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暑かった夏が過ぎたので、そろそろ、中山道ウオークを再開しようと思う。次は滋賀県の柏原駅から。柏原駅からと言っても、駅前を旧中山道が通っているワケではないので、駅から南50メートルほどの所から、再スタートとなる。柏原駅付近は、岐阜県から滋賀県に入った直ぐの所で、長閑なところ。キンチョールの看板が民家の外壁に貼ってあったりする。付近に民家はほとんどないので、この看板は東海道線の列車に向けた物と思われるが、これで効果があったのかと思ってしまう。画像は、岐阜と滋賀の県境を写したもの。写した時は何も感じなかったが、今、こうして見ると、左右が逆だ。滋賀県が右のハズはない。何を間違ったのか、と思ったが、これで合っている。これは、南方向にカメラを向けて写したので、北が上の地図とは逆の感覚になるのだ。我ながら、焦った。台風11号の進路が分からない。11号が過ぎて落ち着いたら、出かけることにしよう。と言っていると、次の台風が来るのが、私の人生!
2022.09.05
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街道ウオークで見た看板が画像。「なぎし」とある。「なぎし」って何? そう思った。が、よく見ると、「し」の字はウナギだから、「なぎう」か、と思ったが、それもおかしい。「うなぎ」のつもりのようにも思えるが、看板には、「宴会、仕出し、和食、川魚料理」とあり、うなぎはない(うなぎは川魚だが)。店の名かと見れば、店の名は清水屋だ。やはり、「うなぎ」しかないか。そう思うと、どうしても、突っ込みたくなる。うなぎなら、うなぎを「う」の字のように、上に膨らませて欲しい。これでは、「し」だ。もしかして、「なぎし」という言葉があるのかもしれない。いや・・・清水屋の「し」のつもりか・・・だったら、「しみず」にすればいい。だから、というのは短絡だが、街道歩きは面白い。まん防が解除され、歩くのに良い季節になってきたので、中山道赤坂宿(岐阜)から京方向へ歩いてきたのだが、体が鈍っているようで、12キロ歩いたら、へたばった。
2022.04.11
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抗がん剤治療を卒業し、薬の副作用が落ち着いてきたので、大阪へ行ったり、中山道ウオークで岐阜県内を歩いたりしている。中山道ウオーク、岐阜の美濃太田から坂祝(さかほぎ)を過ぎる街道は、日本ラインと呼ばれる木曽川沿い。本家のライン川を思わせる景色の中を流れる川なので、日本ラインと呼ばれているという。大きな岩、ゴロゴロした岩の両岸は珍しい。本家のライン川はよく知らないが、似たような所があるのだろう。そこでデジカメ・・・とカメラを構えるのだが、西へ流れる川の右岸を歩くので、逆光になってしまう。どうにか、川がカーブになっているところで、逆光を避けて写すことができたのだが、なんと、川をまたぐ送電線があった。なんだかなぁ~、である。で、この辺りの中山道は、ガイド地図と案内板に、違いがある。旧街道を丁寧に辿って歩きたい者にとって、ガイド地図と案内板の違いは重要問題。なぜなのか・・・・と思ったが、おそらく、木曽川が氾濫して、旧道がなくなったり、分厚い堤防が造られて旧道がつぶされたためと思われる。そして、川沿いの道が、急に山道に入る(画像上・下)。こちらは、昔、街道を歩いた人たちが、洪水で流され、水につかった道を避けて山に入ったため。昔の旅人は色々な困難に直面したようだ。
2021.11.20
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旧中山道太田宿があったのは、現在の美濃加茂市で、そこにある鉄道の駅は、美濃太田駅。加茂市は新潟県にあるし、太田と名の付く駅が多いので、このようになったとものと思うが、どうなってるのと、ちと混乱。旧中山道と美濃太田駅の間は約1㎞。ここを歩いていると、町の様子が分かってくる。一つは、過疎。パチンコ屋も、飲み屋も、食事処も、多くが閉まっている。テナント募集の看板があるが、建物が朽ちかけていたりする。銀行が何店かあったが、やっていけるのかと心配になる。もう一つは、外国語の看板。これは何、と思ってしまう看板が目に付く。画像上は、(おそらく)リフォーム店の看板だが、パーマ屋かと思うような看板を出している。その下の画像も、中華店の看板だが、メキシコ料理のような店名で、残念ながら、廃業閉店している。そして、牡蠣(かき)を出す店が少なからずあること。店の前に蛎殻(牡蠣殻)が積まれていたりする。海のない岐阜で(埼玉もそうだが)、美濃加茂で、なぜこんなにも牡蠣の店があるのかと思った。牡蠣の好きな外国人が多いのだろうか?街道を足で歩くと色々なことが見えて面白い。次はいつ歩こうか、寒くならないうちに、と考えている。
2021.10.24
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街道ウオークの再スタートするには、名古屋駅から名鉄に乗り、新可児(かに)で乗り換え、顔戸(ごうど)で下車することになる。新可児から先はICカードが使えず、無人駅になるので、新可児でICカードの精算と切符購入。画像上が、その精算書と切符(精算書兼切符)。このレシートを下車駅で運転手に手渡す。顔戸駅のホームに下りて、乗ってきた電車と駅名板を写して、数百メートル北の木曽川を渡り、そこから、スタート。天気は快晴。雲一つ無い青空で無風。「挫折気象予報士受験生見習補」として、雨は降らないと判断していたのだが、日焼け止めが必要なほど快晴になるとは思わなかった。約3年と半年の間、街道ウオークをしていないし、まともに歩いていないので、どこで歩けるのか、見当が付かない。約7㎞先に「日本ライン今渡駅」があり、その先がプラス2㎞で太田宿。ここまでなら歩けるだろうと予定はしていた。途中、スーパーやコンビニがあって、冷たい飲み物を飲み、足を休め、トイレを借り、アマチュア無線を試み、元気に歩いた。宿は「美濃太田駅」近くに予約してあるが、太田宿から駅までは、街道を外れて1㎞ほどの距離がある。このムダにも思える1㎞を往復すると2㎞、ならば街道に近い次の駅まで歩いて電車で戻った方が得か、とも考えたが、次の坂祝駅(さかほぎ駅)までは5㎞弱ある。無理は禁物ということで、美濃太田の宿に入った。歩数計のデータは、24,552歩(約12㎞)だった。元気になったものだと、我ながら感心。
2021.10.23
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(昨日の続き)我が家のさっちゃんが言う「その体で歩けるの?」と言うのは、画像の足のこと。抗がん剤の副作用で、手足が腫れてひび割れ、足の裏には水ぶくれができて痛く、最悪の時は、トイレに行くのが辛く、尿瓶を使おうかと思ったほどだった(画像上)。それが、抗がん剤の薬を変えたこともあり(毛は抜けたが)、また、抗がん剤を休み、最終的には抗がん剤治療を卒業したので、手足の副作用は和らいできた(画像中)。そして、病院を変わり、皮膚科に通うようになって、足の腫れやひび割れは良くなった(画像下)。新しい病院の皮膚科では、「皮膚の皮が薄くなっているので、これまでの薬は一切止めて、ワセリンだけにしましょう」となり、最初の数日は腫れがひどくなったが、その後、急激に腫れが引いて、皮膚が白くなってきた。これは、抗がん剤を止めた結果の回復かも知れないが、病院を変わって良かったと思っている。今は、軽いステロイド系の薬を塗っている。で、足の腫れは引いたのだが、足の裏の腫れぼったさは抜けない。何と言うか、足の裏に雑巾を貼ったような感覚で、歩くと体がふわ付くような感じが残っている。素人判断だが、これは、歩けば直ると思っている。3年以上もの間、まともな距離を歩いていないので、足が鈍っているのだと思う。ということで、積極的に歩くようにしている。
2021.10.02
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Yahoo map緊急事態宣言が解除されたら、コロナが収まったら、と、タラレバのタラが多かった昨今だが、どうやら、先が見えてきたようで、中山道ウオークが再開できそうだ。中山道ウオークが止まったのは、3年前の4月25日。翌月5月11日には、病院に繋がれ、手術や抗ガン剤治療をして、体が落ち着いてきたころは、コロナ自粛となり、今日まで、中山道の続きを歩いていない。緊急事態宣言が解除されそうだったので、1週間ほど前から、中山道の地図を見ていた。腕が鳴る・・・足が鳴る(とは言わない・・・)のだ。今年の春にも、中山道の地図を見直していたのだが、あの頃は「外出自粛」「不要不急」で、歩ける現実味がなく、ただ、見ているだけだったが、今度こそ歩けると、具体的に地図を見るようになった。次回は、岐阜県の可児(かに)の東5キロほどの、顔戸(ごうど)から。地図の上の方の茶色の道が中山道。ゴールの京都は西だから、この道を左に歩く。今の体力だと、1日に、元気な頃の半分、10キロか・・・などと地図を見ては、最寄りの駅と宿をチェックしている。街道ウオークの楽しさと言うか、難しさと言うか、注意すべき点は、駅と宿のチェックだ。日帰りなら、帰りの足(駅)を確認する必要があるし、泊まるなら、山の中や野原で野宿するワケにはいかないから、できるだけ街道に近いところに泊まりたいので、これまた、駅や宿の場所を確認する必要がある。とはいえ、その次の日のことも考えなければならない。翌日の駅と宿だ。翌日の帰路の駅が遠いなら、前日に頑張って歩いておく必要がある。と、私が考えているのだから、若い人たちは、これまで我慢してきた旅行や帰省を爆発的に始めるのではないだろうか。そうすると、「第6波」が大きく襲うのかもしれない。こんなことを考えながら地図を見ていたら、我が家のさっちゃんに言われた。「その体で歩けるの?」と。 (続く)
2021.10.01
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入院したり、コロナ禍だったりで、遠ざかっていることがもう一つある。それは、旧街道の中山道ウオーク。3年前の4月25日に、岐阜県の伏見宿の手前まで歩いて、そこで止まったままになっている。体調は回復したが、コロナ禍が収まらないので、外出自粛、県境を跨いでの移動も自粛、何もかも自粛で、そのままだ。画像は、3年前に街道ウオークを終えて、電車に乗った、名鉄広見線の顔戸(ごうど)駅。名古屋の北、可児市の新可児駅から東へ5キロほどにある駅。今は行けない、歩くことはできない、と思いつつも、暇な時には、次回はこの駅からどこまでを歩こうかと、街道歩きの地図を見ながら考えている。日帰りなら、歩けるところまで(歩いたところまで)でいいのだが、我が家から顔戸駅まで4時間ほど掛かるので、日帰りはできない。なので、ホテルをどこに取るか(どこにホテルがあるか)で、歩く距離も決まってくる。そして、翌日のコースも関係してくる。翌日が長距離になるなら、前日に歩いておくのがいいからだ。今の体力ではここまでは無理か・・・二日続けて同じ距離は歩けないか・・・などと考えてみるのだが、なかなか本気になって考えることができない。コロナ禍で現実味がないからだ。
2021.05.03
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足の裏が腫れている、指の付け根がタダレている・・・ので、できれば歩かないでいたい。しかし、歩かずに引き籠もっていると、ボケ爺さんは更にボケる。だから、と言うワケではなかったが、13,507歩を歩いた。その気になって歩いたのではない。結果的に歩いてしまった。目的地は駅と駅とのほぼ中間にあるホテル。駅からタクシーで行こうと思い、改札を出たのだが、タクシー乗り場が分からない。駅は「さいたま新都心」。スーパーアリーナがある駅だ。西方向にある駅とはデッキで繋がっているし、目的のホテルへもデッキで行ける。デッキの下にタクシー乗り場があったっけ?どこからデッキを下りるんだ?などと考えながら歩き始めたのだが、歩き出したらホテルまで歩ける気になった。しかし、駅間の半分の距離は長い。タクシー乗り場を探せば良かったと反省した頃には、目的地までの半分ほど歩いていて、戻るにしても、このまま歩き続けるにしても、同じ、となった。デッキの下を交差する道路にタクシーらしきは走っていない。ということで、目的まで歩いてしまい、どうせならと、帰路は隣の駅までを歩いてしまった。その結果が13,507歩だった。足の裏の痛みをかばって歩くので、膝に変な負担が掛かる。足腰の弱った爺さんそのものの歩き方だ。「転んだらどうするの?」・・・そのうち言われると思う。なので、「最長不倒歩数」。
2020.12.04
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今回の、名古屋、岐阜の大仏大観音巡りでは、最高、12882歩/1日 歩いた。抗がん剤の副作用で、足の裏に水ぶくれや腫れが出て、駅まで歩けない、駅から病院まで歩けない、タクシーで病院まで行っても、病院内をどう移動するか・・・という状態だった我が身を思うと、1万歩超えという数字は、夢のような数字だ。思えば、最悪の時は、歩幅を開くことができず、20センチほどで、歩数計が反応するような歩き方はできなかった。歩けるというありがたさを実感した。どこでこんなに歩いたのか・・・・これまでの経験からすると、ターミナル駅での乗換で歩数が増える。東京駅では、在来線から新幹線ホーム画の移動があり、ホームへ上がってから、指定席車両までの移動もある。名古屋駅では、新幹線から地下鉄東山線への移動距離が長い。そして、地下鉄の駅から名古屋大仏まで、境内の散策、などで歩いている。歩けるようになったものである。
2019.12.16
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さいたま市の広報ポスターにこんなのがあった。昔風の爺さんなら、おそらく、こう言うことだろう。 「俺の若い頃は、1日1万歩以上が当たり前だった、 めざせ、と言うなら、2万歩だった。 今の若いモンは、8000歩が目標か・・・ひ弱になったものだ」と。なぜ8000歩なのだろう。めざせ、と言うのだから、普段はこれより少なくていい、ということなのだろう。1日1万歩という数字には、健康学的な裏付けは無いのかもしれないが、駅まで歩いて、電車に乗って、大きな駅で乗り換えて、用事を済ませて帰ってくると、8000歩は簡単に超す数字だ。誰が決めた8000歩なのか、分からないが、めざせ! と言うなら、1万歩だろう。それとも、現代人は歩かなくなったので、8000歩が目標になってしまったのだろうか?
2018.10.04
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旧街道を歩く時、一番気になるのが天気だ。雨の中は当然に歩きたくないし、小雨でも、石畳の道や未舗装の峠道は滑りやすくて危険だからだ。天気予報を数日前からチェックしていていればいいのだが、宿の予約があるので、前日や前々日に決定、というワケにはいかない。そして、その次に考慮するのが、時間の配分だ。最終目的地に何時に着けるのか、その時に電車はあるのか、日没で暗くなっていないか、昼食の時間帯に、食堂などがある町を歩いているのか、歴史館や資料館を見る時間はあるのか、どれだけ時間を使えるのか、などである。そのような中、ついつい時間を使ってしまうのが、路傍の自然である。蛙が鳴いていたり、色とりどりの花が咲いていたり、タンポポが飛んでいたりするので、見とれてしまうのだ。画像は、塩ビパイプの先から出ていた、笹の葉。何のための塩ビパイプなのか分からなかったが、簡単には動かせないもので、その先から、笹の葉が出ていた。子供がいたずらで、笹の葉を差したのかとおもって、笹の葉を引いてみたが、ビクともしない。しっかりと、根を生やしている。塩ビパイプの周囲の草刈りはしっかりとしたが、塩ビパイプの中までは、刈り取れなかった、ということのようだ。はたして、この塩ビパイプは、何に使っているのだろう?
2018.07.13
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東海道、中山道、甲州街道、と色々な街道を歩いているが、その多くは、のどかな田舎道と山道だ。東海道は、旧道を拡幅した国道も少なくないが、昔からの旧道に入ると、閑散となる。食堂はない、コンビニはない、もちろん居酒屋もホテルも並んではいない。場所によっては、自販機もない。コンビニや自販機はいつでもどこにでもある、という生活をしている者には、これは、大きな問題である。画像は、中山道ウォークのガイド冊子。峠の向こうまで、およそ15Kmの間には、自販機がない、と記されている。自販機も重要だが、トイレもなお重要。特にご婦人には。食堂も、宿も、コンビニも、自販機も、すべては需要と供給の関係で決まるのだが、仮に需要が多くあったとしても、自販機を動かす電力や、商品を供給する道路がしっかりしていなければ、自販機の設置はできない。街道ウォークは、ある意味、危険と隣り合わせなのだが、それが楽しみのひとつでもある。
2018.07.12
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旧中山道、大井宿と大湫宿の間にはゴルフ場があり、旧中山道はその中を通る。ニワトリが先なのか、卵が先なのか・・・中山道が先なのか、ゴルフ場が先なのか・・・問うまでもなく、中山道の方が先なのだが、なぜか、ガイドブックなどには、ゴルフ場の中を通る、と書かれている。中山道は私有地の中を通っていて、そこをゴルフ場が買収してゴルフ場にしたので、ゴルフ場の中を通らして貰う感じになったのか、それとも、中山道は公道として存在していて、その道路の両側を使ってゴルフ場ができたのか、現地を通っただけではその判断はできないが、カート道が中山道を堂々と横断している所を見ると・・・・前者なのかな・・・と思える雰囲気だった。画像は、旧中山道から、カート道の向こうのグリーンを写したもの。こうして見ると平坦だが、何の何の、へこたれるほどの山岳コース。ゴルフ場と言えば河川敷というイメージが強い貧乏人には、信じられないほどのアップダウンがある。ゴルフカートがよく登れるな、と思えるほどのカート道もあった。
2018.05.06
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中山道ウォークは、昨日、御嵩まで歩いた。 これから先は、高い峠はなく、ほぼ平坦で、鉄道の駅が近く、気楽に歩ける道の予定。 碓氷峠、和田峠、塩尻峠、馬籠峠、十三峠と、辛い道を歩いてきたが、 振り返れば、楽しく、自然豊かな道でもあった。 中山道のこのあとは、関ヶ原を通って、大津で東海道と合流するところまで。 ほぼ平坦で退屈な道かもしれないが、楽しんで歩きたいものである。
2018.04.25
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今回の中山道ウォークは、鉄道から離れた、文字通りの旧街道。 しかも、34キロの間、街道沿いには宿が一軒しかない。 しかも、その宿が、満室。 歩いてしまうか、と思ったのだが、 爺さんには無理なので、 温泉宿に迂回した。 その温泉宿の湯殿が、画像。 畳敷の洗い場だった。 長いこと日本人をしているが、畳敷の洗い場は初めて。 じゃぶじゃぶと湯を流して、体を洗ってきた。
2018.04.24
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先週の、歩数計の記録は 19日 44760歩 29.9Km 20日 49811歩 33.3Kmとなっていた。そんなに歩いた記憶はない。いや、絶対に4万歩なんて歩いていない。街道ウオークで歩いても、多くても3万歩台だ。なんだろう、どうなっているのだろう、と思い、詳細をチェックした。 19日 12時台に 41529歩 20日 11時台に 46986歩となっている。そんなバカな、という数値だ。単純に割り算すると、1秒簡に 11.5歩 ~ 13.0歩 となる。手でスマホを振ったとしても、このような数値は出ない。どうしたことなのだろう?思い当たるのは・・・太陽のフレアだ。太陽のフレアが悪さをしたとしか考えられない。・・・なにがこうさせたのか・・・知りたい!
2017.10.22
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東海道ウォークの打ち上げ反省会をした。歩いた辛さはほとんど記憶がなく、記憶に残っているのは、昼食のこと。あそこが美味しかった、いや期待外れだった、高いだけで美味しくなかった、という様々な意見。そんな中、出たのが、昼食のガッカリランキング。三大ガッカリを決めようという案。3位は、意見が別れて、決まらなかったが、堂々の、がっかり1位は、四日市、来来憲のトンテキ定食。あまりにも固い肉と脂身の多すぎる味噌汁もどきで、得点を上げた(画像上)第2位は、山科、逢坂山かねよの金糸丼。味のない大きな玉子焼きと、小さな鰻。鰻の味がするだけ、という理由でランク入り(画像下)と、ワイワイ騒ぎながら、次は、日本橋から甲州街道、と決まった。
2017.07.24
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妻籠宿と馬籠宿の間には、馬籠峠がある。距離は8Km、高低差は約400mほど。妻籠から馬籠が上りなので、歩くなら妻籠から馬籠がいいと言われている。だが、日本橋から歩いてきた者としては、ここだけ逆に歩きたくない。ということで、妻籠から中津川まで歩いたのだが、その間にすれ違ったのは、20組ほどの外国人と、私くらいの日本人男性1人。この自然の中の道を、なぜ歩かないのだろう・・・外国人の方が楽しんでいる、そう思いながら、歩いた。で、すれ違う度に、声を掛け合うのだが、中国人はだれひとりとして返事を返さなかった。自分の国では挨拶をしないのかも知れないが、郷に入ったら郷に従えだろうに、こちらを向かないし、ニコリともしない。声を出したくないほど疲れているのだろうか・・・いや、声を出したくないほど疲れているとすれば、上りのコースを歩いている私の方だ。無愛想な中国人とすれ違うと、疲労が増す思いだ。
2017.07.14
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今回の中山道ウォークは、野尻宿から中津川宿。1泊2日で約30キロ。この間には、妻籠とか馬籠という観光地がある。特に、妻籠から中津川までは、観光で歩いている人が多い。なので、街道の案内がしっかりとしている。画像は、馬籠宿から落合宿への曲がり角。街道の路面に、白い舗装模様が施されていて、この先で、左に曲がることが示されている。地図を見ずして、街道を歩けるのだ。が、街道ウオーカーとしては、ちと、もの足りない。地図を見ながら、左か直進か、などと自分の判断を加えながら歩く楽しみがないのだ。妻籠から中津川まで、地図を開くことなく歩くことができたのだが、初めての道をカーナビで走ったような感じで、ポイントポイント、交差点交差点での記憶がまったく残っていない。ただ一個所、バイパスで塗りつぶされたところがあり、そこで、道路の舗装模様が消えていた。え・・・この後どうなるの・・・という感じだったが・・・バイパスの向こう側に、舗装模様の道のあるのが見えた。そこは、バイパスを横切るために、少し離れたところの地下道をくぐるのだが、その地下道への案内表示はなかった。それは、旧道をつぶしたバイパスへの抗議ではないかと思えた。
2017.07.10
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街道の交通の歴史は、最初に徒歩の旧街道、次いで鉄道、そして自動車用の国道、そしてバイパス、という順で開発発達してきた。中山道の木曽路のように、平地が狭い地域では、後から作られた鉄道や国道が、旧街道を塗りつぶしているところが少なくない。そんなところの一つが、ここ。最初の画像の右上に見えるのが、国道のガードレール。国道の向こうに、鉄路がある。旧道を、国道と鉄道が横切っているのだが、鉄道に踏切は無い。少し遠回りをして、踏切を渡るのが普通のコースのようだが、旧道と並行して流れる川がトンネルとなって、国道と鉄道をくぐっていて、なんと、そのトンネルに、仮設の歩道が作られている。街道ウオーカーのためのトンネル内歩道だ。最初から人を通すことを考えていたなら、このような鉄パイプの歩道ではないだろう。どこからか、要請があって、街道ウオーカーが通れるようにしたものと思われる。ある意味、危険な歩道だが、少しでも旧街道を歩こうとする街道ウオーカーには、とてもありがたい歩道だ。
2017.07.08
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木曽地方が過疎だと、昨日の日記に書いた。どの程度過疎なのか、それを表す数値があるのかどうか、分からないが、街道を歩く者にとって、過疎が最悪であろうことが、列車の時刻表で分かる。画像は、木曽福島から名古屋方面へ5つ目の駅、野尻駅の時刻表。左が松本方面、右が名古屋方面。この時間、松本方面は2時間半から1時間に1本、名古屋方面も2時間から1時間に1本しかない。東海道ウォークでは、列車の本数が多いので、時間をあまり気にせず、歩けるところまで歩いて、電車に乗って、宿のある町や新幹線の止まる駅に、容易に移動することができた。が、木曽路では、それが難しい。電車を1本逃すと、2時間待ちとなることもあるからだ。しかも、ホテルのある大きな町まで、乗車時間が掛かる。幸いにも、このネット時代、地方のバス路線やその時刻表まで検索できるので、電車に間に合わなかったらバス、バスに乗れなかったら電車、という選択ができる。(ただし、バスの本数も同じようなもの)とはいえ、宿は事前に押さえておきたいので、上りに間に合わなかったら下りに、というワケにはいかない。列車の時刻とバスの時刻、自分の歩ける速さと宿の位置の組合せ、これをどうするか、最近の中山道ウォークでは、こんな楽しみ方も出てきた。
2017.06.15
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中山道ウォークでは、山と渓谷社の「中山道六十九次」を使っている。『可能な限り、江戸時代の道に沿って歩くことをコンセプトとしている』からだ。とはいえ、江戸時代の道が完全に残されているわけではない。新しい道路につぶされたり、廃道になって工場敷地になったり、橋が架けられて道が変わったりしている。が、ガイドブック作成の後に、道路が変更になったところもある。画像のところもそうで、ガイドブックには、「山側の旧道が消滅しているためトンネル内を通行する」とあるが、トンネルは通行止めになって、照明が無くなっていて、反対に、谷川に歩行者用の道路が作られている。街道を歩く者にとって、この程度の状況変化にはなんなく対応できる。右の道を上がって、トンネルの出口を確かめ、山側にあったであろう道を確認すれば、旧道に近いところを歩くことができる。別の言い方をすれば、このような対応箇所があるから、街道ウォークは楽しいのである。
2017.06.04
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大津から、京都の三条大橋までは、約10.5キロ。のんびりと歩いて、夕方には三条大橋に着いた。全行程、495.5Kmを歩き通した。歩き通したと言っても、2012年10月から、10泊39日での完歩である。10泊39日というのは変な数字だが、最初の頃は日帰りで、浜松から先を1泊2日で歩くようになったからだ。495.5キロ。旧東海道の距離については、色々な数値があるが、この数字が当たらずとも遠からず、だと思う。53の宿場の間の距離、何里何丁を、メートル換算して端数を処理するのだから、それなりの誤差は生じると思われる。で、東海道53次だが。日本橋と三条大橋は、53のカウントに入っていない。途中の宿場の数が53なのである。そして、大阪の高麗橋までだと、東海道57次になる。京都まで歩いたら、やはり、大阪までだろうな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「かおりちゃんの不思議なおもちゃのケータイ電話」amazonで発売開始。 「にととら」で検索可
2017.05.25
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今回の東海道ウォークは、大津宿からスタート。新幹線で京都まで行って、在来線で大津まで戻るので、スタートすると、間もなく、昼食の時間となる。大津と京都の間には、逢坂山があり、関所があった。百人一首にはこれやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関 蝉丸名にし負はは逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな 三条右大臣と歌われた山と関所だ。その逢坂山を少し下ったところに、鰻屋の「かねよ」がある。古くから、琵琶湖の鰻を提供していた店だ。看板には「日本一」とあるが、名にが日本一なのかは分からない。我々が頼んだのは、この「きんし丼」。 鰻まむしの上にでっぷりとしただし巻きを乗せた人気メニューです。 金糸たまごでもなくう巻きでもないので、ひらがなで「きんし丼」。 たまごを3個使用しただし巻きはボリュームたっぷり。とHPにあるが、これで、2200円プラス税。「はじめての人はちょっとびっくりするかもしれません」とHPにあるが、値段と、鰻の小ささには・・・・びくりした。なぜこの店が繁盛しているのか・・・分からない味だった。
2017.05.22
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旧中山道の中間地点を通過した。アメリカの旧道ルート66の中間地点は、地図にも道路にもしっかり書かれているので、それなりの期待感があったが、旧中山道の中間地点についてはガイドブックに書かれておらず、上下2冊のガイドブックの上巻が終わったので、この辺が中間地点かもしれない、と思いながら歩いていた。が、しっかりとした中間地点の案内板があった。街道ウオーカーを喜ばせる案内板だ。案内板には、 江戸からも、京からも、67里28町(266Km)とある。中山道を歩き始めて19日目のことだ。もちろん、毎日歩いているのではない。天気と、財布と、体力と相談して、19日に分けて、歩いて来た結果だ。266÷19=14(Km) 単純平均では、1日に14キロしか歩いていない。往復の時間や飲んだくれていた時間があるので、こんな数字なのだろう。 (きょうは、これから、台北向けになります。 訪問、コメント返しができないかもしれません。ご容赦ください)
2017.05.06
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奈良井宿を過ぎると、旧中山道は山道に入る。鳥居峠だ。中山道を日本橋から歩いてくると、碓氷峠、和田峠、塩尻峠があるが、これらの峠に比べたら比較的楽な峠越えだ。それは、峠道の地蔵菩薩にも表れている。旅人が小さな石を地蔵の周囲に積み上げてあったりするからで、碓氷峠や和田峠では、へとへと状態で、このように小石を積み上げる元気はなかった。だが、峠は低くても、山は深い。熊に注意の看板の他に、他の峠にはなかった「熊除けの鐘」が複数設けられていた。熊も人間が恐いので、めったに歩道には出てこないが、念には念を入れて、鐘で知らせてあげよう・・・とある。熊が出てきたら、デジカメしてマスコミに売り付けよう・・・と、不謹慎な考えを持っていながらも、やはり、我が身は大切で、この鐘をしっかりと鳴らして峠道を歩いた。♪あの鐘を鳴らすのは誰だ・・・・と期待したのだが、行く人も帰る人(逆コース)もなく、鐘が鳴るのは聞こえなかった。
2017.05.05
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中山道ウォークで使っている地図(ガイドブック)は、山と渓谷社発行のもの。著者の八木牧夫さんは、案内に、「可能な限り、江戸時代の道に沿って歩くことをコンセプトとしている」と書いている。多くのガイドブックが、宿場町の家並みや名物を紹介しているなか、ひたすら、旧道にこだわっているのが嬉しい。とはいえ、100メートルが6mmという縮尺なので、一昨日の日記のようなところには、「江戸方面からは斜め右の細道に入り・・」などの注意書きがある。このような地図ではあるが、これに頼り切っていると、戸惑うことがある。この地図には、信号機の下にある交差点の名称も書かれているのだが(要所だけ)、画像の交差点では、道を間違ったかと、焦った。画像では見づらいが、進行方向である、右手の赤信号の下に「長地東堀」とあるが、ガイドブックでは、「長地中町」となっている。道を一本、東側に間違った。どこで間違ったのだろう・・・戻るか・・・と思いながら、左を見たら、「長地中町」と書いてあった。同じ交差点だ。普通、進行方向の名称を書くはずだが、何かの間違いでこうなったようだ。カーナビではどうなるのだろう・・・このような交差点に出会ったことはない。
2017.03.30
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中山道ウォークを再開した。季節的、行程的には少し早いのだが、今月初めの東海道ウォークで、滋賀県草津市の、中山道と東海道の合流地点を踏んだものだから、その気になった。中山道ウォーク、今回は、諏訪からのスタート。中山道は、諏訪から北西に上り、塩尻で名古屋方向の南西に下るのだが、この間にあるのが塩尻峠。標高は1055メートル。麓が800メートルほどあるので、高低差はさほどきつくない。だが、この雪だった。前日の雪が峠では大降りだったようだ(3月22日)。少し早かったか・・・と反省をしたのだが、積雪は大したことはなく、枯木に花を咲かせたような雪が青空に映えて綺麗だったので、歩を進めた。とはいえ、ここで転倒したら動けなくなるだろうし、救急車も来ないだろう。一歩一歩、確実に足を出し、滑らないように最大の注意を払った。画像下は、スギ花粉の住処。雪に驚いて、花粉を飛ばすどころではないようだった。
2017.03.26
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昨日の東海道ウォークは、あすなろう鉄道の、南日永駅から亀山駅まで。 もちろん、旧東海道は駅から駅までではないが、 鉄道で行って、鉄道で帰って来るので、駅から駅までとなる。 で、歩数は4万歩。距離28キロだった。 二日目の距離としては長いのだが、亀山の先をすでに歩いているので、 数キロの半端を残すことはできなかった。 もちろん、このグラフが示すようにな、夜までは歩いていない。 これは、その後の、飲み歩きの記録。
2016.12.12
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東海道ウォーク2日目は、鈴鹿峠越え。 前日、かなりの所まで上り、そこで宿を取ったので、 峠越えは、さほときつくなかった。 が、峠の緑の下を抜けると、何も遮るものがない道。 前日に開いた雨傘を、日傘がわりにして、歩いた。 画像は、宿の食事。 イノシシ鍋と、ニジマスのあらい。
2016.09.26
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今回の東海道ウォークは、亀山駅からスタート。 残念ながら、昨日は、雨。 が、亀山宿、関宿と、古い町並みが残されていて、楽しく歩くことができた。 画像は、関宿。
2016.09.25
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昨今は街道ウオークが人気のようで、東海道や中山道を歩くツアーの新聞広告が目に付く。取り寄りの暇人が増え、何らかの運動をしなければと思う老人が増えたからだろう。そんな中、比較的若い人たちが溜まり場にしている店がある。杉並と中野の区界にある「ちゃらぽこ」という、喫茶店のような店だ。喫茶店とはいえ、畳の小上がりがある。以前は鰻屋だったそうで、そのまま使っているからだ。で、その小上がりの壁いっぱいに本棚があり、街道ウオーク、沿線ガイド、宿場町ガイド、古都散歩、写真ガイド・・・などの本がぎっしりと並んでいる。店がこれらの本をすべて買い集めたのではなく、愛好者が、置いていったようだ。これらの本を書く人、買って読む人、そして、私のように、この本に従って歩く人・・・やはり、紙の情報は廃らないと思う。
2016.08.29
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以前の日記に、旧中山道最大の難所の碓氷峠越えを書いたが、このほど、碓氷峠よりも難所と言われる、和田峠を越した。峠の険しさと厳しさは・・・ 上って下りる、標高差 上り下りの角度 足場(歩きやすさ) トイレや水場の有無 次の宿場町までの距離 交通機関の有無などで大きく左右されるので、一概には、どこが険しくて厳しいとは言えないのだが、碓氷峠と和田峠を比較すると、和田峠の方が難易度が高い。トイレ問題を第一に掲げる人もいるだろうし、宿場間距離を掲げる人もいよう。また、碓氷峠には、ヒルが出ると言われ、和田峠には熊が出ると言われた。私的には、碓氷峠は、足場の悪さと勾配のきつさで、最大の難所だと思う。碓氷峠は、細い谷間を・・・つまり、雨が降ると雨水が走る谷底のような道で、足場が非常に悪い。しかも、勾配がきついので、次の一歩をどこに置いていいのか、迷うことが多かった。ただ・・・ご婦人のことを思うと、20キロ以上もの間、トイレがない和田峠は、この点で最大の難所だと思う。画像下は、旧中山道和田峠のひとところ。旧道が新しい道に被われて、水路と共用のパイプトンネルになっている。
2016.08.02
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昨日の日記に、今回の中山道ウオークは、横川から、碓氷峠を越えて軽井沢まで、と、簡単に書いたが、簡単なコースではなかった。距離は・8.5キロ これは大したことはないが、標高差・800メートル と、筑波山ほどもあり、所要時間・5時間 と、きつかった最初の宿場町の中は、だらだらと登る舗装の坂道だが、山道に入ると、画像のように、勾配がきつく、道が細くなる。夕立のような雨があったら、この道に雨水が集まって流されるかも、と思える山道。幸いにも雨は降らず、道も乾いていた。で、この山道が、昨日の安政遠足のコースだというから驚きだ。おそらく、この山道を、私が5時間掛かった山道を、1時間程で駆け上がるのだろう。まさに、遠足(とおあし)である。
2016.05.06
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中山道ウォークは、碓氷峠を上って、長野県に入った。 碓氷峠のふもとから、峠の上まで、5時間、キツイウォークだった。 峠の茶屋には、県境の、派手な赤線があつた。 峠を下って行くと、軽井沢の別荘地と、旧銀座。 別世界が待っていた。
2016.05.03
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そろそろ寒の入だというのに、暖かい。天気予報で、4日も暖かくなると言うので、中山道を、高崎から磯辺までを歩いてきた。画像上。スマホの軌跡だが、GPSを拾えなかった間は直線で繋ぐというおおらかさだが、アバウト、歩いたところ(と、鉄道で戻ったところ)が分かる。これで、アリバイを立証できる、と、我が家のさっちゃんに言ったら、何か心当たりがあるのか、と言われてしまった。日頃の行いの良さが、これで立証できると思ったのだが・・・・で、磯辺は、磯部温泉のあるところ。駅の看板に、「温泉記号発祥の地」とある。そうなんだ、とばかりに、駅構内のパンフレットを探したのだが、それらしいものはなかった。温泉記号・・・地図上の記号のことなのだろうか・・・世間で言う、温泉マークのこととも思うのだが、違うのだろうか?HP検索をしてこよう。
2016.01.05
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スマホのアプリの歩数計を、いくつかチェックした。スマホをどこのポケットに入れているのか、バックなのか、リュックなのか、色々な条件があるので、私の評価は、私の評価でしかないが、まとめてみた。物事の評価に「五十歩百歩」というのがあり、まさにこれなのだが、優れた物、遊び心のあるものは、百歩を超している!歩数は正確だが、遊び心がないので、却下。歩数計を通して世界の仲間と繋がろう・・・というだけ!期間測定(ラップ)を取れるのがいいが・・・数値が大きかったり、小さかったり、時には逆戻りしたり、安定性に欠ける。その上、チカチカする広告が出るので、目障り。省電力のためか、日付の切り替わりが遅い。だからといって、その日の歩数がカウントされないのかというと、それはないが、朝寝坊はいただけない。私が試した中では、一番正確かもしれない。だが、距離やカロリーが出ず、グラフも1日16000歩までとなっている。遊ばせ心は旺盛だが、精華町の宣伝が目障り。歩いたところの地図記録は優れているが、私が使った範囲では、距離も歩数も出ず、即却下した。現在、残っているのはこれ。グラフが1日1万歩までになっているが、未チェック。足跡が地図に残されていく。
2015.10.27
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道五十三次の、宮宿(愛知県名古屋市熱田区)から桑名宿(三重県桑名市)までは、海上となる。すなわち、海上の渡し舟でこの間7里を行く。渡し舟は、現在運行されていない。10人以上集まれば、チャーターできるといい、季節的には年内は今しかないので、東海道ウオークの行程からすると、少し先になるが、七里の渡しに乗ることになった。波があるので、しぶきで濡れるかもしれない、と言われたが、なんと、波が高いので、中止となってしまった。宮の渡しの様子はこんな感じだが、周囲に何も無くなると、波が高いのだという。船酔いを心配して薬を飲んだのだが、薬の効き目を確かめることはできなかった。急遽予定を変更して、宮宿の手前を歩いてきた。
2015.10.26
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昨日の、東海道ウォークは、二川から小田渕まで。 天気がよく、気持ちよく歩いてきた。 今日は、色々な都合から、少し先の、七里の渡しを、昔のように、舟に乗る予定。 おお、、、、スマホの入力は、大変! 画像は、豊橋のカレーうどん。
2015.10.25
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Noomウォーク Accupedo 歩数計(名称ない) セイカ歩数計携帯をスマホに換えて、最初にしたのは、歩数計を動かすこと。今までのガラケーに歩数計があり、毎週、歩いた距離を知らせてくれていたので、スマホの歩数計も同じように使えたらいいと思ったからだ。だが、ガラケーと同じ機能のあるアプリが見つからない。スマホのメーカーが違うので、セットになっていないようだ。なので、いくつかの歩数計アプリを覗いてみた。が、説明文だけではよく分からないし、歩数計が正確であることのチェックもできない。ならば・・・ということで、4つのアプリをダウンロードして、使いやすさや、楽しさや、精度をチェックすることにした。歩数計のように常時動くアプリを入れると、バッテリーを食う、と聞いたが、正にその通りで、1日がやっとだ。早いところ一つに絞らないと・・・・とはいえ・・・前の携帯について、歩数の精度を疑うことをしていなかったから、歩数計の精度はどうでもいいのかもしれない。とはいえ・・乗りかかった船である。
2015.10.15
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東海道を京都に向けて、西に歩いている。歩いていると言っても、歩き続けているわけではない。月に一度、お仲間さんと、10数キロを歩いては電車で戻り、その次は、前回のところまで電車で行って、そこから西に歩く。で、前回、愛知県に入った。静岡県を通過するのに、およそ2年。静岡県とお別れして、愛知県だ。♪思えば遠くに来たものだ♪ という歌があるが、それよりも遠くに来た感じだ。日本橋から、約280キロメートル。よく歩いてきたものである。京都まであと200キロ・・・まだまだ先は長い。西へ行けば行くほど、朝の出発が早くなり、夜の帰宅が遅くなる。これから先は、一泊して二日分を歩くことになりそうだが、お仲間さんの多くは現役で仕事をしているので、毎月、お遊びの宿泊を入れるのは難しい。3ヶ月に一度くらいになりそうである。
2015.10.05
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白内障の手術をして、11日目。どうも、運動不足になっている。体が重くなっているのがわかるし、階段を登ると息が切れる感じがする。手術後の外出で、砂ぼこりなどが目に入るのが一番良くない、と聞かされていたので、家で、おとなしくして、終活をしていたのだが、完全に、運動不足だ。写真の整理など、終活ははかどったのだが、体がなまっては元も子もない。というわけで、旧中山道を、歩くことにした。東海道は、お仲間さんと歩いているので、勝手に先回りすることはできないので、旧中山道を歩くことにした。日本橋-神田-本郷-白山-巣鴨-板橋-戸田の渡しと、19キロを、昨日、歩いてきた。27000歩。血の巡りが良くなったので、眼にも良い影響を与えたのではないかと思うが、ちと、歩きすぎて、疲れた・・・
2015.06.08
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以前に書いた、東海道袋井通過証だが、なぜ、江戸が左で、京都が右なのか、発行者に直接尋ねてみた。帰って来た答は、右も左も考えずに作った、という味気ないもの。舞台で言う、下手上手で、京都を上手に書いたのではないか、昔の地図は南が上だったのかもしれない、などと、色々な意見があったのだが、空振りだった。で、彼の店に掛けてあったのが、これ。「健康優良ジジイの 歩中(アルチュー)人生 渡る世間は 道ばかり」とある。なぜ「渡」の文字だけ書体が違うのか・・・ということではない、街道歩きは中毒になると書き、世間は道ばかり、だという。街道歩きの端くれとして、妙に納得した。
2015.04.12
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東海道新幹線に乗って、西に向かうと、右手に富士山が見える。この時期、富士山がきれいに見えるのだが、電車の窓越しなので、この程度しか写せない。そして、掛川駅。新幹線が止まる駅で、駅舎が木造なのはここだけという。JR東海が駅舎の建て替えを計画したところ、市民の今までどおりに木造で、という声で、木造になったという。逆光なので、この程度しか写せない。そして、掛川の公園。枝垂れ桃が満開だった。空が青く、天気が良く、順光であれば、誰でもこの程度は写せる。ということで、現在、旧東海度を、掛川まで歩いた。
2015.02.16
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携帯電話の歩数計はネットと連動している。連動しているというと、最初からそうなっていたように思われるが、連動するように設定したのは私だ。何を設定したのかというと、1週間の活動量の報告と、日本各地の街道などを、歩数を基にし、歩いたものとして、現在地を知らせてもらう、お遊びだ。で、このほど、四国88ヶ所霊場を完歩した通知が届いた。2,602,600歩、長い88ヶ所霊場も、260万歩で歩けるということだ。いつから歩いたことになっているのだろう、と思い、受信の履歴を見たら、23番以前のデータが消えている。携帯のメモリーの限度のようだ。24番を通過したのが、2013年の12月。おおよそ、1年半で、四国88ヶ所霊場を一廻りしたようだ。次のコースは東海道。すでに、藤沢まで歩いたことになっている。実際に東海度を歩いているのだが・・・・遅かれ早かれ、歩数計のデータに追い越されることだろう。
2015.01.10
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東海道ウォークの他に、荒川左岸ウォークをしている。以前は右岸だったのだが、東京湾で折り返してきて、現在は、埼玉県に入った。荒川沿いは地図を見ないでも歩けるので楽なのだが、この時期は風が冷たく、遮る建物がないので、ちと、つらい!また、土手には花がなくなり、殺風景だ。「冬木立」や「空っ風」などで俳句を作るにはいいのだが、余りにも殺風景で寒い。そして、川を上っていくと、鉄道やバスの路線が少なくなり、帰路の手段と場所が限られてくる。今回は、バスで、我が家とは反対方向の鉄道の駅へ行き、そこから帰ってきた。鉄道の駅にたどり着けば、後は、電車で暖かく帰れるが、その前に、熱燗で冷えた体を温める必要がある。熱燗を飲めば、俳句もできる、という理由を付けて。
2015.01.03
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画像は、携帯機能の歩数計。11月22日は、39,045歩を示している。この日は、東海道ウォークで、安倍川駅から藤枝駅までを歩いた。JRの東海道線が海側を走り、旧東海道は山を通るので、途中に最寄りの駅が無いため、一気に歩いたのだった。JRの距離で15.8キロ 歩数計の換算で30.3キロだった。これまでの最高歩数は、2008年4月15日の、32,654歩。この時は、愛知の大仏をあちこちと見歩いての距離で、最後は寺の石段を登るのに膝がガクガクした記憶があるが、今回は、お仲間さんに迷惑を掛けることなく歩くことができた。あと955歩で4万歩。家に入る前に歩数を見ていたら、4万歩にしたのに・・・・ちと、残念だ。
2014.11.28
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四国88ヶ所霊場の半分を歩いた・・と言っても、歩数計の上でのこと。私の携帯電話の歩数計は、日本各地を歩いたことにしてくれて、現在は、四国88ヶ所霊場を遍路中、というわけ。現在は、44番札所、大宝寺。霊場のちょうど半分を回った所だ。四国88ヶ所を歩き始めて、1,661,542歩。一歩を70センチとすると・・・1000キロ超・・・そんなハズはない。88ヶ所を全部歩き通しても、1500キロ位だ。どういうことだろう?歩数計が違っているのか・・・私が思い違いをしているのか・・・要チェックだ!
2014.07.19
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東海道を歩いた。今回は、富士川から新蒲原までの6キロ程。距離は短いが見どころがたくさんあった。もちろん、見どころと言えば、富士山だ。どこから見た富士山が綺麗なのか、山部赤人の歌『田子の浦にうちいでてみれば・・・』はどこから見た富士山なのか、などと、色々な期待を持って、お仲間さんと歩いた。そして、昼食だ。今回は、駿河湾名物の、白魚と桜エビの「紅白丼セット」。桜エビのから揚げも付いている。富士山を、近くで毎日見ることのできる富士市や静岡市の人達は、心穏やかな人が多いのではないだろうか・・・そんな感じを持った。
2014.05.13
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