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思うところあって、早寝早起きに挑戦中です。残業から帰ったら風呂に入ってすぐに寝て、朝は6時前から起きてゴソゴソしとります。 朝、散歩したり本を読んだりするのは実に気持ちがいいです。ところが面白いことに、朝の気持ちのいい時間帯にPCに向かうのは、なんか似つかわしくないというか、もったいない感じがしますね。 さて、昨日は子供会のドッジボール大会でした。 ドッジボール大好きの我が息子は、チームの副キャプテン格として活躍し、見事準優勝! それも最終セットの延長戦までもつれこんでの僅差だったので、惜しかったな~という感じです。 去年は、3年生で初めて出場し、ほとんど油虫(この表現が通じるのは九州北部だけかな?)だったのが、今年はずいぶんたくましくなって、いい仕事をしてました。親としても嬉しかったです(^^) うちのかみさんは、今年はうちの町内の子供会の会長さんなので、なにかとドタバタと駆けずりまわってます。 この子供会というやつが不思議な組織で、完全にボランティアなのにその割にはやたらと行事&用事が多く、児童数の減少とも相まって、年々加入者は減っているようです。 大きな町なら、一度子供会の役員をやれば二度と回ってくることはないんですが、うちの町内なんかは、子供が卒業するまでに2,3回は回ってくるので、これがかなりのプレッシャーになってます。 一年間の大きな行事を挙げると、、、 ドッジボール大会 ソフトボール大会 地域のお祭り(お神輿作って練り歩き) 地域の運動会 これに毎月の公園掃除や廃品回収、さらに町内のバーベキュー大会の手配などが加わります。 中でも一番大変なのがソフトボール。これは5,6年の男子が中心なんですが、なんと1ヶ月間全ての土日も含めて、週5日の練習があります。平日は夜7時までやるので、小さい子を持つお母さんはどこかに子供を預けないといけないし、働いてるお母さんも大変です。うちみたいに、ほか弁も電子レンジも縁のない食生活を大事にしてる家庭にとっても、たまらんです。 こんなもんのお世話をするかと思うと、そりゃーみんな子供会役員になるのに二の足を踏むでしょう(^^; 我が家としては、できるだけ地域の親睦は深めたいと思ってるので、こうした活動は歓迎すべきなんですが、しかーし!親がヘトヘトになってまで子供の遊びのお膳立てをしてやる必要があるのかということをしみじみ感じます。実際に、そうした負担がイヤで子供会に入る人が減ってるわけですから、本来の趣旨からいえば本末転倒してます。 なんとかこうした状況を変えていきたいところですが、いろんな組織がからんでて、これがなかなか、、、。 ↓こんな側面もあるし。 ある目的のために結成された組織は、ひとたび結成されると その組織を維持することが目的となる (パーキンソンの法則・・・だったと思う) 会社でもそうですが、仕組み自体を変えるのは本当に大変ですね(^^; ちょっとずつでもこちらの意思を伝えていき、そして何年か後には「子供会の役員の仕事って楽しいみたいよ」といわれるようにしようと、かみさんがくたびれながらも奮闘中です(笑) そしてもうひとつ。 念入りにお膳立てして子供たちを満喫させるのも、それはそれでお世話した人の満足感にはなるでしょうが、それよりも子供たちの中に「○○したい」という気持ちが育ってくるのを待ちたいなあと思います。 受身で味わう楽しさよりも、たとえうまくいかなくて苦しみを味わうことになったとしても、自分から動いて得たものの方がはるかに価値があると思うからです。 特に今の子供たちは、自分を楽しませてくれる刺激は世に満ち々々ているし、親の目が行き届きすぎて、いい子を演じないといけない場面も多くって、なかなか「(深いところで)自分がどうしたいのか」を見つめる余裕がありません。もちろん大人もそうですが。 もうちょっと子供を解放する状況を作りつつ、なおかつ子供だけでなく大人も含めて、人と人が結びついていくきっかけ作りができたらいいなあと思ってます。そのベースとして子供会は十分に機能しうるんですが、きっかけを超えて、フィナーレまで面倒見ようとするので、大人も子供も疲れてしまう・・・・。
May 30, 2004
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小1の娘が、今週から2階の自分の部屋で寝るようにしてます。 本当は、小学校に入ったら一人で寝る~と言ってたので、入学前にベッドも買ったんですが、結局2回寝ただけで、「やっぱりお母さんの側がいい」と下で寝ておりました。 じゃあ、運動会が終わったらということで、本人もやる気になって今週からチャレンジ!です。23日:真夜中におしっこで目を覚まして、そのまま下に来て親の布団にもぐりこむ24日:同じくおしっこで起きて親の布団にもぐりこみ、しかも横向きに長くなって 寝やがるので、親二人は畳に寝る羽目に、、、。25日:夜中にベッドから落ちて「落ちた~」と叫ぶ。義母がかけつけてそのまま 義母のベッドへ。義母はその寝相にたまりかねて、結局娘のベッドへ。 今朝は、広くて気持ちのいい(※ヒーリング効果の高い布団を敷いてるので)義母のベッドと自分のベッドをとっかえっこしたいと話してたらしい、、、。 はっきりいって大人はみんな眠たいんですが、何を言っても何をやっても笑って許してもらえるところが、この娘の生まれ持ったるキャラクター・・・勝てましぇん(^^; さて、今日は飲み会です。 新入社員の頃お世話になった“師匠”が、めぐりめぐって今うちの職場に派遣されてきたので、久しぶりに飲むことにしたのです。 この先輩もそうですが、僕が会社に入って「この人はできるなあ~」と思った人は、工専卒の人が多いですね。もしくは昔の二期校クラス。一流大学卒の人ももちろんいますが、なぜか僕の周りで光ってる人はそういう人が多いです。 つくづく大学の名前と仕事上の評価とはなんの関係もないなと思います。 答えのある問題を効率良く解く能力が要求される場面もたくさんありますが、それ以上に、人ときちんとコミュニケーションを取れることや、自分で問題を発見し解決していく能力、またそのベースとなる意欲や情熱、そういったものの方が、実社会でははるかに重要なのは、皆さんご承知の通りです。 願わくば、塾も含めて今の教育制度がそういう方面にもう少しエネルギーを投入してくれれば、と思います。
May 26, 2004
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今日は通勤途中にふと、くちなしの甘い香りを感じたんですが、まわりを見てもどこにも見当たらない・・・。確かにちょっと早いとは思いますが、考えてみればもう5月もあとちょっとですね~。こちら福岡は、なんだか例年よりも涼しい感じで、まだ長袖の人もたくさんいますが、でもうちの庭ではしっかりあじさいが咲いてますので、やはりもうすぐ梅雨なんだと思います。 人間のちっぽけな悩みなんかには関係なく花は咲き季節はめぐる、てなことをよく言いますが、そうじゃないかもしれんなあと思ったりします。 バクスターという人の研究によれば、電極をつけたドラセナのすぐ横で、グラグラの熱湯に生きたエビを、ポン、ポンと一定時間ごとに放りこんでやると、その度にドラセナがピクン、ピクンと反応するそうです。明らかにエビの死を認識してるんです。 また、山道を行く旅人が、大怪我をしたり急病になったりすると、その周囲の植物は、その人に必要な薬効成分を葉っぱから沁み出させるという話も聞いたことがあります。 そう考えると、今こうして目の前に咲いているこの花もあの花も、木も草も、間違いなく僕らに関心を向けてくれてるんだと思います。 嬉しいじゃありませんか(^^)v #考えてみれば植物だって、ぼーっと突っ立ってるだけじゃ退屈ですよね(笑)
May 25, 2004
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数日前の話ですが、うちの子の小学校にHONDAのASIMO君がやってきました。 メカ好きのわが息子は、その時点で38度を超える熱を出してたにも関わらず、きっちり見たらしい(^^; ASIMO君そのものより開発苦労話に惹かれてたみたいですね。HONDAの企業戦略もあるんでしょうが、こういった地道な努力で理系離れに少しでも歯止めがかかれば、と理系人間としては思います。 この4,5年でロボットもずいぶん進化しましたね~。 昔は、例えばロボットに豆腐を持ち上げさせるのはかなり困難だったんですが、最近のロボットならお茶の子サイサイでしょう。 この先どこまで進化するのかわかりませんが、所詮機械は自然の模倣というか、一部の機能を特化したに過ぎないなと思ってます。そういう意味で、一番ワクワクするのはそれを開発している人たちです。どうしたって、自然の神秘(=僕らはそれを当たり前のようにやっている)を研究せざるを得ないからです。 人が歩くとはどういうことか、会話とか何か、モノを持ち上げるときの力の入れ具合はどうやって決まる?・・・・。 たかが鉛筆を持つという単純な作業でさえ、2本の指で持つ場合と3本の指で持つ場合で、親指の位置が微妙にシフトするのがわかりますか?こんなこと僕らは全く習った覚えもないのに、いつの間にか身につけてるんです。すごいと思いませんか? こうしたロボット工学のパイオニアが、『非まじめのすすめ』(講談社文庫)で有名な森政弘先生です。僕は研究室こそ違いましたが、うちの学科(制御工学科)におられたので、その講義を拝聴する恩恵に与りました。当時日本創造工学学会の会長をされてて、また故・本田宗一郎氏とも昵懇でした。仙人のような白いあごひげが特徴的で、ニコニコといつも楽しそうな先生でしたね~。 その講義がまたきわめてユニークで、最初の20分は座禅! 脳細胞をフルに活用するには完全に休ませることが大事だ、というわけで、みんな半分眠りながらやってました(^^; その後の授業も、「桜はなぜ咲くのか」「高層ビルとカーネーションの共通点は?」といった妙なテーマが多く、答えのある知識を教え込むのではなくて、ひたすら頭を柔らかくする授業でした。実習も「乾電池1個で人を乗せて動く車を作れ」とか、「太陽電池のエネルギーで30分間にできるだけたくさんの風船を割る装置を作れ」とかで、やたら面白かったです。 この先生のベースは明らかに東洋思想にあって、西洋的な善悪二元論の限界をかなり力を入れて話されてたのを覚えてます。 思えば、僕が本格的に東洋思想に触れたのは、この先生の講義が初めてでしたね。高校時代に、なんだか妙に惹かれて「荘子」を読んだことはあったんですが、まさに珍文漢文でしたから(笑) もし、大学時代にこうした経験をしていなければ、座禅や瞑想にももっと抵抗があっただろうし、ひょっとしたら、目に見えるものだけを信じて(現代人として)“まっとうな”人生を歩んでいたかもしれません(笑) つくづく人生には無駄はないなと思います。いいタイミングで必要なことに出会うようになってると思います。過去に身につけた知識、自分が味わった体験、人との出会い・・・それらがすべてタペストリーのように見事に織り込まれて、キラキラと輝いている気がするんです。 だから、今自分が「これは困ったな」と感じてる様々な出来事も、いずれは光り輝く時が来るはずです。その光り輝く状態をイメージしながら、そのときを待つもよし、現実的に対処するもよし、大ーきく信じて気持ちよく行動しようと思います(^^)○今日の満足・午前中みっちり速読のトレーニングができた・竹炭(丸ごと)を使った玄関用のインテリアを完成させた・乱雑さのノコギリ波がしきい値を越えた自分の部屋の片づけができた・子供たちに花札を教えた・通勤着兼仕事着のGパンを新調した
May 22, 2004
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この前実家に行ったときにうちの親が言ってました。 おそらくどこかのテレビ番組でやってたんだと思いますが、泥棒が多発する町とそうでない町を比べてみたんだそうです。いくつか顕著な特徴があるみたいですが、その中で印象に残ったのが、泥棒に入られにくい町は、町の人がみんなよく挨拶をするという点。 これ、なんかわかりますよね~。 どの家を狙おうかな~と泥棒がウロウロしてる際中に、道行く人から「こんにちは!」と明るい笑顔付きで挨拶されたら、(泥棒の立場として)はっきりいってこわい(^^; ちょっとこの辺はパスしとこう・・・となることは容易に予想されます。顔を見られてる、という不安もあるだろうし、それに多分泥棒にも良心はあるので。 こんな町は、見る人が見れば、光ってる町なんじゃないかと思います。そこに足を踏み入れると、なんだか心の底の方が明るくスッキリと気持ちよくなる町。やましいことを考えてる人はまぶしくて近づけないし、どうかすると泥棒をも善人に変えてしまう町。 EM(Effective Micro-organisms:有効微生物群)の比嘉照夫先生が『地球を救う大変革』(サーマーク出版)の中で書かれてましたが、微生物の世界には、1割の善玉菌と1割の悪玉菌と8割の日和見菌がいるそうです。そして、善玉菌と悪玉菌が覇を競って善玉菌が勝ったとすると、8割の日和見菌は善玉菌として機能し、さらに悪玉菌も元々善玉だったような顔をして、善玉菌に変身したりするらしい・・(笑) 人間の世界も多分こんなもんだと思います。 朱に交われば赤くなる。光が照らせば闇は消えるしかない。 自分の住んでる町を光の町にしたいのなら、まずは自分から「挨拶」そして「笑顔」という光を放ってはいかがでしょう?(^^)
May 20, 2004
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何やら年金問題が、肝心の年金制度の議論よりも、誰がちゃんと払ってて誰が払ってないかという、踏絵状態になってますね(^^; 議員年金という潤沢な年金がもらえる人々が、微々たる国民年金をちゃんと納めてると考える方が、僕には不思議ですね~。しかも過去に遡って少しでも未納期間があれば、それに責任を取らないといけないとは、、、。このままだと、ほとんどの政治家がいなくなってしまうんじゃないかと心配です(笑)そもそも、過去から現在まで年金をきっちり払ってるかどうかという点と、その人の政治力とは何の関係もないでしょう。 いい加減、年金未納の責任を問うのはやめて、それよりももっと重要な案件がたくさんあるでしょうから、そっちの審議を進めてほしいと痛切に思います(それはそれで先に辞めた人が怒るかもしれませんが・・・笑)。 故・山本夏彦氏が、「茶の間の正義」と題して、自分が同じ立場にいたら同じ事をしたであろう人々が、テレビの前で口を極めて攻撃するのはいかがなものか、という意味のことをよく書かれてました。僕も、事務手続きが嫌いな人なので、議員になったら年金の未納ぐらい絶対やってしまいそうで、とても批判はできないですね~(笑)山本夏彦名言集より 身辺清潔の人は何事もしない人である。出来ない人である。 年金制度についていえば、払わない人にはあげません、未納期間に応じてペナルティを課します、というルールを作ればいいと思うんですが、そうすると、僕らの世代以下ぐらいで払わない人間が続出しそうで、今もらってる人が困るんでしょうね~。 デフレの進行で、資金運用による大きな利益が見込めない以上、もはや成り立たない制度であることは明らかなので、少しづつ少しづつ、国民が年金制度から脱却する方向に持っていくしかないと思います。 個人的には、出来うる限り国家のサービスに期待せず、自立して暮らしたいなあと思ってます。サービスを要求すればするほど、自分の自由が失われる気がするので。税金という意味では、財布の自由も奪われますね(笑) その自立という点については、江戸の庶民には、見習うべき所が実に多いです。機会があればまた書きます。
May 18, 2004
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一昨日の土曜日は、高校の文化祭に行ってきました。 卓球分の4つ上の先輩(♀)が、なんと、現役3年に在学中の息子(ブラスバンド部に在籍)と親子共演で歌を歌うというので、家族そろって見に行きました(かみさんも面識があるので)。 その先輩は、歌や踊りのレッスンをずっとやってて、仲間と一緒に時々ステージにも立ってる人なんですが、昨日は息子と一緒で、少し照れくさそうな、でもとても嬉しそうでした(息子の方も)。なにかと息子とバトルを展開することの多いうちのかみさんは、そうした親子関係に感動しておりました。 子供たちは、遊びモノの企画にことごとくひっかかりながら、ずいぶん楽しんでおりました。売店の前を通りかかったとき、「お父さんはいつもここでパン買いよったんぞ!」と話したら、「学校にお金持ってっていいと?」(笑) その他、校内をウロウロしてると、現役の卓球部の後輩たちが気軽に声をかけてくれたり、会社の同期のやつの娘(3年生)の成長ぶりに驚いたり、PTA役員やってる直属の上司に会ったりして(苦笑)、有意義な一日でした。 昨日は、オヤジが使ってるパソコンが調子悪いということで、朝から実家に行って夜10時近くまで、格闘しておりました。 OS(Windows98SE)の上書きでなんとかならんかなあと思ってやってみたけど、結局ダメで、最終的にはOSをWindows2000に変えて、フルインスト-ルする羽目になりました。ただインストールするだけならまだいいんですが、Windows Updateに膨大な時間がかかるのが、たまらんですね~。まあ、その間、親と色々話せましたが。 さて、明日は会社の健康診断。バリウム飲んでグルグル回されるのイヤだ~~。 だいたいああいう西洋医学的検査でなにか引っかかるときは、かなり病状が進行してるわけで、どうせやるなら未病状態での病気判定が可能な健康診断(おそらく東洋医学的な手法がメイン)を導入してほしいもんですね~。 さらに、各自が「自分の体の声に耳をすますこと」を心がけてれば、毎年健康診断に膨大な費用をつぎこまなくても済むのに、、といつも思います。何というか、「権威」に保証してもらわなくても、自分の体は大丈夫!と思える自信、自分の体は自分でコントロ-ルできるんだ(するんだ)という意識、そういったものを少しずつでもいいから、現代人が取り戻していけたらいいですね~。
May 17, 2004
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僕は子供の頃に親に絵本を読んでもらった覚えがありません。多分親も余裕がなかったんでしょう。物心ついて、ふと身近にあった本といえば、5つ上の兄が持っていた少年マガジンの前身・「ぼくらマガジン」くらいですね(^^; (当時、巨人の星やタイガーマスクがまさに連載中でした!) なので、自分で子供を持って初めて絵本の素晴らしさに目覚めました。 うちの子が小さい頃は、仕事の帰りに本屋さんに寄って絵本を選ぶのが大きな楽しみでした。子供よりもむしろ大人が喜んでたりして、、、(^^; でも、いい絵本に出会えたときは、なんとも言えぬ満足感に浸れますね。子供たちも何度も読んでくれと催促します。 いずれ、お気に入り絵本リストを作成しようと思ってますが、今日は、『きみなんか だいきらいさ』(ジャニス・メイ・ユードリー/冨山房)をご紹介します。大人にもおすすめです。小学校低学年くらいの少年・ジョンのつぶやき ジェームズと僕はいつもなかよしだったよ だけどきょうは違う ジェームズなんか大嫌いさ ・・・中略(ジェームズの悪口と楽しかった思い出話いろいろ)・・・ とってもとっても なかよしだったから みずぼうそうにも 一緒にかかったんだ だけどもう、一緒にみずぼうそうにかかったりするもんか 大嫌いさ いつだっていばりたがるんだから。 ちょっといって ジェームズをとっちめてやろう ・・・中略・・・ 「やあ、ジェームズ」 「やあ、ジョン」 「僕はもう、きみのともだちになってやらないって、いいにきたんだ」 「じゃあ、僕だってきみなんかのともだちじゃないぞ!」 「きみとは絶交だぁ!」 「いいとも!」 「さいならあ!」 「さいならあ!」ジョン、立ち去りながらジェームズを振り返って、 「ねえ、ジェームズ」 「なんだい?」 「ローラースケートしない?」 「オッケー!くるくるクッキー半分あげる」 「ありがとう。ジェームズ」・・・子供って簡単でいいよなあ(笑)なぜ子供ってこんなに簡単に気分を変えられるのか考えてみるのは、日頃なにかとイヤな思いをズルズル引きずってしまう大人には、とても有意義なことだと思います(^o^)v
May 14, 2004
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昨日、近所のブックオフで速読の練習用に、本を10冊以上買い込みました。1日1冊は読もうと思ってます(それも30分程度で)。 その中の1冊が『何用あって月世界へ 山本夏彦名言集』(文春文庫/植田康夫編)。 昨年亡くなった山本夏彦氏の文章はだいたい目を通してましたが、こうしてエッセンスをまとめて読むと圧巻ですね~。 インテリア雑誌『室内』の編集兼発行人であり、当代一の名コラムニストであった氏の文章をいくつか拾ってみましょう。・言葉というのは電光のように通じるもので、それは聞く方がその言葉を待っているからである・人は言論の是非より、それを言う人数の多寡に左右される・人は分って自分に不都合なことなら、断じて分ろうとしない。・非は常に他人にあって、みじんも自分になければ、経験が経験にならない。・明治の昔の貧乏と、今日のそれとは質的に相違したもので、電気じかけの貧乏こそ真の貧乏だと、仔細あって私は信じている・高度成長はラクして月給をたくさんくれる仕事をよい仕事だと若者たちに思わせました。・私はこの世は、むだから成っているとみている。そもそも私が生をうけ、こんにちまで生きてきたのは、むだそのものだとみている。私はむだに終始して、いまだにむだ中に埋没している。どうして区々たるむだを争おうか。・事実があるから報道があるのではない。報道があるから事実があるのである。・大ぜいが異口同音にいうことなら信じなくていいことだ。・理解をさまたげるものの一つに、正義がある。良いことをしている自覚のある人は、他人も少しは手伝ってくれてもいいと思いがちである。だから、手伝えないと言われるとむっとする。むっとしたら、もう後の言葉は耳に入らない。・汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼす。・善良というのものはたまらぬものだ。危険なものだ。殺せといえば、殺すものだ・衣食足ると偽善を欲する・正邪美醜、その双方を兼ねて初めてひとなんだと思うんです。・実を言えば、人が傷つかないところで傷つくのは、才能の一種なのである。・私は、正直者は馬鹿をみるという言葉がきらいである。ほとんど憎んでいる。まるで自分は正直そのものだと言わぬばかりである。この言葉には、自分は被害者で潔白だという響きがある。悪は自分の外部にあって、内部にないという自信がある。・ほめる言葉の多少が文明の尺度なら、憎まれ口の多少も同じく文明の尺度である。・子供は大人がみくびるほど鈍くはない。彼らは大人が何を欲するか知っている。・よくおぼえさせるには、分らないことを一つ二つころがしておくほうがいい。・(嫉妬は)磐石のように存在している。だからその存在は認めなければならない。認めると、それはそれなりの用をしていると分かるのである。・そこにあるものは目にはいるが、ないものは目にはいらない。したがって、そこにないものに私は注目する。・私は人生に対して「当人」であるより「他人」である。見物人である。だから当人には見えないものが、時々見えることがある。・私の書くものを進んで読んでしばしば笑う婦人なら、きっと頭のいいひとだろうと勝手ながら私は決めている。・しゃれのわかる人としゃれを言う人は別人で、わかる人が十人いても言う人は一人の見当で、そして言う人が二人いないと応酬はできないから、しゃれは急速に滅びたのである。・話は短いにかぎる。短くてよく分ると、聞くものは自分が頭がいいと思って喜んでくれる。・風邪は生きものだからなまじ治そうとしないほうがいい。むしろ促進剤を開発して早くクライマックスに達しさせ退散させるにしくはない。売り出せ風邪の増長薬。・医者と薬は信じなければ効かない。・私は人生は些事から成ると見ている。些事にしか関心がない。些事を通して大事に至るよりほか、私は大事に至りようを知らないのである。・私はもういつ死んでもいいのである。それは覚悟なんてものではない。いっそ自然なのである。その日まで私のすることといえば、死ぬまでの暇つぶしである。 面白いもんで、ついついいっぱい引用してしまいました(^^; よくもまあ、これだけリズム感のある小気味いい文章を書けるもんだといつも思います。元気なうちに一度お会いしたかったですね~。
May 12, 2004
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以前書いた営利文化と非営利文化の話の続編です。少しづつ書き足したのが、やっと形になりました。 現代は、経済成長し続けなければならない!という、宗教的ともいえる強迫観念で世界中が動いてる時代ですから、当然ながら営利文化が広まるにつれ、それを推進してる企業間での競争は激しくなります。 だからこそ、大競争時代と呼び各社しのぎを削ってるわけですが、競争が激しくなればなるほど、みんなが考えるのは「パイをでかくすること」。 そのために、元々は非営利文化だった領域に、営利文化が侵入しはじめます。つまり、これまでは「そんな当たり前のことが商売になるわけがないじゃん」と思われていた分野がどんどん商売化するのです。これはもう、今すごい勢いで行われてるなあと実感してます。 いくつか例をあげてみましょう。 例えば、家庭の食事。 食材を買ってきて家で調理するというのは、間違いなく非営利文化で、はるか昔からどこの家庭でも行われてきたことですが、スーパにおける冷凍食品&お惣菜売り場の面積や、お弁当屋さんの繁盛ぶり、コンビニ弁当・おにぎりの回転の良さ、町にあふれる外食産業の数々等を見るにつけ、非営利文化としては、危急存亡の時を迎えてるような気がします。今に、一部の物好きと専門業者、そして電子レンジしか料理が作れなくなる日が来るかも(^^; 子供の遊びだってそうです。 昔は人と場所さえあれば遊べたものが、今はベーブレードがいる、ゲームボーイがいる、PS2がいる・・・ 以前ホームセンターに行ってビックリしたのが、雑巾が販売されていたこと! あんなもんボロ布で縫うのが当たり前だったのに、今や真っ白い新品の雑巾を買う時代になりつつあるようです。使い古した布を最後は雑巾に仕立てて徹底的に使い尽くすという文化は、もはや風前の灯火です。あと数年もすれば、「えー、雑巾を自分で縫うの?すごーい!」という時代が来るかもしれません(だとしたら情けない・・) 営利文化の侵食を一番感じるのは、家庭というものの最大の役割と思われる子育ての分野です。 育児産業という言葉もあるくらいですから、かなりニッチな部分まで広がってるように思います。紙オムツは言うに及ばず、デパートでビン詰の離乳食がずらーっと並んでるのを見たときには、「ひぇーっ!」と思いましたね。 また、子供を外部機関に預ける年齢もどんどん早くなってて、僕が子供の頃は、1年保育か2年保育が多く、3年保育はまだ少なかったんですが、今や3年保育は当然として、断乳したらすぐに保育園という人も、どんどん増えつつあるように思います。一生のうちで最も情報吸収力の高い時期の大半を保育園で過ごすわけですから、子育て文化は、その多くが保育園に存在するという時代が来てもおかしくありませんね~。 ついでに言えば、老人介護もそうですね。 大家族が一軒のうちで暮らしていた時代は、自分の親の面倒を子供がみるのは当たり前の話だったと思いますが、最近雨後の竹の子のごとく次々とオープンする老人介護施設の繁盛振りを見ると、親も子も「お金で割り切る」ことを選択した人が多いんだなあとしみじみ思います。悲しいことですが。 ※この分野が今儲かるということで、居酒屋チェーンまでが参入してるらしい・・・ 営利文化は、対価として必ずお金を要求します。 僕らは、そのお金を払うことによって、えてして手間のかかる非営利文化を、あっさりと捨てることができるわけです。そして“捨てた”という感覚を持つのは、その捨てた先駆者たちだけで、その後に続く人々にとっては、それは単なる常識のひとつになってしまい、何の違和感も感じません。 一方、非営利文化を捨てて手が空いた分は、今度はその対価であるお金を稼ぐために費やされることになるわけで、その手間は営利文化が膨張するにつれ、ますます増えていきます。その点、現代の「忙しい」は、僕らの親の世代が若い頃の「忙しい」とは質が違ってて、営利文化にどっぷり浸ってるが故の、あるいは浸りたいがための忙しさになってるような気がします。 これは良い悪いの問題ではなく、無限の経済発展を望む以上、ある意味、必然的な方向のように思います。 どこまでをお金で割り切るのか、どこまでを子供たちに文化として残したいのか、これからどんな社会を実現したいのか・・・・日常の何気ない場面のひとつひとつで、常識から一歩離れて、さて自分はどうしたいんだろうと見つめてみる時期じゃないかと思います。 少なくともなんらかの歯止めを自分の中に持っておいた方が、次々と繰り出される「♪こっちの水はあーまいぞ」攻撃に翻弄されなくてすむでしょう(^^)b
May 11, 2004
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今日は午前中は、家族で卓球に行って、昼からは半年に一度のバーベキューでした。 毎年春と秋には、中庭にレジャーテーブルを出してバーベキューをするのが恒例になってます。我が家は外に焼き肉を食べに行ったりしない家なので、ここぞとばかりに特上のお肉を食べます(お義母さん、いつもありがとうございます・・・笑)。特に、今日のお肉は絶品でしたね~。肉だけでなく、いろんなもんを炭火で焼きながらチビチビと飲んで、実にいい気分です(^^)v ただ今日は、バーベキューの際中に雨がパラつき始めたので、真ん中にパラソルを立ててやりました。 傘があることにより、それまでオープンだったスペースが、いきなりこんもりとした閉ざされた空間に変身します。それはそれでなんか妙に嬉しいのは、傘の内にいる人間の一体感が増す感じがあるのと、ひょっとすると、居心地のよかった子宮体験をイメージするからかな、と思いました。 そうして、もうひとつ。 本来なら雨に当たるはずが、傘があることにより濡れずにすむ喜び・・・これは、少年の頃、初めて長靴を買ってもらったときの喜びに似てますね。水たまりにズブズブと入っても、おおっ、濡れないぞ!というあの感動。 長靴を履くことで自分が進化したような気がするし、それまで為すすべのなかった自然を征服したような気分も混じってるかなと思います。 考えてみると、現代文明はこの長靴の延長みたいなもんではないかと思います。 このくらいの深さの水たまりまで入れた!と喜んで、どんどん長靴を巨大化させているうちに、いつしか身動きがとれなくなって、既にあふれた水が長靴の中まで入り始めて、靴の中がグチュグチュいってる状態。 そろそろ裸足になって、水たまりで泥んこになって遊ぶ時期かもと思ったり・・・。
May 9, 2004
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新緑が目にまぶしい季節になってきました。 この時期になると、ついこんな古い歌が口をついて出てきますね。 「♪せまる~~~~~~~ 初夏!」 (できれば、ささきいさお子門真人氏の声で)・・・失礼しましたm(__)m 去りゆく春との別れを惜しむべく、春の匂いを胸いっぱいに吸い込むと、そこには思わぬ異臭が、、。 胸満たす 春の香りや 猫のふん くそ~~~(笑) さて、今からやっと速読の勉強に入れます。 どうして、週末はこんなに飛ぶように過ぎていくんだろう。。。(ToT)
May 8, 2004
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昨日5/5の早朝、息子と一緒に月食を見ました。 ややブレてますが、5月5日4:30a.m.の福岡でのお月様です。 息子も朝4時過ぎから起きて、生まれて初めて見る天体ショーに喜んでおりました。 考えてみれば、現代に生きる僕らは、お月様のことをとてもないがしろにしてるような気がします。 昔は、月は照明でもあり、カレンダーでもあり、月を見れば今日が何日かはわかったわけです。十五夜は必ず満月だし。また、月の位置でおおよその時間もわかったんじゃないかと思います。僕らは、立待とか寝待とか十六夜とか言われても、その月が何時ごろ昇るのかなんて、調べないとわかりませんね(^^; 農業の方でも、種まきの時期なんかは月を見て決めたらしいし(確か新月の頃がよかったような・・・)、満月の日には人間の気持ちが高ぶるのか、普通の日よりも犯罪発生率も上がるというデータもあります。 以前、ここにも書きましたが、お月様ってほんとに不思議で、その理屈はわかりませんが、僕らがお月様の影響を受けていることは確かです。 僕ら人間は、ともすると「自分の力で生きている!」と思いがちですが、お月様をはじめ他の星や、山や川、岩や土、動物や植物など、一見何の関係もなさそうな有象無象の影響を多分に受けて、この世に存在しているんだと思います。 そうした目に見えない影響に思いをめぐらすとき、またそうした影響を感じ取ろうとするとき、ふと「生きている」という感覚が変化する一瞬が訪れます。※ちなみに、今の暦は太陽暦で、旧暦は大陰暦だと長い間思ってたんですが、実は違って、旧暦は太陰太陽暦というんだそうです。つまり、「年」は太陽暦に合わせて、「月」を大陰暦で考えるという仕組みです。したがって、うるう月なんてのもあって、さらに大の月、小の月が毎年変わります。だから昔は、暦は大小とも呼ばれていました。※ついでに時間については、昔は、日の出を明け六つ、日の入りを暮れ六つとして、その間を6等分して時刻を決めてました。つまり、同じ一刻でも季節によって長さが変わります(=不定時法)。六つ(6時),五つ(8時),四つ(10時),九つ(12時),八つ(2時),七つ(4時)という数え方をします。丑三つ時というのは、丑の刻(八つ=2時~4時)を約30分ずつに4等分して、その3つ目ということで、午前3時~3時半を指すそうです。
May 6, 2004
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今日は、家族4人で近くの体育館に卓球をしに行きました(僕はず-っと卓球部だし、かみさんも大学時代に卓球同好会に入っていたんです)。 今回驚いたのが子供の上達ぶり。息子は、2年ほど前にサンタさんが卓球道具一式持って来てくれたんですが(笑)、その頃に比べると、ラリーが続くし断然うまくなりました。 また、1年生になった娘も、だいぶ台の上に顔が出るようになったので、初めてちゃんとやらせてみたところ、こいつがうまい! 元々運動神経がいい上に(←親バカ)、下の子の特権で物怖じせずにラケットを振るので、すぐに感覚をつかんだようです。 もうちょっとすると、親子4人でダブルスができるなと楽しみにしてます。 さて、明朝は皆既月食が見られるって知ってましたか?詳しくはここ。 息子に話したら、絶対見る!というので、明日は親子(父・息子のみ)で早起きの予定です。福岡は、お天気の方もなんとか大丈夫みたいです。 僕が12歳のときの誕生日も月食で、そのときはわらで作った“秘密基地”に、魔法瓶にコーヒー入れて持ち込んで、夜中に月食を観測したのを覚えてます。ああいうのは、一生忘れないですよね~。 さらに明日は、田主丸(たぬしまる)という所に出掛けて、そこの熱心に酒作りしてる造り酒屋で昼食&利き酒、そして近くのアスレチックやらウォーキングコースを散策する予定です。 ちなみに、田主丸の語源は、「楽しみ生まれる」から来ているそうです。 いよいよこのGWも明日が最後ですが、今年は、実に充実してましたね~。毎年、何やったんだっけ?と思うことが多いんですが、今年はしっかり言えますぞ(笑) 来年の参考のため、記録として残しておきます。 4/29:アルバイト(PC環境セッティングサポート業・・・笑) 30:両親と甘木の大平山にハイキング 5/ 1:長州旅行(萩) 2: 々 (長府・下関) 3:完全休息日 4:家族で卓球 5:月食観測/田主丸行き・・・ということで、長州旅行記はまた後日(明日も書くことありそうだし)。
May 4, 2004
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今朝は10時まで寝てて、さらに昼寝も2時間したのにまだ眠い・・・ とりあえず、忘れないうちに行程録だけでも簡単にまとめておきます。■5/1 6:00過ぎ 出発。かみさんに博多駅まで送ってもらう 6:47~ 新幹線・こだま634号で山口県の厚狭(あさ)まで。 車中で前日実家でもらってきた余りの赤飯を食べる。 7:35~ 美祢(みね)線に乗り換え、長門市まで。 9:01~ 山陰本線に乗り換え、東萩駅まで。 9:39~ 東萩駅に到着。 駅前のビジネスホテルを予約。 レンタサイクルで萩市内をグルグル回る。 この間、後で考えると全く飲まず食わず。 17:00~ レンタサイクルを返却し、徒歩でさらに市内を回る 19:30~ 歩き疲れて焼き鳥屋に入る。 大将夫妻および他のお客さんと話がはずんで少々飲みすぎ! 21:30~ ホテルに戻って、速読のトレーニング。 その後ビールをチビチビ飲みながら読書 24:00~ 就寝■5/2 6:30 起床。 6:09~ 東萩駅より、山陰本線で長門市まで。 8:15~ 美祢(みね)線に乗り換え、厚狭まで。 9:13~ 山陽本線に乗り換え、小月まで。 9:26~ 小月着。 バスの便が悪く、タクシーで下関市吉田町にある東行庵へ。 東行庵でお抹茶をいただいたり、資料館を見たり、晋作の眠る清水山を ゆっくりと散策。晋作の像を見ながらサンドイッチ。 12:09~ バスで小月駅まで戻る 12:30~ バスで「城下町長府鳥居前」まで。 13:00ごろ 徒歩で長府城下を通り抜けながら功山寺へ 14:10~ バスで長府駅まで。 14:36~ 山陽本線で下関まで。 14:51~ 下関着。レンタサイクルで市内の晋作の足跡を回る。 たまたまやっていた市民会館での企画展「高杉晋作の時代」も見る 壇ノ浦近くの赤間神宮で、たまたま見かけた「全国平家会総会」に 興味をそそられて顔を出したら、えらく歓迎された 19:27~ 山陽本線で小倉まで。 19:45~ 新幹線で博多まで。 20:25~ 西鉄バス。21:00頃帰宅 ざっとまあこんな感じでした。 それぞれの場所での思いや感想については、また改めて書きます。
May 3, 2004
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長州一人旅から無事に戻って参りました。 動きたいように動いて、見たいものを見て、愉快なハプニングもあったりして大満足して帰ってきました。詳しいことは、おいおい書いていくと思います(多分・・・)。写真の整理だけでも目が回りそう、、(^^; それにしても、旅に出る最大の喜びは、家に帰って家族の顔を見るときと、湯舟に体を沈めるときにあるといっても過言ではないですね(笑) 肉体的にはかなりくたびれたので、もう寝まーす(^^)/
May 2, 2004
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