2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全11件 (11件中 1-11件目)
1
今回のLyreコンサート観賞ツアーの行程です。 東京までの距離 着 発 家 8:30 (最寄り駅から大阪まで電車3本) 大 阪 556キロ 9:31 9:39京 都 514キロ 10:19 10:28米 原 446キロ 11:18 11:28大 垣 410キロ 11:58 12:03豊 橋 294キロ 13:24 13:26浜 松 257キロ 13:58 14:09静 岡 180キロ 15:19 15:31熱 海 105キロ 16:45 16:53大 船 47キロ 17:47 18:16 (駅前でラーメン)港南台 18:23 === この間、Lyreコンサート === 港南台 21:41大 船 47キロ 21:48 22:34 (駅前のマクドで腹ごしらえ および夜食買い込み)東 京 0キロ 23:18 23:40小田原 84キロ 01:01 01:06岡 崎 326キロ 05:24 05:49 (あまりの混雑に脱落 岡崎始発の始電へ)大 垣 410キロ 07:18 07:32米 原 446キロ 08:07 08:11大 阪 556キロ 09:29 (大阪から最寄り駅まで電車3本) 家 10:30交通費 青春18きっぷ2日分=4600円24時間で、1100キロ以上、走破してますね。数えたら電車を22本、そしてコンサート会場教会までのバス往復2本分を乗り継いでいます。朝に通天閣を望み、深夜に東京タワーを眺め、翌朝、再び通天閣を横目にするという貴重な体験でした。(鈍行列車で)誤算といえば、帰りの夜行電車が、ものすごい混雑だったこと。最悪、床に座って帰ることも想定し、準備はしていましたが、それ以上の混雑。わたしの近辺は、それでも人口密度が低く、腰をおろすことはできましたが、立ちんぼの人もかなりいました。座れても足が伸ばすスペースが無く、ずっと三角座り(体操座り)だったため、おしりが痛くなったのと、座ったのが、車掌室の横で、朝になると車掌さんが乗り込んできて、停車駅の左右のドアによって、車掌室を行き来するため、ひんぱんに立たなければならなくなり、岡崎で脱落したわけです。(次の電車で追っかければ、大阪着が15分しか遅くならないことは調査済)ちなみに、大阪に着いた日の午後は勤務でしたが、無事、仕事を完遂することができました。さすがに多少の疲れはありましたが、旅自体はまったく苦になりませんでした。やっぱり、こういうの好きなのかなぁ。楽しかったなぁ。
2002年08月31日
コメント(12)
Lyreが結成10周年記念と、Lyreメンバー2人が通う教会の新しい会堂の献堂記念を兼ねて、Lyreのコンサートがあり、はるばる横浜まで足を伸ばしてきました。http://www.sakaeshalom.org/lyre/info.htmlメンバーの1人は、沖縄からの予定でしたが、折からの台風で、沖縄発の飛行機は軒並み、欠航・欠航・欠航。しかし、そのメンバーの乗る飛行機だけが飛んだとのことで、あわや、6人のメンバー全員がそろわない、びっくりどきどきの事態だったそうです。全員が顔を合わせられたのは、2年ぶりだそうです。今や、全員が、日本全国に散らばっています。受付では、簡単な案内や、裏話なんかが載った手作りのパンフレット?を受け取り、真新しい会堂へ。コンサートは、♪わたしたちのこの口は汚れているけど からスタート。コンサートはよかったなぁ。歌とか、みんなそろったとかもよかったんだけど、その場が、神さまを賛美する場所となり、また自分にとっては、礼拝する場所となったような気もしました。自己紹介や、近況報告もなく、寂しい感じもしましたが、おそらくそれは、栄光をただ、神さまにのみ帰す彼らの方法だったのだと思います。(初めての人にとっては、誰が誰だか一致しなかっただろうけど)高校を出て、東京基督教大学(TCU)に入り、今や、牧師、牧師夫人、音楽伝道などと、宣教の第一線で活躍しているメンバーですが、「わたしたちは決して特別でありません、普通の人です。」と語っていました。ただ、主の用いられるままに従い、ただ、主の栄光だけが表されることを望む「透明な器」、そんな言葉が浮かんできました。それにしても、6人全員が、違う教団出身とは、初めて知りました。確かにそうだ。あっという間の1時間半。途中、まだCDになっていない歌も2曲ほど歌ってくれました。コンサートが終わると、メンバーが後ろの方に集まり、それぞれが、交わりの機会を持って下さいました。おかげで、今までお話したことなかったメンバーの方を含め、全員と会話し、しかもサインをいただける幸いに預かりました。夜行込み、普通電車(ドン行)での24時間東京往復も、さして苦にならず、いまだに、コンサートの余韻か、リラってます。
2002年08月30日
コメント(5)
いろいろあった旅行でしたが、浦潮斯徳自体は涼しく、また、きれいな街でした。シベリア鉄道や、手付かずの大自然もほんの少しだけ楽しみました。そんな旅先の写真のWEB ALBUMを作成中です。以下をクリック、クリック!http://www.imagestation.jp/jp/PC/OwnerAlbumsView?CATEGORY_ID=802&ALBUM_ID=1857799&HEAD_SW=1現在、「其の一」から「其の四」まで作成中。アルバムを選ぶと、サムネイルが出てきます。サムネイルをクリックすると、サービスサイズくらいの写真とそのコメント全文が見られます。さらに写真をクリックすると、大きな写真になります。
2002年08月20日
コメント(3)

あきたの のしろ というまちから、やまがた まで、でんしゃにのりました。 あきたえきには、「こまち」がとまっていました。 とちゅうから、やまがたまで「つばさ」にのりました。
2002年08月18日
コメント(2)
というわけで、ぼろぼろの旅でして、気持ち的に、表面では、反時計回りにしたらよかったとか、ロシア行かなきゃよかったとか、ちょっと後悔したり、へこんだりしてますが、一番、内側の部分で、落ち着きというか、これはこれでよかったってのがあるんです。まあ、ある意味、自分で試練に飛び込んで、何とか生還できたわけで。 これから、教会キャンプ。続いて、明日は、妻と自分の実家に向かいます。夜は長袖がいるくらい、涼しいって。大阪は暑い暑い。というわけで、また来週まで、アクセスできません。
2002年08月15日
コメント(3)
志半ば(以下)に、先ほど、帰国しました。結果からいうと、当初の旅程の4分の1以下での、涙の帰国です。24時間以内に抜ける予定で、10日に入国したロシアから出国できなくなってしまったのです。 以下、時系列で。 10日 ソウルからロシア、ウラジオストクに飛ぶ。 ところが、予定していたスピードボートが故障か何かで運休。鉄道に切り替える。 11日 鉄道の乗り継ぎもよくなく、一般交通機関の10倍程度支払って、タクシーで先を急ぐ。 250キロほど走破。 午後2時過ぎ、中国国境ふもとの村までたどりつくものの、日曜日のため、国境越えバス が動いていおらず、村で1泊。(240円) 12日 朝一のバスで、30分ほどで、国境へ。(1600円支払ったが) ところが、ビザの有効日付を過ぎてしまった=オーバーステイということで、出国できず。 手続きは、ウラジオストクに戻らなければできないとのこと。 しかも、11時頃に着いたのに、結論が出たのが、16時過ぎ。5時間も国境出入国管理 所で待たされて、戻れとは。とほほ。 2時間かけて、スラビヤンカという前日、タクシーを乗り継いだ小さな港町へ。 (きれいな静かな港町。いつか、ゆっくり滞在したいな。) ウラジオストク行きのフェリーは、翌朝までないとのことで、ここで1泊。(600円) 13日 朝5時に起きて、6時発のフェリーに乗船(160円)。9時にウラジオストク着。 教えられたビザの管理事務所に向かうが、業務開始は10時から。開いてからも30分 待たされる。ようやく、自分の番になり、やれやれと思いきや、まだまだ序の口。 まず、警察の「パスポート&ビザ管理課」の調書やら証明書が必要、経費は銀行振込のみ、 他に、パスポートコピー、期限切れビザコピー、ロシアまでのチケットと搭乗券コピー、 そして、なんと白黒写真が必要とのこと。(カラー写真持っていたが、だめ!だって) 必要なコピーを近所のコピー屋でとり、写真屋で写真を撮り、警察に行く。3人ほどの行 列。1人10分くらいかかって、ようやく、自分の番。ところが、そこに、ウラジオスト ク在住の日本人が、ご自身の業務のため、たまたま来ていて、いろいろ通訳してくれた。 (当地、最初の事務所の1人以外、英語ほとんどだめ。where?さえ通じない) (この辺で、12時過ぎるが、水以外、口にできず。) おかげで、30分ほどで、調書自体、ほとんど完成。ところが、その代金も銀行振込との こと。結局、最初のところと含めて、2カ所、銀行振込。これが、また大変。振込用紙の 項目がロシア語でちんぷんかんぷん、振込銀行名もロシア語で書かなくてはならないし、 しかも、長い行列。2回ほど、不備で、追い返されつつ、2時間近くかけて、振込成功。 最後の方は、銀行にお金をおろしに来ていた老夫婦が、ロシア語で銀行名を記入する部分 を手伝ってくれた。感謝感謝。振込は、調書作成代=2000円くらい、出国ビザ作成= 600円くらい。 その後、振込領収書を持って、警察に戻り、調書(証明書?)をもらって、現像済の白黒 写真を受け取り、朝の事務所へ。出国ビザを無事、手にできたのは、午後5時半過ぎ。 最後に大きな問題が。円とドルの現金をほとんど使い果たし、手元には、円のトラベラー ズチェックのみ。しかし、銀行4カ所で、円チェックが換金できないとのこと。そして、 この朝の事務所で、日本総領事館に連絡してくれて、結局、日本の家族から、その副領事 の個人口座に振り込みが確認された時点で、その分の現金を調達してもらえることに。 ホテルはクレジットカードの使用できるところへ。しかし、200ドル! 14日 朝一で妻に振り込んでもらい、確認取れたとのことで、領事館の使いの人が、ホテルまで、 お金を届けてくれた。昨日の電話で、妻の声を聞きつつ、帰国手段を考える。 中国までたどりつけば、帰国のチケットがあるので安上がりだが、国境越えが15日午前、 その後、中国側の移動もあるため、帰国は16日以降になってしまう。ホテルに入ってい る旅行代理店に聞いてみたら、韓国ソウル行きチケットが、240ドル+税5%とのこと で、ソウル行きを決意。 12時過ぎ、ホテル発。50分ほどで空港へ。14時30分ウラジオストクを離陸。 ようやくロシア出国だ。気持ちは、まさに「ダモイ」! 隣の東洋人の風貌の人物は、なんと、カザフスタン在住のコリアン4世。沿海州に住んで いた祖父母が子供の頃、スターリンによって強制移住させられたコリアンの子孫。アルマ ティというカザフスタン第一の都市で、通信ネットワークの構築の仕事をしていて、韓国 には出張で、今回で7、8回目の訪韓とのこと。英語も、朝鮮語も、ロシア語も達者な彼 は、朴ドミトゥリという、性は朝鮮風、名はロシア風の名前であった。名詞を交換。 1時間50分のフライトでソウル着。インチョン空港には、なんと「北」の飛行機が停ま っていた。昨日、ホテルで見たテレビニュースで、南北閣僚級会談が14日まで開催と言 っていたが、その代表団の飛行機かもしれない。韓国入国後、出発フライト表示板を見る と、ちゃんと平壌行き飛行機として、フライトナンバー、行き先、出発時間が表示!!! (やっぱり、この辺のネタには、どうしても敏感になってしまう) (時差が2時間あり、ソウルには、出発とほぼ同じ14時40分着) 入国後、金浦の街にもどり、キムチとチョコレート、焼き肉のたれを買い込む。 18時40分、JAL便でソウル発、20時過ぎ関空着、家には21時過ぎ到着。 今回の旅は、まったく旅とはいえないほど、ぼろぼろの体験でした。結論がわからないまま5時間以上待たされた出入国管理事務所。思い荷物を担ぎながら、ビザ事務所、コピー屋、写真屋、警察を歩き回った昨日。でも、その中で、警察官に宿に送ってもらったり、行く先々で、老夫婦や、業務の日本人、領事館への紹介など、ぎりぎりのところで、助けが与えられました。銀行振込も、ぎりぎりの時間で、それが1つそろわなかっただけで、当日のビザ発行はなりませんでした。また、お金も銀行振込終わった時点で、500円分のルーブル貨しか残っておらず、この金額が不足していただけでも、1日よけいにかかっていたでしょう。今さらながら、思い返しつつ、真っ青になりますが、あと1日遅くなっていれば、気持ち的にも、限界だったかもしれません。 表向き、今回の旅は大大大失敗でした。しかし、まさに委ねざる得ない状況に追い込まれながら、祈らされながら、待つこと、我慢すること、そして、すべてが確実に備えられていることなど、多くを学ばせられました。選択したこと、ほとんどが裏目に出てしまい、状況は、最悪へと、どんどん悪化していく中、もうだめだ、と何度も思いましたが、その都度その都度、不思議な最後の希望、大丈夫、必ず、必要は与えられるという思いが与えられ続けました。改めて、すべてが神さまの御手の中にあり、守られていたのだと、つくづく思います。 金額的にも、時間的にも、体力的にも、犠牲は大きかったですが、どうしようもない状況のそのもっと下に与えられる平安を感じさせられる旅となりました。
2002年08月14日
コメント(3)
今から国外脱出です。ちょっと過酷な、3カ国移動の旅に挑戦です。つきましては、1週間ほど、アクセスできない予定です。(ネットカフェないかな?あっても、日本語表示できるかな?)それでは、しばらく、ごきげんよう。 ざっくり旅行プラン 出国 飛行機 1時間半入国夜行バスか夜行列車 300キロ (車中泊)出国 国際フェリー 17時間 (船中泊)入国タクシーかバス 2~3時間 出国国境越え 徒歩?入国タクシーかバス 1時間バスかタクシー 3時間 (2泊くらい)汽車かバス 3時間バス 4時間汽車 3時間バス 4時間 (泊)バスで川沿いドライブ 8時間 (泊)汽車 10時間 (車中泊)出国 飛行機 3時間入国?出国? トランジット(飛行機乗り継ぎ)?飛行機 1時間半 帰国 ---------------------------------------------------- という予定だったが、空港に着いたら、妙な人だかり。うん???雰囲気を察するに、わたしの目的地の国の別の都市の天候が非常によくなく、全便欠航となったようだ。上の便案内表示板見ると、たしかに欠航だ。ということは………?その都市行きの人たちが、わたしの目的地行きの飛行機にどんどん振り返られ、それでも、あふれた人がいて、一番立場の弱い切符のわたしは、はみ出してしまった。ということで、自宅直行です。今日も、家でゆっくり休みまーす。 残念なのは、明日、脱出できたとして、国際フェリーはお昼過ぎに出てしまうので、乗り継げなくなったこと。ここは、飛行機で、船の17時間分、短縮だぁ。とにかく、明日は必ず、出国しないと。絶対出てやる。今日の祈り 神さま、わたしは、いつ、どこに行くのでしょうか。
2002年08月08日
コメント(8)
私は、「死に至る病」に冒されていました。しかし、ある方の、命をかけた一方的な申し出によって、命を得ることができました。 先日、ある国会議員の臓器移植が報道され、話題となりました。息子の国会議員が自分の臓器を提供し、無事、移植は成功したようです。当初、父親代議士は、息子の臓器をもらってまで、手術したくないと思っていたようですが、息子代議士が、移植の覚悟を決めてから、半年間、毎朝、トレーニングをして体力をつけたりした上で、説得、ようやく手術を決意したということでした。 臓器移植がなされるためには、 1、病んだ部分が発見された人 2、その人の、治る意思、移植される意思 3、提供する人の存在が前提となります。 そして、3番目の「提供者」の動機を察する時、提供する側の、相手に対する「死んでほしくない」「生きてほしい」「命得よ」という強烈な思いを感じ取ることができます。その叫びのような愛、願いが、危険を冒してでも、自らの体を傷つけてでも、そう決断させるのではないでしょうか。そして、それは、提供する側の一方的な、「相手にそれだけの価値がある」という評価に基づいていて、受ける側の自己評価「自分にそれだけの価値があるかないか」とは、まったく関係ないのです。(受ける価値がないと頑なに拒めば、移植されませんが、提供申し出者の動機とは無関係です。)そういう意味で「受ける人」は、ただ「提供する人」の評価と愛と好意を、一方的に受け取るだけです。 教会では、聖餐式(カトリックではミサ)という式が行われます。ダ・ビンチの絵でも有名なイエス・キリストが捕らえられ十字架につけられる直前の、弟子たちとの「最後の晩餐」を記念する式です。 主イエスは、渡される夜、パンを取り、 感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。 「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行ないなさい。」 夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。 これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。」 ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死 を告げ知らせるのです。 (第1コリント 11:24~26) 「これは、わたしのからだ」「これは、わたしの血」。聖餐式で、裂かれたパンと、ぶどう酒が体の中に入ってくるのを感じながら、ふと、臓器移植を思いました。この肉と血により、生かされたのだ! 「死に至る病」それは「罪」。この「死」は、単なる肉体の死、この世の死ではなく、「魂の死」であり「永遠の死」。 本来、裁きを受けるべき、滅ぶべき、罪人である私。しかし、そんな私が滅ぶのを耐えられないほどに私を愛してくださったイエス・キリストは、十字架上で、その全身全霊を献げ、提供し、私の身替わりとなって、罰を受けて死んで下さったことが、聖餐式を通して、臓器移植と重なって、迫ってきました。 「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある 永遠のいのちです。」 ローマ6:23 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、 ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 ヨハネ3:16 この世の命でさえ、臓器移植によって、命が助かることは、何と大きな感動を呼び起こすことでしょう。もし、自分が実際の病気で、移植によらなければ治らないとしたら。そして、提供してくれた人が命を落とし、逆に、自分が命を永らえたとしたら。ましてや、提供者が、最初から自らの死を覚悟してまで、自分に提供してくれていたとしたら、自分の生かされているその命が、自分が考えている以上に価値があるものと考えざるを得ないでしょう。そして、その価値を決めるのは、自分ではなく、提供してくれる側なのです。 Oh, you are so gracious to me. Oh, you are so gracious to me. I love you, yes, I love you. Because you first loved me. あなた(神さま)は、とても情け深く、恵み深い。 あなたを愛します。なぜなら、あなたが先に、私を愛して下さったから。 (ある英語のPraise songから) 私の罪の処理は、私を愛する方の一方的な強い「愛」と「動機」と「意思」と「計画」とによって、もたらされました。私には、それだけの値打ちはないと、考えてしまうこともありますが、実際に、イエスさまは自分のため、命を与えて下さいました。だから、私は、神さまの側の「一方的な愛」を、ただ感謝しつつ、涙ながらに、命がけで、パンとぶどう酒とともに、ただ、受け取るのです。 これは、わたしのからだ。これは、わたしの血による新しい契約。 アーメン
2002年08月04日
コメント(5)
主よ。感謝します。すべての必要が満たされていることを。感謝します。この家族が与えられていることを。妻やこどもたち、そして両親。 感謝します。この命が与えられたことを。感謝します。あなたが定められた時に、生を受け、この世の生涯を歩むことを。この時を、この場所を、感謝します。 主よ、感謝します。感謝できる心を与えてくださったことを。 主よ、たとえわたしが望む必要が満たされなくとも、感謝します。あなたが、あなたの必要で満たしてくださいますから。 主よ、どんな状況をも感謝します。それが、あなたが、わたしに与えてくださる「必要」なのですから。 主よ、とどこおりなく、あなたのみこころだけをなして下さい。 アーメン
2002年08月03日
コメント(6)
世の中、猛暑。にも関わらず、エアコンをつけずに、1週間経った。(=妻子が、実家に疎開して1週間)週中は、37度に迫る日も続いたが、窓を開ければ、それなりに涼しい。やってみれば、汗はちょっとかく程度で、難なく過ごせる。 夜も、扇風機はかけるが、学生時代のぼろアパートのように、「強」直射でも、汗ギトギトっていうほど暑くもない。体調も、けっこう悪くない。食欲も旺盛。 汗はそれなりにかいてるのだろう。朝晩、いっきにぬるい水をコップ3杯くらい飲んでしまう。(冷たいお茶やアイスは、なるべく避けている。) あと、数日すれば、帰省前のちょっとした自由時間。数日、羽根をのばす。ふふふ。
2002年08月02日
コメント(1)
いかんいかん。ちょっと怠けてたら、怠けぐせついた。別に、書くことがないわけでもなし。書けなくなったわけでもなし。ちょっと忙しかったけど。マイペースで、復活!
2002年08月01日
コメント(2)
全11件 (11件中 1-11件目)
1