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いろんな人がいます。気の合う人、合わない人。意見が合う人、合わない人。みんな自分の基準で、相手を判断します。相手がどうしても理解できないとき、自分の基準・判断を一方的に押し付けるのではなく、一旦、相手の立場にたってみる。相手には相手の言い分があるはず。だからといって、それを受け入れられるわけではないけど、でも、相手の主張も、相手なりの考えがあって、尤もだと受けとめる。そうすると、相手と話し合うこともできる。そして、こちらも、人間としての幅も広がっていく。相手が間違っていると思うことがあっても、ただ、否定するのではなく、自分の幅を広げるためにも、相手の立場になって、理解しようとする姿勢だけは忘れないようにしたい。
2011年11月30日
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人間、だれしも、善い心と悪い心を合わせ持っているものだと思います。でも、それぞれの成長過程などによって、そのバランスが人によって違ってくるのだと思います。しかし、絶対的にいえることは、善い心が多いほど、人生は幸せに導かれる、ということです。幸せになるためには、自分の中の善い心を見つけ出し、行っていくか、ということにかかっているのです。その人の持っているもので、そんなに努力しなくても、自然に善い心で行動できる人もいます。反対に、なぜか悪い心の方に行動してしまい、幸せとは反対の道にいってしまうという悪循環を繰り返してしまう人もいます。でも、人間には、必ず、どちらの心もあるのです。自分の善い心に気づき、あるいは、善い心を養い、そして、行動していくこと、そうすることが、自分の幸せとなり、周りの人の幸せともなり、家族、地域、社会の幸せにつながっていくことは、間違いないことだと思うのです。今年も、少しでも善い心で過ごせるよう、一日一日を過ごしていきたいです。
2010年01月20日
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こうなったらどうしよう。。。こんなふうに悪くなるんじゃないか。。そんな思いは、取り越し苦労といいます。取り越し苦労は心の無駄遣い。心は、いいように、なんでも栄養になるように考えていくと、物事もいいように進んでいくのです。無駄な心配はしないで、ええようにええように考えていく癖をつけると人生も開けてくるのです。
2009年11月11日
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自分の本当の思いは何?本当にやりたいことは何?人のせいにしたり、人のことを気にしすぎるのではなく、自分はどうなのか。自分に責任を持って行動する。自分でしっかり考え、自分の思いを大切に、その思いが善か悪かをきちんと見極わめて、失敗したっていい。その失敗は大切なステップとなるから、自分をよく見つめて、自分の本当の声を聞いて。
2009年11月11日
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何かを始めようとするとき、勇気がいる。何かにチャレンジしようとするとき、勇気がいる。その一歩は勇気がいるかもしれないけれども、その一歩を踏み出しさえすれば、動き出すものだ。自分のため、人のためになることを始めたら、新しい世界が広がって、とっても楽しくなるはず。
2009年11月11日
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夢は、すぐかなうものじゃないんだから。なかなかできないと思っても、やりたい気持ちをあきらめないことは大切。あせらなくていい。その思いを持っているだけで、夢に近づく努力ができるし、チャンスをつかめるときがくるかもしれない。夢に近づく努力、というのが、本当はとっても素晴らしいことなんじゃないのかな。
2009年11月11日
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生きているってことは、いろんな可能性を秘めているということ。辛いことや苦しいことがあったって、それは、次へのステップ。辛いことや苦しいこと、失敗などは、実は、人生のチャンスともいえる。そこから、必ず、学べることがあるはず。そのときにはわからなくても、そのときできることを努力することで、きっと後になってわかるはず。自分を大切にして、自分の善なる可能性を信じて進んでいくこと。そうすることで、きっと人生がステップアップしていくのだから。
2009年11月11日
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次男の幼稚園の参観に行ってきました。幼稚園年少、この春入園して初めての参観です。3・4才の子供たち。ついこの間まで、お母さんにまとわりついていたのに、ちゃんとお席に座って、先生の話を聞き、楽しくお歌を歌ったり、踊ったり、前に出てお名前を言ったりできるようになっていました。与えられた環境に一生懸命馴染んで楽しんでいる子供たちを見ていると、なんだか、こちらの方が勇気づけられました。子供って、目に見えて、どんどん心身ともに成長しています。同じ時間を生きているのだから、私たち大人だって、そのはず。でも、大人は、何かを忘れてしまっていたり、邪魔されるものが多いのでは。。。子供たちの姿に、改めて、今の私を見直してみようと思いました。
2009年06月05日
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同じ四国の中ですが、昨日と少し場所を移動して、また違ったメンバーとタイトルについて、学びあってきました。代々受け継がれてきた命のつながり、そして、私たちは、縁ある魂を受け継ぎ、その魂のもったもの、というものがあるから、その魂の差が、環境の差となって今の世に現れているという私の解釈をまずお話させてもらいました。どういう親の元に生まれ、どういう環境で、どんな事柄や人にめぐり合うか、これらの環境すべては、それぞれの持っている魂の縁で出てくることなので、自分の環境をしっかりと見つめていくことが、自分の魂を理解していくことになると思うのです。目の前に現れる様々な環境に対して、どのように自分の魂の持っているものに気づいていったか、それに、どう取り組んでいくことで、魂を浄化し、成長させようと努力しているか、といったことをお話させてもらってきました。与えられた環境の中で、これからもできるだけの努力をし、魂の浄化、成長につなげていきたいです。
2009年05月17日
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タイトルのテーマで学び合おうと、四国に出かけてきました。そこで、現在までの私の身近な生活の中で、「それぞれの立つ瀬を認める」ということについて考えたことをお話させてもらいました。「それぞれの立つ瀬を認める」ということは、・お互いそれぞれがのびのびと感じられる状態。・どちらかに我慢のある状態ではなく、それぞれの相手の立場を理解し、調和した状態。そして、それぞれの立つ瀬を認めるためには・相手を尊重した言葉がけを心掛けること。(どんな状態であれ、相手の気持ちをまずは受けとめてみること)・自分自身についても、振り返り反省してみること。・相手の立場を理解しようとしても、本来持っている価値観の違いから、どうしても受け入れられないものということにぶち当たった場合には、「感謝」ということに重点を当てて、そのことに感謝はできなくても、何か他の点でいいので、感謝できることはないか、という視点に目を向けてみる。そうすると、どうしても受け入れられなかった価値観に対しても、それほど捕らわれなくなっていくということ。(感謝の心は、不平不満憤慨を解いてくれます)相手を尊重するだけでなく、自分に向けての努力をすることによって、円満な心がお互いの心に養われ、それぞれの立つ瀬を認めるという状態に導かれるのではないか、ということを私の体験談を交えて、お話させてもらいました。それぞれの立つ瀬を認める努力をすることは、必ず、どちらもが良くなっていくことに通じ、どんどん幸せの輪が広がっていくことだと思います。幸せの輪がどんどん広がりますように・・・
2009年05月16日
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田舎に行くと近くに私のいとこもいます。今回、そのいとこたちに会えるのも、またとっても楽しみでした。長い間会っていなくても、会えば、子育てのこと、人生のことなど、共通の話題をもって心を許して話せる仲間です。会っていなくても、共通の話題をもっているというのは、共に、人生を幸福に導くために、おばあちゃんがそういうレールをひいていてくれたからなのです。人生について語り合える仲間たちが、おばあちゃんのお陰で、全国のあちらこちらで出会える環境なのです。こういう輪がどんどん広がっていくことを私もやっていきたいと思っています。
2009年05月11日
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この週末を利用して、私の唯一のおばあちゃんに会いに行ってきました。遠く離れているので、私のなかなか行くことができず、やっと次男が4才になり、楽に動けるようになったのを機に、約5年ぶりに、次男を連れて行ってきたのです。年令相応の痴呆も出てきていることは、前々から聞いていたので、会ってみて、どうなんだろうか、とちょっと不安も無きにしもあらず。。。顔を見た途端、おばあちゃんの発した言葉は、「あらー、○○(私の名前)!大きくなってー!」私は、おばあちゃんのその言葉と温かなまなざしが、とってもとっても嬉しかったです。おばあちゃんに会いに来て本当によかったーって思いました。若い頃の記憶は、年をとっても鮮明なのですよね。だから、おばあちゃんの中では、私は、きっとまだ小さい頃よく母に連れられていってた頃のままだったのではないかと思います。このおばあちゃんがいてくれたから、今の私がある、おばあちゃん、有り難うの気持ちがいっぱい湧き上がってきました。随分、小さくなったように感じたおばあちゃんですが、やっぱり、おばあちゃんの存在は大きいなぁと改めて思いました。おばあちゃんに会えて、本当によかったー。
2009年05月10日
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タイトルについて考えるフォーラムに参加してきました。「人事を尽くして天命を待つ」これも同じようなことですよね。自分が、絶対にこうする。と決めたとしても、どんなことが起こるかわからない。「明日、10時に行きます。」と決めたところで、途中で、もしかしたら、事故に遭うことだってありうる。幸福を得るためには・・・幸せとは、どんな状況の中にも、幸せを感じられる豊かな心を養うことに他ならないのではないか。よい言葉を出し、よい行いをする、そして、感謝の心を養うことで、幸せが実現してくるのだと思います。心を豊かにすること、そうすることで、幸せへとつながっていくのだと思います。こういうことを語り合える仲間がいることは、とっても素敵なこと!素敵な時間を過ごすことができました。
2009年05月02日
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信念を持って行動することは、とても素晴らしいことだと思いますし、何かを為すためには信念を持つからこそ、やり遂げられるということがあるのだと思います。 しかし、信念について、次のように学び、大変感銘したので、ご紹介します。 信念とは只岩石の様な、鉄棒の様な心を云うのではありません。堅い心、揺るぎの無い心だけでは、自分の心で決めた信念でありますから、他人から嫌われ、仇をされ、失敗も多く、最後には不幸に陥る人が多い。 信念とは、暖かい、つきたての粘り強い餅の様な心、どんな汚物も浄化する日月の様な、風の様な、自然に湧き出る湯の様な心で、尊く、得難い心構えであります。 独りよがりでは決してない、周りも調和して貫いていけることこそ、大切なことではないかと思います。
2009年04月20日
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子供たちの修了式や卒業式は、もう数日前に終わっています。でも、長男からは、なかなか通知表を見せてもらえませんでした。それが、やっと、今日、タンスの上に置いてありました。私がまず確認するのは、出欠。元気に通ってくれることがなにより一番。それも、子供たちそれぞれに登園拒否や登校拒否を少なからず経験したから余計だと思います。多少の病欠は、仕方ないと思っていますが、元気に通えて、本当によかった、、という喜びをいつも大切にしています。ところが、今年は、長男も長女も揃って、お見事、皆勤!その上、次男のことも加えると、次男も週2回のプレスクールに通っていたのですが、こちらも皆勤!3人の子供たちが、みんな皆勤なんて、ありえないほど素晴らしいこと!!本当に、嬉しいです。子供たちの踏んばりはもちろん、目に見えない力をいただけていることもひしひしと感じられます。3月になって、私は、いろいろなことから疲れがドッと出てしまったのですが、でも、そんな疲れも吹っ飛ばしてもらえる大きな喜びでした。長男・長女には、おめでとうの気持ちを「お母さん、とっても嬉しいわ。よく頑張ったね。役立つように使ってね。」と少しばかりの現金を渡しました。長男も長女も、物より現金がいい年代になったようなので、そうすることにしました。成績の方は・・・まぁまぁそれなりに・・といったところなので、これも良しです。これらの努力をバネに、未来に羽ばたけ子供たち♪
2009年03月23日
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言葉について、子供の頃から、よく考えていました。聞かされる様々な言葉によって、私の心がいかに反応するか。言葉の影響力はすごい、と感じていました。影響力のすごさ、というものは、私の心を元気にするものであったり、心を濁すものであったり。。。言葉と心の影響力は、目に見えないものだけれども、とても大切なものだ、と思っていたし、大人になった今も更にその思いは強まり、確信を持つようになりました。言葉の出し方を誤れば、相手の心を汚し、お互いに迷い苦しむことになります。そして、肉体も亡び、国家も破壊されることにも至るのです。言葉の出し方、使い方は、重大な事柄です。言葉は、心の動きによって、出てくるものです。よい心を持ち、よい言葉を使う。心は、様々なことに反応しますが、波風が立ったときには、そこが、正念場。その波風をいかに修め、心を整え、よい言葉につなげていくか、そういう修行を日々行うことが、幸せにつながっていくのでしょう。私も、まだまだ、今は小さな世界ではありますが、私自身→家族→地域→社会→国家・・・と幸せを広げていければ、と夢を大きく持って前進していきたいです。
2009年03月07日
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全然、ブログ更新しない間に、秋になっちゃいました。秋といえば、読書の秋?・・いえいえ、やっぱり食欲の秋。そんな折、お気に入りのケーキ屋さんが、新店舗を以前より我が家に近いところにオープンすることになり、オープン記念になんと、オープンとその翌日、ショートケーキが半額☆もう、絶対に買いに行かなきゃ!と楽しみにしておりました。そして、一昨日のオープン当日、午前中からお昼にかけては、娘のソフトボールの試合の応援に行っていたので、昼食後、少し落ち着いてから行ってみると・・・!!すごい行列で、びっくり!!2時間くらいは並なくてはいけないのでは、という感じ。下の子を娘にみてもらってるし、とってもそんなに並ぶ余裕はなかったので、駐車場の警備員さんに「すごいですねー。これって、ずっとこんなんですかぁ?」って聞いてみたら、「そうやなぁ。朝からそうやったけど、午後になって、また増えたなぁ。来るんやったら、オープン前の朝一から並ぶのが一番賢明やで。」と教えてもらいました。でもなぁ。。なんか、そこまでしてなぁ。。。なんて思っていたのに、次の日の朝、しっかり並ぼうと準備している私。下の子にも、おとなしく並ぶことをしっかり言い聞かせて、オープン30分前に並びに行きました!すでに、10人くらいの人が並んでいましたが、私が行った後から続々とあっという間に50人くらいの列に。グッドタイミングでした。オープン10分前には、店を開けてくださったので、オープン時間の10時には、ケーキをゲットすることができたのです。我が家の分とそして実家の分。実家は、ちょうど翌日が結婚記念日というケーキにはもってこいのタイミング。一日早いお祝いをしてきました。サプライズプレゼントだったようで、とっても喜んでもらえました。そして、家に帰って、息子や娘が帰ってきて、ケーキタイム。「あー、このケーキを食べてるときと、食べた後の余韻が幸せ一番感じるわぁ!こんなにおいしいケーキをあんなにたくさんの人が食べてるってことは、ケーキを通じて、幸せを運んでるってことやんなぁ。あぁ、素敵やわぁー。」とつい独り言。「おおげさやなぁ。」という息子。でもでも、おいしいケーキをいただいて、幸せが広がってるっ感じると、本当に素晴らしい。食欲の秋は、幸せを感じられるときでもあるのです。
2008年10月15日
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昨日、日帰りで名古屋の母親教室へ行ってきました。前回の日記にも書いていますが、初めての母親教室開催ということで、私も、ドキドキわくわくしながら参加させていただきました。名古屋では、サポーターの方々が中心になって、ということもあって、サポーターの方々の手厚いおもてなし、準備等々に感動!!でした。今回、この母親教室が開催されるということで、初めて集まったママ達は3名。お世話役として、子供さんを見てくださったり、お昼の用意をしてくださったり、場所を提供してくださった方々のご紹介などをしていただいた後、私たちの話し合いに入っていきました。初めて集まったママ達に加え、東京でも以前から母親教室をされている先輩ママと大阪から私が加わり、名古屋で今回立ち上げにご準備くださった中のお一人が司会進行役として、計6名でのディスカッション。最初に、司会の方からこの集まりの主旨をお話していただき、その後、みんなの自己紹介。そして、私の方から「子供の心を育てる言葉かけ」について、30分ほどお話させていただきました。話についての感想や質問等、少し話した後、昼食にうつります。昼食までは、初めてのママ達も、何を話していいのか、口数も少なめだったのが、昼食後のディスカッションでは、徐々に打ち解けあい、今の子育てで感じている問題点などについても話し合うことができました。11時から始めて15時までの4時間でしたが、私自身、とても有意義な時間を過ごすことができました。名古屋でお世話になったサポーターの方々には、本当に感謝です。本当に有り難うございました。そして、ご参加してくださったママ達もみなさん素敵なママばかりでまたお目にかかれるといいなぁと思っています。これをきっかけに今後もこういった機会が継続していかれるといいなぁと思います。
2008年04月28日
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今週末の日曜日、名古屋の瑞穂区に出向き、「子供の心を育てる言葉かけ」についてお話させてもらい、ディスカッションを行うことになっています。子育てを通して、ママ同士が語り合い、成長しあえるような仲間が欲しい、という思いを、長男が生まれた時からずっと思っていて、長男が生まれたときから、「母親教室」を始めたものの、試行錯誤の状態。「母親教室」をずっと今も続けながら、よりよい「母親教室」を思い描いて、次男の出産を機に、地域での「子育て親育てサークル」を立ち上げ、かなりの手ごたえを感じている今日この頃。そんな矢先に、名古屋の方から、「母親教室」立ち上げにあたってのお誘いがありました。大阪から名古屋にも、子育て仲間を通じて、語り合える仲間ができるかと思うととってもワクワクします。以前は、東京のサークルにもおじゃまさせてもらったことがあります。子育てを通じて、ネットワークが広がっていくこと、それにあわせて、きっと私自身もまた成長させてもらえることがあることと思います。子育てを通じて、人と語り合い、自分自身を向上させ、社会にどう貢献していけるか、子育てって、素晴らしいよ!ということを、一人でも多くの人と共有しあえたらと思います。
2008年04月24日
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8月の終わりに合同発表会を行うことになっているので、先週から発表会に出るかどうかを生徒さんたちに聞いていました。出たいという子供には、早速、選曲。ということで、今週は、発表会の選曲決め。このレベルで、この年齢だったら、どの曲がいいかなぁ~とそれぞれの子供たちの顔を思い浮かべながら考えるのは、なかなか、楽しいひととき。そして、候補の曲を3曲ずつくらい選んでおくのですが、それを決定するに当たって、私が弾いて聞かせて、選んでもらいます。これまでは、生徒も、バイエルレベルが多かったので、なんてことなかったのですが、最近は、ツェルニー以上のレベルの子が多くなってきたために、私もある程度、練習をしておかなくては、うまく弾いて聞かせてあげられません。ついつい、自分の練習が後回しになってしまっている今日この頃。毎年、発表会のこの時期になると反省です。。。でも、今週は、ちょっと頑張って練習しました!(当たり前ですよね。。^^;)こういうことがあるから、私も、励みになるというのもあります。持ちつ持たれつのピアノレッスンだなぁと思いつつ、生徒さんたちに感謝です。今週は、お気に入りの曲が決まって、発表会を楽しみに帰っていく生徒さんたちの笑顔がとっても嬉しいです。
2008年04月24日
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子供の頃、私は、大人の人とおしゃべりするのはとても苦手な子供でした。でも、本当は、素敵な大人の人に出会えて、うまくかかわってもらうことで、私の中の思いをわかってほしかった。いろんな思いを抱えているのに、それをどう言葉で表現したらいいのか、アピールしたらいいのかわからないまま、ずっと過ごしてきた思いが残っています。私が大人になったら、そんな子供たちの心をわかってあげられるような大人になりたい、そう思っていました。そのためには、子供たちに個々に関われる何かをしておきたい。そう思いながらやっていることの一つが、ピアノを教える、ということでもあるのです。演奏法を教えることはもちろんですが、曲の題名からのイメージ、それに関連する子供たちの出来事、曲のイメージなどを話し合っていくことで、曲を理解し、そして、子供の心にも触れていきたいと思いながら、レッスンを進めています。おしゃべり好きな子には、おしゃべりしすぎて肝心なレッスンが疎かになってはいけないので、曲のイメージ作りくらいで止めておきますが、私の子供時代のときのようなお子さんに対しては、子供の心の扉が少しでも開け、ピアノレッスンに来ることで、心も開放されるようなそんなひとときが感じられるといいなぁと思っています。あくまで、心を大切に。場合によっては、もちろん厳しく叱ることもありますが、まず私が大切にするのは、今その子がどういう心の状態であるのか、心のケアーに目を向けることで、ピアノのレッスンにも自然とやる気がでる、ということを常に心掛けているのです。子育てに支障がでない程度でのレッスンを行っているので、人数は多くはないのですが、その分、一人一人に合わせた決め細やかなレッスンを心掛けています。そういったいろんなことを含んだ中で、こういったお仕事をさせてもらえる今の私は、やはり、今までのいろいろな経験があったからこそ、年齢を重ねるということは、素敵なことだなぁと実感する今日この頃です。
2008年04月15日
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最近、めっきり運動というものをしていない私。次男を妊娠したときから、運動はやめていて、そのまま、出産→育児とバタバタ。来月の終わりで、次男も、3才になるので、もう4年近く運動を全くしていない。。。最近、肩こりもするし、なにより、なんだかお腹周りがやたら気になりだして、このままではかなりヤバイかも!ということで、近々コートをとって、テニスをしにいくことにしたのです。といっても、急に、テニスをするのも、とっても不安。身体が、ギクギクのバリバリになってしまうのではないか。。。で、思いついたのが、真ん中の娘とのキャッチボール。娘は、地域の子供会のソフトボールチームに入っていて、去年までは、ショートを守っていたけど、今年からは、ピッチャー。「お母さん、ピッチング練習してー。」と前々から言われていたのです。でも、実は、私は、グローブをはめたこともないほどの野球音痴。もちろんルールも知らない。キャッチボールなんて無理、と思っていたのですが、よーく考えてみると、キャッチボールって、あんまり動き回らなくてもいいのでは!?ちょっとしたウォーミングアップにもしかしてちょうどいいのでは!そして、気候もよくなった春の陽気に誘われて、三日前にキャッチボール初体験をしたのです☆これが、結構、思ったよりも、ちゃんと、キャッチボールできて、娘にも、「お母さん、うまいやん!」とか言われて、すっかりいい気になった私。適度なウォーミングアップって感じだし、大満足で、昨日も、またキャッチボールしちゃいました。筋肉痛も思ったほどなく、ちょっと運動久々にした感じが身体に心地よい、という絶妙なよさ。しばらく、娘とのキャッチボールにはまりそうです。
2008年04月04日
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実のところ、2週間前のママイキ参加後、だんだんとママイキに対する思いがダウンしていた私。というのも、前回のママイキ後の日記にも書いているのですが、ママイキに向かってテンション上がって、ママイキに参加して、よりテンション上がり、その後、今度は、気持ちばっかりが先走っていって、セーブできないまま迎えた私の主宰するサークル活動。「気負って失敗」と題して書いたように、なんとか気を取り直したものの、かなりショックがきつくって、「一体、私って、何のためにママイキに参加したのだろう。。」という気持ちですっかりブルーになって迎えた昨日の二日目だったのです。一日目に、楽しみに楽しみに参加したのとは大違いで、まぁ、せっかくお金も払ってることだし(笑)、二日目に行われる「区別」が一番人気といわれている項目でもあるし、とりあえず、参加しとこう。。(失礼!)くらいの気持ちでの参加だったのです。事前に気持ちが盛り上がってしまうよりも、このくらいの方が私にはちょうどいいのかも。という気持ちも多少あり。ただ、一回目と違って、会場内に入ると、前回顔見知りになった方々がいらっしゃるというだけで、なんとなく、私の気持ちは明るくなった感じ。そして、午前中に行われた「区別」のテーマ。この「区別」については、私も、カウンセリングや会話法をお伝えしているときに、一番重要視していた問題だったし、何より、私自身が、一番気をつけなければいけない問題だと感じていたところだったので、とても納得できたのと同時に、これだけのことを、この短時間で伝えられる内容の濃さにすっかり感心させられてしまった私。これだけで、来た甲斐があったなぁと思えるものでした。そして、午後からの「価値」。自分を見つめたり、人の人生を知るのが今私の一番興味あること。まさに、そんな内容で、参加者の方々とシェアする話題も、心に響くことが多く、そして、何より、この「価値」を受けたことで、この2週間、私がブルーな気持ちだった原因が明確になったのです。4部に分かれた講座なのですが、4部受けたからこその私なりの感動があったのです。ブルーになったこの2週間も、とっても意味ある2週間だったんだなぁって思えました。あんなにブルーだった気持ちがすっきり整理されて帰ってくることができました。本当に、コーチはじめこの会を主催してくださった方、サポートしてくださっていた方、参加されていた方、みんなに、感謝です。そして、ママイキ参加をきっかけに私のこのブログに来てくださった方、こういうつながりが持てたこと、とても嬉しいです。ママイキの楽しみは、まだ、これからも続きそう・・とまた楽しみに思う気持ちが湧いてきましたが、今度は、適度な楽しみで心地よく過ごせそうです。
2008年03月09日
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今日は、次男のプレスクールのママたちと、お別れ会に先生にプレゼントしようと思っているメッセージファイルの作成のために、プレスクールの時間を利用して、集まりました。今のプレスクールは、その幼稚園初の試みで、今年度はあまり告知もされていなかったようなので、人数は、8名と少なめ。なので、ママたちもまとまりやすく、とってもいい関係♪人数が少ないので、まとまりやすい、というのもありますが、明るくって面倒見のいいまとめ役の人がいてくれたら、やっぱり、全体がいい雰囲気になります。今のプレスクールのママたちは、まさに「明るく面倒見のいい人」を中心に、すごくいいまとまりができているのです。長女の参加している地域のソフトボールでも、親のお手伝いが何かといろいろあるのですが、やはり「明るく面倒見のいい人」がいてくださり、とってもいい雰囲気の親の集まりができています。思い起こしてみると、私自身の気持ちが、そういうママたちの集まりに対して、積極的に前向きな気持ちを持つようになってから、いい人に恵まれてきたように思います。まだ、ママ友との関わりに慣れない一人目の頃は、「いい雰囲気であること」をただ期待していたように思います。でも、期待だけしていたのでは、期待通りのものにはならない。やはり、自分の意識が一番大切なんだと実感です。
2008年03月06日
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先週、ママイキ@高槻に参加したことから、私の中で、やる気エネルギーがとっても高まってきて、「あれもしたい」「これもしたい」「こんなふうにやってみたらどうだろう」「あんなふうにやってみたらどうだろう」・・そんな思いが、毎日毎日湧きあがってきていました。私は、ちょっとしたきっかけがあると、気持ちが、バーっと突っ走ってしまうところがあって、その気持ちに行動がついていけなくて、後で、ガックリ・・ということがこれまでも何度もあります。いつものパターンがやってきたなぁと思いつつ、つい、ウキウキする気持ちの方が楽しくて、どうしても抑制することがないまま迎えた昨日のサークル活動。・・やっぱり、やってしまいました。自分が思い描いていた流れに持っていくことができず、気持ちだけが空回り。。。何やってんだろう。。私って、バカみたい。せっかく、みんな集まってくれてるのに、私が、場の雰囲気を悪くしてしまったんじゃないだろうか。。などなど、サークル後は、後悔ばかりで、かなりの落ち込み。昨日のサークル後から、今朝まで、どっぷり落ち込んでました。今日は、気分転換しなきゃ!と思って、ショッピングを楽しんできました。とことん落ち込んだら、今度は、これもいい経験!これをバネに次を考えていこう!と思えるのが、いつもの私のパターンで、私のお得なところなのかも。そして、今回も、有難いことに、気分転換後は、よーし、これを、経験に次に活かすぞぉーという気になってきたところです。気負って失敗。そして調整。というのが、私のパターン。失敗して終わり、というわけでないところが、とっても有難い。そういえば、若い頃の恋愛パターンでは、気負って失敗。そして、また気負って失敗。そして、ついに終わり。ということも多々。気負わず、気負わず、気を楽に、楽しんで。。。これが、私の人生の課題の一つなのですよね、きっと。
2008年03月01日
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今日は、ママイキ@高槻に参加してきました。ネットで初めて知ったママイキ情報。ネットでいろいろ見ているとこれって、なんだかすごいブームらしい。しかも、なんだか、私の思いにかなり近い感じ。楽天ブログつながりでのやりとりが多いことを知って、すぐに私も楽天でのブログをとりあえず作成。(当初、何をどう書いてよいかわからないまま立ち上げたので、とりあえず、元々不登校の子供を持つ親のサポートをさせてもらっていたので、そのことを書いていこうかなぁなんて思っていましたが、もっと広く、今の私の感じることそのままを書いていくことにしました。)ママイキに一緒に参加した方からのコメントなどをいただけると、とっても嬉しいです☆私の場合は、上の子達の子育て経験やその間に学んだ知識から、徐々に子育ての相談を受けるようになって、そのことから活動範囲も徐々に広がりつつあるところに、第三子妊娠。問題が起こってから対応するのではなく、乳幼児の子育て期から何か子育てを客観的に見つめなおしたりできる機会を持てるものがあれば、と思っていた矢先の妊娠だったので、この機会を逃す手はない、という思いもあって、第三子が8ヶ月のときに立ち上げたのが、子育て親育てサークルなのです。今は、子供が側にいながらのサークル活動ですが、子供が幼稚園に上がってからも続けていくことに意義があると思っており、その方向性が今回ママイキに参加したことでしっかり確立されました。私の活動に役に立ちそうだから、という理由で参加させてもらったママイキですが、期待どおりのものでした。ママイキで学ぶことの中には、いろいろな大切なエッセンスがたくさん。でも、講座が終わると、私の頭の中は、かなり飽和状態。そういう意味では、月一回ペースでディスカッションを行うというサークル活動では、継続的に、子育てに対する親の方向性を確認できるので、やっぱり、私のやってることって、すごい!と自画自賛してしまっています。コーチもおっしゃっていましたが、ママイキに参加している方たちも、是非、今後、ママイキネットワークを大切にはぐくみ活かしていくことによって、よりこのママイキが活きていくんだろうなぁと実感しました。午前の最後にコーチが読んでくださった詩は、まるで私が書いた詩のよう。私は、子供の頃に自分が感じていた気持ちをずっと大切にし、大人になったら、たくさんの大人たちに伝えたいと思っていました。その思いが私の活動の原点にはあるのですが、今までは「カウンセリング」とか「会話法」という形でお伝えしてきたのですが、もっと、深いところの思いを伝えたい、と思っていたところが、今回のママイキでは、私の思いに一番近い!と思えました。また、2週間後に二日目があるので、私のエネルギッシュな思いがどうなっていくのか、楽しみです。
2008年02月23日
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上の子たちの子育て中、何が辛かったかっていうと、話題を共有できる友達、一緒に遊べる友達が少なかったこと。新しい場所に引っ越してきて、近所に同年代の子供を持つ人もいない中で、子供が幼稚園に行くまでの間は、本当に、子育て仲間を作ることが大変でした。今回、3人目の子育てでも、もし、私が何もしなければ、同じ状況になることは容易に予想ができたのです。だって、近所に全く小さい子供のいる家庭はないし、これまでの友人は、ほとんど、上の子達とのつながりで、さぁ、これからは、子育てから開放されて・・という人がほとんどだったから。私自身、上の子達の子育てで感じてきたこともたくさんあったので、そういったことも3人目の子育てでは活かしていきたいと思っていたので、たった一人で立ち上げた子育てサークル。そのサークルも、もうまる2年が過ぎています。私自身のやっていることや上の子たちの予定もあるので、友達と予定をあわすというのも、なかなか難しい状況の中、私がサークルをやっていることで、私が、空いている日にみんなにお誘いできる、というのが、最大のメリットかも。そして、先日、ぽっかりフリーの日があったので、一緒に遊べる人、○○に一緒に行きませんか?と誘ったところ、10組の子育て仲間が名乗りを上げてくれました。なんだか、とっても嬉しかったです。上の子達のときに望んでもできなかったこと、それを今回は、こんなにもたくさんの子育て仲間がいてくれるんだ、と思うと、本当に有難い。今、子育てのことを通じて、いろんなことを話している子育て仲間は、きっと、これからも、ずっと、仲間として、いろんなことを一緒にやっていけるんじゃないかと楽しみです。上の子達のときの経験があるからこそ、余計に強く感じるのだと思います。子育てを通じての世界、今後もどんなことがあろうとも、その仲間達とよりよい方向に向かって進んでいければ、と思います。
2008年02月22日
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いいことも悪いことも、起こってくることは、すべて、原因があっての結果だと思っています。でも、原因がわからないことの方が世の中には多い。原因がわからなくても、出てきた出来事の受けとめ方次第で、運命はどんんどん開けていく。今日は、30年近くお姑さんと同居され、いろいろな葛藤と戦いながら、いつも自分の成長のために、お姑さんとの出来事に取り組まれてきた方のお話を聞かせてもらいました。理不尽なこともたくさんあり、恨みを持ってもおかしくないような環境の中、自分の心の中を見直し、相手の立場や背景にあるものを見ながら、取り組まれてきたお話。そして、そういうふうに取り組まれることによって、いろいろな原因にも気づいていける。そのお姑さんは、去年、看取られたのですが、最後の7ヶ月間の介護の間に、お二人が心を通わせあい、とてもよい心の状態で最後を過ごされたこと。そうなるまでのその方のご苦労こそが、意味ある結果となって表れたのだなぁと思いました。物事を相手や環境のせいにせず、自己の成長のために、どう受けとめることがいいのか、そういう視点で私も考えていきたいのです。
2008年02月10日
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いつも気をつけていることーそれは、心をきれいにしておくこと。なのに、夕べは、ほんのちょっとしたことで、イライラしていた私。せっかくの家族団らんの時間を、私がイライラすることで、台無しにしてしまいました。申し訳ないと同時に自己嫌悪。。。なんで、イライラしたのか。「子どもが散らかしてばっかりだから」いえいえ、これは、単なるきっかけでしかなく、本当の原因ではないのです。だって、子供が散らかしていたって、「子供は散らかすもの」と大きな心で温かく見れるときだってあるのだから。「あ、イライラしてしまってるなぁ」と気づいたら、まず、そうやって自分の心を見つめられたことが、オーケー。そうして、次の行動に移ります。今回、私の場合、実は、最近、夕方になると「肩こり」がひどいのです。「肩こり」がイライラの原因なのです。子供にイライラしている場合ではありません。まず、私の肩こりを解消しなくては!早速、柔軟体操などで身体をほぐしてみました。そういえば、最近、めっきり運動不足であることに気づきました。身体を気持ちよく動かして、心をよい状態に保つこと。忘れかけていたことを、思い出させてもらった昨日でした。
2008年02月07日
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ここまで、「不登校」と題して、書き込みしてきましたが、不登校は、人生の中の一つの経過点。もっと、広い意味で、語っていけるよう、今日、タイトルを変更しました。これから、日々のいろいろなことをいろんな視点で書いていきたいと思います。
2008年02月05日
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新年明けましておめでとうございます。このブログを立ち上げたものの、なかなか更新できずのまま、年が明けてしまい、あっという間に、もう9日。。。年末年始は、親戚が集まったり、家族と過ごすことが多かったりと、いつもとはまた違った時間の流れを楽しんでいました。次男も、今日が、今年初の託児保育の日。というわけで、私もやっと通常モードに戻ってまいりました。夕べの娘との会話で、ちょっと反省することがあったので、記しておきます。小学校5年生の娘は、2-3日前から風邪気味で、夜から朝にかけて、鼻づまりが苦しい状態が続いていたので、昨日は、用心の為、私は娘はお風呂はやめたほうがいいなぁと思っていたのです。娘「今日、お風呂入ってもいいよね?」私「駄目よ、今日は。」これが、私の良くないところなんです!即決して、答えを押し付けちゃう!こういうことは、もう娘自身が判断して、行動できるようにしなくっちゃいけないのに、つい親として、先走って判断したことを口にしてしまう。。。。長男や長女が、低学年の頃、学校に行き渋ったとき、さんざんこのことを気をつけることを訓練し、同じように悩むお母さん方にも、アドバイスさせてもらってきたにもかかわらず、やっぱり、時が経ち、心に油断ができると、私もやっちゃうのです~。。。反省。こんなふうに、私が即決してしまったら、娘の入りたいという気持ちを受けとめるチャンスなんて、私がなくしてしまっているんですよね。こうやって、娘は、不燃焼の思いを貯めていってしまうことになるのに。。参考までに、気をつけている場合の会話例を記しておくと、娘「今日、お風呂入ってもいいよね?」私「そうね。。どうかなぁ~。。。」娘「髪の毛洗いたいよー」私「そうね。。髪の毛洗えないと気持ち悪いもんね。でも、体調は万全?」娘「んー、まだ、鼻づまりするし、くしゃみもよく出るけど。。。」私「そうよねー。。お母さんだったら、今日は用心して我慢するかなぁ。」娘「うん。。。。じゃぁ、私も、今日は我慢しとくわ。」まぁ、こんなふうになるかどうかは確かでないけれども、でも、これまでの娘との関係からいうと、こう予測できるというわけです。娘の気持ちを受けとめつつ、私の考えを押し付けることなく、娘自身に判断させること。こういう対応こそが、相手が子供であっても、相手を尊重して、対応していくことになるんじゃないかと思うのです。
2008年01月09日
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子供の身体の管理をするのが、少なくとも親の務めーと思っている私にとって、これは、やはり、やめさせるべき、という、やはり、「べき」の気持ちが出てきます。でも、今は、とにかく、「べき」を脱さなくていけないのです。そして、子供に掛けた言葉は、「目が充血してるよ。」という事実をそのまま伝え、後は、子供に判断させる、ということです。前の私だったら、「目が充血するほど、長い時間やって!さっさとやめなさい!」でした。つまり、目が充血しているのは、長い時間やっているせい、と子供が考えるきっかけを奪い、それだったら、やめなくてはいけないな、という子ども自身が気づかなくてはいけないことを私が言ってしまっているために、子供自身も、私の言葉に反発心を抱いてしまう、という流れになっていたのだと思います。そうはいっても、すぐには、やめません。判断は、あくまで子供に任せるわけですから、私自身がどう納得するか。息子にとって、ゲームはこんなに熱中できることなんだ。ゲームによって、この子は、心を癒しているのだなぁ。こういう視点に、私自身が思いを寄せるようにし、息子の判断を待つ、ということを心掛けました。目が充血して二日後、子供は、「長いことやりすぎてるから、もうやめるわ。」と言って、自分で、判断し、やめることができたのです。子供を、自立させ、成長させるためには、親が関わりすぎてはいけないのです。今は、子供が少ない時代です。今の子育ては、ともすると、親が関わりすぎるか、子供が煩わしいか、という極端な例が多いのではないかと思います。親自身が、自分のバランスがうまくとれているかどうか、よく見極める必要があるのだと思います。
2007年11月14日
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ゲームについて、基本的には、私は子供にとって、あまりよくない、という考えです。ですので、やるのであれば、内容的にも悪影響のないもの、そして、時間も決めて、けじめをつけること、ということを基本に思っていますし、子供もそのようにしてきていました。ところが、子供が学校に行けなくなり、子供の心を尊重し、子供の自立心を育て、心にエネルギーをつけることを心掛けていると、こういった私の「こうあるべき」という思いを崩さなくてはならなくなってくるのです。「お母さん、ゲームしてもいい?」このように聞いてくる子供に対して、お母さんの許可をつねに得なければならないのではなく、自分で考えて行動できるようになるためには、いつまでも、私が判断しているようではいけません。特に、不登校という時期には、ここの部分を親として気をつけるところなのです。理想は、「お母さん、ボク、ゲームしたいから、今からするね。時間は、守ってするよ。」なーんていえるようになると最高です。(ここまで言える子供はなかなかいないと思いますが。。^^;)まずは、自分がしたいと思っている気持ちを行動に移してもいいんだよ、ということを実感させる必要があるのです。なので、「ゲームしたいの?」「うん」「あなたがしたいのなら、いいのよ。」とあくまで、子ども自身が決めているようにもっていきます。ある程度の時間が過ぎて、「もうそろそろ時間じゃない?」とこれも、「もう時間だから、やめなさい。」と指示するのではなく、子供に促します。そうすると、ゲームに熱中している子供は、「もうちょっと。。。」といいます。本当なら、そういうとき、「でも、もう目によくないから」とか、「時間過ぎてるから」とか言って、なんとかやめさせようとするわけですが、このときには、そういう子供の言ったことをとにかく否定しないように心掛けているわけです。一つ、否定してしまうと、この治療は、10くらい戻ってしまうことにもなりかねません。その結果、息子は、目が充血するまで、延々とやってしまうことになったのです。このときの私の気持ちの修め方については、またこの次書きます。
2007年11月12日
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うちの子は、朝、目覚めて、すぐに「学校休む」とは言いませんでした。常に、「今日は、頭が痛い。」とか「お腹が痛い。」とか身体の不調を訴えるのです。それまでの私は、「だったら、今日学校休む?」と言っていました。つまり、子供がこういったら、じゃぁこういうこと?というような受け答えをしていたのです。でも、子供の自立心を育てる会話、子供の意思を尊重する会話を心掛けるようになってからは、「お母さん、お腹痛い。。」と言えば、「そう、、、、お腹痛いの、、、大丈夫?」とそれだけ。つまり、子供のお腹が痛いという感情をまず受けとめること。そうすると、最初のうちは「大丈夫じゃないから、学校休む。」と言っていました。しかし、他のことでも、こういった会話を気をつけていくうちに、「痛いけど、トイレ行ったら治るかも。」と、一歩踏み出そうとすることを自分で提案できるようになりました。それに対しても、「そう、、」と受けとめ、そうすると、「なんか、大丈夫な感じがするから、行く。」というように、子供自身がどうするかを決めていけるようになってくるのです。子供自身が、自分でどうするかを自分で考え、言える環境を作ってやることが、とても大切なことだと思いました。そのためには、親は、余計なことは言わず、聞き役に徹すること。これだけ書くと、とても簡単なようですが、実際やってみると、とても難しい。学校を休んで、一日中、ゲームをしているときなどは、こんなことでいいのか、と私自身がまた揺れるわけです。そういうときの会話も、また次、書いてみようと思います。
2007年11月07日
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子供に対する親の言葉かけによって、子供の心をいかに養っていけるか、心にエネルギーをつけてあげられるか、そのことに気づいたのが、子供との会話を見つめなおすということ。なるべく私からは話しかけないように意識してみると、なんと無造作に子供に言葉を掛けていたことか!言いたいことをグッと飲み込むことは、苦しいことではありましたが、その苦しみが目に見えない子供の苦しみだったのかもしれません。子供は、頭ではわかっているのに、心が受け付けない、身体が受け付けない、そんな状態だったように思います。そういう自分の中の矛盾が、荒れた状態として現れていただけだと思うのです。でも、情報だけで、何も言わないことは、甘やかしになる、って思いますよね。そこのところに、親自身、納得できないものがあるから、親はこれがなかなか実行できない。でも、これまでの蓄積で、そのときの子供の状態が、普通ではない状態になっているわけなんだから、そのときは、特別なとき、いわば、治療のときなわけですから、親もそういうつもりで、腰をすえて、取り組まなくてはいけないのだと思います。子供は、親が何も言わないと、かえって戸惑うようで、余計に、親を困らすようなことを言い出したりもするのです。でも、この山を乗り越えて、子供も今まで圧迫されていた子供の心が開放されてき、伸び伸びと育ちなおしていけるのです。たとえ、それはおかしい、と思うことでも、「そうなの・・・?」とただそれだけ。そういうふうに、問いかけられると、改めて、子ども自身、考えることができ、自分で正しい道を見つけてくれるのです。子ども自身に、ゆっくり考えさせる時間を与えてあげることが親としての役目の一つなのだと思うのです。
2007年11月05日
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自分のことって、わかっているようで、実は一番見えていない。子供にとって、私は、どういう存在?親だから、という名の下に、親の一方的な思い込み、みたいなものがあったのかも。子供に問題を感じたとき、まず、子供をなんとかしようとしますが、それと同時に、親自身が、自らを振り返ることがとても大切なことだと思います。そのための手段として、お勧めの方法。それは、子供との会話を振り返ってみることです。この作業をするとき、気をつけること、それは、情報以外は、こちらからは話しかけない、ということ。子供との会話を振り返ることで、その子にあった対応というものを考えていけるのです。私の場合、子供が行動する前に、つい声をかけてしまうこと。私は、ダラダラ過ごすということが好きではないので、つい、子供にも、小さい頃から、「次は、○○しようね。」とか「××しとくといいよ。」など、言葉は優しいし、子供のためを思ってだったのですが、声をかけすぎ、過干渉、ということだったのだと思います。専業主婦で、子供が好きで、子育てが楽しくて、子供につきっきり、自分ではとってもよいお母さんしてるーと思ってました。小さい頃から、母親に指示されることに慣れてしまっていた長男は、自分で考え、行動する、という訓練ができていない状態だったのです。学校という環境で、最初のうちは、緊張していたものの、ある程度みんなが慣れてくる頃になると、違和感を感じるようになっていたのです。それが、頭痛、腹痛、吐き気といった体調に表れていたのです。そんなことは、病院では教えてくれないことでした。病院では、「精神的なものだから、家でゆっくりさせてあげてください」と言われていました。家でゆっくりさせてだけいて、私がこのことに気づかなければ、長男は、ずっと学校に行けないままだったのではないかと思うのです。
2007年11月02日
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我が家の場合、・給食が食べられないからイヤ、・体育があるからイヤ、・○○くんが××をとったからイヤ、などなど、いろんなわけを話してくれた時期もありました。とりあえず、そのことに対しては、担任の先生にも相談し、少し配慮してもらうことができました。でも、これらの原因は、根本のことではないと思いました。それらのことを対処したからと言って、子供の顔は一向にすっきりしなかったのですから。給食も楽しみ、体育も楽しみ、○○くんとのゴタゴタに対してもそのことで友達との関係を学べる子供であってほしい、今、そうでないということは、きっとこれまで蓄積された何かがあってのこと、その根本に私が気づかなければ!と思いました。子供に問題を感じたとき、子供を守るために、その要因を排除することも大切なことかもしれませんが、排除だけをしていたのでは、いつまでたっても、その子自身が社会で元気に活き活きとやっていく力をつけるチャンスは訪れないのです。子供に問題を感じたら、親も、気づかなくてはならないことが必ずあるのです。子供が身体を張ってで示してくれるメッセージを無駄にしないよう取り組めば、不登校は、親にとっても子供にとっても、素晴らしい経験となるはずです。
2007年11月01日
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どうして!? 何があったんだろう、どうしたんだろう、落ちこぼれてしまうのでは、などなど親の思いがどんどん溢れ出てきます。でも、それは、子供の心に目を向けるチャンスでもあるのです。学校に行き渋るとき、子供の心は頑なになっています。それは、もしかしたら、親の心にも頑ななところがあったからかもしれません。それとは反対に、親の心が子供に向いていなかった場合だってあります。子供に向いていたけれども、子供とは違った方向だったのかもしれません。それぞれの親子によって、その形は様々。子供が、学校に行けない期間というのは、もちろん子ども自身もたくさん悩んで成長できるし、親だって、たくさん悩んで成長できる期間でもあるんです。そして、親が先に気づいて成長できれば、子供は必ずそれについてくることができるのです。学校に行かない、行けない期間を、前向きに考え、また、社会へ元気に羽ばたける貴重な期間として過ごせますように。
2007年10月31日
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うまく使いこなせるかどうかわかりませんが、よろしく!今の世の中、子供が安心して、生きにくい世の中じゃないですか?不登校の子は、素敵な感性を持っているから、そんな世の中へのメッセージを体で示してくれてるんだと思います。殻に閉じこもるのではなく、その感性を社会に役立てていけるよう、親として応援していきたいと思っています。そのためには、親が気づいてやらなくてはならないことがたくさんあるのでは、と思います。子供たちの未来のため、親もふんばりましょう!
2007年10月30日
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