2009.02.17
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小浜公園に着きました。







若狭の海






小浜公園には、山川登美子さんの歌碑があります。






『 髪長き少女とうまれしろ百合に  額は伏せつつ君をこそ思へ』





歌碑





山川登美子は大阪・梅花女学校に学ぶころから与謝野鉄幹に師事し雑誌「明星」に投稿。
大阪の鳳晶(のちの与謝野晶子)とは良きライバルといわれています。




さて、山川登美子とはどんな女性だったのでしょうか。




登美子は明治12年7月、現在の千種一丁目旧小浜藩士山川家に生まれました。




山川家は旧小浜藩酒井家に仕えた家柄で、父禎蔵は第二十五国立銀行の副頭取の職にあったと言われています。








『明星』を舞台に晶子とその才能を競い、与謝野鉄幹をめぐっても昌子と恋のライバルであったのはこの時期のことでした。





しかし登美子は明治33年、父が決めた山川本家の山川駐七郎と結婚し、いったんは歌の道から離れるものの、僅か2年で夫駐七郎と死別し、翌年実家に復籍します。





その後上京し日本女子大学英文科に学び、再び『明星』を舞台に活躍。




晶子と増田雅子との共著「恋衣」を刊行し高い評価を受けるが、間もなく夫からの感染とおもわれる結核に侵され、大学も中退し、暫く京都の姉宅で療養生活を送りました。




しかし、父貞蔵が病に倒れたため、41年1月姉とともに看病のため小浜に戻るが、その甲斐なく禎蔵は24日に死去、登美子もそのまま実家で闘病生活に入り、明治42年4月25日、 母と弟に看取られ29才の若さで短い生涯を終えたのでした。





お金持ちのおうちに生まれ、厳しい父の元で育てられ、好きな人が出来ても父の決めた人と結婚しなければならなかったのですね。





その結婚も夫が結核で2年で終わりをつげます。
しかも、その夫から病を写され自身もわずか29才の若さで亡くなってしまいまうなんて。





白百合のような奥ゆかしい少女が、額を伏せつつ好きな人を思っている様は、まさに彼女が鉄幹に思いを寄せつつ、愛に走れずに耐え忍んでいるそのものだったのかも知れませんね。




清楚哀婉で、激しい情熱を底に秘めた自己抑制の気品漂う登美子。




一方、鳳(与謝野)晶子は皆様もご存じのとおり、登美子とは正反対の奔放華麗な情熱家でしたね。









女性の官能をおおらかに謳う処女歌集『みだれ髪』や『明星』に発表した『君死にたまふことなかれ』有名ですよね。





子だくさんだったが、鉄幹の詩の売れ行きは悪くなる一方で、彼が大学教授の職につくまで夫の収入がまったくあてにならず孤軍奮闘しました。




来る仕事はすべて引き受けなければ家計が成り立たず、歌集の原稿料を前払いしてもらっていたといいます。




多忙なやりくりの間も、即興短歌の会を女たちとともに開いたりし、残した歌は5万首にも及びます。




『源氏物語』の現代語訳『新新源氏』、詩作、評論活動とエネルギッシュな人生を送り、女性解放思想家としても巨大な足跡を残しました。










さて、与謝野鉄幹は一体どちらをより深く愛したのでしょうか。




私が思うには、たぶんそれは同じくらいだったのではないでしょうか。




ただ、登美子に比べて晶子の愛情はストレートで一生懸命だったのでしょうね。
だから、鉄幹は奥様と別れてまで晶子と結婚したのではないでしょうか。




ところで、世の男性方は登美子と晶子、一体どちらがお好きなのでしょうか。




昭和の男性は登美子のような奥ゆかしい大和撫子を好んだかも知れませんね。
でも、平成の今の時代は案外、晶子のような引っ張って行ってくれるような女性が人気があるのでは…。
などと色々想像してみたりしてしまいました。





次は↓山川登美子の歌碑のすぐ後ろに見える後瀬山(のちせやま)のお話です。






後瀬山は枕草子に「山はみかさ山・おくら山・のちせ山…」と並び称される名山なのです。






後瀬の山






万葉の歌人、坂上大嬢は 





『かにかくに人は言ふとも若狭道(わかさじ)の後瀬の山ののちも逢はむ君』





と、燃える思いをこう詠みました。





すると、大伴家持は






『後瀬山のちも逢はむと思へこそ死ぬべきものを今日までも生けれ』





と返したのです。





とやかく人は噂しても後にはきっと会いましょうね。




と、こんな風なことでしょうか。




すると家持は言葉では会いましょうと言っても本当はお会いにならないのではないでしょうかなどと言っていますね。






当時、大伴家持には奥さんがたくさんいたのですね。
そのうちの一人である大伴坂上大嬢はまだ若く、どのくらい家持と心がつながっていたのでしょうか。





ところで大嬢は本当に後瀬山を見たことがあるのでしょうか。





“あなた”の心を言うために、「後瀬の山」を「後(のち)」を引き出す序としていますね。






一方、家持も「後瀬山」を「後」にかける枕詞に使っています。





都人の粋な言葉遊びだったのかも知れませんね。






とはいえ、後瀬山は京都と小浜を結ぶ大事な街道沿いにあり山としてよく知られていたのでしょうね。





四月ともなると椎(しい)の若葉は黄金色に輝くといいます。
後瀬山は若狭を代表するみやぴな山なのですね。





後瀬の山




すぐ横の山に登ってみました。
山から見た若狭湾も良いものですね。





山から見た若狭湾





このあと私達は、フィシャーマンズワーフというところで昼食を頂きました。
若狭の海の幸を存分に味わったのでした。






昼食




フィシャーマンズワーフでは、pleさんお勧めの小鯛寿司も頂きました。
「どんだけ食べるねん」というくらいいっぱい食べてしまいました。
鯖街道を行き来したであろう鯖寿司ももちろんお土産に買って帰りました。
それから、pleさんに若狭のお箸のことも聞いていたので楽しみにしていました。
家族全員の分を買いましたよ。
もうすでに使っていますが…。
若狭の塗は良いですね。
貝の入ったのも綺麗です。


近くの『孫兵衛』へは行く時間がなくて残念でした。
次に来る時はもっとゆっくりと来たいな、なんて思ってしまいました。


このあと、明通寺、神宮寺、鵜の瀬、若狭彦神社です。
一日で盛りだくさん。
めっちゃ楽しいです。(*^_^*)







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Last updated  2009.02.17 21:26:22
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