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いつも訪問、コメント有難うございます。GWの間、26日午後~5月7日まで、山籠りのため、留守に致しますので、宜しくお願い致します<(_ _)>
2019.04.25
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浄誓院(松本観音)…岡崎市松本町に所在する浄土宗の寺院。本尊…阿弥陀如来浄誓院…慶安3年(1650)佐口四郎兵衛が、父、久喜の菩提のために建立した寺で、浄誓とは父、久喜の法名。入ってすぐ左側にお堂がありました。松本町はかつて花町として栄えた町。昭和20年(1945)に戦火で焼失しましたが、昭和27年(1952)に再建されました。地元の人たちからは「松本観音」として親しまれています。唐破風の本堂本堂の横にも 出入り口がありました。出てみます…と こちらには「松本観音」浄誓院…別名称…松本観音なるほど…納得。今回の岡崎は、松應寺の白い藤の花の見学から始まり、横町散策、油掛地蔵尊、そして、浄誓院(松本観音)を参拝させて頂きました。
2019.04.24
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善入院油掛地蔵尊は岡崎市松本町に所在する浄土宗の寺院です。松平家の庇護の下、永禄5年(1562)に開山されました。十九世秀邦上人の師である 慈門上人との縁により、一光三尊善光寺阿弥陀如来を請来。それを機に寺号を「善入院」と改称した。本堂は戦火で焼けるも 御本尊は運よく運び出され難を逃れた。普段は秘仏とされ、お厨子の中に祀られており、12年に一度 午年の七草法要の際に 扉が開けられる。善入院油掛地蔵尊 ↑枝ぶりの見事なドウダンツツジです。 ☝この木です。境内にある油掛地蔵尊は、戦後京都の造り酒屋を営む方に御縁を頂き、今も京都にある その御地蔵様からお精を頂いて、御地蔵様をお祀りし「油掛地蔵尊」として善入院の境内に安置されました。油掛地蔵尊この日は、翌日の縁日大祭の為に、本堂などに幕が張られたりしてお手伝いの方たちが 忙しそうに動きまわっていましたので、邪魔になると申し訳ないと思い、油掛地蔵尊のお参りは遠慮することにしました。こちらの油掛地蔵の中の様子は、yahoo!の共有画像からの拝借したものを使用しましたのでご了承のほど願います油掛地蔵尊…このお地蔵様に油を掛けて祈願するようです。本堂は戦火で焼失しましたが、近隣の大沼というところで、雅楽堂として使われていた建物を移築したもの。本堂とお砂場霊場の十三重の塔…縁日大祭の為の幕が張られています。境内に植えられた花水木オオデマリ…アジサイの花に似ています本堂とボタンの花今回、こちらの善入院油掛地蔵尊には、ゆっくりお参り出来ませんでしたが、樹木や花の手入れが行き届いた綺麗な寺院でした。機会があれば、再度訪れ 油掛地蔵尊にお参りしたいと思いました。
2019.04.23
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今日は、(21日)…絶好の潮干狩り日…といっても潮干狩りをするわけでもないのに、竹島海岸まで散歩のつもりで出掛けた。海に向かう途中のスーパーの前に何やら人だかりが…何だろう…と覗いてみる。今年から始まったイベントのようで、竹細工、木工品などの手作り工芸品を販売していた。何気に覗きながら歩いていると、可愛らしいお地蔵様が…「何の木で作られていますか?」と店主に聞くと「クスノキだよ」と教えてくれた。暫く雑談した後で、赤い帽子を被ったお地蔵様を一体1200円也で購入する。途中、いつも行く花畑に寄り、花を眺める…ボランテァで草むしりをしている方と暫く雑談(いつもご苦労さまです)姫金魚草(ひめきんぎょそう)あちこちで雑談し、寄り道をしながら 竹島海岸に着く。早くから来ている人達のテントが 防波堤の前に並んでいた。どうやら団体で来ているようだ…銅像のある芝生の方にも…テントがびっしり…この日は 竹島の八百富神社の御開帳ということで のぼりが立っていた。ここにも家族連れのテントがいっぱいでした。いろんなテントから笑い声がきこえてきます。皆さん楽しそうですね。普段は橋を渡らなければ行かれない島にも潮がひき、歩いて行けます…それにしても賑やかだ。人…ひと…ヒト…です。(@_@)GWには、もっと賑やかになるだろう…竹島海岸は、季節によって 様々な風景を見せてくれます。帰り道…二羽のツバメが忙しそうに飛び交いながら 巣作りに励んでいました。一人でのんびり釣りをする人…遠くの方から、その釣り人を のんびり眺めている私今日も平和で 静かな一日が過ぎてゆきます…
2019.04.22
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松應寺本堂の裏にある松平広忠公(徳川家康の父)の御廟所。(岡崎市指定文化財)説明書き…文字が薄くなっていて読みにくかった。最初の方は「松應寺」の名前の由来が書かれています。後の方には、この廟所は慶長10年(1605)広忠の57回忌にあたり、本堂などと共に造営、整備された。と書かれています。門をくぐると鳥居があります。両脇の塀…今にも崩れそうです…廟所をお参りした後、横町近辺を散策しました。通りには鯉のぼりが飾られて賑やかな感じ。狭い通りには古い看板も…懐かしい雰囲気がありました。宇堂の方から眺めたアーケード。脇道を入ったところにオシャレな茶席。手前には椅子とカウンター…ん?何屋さんなのかなぁ…分かりません。松應寺の白い藤の花と 廟所にレトロな横町散策…こじんまりとした横町でしたが、歩いていて楽しかったです。帰りにもう一度…藤棚の下に入ってみた…花の向こうに 腰の曲がった お婆さんの姿が見える…明日は我が身…なんてことを思いながら、天を仰ぐ…真っ白な 藤の花が 眩しかった…
2019.04.21
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松應寺(しょうおうじ)は岡崎市松本町に所在する浄土宗の寺院です。山号…能見(のみ)山 本尊…阿弥陀如来由来岡崎城主であった徳川家康の父 松平広忠公は天文18年(1549)に家臣によって暗殺されるという 非業の死を遂げました。広忠公の遺体は、能見原の月光庵で埋葬されました。家康公8歳の時のことでした。この時、家康は織田の人質として、現在の名古屋で暮らしていました。父の死後、家康は人質交換によって今川家に移ります。その道中、月光庵の父のお墓に参りました。墓上に小さな松を一本植え、その松に松平家の繁栄を祈願しました。今川義元の死後、人質生活が終わり、岡崎城に入城した家康は、広忠供養のため、月光庵の地に新たに寺院を建立した。嘗て植えた松が、大いに繁っていることを見ると「松が自らの祈念に應じた」と喜び、この寺院を「松應寺」と名付けた。「能見町」のバス停で下車し、目的の「松應寺」に向かうが場所的に分かりづらかったので、近くにいた人に道を尋ねた。通り過ごしてしまいそうな一角に「松應寺」の看板。近くに寄って見るとこんな感じです。木造のアーケード通り、距離は短いです。ちょっと怖そうなお兄さん…でも大丈夫みたい。松應寺横町のレトロな風景。鯉のぼりが…横町を真っ直ぐ行くと太子堂に突き当たりました。今日は土曜日…ライブをしてました。太子堂鐘楼梵鐘の説明書き白い藤の花根元です。樹齢70年ほど。全体の姿御衣黄桜(花弁が緑色です)本堂の中本堂藤の花の横を通り過ぎると 松平広忠公の廟所があります。その廟所をお参りして、松應寺横町を散策しました。今回、写した画像の一部を モノクロ加工してみました。松平広忠公御廟所と横町散策は、次回の更新にて…お疲れさまでした。
2019.04.20
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岡崎市の松應寺(しょうおうじ)の早咲きの 白い藤の花が見頃…とニュースで伝えていたのを見て、明日(20日)に出かけようと思い、検索していたら、松應寺横町という、昭和レトロたっぷりの横町があるらしい…なんだかワクワクしてきた。今回は、松應寺の白い藤の花の動画(共有画像)から拝借しました。松應寺(しょうおうじ)早咲きの白い藤の動画です。距離は短いですが、木製のアーケードのある風景…岡崎…まだまだ、未知の世界がたっぷり。明日は、古き良き昭和の時代にタイムスリップしてきます。
2019.04.19
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資料展示室は陣屋の入口近くにありました。展示品の一部をUPします。道中傘手錠 その他行灯大政奉還図時計置時計 望遠鏡 手鏡 古銭屏風かみしもバスの時間まで、周辺を散策しましたら、このような花を見つけました。アセビ(馬酔木)トサミズキ(土佐水木)バス停の横には野菜の売店。午後二時を過ぎていたので、野菜はほとんど売り切れていました。書院で売店の方に「バラはいつ頃が綺麗ですか?」と訪ねると「5月~6月頃ですね」とのこと。バラの時期になったら、もう一度、来ようかな…その頃になれば、庭の木々も青々として見応えがあるだろう。四季折々に花が楽しめそうな奥殿陣屋…私にとって、何度も訪れたくなる場所になりました。三度の分けての更新、お付き合い有難うございました。<(_ _)>
2019.04.15
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前回の続きです。第給松平家5代の子真次が、奥殿松平家の初代としてこの地を統治したことに端を発し、その後、乗真(初代藩主)が正徳元年(1711)に奥殿に陣屋を移して、奥殿藩が誕生したことが、奥殿陣屋の始まりです。奥殿陣屋の書院で 抹茶を楽しみながら のんびりと日本庭園を眺めた後、歴代の奥殿藩主の廟所と展示資料を見学しました。庭園から 江戸初期の風格をいかして復元された食事処、金鳳亭を眺める。書院で抹茶をいただく…書院の売店…竹細工などの工芸品を販売していました。書院の入口にあった鬼瓦休憩所を兼ねた花火の資料室廟所に向かいます。建物は食事処の金鳳亭入口。私は食べませんでしたが、4月はタケノコがメインの料理のようです。案内ポスター東屋この道の奥に廟所があるようです。右手に小さな鳥居がありました。少し進むと、左手にこのような立て札。30分は無理なので、真っ直ぐ進みます。この上にあと二か所あり、上に行くほど石が大きくなっていました。同じような画像になりますので UPしませんでした。資料室の展示品は 次回の更新にて…
2019.04.14
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奥殿陣屋…「村積山自然公園」の一部として整備され、書院や日本庭園、食事施設、観光農園などを持つ観光施設。江戸時代には、御殿 役所 書院 学問所 馬場などがあったが、廃藩置県後にそれらは 移築や取り壊しが行われ、陣屋の跡地は、ほぼ田畑になってしまった。しかし、昭和59年(1984)に近辺(岡崎市桑原町)にある曹洞宗の寺院、龍渓院の庫裏になっていた書院が、移築復元された。駐車場の横にチューリップ畑…赤、白、黄色…春がいっぱい!バラも育てられていました。入園無料です。書院の入口書院に入ってすぐに小さな庭。まずは庭園を散策手前の建物が書院。上から書院を眺めるミヤマツツジ(ピンク)庭園の中で目立っていましたカタクリの実日本庭園を散策して…来年はカタクリの花を見に来ようかな…と思った。奥殿陣屋…次回も続きます。お疲れさまでした。
2019.04.13
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西浦を散策していて出会った植物。クサイチゴ…別名ワセイチゴ バラ科 キイチゴ属の落葉低木。果実は大型で赤熟し食用となる。クサイチゴの花ネモフィラ…ムラサキ科 ネモフィラ属オオイヌノフグリを大きくしたようなブルーの美しい花。茨城県のひたち海浜公園には、日本一のネモフィラ畑があり、今まさに花の時期…大勢の人で賑わうそうです。※こちらの画像はyahooの共有画像から拝借しましたハマウド…セリ科の多年草 シシウド属アシタバに似ているが、ハマウドは葉茎を折っても 黄汁を出さないので区別ができる。ウドと名前が付いていますが 食用にはなりません。三河地方の海岸には多く、西浦の海岸沿いではよく見ました。
2019.04.12
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「石割の松」は、群馬県や京都にもありますが、ここ、西浦パームビーチのすぐ傍にも「石割の松」通称「ど根性松」と云われている松の木があります。石割の松松の根元の部分です。西浦温泉周囲の散策地図。西浦海岸の西の方には 名古屋城築城の際に 副島正則が採石したと伝えられる岩場の跡地も残されています。地元でありながら、余り出掛けることのない西浦でしたが、今回、こうして歩くことで、いろいろと楽しむことが出来ました。
2019.04.11
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前回の「万葉の小径」の続きです。朝日の輝く丘を後にして 稲村神社に向かいました。稲村大明神の石柱と 植物を題材にした歌。一の鳥居、急勾配の石段が待ち受けています。二の鳥居 階段から直ぐの場所にあり、踊り場が狭く危険なため、斜めから…二の鳥居から下を見る…木洩れ日で見にくいですね。ここから、境内までもう少し石段を上ります。山の頂上にある 境内に着きました。階段の数を数えながら上ったら106段ありました。家にあれば 笥に盛る飯を 草まくら 旅にしあれば 椎の葉に盛る……有間皇子御神木のシイの巨木(蒲郡、名木50選の一本)手水舎拝殿由緒書き…社格社号は無格社と書かれています。写真が下手で、読めませんね。スミマセン<(_ _)>御神木と桜…手水舎が小さく見えます。階段の途中にあるシャシャンボの木。シャシャンボとしては極めて大きい。神社の急な石段は 下りる方が怖かったです。一段一段、ゆっくりと注意しながら下りました。帰路は桜の花びらが舞う坂道を下ります。この日、背広を着た男性が一人 途中の休憩所で 弁当を広げていましたが、この後、誰にも出会うことなく、貸し切り状態…のんびり散策が出来ました。
2019.04.10
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万葉の小径は西浦温泉のパームビーチ、海を正面にして 左側の小高い山にあります。入口にあった歌。階段は急勾配です。(こりゃ、健脚向きかも~)最初の休憩所です。このような歌碑が、所々に点在しています。最初の休憩所からの眺め休憩を終え、また山を上ります。こちらは植物を題材にした歌が詠まれた立て札。この辺りからは舗装された道路に…万葉の小径の途中には 海が眺められる 絶景ポイントがあります。それがこの場所。朝日の輝く丘丘から眺めた風景です希望の鐘平地で眺める海も好きですが、上からの眺めは、やっぱり最高です。ここからもう少し歩いた山の頂上に 稲村神社がありますので参拝に行きました。その様子は次回に…
2019.04.09
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幸田町のしだれ桜まつりの様子をUPしました。桜の満開と休日が重なり とても賑やかでした。会場の入口にあった桜中国からの観光客でしょうか…団体で同じようなチャイナ服を来た方が大勢いました。皆さん、美人でスタイルも素晴らしかったです。展望台展望台からの眺めワンちゃんも嬉しそうですね。あまりにも可愛かったので、お願いして写真を撮らせて貰いました。民謡の演奏…皆さん芝生に座って民謡を楽しんでいます。私も仲間入り…手拍子をして楽しみました。最後の曲は「幸田音頭」皆さん踊って下さい…と声がかかります。地元の方が踊ります。ふふ…楽しそうですね。会場の横に 幸田弘法大師の旗がありましたので行ってみました。小高い丘になっていて ここにもしだれ桜が咲いていました。幸田弘法大師の入口。小さな地蔵が二体一組で並べられていました。地蔵様の下の石には、札所巡りのような番号が彫られています。四十八か所巡りのよう…数組の地蔵様をお参りして帰宅しました。
2019.04.08
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バスを降りて西浦園地に向かう。さて、桜はどんな具合かな…とワクワクしながら 勾配のきつい坂道を上ります。振り返って見ると、こんな感じで、結構きつい坂道です。坂道を上る途中で見える風景。かなり上りました。遠くに水平線が見えます。ふぅ~ヤレヤレ…(-_-;) やっと着きました。この日で、桜は六分~7分咲きくらいでした。所々にベンチが設置してあるのが嬉しい。この西浦園地は、市内でも桜の名所の一つとなっていますが、観楼に来られる方が少ないので、のんびり風景を眺められる。年配の御夫婦、桜と海を眺めながらの語らい…展望台から…ここから見える夕日が美しい…と書かれています。私はまだ、この場所から 夕日を眺めたことがありませんデス。設置してある鐘は「真実の鐘」といいます。遊歩道があったので歩いてみました。私の他には誰も歩いていません。貸し切り状態の遊歩道…何処を見ても桜、桜、桜でした。鳥の囀りに誘われて、鼻歌交じりでルンルン気分。疲れたら、ベンチで一服…適度な距離感で ベンチが設置してあり、おばさんには有難い。遊歩道は、山を下る構造で、急な斜面は 幅広の階段になっていました。遊歩道の両脇や、木の間に、ツワブキが「これでもか!」と云うくらい植えられていました。秋になって、このツワブキの花が、一斉に咲いたら綺麗だろうな…と思います。今回も、満足のいく観楼が出来ました。自然に感謝!桜にありがとう…です。
2019.04.07
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夏は海水浴客で賑わう 西浦パームビーチ…今の時期は、訪れる人も少ないので、寝転んでも平気。いろんな方向からパチリしてみました。春の海 ひねもす(一日中)のたり のたりかな …与謝蕪村ビーチから眺めた西浦温泉のホテル砂浜に寝転んで海の家を映してみた。南国の風景のようです。帰りに子猫に出会いました。さて、どこにいるでしょう…西浦園地から眺めた海。時が止まったような…そんな穏やかな海でした。
2019.04.06
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いつもの中央公園へ…丘を登っていくと、乙女が二人、楽しそうにシャボン玉を吹いていました。秋葉神社の鳥居と桜戦没者慰霊塔と桜桜の木の下で…空を見上げながら 子供たちの歓声を聞く白っぽい桜の花。桜を眺めながら…みんな笑顔。平和ですね。
2019.04.04
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散策で出会った花たち。ヒトリシズカ…別名 吉野御前センリョウ科 センリョウ属 分布…山野の樹陰など。ヒマラヤユキノシタ…ユキノシタ科、ヒマラヤユキノシタ属原産地…ヒマラヤ山脈周辺(アフガニスタンから中国にかけて)近くに寄ってみました。山吹によく似ていますが こちらの花は、ウンナンオウバイです。ウンナンオウバイ…モクセイ科 ソケイ属原産地…中国西南部 明治初期に渡来した。八重咲きヤマブキ…バラ科 ヤマブキ属分布…丘陵地や山野の林の中「七重、八重、花は咲けども 山吹の 蓑一つだに 無きぞ悲しき」兼明親王が京都の小倉山付近に住んでいた頃、雨の中、蓑を借りに来た人に 山吹の枝を折って渡したが、相手はその意味が分からなかった。翌日、その意味をたずねられた時に 詠み贈った歌。一重咲きの山吹は実ができますが、八重咲きの山吹は おしべが花弁に変化してしまうために実が出来ません。蓑と実の無い…をかけたのですね。昔の人は 花に託して 風情のある対応をされたものですね。
2019.04.02
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専称寺(せんしょうじ)…真宗大谷派の寺院。山号…東海山本尊…阿弥陀如来創建などの詳細は分かりません。地元では、しだれ桜の寺として知られています。山門手水舎鐘楼本堂5年前、2014年3月27日に写したしだれ桜の画像です。ブログにも5年前に載せました。この素晴らしいしだれ桜が…五年後…こんな姿に…ショックでした。木の根元は空洞が出来ており、見事な枝もバッサリ…切なくて…胸が痛くなりました。必死に花を咲かせているしだれ桜に過去の雅さはありません。いずれ、朽ち果てる運命であろう桜の頑張り…5年の月日は…長かったのか… 諸行無常…
2019.04.01
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