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本日は、早朝自転車をやんぺして早朝バイクにしました。もうすぐ6月です。6月といえば「ジューンブライド」ではなくて、「ホタル」の季節です。去年、西脇の畑谷川でまさに「乱舞」を楽しませてもらって、今年も計画しています。今年は三田の羽束川が第一候補です。ここは下見バッチリなので、他も探ってみようと、猪名川町の槻並川と阿古谷川の探索です。この2つの川に沿う道は、里山ポタポタに最高の道で、いかにも出そうです。いや、いそうです。今までは、「ここ、いそうだな」程度でしか見ていなかったのですが、家内をエスコートするには「きちんとした下見をしとかなくっちゃ」ということで、バイクで出発です。自転車だと始業までに帰って来れないし、車だと細いところに入っていけないし停めるところも面倒です。定番ルートの長尾山トンネルを通り北摂里山地域に入ります。r33で西谷、r68で「道の駅いながわ」、r12を右折して屏風岩で槻並川を遡ります。川の流れを追いながら、畑の真ん中を通るところじゃなくって、片方が山のようなところを探します。ホタルは、風のない、月の光が少ない、曇りの蒸しっとした日に良く飛ぶそうです。去年は、天気予報をチェックし、「今日かな」という日に行って大正解でした。ホタルさんの乱舞を見ながら、川にかかる木にたくさん止まってることを学びました。そういうところにたくさんいました。「なるほど」、片面に山が迫れば、それで光が遮られ、さらに風も遮られます。天気だけじゃなくて、地形でも同じような状況が作れます。槻並川をゆっくり遡り、いつもUターンするところより上に行ってみました。「ひょっとすると長谷の棚田の方に抜けられるかもしれない」と思ったからです。地図上では道があります。槻並の集落の背になってる山の北側斜面が長谷で、有名な棚田があります。長谷を北に下ると、r603に出て、それを南下すると阿古谷集落を通って紫合に出ます。「行けるかも」「行けるかも」と山を登って行くと、一気に1車線もない道路になってしまいました。しかも結構な勾配です。四輪同士はもちろん、四輪と二輪でも離合できそうにありません。コンクリート舗装されてるようですが、轍以外落ち葉だし・・・やんぺです。下手に入っていって、Uターンする羽目になったらまたこかしそうです。ここを長谷まで越えられれば、コースレパートリーが広がります。長谷の棚田の頂上はここよりもっと標高がありそうだから、長谷の方から挑戦してみましょう。行けそうな気がするんだよなあ。最初はバイクを停めて徒歩探索が安全かもしれません。行けるなら細いから車が入ってこない道なんじゃないのかな?写真を数枚撮って、元来た道を下ります。素盞鳴(すさのお)神社でチャリンしてお参りです。小さな社ですが、銘文によると歴史は古く、槻並集落の社として継がれているようです。小さな社を覆うようにかやぶき屋根が掛けられ、さらにかやぶきの痛みを防ぐように金属屋根が覆っています。「牛さんはいるかな?」と見渡しましたが、この社にはいませんでした。いろんな寺社の謂れを読んでると、いろんなところで読んだものがつながって、古代から続く流れがパッと目の前に現れる時があります。素盞鳴神社って、もちろん日本書紀、天照大神の時代のすさのおさんを祀っています。日本全国いろんなところにある素盞鳴神社は、元々すさのおさんを祀っていたのではなかったそうです。多くの社が、牛頭天王を祀った社で、牛頭天王は疫病の神だそうです。日本の歴史的には、天皇が中心に回っていたのでしょうが、一般庶民にとっては天皇さんより自分達の健康の方が大事です。明治時代に入るまでは、「てんのう」と言えば「天皇」ではなくて「天王」を指したそうです。なんで牛頭天王さんが、疫病の神様かどうかしりませんが、仏教と神道がくっついた神様だったそうです。明治時代になり、天皇を神格化して天皇中心の強力な中央集権国家を作るために、神仏分離政策の下弾圧されたそうです。そこで多くの社が天王から天皇に鞍替えして存続したそうなんです。仏教の故郷インドで、牛さんが神格化されているのが日本にも伝わったのでしょう。その土地の歴史家が書かれたであろう銘文や謂れ文を読んでると、こういうのが頭に残り、そこから少し調べたりすると、とても楽しいです。各地に「天王」という地名を見つけると、「ここに天王さんの社があったんだなあ」とか「きっとあるぞ。この○○神社がそれかなあ」なんて。「愛宕山」は「火の神様」で、戦国時代は「勝利の神様」にもなり、ここの愛宕山は○○武将さんが保護したとか。えらく脱線してしまいましたが、ここの素盞鳴神社には牛さんはおらずでした。石の鳥居を出てくると、目の前の槻並川がコンクリートで護岸工事されています。「あちゃ~」コレより下流は、ホタルがいないかも。上流にも影響があるのでしょうね。都会で、コンクリート護岸での水質悪化が問題視され、護岸の幅を広げ、石と土で自然護岸のように戻すことで水質が劇的に改善されてるのに、とてももったいないです。でもこんなことを考えること自体、都会人のエゴなのかもしれません。屏風岩手前まで戻り、一時ダイオキシンで話題になった猪名川町のゴミセンターへの道に入ります。それを越えるとr603です。r603を北上しながら、阿古谷川を探索です。こっちの方が、山に迫った川筋が多く、ホタルがたくさんいそうです。でも車を停める場所に難儀しそうです。蛍狩りは、それなりの時間に来たら、人や車の固まり具合でホタルポイントはすぐにわかりますが、去年の畑谷川のように道路に余裕がありません。う~むです。そのまま北上し、長谷を横目にr602に出て右折、杉生の交差点でr12を南下、うちのお墓を過ぎてr323、r319、r33で帰宅しました。
2009/05/30
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そして外観で一番変わったのは、バイク便ボックスです。この写真の時は、エンジンガードもメーターバイザーもつけていなかったようです。最初は、バイクによくくっつけてらっしゃるGIVIボックスをつけようと思っていたのですが、そのボックスを付けるためにリアキャリアを付けなければなりません。シート後方に付ける小さなキャリアの方がかっこいいし、他のバイクはみんなそんな感じなので、それを買おうと思ったのですが、対応重量3kgというのを知り、長く使ってると折れるかもしれないと思ってやめました。段差などで上下に揺れる時、キャリアの前側だけでバイクにくっついてるから、ボックスの中身が重いと、かなり装着部ステイに負担が掛かりそうです。数年使ってると、金属疲労を起こしそうです。走ってる時にコレが折れてボックスを道路に落としたら、僕は大丈夫でも後ろの車やバイクの事故につながりそうです。僕は、日頃の点検をまめにする方じゃないので、やめときました。こうなると、VTR用に出てるのは1つだけです。キジマ・リアキャリア・BOX用。2人乗りする時、後ろの人が足を置くステップにキャリアのステイをくっつけます。バイク便用だから、後に人を乗せることはないからOKなんでしょう。フレームも太めで強度はバッチリです。かっこ良さと実質のどちらかを選ばないといけない時は、いつも実質を選ぶ性質なので、全然問題ないなと、バイク便仕様にしました。これで、2人乗りができなくなりました。高校時代、女子を後に乗っけて走る友人がうらやましくて仕方がなかったです。あれが出来るかもという不順な動機もバイクの免許を取るエネルギーになりましたが、もうあれが出来ません。でも女子との密着度に憧れる年齢でもないし、家内しか乗ってくれないし、家内にさえ敬遠され操舵し・・・家内を乗っけてこけたらと思うと、僕自身家内を後ろに載せられません。家内との時は車を選択です。バイク便ボックス(JMSビジネスボックス・ラゲージBOX・M)を購入しました。黒と白がありましたが、白の方が夜車に視認してもらえるかなと思って、白にしました。鍵もついており、雨も入りそうにない構造なのでいいです。JMSさんに電話して、車種VTRとキジマキャリアのことを伝えると、デフォルトな位置に底穴を4つ開けてくれました。バイクを停めていて、ボックスを持っていかれると困るので、キャリアとボックスをくっつける方法を、ちょっと工夫しました。ホームセンターでボックスの縦の長さほどの穴あきステイを4本買ってきました。それぞれにゴムを貼り、ボックスの底にもゴムを貼りました。ボックスとステイ、キャリアが振動で擦れて痛まないようにです。下から、ステイの穴、キャリア、ボックスの底の穴、ボックス内側のステイの穴の順にボルトを通し、ボックスの内側から蝶ネジで固定しました。内側からしかボルトをはずせないので盗難対策にいいです。内側を蝶ネジにしたのは、工具ナシで簡単にボックスをはずすためです。もし外で1晩置いとくような時があると、ボックスごと室内に入れることが出来るし、キジマキャリアを付けると、それをはずさないとシートがはずせず、シート下のバッテリーまで行きつけないからです。少しでも楽なようにと考えました。今は、ボックス上部に、車のライトが当たると赤く光るプレートをつけています。更に真っ白で味気ないので、後ろにはヨット乗りでしか分からない、国際信号旗のステッカーを貼り、横にはこれまたヨット乗りでしか分からないノースセイルというヨットの帆のメーカーさんのステッカーを貼っています。このボックスのおかげで、どこでも一発で自分のバイクが分かるへんてこ仕様バイクが出来上がりました。プロ以外で、こんな収納力の有るバイクに乗ってる人は見たことがありません。カブにもっとでかいボックスをつけて走ってる人は見ました。こんな四角いボックスを付けてまでバイクに乗りたくない方が一般的なんでしょうが、カッパ・雨用手袋・工具・軍手・ワイヤー錠・バイクカバー・パン・ペットボトルがいつでも入ってます。長くバイクを離れる時は、タンクバックまでボックスに入れています。仕事の会合にVTRで出かけた時は、ワイシャツとネクタイ・スーツまで入ってました。もうお笑いの世界かもしれません。教習所で乗ってたCB400は、こかした時立てるのが大変だなと思って、最初は250ccからがいいと思ってVTRを買いましたが、故障ゼロでいつもイグニッション一発点火で、とても気に入っています。僕は、車でも急発進急停止しない、車間距離を開けて走る人で、高速道路でも80~100km/h巡航なので、250ccで十分だなあと思うようになっています。燃費は、今までの最低28km/L・最高35km/Lで、コンスタントに30km/L行くので経済的です。急加速しないので、高めのギアにすぐ入れてしまう運転です。時速40km/hでトップ(5速)に入れちゃいます。燃費で不思議なところは、高速道路を75~80km/hで巡航しても、燃費が変わらないところです。里山を40km/hぐらいでトロトロ、さらに山道をボチボチ走っても、高速巡航でも一緒というのは変なバイクです。今年はバイクを買った時の目標だった淡路島一周をやってみたいと思っています。
2009/05/29
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バイクに乗り始めてまだ1年も経っていませんが、いろんなところに行きました。車では敬遠するような道にも、バイクなら平気で入っていけます。風を感じ、匂いを感じ、気温を感じ、雨に打たれ慌ててカッパを着込んだこともありました。自然を肌で感じることが出来、目に付いた気になったところがあれば、止まってそこらをうろうろ。車なら、目的地に行く手段という感じだったけど、バイクはヨットと同じように道中が楽しいです。少し違うな。ヨットは操作が楽しい。バイクは、不案内な山の中の細い道や急勾配の道に入るので、「これはあかんわ」とUターンする時にバイクをこかしてしまいます。原付通勤うん十年で、1回もこけたことがなかったのに、VTRでは乗り出した晩夏から冬で3回もこかしました。一旦ストップしてからの坂道Uターンで2回、バイクを下りる時スタンドが十分出てなくて1回、ほぼスピードゼロの時だからゴロンというこけ方なので怪我などなしですけど。そういえば、今年の入ってこけてないかもしれません。慣れてきたのかな?バイクで出会ったスポーツ自転車に興味を持って、初心者用のロードバイクを買って、毎朝乗るようになりました。新型VTRに乗っていらっしゃる「山は緑」さんの日記に刺激を受けて、僕仕様にしたものの使い勝手などを書いてみます。僕は、バイクでの道中や感じたことを日記に書いてるけど、使い勝手などを書いてる「山は緑」さんのは参考になります。まあ僕が書いても、参考にする人なんていないですが。まずバイクの写真をば。バイクで出かけた時の写真もたくさん撮ってるのですが、案外自分のバイクを写した写真が少ないです。この写真は、昨年9月のだから、まだ乗り出して1ヶ月というところ。琵琶湖を半周した時のもののようです。去年の8月は、ホンダバイクのラインナップからVTR250は落ちていました。その前年に生産中止になりました。バイクの普通免許(400cc以下のバイクに乗れます)を取って、バイク屋さんに行き、「初心者で力なし」を言ったら、2台のバイクを勧められました。1台は店長さん自身が乗ってるモタードタイプ。またがったら座席が高くて怖くてやめました。次に紹介してくれたのが、このVTR250でした。まだ800kmしか走っていなくて、「これいいですよ。4年落ち車体ですが、あまり乗られていなかったようです。経年劣化はあるけど、どこも痛んでいないお買い得車ですよ。初心者だったら、機関系トラブルが発生する車両はやめといた方がいいですし・・・」とのことでした。1日考えて、翌日電話で買うことを伝えました。ノーマル仕様から追加したのは、ヘルメットホルダー(PMCヘルメットロック)、タンクバック、バイク便ボックス、エンジンガード、後輪泥除け、メーターバイザー、ハンドルアップスペーサー。変更したのはハンドブレーキ・ハンドクラッチレバーの角度、フットブレーキ・フットギアチェンジレバーの角度です。この変更は、バイク屋さんにやってもらいました。タンクバック(デグナー可動式吸盤タンクバッグ)は、上部がクリアで、地図を入れるところがハンディーGPS(サンヨーミニゴリラ)を入れるので深いものを選びました。使い勝手は満足レベルですが、運転してる時は少し下を見ないと画面が見れないから車のようにはいきません。GPS指示音声を最強にしてるのですが、高速道路では聞き取りにくいです。「ポン」と音声指示の前に音が鳴るので、高速では運転が楽なので、音がなるとちょっと下向いて画面半分にでっかくなる交差点映像を確認します。僕が買った時は、このタンクバックは吸盤式しかありませんでした。吸盤だからいつかあかんようになると思ったのですが、地図を入れるところが深いタンクバックはこれしかなく、仕方なく選択です。その場で、店員さんにタンクにくっつくか試してもらいました。最初はこれで良かったのですが、VTRに慣れてきてカーブで少し傾きを大きくして曲がれるようになると、たまにバックがズレるようになりました。前側についてる紐をハンドル軸に回すようになってるので、落っこちることはありませんが、やっぱり嫌です。そこで現在は、ヨット用のブルーのケブラーのシート(紐)で、燃料タンクの下のフレームと結んでいます。ガソリン補給の時、紐をはずすのが面倒だけど、コレで満足です。エンジンガード(ブロスマン・エンジンガード)は、1回こかしてから、やっぱり必要だなと思って購入しました。写真では格子のフレームから下に伸びてるパイプです。このパイプがエンジンの下を回って反対側のパイプまで伸びています。丸い椅子の足につけるようなエンジンガードが主流のようですが、僕にはもっと大きなものがいいと思いました。教習所のバイクのようなのがいいかなと思っていたのですが、VTR用のが出ていなくてコレにしました。コレも満足です。後輪泥除け(セイコークラフト・リアインナーフェンダー)は、後輪で跳ね上げた泥でシートの下に汚れるのを防ぐために購入しました。後輪タイヤの上を覆ってる黒いヤツです。VTR用のものだから、素人でもネジ止めだけで簡単にくっつけられました。高速で時速80kmになると、前からの風がすごいです。だから大体80kmほどで走っています。速い大きなバイクに風防がついてる意味がわかりました。バイク用品屋さんに、ウインドスクリーンなるものが売ってましたが、ホンダ純正のメーターバイザーというのを買いました。写真では隠れて見えていません。他社のメーターバイザーより小さめですが、ぶっ飛ばすわけじゃないからコレで十分かなと思ったのと、メーカー純正だから確実に素人でも着けられると思ったからです。でも長いドライバーがないとうまくつけられず、バイクを買ったところでドライバーを借りようと思ったら、「やったげるよ」と無料で朝飯前な感じでくっつけてくれました。くっつける時、一旦ライトをはずすので、その後のライトの位置を元に戻す作業もあり、バイク屋さんに行ってよかったです。ハンドルアップスペーサー、1世代前のVTRよりは前傾姿勢が改善されたとなっていましたが、まだきついと思ったので、バイク用品屋さんに相談するとコレを紹介してくれました。上に25mm・後に20mmだったけ移動しています。でもこれをつけたことで、ブレーキワイヤーなどがキチキチになり、安全のためワイヤー類も交換してもらいました。コレと、ハンドブレーキレバーとクラッチレバーの角度調節で、随分と楽な姿勢で乗れるようになりました。以前は、2時間ほど乗り続けて、ゴー・ストップの多い都会に戻ってくると、掌がしびれるようになっていました。これでまだしんどかったら、次は握り幅を調節できるレバーに交換したらいいと、アドバイスをもらいましたが、その後は全く快調です。その後は、全く快調です。
2009/05/28
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日曜日、自転車で篠山を走ろうと思って、2台の自転車を積んで出かけたのですが、篠山に着くと雨が降ってきて自転車を断念しました。そして向かった先が、「立杭焼」の里です。陶芸センターみたいなのがあり、そこに車を止め入場料を払い入ってみました。窯元の無人の小さなお店がたくさん入っていました。お皿・お椀・花瓶からふくろうの置物までありました。一通り回った後、「ねえ、ケーキ食べない?」と言われて、食堂のある建物に入りました。先々週の母子の売店にもあった「黒豆ソフト」も売っています。あの時は暑かったから食べたけど、雨で肌寒いので本日は素通りです。家内はケーキセット、僕はそば・ご飯・お魚の定食を食します。なかなかうまいです。地元の高校生風の子達が店員さんをしていました。地元の特産焼き物の紹介と地元の人の雇用対策を兼ねた施設なんでしょう。お昼の時間を過ぎていたので、お客さんは僕ら2人だけだったけど、真面目そうなお兄さん・お姉さんでした。車に戻ろうと階段を下っていると、「あれ、見て」と家内の指差す先には「昆の村」という看板が。大村昆の別邸が一般公開されてると聞いたことがあります。車に乗って行ってみることにしました。陶芸センターの横という感じで、わざわざ車に乗る必要もない距離でした。空き地のような駐車場で車を止めて、下に見える昆の村に行こうと歩き出すと、「DATSUN三輪トラック」が違和感なく置いてありました。あまりに違和感がなかったので通り過ぎたら家内から、「これ懐かしいよ~」「懐かし~」と中を覗くと、「てるてる家族で使っていたものです」と書いてありました。僕らが小さな頃、この三輪トラックは主役でした。「昆の村」と言っても、池と建物が2棟建ってるだけです。でもここは昭和レトロの世界でした。木造の建物の壁には、懐かしい看板だらけです。由美かおるが足出して微笑んでるし・・・この看板、当時は真面目な男子に衝撃だったでしょう。もちろん大村昆のオロナインもあるし、大塚のボンカレーもあります。手動ポンプ式井戸、木製手動脱穀機・・・開いてなかったけど駄菓子や風の「昭和博物館」みたいな建物を覗くと、懐かしいグッズでいっぱいです。三輪ミゼットが置いてあります。家内が「鈴木オートって書いてあるけど、映画のじゃない?」と指差しています。ピラーが取れてるけど、まさに「三丁目の夕日」の撮影で使われたミゼットだと説明が書いてありました。大昔見たことがあるもう1台の四輪車には、「乗ってもいいよ。でもドアを閉めないで」みたいな但し書きが書いてありました。ドアをガンガン閉めてたら、絶対壊れそうです。もちろん乗り込み、写真を撮ってもらいました。「昆の村」の入口に「動物園がある」ように書いてありましたが、どうやらここがそれのようです。でもワンちゃんが2匹いるだけで、家内がほえられてびくっとしてました。そのワンちゃん、大村昆の何かの宣伝で見た風な白いワンちゃんでした。多分ボンカレーじゃなかったかなあ。もちろん本人?本犬が生きているはずもないので、似た犬を飼ってるのでしょう。食堂の建物に入ると、職員さん?のおっちゃんとおばちゃんがいました。売店では、懐かしい丸い玉の風船ガムなどが売ってました。これ、まだ作ってるのですね。映画のポスターなどが壁一面に貼ってありました。今度は母親を連れてこなくちゃな。僕よりもっと昭和にどっぷりの母だから、大喜びするでしょう。コレはね、あ~だこ~だの薀蓄を聞いて上げましょう。駐車場に戻って三輪トラックをもう一度覗き込みました。窓の内側に掛かってるボードの裏には、「本日、昆ちゃん来ています」と書いてありました。ラッキーな日だったら、大村昆さん本人と記念撮影が出来るようです。家への帰り、子供達にも写真を送ろうかという話になりました。ふと、子供達は大村昆って知ってるのだろうか?と疑問が湧きました。僕らの世代も親の世代も、当たり前で知ってる役者さんですが・・・ヨット部の新人勧誘試乗会で「琵琶湖周航の歌」の話をしても、その歌自体ほとんどの子が知りません。僕は「知らない」、家内は「知ってるに決まってるじゃない」と意見が分かれました。子供達に確かめてみることにして、楽しい1日を終えました。帰りに気づいたのですが、三田は雨が降らなかったようです。宝塚は雨が降ったようです。月曜日のニュースで、芦屋では雷に撃たれて男性が亡くなったと知りビックリです。・・・少しか離れていないのに、局地的な天気だったのですね。
2009/05/27
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日曜日の天気予報は、曇りで少し雨が降るかも?というものでした。家内に予定を聞くと、「インフルエンザ対策で家に篭ってる」ということでした。家内のお楽しみは、都会のウインドショッピングなので、こういう時はあきません。ということで、午後から2人で篠山を自転車でちんたら走ることになりました。車に自転車を積み込んでGOです。バイクでの篠山行きなら、のどかな北摂の里山を、のんびり縫って走る方が楽しいのですが、それは篠山でのお楽しみに置いといて、r12を北上します。西峠を越え、城東トンネルを抜けて篠山盆地に入ります。昼を回ったので、篠山方面から快調に下ってくるロードバイクがいます。家内が「ほら、また来たよ」下り坂なので漕ぐ必要もなく、気持ち良さそうです。でもその前にしっかり上ってるのですよね。西峠に差し掛かる頃、なんとなく空模様が怪しいです。「ありゃ、雨が降るかも?」予報ではもう少し遅くから雨ということでしたが・・・。高城山の篠山側にある八上城資料館に車を置いて、自転車でR372旧道をプラプラ走り、体力が持ちそうなら高城山山頂にある八上城本丸跡まで登ってみようかなと計画していました。資料館の場所がうろ覚えで探している間に、雨が落ちてきました。この時点で自転車を断念しました。僕らには、雨に濡れながらがんばるようなもんじゃないから。家から新しく買った真っ赤なヘルメットを被ったままで、やる気満々だった家内もヘルメットを脱ぎます。八上城は、丹波・丹後・但馬最強のお城でした。ここの波多野氏は強く、信長に丹波平定を命ぜられた光秀さんも落とせなかったお城です。結局光秀さんは和平に活路を見出し、母親を人質として八上城側に差出し、波多野さんを連れて信長のいる京に向かいました。でも光秀さんの思惑通りにことは運ばず、信長はあっさり波多野氏を殺してしまいました。よって光秀の母親も八上城で惨殺されたとか・・・光秀さんが信長に敵意を持つ原因の1つと言われており、その他諸々を含めて、本能寺の変につながったのでしょう。車でうろうろしただけですが、いい感じの神社やお寺が散在していました。自転車なら「あっちうろうろ、こっちうろうろ」で楽しそうです。雨だから八上城登山も無理で、「篠山市内やお城は、今年もう2度も行ってるので芸ないな」・・・ということで、篠山南西部にある「立杭焼」に行ってみることにしました。R372は亀岡と姫路をつなぐ国道で、亀岡・篠山間は狭いところもありますが、交通量が少なく概して綺麗な道路なので、結構好きな道です。気持ちいいだろうなと思って、篠山から姫路の方に進むと、いきなり道は細くなりました。「これで合ってるのかなあ?」と思うような道です。でもバイクなら楽しそうなので、こんど姫路の方に走ってみることにしましょう。JR福知山線の「古市駅」の近くで線路を渡ります。「いい感じです」家内に「これ宝塚線の延長だよ。三田から福知山まで行って、途中の「谷川駅」では「加古川線」に出合い、「福知山駅」からは「山陰線」に乗り換えられるんだ」と説明すると、いつも乗ってる宝塚線の風景と大きく違うので驚いています。少し走って、r382で南下します。「この道沿いなんだけどなあ」とキョロキョロしてると、登り窯が見えました。道沿いに窯元がお店を出し、右手の山の方や左手の川の方に登り窯が見えます。この辺もチョコチョコ寄って写真に収めたいのですが、こういうとき車は不便です。でも雨でも濡れないから快適ですけどね。陶芸センターみたいなところがあり、そこに車を入れました。近所の窯元のお店を覗き、400円だったかの入場料を払って陶芸センターを見学することにしました。ろくろ体験が出来るようですが、インフルエンザでマスクをして、更に雨という状況では今一乗らないのか、「遠慮しとくわ」だって。子供達がいるときは、真っ先に陶芸体験に向かったのになあ。そういえば、いろんなところで作った作品が家に転がっているはずです。その後、「昆の村」というところに行きましたが、続きにしておきます。
2009/05/26
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新聞を見ていたら、「若い女性の間で戦国武将ブーム」の御題が目に留まりました。きっとNHKの「天地人」直江兼続がブームに火をつけたんだろうなと読むと、2006年に発売されたTVゲーム「戦国無双割」や「戦国BASARA2」の名武将が火をつけたらしいです。そんなゲーム、全く知りませんでした。そして若い女性の間でのブームも知りませんでした。僕でもかろうじて知ってるもっと前の「信長の野望」の時代は、愛好家の9割が男性だったのに、「戦国無双」などは4割が女性だそうです。女性ファンを惹きつけた最大の理由は、イケ面武将と人気声優の起用だそうです。合戦の舞台やゆかりの地を訪問したり、イベント参加・コスプレ、さらに家紋を集めたりするそうです。ただ男性と人気の武将が異なるそうです。男性の好む「信長」「秀吉」「家康」はそれほどでもなく、「真田幸村」「伊達政宗」「石田三成」「直江兼続」「上杉謙信」などだそうです。「主君への忠誠」「武将同士の友情」といった生き方への共感。また「敗者の美学」に酔いしれる。そして「見た目のカツコよさ」に心ときめくようだ。と結ばれていました。う~む、僕はどうも女性的思考・嗜好のようです。僕の好きな武将ランキングは、「上杉謙信」「明智光秀」「浅井長政」・「真田幸村」・・「石田三成」という並びですから。平安遷都の「セント君」より、彦根の「ひこにゃん」に人気があるのは、女性に好まれるからかもしれません。彦根は少し北の長浜出身の「石田三成」が秀吉に認められ、居城を構えたところです。そして「井伊直弼」の本拠になりました。ここは、東日本から京都に向かう要衝の地です。和歌山・奈良・三重に連なる山地が南から迫り、伊吹山を南端にする山地が北から迫る狭く開いてる平地です。天下分け目の関が原もここ、今でも新幹線・東海道線・名神高速道路が走ります。京都から大津に出て、そのまま一直線に名古屋に向かうためには三重の山地が邪魔して、大きく北に迂回して彦根を通らなければなりません。ここの地を支配する武将が力を持ち、為政者がここに信頼できる強力な武将を配するのは、よくわかります。よってここで天下を左右するドラマが起きます。浅井長政の小谷城を、ますます観にいきたくなってきました。貧脚に鞭打って山城に登ってみようかな?姫路城のような人工のお堀に守られた優雅に伸びやかな平城もいいですが、山城に惹かれます。大抵は城跡しか残っていないし、見捨てられたように朽ちた石垣が木々の間に草にまみれて見えるだけですが、頭で戦国ロマンが動き出し楽しめます。僕が歩くのに自信があり、ワンダーフォーゲル部出身なんかだったら、今頃山城跡巡りに精を出していたかもしれません。実の兄信長と戦う夫と一緒に死のうとするお市の方に、これだけ好かれる長政ま魅力的だったのでしょう。そうまで言うお市を秀吉に託す長政がかっこいいです。こんな夫婦に魅力を感じ、僕もこんな風に生きたいと憧れます。夫と運命をともにしようとする妻の夫への信頼と行動力・強さと、自分は盾になっても妻を守ろうとする夫の潔さと優しさ・・・、死を覚悟しても自分の生き方を貫いて死を選びながら相手に妻を託す・・・、その妻を保護しながら、夫の死の覚悟を見事に果たさせる相手・・・、当時の一流の武将は、みんなかっこいいです。
2009/05/25
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日曜日、レース後のヨットクラブでの「あ~だこ~だ」をすっぽかして、家路に着きました。すぐに風呂に入り、うどんを食べ、家内との約束の映画鑑賞です。ウイルスの気感染防止用の一番いいマスクをして、家内と一緒に映画館に向かいました。もう1日後だったら、映画館は避けたと思いますが、「感染者も出てない町の映画館だし、まあ大丈夫ちゃうかな」という感じでした。お目当ては、「60歳のラブレター」話題の映画は、なんといってもダン・ブラウンの「天使と悪魔」ですが、展開の早い推理映画が苦手な家内には、こっちの方がいいでしょう。涙腺の弱い僕はまた泣いてしまいましたが、家内は「あんなうまく行かないよねえ」と冷静な感想を述べています。ずっとすれ違い生活だった夫婦が定年離婚したけど、奥さんの気づかなかった優しさを発見し、また奥さんにアプローチして元に鞘に戻ります。「あんなにうまくいかないよねえ」とは、何となく僕の首にも冷たい風が吹いてるのでしょうか。勘弁してね。僕、結構がんばってると思うんだけど。
2009/05/23
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(日曜日のレースの続き)2レース目も同じようなラインだったので、本部船(スタートラインの右端が本部船のマスト)絵の右から本部船の上を通ってスタートラインアプローチです。皆さんあまりアウター(スタートラインの左端のマーク)を攻めてこない感じなので、少し早めにアウターの外に出てポート(船の左舷に風を受けて)スタートアプローチです。第1マークがスタートラインの風上はるか向こうにあり、ヨットは真っ直ぐ風上に向かって走れず大体風位に対して45度ぐらいまで上れるので、右舷風上・左舷風上を繰り返し、ジグザグに風上マークを目指します。つまり左右から来る船が交差しながらマークを目指します。1艇ぐらいは、アウタージャストに来るかなあと思っていたのですが、ラッキーです。1艇もアウターギリギリにスターボ(右舷風上)で来ません。そのままポートでトップスタートできました。ヨットレースでは、国際海上衝突防止法同様、右から来る船が優先なので、ポート艇はスターボ艇を避けなければなりません。僕がうまければそのまま1上トップなのでしょうが、ますます上がる風にスピードアドバンテージがありません。しかもまだ3回目の乗艇になる助っ人さんの事を考え、基本動作を減らす作戦なので、オーバーセイルで上マークアプローチしました。Tさんに抜かれてしまいました。さらにS君にも追いつかれ、上マーク3艇身前でギリギリ下タック(左舷風上から右舷風上に)してきたので、上に大きく避けました。まともに走ってたら衝突してました。しかもガンガン上ってくるので、失速です。結局うちは回れましたが、S君はマークを回れずリラウンドです。2艇が失速してる間にSW艇に上から抜かれるし・・・せっかくのスタートアドバンテージを吐き出してしまいました。要するにもう少しクローズ(風上への走り)が走っていたら、この状況に巻き込まれなかったのです。1レース目同様、ほぼスターボ1本のランニング(後から風を受ける)コースで下マークにアプローチです。クルーの不慣れもあり、ジャイブなしで、そのまま早めにスピン(風下に向かう時だけ使うセイル)を下ろしましたが、ミスってスピンを海に落とし、バウ(船首)をくぐってしまいました。すぐにOさんがバウに走り、ちょっと遅れてスピン回収。ここで更に後を走ってたTW艇に前に入られました。う~むまた4番じゃないか・・・先行する2艇身前のTW艇に高さ負けしないようにこまめにトラベラーをいじくります。メインを2人がかりでガンガンに引き、その状態でバングを利かせます。出来るだけメインのリーチを開かないようにしないと、一気にT艇のブランケットに突入し失速です。TW艇のスキッパーは、僕が大学1年の時の4回生だった先輩です。モントリオールプレオリンピック出場選手です。こんな方ばっかり集まってるフリートだから、僕も学生時代は、候補選手に指定されてましたが、ミスしたら簡単にやられてしまいます。少しずつTWさん艇に前に行かれながらも、何とか高さを保ちついて行ってる状態です。高さだけ失わないようにしないと。ここでえらいことが起こりました。なんかジブ(前のセイル)の影が騒がしい・・・条件反射でそっちを見ると・・・2番を走っていたからもっと前を走ってるはずのSWさんとこがスターボでやってきて、ジャストミート(このままでは衝突するミート)でした。うちのボートクローズラインの下を走ってる先行艇がいたとは考えもせず、ノーケアでした。TWさんとせっていて2番艇に追いついたというより、SWさんとこも下マーク回航でうち以上にトラぶり、復帰までに時間がかかって遅れたのでしょう。「当たる」と覚悟しました。視認した瞬間にティラー(水面下の舵をコントロールする棒)を押していました。もう無意識の状態です。既に10m/sは越え15m/sも越えてるような感じなので、裏ジブ(左舷風上セットのままで、右舷風上になったら、反対にはらむ)沈も考えられます。ティラーを押しながら、「タック、タック、ジブ切って」とこれも条件反射状態で叫びました。Oさんも当たったと思ったそうですが、SWさんがこっちを認識していたので、衝突は避けられました。最初の上マークで、僕がS艇を避けたように、ギリギリで「かなわんなあ」という感じで、避けてくれたと思います。SWさんとこも、数回オリンピックに行かれた方がいるので、「これ以上はあかん」という線が見えています。このフリートの皆さんが、結構ギリギリまで攻められるのは、お互いの技量を把握し、信じているからです。もう一つ、2艇のマストが上空でチャンバラ(2艇のマスト同士が当たる)して折れるかも?を心配しましたが、嫌な金属音を聞くこともなく助かりました。この3人乗りヨットはジブがジェノアで大きく死角が大きいです。僕がクルーの時は、ほんと怖くて、時々デッキからコクピットに下に降りて、死角の海面を覗いていました。助っ人(本当はクルーが他艇との位置関係を見て、わき目も振らずにセーリングに集中し、スピードアップに努めているスキッパーに報告する)さんの事を考えると、僕がもっと気をつけていなければなりませんでした。僕の意識が、ミスるとT艇に一気に置いていかれると走りに集中してしまいすぎていました。一旦全部セイルを出してしまったので、すぐにメインを絞り走りだします。まだドラゴンの経験が数回の助っ人さんは、ただ呆然としているようなので、「走ります。ジブ引いて」とクローズレグに復帰です。そう言いながら、僕の心臓はまだドキドキしていて平常心ではありません。船を潰すところでした。ここで「回っとこか」とOさんからの指示です。「この風でペナルティの360度回転はきついなあ。ジャイブ出来るんやろかと」ルール違反したのは僕だから、ほんまは回らなあかんのですが、船にダメージが大きいジャイブはしたくないです。次のフリーレグは、タック回りしてジャイブを回避しようかと思ってたのに・・・でも指示なのでベアしてチャレンジしましたが、この風ではベア(風下に向かうこと)も出来ません。というか後で冷静に考えればバングが利いていたようです。バングを緩めればベアで来ましたね。SW艇とのミートで頭がクールでなくなっていたようです。ブームエンドが海面に当たりそうです。無理してベアしたら、ブームが海に入り船のコントロールを失って、ブローチング沈(一気に風上に向かってひっくり返る)してしまいます。「あかん」と諦めました。レースからリタイヤです。海面はますます風が上がりすごいことになっています。全面的に白波が立ち、ウサギさん(隠語でウサギさんが飛んでるとかいいます)のオンパレードです。更に波頭が風に吹かれて飛沫が飛び、海面1~2mが真っ白です。20m/sを越えましたね。25m/sを越えたなあ。50ノットの猛烈な風です。今、この上空を前線が通過中ですね。船を潰さないように帰らなくっちゃ。まあ長くヨットやってるとこのような海象も何度か経験済みです。高校生の時には沈したスナイプ(2人乗りヨット)のボトムにクルーと2人で乗って、波にさらわれないように、シートで船と身体を結んで前線通過を待った時もあります。そんな経験から命の危険は感じませんでしたが、この船を無傷で陸上に戻すことが出来るかなと。ジェノアかメインセイルが破れるかもなあと考えながら、新西宮YHの西出口の方に向かい一時芦屋YHへの水路で前線をやり過ごそうかなと思い提案しましたが、Oさんの指示は「東出入口から入るよ」。僕は、狭いけど西入口から入れると思ったけど、Oさんの指示に従います。確かに一時水路に入ってしまうと、再び荒れた海面に出て行く気力が半減します。風を抜きながら、風速にあわせアビームとクォーターリーで風下に向かいます。「前線通過やから、あと30分がまんやなあ」とOさんから。Oさんも歴戦の勇士なので、冷静です。「コレぐらいで入れるかなあ」と思ってタック回りして東入口にバウを向けましたが、真ランニング。波に乗ってラダーを取られワイルドジャイブ(予期せず左側にあったセイル・ブームが右側に変わってしまう)が入れば乗員に危険だし、グーズネック(マストとブームのつなぎ目)を壊すかもしれません。下手したらマスト折るし・・・。ダイレクトに入口を目指すのは諦めて、少し上り目で走り、再びタック回り2回で最終アプローチです。入口はすぐ下に防波堤があるので、そことハーバー防波堤との返り波で三角波のオンパレードです。ラダー(舵)を持っていかれてエクステンションジョイントを飛ばしてしまうかもしれないので、ティラーエクステンションを持つのをやめ、ダイレクトにティラーを持ちます。「何が何でもこれは離さないぞ」僕が手を離したら、三角波の下で渦巻いてる流れに翻弄され防波堤激突です。三角波の洗礼を受け、バウから波が乗り越え船に打ち込んできます。一番前にいる助っ人さんが頭から波を被って、「わ~」とか叫んでいます。不謹慎ながら、ちょっと笑ってしまいました。一番後ろに座ってるスキッパーの僕の背中にも水が入りました。防波堤をクリアして、すぐにOさんがメインを引いてくれます。クローズにすると、もう一つの防波堤はクリア出来そうです。「ようやった」とOさんから、ねぎらいの言葉が掛かります。後で聞いたのですが、防波堤前に三角波のことをいろいろ言うと、新人クルーさんがビビッてしまうかなと思って、また僕にもいらんプレッシャーを掛けたくなかったようで、もう僕に任せるしかないわと。3レース目はキャンセルになったようで、他艇も帰ってきます。トップを走ってたTさんの艇はセイルを破ってリタイヤしたそうですが、トラブルはこの1件だけで、この船の丈夫さと、皆さんの整備レベルの高さを感じます。いつもより早く2時台に帰着し、他艇の桟橋帰着も手伝い、ハードだったけど面白い海の1日が終わりました。船の片づけを終えてもまだ3時台です。KYC(ヨットクラブ)のウェットバー(濡れたままでも入れるバー)は、皆さんの話で盛り上がるのでしょうが、家内との約束があり家に急ぎました。この後、また遊びに行ったんですよね。(つづく)
2009/05/22
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日曜日は、3人乗りヨットの月例ポイントレースでした。先月は、大学ヨット部の手伝いで参加できなかったので、勇んで参加です。でもチームのメンバーで参加できるのが、Oさんと2人だけです。4~5日前から助っ人を探しましたが、結局無理でした。天気予報では、全線通過で強風を報道しています。予報通りの風では、2人ではレース参加は無理そうだなあと思いながら、8時半にハーバー到着しました。曇って怪しい天気ですが、風は弱い東風です。「これなら2人でもレースに出れるかもしれないな」と思いながら艤装開始です。オーニングをはずし、ジブシートをセットし、スピンシートをセットしようとしていたらOさんがやってこられました。「スピン、どうします?」「セットしとこうか」、ということで風が上がるまではスピンを上げる予定でセットしました。「1レース目スキッパーしてや。僕は1レースでバテバテになるから、2レース目は交代ね」とOさんからの指示です。「え~大丈夫ですか?僕がずっとクルーしますよ」スキッパーの腕はレース成績にはより重要ですが、クルーに比べると楽です。2人なので、クルーの役目とミドルの役目をクルー1人で担わなければなりません。僕より10才以上上なので、僕がクルーをしようと思ってたのに、Oさん大丈夫かなあ?レース艇を桟橋に下ろし、最後の艤装をし、「今日は2人ですから、風が上がってきたらリタイヤして帰りますわ」なんて、他艇のクルーと軽口を叩いていると、X41が「ただいまクルージングから帰ってきました」という感じで桟橋にやってきました。乗員は、海からの洗礼をたっぷりもらいましたという感じで、「くたびれた」と「充実感」でいっぱいです。出迎えのクルーに乗ってきたクルーから、「明石海峡までが大変やったわ。40ノット越えてたからなあ」と。皆さんライフラインをセットされており、今のここの微風に似合わない重装備です。やっぱり西から優勢な前線がやってきそうです。Oさんが陸艇置き場から桟橋に降りてきて、「朗報や、レインボーさんが4人で乗るそうやから、1人助っ人に来てもらうことになった」と、嬉しい知らせです。これでメンバーが3人揃い、風が上がってもスピンを上げられます。11時スタートなので、10時に桟橋を離れる準備です。10分ほど前に桟橋を離れたS君とこの船はまだ桟橋から見えるところで漂っています。「出て漂っとこうか」ということで桟橋を離れました。それが合図になったのか、朝の東風が南に変わり、ソヨソヨと2m /sほどの風が入ってきました。癖でマストトップの風見を見上げましたが、カラスさんかかもめさんにやられて、風見が明後日の方を向いたまま固まっています。艤装の時、気づきました。本日はサイドステイの風見だけが頼りです。まあ風が強いだろうから、これで十分なのですが。「この時点で南風・・・やっぱり風が上がりそうです」予定通り11時にJ24クラスがスタートし、続いてドラゴンです。アウターの方が高いなあと思いつつ、レース前走った感じでは右の方が良かったので本部船寄り上1からスタートしました。定石どおり、すぐにタックして右海面を目指します。アウターから出た艇が1艇返しています。「ありゃりゃ、相当アウター艇が高いです。うそここまで向こうの方が高いのか。こりゃ上マークまで相当の風の振れがないと追いつけそうもありません」やはりスターボがきついようで、次々ポートに返し、うちが一番下で少しバウを出してるけど、まあスタート時点ではビリです。スタート前ラインを流していた時、かなり強い右からの潮を感じたので、それに期待するしかありません。もうこのレグを一生懸命走るしかないです。時々背中を振り返ると、予想通り少しずつ風が右にシフトしてるようですが、スタートでの遅れを取り戻せるほどではありません。上マークでは2艇抜いて4位。そのままなんの波乱もなく2番目の上、そして最後のフィニッシュの上まーくまで4番でした。既に8m/sを越える風が入っています。2人だったら、1レース目でもスピンは1回目のランニングレグしか上げられなかったと思います。5分前にスタートしたJ24の1艇が上がった風に翻弄されており、それを4番の僕も抜いちゃいました。10m/sオーバーまで行ってたかもしれません。(つづく)
2009/05/21
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月曜日の夜、長男君から電話が入りました。「あ、お父さん、僕やけど、インフルエンザに罹ってない?」これが第一声でした。ちょっと笑ってるような話し方で、彼の愛すべき一面です。当地は、今やメキシコと並ぶ新型インフルエンザの汚染地域の真っ只中ということになってしまいました。海外渡航者を検査してる水際作戦も、渡航暦も患者さんとの接触暦もない国内在住の方に罹患者が出て、あまり意味を成さなくなってきました。飛沫感染から汚染地域空気感染レベルになって、ウイルスさんが人の集まるところで飛んでる感じなのでしょう。僕のマスクも、使い捨て飛沫感染防止タイプから、一番上の空気感染防止タイプにレベルアップになっちゃってます。1週間前は、「飛行機で海外に行く人は大変やなあ」などと、まるで人事だったのですが、いきなりこんなことになってしまいました。でも、今回の新型インフルエンザは、メキシコからの豚さん由来インフルエンザのようで、去年や一昨年に、タイや中国南部で広がった鳥さん由来のじゃないから、まあ安心しています。毎日報道される関連ニュースでチェックしてるのは、患者数と死者数。1%ぐらいだから、日本の高度医療技術があれば、きっとこれより下のはず。現在の国内患者数が200人で死亡者ゼロ・・・これなら、タイなどの鳥インフルエンザ対応のマニュアルをはずしてもいいんじゃないかなあと思います。鳥さんの死亡率は、何と60%だったから、コレラ以上の毒性かもしれないので、赤痢やコレラみたいに患者さんの隔離も必要だけど、今回のでこの対策はやりすぎかもしれません。日本人に対しての全容が見えてきたから、そろそろお開きになるかもしれません。隔離病棟がパンクになりつつある大阪府や神戸市の首長さんの対策レベル下げ要望もでました。随分昔のスペイン風邪も、元は、鳥が生活の中に深く入り込んでる中国南部の人口密集地から発生したインフルエンザだと聞きます。若い頃、人と動物では耐性が違うので、ペットでは平気な寄生虫とかウイルスが、人には猛毒になったりするから、どんなにかわいくてもペットとキスしたらあかんよと教えてもらいました。リケッチヤやトキソプラズマとか・・・唇は粘膜だから、皮膚みたいに防御力がないから・・・とか。長男としばらく話し、家内に交代です。待ってましたとばかりに、一気に「あんた送ったマスクしてる?」「あのマスク、一番いいやつやから3枚でローテーションして1ヶ月使えるんよ」とか「そっちもすぐにこっちと同じようになるから、気いつけるんよ」とか、しゃべってます。なんか僕としゃべる時より生き生きしてるように感じるのは・・・まあ母子には勝てませんから。電話を終え、「さすがに長男やねえ」と、親を気遣っての電話に感謝しています。弟の実家を出ちゃったから、より気になるのでしょう。次男君は、お兄ちゃんが家を出てからは「僕が」と思ってただろうし、2人とも家を出た今はお兄ちゃんに任せてるのだと思います。僕も長男だから、弟との「あんうんの呼吸」を感じます。言葉なんて要らないんだよね。今月アメリカである世界最大の癌学会への出席が出来なくなったと残念そうに言ってたそうです。会社からチームで出席の予定だったみたいです。いろんな分科会もあるだろうから、手分けして出席し、最先端研究の要点を会社に持ち帰る予定だったのでしょう。国内も、今週は名古屋まで来たけど、大阪には来なかったそうです。なんか長男君も、すっかり企業戦士になってます。今朝、「先週にGFさんが来られて良かったね」と家内から。「今なんて、こっちに来ない方がいいもん」飛行機ばっかり乗ってる2人の感染を気にしてたのに、こっちの方が大変になってしまいました。県単位で学校閉鎖になったから、従来インフルエンザ同様に感染の広がりが下火になったらいいんだけど。人口密集度の高い学校の教室でカンズメになると、とても移りやすいそうです。風邪で一定数以上欠席する状況になると、学級閉鎖や学校閉鎖になりますが、とても効果が高いそうです。僕らの頃は、学校で予防接種が強制されましたが、うちの子達の時代、一時期希望者のみの予防接種に変わりました。うちはいつも「受けます」に丸をつけたから、子供達にはぶーぶー言われてました。その結果、どうなったか。小中高生徒のインフルエンザの死亡数は、それほど変わらなかったらしいですが、国民全体の死亡数は増えたそうです。亡くなるのは体力の弱い幼児やお年寄り。また学校強制接種に戻したら、幼児やお年寄りの死亡数が減ったそうです。ここから見えてきたのは、もっとも感染しやすいのは、人が密集する教室で、そこで感染した子が家庭に持って帰って、弟妹や爺ちゃん婆ちゃんに移り重篤な症状に陥る。ということだそうです。今回の神戸の高校から広がった感染を見ても、クラブ活動で他校にも感染、ということですが、バレーボールということです。体育館という閉鎖空間だったからじゃないのかな?ラグビーやサッカーのように外の競技では、ウイルスの濃い空間は出来ないので大丈夫なんじゃないなかな?でもロッカーとかは、もっと濃いけど。こんなのを考えると、通勤電車・バス・学校教室・塾・室内稽古事・室内研修会・・・のような、人口密度の濃い空間を長時間共有する時はマスクは必須だけど、外を歩いてる時なんかはあまり意味ないような気がするんだけど。新型鳥インフルエンザみたいに強毒性じゃないし。きっとインフルエンザ・ウイルス研究者には、もっとクリアに今の現実が見えてると思います。僕ら下々の騒ぎをよそに、「やっぱりなあ」とか「そりゃやり過ぎやがな」と思ってると思います。でも、映画「ジョーズ」の市長さんみたいに楽観論を展開してると、別の展開になった時の世間からの袋叩きが怖くてだんまりしてる気がします。
2009/05/20
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日曜日の続きです。前回あらすじ家内と初めてスポーツ自転車によるサイクリングに出かけました。僕だけで決めていた当初の目標地点までたどり着けず、リタイヤしてしまった家内をそこに残して、車を取りに戻りました。1時間もかかったけど。無事2台の自転車を車に収納し、1時過ぎに出発しました。羽束川を上り最初の目標だった高売布神社に到着。荒れてるけど謂れのありそうな本殿を見学しました。国の重要文化財に指定されています。「もっと手入れしたらいいのにね」と僕と同じ感想を持ったようです。「でも人が減ってるから近所だけで維持していくのは大変でしょうね」と、これまた僕と同じ感想です。さらに北上し、東進して母子に抜けました。茶畑が目に付いてきました。永沢寺見学です。ここはいつも人が多いです。「はなしょうぶ園ってよく聞くよ。母子のお茶も聞いた事あるよ」と、ここにあったのかと関心しきりです。「そば打ち体験」もやってるようで、「芝桜」への矢印もありました。初めて入った永沢寺はなかなかのお寺で、本堂はとても涼しい。これからの季節、炎天下を走ってきたバイクや自転車乗りのいい休憩場所になりそうです。売店で「アイス食べる?」と聞くと「冷蔵庫を覗き、モナカ食べようかな」と。黒豆モナカと黒豆ソフトクリームを食べました。今年最初のアイスです。丹波といえば黒豆ですが、さすがに真っ黒じゃなくてちょっと黒っぽい感じでした。母親にヨモギ饅頭を買い、母の日のプレゼントにしました。再び羽束川に戻り、篭坊温泉まで上っていきました。お昼頃出会った自転車の集団さんはここを走ったのでしょう。大船山から大阪平野に出るまで自転車だったら2時間はかかるので、さらに大坂や神戸に帰るとしたら更に1~2時間。2時を回ってこの辺にいたら、快適な里山道を選択できず、車の多い国道や県道を一気に行くしかありません。篭坊から杉生新田に抜け、r12で南下しお墓に寄りました。母の日だから弟一家が帰って来てお墓に来たかな?と思っていましたが、長男君が中学生になりお墓までは来なかったみたいです。墓の掃除をしてお花を供え、お水をたっぷりかけておきました。家内が「お爺ちゃん、次はお盆かな?また来るね」と言ってます。帰りの車で、「日生中央駅から阪急バスで後川行きに乗ればいいんだって」と教えてくれました。家内の中では僕の方が先に死んで、1人で来れるようにしてるそうです。「盆正月とお彼岸ぐらいはバスに乗って来てあげるからね」だそうです。今度は、西谷ではなくて羽束川沿いまで車に乗せてきて、もっと坂のないところを自転車で走ろうと次の作戦を練りました。終始にニコニコな1日が過ごせました。京都美山のかやぶき集落まで車で行って、由良川上流のr38を自転車で走るというのもいいなと頭に浮かびました。家内と自転車の付き合い方の目安が出来ました。上手にエスコートしなくちゃね。ヘルメットと日焼け防止ハットは合格です。サドルに問題ありです。
2009/05/16
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『人は比較に頼る』神が人々を幸せにするために、天界から降りてきました。失明した人は神に「私は、愛する家族の顔も綺麗な夕日も見たことがありません」と訴えました。神が彼に視力を与えると、彼は幸せになりました。 「私は凍土の上でも炎天下でも労働を厭いませんが、働くための土地が洪水で流されました」と訴えた農民に神は農地を与えました。農民は幸せになりました。 貧乏な青年がやって来て言いました。「神様、私にはお金がなく家族も持てません」と。神は彼にお金と美しい妻、可愛い子供を与えましたが、青年は暗い顔で「神様、私には才能もありません」とさらに訴えました。すると神は彼に才能も与えました。数日後、青年はまたやってきてとうとう言いました。「神様、私には幸せがありません。ください」と。神は少々躊躇された後、「(幸せを)与えよう」と言って、これまでに与えたすべてのものを取り消しました。その結果、青年は一人ぼっちのホームレスになり、飢餓と悲しみと孤独に暮れる日々を送ることになりました。2年後、神は青年に家族だけを返しました。すると青年は「私は幸せだ!」と号泣しながら妻と子供を抱きしめました。・・・・・・--------上記は、今日送られてきた宋文洲さんのメールマガジンの冒頭に書かれていた寓話です。「そうだよなあ」と思って仕事をしていると、ハンディを背負った方が働く小規模自立支援施設からの封筒が届きました。毎年春に送られてくる年会費と寄付を願う便りです。もう何年?何十年と続いています。そこには、支援スタッフの方(主力はお母さん)、働いている方々の言葉や笑顔がありました。僕は、何不自由なく動く健康な身体を持ち、明るく健康な家族に恵まれ、子供達からは生まれてからずっと喜びばかりをもらってきた僕の幸せをありがたいと思わずにいられません。去年バイクを買ってから、プラプラ走ってて気になる社寺によく寄るようになりました。早朝自転車でも一緒で、お賽銭箱に小銭を入れてカラン、いつも同じ言葉を心でつぶやいて願います。僕は望みが低いようです。「・・が欲しい」「・・になりたい」ではなくて、「今日まで僕や家族を守ってくれてありがとうございます」。僕にも望みがありますが、それは神様にお願いするものではなくて、僕が努力すればいいだけで、その結果は神様の気まぐれで十分です。うまく行くこともあるし、失敗してしまうことだってある、世の中そんなもんでしょう。こんなんだから、家族に対して「もっと何とかしろよ」みたいな気持ちが湧かないのだろうと思う。どんなに失敗しても「命を取られたわけじゃないし」と怒りが湧いてこない。だからお説教もしない。ニコニコしていられる。届いたこの封筒には、「料金別納郵便」の判子が押してありました。少し前話題になった低額郵便を利用して送られたものなのかも知れない。それを悪用してお得した大手小売店さんの担当者が逮捕されましたが、お得した分を日本郵便に返すのもいいけど、全国のこういう施設に配るのもいいんじゃないかなと思いました。刑事事件とは別に、民事として被害者の日本郵便との話し合いも必要ですが、江戸時代の「大岡裁き」みたいでいいんじゃないかなあ。
2009/05/15
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日曜はバイクで篠山の西、生野銀山方面に行ってみようかなと思っていたのですが、土曜日の夜、「明日何するの?」と家内に聞くと、特に予定はないらしい。こういう日の家内は、都会に出てデパートというのが相場なのですが、家内用の自転車を買ったことだし、「自転車でお墓に行ってみる?」と誘ってみました。するとあっけなくOK、でも日差しがきついし暑くなりそうだから、「朝ね」とのリクエストが入りました。家から自転車だと、休憩も含めて多分片道3時間、往復6時間なんてきっと今の家内には無理です。自転車に慣れてらっしゃる方なら片道2時間なんでしょうが、僕らはそんなスピードで走れません。第一、家内は初めてのスポーツ自転車だし、まず慣れないとね。車に自転車を積んで、「道の駅いながわ」か「西谷ふれあいセンター」に車を置いて、そこから自転車で出発することにしました。両方の起点を比べ、標高100mの「道の駅」より100mも標高が高い「西谷」に決定しました。標高200mって篠山と同じです。西谷ってそんなに高かったんだと調べてみてビックリしました。お墓には遠くなるけど、r12だけでお墓往復するより、里山の道をぶらぶら走るほうが楽しそうです。行けるところまで行って家内がギブアップしたら車を取りに戻ればいいなとアバウトな予定を組みました。一応の目安は、羽束川沿いの「高売布神社」。目標は「三田野外センター」です。まだ行けそうなら後川まで羽束川を上って、r12西峠の上りをがんばり、南下してお墓に回るのもいいです。8時出発の予定にしたので、いつも通り6時に起き、僕の早朝自転車用に新たに買ったツバの広いハットに、ヘルメットの紐を通る穴を開け、前のツバが風でめくれないようにピアノ線を縫い付けます。サーファー用ハット+ヘルメットで、頭の保護とUV対策をしてたのですが、「もっとツバが大きくないとあかん」という結論に達し、新たなグッズを投入です。サーファーショップにはこれ以上大きいのはなく、ゴルフ用品店を覗き、結局アウトドア店で購入です。家内用に僕のと同じヘルメットの赤を注文したのですが、まだ入荷してないので、僕のを使ってもらいます。美容命な人なので、UVお化粧はバッチリするのでしょうが、更に大きなツバの帽子でプロテクトしてもらいます。僕はヘルメットナシでヨットの時被ってるツバ広ハットだけにします。自転車を玄関に出し、初めて前輪をはずします。はずした後に付属のペグをはめるのですが、これが硬くて無理です。空気圧を確認し、車に積みます。車の3列目シートを前に倒し、1台は寝かせて、もう1台は立てて天井の手すりから紐でくくって固定します。その他朝食とか朝のお勤めもあり、ちょっと遅れて8時半に出発です。早朝では入れなくなってる西谷ふれあいセンターの駐車場も開いています。近隣の農家と思われるおじさんやおばさんが、産地直売の野菜などを車に乗せて入ってきます。車を入れたとき、1台のロードバイクが止まっており、「私がヘルメット被ってるから目が合っちゃったよ」と家内が言ってます。すぐに前輪を組み立て、早速駐車場で家内は練習開始です。ギアつきの自転車は初めてで、コレぐらいがいいかなと思って調節したサドルの高さが高いようで、下げました。まだ両足べったりでないと怖いようだけど、慣れて少し上げられると快適に走れるんだけどな。r33からショートカット道を経て、r68を西進します。千刈ダム湖の北辺を通り、羽束川を越えて、右折して北上します。バイクで走ってると気にならなかったけど、自転車だと結構この間に上り下りの坂があるのに気づきました。「コレぐらいの上り坂だったら大丈夫かな?」とゆっくり上ってバックミラーを見たら、家内が自転車を下り、押して上がっています。「あかん」家内のとこまで下って自転車を下り一緒に上がろうとすると、「目にゴミがはいっちゃった」と土手に座り、サングラスをはずし、コンタクトをはずしだしました。「僕のサングラス使う?」僕のは自転車用を買ったのですが、家内のは今まで使ってたものです。顔とグラスの隙間が大きいから、ゴミが入ったのかもしれません。続いて伊丹市の野外センター前に来て、ここでトイレ休憩です。小さな子を連れた家族が数組、楽しそうに遊んでいます。バンガローもありますが、テントが数張、薪割りしてる方もいます。昼食の準備が出来たようで、施設の職員さんに促されて近くの羽束川で魚とりに行くようです。「炊き上がるまで少し時間がありますから、川を楽しんできてください」と、お父さんはセロビンを渡されています。子供の頃セロビンにえさを入れて魚取りを毎日のようにしてたけど、この世代のお父さんにセロビンの経験はあるのだろうか?この道、森の中を走る感じでとても気持ちいいです。鶯がいい声を聞かせてくれます。しかもあちこちから聞こえてきて、合唱です。真夏になると自転車のスピードだと虫さんに悩まされるかもしれないので、今がここを通る一番いい季節なのかもしれません。そのまま羽束川沿いを北上し、木器でここから羽束川沿いを北上するr37に入ります。木器の手前を走っていると、東西に走るr323をロードバイクが快調に1台、また1台と走ってる姿が見えました。r68よりも車が少ないので、こっちを走る方が多いようです。快適道ですが、少し東に大坂峠という坂があります。昼なお暗い感じで、幽霊の話もあるので夜は避けたい峠です。r37は、東の大船山と西の山に囲まれたところを流れる羽束川に沿う道で、この田園風景がとてもいいです。バイクなら家から1時間弱なので、朝、気持ちのいい空気を吸い込み帰ることを何度もやりました。目指す第一目標の高売布神社はもうすぐです。御餅が売りの小型の道の駅風のお店があったので、ちょっと休憩です。「あ~もう限界。私ここで待ってるから車持って来て~」とギブアップ宣言が出ました。ここまで15km弱、まだ走れる距離だけど、慣れない自転車で疲れちゃったのでしょう。途中お尻が痛いと言うので、サドルの傾きと前後を2度ほど調節しました。サドルをもっと前に動かして前傾姿勢をゆるくした方がいいかもしれません。「今日だったらママチャリの方がもっと走れたけど、慣れるからね~」とニコニコしています。家内の自転車に鍵をかけ、「中でなんか食べててもいいよ」と言い残して、来た道を引き返します。ここまで何台もロードバイクに抜かされ、出合いましたが、皆さん「こんにちは」とかお辞儀したりとかフレンドリーです。95%の方がピチピチスタイルで、たまに見かける集団の中の女性は、体型が華奢なのですぐに女性だと分かります。家内が「女の人もかっこいいね」とか言ってました。僕らは長男君のお下がりのトレーニングウェアズボンにウインドブレーカーだからね。家内には30分強と言い残して出発しましたが、1時間弱経って家内のところに戻れました。西谷で水分補給し、日曜市を覗いて休憩したからね。でも人力エンジンの場合、これをちゃんとしとかないと疲れすぎちゃうからな。西谷は、バイクや自転車乗りのランドマークになってるようで、数組が集まっていました。山を駈けてきた風のマウンテンバイク乗りさん数人が靴を脱いで休憩してました。「ごめんね。遅くなった」と家内の前に現れると、「この前を自転車やバイクの数人の団体さんが何組も通ったよ。みんな早いの」と。「1時間も経った?」と言ってるので、自宅の近所じゃ見れないロードバイクグループの通過などを見て楽しかったのでしょう。12時半なので、ここで定食を食べました。御餅の入ったうどんに、もち米の混ぜご飯にお漬物がついています。とてもうまいです。家内は置いていった僕のリュックに入れてた緊急用大型ぶどうパンを、1つ食べちゃったようでお腹がいっぱいみたいです。普通なら半分ぐらいしか食べないから、自転車でさぞお腹が減ったのでしょう。残念そうに見ています。近所の農家のおばちゃん達がやってるようで、お客さんとしてやってきたおじさんと、「あんたんとこのはもう出来たん?」とかしゃべっています。長靴を履いてるのでマウンテンバイク乗りと思われる2人組が、大福もちパックを買ってビールと一緒に食べています。朝から山を走ってきたのでしょう。またどこかの山に入っていくのかな?お客さんの様子を見ながら、いろいろ想像した話を家内として楽しいです。グルメなんていりません。こういうのんびりした雰囲気が一番のおかずです。「もうちょっと出来ると思ってたんだけどなあ」とか、「私ここで待ってるから自転車で走ってきていいよ」とか、「女の人でも男の人と一緒ぐらいのスピードで走ってるの」と言うので、「僕らは僕らでいいやん。慣れれば速くなるかもしれへんし・・・速くなる必要もないし・・・」と励まします。「うはは」とかずっと笑っていました。しょせん遊びなので、真剣にやる必要はありません。もう一方の頭で、お墓に行って帰るには早いし、これからの時間をどうして家内を楽しませるかなあと考えています。一応メニューとルートが整理でたので席を立ちました。売店で、家内が生産者の顔写真が入った産直のお野菜を買って車で出発です。
2009/05/14
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今朝のニュースで、「去年の京都を訪れた観光客が、初めて5000万人を越えました。外国からの観光客は、5年前の5倍」と知りました。高校生の頃から京都に行くようになりましたが、今ほど観光客は多くありませんでした。当時も一級の観光都市でしたが、高校生の分際で土日に湯豆腐を食べに行っても、それなりの構えのお店にぶらっと入れました。予約なんて・・・学生の町でもある特長を活かし市内を走る人力車、市内大学とタイアップしたイベント、寺社の夜間ライトアップ、市内河川の水の綺麗さ、市内でホタルが飛び、市内田畑に鹿よけネット・・・着物姿の方の拝観が無料のところも多いです。そして日曜早朝に見かける町内会の方のご近所ゴミ拾い、火床に上がる山道でも消防団の方がゴミを拾い気持ちのいい道を保っています。多くの大学が集まる知の下地があるからか特徴のある世界企業が育ち、これほどの大都市なのに絶品の自然が残る素晴らしい都市です。5000万人って、日本の人口の約半分。平均すると、日本人の2人に1人が、年に1度京都観光するってことか・・・すごいなあ。
2009/05/13
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おじさんヨット・レーシングチームのメンバーOさんからメールが届きました。同じハーバーで練習してる大学ヨット部のライバル校出身の方です。卒業してしまえば、出身校など関係なくヨットの信頼できる腕前のお仲間です。『こんなことになってしまいました。ガラスのヨットが息子に取り込まれそうです』との内容でした。「なんか全然意味わからんけど」と、添付されてる写真を開きました。結婚式のケーキ入刀の場面です。新郎はOさんの息子さんのようです。息子さんは、次男の3つ上の年齢で、なんと息子同士も琵琶湖で大学ヨット部の艇庫がお隣同士でした。親が知らない間に、息子同士は既に知り合いで、その後息子さんとしゃべるようになりました。写真の中で、ウェディングドレスの綺麗なお嬢さんが笑っています。そこまで見て、あるものを見つけてしまいました。「あ~」ウェディングケーキのてっぺんに・・・よく新郎新婦を模した人形さんが載ってる所に、ガラスのヨットが載っていました。そのガラスのヨットが何か、すぐに分かりました。3月のKYCウィークというレースで3位を取った時のトロフィーです。表彰式の日、メンバーで都合がついたのが僕だけだったので、家内と一緒に行って、僕がトロフィーを突き上げてる姿を写真に撮ってもらいました。それを見つけ、思わず笑ってしまいました。レース艇オーナーの先輩から指示されて、メンバーみんなが見れるように同じハーバーに係留してあるクルージングヨットの引き出しに入れといたものです。Oさんのメールの続きに、『せっかくのりまきさんが艇長して獲得したのに・・・。また獲得できるでしょうか?』なんて書いてありました。すぐにオーナーさんからメールが入り、「結婚おめでとう。ええがな。息子に取り込まれて、結婚祝いにしといたらええがな。またすぐ取れるで」。僕も「おめでとうございます。写真見て笑ってしまいました。船の引き出しに入ってるより、大活躍してていいんじゃないですか」と。息子さんのアドレスが載ってたので、息子君にも「おめでとうメール」を送っておきました。他のメンバーからも、「ナイスなアイデアですね。流行るかもしれんね」など、祝福のメールが飛び交いました。更に、家内と次男君にも解説付きで転送しておきました。おもろいメールでした。
2009/05/12
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連休最後の夜、仕事場に電話が入りました。「お父さん、もう入ってるで」「ん?ドコに?」「隣」「・・・隣に行けばいいの?」「あれ?お母さんに言っといたけど・・・伝わってなかった?」お隣のお店に長男君とGFさんが来たそうです。夜9時に、2人と僕ら夫婦で夕食を取ると聞いてたけど、どこに行けばいいのか聞いていませんでした。車で迎えに来るのか、どこかに呼び出されるのか・・・どうせご近所だから前もって知っておく必要もありません。仕事を終え、本を読んでいました。「真田十勇士・全5巻」・・・中学時代?小学校?高校?随分前にNHKでやってた辻村寿三郎さんの人形劇・・・楽しみに見ていました。「真田幸村」を読み終えて、更に真田物が読みたくて購入しました。長男君は、お母さんに伝えたからお父さんに伝わっているものと思い、家内は長男君が僕にも伝えているものを思ったようです。「そうか、わかった」と、帰る荷物を入口に用意し、お隣に行こうとするとまた電話です。おっとっと、再び電気をつけて電話まで。「僕やけど、お母さんの店に電話しても自宅に電話しても誰もいないんやけど、僕が車で迎えに来ると思ってへんやんなあ?」「それはないと思うよ。バスに乗ってるんじゃないのかな」まだ約束の9時の15分前です。外に出て、バス停に入って来るバスを数台見て、家内は乗っていないようです。家内の方に電話してみます。誰も出ないので、自宅は出てるようです。「先に行ってよう」と思い、お隣さんに入って案内された部屋を覗くと、家内がいました。「はじめまして」写真よりずっと綺麗なお嬢さんでした。僕のPCのデスクトップ画面は、長男君から送られてきた2人の写真になっています。家内のような色白・・・「とてもいい子よ」と家内から聞いていましたが、父親の僕に気を使いすぎる感じもなく、目を見て気さくにしゃべります。温かいご家庭で育ったのでしょう。「ほんとだ、とても感じのいい子だ」「あなたしゃべってね」と家内に言われていましたが、別に特にそうすることもなく話が弾みます。2人でスキーに行った話。授業でスキーがあった彼女より、長男君の方がずっと上手だったようです。「家内の最初のスキーは、学生時代僕がやってたスキーツアーだったんだよ」「家内のお父さんに頭を下げて参加許可をもらったんだ」「その次は同じ手で許可をもらい、スタッフに裏工作して、別のところに2人で行ったんだ」と、子供達には話していなかった話を暴露しておきました。彼女の子供の頃のキャンプの話が出たので、「うちにはキャンプ用品一式揃ってるよ」とその話で盛り上がりました。「最近、お父さんとお母さんは2人でいろいろ行ってるんやなあ」「朝自転車で出かける時もあるよ」「どこ行くの?」「こないだ園田競馬に行ったよ。馬券は買えないけど、猪名川の土手からタダで競馬が見れるよ」「競馬場の入場料は100円とかでめちゃ安いねんで」長男君は、高校時代の友達家族と一緒に競馬場によく行ってました。彼の部屋の壁は、麗しい女子のポスターではなくて、サラブレッドのポスターがいっぱい貼ってあります。初めて聞く話ですが、友達と2人だけで競馬場に行ってたこともあるようです。競馬場というのは、大人が一緒でなければ高校生以下?20歳以下?は、入ってはいけないそうです。サングラスをして変装するそうですが、数度警備員さんに拉致されたそうです。1度は「お叱り」だけで済まず困ったそうですが、親に電話すると、ちょうどその日は友達の親御さんもそこに来てたそうで、「一緒に来ました」ということで無罪放免になったそうです。馬券を買ってたのかもしれません。多分そうでしょう。その友達は、畜産科に進んで、今JRAに勤めてるそうで、こないだの天皇賞では馬に乗って競走馬の先導をしたそうです。周りに迷惑を掛けない多少のやんちゃは、みんな将来のプラスにつながります。高校では禁止されてるバイトを、甲子園球場でやってた時の話。売り上げで常に数十人いるバイトトップクラスを維持し、何度も本日の売り上げナンバーワンの栄冠に輝き、1日3時間ほどで数万円を稼いでいました。大学1年の自動車教習所に通ってた時のバイクの無免許運転で警察にお世話になった話も出ました。僕は「こんな話してもええんか?」なんて思いましたが、2人の間では平気な話なのでしょう。おおらかに受け止める彼女の心の大きさがあるのだなあと感じました。きっとこういう家庭で育ったんだなあ・・・こういう多少のことには目をつぶるお母さんに育てられたら、のびのび、そしていろんなことにチャレンジする子になると思います。その時の簡易裁判の話になり・・・「お父さんには何も言われなかったけど、お母さんが泣いてたのを覚えてるわ」と。親に叱られるより、泣かれる方がインパクトあるでしょうね。「僕は親に怒られたことないんだよなあ。「勉強しろ」とも言われなかったし」と言い出しました。「うちは放任主義だから」と家内。5才ぐらいまでは、ゴミのポイ捨てなどで数度叱ったことはあるのですが、小学校に上がるようになってからは、友達のように接してきました。勉強に関しては、「宿題ぐらいしていきな」と何度か言ったことがあるように思います。何も進むべき道を教えない親だから、自分で考え行動するしかないので、いろんなチャレンジをして勉強していったのかなあと思います。やはり「親に叱られたことがない」と感じてたようです。「料理、めちゃうまいねん。ちゃちゃっとすぐ作ってくれるねん」だそうです。手の込んだ料理が好きだと、コレステロールなど将来の健康が不安ですが、味噌汁や煮物など、家庭料理が上手なのはいいねえ。「あんな素敵な料理は作れないわ」と家内は言いますが、僕は全くそんなの期待していません。食べたくなったらホテルで食べればいいです。日頃は、昔からある日本の料理が、日本人には一番合ってると思うから、それがササッと出来るのが一番だと思います。楽しい時間は、あっという間に過ぎていきました。親に会い、親と話した事で、息子のより深い面や育った家庭を想像できたでしょう。プラスに感じてくれたら幸いです。僕も話が出来て嬉しかった。2人とも明るくて品があり、お似合いのカップルだと思いました。店を出て駅に向かって歩く2人を見送りながら、家内が「良かったわあ」と。家に戻ると、「ホッとしたわ」と鏡の前で、飾り物を取りお化粧を落としています。彼女に会うのが終わった「ホッとしたわ」もあるのでしょうが、それ以上に洋服や飾り物を考える本番を終えての「ホッとしたわ」なんじゃないのかなと思いました。比叡山で買った色違いの交通安全のお守りを2人にプレゼントしました。お守りだから高いものじゃないけど、延暦寺ブランドだからご利益は高いと思うんだけど。2人とも、飛行機を電車のように使って国内外を飛び回るので、どうかお守りください。彼女は、すでに今話題の機内検疫を経験したそうで、無病息災のお守りの方が良かったかもしれません。4人で初めて食事するなんて・・・ドラマでよくある場面です。次男君カップルと流れで食事したことあるけど、息子君に用意された席に僕らが呼ばれるなんて・・・
2009/05/11
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坂本・比叡山観光した日曜日、帰宅したのがまだ5時台だったので、自転車屋さんに初めて自転車で行ってきました。2度の空気入れにより、前後のタイヤの空気の抜け具合を尺度に考えた「前後タイヤの空気が均等に減る時が最も前後バランスがいい」理論が頭に浮かびました。僕の乗り方の場合「サドルの高さとハンドルの高さが同じなのがいい」らしい。サドルをペダルと足の長さの関係で、シートチューブ基部からの高さを680mm(地面から垂直940mm)に高くしました。僕の仮説では、ハンドルの高さも地上から940mmにしないといけませんが、実測910mmで30mm上げないといけません。数日前、自転車屋さんに教えてもらったハンドルステムをひっくり返しにする業をしようとしましたが、ステムにつけてあるサイクルPCが裏側になってしまうことが判明しました。PCを付けてるラインを切らないとはずせません。切ったら、予備ライン持ってないから付けられないし・・・自転車屋さんに聞いたら、「ラインあげますよ。自転車持ってきたら無料でやったげるよ」と言われたので、乗って行きました。日曜日の夕方なので、お客さんが多かったですが、チョチョイとやってくれました。ステムをひっくり返してハンドルの地上高が数センチ上がったはずです。後は家でメジャーリングしながら調節したらいいと思い、プロの作業工程をしっかりと見ていました。「座ってみてください」と言われ、「どうですか?もっと上げます?」とハンドルを上向きに調節してくれます。2度ほど「もう少し上げてください」とリクエストして作業を終えました。家でメジャーリングしてみると、ハンドルの地上高が920mm、通常走行時に持ってるブレーキが着いてる角部分の地上高は940mmというターゲットのジャストでした。自転車屋さんで「楽な姿勢」と思ってリクエストしたのが、僕の理論のジャストだったなんて、なんか幸先いいです。あれから数日、朝自転車しましたが、風の影響がない平坦道で通常使ってた50T×19Tがなんか軽く感じられ、次の50T×17Tギアを使う時間が長くなったような感じがします。なだらかな坂だったら、50T×19Tで少し自転車を振りながら上がっていける感じがします。今までだったら50T×21Tにしてました。いい感じなんだけど・・・次回の空気入れの時が楽しみです。
2009/05/09
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坂本ケーブルの駅舎は、コンクリート作りなんでしょうが落ち着いた重厚感があります。なんとか文化財指定とか書いてありました。ここでも割引チケットでちょっとお得しました。「出ますよ~」と促されて乗り込んだので、座る席はありませんでしたが、これが返って幸いし、眼下の琵琶湖を窓の正面から見られ、急斜面の線路など楽しい時間を過ごせました。このケーブル、途中に駅があります。五百羅漢の石仏ではありませんが、焼き討ちで無常に命を落とした、逃げ惑って比叡山に上った坂本の民や僧を鎮魂して石仏が多数この山に埋まっているようです。今でも出土するそれらの石仏を一箇所に集めた場所に駅が出来ています。案内に促され、それらを収めた洞窟に目を向けると、洞窟の外にも多数の石仏が並び、大人が1人なにやら作業をしていました。強い思いを持って地道な努力をされている方かもしれません。比叡山山頂駅に着きました。この坂本ケーブルは、国内最長だそうです。でも10分少しの乗車時間でしたけどね。まず東塔エリアの根本中堂に向かいます。比叡山は「東塔エリア」「西塔エリア」「横川エリア」の3つのエリアに伽藍が集まっています。古くからの信仰の山で、最澄が中国で学んできた天台宗を開いた修行の山で、奈良の貴族仏教と違い日本庶民仏教発祥の地なので、その他無数に大小伽藍があるのでしょうが。元々奈良仏教勢力の政治への口出しを嫌い、京都に遷都したから、奈良仏教とは一線を画していますね。お昼に少し早いですが、比叡山そばを賞味しました。既に朝から随分歩いてるのでうまいです。「根本中堂」にお参りです。こんな山の上にこんな巨大な伽藍が・・・それを見るだけで昔の方の努力に頭が下がります。建物に入ると法要の声が聞こえています。ご本尊?を望むお参りの場所から一段下がったところにお坊さんが座られて御作法をなさっています。暗さといい、お声といい、響きといい、お香の香といい、さすがに延暦寺です。自然に正座して手を合わせてしまいます。お賽銭ももちろん。交通安全のお守りを2つ買いました。1つは車で帰省してきた長男用に。もう一つは交通機関で働く彼のGFさん用に。連休中に4人で食事することになっています。長男君から「一席設ける」と言われています。日頃お世話になってるので、家内が時々GFさんに何か贈ってるようですが、初めての4人の席に何か用意しようと思ってました。お守りだから金額は張りませんが、この雰囲気で購入したものだから値打ちが違うように思うのだけど・・・。ケーブルに乗るとき、切符売り場で山上シャトルバス乗り放題切符を買うかどうか相談しました。売り場のおばちゃんによると、「横川まで行くのなら必要だけど、東塔・西塔エリアで十分だと思いますよ」とアドバイスを受けました。簡単に歩ける距離だと思って西塔に向け出発です。ところが結構歩きました。20分ぐらい歩いたんじゃないかな。しかも下り坂で階段がいっぱいありました。次に山頂駅から八瀬に下りようと思ってるから、再びこの高さまで上ると思うと、下りながら「もう勘弁してよ」という気持ちになりました。西塔は、東塔エリアに比べるとぐっと人が減りました。我が家の浄土宗の教祖法然さんの修行の地があり、お釈迦様の歴史とともに生涯の概略が書かれていました。最澄天台宗-法然浄土宗-親鸞浄土真宗の流れがここにあります。みんな天台宗比叡山から派生してるからなあ。どんどん庶民仏教になっていき、浄土真宗は一向宗・一向一揆として時の権力者と一般庶民が真っ向対決しました。三重長島や越中一向一揆は武士に平定されたけど、石山本願寺は最強信長軍団を相手に負けませんでした。天皇の仲介で一向宗が本願寺を出て数年にわたる戦闘が終わりました。秀吉が難攻不落の石山本願寺の地にそのまま大阪城を建て、息子の秀頼に「絶対にこの城を出るな」と遺言したエピソードが残っているぐらい強固な城でした。家康の甘言にだまされて外堀・内堀を埋められて「大坂夏の陣」で落城しますが、家康方20万の軍に囲まれた「大坂冬の陣」では、半分以下の軍勢、それも寄せ集めの軍勢で勝ち戦を続けました。江戸城は攻められたことがないので防御力は未知数ですが、大阪城、元石山本願寺は戦国最強の城だったのではないのかな?歴史好きの僕のロマンが広がります。難攻不落、最強のお城が戦争のプロ武士ではなく、庶民が作ったというのは痛快です。ロマンといえば、家康の軍師天海和尚もここにいた人です。諸国を回る僧から地方情報が集まり、それを家康に伝えていたとか。天海さんは家康没後、比叡山の麓坂本に日吉東照宮を作り、それから日光東照宮を作り、それから各地に家康を祭る東照宮が出来たとか。この天海和尚自身が、光秀と同一人物だったという説もあり、多少の無理があるにせよ「反信長」の僕には聞こえのいい話です。「本能寺の変」の諸説を読んでいると実に面白いです。西塔エリアで、ゴーンと鐘を撞いてきました。それを合図に、でもありませんが、バス停に向かいました。あの階段を上がる気力はありません。もらった比叡山のパンフを凝視して近くにバス停を見つけた時には小躍りする気分でした。バスで山頂駅に着き、ロープウェイとケーブルカーを乗り継いで京都側の八瀬に下りました。八瀬に下りると、市内よりは過ごしやすい場所にあるはずですが、やはり比叡山よりは気温が上がり、ちょっとムッとした感じがありました。1両の叡山鉄道八瀬線に乗って、再び旅気分です。最近の我が夫婦ではお馴染みの出町柳終点までやってきて、家内が「ここに出て来るのね」と驚いています。方向音痴・地図の読めない彼女には、各地が平面地図上でつながっていないのかも知れません。面白いです。京阪出町柳駅から駅名がおしゃれに変わった祇園四条駅まで乗り、阪急四条河原町駅から帰宅しました。家内にとっては次男君の顔が見れなくて心残りがあったでしょうが、楽しい1日を過ごせました。風はずって吹いてたようなので、次男君もレースを楽しめたでしょう。
2009/05/08
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坂本駅の1つ手前が「穴田駅」でした。「あなたえき」だと思っていたら「あのう」と読むのですね。戦国時代に活躍した石垣積みのプロ穴田衆の本拠地です。いままで穴田積のいろんなお城に書かれていた案内板で、ずっと「あなたつみ」と読んでました。前に座ってた大学生風女子2人組も「あのうって読むんだ~」と驚いていました。京阪坂本駅に到着です。体格のいい学生服姿の高校生風お兄ちゃんが数人電車から出てきました。貸し自転車屋がないものか駅員さんに聞いてみましたが、分からないそうで前の観光案内所の場所を教えてくれました。歩き出すと駅員さんが「特設テントが出てるから、そっちで聞いてもらえば」と声を掛けてくれます。観光協会のおじさんのようで、連休中なので特設テントを駅前に出してるようです。数枚のパンフレットと、いろんな施設利用に使える割引チケットのつづりをもらいました。とても親切です。聞くと丁寧に教えてくれる、人と人のふれあいも旅の楽しみです。田舎はいいね。貸し自転車はないようなので、予定していた坂本城跡訪問は諦めました。明智光秀ファンの僕としてははずせない場所だったのですが、徒歩だと辛い距離です。渇水時は石垣の遺構が姿を見せるそうですが、日頃は城跡の碑が建ってるだけだから次のお楽しみに残しておきましょう。ゆるい坂をケーブルの方に上っていきます。「坂本城跡」「穴田積み石垣」「日吉大社」「西教寺」が坂本のメニューでしたが、「穴田積み」は至る所にありました。そこらの石垣がみんなそうです。「穴田衆」が石垣の石積み技術職人集団として今に聞こえているのは、もちろんその優秀さからです。天然石を加工して形を整えず、そのままの形を利用して大小さまざまな形の石を組み合わせて石垣を組みます。時には石碑や墓石まで使われることもあったそうです。石垣崩れの最大の原因、水はけをうまく捌き、内部の土流れを抑えることで長持ちしたそうです。見た目は綺麗ではないのでしょうが、本来の役目に秀でていました。僕には、いろんな形の石が綺麗にはめ込まれているように見え、まるでジグソーパズルを見るようで好感が持てます。ケーブルの方にしばらく上ると、「右西教寺1.2km」の看板、往復で30分以上歩かなければなりません。光秀のお墓があるからこちらもはずせないと思ってたのですが、足は温存しとかないといけないので諦めました。貸し自転車があればなあ・・・ケーブル手前で、「日吉大社」に入ります。さっき観光協会のおじさんにもらった割引券で50円引きで2人で500円ほどでした。全国の日吉神社の総本山のお宮ですが、それほど期待していませんでした。ところがどっこい、ここは素晴らしいです。古事記に載ってるという古い由緒あるお宮で、雰囲気がとてもいいです。桜や紅葉の木がたくさん植わっており、春秋のシーズンはとても綺麗でしょう。坂本の町が京都のような巨大観光スポットではないので、人じゃなくて木々の美しさにゆっくり浸れそうです。惜しむらくは、16世紀以前の建物が残っていないことです。信長の比叡山焼き討ちの時、坂本から上った織田勢にみんな焼かれてしまいました。信長没後、秀吉の命で再建したそうです。後に上った比叡山延暦寺もそうですが、織田軍として焼き討ちに加わった秀吉や友軍だった家康でも、あまりひどいと思ったのか、信長の非業の死を焼き討ちの災いとして恐れたのか、信長の死後一気に手厚い支援を受けて再建されています。日吉大社を満喫し、ケーブル乗り場に向かっていると、「比叡山高校」がありました。高校野球に滋賀県代表で甲子園にやってくる学校ですね。こんなところにあったんだ。さっき駅で見かけた体格のいい制服の子は、ここの生徒だったんでしょう。
2009/05/07
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月曜日の夜中(火曜日)、何となく目が覚めて階下に下りてトイレに・・・ん?長男君が洗面しています。夜中からどこかに行くのかと思ってると、「おやすみ~」と自室に消えていきました。今帰ってきたようです。2Fに上がる途中、「タ~君、帰って来てるみたいやで~」と教えてくれました。玄関に次男君のスーツケースが置いてあります。日・月の2日間のレースを終え、琵琶湖から帰ってきたようです。自室で寝ているようです。出張の多い長男君から学生時代にもらったものです。長男君によると、4輪スーツケースの方が使いやすいようで、2輪のこれを弟にあげて新しいのを買いました。当然もう一眠りして、いつものように6時前に目が覚め、早朝自転車の用意をしていると、「帰りにコンビニに行って買い物してきてくれる?」と家内に頼まれました。突然帰ってきた次男君用の買い物のようです。レースを終え、そのまま東京に帰ってしまうものと思っていたのですが、やはり家内は嬉しそうです。帰ってくると分かっていれば、もっと用意してあげたかったでしょう。でも男の子なんて、寝るとこと飯さえあればOKだからね。「いつまでいるのかわからないけど、味噌汁が好きだからね」と、お味噌・お豆腐・紅しょうが3品のお買い物です。彼は、毎朝必ず、ご飯・味噌汁を食べる古風な日本男子です。コンビニで豆腐なんて買ったことないぞ、あるんか?メモと渡された2000円をポケットに入れて、猪名川土手を走ってきました。本日のデータは、1:07:33、21.53km、平均速度19.1km、最高速度39.7km。総走行距離は、420.31kmになりました。朝だけ30分~1時間、トータル30日の結果です。1日14km走ってるようです。早朝マラソンなら絶対無理だけど、スポーツ自転車なら簡単です。帰路、ちょっとコンビニさんに寄り道です。店の前に自転車を止め、ふと・・・鍵使うの初めてだ・・・なんて思いながら、サドルバックからゴソゴソと鍵を出して、店の壁に自転車を立てかけてロックしました。掃除をしてた店員さんに、メモを見せながら、「お味噌・お豆腐・紅しょうが、こんなのありますか?」・・・卵豆腐だったけどありました。味噌汁に黄色の豆腐は合わないけど、まあいいでしょう。味噌のみんな1種類だけで選びようがなく、「これしかありませんけど・・・」と店員さんは恐縮してましたが、1種類あれば十分です。「あったあ~これで十分です。ください」と笑顔で答えました。表に出て、コンビニ袋をハンドルに掛けようとして、はたと悩みました。ドロップハンドル自転車は、ブレーキラインが前向いてるハンドルの先端についてるブレーキから出てるので、ママチャリのように引っ掛けるところがありません。う~む・・・「ここでもいいか」とブレーキブラケットの角に引っ掛けました。ブレーキラインに干渉するので、いいところとは言えません。他に引っ掛けるところはないし・・・みなさん、ドコに掛けているのでしょう?家に戻ると豆腐の入ってない味噌汁が出来上がっていました。「卵豆腐しかなかったよ」「ありがと」、豆腐を入れて出来上がりですね。我が家に家族4人が揃うのは、多分1年ぶりぐらいです。お盆も正月も、子供達の帰省はずれてたからね。もし今夜も次男君がこっちのいるのなら、長男君のGFさんを交えた夕食会に次男君も加わるのだろうか?昨夜、「市内のホテルにした方がいいとか言った方がいいんじゃないの?」と家内に言われましたが、「言わないよ。考えてるよ。僕は言われたとおりのところに遅れないように行くだけ」と答えました。長男君プロデュースなので、僕はなんも言わんのがいいです。ちゃんと頭が回る子達なのでお任せです。これは長男君の問題だから、自分の考えた作戦を実行するのが一番です。親の考えなんて、余計なお世話でしかありません。
2009/05/06
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日曜日は、家内と湖西坂本と比叡山観光に出かけました。当初の予定では、4月4週に渡る新人勧誘試乗会応援が終わったので、京都北山とか篠山から西の加古川沿い方面へ、1日中バイク三昧と思っていました。ところが、「5月の連休の琵琶湖のレースに次男君が出場するんだって」と部員から仕入れたわが子情報を家内に話すと、「じゃあ行ってみる」と言い出したので、密かに予定変更しました。ヨットレースを1日見てても家内は飽きるだろうし、気象によっては辛くなるから、ゴソゴソとメニューを組んでみました。ずっと散策してみたかった坂本の町をメニューに入れると、比叡山延暦寺に上がる坂本ケーブル、京都側八瀬に下りるロープウェイ・ケーブル、京福電鉄で鞍馬・・・と頭の中で広がります。連休で帰省している長男君はほっといて(土曜日は阪神巨人戦に繰り出してたようです)、日曜日は5時台に起床です。レース出艇する8時に間に合うように6時出発です。大型連休中で休日高速道路どこまで行っても1000円キャンペーン中なので、時間の読めない車はやんぺです。車がないと車窓から見える景色だとか、徒歩で感じる町の匂いだとかが感じられるから、本日はこっち系を楽しみましょう。僕は用意が出来たのですが、家内はそれ、まあ女子特有のいろんなことがあり、・・・「派手?笑っちゃやよ」って鮮やかな赤系の上着に持ってる帽子が合わないとかなんとかで・・・30分も遅く自宅を出発しました。女子はこういうのも旅の楽しみなので、ニコニコ笑って適当にヨイショする言葉を掛けながら急がせず待ちます。駅に着くと、サンデー毎日なお父さんが、自転車を輪行袋に入れていました。ホームで電車を待っていると、そのお父さんがやってきて家内の向こうの席に座りました。これはラッキーです。「結構小さいな。後のタイヤもはずしてるみたい」電車に乗ると、先頭車両の運転手の後の広くなってるところにシートで自転車をくくって、前の席に座られました。自転車の袋も年季が入っており、ベテランと見ました。興味深々で見ます。「なるほどそういう風にするのか」家内がいなかったら、「あの~すいません」と自転車を電車に乗せるノウハウを聞いていたでしょう。JR大津京駅で下車。その時点で、「8時半ごろ出るわ」と言われていた8時半です。「間に合わないかもしれないな」と思いながら、家内を失望させたくなくて、「琵琶湖は大抵朝は風ないから、朝は風待ちでまだ陸上にいるよ」と声を掛けておきました。予定通り風はなさそうだなと艇庫に向かって歩き出すと、木々が適当に揺れています。「あかんかも?」と思いながら何も言いません。失望は最後でいいでしょう。柳ヶ崎YHの方を見ると、マストがありません。「こりゃあかんわ」と観念し、「どうも出艇しちゃってるみたい。朝からいい風が入ってるから、ター君はたくさんレースを楽しめるよ」と間に合わなかったというマイナス言葉を口にしないようにしました。「間に合わなかった」を強調すると、家内がかわいそうです。目立つ赤系の服装は、次男君やクラブの若い子達に「若いお母さん」を演出しようとしたに違いありません。残念・・・艇庫に着くと、次男君と同回生のOB君と2回下のOB君が出てきました。「レース見ます?レスキューに乗ってもらうことになりますけど・・・」「観光に来たついでだから、コレ息子に渡しといて」とJAFの申込書を渡しました。生計を一にしなくなった次男君は、僕の家族会員から独立です。家族会員中の今月中なら新たな入会金が発生しないそうです。家内も「日焼け止めと日焼け止め落としを渡しておいてもらえますか」と、各3000円コースのいいものを渡していました。親父からなら「1000円で十分やろ」なのですが、お母さんは全然違います。京阪近江神社前駅まで歩きました。駅・艇庫・駅が結構歩きます。駅のベンチに腰掛けたら足がホッとしました。京阪のこの駅、旅気分満点です。まず無人駅。改札がなく駅構内への出入り自由です。「電車の中で切符を買うのかな?」と腰掛けていると、もう一つの入口のところにカードリーダーがあります。ICOCAカードを通しておきました。石山行きの反対側電車がやってきて出発していきました。次の駅に止まったようですが、隣の駅が見通せる距離にあります。「近~い」。坂本行きの電車がやってきたので、電車オタクの鉄っちゃん風にカメラに収めます。なんか家内に笑われてるけど、まあいいでしょう。2両連結の懐かし気な電車でした。「なんか懐かしいね~。こういう電車いいわあ」と家内もご機嫌です。
2009/05/04
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高速道路が大渋滞だと、今朝のニュースで言ってました。土日祝日が、「どこまで行っても1000円」だから、今日から本格的に、「連休1000円高速乗り放題」期間になるのですね。2週間も連続してお休みのある方もいるようで、こんなに長かったら曜日の感覚がおかしくなって、ウィークデーに長距離高速に乗って、出口でETC料金の数字を見て驚く人もいるんじゃないかと思います。長男君は、往路東京名古屋間はその恩恵に預ったようですが、復路は連休をはずして帰るみたいです。6日にGFさんを交えての夕食会を組んでるということはそういうことでしょう。あるいは、6日の夜中12時直前に高速に乗り、1000円渋滞の影響を極力少なく帰るのかもしれません。この渋滞、1000円の影響もありますが、新型インフルエンザの影響もあるかもしれません。公共交通機関の人ごみを避けるために車で移動を選択した人もいると思います。長男君が帰宅して食事をしてる時に、「上司から電話が入り、空港で缶詰やねんて」と言ってました。ちょうどその時、「アメリカからの便に疑いのる方が乗ってるので、周囲の座席の人も留め置かれている」とニュースで流れ、あの飛行機に乗ってたのかな?なんて話しました。この影響で、長男君の海外出張も減ってしまうのでしょう。半年ぐらい前、アメリカと韓国に時々出張があると言ってたので、しばらく見合わせになるのでしょう。明日は、次男君が週末の琵琶湖のレースに出場してるようなので、顔を見に行こうと思っています。前の日曜日、ヨット部員から、「息子さん来週レースに出るようですね」と教えてもらいました。親子会話がないもので、というか必要以外のことはしゃべらないのが男子だから、そんなもんでしょう。それを家内に話すと、「顔見に行く」ということで、お供することになりました。風があれば、レースへの出艇が8時ぐらいなので、家を6時ぐらいに出なければなりません。もちろん電車で出かけます。車で高速に突っ込もうものなら、時間が全く読めなくなります。朝次男君の顔を見て、すぐに坂本にでも行ってみようと思います。駅にレンタル自転車があれば、ハーバーから坂本までは15kmぐらいなのでちょうどいいのですが、なければ徒歩で駅に戻って電車で行くつもりです。JRでもいいのですが、「おけいはん」京阪電車の方が2両編成でローカルな感じがするので、そっちに乗ってみたいと思います。坂本は、明智光秀の居城坂本城があったところで、信長の比叡山焼き討ちで焼かれた町です。比叡山や京都への物資流通の重要拠点で、延暦寺と全国の日吉神社の総本山・日吉大社の門前町で栄えました。光秀好きの僕は、ただ碑が残ってるだけのようですが、坂本城跡訪問ははずせません。日吉大社にも寄って、不ぞろいな天然石を石垣に組む穴太積みの本拠地でもあるので、たくさん残ってる穴太積み石垣見物も楽しみです。坂本見学後、坂本(琵琶湖側)から坂本ケーブルで比叡山に上がり、歩ける範囲の延暦寺の伽藍に訪問し、八瀬(京都側)にロープウェイで下りようと思っています。更に時間があれば、叡山鉄道で鞍馬山の方に行ってもいいけど、多分そんなに時間はないでしょう。八瀬から叡山鉄道で京都方面出町柳に向かい、そこから京阪電車で四条、それから阪急電車で帰宅という計画を立てました。比叡山から、眼下の琵琶湖に浮かぶレース艇群が見えるといいな。我が家のお花シリーズ ママチャリに乗ったお花です。家内の履いてる白のズボンは、長男君の中学陸上部時代のユニフォームです。僕が自転車に乗るとき履いてる青のズボンは、コレの色違いで、夫婦で長男君のお下がりを着ています。
2009/05/02
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先週の日曜日、琵琶湖からの帰りは渋滞ナシでした。天気が悪かったからか、4月初旬の桜行楽疲れか、日頃の日曜日以上にスムーズに走れました。地元に戻り、家に帰らずそのまま自転車屋さんに直行です。注文した家内のクロスバイクの整備は終わっていました。お金さえ払えばいつでも持って帰れますが、ライトや予備チューブ・サドルバック・・・など必要なものを購入しました。マメな方や細かい作業も自転車の楽しみという方は、持って帰って自分で付けるのでしょうが、最初はプロに付けてもらい後日取りにくることにしました。昨日の朝、自転車ラックに2台掛けられるように金具を装着します。2台掛けラックを買っといてよかったです。そしてその日の昼休み、スクーターで急いで帰宅し、車を自転車屋さんに走らせます。自転車の一通りの説明を聞いて、家内用の輪行袋を追加購入し、リアドアを開けて無造作に自転車を突っ込んで急いで帰りました。仕事場に戻らないといけないので、自転車は車に入れっぱなしで仕事場に戻ります。昨夜、仕事から戻り、いつものようにスクーターにカバーを掛け、荷物を玄関に置いてすぐに表に出ます。なんか小学生が学校帰りに、ランドセルを玄関に放り入れて、すぐさま遊びに行くのに似ています。車のリアゲートを開けて自転車を出します。ライトをポチリ。「明るい」そのまま近所を一周して家に戻りました。僕には小さいサイズだけど、なかなか快調です。前日乗ったママチャリとは大きく違い楽に進みます。玄関を開け、自転車ラックの僕の自転車の上の金具に引っ掛けていると、門が開く音が聞こえてきました。「長男君かな?」玄関を開けると、「ただいま」って帰ってきました。また最寄の駅まで車で迎えに行く予定だったのですが、タクシーで帰ってきたのかなと外を見ると、なんと車で帰って来ていました。29日の祝日の夜に高速に乗り、朝名古屋に着いて仕事をしてきたそうです。仕事後、再び高速に乗って大阪に帰ってきたというわけです。東京・名古屋間は、祝祭日土日限定の一律1000円の恩恵に預ったそうです。玄関を入ってきた長男君はまず、「え~、何これ?どないしたん?2台ともお父さんの?」「いいや上のはお母さんの」「え~お母さんの?」「お母さん、どないしちゃったんやろ?」みたいな顔をしています。まあ運動系の女子ではないけれど、新婚時代はテニスウエアを買って、市のテニスコートで2人でテニスしてたし・・・羽子板のようなてんぷらを揚げてるスタイルのテニスだったけど・・・ワンピースとビキニの水着も持ってるよ・・・カナヅチだけど・・・スキーだって毎年一緒に行って滑ってたし・・・すぐにわが子君たちに抜かされたけど・・・だからお母さんもスポーツ自転車ぐらい乗るのです。ゆっくりスピードで、上り坂が急になるとがんばらずにすぐに降りて押して上がる夫婦自転車になるのは見えてますが、僕は家内と一緒がいいのです。今月から、”夫婦でルンルン自転車”の始まりです。月1~2回のペースで楽しみたいと思います。我が家の春のお花シリーズ第2弾 今年も咲きました
2009/05/01
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