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2026.09.05
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カテゴリ: 坐禅
大智禅師偈頌講話 澤木興道

開炉(二)その2

【開爐(二)】
風頭稍硬大家知 (風頭稍硬し大家知る)
且聽商量暖處歸 (且く聴す商量暖処に帰ることを)
般若如同大火聚 (般若は大火聚に如同す)
近前燒郤兩莖眉 (近前すれば焼郤す両茎の眉)


 それが且く聴す商量―というのは、問答ということで、昔はかけ値があった。「これ幾らか」「百円」「百円は高い、五十銭なら買おう」「馬鹿いえ、十円にしておこう」「十円は高い、一円出そう」「一円はべら棒な、一円五十銭出せ」「それでは一円五十銭で買うておこう」こういう理屈に商売するのを商量という。そこで、われわれはどこがよかろうか、商売せんならん。安全地帯はどこか、チャンと自分は自分で問わんならん。

「般若は大火聚に如同す」さて、この般若(智慧)というのは、いったいどんなものが般若か。われわれはこの般若をもとめなければならんが、般若はどこにあるのか。般若は大火聚に如何同すとある。大火聚というのは、火が燃えておる。そこでまず般若を文字般若、観照般若、実相般若の三種に分ける、まず文字般若、それから、われわれ般若の正味を観察し、その般若を意識し、般若というものはこんなもの、あんなものであると知る。
 般若は口でいえんものである。あるいは、心で思えんものである。それだからむずかしい。般若でなくなってしまう。
 ようわたしがいう『金剛般若経』の中にも「もし色を以って我を見」―われというのは仏のことだが、今は般若である。金剛般若のことである。「音声を以って我を求めば」―般若というものを声で求めるならば「この人は邪道を行じ、如来を見たてまつること能わず」とある。
 この般若を今実相般若というのは、人格化してここに説法しておることは申すまでもない。色を以って我を見、音声を以って我れを求めば、この人は邪道を行じ、如来を見たてまつること能わず。そうすれば、如来をなへんに拝みたてまつるかということの参究である。如来を拝みたてまつるということは、自分が如何に修行するか、ということの問題である。(大智禅師偈頌講話p.176-178)





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最終更新日  2026.09.05 01:00:04


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