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こちらから画像拝借 。゚+.謹賀新年゚+.゚ 素敵な一年でありますように・・・ Maryam F D
2013年12月31日

IMG_0061 posted by (C)maryam f dIMG_0081 posted by (C)maryam f d我郷里 冬とて温(ぬる)く 緩(ゆる)か色今年もほんの数時間を残すのみとなりました。(この画像を撮影したのは2008年と2009年の狭間でした。) そして今年もまた、手付かずだったこと、やり残したこといろいろあります。区切りというものは、あるのかもしれませんが、終わりというものは、ないのかもしれません。一年というのも区切りですね・・・区切りではあるけれど、終わりではない。人生だけでなく、何事もそうなんじゃないか?と思っています。私はいろんなものに興味をもって、その好奇心に従って、中途半端なものばかりです(^_^;)でもそれは途中でやめたのではなく、時期合えば意図せずとも再開するのだろう・・・・そんな風に想っています。 回り道、寄り道もまた楽しや・・・故郷というのは、本当に暖かいものです。にほんブログ村
2013年12月31日

こちらより 画像拝借 浮草の旅路彩る寒椿いよいよ明日一日だけとなった2013年。どうぞ、良いお年をお迎えください。<(_ _)> にほんブログ村
2013年12月30日

IMG_20131228_112128 (640x571) posted by (C)maryam f d アダス豆と干しぶどうとひき肉、玉ねぎ炒めの炊き込み御飯母方の祖母がこのお料理好きでしたよ(^0^) にほんブログ村
2013年12月29日

昨日は久々に義姉の家でピアノタッチの高級電子ピアノを触ってきました!この前にいじったときよりも、大分弾けるようになっているんで我ながら驚きました。先生について習うとやはり違います。アップした時は、自宅の安物keyboardを弾いています。バックでは4羽のインコちゃんが一緒になってさえずっております<(_ _)> イランの音楽です。音階が まさにイラン っていう感じの曲です。そして、keyboardの音をオーケストラ風にしてみました。伴奏の低い音が聞き取りづらいですけどあしからず・・・今までYOUTUBEにアップしていたんですが、最近フォト蔵にしても、YOUTUBEへのアップにしても、イランのネット規制が強まったのか、できなくなりました( ; ; )今回はGOOGLE+ です。私はそういうわけでいろんなところにmail-addressを作っておいて、イランのネット規制に引っかかってないものを試しながら利用しています。乱雑な性格でもありますが、あっちこちにアップするのでまとまりがないのは、一概に、私の性格のためだけではありません! っと言い訳しておきます<(_ _)> にほんブログ村
2013年12月28日

こちらから 画像拝借 春 春の訪れ <11>春の母 初 が亡くなったのは、晋吉と春が土手で再会した次の年の晩夏だった。初 は、行商に出向いた先で荷を売り、得た代金で村で売れそうな品物を買い入れ、それを再び背負って、夫と娘の待つ村へ向かっていた。そしてその帰途で、川に渡した吊り橋から転落したのだった。吊り橋といっても、その川は大きくもなく、谷川でもなく、雨季でも大した水嵩にはならなかったし、特別に流れが早かったわけでもなかった。初 がその橋を渡ろうとしているのを、少し離れたところから見ていた村人の話によると、夕刻というには早く、まだ陽が照っている明るい時刻で、視界も悪くなかった。唯、その日は晴れていたが大変、風の強い日で、春の母は吊り橋を渡り始めてまもない場所で、背負った荷が風に煽られたのか、吊り橋が大きく揺れたのだろうか、突然均衡を崩し橋から転落していった。その村人は急いで川に入って彼女を抱え、すぐさま川からその身を引き上げた。が不運にも、初 が橋から落ちた場所の下には岩があった。そしてその岩に、彼女は頭の側面を強打していたのだった。岸に引き上げた時には、彼女は意識不明であったが、まだ微かに息をしていた。しかし、まもなく息を引き取ったとのことであった。おそらく 初 は、疲れが溜まっていたのだろう、そして、彼女の荷がもう少し軽かったならば、彼女の身がもう少し重かったならば、風に煽られ均衡を崩しても、橋から転落することはなかっただろう。強風が吹いていなければ、全く何事もなく橋を渡りきっていただろう。そしてまた、転落した場所に岩がなかったら、命を落とす事もなかったのだろう・・・っという不運が幾つも重なった事故であった。にほんブログ村
2013年12月28日
http://www7a.biglobe.ne.jp/~nara_beckham/flawor/sub04_red.html 季節の草花 赤い花図鑑から 画像拝借 朱(しゅ)に咲きて 散りなむ狂花と 知り尽くも にほんブログ村
2013年12月26日

IMG_20131221_211657 (670x700) posted by (C)maryam f dIMG_20131224_124618 (430x640) posted by (C)maryam f d 年の瀬の にぎはひの声を 遠に聴く イランにいると、年末年始の慌ただしさがないのですが・・・ 2013年も残すところ僅かとなりました。有難いこと平穏無事に、この年も終えることができそうです。 皆様にとってはどのような年でしたでしょうか? 私にとっては良い意味での革命的な年でした!それは大きな出来事があった・・・っというのではなく大きな出来事があったのは、私の内部においてでしたが。 来る2014年が、皆様方にとりまして益々の ご発展・ご活躍・ご健康 そして、ご多幸の年となりますよう☆*::*:☆MerryXmas☆:*::*☆ 今年は この曲 が私に沁みました・・・浮の世に 押し寄せ飛び散る 冬の波揺らるるは 月のみにあらず 寒の空 にほんブログ村
2013年12月24日

こちらから 画像拝借 春春の訪れ <10>己の動揺を誤魔化すかのように、晋吉は医者の息子らしくこういった。”身体の具合はすっかり良いのか?陽が傾いたの。陽が落ちたら急に寒くなろうぞ。風邪をひくから、家路を急ぐが良い。”春はまだ話し足りなさそうに、物足りなそうな素振りを見せたが、晋吉の様子と言葉を、村医者の言葉と同じような気持ちで受け取ったのか、小さく黙って頷いた。その様子をみた晋吉は、何の疑いもなく、素直に己の言葉を聞き入れた春の様子に、心が咎めたのだった。春の瞳が敬意を湛え、上から下まで晋吉の姿を眺めた後、彼女はゆっくりと頭を下げ、くるりと背を向け、駆け出していった。緩(ゆる)やかに、豊かに流れるような髪を揺らしながら、次第に遠ざかって行く春の姿を眺め、春との別れは、己が言い出したことなのに・・・あの娘も己も、まだ話し足りなかったのに・・・晋吉の心は、後悔していた。遠くへ走り去って見えなくなってしまった春の姿から、己の足元に視線を移した晋吉に、つい先ほどまで、春の豊かな黒髪を結っていた、鮮やかな紅色をした布が落ちているのがみえたのだった。晋吉は両膝を曲げ、前かがみになって腕を延ばし、恐る恐る触れると、それをゆっくりと両方の手のひらの中に包み込んだのだった。そして、これは確かに春の分身なのだ・・・っという想いが強く湧き上がってくると、晋吉は両の手にギュッと力を込め、今の今まで、己が身近かに感じていた、春の血潮のように赤い色をしたその布を、胸の前へと、引き寄せたのだった。にほんブログ村
2013年12月23日

こちらから 画像拝借 春 春の訪れ <9>春は、しばし言葉を発するのを止めようか・・・っと想ったのだが、晋吉の様子をみると、彼は己の言葉をうるさがっているどころか、耳を澄まして聴き入っているようにみえたのでさらに、言葉を続けたのだった。ここに誰かが居るのに気付き、それが村医者の坊、あのお屋敷の人だ!っと思った時から春は、頭と心の中に、次から次へと清水のようにいろんな事柄が湧き上がってきたのだった。”春はひどく痩せておるよな。。。?病人のような気味の悪い白い顔をしとるか?春の顔を見るものは皆、口を揃えてそんなことを言うのじゃ。みたところ 村医者さんの坊 もあまり顔の色は良くないようだが・・・”っと問う春のひどく真剣な表情から、この事柄に関しては是が非でも、将来の村医者の答えをどうしても聞かねば気が済まぬっという彼女の強い想いを感じた晋吉は、”色白は七難隠す・・・とかいうて、白い肌は綺麗なおなごの証ではあらぬのか、?己の姉はどこかへ出かけるときは、少しでも白くしようと、顔に粉のようなものをたーんと塗っておるぞ。おなごの肌とは、白いものではなかろか。”晋吉は、やっとこれだけのことを発することができたのだった。 その言葉を聞き春は、はにかむように笑うと、直ぐにまたこう言葉を続けた、 ”兄さん、名はなんと?姿を、あまり見かけぬな・・・兄さんも、あの子らとは遊ばぬからな。”春は、父ちゃんと、母ちゃんに習って、すこ~~しばかり字は読めるが書は読めん、まったくわからん。村医者さんが、父ちゃんと母ちゃんにゆっとったよ、有難いことに、孫は医者になって当たり前だ、と想っているようじゃ、年の割に、落ち着いておって、良く見、良く聞くことができるから、医者に向いておる・・・っとな。””己の名は 晋吉 じゃ、春・・・”っと言って晋吉の身体にはまた、熱いものが走り抜けたのだった。己の口から 春 という名が突いて出てきただけであったのに、ひどく乱れた心を意識し、この己の動揺が、春 に伝わらなければよいが っと乱れた心で晋吉は想ったのだった。にほんブログ村
2013年12月22日

こちらから 画像拝借 春春の訪れ <8>再び春に不意を突かれ、晋吉は呆然としてはいたが、春の姿だけはずっと視界の中央に据えながら、息を飲みつつ、彼は冷静になろうと試みている最中であった。しかし、春の方は己の問いの答えを、まだ晋吉が発していないうちから、瞳にある種のエネルギー、それは 好奇心 というものかもしれなかった、を湛えながら、言葉を続けていたのだった。”兄さんの家は、広くて大きいの!それに、珍しいもの、見たことのないものが一杯あった。春は、兄さんのお屋敷に二日間もおった。大きな松の木の上には、カラスの巣があったし、庭に池がみえたが、金や赤い、錦の色した鯉は泳いでおるんか?春は、近くまでいって池を覗いてみたくて、たまらんかったわ。兄さんの家には、絵と書が沢山置いてあるなあ・・・”晋吉の目の前で言葉を発し続けている娘は、あの時、晋吉の脳裏に記憶された娘と同じであったが、彼の記憶の娘にはなかった、温かい血潮を波打たせながら、そこに立っているのだった。顔は晋吉が知る誰よりも白く、その白さは、娘の髪の色を引き立てていたが、よく動く、形の良い唇の色は寒さのせいか、くすんで、紫色を帯びていた。”あっ、兄さんは 春 のこと知らんな・・・春は今年7歳になった、でも春は父ちゃんに似て、病気ばかりしとるからうーんと遊びたくても、あまりあの子たちとは遊べぬし、兄さんの屋敷に行ったのも、何日も高い熱が下りなかったからじゃ。父ちゃんも、母ちゃんも春のことを心配ばかりしておる。でも、病をひどく悪くしてしまったときには、いつでも村医者さんが診てくれるんだよ。村医者さんは優しくてな、そりゃー有難い人だ。”晋吉の脳は、流れるように押し寄せる春の言葉を、一言一句聞き止めようと、そしてまたそれと同時に、春の表情のほんの僅かな動きさえも、見逃さずに記憶しようと、これまで学業にさえ使ったことがないほど働いていた。そしてまた、脳の働きに必要な多量の酸素と血流を送りこんでいるかのように、彼の心の臓もまた、激しく鼓動していたのだった。にほんブログ村
2013年12月21日

こちらから 画像拝借 春春の訪れ <7>あの娘は両親の元へ引き取られていったか・・・この数日間、なんとなくいつもとは違った雰囲気が感じられた屋敷は、いつもの時の流れへと戻っていた。春を垣間見てから、随分長い年月(としつき)いつかまた春が急患として訪れるのではないか・・・などと、春の両親にしてみれば 滅相もない! っという事態を晋吉は、心のどこかで期待していた部分も、無きにしも非ずであったのだが、春はそれ以後、屋敷を訪れることはなかった。晋吉にしても、春にしても、あまり長い間外を出歩くことはなかったので、同じ村に住居しているからといって、晋吉が春をみかける機会は、めったに訪れることはなかった、が、春が屋敷を訪れた数ヵ月後にこんなことがあった。晋吉はその日、長時間使った目と頭を休めるために、散歩に出かけたのだった。田の向こうに広がっている空に、白い絵の具で描いたような雲の流れる様を眺めながら、彼は土手に沿って歩いていた。日は随分長くなってきてはいるが、陽が顔を出していないと、まだ寒いと感じる時期だった。子供達はそんな寒い時期でも、おそらく彼らは一年中でも、とても家でじっとしていることができず、家で騒げば、父母や、年の離れた兄や姉に 静かにせんか! っと文句を言われるので、誰が言い出す訳でもなく、気がつくと皆が河原に集まり、毎日、毎日同じ遊びをし、そうしては懲りもせず、仲間うちで言い争いや、小さな喧嘩を繰り返そうとも、遊んでも遊んでも、まだ遊び足りないような時を過ごしているようだった。そんな子供達の様子を眺めるではなく見下ろし、晋吉は土手に座っていた。そういえば幼かった時分でも時を忘れ、年近い子と一緒になって遊ぶことが、あっただろうか・・・それほど年が離れていない姉がいたが、こんなふうに連れ立って近所の子供と、野原を駆け回った記憶は晋吉の中にはなかった。そんな想いを巡らしていると、”兄さん 村医者さんの坊か?”晋吉が振り返ってみるとそこには 春 が立っていた。にほんブログ村
2013年12月18日
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Wasabiさん画像感謝<(_ _)> 最近、いろんな方の、いろんな記事を拝見して想ったことがあります。それは”人というものは実に面白いもので、何かを媒体にして、いかにも体験したような、疑似体験によってさえも衝撃 を受けられるんだ!!”っということでした。多分それが inspiration というものの正体ではないか?っと私は感じています。たった一枚の画像であっても、その画像の撮影者の視点、絵や音楽のようなものであるならば、そのような作品の制作・創作活動そのものが inspiration というエネルギーを元にしているからではないか?っと想ったのです。しかも、ある人に、あるinspirationを与えるかどうか?ということは、その媒体となるものが、名画や名作などと呼ばれていたり、世間的に高く評価されているものであるかどうか?ということには、”関係ない”ようであります。正直を申しますと私は、歌舞伎 という日本の伝統芸能 にはほとんど心を動かされませんでした。大学時代に一世を風靡した ゴースト という映画もちっともいいと、”当時の私には”思われなかったのをはっきり憶えています。(再び観たらどうかわかりません。)ある有名な小説にしても、今世界で注目のなんとか~~~というものにもそれは言えます。inspirationを感じるには 相性 のようなものも存在するようなのです。単に、その芸術性を理解できない 豚に真珠 とか 馬の耳に念仏 っていう場合もありましょうが、同じものを見たり、聴いたり、触ったりしても、ある人にはそのエネルギーが電光石火のようにように感じられたり、あるいは逆に、ある人には全く何も感じられないような場合もあるわけです。元々所謂、真珠・念仏 というものの価値をそれぞれの人がどう置いているか?っということが、あてにならないものなのかもしれませんから、一概には申し上げられませんが・・・とにかく私は自分のアンテナで受信したものを、自己の感性に従って眺めることしかできません。アンテナの感度を良くするのがいいのか?感性の質を高めるのがいいのか???? それすらもわかりませんが、ボケ~~~っとしていても、自分の五感が痺れるものと出会ったときには、反応する ものなんです。 努力 などというものは全く不要?なのかもしれません。 (→ 朗報です!!!)人というものが何度も輪廻転を繰り返しながらも、この世に生まれてくる理由はinspirationの送・受信・・・この辺りにあるのかもしれませんから。ブロ友さんが制作活動のために、ブログをお休みになられました。 自然界が冬眠の時期に制作活動とはっ!!そうなんです。 人 というものは、24時間、四六時中アンテナをのばして刻一刻と・一瞬一瞬、inspiration電波を受信したり、あるいは逆に、皆に向かってinspiration電波を飛ばしている存在・・・のような感(inspiration)を、”ブロ友さんの制作活動のためのお休み” から ”私は”受けたのです。そして冒頭に記しましたように、”人というものは 何か を媒体にして、いかにも体験したような、疑似体験によってさえも 衝撃 を受けられる”と感じたのです。しかも ちょっとした何かを媒体にしても、そのちょっとした媒体によって生じた”疑似体験”は、その人個人の心象によって、その人独自の色合いに染められたり、彩りを着けられて媒体以上に大きなもの(衝撃)になり得るっとも想ったのです。それではさっそく、それを試してみよう~ っと、単純な私は ”春” を書こうと想ったのでした。にほんブログ村
2013年12月18日

こちらから 画像拝借春 春の訪れ <6>その日、晋吉は学舎にいても上の空だった。学業を終え足早に帰宅してみると、その娘はまだ屋敷の中にいるようであった。家の者の話を要約してみると、娘、春は数日前から発熱がつづき、昨夜は風が吹き荒れる晩で、春の家はすきま風にさらされ、いくら春を温めようにも温める術がなかったという。熱は高くなる一方でそれを見兼ねた父母が、この屋敷に春を運んできたということだった。晋吉の祖父 修吉 は、若かりし頃に春の祖父、春の母の父に当たる人物から、厚恩を与えられたらしい。そしてそれに酬いるために、”困ったことがが起こったら、いつでも私のところへいらっしゃい”っと常日頃から、春の母に声をかけていたという。祖父修吉の意向は、彼の息子で晋吉の父である 永吉 にも、永吉が、父の医療を手伝うようになった頃から伝えられていた。春は明け方になって解熱したが、数日に渡る発熱による身体の消耗が激しく、修吉自らの診断で消化吸収の良い栄養のあるものを与え数日ここへ滞在させるようにと、はからわれたのであった。晋吉は部屋で書物を広げていても、気もそぞろであった。名を春というその娘は、おそらく5・6歳か・・・晋吉が数えの10の歳になるまで、これまで接してきた祖母や母、姉、従姉妹たちや、女性の使用人から感じたことのなかった、屈託のない親しみ、この屋敷を覆い包んでいる形式ばった空気の中に住む人々とはまったく異質の感を、彼はその幼女から受けたのだった。そしてそれは、まったく無防備にも一瞬にして、晋吉の心の奥へまで浸透していたのだった。にほんブログ村
2013年12月17日

こちらから 画像拝借 ~ rhythm 鼓に呼に 応ず ~雄鶺鴒(セキレイ)は 尾を直(ちょく)に 硬くし身震はせ 囀りぬその囀りは 力強き尾の動(どう)にそぐはぬ 甘き rhythmあはれ 身削り 身絞り 哀しき 刹那き 鼓動の rhythmタン タン タン タン タン タンやがて雌の血潮 は 雄の鼓(呼)に 応ずにほんブログ村
2013年12月16日

こちらより 画像拝借 春 春の訪れ <5> 春は虚弱体質の娘であったが、村の男の中には密かに 春 に想いを寄せているものもあった。代々村医者の家系の長男坊に、晋吉というのがいた。晋吉は年の程17であったが、大層背が高く痩身で、それは颯爽とした感を漂わせずに、見るものに手足と躰のバランスの悪い、不格好の感を与え、本人もまた、その余分な上背を持て余しているのか、いつも前かがみの姿勢を保っていた。その上、近年は父にも勝る医者になろうと、生真面目に益々磨きをかけて、勉学に励んだためか、近視眼が進み、17歳の若さで、ぶ厚い眼鏡をかけることとなり、遠目でみると、彼の父親なのか、彼自身なのか、ぱっと見たところでは、判別できぬほど酷似していた。春の母がまだ存命の頃、寒い風が吹き荒れたある晩、村医者の力を求め、母が 春 を背負い、父がそれを助け、晋吉の屋敷の戸を叩いたことがあった。晋吉は、夜中にそんな出来事が起こっていようとは露知らず、その翌朝になって、普段はひっそりとしている、彼の部屋の向かい側の障子が中途半端に開けられており、そこから、今はほとんと患者を診ることがなくなった、彼の祖父が出て来るのを目にし、それを不審に思い、その部屋にソロリと近づいたのだった。彼が足音を忍ばせ障子に近づき、そっと覗いてみるとさして広くもないその部屋の真ん中には、布団が敷かれ、そこには幼い娘が横たわっていたのだった。青く白く整った横顔の中で、晋吉の目を惹いたのは、梅の蕾を思わせる、形の良い鮮やかな紅色をした娘の唇だった。小さな梅が綻び咲くように、唇が動くのと同時に、娘の瞳が瞬き、晋吉に向かって誰? っと尋ねてきたのだった。晋吉は躰の真ん中に、一筋の光が差込みそれによって躰が痺れ、熱(ほて)るような感を覚えたのだった。慌てて彼はその場から退き、自分の部屋に戻り、たった今、目にした夢のような光景を思い返し、無意識にそれを、脳裏に焼き付けていたのだった。晋吉はその後、父母や使用人の話から、昨夜の出来事と、己の裡に一筋の光として飛び込んできた幼い娘の名を知ることになったのだった。にほんブログ村
2013年12月15日
こちらより 画像拝借 春 春の訪れ <4> 今年の春が例年になく美しく 春 に感じられたのは、幼馴染の 雪 の婚礼が控えていたからかもしれなかった。冬の時期から、雪の婚礼の準備は着々と整えられていった。雪の父が繁華な町に出かけ戻ってきた折には、村の誰にとっても、話だけは小耳に挟んでいたが・・・っというような美しい細工が施された品が、村へもたらされた。春は、この農村に月に一回やってくる男や女の物売りが広げる品でさえ、自分には眺めるのも勿体無いほどに無縁の品とは承知してはいたが、感興をそそられて、ついつい足を近づけ、目をやらずにはおられなかったのだった。しかし、雪の父が娘のために手に入れた品々は、それらのものとは比較にならないほどに素晴らしい品であることが、細工のことなど全く分かりもしない春の目にも明らかであった。ふと・・・、雪の婚礼衣裳に目をやると、衣裳の袖には、雪のでも、誰の腕でもなく、ただ風が通されているだけなのに、それは、若く整った、しなやか、艷やかな、滑らかな女の体と肌を包み込み、流れるように佇んでいる錯覚を春に与えていた。花嫁道具にしても、花嫁衣裳にしても、柔らかなひだまりの中で、新たな夫婦(めおと)生活の美しい彩(いろどり)として、初々しい花嫁の傍らに置かれるのを、待ち兼ねるかのように、もう既に、ここ・そこへと、優美な気品を匂わせていたのだった。幼馴染の中でもとりわけ春と親しかった雪が嫁いでしまうことによって、春が心寂しく感じていることは否めなかった。がしかし、雪の家にはまだ彼女の妹や弟がおり、雪はとなり村などに嫁ぐではなし、彼女の親戚筋の同じ村の男の元に嫁ぐことになっていたので、春の心が打ちひしがれることはなかった。数年したら今度は雪の腕に、まん丸な林檎のような頬を乳で膨らませた、嬰児(みどりご)が抱(いだ)かれているのだろう・・・そんなことが、ふと想い浮かんで来ると、春の心は寂しいどころか、暖かくもなっていたのだった。にほんブログ村
2013年12月13日

山茶花 (さざんか)写真集 3 より画像拝借<(_ _)> 風情無き 朝に山茶花 あな恋ひし日本は、どこでも四季がはっきりとしていて自然の美しさをあちらこちらで、目にすることができますね。イランは北へいくと、日本に似た気候で、自然豊かで、湿潤ですが、ここテヘランは四季はあるものの、春と秋が短く、日本に比べると 無味乾燥 に私には感じられるのです。にほんブログ村
2013年12月12日

DSC00292 (525x700) posted by (C)maryam f d 私が住んでいる処で本日初雪。
2013年12月12日

茄子とトマトとニンニクを使った イランの北カスピ海沿岸の郷土料理 です。茄子は皮ごと炙り、冷めたら皮をむきみじん切りにしてください。FxCam_1375083061988 (640x480) posted by (C)maryam f dFxCam_1375087217829 (640x480) posted by (C)maryam f d茄子が冷めるのを待つ間にニンニクをみじん切りにして炒め、トマトもみじん切りにしてニンニクの中に入れて煮ます。塩とターメリックを適量いれて煮てください。FxCam_1375087127249 (640x480) posted by (C)maryam f dその中に茄子のみじん切りを入れてよくかき混ぜてください。かき混ぜたら、平らにしてしばらく弱火で蒸し焼きのような状態にしてください。茄子はよく火を通さないとお腹がゴロゴロしますから!FxCam_1375087856799 (640x480) posted by (C)maryam f dよく火が通ったらアツアツを器に盛って、真ん中に穴を開け、そこに卵の黄身(生)を落としてください。黄身をかき混ぜてお召し上がりくださいませ。にほんブログ村
2013年12月11日

Nakaさんより画像拝借<(_ _)> 春春の訪れ <3>春 にとって14回目のその年の春は、例年にも増して美しかった。それは単に、例年になく寒さの厳しい冬をやり過ごし、待ち遠しい春を迎えたからかもしれなかった。春の幼馴染らは 雪 にしても皆、数えの齢で15前後にもなっていた。中には数年前に嫁ぎ、子供を産み育てていたり、そうでなくとも許嫁がいたり、雪のように、許嫁との祝言を間近かに控えるような娘ばかりであった。春の父はこの数年間、自分の娘と年近い村の娘の 祝いごと の話を耳にすると微笑ましい喜びの気持ちとともに、心も痛めていた。(春は嫁げる、のであろうか・・・)春 のいつまでたっても、雲の上を歩いているような心持ちと振る舞いと、呪わしくも己に似てしまった、虚弱な体を想うと父にはそれは、”遠い遠い夢のまた夢” のような気がするのだった。しかし当の本人である春は、続々と幼馴染や、友達が生家から嫁いでいく話や、花嫁衣装を纏う姿に、心から喜び、目を輝かせ、頬を薄紅色にし魅入り、聴き入るばかりであった。そんな娘の姿を遠目に眺める父には、友の幸せを喜ぶ娘の心の裏に、微塵も影が潜んでいるようには感じられなかった。その娘の様子のおかげで、父の愁いは多少なりとも癒やされるのだった。春にしてみればこの様なことに関しては、とっくの昔に自身の中で答えがでていたのだった。病がちな身体で生まれ落ちたことは春に、同じぐらいの年頃の子と己との間にはっきりとした相違を、物心ついた頃から感じさせ、身体と同じように小さかった心に、何度となくその事実を、思い知らせも突きつけもしてきたのであろう。初夏に小川で水遊びをするにしても、山の急斜面や、野原を駆けるにしても、誰彼にとって大したことでないことが己の身にとっては大きな負担になることを、心ではなく身体で、嫌というほど彼女は思い知らされて過ごしてきた。他の子は自分とは違うようだ・・・ という疑問が、”自分がどうやら他の子とは異なり劣っている”っということに思い至った時から春は、自分の身の上を他の子たちの場合と同じように考えたり、比較することをやめたのだった。それは己の体力だけでなくあらゆる彼女の疑問の答えとなった。どこの家でも父親が一家の生業を主に支えていることや、雪やその他の幼馴染たちの家のようには 我家の生活は決して容易ではない こと、なども含まれていた。そしてそれは適齢期となった今、”祝言”にもあてはまっただけだった。幼馴染が嫁入りする ということに限らず、これまで多くの日常生活の成り行きの中で、他の誰かの場合を引き合いに出して、ではなぜ自分はそうではないのか?っという問いかけが、春の裡から消滅するようになってから、久しくなっていた。にほんブログ村
2013年12月10日

こちらより 画像拝借 春 春の訪れ <2>春の母が亡くなった後、確かに生活は困窮したが、母が生活を支えていた時でも、ゆとりという言葉とは無縁だったため疲弊したり零落しようがなかった。父は母が存命中にも、煮炊き、薪割り、水汲みなどをしていたし、春は 父の水汲みや、薪割りの手伝い で出かけはしたが、彼女の意識は、季節が生む、自然の美しさと神秘に向けられ、それらを堪能していた。但し冬の時期の水汲みや水仕事は、想像力豊かな春にさえも、なかなか愉しむことは難しかったが。春が一緒に来ようが、来るまいが、実のところ父の負担はほとんど変わらなかった。そしてそれは、春が14回目の春を迎えようとしていても状況は変わることはなかった。母を亡くした6年前に比べたら 春 は 春なりに成長していたのだろうが、春の体型は、他の村の娘たちと比較したとき 春 の姿は五つも年下に見えるのだった。父は畑仕事をしたり、行商に出かけたりしたがそんなときでも 春 の留守番によって家事・炊事がはかどっていることを期待することはなかった。春は、煮炊きをしていても薪から上がる煙、鍋から上がる湯気の向こう側に心があったし、水汲みをしていても彼女の瞳も思考も、空や雲、木々や小鳥の姿を追っているのを父は知っていたからだった。それでも父だけでなく、春の幼馴染の雪 という娘も、春を畑仕事に誘った。「春ちゃん、明日は家の田に苗を植える日だ。手伝いに来てくれるかい?」雪だけでなく、雪の両親も、幼い弟、妹でさえ春が畑仕事を手伝いに来たところで、何の役にも立たないことを承知していたのだが、春がしばしの間でも、真っ白な頬を桃の実のように上気させ、陽光に照らされ微笑みながら、握り飯の一つでも口にしたら良いと思っていたのだった。春 は実質的には何も生まず、生活能力の欠如した、役立たず者であった。それでも皆、この不憫な娘の笑顔の中に、心を動かされる何かしら・・・言葉では説明し難いある種の 安らぎ・親しみやすさ を感じるのだった。春はその安らぎや親しみやすさを、虚弱な体質とともに、父から譲り受けていたようであった。にほんブログ村
2013年12月08日

画像は こちら より拝借<(_ _)> 春 春の訪れ <1>娘は食の細そうな、小さくかよわい身体つきをしていた。彼女の真っ白な頬の左横と着物の裾からのぞく、小さなふくらはぎの肌からは、明瞭に緑の血管が浮き上がっていた。細く、小さな身体相応の手の先の爪は、薄く平らで、縦にいくつもの線が走っており、爪ひとつだけをみても、彼女の健康の乏しさを示してた。普段は黒目がちな娘の瞳は、光に照らされると、澄んだ浅瀬のように陽を吸って明るく澄み透り、また娘の小さな心が揺れ動くと丸く整った上下の唇を噛み締める癖を持っていた。長い髪は、湿気を帯びたように光を放ち、しっとりと豊かに、細く華奢な肩と背中にゆったりと腰かけていた。全く 春 の取り柄は 器量 だけだった。春の季節に生まれたからであろうか?娘は 春 と呼ばれていた。春 の母は既に他界していた。しかし春 の虚弱な身体は母ではなく、父譲りであった。春 の母は並の体力を有した女(ひと)であったが、病弱な夫の代わりに力仕事し、行商に出、その上、虚弱に生まれた愛娘の看病に、心と身体を次第、次第に細らせていった。母は一家を支えるために休む暇なく働き続け、春 が8つの歳に、行商からの帰宅途中不慮の事故で亡くなったのだった。春の父には兄がいた。兄には子がなく、比較的裕福な生活をしていたので、一家の柱に先立たれた二人を憐れに思い、命をつないでいける程の援助を言い出してくれたのだった。しかし、この心優しい伯父の家計は、しっかりものの嫁の意向で、常に取り仕切られていた。この嫁は自分の姪のためには、田舎の村娘には贅沢すぎるほどの着物と帯を数年に一回こしらえ送り届けていたが、夫の姪のみすぼらしい身なりと、最低限の生活には、全く心を痛めることはなかったのだった。それでも 春 にとっての14回目の春が訪れようとしていた。にほんブログ村
2013年12月07日

電子ピアノとTombak というイランの民族打楽器のレッスンを約1ヶ月ぐらい休んでいた。モハラム月の9日と10日はイランが国を挙げて喪に服す月で、結婚式などの祝い事、ダンスパーティーなどは御法度だったからだ。Tombakのレッスンを一回受けたところで、もう一度ぐらい受けられたらいいなあ・・・っと思っていたのだが、義母に諫められた(喪に服す月にもってのほかと)ので、前日に先生に事情を話して断った。でもせっかく習ったことを忘れないように・・・っと、家で、楽器の後ろの拡声(スピーカーの機能をはたす)部分に厚いタオルを一枚突っ込んで、叩く皮の部分にも息子のジャンバーを上にかけて叩けば大丈夫さ!っと実は叩いていたのだが、、手のひらで叩く音は、階下の義両親の家に響いていたようで耳の遠い義父はわからなかったのだが、義母に再び諫められたため、息子が”お母さん、またおばあちゃんに怒られるから止めて!”っということで、泣く泣く練習を控えていた。唯、息子の目を盗んで家の一番置くの部屋の片隅でがっしりと楽器を布で包んで叩いたり、自分の膝をつかったり、ソファーの腕をかける木製の部分をつかって練習したり、テーブルを叩いたりはしていた。禁止されると余計に練習したくなるのは、へそ曲がり、天邪鬼の習性なり。12月3日(火)は久々の両方の楽器を30分ずつのレッスンだった。この前の練習曲を弾いたあとに、新しい曲の音をとった、今回の練習曲はこちらWedding of love - Richard Clayderman私にはかなり きつい 曲で、一週間で、鍵盤の場所を憶えて(楽譜を見るのだけれど、あんまりお役に立たない私の目とオツム(;_;)どれだけ指が動くようになるか?こんな風には弾きたくてもとても、とても弾けないけど、本日は、曲と仲良くなるためにYOUTUBEにて、何度か聴いてみた。レッスンでは音を大体とる・・・旋律を2回通して弾き、コードを確認して、コードの指の動かし方を習ったところで30分経過。Tombak のお時間となった。前回教えてもらったものは大体OKがでて、新しい打ち方を教えてもらった。Tom と右手で低音を響かせるとき に左手の4本の指を小指から TataTata と飾りを入れてアクセントをつける打ち方。そのあと普通に打ったり、左手は親指とその他の指をこすり合わせて鳴らす(何かを思いついたときに指を パチン と鳴らすあれを中指・薬指・小指でこすって)太鼓に当てて音を出す打ち方などと組み合わせる基本となる打ち方を数種類楽譜にしてもらって練習するようにと言われた。昨夜も今日も、多分1時間以上打っていた。大分音がでるようになってきて おもしろい(=^▽^=)手首の使い方、腕・手・指の力の抜き方なんかがわかっていて長く打っても疲れたり、痛くなくなってきた。指や手への負担という意味では セタールという弦楽器よりも練習ができるかもしれない。(*^_^*)(指や手が腫れたりしないから)以下はおまけ☆彡Toy Dolls - Nellie the Elephant (We're Mad, Sunderland, UK, 1984)大学時代に聴いていました。この頃は ギンギンの音楽も、古い曲も、ジャズもとにかくいろ~~~~~~~んな音楽を聴いてました。とにかく楽しい曲です。今見ても、何度聞いても ”わらっちゃうの!!”こういうハードなのを好む しっちゃかめっちゃかな私が、まさかイランというお堅い国へ嫁入りするとは・・・ 全くおもわなんだ!!!にほんブログ村
2013年12月05日

あの世とこの世の処世術 この記事でお伝えしたかった事とは 心 というのは 自由 であると ヒト に想わせながら、 実は ヒト を縛っている のが 心 である部分も大きい ということでした。たとえば 私は空を飛べる! なんて想っているのを、私の周囲のヒトが知ったり、私が実際に言葉にしてしまったらこいつとうとう、、、イカレタか!?って当然想われるでしょう。っということで 多くの人は ヒトは飛べるわけない!っと想っているはずです。でももし 自分は鳥だったとしたらどうでしょうか?鳥であるならばまったく逆のことが言えるでしょう?鳥ならば飛べて当然! っと想うわけです。しかし、人が飛べないのは、人が人としての身体形体を持っているからです。でもそれによって 心や思考が縛られている んです。人は飛べない っと心で強く想っているのです。その上 その強い思い込みに囚われていることに対して、ヒトは無意識・無自覚なんです。しかしその強い思い込みは、 夢の中 で大変顕著になります。ヒトは飛べるわけがないじゃないか!っということに囚われているヒトは夢の中で飛ぶことは出来ません。そしてそれはあの世や異次元においても影響します。私は 飛べませんよ! でもそれは 私が飛べないのではなくて今・この状況・この状態 では飛べない というだけです。私の身体を眺めている ”ワタシ” には 不可能なことも、限界もないんです。 にほんブログ村
2013年12月04日
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] 風になれ より 画像拝借 こころ の ことわり書いた記事をクリック一つで削除できるように要らぬ記憶を削除できたらどんなに良いだろか脳みそは過去というものに対して概ね 保存 の設定がされているようであるが思い出したくない出来事に関わる品々を一斉処分したところでその記憶が消せるわけでもなくそれでいて保存しなければならないほど大事にしているつもりの記憶は知らないうちにすっかり消えていたりする 表面的に削除するのは非論理的表面的に保存するのも非論理的記憶や心に関することに ”論理”という言葉を用いるあなた に ”無理” は ありませんでしたか・・・ にほんブログ村
2013年12月03日

hanakana1 (700x440) posted by (C)maryam f dあの世とこの世の処世術 ~ ひかり と化し 透り渡る ~意思 は 石意思 は 意志 となって 岩 となる岩(がん)は 我(が)に通じ強固な我 は 岩壁 となる*** *** ***意思 有らば 石の如く固定され岸壁の如く高波に煽られ衝撃・ショックは免れずそれを跳ね除けねばならず傷つけ 傷つけられ受容 か 拒否 を迫られる*** *** ***名も無き 姿なき 目的なき 意思なき 意識 で あれ唯 意思 を 識(しき)す 存在 であれたとえ 意思・思念・感情 を 保持しようとも意思・思念・感情と 同化することなく 唯 それらを眺め居る心 を 意思(石)と化すのでなく 意思(石)を眺める 意識 で あれ意思(石)は固定され 姿(壁)を有する が それを眺めるもの(意識) に 仕切りはない意を識すもの は 無限*** *** ***石 ではなく 空(くう) で あれ意思 を 空(から) にしこころ を 空 にする固定し 構え突き進む のでなく 渡り広がれ受け止めず 跳ね除けず受容せず 拒否せず 唯そこに 意識として広がり在る”透る ”海の碧 空の蒼 煌く光 一瞬 とは 即ち 閃光*** *** ***いつでもどこでもどんな次元・夢・想念思念の世 に迷い込もうとも時・間 に 惑わされない 瞬く光・・・ ”ひかり と化し 透り渡る ” にほんブログ村
2013年12月02日
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