそとば)を思い出しました。犬卒塔婆は、二股の雑木の側面を削り、経文を書いた塔婆。多産な犬の霊力を信じ、安産の願いを託した物です。昔、犬卒塔婆は、妊婦の安産のために使われました。そして、犬はしばしば“いけにえ”にされました。犬が、人のための存在でしかなかった頃の話。やがて犬卒塔婆は、役割を変えます。いつしか犬を供養するために、使われ始めます。人が犬のために、涙を流す時代になりました。役割を変えた犬卒塔婆。それは、人のためではない、生き物への愛を刻んだ記念碑。同じ犬卒塔婆、そしてその役割を変えたのは人のこころ。*今日も里親元、あるいは一時預かり先を脱走した犬は、元の家に帰ろうと彷徨っています。逃げ出して戻れば、そこには命の危険すらあるのに。彼ら彼女らにも、こころがある。あまりに当たり前すぎて、私が忘れていたことでした。***今日でリンクの掲載を終わります。● 救いを待つ子達 ●● よし@兵庫さんのブログ ●
2008.10.14
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3はアホになる数ではありません。数字の「3」は神聖な数。キリスト教の「三位一体」、仏教の「三身(法身,報身,応身)」、老子の「3は万物を生む」など、古くから3は重要な数でした。建築で縁起が悪いとされる「三隣亡」もありますが、縁起が良い内容が「3」には多くあります。神前結婚式の三三九度。陰陽道でめでたい数「三」を重ね、最上級のめでたさを表現します。「三」は天・地・人を示します。仏前の通夜の焼香も3回。仏,法,僧の三宝を敬い、貪欲(欲),瞋恚(しんい,怒),愚痴(愚)の三毒を沈めます。三途の川も、昔は3つの流れがありました。善人は金銀七宝製の橋を渡り、罪の軽い人は浅い山水瀬を渡ります。そして罪深い人は難所の強深瀬を渡ります。しかし室町時代の浄土宗の普及後に、全ての人が船で渡り始めます。渡し賃は6文で、なければ身ぐるみ剥がされます。お金がないと困りますが、橋を渡れそうにない私には朗報です。3はアホになる数ではありません。わたしたちにとって大切な3つの宝。みつけてみませんか。【参考図書】 「日本人 数のしきたり」,飯倉晴武,青春出版社,2007年,187P***まずは仮移動で、全員救われました。皆さんの願いが通じました。● 救いを待つ子達 ●● よし@兵庫さんのブログ ●
2008.10.12
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不景気になろうとも、衰えない購買力を持つオタク市場。市場価値の高い、オタク市場の分析が進んでいます。今日の本「オタク市場の研究」では、オタクを5つに分類します。【タイプ1】 家庭持ち仮面オタク ・組み立てPC、AV機器、旅行などが趣味 ・趣味では妻に無視されているお父さん ・子供を見方につけようと、趣味に巻き込む傾向あり【タイプ2】 わが道を行くレガシーオタク ・カメラ、クルマ、あるいは種々のコレクター ・独自の価値観を堅持し、インターネットへの書き込みも多い ・ただしアキバ系とは一線を画す【タイプ3】 情報高感度マルチオタク ・インターネット活用度が高く、コミュニティ、ネットオークション大好き ・流行に敏感で、他人との融和を目指す ・趣味への消費時間は多いが、消費金額は少ない【タイプ4】 社交派強がりオタク ・ネットゲーム、ファッションなどが趣味 ・いわゆるガンダム世代、ドラゴンボール世代など ・独自の価値観を堅持し、世間との融和を強く意識する【タイプ5】 同人女子オタク ・コミック、アニメオタク ・同人誌発行などを長く継続 ・アキバ系、萌え系も含まれる私は、どうも複数に該当しそうな気がします。皆さんは、いかがでしょうか。
2008.10.11
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あまりに途方もなく、書きようのない人物がいます。南方熊楠、その人です。ある本で、南方熊楠の「ネイチャー」掲載回数が50回超で、日本人最多と読んだことがあります。事実、「ネイチャー」25周年記念号に、チャールズ・ダーウィン,ハーバード・スペンサー,そして南方熊楠が、世界の三大碩学として論文掲載されました。粘菌の研究は有名ですが、変わり者としても有名です。そして愛猫家としても有名。ロンドン留学時、南方は着物を全て売り、本を買います。夏も冬もいつも素っ裸ですごし、金があると本か酒を買います。いつも猫を手放さず、冬は猫を抱いて寝るので布団もいらないとか。62歳のときに、植物学者の昭和天皇へのご献上品を、キャラメルの箱に入れて渡したのは有名です。昭和天皇も、「献上品は桐の箱に入っていると思ったけど、しかしそれでいいじゃないか。」と後日回想されています。いつも猫や犬を飼い、歴代の猫は全て名前は「チョボ六」、犬は「ポチ」でした。名前は三毛でもトラジマでも関係なく、どれも可愛がるので、丸々と太っていました。その南方も、37歳で神官の娘の松枝さんと婚約。すると松枝さんの下に一斗樽一杯の書物が届けられ、暇があれば読むようにとの伝言が。さらに、浴衣で片手に書物、片手に汚い猫を抱いて訪問してきます。そして、猫の行水を頼むのです。猫が綺麗になると大喜びで、その後も次々と猫を連れてやってきました。婚約者より、猫の行水が大切な様子でした。奇人のイメージが強いものの、実は礼儀正しく、ジェントルマン。生き物に、とても優しい人でした。彼の最期の言葉が残っています。「縁の下に白い小鳥が一匹死んでいるから、明日の朝ちゃんと葬ってやってくれ。」と。昭和16年永眠。享年75歳でした。南方の言葉です。「予の一生全てが小説同様に面白い。ちょっとした続き物より、予の伝のほうが面白かろうと思うが如何。」とても、こんな人の話は書ききれません。【参考図書】 「吾輩のご主人」,原口緑郎,河出書房新社,2007年,213P***● 救いを待つ子達 ●● よし@兵庫さんのブログ ●
2008.10.10
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秋祭りの季節です。稲作を中心とした日本。そこには、古くから田の神の信仰があります。田植えの始まる春、山の神が下ってきます。田に下りた山の神は、その後に田の神に変わります。稲の成長を、田の神は見守ります。そして秋。田の神は、ふたたび山に戻り、山の神に変わります。秋祭りは、この田の神を送り出す祭りです。きつねはよく、山から下り、田の周りに姿を見せます。その姿は、きつねが神のお供をしているかのようでした。いつしか人は、きつねを神の使いとして信仰し始めました。それがお稲荷様、稲荷信仰です。秋、田の神とお稲荷様を送ります。山を守る神となるために。秋のまつりを祝いましょう。まだおくるべきものが、そこにあるなら。まだわたしたちが、ゆるされるなら。
2008.10.09
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昨日、17万ヒットとなりました。皆さんからの温かい応援、感謝しています。今日は、「それから」をひとつだけ。【狼の水かき それから】狼や犬の水かきについての日記に、多くの皆さんからご報告を頂きました。実際に、犬の指を調べてくださった皆さん、ありがとうございます。結果をまとめると、次のとおりです。「水かきのある犬」・ ニューファンドランド・ ラブラドール・レトリバー・ ポインター・ ヤブイヌ「水かきのある犬(追加調査分)」・ レオンベルガー・ オッターハウンド・ ポーチュギーズ・ウォーター・ドッグ・ ランドシーア・ アイリッシュ・ウォーター・スパニエル・ ポーチュギーズ・ウォーター・ドッグ・ イングリッシュ・スプリンガー・スパニエル・ 多くの日本犬にはないが、秋田犬にはある「長い毛が水かきの役目をする犬」・ ハスキー水かきのある犬は、実に多くいます。特にニューファンドランドは代表格。長年、狼の水かきを気にしながら、近親の犬の水かきに考えが及ばなかったのはうかつでした。皆さんのおかげで、気付きました。しかし狼の水かきは不明です。狼に近い犬種のハスキーは、長い毛が水かきになります。どなたか狼の手を取って、水かきの有無を確かめて頂けませんか?***● 救いを待つ子達 ●● よし@兵庫さんのブログ ●
2008.10.07
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高松塚古墳の壁画に、カビが生えたこと。その原因を、修復の問題とする報道がされています。修復はアクリル樹脂を使って行われました。樹脂には、カビが生えることも当然あります。しかしカビが生えにくいのもたしか。当時の修復は、間違っていなかったとは思いますが。最近では、抗菌性アルカリ樹脂もあります。銀の抗菌性を期待して、樹脂中に銀を含有した樹脂です。この樹脂のカビ予防も完全とは言えませんし、それ以上に問題があります。それは銀特有の黒変による樹脂の変色。変色する樹脂は、とても壁画の修復には使えないでしょう。」今は、いかに壁画を修復するかが大切です。何事も、予期できること、できないことがあります。いかにその後の対処をするか、それが最も大切なこと。高松塚壁画、アクリル樹脂がカビ招く? 壁画修理に使用 (asahi.com 2008年10月1日9時27分)カビなどが原因で劣化した高松塚古墳(奈良県明日香村、7世紀末~8世紀初め)の極彩色壁画について、壁画修理に使ったアクリル樹脂がカビ発生の原因になった可能性のあることが、東京文化財研究所の調査で明らかになった。アクリル樹脂は文化財の漆喰(しっくい)や塗料の剥落(はくらく)止めの修理に広く使われており、今後の文化財保存策に影響を与える可能性もある。 専門家でつくる「高松塚古墳壁画劣化原因調査検討会」が30日開かれ、修理を指揮している東文研保存修復科学センターの川野辺渉・副センター長が報告した。 高松塚古墳壁画の修理には1976~01年にアクリル樹脂が使われた。過去の作業日誌を分析したところ、78~81年の修理では、樹脂を塗った同じ場所から1、2カ月後にカビが発生している事例が多数確認された。このため実験で樹脂を湿度100%の環境下に置くと実際にカビが発生したという。カビの種類は現時点では特定されていない。川野辺副センター長は「不純物か、樹脂表面の水分が影響した可能性がある。今後、詳しく調査を進めていきたい」と話している。
2008.10.06
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各地方に、厄払いとして、硬貨を階段に一枚ずつ置く神社,寺院があります。階段は小銭で埋まり、滑って危険なほどです。不思議といえば不思議ですが、そのお金を拾う人はいません。拾うと厄を拾うことになるからと、誰もが聞いているからです。神仏を信じない人も、多くは厄を恐れ、お守りを身に着けます。さらには、たたりを恐れることもあります。たたりは、神仏による懲罰。多くは人や動物の怨念、神の宿る物への不敬によってもたらされます。病気、家運衰退、子孫断絶、そして死など、さまざまなたたりがあります。本来、たたりは「夢枕にたつ」の「たつ」が由来です。つまり、神仏の降臨を意味するだけでした。しかしいつしか、神仏による懲罰が強く意識されるようになります。何もやましいことがなければ、歓迎すべき神仏の降臨。やましいことがあれば、神仏も恐ろしいものに変わります。たたりを恐れる理由。それは、わたしたちが、その理由をよく知っているから。***里親会開催中● 救いを待つ子達 ●● よし@兵庫さんのブログ ●
2008.10.04
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1921年アメリカで、ある事件が起きました。その古い館に住む高齢の女性は、車椅子の助けを借りて生活していました。その館は養護施設として使われていました。そしてもちろん生活には、ヘルパーの人の助けが必要でした。しかし彼女には、それでも生きがいがありました。それは、愛犬のゴールデン・レトリバーとすごすこと。その愛犬は、猟犬になり損ねた犬。狩猟の下手なその犬は、あやうく猟師に処分されるところだったそうです。それを彼女のため、家族が引き取りました。施設では、その犬はみんなにも愛されていました。そしてその日、事件は起きました。その館から火が出たのです。たちまち現場は大混乱となり、歩くことのできない彼女は逃げ遅れたかと思われました。事実、多くの人が命を落としました。しかし消防士は、シダの茂みに横たわる彼女を発見します。彼女は燃える館から、逃げ出すことができたのです。車椅子生活の彼女は、なぜ逃げおおせたのでしょうか。火事のとき、彼女は愛犬に起されたそうです。そして愛犬の首につかまり、腕と愛犬の力ではうようにして脱出したのでした。それは低い姿勢を保つことにもなり、有毒な煙を吸うこともありませんでした。愛犬が一緒にいたからこその、救出劇でした。そして、大型犬だから可能なことでもありました。かつて、家族に命を助けられたその恩を、その愛犬は忘れてはいませんでした。優しい心が救うもの。それは、自分の命かもしれません。***里親会開催中● 救いを待つ子達 ●● よし@兵庫さんのブログ ●
2008.10.04
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あんたがた どこさ♪ 肥後さ♪肥後どこさ♪ 熊本さ♪熊本どこさ♪ せんばさ♪手毬をつきながら唄う、手毬唄。日本の古くからの遊び。しかしそれは、必ずしも真実ではありません。日本の手毬は、揚げ手毬。手毬を投げ上げて、遊ぶもの。地面について遊ぶようになったのは、ゴムが普及してからです。20世紀になり、ゴムが普及するまでは、弾まない手毬。手毬唄は、お手玉の様に手毬を投げ上げて唄ったもの。お手玉遊びの手毬唄。これなら、悪魔の手毬唄も怖くはありません。きっと長くは続かないでしょうから。
2008.10.03
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狼の足には、水かきがある。子供の頃、その話を本で読みました。読んだ本は「野生の叫び」か「白い牙」などの、有名な本だったと思います。それ以来、狼の水かきは、私にとっての謎となりました。三河北設楽郡では、「海辺に住む狼には水かきがあり、山に住む山犬には水かきがない」と言います。狼と山犬を区別する不思議な話ですが、日本狼が絶滅した今では、確かめようもありません。犬でも、ニューファンドランドには、水かき状のものがあると言います。ハスキーも、長い毛が水かきの役目をするとか。さらには、レトリバーにもあるとか。皆さんの愛犬、水かきはありますか?確かめようとして噛まれても、私は責任を取れませんが。
2008.10.01
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