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日差しのある時間はまだ暑くて、家事・炊事をしていると、汗ぐっしょりにはなりますが、そんな時間帯であっても、吹き通る風に 秋 を感じられます。来週の月曜日から急遽タイに行くことになった夫は、再び夏へ逆戻りし、私と息子はここで、足早に訪れる秋を日増しに感じる日々を送ることになるでしょう。暑かった頃に比べると確実に日は短くなってきています。今年の夏が始まった頃は、こんなに暑くなるとは思わず、何をしても、耐え難い暑さの頃には秋は、はるか遠く に思われましたが、時は、季節は、あの時も、今も、移ろっているのですね。毎朝、毎晩、顔を見合わせている息子、これだけ食べさせても、ちっとも大きくならないわね・・・などと私には感じられても、2年ぶりにフランスから帰省している、彼の従姉妹の目からは大した成長ぶりに見えるように・・・時は、 時に 優しく時に 無常に時に 愛しく時に 徒らに・・・心 に染められた色 を伴って流れゆき私は 時を眺めたりみつめたり睨み合ったり無視したり目をつぶったりしているようでいて、結局は時の川の上を流されているちっちゃな、儚い 笹舟 のような存在なのかもしれません。夏と秋と行きかふ空のかよひ路はかたへすずしき風や吹くらむ(古今168) にほんブログ村
2013年08月31日

昨日の空手稽古はやたらに組手をし、背丈は10センチ以上、体重も15キロ差の黒帯二人、茶帯一人、オレンジ帯一人、計4人とした。彼女たちは皆10代!!組手をする前には、私の唇が痣の色のようになったら中断してねとは言っておいた。(我は44歳)組手練習の結果、左手、右脛、左膝、左腿に大きな痣を作る。左腿は数日痛めていた、更にその上をやられた。来週の金曜日に地方で試合があるため、参加する選手にとっては最後の組手練習日だったため、断るに断れなかった。それにしても・・・ここの国の方々は女といえども”骨太”で、一発当てられたら、大変な損傷を手弱女?の我は受けるのは重々承知うえ、受け中心。拳でうっていって、できるだけ相手の痛いところを狙っても、骨太・頑強な身体に当てるとこっちの手がやられてしまう。彼女たちの拳の重さ、これは骨の太さ。豚足ならぬ、羊足や羊の筋肉の部分を大量に食す、この国の方々の骨格は、日本人のそれとは、明らかに異なることは全く不思議ではないけれど。自分では気がつかなくて、息子に言われて気がついたけれど、左の横っ腹(何本かあるアバラの一番下の骨)に直径4センチの痣、、、息子はこの痣を カビ というのだけど、、、このカビは膝でやられたような気がする。それでもこの部分の膝蹴りは何度も、何度も受けでとらえた。背丈がこれだけ違うと、離れて戦うのは危険きわまりなく、彼女達の長い脚は凶器になるから、接近戦に持ち込むと、油断すると、膝を当てられる。 彼女達の膝は楽に私の横っ腹を攻撃できるからねえ~~。にほんブログ村
2013年08月30日

これは、ドライではなく新鮮なピスタチオ。http://fxc.am/p/sUhwUiLY蘭の花の蕾のような色と形をしている。ピンクの薄皮を剥くと、かたい皮が出てくる、かたい皮を剥くと画像真ん中のような実が出てくる。とっても美味なので、私は薄皮とかたい皮をいっぺんに剥いてポコポコと口に入れていきます。息子を妊娠していた年は、これをやたらに食べました。こちらは豚足ならぬ羊足http://fxc.am/p/c8rL13k1このまま食べられるわけでなく、羊の細い毛が取り除ききれないので、炙って、焦がして、ナイフで削り落とします。このあと圧力鍋にノホドという豆少量と、塩、ターメリックと玉ねぎ、水を入れて4・5時間加熱しないと食べられません。結婚する前は、羊肉を食べたこともなかった私。この脂肪の臭(羊肉の臭)になれるのに1年以上かかりました。しかし今でも、できるかぎり羊の脂肪分は取り除いて肉の下ごしらえをします。そして、ようやくこれだけの結婚生活(18年)で、羊の足を炙る臭いにも耐えられるようになったんです。本当は。。。足だけでなく、頭の部分も炙って、煮込んで食べます。捨てるところがないんです。命の犠牲の上に我々は命をつないでいるんですよね。 羊の足と頭の煮込みのことを キャレパチェといいます。これを調理していると異臭が漂います。羊の頭は、山羊の頭みたいに見えて、山羊の頭って 悪魔の象徴 じゃないですか。。。初めてみる方は ギョ!!! っとすると思います、しかもあの臭いが漂っているわけですしね・・・。こういうものまで作るようになった我・・・すっかりイラン人化してると思います。にほんブログ村
2013年08月29日

本日のお昼は久々に和風♪この前夫がタイに行った時に、知り合いの空手家さんに日本からサトウの切り餅をもってきて頂いたので、鶏ガラスープをとって、そのスープに野菜をたっぷりいれ、干し椎茸を戻して、出汁にして、七味もいれて、イランにある、ごまだれ(無糖で純粋に胡麻だけのペースト)を入れて味噌入れて・・・ちょっと日本の味から離れてるけど、 ちゃんと故郷の香りがするお雑煮にした! にほんブログ村
2013年08月27日

FBで目にしたこちらの画像を見て思ったこと。(惨い画像なのでお食事中はご覧にならないでください) 今もどこかで戦は存在する。戦地でなくとも 人種差別 性的差別 などがなくならない人間という動物にやりたい放題を公認するのが 戦争 でしょう?戦争は人の殺し合いを正当化する行為。戦地で、残虐な趣味や、偏見・差別感を持つ人の行為を縛るものはない。いくら 敵 や 捕虜 の人権は守られなければならない という国際法があろうと、その法を、残虐行為の現場(戦地)で、監督する機関など存在しないのだから。こいつは危ない性格だから、軍人にしてはならぬ などという条例は、どこの国にもないのだから。ボタン一つで核兵器を飛ばせる世の中に、いざ世界規模の戦争が始まったら、その規模の拡大を食い止める道は・・・果たしてあるのだろうか? にほんブログ村
2013年08月26日

また忙しくなりそうだ。木曜日にはフランス在住の夫の姪が帰省しに帰国する。三週間の滞在予定らしい。昨日きまったことだが、来週の日曜日には夫が再びタイへ。一週間ちょいの滞在予定だが、つい数週間前にもタイに同程度いっていた。再び母子家庭で過ごすことに。大分涼しくなったが、ここ数日は再びクーラーをかけている。日本の暑さから比べればかなり涼しいから文句はいわない。ここは秋分の日を過ぎたら、冬の気配を感じるぐらいだから、夏将軍様(?)の退却は十日後ぐらいではなかろうかと・・・。長くて2週間かな。今年の夏は 海 をみなかった。ドイツでもプールで1度泳いだのみ。海で泳いだのは一体いつだっただろうか。海恋し・・・にほんブログ村
2013年08月26日

Diana's Birthday 2013今年はラマダン月にお誕生日を迎えたので、ラマダンが終わってからお誕生日パーティした、 小学校2年生になるDianaちゃん。彼女がろうそくを消すと、子供パワーが炸裂します。 にほんブログ村
2013年08月24日

”努力”からの解放覚悟 緊張と弛緩 という記事を2011年10月に書いていた。武士 もののふ の心意気は、それはそのまま 粋 なのだけれど、私がこれまで良しと潔しとしていた観でもあるのだけれど、、、そこまで思いつめる姿を少し離れた位置から眺められるようになったからか・・・悲しくなってきた。もうすこし穏やかに、、、自分を弛緩させながら悦の部分をゆっくりと味わいながら生きてもいいんじゃないかしら?と。中略覚悟の上で行うことができるのなら、そのことを逆に有効利用できないものかと。覚悟は緊張もともなうけれど、覚悟しきったことで肝を据えられそこには 弛緩 が生まれないか?こんなことをその時に記していた。私は 生 というものに負のイメージばかりだったんです。それは自分の身体が、自分の思うようにならなくて、生きることが辛かったからのように思います。生 というものにすばらしいものとか、希望とか、夢とか、楽しい、わくわくする、今日は駄目でも明日があるじゃない! っていう気持ちどころか、今日を過ごすことが長くて、辛い、普通の生活を送る、学校に普通に通うのも”ヒーヒー”言っていたんです。時間をやり過ごすのがすごく辛くて、一日が長かったのだと思います。高校時代には 生きることとは、即ち恥を晒す事 だとサダメ様に突きつけられ、武士の覚悟とは真逆の覚悟なのかもしれないけれど、 自分が生きていることは、即ち恥を晒していること と思って生きていた部分はありました。*****************覚悟しきったことで肝を据えられそこには 弛緩 が生まれないか?ということについて2年程時を経た今、弛緩 は生まれる と語尾を断定形にして考えています。覚悟しきったことで なりゆき に任せられるようになりました。成り行き任せ というのは 自分のためでもなく、他人のためでもなくいきあたりばったり という言葉がぴったりあてはまるような非常にいい加減なものです。いい加減がちょうどいい?!小細工をしないと、一番近くて良い道を歩いているみたい! という感じのものです。一番良いとか、一番近い という順番をつけるのも良い表現ではないんですけど、どんな道を歩んでいても、手足を動くままに動かして、心の方は温泉に浸からせ、ボケ~っとさせていれば、どんなに時間がかかろうが、そこでどんなことになっても ”煩うことなくやり過ごせる” と表現したほうが正しいでしょうか・・・。こうなると一応明日の予定というものはありますが、あってないようなもので時間の感覚、曜日の感覚なんかも曖昧になり、私の手足、身体は 私のものであって私のものじゃない みたいに過ごしています。空手の稽古日 でも私はその時になってみるまで、私は本日稽古にいくのかしら?自身のことなのに私は、知ることが出来ません。一事が万事、このように日々を過ごすようになりました。他人事のようにいい加減!! としか表現できないのですが・・・いい加減 はまさに 良い加減 なのかもしれません。覚悟しきったことで肝を据えられそこには 弛緩 が生まれないか?自分がしたい、やりたい、こうありたい、自分のためにこうすべき、ああすべきこうせぬべき、ああせぬべき、人のためにこうすべき、ああすべきこうせぬべき、ああせぬべき・・・・しあわせ とは 生きがいとは? 生きる目的とは? 有意義に時を過ごすとは?より良く生きるとは?そういう 意識的な、自主的な、努力のようなものを手放して、 自分以外のものにいっさい委ねる”覚悟”をすることで肝が据わって 弛緩 が生まれてきたんです。にほんブログ村
2013年08月23日

a broken heart傷心 を感じているとき 人は こころ で硝子の破片を握りしめてるこころ にあるのは硝子 とわかっていてもこころ が握りしめてるにほんブログ村
2013年08月22日

今朝すぐ上の姉とちょっぴり文字会話した。姉: 痩せたよ私:何キロ?姉:43キロ私:ひぇ! 私50キロ。あと1・2キロ落としたいけど、空手の後傍らから見ている人には暴飲暴食しているがごとく、飲むわ、食うわ!絶対無理。ってなことだった。本日稽古から戻り、疲労の極み。たいした稽古ではなかったのだが、歳をとりし我が身体にはきつかった。5分間の大股ランニングでまず唇が紫色になった。その後上段回し蹴りを両足15本ずつ、すぐにうさぎ跳びを7メートルっていうセットサービス?を10セットも師範様から頂戴す。これはご老体には効いた。買い物して家につき、シャワーを浴びる前にまず水をがぶ飲みし、桃とりんごを食らう。シャワーを浴びたらひどい頭痛がして、立っても座っても居られず、足を上げてひっくりかえること45分。もう起き上がれないわ・・・このまま眠ってしまおう・・・・っと虫の息。夫が帰宅し、しぶしぶ起き上がり冷蔵庫の中からメロンをだし夫婦二人で半分ずつ1個をぺろり。 ”おぬし、甘味はどこに置いてきおった?”とメロンにしかめ面して文句たれ、グラニュー糖をかけまくって食らう我。そのあと残飯をあたため、かっこみだいぶ生き返ったわい!っと大声上げて、ニンマリ。これで終わりと思いきや・・・まだ満たされぬ我が腹はやっぱり最後はこれよね! っとイチゴのケーキと、カフェオレをいただく。さすがに、カフェオレは無糖にいたしましたがね。にほんブログ村
2013年08月18日

40733740_1987200780_27large posted by (C)maryam f d空高く肌に快き 風抜け通り季節はめぐりアレルギー症状伴い秋は来たりぬ (;_;)にほんブログ村
2013年08月18日

夫が通訳でいっていた大会画像、フェイスブックで公開していた人がいたのでご紹介します。 World Kumite Championships Thailand 2013 https://www.facebook.com/media/set/?set=a.555117337858014.1073741840.111007245602361&type=1 無差別級優勝者 拳真館イラン支部の Akbar Abbasi 選手https://www.facebook.com/photo.php?fbid=555427691160312&set=a.555117337858014.1073741840.111007245602361&type=1&relevant_count=1 https://www.facebook.com/photo.php?fbid=507712819304046&set=a.212586248816706.51161.100001959972625&type=1&relevant_count=1https://www.facebook.com/photo.php?fbid=555428601160221&set=a.555117337858014.1073741840.111007245602361&type=1&relevant_count=1 胴上げ。おめでとう!リンクするとエラーがでるのでURLをそのまま記しました。コピーしてくださいませ。にほんブログ村
2013年08月17日

刻(とき)今の未来が 過去になる 刻(とき) がくる新しいが 古いになる 刻 がくる”刻” はとめどなく流れゆくそしてわたしも あなたも 流れゆくねえ ”刻”の先にある死を迎えたってそれは終わりではないでしょう?父が 母が 亡くなっても彼らは わたしの中に存在し今 みることができなくなった 景色も 時代も その景色や時代を知っている人の中に存在してるそう 水時計 が刻み続けているの・・・ にほんブログ村
2013年08月16日

あの水時計水時計は あの時を境に 時を刻みませんあれは 事故だったのでしょう誰のせいでも何のせいでも私のせいでもなかったのでしょう壊されたのではなく 壊れたのでしょう失くしたのではなく 失くなったのでしょうそしてそれは 偶然だったし 必然だったのです水時計はあの時 あの場所に あるのかもしれませんもしかしたら あれは私が置き去りにしたのかもしれませんきっとまだあの場所に残っているのかもしれません何れにせよ あの時のまま一秒たりとも前に進むことはありませんですから 久闊を叙する は nonsense ですあの水時計は あの時のまま 時を刻んではいないのですから・・・にほんブログ村
2013年08月15日

蕾のほころび どこの国の曲なのかは不明です。英語や、ペルシャ語のタイトルを直訳すると蕾たちの笑み という意味になります。蕾のほころび 今にも笑うように、咲き出しそうな蕾 と私は意訳いたしました。実をいいますと最初に音をとったとき、 三拍子の演歌かいな? と思ったんです、この曲。La~~ Si Do Si La Mi~~ MI~~・・・・・と歌っていくとこぶしをまわして歌いたくなってしまったんです。先生はこの曲のあたりから、楽譜にない音符を増やして遊びなさいと仰いました。ピアノでは鍵盤が重くて遊ぶもなにもピアノに弄されて、音をきちんと出すことも侭ならないのですが、電子ピアノは ピロピロ と楽に音を出すことができるのです。音と仲良くなるのには 安物の電子ピアノ は適していると思います。先日、ピアノのある義妹宅へいって弾いてきました。鍵盤重い!!音がきちんとでない!!!のですが、身の程しらずのわたしは鍵盤で音の表現ができることに、恐ろしい魅力を感じてしまいました。それこそ自分が抱いているものが、音にすぐに顕れてしまうんです。意図せずともでちゃう!んです。今イランではピアノ一台、普通車の値段よりはるかに高いです。高級車の値段とまではいきませんがね。(200万円以上)メインテナンス費用ももちろん高い!らしいです。昨日のレッスンでは先生にもう少ししたら、ピアノのように鍵盤で音を変化させられるような(高級)電子ピアノを買って練習するといいね。といわれました。5・6万円ぐらいの電子ピアノということですが、イランの貨幣価値からするとそれでも高級品ですからね~~~~~。この次のレッスンが終われば、初級 を卒業よ! っということでした。今回アップした曲は、2週間前に習ったものです。 にほんブログ村
2013年08月13日

Garoon Garoon アルメニアの曲なんとなく馴染みに聴こえる曲で、日本の歌謡曲にもありそうなフレーズ。ちょっと物悲しい感じもしたんですけれど・・・・ね。 最初はアルメニア語ですが、途中をペルシャ語でも歌ってる動画をYouTubeでみつけました。イラン人男性歌手の陽気な歌声をごらんになりたい方 こちら をどうぞ。実に陽気に、ニコニコ・のりのり でおじさんは歌っていました。 さすが プロ でござる。 にほんブログ村
2013年08月09日

この前あなたに差し上げたお便りは、まだ冬将軍が鎮座していた2月でした。その後いかがお過ごしでしょうか?こちらは、あの時の冬将軍様のお姿を垣間見したいほどに、暑い日々が続いております。あの手紙で私は、あなたにいただいた言葉、”感性でとらえるか、感情でとらえるかは品性による”に従って、自分の過去を見直したいと書きましたが、あれから今まで半年という期間、長かったのか?あっという間だったのか?言葉にできないような過ごし方をしております。どうやら私は、時間の流れの感覚を失いつつあるようなのです。過去 というのは、ないがしろ にしてもいけないし、こだわりすぎてもいけないということには、数年前に気が付いていました。しかし、過去・・・という言葉を使うと、どうしても私は、感情を揺るがされてしまうようなので、過去 というものの枠を、もっと大きく捉えてみようと思いつきました。過去と自分との間に距離を作るために、過去を ”歴史”という言葉に置き換えて眺めてみることにしたのです。過去という主観の入りやすいものに、歴史・・・遠く遠くへ過ぎ去ったもの、というマスクを被らせ、振り返ってみようと思ったのでした。すると、歴史(過去)とは過去の事実であるっと思わされているものを積み重ねて作られた ”壮大な物語”であり、物語には ”作者” が存在する ということに気が付きました。この作者というのは きっと己の場合もあれば、他の場合もあるのでしょうけれども。そして現代(今) と、思われているものが、歴史(過去)になったときその時のリーダー的な国々(人々)、その時の風潮・価値観による視点の歴史(過去)として存在する・・・それを 歴史(過去) と我々は思わされているようです。でもそれは、過去の事実とか どちらが善とか どちらが悪などと、とても とても 判断、理解できるものではなく、たとえ歴史(過去)の中で 善悪 に触れられていても、思い込みとか、思い込ませているものでしかないのであろう、と私は思っています。そういうことをふまえると、歴史(過去)を見ていく上で、何が大切になってくるかというと、a balance(一種のバランス感覚) だと私は思いました。おそらく、それがあなたのおっしゃる 感性 という言葉に当たるし、そして決して、感情や主観に惑わされることのない、バランス感覚 に優れるということが、品性 というものではないか?と。そして歴史(過去)の限界は、過去の事柄故に、 ”推測される・推量される”から離れられないことにあります。どれほど balance感覚 を行使しても、”事実はどうであったのか?”は確かめられることはないっということです。それが 歴史物語(過去物語) やいろんな 歴史観(過去の評価・批判) が存在する理由であり、でもそういうものは、○○史 と教科書や書籍として記されているものでさえも、所詮は”小説”と重なる部分が存在するということです。日本と韓国、中国では、同じ歴史的事柄(過去)を異なって捉えていることことが、明白な事実であるように。そして歴史だけなく、現在という時が、刻一刻と流れる様でさえ、我々一人ひとりは、己の心象とか、好悪、善悪などという、様々なフィルターを通してしかみられないし、しかもそれは、推測・推量の域を出ることはないということです。っということは、同じ過去の出来事を、私とあなた、彼、彼女、誰か にとってはそれぞれに捉え方が異なり、異なる過去(物語)になっているということを示してもいます。***************そういう限界があっても、それでも 歴史(過去)を振り返ることは大切なことであると私は思っています。日本人でも、韓国人でも中国人でも欧米、中東の人でも自分の視野、視点を広く、深く、大きくするためには如何にその人の balance感覚 を行使して過去(歴史)・現在、未来 を眺められるか?だろうと私は思っているからです。歴史(過去)は、その人(その国)の立場によって、コロコロと変わるものです。そして、それを 利用しよう という立場の人々も沢山います。日本書紀 でさえ、、、、歴史を利用した書物であり、歴史(過去の出来事)というものは、利用しようと思えばいくらでも、その国、その国民、個人の思想や価値観、善悪へ影響を与えることができるものであります。だからこそ、その国(その人)の歴史(過去)観 を見れば、その国(その人)の 品性 を理解することが可能である とも言えます。歴史教科書問題 というものが大きく取り沙汰されて久しいのですが、このことが大問題とされる理由は、歴史(過去)というものが現代社会・現代の人々に与える影響力の大きさにあるということなのだと思います。このことを別の言葉で言い換えてみると、世界的に認められている世界史観が、どこの世界、どこの国、どこの国の人々にとってもより普遍的で、よりバランス感覚に優れたものであれば、その時代の世界の質(品性)は高いものである と言えるでしょう。こう考えてみると、今の世界(世界状況)はまだまだ、どこの国も、自国にとって有利な世界観を押し付けようとしている風潮が明らかでは?と感じています。”地球はまだまだ、発展途上世界” といえるかもしれません。***************balance感覚 を行使して過去・現在、未来 をみる感性で物事を捉える言葉にしてみると、なんて簡単で素っ気ないのでしょうか!!・・・・・・・しかし、ここにも大きな落とし穴が潜んでいると私は感じているのです。客観に陥いることは、主観に陥るのと同じぐらい弊害がある と感じているのです。徹底的な客観に身を投じるならば、主観も徹底的に撲滅していかなければ、大変危険であると私は感じているのです。なぜなら、徹底的なbalance感覚が己(主観の元となるもの)に向けられたとき、己(主観の元となるもの)の拠り所とも言える、パーソナリティ というものを徹底的に批判し始め、それに大打撃を与えることになりかねないだろうと思うからです。****************夏という季節、まもなく日本は、原爆投下・終戦記念日ですね。私の脳裏には、炎天下と耳を劈くような蝉の鳴き声、汗を流しながら黙祷するふるさと(日本)の人々の姿が浮かび上がってきます。この歴史的事実を、個人が、日本が、世界各国 は如何に捉えるのか?感情的な主観によって捉えるのか?感性という一種のバランス感覚を行使するのか?戦争のない平和な未来 という言葉が示す状況が、夢のままなのか?現実となるのか?は、きっとこの辺にかかっているのでしょうね。以上が、”感性でとらえるか、感情でとらえるかは品性による”ついての現段階の私の考察です。あなたの口から、いとも簡単に飛び出してきた、たった一つ言葉の意味を理解するのも、私にはまだまだ、時 が必要なようなのです。にほんブログ村
2013年08月07日

”道なき道(未知なき未知)”を辿り 沢(悦)に至る***いかなる道を辿りいかなる景色を目にせむとも心 安らかにあらば是れ 即ち 悦 也 にほんブログ村
2013年08月05日

”A mistake”死 までの時間は死から遠い 健康な人ほど わからないもので死 までの時間は どれぐらいあるか?その一点において時間は 皆に 平等に 流れている そして私は刻一刻と流れている時の中で己の心 は如何様(いかよう)か?己の心 はどう動こうとしているのか?に ”添い寝” しようと思った今まで私は如何に生きているか? 如何に過ごしているか?に ”東奔西走” してきたが・・・ それは 間違いであったにほんブログ村
2013年08月02日
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