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昨日はほんの少し、今日はしっかりと、雨が降りました。よって、「早朝自転車」はお預けでした。昨夜、いつものように「NHK教育」にチャンネルを合わせ、ヨーグルトを食べ終わって床につくと、「日の出ハウス」が始まりました。僕はNHK大好き人間で、とりあえずチャンネルはNHKという人です。最近のシリーズ物では、「世界遺産への招待状」がいいかな。先週、三夜連続でやってた「白洲二郎」は、何度見てもいいドラマです。「知るを楽しむ」もいろんな事が学べていいです。最近の「視点論点」は、「鳩山政権・・・」シリーズになっています。長く楽しみにしていた「その時歴史が動いた」が終了し残念でしたが、その後始まった「歴史秘話ヒストリア」もなかなかいいです。朝の身づくろいと朝食時に30分、夕食時の30分、就寝時には30分から1時間後に切れるようにタイマーをセットして、ヨーグルトを食べた後横になり、タイマーが切れる前に夢の中になってしまいます。そのほとんどがNHKです。寝る時はNHK教育TVが多いな。十分にNHKの受信料を取り戻していると思います。内容に関係なく楽しみになったりするのが、語学講座です。アシスタントの女子に、僕の視聴率は100%左右されます。一般的にはあまり知られていない女子の抜擢も多く、「おお~、これは見なくちゃ」となってしまいます。ドイツ語講座の「リーザ」さんが、ただでさえ僕の目が開いてるのが厳しい11時半から12時から始まりに変更され、久しく見ていません。リーザさんは他番組にも出演されるようになり、売れっ子になったから語学講座は降板されたのかもしれません。売れっ子モデルさんだとか・・・「安良城紅」さんも、本職の歌手の方が売れっ子になって語学講座から消えてしまいました。そんな中、「日の出ハウス」が復活し、アシスタントがまた「まおみ」さんだったので、俄然楽しみになりました。ジャスミンさんも出てるし。昨夜は、新シリーズ2回目で、ありがたいことに2回とも見ることができました。美人・かわいい系に弱いのですが、彼女にはちょっと賢い空気が漂い惹かれます。
2009/09/30
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「筱見四十八滝」に着きました。駐車場と案内版・トイレなど休憩場所があるだけで、滝はここから徒歩で上るようです。案内板に、「八つの滝が始終流れているから四十八滝」と説明されていました。小さな別荘地があり、ワンちゃんの散歩の方がおられました。R173を離れてからここまで、ゆるいゆるい上り坂だっただけだから、「夫婦で自転車」でここらを走り回ってもいいですね。ココから帰路です。霧が薄れたようで朝日が差し始めました。山肌を消えていく霧が流れています。パチリ。今日1日で、何枚の霧写真を撮っただろう。R173を南下し、R372を越えた「安田」交差点で左折してR372旧道に入ってみました。蔵のある屋敷が並び、いい雰囲気ですが目新しいものはありませんでした。「福住一里塚」をパチリ。「安田」に戻り、R173を南下し始めてすぐ、交通事故なのだろう鹿が道路上に倒れていました。バイクで乗り上げたら大変なことになりそうです。県内で、毎年1万頭も鹿を駆除してるらしいです。それでも鹿は増えているとか・・・交通事故も増えるでしょうね。大きな九十九折れで標高を上げ、天王トンネルを抜けたところで、バイクを左に寄せてストップ。今通ってきた道の旧道の入口です。バイクを置いて見に行くと、右に下っています。2つのコーンの間にロープが張られて、進入禁止にしていたような形跡がありますが、コーンは倒れています。悪路好きが連休中にチャレンジしたのでしょう。果たしてまともな道なのか?かなりの急勾配が予想されます。荒れてそうだし・・・僕も旧道を走ってみたい方だけど、コーンで通行規制してるところにあえて入るつもりはありません。バイクに戻って先に進みます。次の「はらがたわトンネル」を出てすぐ、またストップ。昨日、右に入る旧道入口を確認していました。ストップしようと思ったけど、南向きの交通量はかなり少ないし、たまに続く対向車もゼロなので、右折して旧道に入ってみました。道端の雑草が道路にはみ出しているが、「なかなかいい道じゃないか」と思う間もなく、倒れた木の枝が道路を半分塞いでいました。段々荒れていくんだろうなと思いながら走っていると、開通前ですが右手から綺麗な道路が来ています。「えっ?旧道じゃないの?」もう少し下って、なるほどとなりました。真新しい小さなダムが建設されていました。この旧道から下に分かれていた旧々道は、このダムでダム湖の底に沈むのでしょうが、この旧道は見たところダム堤の上を走っています。でもこの道のバイパスを作るのですね。旧道にはほとんど家はなさそうです。これが生活道路になってるのかなと地図を確認しましたが、枝分かれする道も山に入って途切れてます。狭い谷あいの沢道で、田畑もなく農業用水確保でもなさそうです。下流の人口増を見込んだ利水ダムなんでしょうか?砂防ダム?そんな急な沢でもないので・・・必要なのかな?R173もこの田舎まで来ると渋滞はなし。旧道の新道は当初の利用価値はなさそうです。利用実績つくりのために、沿線に「自然・・の家」が建ち、盛大な落成式後は、赤字続きの閑散施設が出来上がり、毎年の維持管理費だけが根雪のように財政にのしかかる。すでに第一線を退いた旧道より広くて立派な新道が、なんで必要なんだ?たぶん、ここのダムも都会の水源地になるのだと思います。ってことで無事帰宅しました。昨日より余裕があったけど、2日連続で朝食抜きになってしまいました。そうそう、朝一番はやはり寒くて、下着・長袖4シーズン丸首化繊シャツ・夏用バイクプロテクタージャケット・春秋通勤ジャンパーでは寒くて、往路でレインコートを更に追加着用しました。白い彼岸花が咲いていました。土手に下りてしっかり観察したけど、やっぱり彼岸花。白があるなんて知りませんでした。丹波霧を堪能しました。霧が晴れたので、帰宅時にはすっかり乾いてたけど、濃い霧の中を走ったので、ジャンパーに水滴が浮いていました。朝一番の篠山市内は霧の下でした。朝日もこんなになってました。
2009/09/29
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先週のある日。今朝目が覚めると、昨日に続き真っ暗でした。昨日より更に暗い感じで、時計に目を凝らすと4時半。昨日より更に1時間も早いじゃまいか。昨夜まで2夜連続でNHK「白洲二郎」を見たので、いつもより遅い12時ごろ眠ったのに・・・何度見ても白洲二郎かっこいいです。俳優の「なんとか谷」さんもかっこいいし。新劇の俳優さんなんだろうか?映画で観たときから、いい俳優さんだなあと思っていたので、また家内に「カッコいいとおもわん?」と聞くと、「かっこいいけど、冷たい感じがする」だって。またバイク装束に着替えて、忍び足で家内を起こさないように玄関を脱出します。バイクのエンジンを掛けるので、起こすかも?定番のr33・r319ルートでr12、西峠を越え、R372手前の交差点を右折してR372旧道に入ります。ここまでは昨日と同じです。R372を越えて旧道に入ったところで、「ん?」。前方の篠山川の土手の下を通る小川が通るトンネルが、いやに頑丈な感じがします。「ひょっとすると・・・」、JR篠山駅から軍需物資搬出のために鉄道が通っていました。山陰線の「亀岡」だったか、「園部」だったかまで計画され、全線開通を見ないまま終戦になり、しばらく篠山内の部分開通のまま国鉄として利用されていたようです。篠山川とR173が交わる「村雲」に駅跡が残ってるというので、ココを走っていたのかもしれません。バイクを置いて土手に上がり、周りを見渡しました。この土手道路は、交通量のない土手道にしてはちょっと立派過ぎる幅で平坦です。直感では当たりです。東の空に、霧を通して朝日が浮かんでいます。なかなかいいです。「櫻酒造」の看板に惹かれてr543に入ります。いつの間にか「櫻酒造」は過ぎたみたいで、篠山川を渡ってr702に乗りました。この道は、篠山市街からR173に抜けるメインルートみたいで、朝早いのにポツポツ車が走っています。「車塚古墳」の横を通り、「細工所」交差点で左折しました。昨日より1時間早いからか、篠山に入る前から霧の中でした。ココまでも、数度幻想的な景色をパチリしました。篠山川も有力な霧供給源のようで、川沿いの道は特に霧が濃かった。「チルドレンミュージアム」を過ぎたところを左折します。ここからが本日の目的地です。昨日ここを通り過ぎるとき、「四十滝」の看板を見つけてしまいました。40も滝があるのだろうか?坂らしい坂ではないけど、少しずつ上っている感じの道です。左手に石灯篭発見。この灯篭は、篠山市が作ったのだろうか、同じような灯篭が寺社の前に立ってるような気がします。右手の神社に寄り道です。「九頭女神社」って、すごい名前です。その心は、「昔々、滝のあるこの川が時々大水で暴れ、その度に村人を飲み込んだ。村人の誤解で追い込まれた村一番の美少女が川に身を投げてから、川が暴れるようになった。都から高僧を招いたところ、その少女が九つの頭を持つおろちになり暴れているとのこと。おろちの心を鎮めるために、村人が勧進し、以来大地のめぐみを欠かさず奉納するようになったとか・・・」なんて、想像してしまいました。僕のフィクションです。でも案外こんなところでしょう。僕も奉納しときました。先に進みます。「あっ」。白い彼岸花を発見しました。「ほんまかいな?」と土手に下りてじっくり見るが、彼岸花のようです。道端に柿の実が散らばっています。夜中のいたずらですね。お猿?狸?鹿?昨日は、交通事故狸1でしたが、この日は、往路生狸1で、復路は事故狸1・事故鹿1を見ました。交通事故鹿は、結構大きな鹿で、事故間もなしという感じでした。「うまそう」なんて思っちゃいけません。「かわいそうに」です。同じぐらいの広さの道が二手に分かれているところがありました。そこに、観音様の像と謂れが立っていました。室町幕府後半、都を中心に10年続いた応仁の乱で、東軍(細川方)に味方したこの地方の内藤氏は、ここで細川勢と共に、西軍(山名方)と戦いをした。村雲合戦というそうな。ここで大敗した細川方は、結局西軍に押し切られたそうな。なるほど。関が原は文字通り日本を二分した東軍と西軍だったけど、この時代は山名氏が山陰・本拠地は兵庫県但馬の出石で、細川氏は地元摂津・丹波が本拠地でした。横に工場がある「百萬石酒造」が、この地で事業を行うに当たって合戦の碑と鎮魂の観音様を建てたんだって。
2009/09/28
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お屋敷を後にして南下すると、標高が少しずつ上がり、最後は短い急坂でした。最後押したら僕ら夫婦の自転車でも上れそうです。ゴルフ場正門横が峠のようで、下りになりました。こっちは急坂です。南からのアプローチは厳しいです。朝一番のゴルフ場への車でしょうか、対向車がけっこうあります。R372に下り、西進してすぐに「安田」交差点がありました。ここから池田に向かってR173を南下すれば帰宅です。交差点にあるローソン?には、数台の車とバイクがいました。駐車場でたむろしてる人もいるので、休日のツーリングの待ち合わせなんでしょう。正面に「安田の大杉」がありました。バイクの気軽さで、道端に停めてパチリ。この大杉も一里塚のようです。でも、さっき寄った「波々伯部神社」の一里塚大杉から一里も離れていないように思うのだけど・・・江戸時代に整備された一里塚だから約4km毎に作られたと思うんだけど違うのかなあ?もういい加減な時間になっています。いつもの事ですが、道草のし過ぎです。一気に帰らないといけません。R173を南下、大きなカーブを描き、標高を高めます。登板車線に入って速い車をやり過ごそうと思っていましたが、後から追いつく車はなく、60km/h巡航で快調に進みます。「天王トンネル」を抜けると再び旧道が左手に分かれています。R173池田篠山間は、集落の中を通る旧道がたくさんあります。自転車に乗るようになって、車が少ない旧道がとても気になります。チラチラ左側の旧道をチェックしながら走ってると、篭坊温泉から来るr601との交差点の反対側に神社を発見しました。時間も押してるのに、また寄り道です。「高皇産霊神社・たかみむすびじんじゃ」、とても読めたもんじゃない名前の神社でした。謂れを読むと、推古天皇の時代に建ったお寺の奥の院が始まりだったそうな。室町時代に疫病が流行り、村人口が半減した時、高僧を呼んで平易を願った。「奥の院を清浄な村の上手に移動すべし」の言を得て、この地に移したそうです。明治政府の「廃仏喜捨」によって、現在名に変更し神社になったそうな。なるほど。高床建物中央の木造門下部から階段で拝殿前に上る構造になっていました。そのまんま砦です。蘇我馬子の傀儡政権「推古天皇」の執政が聖徳太子だったので、AD600年頃ですね。今日の探索も面白かったけど、世間様とは関係なく仕事がある僕には、もう胸のカラータイマーが点滅しています。急いで帰宅すると、既に家内はいません。当然朝食の時間も髭剃りの時間もありません。まるで小学生時代のように、膝プロテクターとプロテクタージャケットを玄関に放り入れ、スクーターに乗り換えて仕事場に急ぎました。仕事場にある髭剃りで顔を整え、ギリギリ間に合いました。でも全然懲りてません。今度は何処を探索するかなあ・・・
2009/09/26
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R372を「安田」で左折して、R173を北上します。左手の里山風景が気に入って、「細工所」を左折して「篠山川」沿いをゆっくり走ります。7時を回ってるので、農業が生業の方が田畑に出ています。「右・・古墳」の標識が目に入りました。「おっと、右ウインカーで寄り道です」「何処かなあ?」と先を見ながらゆっくり走ってると、交差点からすぐ右手にそれらしき雰囲気が・・・「雲部車塚古墳」。謂れによると、5世紀初頭の古墳だとか。宮内庁の立て札も立っていました。道からだと単なる小山ですが、綺麗に形をとどめた前方後円墳だとか。回りを囲うように、幅10mはありそうな堀が巡っています。「武具も出土した」と書いてありましたが、中世の戦乱を経てよく残ったものです。このままでも十分に要塞になります。古墳てっぺんに櫓を組まれても不思議じゃありません。古墳だから当たり前ですが古墳時代のもの。5世紀初頭とは、僕の歴史のランドマーク「645年大化の改新」の飛鳥時代の前です。聖徳太子の生きたAD600年前後より前。「何があった頃かなあ?」不案内なので家で愛用の年表で調べてみると、「女王卑弥呼・漢字伝来200年台」と「仏教伝来が聖徳太子前の6世紀半ば538年」の間でした。「AD391年(4世紀後半)大和朝廷軍が朝鮮で高句麗と戦い、任那に日本府を設ける」「AD421年、仁徳天皇が、宋に使者を送る」の頃です。仁徳天皇崩御がAD421以降だから、その少し前のようです。誰のお墓かは書かれていませんでした。少し篠山市内向きに戻って、篠山川を南に渡り、集落のある道を探索してみます。どうしても大きな家に目が行きます。この集落には、白い土壁もありますが、土色そのままの土壁が多いです。由緒ありそうな昔ながらの家に惹かれます。気になった家をバイクにまたがりながらパチリしてると、向こうから軽四トラックのおじさんがやってきて、怪訝そうな顔です。ペコリしますが、地元の方からすれば、不審者そのものですね。親父の実家もお袋のとこも、白土壁の土蔵があり、白蛇が出たり、行李に刀が入ってたり、家系図を虫干ししたり、爺ちゃんや婆ちゃんと入る蔵は、小学生の僕には宝箱でした。「蔵に入ろう」とよく言ってました。古い家を見ると、それを思い出してしまいます。R173に戻り、「細工所」より北に進みます。この交差点にある「ハートピアセンター」には、「夫婦で自転車」の時、駐車出来そうです。地元産品を販売するところみたいです。「福井」の信号を右折し、r702に入ります。続いてr303。道なりに東進から南進になっています。予想通り、「夫婦で自転車」でも快適に走れる道です。R173に出る途中にゴルフ場があり、そこの坂がどれぐらいかを調べるのが本日のミッションの1つでもあるので、先が気になります。左手に小さな祠を見つけたのでバイクで突っ込みましたが、舗装道が切れてあぜ道になり断念Uターンしました。先に進むと「市野々」付近、左手に神社発見。「八幡神社」だったと思います。境内に入ると、手水の横に井戸の滑車が下がっています。ということは、この手水は井戸水なのかもです。親父の実家にも、僕が小学校の時は滑車がぶら下がる井戸がありました。既に使われておらず、手押し式のポンプでくみ上げていました。とても冷たくて、夏など最高でした。母の実家は、まだ滑車が現役の井戸でした。境内に入って分かったのですが、横に岩盤が現れており、そこに小さな祠もありました。元は、この岩盤に宿る神を祀ってたのかもしれません。八幡神社本体の拝殿兼本殿は、桧皮葺でした。僕は茅葺より桧皮葺の方が好きです。痛まないように、それを覆う建物が建っています。いい感じです。更に進むと、目と鼻の先左手に、いい感じの立派なお屋敷がありました。白壁の土蔵や母屋の大屋根も目を引くのですが、僕の目を捉えたのは、土塀上部の赤土の土壁です。経年劣化で色落ちしていますが、新築時は随分おしゃれだったんじゃないだろうか?玄関側の前の道が広くなり、車が数台停まっていたので、そこにバイクを並べます。家側を振り向いて驚きました。茅葺の玄関門屋根は見ていましたが、玄関門土壁が全面赤土です。小さな川を渡る橋が玄関門に通じています。そこにカバーがかかったバイクが停められています。写真を撮りながら、いろんな想像が湧いてきました。茅葺屋根の建物の中央に門があり、建物の単純な造りと幅をから想像すると、馬小屋兼用ではないかなあ。現在の生業は農業と思われるが、赤壁の建物を建てるおしゃれさなんて、元高級武士の出では?どうも、現代の仁義な職業の方達の住まいや事務所とダブってしまいました。この方達も、もし中世戦乱の時代に生を受けていたら、「・・の赤鬼」とかの立派な呼ばれ方をして、地方の名の知れた武将になっていただろうに・・・本日一番の収穫でした。赤い漆喰の家なんて初めてでした。パッと頭に浮かんだのは、真田幸村の「赤備え」。最強軍団と言われた武田信玄の軍団の中で、特に優れた軍団のみが使用を許された「赤備え」。元武田信玄軍団の知将真田昌幸の息子幸村が、家康の計略により丸裸にされて臨んだ大阪夏の陣で、特注で作らせ寄せ集めの真田軍団全員に着用させました。赤は目立つので敵の標的になります。反面、敵を威圧し、自らを攻撃的・戦闘的にさせる血の色でもあります。家康の本陣間近まで迫り、一時家康に切腹を覚悟させたという。戦後、家康軍最大の難敵だったにも関わらず、家康自身も勝者の武将もみな、「赤備え」とともに幸村のあっぱれに心頭したそうだ。逆賊幸村の娘達が、引っ張りだこになり良い縁に恵まれたのでもわかる。個人の家なので、もちろん篠山ガイドブックには載っていないと思いますが、僕にとっては、篠山城跡の数倍の値打ちです。赤備えの家なんて、他にあるのだろうか?
2009/09/25
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僕は関係ないけど、世間様はシルバーウィークの最終日です。目を覚ますと、まだ暗い。まだ3時台か4時台かな・・・いつもなら、そのまままぶたが閉じるのですが、枕もとの時計に目を凝らしてみると、なんと5時15分でした。本日は「秋分の日」。昼と夜の長さが同じになると、5時半でもまだこんだけ暗いんだ。「よ~し行くか」と、寝床を抜け出し、いつものバイク装束に着替えました。本日のメニューは、R173篠山の細工所を北上し、福井交差点を右折しr702・r303を経て、道なりに東進・南下してR372に戻ってくるルートの探索です。夏なら、この時間でも既に朝の明るさですが、今はまだ薄明かりなので、「早朝自転車」は危なそうなので回避です。本音は、出勤までまだたっぷり2時間以上余裕があるので、自転車だとしんどいからです。池田からR372で北上するのが、最短ルート・最短時間なのですが、車に後に着かれると気を使うからあんまり好きなルートではありません。定番のr33・r319で北摂里山地域の田舎道を景色を楽しみながら走り、r12に出ました。霧は出ていませんでしたが、山の中腹に霧雲が架かり、小さな峠からでもミニ雲海が楽しめました。西峠・城東トンネルを越え、R372前のダブル信号で止まりました。ちょっと思案し、ウインカーを右に出します。素直にR372を東進するつもりでしたが、手前で右折し、R372旧道を東進することにしました。この道は初めてです。「さあて何があるかなあ?」と期待しましたが、特に何もなくすぐにR372新道に合流しました。でも南の山に架かる霧が綺麗で、写真を写しましたけど。「もう合流するのか」と、R372交差点の信号待ちをしてると、前方に旧道が続いている風です。右ウインカーをやんぺして、信号をそのまま突っ切って旧道走りの続きをします。おっと、右手に謂れ看板発見。「松平又四郎と血寄地蔵」となっていました。篠山藩主松平家の世、城主甥の又四郎は不行状の生活が改まらず、城主の命を受けた藩士によって、「波々伯部神社」への代参時にココで惨殺されたそうな。現場を清めた村人の手によって建てられたのがこの地蔵さんだそうです。右手の地蔵さんを見ると、それを覆う小さな祠が建てられ、地蔵さんを囲うように真っ赤な幕。横には真っ赤な生地に「南無血寄地蔵・・・」と書かれた旗指物が立っていました。後には、これも真っ赤な彼岸花が咲き誇っています。「美しい」使い古された古布ではなく、1週間置かずに洗濯・交換されているようです。当時から赤だったかどうかは知らないけど、「むごいことをする」と、一般庶民の権力者に対する精一杯の抗議が透けて見える。僕の地元の都会にも、氏子になってる神社がありますが、宮司さんがいるので勧進の時に寄付が来るだけです。でも、田舎や都会を問わず、道端のお地蔵さんや小さなお社を無償で世話する人がいます。手水の綺麗なタオルを見るたび、「お世話やなあ」と頭が下がる思いです。僕なんて、バイクや自転車で気まぐれにやってきて「おお、ここいいなあ」とパチリするだけだからいい加減なものです。この日も7時を回った帰路で、多くの地元の方が道脇の草を刈っている風景を見ました。我が家も、自治会の町内掃除の日などには、繰り出して側溝をさらったり、近所の廃寺の掃除をしたりするけど、人口の少ない田舎の方のご苦労は相当なものだと思います。ありがたいことです。せめてものチャリンです。お地蔵様を後にするとすぐに、左手に石灯篭を見つけました。ゆっくり前を通りながら覗くと、参道が広い。ストップして、道路脇の謂れを読むと「波々伯部神社」でした。この神社、篠山で有名な神社です。「ここにあったんだ」。いつだったか、R372からココの盛大なお祭りを見たことがあります。篠山の祇園さんです。ご祭神は、京都の「祇園さん」と「牛頭天王」だったけど、今はスサノオさん。明治新政府の天皇中心の強力な中央集権を図るために、神仏分離とともに推し進められた政策で、ご祭神を変更させられたのでしょうね。参道入口には、一里塚の謂れが立っていました。一里塚の目印だったのであろう、朽ちて地上3~4mのところで切られた大杉?がありました。また寄り道、長い参道を歩いてパチパチです。
2009/09/24
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トイレを済ませ、事務所内でお茶を飲んで一息入れ、自転車を押して道路に出ようとしていると、「お気をつけて」と特設売り場の方から声がかかりました。「は~い」なんてかわいく答えて、女子はいいです。女子力1です。r12に出てすぐの喫茶店で昼食にしました。家内は、自転車の時はいつものようにボリュームのあるものです。親子丼セット。僕は「オムそば」。初めての名前だったので、焼きそばをオムライスのように玉子で巻いてあるものと内容を聞いて注文しました。うまかった。1時を過ぎてお腹が空いていたので余計にうまかった。r12を南下します。往路の向かい風が今度は追い風になり、下り基調ということもあり楽に進みます。いつもの場所にいつものように果物屋台が出ています。なんか買って帰りたかったけど、自転車なので断念しました。「六瀬」を越えて「林田口」で右折し、r12から離れました。家内に見せたい場所2に向かいます。ここは、r12が大きく東に迂回するポイントです。何故かというと山があるからですが、この山に旧道が通っています。ここに入っていきます。「この先500mトンネルあり。高さ2m制限。迂回路はこっち」と、r12に回ることを勧めています。ギアをガチャガチャ軽くしてしばらく上ると、道はうっそうとしてきて、小さなトンネルが登場しました。坂の手前でビデオをセットし、家内を先に上り始めたので、狭いトンネルが現れてストップするかなと思ったら、平気な感じでトンネルに突っ込んでいきました。僕が最初にココに来たときは、向こうに抜けられるのか?向こうの道はまともなのか心配でストップしました。バイクだったから、狭いとこや坂では簡単にUターンできないからですが。ちょうどに向こうから来た犬のお散歩の方に向こうの様子を聞いて出発しました。トンネル内で、「トンネルの向こうは急な下り坂で、ヘアピンカーブも数箇所あるよ」と、前に向かって言うと、「大丈夫よ、行けるんでしょ」と意に返さず、そのまま進んでいきます。「女子は度胸があります」女子力2。「木津」の集落に下りてきて、r12に合流する橋の手前で「ストップして」と声を掛けます。ここから川沿いの道に右折し、峠越えで往路走ったr323に合流する算段です。川と橋、周りの風景を見ながら「ここに間違いないな」と確認してると、「何処から来られたのですか?」と声を掛けられました。橋の下で川に入ってたお子さんのお父さんのようです。横の畑で作業してるんだなと思ってました。「だったら、この山を越えた方が早いよ」と。そして「荷物になるけど、これ持ってって」と、今収穫したばかりのサツマイモを2本、箱から出してくださいました。「え・・・」「いいんですか?」「どうぞ、土だらけだけど。ビニールもなくてごめんね」と。家内が丁寧にお礼を言って、僕のリュックに突っ込みます。なんだか得しちゃいました。サツマイモ以上に、素敵な気持ちのプレゼントをもらい心が温かくなりました。「女子が一緒だと得するわ」と言うと、「そうなの?」と不思議そうな顔をしています。女子力3。川沿いのこの道は、あまりいい道じゃないし、狭いし時々急坂があるので、自転車を押しながら上りました。うっそうとした日陰道をウダウダしゃべりながら30分も歩いてしまいました。おかげで、この日のアベレージは12.1km/hになってしまいました。彼岸花の農道を一気に通り過ぎるのがもったいなくて、歩いて長く楽しんだりもしたからなあ。往路走ったr323に出て、ここからは往路をトレースするように西谷に戻りました。終始北寄りの風が吹いていましたが、1日中晴天で、いかにも安定してる気持ちのいいサイクリング日和でした。
2009/09/23
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日曜日は、お墓参りに行きました。「敬老の日」を挟んだ秋の連休を「シルバーウィーク」と呼ぶそうです。こんな名称を聞くのは今年が初めてのような気がするけど、前からあったのかな?連休中ということもあり、高速道路の渋滞をかわす為に、朝6時に自宅を出発しました。宝塚インターに向かう途中で高速を見ると、動いているが渋滞が始まっています。まあ、この渋滞は宝塚のトンネルが原因だから、ここからは知れてるのでインターから乗ります。40km/hほどで動いてる高速に合流するとすぐにトンネルで渋滞は解消しました。約1時間で播州の家内の実家のお墓に到着です。墓地備え付けのバケツにお水を入れ、ひしゃくを持ってお墓の掃除です。持参したお花に差し替え、墓石を綺麗にぬぐい、最後に線香に火をつけ、パンパンして退散です。姉夫婦とご一緒したかったけど、休日診療の当番日で無理。新型インフルエンザ渦で正月並みのてんてこ舞いしてるらしい。「また姉からメールが来た。かなわんなあ」なんて助手席で言ってるけど、「お墓参りしたよ」なんてこっちからメールするから返信が返ってくるんじゃないの?8時に帰宅し、朝ご飯やお勤めなど朝の野暮用をゴソゴソこなしました。用意ができれば、今度は我が家のお墓参りなので、僕はガソリン補給にGSに行ったり、自転車に空気を入れたりします。リュックを用意し、車に2台の自転車を積み終わると、家内は既に着替え終わっています。サイクルパンツと、買ったばかりの大人し目のサイクルジャージを着て出発です。バイクの時の定番コースの「長尾山トンネル」からr33で「西谷農協」に向かい、「西谷ふれあい館」に駐車です。「ねえ、家からお墓まで自転車で行ける?坂がある?」なんて、家内が無謀な発言をします。「行けるし、猪名川沿いを走れば、急な坂を通らなくて行けるけど車が多いよ。それに往復で50~60kmぐらいあるんじゃないかなあ?僕らの最高が38kmだし・・・」と言っときました。僕は行けると思うし、家内も休憩を多く取ることで行けると思うけど、「私、もうダメ。ここで待ってるから車で迎えに来て。お願い」なんて、寂しそうな目で見る伝家の宝刀を抜かれると、明るくYESを答え、必死になって自宅まで車を取りの戻るしかありません。既に1度、やられてるし。だからストライキが起こらないように、短めのコースを計画します。余裕がなくなると寄り道出来ないし。「ふれあい館」到着は10時半頃でしたが、結構車が停まっていました。近隣農家が持ち寄る取れたて新鮮な野菜が目当てなんでしょう。僕らは帰ってきた後に駐車料代わりに購入しましょう。自転車を用意してると、朝早く出たのか、ロードバイクが1台、また1台と、北部からトイレや燃料補給のために入ってきます。r33を北上し、r319で佐曽利集落に入ります。交通量のあまりないr319ですが、さらに集落内をr319と平行に走る道に乗り入れ、のんびり走ります。あぜ道に色の薄いこの季節に、真っ赤な彼岸花が目立っています。うだうだ話しながら走ってると、「あれ見て」と家内から。r319を5台のロードバイクが並んで疾走して行きます。「速いなあ、かっこいいなあ」と思いながら、僕らの脚力では無理だし、同じ乗り物に乗ってるけど違う世界です。r323との交差点まで来て、「あぁ、道間違った」と気づきました。「大舟寺」に寄ってからと思ってたのに、大舟寺は一山西でした。ニカッと笑い、「あのさあ、大舟寺に行こうか?あの山の向こうにあって、途中に大したことないけど峠があるんだけど」「いいよ」いつもはバイクだから、もう一つ西の大坂峠よりマシ程度にしか頭に残っていません。「きつくなかったっけ?」と気になりながら、のぼりに入ります。思っていた以上に楽な峠でした。西側に一気に下り、左折して「八坂神社」に寄り道です。ここから東の峠に向かう田んぼの風景がとても好きです。いつだったか持参したバナナで、道端に座って朝食したことがありました。生まれたばかりの朝の陽の光りに、夜露に濡れた緑の稲穂がキラキラ光り、最高の朝食でした。いかにも中世は砦だったという小山に上る階段を上がると、軽四トラックの荷台に3人の方が座ってダベっています。兼業農家の旦那さんたちが、休みの日の共同作業の合間に休憩してる風です。ここは日陰で気持ちがいいでしょう。続いてr323を突っ切り北上し、「大舟寺」に寄り道しました。駐車場には数台の車があり、喪服の方達が帰るところのようです。ここで法事をされたのですね。参道の階段を上がり、家内に見せたかったお寺に入りました。前は「早朝バイク」で来たから遠慮した鐘撞きもやってみました。ここの鐘は、かやぶきの二層のお堂の中に下がっています。床は6畳の畳敷きで、1層の屋根が吹き抜けになって2層目の天井から下がってる鐘を見上げる感じです。「ゴ~ン」、家内が写真を写してくれましたが、なんだか口をあけててアホみたいな顔してます。自転車のヘルメット被ってるし、様になっていません。r323を今度は東進で峠を越えます。「笹尾」で道なりに北進し、「六瀬」でr12に合流しました。ここからはr12の歩道などを通って北上します。左手の「春日神社」にまた寄り道します。ここもさっきの「八坂神社」同様、中世の砦の雰囲気ムンムンです。道路脇に鳥居が立ち、本殿のある小山まで田んぼの中の道を進みます。昔はでっかいお宮だったのでしょう。山際の階段の手前にロープが引かれています。小山を囲うようにされているので、「え~松茸山で参拝できないの?」と思いましたが、それにぶら下がってる札を見ると、「電気が通っています。ご注意ください」。なるほど、松茸山を不法者から守るというより、山から降りてくる鹿から収穫真近の農作物を守るということのようです。自転車ともども電線を乗り越え参拝しました。秋の味覚「栗」のイガが空き地に山になっていました。中身を出荷した後のようです。そこから10分ほどでお墓に到着しました。さすがにお彼岸、お墓の事務所前の駐車場は満杯です。数台の車が渋滞しています。大きな霊園なので、最寄駅から無料直通バスが出てるし、我が家の地元駅からも日曜祭日は送迎バスが出ます。渋滞の横を抜け事務所横に自転車を駐輪しました。自転車で参る方などいないので目立ちます。家内が事務所外の特設お花売り場に買いに行くと、「何処から来られましたか?」と手で自転車のペダルを回すしぐさ付きで尋ねられたそうです。「近いですよ。空港のところからです」と、ここまで自転車だけで来たと誤解されるように答えたそうです。「僕らは一人前の自転車乗りみたいに思われちゃうじゃない」今までスポーツと縁のなかった家内にとっては、家からの半分だけど、それでもここまで来れたのが自慢なのかもしれない。でもほんとは一人前の自転車乗りでないので、迷わず山の斜面に広がる墓地を巡回するバスに乗り込みます。だって、我が家のお墓まで、結構階段を上がらないといけないからね。お花変えて、雑草抜いて、石を磨いて、しっかりお参りしました。帰りは、道を歩いていればバスが拾ってくれるけど、階段を歩いて下りました。
2009/09/22
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家内が僕のビンディングペダルを見ながら、「こけなかった?」「ねえ、楽になった?」と、興味深々です。先週「早朝自転車」を3日、日曜日に「夫婦で自転車」もしましたが、幸いまだこけていません。こういうのは慣れた頃が一番危ないので、もうしばらくして自分の足になじみ、止まるとする時意識せずに自然にビンディングリリース動作に入れるようになった時にこけそうです。5日目になる今朝の早朝自転車では、走り出したらすぐにカシャカシャとはまるようになってました。ペダルの位置と靴の金具の位置が、体が覚えて安定してきたようです。そろそろこけるかなあ?先週の新ペダル3日目の土曜日朝のことです。スピードが安定する平地の車道なら、どれぐらいのアベレージスピードになるのかな?と思って、宝塚を目指しました。平坦地は、快調な感じで平均速度も上がってる感じでしたが、「やっぱり走るだけじゃつまらないな」と初心を忘れて変更してしまいました。寺社めぐりのぐにゃぐにゃ旧道と、「清荒神」への坂が寺社門前商店が軒を連ねる狭い道で、意外に早朝から参拝の方が多く、下りでもゆっくり走らないといけなかったので、アベレージ17km/hになってしまいました。これには少し不満が残りましたが、気持ちのいいこともありました。「清荒神」からの下りで、上って来られた小さな男の子2人を両手に従えたお父さんから「おはようございます」と大きな声で挨拶されたことです。僕は自転車だから、頭を下げたり、「すいません」とか言ったりして下ってましたが、とても気持ちよかったです。僕は頭を下げただけだったので、慌てて「おはようございます」を返しました。僕も子供達が小さな時は、子供達に聞かせようと、しいて大きな声で、「ありがとう」とか「すいません」「こんにちは」とか挨拶とかしてたけど、あのお父さんは出会う人みんなに「おはようございます」と言いながら歩いてる感じがしました。そして毎回してるのでしょう。負けました。子供達からの声は聞こえなかったけど、いずれ元気に挨拶する子になるでしょう。親なんて、ごちゃごちゃ教訓を垂れなくても、自分がそういう行動をとっていれば、自然に子供の伝わるものだと思っています。いいお父さんだなあと、嬉しくなってしまいました。気持ちの良い「清荒神」さんを後にして、次の「売布神社」に向かっている時、山側の徒歩or自転車でない通れない様な細い道を走っていました。前から、ワンちゃんを散歩させているおばさん2人が来られ、自転車に気づいて、ワンちゃんを手元に寄せ、僕が通り過ぎるのを待っていました。「すいません。おはようございます」と通り過ぎると、「優しい人ね」とお二人の小さな会話が聞こえました。いつもしてることだけど、こんなことを言われたのは初めてです。さっきのお父さんの件と同じ日というのは、偶然ではないように思いました。どうやらさっきのお父さんの「おはようございます」が僕に伝播して、それがおばさん達への「すいません」に出たのでしょう。明るい挨拶の重要さを改めて思い知らされました。僕も、いつも綺麗な挨拶をするように、心がけるとしましょう。
2009/09/21
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こないだの日曜日に自転車屋さんに寄り、ビンディングペダルに変更しました。3月に自転車を買ったとき、「半年ほど乗って、慣れたらビンディングペダルに挑戦されたらいいですよ。手放せなくなるはずです」と言われていました。ビンディングペダルというのは、スキーの靴が板に固定されるように、自転車の靴をペダルに固定するものです。弟が学生時代に乗ってたロードバイクのペダルには紐が付いていました。「走り出したら、これで固定するねん。楽やでえ。でもはずすの忘れると止まる時こけるけど」と聞いていたものが、進化したものです。信号などの発信停止で、カシャという音を立てる他のロードバイクや、カチャカチャ音を鳴らしながら歩く自転車乗りの方を見て、「ほんとに楽になるのかなあ?」「とっさの時外れなくて、怖くないのかなあ?」なんて思ってました。そして、8月の終わり、両側を壁などに囲まれた狭い道を走ると、「チュンチュン」と音が鳴ってるように感じて、点検してもらいに行きました。稼動部にスプレーしてもらったら直りました。その時、「だいぶ慣れたので、ビンディングに挑戦してみたいのですが、まだ早いですか?」と自転車屋さんに相談しました。「いくらするのですか?」、いろいろ説明してもらいました。寺社などに道草して歩くのが多い僕には、マウンテンバイク用の靴と、普通の靴とビンディングシューズの両方に表裏で使えるペダルの組み合わせがいいようです。靴8000円・ペダル5000円で、15000円あればOKです。早速付けてもらうことにしましたが、ペダルが品切れだったので、注文だけしておきました。翌週、モーターバイクでJR谷川駅に寄った時、輪行準備をされていた方に声を掛け、ペダルの事を教えてもらいました。「ペダルが足についてくる感じで楽になりますよ。特に上り坂が違います」期待が膨らみました。そして、9/13にペダルを装着し、今週は3日間「早朝自転車」しました。しめて40km。初日、「走り出してから、下をチラッと見て表裏を確かめ、ペダルが下に来た時踏み込むと簡単にはまります」の言葉を反芻し、初めて走りながらカチャリしました。装着は思いのほか簡単で、チラ見などしなくても、足裏の感触ででこぼこのあるペダルがくっつく面と、そうでない単なる平面かが分かります。「こっちだな」という面が表の時、ペダルが下に来た時ぐっと踏み込むと簡単にはまりました。なんかいい感じでしたが、どうも落ち着きません。慣れていないので仕方ないです。しばらく5kmほど走っていると、なんだかつま先でペダルを踏んでる違和感があり、左足がなんだか痛いです。走りながら上から下を見ると、左足の膝が、中央のバーの近くに上がってきます。僕の足は、左足が右より内股なのかも?これでは辛いなと停止し道端に座り、サドルバックから工具を出してゴソゴソしました。靴裏についてるペダルのビンディングにカチャリとくっつく金具のネジの調節で、つま先の内向きを外向きに変更しました。しばらく3kmほど走り、また調節です。初日は、「まあ最初2~3回こけます。車の通る右側にこけると危険ですから、必ず左足が下になった時にはずす習慣を付けて下さい」と言われていましたが、交差点や信号で早めにはずすことを心がけ、こけませんでした。2日目、つま先で踏んでる感じがあるし、初日よりはマシですが、5kmほど走るとまだ左足が痛い感じがします。セットしてもらった金具の移動範囲の最大限靴の後ろ側にしたから、もう移動のしようがないなと思いながら靴を眺めていると、靴の方のねじ切り穴がまだ後にもありそうです。一旦金具を外し、後ろ側の穴に金具をセットしてみました。これがいい感じです。2日間、数度調節し、左右両方とも一番後ろ位置に金具をセットするのがいいようです。靴の金具の縦方向前後位置が一番後ろだから、母指球で踏むのがもっとも力が伝わるそうですが、僕はもっと楽なより土踏まず寄りです。まあ1cmほどですが。そして右足の横方向左右位置(中央からの離れ具合)は、最も足が外の位置。角度は、一番外に向くといっても、上から見た感じは、外股という感じはなく平行に見えます。左足は、横方向は内側。角度は平行少し内股気味。これがもっともしっくり来ました。これでドコも痛くありません。左足ふくらはぎのしんどさもありません。さてスピードが出るようになったかどうかは、よくわかりません。でも平均速度を、過去の同ルートの記録と比べると、2日とも過去最速でした。でも平均18kmが19km/hになった程度で、実感はありません。ただ上り坂は、楽な感じがします。一番下のギアまで下げなければきつかった坂が、2つほどギアが重いのに上がれる感じです。そして今朝、5時半に目覚めたので、総仕上げの意味を込めて、宝塚歌劇場前まで平坦道で行き、その後、軽い坂道を入れるために、「清荒神」「売布神社」「中山寺」の細かくアップダウンがあるルートを試してみました。問題なくクリアできました。と言っても、上り坂が苦もなく上がれるようになったわけではなく、相変わらず鈍足苦行に違いありません。しばらくこのセッティングで乗りましょう。
2009/09/19
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民主党に政権が変わりました。各大臣が発表され・・・寝てしまいました。今朝のニュースを見ていると、「八ッ場ダム」中止の話題が・・・今まで、どっかの山の中のダムなんやなあと、近所でもないので関心がありませんでした。ところが、その場所というのが・・・「群馬県長野原町」となってるじゃないですか。これには驚きました。僕が、高校生の時アルバイトに行った(お金はもらわなかったので、手伝いに行ったのが正しいかも)場所でした。父の実家は群馬県です。父の弟さんが、浅間山の北山麓北軽井沢で牧場&農場を今でもやっています。そこに春休みに2週間ほどお世話になりました。素敵な経験でした。夜明け前に起き出し、牛の世話です。乳絞りの機械をおっかなびっくり、牛さんのおっぱいにプシュッとセットさせてもらったり・・・牧草を運んだり、牛舎から牛を出して、ウンチの掃除したり・・・絞りたての牛乳の濃厚なことを初めてしりました。当たり前だけど、まだ牛の体温で温かいのを飲みました。それをバケツに入れて、子牛に飲ませます。子牛といえども、凄い力で、うまく飲ませないとバケツをひっくり返されます。見渡す限りの広い広い農場で、「何処までがおじさんとこですか?」と聞くと、「そうさなあ、浅間山が見えるだんべ。あそこまでだなあ」と。農場の真正面に浅間山がそびえ、浅間山までの間に建物など人工物は何もありません。そして、その2月には浅間が噴火して、「そこに落ちてる石なあ、噴火で飛んできた石や。屋根の修理がまだ残っとる」なんて笑っています。僕の従兄弟の小4の男の子が、すでに牧草を荷台に積んだトラックを運転しています。時には近所の公道を、そのまま走るのだとか・・・「まだ免許持っていないでしょ?警察に捕まるんじゃ・・・」「ここらの子はみんな小学生から運転しよる。働き手だから、警察も何も言わん」「噴火の時は、そりゃ綺麗やったぞ。おめえももう少し早く来れれば良かったなあ」どうやら「鬼押し出し」の方に火山灰がたくさん降り、こっちにはあまり被害がなかったそうです。ここに来る時、ちょうど国鉄(現在のJR)のストで、ダイヤが乱れ・・・というよりほとんど列車が走らず、都度駅員さんに動いてる列車を聞きながら、東京から八王子を回ってココまで来ました。僕の家では、僕が出発してから、関東の国鉄のストが大変なことになってると知り、親戚中に連絡を取り、東京の親戚などに僕の寝床を確保したらしい。でも肝心の僕からの連絡がないからヤキモキ・・・僕は至ってのんきで、窓ガラスの割れた臨時列車に平気で乗り、いよいよ先に進む手段がなくなったら、バスを利用し、行けるところまで行くかと、むしろ面白かった。乗客同士が、まるで同士のようになり、国鉄職員から箒を借り、列車内に散乱するガラス片を掃除したりもした。「若いの、どこから来たんや?」「何処まで行くね?」約束の長野原駅に夜になってやっと到着し、駅から電話しようとしたら、なんとおじさんがそこに立っていた。「あっ、おじさん今晩は」「おめえ、よう来れたなあ。おめえの家が大変なことになったるぞ。すぐに家に電話せえ」と、何故かいきなり怒られた。目は笑ってたけどね。車に乗って、本日の冒険を話すと、「おめえも親父に似て頼もしいのお」と、褒められた。親父は11人兄弟ですが、このおじさんと親父だけが、海外に勇躍する道を選びました。親父は海外で農業をすべく勉強中に兵隊になりましたが、おじさんは戦後だったから、アメリカ留学し、そこで学んだ酪農を北軽井沢で実現しました。「俺とおめえの親父は似てるからなあ。実家の畑を分けてもらって居つくなんて考えもしなかったからなあ」今でも、このおじさんには良くしてもらっています。幼稚園の頃などに何度か迷子になったけど、こういう時は泣かない子でした。幼児のときの予防接種でも、注射に泣かなかったそうです。うちの子の予防接種の担当は、いつも僕でしたが、周りの子がワーワー泣いてても、うちの子は「こりゃ大変なことになったぞ」というのはわかっていても、泣くことはありませんでした。歯を食いしばって痛いのを我慢する姿が実に頼もしいと思いました。小2の時も乗るバスを間違えて山の中の終点に行ってしまったときは、「こりゃ間違えた」と判断し、せっかくだからとしばらくそこらを探検し、バス停に戻り、次のバスが来ると「迷子になりました」と運転手さんに言いました。次のバスの発車時刻までまたそこらをうろうろし、街中まで戻ってきて警察にお世話になりました。バスの運転手さんが、バス停でもないのに臨時ストップし、「この子が迷子になったるから、警察に下ろしてきます」なんて乗客さんにわびてもらいました。警察では、「腹減ったか?ラーメンでも食うか」とご馳走してもらい、迎えに来た親父に怒られながら、車の中では笑われました。1週間体から匂いの取れなかった牧場での牛との生活を終え、再びおじさんの車に乗って、長野原駅に向かったときのあの広大な風景が今でも脳裏に焼きついています。もちろん、件のダムが建設される川の風景も。駅には、草津温泉旅館からの迎えのバスが何台もいました。「八ッ場ダム」の場所を地図で確認すると、「長野原駅」からおじさんとこの牧場に向かう時走った道の横を流れてたあの川をせき止めて造るダムでした。なんと・・・
2009/09/18
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続いて、JRの次の駅「黒井駅」へ。JR福知山線に沿って、1駅ごと巡っています。3代将軍徳川家光の教育係「春日の局」の生誕地です。父親は明智光秀の腹心斉藤利三。「本能寺の変」の時、堺にいた家康は、伊賀者の服部半蔵の手引きの下、命からがら伊賀越えして三河に戻ったと歴史ではなってる。その敵の娘に、これほどの厚遇を与え、将来将軍職を継ぐ我が孫の教育を任せるのは異例です。斉藤利三は、秀吉に捕まり京都で首をはねられています。なのに・・・光秀と家康の間に、本能寺の密約があったとされる根拠の1つです。「黒井駅」に寄り、観光案内を探しましたが、ナッシングでした。待合室内看板地図を頼りにかつて斉藤利三が守備した黒井城跡に向かいました。光秀の丹波攻略の時、頑強に抵抗し、一度は敗退し、なかなか落とせなかった2城、波多野氏の八上城と赤井氏のココ。光秀は丹波平定後、ここに腹心の斉藤利三を置いたので、当時のこの地域は戦略的に重要だったのでしょう。続いて黒井城の居館跡に立つ「興禅寺」を訪問。ここで「春日の局」は生まれたそうです。法事をなさってるご一家がいましたが、僕以外はこの方々のみ。う~む、こういう歴史のある場所の檀家さんというのもいいなあ・・・r285に乗って山脇を通って西進、途中にあった「兵主神社」を訪問。加古川沿いに北上し、本日のメインイベント「独鈷の滝」を訪問。隣接する「岩瀧寺」も訪問しました。途中の田舎道を走ってるのは楽しかったけど、滝は今一でした。滝に至る歩道の雰囲気は良かったけど。どういうルートで帰ろうかなと地図をみていて、「達身寺」を発見しました。勧められた時、地図のどこかで見た記憶があったのですが、加古川の対岸なので寄り道することにしました。50~60km/hで走る田舎道は楽しいです。田園と背後の山が旅心をくすぐります。「達身寺」はそれほど大きなお寺ではありませんでしたが、立地を考えればお客さんは多い方でした。駐車場には車が5台も停まってて、寺内にも人がいました。今まで誰もいないところばかりだったので、余計にそう思います。本堂の拝観には400円要ります。ちょっと覗いたけど、「1人で拝観料払って観るのもなあ」と思いやんぺ。無料のお庭に回ると、ここの本尊の身の丈に合わせた小さな社が建って、中に本尊様がいました。毘沙門堂。謂れを読むと、空海がココに篭って彫った尊像で、国の重文指定されているものでした。国内に3体しかないそうで、これはいい感じでした。こっちが無料なら、入場料を取る本堂にはどんなお宝が眠っているのかと思いましたが、家内と訪問する時のお楽しみにしておきましょう。でっかく、「NHKで放送予定」と張ってありました。ここは「丹波の正倉院」と呼ばれているそうです。本堂の裏に、コンクリート造りですが、大きな宝物庫が建っていました。開いてる扉の厚さは相当なものでした。光秀が黒井城攻めをした当時、大勢の僧兵を擁した大きなお寺だったそうです。黒井城方だったので焼き討ちにあったのですが、その前に宝物を僧達が運び出し、裏の山に隠したそうです。秀吉の世になり再建され、山から戻したそうですが、まだ眠っているとか・・・もう帰らないといけません。r109で南下します。こんな田舎道を、ヘルメットに風を受けながらトコトコ走ってると、とても幸せな気持ちになります。前回ガソリン補給から250kmを越えてきたので、GSを探しますが、日曜定休のところが多く少々焦ってきました。満タン13Lで燃費30km/Lなので、まだ大丈夫ですが、僕は燃料が少ないのが嫌いな性分です。やっとこ開いてたGSがあったのでホッとしました。ところが・・・トリップメーター262kmなので、8Lは入るだろうなと思っていたら、5.9?とかで店員さんがメーターとタンクを交互に見ながら追い入れ状態になってます。入ったのは6L。「おかしいな。ほんまに満タン入れたの?」と思いながら清算し、走りながら簡易計算すると、驚愕の燃費46km/Lってあんた、あまりに良すぎです。今まで良くても35kmどまりで、最高38というのがあったけど、前後の満タン入れ具合での誤差だと思ってたのに、なんと46kmとは、まるで50cc4スト原付車です。満タンが怪しいので、次回は少し早めに給油しましょう。このバイクもそうですが、車では当たり前の装備燃料残量メーターが付いていません。だから、給油ごとにトリップメーターをゼロにして、残量を予測します。まあ、もし空っぽになっても、リザーブタンクに切り替えれば、あと2リットルぐらいは走れるけど。R175に平行するように、篠山川が加古川に合流するところまで下り、そこからこれも地図を見て気になっていたr86で杉原川まで西進しました。「小野尻トンネル」のこの道は僕ら夫婦の自転車ではきつそうです。峠を越えてから、道なりにr86を南下、R427で杉原川に沿って更に南下しました。道路標識に「西脇」の文字が多くなり、「どうするかなあ」と思案です。西脇に出て三田に抜けてもいいけど、それだと先週と同じだし、久しぶりに「闘龍灘」も見たいし。西脇市内で多少間違いながら、無事抜け出しr17を走ってると、なんと道の横に電車が。緊急停止です。横には駅があります。でも線路はありません。「これが、廃線になったJR鍛冶屋線の名残りだ~」また寄り道して、駅舎内の現役引退した品々を写真に収めました。そして闘龍灘。横をゆったり流れていた加古川の流れとは打って変わって、「なぜココに」と思えるいくつもの巨岩に行く手を阻まれた流れが、一気に狭い瀬を流れています。期待してなかったけど、なかなか壮観でした。r17は、中国道滝野社ICまで南下し、中国道に沿って東進して神戸三田ICまで行きます。道なりに帰ることにしました。神戸三田から、「三田・道場・北摂・r33ルート」にするか、r82で「有馬・西宮・逆瀬川ルート」にするか考えたらいいかなと。r17は快適道でした。交通量は少ないし、信号も少ない。60km/h以上でぶっ飛ばす車もいないし、僕にちょうど良い流れでした。例によって、中国道宝塚が混んでるとの表示が出ています。西宮北ICから降りて六甲山を抜ける車で有馬温泉回りは混みそうに思えたので、三田回りに決めました。が、ここでミスルートしてしまいr82に乗ってしまいました。すぐに気づきましたが、Uターンするのも面倒だし、「怖いもの見たさ」の心境に変更し、有馬温泉ルートに突入です。案の定r82は混んでたので、r51で宝塚に抜けようとルート変更です。なんとなくこっちも混んでそうで勇気ある退却です。R176という絶対混む、とてもオーソドックスなルートを取りました。まあこっちはバイクなので、車が止まると、横を抜けて前に出ます。それでも左手のクラッチ操作がいい加減嫌になりながら、5時半に帰宅しました。結局昼食抜きでした。でもまだメニューはあります。車に自転車を乗っけて自転車屋さんに向かいます。2週間前に品切れだったビンディングペダルが入荷してるので、付けてもらいましょう。ペダル5000円・靴8000円です。お店では、案外簡単にビンディングの脱着が出来ました。後は回数乗って慣れるのみです。
2009/09/17
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R372を突っ切り篠山市街地の方に入ります。篠山川を越え、すぐのr77を左折しました。道なりに進んで、先週来た篠山川渓谷道に入りました。先週写真を写せなかった渓谷とJR鉄橋を写真に収めます。数時間早いだけで、車の交通量がかなり少ないです。今の時間帯なら自転車でも大丈夫そうです。下滝手前の丹波恐竜発掘現場にまた寄り、先週見つけられなかった発電所跡を探します。「あれ~ないなあ?」とその時、発掘現場の方からおっちゃんが歩いてきました。「発掘現場、見ましたか?」「はい」ボランティアの説明員さんのようです。「これは何ですか?」と僕が指差した先を見つめ、「大正時代の水力発電所跡です。老朽化したので、手を入れています」とのこと。白い工事現場の幕で覆われ、風情も何もありませんが、廃墟をおっかなびっくり探検するのから、観光名所に生まれ変わるのでしょう。JR下滝まで来ました。道中、篠山川の向こう岸に走る道が気になっていました。自転車ならあっちの方が確実に楽しそうです。そこで下滝駅の近くの踏切を川の方に渡ってみました。「川を向こうに渡る橋を見つけないとなあ」と思ってると、その道なりに橋があります。ところが、この橋何と吊り橋です。しかも「ワイヤーで組んだ」というのではなくて針金で組んであります。ワイヤーかなと思った太い架線も針金を何本も束にしただけのもので、いかにも頼りな気です。でも下の板はしっかりしてそうです。「通行制限 この橋は歩行者・二輪車(50cc以下)に制限します」の看板が・・・まあそうでしょう。僕のバイクはアウトです。でも向こうの道を見てみたいです。下板がしっかりしてそうなのでチャレンジです。揺れは案外少なく、見た目より安全そうです。「向こうまで渡れそうだな」と橋の真ん中をへっぴり腰でゆっくり歩いていったのですが、ど真ん中に節穴が開いてる板があり、そこから川面が見えるじゃないですか。横から見えるのはマシですが、僕は足元から見えるのに弱いようです。先週に続いてまた吊り橋断念です。踏切に戻ると音が鳴り出しました。「鉄っちゃん」でもないのにカメラを取り出して、線路が見渡せるところに走ります。横に駅があるので余裕があると思ってたら、特急列車でした。今一な写真になってしまいました。JR下滝からすぐのr77沿いの小高い丘にいい感じの社が見えました。道草です。バイクを置いて急な坂を上ると、「岩上神社」がありました。これはいかにも中世の砦です。ここに陣屋を立て櫓を組んで街道を見張るのにうってつけです。朽ちそうな拝殿があり、奉納絵馬が元の絵が分からないぐらいに痛んでますが、いろんな想像が湧きます。更に上ると山頂のようなところに稲荷神社があり、山容は分かりませんが、小城があったのかもしれません。JR谷川から、今度は北にJR福知山線沿いに上ります。柏原まで抜けるこの道が気になっていました。このr86の勾配によっては、自転車道の選択が広がります。アプローチはなだらかな上り坂です。トンネルがあるから勾配を増すだろうなと思っていたら、あっさり「奥野トンネル」に至りました。柏原側への下りもあっさりで、この道は使えます。ここで篠山からショートカットしてきたR176に合流しました。柏原も古い町なので、駅に立ち寄り市内観光のパンフレットでもゲットしようとしましたが、京都などの遠くの観光地パンフばっかりで、期待はずれでした。駅によくある観光案内所もないし。次のJR石生に向かいます。国道と言っても交通量がさほどないので迂回路を探す必要はありません。「水別れ公園こっち」の看板に従って右折です。ここは日本で一番低い分水嶺があります。分水嶺なんだから多少は上るのだろうと思っていたら、小川に沿って走るとあっさり到着です。その小川が二股に分かれていて、一方に「日本海へ70km」、もう一方に「瀬戸内海へ70km」という看板が付いていました。「なんとまあ」この小川の流れに沿って分水嶺があり、最も低いところが95mとなっていました。一方は由良川を経て日本海へ、もう一方は加古川を経て瀬戸内海に注いでいるのだそうです。95mとは低いですね。駅前から500mぐらいじゃないかなあ。この地域全体が標高100mぐらいだから、駅前と標高差はなしという感じです。近くの神社に寄ってバイクに戻ってくると、先客の2台のバイクのオーナーさんたちが戻って来られました。神社でもすれ違った方で、親しげに頭を下げられた方でした。僕がバイクジャケットを着てたから、親しみが湧いたのかもしれません。バイクに乗り出して、車移動の時と違って、こういうのがとても多くなりました。素敵なことです。今朝出発してすぐの西谷農協に至るr33で、ロードバイクが走ってたので、追い抜く時、どれぐらいのスピードなんだろうと、同じぐらいのスピードに落として確認してから抜かしました。その後、田んぼの景色をカメラに収めようと止まってゴソゴソしてると、その方が「おはようございます」と言って抜いていかれました。ロードバイクを買ってすぐ、お尻が痛いのでもっと分厚いサドルはないかなと思ってるとき、よさげなサドルが付いた自転車があったので、ジロジロ見てると、オーナーさんが戻ってきて、なんだかんだ教えをこうてると、なんとそのサドルを譲ってもらう商談が成立してしまいました。バイクや自転車は、人の垣根を低くする乗り物のようです。「こんにちは」、バイク乗りというだけど、気軽に声を掛けられます。この日も何度すれ違うバイクにペコリとしただろう。「バイク、速そうですね?」「250ccですから大したことないですよ」「これって、ホンダのVTRってやつですか?」「はい」「新型?」「いえ、今年出たのとは違います。1世代前のです」「このボックスは?」「バイク便ボックスの一番小さなものです。キャリアも専用のもので、プロ御用達だから丈夫で実用的です。でも嫁さんからは「かっこ悪い」と言われています」姫路から来られたご夫婦で、「夫婦でバイクツーリングなんてうらやましい」と言うと、奥さんは去年バイクの免許を取ったそうで、乗ってるのはピンクナンバーだったから125ccのようです。ホンダのAPEかな?運転に慣れたので、少し大きいのに変えるご希望があるようで、僕のバイクに興味を持たれたのでしょう。旦那さんのは、250ccか400ccのスクーターで、確かに馬力に差がありますね。「何処に行かれるのですか?」「北上して滝を観にいこうかと思ってます」「一度行ったことがあります。向こうに行かれるなら「達身寺」に行かれたらいいですよ」と、情報を頂きました。
2009/09/16
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日曜日、家内は朝からホテルに行き、夜まで戻ってきません。どうしようかなと思案した結果、2週連続でバイクでうろうろすることにしました。JR福知山線の篠山以遠を探索です。「今日遅くなるから、夕食もどこかで食べてね」などと言われながら、しっかり朝食をお腹に入れます。7時ごろ、いつものようにバイク便ボックスに、カッパ・工具・鍵・サングラスを入れ、「ちょっと寒くなって来たから出しといたよ」と言われていた春秋用通勤ジャンパーも入れました。長距離なので、タンクバックも装備し、GPSも入れときました。でも、出来るだけこれにはお世話になりたくない。迷ったら地図を取り出し、あ~だこ~だ思案し、偶然見つけた寺社などの掘り出し物に寄り道するのが楽しいから。それに、GPSの支持は太い道優先で目的地へは早く着くが、道中が面白くないし。「長尾山トンネル」を抜けて北摂地区に突入です。遠くに朝霧の残りが浮いています。r33から「西谷農協」を左折し、r68に乗って西進します。この途中で霧に突入しました。「雨にならないだろうか?」と少し心配しましたが通常の霧でした。「志手原」からr49を北上し、「尼寺」のところを千丈寺湖沿いに左折しました。r49前方の「花山院」のところが急な坂で道が狭く、バイクは平気だけど自転車だと、坂でしんどく車に気をつけなければならない難所です。ここを回避するルートを開拓しておかないと家内を連れて来れません。気持ちのいい千丈寺湖沿いの別荘地の道をのんびり走っていると、ダムにせき止められて広くなった黒川を渡る橋から、幻想的な景色が目に飛び込んできました。北摂の霧の生産地でもある流れのない川から、湯気がたくさん立っています。その中を朝一番のバス釣りボートが進んでいます。緊急停止です。もちろんカメラを構えます。一眼レフ&三脚の被写体ですが、ポケットに入ってるコンパクトデジカメで我慢します。肉眼ではもっと幻想的だったんだけど・・・そろそろ花山院の山を越えたかなと、適当に湖岸から離れる道に入り東進すると、小野公園のところでr49に復帰しました。ここで地図を取り出して、今辿ったルートを頭に入れます。坂がなくて車が来なくていい道でした。でもそのまま真っ直ぐ行ってたらr309に合流していました。そっちの道の方が簡単そうです。r49との合流の前方に、r49旧道が集落の中に向かっています。前から気になっていた道だったので、得意の寄り道です。集落内を走る旧道(生活道路)にはいろんな発見があります。ですぐに本日の1つ目「大日堂」という小さなお宮さんがありました。その前に立ってるポールに、消防ホースが3本も吊り上げられて干されています。朝、集落の消防団が集まったのでしょう。この「大日堂」は当たりでした。お宮の前に立ってる謂れを読むと、飛鳥時代、中大兄皇子(天智天皇)が中臣(藤原)鎌足を従えてこの地にやってきたそうな。645年、蘇我入鹿を討って天皇家に権力を取り戻したクーデターの主役2人ではないか。この地の美女を妃にして子を宿した。無事皇子を出産したが、出産時に亡くなってしまった。出産は危険だからなあ。一振りの刀と共に養育を託された妃の父親は皇子を育て上げた。成長した皇子は都に上ったが、1年後に亡くなった。嘆いた父親は、賜った刀を御神体に、ここにこの宮を立てたそうな。最後に花山法皇の読んだ詩が書かれていました。早くに天皇を引退した花山法皇が、この地に住んだのと何か関係があるのかなあ・・・きっと当時有名な場所だったんでしょう。続いて本日2軒目小野の天満神社に寄り道。ここで小銭入れをゴソゴソすると、お賽銭の持ち駒が少なくなってる。寄り道した寺社では、写真モデル料・拝観料とこれまでの我が家の無事に感謝していくばくかのチャリンをするのですが、500円玉は痛いので、それ以下の小銭です。途中で何か買わないと、品切れになってしまいそうです。本殿が県の重文指定されていたので、拝殿から覗くとなかなか趣がありました。室町末期の作だそうです。戦禍に生き残ったのは立派です。石灯篭がいい形をしていました。このままr49を篠山に北上するのではなく、いつもダラダラな下りが気持ちがいいので帰路にした使っていなかったr308を北上することにしました。r309を西進し、r49の1本西にある南北道r308に乗ります。右手に感じのいいお宮が見えてきたのでまたより道。「感神社」でした。「おお、千丈寺山への登山取り付き口があるところだ~」。この道を上るのは初めてですが、逆からだと別の景色です。田園風景の向こうに篠山との境の山が見えます。佐曽利カルデラの北側の外輪山の流れです。またストップしてパチリしました。下りでは気づかなかった「母子大池」への林道が分岐していました。「入ってみよう」と思いましたが、いきなりの舗装切れ道で、ココからの距離を考え断念しました。続いて、「尼ン滝」。r308に沿う青野川の細い流れが、少し急な段差になってるだけで、滝と呼ぶには?ですが、小さな滝が連なる眺めはなかなかいいです。すぐ横の道の交通量はほとんどないし、しばらく見入ってしまいました。ビデオまで回したし。茶畑が出て来て、母子まで上ってきました。篠山に下りる三国ヶ岳横の峠はすぐそこで標高は500m近いはずですが、急な坂がなく、r308利用なら自転車でも上って来れそうです。いい道発見です。ここで母子大池に寄り道することにしました。r308から500mほどの距離ですが、砂利道でした。なだらかな丘の向こうになるので、隔離されてる雰囲気があります。バイクを置いて、木陰の湖畔の道を少し歩いてみました。盛夏だったらくもの巣の罠が1晩でたくさん出来るような道です。今の時期はスズメバチに気をつけなければなりませんね。それと足元。鹿のコロコロ糞が道の草にまぎれてそうです。まだ開いていませんが、日が当たる茶畑の土手にはススキが準備を整えています。季節は秋に向かってまっしぐらです。秋といえば、バイクを停めたところの前で田舎の定番車軽4WDが止まっており、おっちゃん2人が杭を打っていました。「ここに停めていいですか?すぐに戻ってきます」「ええよ」作業は「入山禁止 三田警察署 9/10~11/15まで松茸山につき、入札者以外の入山を固く禁じます」という看板設置でした。荷台にはロープも積んであったので、これから作業なのかな?散々道草して、やっとこ峠を越えて篠山市に入りました。合流したr49の峠の篠山側は大型車走行不能のかなり勾配のきつい細い道です。胸の前のファスナーをはだけだおっちゃんクロスバイクが上ってきました。「すげ~」歩いていません。小枕の集落を真っ直ぐな道が貫いています。この道好きです。側溝には豊富な水が流れ、豊さを感じます。
2009/09/15
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数日前の新聞に、日本の教育費支出の現状が載っていたので、ちょっと調べて2つの記事を引用します。ここに何度か書いたけど、とうとう数字付きで新聞の一面に載った。『日本、28カ国中27位=教育への公的支出-OECD調査経済協力開発機構(OECD)は8日、加盟国の教育施策に関する2006年の調査結果を発表した。日本の国内総生産(GDP)に占める教育機関への公的支出割合は、前年比0.1ポイント減の3.3%で、比較できる加盟国28カ国中、27位だった。各国平均の4.9%から大きく下回っており、依然として家計など私費負担の割合が大きい状況となっている。教育費負担は衆院選でも争点の一つとなり、民主党は、子ども手当の創設や公立高校の実質無償化をマニフェスト(政権公約)で打ち出した。今回の調査で改めて教育への公的支出の少なさが浮き彫りになり、民主党政権でも家計に占める教育費負担の軽減が重要な課題となりそうだ。調査によると、公的支出割合が最も大きいのはアイスランドの7.2%で以下、デンマーク(6.7%)、スウェーデン(6.2%)の順。米国は15位、韓国は20位だった。』『対GDP比は、大学など高等教育に限ると前年と同じ0・5%(OECD平均1・0%)で28カ国中最下位。政府の支出全体に占める教育支出の割合は前年と同じ9・5%で、OECD平均の13・3%を大きく下回り、データ比較が可能な27カ国の中ではイタリアと並んで最下位だった。日本は少子化が進んでいるため、1人当たりの教育支出(公私負担の合計)はOECD平均とほぼ同程度の8872ドル。しかし、私費負担の割合は33・3%と韓国に次いで2番目に高く、OECD平均15・3%を大きく上回っている。OECDは「日本の教育を支えているのは私費負担割合の高さ。経済危機によって進学を断念する若者が増えるとみられ、奨学金を中心とする公財政支出の役割が期待される」としている。教育への公財政支出の対GDP比を巡っては、民主党が衆院選前に公表した政策集で「先進国の平均水準(5%)以上に引き上げる」と目標を掲げた。日本のGDPは約500兆円で、民主党が掲げる高校無償化の費用(年4500億円)が教育支出に加われば、対GDP比は0・1ポイント程度の上昇が見込まれる。子ども手当(年5兆3000億円)は教育支出の対象外とされる可能性が高いが、仮に全額算入しても5%には届かない。』元々、「親が子を養い、子が親を敬う」儒教思想の強い日本や韓国と、「人は神の子、神の前で親も子も平等」のヨーロッパを中心としたキリスト教国との根本的な考え方の違いがあります。僕は、日本人としてはごく普通の儒教的考えの家庭に育ちました。出来ない僕は否定され叱咤され、きつい小学校生活を送りました。自傷行為をする子になりました。でも中学で本格的にキリスト教と出会い、「神の前で平等」の言葉と精神に救われました。「親から叱らたことがない」という家内に惹かれ、叱咤しない激励と褒める子育てをしました。結果は、僕の子供時代と正反対に、笑顔のあふれる家庭になり、夫婦喧嘩も親子喧嘩のない家庭になりました。親子喧嘩というものは、親から仕掛けるもののようです。長い前置きになってしまいました。● 日本の教育費対GDP比3.3%支出は、OECD平均4.9%とほぼ同じにしようと思えば、500兆円×0.016=8兆円 増やさないといけない。● 日本の高等教育費は、OECD平均とほぼ同じ8872ドル(約90万円)。● 日本の高等教育費に占める家庭負担対GDP比0.5%を、OECD平均1%にしようと思えば、500兆円×0.005=2.5兆円『授業料がおおむね無償のヨーロッパ諸国や、返還義務のない給付奨学金が充実している米国などとは比べようもない。そもそも日本学生支援機構の「奨学金」は貸与であり、実質的には教育ローンでしかない。にもかかわらず、日本政府は国際人権A規約は批准しながらその中の「高等教育の漸次的な無償化」(13条2項C)は拒みつづけ、高額な授業料と公的な給付奨学金制度の不在という例外的な状態を放置している。』国際人権A規約の「高等教育の漸次的な無償化」を実行していけば、学部生243万人+大学院生18万人+専門学校生6万人=267万人267万人×100万円=2.7兆円国公立大生は25%なので、(243万人+18万人)×0.25×50万円=3200億円2.7兆円-0.32兆円=2.4兆円高校生無償化4500億円+2.4兆円=3兆円高校生以上の高等教育費を家庭負担から国負担に変更すれば、ほぼOECD平均になる。これによってどういう社会になるだろう?●親の学費負担がなくなり、可処分所得の増加●税金が高くなるかもしれないが、収入額は多くても教育費負担が減るので、実質可処分所得は同じではないか。うちは子供がいないから損と考える方もおられると思いますが、高速道路を使ってないから損という考えと同じで、高い教育を受けた人が作り出した技術や法律によって、自分も恩恵を受けていると思えないかなあと思う。何処に線を引くかの問題ですね。●やる気のある子供は、親の負担を考えずに進学できるので、親から随分独立できる。僕の子供時代を考えると、これはとても大きい。親にとっても、わが子に本人の求める教育を受けさせることが出来る精神的負担の軽減は大きい。県や国の公費の無駄使いや、ポッケないないが新聞を賑わしますが、人間って余ると使っちゃいますね。でもないと節約します。普通の家庭は、子供の教育費だけは削らないでおこうとします。「子供は我が家の宝だから」「子供は国の宝」よく聞く言葉ですが、本当にそう思ってるなら、国が最後まで削っちゃいけないところなんじゃないのかなあ。僕の学生時代は、国立授業料が年間3万円に値上げされて、大きな問題になったのに。明治以来、「国の富国は教育にあり」だったのに、いつしか他の事業優先で教育費は親の負担が常識になってしまった。家内だって、「お国お金がないから」と言うが、これって世界の常識ではないんじゃないのかな。僕らの学生の頃は、OECD平均は国の教育費手当てがあったはずです。
2009/09/14
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僕の通勤スクーターは、ヤマハのジョグです。仕事をし始めてから、3代目のスクーターですが、ずっとヤマハでした。乗ってたヨットがヤマハ製だったので、なんとなくヤマハを乗り換えてきました。2台目が動かなくなって車通勤をしてましたが、5年ほど前に近所の自転車屋さんから「出もののスクーターがあるけど買わんか?」に乗り、スクーター通勤が復活しました。当初は、雨が降ったら車通勤しようと思ってたのですが、圧倒的に早い通勤時間(走ってるより、駐車場から仕事場まで歩いてる方が長い)に負けて、ずっと浮気せずにスクーターに乗り続けています。でもこの50ccスクーター、制限が多くて困ります。「法定最高速度30km/h」「3車線以上の交差点での右折禁止」それに、乗り心地の悪さです。20kmぐらいの距離なら平気なのですが、50kmとなってくるとお尻と腰が痛くなるので、姿勢を変えるためにモゾモゾ落ち着きません。昨年250ccバイクVTRを買い、200km走っても平気なのに驚きました。250ccでもこんなに楽なんだったら、「50ccオーバーのもう少し大きなスクーターに乗り換えれば楽なんじゃないだろうか」と思うようになってきました。「息子達が乗るかもしれないし」と思って、買い換えずにきましたが、結局使うことはなく、今や彼らは東京に居を移し、帰省したときも僕の車を使えばいいことです。最近大流行の教習所で乗った「スカイウェイブ」や「マジェスティ」などの250ccや400ccスクーターは、VTRより大柄で取り回しが面倒だし重いです。原付二種(50~125cc)スクーターが良さそうです。通勤で見かける黄色やピンクのナンバーが付いてる100cc前後と思われるスクーターが、50ccが少しグラマーに、少し背が高くなった程度の体格で良さそうです。2人乗りも出来るから、近場の電気屋さんに家内と2人で行く時にも使えそうです。VTRを買った中古バイク屋さんで、2ヶ月ほど前に物色してきました。毎日荷物を乗せるので、足元の広さが通勤バイクの必須条件です。見た目、絶対大丈夫そうだったのが、ヤマハアクシスでした。でも2ストバイクでした。僕のジョグも2ストで、50ccスクーターの中では抜群に速いです。でも僕には速いバイクは必要ありません。それより、250ccVTRと同じぐらいの30km台の燃費をなんとかして欲しいです。50ccと250ccが同じなんて・・・4スト50ccスクーターなら50kmぐらい行きそうなのに。更に環境に優しくなく、消え去る運命のエンジンです。通勤で見かける100cc前後スクーターで、候補になってるのは。スズキ・アドレス・・・50ccと変わらない体格・体重なので、速いけど乗り心地が今一そうな印象を受ける。50ccの車体に、エンジンだけ大きいのを乗せてもなあ。ヤマハ・アクシス新型・・・環境と燃費に配慮して4スト車が今年出たようです。いいんじゃないかと思うけど、今年の新型なら中古車が出るのは1年ぐらい後でしょう。仕事場のある共同駐輪場に置くから、新車はいらんなあと思ってます。ホンダ・リード・・・只今のところの本命です。VTRでホンダ製のものに初めて乗りましたが、機械的なトラブルがないのが安心です。VTR買うとき、バイク屋さんが教えてくれたのが、「安心なのは世界のホンダだよ」と。スクーターだから、各社の癖もないだろうし、ヤマハのスクーターで故障の経験もないから、気にする必要はなさそうだと思うけど、4スト先駆者のホンダびいきになってます。
2009/09/12
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とうとう「サイクルジャージ」なるものを買ってしまいました。スポーツ自転車に乗る方が着るジャージです。おしゃれな家内は、長男君が中学陸上部の時使ってたトレパンからすぐに卒業し、何故か前から持ってた女性ランナーが使ってるランナー用タイツに、新しく買ったスカートという組み合わせになりました。続いて、スポーツ洋品店でピンクのジャージを購入し、かなり洗練されました。そして僕に、「カッコいいのを買ったら」としきりに勧めます。僕の自転車に乗るときのカッコは、半年経ってもまだ長男君陸上部トレパンに、職人の店で買った速乾性丸首長袖ジャージ980円です。トレパンは裾が絞ってあるので、ギアに挟まれなくていいですが、僕はその上に靴下をはいています。プロ野球の俊足選手がやってるみたいに。これで、「早朝自転車」を半年続けてきて、改善点が出てきました。カメラの入れ場所がない・・・トレパンのポケットに入れていますが、どうも足に当たって違和感があるし、こいでるうちにポケットから落ちないか心配でもあります。もう一つ、暑くなってくると胸から空気を入れたいのですが、丸首だからそれが出来ません。そこで、いろいろ探しましたが、コレというのがなく、ユニクロさんでポケットの付いた半そでジャージをその上に着るようになりました。カメラポケットは解決しましたが、更に暑くなりました。自転車用ジャージは、伸縮性に富み、前にチャックがあり暑さに合わせて調節できます。さらにポケットまであるのでいいのですが、毎日洗濯するものに5000円とか1万円使うのは贅沢に思えて、躊躇していました。それにポケットは付いてるけど、折り返しやチャックがないので、ポケットから落とす心配は同じだし。「夫婦で自転車」で家内もスポーツ自転車に慣れ、遠方への移動手段に電車を使おうということになりました。中高生ではないんだから、「トレパンで電車に乗るのはどうもなあ」と思い、「パールイズミ・バイカーズパンツ1万円」というサイクルズボンを買いました。ピチットしたタイツは恥ずかしくてはけないから、あくまでズボンです。それで初めての「輪行」をしました。このズボンが、なかなか優れもので、伸縮が利いてペダル操作に支障がありません。裾にベルクロテープがついていて、フロントギアに裾がからまない工夫がされています。やっぱりよく考えられています。そして今回、自転車用ウエア第2弾として、ジャージを導入しました。「ウィザード4シーズン長袖ジャージ5000円」普通のサイクルジャージは、車から目立つように、派手な色合いの物が多いですが、恥ずかしいので2色ものです。あれだけ買わなかったのに、この製品を選んだのは、他製品にはないポケットにファスナーが付いてたからです。胸にファスナー付きのポケットが1つあります。背中に他製品同様、3分割されてるポケットがあり、さらにファスナー付きポケットが1つあります。長袖は、僕の場合必須ですし、必要条件をみんな備えていました。これで家内から、「もっとかっこいいのを買ったら」と言われなくなるかもしれません。
2009/09/11
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日曜日「篠山川バイク」から帰宅し、家内と岩盤浴に行ってきました。お盆に、弟家族が母を連れてホテルに泊った時(母はベッドで寝れないとドタキャンしてホテルから帰ってきたけど)、姪が抽選で岩盤浴お二人様ご招待の券を当てました。まだ小1なので、家内にプレゼントしてくれました。そして僕が誘われました。「岩盤浴」なるもの、よく目にするのですが初めてです。家内にどんなものが様子を聞き、受付の方の説明を聞きました。まずは裸になってタオル地の作務衣に着替えます。そのカッコで岩盤浴受付に戻ってきて、部屋に入りました。家内と並んで、支給された石の上にバスタオルを敷いて寝転がります。「何が悲しくて石ころの上に寝なあかんねん」なんて思いながら目をつぶります。新手のサウナですね。汗が噴出して、家内が持って来てくれた水を飲みます。持ち込みはお茶やジュースはダメで、水だけだそうです。事前に電話して聞いてたそうです。エステとかを全く知らない僕では、喉がからからになって困ったでしょう。「サウナならもうそろそろ水風呂の方に行きたいかも」と思って、また水を飲むと、寝てると思ってた家内が起きて来て、「何分経った?」。時計を見ると20分経過。「もう出ようか?」。まだ時間があるんじゃないかな?僕が退屈してると思って言ったんじゃないかなと思って、「まだ大丈夫だよ」と言うと、「もう汗かいたし、時間がもったいないし・・・」だと。で岩盤浴終了です。そのまま脱衣場に向かい、普通の大浴場に浸かりました。「やっぱ、こっちの方がいいわ」これ正直な感想です。
2009/09/10
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r77がJRと離れて行くので、JR沿いのr139に乗り換えです。加古川を眼下にいい感じでJRを渡る踏切があったので、そこで写真をパチリ。線路もパチリして振り返ると、加古川の対岸に巨大な施設。宗教施設です。無税だとどんだけ儲かるんやと思えるような大きさです。しばらく見ていると、小型バスが2台も坂を上って行きました。加古川とJRに付かず離れず走っていると、r294に表示が変わっていました。「黒田」の地名が出始めたので、黒田勘兵衛さんの先祖はここらだなあと思いながら、この山かなあと山容をチラチラ見ていると、「黒田城跡こっち」の看板が目に入りました。寄り道です。でも道が分からず山に入っていき、「荘厳寺」というお寺に行き当たりました。大きな駐車場がありましたが、車ゼロ、誰もいません。山門は閉まっていました。謂れを読むと、650年頃インドのお坊さんが開いたとか。これは古いです。中大兄皇子と藤原鎌足が蘇我入鹿を暗殺した大化の改新が645年。山頂の「黒田城」の館跡に出来たお寺かなと思っていたのですが、こっちの方がよっぽど古いです。本堂は更に上にあるようで、少し上りました。石段が苔むしており雰囲気がいいです。結局黒田城跡は分からずでした。r294を更に下ります。JR黒田庄近くまで来ました。右手に池の真ん中に小さな島があり、鷺が2羽舞い降りたので停止しました。鷺を写真に収めようと構えると、その向こうにいい感じの神社が見えます。Uターンして神社まで戻りました。「兵主神社」・・・兵主は源氏が信仰したと記憶しているが・・・謂れを読むと、源氏の名前は何処にも出てこなかった。でも拝殿に掛けられた写真(奉納されたんじゃないかなあ?)に太平洋戦争当時の戦艦のようなのがあったので、やはり武運の神様であるのだろう。拝殿はかなり大きく、かやぶきの立派な造作です。この拝殿は、784年に作られたと謂れに書かれてあった。何度か作り変えられたのであろうが、この神社も古いです。794年が(「大仏さんが都が京都に移って泣いちゃった」と覚えた、「泣くよ平安遷都」)だから、それ以前からあったということです。氏子中奉納となっていたが、立派な馬の銅像がありました。お腹には桐の紋が入っていたので、徳川さん関係のお宮?なんて思ってしまいました。ここらは、西国から京に上る山陽道の要の播州姫路の勢力範囲です。徳川の天下になり、家康の武闘派重臣本多忠勝の嫡男忠政以降、長く本多家が姫路城主だったから、その影響なのかなあなんて、勝手に想像してしまいます。天皇家も桐紋だし、一般庶民である母の実家も桐だから、ありふれてもいるんでしょうけど、中世の世界を都合のいいように想像してるのが楽しいです。また、立派な牛の銅像が拝殿横に、まるで狛犬のように鎮座していました。農耕の象徴、疫病封じの神様牛頭天王、仏教・・・いろんな歴史を感じます。これだけ立派な神社なんだから、もっと詳しい読み応えのある謂れがあったらよかったなあと少し残念でした。家内との約束の4時に間に合うためには、谷川駅から一気に帰らないといけなかったのに、かなり寄り道してしまいました。まあ、きちんと約束の時間を決めたわけではなく、「4時ぐらいには帰って来てるよ」程度のもので場所も自宅だから、まあいいでしょう。でもここからは一気に帰りました。東経135度・北緯35度が交わる西脇市、JR「日本のへそ公園」駅、JR比延まで加古川を南下し、家内の友達の家の横を通り、r566で東進します。「しら坂トンネル」をくぐりR372を交差し、r311で更に東進、「清水寺」を通り、東条川のところでr141に乗り換え三田市に突入です。JR相野からr309に乗り換え東進、ところが「宝塚こっち」の標識にだまされて右折してしまいR176に乗っちゃいました。せっかくのGPSを、「もう分かる道だ」と電源を切ったところでした。JR広野でr309に乗り千丈寺湖を越えて再びr308で東進、r49で南下、r68で東進、千刈ダムを越えてごちゃごちゃ裏道を駆使して、僕のランドマーク西谷農協大池からr33、最後は中山連山を抜けて帰りました。1時間遅れの5時帰宅でした。結局昼食抜きです。
2009/09/09
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日曜日、早朝自転車から戻ってきて、家内はお出かけし、神戸に行く僕の本日の仕事がなくなったので、野暮用を片付けることにしました。まずは散髪、子供の時からお世話になってるいつものお店で、ご主人や奥さんと話しながら髪を整えてもらいました。バイク出撃のカッコをしていたので、膝プロテクターやプロテクタージャケットを脱ぎます。それをきっかけに、北部の寺社や観光地の話に花が咲きました。続いてホームセンターに乗りつけ、ボルト・ナット・ワッシャを購入です。バイク便ボックスを付けてるキャリアを留めてるボルトなどがなくなってしまって、大きな段差を越えるとがたついていました。駐車場で早速固定します。r13・r12で篠山を目指します。本日のメニューは篠山川に沿って走るr77を、篠山から谷川まで下ることです。r12の御用達GSで給油、今回の燃費は31.9km/Lでした。田舎道や山道を走ってるのに、相変わらず良好な燃費です。高速走ると燃費が悪くなるし、比較的広い道を50~60km/h定速走行しても良くなりません。車の感覚とは随分違います。西峠と古坂トンネルを越えて篠山盆地に入ります。R372を西進し、r77との分岐のところに来ました。ここを直進してr77に入れば、篠山川沿いに篠山城の近くを通って、目的地ですが、あえて左折しR372でR176の交差点まで行ってみる事にしました。「夫婦で自転車」の下見も兼ねて、JR福知山線沿いを走ってみようと思って。古市駅・南矢代駅・篠山口駅の横を走って、住吉台を越えてJR丹波大山駅。この駅で降りる日が来るかもしれない。r77との交差点を今度は迷わず左折します。ここからが本番です。左を走る篠山川の渓谷が深くなっていきます。r77と同じく篠山川にからむJRの線路もいい感じです。でもこの道、車の交通量が適当にあります。バイクなら問題なしですが、自転車はちょっと怖そうです。路肩もないところが多いので、ストップして景色を楽しむ気にもなれません。シャッターポイントが次々現れましたが、止まるのをやめてしまいました。「う~む」と思っていると、すぐにベンチのある休憩場所がありました。迷わずストップして渓谷を観にいきますが、草がぼうぼうで川がよく見えません。「こりゃあかんわ」とバイクに戻り、そろそろ不慣れな地域なので、GPSの電源を入れて今後の道を検討しようとしてると、赤のゼファーさんが止まりました。僕が会釈すると、「こんにちは、どちらに行かれるのですか?」と声をかけていただきました。「恐竜の発見場所を見て、黒田の方まで」と答えました。気さくな方で、京都にお住まいだけど、箕面で仕事を済ませてやってきたとのこと。僕と同じように田舎道がお好きなようで、R176からr68で三田まで西進し、また東進してR372に出てからこっちに来られたとか。ゼファーって750ccなのかな?僕のより一回り大きいです。僕はお茶を飲んでお先に出発しました。すぐに渓谷美が広がり、路肩が広くなったので2度ほどカメラに収めていたら、先ほどのゼファーさんが追い抜いていかれました。ペコリ。すぐに吊り橋が見えてきました。駐車場を備えた川代公園というところでした。お昼を回ったので何か食べようかなと駐車場に入れました。GPSなど金目のものをタンクボックスからボックスに移し鍵をかけ、カメラを持って吊り橋に向かいます。高いところに行くと、足から血の気が引く僕ですが、立派な橋なので怖くなさそうです。スタスタと歩き、一度止まってみます。「あかん、揺れてます」先月の一庫ダムや昨年の洞川のように、歩いていても揺れを感じるのよりマシですが、足がすくんで、手すりを持って進むことにしました。ゼファーさんが、橋の中央で下を見ていました。下に鯉がいました。岩の上にはビキニのお姉さん達がいます。楽しそうです。食べるところがなかったので、先に行くことにしました。左手の川沿いに恐竜発見場所がありました。発見場所にバイクを停めます。車なら近くの駐車場に停めて歩くようになっていますが、バイクはそこまで行けそうです。誰もいないので邪魔にならないので、大きな恐竜の看板の前に停めました。「川床は1億年以上前の堆積岩です」などと丁寧な説明が付いています。続いて、JR下滝駅に寄ります。ここには親子恐竜の像がありました。無人駅でお客さんもゼロ。プラットホームに入り線路を眺めたりして、おトイレを拝借しました。「急ぐとも 外に漏らすな 吉野山 桜の花も 散れば見苦し」、ラジャー。続いて、JR谷川に来ました。ここは大阪から山陰線の福知山駅に抜ける福知山線と、加古川線がぶつかるJRの重要駅です。ここは田舎の駅にしては繁華です。バイクを下りて駅に入ると駅員さんが3名も目に入りました。お客さんも結構います。近在の方というより、乗り換えのお客さんのような感じです。駅前にはタクシーも待っています。加古川線の車両は1両でした。加古川線はどれぐらいの間隔であるのかなと時刻表を見上げると、2~3時間に1本でした。う~む。時間帯によっては、加古川までの中間ぐらいにある西脇に行くのは自転車の方が速いなあ。駅前ロータリーで輪行準備している方がいました。ジオスブルーのクロモリ自転車です。後のタイヤをはずしておられるので、手間だとか変速機の故障だとかを聞きました。慣れると前輪をはずすのと同じで、変速機がおかしくなったこともなしだそうです。神戸から加古川まで輪行し、加古川を遡り、篠山まで行くつもりだったけど、あまりの暑さにここで音を上げたそうです。クロモリ自転車の乗り心地を聞くと、前カーボン自転車に乗ってたそうですが、車に轢かれて壊れたそうで、賠償金でこれを買ったそうな。フレームだけでなんと25万だとか。フルセットなら40万の世界ですね。すげ~。ロードバイク用靴とビンディングペダルをされていたので、普通の靴との差を聞いてみました。「全然違います。勝手にペダルが上がってくる感じで、のぼり坂は特に楽です」とのこと。お~、そんなに違うものなのか。自転車さんに注文済みなので楽しみです。
2009/09/08
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日曜日の「早朝自転車」で、空港に行ってきました。滑走路北の箕面川が猪名川に合流するところから出来るだけ空港から離れないように、交差点があれば空港の方へ曲がり、初めての道を行きます。車ではとても入れない道ですが、生活の匂いがぷんぷんした路地でした。狭い路地に入ってきた場違いな僕を、道に出された縁台に座ってだべってるおじさん達が見ます。軽く会釈して進むと、「ああ、ここに出るのか」と知った道に出ました。空港北の各社整備格納庫や貨物エリアを自転車で回りながら、空港ターミナルビルの方に向かいます。空港からR171に出るとき使う近道が整備され、両方向通行可になっていました。この道は空港に向かう時も楽です。ターミナル東の混んで難儀な右折を回避できます。ターミナルエリアにやってきました。車道は反対向きの一方通行なので歩道をゆっくり走ります。リムジンバス乗り場で行き先や料金を眺め、JALカウンターを歩道から眺めました。まだ7時なのにお客さんが続々とやって来られています。さすがに自転車に乗ったままでは迷惑そうなので、降りて押し歩きです。中にも入ってみたかったけど、自転車を置くところがないのであきらめて帰宅しました。
2009/09/07
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今朝は久しぶりに「早朝バイク」しました。目を覚ましたのが5:45で、「早朝自転車」のお目覚めでしたが、綺麗な「緑の稲穂の上で朝日に光る夜露」も最後かなと思って、北摂里山地帯に行くことにしました。ベースの標高が200mあるので、自転車で上るのは辛いし、遅いので手前の佐曽利カルデラ外輪山を越えるところでタイムアウトになってしまうからバイクです。里山地帯に入ると、季節に関わらず、朝もやのお出迎えを受けるのですが、本日はカラッとしています。まだ9月の初めだから、標高の高いここならまだ緑かなと思っていたのですが、半月前とは大違いで、既に思い実をつけた稲穂が頭を垂れ、田圃の色が緑から茶色に変わっていました。西谷農協でr33から離れ、「宝塚自然の家」を目指しました。r68を越えて、自然の家の方に入るのは初めてです。地図を見ていて見つけたのですが、この道は「猪ノ倉峠」を経て木器に達し、そのまま北上すれば、r323を越えて「下槻瀬」でr37に合流します。このルートが開拓できれば、「夫婦で自転車」で車の通らない道を経由して「十倉」の田園地帯に行けます。期待していたのですが、r68を越えていきなり急坂でした。バイクだから平気ですが、自転車では・・・自然の家は案外近く、すぐにそこに達し、「さあこれから峠越えの本番だなあ」とちょっとワクワクしたと思ったら、舗装路が切れ地道になっていました。路面は引き締まっていたのでVTRでも平気でしょうが、さっきの急坂で「僕らの自転車で入る道じゃないな」と結論を下していたので、Uターンすることにしました。r68に戻り、東進してr319で北上し、r323に乗り西進して大坂峠を越えました。大坂峠のところは、道が細くなり、坂が急で見通しが悪いので一気に通過していましたが、今日は止まってみました。峠の名称などは何処にもなく、お地蔵さんがいるだけでした。夜走ると、道の危険さも相まって、「出る」というウワサも納得なとこですが、このお地蔵さんの謂れがそのウワサの根源なのかなあ・・・あんて思いました。この謂れは、知りたくないですね。木器に下り、羽束川を越える手前の立派なお屋敷の横を右折します。この道、羽束川より少し標高が高く、南西の羽束山と羽束側沿いに広がる田園風景がいいんです。羽束川を挟んで対岸の山の中腹に建つ蓮花寺の塔もいいし。僕のビューポイントで一旦停止し、景色を堪能します。ここ、朝がいいから、家内に見せられずにいるのが残念です。羽束川を渡りr37に合流します。たまに寄る道の駅のようなところを左折し山に入ってみました。自然歩道にあるような道標が立ち、「こっち・・の森」とか書いてあります。うろうろ回りましたが、どこも最後は歩きでないと行きつかないところばかりで、本日の収穫はありませんでした。r37を更に北上し、高売布神社に寄りました。ここも僕のビューポイントで、少し下に見渡せる田園風景もいいし、羽束川を挟んで東にそびえる大船山が、朝日を遮り、雲とかの関係で、このぐらいの時間でも後光が差すような素敵な表情を見せてくれます。時刻は7時ですが、高売布神社は大船山の影で、日の出はまだです。のんびり神社の謂れをまた読んでると、木造の狛犬さんが国の重要文化財で、作られたのが1297年だとか。イヤサンザンヤ1338年の室町幕府成立前夜ですね。足利尊氏、楠正成、新田義貞などの御家人武士と一方の主役で南北朝時代を演出した後醍醐天皇が縦横無尽に活躍した時代です。「太平記」です。この高売布神社、いまは荒れに任せている感じですが、大船山の山容を正面に見て、素晴らしいロケーションです。謂れによると、多田源氏のこの地区の惣社とのことで、多田源氏といえば歴代武士政権全ての祖清和源氏の本流なので、そうそうたるメンバーが庇護し訪問したことだろう。足利氏も新田氏も祖は清和源氏、楠正成は平氏だったっけ?・・・なんて考えながら読んでると、無性に木製の狛犬が見たくなって境内をうろうろしました。何度もここに来てるけど、見たことありませんでした。拝殿周り・・・拝殿の裏から本殿周りを探索しましたがいませんでした。まあ、木製の国重文なんだから、雨露のかからないところに保存されているのが常識ですね。初めて本殿の裏に回りましたが、桧皮葺のこれも国の重文で1513年に再上棟されたとか・・・こちらも僕よりはるか年上の500歳かあ・・・あんまり素敵だとは思えませんでしたが、珍しい石の狛犬さん拝殿の後ろ、本殿を守るようにいました。「夜露の緑の稲穂」は見れませんでしたが、すがすがしい朝になりました。ここから一気に帰宅し8時過ぎ、家内が用意してくれていた桃を食べ、仕事の支度をして、スクーターに乗り換えて通勤の人となりました。
2009/09/05
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朝日新聞記事『霊長類学孝二長谷川寿一さんはせがわ・選しかず東大大学院総合文化研究科教授。チンパンジ十の個体群の研究などで知られ、著亭に「進化と人間行動」など。サルとは違う人間らしさをアフリカ・タンザニアで日本の霊長類学者たちは40年余りチンパンジーを観察しています。その結果、群れで序列1位の雄が好物のイノシシや鹿の肉を手に入れた時、分配方法に三つの競則があることがわかってきました。まず、ライバルである第2位の雄には、絶対に渡さない▽若い雄にも配らず、機会あるごとに攻撃する▽自分を支持する者にだけは与える。チンパンジーも「政権」維持のため、いろいろと術策をこらしているのです。序列1位の雄に対抗するため、2位と3位の雄が手を組んで攻撃することもあります。これも人間社会の勢力争いと似ていると感じられる部分です。ただ、チンパンジーの社会では、二つの集団はいつも敵対関係にあります。ある群れ潮別の群れの縄張りに入り込めば争いとなり、場合によっては殺し合いになる。チンパンジーのリーダーの要件は、集団内でも他集団との関係でも、力で勝つことなのです。チンパンジーと比擬して、人間が人間らしさを発揮するのは、どのような部分か。それは、別の集団(外国)との争いを避けながら、利害を調整する能力や、他人と力を合わせ、現状を改善していく創造力。そして、強い者の暴走を抑え、弱者を思いやる力---これらの特性がサルと人間を隔て、人間社会のリーダーに必要なものです。たんなる勢力争いなら、サルでもできますから。』僕は、最近多い複数政党の議員が集まって討論する番組が好きではありません。自分の主義主張を、大きな声で、相手の意見に平気で口を挟みながらしゃべるのが、聞くに堪えられないからです。「いい大人が・・・」と思ってしまいます。今朝の新聞に、野党になる自民党の有力議員が、「民主党との対立軸を・・・」と語ったと書いてありました。少し前まで、野党だった民主党議員が盛んに口にしていたことです。「多くの同感する部分があると思うのに、なぜ対立軸ばかり言い合うのだろう」と疑問に思います。小さなクラブや同好会組織では、いろんな意見が出る中、共通点や妥協点を見つけ、お互いに妥協しあって無難な落としどころで合意し、運営していきます。小規模事業所だって同じで、企業倒産の8割は内部崩壊からと言われるように、妥協のないお互いの意見の主張のし合いなら、組織そのものが倒れてしまいます。僕の小学校時代の学級会の方が、国会よりよっぽどましでした。人の意見中に、野次を飛ばす子なんていませんでした。採決に牛歩戦術を取る子もいないし、審議ボイコットして教室を出て行く子もいませんでした。僕は民主党に1票を入れたけど、数を頼りに審議時間を削って強行採決することをして欲しくないし、自民党には健全野党のお手本を見せて欲しい。
2009/09/03
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今朝も「早朝自転車」をしました。どうやら僕の身体も日の出の時刻に反応してるようで、最近は5時頃に目を覚ますことがなくなり、6時ごろになってきました。寝る時間は同じようなものなのに不思議です。5時なら「早朝バイク」なのに、もう10日ぐらいバイクに乗っていないかもしれません。今朝も、日曜日に続き、箕面に行ってきました。日曜日に家内と箕面に行った帰り、r9を池田に向かっている時に、「これは旧道じゃないのかな?」という気になる道があったからです。交通・物流手段の主役が車になり、道が拡張されます。でも民家などで拡張余地のないところは、そこを迂回するバイパス道が作られます。r9も新しく見通しのいいそういう道でした。途中で斜めに集落に向かう道がありました。しばらくすると、同じ方向から合流する道がありました。「あの道はここつながってるんじゃないかな?」とピンときました。僕の好きな寺社は、こういう道沿いにあります。そしてこういう道は狭いので車に厳しく、自転車・歩行者に優しいです。「快速を飛ばす」ことや「目的地に向かう」ことじゃなくて、道中に見つける心惹かれる景色や花、寺社を訪問しその謂れを読んでそこの歴史に触れるのが目的の僕には、こういう道こそ重要です。気になってた道に入ってみました。予想通り、旧道でした。立派な門構えの旧家も数軒ありました。ワンちゃんと早朝お散歩の方々、朝早くから畑の手入れをされている方、通勤のためなのかネクタイ姿で自転車で急ぐ方がいました。古代から延々と続けられている人の営みですね。そして、この道に面して小さな祠を見つけました。鳥居も拝殿もないので一旦通り過ぎたのですが、どうも気になって戻ってきました。畳2畳ほどの小さな祠ですが、ちゃんと囲いがあって、石に何か文字が刻まれています。地面は掃き清められているので、地元の方が丁寧にお守りしているようです。「この祠は何なんだろう?」入口に謂れが書かれたA4の紙の束がぶら下がっています。読んだけどよく分かりません。「大阪城落城以降・・・広がった・・・」大阪の戦役で落命された方の霊を鎮魂するために各地に立てられたのか・・・これを書きながら、どうにも知りたくなりました。あの謂れの紙をいただいて来るべきでした。また行かなくっちゃ。
2009/09/02
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日曜日、次男君を送って家に戻ると12時過ぎでした。まだ半日、時間があります。「夫婦で自転車」をすることにしました。昼食を家で食べるかどうか迷いましたが、出先でもっとお腹を減らしてから食べることにしました。本日の自転車メニューは、「箕面の滝」です。大雑把に、R171の猪名川軍行橋のところに合流する猪名川の支流箕面川を遡るルートで阪急石橋から阪急箕面に行き、そのまま箕面川沿いの歩行者ルートを箕面大滝まで上る。帰路は、箕面山・五月山の麓を西進し池田に出て、池田城などを見てから帰宅と決めて出発です。地図音痴の家内は、いつも知った道ばかり使うので、近所でもあまり知りません。「これが箕面川。この上流に箕面の滝があるよ」と、走りながら箕面山を指差していろいろ教えます。軽い上り基調の道を基本川を遡り、阪急箕面線に出ました。箕面駅に向かって線路沿いを走り、難なく阪急箕面駅に到着しました。ここから滝に向かって山登りコースです。車なら、r43を上るのですが、自転車であの道は坂がきついし、車が多いので危険です。多分自転車なら走れるだろうと、駅の山手から続く、川沿いの歩行者道を上り始めました。さすがに観光地なので、みやげ物屋や食堂が両側に並んでいます。昔は何度か来ていた箕面温泉が随分高いところにあります。車だったから高さに無頓着でした。両側にみやげ物屋さんが並ぶ筋を過ぎ橋を渡ると、そこに自転車・単車駐車場がありました。「ここから坂がきつくなるから」なんでしょう。係りの人がいて、後ろからやってきた車を止めて、ここから車は行けないことと、車で上がる道、それに駐車場のパンフレットを渡して場所を説明しています。自転車も走行禁止で僕らも止められるのかな?と思いましたが、自転車はOKでした。小学生の時の遠足で来たように思いますが、川沿いの道は大人になって初めてです。斜度が急なら押し歩きだなあと覚悟してきたのですが、それほどの坂はありません。家内でも足をつくことなく上がれました。下界の景色は望めませんが、木々が生い茂り涼しいです。箕面川の清流には、たくさん人が降りて、水着の小学生が遊んでいます。心配していた観光客の多さですが、あと1~2ヶ月すると紅葉狩りで観光客が多くなりそうですが、なんとか走ることができました。でも、歩行者に気をつけてをスピードは出せません。追い抜く時は「右側を通ります」などと声を掛け、「すいません」とお礼を言いながらの走行です。滝まで行くと、滝近くの駐車場からの車のお客さんもいるからと、途中にあるお店でカレーを注文しました。阪急箕面まで家から1時間ぐらいだったので、随分遅い昼食になりました。いつもならもっとあっさりした食事を取る家内ですが、僕と同じカレーです。自転車に乗るときは、エンジンが自分自身なので、燃料補給のために食べないといけません。自転車はエコで財布に優しいといいますが、燃費がいいのかどうか?標高200mの滝まで上がってくると、下界より少し涼しいです。滝は昔より水量が少ないみたいです。水しぶきがかかることはないです。上流にダムが出来たからでしょうか。自転車との写真を写し、カキ氷を食べて中からも涼しくなりました。ここからは帰路です。基本下りなので気が楽です。ハンドルの上にビデオをセットし、前を走る家内を追いかけます。上りと同様、歩行者に声を掛けながらゆっくり下ります。阪急箕面からr9で西進します。山の麓を走ってる道なので、時折上りもあります。上ったご褒美の下りを満喫する道じゃないので、往路と復路のルートをチェンジした方がよかったかもしれません。復元された「池田城」を見学しました。南北朝時代から室町時代末期にかけて、細川氏の下で摂津北部を守護した池田氏の居城です。池田氏の内紛に乗じて覇権を握った荒木村重が、伊丹に居城を変えて廃城になったそうです。五月山の南麓の高台にあり、池田市・川西市から大阪平野を一望できます。阪急池田まで下り、「ラーメン博物館」に寄りました。日清食品の創業者安藤百福さんが、ここで世界初のインスタントラーメンを発明し研究しました。ラーメン博物館では、世界でたった1つのマイカップヌードルが作れますが、自転車で荷物になるので、本日はパスです。観光客さんは、誰も気に留めていませんでしたが、博物館正面の家が安藤さんとなっていたので、まさにここだったのですね。弟の中高時代の仲のいい級友に安藤君がおり、百福さんの長男さんの長男さんだったので、今は社長さんでもしてるのでしょうか?この家の主なのかもしれません。我が家にも何度か遊びに来ていて、僕も会ったことがあります。安藤さんの敷地を覗きながら、ミーハーしてました。次に「呉服神社」に参拝しました。中国から渡来した織物の女性職人さんを祀ったお宮です。ここから織物が全国に広がって行ったのですね。当時中国を支配していたのが「呉」の国で、呉服媛(くれはとりのひめ)・穴織媛(あやはとりのひめ)が渡来したとか。「呉服」や「織物」の語源は、ここにあるようです。ちなみにこの神社の名前は、「ごふく」ではなく「くれは」です。近所の猪名川にかかる橋は「呉服橋」です。ところで、我が家のお隣さんは「穴織さん」なのですが、由緒のある苗字なんじゃないかなあ。そこから猪名川河川敷を、追い風で快調に下り帰宅しました。「夫婦で自転車・箕面の滝偏」は、総時間4時間半。走行時間2時間少々、走行距離30km弱でした。平均速度は、滝道の上り下り共の鈍足の影響で、12km/hでした。その後僕だけ自転車屋さんに行き、3ヶ月点検を受けてきました。僕のスポーツ自転車生活も、4ヶ月を越えました。そしてとうとう「ビンディングペダル」に挑戦すべく、専用靴を専用ペダルを注文してきました。ロードバイク用の硬い靴は、僕のようなしょっちゅう停まって寺社観光する者にとっては、歩行が困難なので向かないそうです。お勧めのマウンテンバイク用の歩ける靴にしました。ほんとは、自転車にセットしてもらい、使い方も実地で教えてもらおうと思ってたのですが、お勧めの表面がビンディング用で、裏が普通の靴用のビンディングペダルがちょうどさっき売り切れたそうで、次回にお預けになってしまいました。「すいません、さっきの方で売り切れました」僕が着いた時、店の前で店長さんに何やら声を掛けられながら練習していた方がいました。まあ急がないので、全く問題なしです。他店を回るようなことはせず、何でもかんでもこのお店でお世話になります。素人の僕たち夫婦がスポーツ自転車に乗って行こうと思うと、僕たちの履歴を知ってくれて何でも相談できるプロが必要です。安いとこで買ってきて、自分でセットして、自分でメンテナンスして・・・というのは僕には無理です。ほんまはチェーンの油差しぐらい自分でやらないとダメなんでしょうが、何もしていないので、今日の点検で店長さんがみんなやってくれました。「特に問題ないですよ。また奥さんとお越しください」「はい」でした。お店で珍しいものを見つけました。僕が中学生の頃乗ってたセミドロップハンドルの自転車です。前にダブルライトが付き、バーの上にオートマチック車のシフトレバーのような変速機・・・荷物置きの下にウインカーが付いていないのが僕のと違うだけでした。「懐かしい」店長さんに聞くと、なんと新車なんだそうです。廃業した自転車屋さんの倉庫に眠っていたものがオークションに出品され、お客さんが手に入れたそうです。整備してもらおうと、お店に持ち込んだのかもしれません。後からやってきた高校生ぐらいの青年が、「何コレ、カッコいい」とえらくご執心です。何でも「20世紀少年」という映画に、この自転車が出てくるそうです。「お~、まさに僕は20世紀少年だったからなあ」大学生風の子が、ヤマハのR1というバイクで乗りつけました。ヤマハのバイクは、デザインがカッコいいです。600ccぐらいのエンジンが載ってるのだろうか?
2009/09/01
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