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2026.08.28
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カテゴリ: ユマニチュード
「ユマニチュード」という革命 

p.61 ロゼッタがある施設を訪れた際のことです。そこはケアを受け入れない認知症高齢者がたくさんいました。介護士たちは口々にこう言います。
「いいことをしようとしているのに、高齢者は叫んで嫌がって反抗する。だから心が痛んでつらい」
 誰もが「自分たちは不幸だ」と思っています。不思議なことに自分たちのつらさについて話はしても、高齢者のつらさについては誰も語りません。
 その施設には3年間、まともに保清できない人がいました。ケアは毎回戦いです。しかしロゼットは、その人と楽しくシャワーの時間を楽しみました。介護士は皆驚いていました。
 そこでロゼットが言います。
「メソッドを教えますから大丈夫ですよ。あなたがたが日々抱えているつらさの原因を解消する技術をご紹介します」
 でも彼らは決して受け取ることをしません。
 これは不思議な現象です。彼らはつらいと言い、不幸だと嘆いています。問題は深刻だと頭を抱えています。事態の解決を望むならば、現状を変える知識と方法を受け取ってもおかしくありません。でも、彼らはいまの不幸な状況を手放そうとしないのです。

 意外に思われるかもしれませんが、そうした拒絶の背景には宗教が関係しています。ケアはキリスト教によってつくられたという歴史が、そうした考えを生んでいるのです。

 ケアを始めたのは修道院でした。担い手は修道女で、彼女たちは身寄りのない人、病人といった誰も世話したがらなかった人たちのケアをしていました。彼女たちが看護という職種をつくったと同時に、いまの私たちを抑制する文化もつくりました。宗教者によってつくられたため、ケアの本質はあくまで奉仕です。・・・・・・
 ケア業界においては奉仕や慈善という成り立ちが潜在的なモデルとして今日まで影響を及ぼしています。
 修道女たちは見放された病人たちを集めてケアをしたのはなぜでしょう。それは天国に行くためです。誰もが躊躇するような苦難の道、逆境を生きてこそ天国へ行けるからです。自己犠牲と苦しみが必須なのです。だから、自分から与えはしても相手からは何も受け取りません。
 そういう信仰がベースになってつくられたため、いつの間にかケアする人は「苦境に置かれていなければ、本来の意味での業務をまっとうしていない」と思ってしまい、仕事の価値が苦難や困難に置かれるようになります。無意識のうちにその文化に馴染んでしまうのです。
 看護師や介護士などケアする立場の人は、認知症の高齢者といった、家族でさえも世話をすることをあきらめてしまった、見放された人々へケアを行う素晴らしい人たちです。しかし、たいへんであることに意義を見出す文化に慣れてしまうと、私が「ユマニチュードでは患者を介助するのに10歳程度の子供の力があれば大丈夫です。拘縮なら5歳くらいの力で解消できます」と言っても受け入れ難くなります。自分の信じて苦難や困難の価値の価値観を壊してしまうことを怖れるからです。
 その一方、これまでの慣習から離れ、ユマニチュードを実践するようになった看護師がよく口にするのは、「ケアが楽しみになる」「仕事が楽しい」といった苦しみとは無縁の言葉です。

人間らしさを大切にするユマニチュード





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最終更新日  2026.08.28 05:00:04


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