2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全29件 (29件中 1-29件目)
1
どれが美味しいかな?
2006.09.28
コメント(2)
韓国のラーメンの代表選手といえばやっぱり 「 辛ラーメン 」でしょうか。。その他にも、もちろん種類はたくさんあるし、味もたくさんあります。 でも、いわゆる 「味噌味」 「塩味」 「しょうゆ味」 のような味ではなく、「深い味」「さっぱり味」「海産物だしの味」「すっきり味」と言う味の表記をしてます。唐辛子の辛さが味の基本ベースになっているのはいうまでもありませんね。また、ラーメンの作り方として、日本と大きく違うのはスープ の入れ方です。お湯が沸騰し、麺とカヤクをいれるときスープも 一緒に入れる のが韓国風です。麺に味がしっかり染み込んいるのがおいしいラーメンです。お店では、ラーメンをおいしく食べるために、上の写真のなべで作ります。ちゃんとしたどんぶりに出してくるお店もありますが、なべしきを引いてなべごと出してくるお店もあります。これも人気のひとつです。この時、このなべのふたを逆さにして片手で持って、お茶碗代わりにし、麺を一度ふたに乗せてから、キムチを一緒にして食べるのがこだわりの食べ方です。こういう食べ方は、カップラーメンも同じで、特に子供たちがカップラーメンを食べる時には、たいてい、ふたを切り取って半分の半分に折って、開き、アイスクリームのコーンの紙みたいな状態にして、そこに麺をすくって食べたりします。*(もちろん、韓国人すべてがそういう食べ方をするわけではありませんけどね。。^^;; )*
2006.09.27
コメント(1)
転載元: おばあちゃんの鐘馗(しょうき)さま 「日本の歴史認識に偏り」 国連が指摘 http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2485323/detail引用開始【PJニュース 09月24日】- 今月18日、世界各地の人権侵害の実態を調べている国連の人権理事会で、日本の人権状況が報告され、特別報告官が「日本には、偏った歴史認識から旧植民地の中国や朝鮮半島の出身者に対する根強い差別が残っている」と指摘した。そして「差別の根源には、周辺アジア諸国との過去の対立を巡る偏った歴史教育などがあり、ユネスコ=国連教育科学文化機関の指導のもと、東アジア諸国は歴史の編さん事業を進めるべきだ」と述べたという。わたしの調べた限りでは、このニュースを19日に報じたのは、NHKの午前9時のBSニュースと午後2時の総合テレビのニュースだけであったようだ。 この報告に対し、日本の国連代表部は「特別報告官は差別の実態について報告すべきであって、歴史認識を問題にするのは権限逸脱だ」と反論したと伝えられるが、これが報告内容の本質に対する反論になっていないことは明白である。この際、特別報告官が権限を逸脱したか、否かは大きな問題ではない。国連の人権理事会が「日本国内に存在する差別は、偏った歴史認識に由来する」と分析したという事実の重さこそが問題である。 靖国参拝を巡り、小泉純一郎首相は一貫して「中国や韓国からの批判は、内政干渉だ」「参拝は心の問題だ」と反論。みずからの正当性を客観的に検証してみせるポーズすら見せてこなかった。なるほど、歴史観や世界観には、それぞれの国や民族に固有のものがある。そうした固有の価値観に対し、他国から批判を受ければ「干渉するな」と感情的になることもあろう。しかし、そうであればこそ、他国の歴史観や世界観もまた尊重しようとすることも大切だったはずだ。それに気づく能力が彼に欠けていたわけはないのに、あくまでも高飛車な態度を取り続けたところに、彼のタカ派政治家としての真骨頂があった。だが、中国や韓国だけでなく、国連からも「日本の歴史認識は偏っている」と指摘された今、日本の為政者が主張する歴史認識が国際社会の中で容認されるものなのか、どうか、冷静に考える必要がある。 26日には、小泉首相の後任として安倍晋三内閣が発足する。同じくタカ派的言動を“売り”にしてきた安倍氏だが、安倍氏は今のところ、靖国参拝については態度を明確にしていない。ただ、彼がアメリカの押しつけ憲法だからという理由で、憲法改正を訴える一方、そのアメリカとの軍事同盟の強化に積極的な姿勢を見せるという矛盾は、日本の新保守主義者に共通する“価値観のぶれ”と見ることもできる。 同盟国のアメリカや国連という国際社会の仲間たちから「歴史認識の偏り」を指摘されたとき、安倍新首相はどのような反応を示すのだろうか。今月21日には、東京地方裁判所が「いやがる教職員に君が代などを強制するのは思想・良心の自由を侵害する違法な行為だ」とする判決を出したばかりでもある。安倍新政権は教育基本法の改正を急ぐ前に、国際社会の一員として尊敬を集めることができる歴史教育のありようを、広く議論する必要がある。【了】・安倍新政権にメディア戦々恐々?(東京新聞)http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060923/mng_____tokuho__000.shtml・安倍圧勝は自民党のご臨終(ゲンダイネット)http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2481955/detail <関連情報サイトURL>時事通信 教基法、テロ特措法の改正阻止=安倍政権との対決姿勢鮮明-小沢民主代表http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060924-00000046-jij-polしんぶん赤旗 安倍氏の集団的自衛権論 「自然権だ」は成り立つかhttp://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-09-23/2006092302_03_0.html
2006.09.26
コメント(3)
去る2006年5月6日に萱野茂さんが逝去されました。 萱野さんは、1926年北海道沙流川のほとり二風谷(北海道沙流郡平取町二風谷)に生まれました。 その当時、既にアイヌ語を自在に操れる人は少なくなっていました。しかし、萱野さんはアイヌ語を完全に母語とする祖母に育てられたため、アイヌ語と日本語、2つの言語を母語として身につけたました。 アイヌ語を母語とする最後の「アイヌ」と言えます。ぶのです 『アイヌという言葉は、アイヌ語で人間という意味です。アイヌ語で悪い人のことを呼ぶときはウエンペと呼び、本当に行いの良い人に対してだけアイヌと呼びます。』 これは、1987年11月12日にニ風谷で開かれたアイヌ語教室が開かれたときに講師を務めた萱野さんが一回目の講義の始めに語った言葉です。 萱野さんは、アイヌ文化、およびアイヌ語の保存・継承のために活動を続けた。1972年に二風谷アイヌ資料館(シシリムカ二風谷アイヌ資料館)を創設し、館長を務めた。 昔話を集めた「ウエペケレ集大成」は1975年に菊池寛賞を受賞しました。 1996年には、自らのアイヌ語語彙を網羅した『萱野茂のアイヌ語辞典』を出版されました。 アイヌ語辞典を編さんした萱野さんは、アイヌ語を学ぼうとする人たちに教室で使いたい言葉として「アイヌネノアイヌは立派なアイヌ(人間)のこと」と話して、アイヌという言葉を二つ重ねて呼ばれることは、光栄なことだとも教えられています。 1997年3月に、萱野さんのふるさとニ風谷の沙流川には、ニ風谷ダムが建設されていて、萱野さんと貝澤さん二人の地権者が強制収容裁決の取消しを求めていた訴訟に対する司法判断が下されました。 札幌地方裁判所は「二風谷ダムがすでに完成し湛水している現状から、公共の福祉に照らして収用判決を取り消すことはできないが、アイヌ民族は『先住民族』であり、国はアイヌ民族の文化的価値が『公共の利益』に優越するかどうかの調査を怠り『本来最も重視すべき諸価値を軽視ないし無視』した点から、事業の認定と収用判決は認定庁の裁量権を逸脱して『違法』であるとしました。 萱野さんは、アイヌ民族で最初の日本の国会議員としても知られています。 在任中には、「日本にも大和民族以外の民族がいることを知って欲しい」という理由で、委員会において史上初のアイヌ語による質問を行われました。 1997年5月国会で成立した「アイヌ文化振興法(※)」は、アイヌ文化とは、アイヌ語をはじめ音楽、舞踏、工芸などをいうと述べて、この法律は、アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される社会の実現を図り、我が国の多様な文化の発展に寄与することが目的であるとしています。 この法律が成立したとき、アイヌ民族でただひとりの国会議員である萱野茂さんのアイヌ語が国会議事堂で初めて響きました。 ※ アイヌ文化振興法:アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律(平成9年法律第52号) 参考文献:京都府『人権口コミ講座』2000年 転載元: 『京都・亀岡国際秘宝館』館長のまったけ日記
2006.09.25
コメント(1)
今日は昼から、京都の宇治にある朝鮮人密集地区『ウトロ』のフールドワークに行ってきました。「ウトロ」 に関しては、守る会が結成され、十数年間、ウトロの住民を守る運動を続けてきました。色んな問題が複雑に絡んでいて、その内容についてこの場で論じるには、とても無理だと思います。検索で”ウトロ”と入れたら相当数のHPがヒットできます。今日は、知らない人のため、と思い上げてみました。全国には兵庫県、伊丹の中村地区、川崎の多摩地区、広島等々、日本全国に未だ、数箇所の密集地区があり、生存権をかけた立ち退き反対運動が繰り広げられています。(スタンスの違いで、色んな意見や考えがあるのは承知してますが、純粋に運動してる方々を揶揄する書き込みはご遠慮ください。)ウトロの経緯はhttp://www.kin.or.kr/utoro/japan/jpnsub1-1.htm参照ください。下記の文は”ウトロを守る会”の田川 明子さんがウトロの窮状を訴えにニューヨークに行った時の出来事を書いたものです。ロス暴動を経験した在米KOREAとの出会いまあります。時間があればご一読ください。ウトロを守る会 田 川 明 子 今日は! ウトロを守る会の田川明子です。 ウトロ町内会とウトロを守る会では、今年3月1日の New York Timesにウトロの窮状を訴え、支援を求めて意見広告を出しました。はじめの1週間で千通を越えるウトロへの支援のお手紙がアメリカ市民から寄せられました。ほぼ同じ数の抗議の手紙が、アメリカ日産と日本政府に寄せられていたはずです。夏には2万通近い手紙になっていました。 アメリカの人権問題に取り組むいろんな市民団体が、声明文を発表してくれました。そういう方々にお会いして支援のお礼を申しあげることと、新しい運動のネットワ-クを作るために、ウトロの金小道さんと一緒にアメリカに行き、9月13日~22日の間、ウトロキャンペ-ンをやって参りました。 今日は、その時のことを中心にお話いたします。一言で申しあげれば、ロスアンゼルス国際空港に到着した瞬間から“私が日本人であること”をつきつけられ、考えさせる1週間であったと思います。そしてそれは今も続いています。 空港に到着した、とたんに新聞記者に取り囲まれ、「あなたは日本人としてウトロで起っている事を恥ずかしいと思わないのか?」「67才にもなる金小道氏のそばに立っていて、日本人として今、何を感じているのか?」等々、とてもきびしい表情で質問が相つぎます。 恥ずかしいと思うからこそ、ウトロの人々と一緒に斗っていること、ウトロで起っている事は、ウトロの人々に問題があるのではなく、在日コリアンの存在を無視し続ける日本社会の問題であること、人権を守るために多くの日本人がウトロの運動に参加してきている事などを一生懸命お話しましたが、メディアの人々の ice face はなかなか溶けません。アメリカのメディアの人々は、日本の人権状況にとても関心を持っています。 私達はアメリカ滞在中に、14回新聞にとりあげられ、テレビやラジオに生番組を含めて10回出演しました。カリフォルニアで60万人、ロスアンゼルスだけでも30万人のコリアンが住んでおり、コリアン向けの放送局がいくつもあります。1時間の生番組に出演中も電話がどんどんかかってきました。 …今、何をしてほしいか言ってくれ。ぜひ援助したい…日本ではウトロの運動はどうなっているのか?…私の父親は日本の軍隊に連れていかれたきり帰って来ない。探してほしい。 …田川さんがウトロでの働きには敬意を表するけれども、日本人である田川さんの口から「朝鮮人」という言葉を聞きたくない。かって日本にいた時、自分が朝鮮人と言われる時そこには必ず蔑みの感情があったのを忘れることができないから… …日本は元従軍慰安婦の方々が顔をさらし名乗り出るまでその存在すら認めなかったではないか、等、日本人の歴史意識を問うものがほとんどでした。 アメリカ滞在中の最後の日曜日には、ロス最大のヨンナク教会での礼拝に参加しました。朝7時から6回礼拝がささげられ、計6000人位のコリアンがロス中から集まります。牧師さんが紹介して下さって全員でウトロのために祈りがささげられました。 終わった時のことです。私はひとりのおばあさんにひしと抱きしめられて“哀号-かわいそうに。日本は戦争が終わって50年にもなるのにまだあなた方にこんなむごいことをするの-”ときれいな日本語でかきくどかれました。私をウトロの在日朝鮮人だと思い違いをしておられるのです。 私は抱きしめられながら立ちつくすしかなく、そして頭の中では、ウトロの文光子さんや金君子さんが「ウトロにちょっとでも日本人がいたら地上げなんて目には合わなかったはず。朝鮮人ばっかり固まって暮らしていたから差別したと思います。私はそのことが許せません」とおっしゃったことばがぐるぐるまわっていました。 私が日本人だと打ち明けると、こんどははじけるように飛びのいて「ごめんなさい」「ごめんなさい」と謝るのです。謝らなければならないのは日本人である私の方。 私の髪型からか、何度も間違えられ、そんな経験を4回もしました。出発前にアメリカでは日本人としてきびしい質問も受けるであろうとことは、自分の頭ではわかっているつもりでおりました。 日本が、戦中・戦後、何をしてき、何をしなかったのかを、本当に思い知る旅でした。 アメリカ滞在中に私は親しくなったコリアンの人々に、機会があるごとに、ロスアンゼルス暴動の時どうしていたか、またその後どう思っているのかを質問しました。ウトロ支援委員会のポ-ル・リ-とダニ-・パクのことばが印象的でした。「暴動の時、恐ろしくて家から3日も出られずにいた。けれどもあの暴動は私たちコリアンに、2つの重要なことをわからせてくれた。 一つは、我々がアフリカ系アメリカ人やラテン系アメリカ人に対して持っていた、差別意識と無関心に気付かせてくれたこと。もう一つは、アメリカ社会のマイノリティどうしとして、彼等とこそ手を結んで、人権を求める斗いを一緒にすべきだということ。」 家を焼かれ、商店は略奪された人々のことばです。今でもロスアンゼルスの町は、復興こそされましたが、日が落ちて暗くなると空にヘリコプタ-が2機飛びまわり、サ-チライトでコリアンタウンやアフリカ系住民の多くが暮らすサウスセントラルを威嚇するように照らしています。その中で学びとった2つのことに私は感動しました。 そのことばを実証するかのように、ウトロを支援する委員会には、アフリカ系アメリカ人や、アラブ系アメリカ人、フィリピン系アメリカ人、日系アメリカ人、ネイティブアメリカン-インディアンの人々-と様々のグル-プが参加してくれていました。 合い言葉はただひとつ『人権』。 ウトロのスライドをフォ-ラムで上映すると、明りがついたとたん参加した人々の目は真っ赤でした。ウトロの子供達の大写しの写真が、自分の子供の頃と重なって見えたのです。小さなウトロという街が、パレスチナの難民キャンプや、ストリ-トチルドレンや、戦争中に強制収容されたマザンナの砂漠の鉄条網の中の思いでや、スラム街で自分の誇りを奪われて生きる子供達と二重写しになり、“我がこと”と感じウトロに思いをはせているようでした。 6000マイルも離れたウトロの街と、ロスアンゼルスの教会での集会は、参加者がほんとうにひとつになったような気がしました。 金小道さんが、「たった380人のウトロの住民のため、これだけの人々が心を動かしている。本当にアメリカに来て良かった。我々は決して孤立していないし、希望も与えられた。」としみじみとした表情で話されました。 アメリカのマイノリティ-の人権を回復する運動は、60年代の黒人の公民権運動から学んだ点が沢山在りました。多くのマジョリティの人々がこれはアメリカ社会の問題なのだと認識したことから前進したのです。 ウトロを守ることは、日本社会への問いかけです。在日の人々の声に耳をかたむけながら、自分の住む地域社会を見つめてゆきたいと思います。
2006.09.24
コメント(0)
「予防訴訟」 東京地裁判決勝利 東京地裁判決勝利 声 明 本日、東京地方裁判所民事第36部(難波裁判長)は、都立高校の教職員らが原告となって、東京都と都教育委員会(都教委)を被告として、国歌斉唱義務不存在確認等と損害賠償を求めた訴訟(いわゆる「予防訴訟」)について、原告らの訴えを全面的に認め、10.23通達を違法とし、1,原告らに卒業式等における国歌斉唱の際に、起立・斉唱・伴奏の義務がないことを確認し、2,起立・斉唱・ピアノ伴奏をしないことを理由にいかなる処分もしてはならないとし、3,10.23通達によって原告らが被った精神的損害に対する慰謝料の支払いを命ずる、極めて画期的な判決を言い渡した。 本件は、都教委が2003年10月23日付けで、卒業式、入学式等の学校行事において、教職員に対し、「国歌に向かって起立し、国歌を斉唱する」ことを命じ、それに違反した場合は、懲戒処分を科すとした全国的に見ても異常ともいえる「国旗・国歌」を事実上強制する通達(「10.23通達」)を出したことに起因する。 原告ら教職員は、教育現場での「国旗・国歌」の一律の強制は、教職員一人一人の思想・良心の自由をも侵害することになるとの思いから提訴に至ったのである。 判決は、義務不存在確認請求、処分差止請求に訴えの利益が認められることを前提に、10.23通達の内容が、過去の歴史的事実から、国民の間にさまざまな見解が存する「日の丸・君が代」を教職員に対して一律に職務命令や懲戒処分等の手段をもって強制するものであって、憲法19条の保障する思想・良心の自由を侵害するものであると明確に判示した。 また、都教委による10.23通達とその後の校長らに対する指導名目の締め付けが、卒業式や入学式について、各学校の現場における創造的かつ弾力的な教育の余地を残さないものであることなどを理由に、教育基本法10条1項で禁止される「不当な支配」にあたるとした。さらに、判決は、都教委の「不当な支配」の下で裁量の余地なく出された校長の職務命令は、教職員の思想・良心の自由を侵害する「重大かつ明白な瑕疵」があり、違法なものであることを認めた。 今回の判決は、憲法で保障された思想・良心の自由の重要性を正面からうたいあげたもので、わが国の憲法訴訟上、画期的なものである。 また、判決は、今まさに改悪の危機にさらされている現行教育基本法の趣旨を正しくとらえ、行政権力による教育への不当・不要な介入を厳に戒めたものであり、教育基本法改悪の流れにも強く歯止めをかけるものといえる。 都教委は、判決に従い、違法な10.23通達を直ちに撤回し、教育現場での「日の丸・君が代」の強制をやめるとともに、生徒や教職員の自主性、教育の自由を侵害するような教育政策を直ちに改めなければならない。 この判決を機会に、われわれの訴えに対し、国民の皆様のご支援をぜひともいただきたく、広く呼びかける次第である。 2006年(平成18年)9月21日 国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟原告団・弁護団 「日の丸・君が代」強制反対予防訴訟をすすめる会
2006.09.23
コメント(0)
漫画”モーニング”佳作当選-良子ちゃん、おめでとう!冬になればホームレスに寝袋を配る。このボランティア活動を始めて早、7年が過ぎました。昨年は大阪弁護士協会から人権賞を頂くことができました。「一人でも凍死者を出さない」と言う会の代表、北出さんの呼びかけに賛同した”ろくな者じゃの会”の集まりです。http://blogs.yahoo.co.jp/fwapy7777/40635113.html その会員の中にイラストレーターの高宮親子がいます。毎日新聞大阪版”立ち飲み3銃士”の絵を描いてる、父親の高宮先生(大酒飲み?)と、娘さんで”良子の絵だより”(今日9/22付け大阪版)に不定期掲載してる良ちゃん(大酒飲み?)です。良ちゃんは去年、大阪の路地裏の散歩(GU企画)からイラストマップを出版してます。(内容は抜群にいいんですが、中々売れない(泣)。上のイラストが良子さんの絵です。一枚の絵を描くのに、現地へ行き、スケッチを描き、家に帰って一ヶ月かけて一枚を完成させる力作です。そのイラストが、ついに、ついに今週号の成人漫画”モーニング”の公募で佳作に当選しました。懸賞の60万が入り、初めて皆に酒宴を開いてくれるらしく、期待に胸膨らませてます。連載の話も来てますが、枚数をこなせる書き方じゃないんで今は、試案中です。でも、間違いなく、ゴーマンや嫌韓流より数段ハイレベルの温かみのある人情味あふれた絵です。一度、店頭で漫画を手にして見てください。もし、気に入ったら大阪の路地裏散歩のイラストマップもかってやって下さい。良ちゃん、おめでとう!!
2006.09.22
コメント(0)
NET右翼と思われる輩の心無い書き込みや、差別、排斥発言のため、多くの人がブログやHPの閉鎖に追いやられています。私も、他のサイトで多い日には200通を超える差別、蔑視のコメントやメール攻撃にあい、(それは聞くに堪えない書くのも躊躇される単語の羅列です)それらに嫌気が差しましたが、ブログで出会った周りの友人達の励まし、そして内緒のコメントで励ましてくれる在日の後輩達のお陰で、コツコツと続けています。以下は、一昨日の記事へのNET右翼の紳士的っぽく見せかけた質問と私のコメントを簡単に貼り付けてみました。何処かの誰かが、作った、俗に言う捏造された作文の質問を、あたかも自分が歴史研鑽したかの様にしたものですが、他のサイトや私の友人たちにも名前を代え送り込んでます。本人は、自作だと書いて言い訳してますが”嘘”であることは間違いいりません。こんな人間に時間と労力を対やするのはもったいなく、怒るより馬鹿馬鹿しくなります。時間がありましたらこの低レベルな歴史研鑽と称する民族差別、排他、排斥主義者達の非人間的な質問と私の友人のresコメントをお読み下さい注:呉 善花の記事にも書きましたが、net右翼は彼女の捏造本や、ここで参考としてる=山本七平著「日本人とは何か」を読んであたかも、自論の様に振舞ってる人たちです。(偽名イザヤ・ベンダサンを使って『日本人とユダヤ人』を書いた山本七平を論拠になるわけがないでしょう!フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』山本七平が提示した多くの事例が全くの作り話であることがはっきりしたことはやはり重く、最初から進歩系への反感を感じ同書に深い共感を感じた人以外は、逆に反進歩系陣営の主張への幻滅や反感につながった事実もある。山本七平著「日本人とは何か」から抜粋 比較経済史さん 1.15世紀の朝鮮、ハングルを作った国王世宗の治世、中国で貨幣が流通しているのを知った世宗は中国から貨幣を輸入して、貨幣を使用しない者は処罰するという法律まで作って使用を強制しようとしたが、結局失敗している。それは官僚と農民が主体の社会で、物々交換が行われていたためである。(「李朝実録」より)2.12世紀の日本、平清盛の治世、清盛は周囲の反対を押し切って中国から貨幣を輸入して流通させようとしたら、爆発的に大流行したという記録が残っている。世宗と清盛を比較する人はいないが、やろうとしたことは全く同じである。(2006年09月10日 21時20分25秒)3.15世紀、世宗の治世、李朝から役人が来日して見聞したことを漢文の日記に書き残しているが、それによると、当時の日本(室町時代)は社会の隅々にまで貨幣が浸透していて、乞食でさえ米をほしがらず金をほしがるので驚いているのである。また、有料の宿屋があり、有料の渡し舟があり、有料の馬があって、日本では金さえ持っていれば旅が出来るので驚いているのである。(「老松堂日本行録」より)4.当時の李朝では、旅をするには米を担いで、薪を担いでいくのが常識であったらしい。日本で為替の仕組みが成立したのは中世の室町時代であった。これは現金を送るのが危険であったためで、紙きれ(証券)を受け取った側が現金化する仕組みであった。(「詳説日本史研究」より)(2006年09月10日 21時28分06秒)5.18世紀の日本、8代将軍徳川吉宗の治世、大阪の堂島で、米がいまだ収穫されていない段階での権利の売買、つまり先物取引が世界に先がけて始まったのである。(NHK出版「マネー革命」より)6.19世紀末、イギリス人女性が朝鮮半島を何度か旅して旅行記を書いているが、それによると、ソウルとその周辺で銅銭が流通しているのみであり、地方に行くとそれさえも流通しておらず物々交換が行われているのである。(イザベラバード「朝鮮紀行」より)(2006年09月10日 21時34分22秒)未来志向は結構ですが 比較経済史さん はじめまして。根拠・論拠を提示した上で論じてみました。未来志向の日韓関係にはもちろん大賛成ですが、韓国では実証主義による歴史研究が本当に行われているのでしょうか。民族主義が学問の体裁を取っているように思われますが。(2006年09月10日 22時14分06秒)返事を書くかわいそうですね。 hwapy77さん 嫌韓の人は、何かマニュアルがあって、こんなコメントを質問しなさいって、ヒナ書きがあるのかな?同じ質問があたかも自分が勉強したってみたいに、来てるよ。ハハッハ!可愛そうに、自分で比較経済史の勉強したの?(2006年09月11日 02時14分39秒)私の友人のコメントです。浅い学識を振り回さないで。興味深い議論ですね。貨幣経済の浸透=生産力の発展とする問題は棚上げしますが、日本は和同開珎(ないし富本銭)に始まる十二銭を無理に鋳造して以降、それさえしばらく途絶えていた史実を忘れてませんか?つまり、中国経済に比べれば日本だって相当遅れていたのです。中国では広大な地域差を利用した商人経済が、早くから発達した。次は海に囲まれた日本、最後が内陸の小国韓国・朝鮮という順でしょう。近代以降は、まつたけさんの言うとおり、日本は「強制された自由貿易」を脱しつつ、「利益線」朝鮮半島を植民地経営にした歴史です。 (2006年09月11日 02時17分50秒)戦後、韓国は形式的に独立しても、植民地経済構造を脱するのに苦労しました。1970年前後からテイクオフしたのは、外資導入と輸出主導型経済によります。「反共の砦」ゆえ、西側からの援助と投資が増えたのです。それでも日本の「従属経済」でしたから、OECDに加盟できたのは1996年でしたね。韓国に「民族主義が学問の体裁をして取って代わっている」側面はありますが、日本側の「植民地にしたから発展した」という俗論は学会でも否定されています。また当然、戦前の独立党も戦後の親日派も、日本の植民地になることは望んでません。 (2006年09月11日 02時20分22秒)時間が、もったいないから、もうコメントしません。次から、嫌韓のコメントをすれば削除します。ご承知ください。そして、他人と同じ文書で、それも、何通も、同じ内容の誰かに与えられた質問を貼らないでください。恥をかきますよ。もう、こなくていいです、貴方の書き込みは次から削除します。私の友人達は、市民の友好と親善の為に、研究をしてます。>>参考文献ですか(^^;。今それを見てる訳ではなく不正確かも知れませんが、原洋之助「アジア・ダイナミズム」、隅谷みきお「韓国の経済」、渡辺利夫あたりですかね。あとは、ヒックス「経済史の理論」とかフレーベルが、読みやすいかな。他にもありますが、とりあえず韓国・アジア経済を中心とした研究書です。 (2006年09月11日 02時27分04秒) 2006/09/21 事実と価値判断は別物、はっきり区別すべき 比較経済史さん 以前投稿した者です。管理人さんは何か誤解しているようで過剰反応して、わたしを嫌韓派だと非難されましたが、わたしは嫌韓派ではありません。典拠を明示した上で、事実を述べただけですが。投稿した文章はわたしが考えたもので、他者の文章をコピーしたわけではありません。ただし、別のハンドル名を用いたことはあります。(掲示板によってはYahooに登録してある名でないと使えない所がある)そのせいで誤解されたのかと思います。それならわたしに非がありますが、いづれにしても文章はわたしのオリジナルです。(山本七平氏の著作を要約したのですが、山本氏は典拠原典の趣旨を要約しています)比較経済史という名は文章の内容に即してわかりやすいと思ったまでで、それ以上の意味はありません。(2006年09月21日 15時47分22秒)管理人さんはまだお若いようですが、事実と価値判断は全くの別物です。はっきり区別しなければいけません。そうでないと対話などできなくなります。「日本で独自の貨幣(大判・小判)が作られたのは豊臣秀吉の時代であり、それ以前には中国から輸入した貨幣を流通させていた。」これは事実なので、親日(反日)発言にはなりません。この後に、「だから日本は進んでいた(遅れていた)」と付け加えると、これは価値判断ですから、親日(反日)発言になる可能性はあります。朝鮮でいつ金貨・銀貨・紙幣が初めて作られ、いつから流通し始めたかは調べればわかるはずです。これは事実ですから、これを指摘しても親韓(嫌韓)発言とはならないと考えますが、いかがでしょうか。(2006年09月21日 16時00分17秒)事実と価値判断は別物、はっきり区別すべき3 比較経済史さん わたしがもうひとつ関心を持っているのが複式簿記の歴史です。会計学者が江戸時代に商家で使用されていた古い帳簿を調べて、その原理が複式簿記そのものであったという研究を発表しています。小倉栄一「わが国固有帳合法の史的展開」(企業会計ー80年1月~10月号まで連載)もっとも複式簿記は安土桃山時代に宣教師が持ち込んだものだという説も有力です。岩辺晃三著「複式簿記の黙示録」(徳間書店)いづれにしても明治以前に複式簿記が普及していたことの意義は決して小さくありません。朝鮮で複式簿記がいつから普及したのか調べればわかるはずです。これは事実ですから、これを指摘しても親韓(嫌韓)発言とはなりません。(2006年09月21日 16時15分46秒)比較経済史さん、 hwapy77さん ここで、貴方自身が何を述べて、何を確認したいんでしょうか?日本が進んでた、韓国が遅れてたが、貴方には必要かも知れませんが、私には何ら必要な問題ではありません。複式簿記が日本がどうのとか、仮に、それが証明できたとして、貴方が立ってる歴史研鑽は何の目的でしょうか?私はそれに時間と神経を浪費する気はありません。卑怯だとお思いなら、仕方ありません。ご意見、拝聴しました。ありがとうございます。(2006年09月21日 17時32分33秒)貴方と同じ様な書き込みに対しての私の友人のresつけて終わりにします。>貴方のコメントのスタンスは当初から自分と異なる意見やアジアの人たちへの排外的な意識にみちたもので、差別主義そのものです。 批判をされると論点をずらすだけの対応で、誠実に応答するという姿勢がありませんね。お勉強した一般の知識の披露は、貴方がブログをたちあげて、あるいはお持ちなのかもしれませんが、記事にしたらどうですか。こちらに書き込まれる必要はありません。 以上で。もう二度と書き込まないでください。 hwapy77さん 以下は貴方の7日付け質問に対して転載元本人からのRESコメントです>偽名イザヤ・ベンダサンを使って『日本人とユダヤ人』を書いた山本七平を論拠になるわけがないでしょう!フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』山本七平が提示した多くの事例が全くの作り話であることがはっきりしたことはやはり重く、最初から進歩系への反感を感じ同書に深い共感を感じた人以外は、逆に反進歩系陣営の主張への幻滅や反感につながった事実もある。(2006年09月21日 17時17分52秒) 本当に、終わりです。排斥と排他からは何も生まれません。最後に、これと同じ内容の書き込みが友人達にも名を代え来ています。2006/9/21(木) 午後 5:01 [ zebrafedepen ]事実と価値判断は全くの別物です。はっきり区別しなければいけません。「日本で独自の貨幣が作られたのは豊臣秀吉.......これが彼らの自分自身、何も考えられず、他人揶揄するだけの輩だと言うことです。一種の、自己顕示か、ストレスの発散でしょうか。私もこんな人間らと相手するのも馬鹿馬鹿しいので、今後一切無視します。アーア、悲しい現実です。
2006.09.21
コメント(2)
先日、在日として、私と同じスタンスでプログを開いてる人を探してました。(yahooのみ)そして、ついに見つけました。韓国太郎さんのブログです。しかし、昨年で記事の掲載が止まっています。是非、コンタクトをとりたいと思っています。下記の書き込みを見れば、間違いなくNET右翼に嫌気が差したと思われます。下記にブログ内容を(無断)抜粋して貼り解けます。もし、この転載を見てたら、是非連絡下さい。(そして、無断転載をお許しください。) http://blogs.yahoo.co.jp/kankokutarou2005/folder/745838.html世界人権宣言第一条 すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/1b_001.html新しい日本を考える会というブログの管理人は自らみとめる外国人排他主義者のようです。(自分でそうだと言ってます。以下のURLを参照してください。)このような考え方の人がいるのはまことに残念なことだと思います。http://blogs.yahoo.co.jp/rdfh10juy/9381278.html しかしこのような排他主義をもった人がいる以上は我々在日も自分の考えをしっかりと持って、尊厳を自ら放り出さないようにするべきですね。祖国に帰る帰らないは私を含めた在日韓国・朝鮮人の自由です。個人の自由であり、人に迷惑をかけない限りは他人にとやかく言われる筋合いはありません。だいたいが大きなお世話です。私の国籍に関してもそうです。わたしが日本国籍を取ろうと取るまいと私の勝手であり赤の他人にとやかく言われる筋合いはありませんし、とやかく言う人は他人の自由を侵そうとしているのです。人は誰でも自分の個人的な政治的立場を自由に選び、かつ文化的、経済的、社会的な発展を追及する権利がある。それが国際人権規約の基本理念です。国連が言っているからというだけではない、この国際人権規約の考え方は普遍的な人間の権利をあらわしています。この国際人権規約に反する考え、排他主義を持った人のような国籍による排他主義、差別主義は人間としての原理原則に反するものであり非道徳的です。個人の自由に抵触し、日本から出て行けとか国籍を変えろなどという人の人格を私は疑います。民族論でもなければ国籍論でもない、それ以前に人格の問題なのです。悲しいことに私は他人の考え方や態度まで自由に操ることはできません。差別主義、排他主義など人間としての原理原則に反する思考を直ちにやめさせる力は私にはありません。しかしその差別主義に対し自分の人格や尊厳を保ち続けることはできる。だから私は祖国に帰ることもなければおそらく帰科することもしないでしょう。国際人権規約と在日韓国人の権利 国際人権規約は、世界人権宣言の内容を基礎として、これを条約化したものであり、人権諸条約の中で最も基本的かつ包括的なものです。A規約 第一部 第一条1 すべての人民は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する。 2 すべて人民は、互恵の原則に基づく国際的経済協力から生ずる義務及び国際法上の義務に違反しない限り、自己のためにその天然の富及び資源を自由に処分することができる。人民は、いかなる場合にも、その生存のための手段を奪われることはない。 3 この規約の締約国(非自治地域及び信託統治地域の施政の責任を有する国を含む。)は、国際連合憲章の規定に従い、自決の権利が実現されることを促進し及び自決の権利を尊重する。 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kiyaku/在日韓国人も、当然これらの自決権を個々にもっています。在日に関してはやたらと国籍条項が問題になることが多い(多かった)ですが、日本政府としては、あらゆる権利は日本国籍取得によって得ることができるんだから日本籍を取りなさいという態度を取られることが多かったですね。しかしそれは国際人権規約上の「自決権」に違反した考え方だと思います。 国際人権規約を批准している以上は、日本政府は、国籍を保持したいという在日韓国人の自決権を尊重し、かつ在日韓国人の経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する権利も尊重しなければならない。まあそれを尊重してくれたからか、在日の声が大きかったからかわかりませんが、今までもあらゆる国籍差別条項が撤廃されてきて、現在は法的な差別問題は数えるほどしか残ってないですけどね。(軍人年金問題、国民年金問題など)確実と思われることだけ書き出してます。新しいことを勉強するごとに書き加えていきます。誤りがある場合は指摘してもらえるとありがたいです。まだまだ勉強中です。いろいろ教えていただければありがたいです。今なお、在日韓国人に対する偏見は残っているといわれていますが、そのような偏見を持つ日本人にはどのような眼鏡がかけられているのでしょうか。在日韓国人選挙権で決議案 韓国国会に提出http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050829-00000071-kyodo-int相互主義の精神が日本にも生きているなら大いに期待できます。韓国で外国人に地方参政権を付与する国会決議韓国では、永住権を持った外国人に地方選挙権を付与することが国会で可決されました。http://mindan.org/sidemenu/sm_sansei_view.php?newsid=5200&page=1&subpage=70&sselect=&skey=2005年の6月30日のことです。比較的新しい出来事ですね。外国国籍の者に地方参政権を付与するのは韓国がアジア初だそうです。私は地方参政権は国籍に関係なくすべての人間にあってしかるべきものと個人的に考えていますが、韓国で外国人の地方選挙権を与えたということから、相互主義的な意味からも、日本に住む永住権をもった在日韓国人に地方参政権を付与すべきと考えます。
2006.09.20
コメント(0)
嫌韓流の元ネタに使われ、麻生発言の元にもなり、NET右翼の嫌韓信望者にとっては願っても無いバイブルとして使われている本の著者、呉 善花と言う人物。韓国のドキュメントTV番組(PD手帳)が彼女の特集を組んだ番組取材の顛末を、半月城さんがまとめた文章です。長文ですが、ご一読下さい。尚、呉 善花氏は現在、拓殖大学の教授です。 半月城です。 呉善花氏は、デビュー作『スカートの風』を出版して以来、わずか十年あまりで驚異的にも数十冊もの本を出版し、すっかり売れっ子のニューカマー「韓国人」になった感があります。 彼女の本がこうもヒットした秘密はどこにあるのか、韓国のテレビ局MBCが徹底取材し、番組PD手帳「新親日派の正体を明らかにする」(8/15)で解き明かしたので、その内容をかいつまんで紹介します。 PD手帳の性格ですが、この番組は、かつて韓国で国民的英雄とされた生命科学者・黄ウソク教授の論文捏造を鋭く告発するなど、逆風にも屈せず真実を追求しましたが、その姿勢は社会の木鐸として高く評価されています。 それらの番組は下記で登録すればいつでも無料でみることができます。最近では、ここでも話題になった9.11事件にちなんで、番組「9.11陰謀論、米国の自作劇なのか?」(韓国語)が放送されました。http://www.imbc.com/broad/tv/culture/pd/vod/index.html 主題の番組ですが、それは「新しい歴史教科書をつくる会」の集会シーンから始まりました。2005年4月の集いでは、呉善花氏はパネラーとして登場するはずだったのですが、直前に取りやめになりました。 司会者である藤岡信勝氏の説明によれば、彼女は身の危険があるためパネラーとして参加できなくなったとのことでした。しかし、その説明の直後に彼女は会場の観客席から立ち上がって参加者に向って一礼しました。テロの危険があるとのことなのに一体どうしたことでしょうか。客席でなく、パネラーとして登壇すると、客席から射たれかねないとでもいうのでしょうか? 「身の危険」なるものは、単に彼女の強迫観念にすぎないのではないでしょうか。 ま、彼女が強迫観念に捕らわれるのも当然かも知れません。何しろ「従軍慰安婦」は日本軍の強制によるものではなかったとか、歴史を歪曲するような発言を公然と繰り返しているだけに批判から身を潜めざるを得ないのかも知れません。 しかし、身を隠すのは強迫観念のためばかりではないようです。彼女はMBCの取材からも逃げまわりました。MBCからの電話取材の際、彼女は何とみずから彼女の親戚であるかのように装って、呉善花氏は長期旅行で当分留守です、などとあからさまな居留守を使いました。 ところが、頭隠して尻隠さずとでもいうのでしょうか、翌日、長期留守のはずの彼女は産経新聞の黒田勝弘氏からの電話には応対しました。もちろん、MBC取材陣は黒田氏と同席していました。居留守は明白でした。 ウソも方便でしょうか。それは彼女の経歴にも言えるようです。十年前に山本七平賞を受賞した著書『攘夷の韓国、開国の日本』において彼女の経歴はこう書かれました。 <著者紹介> 1956年、韓国・済州島生れ。1983年に渡日し、大東文化大学(英語学専攻)の留学生となる。その後、東京外国語大学大学院修士課程(北米地域研究)を修了。通訳、翻訳業などを通じて日韓ビジネスの現場を体験・・・ このように日本での学歴はくわしく書かれましたが、どうしたことか韓国の学歴は記されませんでした。ところが、最近公表された著書には韓国、大邱大学卒業という経歴がつけ加わりました。 しかし、これはMBCの調査で学歴詐称と結論づけられました。MBCが同大学に行き実際に調査したところ、彼女の本名・呉スンイルはありませんでした。この報道に対し、彼女がMBCを名誉毀損で訴えた様子はないようです。 学歴詐称は拓殖大学の渡辺利夫教授(現在、同大学学長)によれば立派に犯罪とのことですが、それもさることながら、呉善花氏をめぐる疑惑で重大なのは、何といってもゴーストライターの存在です。番組は、かつて呉善花氏の内縁の夫であった清塚誠氏や出版関係者に取材し、その内幕を赤裸々に放映しました。 清塚氏が呉善花氏と同棲するようになったのは、かれが遊びにいった上野の韓国クラブ「ニュー太陽」でそこのホステスとして働いていた呉善花氏に出会ったのがきっかけでした。実業家の清塚氏は才色兼備の彼女を見込んで秘書に雇い、日本の大学へ入学させました。かつてPD手帳は、1991年に東京の韓国人ホステスを取材し、番組「赤坂の韓国女性たち」(6/11)を放送しましたが、その番組で呉善花氏はこう語りました。 「韓国から留学で来た女子学生はホステスになり、プロホステスと同じく金持ちの愛人になる場合が多かった」 まさか呉善花氏はこれを実践したわけではないのでしょうが、やがて清塚氏と同棲するようになりました。そして大学に通うかたわら、本を出版する決意をしたようです。その目的は清塚氏によれば、日本ペンクラブの会員になって、卒業後の日本在留ビザを獲得するためだったとのことでした。しかし、本の出版は容易ではなかったようです。何しろ、彼女は日本語がつたないので、書いた原稿は何度も出版社から返され、1年たっても校正は終りませんでした。しまいには出版社がしびれを切らしたのか、代筆ライターを世話するにいたったと清塚氏は証言しました。 そうして世に出たのが出世作『スカートの風』でした。本のネタの7割は、清塚氏が運営する韓国語学校でかれが授業中に生徒の眠気覚ましに面白おかしく語った、韓国クラブのホステスにまつわる話などが元になりました。 その本の第1章は「日本で働く韓国人ホステス、なぜ日本に永住したいと願うのか?」という見出しですが、これは彼女の来日動機そのものでもあるようです。原稿の代筆を請け負った韓国人は、その本が出版されるや、道義的良心からすぐ身を引きました。二人目の代筆ライターは在日韓国人三世の女性ですが、彼女は番組に顔を隠して登場しました。彼女は、代筆は彼女以外に何人もいると証言しました。 このような代筆こそが、彼女の著書の秘密を解く鍵になります。代筆者さえ確保できればいかなるテーマでも容易に文は書けるものです。呉善花氏は「神社神道の核心を考える」という一文を『日本文化』に掲載しましたが、その内容はかなり高度なものです。これについて高橋哲哉氏は控えめに「日本人が書いたようにみえる」と語りました。 また彼女の著書の中で『韓国併合への道』を読んだ歴史家の李泰鎮氏は、彼女が甲申政変に関するタバシ氏の論文を引くなど、歴史の専門家でなければ知らないような文献を引用しているのに舌を巻いていました。 もちろん、彼女がそれだけの実力の持ち主である可能性はあります。しかしながら、彼女の書く文章と彼女の語る内容の落差があまりにも大きいことは拓殖大学の学生のみならず、衆目の一致するところです。 大学の授業ですが、番組で見るかぎり、そのレベルは容易に察しがつきます。ソウル南大門市場近くのゴミの山を高層ビルに重ねて写した写真を学生に見せて、韓国は「このようにごっちゃまぜの文化」であると説くのでした。 あるいは、こうも説きました。韓国は三面が海なのに日本とは大違いである、たとえば韓国は台風が少ないが、これは日本のおかげであるとか、韓国人は海の幸をあまり食べる習慣がなかったとか、誇張して言えば、授業の内容は観光ガイドの話と五十歩百歩です。 ま、番組の性格を割り引いても、少なくとも神社神道に関する論稿を書いたような知性は、彼女の発言からはその片鱗を見いだすのはむずかしいようです。 こうした落差に産経新聞の黒田勝弘氏ですら「毎年のように本を出版するのは、一人ではむずかしい」「誰か助けている」「協力者がいる」などと代筆をほのめかすほどでした。そうした「協力者」はなぜ自分の名前を出さずに黒子に徹するのでしょうか?その狙いを高橋哲哉氏はこう推測しました。 「日本人が日本人の名で韓国や中国を批判する、これはある意味では不思議ではない。しかし、韓国人にもそういう人がいるとなると、それは偏見ではないということを日本人に信じさせることができる」 中国や韓国に対する批判を日本人がいくらおこなってもインパクトはないが、韓国人が批判すれば説得力が格段に増すということから、協力者たちは黒子に徹し、彼女を看板スターに仕立てているようです。この作戦はかなり功を奏しているようで、彼女の言説はいたるところで利用されました。たとえば麻生太郎発言です。同氏は日本が植民地の朝鮮でおこなった創氏改名を「満州で仕事がしにくかったから、名字をくれと言ったのが、そもそもの始まりだ(注1)」と語りましたが、これは呉善花氏の著書がネタ元であることが番組で明らかになりました。 また彼女の本は、ヒットしたマンガ『嫌韓流』の教本にもなりました。やはり、韓国人が語る韓国史の歪曲は説得力があるので、嫌韓をあおる絶好の材料になりました。 彼女の著書はそうした効果が期待でき、かつ商業ベースに乗るだけに、彼女への協力や代筆システムは次第に確固たるものになっていったようです。毎年のように韓国批判のヒット本が生み出されました。 そうした一冊に崔吉城氏との共著『これでは困る韓国』があります。この本で崔吉城氏は<どんな戦争でも「慰安婦」はついて回る。ユーゴでもロシアでも・・・決して日本だけではない>と書いたとされますが、MBCがかれに直接取材したところ、何とかれはその内容を否定しました。 かれは、出版社から頼まれて呉善花氏と対談はしたが、自分の趣旨はその本とは違うし、自分はその本の表紙すら見たことがないと証言しました。崔吉城氏の話を出版社は否定するので、どちらがウソをついているのか定かではないのですが、代筆の疑惑はますます深まるばかりです。 いずれにせよ、彼女の本の出版に際しては強力な協力陣が暗躍していることだけは確かなようです。そのからくりはともかく、数多くのヒット作を生み出せば、それだけ彼女の名声は右派陣営でますます高まるばかりです。 その結果、彼女は拓殖大学日本文化研究所長の井尻千男氏によって推薦され、同大学の国際開発学部教授に就任しました。その時、彼女はおそらく日本人に帰化した事実を隠していたのでしょうか。 MBC取材陣は、井尻氏に面談した時に彼女が日本人に帰化した事実を告げたのですが、同氏は「私は聞いていない」「それはデマですね」といってはねのけました。しかし、相当ショックを受けたのか、かなりの周章狼狽ぶりでした。 MBC取材陣はどこで手に入れたのか、彼女の戸籍謄本を井尻氏に示しました。そこには 1998年10月29日に日本国籍を取得し、戸籍から除籍された事実が記されました。日本は帰化者の二重国籍を防ぐため、帰化者の名を韓国へ通告し、それを受けて韓国政府はその人を戸籍から除籍するようになっています。 いまや、彼女は韓国人でないことがはっきりし、その事実がウィキペディアにまで記されました(注2)。彼女が日本人になったことが知れわたると、今後どのような変化が起きるでしょうか。 一橋大学の渡辺治教授は「彼女は韓国が売りである。そのレッテルがなければ、ただの右翼にすぎない」と語りましたが、はたしてそう楽観できるでしょうか。また、彼女の学歴詐称はどう決着するでしょうか。 また、彼女はかつて著書『私はいかにして「日本信徒」となったか』を出版しましたが、今度は『私はいかにして「日本人」になったか』という本の出版が待たれます。(注1)半月城通信<麻生太郎会長の「創氏改名」発言>http://www.han.o
2006.09.19
コメント(6)
【協和会手帳】 (在日韓国人歴史資料館より) 協和会手帳といっても知らない人が多いと思う。協和会は解放以前に在日朝鮮人用につくられた官制団体である。戦争が激しくなるとともに在日朝鮮人が多く なり、また、強制連行が始まった1939年に全国すべての都道府県に結成された。動員(強制)連行労働者を含めて日本にいる朝鮮人すべてを会員にした組織で、会員 すべてに持つことを義務づけたのが「協和会会員章」だった。 手帳には写真が貼られ、本籍地、日本国内の住 所、職業などが記載され、本人確認の手段になっていた。君が代」、「皇国臣民ノ誓詞」、「会員章所持者心得」が書かれている手帳は30頁あり、飛行機献 金、国防献金などの記録も書き込めるようになっている。こうした手帳は日本人とされながらも治安対象になっていたことの証明であり、「愛国心」の度合いを 測る道具になっていたのである。この手帳がないと故郷との往来ができず、度々あった臨検などで警察に拘留された。 この協和会事務所は警察署内に置かれて、特別高等警察課内鮮係が幹事に、署長が支部長になっていた。寄留届け以外の行政事務は警察が担当だった。たとえば日本国内在住者の創氏改名は協和会=警察署が担当した。協和会という名の下で日常的には神社参拝、国防献金の集金、女性に対する和服着付け教室、日本料理講習などの行事が行われた。日本国内でも朝鮮人が着る白服に墨を塗るなどの行為をやったが、これも協和会で行った。協和会には指導員が置かれたが、これに日本語が判る地域有力者の在日朝鮮人が就かされた。特高警察が指名するから断れなかった。断ると留置されたりした。戦後、協和会の指導員をしていた人が朝鮮人連盟や民団の幹部になったりしたが、責めることはできない。協和会手帳は全国で数点が確認できるのみだ。戦時下に 行われた朝鮮人抑圧の具体的証明書として歴史的には貴重な資料である。 (樋口雄一:在日朝鮮人運動史研究会 代表)≪コメント≫ちなみに、母や年配の人の話に因ると、指導員として働いた朝鮮人の中の、一部悪徳分子は、家庭調査の名目で突然、家に上がりこみ、チマチョゴリを見かければ、上に書いてある墨で塗るどころか、はさみで切り裂いたとの事です。終戦後、これら悪徳指導員は、一般の朝鮮人によって排斥され、行方不明になったと言われています。民族の誇りであるチマ、チョゴリを切り裂いたり、塩酸やシンナー、塗料をかけて汚す事件は、21世紀の現代も国際都市東京を中心に、頻発しています。嘆かわしい事件です。
2006.09.19
コメント(0)
チャン フン=張 勲(張本 勲)選手の記事を、、とリクエストがありましたので私なりにあげてみました。チャン フン(張 勲)氏は、1940年 6月 19日,広島生まれ。本籍は韓国慶尚南道昌寧、父 チャン サンチョン、母、パク ナムジョンの 2男 2女の末っ子として生まれました。6歳の時父が亡くなり生活は困窮します。原爆投下戦前、戦後を通して韓国人という理由で受けた幾多の差別と貧乏、外にも張勲氏は幾多の試練を勝ち抜けなければならなかったが,それはちょうど広島に投下された原子爆弾、そして、事故による左手のヤケドでした。。広島に落ちた原爆は張勳氏の家からわずか 3Kmしか離れてなかった。5歳という歳で被爆者となり、同時に、この原爆で姉を失ってしまいました。当時の記憶は、あまり無いと氏は述べています。しかし、その幼い時、生死をさまよった潜在的な記憶が後の試練を克服する大きな力となったとも語っています。4歳の時に、土手で焚き火をしていたときに、誰かとぶつかって、焚き火に突っ込んで倒れ、左手にやけどを負う事故にあいます。一緒に居た母が抱きかかえて病院に行くと、韓国服を着た母を見て病院が処置を急がなかったのが後遺症がひどくなった由縁だと話してます。もう少し、処置が早ければ傷跡は残っても指は広げられたかも、と後悔が残ったと晩年、韓国のTVで談話されてました。その後遺症は終生、薬指と小指がひっつき普通にバットを握れない状態で野球人生を貫くようになります。人間は自分の苦労談とハンディキャップを嘆き、又、言い訳にするものです。氏はそれを自慢することも無く、又、言い訳にしたこともありません。心無い先輩やコーチが「何故手を使わないんだ、手を広げて見せろ、」と言った時、初めて開かない手を見せて、周りが言葉を失った、と言うエピソードがあります。火傷を境に、利き手を右から左に変える努力を始めます。小学校時代は水泳部に席を置き、中学校入学と同時に野球部に入部、野球選手としては少し遅れた出発でした。やけどのため握力が弱くなった右手のハンディーを乗り越えるための特別な努力があったのは言うまでもありません。それは絶え間ない練習の積み重ねでした。彼の練習量は多分、この頃からプロに入って引退するまで昼夜を問わず繰り返されたといわれています。すでに、中学校在学にその頭角を現した長打者の片鱗は.運動場で打撃練習をすれば球が校舎を超えて国鉄のレールまで飛び、その玉を捜すのが大変だったという話もあります。張勳選手の体格は 181Cm/85Kg,そのこのろの体格にすれば大きく、武勇伝には事欠かず、引退するまで、「張本=暴力的イメージ」長島、王と比較し、ダーティーなイメージを印象付けました。高校進学地元、松本高校に進学しますが、「こんな野球部では甲子園に出れない」と見限って、大阪の浪速高校に転向します。しかし、母や兄、姉が働いても家族には月23000円の収入しかなく、その中から1万円を送金して、その中から6000円を下宿代、残り4000円が生活費と言う高校生活を送ったといいます。当時浪速商と上之宮高校(元巨人軍、元木の母校)と間で暴力事件が起こり、全クラブが年間対外試合禁止となり、その禁が解かれた後、地区大会での成績は、2ヶ月間 13 ゲームで打率 5割6分、,ホームラン 11本、中でもその内の一本は停電ホームランで有名です。ホームランボールが電信柱をにあたり、一帯が停電、こんなマンガみたいな事件が実際にありました。「張本行く所、足跡を残す。」とまで言われました。浪速商3年の時、野球部で暴力事件が起こり、高野連は「張本を退部させる条件で甲子園の出場を認める」との判断を下します。いかに、当時の氏が人気、実力共、世間の注目の的だったかと同時に、朝鮮人、韓国人差別が社会的に蔓延してたかがわかります。事件は先輩が練習中に後輩を殴った事実が発覚し、”愛のムチ”に参加しなかった張氏一人を、”犠牲の羊”にしたてると言う事件でした。そして野球部から除名処分を受けます。「スポーツの場で、民族差別をあからさまにした野球部監督を私は一生、許さないと」コメントした心の内が私には理解できる気がします。不世出の大打者 張勲貧乏をいやというほど経験してる氏は「一日も早くプロと契約をして、母に楽をさせてやりたい」それだけが夢でした。 張勲選手を嫌った読売ジャイアンツそれでも 2年生の時から超高校校級の実力を見せた選手をプロがほっておくはずがありません。2年生の時、すでに巨人の水原茂監督から入団の打診を受けています。巨人は学校を中退して入団をしなさいとまでの話をしていました。しかし、兄が「高等学校だけは出なさい。プロ野球行って成功すれば良いが、失敗したら高等学校も出なかったら就職すら出来ない」と諭されます。 そのため張勳選手が高校を卒業までジャイアンツは待つと言う密約で契約金 300万円で入団が内定してました。3年生の夏にも水原監督が尋ねています。今、思えば、除名事件がなかった張勳選手は読売に行っただろうか?何とも言えないでしょう。当時、紳士球団、球界の名士たらんとしたジャイアンツ球団で張勳選手の暴力事件を問題視してたのは間違いありません。巨人が、それから何十年後、新進のエースピッチャー候補であった新浦、ローテーションの中心に居た松原(帰化して広島で活躍した福士)等の韓国籍、もしくは帰化した韓国人を排除した事実から、何かドロドロしたものが見えるのは、、、.当時、 9つの球団が張勳選手をスカウトしようと動きますが、最後にに東映フライヤーズに決めたのは本人と母親だと言われています。入団以降の活躍は言わずとも知っての通りです。”安打製造機”の異名をとり、東映フラーヤーズ→日本ハムファイターズ→読売巨人軍と渡り歩き、引退後は名球会で社会奉仕事業にもたずさわり、祖国、韓国では日本で言う、コミッショナー補佐の要職につき、活動されています。私が小学生の頃、近鉄のホームグランドであった、近くの日生球場(大阪城近辺)に近鉄:東映の試合を8回の裏になれば見に行きました。、そうです、8回裏からは入場がタダになるんです。必ず、バックネットの前列中央には質素なチマ、チョゴリで着飾った張勲氏の母親が、息子の勇士を応援に来てました。打てば、やんやの大拍手、、、、でも、三振でもしようものなら、東映ファンならず、近鉄ファンからも「朝鮮、帰れ!」の心無いヤジが聞こえてきます。その瞬間、バックネットに走って行き抗議する姿を幾度も見た記憶があります。成績が低迷しヤジられる事が多くなった時、「チマ,チョゴリを着て球場に行けば、お前がヤジられるから辛い、洋服を着てゆくよ」と母親が泣いて話すと「チマチョゴリは俺の力、なぜ、人目なんかを気にするんだ。」と怒り、この件だけは親の言うコトを聞かず、東映時代は大阪での全試合、ネット裏BOX席の最前列に母親を座らせ続けた話は有名です。氏の回顧録に因ると、巨人時代の民族差別発言や個々の事例が自分自身にとって一番辛かった、と語ってます。巨人に移籍後、広島戦が終了し、帰りのバスに乗り込む時、「この朝鮮、、、」と罵倒された事がありました。、それを「チームメートの誰一人、ファンに対して抗議してくれなかた事が一番辛かった」と、韓国の番組で話されてました。「私が、日本でこれから先、監督や指導者にならないのは、勝ち負けの時、必ず出てくる「この朝鮮、帰れ」の心無いファンの言葉です、それを知らぬ顔で見てるファン心理が寂しくてなりません」これが氏が生きてきた全てかな?と思います。今年、「徹子の部屋」の番組中で、「野球界で只一人、原爆手帳を持った人間」とカミングアウトされてました。「原爆が投下され、人肉の焦げる匂いや、熱さや痛さから逃げ惑う人達の絶叫、そして川に飛び込んでは絶命していく人達…そんな光景が焼きついて、年を取れば取るほど、憎しみが増してくる!結婚はしても、意図的に子供を作らない夫婦。被爆したことで、両手や両足が不自由でも生きていかなきゃいけない人達。だからこそ、子々孫々まで、体験者が伝えなければならない!!」と番組中で語ってました。そして、こんな話もありました。「4歳の時に、土手で焚き火をしていたときに、誰かとぶつかって、焚き火に突っ込んで倒れたために、右手の親指と人差し指だけしか使えず、小指を欠損し、薬指と中指は中に曲がったままほとんど動かない…」だから、バッティングはよいけれど、守備が上手ではなかったことを嘆きある日、母親に右手を出してこれさえなければもっといい成績が残せたのに…と言ったときに、母親がいきなり号泣し、「ひもじかったからごめんね、ごめんね」と自分を責めたときに、母親を悲しませてしまった…2度と言うまい!2度と見せまい!!と心に誓ったといわれてます。、、感動、なんて素敵な母子なんでしょう(涙;)いつか、川上監督にその手の話をしたときに、川上監督が、泣きながら「これだけの人の努力を「運」と言うんだ」と話してくれたそうです。「運」がいいなぁ~の陰には、その人の努力がある、というもの…「この言葉に、また勇気をもらえた」…どんな状況であっても、陰で努力をするから結果を残すことが出来る。そして、結果を残せるまで努力をし続けることの大切さ…そして、戦争という、100% 人為的な愚かで下等な行為は決して起こしてはいけないものだということを…一人一人が自覚し、出来ることをし続けなければならないことだなぁ…と改めて思った…金魚もチンパンジーも共食いをする…しかし、ピグミーチンパンジーは、決して争いをしない…ピグミーチンパンジーから学ぶことがたくさんあるのではないでしょうか?最後に、アンチジャイアンツとして、写真は東映時代のを、あえて探してあげました。ジャイアンツファンの方、ごめんなさい。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)張本 勲 (はりもと いさお、1940年6月19日 - 、広島県広島市生まれ)は、プロ野球選手(外野手)、野球解説者。左投げ左打ち。在日韓国人二世で、本名は張 勲(チャン・フン)愛称は「張さん」。あるいは「張」。参考:闘魂のバット―3000本安打への道 ベースボール・マガジン社 (1991-07-25出版)ネバー・ギブアップ―負けてたまるか!張本勲物語 許 英万鈴木 福男 みくに書房(1990-93)誇り―人間 張本勲 山本 徹美 出版社: 講談社 (1995/05)チャン フン=張 勲(張本 勲)選手の記事を、、とリクエストがありましたので私なりにあげてみました。
2006.09.18
コメント(0)
転載元: 200万画素の風景さんの記事からブログpeopleの、検閲削除問題 事務局に(info@blogpeople.net)問い合わせとして送ってみました。 株式会社ファンコミュニケーションズ 社長 柳澤 安慶さんへのお尋ね8月9日に貴社BlogPeople事務局が、FC2にブログを開設する美爾依さんhttp://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-253.html当該記事が、トラックバックピープルに登録した話題「安倍晋三」にリンクされた記事、http://soba.txt-nifty.com/zatudan/2006/06/noabend_fba0.html への削除依頼はご承知の事と思います。 しかし本サービス規約には、どのような削除に関する規定もありません。 あえて根拠を推定するなら、「 第7条(会員情報)(1) 会員が登録した内容は、運営会社が所有するものとします。 」の自社所有物として、管理権を有するとされるかも知れません。 であるならば、登録者への削除依頼をするまでも無く、どうして削除をされなかったのでしょうか?以下の依頼文中の 「本日はお願いがございまして、ご連絡させていただきました。 貴方様が管理人で運営していただいております、以下のトラックバックピープルの話題ですが、 http://tbp.jp/tbp_6610.html 以下の記述を拝見いたしますと、当方が話題の承認をさせていただいた 主旨からずれているように思われます。 http://soba.txt-nifty.com/zatudan/2006/06/noabend_fba0.html 具体的には特定の政治家を誹謗中傷するための手段して トラックバックピープルをご利用していただきたくないというものです。(そのため、最初の申請は否認させていただきました) そこでご相談なのですが http://soba.txt-nifty.com/zatudan/2006/06/noabend_fba0.htmlの記述を削除していただき、話題の説明文にございます主旨で管理いただけませんでしょうか。 」 「具体的には特定の政治家を誹謗中傷するための手段」この主旨には、全く具体性を認められません。 リンク記事のどの部分、それが特定されておりません。 こうした曖昧な根拠で、何らかの力の行使の可能な側が、それを実行する(削除)が可能となれば、あらゆる自由な言論は窒息します。 昨年ヤフーブログでは、少なくとも二件の、規約によるブログ或いは記事削除要求がなされ、実行されています。 ここ http://blogs.yahoo.co.jp/babylon2xxx http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0506/10/news054.html それ自体は規約に基づきはするものの、やはり今回の貴社の措置同様に、どの部分がそうした具体的な根拠は示されませんでした。 根拠、理由の明示無しの強制力は、その由来する規範自体を空洞化します、 特定政治家の誹謗中傷とされるのであれば、何が何故、それを客観的に示さねば、言論表現の自由は存在しようもありません。 今回の措置は、当該記事のどの部分が、それに当たるのか、是非これを速やかに明らかにされることを、強く要望致します。
2006.09.17
コメント(0)
私が、ブログを始めて実感したことは、この社会にはまだまだ、マイノリティーに対する差別が現実に無くなる所か、かえって増幅してるんだという事実でした。韓流ブームはブームでしか無かったのか?と疑う時すらあります。気軽に韓国の事や色んな話題を綴ろうとしてた自分が、net右翼の差別書き込みの繰り返しにあい、それが引き金で「寝た子をに起こした」結果となったのかも知れません。決して過去の事例を掘り下げて論じたり、声高に自己主張するつもりなんて全然ありません。今は、彼らnet右翼に屈せず、あった事実をしっかり話す事が大切ではないかと思っています。「過去を忘れたものは未来を無くす」広島の平和公園にある韓国人被爆者のモニュメントに書かれた三重県の高校生達が残した句碑です。下記の事実は、その一部の事例でしかありません。時間がありましたら一読下さい。麻生太郎外相が、自民党総裁選に立候補を表明しています。麻生外相が自民党総裁に当選することは日本国総理大臣への就任となります。 かつて、政調会長時代の麻生外相が日本国総理大臣職について「部落差別発言」を行った事実が忘れさられようとしています。このようなことが許されてよいのか非常に憤りを感じます。 麻生外相の総理大臣就任は日本国民が「部落差別発言」を容認したことにもなりかねません。 これまで様々な人物や書籍で麻生外相の「部落差別発言」が告発されていますが、日本国民の間に事実が知られているか疑問を感じます。 よって、この情勢を考慮してこのブログでも麻生太郎外相の「部落差別発言」を角岡伸彦『はじめての部落問題』文藝春秋,2005年から引用して取り上げたいと思います。 記麻生太郎の”就職差別” はたして、日本に部落差別はないのだろうか。国政の場であった差別発言を最後に取り上げたい、 部落出身の元衆議院議員・野中広務の評伝『野中広務 差別と権力』(魚住昭、講談社、2004年)に、野中が政界でどのようにみられていたかが詳述されている。 永田町ほど差別意識の強い世界はない。彼が政界の出世階段を上がるたびに、それを妬む者たちは陰で野中の出自を問題にした。総裁選(2001年=角岡註)の最中にある有力代義士は私に言った。「野中というのは総理になれるような種類の人間じゃないんだ」 自民党代義士の証言によると、総裁選に立候補した元経企庁長官の麻生太郎は党大会の前日に開かれた大勇会(河野グループ)の会合で野中の名前を挙げながら、「あんな部落出身者を日本の総理にできないわなあ」 と言い放った。 麻生事務所は「地元・福岡の炭坑にからむ被差別部落問題についての発言が誤解されて伝わったものだ」と弁明しているが、後に詳しく紹介する野中発言によると、大勇会の議員三人が麻生の差別発言を聞いたと証言しているという。(第十六章 差別の闇) 2003年9月21日、野中は最後の自民党総務会に臨んだ。議題は党三役人事の承認である。楕円形のテーブルに総裁の小泉や幹事長の山崎拓、政調会長の麻生太郎ら約30人が座っていた。 午前11時からはじまった総務会は淡々と進み、執行部側から総裁選後の党人事に関する報告が行われた。11時15分、会長の堀内光雄が、「人事権は総裁にありますが、異議はありますか?」 と発言すると、出席者たちは、「異議なし!」と応じた。堀内の目の前に座っていた野中が、「総務会長!」と甲高い声をあげたのはそのときだった。「総務会長、この発言は、私の最後の発言と肝に銘じて申し上げます。」 と断って、山崎拓の女性スキャンダルに触れた後で、政調会長の麻生のほうに顔を向けた。「総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会の会合で『野中のような部落出身者を日本の総理にできないわなあ』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の三人のメンバーに確認しました。君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!。」 野中の激しい言葉に総務会の空気は凍りついた。麻生は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった。 (エピローグ) 野中が小泉首相も出席した総務会で差別発言を指弾したにもかかわらず、不幸にも、麻生(福岡8区選出)はその直後、部落差別の担当官庁である総務省の大臣に就任した。泥棒が警察官になるようなもので、これほど不適切な大臣登用はない。 麻生は後に、衆議院総務委員会でこの問題を追及されたとき、「そのような発言をしたことは全くありません」と事実を否定している。ではなぜ、野中に指弾された総務会の席上で「何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった」のか、不可解である。 その後、この問題発言は、うやむやになってしまった。しかし、部落出身という理由による総理大臣就任阻止の動きがあったとすれば、未遂ではあるが、有権者の代表である国会議員による”就職差別”である。 著者の魚住のルポがなければ、麻生の差別発言は公に知られることはなかっただろう。その意味でも部落差別は見えにくい。なくしてきた結果、部落差別は以前より厳しくなった。とはいえ、まだ残っている。それは目をそむける者には、決して見えない。 (以上、角岡伸彦『はじめての部落問題』文藝春秋,2005年より103ページから106ページを引用)参考文献:魚住昭『野中広務 差別と権力』講談社,2004年 角岡伸彦『はじめての部落問題』文藝春秋,2005年 角岡伸彦『被差別部落の青春』講談社,2003年 野中広務『私は闘う』文藝春秋,1996年 野中広務『老兵は死なず 野中広務全回顧録』文藝春秋,2003年 小林よしのり『ゴーマニズム宣言 差別論スペシャル』解放出版社,1995年 山下力『被差別部落のわが半生』平凡社,2004年 川内俊彦、貝原浩『部落差別と人権』現代書館,1992年 みなみ あめん坊『父さんが、父さんになったわけ』情報センター出版局,1993年 上原善広『被差別の食卓』新潮社,2005年
2006.09.16
コメント(1)
私の友人、あん そら氏(ペンネーム、実は日本人)の韓国ガイド本紹介です。イラストの似顔絵が本人にそっくりなのを想像すると面白いかも知れませんね。全編が手書きで書かれているのがすごいと思います。私的には、内容からして《買》です。イラストや写真も豊富で読み物としても楽しい、折り紙つきの本です。彼女が韓国にはまってまだ十年。でも、これほど韓国を歩き回っているとは知らなかった、と言うのが正直な感想です。自分の体験をまじえて書いているので非常に面白い内容になっています。著者の「韓国好きパワー」にはあらためて関心! ソウルを中心各都市や田舎にまで足を伸ばして取材してます。観光コースの韓国に飽きた人は、この本を片手に現地に溶け込んだ韓国を楽しんではいかがでしょうか。先日まで、次号の取材旅行で韓国へ行ってましたが、現場主義は完璧みたいで、相変わらずパワーは健在の様です。この本を読めば、また韓国に行きたくなるに違いないかも知れませんね。単行本: 128ページ 出版社: メイツ出版 (2005/10) 以下はアマゾンでのカスタマーレビューの抜粋です。この本を持って韓国に。。。, 2005/10/30手にした「韓国に行きたい!」には、何度か韓国を訪ねた私が知らない地方も紹介されているので、この次に出かけるときは参考にします。女性。たぶんお若い方でしょうが、よく現地を見て、食べて、歩かれて書かれているようです。後半の 「まだまだ韓国」体験のページはおもしろかったです。サウナ、スーパー、占いは経験したことがなかったので、おもしろく読みました。男性が読んでもおもしろいですが、どちらかと言えば女性向きでしょうか。全編手描きがいいですね, 2005/10/26手描きなので暖かい感じがします。安国駅の北側など、私が行った事がない所も手描き地図入りで紹介されているので、行ってみたくなりました。2005/03/01内容は、手書きで一般の旅行ガイドに比較すると表面的でない、一歩韓国に踏み込んだ良書かもしれない。しかしながら、地図が部分的のため韓国に初めて行く人には、若干理解しずらいかもしれません。 韓国の庶民的な生活を経験してみたい人には、是非読んでもらいたいと思います。
2006.09.15
コメント(0)
warabidaniさんの憂国広場からの転載です。《東京都民よ いつまでこんな知事に都政をゆだねているんだ? 姜尚中氏に石原またもや暴言》 朝日得意のプロパガンダに乗ってしまうようで不本意極まりないが、この際「敵の敵は味方」という論法で、朝日に協力してやろう。東京オリンピック誘致騒動はよほどの馬鹿でもない限り、単なる話題作りにすぎないことは知れている。実現の可能性は限りなくゼロに近い。仮に実現しても、儲かるのは土建屋だけだ。奴らへの儲けは税金で支払われることは言うまでもない。 石原はまだしつこく知事を続けたいらしく、今回の誘致騒ぎもその一環だろう。東京に決まったことで予算も付き、裏金をできるという算段だ。石原なんかを支持している馬鹿は頭の悪いおばちゃんか、欲の皮のつっぱった悪党ぐらいだろうが、御用マスコミのあくどい世論操作で、その他の馬鹿も結構引っかかっている。 税金をむしられるのは都民だから、都民以外は知ったことではないが、石原は次期総理のA級戦犯孫の安倍に、「東京に決まったんだから、国もバックアップしろ」とほざき、安倍も同意した。つまり国税も食い物にするつもりらしい。それならば黙ってはいられない。二人でグルになって裏金でも作るつもりなのだろう。 「もう呆れた。俺は知らん」とさじを投げ出したいが、一応私は憂国の士を謳っているので、国賊どもに対して、識者に訴えたいのである。 姜尚中氏の福岡応援に石原知事反発 「怪しげな外国人」http://www.asahi.com/politics/update/0830/009.html(記事) 五輪の国内立候補都市を巡り、石原慎太郎・東京都知事が、福岡市の応援演説をした姜尚中・東大教授に激しく反発、「怪しげな外国人」などとかみついた。 姜教授は演説で「金持ちの、金持ちによる、金持ちのためのオリンピックで、世界に勝てますか」と東京を批判。すると、続く東京側のプレゼンテーションで石原知事が「さっき、どこか外国の学者さんが東京は理念がないとおっしゃっていた。何のゆえんだかわかりませんが」と発言。その後の祝賀パーティーのあいさつでも「怪しげな外国人が出てきてね。生意気だ、あいつは」などと述べた。 姜教授は在日韓国人2世で、熊本で生まれ育った。
2006.09.14
コメント(3)
決して、韓国の代理広報記事の転載ではありませんので、ご理解ください。こんな記事が韓国で流れてる、と言う事を知って欲しいだけです。決してここで竹島論争をするつもりはありません。(普通の事に、この様なコメントをつけなければならないなんて嫌ですね。)【「独島は韓国領土」表記の日本内務省地図、初めて公開】中央日報1877年に日本太政官と内務省が「独島(ドクト、日本名・竹島)を日本領海から除外することを決定する」という内容を含めて作成した公式文書に、当時の鬱陵島(ウルルンド)と独島の位置と距離を表記した関連地図が添付されていたことが確認され、学界の関心を集めている。日本内務省は1877年3月17日、太政官に「日本海内竹島外一島地籍編纂質疑」を送り、太政官は同月29日、「竹島外一島を版図外に定める(竹島外一島本邦無関)」と公式決定した文書を作成、回答している。鮮于栄俊(ソンウ・ヨンジュン)首都圏大気環境庁長は「磯竹島略図」を日本東京国立公文書館で撮影し、模写図を公開することになったと13日、明らかにした。横58センチ,縦38センチの「磯竹島略図」は、磯竹島(現在の鬱陵島)と松島(現在の独島)を中心に当時の日本西海岸地方と朝鮮国間の位置と距離を表記している。「磯竹島略図」には「日本の西海、隠岐の福浦から松島まで西北方向80里程度」「松島から磯竹島まで西北方向40里程度」と書かれている。また磯竹島から朝鮮国を遠望すれば海上で95里に該当する、となっている。この地図は、日本が独島を日本領に組み入れた1905年よりはるか以前に、鬱陵島と独島は歴史的に韓国領に属すると認めたことを明確に示している。2006.09.13 19:06:15fwapyのコメントこの事実は以前から判ってる話で、これらの事実関係から、「今更、何を言ってるのか、、」ってのが見識者が主張する論拠の一部でもありました。今、新たな事実の様に書き出してる新聞が、無知なのか、何か意図があるのか?
2006.09.13
コメント(0)
こんにちは、大阪ソウル会事務局です。別紙のとおり大阪ソウル会の9月例会の案内を送ります。----------------------------------------------大阪ソウル会は、日本人、日本で生まれた在日、ニューカマーが仲良く話し合える会と自負しております。日本全体を見ると、こういう雰囲気の会は残念ながら珍しいのが現状です。今月は、この在日コリアンの問題をテーマに、大阪市立大学大学院教授の朴一さんにお話いただくことになりました。朴一先生は尼崎生まれの在日韓国人で、テレビ、ラジオのコメンテイター、本の執筆などでお忙しい方です。朴一先生の話を聞いて、一緒に在日問題を考えてみましょう。皆さんお誘い合わせの上、ご参加くださいますようお願い申し上げます。■事務局 電話:06-6356-3927 Fax:06-6356-3591Mail:zbb64658@yahoo.co.jp・日時:2006年9月12日(火)18:30~21:00・場所:大阪市立生涯学習センター第二研修室(大阪駅前第二ビル6階) 大阪市北区梅田1-2-2-500 電話:06-6345-5000 ・会費:2,000円(講師料、会場費、資料代など)講師紹介:朴一(パクイル)大阪市立大学大学院経済学研究科教授 在日韓国人三世同志社大学大学院博士課程修了 商学博士専攻は朝鮮半島の政治と経済 日韓・日朝論 「在日と言う生き方」ほか著書多数 NHKTVアジアマンスリー 関西ニュース一番 ニュース9 MBSラジオのイブニングレーダーのレギュラーコメンテイターのほか大阪市の外国籍住民有識者会議の委員も務めている(大阪ソウル会事務局)〒530-0043 大阪府大阪市北区天満1-3-3 天満パークハウス801電話:06-6356-3927 FAX:06-6356-3591e-mail:zbb64658@yahoo.co.jp※本田さんはこちらに常駐しています。 大阪ソウル会宛のメールや電話はこちらにお願いします。
2006.09.12
コメント(0)
「かるちゃんを助ける会」5000万円の募金目標達成かるちゃんを助ける会のHPで、募金目標達成の報告がありました。今月19日からドイツに行く予定とありました。本当によかったと思います、皆さんご協力ありがとうございました。おかげさまで、目標金額の5,000万円に到達いたしました! 投稿者: かるちゃんを助ける会(2006年9月7日 11時26分) たくさんの皆様からの温かいご支援とご協力のおかげで、9月6日現在50,968,494円もの心のこもった募金を賜り、目標金額である5,000万円に到達することができました。すでに受入病院であるドイツのバードユーンハウゼン心臓病センターへ保証金をお支払いし、現在、渡航の準備を進めさせていただいております。果瑠奈さんの今後の予定として、9月14日(木)福岡を出発し、東京の日大病院へ転院した後、19日(火)ドイツへ向けて渡航する運びとなっております。全国よりたくさんの皆様が、一日も早いかるちゃんの回復を願って、様々な形でご支援とご協力してくださったおかげと、江田家・事務局一同、衷心より感謝申し上げます。★ 募金活動を終了させていただきます。現在、事務局では、ご厚意で設置していただいた募金箱の回収と集計をさせていただいております。また、目標金額到達に伴い、募金箱・チラシ・ポスターなどの募金活動に関する物品全ての処分をお願いしておりますので、ご協力の程、よろしくお願い申し上げます。★患者会からご支援をいただきました!福岡県腎臓病患者連絡協議会様より1,082,370円、北海道のCF絵里ちゃんと歩む会様より200万円のご支援をいただきました。誠にありがとうございました。 特定非営利活動法人 はあとネット兵庫様よりご支援いただきました! 臓器移植医療の普及啓発と支援事業をされている特定非営利活動法人 はあとネット兵庫様より100万円のご支援をいただきました。どうもありがとうございました。おかげさまで、目標金額の5000万円が見えてまいりました。現在、事務局では最終集計に向けて、募金箱... [2006年9月1日 15時40分] かるちゃんの渡航が決定しました!(予定) 医療関係者様にご尽力いただいたおかげで、かるちゃんの渡航が決定しましたので、お知らせいたします。9月14日(木)、福岡を出発した後、東京の日大病院へ一旦入院し、19日(火)、成田からドイツに向けて渡航する予定です。★ 募金箱の回収を始めさせていただきます...
2006.09.11
コメント(0)
「怒れるヤマケンさん」 山本健治さん。ABC「おはようコール」出演。フリー・ライター。元高槻市議。大阪府議。決め台詞は「地獄へ落ちろ!」。著書『ホウキとヤルキ―掃除にドラマあり』三五館、『たかが掃除と言うなかれ―優良企業が凡事を徹底する理由』日本実業出版社、ほか多数。 もはや、関西人は「ヤマケン節」なくして一週間の仕事に入れない。新しき「関西の秘密兵器」であり、関西以外の方は要チェックです。びっくりしまっせ!今日から4月です。本格的な春の到来、日本の多くの土地が桜の季節であります。 また、年度替わりの月でもありますので、出会いや未知の体験を初めてしたという想い出のある方々も多いと思います。何分、僕自身は生を受けたのがこの月であり、「人間初体験」の想い出があります。但し、学校では「誕生日はいつ?」という質問を受けたときには、既に過ぎ去っているという(4月生まれ共通の)苦い想い出があります。 しか~し、何故に日本人はこんなにも「四」という数字が嫌いなんや(怒)! 「し」という音が「死」に通ずること等が原因と思われるますが、4月生まれの僕は不愉快なんや(怒)。4月生まれの友人の多くも同様のことを言っています。特に、讀賣球団、「4」を永久欠番に準じる扱いにするのはやめんかい。故黒沢選手に無礼や(怒)! 亀岡国際秘宝館の最寄りに公立南丹病院という病院がありますが、4階の三桁の部屋番号だけは「5」で始まります。行政がこんな迷信に惑わされててもいいんかい(怒)!殆ど、「怒れるヤマケンさん(注)」状態でっせ! 暦の迷信で代表的なものが『六輝』又は『六曜』です。 新村出『広辞苑』岩波書店を引用しますと「暦注の一。先勝・友引・先負・仏滅・仏滅・大安・赤口の六種。中国の小六王が日本に入って変化したもの。江戸後期から一般に使われ、今日最も広く行われている。」とある。こりゃ、ちゃんと迷信と書かんかい!と、言いたいところですが冷静になりましょう。 「江戸後期から」と記してある点です。「仏滅」とあるので、仏教の「暦」と甚だしい勘違いをしている日本人が多いのです。我が国に仏教が伝来したのは遥か昔の飛鳥時代であり、仏教との関連性に根拠のないものが理解してもらえると思います。 まだ、この迷信を払拭できない方のために先人の残した言葉をお借りします。 卜部(吉田)兼好 『吉凶は人の心にありて、日にありず』 福沢諭吉 『日の吉兆を信ずるものは、無知蒙昧なり。』 他に、林羅山・新井白石等が、この迷信の誤りを説いています。 さらに、1872年の改暦ノ詔書並太陽暦頒布(明治五年十一月九日太政官布告第三百三十七号)。これは、太陽暦採用の明治政府の太政官布告です。それに併せて明治政府は「六曜はまったく根拠のない迷信・妄想であり、正しい知識の開発を妨げる。」として、暦にこの迷信の記載禁止をしました。 しかし、未だに根強く残っています。むしろ、現在の方がこの迷信を信じている日本人が多いのかもわかりません。現状を鑑みると布告に明文化されなかったことが悔やまれます。 現在、行政はカレンダー等でこの迷信について、根拠のないもとして排除することを呼び掛けていますが遅すぎると思います。(笑わんといて!)また、「仏滅」という表現がある以上は仏教界も取り組んでいただきたい。 僕は(こんな日が来るか分らんが)結婚式は「仏滅」、告別式は「友引」にすること公約しまっせ!
2006.09.10
コメント(0)
いよいよ「チャングムの誓い」が佳境に入る、毎週、毎週土曜日にはテレビの前で待ち構えて見ている。「ビデオ借りてきてみたらいいのに…」と家内がぼやく、「なにを言うか、NHKにせっかく聴視料を払っているのに」とテレビの前に陣取る。 最初は、韓国の宮廷の模様がわかればいいなぁ、と軽い気持ちでみたのに、えらい嵌まりようだ。 日本、中国、アジア諸国でなぜ人気が出たのであろうか、信念を貫きとうし苦労するけなげな少女、短いスパンで山あり谷ありのドラマ展開、宮廷という特異場所な設定、などが人気の出た理由と思うが。 しかし、毎回、毎回こんな危機一髪を考えるものだと感心する。もうすぐチェ一族が成敗されるらしい。一族の間で苦悩したクミョンがかわいそうだ。チャングムが台湾の高校教科書に登場 台湾の有力日刊紙である<聨合報>は、来たる10月に出版される、改訂版高校1年生歴史教科書の現代文化部分に、韓国ドラマブームを紹介しながら、台湾の芸能人と共にドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』の主要人物が収められた写真が掲載されると発表した。WAW.KOREAより
2006.09.09
コメント(2)
大阪の大手住宅販売、リフォーム会社、積水ハウスに勤務する在日の一社員が、訪問先で本名を書いた名刺を差し出したところ、「この朝鮮人、おまえの様な人間が、、、名前の読み方が二つものあるから、、」と差別用語を使いながら罵声を浴びせかけられると言う事件がありました。これに対して、被害者の社員は加害者を相手に、名誉毀損と謝罪を要求して大阪地方裁判所に訴えを起こしました。今回の裁判で注目すべき事は、この訴えに対し、社員の勤務先である積水ハウスが「今回の裁判に対し、会社として全面的に支持、応援をする」と態度を表明したことです。会社がこの様な態度表明をするのは始めての事で、人権被害について野放し状態の社会に一石を投げかける裁判として注目されています。重複送信していますので重複しているかたご容赦下さい。1回公判のお知らせ 積水ハウス在日社員裁判に関し大阪地方裁判所は、第1回公判の日程を9月13日に決定しました。公判自体は短時間(数十分程度)で終了します。公判終了後、関係者はなにわ橋法律事務所にて今後の裁判の打ち合わせとしての懇談会を行ないます。 第1回公判および懇談会の詳細情報は下記のとおりです。なお、一般の方でも傍聴になれます。事前の申込みは必要ありません。 記◆積水ハウス在日社員裁判 第1回公判場所:〒530-8522 大阪市北区西天満2丁目1番10号 大阪地方裁判所 第8民事部合議1係時間:10時~◆ 懇談会場所:〒530-0047 大阪府大阪市北区西天満1丁目2番5号 大阪JAビル12階 なにわ橋法律事務所時間:11時頃反差別ネットワーク人権研究会代表 田畑重志E-mail to:shigeshi.tabata@nifty.comURL:[http://homepage2.nifty.com/jinkenken/]「インターネットを生かした人権教育」購入先 amazon[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4180585197/250-7693449-6297814?v=glance&n=465392]
2006.09.08
コメント(0)
ブログ仲間のまったけさんの転載です。まったけ日記76ー未来志向の日韓関係への想いー2002年に慮武鉉氏が大韓民国大統領に選挙により就任され、同大統領が日韓首脳会談で「未来志向の韓日関係」という言葉を残されました。僕は、この言葉に非常に感動したことを今でも覚えており、現在でも固く共感しています。 「未来志向」とは、僕が韓国・ソウルを訪問したときに、「日本語を話せる(おそらく親日的な)」韓国の若者たちが、盛んに使用した言葉でした。そして、その言葉が大統領のメッセージとなったとき、新たな日韓関係の歴史が始まることを心から期待したものです。 しかし、現状を鑑みると日本民族と韓民族(注:1)(韓半島北部を含む)の関係は、感情的な対立が見受けられるようになりました。 僕が非常に危惧しているのが、ネット社会における韓民族及び大韓民国(以下:韓国)・朝鮮民主主義人民共和国両政府に対する日本人の若者の書込みです。 例えば、韓国では「反日教育」が行われているということを自分自身の目で確認もせずに、風聞や一部の書籍による知識で認識していることです。いわゆる「日帝時代」には、日本国朝鮮総督府による教育・鉄道等のインフラ整備の良い面もあったという書込み、ひどいものになると日本国によって始めて韓半島が近代化されたとまでいう書込み数多くあります。 この件については、大学のゼミで在日コリアンのゼミ長の問題提起から、議論を重ねて日本の誤りであったとゼミ生一致で確認しました。 最近では、「竹島=独島」問題があります。 かつて、李承晩大統領時代の韓国政府による「李承晩・ライン」がありました。当時の日本人にとっては晴天の霹靂であったと思います。 「竹島=独島」については、両国に残されている古文書等に記録があります。勿論、国民国家という概念がなかった時代のものです。 察するに両民族とも、「竹島=独島」周辺の海域を漁場としてきたのでしょう。おそらく、両民族が座礁等の事故にあったときに、助け合ったこともあったのでしょう。 少なくとも、この小さな島嶼については、両民族がお互いに相手のことを知らずに自分たちの島と認識していたのかも分かりません。古文書の記述が、どちらが古い等で争う等は馬鹿げたことです。 2005年5月、朝日新聞で日本政府とフルシチョフ時代のソ連政府との国後・択捉等の南千島四島(注:2)(以下:南千島四島)交渉の公文書公開が記事になりました。 それによると、日ソ両政府とも領有権には固執しない外交方針でした。 日本政府は、アメリカ合衆国(以下:アメリカ)から沖縄・小笠原諸島を返還させるには、ソ連政府が四島返還に譲歩してほしいという考え方でした。 一方、逆にソ連政府は、フルシチョフ自らアメリカが沖縄・小笠原諸島を返還すれば、四島の領有権を放棄しても良いという発言を行っていました。 しかし、沖縄にアメリカ軍基地が残ったことで交渉が頓挫しままの状態です。(しかし、ご承知のとおり、これら南千島四島の本来の持ち主は千島・アイヌ民族です。) ヴァイツゼッカー元ドイツ連邦共和国大統領は、「過去に目を閉ざすものは、現在に対しても盲目である。(注:3)」との名言を残しました。 中世の三十年戦争から始まり、ナチス=ドイツのフランス共和国侵略、連合国4ケ国によるドイツ分割占領まで至るドイツ民族とフランス民族の永年にわたる対立の歴史は終止符が打たれたものと思われます。 彼らにできて、我々日韓両民族ができないなんて『悔しい』じゃないですか! 我々の歴史は、殆どの時代が友好関係にあったものですよ。できないはずはない! 最近、左翼系言論人であり、朝鮮人(注:4)を妻に持つ小田実氏の約20年前の著書を読みました。そこで、彼は最近の若者は、先の戦争について被害者としての日本国民の悲哀を語らず、加害者としての「日本」を強調する傾向があり非常に懸念する旨の記述がありました。 彼は、現在の日本民族・韓民族の関係を予測はできていなかったでしょうが、慧眼の記述であると感じました。 このブログは僕の全てのコリアンの友人、日韓友好を望む友人、そして2001年1月26日、JR山手線新大久保駅のホームから転落した人を助けようと自らの危険を顧みず線路に飛び込み帰らぬ人となった李秀賢ソンセンニムに捧げます。(注:1)韓民族・韓半島と記述したのは、韓国教育部 国史編纂委員会・一種図書研究開発委員会(編), 石渡延男(監訳),三橋広夫(共訳)『入門 韓国の歴史ー国定韓国中学校国史教科書』明石書店, 1998年の表現に基づきました。(注:2)これらの島々は、アイヌ民族のものであると認識からこの表現にしました。(注:3)一字一句に自信がありませんことを申し添えます。(注:4)小田実氏の発言に拠ります。
2006.09.07
コメント(12)
知ってましたか?「島唄」の本当の意味! 皆さんは知ってましたか? 「島唄」 の本当の意味を!心安らぐメロディーにのって聴こえてくる心地よい詩・・・詩までは深く考えた事がありませんでした。凄い衝撃でした!本当の「島唄」の意味を是非知って下さい! 歌詞にある 「デイゴ」 とは沖縄では 「災いを呼ぶ花」 と言われてるそうです!それを踏まえて聴いて見て下さい!http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sumire/7933/shimauta/index.htmlここの↑サイトに入って見てください。「本当の意味の島唄」噛み締めてみて下さい!
2006.09.06
コメント(0)
転載元: 『京都・亀岡国際秘宝館』館長のまったけ日記 より、昨日は、昭和天皇のA級戦犯の靖国神社合祀に対する不快感及び靖国神社参拝中止の理由が明らかとなった史料発見で、ネット上でリヴィジョニスト気取りの所謂「ヘタレ右翼」が、またしても「捏造」や「不可思議なタイミング」と書き込んでいるのが騒々しいかぎりでした。 既に、近現代史学会で定説化していたことの裏づけとなる史料が発見されただけのことです。 また昨日の時事通信社の配信によると現地時間の7月19日にアメリカ合衆国下院外交委員会は、「日本の近隣諸国との緊張関係」に関する公聴会を7月26日に開催すると発表がありました。 事実上、小泉首相の靖国神社参拝による日本と中国、韓国との関係悪化を焦点にしたもので、こちらのほうがよっぽど情けなく感じます。 中国及び韓国との所謂「歴史認識問題」においては、リヴィジョニストは旧植民地住民の「強制連行」や「従軍慰安婦」等について「証拠がなく自虐史観を煽るサヨク及びマスコミによる捏造」としています。しかし、彼等の論拠とすると思わしき書籍に記述してある参考文献に目を通してみても一次史料はありません。 要するに、双方とも水掛け論を繰り返しているだけであり、真の戦争被害者の寿命が尽きるのを待っているつもりでしょうか。 「強制連行」や「従軍慰安婦」を歴史的事実として裏付ける一次史料が発見されることはまずないでしょう。当然の話ですが、権力者や政府、行政機関が都合の悪い文書を残すはずがありません。 終戦の日から連合国軍総司令官マッカーサー元帥の来日までの間に、各省庁の庁舎から市町村役場に至るまで公文書を燃やす煙りが絶えなかったことは多くの住民が目撃しているところです。 ましてや、前線における軍の戦争犯罪において、公文書として証拠を残すような形で行われる話等は、どこの国の近現代史でも聞いたことがありません。 さらに、日本国の公文書の保存年限は概ね5年であり、会計検査の対象となるほどの重要な文書でも20年で、永年保存となるものは僅かでしかありません。 彼等がいかにして自分で確かめずに「証拠がない」を論拠としているのが明白です。 大学時代に、僕は彼等に言わせると「自虐史観」の代表たる「大塚史学」に基づき近現代史を学びました。 僕自身の主要な研究テーマは、1920年代のロシア経済政策でした。自らのテーマを決めたときには、さすがに公文書とまではいかないまでも現地の人と話を聞くことを目的としてロシアをフィールド・ワークしました。 そして、それが歴史を学ぶ姿勢として当たり前のことと思いました。 僕が、近現代の日本と韓半島の歴史について興味を持ったのも、今から16年前に龍谷大学の韓国人留学生との議論を交わしたのが契機です。 そして、苦手な酒と肉を食しながら、自らの足で関西を中心として在日コリアン1世の体験談を聞いて歩きました。 韓半島についても歴史を学ぶ姿勢として当たり前のこととしてしたまでです。 歴史を公の場で語りたい人に言いたい、「ネットを捨てよ、現地へ出よう!」と。 今日のブログは、在日外国籍の友人の全てに捧げたいと思います。「まったけ日記」1~50は、こちらまで「 http://www.geocities.jp/f4_ttm/index.html 」
2006.09.05
コメント(2)
yahooブログで知り合った starstory60さんからの転載です。 よい関係になりつつあった日韓関係は、この2年ほどの間に一気に冷え込んだ。右傾化とかナショナリズムの台頭とかが語られるけど、ネット右翼は全体の中ではやはり少数。フツーの人の感じ方、考え方がどう変わっていったのか。考察ってほどじゃないんですけど、私は熱烈なヨン様ファンなので、ここらへんの事情はけっこう語れると思う、ので今回は「ヨン様と日韓関係」。自慢にもなんにもならないが、私はヨン様にかなりの時間を費やした。(成田までは行っていない。ナミソムの冬ソナ並木道も歩いてない。だけど出演ドラマはぜんぶ観た。写真集も買った。)言い訳をすると、昨夏まで姑の在宅介護をしていてあんまりモノを考える気にならなかったのと介護のためにパートを抑え目にして家にいる時間は多かったのとで、けっこうヨン様にウツツを抜かした。ヨン様マグネットを冷蔵庫に貼ったら夫にヤな顔をされた。でもそのくらいはゆるしてほしい。成田までは行っていない。(しつこい。。。)ヨン様公式ファンサイトというのがあり、ファン登録をすると閲覧書き込みができる。情報満載なので、時々覗いてた。冬ソナブームでヨン様を「日韓の架け橋」と両国のマスコミが書きたてた頃のファンサイトはちょっと感動だった。この頃在日の人の書き込みがあり、それに呼応して多くのレスがついた。この書き込みには2万件くらいのアクセスがあったと記憶している。今まで日本社会で暮らす中、在日韓国人であることでさまざまな差別を受けた、自分でも在日韓国人であることをイヤだと思うようになっていった、心の底にずっと重いものがわだかまっていた、けれどヨン様のおかげで日本人が韓国を好きになってくれて、韓国人の俳優にこんなに熱狂しているのを見て、そのわだかまりが次第に溶けていくのを感じた、ヨン様に感謝している、という内容だった。ついたレスは100件以上。すべて好意的なレスだった。自分は差別をしたことはないが差別を目にしたことはある、今まで在日の人の立場で考えたことがなかった、あなたの今までのつらさを思うと涙が出る、日本人として申し訳ないと思う、過去の侵略の歴史をきちんと知らなくてはいけない、ヨン様が架けてくれた橋を皆で渡ろう…。2005年3月、ヨン様は新作映画の経過発表の記者会見の席上で韓国人記者から、「竹島/独島についてどう思うか」という質問を受ける。ヨン様は戸惑い、「今ここでは答えられない、別の機会に答える」と返答を回避する。ヨン様は返答を回避したことで韓国でバッシングを受けるが、数日後ホームページを通じて次のように答える。竹島は大韓民国領土です。だからこそ、もっと理性的に対処しなければならないと思います。国民がこれ以上感情的な対立によって傷ついて、関係悪化に至らないようにと切実に思います。なによりも、この重要な国家的な事案に対しては両国の国家政策を決める方々が賢明な方法で早いうちに対処してくださると信じます。国民がこれ以上痛みを経験しないことを国民の一人として心配しながら望んでいます。私に与えられた役があるとしたら、国家領土の線を引く一言より、アジア家族の心と心の線をつないでいくことではないかと思います。その事に最善をつくしたいです。ヨン様のホームページ上での回答に、ファンの多くは好意的だった。「ヨン様は韓国人だから独島を韓国の領土だと言うのはあたりまえ。私は日本人だから竹島は日本領だと思う。」というレスを多く目にした。「自分の役目は国家領土の線を引くことより、アジア家族の心と心の線をつないでいくこと」というヨン様の言葉にファンは共感した。しかしこのあたりからファンサイトの空気が微妙に変わってくるのを私は感じた。あくまで私の感じ方である。それにファンサイトはアクセスよりレスの方が圧倒的に少ないのだから、ヨン様ファンの心理を客観的につかんでいるかどうかも保障のかぎりではない。そうことわった上で続ける。ヨン様に政治的な発言を強いて窮地に立たせ、バッシングまでしたということで、ファンの中に微妙に韓国のマスコミに対する反感が芽生えたように思う。そしてファンサイトの中で少しでも政治的な書き込みをすることが、ヨン様を窮地に立たせることになるのではないかという懸念が生まれ、自粛モードになっていったように思う。ネット右翼のアラシによりサイトが閉鎖されることも度重なり、自粛に拍車をかけた。ファンサイトはついに登録制になり、ファン以外の書き込みや閲覧はできないようになった。ヨン様への熱狂は韓国文化に対する関心、在日韓国・朝鮮人に対する理解と共感へと広がりを見せていたのに、この出来事以来、「文化は文化、政治は政治」という暗黙のコンセンサスが出来上がっていったように思う。ファンの多くは日韓関係が悪化したことを悲しみ、好転することを心から願っていたと思うのだが、「首相や政治家が何とかしてほしい」というスタンスが目立ち、他力本願だな、と感じた。私はこの頃、韓国の人々の痛みを知ってはじめて日韓は友になれるのだし、小泉首相の靖国参拝をやめさせないかぎり日韓関係の好転はない、というスレッドを立てた。1万件くらいアクセスがあり、賛否両論のコメントがたくさんついた。「靖国神社の参拝がなぜ悪いのか」というコメントに対しては一人ひとりに返事のコメントを書いた。感動したのは、何人かの人が「知らない事実」や「考えたことのなかった側面」に気づいたと言ってくれたことだ。世間の人は「ヨン様ファンのオバサン」とバカにするけれど、彼女たちはとても柔軟な心を持っていると感じた。依拠するのは自分の出会った人々や出来事から感じた素朴な思いであり、その経験の外で「こう感じている人もいるのだ」と知ると、それをまっすぐに受け取ることができる。自分の政治的な立場に固執し、水掛け論に終始してしまいがちな多くの男性より、よほど実りのあるコミュニケーションができると感じた。私はファンサイトを利用して政治的な誘導をするつもりはなかった。韓国の人と「友になりたい」と本心から思ったし、ヨン様に熱狂しながら小泉首相の靖国参拝を支持しているのはおかしい、友になるためには友の痛みを知らなくてはいけない、それが私たちの思いを分裂させないでまっすぐにヨン様を応援していくことにもつながる、と思った。靖国参拝が心の問題だとしたら、韓国の人の心に思いを馳せないのはおかしい、ヨン様の思いは知らないけれど、靖国参拝をよろこんでいるはずはないと思った。私の立てたスレッドには多くの反対もあった。意見に対する反対ではなくて、「政治的な」スレッドを立てることへの反対だった。そんなことを書くとサイトがますます右翼のアラシに狙われる、ヨン様を政治に利用したり巻き込んだりしてヨン様を苦しめるのはやめてほしい、という意見だった。その意見はファンサイトの性格上もっともでもあった。私もそれ以上重ねてスレッドを立てることはしなかった。文化交流と政治対立の溝は深まり、ヨン様と韓国に好意を持っていればいるほど、韓国の反日感情には傷ついたようにみえた。好意を持っている国から怒りと憎悪を向けられるたびに多くのファンは戸惑ったようにみえるし、日韓関係の悪化が韓流ブームに水をさしたことに対してはストレスがあった。そんな折、ファンサイトに次のようなスレッドが立った。韓流ブームの退潮を「寒流」と呼んでいる。『寒流』を加速させた立役者は何といっても、(韓国の)現政権でしょう。これは間違いないと確信しています。ヨンジュンシや韓流スターのことが純粋に知りたくて、ネットサーフィンしていくうちに実に色んなサイト、韓国の新聞に行き着き 思わずアチラの考えをリアルタイムに知りえた人は多かったでしょう。ところがテレビ同様、あまりの反日発言で熱も徐々に醒め、その反動で嫌韓に移行する人は残念ながら非常に多かったと思う。ヨンジュンシのお国、韓国を日本カゾクの皆さまはどう思われていますか。私はヨンジュンシを大好きになり韓国があっという間に身近な存在となり、食卓には浅漬けと一緒にキムチが並びDVD棚は韓国ドラマ・映画がハリウッドを席巻しています。しかし、残念ながら韓国政府の手法には正直疑問をもっています。政治と文化は関係ないけど発信されるメッセージを聞くたび複雑な気分になりますし、ヨンジュンシへの熱さえも萎えてしまいそうになる時があります。そうであるなら私たち日本人は今こそ【正しい歴史】を認識した上で、惻隠の情をもって友好を深めるべきと考えるのです。靖国や教科書問題で揺らがないことが大切と思うのです。平和というテーゼで人民を操り国家の矛盾のガス抜きとして利用させない毅然とした態度を日本は取るべきなのです。 このスレッドに対するファンの賛否がどういう比率だったのかは、ついたレスからだけでは推し量りがたい。しかしかなりの数の賛同レスがあったことは少なくとも確かである。書き手は大学生だと名乗っていた。「こんなしっかりとした考えを持った若い人がいることは心強い」「言いづらいことを勇気を持って発言してくれた」等々。反論や反発もあった。総体としてヨン様ファンがどういう感情を持っているのかはわからない。しかしかなりの賛同レスがあったということは、韓流ブームの頃のサイトを知る者としてはショックだった。政治へのコミットメントを欠いた「草の根の文化交流」がどの程度人々の心をつなぐのだろうか。私は懐疑的にならざるを得ない。ヨン様というハンサムで魅力的な俳優との出会いは、韓国と韓国人に対する偏見を一気に打ち砕いた。ステレオタイプではなく、ありのままの人間や文化を知ろうという気持ちを芽生えさせた。しかし「いわれなき」憎悪や怒りを相手から向けられたとき、その憎悪と怒りを乗り越えて関係を築いていこうとする足腰を、「草の根の文化交流」は備えているだろうか。相手がなぜ怒るのかということに対する考察=歴史と政治へのコミットメント、がなければ、関係の悪化を「怒る相手」の問題に帰することになる。「いわれなき」憎悪と怒りに実は「いわれ」があるのだ、ということを知らなければ、こちらがせっかく好意を示しているのに憎悪と怒りで応える相手が悪いのだ、ということになる。日韓の友好や平和を願っている人は多くいると思う。その願いを心に保ち続け、実現していくために、私たちは「願う」以上のコミットメントをしていかなくてはならない。ヨン様だけではなくて全ての問題にたいしてそう思う。
2006.09.04
コメント(0)
yahooでのブログ仲間、宇宙人ぴっぴさんの転載です。イマジン=ジョンレノン 【音楽好きな方へ】 http://blogs.yahoo.co.jp/fwapy7777/41336599.html ここで聞けます。時間があればどうぞ。この曲が原因で合法的暗殺という不幸な結果になりました。1980年12月8日のことでした。ジョンレノンの遺志を継ぎたくて、二十数年前に自分で録音しちゃいました。 考え込む必要はありません。率直に隣人を愛する気持ちさえあれば、悲劇はなくなります。 だけどアメリカはキング牧師もジョンも殺しました…。 ☆words&music by John Lennon ☆translated by G_oldie9o9Imagine there’s no heaven (イメージしてごらん 天国なんかないんだって)It’s easy if you try (やってみれば簡単なこと)No hell bellow us (ボクたちの下には地獄などなく)Above us only sky (上には空があるばかり)Imagine all the people living for today … ahhh (イメージしてごらん みんな今日のために生きている)Imagine there’s no countries(イメージしてごらん 国なんてないんだって)It isn’t hard to do (それは難しいことじゃない)Noting to kill or die for (殺したり殺される理由はなく)And no religion to (宗教だって必要ないんだ)Imagine all the people living life in peace ( you…) (イメージしてごらん みんなが仕合せに生を生きているんだと)You may say I’m a dreamer (ボクを夢追い人だといっていい)But I’m not the only one※ (だけどボク一人だけじゃないんだ)I hope some day you’ll join us (キミたちもいつかは仲間になってくれたら)And the world will be as one (世界は一つになるだろう)Imagine no possessions(イメージしてごらん 支配や所有なんてないんだと)I wonder if you can (キミにうまくできるかな)No need for greed or hunger (貪欲さにも 飢えにも無縁なんだ)A brotherhood of man (人がみな愛に満ちた世界さ)Imagine all the people sharing all the world (イメージしてごらん みんなが世界を分かち合っているんだと)※ repeat( We must be building a new world ) (新しい世界を作りつつあるべきなんだ) ――――― ・――――― § ――――― ・――――― * 作曲・作詞/Johon Lennon編曲・G_oldie9o9 * ヴォーカル/g_oldie9o9 * 演奏・歌唱/g_oldie9o9 * 録音・ミックス・技術/g_oldie9o9&丼工房 * 録音スタジオ/studio Room 1106・ピアノはヤマハのグランドピアノでありますが下手ですね、あっし。・殆ど原曲に近いアレンジにしましたが、サビからのオーケストラと ベースが大きく違います。・歌はアパートの洋室で録音したのですが、やはりスタジオで録りたかったです。・若い頃の小野洋子は可愛いんですが、既に乳がたれていました。
2006.09.03
コメント(0)
意外と思われるでしょうが、私は故後藤田 正晴氏が好きです。自分は保守政治家だと言いつつ、時代に流されること無く日本の行く末を気にし、晩年はカミソリ後藤田=政権与党の立場ではなく、一市民として発した行動や言葉に傾倒してました。破防法の持つ危険性について、自らが知りえる”破防法の適応”の恐怖に警鐘を鳴らし、いたる所で反対し、イラク戦争における自衛隊派遣には「過去の戦争を知るものとして思想信条を超えて反対するのが普通の人間だ。」と歯に衣を着せぬ発言を繰り返し、「保守や革新と言う枠で政治を語るべきでない」とも言い「1993年、村山(自民、社会連立)内閣が出来た時は、「自衛隊について社会党と意見の違いはあるけど、自衛隊が武装して海外に出ていくことには反対しなければならない。その点は同じ考えです」と、はっきりした意思表示をしたからです。そして晩年は、著書や講演会で「自衛隊の海外派遣や集団自衛権の行使など、憲法が認めないことがなし崩しになることに危惧を抱いてる」小泉政権を批判し、小泉内閣に対しては「過度のポピュリズム(私も最初はわからなかった)が目立ち、危険だ」と批判した言葉を最後に人生の表舞台から去ってゆきました。今こそ、自民党に必要な大久保 彦左衛門だと思います。晩年は、数々の発言などに対する右派からの批判に対し、自分は保守的な政治家であると言い「自分が左派扱いされるのは、日本が右傾化し過ぎているのではないのか」と反発したと言われてます。私はカミソリ後藤田は保守政治家であると同時に、平和を愛する「憲法擁護」の人権政治家であったと思います。 (合掌)以下は、生前最後のインタビューの内容です。「ぼくはしょっちゅう言うんです。なにかが流れ出したときに、おいちょっと待てよという空気が生まれない。一瀉千里に流れてしまう。異議申し立てをすると、変わり者だとか、けしからんとなる。これはおかしいと思っても、反対だといわない。いまの日本の空気のなかにそれがある。非常に心配な傾向になってきたと思っている。日本の国民性の一番の欠点は付和雷同だ」「21世紀に入って世界は大きく変わりつつあるんですよ。しかもスピードが非常に速いんですが残念ながら日本は立ち後れてしまっている。世界の先行きをどう見るか。日本をどのような国につくっていくか。国のかたちの基本が定まっていない。だからいろんな混乱が起きている」 インタビューはちょうど衆院の解散・総選挙が決まった時をはさんだ時期でした。突然の総選挙について「日本の将来を分ける重要な選挙」と繰り返し指摘し、その選挙の争点をも含めて、日本の国のあり方や生き方から政治家の基本的な心構えまで、問題を正面から見据え、掘り下げ、論じることの大事さを繰り返し強調されたことが今改めて印象深く思い起こされます。 内外に直面する問題はともに、構造改革を必要としていることはもちろんではあるが、それが競争原理を大義名分として、「強者の論理一本槍」に陥っているのではないかとの警告も繰り返し発せられた点でした。「競争についていけない落ちこぼれの人をどう手当てするのか。格差が広がる社会への不満はうっかりすると爆発する危険性がある。弱者を切り捨てるような社会ではあってほしくない」「強大な軍事力や経済力を持っている国がしからざる国を思い通りについて来させようとし、自分の国の価値観を認めない国は排除するといった行き方は行き過ぎではないのか。互いに生き方を認め合い助け合っていく国際秩序をつくることが一番大事ではないか」 笑みを絶やさず語られた言葉は日本と世界の状況に対する厳しい危機意識に貫かれていたように思います。 そして、戦後日本が保ち続けた平和の大事さについても幾度も強調されました。「戦(いくさ)をすれば勝者も敗者もない。廃墟だけが残る。核兵器や生物兵器など大量破壊兵器を駆使するような争いは絶対やめなくてはいけない。話し合い、相互の共通点を発見して妥協する以外には解決の方法はないのではないか」と。 日本が目指すべき国のあり方として3つのキーワードを上げられました。「第一に平和の国 日本」「第二は自主の国 日本」「第三に共生の国 日本」。 それぞれの国々や民族が歴史なり文化なり伝統なりを持っている。それらを尊重し合い支え合って共に生きていくことが最も大事だ。戦前から戦後にかけての激動の歴史を見続けてきた後藤田さんは、ご自身の体験を踏まえて、今後の日本がそういう世界の実現に向けて少しずつでも前進するようリードしていってほしいという願いを込めておられたと、私たちは受け止めています。残された言葉をかみしめていきたい。かみしめていかなくてはいけないと思っています。インアタビュー@大和修:栗原猛後藤田五訓一、省益を忘れ、国益を想え二、悪い本当の事実を報告せよ三、勇気を以て意見具申せよ四、自分の仕事でないと言う勿れ五、決定が下ったら従い、命令は実行せよこの人の好感材料がある、今、我々が公務員に求める基本的な事柄です。法務大臣時代、死刑執行を再開して物議をかもしとのも事実です。警察官出身の氏にとして、五訓に書かれた=五=の信条が大きな要因と推測されます。以下、国会答弁 1993年3月29日 裁判官に重い役割を担わせているのに、行政側の法相が執行しないということでは国の秩序は保てるか。法秩序、国家の基本がゆらぐ。個人的な思想、信条、宗教観で判を押さないのなら大臣に就任したのが間違いであり、分からなかったのなら分かった段階で職を辞するのが当然だ。最後に、氏は小選挙区制導入推進論者の筆頭でした。その制度に最後まで反対していた小泉、その制度で自民党圧勝をもたらしたのは皮肉ですね。氏のぶれない信念、どこかの総理大臣の言葉遊びとの違いを垣間見れます。
2006.09.02
コメント(0)
野村進著 コリアン世界の旅、講談社 1995年(少し古い?)ブログで知り合った友人、 banquoさんのブログを勝手にコピーしてきました。私も10年ぶりに読んで見ます。「コリアン世界の旅」、済州島民が朝鮮半島「陸地」の人々からひどい差別を受けていたことをfwapyさんのブログコメントから思い出しました。今は済州島といえば、韓国ドラマにたびたび登場する賭博のできる観光名所です。何で知っていたのか気になっていたのですが、この「コリアン世界の旅」だったのです。焼肉「ホルモン」とパチンコは在日韓国・朝鮮人の「民族の産業」であることも知らされました。著者は彼らがこの日本の中でいかにして生活の糧を得てきたか、その苦難の道を冷静に見つめます。ずいぶんと前に読んだ本ですが、読み終わった後に、少し心が軽くなったように感じました。とにかく在日韓国・朝鮮人のありようを一端であっても正確に知ることができたからです。野村進はこの後、「アジア新しい物語」を書きます。読後はやはり、ほんの少しですが、東南アジアの方々に向けて心が軽くなりました。それでも韓国にも東南アジアにも観光に行くことはないと思っております。以下は、HPにあった書籍の感想です。著者は温かい目で、在日韓国・朝鮮人たちの現実を見ている。芸能界やスポーツ選手に少なからずいて活躍している在日の人たち。なんとなく聞いたことのある噂が、ここでは活字となっていた。彼らの悔しさや悲しさを、たんたんと代弁する著者には激情がない。逆に激情がないから、読む人を静かに説得すると思われる。 韓国から帰化した日本人であることを隠そうとしない「にしきのあきら」息子を背負いながら小畑実「勘太郎月夜唄」を歌う父、そのとき「にしきのあきら」は小畑実が帰化した同胞とは知らなかった。 (小畑実は「高原の駅よさようなら」が有名)しかし、芸能界では都はるみが韓国人の父親の存在をためらいがちに語ったり、松坂慶子の父が自ら韓国の出身であることを著書に記している以外は、依然としてタブー視されている。プロダクションも、所属タレントに帰化をなかば強制的に勧め、韓国人の父親が存命中にもかかわらず「幼いときに父は死にました」と言わせ、在日韓国・朝鮮人団体とのつき合いも断ち切らせてきた。力道山を日本人は「国民的英雄」とよんで喝采をおくっていたが韓国・朝鮮系の人々は「民族の英雄」とよんで溜飲を下げていた。大阪市立大学助教授で在日二世の朴一(バクイル)は講義の中で話す。「小学校で友達ができると、友達を家に呼ばなくてはいけない雰囲気になる。家族が揃ってでかける日があった。自分だけ仮病をつかって留守番をして、急に友達に電話して呼び、表札を外すは、朝鮮の座布団を隠すは、窓を開けてキムチの臭いを出すはした。そしたら、奥にハルモニがいた。おまけにチョゴリを着ていた。「このババア、殺したろか」と思った。二階の納戸に閉じこめた。やがて友達が来た。2時間くらい一緒に遊んでから友達が帰ったから、二回の納戸をあけたら、そこでハルモニが首を吊ろうとしていた。「おまえ、わし嫌いかぁ」と泣いた。若いときからどん底の差別をなめてきて、いまこんなふうに孫に監禁されていいもんやろかそのとき思った。ほんまに悪いことをしたなあと思った」この話をすると、涙を流す学生が多いという。「でも、それは日本人の学生なんです。在日の子は泣かんと堪えるんですよ。あとで聞いたら、涙が出そうになったけど泣いたら、在日であることがバレるから必死に我慢した、と」(みんなが泣いているから泣いてもわからないのに)韓越混血児のほとんどは、韓国軍兵士とベトナム人女性との間に生まれたものと思いこんでいたのであるが、ベトナム戦争中に技術者や労働者として南ベトナムに来ていた韓国人男性がベトナム人女性との間に子どもをもうけ、そのまま母子を置き去りにして帰国してしまった例が圧倒的に多いという。(日本が朝鮮戦争で経済復興したように、韓国もベトナム戦争で景気が良くなった)美空ひばりが「悲しい酒」で泣くのは、離婚した男を思って泣くのではなく、表に出てこなかった父親を思って泣くのだ。(新井英一の説)ホルモンは性ホルモンのことホルモンは内蔵から分泌されるから内蔵を食べると精力増強につながる。(この説明は説得力がある。私もこう思っていた)朝鮮高校のサッカー部を日本の公式戦に出場させるため、全国高校体育連盟(高体連)への加盟を、日本弁護士連合会の人権擁護委員会を通じて嘆願した。発案者は茨城朝鮮学校サッカー部監督伊台祚と東京朝鮮高校サッカー部監督李済華だった。その結果、二人は朝鮮総連中央から直接、罵倒と叱責を手ひどく浴びせられた。前もって総連中央には伝えてあったのに、それが上層部に届かなかったせいで、二人は組織に無断で人権擁護委員会と交渉したとみなされたらしい。ところが、二人の嘆願書が功を奏して、文部省と高体連が妥協案にむけて動きだし、日本のマスコミでも大きく取り上げられるようになると、総連は態度を一変させ、人権擁護委員会への働きかけを総連の組織的活動の成果と自画自賛し始めたのである。紆余曲折の結果、朝鮮学校は文部省の管轄下にないため加盟ではなく、準加盟で認められ、朝鮮高校のサッカー部の選手たちも、インターハイなどに出場できるようになった。その最大の功労者であったはずの二人は、そのときすでに朝鮮高校を追われるようにして退職していたのであった。(えてして、このてのことは権力者や政治組織に多い)パチンコ店の年間総売上は、1994年には約30兆5千億円に達した。トヨタ、ニッサン、ホンダ、三菱自動車などの主要自動車メーカーの売上総額の二倍近い。韓国の国内総生産(GDP)にほぼ匹敵する。在日の若者の感想「自分は何者なのか?」を考えるきっかけになりました。この作品は、大宅壮一ノンフィクション賞・講談社ノンフィクション賞をダブル受賞した作品です。タイトル通り、在日コリアン、在米コリアン、ベトナムのコリアン、済州島のコリアンなどと、世界に住むコリアンたちを取材しています。何よりもこの作者の素晴らしいところは、今まで見えなくされてきた「日本の中のコリアン」という世界を、深く深く追求していった姿勢だと思います。その追求していくときの視点も、すばらしいです。見下ろすのではなく、卑屈になるのではなく、問題視するのではなく、あくまでも対等に、客観的に、今まで見えなくされてきた世界を見ようとしました。この作品の最後に、現在袋小路になっている日本のコリアンとの関係を改善するには、どうすればいいかのヒントも書かれています。重い内容でしたが、その言葉があることによって、未来への明るい希望が示されています。今まで信じてきた世界が、違って見えてきます。ps…実は、大学の先生が書いた本でした。受賞作品としてでも、コリアンを知るためでもなく、授業の教材として、この本を読みました。とにかく野村先生は、面白い先生でした。「授業中にしゃべっても良いけど、後ろから出て行かないでね。傷付くから(笑)」…なんて、お茶目なことを言っている先生でした(^^;)その先生の授業は、ぜんぜん授業らしくなかったです。映画見たり、著作を読んだり、漫画読んだり(笑)してました。本当に授業中にみんなしゃべっていましたし(笑)でもある意味、ちゃんとした授業になっていたと思います。「GO」の映画を見て、細かいディティールの解説をしてくれたり、漫画の解説をしてくれたり、これから自分がどう生きるかを、初めて教えてくれた先生でした。現在その大学には通っていないのですが、いい先生にめぐり合えたと、信じています。
2006.09.01
コメント(2)
全29件 (29件中 1-29件目)
1
![]()
![]()
