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福岡は今日は雪景色の朝でした。 眠ってる娘の耳元で「雪!」とささやくと、いきなり飛び起きて、数秒で中庭まで走っていきました(^^; さて、いよいよ大晦日ですね~。 江戸時代は、大晦日といえば掛取りといって、まあいわばローンの一括支払日が全部この日に集中してたので、庶民には気の重い日だったようです(^^; この掛売りをやめて「現金掛値なし」で商売を大きくしたのが、三井高利という人物で、日本橋の一等地にずらーっと軒を並べて開いた店が、越後屋。越後屋にも色々あるので、ここは三井の越後屋と呼ばれて、略して三越。そう三越百貨店の前身です。 まあ、そんな与太話はいいとして、今年も今日でおしまいです。 思い起こせば、いろんなことがあった年で、自分史を書くとしたら必ず話題に上る年であったことは間違いありません。今年の初めと比べて、確実に自分が進歩している感覚が嬉しいですね~。 自分をここまで成長させてくれた両親や家族をはじめ、これまで出会ったすべての人に感謝したい気持ちです。また、自分がこれまで味わった様々な思いも、同じような気持ちでいとおしく感じます。つらい思いや悲しい思いも、それらがあればこそ、今があるのだとしみじみ思うからです。 では、もうそろそろお風呂が沸くので、ゆっくりと今年の垢を落として、後は家族との時間にしようと思います。明日からは、お節とお酒を堪能しながら、のんびりと自宅で過ごす予定です。 今年一年ありがとうございました。 来年もまたよろしくお願いいたします。 皆様にとって、実り深い一年が終わり、さらに輝ける年がやってきますように、、、。
December 31, 2004
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いよいよ今年もあと二日ですね~。 我が家のお正月準備も明日30日がピークです。 昨日は鏡餅を作りました。これまでは餅屋で買ったり、義母が作ったり、実家の親父が作ったりしてたんですが、今年はついに僕が初挑戦! うちの親父は何をやらせても器用で、しかも完璧主義の人ですので、親父の作った鏡餅は十分売り物にできるくらい見事なものでした。その親父の仕事を子供の頃から何度も見てきたし、しかも半分はその血を引いてるはずなので、まあなんとかできるだろうと軽く考えてたら、これがまあ見るのとやるのとでは大違い。 2個作って、片方は「メロンパン」。 そして、もう片方は「やぶれまんじゅう」になりました。 もう笑うしかないっ! 普通の小餅は、かなりうまく丸められるんですが、鏡餅は全く勝手が違いましたね~。来年のために今回修得したノウハウを書いておきます。 ・鏡餅用の米は、硬めに蒸す(通常の8割くらいの水でよさそう) --柔らかいと餅の高さが出せないので ・上新粉をつけた部分を決して内側に練りこんではいけない ・餅を回転させつつ、皺が寄らないように餅の表面をなでながら、せり上げるようにして 高さを出す(言葉で説明するのはムズカシイ) さて、前回炭の火起こしの話を書きましたが、うちの息子はあれがすっかり気に入って、毎朝日課になってます。家中で一番早起きして火を起こしてます(^^; 思えば、僕も火遊び大好き少年でした(^o^) 七輪も使ってたし、お風呂は小学校入学くらいまでは五右衛門風呂だったので、風呂釜の火を見るのは大好きでした。なんか飽きないんですよね~。 冬のストーブも楽しくて、燃えさしのマッチをドーム状になった網に突きさして燃やしてみたり、こぼれた灯油に火のついたマッチを近づけても燃えないことを発見したり、、。(注:ガソリンでこれをやってはいけません) 火は常に生活の一部だったんですよね。 それが今や、現代人が火に触れる機会は減る一方です。ファンヒーターの中で火が燃えてても、それが火だとは意識しないし、オール電化の家に住む人なら尚更です。 また最近の子供たちは、危険だからという理由でマッチすらなかなか扱わせてもらえないらしいし、火のことをよく知らずに大きくなってる子もたくさんいるんじゃなかろうかと思います。 火だけではなくナイフでも木登りでもそうです。 危険という理由で、遠ざければ遠ざけるほど、その危険は増大すると思います。よく見えなくなるからです。また見えないことからくる恐怖も増大して、より一層遠ざけたくなるという悪循環も生まれます。 それよりも、危険ともっとお近づきになって、よく見える状態にしてたほうが、危険は避けられると思います。経験的に対処法がわかるからです。 だから、ぜひ危険とお友達になりましょう。その付き合い方のある程度のマナーさえわきまえておけば大丈夫さ、という感覚をつかむのが大事なんだと思います。だって、危険を怖がっておびえて生きるより、その方がずっとお気楽な人生でしょ(^o^)b こうした考え方は、危険に限らずなんにでも応用できます。 自分とは違う別世界の存在と感じてるものに対して、自ら胸襟を開くことで、そのものを身近な存在としてとらえなおすんです。 色々思いつくまま書いてみましたので、ご自分のやり方で友達を増やしてみてください。 危険と友達になってみる ケガと友達になってみる 病気と友達になってみる ウィルスと友達になってみる 痛みと友達になってみる 嫌いなものと友達になってみる 嫌いな人と友達になってみる その人を嫌いだという自分の感情と友達になってみる 嫌いな自分と友達になってみる 自分を嫌いだという自分の感情と友達になってみる イライラと友達になってみる 怒りと友達になってみる 寂しさと友達になってみる 恐怖と友達になってみる 絶望と友達になってみる 死と友達になってみる よーし、今日から友達だ!っていう気分でこれらを眺めてみると、きっとまた違う側面が見えてくるはずです。 そして無事に友好関係を結ぶことができれば、きっと相手はあなたに脅威を与えなくなるはずです。なんせ友達なんですから(^o^)b
December 29, 2004
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福岡でも最高気温が10度を切るようになって、いよいよ年末らしくなってきました。 うちの家族は皆お正月が大好きなので、その準備に大忙しです。 今日は、火鉢を出してさっそく鉄瓶でお湯を沸かしました。あのシュンシュンいう音を聞くと、冬だなあとしみじみ思います。 炭を使うのに前々から不満だったのが、火起こし! 火起こし鍋に炭を入れてガスコンロにかけて10分くらいかかります(^^; それで今年は新兵器を導入しました。その名も「火起こし達人」(800円くらい)。金属製の円筒に、焚きつけとして新聞紙2,3枚と割り箸4,5本入れれば、炭に火がつくという代物です。やってみたところ、これは時間も早いし、火もよく起きる! 要はまあ、煙突効果で燃焼効率がいいんですね。ただ毎回割り箸を使うのは勿体無いので、息子の工作の残りの木切れや枯れ枝なんかを鋸で挽いて、小さな薪にしてます(担当=息子)。 考えてみれば、昔はみんな燃えるものはみんな“おくどさん”(=かまど)か風呂の焚きつけにしてたし、それでなくても燃えるゴミは各家庭で燃やしてました。今は、プラスチックなどの“燃やせない燃えるゴミ”が多いとはいえ、全部お役所にゴミ処理を委託して、そのために税金払ってるのはバカバカしいですね。しかもその結果、どこの自治体もゴミ行政は破綻してるというのに、、。 この「火起こし達人」のおかげで、我が家は冬の間は何でも焚きつけにできそうで、なんか楽しみです。 これに難点がひとつあるとすれば、それは煙。炎が出てくるまでの2,3分、かなり煙がでるので、近くに洗濯物を干してる時には要注意です。まさか近所から苦情は来ないとは思うんですけどね、、、。 その昔、仁徳天皇が庶民の家々から煙が出てないのを見て嘆いたという故事も、今は昔ですね(^^; 今日は餅つきもしました。 出来れば臼と杵でつく本格的なやつがやりたいんですが、臼がかなり高価だし、一軒の家だけでやってもすぐに搗き終わって面白くないので、餅つき器でやってます。 今年はヨモギ餅にも初挑戦しましたが、なかなかいい出来です。明後日は鏡餅にも挑戦です。 子供たちも大騒ぎしながら、お餅を丸めてくれました(博多のお餅は丸いんです)。途中、蒸したてのおこわを食べたりあんこをなめたり、失敗作のお餅にかぶりついたりと、手伝ってるのかがっついてるのかわかりませんが、家族みんなで作業するってのがいいなあと思いました。 この前の味噌作りのときにも思いましたが、最近の家庭は、家族そろってのこうした共同作業ってどうなってるんでしょうね? 家族そろって何かやるといえば、外食かレジャーしかないとすると、なんだか寂しいですね(^^; 家族レジャーの楽しみもいいもんですが、ただお金を出して受身でサービスを受ける喜びよりも、自分たちで手間暇かけて何かを作り上げる作業を家族で共有すると、レジャーなんかと比べ物にならない宝物を得るような気がします。 働くことの意味、生活に対する姿勢、家族としての一体感、集団の中で自分の役割を見つける目・・・僕は知らず知らずのうちに、親からそういうものを受け継いできたんだなと、ふと親に感謝したくなりました(^^) それにしても、こうした年中行事の際には、同居の義母の存在がとてもありがたく思えます。かみさんでは、まだまだ到底あの域には達しません(^^; 年寄りがやっかいもの扱いされるのも、こうした行事をないがしろにしてるからだとつくづく思います。p.s余談ですが、今日久し振りに『サザエさん』を見ましたが、磯野家は、臼と杵で餅つきをやってました。ふと見ると、餅をつく波平さんの足が逆!(笑)この原画を描いた人はやったことなんだろうなあ・・・。
December 26, 2004
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こうするしか方法がない・・・これをやらないと大変なことになる・・・もしこれが失敗したらどうしよう・・・本当にそうでしょうか?どんなときにも手はいっぱいあります。いろんな思い込みにより手が見えなくなってるだけです。自分が千手観音であることを思い出してください(^^)
December 22, 2004
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今日は10月から受講している全6回のコーチング講座の最終日でした。 人って、話を聞いてもらうととっても元気になるんだということを実感として味わうと共に、だからこそ人の話は精一杯聞いてみようとつくづく思った講座でした。そして、そのための基本的なスキル(聞く・承認・質問etc.)も、仕事としてやるには程遠くても、やってみることに抵抗がなくなる程度には経験できました。ありがとうございました > musameji先生 講座の後、先生も含めほぼ全員で忘年会をやりました。 そこで初めて、皆さんのプロフィールなりやってることを聞くチャンスに恵まれましたが、いやー聞いてビックリ。わずか10数人の集いなのに、なんてすごいばっかり集まってるんだろう! なんせコーチングを学んだ人ばかりですので、何をどう話しても肯定的に聞いてもらえるという安心感はあるにせよ、皆さんどの人もキラキラ輝いてるんです。職業とか活動内容とか抜きにしても、そのいきいきした表情を見るだけで、もうとっても幸せな気分になりました(^o^) 実はどんな人でも、こうしたリラックスして自分を表現できる環境に置いてあげれば、ひとりでに輝きだすんじゃないかと思います。そしてそれこそが本当の自分なのではないかと。 もし今、「こんな自分はイヤだ~」という思いに苛(さいな)まれてる人がいたら、ちょっと勇気を出して、自分をオープンにできる場を探してみませんか? そこで自信をつけて「あ~、こんな自分でも受け入れてくれる人がいる」「自分はこの世に存在していいんだ」という、あったかーい思いを心の深いところで実感できれば、今つらいと思ってる環境が激変する(して見える)でしょう。 その場合、コーチング講座というのがきわめて優れた場であることを、一言付け加えておきます(笑)
December 20, 2004
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先週の日曜日あたりから、そろそろ年末モードに突入してます。 先週は、冬の風物詩である味噌作り。今年は3.6リットルの常滑焼きの甕を3つ分仕込みました。その製作記事を写真入りで紹介しようと思ったんですが、この1週間は会社の研修で死んでたので叶わず(^^; 正月休みに写真の整理をしながら、のんびりUPします。 今日は、ついに雨水利用システムが完成しました。2階の義母のベランダに蓄えられた200リットルの雨水を、ホースで下まで引っ張って、無事に庭に散水できるようになりました。 勢いよくとまではいきませんが、まあ我慢できる程度に“ちょろちょろと”水がほとばしります(笑) 水道料金を気にしなくていいし、非常用の飲み水にもなるし、なんか嬉しいですね~。最初から最後まで一緒に手伝った息子も、キャーキャーいいながら喜んでました。 昔は、降った雨はそこで地面にしみ込んで、井戸水や地下伏流水となるというサイクルができてたと思いますが、今は、宅地の半分以上を占める建物上に降った雨は、全部下水道に流れていくんですから、もったいない話です。 もともと下水道は、明治になってわが国に初めて敷設された当初は、雨水が川に流入するのをバイパスして洪水を防止するという目的だったそうです。今は、それに汚水も流し込んでまとめて処理してるというわけです。 下水処理施設の処理能力は流量で決まりますから、当然ながら激しい雨のときには、何も処理せずにそのままどんどん放出したりするんだそうです。その場合、見かけ上は薄まった水になってるんですが、汚れ分の総量は変わりません。 また、(広域)下水道の問題としては、重金属汚染だろうが界面活性剤だろうが味噌汁の残りだろうが、ありとあらゆる雑多な汚水をまとめて処理する必要があるので、とてもすべては処理しきれないし、また処理にかかる手間が膨大になります。 どうせ下水道に流すんだからと、どんな汚水を流しても構わないと思いがちですが、実はそうじゃないんですよね~。 これは下水道だけに限りませんが、結局、“後始末”の関することは、最後にまとめてやろうとすると大変!なんだと思いますね~。ゴミの分別収集もそうだし、子供のおもちゃの片付けもそう(^^; まとめてやろうとすると、どうしても“振り分ける”という作業が必要になってきて、その分手間が膨らみます。 そういう意味で、個人個人がちょっとした手間を出しあって社会全体の維持コストを下げていくというのが、人口が激減していくこれからの世の中にあって、生き延びるための方向と思われます。 さて、本日はこの雨水利用システム製作の他に、本付の浄水器のカートリッジ交換やペンキ塗りをやりました。娘が蹴破った障子の張り替えまでは至りませんでしたが、カートリッジを変えたおかげで、お風呂のお湯が一層トロトロで感動ものでした。 我が家はまだまだコタツだけで十分!というぐらい暖かい12月になっている福岡の街ですが、徐々にお正月気分が高まってきました(^o^)v
December 19, 2004
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今日は家族で味噌作りをしました。 味噌麹から作るとなれば大変ですが、麹を味噌屋さんから分けてもらえば作業としてはいたって簡単です。 ※その味噌屋さんは、新潟県長岡市の星六味噌さん(TEL:0258-32-6206)ですが、僕が結婚する前からですから、もう15年くらいのおつきあいになります。この星六さんには進藤先生の冷え取り健康法も教えていただき(参考:1,2)絹の5本指ソックスもこちらから購入してます。幸い今回の地震ではさほど大きな被害もなく無事だったそうです。◎材料(3.6リットルの常滑焼きの瓶1個分) ・大豆(もちろん国産のもの!) 750g ・味噌麹 2kg ・塩(ミネラル分の多い良質のもの) 360g◎作り方(1)大豆を前の晩から良質の水につけてもどす(2)味噌麹が固まりになってるので、それをていねいにほぐして、さらに塩とよく混ぜる (3)もどした大豆を蒸す(ゆでるやり方もありますが蒸した方がアクがとれると星六さんに聞きました)。蒸すのに結構時間がかかります。みすず農場の大豆なんですが、子供たちは蒸しただけの大豆を喜んでムシャムシャ食べます(^o^) (4)蒸した大豆をすり鉢ですりつぶす(ミキサーを使う手もありますが、水っぽくなるのでうちはやりません) (5)すりつぶした大豆を、(2)の塩切りした味噌麹とよく混ぜる。冷えると混ぜにくくなるのでお早めに。(6)瓶の底に少々塩をふり、(5)をすきまなく詰めていく。空気を入れないようにするために、とにかくギュッ、ギュッと力を込めて詰めていきます。 (7)全部つめたら、表面にも塩を少々ふります。 (8)3月頃になって暖かくなると、表面に水がしみ出してくるので、その吸い取り用にキッチンペーパーを敷きます。我が家の場合、さらに竹炭も置いてます(笑) (9)これで出来あがり。我が家の場合、味噌に名前をつけてます。 今年は子供たちにつけさせましたが、3瓶作ってそれぞれ、ドラゴン1号、ナイトウポン2号(幼稚園の先生の名前より・・・笑)、エンジェル3号でした(^^; 後は、暖かくなってきたときに、表面の水をこまめに吸い取ってあげることです。これをしないと、白いカビが生えて腐っていきます。その頃に上下をよくかき混ぜた方がいいのかもしれませんが、よくわかってません。タッパーに入れて冷蔵庫に入れてやるのもいいと思います。 ざっとまあ、こんな感じですが、特に難しい技術が必要なわけでもなく、家族で楽しんでできる共同作業だと思います。それに手前味噌の言葉通り、うちの味噌が一番うまいなあと思えて、毎朝の食卓がきわめて満足度の高いものになること請け合いです。ぜひチャレンジしてみてください(^^)b
December 12, 2004
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通勤中に横を通る樋井川に、もうユリカモメたちが渡ってきてます。 ふと「ぴゅるるるるーーー」という声が聞こえたので上を見上げると、鳶(とんび)がクルリと輪をかいてます。なぜだかわかりませんが、福岡ドーム近くにはよくいるんですよ。 日本最初の本格的推理小説(しかも完成度が高い!)『半七捕物帖』の作者である岡本綺堂のエッセイにありましたが、明治の中頃の新聞に「東京市内に鳶が現れて油揚げをさらっていった」という記事があるそうですから、もうその頃には珍しかったんでしょうね。 さて、もう師走ということで、火の始末には気をつけるシーズンになりましたね。 僕が子供の頃には、冬の夜更けに「火のよーじん! マッチ一本火事の元」という呼び声を聞いた記憶がかすかにあるのですが、最近はどうなんでしょうね。落語の方には『二番煎じ』という、人間臭くてあったかい話があって、故古今亭志ん朝師の名演を聞くと、寒い冬の晩もいいなあと思ってしまいます。 江戸時代の火消しといえば、鳶職の仕事です。 大岡越前守(えちぜんのかみ)が、いろは48組の町火消しを組織させたのが始まりです(ちなみに「ら」「ひ」「へ」組はなかった)。 その頃の火消しは、破壊消防といって、今のように水で消し止めるのではなく、家並みをこわして延焼を防ぐのが火消しの仕事です。したがって、効率よく壊すためには、作った人でないとわからないわけで、しかも高いところをひょいひょい動き回れる人ということで、鳶の職人たちが消化活動にあたりました。鳶という名は、彼らが使う鳶口という道具から来ています。 時代劇の火事のシーンでは、纏(まとい)を振ってる姿が出てきますが、あの纏をどんと立てると、「ここまでで絶対消し止めてみせる」という印なので、一旦纏を立てたら、男のメンツにかけておいそれと後退できないんですね、これが(^^; しかも、いくつかの組が共同で消化にあたってるときに、自分の後ろにもう1本纏が立ったら、後ろが引くまでは、前の纏は下がれないというルールもあります。実際、そんなメンツのために焼け死んだ人もいたんだそうです。 そんな危険な仕事なのに、あの纏持ちというのは、実は憧れのポジションで、火消しの中では頭の次のNo.2がやる仕事でした。だからこそ若い連中は、「兄貴を死なすな~」ってんで、しゃかりきになって働いたそうです。 火消しの頭ってのが、これまた人望が要求される立場の人で、火事のときにどの家までを壊すか壊さないか、またへたすりゃ命を落とす危険な場所に誰を配置するかを決めるわけですから、生半可な判断力じゃできません。仮に失敗したとしても、「あの人が判断してこうなったんなら仕方ない」と回りが納得する人物でないとやっていけません。 だからこそ、江戸の三男(さんおとこ)といって、いい男の代表的職業は「与力、相撲に火消しの頭」となってます。ずいぶんモテたろうと思います。 一旦火事があれば命を落とすかもしれない危険な仕事をしているわけですから、当然鳶の連中は荒くれ男が多く、みんな彫り物はしてるし、すぐにケンカ始めるしで、今なら嫌われるタイプの人種なんですね。『火事息子』という落語でも、大店の若旦那が火消しになりたいと言い張って、ついに親から勘当されてしまいます。 面白いことに、江戸の町では鳶の連中を火消しとして町内が雇ってる形になってるんですね。鳶職としての仕事の一日分にも満たない雀の涙程度の手当ですが、それでも町内のみんなが頼ってくれるという精神的満足により、どぶさらいから町の用心棒までやってたそうです。そりゃー、こわもてのおあにいさんが町内に目を光らせてりゃ、変なやつは入ってきにくいでしょうね(^^; また、男の子にとっては、彼らの背中の彫り物や威勢のよさから、憧れの存在だったようです。 現代なら3Kと言われること確実で、しかも嫌われるタイプの人が多い集団を、逆に生かした江戸の人々の知恵は、見事としかいいようがありません。最後にいい話: 現代の消防士さんもそうですが、昔も今も火事のときの現場責任者の最大の仕事は、「救助のために無理やり中に飛び込んでいこうとする隊員を、いかに押しとどめるか」なんだそうです。 人って美しいなあと思います。 ※参考文献『大江戸ボランティア事情』(講談社文庫/石川英輔)
December 10, 2004
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世界的な工業化の進展により、21世紀における水は、石油同様激しい奪い合いになるだろうと予測されてます。実際にどうなるかはわかりませんが、例えば黄河なんて、河口から数百キロも上流で干上がってて(工業化により取水量が増大したため)、すでに川としての体をなしていないのは事実です。 水資源は豊富とされている我が国でも、バーチャル・ウォーターという概念を導入すればさほど豊かというわけではありません。少なくとも、今の日本人のような水の使い方をしていれば、慢性的な水不足は避けられないと思います。 そこで今日は朝から、「脱・ライフライン計画」の一環として、雨水利用システムの製作に没頭しました。非常時は飲み水用に、平常時は庭の散水用に使えるように、雨水を蓄えることにしたんです。助手は、我が息子です(←こいつがまたイキイキと協力してくれました)。 近くのホームセンターに専用の雨水タンクが売ってるんですが、わずか80リットルでしかも1万円近くするので、別の手を考えました。 アウトドア用品等を収納しておく100リットルのレジャーBOXが1500円だったので、これを2つ使って200リットルの雨水タンクにすることにしました。これら2つを連結し、さらに2階のベランダに置くことにより、その高さによる水圧で庭の散水に使う作戦です。雨水は、特殊な継ぎ手を利用して雨樋から取水します。 上下に重ねた2つのタンクの上のタンクに雨樋からの水を注ぎ込み、下のタンクから1階までホースを伸ばして庭に撒けるようにするわけですが、悩んだのは、下のタンクの水が一杯になったら上のタンクからの水の供給を止める仕組み。密閉式のタンクじゃないので、そのままだと下のタンクがあふれてしまうのです。 この問題は、“工夫の鬼”であるうちのオヤジのアイデアにより、トイレタンク内にも使ってあるボールタップを使って、下のタンクが一杯になったら自動的に弁が閉じる仕掛けを利用して、解決しました。 またタンクの中には、なぜか我が家にゴロゴロしている竹炭やらトルマリンやら天降石やらなんとかセラミックやら喜びが増殖する不思議な水やらをぶち込んで、水の浄化をしています。 結局今日は、散水用のホースに接続するところまではできませんでしたが、実験の結果、散水にもなんとか使えるレベルの水圧も出てるようで、後は安いホースを買ってきてつなげばうまくいくと思います。 今日は一日中働きづめで体は少々くたびれましたが、なかなかの出来栄えに満足できた一日でした。僕と一緒に何かを作るのが大好きな息子も大喜びでありました。 今は、早く雨が降らんかな~と息子と二人で楽しみにしとります(^o^) ・・・さてさて、来週末は味噌作りです。
December 5, 2004
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5年ぶりに携帯電話を買い換えました。 今まで使ってたのはiモードにすら対応してない機種で、特に不自由は感じてなかったんですが、仕事で企画っぽい話をするときに、携帯のサービスの現状を全く知らないのはさすがに困るようになって、ついに決心しました。そこで、次も5年は買い換えなくて済むように、最新機種を購入。 だいぶ使い方に慣れてきましたが、カメラやメールはもちろん動画も撮れるし、ボイス録音やらiアプリのゲームやら、いやはやおもちゃですな~(笑) さすがにまだ手は出しませんでしたが、FOMA端末になるとテレビも見られるんですよね~。 携帯の中身は、ますますもってPCに近づきつつあるわけですが、本当にこれ一台あれば、コミュニケーションもビジネスもエンターテインメントも何でもござれって感じですね。いやーすごい! ・・・とは思いますが。 ここからが本題です(笑) こんなに便利なツールなればこそ、今や駅のホームにしろ、道行く人にしろ、暇さえあれば電話してるかメール打ってるかゲームしてるかニュース見てるわけです。 これは携帯電話だけの問題ではなくて、車に乗ればカーナビがついていて、ナビ機能はもちろんのことレストランの案内やらテレビ・DVDの視聴まできるようになってます。 家に帰れば、大画面の液晶かプラズマテレビがあって、ハードディスクレコーダーに録画した高画質の放送をいつでもスムーズに見ることができます。ハードディスクレコーダーも、多分来年には、1TB(テラバイト=1000ギガバイト)というとてつもない容量のものが出てくるでしょうから、そうなると今までのように、見たい番組を録画して後で見るのではなくて、1週間分の放送をとりあえず全部録画しておいて、見るときに好きなものをピックアップしてみるような流れになってくると言われております。ほとんどテレビを見ない我が家としては、どうしてそんなに見たい番組がたくさんあるのか、とても不思議ですが。 はてさて、これからの日本人に、一人でぼーっとする時間って取れるんでしょうか(^^; いつでもどこでも、外から入ってくる刺激に容易にアクセスできる環境(これをユビキタスネットワーク社会という)が、急速に整備されつつありますから、放っておけば人は刺激に流されるでしょう。 今現在でも、僕ら個人の持つ時間やお金といったリソースの何割ぐらいが、こうした外からの刺激を得るために使われているのか考えると、なんだか寒気がしてきますね。 外の刺激に流されて生きるのが楽なのはわかります。 難しいこと考えなくていいし、見たくない自分も見なくていいし、都合の悪いことは周囲のせいにすればいいし、みんなやってることだからという安心感もあるし。でも、そうした刺激が途切れたときにふと虚無感や禁断症状を覚えるのなら、すこーしライフスタイルを見直してはいかがでしょうか? 刺激に溺れてしまってるからです。 頼むから、もっとぼーっとしましょうよ。 広島から戻って以来、ぼーっとするのが気持ちよくてたまらない僕は、しょっちゅう会社でもぼーっとしてます(笑) ぼっーとしてると、いろんな思いが浮かんだり、いろんな感じが湧き起こったり、外の刺激に負けず劣らずダイナミックな世界が堪能できますよ。ちょいとテレビのチャンネルを、“自分チャンネル”に合わせるようなもんです(^o^)b【余談】 戦後GHQは、日本に対して3S政策というのを施したと言われております。 スポーツ・セックス・スクリーンの3つです。これらに溺れさせることで、一般庶民が自分たちが実は支配されてることに気付かせないようにする政策です。 この政策が最も功を奏したのが他ならぬアメリカ自身ですが、戦後50年以上たって、日本でも見事に花開いたなあと思います。「スクリーン」は当時は映画しかありませんでしたが、今ならテレビ、ビデオはもちろんゲーム類もこれに含まれるでしょうね。 これら3つから学ぶところももちろんありますが、問題は溺れてるかどうかだと思います。 昔の知人でチャネリングやってる人がいて、その人に降りてくる意識体が言ってましたが、テレビからは、「眠れ~眠れ~」というメッセージがいつも流れてるんだそうです。もちろん体を眠らせたいのではなく、魂の覚醒を邪魔しようとしてると言ってました。ウソか本当かは知る由もありませんが(笑)
December 3, 2004
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以前の日記に、食事中は正座するぞ~と書きましたが、5ヶ月たってだいぶ定着してきました。 最初は5分もすると足が痛くなってましたが、今は20分ぐらいは平気になりました。こんなのは慣れの問題だなあとつくづく思います。 子供たちはというと、息子の方はもう何も言わなくても食卓に向かう時は正座するようになってます。娘の方はマイペースなやつなので正座したりしなかったりですが、時々「はい、正座」と促す程度で、特にプレッシャーをかけてるわけではありません。親の方もしびれたなあと思ったら親も足を伸ばしてるし(笑) 無理やり強制するのも一つの手ですが、親が気持ちよくやってたら、だんだんやるようになるだろうと思ってます。(それにしても、学校の方はもう少し姿勢教育に力を入れてもいいんではないかと思いますが、、、) 正座して食事をする。 さらに、最近は内なる神のことを何かにつけ意識するようにしてるので、食事を前にして、自分に中の神様に食事を捧げ一緒に食べる気分で、手を合わせて「いただきます」をするようにしています。 こうすると、当たり前のように食べている食事のひとつひとつがとてもありがたく、自然とよく噛むので味わいも深いです。 たったこれだけのことですが、毎日やってると、なんだか自分が澄んでいくような気がします。 ひとつひとつの生活習慣、ひとつひとつの体験、ひとつひとつの思い・・大切にしたいですね。※たまたま読んでた『日月神示』にこんなことが書いてありました。 「食べ物、今の半分で足りると申してあるが、神に捧げたものか、 祓い清めて神に捧げると同様にすれば半分で足りるのぞ」 別に外の神様に捧げなくても、大切なのは思いだと思うので、誰の心の底にも 必ずいる内側の神様に捧げると簡単ですね(^^)b こういう気分で食べてると、満ち足りた感じがするので、確かに量は少なくても OKだし、それに多分、ジャンクフードだろうが農薬まみれの野菜だろうが、 その“思い”によって浄化されると思います。
December 1, 2004
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