全3件 (3件中 1-3件目)
1

さて、前回の日記に続いて冒頭画像に映る島は、本州最西端の「毘沙ノ鼻」の展望台より、西方の響灘に浮かぶ「蓋井島」の全容を撮影したものだ。日本最高峰の「富士山」と本州最西端に限りなく近い「吉母富士」と、この二つの「富士山」を結ぶ軸線は本州最西端の「毘沙ノ鼻」を透過し、その先にある上の画像の「蓋井島」を貫通していたことも含め、これまでの様々な経緯から私なりの”見立て”として、この「蓋井島」は「本州」を象徴する「扇子」を閉じるための”責め”に観えていたのであった。そして繰り返しとなるが・・・いよいよその”責め”を外す時が来たのではないか・・・とのことで、今回の「蓋井島」への渡海に繋がったと感じている。今の時期に蓋井島に渡るフェリーは一日三便、今回は下関の吉見港13:30発の便に乗り、蓋井島までの所要時間は約40分。そして帰りの便は蓋井島15:50発だったので、同島の滞在時間は約2時間であった。そこで上の画像は、蓋井島の港に下船してすぐの辻に掲載されていた「国指定重要文化財」に関する解説版を撮影したものだ。かつて、この7年毎にある「山の神」神事が斎行された聖地を訪れたことがあったが、その信仰の原点ともいえる祭祀形態の素朴な佇まいに、とても感銘を受けたことを憶えている。まず当日の限られた時間に向かったのは、同島の港湾に近い高台に鎮座する「蓋井八幡宮」であった。その当社本殿を正面から撮影した画像が上である。(当社祭神…八幡大神・神功皇后)そこで注目してもらいたいのは、社殿向拝の梁に施された彫物(意匠)である。その左右の二ヶ所に対称的に彫刻された意匠は「兎(ウサギ)」であり、その左右に施された「兎」の彫刻を拡大して掲載したものが、この下に続く二枚の画像だ。この「兎」の意匠を見て直感したのは、豊前国一之宮「宇佐神宮」(大分県宇佐市)の神氣であった。(※言うまでもなく同島に鎮座する八幡宮も、全国八幡宮総本社「宇佐神宮」の分祀である。)この「蓋井島」の浮かぶ”響灘(ひびきなだ)”という山口県西部の海岸域は、近年になって下関市と合併するまでは「豊浦(とようら)郡」と称されていた。そこで、上記の「宇佐神宮」の鎮座地を含む現在の大分県全域から北方の福岡県北九州市の小倉地区辺りまでは「豊国(とよのくに)」という大きな古代の国域だったことから、現在の本州と九州を隔てた”関門海峡”を挟んで、南方の九州側を『 豊の〔表〕の国 』、北方は本州側の山口県西部の海岸域から内陸にかけた一帯を『 豊の〔裏(浦)〕の国 』と、古来より表裏一帯の広範囲な「豊国」と称されていた可能性を(私的見解ではあるが)ここで指摘しておきたい。加えて、古代の「宇佐神宮」の宮司家を務めた「宇佐(兎狭)氏」は、「月」の”満ち欠け”を基盤とする「天津暦(あまつこよみ)」を司り、アジア全域でみられる「月のウサギ」の信仰を継承し、「兎(ウサギ)」をトーテムとし崇めた氏族とされることから、上掲画像の社殿の梁に「兎」の彫刻を見た時の私的インパクトが強かったのであろう。以上の解説からお分かりいただけるように、当社社名の「宇佐(うさ)」とは、「兎(うさぎ)」の「ぎ」が脱落して社名になったことが自ずと類推でき、またその神氣を明確に継承する「蓋井八幡宮」が同島に鎮座していたということであろう。ちなみに、宇佐族が〔豊国〕の「宇佐神宮」に拠点を移してからは、奈良時代には”神託の聖地”として、皇室から「伊勢神宮」以上の崇敬を寄せられていた。蓋井島の港に近い高台に鎮座する八幡宮の参道から、真っすぐの石段を通して遠望した画像が上である。この画像中央の海原に浮かぶ手前の島は「雄島」(北九州市若松区)で、その右側に見える二並びの山は宗像市にある「孔大寺山(標高499m)」と「湯川山(標高471m)」で、かつて両山をかけて登ったことがある馴染み深い山々であった。そして上の画像は、帰りのフェリーから「蓋井島」を撮影したものだ。同島の向かって左に突き出た山は「乞月山(標高149m)」(冒頭の画像では左隅の山)で、まさに上記の宇佐族が太古より信仰した「月の兎」の風情を彷彿とさせていた。(了)
2025年08月26日

つい先日の8月16日、久しぶりに山口県下関市の「響灘(ひびきなだ)」の海域に浮かぶ「蓋井島(ふたおいじま)」へ渡る機会があった。同島へ向かうフェリーの出航まで時間があったので、そこから少し離れた本州最西端の「毘沙ノ鼻(びしゃのはな)」まで出向き、高台にある展望所から見て真西(約6~7㎞の沖合)の「蓋井島」を撮影した画像が上である。当地は何度も訪れているが当日は特に天候が良く、同島の右側に”世界遺産”の「沖ノ島」が視認できたのは嬉しかった。(※残念ながら上の画像では「沖ノ島」は見えづらい)そして上の地図は、冒頭で解説した「毘沙ノ鼻」の展望所と「蓋井島」の位置関係を図示したものである。加えて、「毘沙ノ鼻」の東方にある「小倉ヶ辻(標高308mの山)」を「吉母富士(よしもふじ)」と示してあるが、地元ではこの山が円錐形の「富士山」に似た美しい山容ゆえ、この愛称で呼ばれているということだ。かつて、この「吉母富士(小倉ヶ辻)」に登ったことがあるのだが、この山頂から展望する「蓋井島」も素晴らしかったことを憶えている。さて上の画像は、下のリンク記事から引用したものだが、日本最高峰の「富士山」と本州最西端の「毘沙ノ鼻」を結んだ”赤い線”を「扇子」を閉じた直線と見立て描いたものである。そして、閉じた扇子から”一本の扇子の骨”を開いた位置付けとして「富士山」と出雲の「八雲山」を結ぶ”東西軸”、さらに「富士山」と本州最北端の「大間崎」を結ぶ”青い線”は、この扇子を開き切った直線として描いてある。(※より詳しくは下の記事を参照されたし)※関連記事・・・観てきた「扇(奥義)」(上)※関連記事・・・日本列島”岩戸開き”の様相(下)そこで当記事のタイトルに…「扇子」の”責め”を外す…とあるのだが、その”責め(セメ)”とは、扇子を閉じて固定している”和紙の帯紙”のことで”責め紙”とも言う。実は今回の「蓋井島」への渡海は、当日の午前中に決まったのだが、その時の私には「蓋井島」という名称にある”蓋”と「扇子」の”責め”が〔同じような意味合い〕に感じられ、何故か・・・閉じられた扇子の先端に付着していた”責め”(蓋)を、この日本列島に住まう民衆の《心魂の岩戸開き》に向けて、いよいよ本格的に外す(開放する)時が到来した・・・という感覚に包まれたのであった。
2025年08月23日

つい先日のカムチャッカ半島沖で地震が起きた当日(2025年7月30日)の未明の”夢”では…これ(気脈が通ること)で《循環》が良くなる…というビジョンを、「この地球の内部や外部を問わず構造的に張り巡らされたレイライン(鍼灸の解釈では人体の”経絡”)が滞り無く《循環》するシステム」として、詳しい解説付きで立体的かつ動態的に見せられたのであった。(冒頭画像は関連地図)そして同日の日本時間では午前8時24分頃に、同半島沖でマグニチュード(M)8.7の強い地震が発生したということで、ニュース報道による震源地の記された地図を見た時、すぐに私の脳裏には熊本県「金峰山」辺りの”中央構造線”の西南端から発する「夏至の”日の出”方向」の、ほぼほぼ延長線上にあると直観した。実は先日7月25日に長崎県西南部でM4.7の地震があり、自身が「金龍の目」と比定した地域の諫早市と雲仙市で震度4を観測したことから、冒頭画像の「夏至の方位線」の西南端を意識していたところであった。(※そもそも日本列島は「艮(東北)」から「坤(西南)」へ、あるいは「坤(西南)」から「艮(東北)」へ向かい形成された、言わば「艮坤線(坤艮線)」に存在する”龍体”という見立てができる。)※関連記事・・・「夏至」に動く(番外編)そこで”日本列島”の「九州島」を「龍の頭」とした”金龍”に見立てた場合に、北海道の東方にある国後島・択捉島より東北方面の「カムチャッカ半島」にまで連なる「千島列島」の、その最東北にある「占守島」までを「龍の尾」とする認識が、自身の心中に生まれたのであった。特に今年(令和7年)の7月は、数年前より様々な憶測が飛び交う中で、同月30日のカムチャッカ半島沖で起きた地震発生によって、結果的には”より良い方向”に〔世界線〕が変わったと視ている。※関連記事・・・《龍の目》を訪ねて※関連記事・・・「国東」と「国後」を結ぶ《艮坤線》
2025年08月02日
全3件 (3件中 1-3件目)
1
![]()

