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水谷八重子さん死去 87歳 舞台、ドラマ、映画などで幅広く活躍したマルチタレント8/31(月) 劇団新派の女優、水谷八重子(みずたに・やえこ、本名・松野良重)さんが28日に都内で肺炎のため亡くなったと31日、松竹が発表した。87歳だった。葬儀・告別式は近親者で執り行い、後日お別れの会を開く予定だという。水谷さんは、1939年(昭14)東京生まれ。父は歌舞伎界の名門・守田勘彌(14代目)、母は文化功労者にも選ばれた初代水谷八重子という「歌舞伎と新派のサラブレッド」として注目をあびた。 55年に16歳で歌舞伎座で行われた新派公演「相続人は誰だ」「八月十五夜の茶屋」で水谷良重を名乗り初舞台。同時にジャズ歌手としてもデビューした。水谷さんのハスキーで洗練された歌声は人気となり初期のNHK紅白歌合戦には4回出場した。その後、日本テレビ系バラエティー番組「あなたとよしえ」で司会を務めるなどお茶の間でも人気者となった。 水谷さんは、高いスター性と親しみやすさから、二つの「三人娘」の一角を担った。一つ目は、「テレビ」の創成期における初代・「テレビ三人娘」。黒柳徹子、横山通乃とともに、NHKのバラエティー番組やドラマで活躍し、テレビ創成期に、新しいメディアの魅力を日本全国のお茶の間に届ける推進力となった。二つ目は、「七光り三人娘」。日本画の大家・伊東深水の娘、朝丘雪路と高名な洋画家・東郷青児の娘の東郷たまみと「七光会」を結成。ステージで「ホワイト・クリスマス」などを披露し一世をなびかせ風靡(ふうび)した。 活躍の場は映画にも広がった。57年の映画「青い山脈」や「座頭市物語」「悪名シリーズ」など名作へ次々に出演した。 舞台だけでなく、テレビ、ラジオ、映画、70年代後半には日刊スポーツで競馬コラムを連載するなど幅広く活動しマルチタレントの先駆けでもあった。 プライベートでは59年にジャズドラム奏者の白木秀雄と結婚。63年に離婚するが、菊田一夫立ち会いのもとで二人そろって離婚会見し、その際の「愛しているから別れます」という発言は流行語となった。 一方で、新派女優としても年々、演技や存在の深みを増していき、「滝の白糸」「祇園の女」などの大役を好演。78年には、菊田一夫演劇賞を受賞。その後も88年に松尾芸能賞大賞、92年に芸術選奨文部大臣賞を受賞するなど、新派の看板女優として実績を残した。 79年に母の初代水谷八重子が死去。95年に二代目水谷八重子を襲名した。襲名後は、「滝の白糸」「日本橋」「婦系図」「鹿鳴館」「太夫さん」「寺田屋お登勢」「残菊物語」「京舞」など新派の古典で魅力を発揮する一方、名作喜劇「三婆」、山田洋次監督の脚本・演出「麥秋」「東京物語」「家族はつらいよなどの新作、横溝正史作品「犬神家の一族」「八つ墓村」でも新たな一面を見せた。 また、新派の伝統を守るだけでなく、朗読劇にも力をいれている。瀬戸内寂聴さん訳の「源氏物語」ライブや、樋口一葉の「大つごもり」の定期上演は、ライフワークとして高い評価を得ている。また、文筆家としても定評があり、ベストエッセー集に選出されている。2001年に紫綬褒章、2009年には旭日小綬章を受章。長年にわたる日本の演劇界・文化界への多大な貢献が公的にたたえられた。さらに近年では、2024年10月には急死した西田敏行さんの後任として日本俳優連合の第6代理事長に就任していた。 最近まで活動しており、今年3月には新派・松竹新喜劇の合同喜劇公演の記者会見に出席、舞台も出演予定だったが、体調不良のため休演すると4月に発表されていた。最後の舞台は、昨年2月の南座での二月新派喜劇公演「三婆」富田駒代役だった。
2026.08.31

「ユマニチュード」という革命P.88 私たちの暮らしを支えている重要な価値は何でしょうか。それは私が私として尊重され、ひとりの市民として生きることです。それには自由と自律が不可欠です。「世界人権宣言」はこううたっています。「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」 ユマニチュードもまた、この価値観に基づいています。民主主義を支える自由と自律を尊重します。人が自律した自由な社会はどんなものでしょう。強者がすべてを決めて、それに服従すればいい。「それは間違っている」と思っても意見を言えない。少なくとも、そういう社会でないのは確かです。恐怖心をもって強者に平伏し続けることは、ユマニチュードの考えとは相容れません。 ユマニチュードの哲学においては、すべての個人に尊重すべき価値があると考えています。したがって、患者も、看護師・介護士も等しく価値があります。病院や介護施設だから、その価値が損なわれていいはずがないのです。 患者をどうしても拘束しなければいけないとき、フランスではその決定権は医師ではなく、裁判所にあります。しかしながら、実際は病院の判断で行われています。本来ならば、それは違法行為です。 私たちはこう考えています。「人権が尊重される」という価値に基づけば、病院であれ介護施設であれ、その施設にいる人は自宅同様の生活の継続を約束されている。したがって、施設に入ったからといって、何も失うものはないはずだ。まして拘束などありえない。 現実はどうでしょう。認知症高齢者が病院や介護施設で抑制されることは珍しい話ではありません。そのとき、私たちの暮らしを支える人権という価値が損なわれています。しかしながら、こうした自由を失っていく体験を味わうのは、認知症に限った話ではなく、高齢者全般に見られることです。私たちの社会は誰を強者に据え、誰を弱者として排除しているのでしょう。フランス発祥で36年の歴史のある『ユマニチュード』は、哲学とその実践技術から成るケアメソッドだ。認知症をはじめ、あらゆる対人援助の場面で活かすことのできる本技法は、かつてない超高齢社会に直面し、コミュニケーションに悩む医師にどのような示唆を与えるのだろうか。超高齢社会において、認知症患者の増加は避けて通れない。しかし、コミュニケーションが取れない、ケアが拒絶されるといった理由で、適切な診療やケアが提供できなければ、本人や家族はもちろん、虚脱感を抱えて離職に追い込まれる医療・介護職にとっても不幸なことに違いない。今、こうした現状を打開する「画期的な」認知症ケアとして注目されているのが、フランス語で「人間らしさ」を意味する『ユマニチュード』だ。これは、体育学教師だったイヴ・ジネスト氏とロゼット・マレスコッティ氏が、病院職員の腰痛予防指導のために派遣されたさまざまな病棟・診療科で「もっとも対応に苦慮する患者」と向き合うなかから編み出した実践的なケア技法であり、ベースには「人間とは何か」「ケアする人とは何か」を問う哲学が存在する。フランス国内では四百を超える病院やケア施設が導入しており、国外においても日本を含む数か国で実践されている。創始者の一人であるジネスト氏は「ユマニチュードでは、『ケアする人』を、心身に問題を抱える人をケアする職業人(プロ)と定義しています」と語る。さらにその目標には、①回復、②機能維持、③最期まで寄り添う、という3つのレベルがあり、「健康に害を及ぼさない」ことを絶対条件とする。すなわち、個々の健康状態や能力に合ったケアを選択することが重要で、患者に不安を与え、病状を悪化させる強制的なケアや睡眠妨害、身体抑制といった行為は一切排除すべきとの考えだ。彼らが当初より取り組んでいる「立位による清拭」も、立てるはずの人を寝たきりにしてしまわないための「合理的かつ最善のケア」といえる。ユマニチュードでは、「見る」「話す」「触れる」「立つ」を4つの柱に据え、ケアを行なう際の原則としている。これらは、「あなたのことを大切に思っている」ことを伝えるための技術であり、「人間らしさ」を取り戻すためのはたらきかけでもあるとジネスト氏は説明する。「生まれたばかりの仔羊が親羊に舐められることで種に迎え入れられるように、人もまた、生物学的な『第一の誕生』を果たしたのちに、優しいまなざしや言葉かけ、ふれあいの形で周囲から愛情を注がれることによって社会学的な『第二の誕生』を迎え、立てるようになることで人間としての尊厳を確立していきます。心身の健康を損ねたり、認知機能が低下することで失いかけた尊厳を取り戻すことで『第三の誕生』を迎えるためには、『見る・話す・触れる』といった、人ならではの包括的なコミュニケーションと、自己の尊厳を実感できる『立つ』ことの援助が必要なのです」(ジネスト氏)ポジティブなイメージを直接感情記憶に届け、定着させる日米で内科医の臨床経験を持つ本田美和子氏が、ジネスト氏らのもとを訪れたのは、「熱意も技術もある医療者が気持ちを上手に伝えられずに『拒絶』され、途方に暮れている状況」にジレンマを感じていたからだ。「ケアを通じて『あなたは大切な存在だ』という気持ちを伝えることができるようになると、患者さんの反応が劇的に変わるのを目の当たりにし、何としてもこの技法を日本にも広めたいと思いました」(本田氏)渡仏の翌年(平成24年)の夏から、日本でのトレーニングがスタートした。ユマニチュードでは「患者」ではなく「人と人の関係、絆の質」をケアの中心に置く。その核ともいうべき関係性を築くために、すべてのケアは「見る・話す・触れる・立つ」という4つの要素を用いて、出会いの準備→ケアの準備→知覚の連結→感情の固定→再会の約束という5つのステップを一連の流れのなかで行なっていく(図表1)。視覚、聴覚、触覚により得られた刺激や情報は、まず扁桃核で「情動、直感」に当たる単純分析が行なわれたのちに大脳皮質に届き、詳細かつ「理性的な」分析を経ることによって感情が制御される。ところが、認知機能の低下は大脳皮質の脳細胞の変性によって起こり、情動のブレーキがはたらきにくい状態にある。そこで、ユマニチュードにおいてはポジティブな感情をダイレクトに届け、定着させる手法をとる。「最期の瞬間まで唯一、正常に機能するのが感情記憶です。感情記憶のなかでは、私たちの行動すべてが意味を持ちます。間違ったメッセージが伝わることのないよう、きちんとした技術を身につけることが大切です」(ジネスト氏)「技術なのです。学んで身につけたら、それは職業人として一つの動作になります」(ジネスト氏)二人で行う場合には役割を分担し、一人が「見る」「話す」ことで注意をひき(=マスター役)、もう一人が「触れる」ケアに徹する(=黒衣役)。【見る】 マスター役の仕事は相手の「まなざしを捉える」ことから始まる。目線の高さを同じにして、正面からゆっくりと相手を見つめる。「お母さんが赤ちゃんに話しかけるのと同じように、相手が私の息づかいを感じるくらいまで近づきます」(ジネスト氏)「相手を見ない」ということは「あなたは存在しない」というメッセージを発していることに他ならない。ユマニチュードでは相手を「見る」ためには0・5秒以上のアイコンタクトが必要だとしている。「目が合うと、前頭葉が情報を直接受け取り、扁桃核のネガティブな反応を抑えます」(ジネスト氏)その間、黒衣役が清拭などのケアを黙々と進めていく。【話す】 話しかけるときの声のトーンは「優しく、歌うように、穏やかに」。相手の反応が得られない場合には、黒衣役が何をしているのか「ケアの実況中継と予告」を行なうことで、不安を感じることのないよう、語りかけを絶やさぬよう努める。反応がないからといって話しかけないということは、「見ない」と同様、相手が「存在しない」というメッセージを発していることになる。【触れる】 ケアの途中で「右手を挙げてください」など、本人に協力を仰ぐことで関節や筋肉を動かし、脳に刺激を与える。ただし、サポートが必要な場合の「触れる」という行為には慎重さが求められる。「親指をかけて鷲づかみにしたり、指先だけで触れると、認知症の人には『攻撃』のメッセージが伝わってしまいます」(ジネスト氏)広く、柔らかく、ゆっくり、撫でるように、包み込むように触れることで、「愛情」を伝える。また、いきなり、プライベートゾーンである手や顔、陰部のそばに手を置かない。【立つ】 3万人以上の患者のケア経験を持つジネスト氏は、「病院や施設で寝たきりになっている人の多くは、レベルに応じたケアが受けられなかったことによるもの」と感じている。ケアを受ける人が40秒間立っていられるなら、立位を含んだケアが可能。清拭、着替え、歯みがき、洗顔を合計すると、一日20分のリハビリ時間が確保できる。ただし、立位介助の際は、からだを持ち上げて足の裏にかかる体重を減らさないこと。大脳に誤った知覚情報が届き、筋肉への力の入れ方、関節の動かし方がわからなくなるためだ。同様に背中を支えることも避ける。
2026.08.31
大智禅師偈頌講話 澤木興道 元旦(二) その3 元旦(2)【元旦(二)】 新年頭有祖師禪 (新年頭に祖師禅有り)興國正當辛巳年 (興国正当辛巳の年)四海浪平龍眠穏 (四海浪平かにして竜眠穏かなり)九州不見起狼煙 (九州には見ず狼煙を起こすことを) ここに今、「興国正当辛巳(こうこくしょうとうしんし)の年」興国は吉野朝の後村上天皇、辛巳はその二年である。そこで、この興国の世になって、まず世の中が小康を得た。両朝が一応ここに治まって、興国という年号がついた時であるから、興国正当辛巳の年、ここにまず戦いが一応やんだということである。「四海浪平かにして竜眠穏かなり」いつもめでたく、いつも真実でなければならんけれども、興国正当辛巳の年、興国二年になって、まず世の中も、一応これでよくおさまって、四海浪平かにしてーあちらにも、こちらにも今まで戦ばかりありよったが、その戦いがやんで、竜眠穏かなり。陛下の御枕辺が安らかである。 さして行く笠置の山を出でしよりあめが下にはかくれがもなし という、あのおいたわしい御時代から、ここにようようこの興国の年になって、四海浪平かにして竜眠穏かなり。「九州には見ず狼煙を起すことを」九州というのは、これは日本の九州のことではなく、中国の文学で九州というのは、いつでも、天地いっぱいということである。あるいは世界中とか、日本国中とかいう意味で、九州には見ず狼煙を起すことを、今ならサーチライトあるいは電気で信号をしたり、あるいは手旗信号をしたりするけれども、昔は敵が攻めて来たというと、山の高いところで、物見の兵が、狼の糞を寄せて、そいつを乾燥さして、それに火をつける。そうすると、そこに火が上がる。終いにはノロシというのは、煙硝でするようになったが、最初は狼の糞を焚くと、軽く、高く上がるから、そこで、サア、敵が攻めて来たというと、この物見の兵が次から次へと焚くと向こうへ見える。だから、狼煙が上がるということは、戦が始まったということである。 九州には見ず狼煙を起すことを。もう戦がやんだ。諸縁を放捨し、万事を休息して、善悪を思わず、心意識の運転を停め、念想観の測量を止めて、作仏を図らず。九州には見ず狼煙を起すことを。正身端座。この三昧に入ることを、ここに四海浪平らかにして竜眠穏かなり。これは、非思量を象徴しておる。この世になにが一番めでたいかというと、この非思量。九州には見ず狼煙を起すことをじゃ。(大智禅師偈頌講話p.168-171)
2026.08.31
「岡田無息軒翁一代記」9、安居院義道につきて始めて報徳の道に入る 嘉永元年戊申三十七歳にして、始めて報徳の教えを聞き、その門に入る。報徳の教えは二宮金次郎尊徳の始めて修むる処にして、孔子の所謂徳を以て徳に報ゆるの意に基づく。その名称たる旧幕府の閣老大久保加州侯の選に出づ。その道とするや、業を励み、倹を行い、分に従い、財用の度を制し、余財を生じて窮を救い、貧を恤む、借財を引受け、無借となし荒地を引受け良田となし、禍を引受け福となし、不浄を引受け清浄となし、艱苦を引受け安楽となし、凡そ人の悪む処は勤めてこれを身に引受け、以て人の好む処を与う。金を貸すに利を収むるを必とせず、況んや高利を収めんをや。 且つその教えに曰く、借財は借財の費えを以て消却の法を立て、荒地は荒地の力を以て荒地を開く、男女相和して子孫生じ、貧富相和して財宝生ず。菜の葉に生ずる虫は、菜の葉を以て己の分となす、人にして天分を知らざるものは、菜虫に如かず。禍福必ず応あり、善悪必ず報あり、米を蒔けば米草を生じ、米の花を咲き、米の実を結ぶ。麦を蒔けば麦草を生じ、麦の花を咲き、麦の実を結ぶ。物みな小を積み大となる。金を以て利倍積算して、人をしてその高大を知り易すからしむ。 古の果実は今の大樹、今の果実はのちの大樹、勤業の図を作り、以て勤惰の分を明らかにし、父母の根元を述べて報徳の忘るべからざるを示す。千変万化説き来って尽くるなし。 始め尊徳は相州小田原の領邑足柄上郡東栢山村の産なり。その家赤貧、しかも幼弱にして父母を喪し、その親戚に寄食す。生れて頴悟、頗る済世の志あり、辛苦数年にして大いに一家を起し、大久保侯の抜てきをうけ、その分家宇津はん之助氏の采邑、桜町四千石の地の興復のことを施す。ここに年あり、幕府挙げて之に禄し、稍その管轄に及ぼす。清忠未だ之を知らざるなり。 相州大住郡蓑毛村安居院庄七及びその弟浅田勇次郎は、伊勢、春日八幡の信者なり。而して二人かつて報徳の教えを聞けり。神詣での途、これをその同行に説く。遠州長上郡下石田(浜松市)神谷与丙治聞いてこれを奇とし、その伍保に語りて社を結び、初めて報徳の業を勤む。清忠聞いてしきりに思慕す。時に二人また掛川に至る。清忠ゆいて之を見る。これと語りて大いに喜び、すなわち二人を家に請じ、討論日夜をつらね、おもへらく修身斉家、財を興し、国を富す。けだしこの道にこゆるものなしと感服心酔、誓って志をここに尽さんと欲す、実にこの年正月なり。これより以来その書を謄写し、その義を究め、児輩を率いて農事を励み耕作肥培の法を精緻にし、稲を植ゆるに縄規を用い、麦を作るに七踏八転七糞の法を用ゆ。草履は自らこれを作り、飯汁自ら足れりとし、屋壁修めず、衣服飾らず、家を治むる厳、妻帑(さいど:妻子)耐へざるが如し。村民その業に感じ、その言に服し、社を結んでその教えに従うもの期年にして百有余人に及び、後遂に遠近に及ぶ。遠州の地、今に至って報徳の教え伝播して、ますます広きを加うるものは清忠の力、寡とせざるなり。
2026.08.31
大日本報徳学友会報第26回 明治三十七年七月二十三日予が見たる二宮尊徳翁 聖書の研究主筆 内村鑑三雑誌聖書之研究主筆内村鑑三氏去月十九日(1904年6月19日)遠江袋井町(現袋井市)耶蘇(キリスト教)信者の為めに学術講話会を開き、氏の見地より二宮先生を評論せらる。その筆記のせて静岡民友新聞紙上にあり。通読再三人に益するところあるを覚う。よりて本誌に転載して読者の一読を煩す。 記者予はかつて「日本及び日本人」なる一書を英文にて著し、これを世に示したり、録するところ、西郷隆盛、日蓮上人、上杉鷹山公等なりしが、これを読んで英米人のもっとも驚嘆せしは二宮尊徳先生という。彼らが異教国と称するこの国にかくのごとき高潔偉大の聖人あらんとは彼らの意外とせしところなりしと見ゆ。もし欧米人がつまびらかに先生の性行閲歴を知りえたらんには恐らく先生をもって世界における最高最大の人物に数うるならん。英人は世界の宝庫といわるるインドを有するよりもシャークスピア全集を有するを誇りとなす。否、シャークスピア全集を有するは誇りにあらず、シャークスピアその人を生じたるをもって光栄となすという。しからばわが日本は満州を獲(と)るよりもロシアに勝つよりもこの二宮先生を有するというにおいて至大の光栄となすべきか。予は汽車に乗りて国府津、松田間を過ぐるごとに先生を思うて止まざるなり。予の理想に近き人を求むれば先生はすなわちそれなり。 近年、日本に産出せられたる書物の中にてもっとも大なる感化力あるものは二宮先生の「報徳記」にしくものなし。予は予が小児らにまず読ましめたきものは、すなわちこの書なり。予が雑誌「聖書の研究」の読者に推薦して熟読を勧めおるものは実にこの書なり。この書は聖書的の書籍にして現今出版する幾百冊の書を読むもこの報徳記の百分の一の益をも感化をも受くることあたわざるべし。 何ゆえにこの書がしかく偉大なる感化力を有するや。他なし。これ真正の経済なるものは道徳の基礎に立たざるべからざることを先生の事業生涯をもって説明したるものなればなり。すなわち身をもってこの問題の解決をなしたるなり。先生は経済と道徳の間に橋をかけたり。先生の一生は経済道徳問題の福音なり。この意味において「報徳記」は一部の「クラッシク(古典)」なり、経書なり。 そもそも現今経済を論ずるものは、たいてい倫理道徳と関係もなきものと為すもののごとし。倫理と経済と分離して秋毫(しゅうごう)の関係なきものなるや否やは至難の問題に属すといえども恐らく倫理道徳の要素なしに経済の成立すべきはずなからん。アダムスミスの「富国論」は著名なり。邦人皆これを読みて経済学上の大著となす。しかれども彼はこれをその倫理学の一篇として書きたるものなり。彼は両者密接の関係を認めたるなり。しかるに現今英米の学者輩経済学をもって単に利欲の学問とせり。ここにおいてか経済学は武士の子孫が学ぶべきものにあらずなどと思惟したる者ありき。福沢氏のごときは道徳は畢竟経済なりと道破し現今の社会主義者は道徳は単に胃腑の問題なりなどというに至れり。かくのごときは果たして真正の経済学なるべきか。先生はしからず。道徳は原因にして経済は結果なりと断じたり。至誠勤勉正直(せいちょく)にして初めて経済の成立するものなりとせり。かくのごとき高尚なる経済論はたとえ英のオックスフォード大学に行くも決して聴くことを得ず。勤倹貯蓄のみが先生の報徳なりとなすものあらば先生を誣(し)ゆるもまた甚だしからずや。もしかくのごとき人あらば予は先生に代わりていわん。諸君は誤れり。諸君まず善人となるべし、至誠の人となるべし。予の根本とするところは道徳なるがゆえに諸君もまずこれを心がけざるべからずと。ゆえに先生の報徳説盛んに行わるるところには、必ずまず道徳的大変化大復興起こらざるべからず。もししからずしてただ勤倹貯蓄経済上の変化のみならばいささかこれをあやしまざるを得ず。 先生が事業をなすところには往々反対家出でたり。そはその地の料理店貸座敷あるいは一部の偽善者輩なりしが、これをもって見るも先生の事業方針のまさに道徳上の改革よりはじまるを想見すべきなり。かつて大磯の川崎屋孫右衛門なるもの先生につきて廃家再復の途(みち)を聞かんと欲せし時、先生浴室より飛び出し、夜中二里余を隔てたるところに逃げ行けり。何ゆえぞやといえば、彼のごとき難物は容易に道に入(い)るべき人間にあらず、仕法を教ゆるも益なしと考えたればなりという。家政困難を救うは、先生の喜ぶところなりといえども、その人物を改善せしむるを先となしたることこれをもって明らかなり。先生の自信の強きことはまたこれによりて知らるべし。今日のキリスト教の伝道者などが説教聴聞に来るものあらば、よくこう来たれりとて礼を述ぶるがごとく卑屈ならず。教えを乞うものあるもまず自ら教えを受くるに足る者となりて来たるにあらざれば決してこれを授けずして、しりぞくるがごとき自信力は先生の有せしところにしてかくのごとき確信こそ吾人(ごじん)の得んと欲するところなり。しかしてその与える再興の法は何ぞやといわば、汝は非を飾り他(ひと)を苦しめんとす、誠に悪人なり。速やかに善に帰し、家産を尽くして、人命を救助し、一人も助命の多きを願うべし。これ汝の家の再興の法なりと教訓せしがごとき実に高尚なる工夫なり。 先生が破産家の整理法は実にかくのごとし。今日の社会決してこれを見いだすことあたわざるなり。予かつて某地の人某の二万円ばかりのために整理の相談を受けしことありたり。予は翁の教えをもってこれに勧めたり。すなわち財産を陰蔽するなかれ、至誠をもって各債主に事情を告白せよ。無一物貧措大となるも恐るるなかれ。有るを有るとし無きを無しとして一毫の私心をはさまず返却の途(みち)を講ぜよといいしに、後某来り謝して債主等の好意能く予の至誠他意なきを憐れみ満足なる整理を遂げたりとのことをもってせり。 また先生の印旛沼堀割見分の命を受けその復命をなしたるごとき実に現時の人々(ひと)に見ること能わざるところなり。先生つぶさに種々の調査を遂げ確かに印旛沼堀割より生ずる大益を認めたれども、その地方人民の道徳腐敗のゆえをもって直ちにこれに着手するもその功なきを認め、まず儒者を遣わしてその民を教導ししかる後に事業の挙がるべきをもってしたり。先生はこの沼の開墾事業をもって道徳問題となしたり。今日の技師らにこの見識ありや。測量や水利やただこれをもって土木事業は成就すべしと思うは非なり。先生は百五十年以前すでに日本ありて以来の卓抜の識高潔の徳をもって、かくのごとき復命をなしたり。今日の経済学者はまずソロバンを手にす。先生はまず至誠有無を質(ただ)す。吾人先生に学ぶところなきか。 今や不景気の声高し。この救済策をもって先生に問わば、先生必ず云わん。人民腐敗せり、まずこれを救わざるべからず。不景気の救済は不道徳の救済ならざるべからずと。今どきの人、ややもすれば挽回策をもって農工銀行や商業銀行の設立によるとなす。しかれども人心腐敗すればかくのごときものはかえってこれ不景気の前駆となり破産の機関となり了せん。予聞けるに越後の人にして所有地を抵当になし農工銀行より金(かね)を引き出し放蕩して遂に破産せるものありき。畢竟経済の本は金にあらずして人の心にあるなり。この点において先生の経済論は実に敬服のほかなきなり。今の経済学者はただこれをもって金銭利欲の問題となして人の意志に関する無形の倫理道徳の問題なるを知らず。真に憐れむべきにあらずや。 予は農学士なり。今やキリスト教の伝道者となりて東奔西走すれば、友人輩あるいはあやしみあるいは笑えり。予思えらく、牛の改良や種子の改良やその事はなはだ容易なり。ただ人心を改良し、罪あるものを悔い改めしめ、悲しめる者に慰謝を与えることこれもっとも難きことにして、また甚だ尊貴なることなと。かくのごとき事業こそ万事の根本となるにあらずや。これ予の喜んでとるところの事業たるなり。予の伝うる福音を信じて破産をなしもしくは放蕩するがごとき人はいまだかって一人もこれあらざるなり。 すべての財産は天のたまものなり。至誠勤勉の結果なりとは二宮先生の教訓なり。キリスト教においてもまたしかり。人往々キリスト教の信仰のごとき絶えて経済などには関係もなきもののごとく思惟するは甚だいわれなきことなり。(完)
2026.08.31
「永平家訓抄話」沢木興道 その13『正法眼蔵』弁道話の中の問答のところに、先尼外道について説いてあるが、これを特に詳しく取り扱っているが『正法眼蔵』即心即仏の巻である。この先尼外道ではこの身は住宅みたいなもので、その中の主人が魂で、この身体は生まれたものじゃから死ぬるけれども、即心是仏、これをよくのみこんだら、この魂がいつまでも死なず、二度と再び凡夫に生まれない。だから、この身このまま仏じゃ、これが安心じゃ、とこういうのである。だから「一たび即心是仏に帰しぬれば第二世無し」で流転輪廻の、こんないやな娑婆世界へ二度と出て来ないと考えたのである。この先尼外道と同じ考えの仏教者と称するものもたくさんあるから、ここで例を出して間違いを明らかにするのである。 それを道元禅師が、「恁麼(いんも)に会せば即ち断見の外道に同じ」こう結んで、「良久して曰く」これは創作でいえば、間をおくということである。それから道元禅師のお言葉として「即心即仏何の宗旨ぞ」と問題をお出しになっている。そこで『華厳経』の中には「初発心時便成正覚」という言葉のあることを思いかえしてもらいたい。発心すればもちろん、自暴自棄であってはいけない、自分自身が仏道を修行すればこそ即心是仏である。つまり仏法から引きずられて行けば、即心是仏である。『正法眼蔵』生死の巻には「ただ我が身をも心をもはなちわすれて、仏のいえになげいれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれずこころをもつひやさずして、生死をはなれ仏となる、たれの人かこころにとどこほるべき」とある。仏から引っ張られ、仏法から引っ張られて行く、このわたしの一生が即心是仏である。 ところが反対にこのごろの人達は「はからい」とか「我執」とかを捨てるとかいいながら、こちらへ仏様を引っ張っている。仏様を食って凡夫にしてしまうのである。つまり凡夫は即心是仏といっても、仏様を自分の好みにかなった、都合のよいものにすぐしてしまうので、ここに「即心是仏何の宗旨ぞ」と。道元禅師が世の中に仏教者に警告されるのである。人間最後の大安心の得られた世界だけが即心是仏の宗旨なのである。これが『参同契』でいえば、「四大の性自ずから復す。子の其の母を得るが如し」で、これが真実の仏者の安心である。これでこそ、人間に生まれ甲斐があるわけである。(「永平家訓抄話」p.256-258) よく曹洞宗の坊主は悟りを講義するというが、お釈迦様でも、一生『華厳経』にせよ、『法華経』にせよ、『大般若経』にせよ、これは仏道の悟りの講義である。それが下手か上手かというだけの話で、われわれみたいな下手くそな仏法の講義もあるが、この仏法の講義もあるが、この仏法をどうしたならば一切衆生がよくのみ込むか、どうしてこの即心是仏を得せしめるかとというのが、釈迦一代のご説法である。だから『法華経』には「仏之知見開示悟入」とある。これが即心是仏である。 この『法華経』というものの眼目はいったいどこにあるかといえば、無量義処三昧である。無量義処三昧の中では、悪逆の提婆が成仏する、八歳の竜女が成仏する。だからこの三昧の中には仏ばかりで、仏でないものは一人もいない。これが即心是仏である。『華厳経』の中には海印三昧とある。この海印三昧の中には、過去現在未来、まだ弟子にもなっておらん舎利弗までが出てくる。これは摩訶不思議である。だからこれを歴史家にいわせると華厳は嘘ばかりだというであろう。舎利弗、目連なんというものは、馬勝比丘が托鉢する姿を見て、これは大変なことじゃと感動して仏弟子になった。ところが、これが仏弟子になるずっと前の華厳の物語の中に出て来ている。それは、つまり、海印三昧の中では過去も現在も未来も何の差別もないからである。華厳というのは何かといえば、これは仏成道の初めの二十一日の坐禅の内容である。『正法眼蔵』の弁道話の中には「もし人一時なりといふとも、三業に仏印を標し、三昧に端座する時、遍法界みな仏印となり、尽虚空尽く悟りとなる。故に諸仏如来をしては本地の法楽をまし、覚道の荘厳を新にす」とある。これは陳腐な悟りを、真新しくするのが坐禅であることを端的にお示しになって、仏道修行の意味を明らかにされたのである。またつづけて「及び十方法界、三途六道の群類、みな共に一時に身心明浄にして、大解脱地を証し・・・・・」とあるのは、このわたし一人の一時の坐禅の内容が、すでに、上は諸仏如来をして、覚道を新たにし、下は三途六道の群類をして大解脱を得せしめることである。つまり坐禅のないところに、即心即仏はないわけである。だから「即心即仏何の宗旨ぞ」これは即心即仏といわないでも、仏道の、つまり三昧の内容の話である。しかし言葉としてはそうなければならん。「児啼(じてい)を制せんと欲して一挙を打す」われわれは、この必然というものに向って妄想がやまない。だいたいお談義を聞いてもおかしいじゃないか。日蓮宗では一天四海皆帰妙法と誇って、よその宗旨は駄目だと思っている。そんな阿呆なことがあるものか。一天四海皆帰妙法、妙法のほかに漏れるものは鼻糞一つもあるべきはずはない。聞悟名号摂取不捨。聞くまいと思っても耳に入ってしまったら摂取不捨。そうすれば、念仏の声を聞いた者に漏れるものは一人もいないわけである。だから仏の本願の仏の説法は何を説いておるかといえば、一切衆生摂取不捨を説いておる。そこで児啼を制せんと欲して、ええくそ、やかましい啼くなというので、「ぴしゃっ」と一拳を打す。ここの即心即仏という言葉はこの児啼を制せんがためである。鼻の先へ糞をつけて、「だれが屁を放った、だれが屁を放った」というて大騒ぎをしておるようなのが凡夫である。そこで「それ、そこじゃ」と手をとって示す。ところが、この世の中はみな実物を持ちながら、空名を探して大騒ぎをしておる、まだそれよりも下等なやつは、名利を求めるために大騒ぎをしておるじゃないか。そこへ仏は一拳を打す。わたしの言葉でいえば、ぐずぐずするなということじゃ。黙っておれということである。(終わり)
2026.08.30
「永平家訓抄話」沢木興道 その11 わたしが熊本におったときに、暁烏敏さんがわしの行く家に額を書いていた。あの人はもとから、えらい近眼だから、手さぐりのようにして書いたのであろう。離れ離れに「不安心」と書いていた。それがわたしには大変おもしろかった。さすがは横着坊主だけあって、不安心とはよく書いたものだ。たいがいの者は不安心などと書くものではない。何やら効き目のあるようなことを書いてやるものだ。そこで、わたしが「暁烏の横着者が不安心と書いておる」といって、講演の中に一くさり入れたところが、その中に暁烏さんの信者がおって、さっそく「先生、あなたのことを沢木坊主が暁烏の横着者といいました」と告げに行った。そうしたら暁烏さんは「そんなことはわけがわかっておる。沢木という男はわかる男じゃ。横着者だから横着者といったんじゃないかいな」といったという話があったが、実際いうたら不安心なのである。安心立命なんて、くそ落着きに安物を買うてもらっては困る。ところがこの安物買いが、真宗でも禅宗でも信者の中に多い。 昔わたしが伊勢におるときに、そのごろ、碧巌を聞いておりますという弁護士があった。「そんなもの聞かんで、『学道用心集』とか『坐禅儀』を聞いたらいいじゃないか」といってやったら「そんなものはわかっておる。わたしは字のむずかしいのが好きじゃ」という。そんなのは何にもならん。そして悟りというものを頭の手品使いみたいな気になっておる。小僧等は「へい、これも頓智ものでしてね」といいおる。そして臘八接心に公案が五つ通ったといって得意がったりしている。まったく何をぬかしているのかといいたいところである。それでは人生に何の解決もなければ、何の安心も不安心もあったものではない。 臨済の臘八にでも、行ってみなさい、今年は暖かくて、気分が出んとかいって窓を開けはなし、敷瓦の上に水をまいて、もっと寒い目をせんと気分が出んという。そんなことは修行でもなければ何でもない。だいたいざっと禅宗などというて肩をいからしているものには、仏道を骨身にこたえるまでやって行こうとする者はおらん。真宗などでは、何か安心を求めようと思う者がおるけれども、しかし理智やらいろいろのものが門口に突っ張っておるのじゃから、なかなかお手軽には行かん。昔の人は今のようなおかしな坐禅ではなかった。そこでここにその一例をあげてある。「或いは道う、一たび即心是仏に帰すれば第二世無し」人間は生れかわり死にかわりするものと聞かされると、それを本当のことと思って苦にする。ああもういやな人間の娑婆だ、昔はまだ神風も吹いたけれども、これからは空襲やら原子爆弾やらでもう逃げるところはない。こんないやなところより早う極楽へ行けたらとかいって、初めからこの世をはかなんで、極楽へ逃避しようという神経衰弱みたいなのもいる。だから念仏申し申し、首を吊って死ぬというものもあっても不思議はない。
2026.08.30
「永平家訓抄話」沢木興道 その10 『五燈会元』の巻三の馬祖章に「僧問う、和尚甚麼(なん)してか即心即仏と説くや。師(馬祖)曰く、小児の啼くを止めんがためなり。曰く啼き止む時如何。師曰く非心非仏、曰く此の二種を除いて人来らば如何が指示せん。師曰く、伊(かれ)に向って道わん、不是物」という公案がある。ここで、大梅法常禅師の即心即仏の話にちなんでついでにお話しすることにする。「僧問う、和尚甚麼としてか即心即仏と説くや」と。なんで即心即仏といいますかとある。いったい、説法というものは、これでよいという説法は絶対にない。もうこれでよい、わたしはもう沢木さんの話は手に入ったというものがいる。手に入ったか、耳に入ったか、口に入ったか知らんけれども、そんなものではけっしてない。いかなる説法でも、『華厳経』でも『法華経』でも、何でもみな方便であることを知らねばならぬ。 そこで僧の問うには、「なにとしてか即心即仏と説くや」と。これをよく間違える。よく「当流の安心は他宗他門のように死んでから極楽へ行くというのじゃない、この身このまま即心即仏というてな」とかいって説教しているものがあるが、おかしゅうなって来る。何を飲んだくれの和尚が、金がほしい名利のやっこが、何やらの亡者みたいなやつが「即心即仏」とまことしやかに説教しているのだから、おかしくてならない。真宗あたりでも、これがなかなか多い。 わたしは子供のとき、真宗の後生願いじゃったから、後生願い仲間のことはよく知っておる。わたしらの国は真宗がはやるところであるが、よく「後生願いと栗の木にまっすぐなものはない」という。「悪人正機の御本願」というと悪いことをしなければ助からんように思ってみたりする。また平生強情ばかり張っているので、なんであんたそんなに強情張るのかといったら、「それでも平生強情とあるじゃないか」と平気な顔をしていう。ゴウジョウはゴウジョウでも業成というて、字が違う。それだから、「戒法たもてといわれたとて戒法のたもてるような私じゃなし、坐禅せいといわれたとて、坐禅のできるような私じゃなし、この身このまま」というて怠けてしまう。こんな、ざっとした後生願いが多かったものである。あるところでは「悪人正機の御本願で、よその茄子をちぎらずにおれといわれたとて、ちぎらずにおられるような私ではございません。如来様に万劫永劫御苦労をかけました。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」といいながら他家の茄子を盗んでいた。実際こんなのがおったんだからおもしろい。そこで即心即仏ということは、前の言葉でいうたら「諸祖道く無心是仏」で、自分の妄想の尽きたところこそが、即心即仏なのである。 そこで「師曰く小児の啼くを止めんが為なり」子供がないているときには、おうおうよしよしやらなければならないのは当り前のことで、これが方便というものである。われわれは仏道修行すれば、この身このまま仏になれる。しかし鼻歌を歌うのと、念仏を申すのとでは非常に違う。それはパンパン買うか、坐禅するかという違いである。「啼き止む時如何」なき止んだらどうですか。「師曰く非心非仏」なきやんだらもう心にも仏にも用事はない。またなくなかぬかも問題ではない。だから「曰く此の二種を除いて人来たらば如何が指示せん」なくもなかぬも問題でない人、すなわちこんな二種を除いた人が来たらどうなさいますか。「師曰く伊(かれ)に向って道わん、不是物」物とかいって別にとりたてて見るものはない。みな自分とぶっ続きだと、こう彼にいおうと馬祖が答えられたという話である。 そこで前にもどって、「即心是仏と道(い)うと雖も是れ心猿意馬即仏と道(い)わず」これは昔から「心猿飛び移る五欲の技」というが、欲の皮がつっぱって、心がまるで鶯の谷渡りのように朝から晩までばたばたやっておるを形容したのである。猿のかくれんぼ、これが心猿。意馬というのは、馬の子が前を向いて行くのか後を向いて行くのかわけがわからん。心はかくほどさようにはっきりとしたものではない。それをたとえていったもの。人間は一生何を考えておるかというと、それぞれひとかどの顔つきをして、先生は生徒に偉そうなことを言い聞かせ、親は子供に意見をし、おじいさんは孫に意見するが、しかしそれで本当に永久に役に立つ無上甚深微妙の法を説いておるのかどうかというと、これはとんでもない話である。まず、たいていが、心猿意馬である。 浄土宗のおばあさんが、「チンチンチンチンなんまいだぶ、なんまいだぶ、・・・・・それ!それ!鶏を追え追え!それ!赤ん坊がそこから落ちる!なんまいだぶ、なんまいだぶ!」念仏を称えながらいろいろのことを指図している。わたしがあるところへ滞在しておったとき、そこに祥月命日があって、お寺から三部経をあげに来た。わたしがそのうしろで坐禅しておったら、そこのお婆ちゃん、三部経を半分あげる間に用事もありませんのに台所へ何遍も立った。たいくつでじっとしておれんのだろう。そこでわたしは婆さんに、「お経中に、そんなに立って歩いてばかりいるようでは、今日のところはお経を半分に負けておけ」というて値切って「ただしお布施だけは当り前に出せ」といってやった。番僧はお布施だけをちゃんともらえたので喜んで帰っていった。実際人間というものは一生が猿の子みたいものである。一定の人生観があって、がっちりしておるのじゃない。心猿意馬である。毎日が心猿意馬、一生が心猿意馬、それを道元禅師は おろかなる心ひとつの行末を六つの道とや人の踏むらん これが六道輪廻である。朝から晩までがそうである。ご膳に向っても六道輪廻、ああこれはうまいという、餓鬼道じゃ。ああこれは味なしという、修羅道じゃ。これを『宝鏡三昧』では「繋げる駒、伏せる鼠」というてある。心というものは、このように、どうにも始末におえんものである。そこでお釈迦様がそれに始末をおつけになろうとなされたのが、仏教の出発点だった。人間くらいやっかいなやつはない。このやっかいなやつを、何とか始末をつける法が、仏法というものである。このままではいかん。このままでは何も即心是仏じゃない、即心是凡夫である。 ところが、「近代の学人多少か錯って会す」これのとり方にたいへんな誤りがあると、即心是仏と心猿意馬と、言葉と実際とはこの通りどえらい矛盾がある。そこの微細なさわりがわからないので、「この身このまま仏じゃ」と思ってみたり、何とか中途半端なところで安心をこしらえたりする。だいたいこうして、この安心がしたいというのがやはり我執である。
2026.08.30
「永平家訓抄話」沢木興道 その9 ところが世の中を見ると、みなばたばたしておる。昨日も、自動車が走って来るのに、道を横切ろうとして自転車がちゃんとやった。ひかれはせんかったが、もう少し安全に通れるまで待っていたらよかりそうなものにと、こっちには思えるが、そこが待っていられないのであろう。ガチャンとぶっ倒れて、きまり悪そうな顔をして起きた。ひかれなかったのがまだしもだった。そういうふうに、もろもろの世界を見ると、これみな無心でないからである。だれでも無心でありさえすれば、これ仏である。これを南無といい、無心是仏といい薬山禅師は非思量といわれた。「江西の馬祖道(いわ)く、即心是仏と」字が読めさえすれば、意味もちゃんとわかるとと思っている人が非常に多い。ことに学者という者にそれが馬鹿に多いから困る。即心即仏、これはなかなか容易なことじゃない。馬祖門下の八十四人の善知識が、その字の意味はわかっていたろうが、この即心是仏という実物が、みなわからなかった。その中で、ただ大梅山の法常禅師だけがこの即心是仏の道理に達せられた。これは古来名高いhなしであるが、法常禅師は即心是仏と聞いて、徹骨徹髄、即心是仏を体得され、そのまま黙って山中に引き籠もり、坐禅してついに下山されなかった。ところがあるとき山へ入った馬祖門下の僧が、山男みたいな妙な坊さんが坐禅しているので不審に思って「あなたは何でこんなところへ入って坐禅しておるか」と聞くと「わしは馬祖のところで即心即仏という説法を聞いて、それからこの山に入ったんだ」と答えただけだった。そこでその僧がもどって来て馬祖に話した。すると馬祖は「もう一遍その山に行って来い。このごろは馬祖の説法も改正になった。即心即仏は古い。馬祖の説法は非心非仏だといえ」と命じた。その僧は再び山に登ってその旨を伝えた。そうすると法常禅師が「この老漢、人を惑乱すること了期あるべからず、他はさもあらばあれ、我はこれ即心即仏」と答えた。 このごろ新聞で老漢という字をよく使うから、わたしの立看板に沢木興道老漢提唱と書いてあったら、あれは非常に感じが悪い、やめてくださいといって来たのがあるが、老漢というのは悪口じゃない。敬愛の念を表わした語である。ここのこの老漢というのは、馬祖のことで、つまりお師匠様を親愛の情をこめて「おやじ」とでも呼ぶような気持ちだろう。「この老漢、人を惑乱すること了期あるべからず」了期あるべからずというのは、はてしがないということである。俗にいうたら口に番所がないというが、このごろの言葉でいえば、言論は自由といいながら、よくも勝手なことをいいやがるということである。つまりざっといえば、この老漢、人をちょうらかすにもほどがあるといった意味だ。 そこで「他はさもあらばあれ、我は是れ即心即仏」と、自分の不動のところを示して、相変わらず坐禅をつづけてとんと相手にならない。そこでその僧は馬祖のところへもどって「この老漢、人を惑乱すること了期あるべからず、他はさもあらばあれ、我は是れ即心即仏というて威張ってました。なかなかの心臓ものですよ」と馬祖に報告した。そのときに馬祖が「梅子(ばいす)熟せり」といった。つまり法常禅師が、大梅山におられたので、梅子と愛称され、熟せりとほめられたのである。 人の口の端に乗って、これはいけないと思ったり、まだまだといわれると、本当にまだと思ってみたり、悟ったといわれて喜ぶようなことでは何でもない話である。そこのところが「梅子熟せり」である。永平寺に参詣する人は、中雀門に「熟梅」という鳥が飛んでいるような形に書いた二字の額があるが、こういう意味であることを見て来てこらいたい。
2026.08.30
「永平家訓抄話」沢木興道 その8 わたしが子供のときに、小僧だからこき使われてくたびれるものじゃから、ねむたくて仕方がなかった。ある夏のこと蚊帳の中でいい気持で寝ていると蚊が入ったいうて大きな雲水どもがばたばた始めた。わたしはそのころ鉄元という名前じゃったので「鉄元、貴様は人がばたばたやっておるのにグウグウ寝ているという法があるか」としかったので、「わたしは殺生はせん」といってやった。蚊に食われるぐらいなんでもない。寝る方がよかったからである。またあるとき茶碗が「がちゃっ」といって割れたら、「こら茶碗割らかしやがって!」とどなったので「諸行は無常じゃ」と太平楽をいうておったこともあった。これなどは必然に対して文句ないのはよいが、これでは近所が迷惑したことであろう。 宏智禅師は、陶器がうしろで「がちゃっ」と落ちて割れたが後ろをふり向いてみようともせず、そのまま向こうをむいてさっさと行かれた。これを人が見ておって、これはただものじゃない、偉い人じゃというので、ついに見出されたという話がある。ところが「鏡を割らかしやがって」とでもいってしかられると、「わたしばかりじゃありません、あの人も割りました」と人まで友引きしようとする。 わたしが熊本におったときじゃったが、学校が焼けた。宿直がすき焼きか何かして酔いどれて寝て、そこから火が出た。ところがなかなか白状せん。ところが後になってぼつぼつ白状した。これでは無心でない。無心なら何もぐずぐずせず、実はわたし飲み過ぎまして、酔いどれて、火の始末もせんと寝たので、火事が起こって、わたしも命からがら逃げだしました、といえばおもしろい。ところが一か月も豚箱に入れられて、ぼつぼつ白状したので、そのころ、卑怯なやつだという評判が立った。 無心というのはけっして卑怯であってはならない。実に公明正大なもので何のために何するという、そんな功利的なものであってもならない。それを道元禅師の『坐禅箴』には「不思量にして現ず」とある。西洋人の言葉には「思うがゆえに我あり」とあるそうだが、思うても思わないでもあるものである。思ってからぼつぼつあるのじゃない。それを「縁に対せずして照す」というのである。お天道さんが、これだけ照らせばどれだけになるとか、どれだけ燭光照してやったとか、それでどうなるとか、いうのではない。これを「日輪痕を照臨してその功に誇らず」というのである。それこそ誇るどころじゃない、なんのことはない、そこが無心というのである。 だから無心くらい広大なものはない。世間の人間がみなこの無心に安住するならば、つまりいうと、みな成仏するならば、これくらい安全なことはない。ところがみな無心にならない。無心どころの騒ぎじゃない。いやが上にめんどうくさい有心、妄想の上塗りに上塗りをやって、とうとう中心がわからなくなったよい見本が、今日の仏教学というものである。 無心ということは、つまり己れを抜きにすることであり、己れを抜きにすれば人生すべてのことで解決しない問題はない。だから仏教では無我を教えるのが、最初で最後であるわけである。無我無心というたって、別にぼうっとなって、意識がなくなることでもなければ何でもない。必然に対して抵抗しないことで、つまり服従することである。ただ服従するばかりではない。積極的にする自分の仕事も、みなことごとくこの無心でなければならん。こうすればこれだけになるとか、ぼくはこれだけのことをしておるのに、上役のやつは、一向目が見えんとか、なんとか文句なしに自分のすることをしたらそれでよいじゃないか。たとえ、橋の上で寝ている乞食にうまいものを食わせたり、着物をやったりすることがあっても、ただ黙ってするのでなければならぬ。ところが黙っておらないで、あるところで「これくらい、してやっているのに、なぜ礼をいわんのか」といったら、「これだけ俺にくれておいて、お前はうれしゅうないのか」というて逆ねじをくわされたという話がある。せっかくやるのなら、無心でやったらよいじゃないか。礼をいわれたさに物をやるくらい馬鹿げたことはあるまい。 ところが人間のしておることをさぐってみると、有心も有心、それこそ権謀術数、こうすればこうなる。ああすればああなる。そしてそれが思うようにならぬと煩悶する。それは妄念にがんじがらめにふんじばられて、動きがとれんようになっているからである。一切衆生の動きというものは、みな必然に対する妄念であり、この妄念が暴れまわっているわけである。 わたしがよく、人間と人間と出合うとくは、狼であるというが、男と女が狼、金持ちと貧乏人が狼、へちゃと美人が狼である。昨日も人が「あなたはなぜ寺を持たんか」というので、「坊さんが寺の奪い合いで喧嘩をする、ひどいのになると裁判までして激闘する。それでは、本人同士は出家のつもりかどうか知らぬが、世間並みの利権闘争と少しも変わりはせん。それほどまでしても寺を持たんならんとは考えられぬから、寺を持つことだけはごめんこうむった」といってやった。そもそも出家ということは、そういう裁判をするような世界からはごめんこうむることではないかと、わたしは考えるのである。社会でも、家庭でも、あるいは個人でも、それぞれ胸算用で何もかもややかしてひっくり返したようにバタバタする。仏教の術語ではこれを貪・瞋・痴・慢・疑・悪見といっている。つまり胸算用から貪欲が起こり、瞋恚が起こり、人と比較して慢心が起こり、真実の道理において疑いを起こす、それから我執を持つ、そして邪見を起こすというのである。こうして煩悩によって業を蓄え、業によって愛心を生じ、そしてそれにがんじがらめにふんじばられて、動きのとれんものとなる。これを凡夫というのである。それなら凡夫というものが本当にあるのかというたら、ありはしない。『金剛般若経』の中には「衆生に非ずこれを衆生と名づくと説く」「阿耨多羅三藐三菩提に於て乃至少法の得べきものあることなし、これを阿耨多羅三藐三菩提と名づく」とある。なんにもない世界に、われわれはなにかあると思って、一人でばたばたしておる。網の中に入った鼠が、出られないことがわかっていながら。ばたばたやって、鼻の先をすりむき、ついに子供の玩具になり、一番しまいにはふらふらになって、猫のところへ持って行かれて食われてしまうことになる。わたしはいつも網の中に入った鼠を見ると、あの中で坐禅しておったらよさそうなものなのにと思う。あの中で無心にこうやっておったら、ちょっと、猫も噛み殺そうとしても、きまりが悪かろうと思う。
2026.08.30
「永平家訓抄話」沢木興道 その7 われわれは、いつも功利的にばかり考えておるが、いったい人間一生何ぞになるか。あなた生まれて来て何をしたかというと、死んで行く人に聞いたらおもしろいだろうと思う。「何もしなかった、生まれて来たものじゃからしようがない、餌を食って生きていただけさ」というであろう。今日も下の部屋で、送って来た雑誌をちょっと見たら、「このごろは歯が悪くなって、飯を食うのが億劫で、めんどうくさくなった。ついでのことに生きておるのまでがめんどうくさくなったが、生きるだけは生きなならん」と書いてあったので、世の中にはわたしと同じ者がいるなと思った。わたしもこのごろは人と一緒に飯を食ったらなかなか能率が上らない。だいたい、歯が一本も合わんのじゃからしようがない。わたしに何しに生まれて来たかというたって、何だかわからん。だから互いに人の邪魔にならんように生きておったらよいのだ。世の中というところではろくでもない者が人の邪魔して生きようとするのじゃから困る。 こんなことを妄想というのであるが、そもそもこの妄想というのは、自分勝手な胸算用のことで、夫婦喧嘩でも、互いが自分勝手な胸算用でおっぱじめるのである。世界戦争といっても規模の相違だけで、自分勝手な胸算用からであることに変わりはない。この胸算用さえなければ、天下泰平ということになる。また第三次大戦でも始まりやしないかと、日本国中皆胸わくわくしている。もう一足先にやけ糞になりかけている気の早い連中のあるのも不思議はない。どうせ今度、戦争が始まったら最後、逃げたって逃げられやせんから、もう防空演習も何もいらん、ただ死ぬだけと思っていればよい。ところがもう買いだめを始めたという、気の早いやつもあるそうである。 良寛様の手紙の中に「災難に遭うときは、災難に遭うがよろしく候、死ぬる時は死ぬるがよろしく候、それを災難をのがるると申し候」とある。あれは何でも親類の中に「チブスか、何か、はやってばたばた死ぬし、財産はなくなるし、火事にはあうし」というようなものがあって、せっぱつまっての相談の手紙の返事らしい。いまでも、これが残っていて、絵葉書にまでなっている。その親戚にとっては、それは一生の浮き沈みに関する重大問題だったとしても、良寛様の解答はただこれだけだった。わたしがこの間あるところでこの話をしたら、それでもやはり感激した人があって、わたしが字が下手なのに、どうしてもこの文句を書けというのでたいへん難儀した。私は新しい文句を注文されるとたいへん困る。こっちの勝手にさせてもらうと、どこかでスケッチして来たのを、カンニングするからなんでもない。出来不出来はそのときのスケッチのいかんによる。この人がどういう具合に、この良寛様の言葉に感激したか知らないけれども、こんな人もいるからおもしろいと思う。 この間カミュの『ペスト』という小説を読んだが、ペストがはやって、いったんその町が出入り禁止されると、出れんものを出たいといって、やっさもっさ気をもむ人間が、ばたばたやっておる。その方がペストそのものよりおもしろいかった。恋人と別れてしまったり、夫婦別れになったり、いろいろなことが起きてきて右往左往のそのばたばたは、ペストどころかこのほうがたいへんだった。そういうのもいたずらに必然に対抗して、現在あることがなかったらよいがと妄想するからである。貧乏になったくせに、もとのように金があったらと思い悩んだりする。わたしに「もし、ひょっとして金を拾うたらあなたに坐禅堂を建ててあげる」というやつがおった。「いらんこというな」といってやった。自分のもうけた金は惜しいから、拾うた金で、と妄想する。だから株で儲けても、自分だけはこっそり妾をこしらえて、わしのところへ音沙汰はしない。そこで私は、無心ということは、この必然的出来事に対して文句のないことであるという。これを真宗の後生願いでは「あなたまかせ」といい、一茶にいわしたら ともかくもあなたまかせの年の暮 というだろう。つまり自分で、ばたばたしないことである。しかし努力しないことじゃない。人事を尽して天命を待つというが、それこそ人事の尽せるだけは尽くさねばならん。そうしなければご近所に対してあいすまん。
2026.08.30
「永平家訓抄話」沢木興道 その6 そこで「業は報を知らず、報は業を知らず」これがつまり只管(しかん)である。わたしが物をもろうて、ぺこぺこ頭さげて礼をいわんというので、不思議がった書生がおった。あなたはいっこう忘れたような顔しておるな、という。お経の中に「仏弟子は頭をさげて礼をいうな」とある。礼をいうということは、またどうぞよろしくということである。汽車の車掌でも、「毎度御乗車ありがとうございます」という。あれはつまりまたどうぞお乗りください、なるだけ高いやつに、三等より二等、二等より一等、願わくは寝台車にお乗りくださいということなのじゃないか。 それはただもらうのじゃから、ただもろうたらよいし、ただやるときは、人は礼をいわれたらこっちは気持ちが悪い。ただやって、ただもらう。雨は天からただで降る、ただで日が照る。太陽は燭光代をとりに来やせん。いったい死ぬとは総決算、ただなのじゃから、何も大したことない。いくらもらたって、余ったものは残しておいて死んで行くのだから、残すまいと思ってもなかなか骨が折れる。当り前でよい。それが「業は報を知らず、報は業を知らず、この知らざるところに道存して滞らず、塞がらず、この中楽しみあり、間断なく欠出なし」である。 道元禅師のお歌には 水鳥のゆくもかえるも跡たえてされど道はわすれざりけり とある。洞山大師はこれを鳥道玄路といわれた。 今、石頭大師は「前歩を喚んで後歩と作すことは即ち得ず、後歩を喚んで前歩と作すことは即ち得ず」といわれるが、ここに縦横自在の往来がある。これを鳥道玄路というのである。「作麼生(そもさん)か是れ恁麼(いんも)の道理」そういう意味において「卓拄杖一下」「どすん」「どすん」とこう道元禅師は学仏法の道処を躍動されたのである。 曰く、西天の諸祖道(いわ)く、無心是れ仏。江西の馬祖道く、即心是仏と、即心是仏と道(い)うと雖も是心猿意馬即仏とは道(い)わず。 近代の学人、多少か錯(あやま)って会(え)す。或は道う、一たび即心是仏に帰しぬれば第二世無しと。恁麼(いんも)に会せば即ち断見の外道に同じ。良久して曰く、即心即仏何の宗旨ぞ、児啼(じてい)を制せんと欲して一挙を打す。「曰く、西天の諸祖道(いわ)く、無心是れ仏」これは『永平広録』巻五、二丁目ところにある法語である。西天は申すまでもなくインドで、この西天に対して中国のことを東地といい、いつも西天東地とつづけていいならわしている。 この西天の諸祖、これは誰ということはない。誰もかれもという意味である。そういう諸祖が道(い)わくというわけである。じゃ、何といわれたかというと、「無心是れ仏」と。 無心というと、よく禅をやっても無心になれますかというものがある。昨日も放送局から録音に来て、アナウンサーが、「禅をやると無心になれますか」という。「いや無心にならんですよ」といってやった。静かに坐禅していると、忘れていたことまでよけい思い出して、どうにもならん。三年前に、一軒おいて隣りの家へ米を三合貸して、それを返しに来るときに、はかりがよかったとか、悪かったとかいうような、つまらぬことまでも、思い出されてしようがないのが坐禅である。仏教では善・悪・無記というが、そんな善でもない、悪でもない、無記でぼうっとしておるのが無心かと思うと、とんでもないことである。わたしがいつもぐずぐずいうなというが、ぐずぐずいわず、ぐずぐず思うなといったのが無心である。ところが人間というやつは、どうしてもぐずぐずいったり思ったりしていないと、おられないというしろものである。そして何をやっているのかといえば、一生ぐずぐずいったり、思ったりしてジタバタしたというだけである。これは猫が糞をしたのだ、いや犬が小便をしたのだというような、そんなどっちにしたって大したことでないことをやっさかもっさかやっている。そしていつでも人生の根本問題には、何の関係もないことをいかにも重大事でもあるかのように、本気で夢中になって大騒ぎをしている。世界大戦なんかも結局これだけのことから始まったに過ぎない。
2026.08.30
「永平家訓抄話」沢木興道 その5 こう冒頭にこの問題をあげておいて「石頭曩祖(のうそ)の当に明中に暗有るべしというを知らんと要すや」とあるのを参究しよう。さあ高祖は石頭和尚が、「当に明中に暗有るべし」というのを知らんと要すやと。「卓拄杖一下(たくしゅじょういちげ)」拄杖で「どすん」とやられた。その時大衆はどう受け取ったか知らないが、わたしは今これを説明してもはてしがない。結局ただ「明中に暗有るべし」というだけのことだ。回互中の不回互、不回互中の回互と何回いいなおしてみたって、どこまでもぐるぐるまいしてはてしがないだけで、どうしても、われわれの、その分別妄想をやめてしまわんことにはかたがつかない。それが卓拄杖一下、「どすん」の実物である。 これは、天皇寺の道悟和尚が石頭大師に、「いかなるか是仏法の大意」と問うた。ところが石頭大師は「不得不知」と答えられた。そこで道悟が、「向上更に転処有りやまた無しや」もっと高尚な道がありますかとさらに問うと、石頭大師はところがあるというわけで「長空白雲の飛ぶを碍(さ)えず」と答えられておられる。これからみても、石頭大師の「当に明中に暗有るべしというを知らんと要すや」つまり同中に異ありで、そこの卓拄杖一下にー明と暗との間にみじんもすきまのない明即暗、暗即明、明と暗と、暗と明と、ここに明は明ながら明中に暗、暗は暗ながら暗中に明―そこの現ナマが具体的に躍動している。 だから次に、「曩祖甚(なん)としてか道う、暗相を以て遇うこと勿れと。這箇(しゃこ)の道理を明らめんと要すや」さあ、明中に暗有りというたって、その暗相を以て遇うこと勿れ。明中に暗有りというたって、暗は暗ぎりでない、明は明ぎりでない。仏法無辺の道理というものは、見た通りでない。聞いた通りでない。そこに大乗仏教を表現するためにぼうだいな大乗経典が生まれたけれども、そんなことが現実にあるものじゃないから、これは嘘じゃと言う人がある。 なるほど、眉間の白毫相の光が東方万八千の世界を照して、過去現在未来十方世界が一目に見えるようなものがあろうわけがない。そこで現実とあわんから嘘じゃというのである。それでは文芸ということがわからんことになる。こんな物わかりの悪い人間には、大乗仏教なんていうものがわかるはずがない。そういう手合いがなかなか多いから気の毒な話である。「曩祖甚(なん)としてか道う、明相を以てと。這箇の道理を明らめんと要すや、卓拄杖一下」これも妄想分別のはからいをみじんもまぜずに、まっすぐにこの躍動を見ねばならん。「曩祖又道う、明暗おのおの相対して比するに前後の歩の如し」と。これはおもしろい。前足と後足と。前足は右足ともきめられん。後足は左足ともきめられん。瞬間瞬間に動いておる。だから、前足を前足ともいわれん。後足を後足ともいわれん。どちらが前足とも左足ともきめられん。それならきまりがないかというと、きまりがないことはない。 葛城の慈雲尊者の法語の中に「道は古今たがわず、首かみに位し足しもに居す、前後別有り、左足ところ定まる」右足は右足、左足は左足、右足を左足ともいわれん、左足を右足ともいわれん、前足を後足ともいわれん、後足を前足ともいわれん、男を女ともいわれん、女を男ともいわれん。男は男で女は女。それなら、男女同権というて、男が偉いか女が偉いか。なに、それは男は男で、女は女であるだけで、どちらが偉いとも偉くないともいうことはできない。 それで「大衆前後の歩を知らんと要すや」『華厳経』の中に「因は果を知らず、果は因を知らず」ということがある。前足が妄想分別であるわけじゃない。後足がおれは後足じゃと思っておるのじゃない。前後ともに、前足も非思量、後足も非思量。目は横、鼻は縦。臍が腹のまん中にあって、おれは中央に控えておるとも何ともいわん。足は、おれは馬鹿らしい、一生労働者で、手が遊んでおるときでも、おれの遊んでおるときはないじゃないかとも何ともいうておらん。黙っておる。頭も非思量、足も非思量、臍も非思量。だから比するに前後の歩の如し。大衆前後の歩を知らんと要すや。そこで「卓拄杖両下、曰く、前後を喚(よ)んで後歩と作すことは即ち得ず。後歩を喚んで前歩と作すことは即ち得ず」これはその通り。因が一定、果が一定。前足を後足とはいわれん、後足を前足とはいわれん。しかし前足が前足じゃと思っておるのでもない。 また葛城の慈雲尊者の法語の中に「業は報を知らず、報は業を知らず、この知らざるところに道存して滞らず、この中に楽しみあり、間断なく欠出なし」と。それはそうである。世の中には人に物をやって、あれだけやっておいたら・・・・・と、まるで釣りでもするように、これだけのよいエビの餌なら、よほど大きい鯛がつれるじゃろう。初めからこれだけやっておいたら、これが倍になってもどって来るじゃろうと考えるやつがいるからやり切れぬ。そこでよく人に物をもろうて「こんなものもろうてどうしよう、ほっとけん、何とかせんならん、どうしたらよいだろう」と心配するようなへちゃなやつがある。だいたい物をもらうと頭痛を病むなんて、めんどうな話だ。また物をやって他人に頭痛を病ますようなめんどうなやり方をするものもあるもろうたときには、ただ黙ってもろうておいたらよいじゃないか。やるものなら、ただやったらよいじゃないか。もろうためにやる、だから世の中がけたくそ悪くなってしまう。
2026.08.30
「永平家訓抄話」沢木興道 その4 雪舟が石頭大師の顔を描いたのが今も残っておる。それはカンカン干しの痩せたえらい顔である。行思大和尚の歿後は南嶽の南台へ行かれた。ところがその南寺の東には石台があったので、その石の上に、草菴を建てて住んだということである。それから世の中の人が、石頭和尚と呼ぶようになったといわれている。唐の貞元六年になくなり、今でも塔があって、その銘に見相宝塔とある。いくつでなくなられたかはわからないが、石頭大師というのは、こういう非常に偉いお方であった。その石頭大師の代表的な著作がこの『参同契』である。 そこで「兄弟見ずや石頭の道うことを」と。何と言われたか。「当に明中に暗あるべし、暗相を以て遇うこと勿れ。当に暗中に明あるべし。明相を以て覩(み)ること勿れ」と。『参同契』には明暗ということについて「霊源明(れいげんみょう)に皎潔たり。技派(ぎは)暗に流注す」「暗は上中を合するの言、明は清濁を明すの句」と三回この明暗ということが出ておる。明暗というてもこれはただ目で見る明暗ばかりではない。仏教を字の通り読んでは困る。どうも口でいえないことをいうのじゃから、そこに詩が生まれる。口でいうものだけなら、ただ読めばそれで済むのじゃろうけれども、口でいえないことは、詩の余韻で翫味するより仕方がない。そこで明というても何を意味しておるか、暗というても何を意味しておるかを味わうのである。『般若心経』でいうなら「明中に暗あるべし」ということは「色即是空」ということじゃないか。「暗中に明あるべし」とうことは「空即是色」ということじゃないか。 そこで『参同契』には「回互(えご)不回互(ふえご)」とある。回互ということは平等ということである。たとえば夫婦の間は回互しておらんならん。夫婦の間に回互なしでは困る。わたしの知っておる和尚のところで、丘宗潭老師が一泊されて翌朝お立ちになるとき、朝飯を差上げて送り出そうと、和尚はそのつもりでおった。ところが九時になっても十時になっても、細君がいっこう飯の用意をせん。和尚ジリジリして台所へ行って「オイ婆さん、飯は」というと、「飯は私の分だけあったから私が食った」「後は」「もうない」こんな婆さんをもらったら困る。不回互である。かかあはかかあで勝手なことをしておる。あるじはあるじで勝手なことを考えている。そうしてめいめい巾着も別なら生活も別、不回互ぎりならそれは夫婦ではない。それならというて、交替で赤ちゃんにおっぱいをやるとか、飯炊きは一日おきに交替でやるとか、いつもくっついて回互ばかりでもいかん。爺さんは山へ柴刈りに、婆さんは川へ洗濯に、これは不回互の方である。ところが一方では爺さんは婆さんの焚き物を取って来るし、婆さんは爺さんの糞のついた褌(ふんどし)を洗うておるからこれは回互である。回互と不回互と互い違いにちょうどうまく行く。明暗とか、有無とか、是非とか、善悪とか、色とか空とかあるけれども、一切諸法はみなこれ因縁生である。因燃生であるから無自性である。無自性であるから無相である。無相であるから皆空である。今「当に明中に暗あるべし」「明中の暗」であるから見た通りではない。だから「暗相を以て遇うこと勿れ」これは梟に聞いただけではいかん。鶏に聞いて見なければならん。われわれから見るとちゃんと鶏と梟と両方がわかるから「暗相を以て遇うこと勿れ」と、いつもちゃんとこれがなければいけない。 夫婦喧嘩をするのを見ても、それを岡目八目で見たら勝手なことをいうておるのがよくわかる。あまり夫婦が心易いものだから勝手なことをいうておるので、「暗相を以て遇うことなかれ」お前のいうのもごもっとも、どっちもごもっとも、どっちも嘘。そこに回互と不回互と。だから暗中に明あるべしは夜半正明。明中に暗あるべしは天暁不露。そこでこの道理をよく知らねばならん。 一切有為法は相似相続といって、一切の世界は似たものが相続しておる。ちょうど滝が落ちるようなものである。電気はついておるが、あれも時時刻刻消滅している。消滅しているけれども、これは同じものが続いておるように見える。すなわち相似相続しているわけである。今日の一切世界は昨日とは違うのだけれども、昨日と同じようなものが相続しておる。わたしの顔もその通りで、同じような顔でお目見えしておるようだけれども、去年よりは白髪がふえておる。これは一遍にふえたのではない。ぼつぼつふえた。そうして見ると、この人生はいつも初対面である。瞬間瞬間が初対面の人生であり、瞬間瞬間が御暇乞いであるわけである。それから瞬間瞬間に変って行くのが真実かといえば、永遠に変わらない一つのことを隆蘭渓は「諸仏衆生平等の自性」といい、指月禅師は「諸仏自住の本実」といわれた。こんな符牒がよけいにあるから人生もめんどうになる。また符牒があってくれるから話もしよいわけである。その自住の本実というのを事実にすいていって見れば「当に暗中に明あるべし、暗中を以て遇うこと勿れ、当に暗中に明有るべし、明相を以て覩(み)ること勿れ」こんなふうにいわんならん。ずいぶんめんどうくさいわけだが、仕方がない。
2026.08.30
「永平家訓抄話」沢木興道 その3 そこでその道理を「兄弟見ずや、石頭の道うことを」と、これから以下を起こすのである。石頭大師の『参同契』の文句をあげるために兄弟見ずやと。石頭大師は何とおっしゃったか。『参同契』というのは、石頭大師の御一代の代表的著作である。このほかに石頭大師には『草菴の歌』というのがある。よく石頭大師の結語は引用されるが、わずかにこの二つしか残っていないのである。石頭草菴の歌の中に「世人の住処にわれ住せず、世人の愛処をわれ愛せず」というような言葉がある。 この歌は昔からわたしの好きな歌だ。石頭大師はもと高要の人、高要とはシナの広東の西方二十里位のところで、今の肇慶である。香港から水路によって西江を遡るとたいへん便利である。六祖大師の郷里は、そこから西南十里ぐらいであまり遠くない。それで六祖大師の弟子になったのであるが、この石頭大師という人は、どんな身分であったかもわからんけれども、シナのような革命国のことじゃから、いろいろ変遷があって、かなりな人の末じゃろうということである。石頭大師を孕(はら)んだときにはお母さんの性格が変ったという。こんなことは、古い仏教の伝説ではよくあることで、たとえば舎利弗尊者がお腹に入ったらお母さんがむやみに聡明になって、その兄さんがどうしても議論に勝てなかったという妙なこともある。ここでもそれと同じで、お母さんは石頭大師を孕(はら)んでいる間は自然に精進潔斎であった。大師は子供のときには。お守役をちっとも困らすようなことがなかったというから、非常におとなしい子供だったに違いない。それからかなりになってからは、何でも物はわかっておるというような顔をして、同じ年頃の子供の相手にならなかったという。わたしの幼いときもそうだった。わたしは子供と遊んだことがなかった。私は子供のくせに、だいたい、子供というものはろくでないことをやるもんだと思うておったからである。 そのころ大師の村の漁師たちには、迷信があって淫祠に牛のいけにえを捧げ、お神酒を供して拝む習慣があった。それが子どもの石頭大師には気に食わなかったものと見える。そこへ出かけて行って、淫祠を壊し、牛を奪って帰った。その数は年に数十頭にも及んだが、郷老がそれをやめさせることができなかったということである。子どものくせによほどの自信があったものと見える。つまり石頭大師は、子どものときから全然迷信というもののなかった人らしい。そしてついにそのいけにえの風習をなくしてしまったということである。わたしは子どものときに、スリがお稲荷さんを拝んでどちらへ行ったら商売がございましょうかと伺うのを見た。すると「巽(たつみ)の方へ行け」「何里ばかり行くのですか」「二里半ばかり行け」その時そちらの方に市があった。観音様の会式であったか何かで、そこへは昔のことじゃからニッキ水売りや、覗き眼鏡などがガチャガチャやっておった。つまりその盛り場へ行ってスリに商売をして来いというのである。わたしは稲荷さんといえば神さまと思っておった。神さまが盗人の指図をする。こん畜生、神もへったくれもあるものか。この時分わたしの頭には、正直の頭に神宿る、これだけのことが入っておった。そうすると、不正直なこの稲荷は神じゃない、ど狐か、ど狸か知らんけれども、こんな者はろくな奴じゃない。よし屁をかましてやろうと思って、そこの人がある間にそんなことをやったらどつかれるから、お稲荷さんだけのときに、「コラッ、稲荷、貴様、スリの指図をするとは不届き千万、神でも何でもなかろう。おのれはおれの屁でもくらえ。罰を当てるなら当ててみろ」プッ、と屁をかました。ところが今日まで罰が当らん、いいことばかり。稲荷おろしの婆さんは、わしが後になって坊主になってからも、わたしをたいへん信頼していた。だからこっちは、お稲荷さんをだましてしまったわけである。 わたしが今日まで功利的なことにみじんの狂いもなく来たのは、このお稲荷さんがわたしを証明してくれたからである。石頭大師もそんな理屈で淫祠邪教は信じなかったのであろう。やがて大師は曹渓に行って六祖大師の弟子になった。ところが得度をして具足戒を受けないうちに、六祖大師がなくなった。もうおなくなりになるというときに、「私はあなたがおなくなりになったらどうしたらいいのですか」とたずねた。そうすると「尋思去」と六祖は答えられた。尋思ということは、ハテ何じゃいな、ゴーゴーいうておる、あれは飛行機かいな何じゃいなと分別することで、つまり仏教心理学のうちにある名称である。そこで六祖大師がなくなられてから、石頭大師は文字通りに尋思去しようと思って坐禅ばかりしておった。そうすると南嶽懐譲禅師がやって来て「お前は師匠がなくなったのに何をしておるのか」「尋思去とおっしゃったからわたしは坐禅しておる」といった。尋思去ということは、考えることと思うたのである。ところが南嶽は、「いや、そうじゃない。お前の兄弟子に青原におる行思和尚というのがある。だから尋思去というのは、青原行思を尋ねて去れということじゃ。自分で考えろということじゃない」といった。そこでサッパリした。それからまっすぐに青原に行って修行し、ついに青原行思大和尚、石頭希遷大和尚と、こう並び称されるようになったわけである。
2026.08.30
「永平家訓抄話」沢木興道 その2 そこでこれから下に外道の目録があげてある。「兄弟(ひんでい)」というのは皆様ということである。「兄弟(ひんでい)須らく知るべし」皆様すべからく知るべし。外道は「明無く暗無く」明ということは悟り、暗ということは迷い。明ということは差別、暗ということは平等。明ということは二、暗ということは一。こういういろいろないい方がある。あるいは哲学とか思想とかいろいろいうのが、この外道のどこかにひっかかっているのである。新興宗教のごときには、大いにひっかかりがあるわけである。わたしがどこやらで講演しておったら、あとで質問してもよろしいかといって、あなたはなぜ眼鏡をかけておるか、自分で治らんですかという。それはあとで聞いたら「生長の家」の信者で、「われわれに病いなし、とこう思うたら近眼でも治る」というのである。自分の近眼くらい治っても治らんでもいいじゃないか。わたしはそんなことなど感えたことはない。そんなことはほったらかしておいたらよい。西有穆山禅師が赤痢を患うたときに、日に何十遍血便をたれる。その西有禅師が、おれが治ったら五位の不能語を開講するというので、寝転んで『五位訣』の下調べをしておる。「あなたご病気のときに・・・」というと、「尻は尻で勝手にしておるわい」といわれた。病気は病気で勝手にさしておけばいい。わたしらでも年寄ったらいつも達者過ぎてしようがないということはない。一切その時その時の身体の調子にまかせぱなしである。 そこで「兄弟(ひんでい)須らく知るべし。明無く暗無く」と。これは無理な話である。あるものはあるのじゃ。明は明じゃないか。ふくろうにいわせたら、今、日が暮れた、明るいというだろうし、鶏にいわせたら、今、夜が明けた、明るいというだろう。それをよく物がわからんというと、片方にとらわれる。ブルがどうとかプロがどうとか、男がどうとか女がどうとか、片寄ってはいかん。全体が一目に見えなければ邪見を起こす。全体が一目に見えんから、「明無く暗無く」というようなことをいうのである。「闇を息(や)めて明に帰す」暗がプロなら明はブルである。まるで羊羹でも切るように、世の中のつくり替えができるように思っておる。自分だけやっておけばいい。嘘をつかんように、怠けずに、皆が当り前にやったら世の中は住みよいものになる。汽車に乗って見てもわかるじゃないか。四人が四分の一だけで行儀よくしておったら汽車は結構なものじゃけれども、一人で三人前くらい占領している者がある。この間も汽車へ乗ったら片方の足を窓へやって、片方の足を前の席へやって三人前占領して寝ころんでいるのじゃからたまらん。汽車に乗っても社会問題はよくわかる。無理をしようと思うから、世の中が面倒になる。「闇を息(や)めて明に帰す」そうしたらどこからどこまでが苦悩で、どこからどこまでで安楽なのか。『信心銘』に「二は一に由って在り、一も亦守ること莫れ」とある。二というのが明なら暗というのが一。そこに一と二とが躍動しておる。二ぎりの二もないし、一ぎりの一もない。また『宝鏡三昧』には「宝鏡に臨むが如く」鏡を見るようなものじゃと。だから「形影(ぎょうよう)相覩(あいみ)るがごとし。汝是れ渠(かれ)に非ず、渠方(まさ)に是れ汝」と。しかるに外道は「闇を息(や)めて明に帰す」というのである。「明闇一如」明と闇というのは一つじゃとか、「善悪一心」とかいえば、善もない、悪もないことになる。もっとも善悪といっても、徹底した善とか悪とかはないが、そうかといって、善悪というものがないことはない。しかし固定した善悪というものもあるわけではない。同じ人殺しをしても、戦さのときに人殺しをすれば金鵄勲章をもらう。よう殺したというようなものである。ふだんに殺したら死刑にあわんならん。これについては『瓔珞本業経』の仏母品が引いてある。それには清沙王の国の外道の安陀師の偈に「明闇一相善悪一心」とある。『宝鏡三昧』ではそんなものではないというので「夜半正明天暁不露」とある。夜中が明るくて夜明けが暗い。こういうのはつまり詩であるから躍動しておるわけで、そう簡単にはきめられん。 「因果歴然」といえば、常見の外道になるわけだし、「刹那生滅」といえば断見の外道になるわけである。おめでたい顔をして「因果歴然として私なし、造悪の者は堕ち、修善の者は陞(のぼ)る」と、見て来たように、ただ憶えたまま『因果経』を丸呑みにしておるなら常見の外道である。「刹那生滅して諸行無常」と涙を流して無常をいうておるなら、それは断見の外道になるわけである。だから同じ因果というても、同じ無常というても、仏法を呑み込んで、これをよく睨みつけて見んと、とんでもない間違いになる。 だから「是の如く道(い)わば」以上の善悪一心明闇一相、「皆是れ外道の見なり」外道というのは、仏教以外の教えである。ところが仏教者の中に、仏教でない説教をしておるのが多いのじゃからあきれる。それぐらいならいいけれども、このごろは新興宗教よりももっと念の入ったやつも仏教の中にはあるから困ったものだ。「若し外道の見を認めて仏祖の道と為れば、石を握って玉とする者よりも愚かなり」道化者で山師でやっておるような者は外道までも行かぬ。これは山師だけれども、本当にまじめで涙を流して念仏を申したり歯ぎしり噛んで坐禅したり、氷の中で南無妙法蓮華経というて外道になったり、「オンアボキャーベイロシャノー」といっても外道になったりしている。この外道をまじめでやっておる者があるから、用心しなければならんわけである。そういうことを『宝鏡三昧』には「銀盌(ぎんわん)に雪を盛り、明月に鷺(さき)を蔵(かく)す」と、白いものと白いもの。白いと白い。白う見えるけれども同じことじゃない。「類して斉(ひと)しからず、混ずれども則ち処を知る」銀の盌は雪でないし、明月は鷺でないし、類して斉しからず。いくらごっちゃにしても間違わない。差別は差別、平等は平等。あるだけある、ないだけない。できることはできる。できんことはできん。せんならんことはせんならん。してはならんことはしてはならん。差別は差別、平等は平等である。しかもその平等ながら差別。ざっと物を見たりざっと考えてはならぬ。
2026.08.30
「永平家訓抄話」沢木興道 その1○祖師曰く、学仏法の漢(かん)は先ず須らく仏仏祖祖の道処を知るべし、外道に混乱すべからず。 兄弟(ひんでい)須らく知るべし。明無く、闇を息(や)めて明に帰し、明闇一相善悪一心なりと。是の如く道(い)わば、皆是れ外道の見なり。若し外道の見を認めて仏祖の道と為れば、石を握って玉とする者よりも愚かなり。 兄弟見ずや、石頭の道うことを、当に明中に暗あるべし、暗相を以て遇うこと勿れ。当に暗中に明あるべし。明相を以て覩(み)ること勿れと。石頭曩祖(のうそ)道の当に明中に暗あるべしというを知らんと要すや。卓拄杖一下(たくしゅじょういちげ)。 石頭曩祖道の当に暗中に明あるべしと知らんと要すや。卓拄杖一下。 曩祖甚(なん)としてか道う、暗相を以て遇うこと勿れと。這箇(しゃこ)の道理を明らめんと要すや。卓拄杖一下。 曩祖甚としてか道う、明相を以て覩(み)ること勿れと。這箇の道理を明らめんと要すや。卓拄杖一下。 曩祖又道う、明暗おのおの相対して比するに前後の歩の如しと。大衆前後の歩を知らんと要すや。卓拄杖一下。 曰く、前後を喚(よ)んで後歩と作すことは即ち得ず。後歩を喚んで前歩と作すことは即ち得ず。作麼生(そもさん)か是れ恁麼(いんも)の道理。卓拄杖一下。「祖師曰く学仏法の漢は先ず須らく仏仏祖祖の道処を知るべし」これは『永平広録』の巻第四、十七丁にある。元来禅というと、教外別伝不立文字を誤って、人に聞くものではない、自証自得するものであるとか、あるいはまた冷煖自知するものであるとか、そうしてさあ坐れ、さあ悟れと。そこで悟ったのはいいが、これがややもするととんでもない邪を起こす。そこで揀弁邪見して、仏法であるか仏法でないか、邪見か正見かをはっきりとさせねばならぬ。 仏教というものは何を教えるのか、解説のわけを教えるのかというとそうではない。解脱せしめるものである。ところが解脱ということを習うて解脱ということをうまく講釈してそれを自分の面にかぶって商売にしたり、それで偉い者になったりする。妙なことになるわけである。ちょうど泥棒がいるので巡査がいるはずだったのに、その巡査が泥棒するようなもので、仏教者が妙なことになっておる。そこでその本は何かといえば我というものである。これがめいめい持っておるいやらしいやつで、いつの間にか知らんが、おれというものを思いついたのである。そしてこいつに考えさせ、こいつに動作をさすものじゃから、それがとんでもない間違いのもとになる。 そこで坐禅をしたら何になるか。坐禅したら出世するとか、なんとか考える者は外道か凡夫である。いや外道までも行っていない。念仏でも、念仏申したら極楽へ行くといったら、とんでもない間違いである。自分のためにするのだったら、それは何でもない話である。それでは同じ坐禅をしても、その坐禅がだいたい邪見になってしまうから、問題が起こるわけである。そこで学仏法の漢はということは、参禅学道する、仏道を学ぶ人は「先ず須らく仏仏祖祖の道処を知るべし」ということである。 仏様や祖師方のおっしゃることはいったい何かというと、人はよく「仏教というのは平等でしょう」と簡単なことをいうが、平等といえば、山をならしたり、海を集めてべた一面にしたりする、そんな阿呆なものではない。また「仏教というのは因果でしょう」と簡単なことをいう。そんなところから宗派というものがわかれて、それが競争する。だから道元禅師はけっして禅宗とも曹洞宗ともおっしゃてござらん。道元禅師のことを仏法坊の上人というが、わたしは多分あだ名ではないかと思うけれども、仏法仏法としかおっしゃらん。大体、曹洞宗というような鑑札を受けてござらん。だから学仏法の漢といわれたが、学曹洞の漢ともいうておられぬ。 ところが宗派がわかれると、すぐどちらの宗旨がいいとか悪いとか、まるでお釈迦さんと阿弥陀さんと相撲をとったらどっちが強いかというようなことを考えたがる。これはやはり凡夫の考えである。よう門徒宗の人が「やすう助かる」という。わたしが禅宗坊主になって、はじめて故郷へ帰ったら、昔、説法を聞いた和尚さんが、「真宗のようにやすう助かるものがあるのに、坐禅したり精進物で飯(まま)食って、嫁さんもらえんような、難行苦行しなければ悟りが開けん、そんな宗旨になんでなったのか」というて、泣きすすりさしゃったのを覚えている。またある人は、「ああ念仏は末世相応じゃ、たばこ屋の婆さんが、たばこの店番をしながらでも念仏もうされるのに、こんな世知辛い世の中に、坐禅のようなことをしておれんじゃないか」という。凡夫がいくらそんなことをいってもかまいはせん。去年死んでもいい、生まれて来んでもいい。これが微塵(みじん)でも、凡夫のためになったら仏法でなくなってしまう。 この間も、わたしのところへある奥さんから手紙が来て「主人が和尚さんからえらいことを習うた、三文にもなりはせんのに、この寒いのに、朝早う起きて一時間ずつ坐禅する」と書いてあった。三文にもならないというのには甚深な意味がある。三文どころじゃない、一文にもならん。しかし古人は、仏法は三世十方の諸仏の常に安住するところ、これを帰家穏座という。今までは旅をして気兼ねしておったが、家に帰って穏座する。つまり最後の落着き場所、それが学仏法の道処である。 そこを三祖大師は「虚明(こめい)自証心力を労せず。非思量の処識情はかり難し」と。人間の考えた世界ではない。如浄禅師は身心脱落、脱落身心といわれた。それが学仏法の漢の道処である。つまりいえば、暗い部屋に火を点ずれば明るうなる。闇がどこへ行ったか。明るいということがどこから来たか。 ところが学者というものは馬鹿なもので、唐の時代に闇去明来(あんこめいらい)、「闇が去って明が来たか」、明来闇去、「明が来たから闇が去ったか」どちらが早いか遅いかというて、何某の学説は闇去明来、何某の学説は明来闇去と。やっさもっさ論戦をやっていた学者がおったが、こんなのはみな外道の見である。 明暗が一つであるというのも、明暗が二つであるというのも外道の見である。そこのところをはっきりさせたのが、学仏法の漢の道処である。それを『参同契』では竺土(じくど)大仙の心という。この竺土大仙の心さえよく得心が行けば、お釈迦様の精神がよくわかる。即ちそれが坐禅ということである。だから凡夫の考えではない。凡夫の考えを助長するのではない。凡夫の考えをごく上等にして行こうというのも坐禅ではない。そこのところを洞山大師は宝鏡三昧といわれた。これは正法眼蔵涅槃妙心、あるいは、仏仏の要機祖祖の機要である。そこで高祖は「学仏法の漢は先ず須らく仏仏祖祖の道処を知るべし」とおおせられたのである。(「永平家訓抄話」p.224-225) 仏法というものは作ったものではない。また平等でもない。差別でもない。差別も平等も凡夫も仏も悟りも迷いも、一切合切ごそっと入るものであるが、しかし凡夫は仏ではない。たとえば趙州の公案にも、犬がワンワンとないていたから「狗子に還って仏性ありやまたなしや」と問うと、趙州が「無」と答えた。また「一切衆生悉有仏性、犬ころに何で仏性がないのですか」と重ねて聞くと、これに「業識のあるあり」と答えた。つまり犬のときには仏性はないのじゃ。しかし一人でも坐禅しているときは仏性がある。盗人するときには仏性はない。坐禅しているときは仏性がある。パンパン買いしているときには仏性がない、助平がある。それだけの違いがある。それをパンパン買いしも、仏性がいつもあるかというと、それが邪見である。それくらいようわかった話はないのだけれども、それがわからん者が取扱うておるととんでもない間違いをやる。そこで「外道に混乱すべからず」とおおせになる。 外道というのにもいろいろあるが、断見常見、平等に執着する者と差別に執着する者と、そのもとは何かというたら我である。自分というものを標準にしてどれだけありがたそうな顔をして涙を流して念仏申しても、それは仏法ではない。自分くらい蹴とばしてもおいて考えなければ、自分が威猛高(いたけだか)になることは何でもない話。悟りを聞いたら何になる、管長になるという、それでは一つの技術で、高文試験に骨折っておるのと同じこと。大したことはない。だから外道に混乱すべからず、である。
2026.08.30

「ユマニチュード」という革命p.80 呼びかけても私が見えておらず、聞こえていないから反応しない。彼女のような状態は認知症の患者によく見られます。「視覚のトンネル化」と言われているもので、そのころの私も「視覚のトンネルがある」という説明をしていました。こちらの存在に気付いてもらうには、トンネルとなっている視野の範囲に入らないといけないと考えていました。この理解は誤りです。 彼女はトンネル越しに周囲を見ているのではありません。つまり、これは視覚の問題ではないのです。耳も聞こえています。機能には問題がなく、フィルターがかかっているだけなのです。いわば、「人間関係上の視覚障害、聴覚障害」であり、彼女と人間関係を成立させない限り、見えたり聞こえたりしないのです。 これは、私たちがケアを行う上での落とし穴になり得ます。彼女は視野が狭いから見えていないのではない。ちゃんと見えています。視覚ではなく注意の問題なのです。だから相手の視線をきちんと捉えて話しかける必要があるのです。捉えていない状態でケアを行なえば、彼女は爆発し、抵抗するでしょう。存在しない人間が不意に手を伸ばしてくるのですから、恐怖に襲われて当然です。 そのことに気づいたのは、認知症高齢者の家族向けの教育ビデオを撮っていたときのことでした。視野狭窄だと言われている女性へのコミュニケーションの取り方について説明する映像を撮影していました。「こんにちは」と話しかけて近づきます。その様子をカメラが撮影していますが、カメラも私の存在も、彼女には見えていないようです。すぐそばで話しているにもかかわらず、彼女は私の言葉が届いていませんから、まったく反応しません。そのときカメラのバッテリーが切れてしまい、やり直しです。 再び「こんにちは」と言って近づきました。目と目が合いかけたころに次は「テープが切れたのでビデオカセットを交換します」と言われました。またやり直します。改めて「こんにちは」からはじめてら、今度はマイクがオフでした。 人間関係をつくりかけては去っていくので、だんだん彼女は不安を感じはじめました。これは時間をおかねいといけないと思い、10分ほど後で再び背後から近づくと、彼女はパッと振り返りました。そして、私がどこにいるかをすごく気にするようになりました。 そのときにわかったのです。視野が狭いのは器官の障害ではない。だから、関係性が築かれ、注意が喚起されれば、ちゃんと見えるようになるのです。私はこの状態を「人間関係における視覚障害、聴覚障害」と呼んでいます。濱口竜介監督『急に具合が悪くなる』第99回アカデミー賞国際長編映画賞の日本代表に決定濱口竜介が監督を務めた映画「急に具合が悪くなる」が、第99回アカデミー賞国際長編映画賞の日本代表に決定した。今後は、各国の代表作品からノミネート作品が絞られ、2027年3月に受賞作品が発表される。本作は、同じ響きの名前を持つ2人の女性が偶然に出会い、やがて友情を超えた深い絆を結んでいく物語。ヴィルジニー・エフィラが介護施設で理想のケアの在り方を探求するマリー=ルー・フォンテーヌを、岡本多緒がステージIVのがんを抱えて生きる舞台演出家・森崎真理を演じ、第79回カンヌ国際映画祭で2人は女優賞に輝いた💛映画「急に具合が悪くなる」のマリールーと真理との初めての出会いの前にマリーが路面電車に並走して走る少年・智樹を見かけ、電車を降りて公園に少年を探しに行く。少年は自閉症スペクトラムのような言動をしている。急に雨が降って来て、マリーは智樹と大きな木の下に雨宿りする。そしてマリーは今自らが認知症高齢者施設長として導入しようとしているユマニチュードを自閉症スペクトラムの少年・智樹に実践する。「ボンジュール」「ハロー」??「こんにちは」マリーは日本の大学に入学し、人類学を学んでいたので、日本語も喋れる。智樹と目と目が合い、心が通う。雨が上がり、智樹の祖父吾郎と演出家真理(フランスの大学で哲学を学んでいた)との奇蹟の出会いがある。なんと、このときの雨は偶然降ったもので、監督は「雨が降ったことにしましょう!」とシナリオを書き替えたそうだ。この映画はそういった偶然性をいくつも組み込んだ一回限り再現ができないものとしての唯一性がある。そして、ユマニチュードは自閉症スペクトラムの人にも適用可能ではないかという問いを含む。さらには、すべての人間関係において、人間の尊厳性をリスペクトして相互に接するべきという普遍性をその根底に持っているのである。
2026.08.30
大智禅師偈頌講話 澤木興道 元旦(二) その2 元旦(2)【元旦(二)】 新年頭有祖師禪 (新年頭に祖師禅有り)興國正當辛巳年 (興国正当辛巳の年)四海浪平龍眠穏 (四海浪平かにして竜眠穏かなり)九州不見起狼煙 (九州には見ず狼煙を起こすことを) ところが、人間の概念から見ると、「あんたとわたしとどっちが偉い」それが概念であってはならん。仏法にはそれがないわけである。人と背比べをしておる。子ども臭い考えで見ると、どちらが強かろうか。一つ腕押しをやろうか。どちらが強かろうか。一つ腕押しをやろうか。どちらが物覚えがいいだろうか。物覚えの競争をやる。子ども臭い話じゃ。どっちが飯をよう食うか。われわれも子供の時に、うどんの食い合いをやったことがある、たいがい勝ちよった。「それ見たか」―。 昔、東京に十二か月という汁粉屋か餅屋があった。一月から十二月まで食う。正月はなんたら、二月はお稲荷さんの団子たら、三月は彼岸団子たらいうて、十二か月食うと銭を払わんでもいい。終いになると、中味が大きゅうなる。もうあと一つか二つ、十月か十一月というところで「ワー食えん」そうすると銭を払わんならん、というのがありよった。ところが、「とうとうあいつ十二か月やった」それが偉いというのだから、どうも世の中はおかしい。それでどうするのか。指を突っ込んで吐き出す。食っておいて吐き出すというんだから、たまったものではない。 そば屋へいって、自分の背だけ食ってみい。ちょうど眉毛まで食ったが、あともう食えん。銭を払わんならん。そういうのも情けない。そいつを食ったやつが「あいつは偉い」わたしはそういう偉いというのは、物覚えがいいから偉いというも、声がいいから偉いというのも、力が強いから偉いというのも、腕相撲が強いから偉いというのも、みな同じようなもんと思うて眺めておる。 それは結構、どうでもいいわけなんである。偉い、偉くないということは、それほどのことなんだ。そうすれば、頭頭上円、物物上真。それで新しいとか、古いとか、善いとか、悪いとか、偉いとか、偉くないとかいうものではない。正月は正月の全体、全露現―。元旦は元旦の全露現。二月は二月の全露現。三月は三月の全露現。そこに新年頭に祖師禅有り。そうして、それがめでたいとも、悲しいとも、なんともいわん。 祖師禅である。頭頭上円、あるいは達磨にいわすなら、廓然無聖。廓然無聖ということは、天地宇宙、時間、空間、どれが善いとか、悪いとか、そんなこと、なんにもないということである。ボーッとしておる。 あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな そうすれば、新年頭に祖師禅有り。新年頭は新年頭の廓然無聖がある。年末は年末の廓然無聖がある。なにも別に、どこへ収めなければならんということはない。いかなる場合でも、いかなる時でも、いかなることでも、それが永遠であり、それが真実である。真実でないものもなければ、真実でないところもない。だから新年頭に祖師禅あり。(大智禅師偈頌講話p.168-169)
2026.08.30
聞書之壱番嘉永元年(一八四八年)五月十九日安居院義道と岡田無息軒両雄の初対面のときの問答(岡田無息軒三十七歳の自筆、報徳書「聞書之壱番」より抄) 掛川町十九首町中山八郎太夫より安居院義道、浅田勇次郎両大人が当町松屋へ逗留せりとの手紙をうけとった岡田無息軒は、早速松屋へ向って両大人に始めてお目にかかったのであるが、松屋の亭主も中屋の亭主も手前無息軒も、一同報徳の御理解(お教へ)を願ったけれ共、始めの中は、只々世間の善事のお話のみにて、御昼後になってようやく次の三首をしるし下され此歌の心を勘弁いたし物語り候ように御申しなされ候、その歌を左にしるす。 飯としる、木綿着ものは、身を助く その余は我をせむるのみなり此御歌、は天の御めぐみを思い、万事倹に相致すことと存候旨申上候次に 日々に積る心のちりあくた 洗い流して、我をたずねん此御歌は悪念を払い、尽し、大道に至るま場合と存候旨申上候 梅の木は根も梅なれば種も梅 枝も葉も梅、花も実も梅此御歌は大道の要を得心いたし、真実に行をつとむる場合、たとえば、うわべは金にて中は銅にては、然るべからず、外も金、内も誠、いわゆる金むく(純金)の儀と存候旨申上候 右三首の御物語申上候処、誠にかくの如くその心得に候はば、御報のはなしを仕るべき旨御申成され候 右三首の意味深き事也、正業を勤めて知る事(報徳63(5)22ページ)
2026.08.30
〈大腸がん〉死亡率が“劇的改善” 〈内視鏡検査〉は究極の“早期発見・早期治療”「ポリープを全切除すれば10年予防効果」《国立がん研医師が解説》8/29(土) 日本人に最も多いがんが大腸がんだ。主なリスク因子は喫煙や肥満、運動不足、食生活の欧米化といった生活習慣だ。遺伝性や炎症性腸疾患の影響も数%ずつだが挙げられる。 ステージⅠの5年生存率は93%(国立がん研究センターがん対策研究所)で、早期発見の意義が大きいが、年5万人以上が亡くなる。人口あたり死亡率はG7で最も高い。「一番の原因は、検診の受診率の低迷です」と斎藤医師は指摘する。 検診の基本は、自治体検診で行われる便潜血検査だ。40歳以上が対象で、年1回、2日分の便を採取して提出する。肉眼でわからないほど微量な血液を検出するため、特に進行がんを見つけやすく、大腸がんの死亡率を下げるエビデンスがある。 ただ、斎藤医師は「受診率が5割弱というデータもあるが、実際は2割もないのではないか」と語る。 便潜血検査の課題は、早期がんだと陽性にならない時があることだ。 その弱点を克服するのが、全大腸内視鏡検査だ。肛門から内視鏡を入れ、直腸から盲腸までを観察する。人間ドックなどの任意型検診や、便潜血検査で陽性になった場合の精密検査で行われている。 2センチ以下のがんや、がんになる前のポリープ(前がん病変)が見つかれば、その日のうちに内視鏡で切除することができ、究極の早期発見・早期治療が叶う。しかもポリープをすべて切除すれば、基本的に10年ほどは予防効果が持続する。 米国では2010年代以降、50歳(現在は45歳)から75歳の国民が一度は無料で全大腸内視鏡検査を受けられるようになり、大腸がんの死亡率は劇的に下がった。 だが日本では、内視鏡検査の重要性も浸透しているとは言い難い。「以前、直腸の進行がんと診断された高齢の外科医師がいたのですが、自費の人間ドックを毎年受診していたものの、大腸がん検診は直腸指診のみ。便潜血検査や内視鏡を1回でもしていればもっと早期に見つかったのですが、専門が違うと医師でも理解されていないことがあります」
2026.08.29
止まらない世界的評価…濱口竜介監督『急に具合が悪くなる』がアカデミー賞国際長編部門に選出へ、今後の動向に注目8/27(木) 濱口竜介監督の最新作『急に具合が悪くなる』(2026)(英: All of a Sudden;仏: Soudain)が、第99回アカデミー賞の国際長編映画賞候補に選ばれたことがわかった。濱口監督にとっては、『ドライブ・マイ・カー』(2021)に続き、5年ぶり2度目の候補入りとなる。米「Variety」が報じており、今後の受賞をめぐる動向にも大きな注目が集まりそうだ。 第99回アカデミー賞の国際長編映画賞をめぐり、濱口竜介監督の『急に具合が悪くなる』(2026)が選出された。 濱口監督にとっては、『ドライブ・マイ・カー』(2021)以来、5年ぶり2度目の候補入りを目指すことになる。『ドライブ・マイ・カー』(2021)では、国際長編映画賞を受賞したほか、作品賞、監督賞、脚色賞を含む4部門にノミネートされる快挙を達成。 世界的な評価を確立した濱口監督が、再びアカデミー賞の舞台に挑むことになる。『急に具合が悪くなる』(2026)は、哲学者・宮野真生子と人類学者・磯野真穂が、がんの闘病をめぐって交わした20通の往復書簡を原作とする作品。 日仏を中心とした国際的なキャスト・スタッフによって製作され、物語の舞台はパリに置かれている。 主人公は、郊外の介護施設で働く施設長マリー=ルー・フォンテーヌ(ヴィルジニー・エフィラ)と、がんと闘いながらパリを訪れた日本人演出家・森崎真理(岡本多緒)。 介護の現場で「人間らしく生きること」を支えようとするマリー=ルーと、病と向き合いながら人生を見つめ直す真理。 異なる境遇を生きてきた2人の女性が出会い、言葉を交わすなかで、それぞれの人生や死生観が静かに交差していく。 本作は今年5月、カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品された。上映後には7分間にわたるスタンディングオベーションが起こり、ヴィルジニー・エフィラと岡本多緒は最優秀女優賞を共同受賞。岡本は、日本人俳優として史上初となる同賞受賞の快挙を成し遂げた。 今後は、各国の代表作品から15作品のショートリストが選出され、そこから最終的な5作品がノミネートされる。授賞式は2027年3月14日(現地時間)に開催予定だ。『ドライブ・マイ・カー』(2021)で世界の頂点に立った濱口監督が、『急に具合が悪くなる』(2026)で再びアカデミー賞の栄冠を手にすることができるのか。来春に向け、その行方に大きな注目が集まりそうだ。◎世界の批評家からも「完全に目が離せない(IndieWire)」「奇跡のような作品(Variety)」「崇高なほど心を揺さぶる映画(The New Yorker)」など、圧倒的な支持を集めている。Varietyオスカー:日本が国際長編部門に「All of a Sudden」を選出 2人の女性が3時間15分もの大半を費やして語り合う――濱口竜介監督は、そのやり取りを、一見控えめでありながらも極めて重大な「奇跡」へと昇華させている。この日本人監督による素晴らしい新作『急に具合が悪くなる』(原題:All of a Sudden)は、極めて稀有な作品だ。単に「映画とは何か」を思い出させてくれる良作というだけでなく、「人生とは何か」を再認識させてくれるほどの名作である。濱口監督と共同脚本・翻訳のレア・ル・ディムナが紡ぎ出した見事な脚本。その中を流れる、長く銀色に輝く糸のような会話に身を委ねていると、時に作品は宙に浮くような優美さを帯びる。 そしてやがて観客は座席へと戻されることになるが、その時には、映画を観る前とは少し異なり、少しだけ癒やされた自分へと変わっているのだ。濱口竜介監督の『急に具合が悪くなる』が8月26日、第99回米アカデミー賞国際長編映画賞部門の日本代表作品に決定した。濱口監督作品の日本代表選出は『ドライブ・マイ・カー』以来5年ぶり2度目。主演のヴィルジニー・エフィラと岡本多緒は今年5月のカンヌ国際映画祭で女優賞を共同受賞していた。濱口監督の作品が日本代表に選ばれるのは、2021年の『ドライブ・マイ・カー』以来5年ぶり2度目になる。急に具合が悪くなる、米アカデミー賞 国際長編映画賞の日本代表に 濱口竜介監督作は5年ぶり2度目『ドライブ・マイ・カー』は第94回アカデミー賞で作品賞、監督賞、脚色賞、国際長編映画賞の4部門にノミネートされ、国際長編映画賞を受賞した。日本映画の同賞受賞は『おくりびと』以来13年ぶり。今回の代表決定は、その実績を踏まえた再挑戦にあたる。『急に具合が悪くなる』は濱口監督にとって初めての海外ロケ作品だ。舞台をパリに移し、日本、フランス、ドイツ、ベルギーの共同製作で撮影された。上映時間は196分、日本公開は6月19日だった。8月26日の代表決定時点で、公開から2カ月以上を経てもロングラン上映が続く。原作は同名書籍、20通の往復書簡映画の原作は、哲学者の宮野真生子と人類学者の磯野真穂が交わした同名の書籍『急に具合が悪くなる』(晶文社)。2019年9月に刊行されたこの本には、乳がんが進行するなかで生きた宮野と、医療現場の調査を重ねてきた磯野が、死や別れ、出会いについて交わした20通の書簡が収められた。宮野が執筆分を書き上げたのは、刊行の2カ月前にあたる同年7月。その直後、42歳で世を去った。往復書簡は、著者本人が世を去った後に読者の手に届いた一冊となった。濱口監督はこの往復書簡を、フランス人と日本人という設定に翻案した。パリ郊外の介護施設「自由の庭」の施設長マリー=ルー・フォンテーヌと、がんを患う日本人の舞台演出家・森崎真理。名前の響きが重なる2人が偶然に出会い、病の進行とともに心を通わせていく物語に仕立てた。世界3大映画祭を制覇した監督の軌跡濱口監督は『ドライブ・マイ・カー』の後も、賞レースで結果を残してきた。2021年公開の『偶然と想像』はベルリン国際映画祭で審査員グランプリ(銀熊賞)を受賞。2024年に日本公開された『悪は存在しない』は、前年のヴェネチア国際映画祭で審査員大賞(銀獅子賞)に選ばれ、国際批評家連盟賞など3つの独立賞も手にした。『ドライブ・マイ・カー』のカンヌでの脚本賞受賞と合わせ、濱口監督はカンヌ、ベルリン、ヴェネチアの世界3大映画祭すべてで主要賞を受けたことになる。日本人監督では黒澤明以来の記録だ。『急に具合が悪くなる』は、第79回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、主演の2人が女優賞を共同受賞した。8月のロカルノ国際映画祭でも、ヴィルジニー・エフィラがレオパルド・クラブ賞を受けた。介護施設長マリー=ルーを演じたヴィルジニー・エフィラは、ベルギー出身でフランスを拠点に活動する。『エル ELLE』『ヴィクトリアとベッドで』などに出演し、2022年に本国フランスで公開された『パリの記憶』ではセザール賞主演女優賞を受賞した実力派だ。がんを患う舞台演出家・森崎真理を演じた岡本多緒は、日本人として初めてカンヌ国際映画祭の女優賞を受けた。5月26日、日本記者クラブでの凱旋会見で、岡本は「私自身はまだ全く現実感が湧いておりません」と受賞の実感を語った。エフィラは「多緒と一緒に受賞できて、とても幸せに感じます」と笑顔を見せる。会見では濱口監督も登壇し、「映画の中心にあるのは常に俳優です」と演出方針を語った。台本の読み合わせを重ねながら感情を排して読み込み、俳優自身の理解を深めていく手法は、日本語とフランス語の両方で繰り返された。フランスでの1カ月間のリハーサルを経て確立させた、濱口監督ならではのアプローチだ。物語には長塚京三と黒崎煌代も加わる。長塚は、真理が演出する舞台に立つ俳優・清宮吾朗役。黒崎は清宮の孫、窪寺智樹役を演じた。日本代表に選ばれたからといって、ノミネートが確定するわけではない。国際長編映画賞は各国・地域の代表作品をアカデミー協会の委員会が審査し、12月ごろに15作品程度の最終候補(ショートリスト)を発表する。そこからアカデミー会員の投票を経て、5作品が正式にノミネートされる仕組みだ。前回の第98回では、李相日監督の『国宝』が日本代表に選ばれ、15作品のショートリストに残った。だが最終候補の5作品には届かず、ノミネートを逃した。日本代表に選ばれても、その先には狭き門が待つ。『ドライブ・マイ・カー』が歩んだ道のりを、5年ぶりに再びたどれるか。
2026.08.29
【核融合プラズマから直接電気を取り出すことに成功】米企業Realta Fusionが実証2026年6月19日、Realta Fusionはウィスコンシン大学マディソン校と共同で、磁気ミラー型核融合実験装置「WHAM」を使い、プラズマの運動エネルギーを電流として回収する実験を行いました。同社によれば、商業核融合企業が核融合プラズマに対して直接エネルギー変換を実証したのは初めてです。通常の発電では、まず熱を作り、その熱で水を沸かし、蒸気タービンを回して電気を作ります。核融合発電でも、最初の実用炉ではこの方式が中心になると考えられています。一方、Realta Fusionが実証した直接エネルギー変換、DECは、プラズマ中の荷電粒子が持つ運動エネルギーを、静電場を使って直接電流に変える技術です。つまり、熱に変換してからタービンを回すのではなく、粒子のエネルギーをそのまま電気回路に流し込むような考え方です。今回の実験では、WHAMの端部に3層の細かいメッシュ状グリッドを備えた変換器を取り付けました。そこを通って出てくる荷電粒子を静電的に減速させることで、約100ボルト、複数アンペア規模の電流を取り出したとされています。規模としては「数個の電球を点灯できる程度」ですが、重要なのは、実際のプラズマ運転中にこの変換を示した点です。Realta Fusionが採用しているのは、トカマク型ではなく「磁気ミラー型」と呼ばれる方式です。磁気ミラーは、強い磁場でプラズマを閉じ込める一方、装置の両端から一部の粒子が抜けていく性質があります。従来、この「漏れ」は閉じ込め性能を下げる弱点と見られてきました。しかしRealta Fusionは、これを逆に利用しようとしています。端から出てくる荷電粒子にはエネルギーが残っているため、その流れを直接エネルギー変換器で受け止め、電気として回収するという発想です。さらに、磁気ミラーではヘリウム灰や不純物が自然に排出されやすいという利点もあります。核融合を長時間続けるには、燃料となるプラズマを清浄に保つ必要があります。Realta Fusionは、この排出のしやすさとエネルギー回収を組み合わせることで、磁気ミラー型核融合炉の効率を高められると考えています。同社は、将来の重水素・三重水素、いわゆるDT核融合炉では、発生エネルギーの約80%が中性子、約20%がアルファ粒子として出ると説明しています。中性子のエネルギーはブランケットで熱として利用されますが、アルファ粒子は電荷を持つため、直接エネルギー変換と相性が良いとされています。ただし、今回の成果を「核融合発電に成功した」と受け取るのは早すぎます。Realta Fusion自身も、今回の実験は正味の発電や、核融合で生まれた大規模な電力を直接取り出したものではないと明確に説明しています。WHAMはまだ試作規模の装置で、燃料も重水素のみです。今回直接変換されたエネルギーの多くは、プラズマを加熱・維持するために外部から投入したエネルギーに由来します。つまり、今回の実験は「核融合炉が発電所として成立した」という段階ではなく、将来の発電効率を高めるための重要な部品技術を実機プラズマで示した段階です。Realta Fusionは今後、この技術を数キロワット級、さらに将来的にはメガワット級へ拡大することを目指しています。直接エネルギー変換が実用化されれば、核融合炉で必要な入力電力の一部を効率よく回収し、より低い核融合利得でも「正味で電気を生み出す」条件に近づける可能性があります。また将来的には、重水素・三重水素だけでなく、D-D反応やD-ヘリウム3反応のような先進燃料サイクルにもつながるかもしれません。これらの燃料では、より多くのエネルギーが荷電粒子として出る可能性があり、直接エネルギー変換との相性がさらに高まるからです。核融合発電はまだ多くの課題を抱えています。しかし今回の実証は、磁気ミラー型核融合炉にとって、これまで弱点とされてきた「粒子の漏れ」を、エネルギー回収の仕組みに変える可能性を示しました。発電所として実用化されるにはまだ時間がかかりますが、核融合の未来に新しい選択肢が加わったと言えそうです。
2026.08.29

「ユマニチュード」という革命 p.78 カナダから研修生を迎え入れるプログラムをはじめるようになりました。そのころの話 私は扱いが最も難しいとされている患者のケアを依頼され、その様子を許可を得て撮影していました。認知症高齢者の女性は、24時間ほとんど叫び続けていました。しかも、1年を通じてです。認知症によく見られる典型的な叫び声です。おまけに寝たきりだったので、体は拘縮しています。そういう状態でケアをはじめました。 いまではケアをするときに最初に相手に近づくときは、「いつも相手の視線が向けられているところに立たないといけない」と教えています。当時はまだ経験則として、「窓側のほうからアプローチしましょう」という言い方しかしていませんでした。 また「おはようございます」という言い方ではなく「お~は~よ~~」と歌うように話しかけています。当時の映像を見ると拙いところも多々ありますが、こうしたメロディーで話しかける方法も、ひとつのやり方だったと思っています。 そのあと私は微笑みをたたえながら手を差し伸べ、体を彼女に近づけます。彼女はスペイン人なので、スペイン語で話そうと努力しました。彼女は相変わらず叫んでいます。 次に私は相手の胸元の、鎖骨のあたりに手を当てました。以前は、ここは乳房に近いので手で触れてはいけないと考えていました。 しかし、カナダに滞在中にたいへんケアの難しい患者に接して気づいたことがあります。それは相手を落ち着かせるために、自分でも気づかないまま必ず相手の胸元に手を置いていたことです。人は呼吸が乱れたり、不安になるとどうするでしょう。自分の手を胸に当てませんか?おそらくこうした行動が身についているため、自然にこの行為が出たのでしょう。 彼女の叫び声が少し落ち着きました。その次に、私は顔に触れました。大丈夫だろうと思ってのことでした。しかし、これは決定的に間違いです。ここで彼女がまた大きな声で叫んでもおかしくありませんでした。顔に触れるのは、もう少し人間関係を築いてからでなくてはいけません。顔はプライベートな部位だからです。 人には触ってもいいゾーンといけないゾーンがあります。ケアをする前の人間関係づくりにおいては、まずニュートラルな体の部位に手を置きます。ニュートラルな部位とは社会的に触ってもいい場所ということもできます。知り合いの肩に少し触れる分には失礼になりませんが、顔に触れることができるのは、親密になってからです。しかしながら、洋の東西を問わず、看護学校ではまずケアの際に顔の清拭からはじめるように教えます。これは大きな間違いです。 私が彼女の顔に触れるには、まだ時間をかける必要がありました。そこで、スペイン語で「元気ですか?」と話しかけました。彼女は笑い声を立てたので、「私の名前はイヴです。お手伝いしに来ました。手を貸してください」とお願いしました。 相手に触れるにあたって大切なのは、タイミングです。フランスでは親密の情を示す挨拶として、手にキスをします。私は彼女の手をとってキスをしました。しかし、彼女はまた叫びはじめます。やはり、この段階では馴れ馴れし過ぎたのです。この行為だけで爆発して攻撃的になりかねません。 文化的には許容されている。手に優しくキスをする行為であっても、これだけの拒絶反応が起きたのです。想像してください。よく知らない人に、いきなりミトンで顔を拭かれる。あるいは、部屋に入るなりオムツの中を確認される。脚を開いて陰部洗浄される。それがどんな感情を引き起こすでしょうか。世界中の看護師が普通に行っていることが、患者の抵抗を誘発しているのです。 私たちは、教育や研究のためにケサの様子を撮影することがあります。このケアの様子も撮影して何度も見直したのですが、5年間わからなかったことがあります。「マダム」と呼び掛けても、この女性がまったく反応しないときがあったからです。私は彼女のそばにいます。しかし彼女は私がいることに気がついていないのです。そのときにそばにいる私が何を話しかけようとも、官女の耳に届いていないのです。彼女には私が見えないし、声も聞こえていない。つまり、彼女にとって、私は存在しないということです。これはいったいどういうことでしょうか?◎濱口竜介監督の『急に具合が悪くなる』が8月26日、第99回米アカデミー賞国際長編映画賞部門の日本代表作品に決定した。濱口監督作品の日本代表選出は『ドライブ・マイ・カー』以来5年ぶり2度目。主演のヴィルジニー・エフィラと岡本多緒は今年5月のカンヌ国際映画祭で女優賞を共同受賞していた。濱口監督の作品が日本代表に選ばれるのは、2021年の『ドライブ・マイ・カー』以来5年ぶり2度目になる。日本代表に選ばれたからといって、ノミネートが確定するわけではない。国際長編映画賞は各国・地域の代表作品をアカデミー協会の委員会が審査し、12月ごろに15作品程度の最終候補(ショートリスト)を発表する。そこからアカデミー会員の投票を経て、5作品が正式にノミネートされる仕組みだ。前回の第98回では、李相日監督の『国宝』が日本代表に選ばれ、15作品のショートリストに残った。だが最終候補の5作品には届かず、ノミネートを逃した。日本代表に選ばれても、その先には狭き門が待つ。『ドライブ・マイ・カー』が歩んだ道のりを、5年ぶりに再びたどれるか。◎世界の批評家からも「完全に目が離せない(IndieWire)」「奇跡のような作品(Variety)」「崇高なほど心を揺さぶる映画(The New Yorker)」など、圧倒的な支持を集めている。社会福祉法人 八生会ケアハウス ゆやの里(特定施設入居者生活介護)静岡県磐田市加茂395特定施設入居者生活介護 軽費老人ホーム定員 30名ユマニチュード認証制度とはユマニチュード認証制度は、ユマニチュードを通じて質の高いよいケアを実践している組織を、明確な評価基準を元に評価・育成・支援し、誰もがお互いの自律を尊重し、幸せに過ごせる社会の実現に寄与することを目指して生まれました。本部のあるフランスでは2013年にスタートし、現在までに38の事業所がユマニチュード認証(日本のゴールド認証に相当)を取得しています。日本では、2022年4月からパイロット事業として導入を開始しました。2023年5月には、日本初となるユマニチュード認証事業所が2事業所誕生しました。日本のユマニチュード認証制度は、日本財団の支援を受けて誕生しました。ユマニチュードの認証評価基準は、「5原則」と「生活労働憲章」に基づいて定められています。その特長は、下記の3点です。1) ケアの質をわかりやすく可視化2) ⽇本の各種制度と連携3) 取り組みの進捗を⾒える化認証の種類には、「ブロンズ」「シルバー」「ゴールド(国際認証)」の3段階があります。認証の入り口とも言える 「ブロンズ」は、1)ユマニチュードに組織をあげて取り組む体制が出来上がっており、かつ2)職員がユマニチュードの基本を理解し、実践に取り組んでいる組織に対して認証されるものです。ユマニチュードに組織を上げて取り組むことで、「入居者・患者・利用者」「職員・専門職」「経営者」の3者が、お互いを尊重し、生きがい、やりがいを感じながら、さまざまなメリットを享受し、幸せに過ごせるようになります。
2026.08.29
大智禅師偈頌講話 澤木興道 元旦(二) その1 元旦(2)【元旦(二)】 新年頭有祖師禪 (新年頭に祖師禅有り)興國正當辛巳年 (興国正当辛巳の年)四海浪平龍眠穏 (四海浪平かにして竜眠穏かなり)九州不見起狼煙 (九州には見ず狼煙を起こすことを)「新年頭に祖師禅有り」これは禅僧というものは、いかなる場合でも仏法の参究ということは、さし措かずにしたものなんだ。昔も、智門の寛という人にある僧が問うた。「新年頭に還って仏法ありや也(また)なしや」こういう問答がある。新年頭に仏法がありますか。まだそればかりではない。雪隠の中に仏法がありますかという参究もある。「新年頭に還って仏法ありや也(また)なしや」寛云く、「無」と。今のは別の参究である。新年頭に祖師禅有り。「頭頭上円、物物上真」これが仏法の参究である。頭頭上円、物物上真。そのもの、そのもの、頭頭上。どの頭も、どの頭もー。世の中でいうと、人間というものは、小僧が坊主になって、だんだん修行して、それはちょうど、寸取り虫がだんだん上がって行くように思っておる。だが、その偉うなった人を眺めて見ると分る。 まあ一番トッパジメに禅師様になった人が偉いか、偉くないか、眺めて見れば分る。酒もようおあがりになる。それからいろいろな人を見ていると分る。そうしてわたしら自分の一代を見てみると分る。自分がまだ本当に子供の時と今とどちらが偉いか。それは小僧の時が偉い。われわれみたいな者でも、これで三十台の時分には、「ヘエー、沢木さんは若うて偉いが、五十にもなったらどえらい偉うならっしゃるか」といいよった。 ところが、五十になってもそう偉くない。当り前じゃ。三十位の時には火のようになっておったから、付き合うた者は友達であろうと、誰であろうとみな感心した。人に買いかぶられて、今でも偉いと思っているが、今ではチャンと感心さしておる。そうしたふうなものである。もし沢木さんを偉いというなら、昔偉いんじゃ。今は当り前じゃ。 坊主にならん前は、なお偉かった。提灯張り替えをしながらガン張りよった。そうして、夜寝んとガン張りよった。そうして、五銭ぐらいの数珠を持って、「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ・・・・・・」それは偉いもんじゃ。朝は霜を踏んで商売に行く。夜は遅うまで商売して、お寺へ参る。勉強する。そうして親を養う。それは感心なものじゃ。この頃はなにも感心なものではありはせぬ。若い者から引っ張られて、ヒョロヒョロして、若い者からおみこしに乗せられて、やっとついて行く。 昔偉かった。どこでも感心しておる。だが、現在はけっしてそういうのではない。しかしこういうと若い者は「それなら、年取ったら必ずつまらん人間になるのか」というかも知れんが、そうでもない。年取っても、やはり偉い人間もあっていいわけである。そうすれば偉い者がどこにあってもいい。 それは台所で味噌をすっておる。坐禅する時は坐禅しておる。直歳(しっすい)は奥でかけいの水の洩るのをいじって修善しておる。こっちの方では郵便局へ使いに行く。こっちの方では豆腐へ使いに行く。こっちの方では謄写版を刷っておる。こっちの方では銭勘定しておる。結構な旧式の銭箱をいじっておる。こっちの方ではお茶を飲んでおる。こっちの方ではお客さんの相手になっておる。めいめいそれがどれも頭頭上円、物物上真。どれが一番偉いのか、どれが一番カスか。(大智禅師偈頌講話p.165-168)
2026.08.29
下館藩の立て直しー報徳仕法の導入と下館信友講「江戸時代 人づくり風土記」(「8茨城県」7より) 下館藩の状況 享保一七年、石川近江守総茂(ふさしげ)が、伊勢国より常陸国真壁郡一万三千石、河内国石川郡七千石、計二万石の大名として下館に移封となり、明治四年の廃藩置県まで一三九年間下館を支配した。下館藩の人口は、寛保元年、藩内三〇か村で約一万三千人だったが、天明・天保期の飢饉で天保期になると、約六千人に半減した。このため、下館藩の収入は米が一二三〇〇俵、その他金銭で一一〇〇両余だったのが、文政九年から天保六年の一〇年間の平均収入が九三〇〇俵と八〇〇両余に減少した。同期の藩財政は平均支出が収入より千両余も多く赤字が累積した。藩当局では、この赤字を解消するため、下館藩内外の商人から借財をした。天保9年における藩借財高は、三五〇六六両余となっていた。下館藩財政は完全にマヒ状態になり、藩政改革は必死となった。 報徳仕法の導入 下館藩は財政危機に苦慮していた。天保八年正月藩首脳部が御用達中村兵左衛門宅に招かれた。中村は、「貧困に苦しむ民衆を援助して人口を増やし、荒地の開発、借財の返済によって、村としての力を取り戻す」という尊徳の桜町仕法を導入するよう申し入れた。藩は高田尉右衛門を桜町に派遣し下館藩の窮状を告げ、救済を依頼した。尊徳は当時、桜町の他に、青木村・谷田部・茂木・烏山などの復興に努め、また小田原藩の救済も行うなど多忙を極め、下館藩の依頼に応じなかった。下館藩は一〇月一二日、高田と郡奉行衣笠兵太夫の二名を使者として再度お願いしたが、明確な回答が得られなかった。天保八年一二月、尊徳は小田原へ一時帰藩し、交渉は進まなかった。翌九年九月、衣笠らは承知の返事をもらうまで帰らない決意で懇願を続けた。尊徳は「下館藩は今、貧困の極にあるとお見受けするが、藩主・家臣共に心をこめ、力を尽くし、藩を挙げて誠心誠意回復のために行動するのでなければ、大業は成就しないでしょう」と言った。藩主石川総貨(ふさとみ)は家老牧甚五太夫に命じ、天保九年一〇月奥山・衣笠らを桜町に遣わし、下館藩再興の方法を尋ねた。尊徳は「小田原藩主の承認を得て頂きたい」と返事した。石川家と小田原大久保家は縁戚で仕法許可の了解を得た。一一月八日、牧と衣笠は桜町に赴き立直しの方法を質問した。尊徳は「諸侯の任務は、民衆の暮らしを安らかにすることです。領民が安泰かそうでないかに気を配ることをせず、君臣ともに自分たちの目前の苦労から逃れることばかりを考え、その方法を教えてほしいと希望するのは本末顛倒です。また藩の財政が苦しくなったのは、収支を調整する方法を立てず、不足になると商人から借財し、一時凌ぎをしていたためです。だから、この財政難を解決するには、まず財政の根本である資産の状況を明らかにする必要があります」と諭した。下館から算術にすぐれた藩士を集め藩の財政や負債高調査に当らせ三万五千両余の負債があることが判明した。報徳仕法の展開ーまず藩財政の見直しを 尊徳は、下館藩立直しとして負債の整理と二割八分の減俸という藩士の緊縮生活策を取った。天保九年の支払を済ますと、翌年分の藩の扶助米がなかった。一〇年の一、二月分は桜町で調達し、三月から六月まで下館御用達中村ら八名で調達、七、八月は本家伊勢国亀山藩主石川日向守に立て替えてもらった。藩一丸で財政再建に取り組むことになり、藩主の直書が尊徳宛に出され、また一部反対があったが、藩士も俸禄を辞退するなど、決意のあとがみられる。尊徳は、下館藩の財政立て直しに当り、綿密な調査をし、「為政鑑土台帳」を作成した。下館領は一三一七町余で、天保一〇年より一〇か年平均の詰め込み高(総収穫高)は一四二五六石余、うち私田米(五七%)、公田米(四三%)となっている。公田米の四四一二石を藩の分度とし、これで暮らしを立て、借財の返済と荒地の開発を進めれば、、財政の基礎も固まると考えた。負債の償還状況は三期に分けられる。第1期 仕法着手から天保一四年まで第2期弘化元年より嘉永2年まで第3期 それ以降のもの 第1期は、尊徳の示した二割六分の減俸を基礎とした時期で、償還も順調に進んだが領民を安住させる仕法着手に至らなかった。第2期は、尊徳が弘化元年幕命で日光仕法の雛形作成に努めたため、下館の仕法に専念できなかった。天保一四年藩主総貨が大阪詰めを解かれ帰国すると弘化二年に二割八分の減俸を撤回した。二割八分の緊縮は、藩主と尊徳との協定で仕法完了まで継続する約束だが、総貨が撤回したため仕法は停滞した。第3期の嘉永三年に尊徳は幕領以外の私領地でも仕法を実施できることになり、下館藩も同年より分度を更新し、改めて償還の道を立てた。負債は一万二千両余で仕法開始前の三万五千両余の約三分の二が償還された。嘉永三年七月から一年間、藩士の給与召上げや、上納金と御用達の負担で九百両作り、利息付負債は完了し、残りは十年年賦で返済するという新償還案が提示された。 各村への仕法の実施 尊徳は、次いで領内の村々に仕法を行った。嘉永5年2月、尊徳が富田に命じ、下岡崎・蕨の二村に実施した。その前に灰塚村では五町四反余の耕作人のない田地が生じ、天保ず一三年より試業仕法として開発の指導を受けていた。田地耕作の問題は、村の怠惰から生じたことだが、一軒について米一俵、干鰯一丁、新鎌二枚を与え耕作させた。また、教化式仕法を行い、上下水道、道路、荒地の開発まで直接指導した。その結果すべての問題が解決し、附近の模範となった。灰塚村の他に谷中が特別指定仕法地として仕法が進められ、嘉永五年に全領内に行うこととなった。蕨村の小貝川の堤防工事は有名である。その後さらに下館町や、和泉・中館・小林などの各村に仕法が実施された。下館信友講 天保一四年正月下館藩の仕法導入を契機として江戸藩邸と下館に「報徳信友講」ができた。報徳結社の創始である。下館では最初四七名で、後七〇名に増えたが安政二年五七名を数えた。江戸は最初一七名で四八名に増加した。講の運営方法は各自が四文ずつ積立て、ある程度の額となると記名投票で貸付者を選び無利息で貸し付けた。信友講は、報徳仕法で藩政も改まり民治も進んだことで、藩士自ら報徳仕法の心を実践する必要があると結成された。これにより藩士の経済的行きづまりが救われ、思想啓発にもなった。下館信友講は書類上安政二年で絶えたが明治維新以降も継続された。明治三〇年産業組合法が発布されると、下館信用組合が設立された。下館信友講の精神を継承したもので、わが国信用組合運動の発展は下館信友講が始まりとされる。
2026.08.29

入学わずか4か月→高校全国2冠に 陸上界に現れた逸材スプリンター…先輩が明かす16歳の素顔「普段は…」――市立柏・山田奈央8/26(水) 入学からわずか4か月で、全国2冠。山田奈央(市立柏1年)は女子200メートル&4×100メートルリレーを制し、次世代スプリンターとして名乗りを上げた。レースでは高校1年生らしからぬ貫禄を見せる16歳だが、先輩たちが知る“素顔”はちょっと違う。 大会5日目の女子200メートル決勝。1年生の山田が頂点を争う相手は、7人全員が3年生だった。「失敗を恐れずに全力で突っ込もう」 学年差を恐れる必要はない。序盤は足を溜めつつ、カーブを抜けた辺りで加速。172センチの長身を活かすダイナミックな走りで、前回女王で今大会400メートルを制しているバログン・ハル(市川3年)や100メートル2位の加藤結衣(龍谷大平安3年)ら実力者をゴール前で鮮やかにかわした。「1年生で初めてインターハイに出場して。まさか本当に優勝できるとは思わなくて……びっくりです」 23秒91(追い風0.8メートル)で22年ぶりとなる1年生V。自分でも驚く快挙を演じながら、レース後は表情を大きく変えることもなく、派手なガッツポーズもない。トラックに向かって一礼。その堂々とした佇まいは、高1らしからぬ貫禄を感じさせる。 そして大会6日目に行われた4×100メートルリレー決勝でも、アンカーとして力走。45秒41でチームを日本一に導き、個人とチームの2冠に輝いた。「個人もリレーも、全て自分1人の力ではないので。チームメートやサポートしてくれた方々全員に感謝しています」 中2で全国中学校陸上に初出場。中3では200メートルで2位、U16大会でも150メートル18秒18で日本一の栄冠を手にした。世代トップクラスの実績を引っ提げて選んだ進路は、千葉の強豪・市立柏だった。「練習会に行った際に池ノ谷先生の指導を受けて、ここだったら速くなれると強く感じたんです」 強豪校ながら、和気あいあいとした陸上部の雰囲気も惹かれた理由のひとつだった。 今では部内の先輩とはタメ口で話す仲。4×100メートルリレー決勝で、2走として出場した横山柚希(2年)は「生意気な部分もたくさんある」と苦笑い。ただ同じスプリンターとして、刺激を受ける部分も多いという。「普段はイジってきたりするんですけど(笑)。勝負強さと、与えてくれる安心感はすごく自分の力になります」 3走としてバトンを繋いだ内藤美紗(3年)は「奈央とはめっちゃ仲良いんですよ」と目を細めながら「お互いをイジリ合う仲。普段一緒に練習していても『こうじゃない?』と素直に言ってくれるんです。凄く尊敬しています」と明かす。「もっと速くなりたい」を共通語に、学年の垣根を越えて上を目指せる。ただ馴れ合うわけではない。リスペクトで結ばれた市立柏の魅力だった。 一方の山田は「個人の時は1人だったので不安でいっぱいだったんですけど。先輩が1人、2人、3人といるだけで安心感があります」と溢れんばかりの笑顔を浮かべる。トラックの貫禄とは裏腹な姿は、末っ子感満載の高校1年生そのものだ。 今後に描く夢は大きい。「来年、再来年と優勝して3連覇を目指していきたい」。同種目では1995年~97年の鈴木智実(市邨学園)以来4人目となる快挙に挑む。 先輩に愛される愛嬌たっぷりの素顔と、トラックで見せる貫禄満点のスプリント。もう「日本一」を2つ知っている山田奈央の高校3年間は、まだ4か月しか進んでいない。
2026.08.28
早大・小宮山監督「打たれない球を投げときゃいい。十分いける」高校日本代表を評価8/28(金) <侍ジャパンU18練習試合:高校日本代表1-0早大>◇27日◇スリーボンドスタジアム八王子早大は、6安打放つも高校日本代表の5投手の完封リレーで敗れた。小宮山悟監督(60)は「(高校日本代表は)打つ方は木のバットなので、なかなか思うようにいくことはないんだろうが、ピッチャーが強いボールを投げられる。あのボールは相当抜けているんじゃないかな、という気はします。大学レベルでも相当なところだと思いますよ」と、高く評価した。 かつてメジャーリーグのメッツでもプレーし、経験豊富な小宮山監督は「国際試合は、もちろんそのストライクゾーンの問題など、いろいろありますが、打たれない球を投げときゃいいだけの話」と、国際大会でもあっても投手力の重要性を口にし、「そのボールを投げられるピッチャーたちなので、十分いけると思います」と、U18アジア野球選手権(9月7日開幕、台湾)で優勝を目指す日本代表にエールをおくった。横浜・織田翔希「恥のないように」初のU-18日本代表に刺激「たくさん学ぶことあった」8/27(木)「初めて日本代表として日の丸を背負って戦うんですけど、やっぱり見られ方も変わってくると思いますし、野球だけではなくて、人としての部分をしっかりとやっていかないと、日本を背負ってるということなので、本当に恥のないようにプレーしていきたいなと思います」 日本各地から集まった好投手達の投球を間近で目にし、「素晴らしいピッチャーだっていうのも分かった中で、今日こうやって初めて生で見ることができたんですけど、本当にたくさん学ぶこともありましたし、刺激をたくさんもらったので、さらにやっていかないといけないなっていう思いが強くなりました」と語った。「キャッチャーとしっかりとコミュニケーションを取りながら、チームメイトともしっかりと会話して、まずはチームワークをしっかりと固めていければいいなと思います」と話し、2016年以来、3大会ぶり6度目の優勝を目指す。
2026.08.28
「ユマニチュード」という革命 p.61 ロゼッタがある施設を訪れた際のことです。そこはケアを受け入れない認知症高齢者がたくさんいました。介護士たちは口々にこう言います。「いいことをしようとしているのに、高齢者は叫んで嫌がって反抗する。だから心が痛んでつらい」 誰もが「自分たちは不幸だ」と思っています。不思議なことに自分たちのつらさについて話はしても、高齢者のつらさについては誰も語りません。 その施設には3年間、まともに保清できない人がいました。ケアは毎回戦いです。しかしロゼットは、その人と楽しくシャワーの時間を楽しみました。介護士は皆驚いていました。 そこでロゼットが言います。「メソッドを教えますから大丈夫ですよ。あなたがたが日々抱えているつらさの原因を解消する技術をご紹介します」 でも彼らは決して受け取ることをしません。 これは不思議な現象です。彼らはつらいと言い、不幸だと嘆いています。問題は深刻だと頭を抱えています。事態の解決を望むならば、現状を変える知識と方法を受け取ってもおかしくありません。でも、彼らはいまの不幸な状況を手放そうとしないのです。 こういった反応はその施設に限った話ではなく、ケア業界に広く認められる傾向だと長年の経験から感じています。なぜでしょうか? 意外に思われるかもしれませんが、そうした拒絶の背景には宗教が関係しています。ケアはキリスト教によってつくられたという歴史が、そうした考えを生んでいるのです。 ケアを始めたのは修道院でした。担い手は修道女で、彼女たちは身寄りのない人、病人といった誰も世話したがらなかった人たちのケアをしていました。彼女たちが看護という職種をつくったと同時に、いまの私たちを抑制する文化もつくりました。宗教者によってつくられたため、ケアの本質はあくまで奉仕です。・・・・・・ ケア業界においては奉仕や慈善という成り立ちが潜在的なモデルとして今日まで影響を及ぼしています。 修道女たちは見放された病人たちを集めてケアをしたのはなぜでしょう。それは天国に行くためです。誰もが躊躇するような苦難の道、逆境を生きてこそ天国へ行けるからです。自己犠牲と苦しみが必須なのです。だから、自分から与えはしても相手からは何も受け取りません。 そういう信仰がベースになってつくられたため、いつの間にかケアする人は「苦境に置かれていなければ、本来の意味での業務をまっとうしていない」と思ってしまい、仕事の価値が苦難や困難に置かれるようになります。無意識のうちにその文化に馴染んでしまうのです。 看護師や介護士などケアする立場の人は、認知症の高齢者といった、家族でさえも世話をすることをあきらめてしまった、見放された人々へケアを行う素晴らしい人たちです。しかし、たいへんであることに意義を見出す文化に慣れてしまうと、私が「ユマニチュードでは患者を介助するのに10歳程度の子供の力があれば大丈夫です。拘縮なら5歳くらいの力で解消できます」と言っても受け入れ難くなります。自分の信じて苦難や困難の価値の価値観を壊してしまうことを怖れるからです。 その一方、これまでの慣習から離れ、ユマニチュードを実践するようになった看護師がよく口にするのは、「ケアが楽しみになる」「仕事が楽しい」といった苦しみとは無縁の言葉です。人間らしさを大切にするユマニチュード
2026.08.28
大智禅師偈頌講話 澤木興道 元旦 その6 元旦【元旦二首】 新年佛法問如何 (新年仏法如何と問わば)開口不須説似他 (口を開いて他に説似することを須(もち)いざれ)露出東君眞面目 (露出す東君眞の面目)春風吹綻臘梅花 (春風吹き綻ぼす臘梅花) 「露出す東君眞の面目」説くに及ばん。眼を開かば月、耳をそばだつれば松風、いわゆる遍界かつて蔵さず、天地いっぱい。ここらのことをなんと一口に説くか。新年の仏法は天地いっぱい。日の出、そうもいわれん。日の出という一つの象徴もよかろうが、雨が降ったらどうするのか。大吹雪がやって来たらどうするのか、要するに、遍界かつて蔵さず、この遍界不曾蔵の道理、つまり天地いっぱいのこの元旦。 われわれが子供の時に、なんぞおいしいものを親類から貰うて食べるというと、「どんだけおいしいか」という。一メートルおいしいとか、一寸角おいしいといわれん、よう子供の時に、どれだけおいしい。これだけおいしい。雲に百杯おいしい。天地いっぱいおいしい。 元旦はどんな元日はどんな元日か。餅を食うだけが元日でもなければ、屠蘇を飲むだけが元日でもない。朝起きるだけが元日でもなければ、カルタ取るだけが元日でもない。その元日の全面をここに露出する。諸法実相である。実相を一法に纏めてしまったら、それは実相ではない。実相は、諸法でなければならん。その諸法の実相が露出す東君眞の面目。 東君というのはなんの象徴か。お天道さんは東からポッと出る。元旦はこれに越した象徴はない。東から、山なら山の根から、東の海岸なら、太平洋の海の際から、真っ赤なホオズキの親方みたいのがボーっと雲を染めて出て来る。これ元旦の諸法の象徴である。「春風吹き綻ぼす臘梅花」春風に梅の花が咲いた。臘梅花、これは去年の梅が今年咲いた。春風とともに開いて来る。今年開く梅は、去年の梅、人間もその通りなんである。つねに新しいものであるが、若い時に、子供の時に習うた「いろは」を今でも憶えておる。「エエ、子供の時に習うたのは、子供の時であって、なんにもならんのであります」そんなことはないな。ところが、子供の時に正直者であっても、年が寄って少々手癖が悪うなったら、子供の時に正直であったから、差引勘定をしてくれというわけにもいかん。 去年の梅が今年咲く。永遠に古いものがつねに新しい。その新しいと古いの交錯。ここが仏法の極意である。仏法の極意というものは、この新しいばかりでもいかん。つねに新しいばかりなら、それは断見外道である。去年なく、来年なく、因果なくー。それならば断見外道である。去年の梅が今年咲くだけならば、それは常見外道である。因果歴年といえば、常見外道である。 この春風、春風という象徴はなにか。正法眼蔵涅槃妙心のこの春風に逢うて、去年の梅が今年咲く。永遠に古い真理がつねに新しく参究される。春風吹き綻ぼす臘梅花。ここにわれわれは参究を新しくする。この春風によって、その内容を豊富にし、つねに新しいものとする。仏の道をわれわれの手足で、この昭和の真っただ中にいかに綻ばすか。これがわれわれの実事参究、この参究である。 次は同じく元旦の詩である。(大智禅師偈頌講話p.164-165)
2026.08.28
1 草野は「在所同役共よりも、願くは尊師を御招請致度時々申越候に付、久助へ物語候へども、中々以容易に御許容有之事に無之候段申聞」(全集第三一巻三頁)と、金次郎を相馬に招請したいという相馬藩国家老池田など希望を富田を通じて伝えたが、容易に許可されないと聞いていた。そこで一條が江戸から相馬に帰るついでに桜町に寄り、廃村取立について教示に預からせようと依頼の書状を書いた。また一條も「直様御陣屋へ参上仕度、明御長屋成共一両日之間拝借仕罷在度、是等之処可然御取計被置可被下候」と金次郎に面会できるよう取りなしを頼んだ。(全集第三一巻四頁) 2「相馬興国救民問答」の後書に「去丑年十月、郡御奉行頭取一條七郎右衛門殿を以、奉始太守様、御国家老池田御氏、其外御役々一統、存寄書持参候て、御頼御座候得共、小田原表其外御趣法向繁多に付、不敬を不顧達て御断申上候得共、何分引取兼、十日余被致止宿、厚御頼御座候得共、面会不仕」と、小田原仕法繁多の理由で金次郎は一條に面会しなかった旨を記録している。(全集第三一巻二六頁)江原素六先生は、次の言葉を紙片にサラサラと書かれて、留岡幸助先生に渡された。無田甫田維莠驕々矣「留岡君、かような語が詩経にあるが、君は何と思わるるか?」「先生何という意味ですか?」「無田甫田は甫田を田(たつく)る無(なか)れと読むのじゃ。甫の字は補の字と同じ意味で一言で言えば手のかかる田を作るなということじゃ。手のかかる田を作ると、換言せば手に余る仕事をすると何事も成功せずして終わる。手に適うただけの仕事をすればよいということじゃ。維れ莠驕々矣というのは、手に余る田を作ると莠(はぐさ)が生えて茂ってどうにもこうにもならなくなる。余り仕事を遣り散らすと纏まりがつかなくなる、というのが詩人の教えである。」「留岡君、僕は貧乏であるから餞別にすべきものを持たぬ。これを餞して君の北海道行きを祝したいと思う。」留岡先生は、江原素六先生の言葉を、この上もなく有難く聴いた。(私は時として仕事を遣りすぎる癖がある。 先生は私のこの弱点をよく知ってこの語を餞別にくだされたのだ)留岡先生は、北海道に着くと、厚くて長い赤タモの板に能筆家に頼んでこの言葉を刻んでもらい、これを名人に彫刻してもらった。その板の額は、家庭学園の望の岡の礼拝堂に高く掲げられて永久の訓戒を垂れているという。 甫田(ほでん)を田(たつく)る無(なか)れ 維(こ)れ莠(はぐさ)驕々(きょうきょう)矣
2026.08.28

濱口竜介監督『急に具合が悪くなる』第99回アカデミー賞国際長編映画賞日本代表作品に選出8/26(水) 濱口竜介監督作『急に具合が悪くなる』が、第99回アカデミー賞国際長編映画賞部門の日本代表作品に決定した。 第79回カンヌ国際映画祭で主演のヴィルジニー・エフィラと岡本多緒が最優秀女優賞を共同受賞し、日本人女優として初の同賞受賞という歴史的快挙を成し遂げた本作。濱口監督作品が日本代表作品に選出されるのは2度目で、前回選出された『ドライブ・マイ・カー』は第94回で作品賞、監督賞、脚色賞とあわせて4部門にノミネートされ、国際長編映画賞を受賞している。今後、各国の代表作品から候補作が絞られ、2027年3月に受賞作品が決定する予定だ。 本作は、宮野真生子・磯野真穂の著書『急に具合が悪くなる』(晶文社)を原作に、濱口監督が国際的なスタッフ・キャストと共に手がけた一作。パリ郊外の介護施設「自由の庭」の施設長マリー=ルー・フォンテーヌ(ヴィルジニー・エフィラ)は、入居者を人間らしくケアすることを理想としつつ、人手不足やスタッフの無理解に悩まされている。そんな中、マリー=ルーはがん闘病中の日本人演出家・森崎真理(岡本多緒)と出会う。真理が演出するのは、自閉スペクトラム症の孫・智樹(黒崎煌代)と行動を共にする俳優・清宮吾朗(長塚京三)の一人芝居。同じ名前の響きを持つ偶然に導かれ、2人の交流が始まるが、あるとき真理は“急に具合が悪くなる”。真理の病の進行とともに、2人の関係は劇的に深まり、互いの魂を通わせ合うようになる。 カンヌ国際映画祭での最優秀女優賞受賞を皮切りに、ロカルノ国際映画祭ではエフィラがレオパード・クラブ賞を受賞。続いてトロント国際映画祭、ニューヨーク映画祭、サン・セバスチャン国際映画祭と立て続けに出品が決まっている。米メディアではアカデミー賞の国際長編映画賞のみならず、作品賞、監督賞、女優賞のノミネート予想ベスト10で名が挙がるなど、11月の一般公開を前に業界の評価が高まっている。 8月に公開を迎えたフランスでは、濱口監督作品史上最高の動員数を記録。同じく8月に公開を迎えたスイスでも好スタートを切っており、現在70以上の国と地域で配給が決定している。 日本では公開から2カ月以上が経過するがロングラン上映が続いている。
2026.08.27

「ユマニチュード」という革命P.56 私はよく看護師にこう聞きます。「あなたは相手から何を受け取っていますか?」 自分の感情を表してはいけない。愛情を表現するだけの距離に近づいてはいけない。それでは相手から何も受け取れません。 ケアの場において私にエネルギーを与えるものは何かといえば、それはケアを行う相手からの反応です。その反応が前向きなもの、好意や優しさを示すものであるならば、それはケアを行うエネルギーとして私に蓄えられます。看護婦に相手からの反応を受け取ることを禁じているから燃え尽きてしまうのです。私は何かを相手に与えるとき、必ず相手から何かしらの反応を受け取ります。その相手からの贈り物が、私のエネルギーとなります。それが私を前進させてくれるのです。 ケアする側が患者に触るのは簡単です。でも触れられることを受け入れるのはとても難しい。「あの人はいやらしい」「乱暴だ」と捉えてしまいます。でも、看護婦は患者の陰部に触っています。その一方で、患者が自分の手に触れただけでいやらしい、と拒絶する。しかし、交換のないところに人間関係は生まれません。 一方的に与えるだけの関係が成り立つのは、どちらかに絶対権限があるからです。ケアの現場でよく聞かれる言葉に「動かないでください」があります。たとえ、それを優しい声音で言っていたとしても、意味するところは「私が全権を持っていて、あなたにはない。だから動かないでください」なのです。 唯一、「あなたにも権利があります」を示す方法は、相手からのポシティブな働きかけを受け取ることです。 相手からのポシティブな働きかけとは何でしょうか。私が感情を込めた優しいケアをすると相手はリラックスし、「ありがとう」と言います。私の手をとり、頬にキスしてくれます。相手が私に向けて言うこと、行いを私は受け取ります。担当している人が亡くなったとしても、家族が「私の父は亡くなりました。でも、あなたはとても優しい人だったと言い残して逝きました」と言うとき、それもまた贈り物です。 与えることと受けとることとがうまくいっているとき、私のエネルギーは満たされ、「奪われる」というような喪失感は生まれません。 しかしながら、心理学の分野で教えられていることは、その逆で「自分の愛情表現をしては危険だ」と言います。これはある意味もっともな考えです。なぜなら私たちにとって他人は怖れの対象だからです。 怖れは人間と人間の間柄を損ないます。私がそうだと確信できるのは、患者はユマニチュードをしっかりと身に付けていつ看護師と話したがり、触れたがるからです。 ユマニチュードは自由への道です。伝統的なケア教育を受けてきた人は、患者に触れられることを好みません。それは別の言い方をすれば、自由が自由になることを拒否している態度です。 しかしひとたびこれまでの慣習を手放すことを本人が受け入れると、いままでもらえてなかったような贈り物を相手から受け取れるようになります。 では、どうすれば自由になれるでしょうか。それを知るにはケアする側が培ってきた「怖れ」の文化の歴史を知る必要があります。最も些細な事柄が、最も重要であり得る:濱口竜介、映画『急に具合が悪くなる』1万字インタビュー2026.06.18──カンヌでの上映後、スタンディングオベーションに応じてられている様子が、日本でも報じられていました。濱口 スタンディングオベーションというのは、なかなか慣れるということがないものでして……。ありがたく思いながら、こうしていただいている拍手は半ば習慣としておこなわれているものなのではないかと、半信半疑の念がどうしてもぬぐえないところがありました(笑)ただ、主演を務めたヴィルジニー(・エフィラ)さんと(岡本)多緒さんが、会場の反響に非常に感銘を受けている、つまりは自分たちの仕事が受け入れられていることに感動している──何よりもそのことに、感動していた気がします。原作者のおひとりである磯野真穂さんも感極まっていらして、届くべきところに届いた、この映画をつくってよかったと、改めて思えた瞬間ではありました。──その後、ヴィルジニーさんと多緒さんが最優秀女優賞を共同受賞されました。濱口 おふたりの演技が評価されて、とても嬉しく思います。共同受賞というのは、この映画に最もふさわしいかたちではないかとも思います。映画『急に具合が悪くなる』は、原作である哲学者・宮野真生子さんと人類学者・磯野さんによる往復書簡、おふたりの女性のやりとりなしには生まれ得なかった。私自身、原作のおふたりのやりとりや関係に体ごと震えるような感動を覚えました。そのことをずっと原動力としてやってきた。映画の主人公であるマリー=ルーと真理は、設定こそ大いに原作と異なるけれど、原作のおふたりの「分身」として作中を生きています。このふたりの女性を演じたヴィルジニーさんと多緒さんが共同受賞されたというのは、おふたりの素晴らしい演技に対して、ということはもちろんですが原作から映画に至るまでプロジェクト全体に対しての評価とも受け止めて、嬉しく思っています。──おおもとの問題意識は、どのあたりにあったのでしょうか。濱口 何なのでしょうね……。生きづらい。とだけ口にすればあまりにも単純ですが、どこまでいっても、とかくこの世は生きづらい、と私自身が感じたことが、おおもとのきっかけになっていると思います。──生きづらい、ですか。具体的に、どういう生きづらさを覚えられたのでしょうか。ユマニチュードは、医療・介護の現場でケアを受ける人が「対象」としてないがしろにされがちである状況に対して、ひとりの「人間」としてきちんと向き合おうとする実践的な哲学・技法とのことですが……濱口 私がユマニチュードに大いに興味を抱いたのは、日本の商業映画の現場を体験した後だったと記憶しています。その前作に当たる長編『ハッピーアワー』は、言ってみればインディペンデントに近い、特殊な映画制作でした。『ハッピーアワー』のときは、出演者の皆さんは職業俳優ではなく、基本的に平日はお仕事があったので、毎週末のみの撮影で、平日はスタッフも休養や準備に当てることができました。ただ、そんな撮り方だったので、撮影期間は8カ月ぐらいかかってもいます。日銭は皆、別のところで稼いで、寄り集まって撮っていた。その後にはじめて監督として、商業映画の現場に飛び込んでみて、自分が上手く適応できていないと感じました。自分がそれまでやってきた制作と引き比べて、シンプルに「時間が足らない」。そして、そのシワ寄せはどこかにいっている。私が感じたのは、それは私にとっては現場の中心とも言える俳優にいっている、ということでした。商業的な映画制作の習慣──それは必ずしも日本に限ったことではないとも思いますけれども──のなかに、あるいはカメラを用いて演技を撮るという行為のなかに、そもそも俳優に対する無関心のようなものが存在している。──俳優に対する無関心、ですか。濱口 一点補足をすると、どの現場でも結果的によい仕事ができたと思っています。ただ、インディペンデント的に撮るときとはまったく違うプレッシャーを感じていました。これは誰が、特に悪いということではありません。日本の商業映画一般の、企画の成り立ちそのものに、俳優の仕事への関心が含まれていない。特に感情的な仕事に対して無関心なのだ、という印象を私は持っています。そのために多くの時間が必要となるとは考えられていない。たとえば非常に大変なアクションシーンがある場合などは、多くの現場では皆で「安全性に気をつけつつ、きちんと準備しましょう」という合意を形成しやすい。時間もそれなりにかけられるでしょう。しかし……。そもそもの話としてお尋ねしますが、俳優が自分の感情をつかって仕事をするということ、感情を表現するというその仕事の内実について、想像することなんてできますか?──映画を好きで見ていても、俳優の方々のなかでどんなことが起こっているのか、実はずっと理解できないままでいます。濱口 私も同じです。だから、それはどこか魔法のような技術があるんだろう、と考えて「俳優個人の仕事」として外部化して終わってしまう。ただ、もし自分がやると考えれば、それが想像を絶するほど大変な仕事であることは明らかに思えます。約四半世紀、映画を撮ってきて、突き詰めれば「カメラの前で演じる」という仕事自体に、ほとんど無理にも近いものが含まれている、と私は考えるようになりました。それでも、その仕事の準備は、たいていの場合は俳優に「家でやってきて」という感じで割り振られる。俳優は独りで台詞を覚え、役を自分なりにあれこれ想像した状態で現場にやってくる。現場でカメラの前に立ったら、「ここからここまでの動線で、この台詞」と言われて、メカニックに物事が進んでいく。単にカメラの準備ができているから、という理由で、ほとんどの撮影は始まっていく。俳優が準備できているかどうかは、「泣き芝居」みたいなわかりやすく負荷のある場面を除いて、問われることはほぼありません。俳優たちは互いにどんな演技をするのかも、その場の手探りであることがほとんどです。違和感を覚えて、それを止める俳優は無能やワガママとも見做されるでしょう。俳優が感情的な準備に要する時間や、アンサンブルをつくっていく時間が、前提とされていない。そのため予算は低く見積もられ、スケジュールは切り詰められていく。そして、まるで最終的な商品の納期に間に合わせるための部品を発注するかのように、俳優に演技が求められている状況がある。──俳優の側もその発注に応じるように必死に納品せざるをえない、と。濱口さんが20世紀の巨匠ジャン・ルノワールの手法を参考に『ハッピーアワー』(2015年)から本格的に導入された「本読み」は、じっくりと時間を設けてニュートラルな声で台詞を読み、繰り返すというものですが、そうした時間のかけ方はほとんどの商業映画では不可能な体制が敷かれてきたのだろうと想像します。濱口 「なんでこうなってしまうのかな」と考えていたとき、ユマニチュードのことを知りました。ユマニチュードはケアの哲学・技法であり、私が従事している映画の仕事と直接の関係はなく、プライベートにおいて介護が喫緊の問題として迫っているわけでもありません。それでもユマニチュードについて書かれたものを読んでいると、そこで取り組まれている介護のフィールドにおける問題というのが、今お伝えしてきた映画の話と非常に似ている、という印象を抱きました。当時、コミュニケーションがとれないと見做されていたアルツハイマーの認知症患者にどう接するかを、ユマニチュード創始者たちは考えました。多くの介護施設で、経済的に回るように運営・経営するため、たとえ入居者が嫌がっていたとしても、半ば強制的・暴力的に介護をするしかないという状況があった。いわば認知症者を精神や知性を持った存在ではなく、モノのように扱う態度がここにはあります。介護士たちもそのような状況に対して、「だってしょうがない」と自分を納得させなければいけない状況もまたあった。そうした構造に対して、フィジカルな構造の面からアプローチしていったのが、1979年からユマニチュードを開発してきたフランスの体育学者、イヴ・ジネストさんとロゼット・マレスコッティさんです。もともとは認知症患者や高齢者をどうやって運搬するか、その知恵を授けてほしいということから介護のフィールドに呼ばれた人たちでした。──介護する側の腰痛予防プログラムを指導することが当初の目的だったようですね。濱口 そうして介護の業界に深くかかわるようになるにつれ彼らは、モノのように扱われる入居者たちはもちろん、むしろ介護する側の心が深く傷ついていくことに気がついていった。いったいどうやったらこの状況から抜けられるのか、試行錯誤をひたすら繰り返します。彼らがたどり着いたのは、認知症患者は精神や知性を失ってしまったのではなく、単に認知能力が非常に弱まってしまっているのであり、弱った認知能力を補完するような形でコミュニケーションをとることで、その精神にアクセスできる可能性がある、ということ。そして、その理解と、それを基にした技法が現場で必要とされている、ということです。その技法の基本は、「4つの柱」と呼ばれます。「見る」「話す」「触れる」「立つ」の4要素があるのですが、「見る」「話す」「触れる」は文字通り、五感を活性化するコミュニケーションです。近い距離で目を合わせ、大きな声で語りかける。単に大きな声を出すと暴力的になってしまうので、歌うように、微笑んで、映画内でも語っているように、「あなたに会えて嬉しい」といった自分から相手への好意を伝えながらコミュニケーションをとっていく。「触れる」にしても、手は敏感な部位なのでいきなり接触すると驚いてしまうため、他の部位から触れていく。──映画のなかでも、マリー=ルーが実践し、他の介護士にも広げようとしていましたね。濱口 こうした根本的なコミュニケーションをとっていくと、段々と抵抗行動が減って、介護がしやすくなるということがまず起こる。ただ、私が感銘を受けたユマニチュードの核心的な考えは、「介護をする人たちが他者をより大切に扱うことによって、自分自身を傷つけないで済む」ということでした。他者をモノのように扱うとき、人は心のどこかで、本当に求められるべき行いはこういうものではないのではないかと感じている。それでもなお構造に呑み込まれながら他者をないがしろにするとき、その人自身の尊厳もまた大いに傷ついている、という認識がユマニチュードの哲学のなかにはあります。この見立ては非常に正しく思えました。それは映画という産業で起きていることも同じことではないかと思えたし、介護や映画という業界の枠組みをこえて、今の社会そのもので起きていることであると感じました。──先ほどおっしゃられた「生きづらさ」は、ここでつながってくるわけですね。濱口 そうですね。ユマニチュードは優しさを「伝える技術」として定義づけられています。単なる精神論ではなく、技術である点が重要と感じました。非常に原理的に、フィジカルな面を突き詰めていくところが、私にとっても大いに参考になります。単に自分が優しい気持ちで他者と接するのでは、十分ではない。伝わらなければ、その応答もなく、そのことでそもそも「優しさ」もまた摩耗していってしまいます。技術を使ってちゃんとコミュニケーションし、相互作用するようにしないと、持続的なものにならない。そのためにはフィジカルな条件をきちんと見つめて、ひとつの技術として確立する必要がある。日本で行われた看護師の方たちへのユマニチュード研修に私も参加をしてみて、驚いたのは、この介護方式で反応を返した患者に対して、看護師の方たちが「反応してくれたね、ありがとう」とその反応に驚きながら、感謝の言葉をかけていたこと、それが本当に嬉しそうなことでした。言ってみれば、ユマニチュードがしているのは、この互いの応答能力の活性化、ということではないかという気がします。──映画では、真理が演出し、長塚京三さん演じる俳優・吾朗による舞台作品「Da vicino nessuno è normale. 近づいてみれば、誰もまともな者はいない」が登場します。この映画内演劇で表象されるのが、『プシコ ナウティカ——イタリア精神医療の人類学』でも論じられている、イタリア精神医療改革における中心的人物だったフランコ・バザーリア。舞台のタイトルは、改革後のイタリア精神医療におけるモットーとされる言葉だそうですね。濱口 医療人類学者の松嶋健さんによる『プシコ ナウティカ』を中心にした主題は、ユマニチュードとはまた別軸から抱いていた興味から、映画に合流しています。磯野さんや、宮野さんのご遺族にインタビューをしたり、リサーチをしたりしながら、原作の宮野さんと磯野さんのやりとりをどう映画化するか考えていく作業のうちに、その本流に私の関心事が寄り集まってきた、という感じです。『プシコ ナウティカ』の存在を知ったのは、立命館大学で映像人類学を専門とされていたふくだぺろさんと、同じく立命館でバレリーナとして身体の人類学的研究をされていた木田真理子さんに、「手について」というワークショップに招いていただいたことがきっかけでした。人類学者の方々もたくさん参加されていて、西浦(土田)まどかさんが、この『プシコ ナウティカ』という本に言及されたと記憶しています。たしかその時の話題は、20世紀後半に活躍したポーランド出身の演出家イェジイ・グロトフスキによる実験劇場のプロジェクト〈演劇実験室〉が、2005年以降、イタリアのある精神保健センターの利用者によって構成される劇団のプロジェクトとして引き継がれているということでした。演じることについての自分の関心も刺激されて、読んでみようと本を手にとったところ、イタリアにおける精神医療の歴史、そして精神病院の廃絶を主導したフランコ・バザーリアのことにかなりのページが割かれていました。彼はいわば、どうやって「精神病者を人間として扱うか」ということに心を砕いていた人であり、ユマニチュードと重なる部分もあって、非常に印象に残りました。──なるほど。より具体的に、どのあたりが濱口さんの琴線に触れたのでしょうか。濱口 この本で特に感銘を受けたのは、松嶋さんによる「〈人間〉に対するアニミズム」という議論ですね。アニミズムといえば部族社会において、モノに人間の精神・魂を投影することです。日本でも八百万の神々とか言いますけど、必ずしもあらゆる部族がすべてのモノに魂を感じるわけではない。たくさんある石のなかから、自分と関わりのある石は何かが違うと感じて、特別な関係性を結ぶ。簡単に言えば愛着を持つわけです。ここで翻って人間のことを考えたとき、そもそもこの社会は人間を、魂をもった存在として扱っているかどうかが、精神医療の問題として出てくるわけですね。これを読んだとき、ああそうか、と膝を打ったんです。この社会は、われわれ人間を知性、精神、魂を持ったような存在として扱うことを許していない、という自分がそれまでもモヤモヤと抱いていた感覚に、明確に言葉を与えてもらったような気がしたんです。このようにして原作の『急に具合が悪くなる』のもとに、ユマニチュード、フランコ・バザーリアといったさまざまな主題が合流していき、結果的に映画『急に具合が悪くなる』での演劇の題材となりました。──「人間をモノ化しようとする趨勢に抗する『〈人間〉に対するアニミズム』」だと、『プシコ ナウティカ』には書かれていますね。それらの問題意識と、原作の往復書簡『急に具合が悪くなる』を映画化するプロセスが結びついていった、と。濱口 本当に、一歩一歩進んだ、という感じです。すこし時間をさかのぼりますが、原作をどう映画化していいのかずっとわからなかった状態の2022年の秋に、フランスのプロダクションであるシネフランス・スタジオから、日仏合作のオファーをいただきました。ここで「ピンとくる」ものがありました。前提として、原作の核にあるのは、ある種のエモーションだと思うんです。宮野さんの「死」の気配に直面したときの、宮野さんと磯野さんのあいだに生じる感情ですね。しかしこれは、日本語で言う「センチメンタル」という言葉とは無縁の、宮野さんと磯野さんの知性によって切り詰められた、とても純度の高いエモーションです。原作ではおふたりは学者として、知的かつ抽象的なやりとりを交わします。でも、最終的に学者は「こういうことを言わない」というような言葉や、一般的に「友人同士がする会話」も飛び越えた言葉を選んでいく。磯野さんからも言われたことですが、ここにたどり着くには、二人の学問的なバックグラウンドが不可欠で、かなり抽象的な会話が必要になる。そうした会話を全編にわたって展開する映画が、日本の商業映画として成立するかというと、しないだろうと思っていました。──映画化の仕方がわからなかったというのは、そうした背景ゆえなのですね。そこから日仏合作の枠組みに、『急に具合が悪くなる』の映画化が結びついていったと。濱口 念頭にあったのは、エリック・ロメール監督の『モード家の一夜』(1969年)という映画です。哲学的な対話をずっとしているんだけれども、その実はただの恋のさや当てみたいな作品で、公開当時、フランスでは大ヒットしました。そうした“言葉の映画”の系譜は、ジャン・ユスターシュといった監督たちを含めて存在します。一般的にも、フランス映画と言えばおしゃべり、会話劇というイメージがあると思います。フランスを主な舞台とすることで、これは企画として成り立つのではないか、と考えました。要するに、この映画には観客がつくとプロデューサーが見込めて、予算をある程度の規模で集めることができ、そのことによってキャストやスタッフに十分なサラリーを支払えて、かつ制作に必要な時間も確保するような状況をつくることができるであろう、という見立てができた。ここで、シネフランスと日本側の制作会社オフィス・シロウズが結びついて日仏の国際共同製作体制ができました。最終的にはフランス=日本=ドイツ=ベルギー合作となったわけですが、まず主人公ふたりをフランス人と日本人にしようと考えて、両国をつなぐ要素として、私がもともと興味を持っていたユマニチュードが導入された、ということです。長くなりましたが(笑)それで、日本でここ10年以上ユマニチュードの普及に取り組んでいらした医師の本田美和子さんをはじめ、国内の方々には2023年から取材をし、2024年3月から4月にかけてフランスに滞在して脚本を執筆する際には、創始者のジネストさん、そしてジネストさんに紹介いただいた介護施設に取材にいきました。映画で登場する、マリー=ルーが働く「自由の庭」のモデルとなる介護施設にも、その過程で出会いました。女性の施設長の方がユマニチュード導入の道半ばで苦労されている状況を目にして、これは映画になり得る状況だと感じました。──映画では、ユマニチュードの導入を進めようとするディレクターのマリー=ルーと、現場の介護士や看護師たちがぶつかる場面が度々描かれます。濱口 ドラマの面白さの根本は「葛藤」とよく言われます。この施設の困難な状況において、施設長やスタッフたちは苦しそうに見えました。しかし、人間の行動が真に磨かれ、活気づいていくのは実は、ほとんど不可能にも思える困難と出会ったときです。それは当然、映画自体も活気づける。では映画の前半がまさにこの葛藤を基に展開するとして、その葛藤はいかに昇華されるのかを考えないといけない。つまり、なぜ、この施設はこんなに大変なのか、という問いをそれなりに現実に即して考えないといけない。ユマニチュードが非常に優れた方法だということにはほとんど疑問は持ってはいませんでしたが、そうだとしたら、なぜその導入がうまくいかないのか? 実際に現場に取材をすると、まずそれは資金の問題だと。そして、介護業界全体に蔓延した人手不足が見えてくる。それを突き詰めて考えていくと、私たちが生きる社会の構造、システムの話に帰結します。──介護や医療をめぐるシステムが経済性や合理性にもとづくなか、ユマニチュードは現実的に不可能な技術だと現場から反駁されますね。詳細は伏せますが、マリー=ルーと真理は、そうした私たちが生きる世界の構造について、熱く議論を交わします。濱口 哲学者の千葉雅也さんがドゥルージアン・オーティズム・スタディーズ(DAS)という彼が参加する勉強会で主催したシンポジウムで、「資本主義社会のなかで、人は個人の個人性というものを奪われ、そのトラウマを負っている」と発言したことがあります。それを最初に聞いたときは、「ずいぶん大きな話だな」というぐらいのことしか感じられていなかったのですが、この映画をつくる準備をするうちに、それはまさに正確な現状把握だと思えてきました。ユマニチュードやバザーリアの活動、あるいはがんを患った宮野さんが、自分の個別性を奪われて、単にがん患者とその周囲という「役割」に押し込められそうになっていくことへの抗いは、すべて個人の個人性が奪われていく社会構造に対抗するものとして、だんだんと見えてきたように思います。──なるほど。改めて振り返れば、いま濱口さんがお話しくださったことをすべて受け止めることができる、人が人として扱われる豊かな言葉のやりとりが、原作の往復書簡『急に具合が悪くなる』にはあったということですよね。濱口 往復書簡の中盤以降、宮野さんの状態が急激に悪化することによって、単に学者としてやりとりするだけでは済まなくなってくる。その人の生が失われるということが、どんどんと確実に近づいてくるなかで、言葉を真に投げかけ、受けとめるためには、全人格的なやりとりが必要になってくるわけですね。そのためには学者としての立場からもはみ出して、“人間と人間”として向かい合わなくてはいけないという状況になっていった。ふたりが最終的にその言葉を選び取るうえで、どれだけの勇気が必要だったろう、と脚本を書きながら思いました。そして、ふたりが互いに勇気を出し合ったからこそ、われわれはこのやりとりを読むことができる。宮野さんと磯野さんにとって、学者というアイデンティティも、とても大事なわけです。それぞれに自分の人生を賭けて取り組んできた学問の成果、自分の得た言葉を対話のなかで絡み合わせていく。単に自分の学説や見識を開陳しているのではなく、ふたりでつくっていく言葉というものがここにはあるように思えます。──ひとりでは決して生まれなかった言葉ですね。濱口 「私」が「私」という存在になっていくことは、実はひとりでできることではありません。他者との「出会い」がそこでは必要なんです。その他者は、「私」の予測を超えた何かであって、それはすべてが好ましいものとは限らない。病や死もそういうところがある。それが自分の身に生じた理由は完全には明らかにできず、突き詰めれば偶然でしかない。それでも自分の人生にとってその偶然を受け入れるかどうか、そこから自分の生をつくっていくか、という問いが、宮野さんと磯野さんのあいだで展開されていった。このふたりの姿勢——テキストではなく、それを生み出した覚悟とか勇気とか、お互いへの思いそのものを、映画に置き換えようとしていました。──本作を観た多くの人の記憶に残るであろう、出会った直後のマリー=ルーと真理がゆっくりと街を歩いていく、長いシークエンスがありますね。画面の外で鳴り響く街のざわめきが特徴的で、まるでふたりを、世界の広がりのなかに解き放っているかのように感じました。あのシーンは、同時録音だったのですか。濱口 同時録音がベースになっている以上、聞こえている音はまず基本的には現場で鳴っていた音です。ここではノイズも相当にありました。フランス-ベルギーの音のポストプロダクションは、かなり再構築の度合いが高いんです。おそらくそれが世界の標準的なサウンドデザインなんでしょうが、かなり、新たにサウンド・エディターのポール・エイマンスさんが録音してきた音、新たに集めた音が付けられている。そして、それをミキサーのトマ・ゴデールさんが全体のバランスを整えています。このおふたりの優秀さには驚きました。近年、音声にかんする技術の発達はすさまじいので、ノイズのなかでも台詞だけを抽出して聞かせられるようになってきています。ただ、自分が聞いていて、このセーヌ川沿いを歩く場面で台詞だけがよく聞こえるのは、現場にいた自分の体感からは非常に人工的な印象も受けた。なので、その感覚に準じて、トマさんにかなりノイズも意図的に残してもらっている。そういうバランスになっている場面ですね。──なるほど。劇中では、人々が互いに足のつぼを押し合うような美しい場面があり、その関係性のなかにマリー=ルーと真理の身体も連なっていきますね。人々の連なりのなかに主人公ふたりを置く、そのイメージが印象的でした。濱口 念頭に置いていたのは、原作で10便にわたる往復書簡、その終盤である9便で宮野さんが書いていることでした。ご自身がこの手紙を書く直前に参加された、ジェンダーをめぐる問題を語り合うトークイベントのことが書かれているのですが、そこには本当に多種多様な人々が集まって、宮野さんが長らく取り組んでこられたことが何か結実していくような出来事が起きていたことが伝わってきます。参加者の感想が「意味がわかりません」「カオス」「わけがわかりません」「ハチャメチャ」とあり、宮野さんは「ともかく何か、新しい何かが生まれたようです」と表現しています。そのことが印象に残っていました。往復書簡のなかで宮野さんと磯野さんは、ふたりのみで言葉をやりとりしていますが、当然にそれぞれ普段の生活は、他のいろんな人とのネットワークのなかで生きている。映画で主人公たちの生活を描くにも当然、周囲の人間関係が必要になってきます。そうした人間関係は彼女たちを支えるものであり、抱えている問題そのものでもある。映画では真理というキャラクターが人生を通じて取り組んできたことが、原作で宮野さんが体験されたように、ある広がりをもって感じられるようになればいいな、と思っていました。そのために、ダンサー・振付家の砂連尾理さんにもパリまで来てもらい、「足のツボを押し合う」場面を一緒につくってもらいました。磯野さんは原作のなかで人類学者ティム・インゴルドの言葉を引きながら、人は一歩一歩を踏み出し、踏み跡を刻むことで、ラインを描くと書いておられます。特に心に残ったのは次の部分です。「関係性を作り上げるとは、握手をして立ち止まることでも、受け止めることでもなく、運動の中でラインを描き続けながら、共に世界を通り抜け、その動きの中で、互いにとって心地よい言葉や身振りを見つけ出し、それを踏み跡として、次の一歩を踏み出してゆく。そういう知覚の伴った運動なのではないでしょうか。」狙ったわけではないけれど、この場面はまさにそのことの視覚化のように撮影しながら思えました。私も原作からのラインを引き継いで映画をつくっていると感じていましたし、「ラインを引き継ぐ人たち」を描きたいと思いました。──そうしたお話が、このインタビュー冒頭からの生きづらさをめぐるお話ともまたつながっているように思います。カンヌから帰国した際の記者会見では、日本の映画製作の予算規模を、おそらくは大作を中心にあえてスケールダウンさせることでの、労働環境の適正化を提言していらっしゃいました。ヒルズライフでも以前、濱口さんの『悪は存在しない』(2023年)という作品を支えたクリエイティブ・ファームにして有限責任事業組合「Incline」のメンバーの方々に取材させていただいたことがあります。何が濱口さんを、いま当然とされている構造やシステムではない、別の可能性の模索へと向かわせるのでしょうか。濱口 スケールダウンと言うとネガティヴに響くでしょうが、単に、本当に各人が「身の丈から始める」と考えたらよいのではないかと思います。今のままの予算感や時間感覚を維持するのでは、若い人が日本の映像産業に残りたいと考えることもないでしょうし、それは早晩、産業が成り立たなくなることを意味します。ただ、単に産業のために言っているのではない。結局、何が「生きづらい」かといえば、私たちはだいたいの時間、仕事をしていたり、単純にプライベートとはいえないような人間関係のなかで生きていたりするわけですよね。いや、プライベートでも同様なのかもしれませんが、そうした関係性のなかでは、役割が固定されています。映画監督は映画監督として、インタビュアーはインタビュアーとして、役割の間の関係に固定されていく。そのなかで──今こうしているあいだも取材時間のリミットが近づいていますが(笑)、どれだけのインタビューの取れ高が確保できるかといった、効率性が求められていく。社会全体が効率を、優先順位の上位に置くように迫ってくる。その結果として、われわれは人を役割でしか扱わなくなる。「あなたはこの役割を果たしてくださいね、私はこれをやりますんで」と、ユニットやネットワークの一部としてしか人を扱わなくなり、他の部分は見ないということがある。それは自分自身に対してさえも同様です。むしろ、私たちがモノのように扱ってしまっているのが、何より自分自身である可能性があります。これらのことは実は、依存症にとてもよく似ていると最近思います。──依存症ですか?濱口 われわれは今「効率」や「生産性」の依存症状態になっているように思えます。ドラッグやアルコールを「濫用する」ことを英語では“アビューズ abuse”と表現しますが、これは「ab-use」、つまり本来のありようから離れて、誤って使用するということです。依存物質を過剰摂取することを指しますが、別の文脈では「虐待する」ことを意味する動詞です。モノを誤って使用することと、人を本来あるべきではないかたちで遇してしまうことを、共にabuseと言うわけです。そして私たちは、どこか人間をabuseするように迫られる社会のなかで暮らしている。役割をこえて、より全人格的に人と人が接しようとしても、非常に難しい。そのための時間は奪われていく。システム全体が既にそのように構築されていて、まず役割を担うようにわれわれに迫ります。ここで提案したいのは、依存症の先達が取り組んできたことを参考にすることです。彼らが試行錯誤の末に育ててきた「知恵」に学ぶことができます。重度の依存症者は、ドラッグやアルコールの依存物質の過剰摂取によって、脳機能の一部を毀損されて、いつ何時スリップしてもおかしくない状態になります。それに向き合いながら、一日、一日を「今日はドラッグをやらなかった」「今日はアルコールに手を出さなかった」と重ねていく。そのことが新たな一日の目標になる。われわれにできるのも、同じようなことだと思います。脳機能こそ破壊されていないのかも知れないけれど、われわれが他人と関係性を築く力が、社会構造そのものによって毀損されている。われわれはこの社会構造に、日々、人間をアビューズ abuseするように迫られている。人間を人間として扱わないこと。他者をモノのように扱うことを通じて、高い生産性を達成しろと常に迫られている。だとすれば、その状態を脱するわずかな可能性は「今日は人をモノのように扱わなかった」「今日はあの人に、人間として接することができたような気がする」という日を、一日ずつ重ねていくことのなかにしかない。──その積み重ねしかないのだ、と。濱口 依存症の先人に学ぶべきもう一点は、もしできなくても、必要以上に自分を責めないということです。「今日は望むようにできなかった。けれど、しょうがない」と。あまりにもシステムが強固なので、本来私たち個人に太刀打ちができる範囲を超えているからです。それでまた「次の一日」を、一から始める……。まず、システムに毀損されている自分自身をいたわる必要があるでしょう。依存症によってアビューズ abuseされているのは何より、すべての起点である自分の肉体でしょうから。誰もが、自分自身の肉体と、精神の回復に専念して然るべきと私は思っています。あくまで余裕ができたら、それを他者に向けるので構わない。ただ、ユマニチュードが示すように、他者に関心を示すことが却って、自分を活気づけることもある、とも言っておきたい。関心というのは相互的なものだからです。私が「人をモノのように扱わなかった」「人間として扱った」一日は必ず、誰かの余裕になる。そうやって余力を分け合うものになるはずです。あまりに小さなことですが、よい点は、それが「今ここ」から始められるということです。そうした一日一日を重ねることは、十分にシステムに対する抗いなのではないかと、最近思っています。どれだけ小さくても、それすら難しいのだし、そこから始めることが妥当ではないか、と思っています。最も些細な事柄が、最も重要であり得る。最後に、『プシコ ナウティカ』を最近読み直した際に、改めて感銘を受けた言葉を引用しておきます。松嶋さんがインタビューした、イタリアの精神病院廃絶の過程に立ち会った看護師の言葉です。「根底にあったのは、経験にもとづいて進めていくというやり方とメンタリティで、かなり逆説的なことだけどミニマリズムでやっていたんだ。私たちができるごく小さなことをやっていたんだよ。でも、気がついていなかったのだけれど、あるいは知っていたのかもしれない、混乱した仕方でね……それは巨大なことだったんだ! われわれは、施設をひっくり返していたんだ、覆していたんだ、でも重要なのは、そう欲することなく、そう計画することなく、覆すことだったんだ。
2026.08.27
大智禅師偈頌講話 澤木興道 元旦 その5 元旦【元旦二首】 新年佛法問如何 (新年仏法如何と問わば)開口不須説似他 (口を開いて他に説似することを須(もち)いざれ)露出東君眞面目 (露出す東君眞の面目)春風吹綻臘梅花 (春風吹き綻ぼす臘梅花) そこで、大智禅師は、またここに一つの参究がある。「新年仏法如何と問わば」即今日である。新年仏法如何と問わば、仮に題を設けて、新年仏法如何と問わば「口を開いて他に説似することを須(もち)いざれ」―いう必要はない。こんなことをいうたら間違いなのだ。釈迦は四十九年一字不説、維摩は一黙。いわんでも分っておる。万物はつねに向こう向いて走っておる。あと戻りしない。毎日初対面。それは去年の真似をしておる。そのまた去年の真似をしておる。去年の年末に炭を一俵くれたから、今年もくれると思うておる。ドッコイ、そうはいかん。そういつも柳の下にどじょうはおらん。そのどじょうのおらんのが真理である。 真理というものは、箱に入っておるものではない。凍結しておるものではない。型にはまったものではない。きまりきったものではない。真理は諸法である。万物の動いておるままが真理である。雀はチュンチュン、烏はカアカア、トンビはピーヒョロ、鳩はポッポッ、柳は緑花は紅。それは見た通り、聞いた通り、ある通り、その動いておる通り、つねに新しい通り。向こう向いて行く通り、そいつをなんとかいうたら、それが型になってしまう。いうたら間違うたらいわん。 口を開いて他に説似することを須(もち)いざれ、いうただけ間違う。どんなものだということはない。つねに新しいフィルムが繰られておる。そのフィルムはずんずん繰られて行く、その一瞬を以てそのフィルムの全体を律するわけにはいかん。だから、今ぎり、だから即今、その場所、そのことがそのことぎり。だから即今、その場所、そのことがそのことぎり。だから、山はどんなものかというわけにいかん。その動いておる姿が口にいえない。絵にもかけない。トーキーにも撮れない。そいつを決めようと思えば、悟りというても間違う。安心というても間違う。正法眼蔵というても、涅槃妙心というてもー。だから、口を開いて他に説似することを須いざれ。「どんなものじゃ。新年の仏法というものは」「こんなものじゃぞよ」という必要はない。(大智禅師偈頌講話p.162-164)
2026.08.27
富田高慶は天保10年(1839)9月27日に二宮金次郎の門下に入る。富田高慶は天保十年(一八三九)九月二七日に二宮金次郎の門下に入る。同年十一月八日相馬藩家老草野正辰は、「富田久助雲水執行中、御膝下に随ひ、兼て被行候徳化を片端をも相伺、御教諭にも預り候て、始終は在所荒廃之地を相開候據と仕度、赤心聊御察し取被下」と富田の教育を依頼している。(全集第三一巻三頁)十二月富田は小田原に尊徳と共に出張する。この時期、金次郎は三新田・曾比村の小田原仕法を行っていた。天保十一年小田原出張中日記に「一亥十二月十日二宮金次郎下新田小八方へ、夜明着、並随身之面々」(全集第十五巻五五〇頁)の中に「相馬大膳亮様御内 富田久助殿」とあり、烏山藩の菅谷、茂木藩吉田、下館藩大島などと並んで記されており、単なる随身ではなく、一藩仕法に向けての視察であったようである。一月九日の日記に「富田久助殿病気に付、浦賀へ罷越候事」(同五五八頁)とある。富田の病気は長引いた。ここらあたりの事情が「久助事夏中より不快にて、推参致遅滞、今般亦々御膝下へ御教誨を蒙度旨申聞候」という天保十一年十一月二一日付の草野の手紙(全集第三一巻三頁)にうかがわれる。二其以来不得貴意候得共、向寒之砌弥御安泰被成御座奉欣然候、去年中は富田久助御膝下に御教諭被成下候趣、諸事御手厚之御事不少、忝致大慶候、扨追々衰廃之地御引立之御信節、天地神明を御動し被成候儀、同人伝達にて具に致承知候、頻に金言を承度候処、懸隔之儀不任心底、遺念不浅候、久助事夏中より不快にて、推参致遅滞、今般亦々御膝下へ御教誨を蒙度旨申聞候、乍此上奉頼候間、朝暮被召仕、薪水執行之内御教示被下候様伏て奉頼候、在所同役共よりも、願くは尊師を御招請致度時々申越候に付、久助へ物語候へども、中々以容易に御許容有之事に無之候段申聞候、御尤成御事御座候、領分は元来本田六万石、新田改出高三万八千石、〆九万八千石余、家事盛ん成時は、人別九万人、内高拾二万 迄収納有之候事、万治より元禄之間迄家事壮に付致収納候、於爰上下之驕奢相募、連々致困窮、如夢人別減少いたし、天明元年には五万人に相減、天明三大凶飢饉に付、一万六千人死亡離 有之、一度は三万三四千人迄に致減少、当時聊信節之糸口開け、二十五ヶ年以来役人世話を尽し、漸四万人余に相成申候、乍去尊師程之傑出未出顕無之、何れも庸人共に付、今一段之信節行届不申致歎息、送光陰候、若哉不便に御察被下、遠国之領分、興復之御助情被下候はゞ、如何計大慶可仕、元より御功業之相立候処、二ヶ村三ヶ村之訳に無之、宇田郡、行方郡、標葉郡〆三郡之地御開業被下候はゞ、天下へ響御大功にも可相成哉と奉存候、乍去当節御隣領御信義と御結ひ被進候御身分之儀、相願候て無栓事には可有之候へども、職掌難遁、屈思之余り呈鄙章候、余は久助可献鄙言深奉頼候右時候御見舞旁心事万分之一を不尽候恐惶謹言 天保十一年十一月二十一日 相馬大膳亮内 草野半右衛門 二宮金次郎様 二白寒威強候條無御油断御愛護可被成候以上
2026.08.27

ウクライナ軍の「巨大ミサイル」がロシアの宇宙センターに直撃 「深刻な損傷」衛星画像であきらかに ウクライナ軍参謀本部は2026年8月19日、新型の国産大型巡航ミサイルFP-5「フラミンゴ」による攻撃で損傷した、ロシア西部サマラ州の「プログレス」ロケット宇宙センターの衛星画像を公開しました。【衛星画像】すさまじい威力..これがウクライナ軍の「巨大ミサイル」が直撃したロシアの宇宙センターの被害「プログレス」ロケット宇宙センターは、有人宇宙飛行や人工衛星の打ち上げに広く使用される「ソユーズ」シリーズのロケットを主に生産している重要拠点です。 その中には、米スペースX社の「スターリンク」に対抗するためにロシアが開発を進める、国産の衛星通信網「ラスヴェト」を軌道へ運ぶための「ソユーズ2.1b」三段式運搬ロケットも含まれています。 ロシア軍は今年3月下旬にスターリンク端末が遮断された後、このラスヴェトの衛星をドローン攻撃に活用し始めていると報じられており、今回ウクライナ軍の標的となりました。 ウクライナ軍参謀本部によると、攻撃の結果、同センターでは約5000平方メートルにおよぶ火災が発生。さらに、ソユーズロケットの組立工場や、隣接するアヴィアコル航空機工場も破壊されたと報告しています。 公開された衛星画像は、ソユーズロケットの組立工場が大きく損傷し、建物が一部崩壊した被害を捉えています。 攻撃に用いられたFP-5「フラミンゴ」は、ウクライナの防衛企業ファイア・ポイントが開発した最新鋭の国産巡航ミサイルです。射程は約3000km、弾頭重量は約1150kgにおよび、その強大な破壊力が特徴となっています。
2026.08.26
ドジャース山本由伸が証言「先生は僕を作った人です」伝説的リリーフの“重要人物”、矢田先生とは何者か? ドジャース球団社長「信じられなかった」山本の練習法日本のプロ野球関係者にとっても、山本のアプローチは珍しいらしい。とある球団の投手コーチはこう話す。「いま、遠投をやっている投手は珍しいと思います。その意味でも、バファローズにいる時から山本君のトレーニングは特殊だと思ってました」そうした“奇異なアプローチ”をドジャースのスタッフはこう捉えた。 Something Special. 山本の能力に特別なものを認め、メジャーリーグで1球だって投げていないにもかかわらず、12年で480億円の投資を決めたのだ。 山本由伸がドジャースに移籍するにあたって、帯同したのが「矢田先生」こと、大阪で接骨院を営む矢田氏である。接骨院のホームページを開き、スタッフ紹介を見ると、映画『007』をもじった矢田氏の写真があり、こんなメッセージが書かれている。<「世の中は夢か現か幻か」 夢の外へー目覚めていく→超えて行く 夢の内へー夢中になる →深さを求める 私は、井上陽水の「夢の中へ」が大好きです。 現実を受けとめ、一緒に夢を追いかけましょう。> ワールドシリーズ第6戦が終わってから治療にあたり、第7戦当日にも山本の状態を確認、連投に太鼓判を押したのはこの矢田氏である。「先生は僕を作った人です」と山本は語る。おそらく、入団交渉の過程で矢田氏がどの程度、山本、そして球団にコミットするかということも交渉のテーブルに挙がったと推測される。 山本の移籍が決まってから、矢田氏はドジャースのスタッフに治療哲学を話す機会があった(こうした機会を設けるドジャースもまたユニークだ)。そこで矢田氏は、「山本は『ドラゴンボールZ』の孫悟空や、『ワンパンマン』のような存在です」「自らの行動と存在は分かちがたいものです。由伸は自然界が持つ力を自らの内に取り込み、それを超越する存在になろうとしているのです」 これは上位概念、哲学だろう。加えて、各論として次のようなアプローチをする。「ひとつの筋肉を使うことは簡単です。由伸が目指しているのは、600の筋肉をそれぞれ10パーセントずつ使うことです。もちろん、600の筋肉を一度に意識して投げることは不可能です。重要なのは、どの動作を優先すべきかを学ぶことです」バーベルを使ったトレーニングをせず、可動域、バランス、しなやかさ、そして呼吸を意識する。「自然界には自然なものがあり、スポーツ界には常識的なものがあります。世の中にはニュートン力学で説明できるものがたくさんありますが、由伸がやろうとしていることは東洋哲学で説明されるべきものです。だから共通言語を見つけるのが難しく、理解し合うのも簡単ではありません」矢田氏は、自らの哲学がスポーツの常識とはかけ離れているため、外から見れば突飛に思われることも理解している。「ただし、そこに本質があるのです」 矢田氏は山本由伸の特質をこう説明する。「彼は誠実であり、責任感が強く、真っ直ぐな人間です。そして、夢を見失うことがない」 パッサン記者は矢田氏の説く「夢」の意味について、こう書く。 夢とは単なる希望や願望ではない。 アスリートが自らの内側に眠る素材を掘り起こすために到達すべき『霊的な場所』へとつながる窓――。 そして第7戦、山本はただひたすらチームメイトと一緒に勝つことを願った。 フリードマン球団社長は、山本の投球を見て、こう思ったという。「(9回途中から)3イニングを投げ切って、第6戦とまったく変わらない内容の投球を見せた。私がこれまで見たメジャーリーグの試合のなかで、最も感動的な光景だった」予断を持たずに山本由伸、矢田氏を受け入れたドジャース。 この球団には、進取の精神が宿っている。 黒人初のメジャーリーガーであるジャッキー・ロビンソンとの契約。 1958年には先陣を切って西海岸にフランチャイズを移転。 1995年、いまから30年前に野茂英雄と契約を交わし、日本人への扉を開いた。 革新、先進、そして寛容の球団である。 2025年、深淵な哲学を持つマスターと歩みを進めてきた「小さな大投手」が歴史に名を残した。“ヤダセンセイの教え”でベッツも別人化 ド軍同僚が目の当たりにした天才の変貌「たった2週間で、とんでもない送球をするようになった」4/4(土) 日本からやってきた革新的なメソッドは、スター軍団であるドジャースに小さくない影響をもたらしている。山本由伸がオリックス時代から師事してきた矢田修氏の独自トレーニングだ。 米球界の常識とはかけ離れたと言っても過言ではない教えが詰まっている。「立つ」「歩く」「走る」の動作から身体が持つ本来の自然な動きを取り戻させるという矢田氏のメソッドは、筋肉を強くするためのウエイトトレーニングに頼らない、まさに異端。ストローを用いた呼吸法や、柔軟性を重視するブリッジ、やり投げなど、その手法も独特で、何かと話題となっている。 山本がドジャース入団時から矢田氏が帯同していることから、球団内で「ヤダセンセイの教え」は急速に拡大。今オフには、「チームの顔」とも言えるムーキー・ベッツが、山本と一緒にゴルフに行った際に「何か違うことをした方がいい」とアドバイスを受け、トレーニングを開始。とりわけ、やり投げには手応えを感じているようで「グラウンドを横切るボールを投げられるというだけでも、去年までとは全然違う」と実感を語った。 そんなベッツの現況は、同僚の目にも、まさに別人のように映っている。米野球専門YouTubeチャンネル『Foul Territory』に出演したドジャースのマックス・マンシーは、「ムーキーは送球を良くしたくてやり投げを始めたんだ。そしたら、たった2週間ぐらいで、内野を横切るとんでもないボールを投げられるようになっていたんだ」と証言。 見違えった仲間の姿を目の当たりにし、「『うわ、俺もやった方が良いのか』って思った。本当にそれぐらい一塁への送球が凄まじく良くなったんだ」とも打ち明けたマンシーは、矢田氏のメソッドに対する自身の考えを明かしている。「僕の理解では、ヤダセンセイの教えは、要するに体幹を正しく使うことなんだ。そして、自分が本来持っているバランスを見つけること。それを知ってほしいから、彼は選手の肩に乗るんだ。ムーキーの送球を見ていると、なんだか本当に『自分も始めてみようかな』という気持ちになるんだ」 無論、選手によって効果はまちまちだろう。しかし、山本に続き、ベッツまでも効果を実感していることで、その反響はより大きさを増しているようだ。山本由伸らトップアスリートやドジャースを支える矢田修が挑む“スポーツ科学の民主化” 新デバイス「KINETIC LAB-LINK」に込めた40年の知見柔道整復師の矢田修(やだ・おさむ)さんは、1959年香川県生まれ。1980年に大阪府大阪市で「矢田接骨院」を開業し、院長を務める傍ら、1988年には教育・研究機関「キネティックフォーラム」を設立。全国各地で勉強会を行いながら、治療家の指導にあたってきた。トップアスリートも数多く師事。一例を挙げるだけでも、筒香嘉智(横浜DeNAベイスターズ)、北山亘基(北海道日本ハムファイターズ)、高橋宏斗(中日ドラゴンズ)、尾方剛、桐生祥秀(陸上)、平野早矢香(卓球)、那須川天心など、競技の枠を超えたサポートを行っている。矢田さんは柔道整復師としてのキャリアを通じて、接骨院を訪れる一般患者やアスリートへの指導を行いながら、自身の理論を伝えてきた。また、「キネティックフォーラム」では、30年以上にわたるデータをもとに確立した独自の身体調整メソッド「BCトータルバランスシステム」を学び、実践する場を提供。指導者や治療家の育成にも関わるなど、業界全体の発展や活性化を目指して長年尽力してきた。「BCトータルバランスシステム」は、一般的なトレーニングや単なる筋力強化などと異なり、細胞レベルから身体のリズムを回復させ、運動連鎖(キネティックチェーン)を最適化することを目指す理論だ。40年以上にわたるキャリアを築いてきた矢田さんだが、柔道整復師やトレーナーとして過ごす中で、業界全体に対してどのような課題を感じているのだろうか。矢田さんは、自身が大切にしているものは「言語化できないもの」だとしながらも、現場で感じてきた問題点について次のように語る。「現場では分析やデータの研究がどんどん進んでいるにもかかわらず、ケガ人はどんどん増えています。そこに対して正直に僕が思うのは、“分析する方向が間違っているんじゃないか”ということ。結果が出ていないのに、結果が出ない方向へどんどん進んでしまっている気がするんです」また、自身が提供する「BCエクササイズ」についても、山本らトップアスリートへの指導プログラムとして注目を集める一方で、適切な知識に基づいた理解と実践が伴わなければ、競技者に対して本来の効果を発揮できないと指摘する。「BCエクササイズは、身体を動かしながらも日本の芸道の型のような要素を持ち、動いていながら瞑想しているような状態を要求されるトレーニングです。形だけなら簡単に見えますが、テーマを深めていくと多くの人が難しさを感じます。こうした取り組みを通して、“自分の内側に目を向けること”が重要になります。一つのことに取り組むと、その先にある三つ、四つのことが見えてくる。一つ一つのことを聞かないがゆえに、自分で気づく機会が失われていくこともあると思っています」「人間には、目に見えるものと目に見えないものがあります。パソコンでいうと、ハードとソフトのようなもので、フリーズを起こしてもハードは壊れていない。機械であればクリーンインストールして再起動すれば元に戻ります。でも人間は、人のことは分かっても、目に見えないものが自分の中にもあるにもかかわらず、自分のことは気づきにくいんです。そこにいかに気づいてもらえるか、ヒントになってくれないかと思って作ったのが、今回の『KINETIC LAB LINK』です」「ゴール地点というものはないんです。正直、その日暮らしなんです。僕の周りには明確な夢を追いかけている人がたくさんいます。それぞれ夢は違いますけど、一人一人と同じ夢を見ながら、命が続く限り続けていきたいと思っています。ゴールというよりも、毎日やっていることをずっと続けていきたい。それだけなんです」
2026.08.26

「ユマニチュード」という革命p.52 正しい距離感をとっているか、を気にする前に考えるべきことは、いずれ亡くなるであろうこの高齢者はいま何を必要としているか?です。彼や彼女が求めているのは優しくされることであり、いたわりであり、つまりは愛です。 高齢者はほとんどの時間をケアのプロに囲まれています。しかしプロは「ケアに愛はいらない。距離感を保ちなさい」と教えられ、その通りに行っています。それは高齢者にとってはひどくつらいことです。愛を必要としているのに与えてもらえないからです。 どうして私たちは親密になってはいけないと考えているのでしょうか? 日本で、看護師とともに認知症の女性にケアを行いました。彼女は自分で食事がとれなかったので、鼻から経管チューブを入れています。口に潰瘍があり薬を塗る必要があったのですが、すべてのケアを拒否し、どの看護師が近づいても殴ったり蹴ったりするために、何もできずにいました。 このような非常に対応が難しい患者に対し、ユマニチュードの研修を受けた看護師が口のケアに成功した際、「あなたのことが大好きですよ」「また会いに来ますね」と言っていたことです。従来のケアの現場では考えられないことです。 寝たきりであらゆるケアを拒絶し、絶叫していただけの患者はその日を境にして、看護師に心を開き、会話をするようになり、自分で食事を摂るようになりました。立てないと思われていましたが、ちゃんと立てました。しかも退院する日は自分で髪を整え、お化粧までしたのです。そういう様子を見ていた周囲の看護師は思わず涙ぐみ、拍手をしました。 これは「あなたのことが大好きですよ」と言う権利を与えられた看護師が関わることで起きた変化です。この変化を生んだのは医師でも薬でもありません。毎日のケアをしていた看護師がもたらしました。これがケアの力なのです。 大切なのは、この看護師が行ったケアはユマニチュードの技術に基づくものであり、つまり、技術を身につければ、誰でも行える再現性があるということです。 こうした親密な光景を目にするとショックを受ける人がいます。そして私に尋ねます。「«あなたのことが大好き»といった特別な感情によって個人的な関係を結んでいいのですか?」 ユマニチュードの方法は相手のプライバシーに踏み入りすぎていると見えるのです。 私はこう答えます。「医療施設のような公共の場においては、親密さを排除することが正しいとされています。だからこそ病人は愛を得られないまま死に、看護婦は徒労感を抱えて辞めていきます」 個人的で親密な関係がいけないと思うのは単なる習慣に過ぎないのです。そして人が本当に求めているのは、距離感のある関係ではありません。 先ほど紹介した高齢者は、従来のやり方では、寝たきりですべてのケアを拒絶する患者でした。それが再び自らの足で立ち、人間として生きはじめ、ケアの時間を看護師と穏やかに過ごすようになりました。看護師の見せる感情に不快感など覚えていません。むしろ「ありがとう」と応えています。 現場において感情を伴ったケアを行っては馴れ馴れし過ぎる。それでは相手を尊重することにならない。それが常識だと考えられています。本当にそうでしょうか? たとえば、あなたは他人の前で裸になって横たわり、陰部に触れさせることを許すでしょうか?おそらく拒絶するでしょう。けれども患者となると、あなたはそれを受け入れなくてはいけなくなります。ケアを必要とする立場になると、あなたは他人の手に身を委ねるようになるわけです。ただし、そのやり方にはふたつあります。 ひとつは、「もの」としてあなたを扱います。非人間化への道です。もう一つのケアはその反対で、あなたを大切な個人として感情を込めて扱います。 誰かの手助けが必要な状況に置かれてしまうと、自律できな存在としてみなされ、その人に行われることへの許可をとる必要がないと思われがちです。だから、普段なら本人の許可を得ずにいきなり陰部を触ることは非常識であり暴力的だと考えていても、ケアの場では、それを当然のこととして行います。その一方、優しく患者の手をとることは「やってはいけない」と言われています。 けれども考えてみてください。ケアの名の下に裸にしたりすることに比べたら、優しい言葉をかける、いたわりをもって触れることは、あなたを大切な個人として友人として扱っている証であり、何より非暴力的なやり方だとは言えませんk。 そして、最も大切なことは「親密さを用いたケアを私は仕事として行っている」と常に認識しておくことです。あくまでプロの職務として、質のいいケアを行い、相手を尊重し、人間として接しているのです。林 紗美ユマニチュード認定インストラクター / 看護師https://humanitude.care/introduction/instructor/hayashi/ケアすることは、相手の人生に深く関わること私たち看護師の選択ひとつで、ケアを受けるひとの人生が大きく変わる――そのことを強く自覚したのは、ユマニチュードを学んでしばらく経った頃でした。ユマニチュードが日本に入ってきた2012年8月頃、私は働いていた総合内科病棟を代表してジネスト先生の研修に参加する機会を得ました。その病棟の多くがご高齢の寝たきりの方という状況でした。50人中、半数近くが経管栄養で、排泄もオムツが必要な方がほとんどでした。病気が良くなっても入院生活でADL(日常生活動作)と認知機能の低下などが進みます。在院日数の延長、受け入れ先が見つからない、自己抜針の問題、転倒転落件数の増加、看護師の疲弊等々、多くの問題が山積していました。これらの問題はすべてユマニチュードで解決するのではないかと感じたのです。しかし、従来の看護のやり方が浸透している臨床で、どうユマニチュードを実践したらいいのか悶々と考えていました。2013年5月頃、肺炎で入院してきたあるご高齢の方がいました。ご自分から動くことはなく、会話が成り立たない。やがて治療が奏して元気になると、今度はそわそわと落ち着かなくなりました。ナースコールも理解できない様子で、一人で立つと体がふらつき、転倒のリスクが高いので抑制することになりました。しかし、どれだけ厳重に抑えても、いつのまにか抜け出してベッドの脇で立っているのです。ある日、私はその方を検査のために車椅子でレントゲン室にお連れしました。技師が「立てますか?」と聞いてきました。ふだんはすべてのケアをベッド上で寝たまま行なっていたのですが、私はベッドの脇に立っていた光景を思い出し、「立てます」と答えていました。そのとき、ハッとしたのです。なぜ、私たちは「立てる」方を抑制していたのだろう――。そのとき、ユマニチュードの4つの柱の一つである「立つ」を学んだときのことが思い出されました。人間が生まれて初めて立つ瞬間は、自由と自律を獲得する第一歩です。歩けないように固定してしまうことは、生きる力を無理やり奪っていることにほかなりません。そのためにユマニチュードでは、清拭のときに立ってもらったり、起き上がって着替えをしてもらったりして、通常のケアの中で「立つ」「歩く」時間を少しずつ積み重ね、立つ機能を維持していきます。このひとは、自分の力で立てる。私たちは今までいかに上手に抑制するかを工夫してきたけれど、本当に検討すべきことは、どうしたら転ばずに一人で歩けるようになるかを考えることだったと気づきました。ただし、ご高齢の方は骨密度や筋力、バランス感覚も低下しています。どんな動きだとリスクがあるのか、抑制を外したところでどれだけ付き添えばいいのか、すべてが手探り状態で、カンファレンスを重ねました。私はまずご本人に動いてもらう中で、相手を知ることが大事だと考え、その方を担当するタイミングで「この方の抑制を外させて。その間、病室に入って付き添うので協力してください」と提案しました。私はユマニチュードの相手と良い関係を結ぶための手順「5つのステップ」で病室にいる彼を訪問しました。そして、抑制を外して本人の自由な体の動きに任せて、必要なところは少し手助けをしながら、一緒に時間を過ごしました。彼は廊下に出て、病棟のトイレや洗面台を見て回りました。落ち着いていて穏やかな様子で10分くらい歩き回ると「僕の部屋はこっち?」と聞いてきました。病室の名札を一緒に確認して、4人用部屋の彼のベッドに戻りました。そして、カーテンの中に入る前に「ここは僕の部屋なので、もう大丈夫ですよ。外まであなたをお見送りしましょう」と私を部屋の入口まで送ってくれたのです。その変化は、病棟のスタッフをとても驚かせました。その方は抑制が不要となり、ときどきフロアのロビーで雑誌を読んだりするようになりました。そして、看護師が血圧を測ると、「僕も測ってあげる」と看護師の血圧を測ったり、肩を揉んだりしてくれるようになったのです。その方のご家族は、病院から遠く離れた地方にいました。電車、飛行機を乗り継ぐ長時間の移動に心配があったので退院できる状態ではなかったのですが、状態が安定したことで、ご本人とご家族の希望どおり地元の高齢者施設に入居することが叶いました。もし、あのまま抑制を続けていたら――。やがて本当に寝たきりとなり、家族と離れて一人ぼっちで人生を終えなければならなかったかもしれない。とくにご高齢の方の場合、私たち看護師のケアの選択一つひとつが、その方の健康や人生にいかに大きく影響するか身をもって実感したのです。それから病棟での看護のあり方が少しずつ変わっていきました。ご高齢の方が入院すると長期療養になることが多かったのですが、ユマニチュードの技法を駆使して「来るときより元気にして帰そう」と決めました。そして、自宅から入院した方は自宅に帰す、施設から寝たきりで運ばれてきたら車椅子に座れる状態にして施設に戻す、と改善する症例が増えていったのです。ユマニチュードはただ技法をテクニックとして習得するだけでは十分ではありません。もう一つ、本人の健康状態を正しく評価(アセスメント)して、最も本人のためになる技法を選ぶ思考が必要です。例えば、これまでの看護では「手足を動かして暴れる=ケガや事故の危険がある」と評価してきました。一方、ユマニチュードは「手足を動かして暴れる=歩く・立つができる可能性がある」と考えます。ユマニチュードの思考がないと、「手足を動かして暴れる」ひとに最適のケアが選べないのです。大人しくしてもらおうと、ユマニチュードの「見る」技法で、瞳を正面からじっと見つめて「動かないでくださいね」と優しく言い聞かせるだけで終わる。これでは、ユマニチュードの技法も、本当の意味では本人のためにならないかもしれません。ユマニチュードを正しく活用するには、技法と思考の両方を学ばないと活かせない。私自身、ユマニチュードの技法を学んでもなかなか実践に移せなかったのは、思考が追いついていなかったことが一因でもあったのです。この素晴らしいケアをより多くのひとが実践できるようにしたい。そう考えて、私はユマニチュードを伝えていくことを選んだのです。今の医学では、認知症を治す確実な治療法はまだ確立していません。では、人間は認知症になってしまったら、あるいは不治の病気になってしまったら、その人生に希望や喜びはもう見いだせないのでしょうか? ユマニチュードはそうは考えません。病気は治すことはむずかしいかもしれない。でも、そのひとがニコニコと過ごしてくれたら、それだけでも素敵なことじゃない? ひとの名前はすぐ忘れちゃうかもしれないけど、毎日自分の好きなことに熱中して眠りに就ければ幸せだよね? そんなふうに希望の光を見いだすことができるのがユマニチュードだと思います。たとえ体や認知能力が衰えても、そのひとが最後まで「人間である」かぎり、その貴重な日々に希望や喜びを見いだすことができるのです。こうしたユマニチュードの哲学を、ケアをするご家族や医療者、地域のひとなどみんなが共通して持てれば、幸せな長寿社会が生まれると思います。その一歩をみなさんと一緒に創っていければと思います。
2026.08.26
大智禅師偈頌講話 澤木興道 元旦 その4 元旦【元旦二首】 新年佛法問如何 (新年仏法如何と問わば)開口不須説似他 (口を開いて他に説似することを須(もち)いざれ)露出東君眞面目 (露出す東君眞の面目)春風吹綻臘梅花 (春風吹き綻ぼす臘梅花) 元旦といえば、屠蘇に酔っぱらうて、やれ配給の餅が足らんとか、酔うほど酒の配給がなかったとか、碌でもないことばかり思う。元旦というものは、年末も元旦である。われわれに二度目の生活というのはありはしない「元へ」そんなものはありやせん。この毎日が、生まれてから初めてである。いつも、生まれてから初めてこの毎日をする。 それは坊主になって得度式をやった、坊主に初めてなったというのは、坊主の元旦じゃ。寺へ来て初めて坐禅をするというのは、坐禅の元旦である。去年坐禅をしたから、今年はもう慣れっこになっておる。そりゃ元旦じゃない。去年やっても今年のやつは、生まれてから初めて今日する。それが今日の元旦である。先月やっても、今月のこれが坐禅の元旦で、時々刻々、年々歳々、どの月もどの月も、どの日もどの日も、この元旦を迎える。いつもめでたい。それがめでたいのである。 古臭い去年の真似をしておる。お茶の席で上席の人が誤って芋をころがしたら、その次のやつも芋をころがし、その次のやつも芋をころがし、みな仙台平の袴に、ナメクジがほうたようにしたという。それは人の真似をするというのは、あまりめでたくない。 仏教でも既成教団とかいう。去年はこうやった。一昨年はこうやった。一昨昨年はこうやった。百年前はこうやった。千年前はこうやった。お釈迦さんはこうやった。そんなお釈迦さんの通り真似したら、風邪を引くわいー。 われわれは釈迦の真似もしてはならん。わたしの真似をするやつがある。わたしの顔つきの真似をする。そんなやつは古臭い。いやしくも真似をしない。自己の今日を発明する。その自己の今日が縦横無尽に生まれて来る。今日のことが無念無想である。非思量である。われわれは妄想分別によって、去年の真似をする。一昨年の真似をする。 この宇宙は二度と繰り返さない。この天体も年が寄る。お月さんも、太陽も、火星も、金星も、天の川も、毎年年寄る。年寄る以上は諸行無常のうちである。そうして、グルグル動いておる。もう一遍あと戻りということはない。約束通りグルグル向こう向いて行く。 そこでわたしは元旦をかくのごとく参ずる。願わくばいつも元旦でありたい。約束通りグルグル向こう向いて行く。(大智禅師偈頌講話p.161-162)
2026.08.26
(現代語訳)全集第31巻相馬仕法p.2 従天保十癸亥年(1840年)相馬興国救民問答 至天保十二辛丑年(1842年)一 草野大夫興国頼みの文 未だ貴意を得ませんが、いよいよご安寧なされ、御勤務なされ奉りよろこびになえません、今般不思議の事で、富田久助が勉学中のところ、先生の膝下に随い、かねて行われる徳化を片端をも伺って、ご教諭にも預っていて、始終は相馬藩の荒廃の地を開きたいよりどころと仕りたく、富田の赤心をいささかでもご察しくだされ、ご仁恵の援助をくださいますように。先生のご奉仕先まで召し連れられ、信誠の行いも執行させてくだされたく、ご許容下されたくあらあらもうしあげます。さてまた一家の衰廃を起される件は、容易の粉骨にではないところ、貴君の桜町のご再興のご丹精耳を驚かせ感じ入っています。江戸に在府の際にご名誉のお話も承りたいものです。及ばずながら赤心をお話し申したいものです。場所も離れ思いのままにもできず、まったく残念なところです。なにとぞ久助の僅かな才を以て、高徳の十が一にも至しことができれば、私にもおいても厚く大慶と致します。右お礼までに恐縮ですがお願い申し上げます 天保十年十一月八日 相馬大膳亮内 草野半右衛門 二宮金次郎様全集第31巻相馬仕法p.2 従天保十癸亥年相馬興国救民問答 至天保十二辛丑年一 草野大夫興国頼文 未得貴意候得共、弥御安寧被成御勤務奉欣然候、今般不思議之事にて、富田久助雲水執行中、御膝下に随ひ、兼て被行候徳化を片端をも相伺、御教諭にも預り候て、始終は在所荒廃之地を相開候據と仕度、赤心聊御察し取被下、御仁恵之御扶助可被下候間、御奉仕先迄被召連、御信誠之御行ひも執行仕候様、御許容被下候段粗申聞候、扨又一家之衰廃を起し候儀、容易之粉骨に参り候事に無之候処、貴君桜町御再興之御丹精驚耳感入候事に御座候、御在府にも相成候はゞ、為御名誉之御咄も承、乍不及赤心を御談し申度候得共、懸隔懸命之御互不能其儀、厚残念奉存候、何卒久助寸才を以、高徳之十が一にも至候はゞ、於私も厚可致大慶候、右御礼且奉謝度如斯御座候恐惶謹言 天保十年十一月八日 相馬大膳亮内 草野半右衛門 二宮金次郎様
2026.08.26
「何時に朝食を食べるのか」が早死にリスクや寿命と関連しているとの研究結果朝食はその後の1日を左右する重要な食事だとみられており、毎日しっかり朝食を食べることは健康にもいいとされています。3万人以上のデータを分析した新たな研究では、「何時に朝食を食べるのか」が早死にリスクやその後の余命と関連していることが判明朝食に関するアドバイスの多くは、「どのような朝食が健康にいいのか」といったものですが、朝食の時間そのものも健康を左右する可能性があります。しかし、これまでの研究では朝食を抜くことや深夜遅くの食事が健康状態の悪化と関連付けられていたものの、朝食の時間帯と健康状態の関連はよくわかっていなかったとのこと。そこで、中国の華中科技大学の研究チームは、1999~2018年にかけて実施された米国全国健康栄養調査(NHANES)で収集された、40歳以上の成人3万1044人のデータを分析しました。このデータには、被験者が過去24時間に飲んだり食べたりしたものが摂取時間と合わせて記載されています。研究チームは午前4時以降に摂取したカロリーを含む飲食物をすべて「最初の食事(朝食)」と認定し、午前4時以前に摂取した最後のカロリー入り飲食物を「最後の食事(夕食)」と認定しました。そして、これらの記録を2019年末までに登録された被験者の死亡記録と結びつけました。追跡期間の中央値は8.6年で、追跡期間中に合計7129人の被験者が死亡し、このうち2259人は心血管疾患が原因でした。研究チームは年齢・喫煙習慣・身体活動レベル・食事の質・ボディマス指数(BMI)・カロリー摂取量・収入・既往症といった要因を考慮して分析を行いました分析の結果、朝食を7~8時に食べる場合と比較して、8~10時に食べる人はあらゆる原因による死亡リスクが10%高くなることが判明。この傾向は朝食時間が遅くなるにつれて増加し、朝食が10~12時になると死亡リスクの増加は19%、12時以降になると29%にまで上昇しました。心血管疾患による死亡率も同様の推移をたどり、12時以降に朝食を食べる人は7~8時に朝食を食べる人と比べて、心血管疾患による死亡リスクが46%も高くなりました。また、50歳時点での平均余命を比較したところ、12時以降に朝食を食べる人は7~8時に朝食を食べる人より2.46年も短いと推定されています。夕食の時間帯に目を向けると、単に時間が遅くなるにつれてリスクが上昇するのではなく、「U字型」の関連性が見られました。19~20時に夕食を食べる人と比較すると、19時以前に夕食をとる人はあらゆる原因による死亡リスクが13%高く、0時以降に夕食をとる人も死亡リスクが27%高かったとのことです。論文の上級著者である華中科技大学のツィーレイ・シャン教授は、「食事のタイミングは体の末梢(まっしょう)の概日リズムにとって重要な手がかりとなります。最初の食事の時間が遅かったり、夜遅くに食事をしたりすると、概日リズムの乱れや代謝障害、たとえば脂質や糖代謝の障害につながる可能性があります」と述べました。シャン氏は、確かにデータからは19~20時に夕食をとる人の死亡リスクが低いことが示されたものの、だからといって19~20時がすべての人にとって最適な夕食の時間帯だとは限らないと指摘しています。もちろん、極端に遅い時間帯に夕食をとると概日リズムや代謝が乱れる可能性がありますが、早い時間帯の夕食はスケジュールや病気、あるいはカロリー摂取不足などが原因である可能性があります。実際に早い時間帯に夕食をとる人は年齢が高く、食事の回数自体が少なく、持病が多い傾向にあったとのこと。つまり、早い時間帯の夕食は健康状態を左右する原因ではなく、むしろ健康状態を示すサインかもしれないというわけです。同様に遅い時間帯の食事も、健康状態の悪化・睡眠不足・交代勤務・社会経済状況などの結果として現れる可能性があります。シャン氏は、「したがって食事時間が遅くなることは、直接的な因果関係の決定的な証拠というよりは潜在的なリスクマーカー、あるいは改善可能な行動として解釈されるべきです」と述べました。なお、今回の研究はあくまで観察研究であり、食事のタイミングについても研究開始時に過去24時間の状況を聞き取ったものに過ぎません。そのため、被験者の長年にわたる生活習慣を反映したものではない可能性があります。他にも、被験者のクロノタイプや詳細な睡眠パターンなど、測定されていない要因が結果に影響を与えた可能性があります。シャン氏は、「人々はこれらの調査結果だけに基づいて、食生活のスケジュールを極端に変えるべきではありません」と述べ、無理に食事時間を変えようとすることに注意を促しました。
2026.08.25
「海藻ファースト」がポイントQ.「血糖値スパイク」を予防する海藻には、どんな種類があるのでしょうか。吉積さん「『ワカメ』『メカブ』『アカモク』があります。これらの海藻には、アルギン酸やフコイダンなどの水溶性食物繊維が豊富に含まれています。水溶性食物繊維には、糖の腸管からの吸収を抑制して、食後の血糖値の上昇を緩やかにする働きがあります。数ある『水溶性食物繊維』の中でも、海藻の水溶性食物繊維はネバネバの粘性が強いことから、特に吸収抑制効果が高いといわれています」Q.では、「血糖値スパイク」を起こさないために、どのように食べるのが適しているのでしょうか。吉積さん「食事をする直前に海藻を食べる『海藻ファースト』をした後に、普段通り食事をしてみてください。一番最初に、水溶性食物繊維が豊富な『海藻』を食べることがポイントです!」
2026.08.25

「ユマニチュード」という革命p.49 私たちはケアに関わる人たちに、「感情と優しさが必要だ」と言い続けてきました。そのたびに「おかしなことを言っている」と受け取られてきました。それもそのはずです。ユマニチュードが登場するまでに、ケアに「感情と優しさが必要だ」とは誰も言わなかったからです。むしろケアの世界では、個人的な感情や優しさは介護の邪魔になるという考え方をしていました。 なぜなら、よいケアは感情を伴っては行えない。だから自分の感情は仕事の場の外に置いておくべきだと考えられていたからです。 私はこれまで研修の場で多くの看護婦と仕事をしてきました。その経験を通じてはっきり言えるのは、よいケアを行っている人は、感情とともに仕事をしているということです。「自分の感情を仕事場に持ち込んではいけない」とするケアの文化の下では、そのことを隠さざるを得ないのです。 ところが、ケアの現場を観察して導いた私たちの考えを裏付けるような理論が現れました。脳神経学者のアントニオ・ダマシオは著書『デカルトの誤り』*において、このように述べています。「デカルトは«人間は精神と肉体でできている»と定義した。しかし、それは誤りだ。精神と肉体は生物学的にわけられない。精神は肉体で生まれ、感情も私の中に宿っている」。さらに、デカルトが「感情よりも理性だ」と述べたことも批判しています。 感情は自分の体であり、私たちの感性から生じるのです。私はこの考えによって力を得て、「感情と優しさ」がケアにとって力であり、大切だと堂々と言えるようになりました。 ダマシオはさらにこう続けます。「感情とは、ただの心理的なものではなく、体そのものと密接に結びついたものだ」。つまり足や手をはじめとした体が感情を生み出す根源なのです。ですからケアする人に感情を忘れろというのは、外科医に「自分の手に麻酔をかけて手術してください」というのと同じことです。*ダマシオは心と身体が二元論的に分離されるというデカルトの考え(心身二元論)も否定する。感情とは心の中だけで起きている現象ではなく、感情が起きるためには身体的なものの認知が必ず必要になるという。感情とは人間の特質と環境との適合/不適合に関するセンサーのようなものであり、その人間の特質には遺伝的なものと後天的に獲得したものの両方が含まれる。感情は、他の知覚と同じような「認知」の一種なのであり、そこでは脳が身体に対する「獄中の聴衆」という役割を演じているような生理学的プロセスだというのだ。ダマシオは感情の本質とは、ある対象に結びついている捉えがたいメンタル・クオリティといったものではなく、ある特定の風景の(つまり身体の)直接的知覚であると主張する。感情が依存している重要な神経科学的ネットワークには、従来認められてきた辺縁系としての知られる一連の脳構造だけでなく、前頭葉皮質の一部と、身体からの信号をマッピングしている脳の諸部位が含まれるという。間断なく更新されていく私たちの身体の構造と状態を、直接見渡せる窓を通して私たちが見るもの、それがダマシオの考える感情の本質である。身体の「状態」とは、身体が占める空間におけるそれらの物体の光と影、動きと音のようなものである。この身体風景において、物体は内蔵(心臓、肺、腸、筋肉)、光と影、動きと音は、ある瞬間におけるそれらの器官の作用範囲内の一点を表している。おおむね、感情とは、そういう身体風景の一部の、一瞬の「光景」である。人間の脳と身体は分かつことのできない一個の有機体を構成している。そしてこの有機体は環境と相互作用している。そして、私たちが心と呼んでいる生理学的作用は、その構造的・機能的総体に由来するものであり、脳のみに由来するものではない。心的活動は、ごく単純なものからきわめて精緻なものまで、脳と身体の双方を必要としている。これらがダマシオが本書で主張したいことである。*ソマティック・マーカー仮説(身体標識仮説)人が合理的な選択や意思決定をする際、過去の経験に伴う「身体の感覚(情動反応)」が道しるべ(直感)として働いている。前頭葉を損傷して感情の働きが失われた人は、知能が高くても、日々の簡単な決定さえ下せなくなる。結論心は脳だけでなく「身体全体」と深く結びついている理性は情動や感情の土台の上に成り立っており、切り離すことはできないp.51 ケアの現場においては「適切な距離感が必要だ」といわれています。これは間違いです。私は「適切な距離感」ではなく、近づくことを提唱しています。なぜなら近づくことしかできないからです。「距離感が大事だ」というとき、私たちは、感情はネガティブなものだという考えに立っています。あなたが感情を持ってケアをすれば、患者である高齢者が病気になって死んだとき、あなたは傷つき、仕事の効率は下がるからです。だから感情を込めて相手に近づくのは危険だというわけです。 しかし、これは大いなる誤解です。私たちは感情を家に置いて、仕事に出かけることなどできません。感情は体から生まれるので、美しい人を見ると胸が高鳴ります。担当していた患者が死ぬとつらく感じます。それはごく当たり前のことです。もし感情を殺せというなら、見るとつらくなるから目を閉じるしかありません。それでも感情を持つことそのものを人はやめられませんから、私たちはそれを表現しないようにします。担当していた人がなくなっても「距離感があるから大丈夫」と自分に言い聞かせるのです。そうして感情を出さずに自分の中に閉じ込めていれば、その感情はいずれ爆発します。*ユマニチュードにおける「距離感」とは、相手に恐怖心や警戒心を抱かせず、「あなたを大切に思っている」という親密さと信頼感を伝えるため、正面から20〜45cm程度の近距離で接することを指します。距離感の具体的なポイント近距離(20〜45cm):手のひらを広げた距離や、お互いのおでことおでこを近づけられるくらい、または腕にすっぽり入るほどの近さに近づきます。突然近づくと脳が防御反応(警戒・恐怖)を起こすため、相手の視野に入りながらゆっくりと近づきます。正面と水平の目線:相手の真正面に立ち、同じ高さ(水平)の目線を合わせます。見下ろしたり横や後ろから突然話しかけたりせず、平等で誠実な姿勢を示します。長い時間見つめる:視線を合わせたまま、0.5秒など短い時間ではなく、数秒間しっかりと見つめ合います。
2026.08.25
大智禅師偈頌講話 澤木興道 元旦 その3 元旦【元旦二首】 新年佛法問如何 (新年仏法如何と問わば)開口不須説似他 (口を開いて他に説似することを須(もち)いざれ)露出東君眞面目 (露出す東君眞の面目)春風吹綻臘梅花 (春風吹き綻ぼす臘梅花) 無常を観ずる、という。なにも、お葬式をする、亡者になる、「諸行無常の鐘の音、寂滅為楽と響くなり」チン、ポカン、ジャラン、と野辺の送りのことばかりが無常ではない。九州へ行くと、葬式を無常という。そうして、赤ん坊が生まれたことを無常といわん。あれは半分しか考えておらん。しかし、元旦というと、ことによると話が浮く。毒にも害にもならん。ところが年末の方は、「ウン、これはぐずぐずしておれん」とこれは忙しい。それはぐずぐずしておれんのみならず、年末にはどこでも忙しい。 人間でも子どもの時は、実に暇である。日永うして小児の如しという。子どもの時は呑気なもんじゃ。年寄るほど忙しい。そうすると実におかしなもんじゃ。なにが忙しいのか。碌でもないことに忙しい。親類づき合いとか、いや、親類に子どもが生まれたとか、あすこへ悔みに行かんならんとか、いや、あすこからなんやら貰うたとか、あすこから貰うたから返さんならんとか、いや、礼をせんならんとか、碌でもないことに毎日毎日、年寄るほど忙しゅうなる。 忙しゅうなる。自分の仕事がだんだん忙しゅうなるのは、これは当り前のことじゃが、この元日というものを考えて見んならん。この元日というものは、つねに新しいものである。なにも諸行無常ということをいわんでも、万物はつねに進んで行く。一時も立ち止まらない。毎日お暇乞いである。毎日初対面である。 それで、この初対面が元日という参究である。われわれのする仕事は、毎日初対面、初めて禅寺の生活をする、初めてわれわれが坊主になった日「ヘエ、わたしは坊主で、よう一生通せますやろうか」と心配するやつがある。要らん心配せんでもいい。初めてその日だけ坊主をしたらいい。毎日その日だけ坊主したらいい。毎日その日だけ坊主、その日暮らしじゃ。自分がなにも食えんなら食わんと死んだらいい。ここはわたしは元旦というものは非常におもしろいと思う。ああ元旦なるかな。願わくはこれ毎日元旦でありたい。(大智禅師偈頌講話p.160-161)
2026.08.25
(現代語訳)弘化二乙巳年(1846年)下館ご趣法向き永久御議定口達し書き下案 十二月 二宮金次郎 当ご家政、御取り直しご趣法御頼みの件、九か年以前、酉年八月高田尉右衛門殿を以て仰せ入れられ候、しかるに宇津釩之助殿ご知行所、野州真岡郷の内、四か村、年来退転亡所同様罷り成り、捨て置きがたく、大久保故加賀守殿厚く世話致され、年々多分の撫育料差し下され候えども、何分立ち直り申さず、これによって格別の人選にて、右四千石のところ、窮民撫育、村柄立直し、荒地起き返し人別増し、借財返済、暮し方取り直しつかわい候よう命ぜられ、いかにも容易ならざる件に付き、頻りに辞退に及び候えども承知これなく、種々理解これあり、つまり釩之助殿、自書を以て申し付けられ、もっとも右四か村取り直し方の儀は、伺い等に及ばず、存分に取り計らい候ようにとの件、やむをえざる事、私は、衣類・家財残らず売払い、身代限り差し加え、荒地起き返しあて取り掛り、もちろん野州の儀は、すべて難地にて、四千石四つ物成にては、四千俵あい納り申すべきのところ、ようやくそのころ千俵内外の納め、それとても不納がちにて、年々皆済にあい成り申さず、さてまた近郷近辺の様子を探り見候ところ、いずれも千石にて五百俵内外の納め故、釩之助殿知行所の件も、半納限りの件、それもってその半ばにて規則あい建ち申さず候半ばでは、荒廃の地切り起し、入百姓の食料、家作、農具、並びに潰れ残りの窮民撫育のてあてなど、すべて荒廃の地より産出候米麦雑穀を以て取り扱い故、釩之助殿、暮し向けの規則たしかににこれなくは、取り掛りがたく、種々取り調べ申し談じ候のところ、その頃まで年来収納の内、第一納高宜しく、年の収納辻にて、納め続け候えば、差し支えこれ無き趣き、掛りの役人申し聞かし、今その規則を持ってあい破れ申さず候に付き、帰発田畑はおよそ半免の積り、右半免の分、冥加米として積み置き、その余沢を以て切り起しはもちろん、道橋用悪水、古家の修復、新家作入百姓の食料、農具一切、荒廃の地より産み出し候ものにて取りまわし、たとえば荒地は荒地の力にて起き、借財は借財の利足遺し物等の費えをもって、元金返済の為に向け候故、当時は惰農の者少なくあい成り候(略)p.63-70弘化二乙巳年下館御趣法向永久御議定口達書下案 十二月 二宮金次郎 当御家政、御取直御趣法御頼之儀、九ヶ年已前、酉年八月高田尉右衛門殿を以被仰入候、然るに宇津釩之助殿御知行所、野州真岡郷之内、四ヶ村、年来退転亡所同様罷成、難被捨置、大久保故加賀守殿厚世話被致、年々多分之撫育料被差下候得共、何分立直り不申、依之格別之人撰にて、右四千石之所、窮民撫育、村柄立直、荒地起返し人別増、借財返済、暮方取直遣候様被命、如何にも不容易儀に付、頻に及辞退候得共承知無之、種々理解有之、詰り釩之助殿自書を以被申付、尤右四ヶ村取直方之儀は、伺ひ等に不及、存分取計ひ候様にと之儀、不得止事野拙儀、衣類家財不残売払ひ、身代限差加、荒地起返し為手宛取掛り、勿論野州之儀は、都て難地にて、四千石四つ物成にては、四千俵相納り可申之処、漸其頃千俵内外之納、夫迚も不納勝にて、年々皆済に相成不申、扨又近郷近辺之様子を探り見候処、何れも千石にて五百俵内外之納故、釩之助殿知行所之儀も、半納限り之儀、夫以其半ばにて規則相建不申候半では、荒廃之地切起し、入百姓之夫食、家作、農具、並潰残之窮民撫育之手宛等、総て荒廃之地より産出候米麦雑穀を以て取扱故、釩之助殿暮向之規則慥に無之ては、難取掛、種々取調申談候之処、其頃迄年来収納之内、第一納高宜、年之収納辻にて、納続候得ば、差支無之趣、掛り之役人申聞、今以其規則相破れ不申候に付、帰発田畑は凡半免之積、右半免之分、冥加米として積置、其余沢を以切起しは勿論、道橋用悪水、古家之修復、新家作入百姓之夫食、農具一切、荒廃の地より産出候ものにて取廻し、譬へば荒地は荒地之力にて起き、借財は借財之利足遺物等之費へ以、元金返済に為向ケ候故、当時は惰農之者寡く相成候(略)
2026.08.25

「ユマニチュード」という革命p.45 当時、ホスピスでは老人が風邪をひくとベッドで寝かされました。10日後、褥瘡ができます。そのまま寝かされ続けると褥瘡はひどくなります。知識がないからそうなるのです。寝かせたままでいることの危険性を知らないのです。原因は私たちにあります。しかし、わざとそうしたわけではなく、どうしていいかわからない状態がそれらの混乱を招いてしまうのです。数年前、イタリアの老人施設で虐待の内部告発がありました。隠しカメラによる調査が行われ、7人の介護士が逮捕されました。単独で行うならまだしも、7人が揃って虐待を行っていたのです。なぜこういうことが起きたのか、検証が行われました。明らかになったのは、スタッフたちは認知症に関するトレーニングを一切受けていなかった、ということでした。彼らは完全に見放された状態で放置されていました。 つまり、あなたがどれほど優しい人であっても、技術を持たずにこの職場で仕事をしていると、半年後には、自分でも気づかないうちに虐待を行ってしまう可能性があるのです。 なぜなら高齢者は非人間化されていたからです。言葉を発しない・誰とも目を合わさない・糞尿臭い・立てない。もはや、彼らはあなたや私のような人間ではなくなっています。 陰部洗浄したばかりなのにまた漏らしている。保清が必要なのに嫌だと言う。腕や脚が拘縮してしまっているので、着替えさせようとしても、脚を押さえれば上半身が起き上がるし、体を押さえると足が上がって蹴飛ばされる。話しかけても返事がないから言葉が続かない。だからこう思います。「この人は意地悪だ」「言うことを聞かない」「攻撃的だ」。 やっと本人を寝かせることができました。でも、すぐに起き上がってしまいます。それを3回繰り返します。介護士は認知症の人が自分の行動を5秒ほどで忘れてしまうことを理解しておらず、「寝てろと言ったでしょ」と言い、4回目には乱暴に寝かしつけてしまう。介護士たちは自分がどうしたらいいのかわからず途方に暮れてしまいます。 高齢者が寝る時間には、上司は家に帰っています。現場にいるのは自分たちだけです。だから、やっていることの限度がわからなくなるのです。果たして自分が何をやっているのかわからない仕事を、きちんとやり遂げることができるでしょうか。 展望も哲学も計画がない場合、働いている人はだんだん非人間的になってしまい、そこに虐待が起こる理由があります。*数秒〜数分前の出来事をすぐに忘れてしまう症状は、認知症の初期によく見られる「短期記憶(即時記憶・近時記憶)の障害」。脳の記憶を司る部分がダメージを受けることで、新しい情報を保てなくなります。主な症状と特徴同じ話を繰り返す: 少し前に聞いた話を忘れるため、何度も同じ質問をします。直前の行動を忘れる: 今何をしたか、物をどこに置いたか分からなくなります。体験そのものが抜ける: 「食べた内容」ではなく「食べたこと自体」を忘れます。*2022年の論文では、ユマニチュードを取り入れた施設でこんな変化があったと報告されています。• 暴言や暴力などの「介護拒否」が減った• 徘徊や興奮などの「BPSD(認知症にともなう行動症状)」が改善• ケアをする側のストレスも軽減されたさらに、2025年に発表されたデータでは、• 食事や口腔ケアの協力が得られるようになった• 精神安定剤などの薬の量が減ったといった、患者さん本人の生活の質(QOL)の向上にもつながっているそうです。
2026.08.24
大智禅師偈頌講話 澤木興道 元旦 その2 元旦【元旦二首】 新年佛法問如何 (新年仏法如何と問わば)開口不須説似他 (口を開いて他に説似することを須(もち)いざれ)露出東君眞面目 (露出す東君眞の面目)春風吹綻臘梅花 (春風吹き綻ぼす臘梅花) だから、この元旦という参究、この詩は非常にありがたい。いつでもいう通り、字を字の通り読んで、事が済むものではない。元旦というのはなにを参ずるのか。マッサラなもの。そいつも、元旦にめでたいことがあると、今年一年はめでたいという。そんなことはない。いつも元旦でめでたく暮らすから、一生めでたい。元日に縁起が悪かった。だが古い元日を暮らすのだ。人間のアタマというものには、一生古いやつが残っている。去年に生きる。過去に生きる。若い時に別嬪であった。八十になったら、別嬪も糞もない。昔は金持ちであった。今はド貧乏。小学校を一番で卒業した。今はカボチャみたいに、中風で壊れかけている。 そうすれば、ここにマッサラな常に新しい参究を、わたしは元旦と参究する。それは元旦でなければならん。願わくば毎日元旦、一生元旦で暮らしたい。ややもすると、二日になったり、三日になったり、四日になったり、五日になったり、十日になったり、二十日になったりする。もし年末の参究に、雲門の臘月二十五日という参究があるならば、それはちょうど芭蕉がいうところの「いつも辞世」であらねばならん。芭蕉はいつも辞世である。どの句もみな辞世の句である。どちらでもおもしろい。どれも最後で最初である。それが仏教の無常を観ずるということである。(大智禅師偈頌講話p.159-160)
2026.08.24
下館仕法は富田高慶にまかせる (現代語訳)嘉永五壬子年(1852年)下館領三十か村への申し渡し書 正月二十八日(略)そもそも天保九戌年(1838年)より、昨亥年(1851年)まで、十四か年の間、二宮先生限りなく痛慮にて、その間御用序でを以て、灰塚、谷中両村、あらあら仕上げにあい成り、もっとも御借財御返済の道もあい立ち、今年より諸村へ御開業仰せ出されのところ、あいかわらず御用多きに付き、当にご仕法向きの件は相馬大膳亮様内、富田久助殿へあい譲られ、これによって当殿様も御頼み仰せ入れられ、右に付きこのたび同方出張これあり、以来 相馬様ご領分御取り直しの振り合いを以て、開業仰せ出され候間、その意を得申すべく、右に付きご仕法発端より、御治定成され置き候通り、十か年平均度の御分限を以て、向後御暮し向き万端御艱難御凌ぎ渡せられ、御分外の米金は、たとえ何千俵に増し致し候とも、御領分村々御撫育御立て直し下され置候為御入用、御備え置きに付き、村々誠意の実業、諸村にぬきんで候村方を先き立て、御取り直し下され置き候御趣意に候えども、いずれを先、いずれを後と申す件、治定難じ致し候に付き、書に曰く、天の視るところ、我が民の視るより、とこれあり候えども、ご領分村々、一同の見る所を以てあい撰び候村方、則ち平生の所行、天の御意にあい叶い候やに付き、今般格別の御趣意をもって、御領中三十か村の内、灰塚、谷中両村あい除き、残り二十八か村の内かねがね本業出精致し、心掛けよろしき村々三十か村の目鑑を以て、少しも依怙贔屓、遠近親疎の隔てなくあい選び、入札致し、差し出すべく申し候、開札の上一番札の村方へ、右荒地開発、窮民撫育、借財返済、村柄旧復、永安のご仕法、早速ご開業下し置かれ、二番札、三番札の村方まで、御褒美下し置かれ、もっとも十目の見るところを以て、誠意実業の浅深、厚薄をあい選び儀故、村役人のみにては、僅か一両人の見る所に付き、銘々帰村いたし、小前末々に至るまで、とくとご趣意の趣き申し聞せ、一同の目鑑を以てあい選び、明後晦日朝六つ半時(午前6時)、役所へ持参致し申すべく候、一村成就の上は、なおまた繰り返し御取り立て下し置かれ候 ご趣意に候えば、つまりいずれの村方までも立ち直り、旧復いたし、安堵の地を得候、容易ならざるご趣法の ご恵、一同よくよくあい弁え、相互に励し合い、本業はもちろん、万端出精致し、諸村に抽んで、一か年までも早く立直り、安んじ申すべし御趣意候よう丹誠親し候件、専ら要に候間、この段申し渡し候 嘉永五壬子年 正月二十八日全集第25巻p.75-79嘉永五壬子年下館領三拾ヶ村へ之申渡書 正月二十八日(略)抑天保九戌年より、昨亥年迄、十四ヶ年之間、二宮先生無限痛慮にて、其間御用序を以、灰塚、谷中両村、荒々仕上ケに相成、尤御借財御返済之道も相立、今年より諸村へ御開業可被 仰出之処、不相替御用多に付、当御仕法向之儀相馬大膳亮様内、富田久助殿へ被相譲、依之従当殿様も御頼被 仰入、右に付此度同方出張有之、以来 相馬様御領分御取直之振り合を以、開業被 仰出候間、得其意可申、右に付御仕法発端より、御治定被成置候通り、十ケ年平均度之御分限を以、向後御暮向万端御艱難御凌被為渡、御分外之米金は、仮令何千俵に致増候共、御領分村々御撫育御立直被下置候為御入用、御備置に付、村々誠意之実業、抽諸村に候村方を先立、御取直被下置候御趣意に候得共、何れを先何れを後と申儀治定難致候に付、書曰、天之所視、従我民視、と有之候得共、御領分村々、一同之見る所を以相撰候村方、則平生之所行、天之御意に相叶ひ候哉に付、今般格別之以 御趣意、御領中三拾ヶ村之内、灰塚、谷中両村相除、残二十八ヶ村之内兼々本業致出精、心掛宜鋪村々三拾ヶ村之目鑑を以、少しも依怙贔屓、遠近親疎之隔なく相撰、致入札、差出可申候、開札之上一番札之村方へ、右荒地開発、窮民撫育、借財返済、村柄旧復、永安之御仕法、早速御開業被下置、二番札、三番札之村方迄、御褒美可被下置、尤十目之見る所を以、誠意実業之浅深、厚薄を相撰候儀故、村役人而已にては、僅一両人之見る所に付、銘々帰村いたし、小前末々に至迄、篤と御趣意之趣為申聞、一同之目鑑を以相撰、明後晦日朝六つ半時、役所へ致持参可申候、一村成就之上は、猶又繰返し御取立被下置候 御趣意に候得ば、詰り何れ之村方迄も立直り、旧復いたし、安堵之地を得候、不容易御趣法之 御仁恵、一同能々相弁、相互に励合、本業は勿論、万端致出精、諸村に抽、一ヶ年宛も早く立直り、奉安御趣意候様致丹誠候儀、専要に候間、此段申渡候 嘉永五壬子年 正月二十八日
2026.08.24
先生の常の教えに曰く、塵埃も積る時は高山をなし、滴水も積る時は大河をなす、あに山川のみならん、万物微を重ねて大となり、狭きを集めて広きに至る、この故に億万の富と雖も、奢侈の弊風に流れ費用多き時は、その日々の用度を見れば、多分の財を費やすにあらざるが如しと雖も、期年三百六十日積って以て多分の不足となり、年を重ねるに及んで貯蓄空しく借財生じ、これが為に一家を覆すに至れり。あに富の衰貧に赴くのみならんや、赤貧と雖も天分受る所の数量を明かにし、入るものを以て分度を定め、貧に安んじて世の奢侈を願わず心力を尽す時は、必ず有余を生ず、その有余を家事活計の用度に入れず、別に引き放ち置き年々繰返して積む時は、初めは些少の物と雖も日を重ね年を経るに及んでは広大無量の数に至る事、何の疑いかあらんや、然るに世の通情はかくの如き理を弁えながら、富る者は富貴を我が物とし驕奢に流れ、陰徳積善、諸人救助の道などは更に行わず、身の安逸遊楽を好み、目前飢寒の困人を見れども、慈仁憐恕の心もなく、祖先艱難を積み丹誠を重ね、諸人救助の行いに至るまで心力を尽せし不容易の積善によって今何不足なき富優の身なる事を忘れ、父母祖先の丹誠をも顧りみず、有るが上にも願い求め、かつて足る事を知らず、いかなる幸いをも失い終に一家を覆すの憂いを免がれず、また貧者は眼前の不足のみを憂い、幸福安楽は一身の勤動丹誠にある事を忘れ、人を怨み世を怨み、怠惰逸居を好み飲食を貪り、これが為に身に備わるを取らず、飢寒をも免れがたく空敷光陰を費すのみ、貧富の両弊往々然り、この故に貧者はますます窮し、富者もいよいよ奢り、遂に無用無禄の艱難に陥る事誠に歎ずるに余りあり、若し富める者祖先の丹誠を顧み節倹を行い分限を縮め有余を生じ仁愛を主とし厚く窮困の者を恵みその艱難を救わば、この上は御国益を報じ、下は陰徳積善の基本となる、然らば天幸人幸共に一家にあつまり、子孫永久富優を保つ事、なお水の卑地に帰するが如し、それ雨水流水ともに無我なるものなり、土地高ければ一滴の水だも留らず、土地窪下なれば雨水流水ともに皆ここに集る、金銀財宝もまた無我なり、この故に必ず驕奢の家を去りて、節倹仁恕の家に帰す、何ぞや節倹勤業は則ち卑地なり、驕奢怠惰は高地なればなり、これによりてこれを観れば節倹勤業は富貴の道にして奢侈遊惰は貧困の道なる事昭々たり、何をか疑い何をか惑わんや、この故に富者は節倹を尽し、貧者を憐れみこれを救いこれを恵み、貧者は怠惰無頼を改め専ら勤動して日々受ける所の恩義を顧みこれを報う時は、天地相和して万物生じ、男女相和して子孫豊かなるが如く、貧富おのおの福(さいわ)いを得て、永く繁栄を保つ事疑いなしと教え給う。(「神津半右衛門家株再興子孫永続仕法附中」二宮尊徳全集第二一巻一一四二頁)
2026.08.24
豊橋創造大学 建学の精神本学を設置する学校法人藤ノ花学園の建学の精神は、「誠をもって勤倹譲を行え」です。この言葉は、学園創立者伊藤卯一*が二宮尊徳の教えをもとに定めたものです。「誠」は「至誠」を意味し、人間としての基本的な態度を意味します。「勤・倹・譲」は、勤勉、倹約、推譲を意味します。二宮尊徳の教えは、勤勉さを持ち、私利私欲を抑え、公共のために尽くす精神として広まり、我が国の発展の礎となりました。 明治35年に設置され本学園の基礎となった「私立豊橋裁縫女学校」の設立認可申請書には、「目的」として以下の文章があります。 「民間実用ノ和洋裁縫編物ヲ主トシ傍ヲ家事生花点茶礼式等ヲ教授シ且婦徳ヲ涵養シ以テ国家ノ良母タル資格ヲ有セシムヲ以テ目的トス」その後、習得させる知識技能の内容は時代と共に変化してまいりましたが、実用的な知識・技能を修得し、実践する過程を通して人間性を高めることを学園建学の精神として明治35年以来100年を超える歴史を積み重ねてまいりました。*校訓は「誠をもって勤倹譲を行え」 ――藤ノ花女子高等学校藤ノ花女子高等学校(豊橋市)は,明治35年4月伊藤卯一(1867‒1941)によって創設された.同校の校訓「誠をもって勤倹譲を行え」は,創立者伊藤卯一が二宮尊徳の生活信条である至誠・勤労・分度・推譲に基づいて作られたものである(「藤ノ花女子高等学校紀要」).伊藤卯一が本校を創設する以前に,小学校教員として勤務したのが渥美郡泉小学校であるが,この地方には当時報徳社が設立されており,村長大久保作吉も報徳の人として尊敬を集めていた.こうしたことが,伊藤卯一の教育観の形成に影響を与えたものとみられている(「教育愛知」).伊藤卯一著の「心の食物」には,生徒に教えた心得10か条が記されており,その中で校訓の勤倹譲に関わるものとしては,誠を以て本とすべし(第2条),小まめに働くべし(第3条),我心を堅くひきしめ少しも奢ることなく(第4条),己を屈して人に譲り,今日の幾分を余して明日に譲り,本年のものを来年に譲り子孫に譲るべし(第5条)などの教訓がみられる. この教訓をさらに具現化し,毎朝のホームルームで唱和しているのが「校訓カレンダー」である.そこには,「校訓を積極的に実行することによって,清く明るい人間になるように努めましょう」,「生活の基本的態度として,質素倹約の習慣を身につけましょう」,「自我を主張しすぎないようにし,常に譲り合いの心を持ちましょう」など,勤倹譲に関わる30項目が,盛り込まれている.同校は創立以来90年余に及び,卒業生は35,000人余に達しているが,創設の教育理念であるこの校訓は,この間一貫して受け継がれ今日に至っているのである「二宮尊徳」資料で建学の精神のルーツを知ろう2026.07.13その他本学の建学の精神「誠をもって勤倹譲を行え」のルーツである、二宮尊徳(金次郎)の関連資料一覧を掲載します。図書館では多数の関連資料を所蔵しており、館内でも一部をピックアップして展示しています(展示本はときどき入れ替わります)。大学の原点を知る機会として、ぜひチェックしてみてください!配置場所 請求記号 資料情報 資料ID2F開架 157.2/Fu 二宮翁夜話 / [二宮尊徳述] ; 福住正兄著 T1271852F開架 157.2/Fu 二宮翁道歌解 : 全篇復刻 / 福住正兄著 T1280782F開架 157.2/Ha 報徳仕法と近世社会 / 早田旅人著 T1136542F開架 157.2/Ho/1 『報徳記』第一巻 / 地福進一編. -- 二宮尊徳の会 T1172522F開架 157.2/Ho/2 報徳は精神変革である / 地福進一編集 T1168362F開架 157.2/Ho/3 報徳は国を興し民を安んずる大業である / 地福進一編 T1168372F開架 157.2/Ho/4 二宮尊徳の報徳の教えが世界に広まり真正の文明の実を見ることを / 地福進一編 T1172532F開架 157.2/Ho/5 二宮先生語録 : 読み下し全ルビ原文・現代語訳 / 齋藤高行著 ; 地福進一編 T1211142F開架 157.2/Is 世界に誇る日本の道徳力 : 心に響く二宮尊徳90の名言 / 石川佐智子著 T1158412F開架 157.2/Ki 日本には尊徳がいた : 二宮尊徳の教え / 木村壮次著 T1115332F開架 157.2/Ki 二宮尊徳 : 日英対訳 / Robert Cornell Armstrong著 ; 松本亮平翻訳 T1298272F開架 157.2/Ki 二宮尊徳世界に誇るべき偉人の生涯 / 北康利著 T1298282F開架 157.2/Ma KAIZEN : 二宮金次郎のすごい働き方 / 松崎 俊道著 T1217242F開架 157.2/Ma 二宮尊徳の遺訓 : 混迷のいまを生き抜く智勇 / 松沢成文, 鴻谷正博共著 T1092522F開架 157.2/Ma 報徳思想とその展開 : 近世から近現代へ / 松野尾裕, 見城悌治, 落合功編著 T1281522F開架 157.2/Mi 私ならこうする二宮金次郎から55の提言 / 三戸岡道夫編著 T1228762F開架 157.2/Na 二宮尊徳の遺言 / 長澤源夫著 T0960952F開架 157.2/Ni 二宮翁夜話 / [二宮尊徳述] ; 福住正兄原著 ; 佐々井典比古訳注 T1212072F開架 157.2/Ni 二宮翁夜話 / 二宮尊徳 [述] ; [福住正兄著] ; 児玉幸多訳 T1129542F開架 157.2/Ni 二宮尊徳一日一言 : 心を耕し、生を拓く / 二宮尊徳[著] ; 寺田一清編 T1268402F開架 157.2/Ni 報徳分度論 / 二宮尊親著 T1280792F開架 157.2/Ot 二宮尊徳 / 大藤修著 T1152302F開架 157.2/Oz 二宮金次郎とは何だったのか : 臣民の手本から民主主義者へ / 小澤祥司著 T1207012F開架 157.2/Sa 二宮先生語録 / 斎藤高行原著 ; 佐々井典比古訳注 T1238822F開架 157.2/Ta 二宮尊徳と創造経営 : 現代のビジネスに生かせる50の教え / 田村新吾著 T1153982F開架 157.2/To 超訳報徳記 : 「代表的日本人」の生き方に学ぶ / 富田高慶原著 ; 木村壮次現代語訳 T1184202F開架 157.2/To 報徳記 / 富田高慶原著 ; 佐々井典比古訳注 T1267352F開架 157.2/To 報徳記 / 富田高慶著 T1272032F開架 157.2/To 報徳論 : 全篇復刻 / 富田高慶著 T1280802F開架 157.2/Wa 安居院義道 : 報徳開拓者 : 現代語訳 / 鷲山恭平著 ; 地福進一, 村松達雄編集 T1284052F開架 215.5/To/51 校区のあゆみ 前芝 : 豊橋市制施行100周年記念 / 前芝校区総代会 前芝校区史編集委員会編 T0875662F開架 712.155/Mi 三河の金次郎像全調査 / 三浦茂著 T1263943F開架 332.107/In 二宮金次郎はなぜ薪 (たきぎ) を背負っているのか? : 人口減少社会の成長戦略 / 猪瀬直樹著 T1129533F開架 335.15/Ta 二宮尊徳に学ぶ「報徳」の経営 / 田中宏司, 水尾順一, 蟻生俊夫編著 T1202113F開架 913.6/Mi 二宮金次郎の一生 / 三戸岡道夫著 T1189022F学生図書 157//S13375 教養として知っておきたい二宮尊徳 : 日本的成功哲学の本質は何か / 松沢成文著 T1166352F学生図書 289//S14007 にのみやきんじろう : 貧しい村々をすくった人 / よこたきよし文 ; 夏目尚吾絵 ; 小和田哲男監修 T1209102F閉架 081/Ni/26 二宮尊徳 / 児玉 幸多編 T0288122F閉架 121/Ni/52 二宮尊徳 ; 大原幽学 / 奈良本 辰也[ほか]校注 T0284962F閉架 157.2/Uc 尊徳の実践経済倫理 / 内山稔著 T025640E棟書庫 372.8/Da/5 尊徳・梅岩 / 西晋一郎著 T009465【報徳思想】配置場所 請求記号 資料情報 資料ID2F開架 157.2/Ji 訳注静岡県報徳社事蹟 / 地福進一, 村松達雄編集 T1263332F開架 157.2/Ji 安居院庄七と鷲山恭平 / 地福進一, 草門隆文 ; 大須賀義明絵 T1295262F開架 289.1/Ag 安居院庄七先生小伝 / 井上静男著 T1295182F開架 289.1/Su 遠州報徳の師父と鈴木藤三郎 / 地福進一編 T1177323F開架 336.04/Ho 集録報徳経営 / 報徳経営研究所編 T031324
2026.08.23
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