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先日『藤原氏の正体』(関裕二著/東京書籍)という歴史の本を読んでたら、あとがきに面白いことが書いてありました。 ミツバチの話なんですが、西洋種のミツバチの群れの中に和種のミツバチを1匹放り込むと、みんなでよってたかって殺してしまうんだそうです。ところが逆に、和種のミツバチの群れの中に西洋種のミツバチを放り込むと、なんと和種のミツバチはこれを受け入れて仲良く共存するんだそうです。 昨日の食材の話でも、日本の土の持つ「受け入れる力」が極めて強いからこそ、いろーんな作物が育つわけです。また、過去の歴史を振り返っても、異文化を柔軟に受け入れることに関しては、日本は世界有数の国と言えるでしょう。 この受け入れる力、すなわち自分と異なるものと調和する力(調和力とでも呼びましょうか、、)が、土、ミツバチから人に至るまでやたら強力なのが、本来この日本という国が持つ大きな特徴ではないかと思うんです。 ひるがえって世界の情勢を見ると、異文化・異民族への攻撃、価値観や考え方の違いから来る争いなどが、そこかしこで目に付きます。こういう時代だからこそ、類稀な調和力を持つわが日本人の出番ではないでしょうか。 そして、世界を変えようと思ったらまずは自分を変えること、これが基本です。 特に、自分の内側を変えること。自分の内側にある争いや葛藤に注目してみましょう。もしよくわからないときは、自分の内側をよくわかるように表現してくれてる、自分の周りの人々に目を向けてみましょう。 この人はどうしても許せない、あの考え方にはついていけない、といった場合が、大なり小なり誰にでも必ずあるはずですが、もしそうした場合になんとか調和を図りたいと思うのなら、僕らの体に脈々と流れる先祖伝来の血を信じて、その人と向き合ってみてはどうでしょうか。 こちらが大丈夫!と思って取り組むと、意外と事はすんなり運ぶもんです(笑) そして、そうした小さな一歩の積み重ねが、やがて世界を変えていくと僕は信じてます。 そう、誰にだって世界を変える力はあるんです。
March 31, 2004
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和食の特徴は?と聞かれると、魚料理が多彩とか素材の味を生かす調理法だとか、色々答えはあると思いますが、一説によると、それは「食材の多さ」なんだそうです。 フランス料理に使われる食材が約200種、多いだろうと思われる中華料理で700種、和食ではなんとその倍の1400種もあるとか。それだけ海の幸・山の幸に恵まれてるってことなんでしょうね。 なんて素晴らしい国土!・・そう、その秘密は「土」にあると思ってます。 アフガニスタンやイラクの赤茶けた大地に比べて、日本の場合は、その辺に種をまいとけばたいていのものは育ちます。まるで奇跡とすら思えるくらいです。だからニンジンでもカボチャでも、元々は輸入作物でももはや輸入作物と呼べないくらい、国土に定着してるんです。 海の幸についても、その海に流れ込む川の上流の山が元気でないと、魚は育たないと言われてます。だから昔の漁師さんたちは、山に木を植えることもやってたんです。森が土を作り、それが海に流れこんで魚を育てるからです。 実は、植物を育てることのできる土ってのは、ごく表層の一部分だけで、深いところの土ってのは、養分もないし微生物も乏しいので、植物は育ちません。この植物を育てることのできる土の厚さは、驚くほど小さくて、数cm~数十cmぐらいしかないそうです。そんなわずかな土が、世界中の動物たちの食事を作り出してるわけですから、土は大事にしたいもんだと思いますね。 ちなみに、有機物の分解速度が速い熱帯雨林では、それがわずか2,3cmしかないので、一旦森林を伐採すると、その土が雨で流れて、その下の赤土(ラテライトだったかな)が灼熱の太陽にさらされてレンガ化し、森林の復興が極めて困難になります(余談:日本は世界最大の木材輸入国です)。 その植物を育てる土の厚さが一番厚いのが、日本の田んぼだそうで、1mを超えるところもザラにあります。まったくご先祖様の苦労のたまものです。“苦労”なんて一言で済ませるのは、失礼な感じがするほどです。 そんな世界に誇るべき素晴らしい土が、次々とゴルフ場になったり、あるいはコンクリートやアスファルトで覆われていくのは、時代の流れとはいえ悲しいですね。 だからせめて、お米をもっと食べましょうよ。主食を主食らしく食べるのが、その民族にとってもっとも健康的であるのは明らかです。なんせ2000年来食べ続けてきたわけですから、体がそういう風にできてます。昔のように、お米ばかり丼で4杯も5杯も食べるのは、栄養学上さすがにまずいですが、お米がメインで、おかずがサブという感覚は、ぜひ持っていた方がいいと思います。 そして、小さいお子さんがいる方は、「汚れるからダメ」とか「ばっちい」とか言わないで、ぜひ土に触れさせてあげてくださいな。それが僕らの命の元なんですから。
March 30, 2004
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この数日福岡は素晴らしい天気で、一気に春が進んだ感じです。 早蕨(さわらび)の 握りこぶしを振り上げて 山の横面 春(張る)風ぞ吹く 南畝 明治の末頃までは、頓知名人と言えば、一休さん、曽呂利新左エ門、そして蜀山人(太田南畝)の3人の名前が挙がってたそうですが、いや~、うまいもんですね~。 天気のいい日に家にこもってるとなんだか罪悪感を感じるので、この週末は、土曜日は「どんぐり村」という広い野山がウリの行楽地に出かけ、昨日の日曜日は午前中は思いっきり土いじりをして、昼からは花見(うちの回りは3~5分咲きてすね)をしました。子供たちと走り回ったので、体はバキバキですが、心地よい満足感が漂います。 この季節、大地の上を歩かなきゃ損!!という感じがします。 植物と触れ合うのも楽しいですね。今はどの植物もみんな元気で生き生きしてるので、じーっと見てるだけでも、たっぷりエネルギーがもらえます。 今年の我が家の庭の畑では、ジャガイモに挑戦してます。最近やっと芽を出してくれましたが、肉厚の葉っぱに生命力を感じますね。その他、3年目に入ってたくましくなったニラ、毎年種を撒き散らすシソ、ネギ、ミニトマト、枝豆、イチゴ、三つ葉、パセリ、ビタミン菜等、ちょとずつですが、みんな我が家の食卓を楽しませてくれて、そして、みんな可愛いうちの子供たちです。 花も好きです。名のある花でなくとも、道端で風にゆれてる小さな草花でさえ、とてもいとおしく感じるときがあります。 花が咲くのは、虫を引き寄せて受粉をさせるためと学校では習いましたが、それだけではないと思いますね~。それだけのために、あれだけ見事な造形美を作る必要がないからです。そもそも虫なんてそんなに上等な目を持ってるわけではないし。 花は、自分がその姿でいることが好きなんだと思います。また、結果的にですが、そうした自分の姿が見る人を楽しませることができる、ということも好きなんだと思います。たとえ誰も見てくれなくても構わないんです。それでも自分が好きなんだから。 そして、ソフイフモノニ 私ハナリタイ・・・(宮沢賢治風)
March 29, 2004
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今日は、大分からかみさんの従兄弟夫婦が、泊りがけで遊びにきてます。 かみさんが実の弟のようにして可愛がってきた従兄弟で、そこには、うちの4,5年遅れという感じで、4歳の男の子ともうすぐ2歳の女の子がいます。さっきまで、うちの兄妹と4人で団子になって遊んでましたが、うちの息子があんなに赤ちゃんの相手が上手だとは知りませんでした(^^; また、うちで一番小さいわが娘が、なんとまあ大きく見えること!(笑) うちの息子が、3、4歳の頃よく話してましたが、生まれる前は雲の上でいつも4人組で遊んでたそうです。そして、その4人がみんな我が家に生まれることになっていると。 こちらとしては、げー、4人も来るのかーと思ってたんですが、案の定4年ほど前、これで病院に検査に行ったら「おめでとうございます」と言われるような事態になりました。 ところが、その頃我が家はかなり育児ノイローゼ気味だったので、「ごめーん、もうこれ以上育てきらん」とお願いしたら、すぐに流れて自分から出て行ってくれました。 その後、残りの2人はどうしたかな~と時々思い出してましたが、今日子供4人でじゃれあってる姿を見て、ひょっとして、、、と思った次第です。もしそうだとすると、この4人は大人になってもずっと仲良くつきあえるんだと思います。なんせ生まれる前からのご縁なんですから。 ちなみに、生まれてくる順番はどうやって決めた?と、3歳の頃の息子に聞いてみたところ、答えは「ジャンケン」でした。息子が勝って、自ら望んで1番に生まれてきたそうです。 親が未熟なのをわかって生まれてくるなんざぁ、見上げた根性だなと思いますね~。逆にいうと、親が未熟だから子供が可哀相、なんてことはないんでしょう。子供は親よりもはるかに大きい覚悟を持って、この親を選び、この人生を選んで生まれてきてるんだと思います(^o^)丿
March 24, 2004
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今週初めに熱出して寝込んでたときに、気づいたこと・思いついたことをまとめておきます。■歯も内臓のうち 寝込んだ原因は食中毒ですから、当然お腹はゴロゴロと激しく動いてました。ケガでも病気でもそうですが、患部ってなぜかドクン、ドクンという脈動を強く感じるんですよね。このことに14歳のときに気づいて知り合いのお医者さんに話したら、一笑に付されましたが、少なくとも僕の体では事実です。多分、それだけ血がたくさん集まって、突貫工事で復旧作業してるんだろうと思ってます。今回も、お腹のあちこちからドクン、ドクンと工事の音が鳴り響いていました。 それで、今回面白かったのが、歯がしみたんですよね~。それも、今日は下の前歯だったのが、次の日は右の奥歯、という具合に移動するんです。今はもうなんともありません。 歯と内臓は関係してるとよく聞きますから、多分そのせいなんでしょうね。 東洋医学では、どこかの臓器の不調を別の臓器が肩代わりするという現象が存在することになってます(したがって西洋医学にように患部にのみ着目するとおかしなことになります)。だからひょっとすると、弱った内臓の肩代わりを歯がしてくれてるのかなと思った次第です。どの歯がどの臓器に対応するか、という論説にはまだ出会ったことはありませんが、どなたか研究してみると面白いかも。 それにしても、僕らの体って、弱ってるところをみんなで支えあうようにできてるんだなと改めて実感しました。 もしなんだか歯がしみるなあと思ったら、2,3日飲食を控えて様子を見ることをおすすめします。あれ、そういえばという感じで、いつのまにか雲散霧消すると思います。■シュノーケル作戦 熱の上がりがけって、猛烈な寒さが来てブルブル震えますよね。布団を何枚重ねても一向に暖まりません。一番暖かいのは、頭から完全に布団をかぶることですが、2,3分で息が苦しくなって続きません。 なんとかいい手はないかなと、苦しい中で考えました。なぜ布団をかぶると暖かいかというと、自分の吐息で、どんどん内部温度が上がっていくからだとわかりました。なんといっても30数度の温風を1分間に数十回吐き出すわけですから、これは一種の温風ヒーターと言えるでしょう。 しかし、布団をかぶると酸素が減って呼吸が苦しいので、では頭を出したまま、吐息を布団の中に送り込めばいいんだ!ということに気がつきました。 そこで、ゴムホースを考えたんですがゴム臭そうなので、なにかないかと思慮をめぐらせた結果思いついたのが、シュノーケルのJ字状のパイプ! あれなら元々口にくわえるようにできてるし。 さっそくかみさんに持ってきてもらって、やってみました。少々角度をひねらないといけませんでしたが、調子は上々。文字通り、生暖かい風が布団の中に送り込まれて、徐々に布団の中の温度が上がっていくのがわかります。ただ、このままだと、吐息の中の邪気も布団の中に溜まってしまう欠点が見られたので、パイプの途中に磁石やトルマリン・竹炭等を配置して浄化するところまでやれば、ひょっとして商品になるんじゃないかと思いました(^^; かみさんはすぐ横で、僕がシュノーケルくわえてフーフーやってる姿を見ながら、半ば呆れ顔で笑っておりました。うーむ、確かに、39度を越える熱があって、しかも布団の中でシュノーケルをくわえたのは、人類史上僕が唯一の人間でしょう( ̄^ ̄)えっへん■半身床による効果的汗かき 一日布団にずっと寝ていると、上を向いても下を向いても、腰が痛くなるので、二日目は布団の上でも使えるビニール製の座椅子を用意してもらいました。結果的には、これが奏功した感じです。 このときの僕のスタイルはどうかというと、上半身は、パジャマの上に薄い作務衣と半纏を羽織った状態です。一方、下半身はというと、ズボン下(いわゆるパッチ)の上にパジャマをはき、その上に足首からひざ上まで毛糸製のサポーター、さらに綿製のジャージをはいて、靴下は絹、綿、綿の3重ソックスです(絹はベタつかなくていいですね~)。まあ、普段からそういう傾向にあるとはいえ、下半身重視の布陣です(笑) この状態で座椅子に座って、布団・毛布をお腹の上あたりまでかけました。おっ、このスタイルは・・・布団の上の半身浴、すなわち半身床ではないかと気づきました。 姿勢といい、熱の分布といい確かに半身浴でお風呂に入ってる感じで、それまで寝よう寝ようとしても、なかなか寝られなかったのが、すぐにウトウトして、はっと気が付くと汗ビッショリで、熱がグンと下がってるんです。これを何回か繰り返すことで、3時間くらいで2度近く下げました。やっぱり、下半身を暖めるのはいいなあと思いました。 それと、ウトウトしたときの汗の方が、ただ布団の中で暑くてかいてる汗より、熱の下げ方が大きい感じがしました。シータ波の領域を通ることが大事なのかな?よくわかりませんが。 さてさて、何はともあれお腹の調子も戻ってきて、食中毒の影響からはそろそろおサラバです。明日は久しぶりに卓球の試合に行ってきます。高校のOBチームで出場です。スタミナはないので、手抜き卓球するしかありませんね(笑)
March 20, 2004
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ようやく食中毒から8割方復活しました。 熱も下がったし、後はお腹の調子が戻れば完璧です。 実は先週の金曜日、職場の送別会がありました。 そのとき出たレバ刺しが怪しかったのでは、というのが関係者の一致した意見です。 安い料金の店で出てくるレバ刺しなんて、普段なら絶対食べないんですが、野菜とあえてあったので、わからずそのままパクッと食ってしまいました。くやしいことに、何皿か出たのに、僕らのテーブルに出た皿を食った人間にだけ、被害が集中したんですよね~(それでも全員でないところが面白い) その日は、家に帰り着く前にコンビニのトイレに駆け込みました。呑みすぎて冷えたせいかなと、そのときは思ってました。 次の土日は家の仕事をあれこれとこなしたんですが、何やっても体がきつくて、土曜日は夜7時には床につき、そして日曜日の夕方、ビールを呑みながらカレーを2杯半食べた後から、急激な寒気が来て発熱。 月曜日は休みを取り静養に努めましたが、熱は上がりつづけ、夜には39度6分。おまけにトイレに行くこと2、30回! 火曜日も続けて休みを取り、一旦は37度台まで下がったものの、夕方になるとまたしても39度3分! 次の日(すなわち今日)は娘の卒園式で、ずっと前から休みを設定してて、絶対見に行きたかったので気合+その他で下げました(笑) その結果、眠りのつく頃には37度台前半、そして今朝起きたら無事に36度4分となってました~(^o^)v 食中毒の経験は、学生時代にカレーパンと牛乳でやって以来の3回目ですが(苦笑)、なかなかしんどいですね~。下痢がひどくて水分量が低下して、その結果汗をかきにくく熱が下がらないのが一つにはあるのかなと思いました。汗をかきにくい分、やたら「ふーふー」と荒い呼吸を強いられました。 今回のこうした“事件”を、ただ貧乏くじを引いたと考えるだけでは芸がないので、久しぶりの長大な自由時間に、苦しい中をいくつか思考してみました。特に、1ヶ月ほど前に(多分)インフルエンザで寝込んだばかりで、この僕の人生では初めてといって言いぐらいの事態なので、なにかあるだろうと思うのです。 多分、こちらが金曜日に飲みすぎ・食べすぎで胃腸が弱ってなければ、こんな大げさなことにならなかったと思うんですよね。現に大丈夫だった人もいるわけだし。 実は以前からうすうす感じてたことですが、そろそろ酒の量を減らしていく必要があるかなと。といっても若い頃ほど飲んでるわけじゃあないんですが、過度の酒が意識進化の邪魔になることが多いのは確かなことで、少なくとも「酒がないとやってられない」というのは大きな執着ですよね。 また、普段からの体力に蓄積という意味で、ライフスタイルも見直す必要があるかなと。 夜遅くまで残業して、家に帰ってからかみさんと話したりメールと日記の読み書きするだけでも、1時に2時には軽くなります。他の仕事や読みたい本があればなお更です。かみさんとの話は削れないし(笑)、せめて文章を書くのが早ければいいんでしょうが、あいにくこちらは遅筆の上に文字数も多いので、どうしても最後には睡眠時間とトレードオフです(この点、多くの皆さんがそうなんじゃないかとも思いますが、、)。 今のこのやり方でも、やっていけるぐらいの体力はあるだろうとタカをくくっていたんですが、そうではないぞと思い知らせるために前回インフルエンザにかかり、そして今回、まだわからんのかとダメ押しされたような気が、、、(^^; 要は、永続性のないシステムになってたんだと思います。 そこで、まずひとつには残業を減らす努力。 次に、時間帯のシフトの検討。睡眠はただ取ればいいっていうもんじゃなくって、各臓器が最も正常に機能するためには、夜寝て昼活動するというリズムが大事という東洋医学の専門家の話が耳に残ります。確か、臓器にも寝る時間があるとかなんとか、、、。 それと、わずかな時間でもアイデアを書き溜めておく工夫や、いよいよ始める速読の成果が出てくることなんかに期待したいですね。 で、娘の卒園式の話を続けて書こうと思ったんですが、↑こんなこと書いてすぐに夜更かしするのもアホなんで、もう寝ます。なにせ病み上がりだし。続きは、追加で修正を加筆します。ついでに、掲示板等へのいろんなお返事もまた後でします。皆さん、お待たせしたり、ご心配かけて申し訳ありません。(以下加筆追加分ニテ3月19日ニ記ス) 食中毒の症状について会社で聞いてみると、どうも僕が一番症状が激しかったようです(^^; 誰も39度まで上がった人はいないし、20回以上トイレに行った人もいない・・・。僕の次に症状の重かったやつが、病院に行って症状を話したところ、入院をすすめられたらしいので、僕が行ってれば確実に即入院だったでしょう。 一説によれば、高熱が出るというのは、子供が簡単に39度の熱を出すのをみればわかるように、実はそれは悪いことではなくて、生命力の高さを表わしているそうです。下痢にしても、それだけ毒の排出能力が高いとも言えます。いや~全くモノは言いようですね(笑) だから「大変やったね~」という皆の同情の視線を浴びながらも、内心では「わしの方が若いんじゃーーい!」と笑っておりました。 で、無事に参加できた娘の卒園式の話ですが、よかったですね~。娘は2月生まれなので、3歳になってすぐに入園して、ほとんどまだ赤ちゃんのような感じだったのに、ずいぶんおネエちゃんになったなあとしみじみ思いました。 “感受性豊か”という表現がかなりよく似合う娘なので、このまま小学校に行って、世間の垢にまみれさせるのは、もったいない!と痛切に思えてしまうのですが、そのくらいのことじゃこの子の魂の輝きが弱まることはない、と信じて気持ちよく小学校に送り出してあげようと思います。 結局うちの娘は、3年間の在園中、休んだのがたった1日でした。やっぱり女の子は強いですね~。 幼稚園の方には、お兄ちゃんと合わせて5年間お世話になりましたが、「調和」とか「心のつながり」ということを大事にする素晴らしい幼稚園でした。先生方の質も高かったです。 うちのかみさんも、本当に満足してて、卒園式の最中、回りのお母さん方は皆ハンカチを取り出してウルウルしてたのに、ひとりニコニコしてました。本人曰く「やるだけやったという満足感があって、前を向いてたら涙は出ないのね」だそうです(^^; 確かに、うちのかみさんのこの5年間の成長振りは、目を見張るものがありますね。子供ができる前は、「群れるのは嫌い。特に女の集団は嫌い!」と言ってたのが、この5年間で、その女の集団のまとめ役・調整役をいくつやったことか。今でも嫌いかもしれませんが、少なくとも対応は抜群にうまくなりました。どうかすると「子育てについて悩みがあるんですが相談にのってもらえますか?」というFAXも飛び込んできたりするし(こっちだって悩んでたりするのに・・・苦笑)、とにかくいつもよく電話してる人です。おかげで、家族は飯を待たされる・・・(笑) 何はともあれ、親も子もひとつの時代を終えて、また新しい一歩を踏み出すときが来たんでしょう。我が家の未来に栄光あれ!(笑) ついでに、全国の卒園生・卒業生のみなさん、おめでとうございまーす!
March 17, 2004
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仕事上いつも見ているニュースサイトに、「コーヒーは健康飲料」という記事が載ってました。イタリアの研究者が発表したそうです。 こうした「○○は体にいい」という話を聞く度に僕は思います。 そりゃー、毒の固まりでもなけりゃ、どんな食べ物でもなにかしらいい所はあるだろう、と(笑) 困ったことに、こうした情報は、細かい説明は一切省かれて、「○○は体にいい」の部分だけが広く伝わっていくんですよね(^^; どんな体質の人がどのくらいを摂取すると、どういう仕組みでその効能が発揮されるのか、という説明が末端まで伝わることは、決してありません。 最近では、チョコレートや赤ワイン、古くは紅茶キノコやら、僕が子供の頃は肝油ドロップなんてのもありました(鯨の絵のついた缶に入ってましたね~) どんなにいい食べ物でも、食べ過ぎれば必ず胃腸に負担をかけるし、また、それを食べたからといって、その栄養素が吸収されるかどうかは別問題です(牛乳のカルシウムが人体に吸収されにくいように、、)。 人によって吸収力が違うこと、また体質によって効き方が相当違ってくることなどを、頭に入れてからこうした情報に接するようにしないと、宣伝力のある業界に言いように踊らされるばかりです。(それはまあそれで平和なんですが、どうも僕はヘソが曲がってるもんで・・・笑) なんかこれ良さそうだなと感じたら、試せるものなら自分の体で試してみるのがいいですね。それを飲んだり食べたりして自分の体がどう反応するのか、色々実験するのは面白いもんです。 でも僕が思うに、どんな人にも確実に効く万能薬も万能食品も、この世には存在しません。なぜなら、その人自身が自分ですら気が付かない深い意識の底で「病気でいよう」と決めてたら(※現実逃避のため、周囲の注目を集めたいため・・・)決してその病気は治らないからです。 そういう人が、病気でいるよりもっと面白いことがある!とか、こんなときに病気でいるのはもったいない!とか思えるようになるお手伝いがしたいなと思うし、そういう社会を作りたいなと思ってます。皆さん、ご協力のほどよろしく(^o^)丿
March 10, 2004
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昨日、会社でダイエーvsヤクルトのオープン戦のチケットをもらったので、今日は仕事帰りに子供たちと合流して見てきました。結果はボロ負けでしたが、なんで福岡ドームってオープン戦ですら満員なんだろう?(^^; さて、セキュリティの話が出たついでに、、、 うちの娘も、今度の4月からいよいよ小学校に通学と相成りますが、通学時の事故やら、妙な事件にまきこまれたりといったことを心配されてる親御さんもきっと多いことでしょう。特に、可愛い女の子の場合は(そう、うちの娘のように!・・・笑) 僕が小1の頃は、片道30分の道のりを通学してましたが、誰もそんなことを心配してなかったですね~。まあ、田んぼ沿いののどかな田舎道で、おたまじゃくしやらトンボやらと戯れながらの楽しい通学でした。車が走る“舗装道路”は全体の1/10程度だったし、そもそもめったに車は通ってませんでした。 昔は、今ほど親が子供のことを心配してなかったんじゃないかと思いますね。親自身も生きるので精一杯だったし、子供は社会全体で育てるものという概念も、今よりはるかに強かったと思います。 最近、座右の書となっている『大江戸ボランティア事情』(石川英輔/講談社文庫)を読んでいたら、驚くべきことが書かれてました。それが抜け参りというやつですが、歌舞伎の好きな方は、『弁天小僧(白波五人男)』の忠信利平のセリフ※1で、言葉くらいは聞いたことあると思います。 その説明の前にまず前提として、江戸時代は、学校で習ったように、庶民は「生かさず殺さず」政策で重税にあえぎ、武士階級から搾取されて、文句を言うと切り捨て御免だし、逃げ出そうにも関所があちこちあって、簡単に旅にも出られない・・・・という時代ではなかったんです。そもそも、幕府にしろ藩にしろ、権力者側が圧倒的に人が少なくて、とても細かいところまで目が行き届きません。自由社会であるはずの現代の方がよっぽどよっぽど!管理社会です(小学校すら自由に選べないなんて・・・)。 話が逸れましたが、実は江戸時代の人々(武士を除く)は結構旅をしていて、なかでも「おかげ参り」と呼ばれる伊勢神宮への参拝というのが、ポピュラーだったようです。これは明治以降の権力と結び付いた信仰ではなくて、あくまで自然発生的なものです。 ピークだった文政13年には、総人口3千万人のうち6人に1人、すなわち5百万人が、全国から伊勢神宮を訪れたそうです。人口の8割が農民で、しかも皆基本的には徒歩旅行ですから、これは驚異的な数字と言っていいでしょう。 では、みんなそんな長旅に出られるくらいリッチだったのかと思いきや、実はそうではなくて、無銭旅行者がかなりいたようです。お金がなくとも旅に出られたというか、生きていけた社会なんですね。 現代では考えられませんが、あの時代は「他人に施しをすると、いつか回り回って自分を助けることになる」という価値観がベースにある社会なので、そういうことが成り立つんです。今でも、たとえば四国のお遍路さんを援助する風習が沿道には残ってるそうですね。肝心の伊勢地方にもこんな風習が残ってるのを知って僕は嬉しくなりました(やまじさん、ありがとう)。 それで、ある年に京都所司代が、京都を通過するおかげ参りの人数を数えてみたら、1ヶ月で5万人強。さらにそのうち、親に伴われずに旅をしている5歳!から15歳までの子供が、3分の1強(18,500人以上)。 こうした子供だけの伊勢参拝を、抜け参りというんだそうです。 これらの子供の多くも無銭旅行者と考えられるわけですが、信じられますか? どうかすると数ヶ月もかかる徒歩旅行に、子供を一人でお金すら持たせずに行かせるなんて! もちろん、中には妙な事件に巻き込まれたり、無事に戻れなかった子供もいたことでしょうが、これだけ大勢の子供が伊勢を目指してたということは、親または子供本人が、そうしてもまあ大丈夫だろうと思っていたことを意味します。 ものすごい安心感だと思いませんか? 「なんとななるさ」という感覚の、なんとまあ骨太いこと! わずか10分かそこらしかかからない通学路でさえ心配する現代人には想像もつきませんね。 別に、過去に戻れ!と言うつもりはありませんが、わずか5,6世代前の僕らのご先祖様がそれだけ安心できる社会を築いていたことは、十分誇っていいと思います。そして、なにかにつけ不安が一杯の、現在の社会状況を乗り越えるヒントなり視点なりも、その辺にころがってると思ってます(^o^)v※1 忠信利平(ただのぶりへい)のセリフ続いて次に控えしは月の武蔵の江戸そだち、がきの折から手癖が悪く、抜参り(ぬけめえり)からぐれ出して旅をかせぎに西国を廻って首尾も吉野山、まぶな仕事も大峰に足をとめたる奈良の京、碁打と言って寺々や豪家(ごうか)へ入り込み盗んだる金が御嶽(みたけ)の罪科(つみとが)は、蹴抜(けぬけ)の塔の二重三重、重なる悪事に高飛びなし、後を隠せし判官(ほうがん)の御名前騙り(おなめえかたり)の忠信利平。ちなみに、「知らざあ言ってきかせやしょう」「問われて名乗るもおこがましいが」といった言い回しも、この演目で出てくるセリフです。
March 9, 2004
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この週末は、家の中の仕事に精を出しました。 元々天井の高いタンス部屋の上部に収納用の棚を取り付けて、かなり充実した物置ができたのと、4つあった工具箱を、息子にも手伝わせながらすっかり整理できたのが嬉しかったですね~。 そんなこんなで、昨日、今日はすぐ近所にあるホームセンターに何度も足を運びました。 最近ホームセンターに足を運ぶたびに気が付くことがあるんです。 「セキュリティ用品がどんどん増えてる!」 窓ガラスの振動を検知して大音響を発するセンサーや、昼間太陽電池で充電しておいて夜に光る庭園灯、留守にしてても普段通りに居間の照明をオン・オフするリモコンなど様々です。 多分もうちょっとすると、留守のときの不法侵入を検知して、犯人の写真付けで携帯にメールをくれる装置&サービスも出てくるでしょう。間違いなく、今最も伸びてる業界のひとつといっていいと思います。 でも、僕はいつも思うんです。こうしたセキュリティ文化の向上は、はたしてそれが社会の進歩と呼べるだろうかと、、、。これは医療費やゴミ処理費の伸びについても同じですね。 『大江戸テクノロジー事情』(石川英輔/講談社文庫)を読むと面白いことが書いてありました。よく時代劇で出てくる錠前は、海老錠というんですが、あの基本構造は、正倉院の頃から幕末まで千年以上にわたってほとんど変わってないんだそうです。ちょっとした折れ釘でもなんとかなる、とてもシンプルな構造です。 一方、ヨーロッパでは、錠前技術の発達が時計技術に先立って、近代機械技術の基礎になったそうで、対称的です。 それは単に日本の技術革新が遅かったからではなく、エネルギーのかける方向の問題のようです。 江戸の人々は、からくり細工に見るように卓越した技術力も持ってますが、錠前を開けにくくするより、そのデザインの方に凝ったんです。見ると、セミやらカブトムシやら魚やら、楽しいデザインの錠前をいくつも編み出してます。財産を失う恐怖と表裏一体となった現代のセキュリティ文化とは異なり、彼らはそれすら遊びにしてしまったんです。文字通り、錠前なんて所詮“お飾り”と思っていたのかもしれませんが、それ以上に江戸時代は圧倒的に犯罪の少ない時代で、そういう安心感もあったんでしょう。 考えてみると、僕らが子供の頃は、ちょっと外出する時にも必ず鍵をかける、なんていう習慣はなかったと思います(うちは猫の出入りのために窓がいつも10cmくらい開いてたし、、)。僕の会社の後輩の実家は、福岡市に隣接するのどかな田園地帯にありますが、今でもほとんど鍵はかけないそうです。 義母の話では、かみさんが赤ちゃんの頃なんか、寝かしつけたまま鍵もかけずに買い物に行き、帰ってみると隣の奥さんが「泣いてたわよ~」とあやしててくれたとか(笑) そんな文化が、ほんの数十年前まで、確かに、ごく当たり前のように、そこかしこにあったんです。 結局、セキュリティ文化の向上というのは、安心感の喪失から生まれるもので、それはどこから来るのかというと、人と人とのつながりが失われつつあるということだと思います。特に、地域のコミュニティが崩壊した影響は大きいですよね。コミュニティがしっかりしてれば、変な人がウロウロすればすぐにわかるし、いざという時助けてもらえるという安心感も生まれるからです。(トトロでは、村中のみんなで迷子のメイを捜してましたね~) 自分の家の中だけは快適空間で、セキュリティも万全で、でも一歩外に出ると、大勢の他人の中で不安に煽られて孤独に生きるのと、自分も自分の家の中もある程度オープンにする必要があるけれど、つながってるという安心感の中で助け合って生きるのと、どちらを望むか、だと思います。特に、子供のいる人はこれからどんな社会を子供たちに残したいかが、僕らの世代の行動にかかってますね。 もし、安心感の中で生きたいのなら、そのポイントは、僕ら現代人がわずらわしいと感じる、人とのコミュニケーションにおける“呼吸”をどう学んでいくかにかかってると思います。 江戸町文化研究家の田中優子氏の言葉を借りれば 「相手を感じ取り、必要なときには助けるがおせっかいはしない」 「助けてもらうことはあるが依存しない」といった呼吸です。 この点、江戸の長屋は自然にその呼吸が学べた場所だったようです。 現代社会に生きる我々としては、せめて人との接触を増やして、そうした呼吸を学ぶチャンスを、自分にも子供たちにもできるだけ与えてあげたいところです。その結果、子供たちの世代には、また新しい形で人と人とがつながる社会ができてるといいですね。 そしてそのためにこそ、今これほど凶悪犯罪が多発して、つながりの喪失がもたらすものに気づきなさいね~と、神様(あるいは僕らの集合意識による社会的自然治癒力)がメッセージをくれてるんだと思います。
March 7, 2004
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鳥インフルエンザとやらが流行ってるみたいですね。テレビ見ないのでわかりませんが、どんな養鶏場で発生してるんでしょうね? 自然界に住む野生の動物たちの間では、こんな風にひとつの病気が大流行することはまずありえないそうです。ところが、家畜あるいはペットとして生活するようになると、人間と同じようにいろーんな病気にかかるそうです。動物病院の先生の話によれば、ガンから糖尿、脳卒中にいたるまで、人間にある病気はペットにも全部あるとか、、(^^; だとしたら、今のこの鳥インフルエンザの流行は、本当にインフルエンザウィルスのせいか?と思いませんか?同じインフルエンザウィルスに接触しても、多分、野生に近い環境で放し飼いしてる養鶏場の鳥たちは大丈夫じゃないかと思うんです。 病原病原体説と病原環境説というのが、あります。 前者は、パスツール以来の「病気は特殊な微生物によって引き起こされる」という考え方です。エピソードとして、明治の頃、森林太郎(鴎外)はじめ軍医幹部がこの説に凝り固まっていて、脚気の原因は「脚気菌」だと決めつけてた結果、日清戦争で戦死者453名に対し、脚気による死者4064名だったという話があります。 この考え方は今でもとても根強くて、予防接種にしたって「病気は外部から来る」という考えがベースにあります。少なくとも感染症については、菌に接触することが病気の原因であると、たいていの人が思ってるんじゃないでしょうか? 確かにそう考えた方が、自分に一切の責任が発生しないので、楽なんですけどね、、、。 一方、環境説の方は、「病気を防ぐ基本は、清潔でゆとりのある社会環境、十分な栄養等で、自然の免疫力を充実させること」という考え方です。それができていれば、たとえ菌に接触しても病気にはならない、ということです。 実際にこのことを証明するために、ある学者たちが、重体のコレラ患者から100万個のコレラ菌を採取して飲んでみたそうです・・・結果、なんともありませんでした。 インフルエンザにしたって、そこら中に菌はウヨウヨしてるわけだし、ウィルスが原因というより、受け手の問題だと思いませんか? 風の谷のナウシカで、ナウシカがユパ様に言います。 「きれいな水と土では、腐海の木々も毒を出さないってわかったの。汚れているのは土なんです!」「腐海の木々」を「細菌 or ウィルス」に、「土」を僕らの「体」に置き換えてみればわかると思います。 僕らの体というのは、極めて優秀な免疫機構を持ってます。みんな持ってます。 問題は、それがうまく働く場合と働かない場合がある、あるいは働きやすい人とそうでない人がいる、ということではないでしょうか? それを決める要素が何か、というところに、僕は興味があるんです(^^)v
March 3, 2004
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