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形原神社は大鳥居(一の鳥居)から二の鳥居までの距離が長く徒歩で5分ほどかかります。途中、大通り(春日通り)を横断、参拝客のほとんどが車で来られますので、この春日通りから参拝する形になり、一の鳥居である大鳥居のある場所を知らずに参拝してしまいます。名鉄三河線(蒲郡ー吉良吉田)途中駅の形原駅で下車し、形原中学校を目指して歩くと、大鳥居があります。石柱大鳥居ここから二の鳥居までの距離、かなりあります。二の鳥居由緒碑車での参拝者は左の道から。私は右の階段を上ります。一段、また一段と 上がるごとに参拝モードになってきます。三の鳥居が見えてきました。忠魂碑忠魂碑の向かい側にモミジの大木手水舎拝殿形原神社略歴社伝によると欽明天皇(630~641)の時 東夷鎮定の大将であった藤原千方公がこの地に駐屯し 荒れ地を開拓し植安大神(ハニヤスノオオカミ)を祀ったのが始まりと云われます。元は山麓の東南の平地に鎮座していたそうです。松平紀伊守が領主の時、今の山頂に遷した。皇極天皇の時、形原神社の社号を賜り 村落を雲見宮内の庄と称しました。明治5年郷社に列し、大正4年供進指定社、大正12年懸社に昇格。昭和20年1月三河地震により社殿を被災。その後、昭和60年までに 戦争中供出の金銅物も併せて復興されました。神馬境内末社…白山社戦死された形原出身の方々(祖霊)が祀られていました。我が地元の神社で、時々見かける土俵。お祭りに子供相撲を奉納するための土俵と思います。昭和天皇の句形原神社に(春日大社)と書かれているのは、江戸時代にこの神社が「春日大明神」と云われていて、その名残りで、現在も年配者の方は「春日大社」と云っているようです。「春日大社は何処ですか?」と尋ねると形原神社を教えてくれます。いよいよ新元号が決まりますね。昭和、平成、新元号…いつの世も平和で明るい日本であって欲しい…と願います。
2019.03.31
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形原町…と言えば「あじさい」で知られますが、なんの、なんの、桜も楽しむことが出来るのです。今回、私は形原神社(春日大社)を参拝した後で、早咲きの桜を楽しんできました。(形原神社の参拝の様子は後日UPします)春日山桜まつりのポスター今回、私は山頂桜ゾーンに行きました。形原神社の横にある案内板少し登ると三河湾が見えてきました。山の中腹にあった山頂案内看板案内看板に従って登っていきます。眺望も楽しみの一つですね。だいぶ上まで登ってきました。頂上が見えました。さて、どんな風景が見られるのかな…広々とした空間に 桜の花が咲き誇っています。山頂から三河湾を望む。満足、満足…今回も歩いたなぁ…ソメイヨシノが満開になったら、もう一度訪れるつもりです。
2019.03.30
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たった一本の桜の木…まるで恋人に逢うかの如く、胸をワクワクさせながら歩を進めた。愛おしい恋人に会えた時、私は 感嘆の声をあげ、逢えたことを喜ぶ…逢いに来てくれない恋人には、自分が逢いに行くしかない…地元から 電車で約15分、バスで50分、徒歩で20分…二、三年前から気になっていた奥山田のしだれ桜…やっと昨日、見に行くことが出来ました。下手な画像ですがお付き合いして下さい。歩くこと20分…近くで観るために斜面を登ります。風で枝が流れます。下の売店で抹茶をいただきました。抹茶をいただきながら、眺めたしだれ桜。この席から眺めるしだれ桜は最高でした。大きな木は遠くから眺めた方が美しい…個人的な感想です。そして…今日は、蒲郡市形原町の形原神社(通称、春日大社)を参拝。春日山の早咲きの桜を堪能してきました。その様子は次回の更新にて… お疲れさまでした。 お付き合い有難うございました。
2019.03.29
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いつも散歩に出かける公園の桜…先日、行った時には 花は見られなかった。あれから三日…今日は暖かいから 少しは咲いているかな…と行ってみた。ボンボリも付けられ、お花見の準備もされていました。池のほとりにあるベンチで一服…桜は二分咲き?くらいかなぁ…それでも、グループで花見?をされている方達が 数組いました。春の日差しがいっぱいの公園で子供たちが遊ぶ声…大人たちの談笑…様々な声が聞こえてきます。週末は 花見の人でこの公園も 賑やかになるでしょう…
2019.03.26
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いつも豊橋や岡崎に行く時には、 快速電車を利用するのですが、先日、たまたま駅に着いたら、普通電車の時刻に間にあったので、「急ぐ旅でもなし、たまには普通電車で のんびりでもいいかな」とホームに停車していた普通電車に乗りました。蒲郡、三ヶ根、幸田ーーー岡崎だと思っていた私は、「次の停車駅はアイミ~…」とのアナウンスを聞いて、えっ?アイミって何処…?一瞬、自分の耳を疑いました。そんな駅あったかなぁ…電車がホームに着くと、あったんですよね、アイミ駅が…いつできたんだろう…知らなかった。相見駅のホーム田園風景の広がる田舎の町…まさか新しく駅が出来ているとは、想像すらもしていなかった。自宅に戻ってから、その「相見(アイミ)駅を調べてみました。相見駅の略歴1989年(平成元年)幸田町相見地区住民が、駅設置促進期成同盟会を結成。2007年(平成19年)JR東海と幸田町が、新駅を設置する覚書を交す。2008年(平成20年)JR東海より基本協定が 締結された旨の発表がなされる2009年(平成21年)駅の建設着工2010年(平成22年)建設中の駅とその周辺の風景2012年(平成24年)ダイヤ改正に伴い駅が開業した。2017年(平成29年)集中旅客サービスシステムの使用開始に伴い終日無人化相見駅立派な建物だ…平成24年に開業ということは7年ほど前か…去年の夏に、名古屋に行った時は快速電車だったので、この相見駅ができたことに 全く気付かなかった。私は7年もの間、名古屋方面行の普通電車に乗らなかったことになる。今度この駅で降りて 近辺を散策してみようかなぁ…この駅を知ったように また何か 新しい発見があるかもしれない…※…今回載せた画像は 全てYahooの共有画像から拝借しています。
2019.03.25
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午前中に家事を済ませ、午後から、いつも行く公園まで散歩…今年も、いつもの空き地に 矢車ギク の花が咲いていました。花は乾燥しても 色が褪せないので ドライフラワーとしても利用できます。花の時期も長く、夏ごろまで咲き続けます。ヤグルマギク垣根から外を眺めるように 伸びた枝には黄色の花…レンギョウのようです。レンギョウは大雑把に分けると、「チョウセンレンギョウ」と「シナレンギョウ」があります。こちらの花は、チョウセンレンギョウかなと思います。生け花に利用したりします。チョウセンレンギョウ川べりの土手には、ハナニラ…ニラとありますが、食べられません。公園に着き、桜の枝をながめていると、誰かが私の名前を呼んだ。声のする方を見ると、中学校の同級生が手を振っている。この同級生とは、散歩をしていると 時々出会う。会うといろんな話をしながら、二人でその辺を歩きまわります。この日のコースは、私の散歩道をブラブラ…川べりの道沿いにはツクシが沢山伸びていました。「ツクシでも採っていこうか?」と誘うと気軽にOK。オバサン二人が ツクシ採りに熱中です。ツクシ採りに夢中の同級生。帰宅してから、前回、失敗に終わったツクシ料理…今回は 無難なタマゴと炒めました。「あ~美味しい、ご飯がすすむわ~」と独り言。しかし…盛り付けにチャーハン皿とは…センスないですね。へへへ…昨日 洗った食器をそのまま使いました。一人暮らしですから、ついつい横着してしまいます。
2019.03.19
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以前、山で暮らしていた時、花の写真を写すのが趣味で 山のパトロールをしているおじさんと話をするようになりました。或る日 私が散歩しながら 花の写真を写していたら、「山野草が好きなら、変った花の写真を見てみるかい?この山には 面白い植物が 沢山あってね、ホラ、これを見てごらん。」と自分が写した花の写真を見せてくれました。イワシャジン、ツリフネソウ、イワカガミ…等々。その写真集のなかに 一風変わった花があったので、「おじさん、これは何という花ですか?」と聞くと ギンリョウソウ(別名ユウレイソウ)と 教えてくれました。ギンリョウソウ(ユウレイソウ)※この画像はyahooの共有画像より拝借しました。初めて見る花の写真に、とても興味が湧いた私は、どうしてもその花を実際に見てみたい…と思ったので、パトロールのおじさんに 花の咲いていた場所を聞きました。その後 私は仕事が休みになると、山に登り その花を探した。そんなに簡単には見つけられなかった…そして、3回目に山に登った日、やっぱり見つからないので 諦めて山を下りはじめた時に 雨が降ってきた。慌てて山を下る私…そんな時に限って、濡れた落ち葉で滑ってこけた。汚れた手をタオルで拭きながら 何気に辺りを見回すと…「?…あっ、あった!」花に近付いてみると おじさんの写真で見たのとちょっと違うような…でも似てるし…取り合えず写真を撮って、山を下りた。 後日、おじさんに花の名前をきいたら、「多分、ギンリョウソウモドキじゃないかなぁ…」「なんだ、違うのかぁ…ガッカリだな」「でも、これはこれで、良いんじゃないかい。普段お目にかからないよ」と慰められ?…ました。その時に写した画像がこちらです。ギンリョウソウモドキ?…腐性植物山地のやや湿りっ気のある場所に生育し周囲の樹木と外菌根を形成する菌類とモノトロボイド菌根を形成し、そこから栄養を得て生活する。念願のユウレイソウは 山にいる間に見ることが出来ませんでしたが、私には もうひとつ気になる植物があって、その植物は 山に行かなくても見られるようです。話には聞いていても、まだ実際に見たことのない植物…トウモロコシやススキなどのイネ科の植物にに寄生する「ナンバンキセル」という花です。
2019.03.18
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<母が大事にしていたもの>私の手元に父親の古い写真と 軍隊手帳が残されている。捨てたくても 捨てられず…これらの持ち主は 亡き母親が大事にしていたもの?…母親の遺品の整理をしていた時、仏壇の引き出しに入っていたものだった。「どうしようか…」と迷いながら、結局、今も私の手元に置いたまま…私が17歳のころ、両親は別居した。その理由は父親の女性関係で、父親には隠し子もいた。高校生だった私は 母からよく愚痴を聞かされた。そして私に「何があっても離婚だけはしない」と言っていて、結局、父親が死ぬまで、その意地を守り通した。父親と交流のあった私に時々 父親の様子を聞くが自分からは、絶対に「帰ってきて」とは言わなかった。プライドが高く、負けん気の強い母親だった。躾にも厳しかった母親…そんな母によく反発していた私。3月20日は母の命日…母はこれらをどうして欲しいのだろうか…父親、23歳の時…昭和13年7月9日招集、昭和14年4月22日宇品港出航、等々…事細かく書かれている軍隊手帳と父の写真。父親は上海に上陸した後、漢口で肺を悪くし、2年後の昭和15年に名古屋の陸軍病院に入院、その後 退院して召集解除となり、地元に戻りました。父親が亡くなった時は やはり 肺の病で肺気腫が原因でした。父親がこの手帳を手にして80年余りの時が過ぎている。この写真と軍隊手帳…何故、母は大事にしまっておいたのか?…そして、私は、何故 今も捨てられず持っているんだろう…墓参りに行った時、いっそのこと 墓の中に入れてしまおうか…
2019.03.17
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菅生(すごう)神社…岡崎市康生町社伝によれば、起源は第12代 景行天皇の時代にさかのぼる。西暦110年 景行天皇の子 日本武尊が東国平定のために菅生に地を通過した際、高石(今の菅生川畔あたり)にて矢を作り神風にて一矢を吹き流し、その矢を以って伊勢大神を勧請し神社を建てた。御祭神…天照皇大神、豊受姫命、須佐之男命、 徳川家康公、菅原道真公をお祀りしています。徳川家康が25歳の時 厄除け、開運祈願をされ、江戸幕末まで、岡崎城主代々の祈願所とされた。城主より社殿、鳥居などの寄進を受け 岡崎城内鎮守の守護神とされていました。石柱鳥居どこかを修復するのでしょうか…境内には車が数台駐車され、職人さんらしき人物が、何かを指差して話し合っていました。社殿社殿内稲荷大明神
2019.03.16
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先日行った二川伏見稲荷で 出会った花たち。岡崎で眺めた河津桜よりも 色が薄かったので社務所の方に聞いたら「河津桜ですよ」だった。河津桜 青空をバックに…白木蓮に似ていますが、この花はコブシの花です。画像では分かりづらいですが 咲いた花で区別できます。コブシ…冬の間 産毛の生えた 苞のなかで花は育ちます。コブシの花…もうすぐ咲きます…苞の産毛が銀色に光っていました。侘び助…白や赤は よく見ますが ピンク色の侘び助です。太い枝から ヒコバェのように出ていた 侘び助…葉っぱ一枚と蕾が一つ…逞しい生命力に感動です。蝋梅のような サンシュウのような…(花の名が分かりませんでした)ユキヤナギ…この画像は地元で写したものです。ここのユキヤナギは 毎年、他よりも早く咲いて 満開の状態。
2019.03.15
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昌光律寺(しょうこうりつじ)は、岡崎市伊賀町にある浄土宗の寺院。山号…大恩山 本尊…阿弥陀如来寺の略記越中国井波出身で 江戸の増上寺で修学した徳源は、戒律の復興をとなえ三河を訪れた。当初、貞照院にいたが、1752年(宝暦2年)に隠棲した。そして、1763年(宝暦13年)伊賀八幡宮神主 柴田勝興に請われ研修道場として松林院に移り、1765年(明和2年)庵室を改築して昌光律寺を創建した。参道参道横にあった 燈篭と瓦のオブジェ?山門桔界石(戒壇石)本堂渡り廊下「昌光律寺のしらがし」と立て札に書いてありました。境内は狭いながらも 長い歴史を刻んできた古刹の佇まいの雰囲気がありました。緑の苔も美しく、落ち着いた雰囲気のお寺でした。当寺には月僊(げっせん)の作品が 数多く保存されているといいますが特別なことがない限り、一般公開はしていないとのことです。
2019.03.14
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伊賀八幡宮…松平4代(親忠公)が 松平家(徳川家康の祖)の子孫繁栄の守護神、「氏の神」として創建された神社。最初の社殿は焼失していて 現在の社殿は 三代将軍 家光が宝永13年(1636)に造営したもの。社殿は 権現造りで 本殿、拝殿、幣殿、御供所、神橋、鳥居などが国の重要文化財に指定されています。大鳥居大鳥居の横にあった石柱神橋とありますが、この橋は国の重文ではありません。マップ石鳥居隋陣門と神橋を眺める。夏になると蓮の花が見られ、参拝者で賑わいます。冬の蓮池の様子。神橋、国の重要文化財。(渡ることは出来ません)隋陣門、国の重要文化財上総社拝殿…国の重要文化財(なかに入れないよう柵で囲まれていました)参拝所(一般の参拝者はここで手を合わせます)御供所…国の重要文化財牟久津社さざれ石駐車場の横に鎮座する教国稲荷社住吉社、若宮社 伊勢社…などは 拝殿と同じ柵の中に建っているため、残念ながら参拝は出来ませんでした。画像にあった上総社、牟久津社 御供所は 柵ノ近くから見られたため、写すことが出来ました。拝殿などが近くで見られなかったのが残念!それでも、見応えのあった伊賀八幡宮でした。蓮の花が咲く頃、もう一度 参拝に訪れたいと思いました。
2019.03.13
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当稲荷は明治43年11月に初代が 京都伏見稲荷大社から 御分霊を頂いた年を創祀としています。当初は豊橋市松葉町で布教に努めましたが、信者数が多くなり手狭になりましたので、環境の良い現在の地を選び 昭和2年2月に教会所が完成しました。昭和44年境内を横切るバイパスの建設を機会に創祀60年記念事業として 昭和44年春に御社殿を、昭和46年春「伏見会館」と「大鳥居」を建設しました。(パンフより抜粋)大鳥居二の鳥居拝殿境内案内地図駐車場からの入口稲荷山の風景稲荷山にはこの他にも 様々な神様が祀られていました。15分ほどで稲荷山を一周、参拝して回ることができました。<3月のご神示>この世には 要らぬひとなし 個性を活かし 人世に尽くせ…と神示が書いてありました。
2019.03.12
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去年の春、豊橋行きの電車に乗った時いつものように私は 窓の外をボーっと眺めていた。そんな時に突然、目に飛び込んできた風景が記憶に残り、以来、上り電車に乗るたびに その風景を眺めるようになりました。春以外の季節は なんの変哲もない ただの小川…だが、春になると その小川の両端が黄色い花で埋め尽くされ、一枚の絵を見ているような 美しい風景と変貌するのです。先日、電車がその小川付近に近付いた時、私は バックから小型カメラを取り出して シャッターを押した。その時の風景画像です。走る電車の車窓から…ガラス越しなので、画像がハッキリしませんがこの風景が 車窓から眺める 私のお気に入りです。黄色い花は、菜の花やタンポポかと思います。もう少し日が経てば、この黄色がもっと広がって鮮やかな黄色になるのです。一度でいいから、この川の土手に座って「ぼ~」っとしたいなぁ…と思う 今日この頃です。
2019.03.11
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大岩神明宮…主祭神 天照大御神石柱と鳥居燈篭弐の鳥居手水舎牛の石像…実物大くらいの大きさだった。神馬…赤いのは初めて見たかも~。拝殿御神木…クヌギ、樹齢300年と立て札の裏に書かれていました。燈篭末社ひな祭りの帰りでしょうか…女性の参拝者数名と出会いました。丁度、宮司さんが外で作業されていたので、「御神木は何の木ですか?」と訊ねたら、「クヌギだよ」と教えてくれました。それを きっかけに30分ほど世間話をしました。神との出会い、人との出会い…嬉しいものですね。
2019.03.10
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二川宿を歩いていると このような格子戸をよく見かけます。玄関先には、どの家にも吊るし雛が 吊るされ、町を盛り上げよう…という人たちの熱意が伝わってきました。資料館前に建っていた古い格子戸の家(手前の門は資料館です)緑色の額が印象的でした。ホーローの看板、上の画像とは別の家です。格子に車は、似合いませんね。陣屋…資料館になっています。建物の内側から写しました。資料館の展示品、一部ですがUPします。いきなりのマネキンに驚きました。籠旅籠の帳場吉田(豊橋)藩主、松平伊豆守の行列を描いた絵巻をもとに 作製された模型。庶民の暮らしの模型籠、梅の枝ぶりがよかったのでパチリです。次に行く機会があったら、今回見学しなかった「商家」に行ってみたいと思いました。
2019.03.09
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先日、テレビの情報番組で 二川宿本陣資料館で雛人形が展示され、御殿飾りを紹介していた。それから数日間、その御殿飾りが 気になって仕方がなかった。3月10日まで開催しているとの事。今日、気になる 御殿飾りを見に行ってきた。入館料400円を支払い館内へまずは、豊橋らしく手筒花火の筒を利用して作られた手筒花雛が 迎えてくれた。吊り雛も多数…似たような画像がつづきます。御殿飾り吊り雛…圧巻です。御殿飾り屏風飾り、御殿飾り御殿飾り御殿飾り…昭和期御殿飾り…これだけ並んでいると 豪華過ぎて 目が眩みそうです。御殿飾り…昭和10年御殿飾り…大正期歌舞伎ケース飾り…昭和初期内裏雛…明治40年頃天神…昭和46年屏風飾り…昭和17年御殿飾り…大正5年 説明文をメモするのを忘れましたので 材質が何か分かりませんでした。内裏雛…大正期土雛(土人形)掃除道具を手にした雛これでもか!って言うくらい飾られていました。豪華絢爛、満足、満足…雛祭りのパンフ、この後、資料館を見学し、二川伏見稲荷、大岩神明宮に参拝してきました。商家「駒屋」が資料館の350m先にありますが、寄りませんでした。お疲れさまでした。
2019.03.08
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河津桜を眺めた後、岡崎城公園へ…この日は一日中 岡崎をブラブラ。伊賀八幡宮、昌光律寺、菅生神社などを参拝しました。今日のUPは岡崎城公園です。この赤い橋を渡ると岡崎城へ散策マップ石垣を横に 階段を上がります。お城の横にある龍城神社龍城神社の石鳥居と拝殿岡崎城の略記岡崎城お城の横にあった家康の遺訓。※人の一生は重荷を負うて 遠き道を行くがごとし 急ぐべからず 不自由を常と思えば不足なし 心に望みあらば困窮した時を思い出すべし 堪忍は無事長久の基 怒りは敵と思え 勝つことばかり知りて 負けることを知らざれば身にいたる おのれを責めて人をせむるな 及ばざるは過ぎたるよりまされし石碑岡崎城公園前の竹千代通りにありました。昔の船着き場と石のモニュメント(五万石船)竹千代通りから殿橋と東岡崎方面を眺める乙川の河川敷散歩をする人、座って川面を眺める人…人それぞれ…まったりとした風景が広がっていました。
2019.03.06
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岡崎市を流れる 乙川沿いの堤防に800メートルにわたり 河津桜が植樹されています。今日、一足早い花見を楽しんできました。一緒に行ったつもりで 楽しんでいただけたら 幸せに思います。ず~~っと向こうの方まで河津桜…見ごたえあります。春の日差しを浴びながら…ん…満足。
2019.03.05
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散歩がてら、近所の土手でツクシを採ってきた。程良く成長しているツクシは 美味しそうだった。一人なので、これくらいで充分かな。その後、頭とハカマをとって、茹でて灰汁をとる。で…出来た料理が…これ↓食した結果…失敗でした。味噌とツクシは相性が悪かったです(味噌の味が強すぎました)天麩羅にすればよかったなぁ…まだまだ、原っぱには、ツクシがいっぱい…次は、美味しく作るぞ~~~(・・?
2019.03.01
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