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先月(2005年8月)の中旬に、まるで導かれるようにして訪ねたのは、末尾に掲載した画像に映る看板にある佐賀県神埼市背振町鹿路の”鳥羽院(とばい)”という地区に鎮座する「後鳥羽神社」であった。そこで冒頭画像は、「第82代 後鳥羽天皇」を主祭神として祀る当社の境内裏手にあって、おそらく瀧行をする際に丁度良い佇まいの約6mの瀧を撮影したものである。画像のように、たまたま水流が陽光に輝く時間帯に遭遇、まさしくこの地域が聖地であることを感じさせてくれた。次に上の画像は、当社の鳥居をくぐり社殿を含む荘厳な雰囲気の漂う御神前の全体像を撮影したものだ。特に画像の中央から右下にかけて、まるで山上から降りてきた「龍蛇」を彷彿とさせる磐座群は、圧倒的な迫力であった。この鳥羽院地区には、鎌倉時代の1221年「承久の乱」で敗れ、隠岐島に流された後鳥羽上皇が、ひそかに島を抜け出して身を寄せたという「後鳥羽上皇の伝説」があり、鳥羽院という地名の由来にもなっている。毎年2月22日の「後鳥羽上皇」の命日には、現在でも祭事が行われているとのことである。そして上の画像は、当社の由緒を撮影したもので、どのような経緯で「後鳥羽上皇」の御一行が、隠岐島から当地に身を寄せることになったのか、その背景が詳しく記されている。また下のリンク記事にも書いたが、かつて2011年の秋に「隠岐島」の諸島を周遊した際、自身の中で強く印象に残った体験は、〔島前〕の「中ノ島」に存在する「後鳥羽上皇御火葬塚」での出来事であった。※関連記事・・・「隠岐の島」周遊の思い出(6)その出来事とは、その火葬塚の前で、当時の造形表現において最高の傑作と実感していた「複合立体」(下のリンク記事に掲載した冒頭画像に映る「五つの正多面体」が一つに和合した造形)に関する啓示を受けたという、言わば”霊的体験”である。この私的には未曽有の体験も加わって、公の伝承において「後鳥羽上皇」に由来するとされる「菊花紋章(十六八重表菊)」の原型を「菱形30面体」と洞察し、加えてその内部の構造を含む「複合立体」を『三種の御紋』の統合体と認識するに至ったというわけである。※関連記事・・・『三種の御紋』の統合体今回の当社への参拝は、当日の朝に〈JR博多駅〉へ到着後、とつぜん降って湧いたかの如く決定したわけだが、実はもう一つの重要事項が決定した日でもあった。それは、明日の10月1日に公開予定の「合同展示会」の告知内容において、展示する自作の”立体作品”の選別や参加次第を決定づける電話連絡を、当展示会の主催者からいただいた日だったということだ。さらに参拝した「後鳥羽神社」の近くには、延応元年(1239年)2月22日に崩御された「後鳥羽上皇」の山陵と伝わる墳墓があるのだが、当地を離れる前にその墳墓に向かって遥拝していると不思議にも・・・来る展示会では「菱型30面体」(菊花紋章の原型)を基盤とする造形を中心に披露するように・・・との想いが浮かんできたので、やはり当日の動向は〔大いなるもの〕の采配であったと実感した次第である。そして、その日の締め括りは、当初から訪れる予定にしていた「古湯温泉 ONCRI/おんくり」での入浴であった。当ホテルは”日帰り入浴”ができる宿泊施設で、泉温が38度と「ぬる湯」で知られた心身共にリラックスできるお気に入りの温泉で、今回で三回目の嬉しい湯浴みとなった。その大きな露天風呂に掲げてあった当温泉の由来を読むと、この嘉瀬川の緑の谷間に湧く温泉は、今から2200年ほど前、不老長寿の薬を求めて”秦の始皇帝”に派遣された「徐福」が発見したという伝説が記されており、この温泉地からも近い佐賀市金立町にある「金立山」の山上に鎮座し、上記の「徐福」を主祭神として祀る「金立神社(上宮)」への参拝や、社殿裏手に屹立する巨大磐座の「湧出御宝石」等を思い出し、ゆったりと湯船に身を任せつつ感慨無量の想いに浸るのであった。
2025年09月30日

今年(2025年)の9月初旬、地元は山口県の「岩屋山(標高101m)」山系の丘陵地(山口市秋穂二島)に存在する大きな磐座の岩面に、「ペトログリフ(岩面彫刻)」を確認することができた。ここで簡単に「ペトログリフ」とは、古代人によって岩に刻まれた図形や文字のことである。そこで冒頭画像は、その「ペトログリフ」を確認できた岩面の全体像を撮影したもので、特に岩面の上部に刻まれた意図的な形象や古代文字のような多様な線刻に注目していただきたい。これまで全国各地で数々の磐座群を見てきた経験から、おそらく正真正銘の「ペトログリフ」である。◎関連記事・・・ペトログラフ岩◎関連記事・・・国東のペトログラフ岩の解説と…所感…この岩面に「ペトログリフ」を確認した大岩を含む磐座群を訪れたのは、これまで約10回を数えるのだが、その磐座群を「岩屋山」の山上より遠望した画像が上である。ちなみに、磐座群の遠方に見える山並は、防府市南部の瀬戸内海上に浮かぶ「向島(むこうしま)」だ。さて高台に鎮座する磐座群に近づくと、最初に目を引く磐座は、(上の画像のように)一見すると浮いているかのように見える”宝珠”のような美しい岩である。この画像でも分かるように、この”宝珠”の岩は二つの大岩に支えられており、その下方は大人一人がひざまづきながら、やっと向こうに通れるくらいの空洞になっている。次に、この”宝珠”の下を潜り抜けた左側の垂直に近い岩面(上の画像)が、冒頭画像で掲載した今回初めて確認することのできた多種多様の「ペトログリフ(岩面彫刻)」が刻まれた部分となる。そして下の画像は、その「ペトログリフ」が刻まれた部分を拡大して、画像の調整によってシャドーを強調することにより、岩面に刻まれた形象や文字類を読み取りやすくしたものである。おそらく感性の豊かな方の中には、この古代人の刻んだメッセージが読み取れる人もいるであろう。風の噂によると、この磐座群の南方に浮かぶ「竹島」(下の画像の中央に浮かぶ小島)との深い関係により、この「ペトログリフ(岩面彫刻)」のある磐座群が形成されたということである。その後、この「竹島」の位置が気になり地図上で調べてみると、この磐座群から見た「竹島」の方位は、真南から東へ約20度ほど振れた「シリウスの聖方位」と分かり、満面の笑みで大きく頷く自分がいた・・・。ちなみに、この「竹島」に祀られた祭神は地元では「イチキシマヒメ」と伝わるのだが、その元の祭神は〔大化の改新(AD645年)〕以降に”封印”された女神「セオリツヒメ」であり、さらにこの神名「セオリツ」の本質は、その語源にまつわる天体「シリウス」に繋がるということだ。・・・いよいよ今年の9月より、『 ミロクの世 』の時代の到来である・・・☆関連記事・・・「冬至」に向けて☆関連記事・・・常に輝く星「シリウス」、そして「太陽」☆関連記事・・・天地をつなぐ『虹』の出現、その背景には…
2025年09月20日

◎題名『宇宙(そら)』…作者 山本 裕一 ◎「立体作品」・・・大きさ〔75×75×75㎝〕◎作品の説明学術的には「大菱形20面・12面体」という名称。全部で18種類ある基本立体の中で最大のものとなります。 全て同じ長さの「軸線(素材は綿棒)」で構成したところが特徴です。(総数は約 4,500本) 同じ形状の立体作品は、2001年に「仁壁神社(山口市三ノ宮)」に奉納、現在も当社拝殿の天井から吊り下げられており、参拝者は誰でも見ることができます。※関連記事・・・天空に輝く「星々」と神社に祀られた「神々」の関係性、そして…冒頭画像に映る立体作品(一点)を、以下に告知した作品展に出展します。皆さまのご来場をお待ちしています。
2025年09月01日
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