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礼拝の後、午後に「静まりのセミナー」がもたれました。今日のテーマは「沈黙の賛美」。詩篇65篇に心の耳をすませます。 指揮者のために。ダビデの賛歌。歌 神よ。あなたの御前には静けさがあり、シオンには賛美があります。 あなたに誓いが果たされますように。 祈りを聞かれる方よ。みもとにすべての肉なる者が参ります。 咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。 幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。 私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。 (1~4節)2度の朗読と、しばしの思いめぐらしの後で、唄野先生が、簡単に背景を説明して下さいました。特に1節は、多種多様な解釈・翻訳がなされてきた箇所。 「御前には沈黙が、シオンには賛美があります。」 「沈黙の賛美」 などなど・・・「沈黙・静まり」と「賛美」は別ものか、両立できるのか・・・主の前における沈黙、静まり・・・罪赦された喜びの中で、静まりに導かれる世界。それから、隣の人と思わされたことを分かち合いながら、みことばの世界を掘り下げていきます。今日も、すばらしい、いろんな気づきがありました。● 赦しの「確信」と「確認」まず、「沈黙」し、見つめ合うだけの主とのうるわしい関係があることです。ことばはないのに、大きな満足の得られる世界です。そして、その前提としての「赦しの確認」と「赦しの確信」。 幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人 (4節)私たちの「赦し」の根拠は、私たちの側ではなく、ただ「赦そう」と決めて下さったあのお方の側にあるのです。そして、なぜかは分かりませんが、選ばれ、近寄せられ、大庭に住むようにさせられました。私たちが、こうすれば赦されると想像したり、勝手に決めたものを行うのでなく、あの方の招きに応じるだけなのです。 私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう (4節)罪が赦されたことはすばらしいことですが、それに加えて、主は、主の側で与えたいと願われている祝福に招いておられるのです!スティーブ・マクベイの恵み3部作の中にあったことです。借金を抱えていた人が、(理由は覚えていないですが)その借金を免除されました。その人は喜んでいましたが、実は、借金帳消しのみだけでなく、もう働かなくてもいいくらいの金額を受け取る権利がありながら、長年、それを知らずにあくせく働いて生活し、後で残念がったという話がありました。また、放蕩息子の話ともだぶってきます。弟が帰ってきた時、喜んだ父ですが、その喜びは、まだ半分でした。弟の「使用人の一人でいいですから置いて下さい。」とは、真摯かつ、その時点では必要な悔い改めでしたが、もし、そのままずっと子どもとしての立場に戻ることを拒み続けたならば、父は悲しんだに違いありません。その後の記事で、弟息子が、指輪をし、晴れ着を着て、宴会に参席していることは、弟が自分にその資格がないことを十分、自覚しながらも、使用人としてではなく、もう一度、息子となることを選んだことを示しています。父の側の喜びは、その時、完全に満たされたのです。2~3節で、「すべての肉なる者」「咎が圧倒」「そむきの罪」とある通り、作者は自分の罪・弱さをいやというほど、実際に自覚しています。それでいて作者は、「祈りを聞かれる方よ。」(1節)、「赦してくださいます。」(2節)と、神さまへと近づくのです。赦されたことを本当に知ることは、大胆に、神の子となったことを喜べること。「天国の片隅で結構ですぅ」と、もじもじした方が、日本人的にはしっくり来るのですが、「神の子としてくださったのなら、そうなります」と受け取ることこそ、神さまの側で切望しておられることなのです。その時、相続財産として、親の所有を子として自由に使える=聖なる宮のよいもので満ち足りるようにされる、のではないかと思うのです。● 御前にある「静けさ」・「沈黙」 = もはや裁かれることのない安心感・平安神さまの側でお望みになり、実際に提供してくださった「赦し」を考えていると、思いは、最初の1節の「御前の静けさ」に、もう一度、戻っていきました。御前とは、ある意味で、私たちの「神さま観」を反映させるところではないかと思うのです。裁きの神さま? それとも、本当に恵みの神さま?もし、神さまが提供してくださった「赦し」を受け取ったならば、もうすべては赦されているのです。十字架で、主ご自身が身代わりとなり、私が飲むべき杯を飲み干して下さったがゆえに、もはや裁かれることはないのです。「もうお前を裁くことはない! よく、私が提供する救いを信じ、受け取ってくれた!」イエスさまの十字架ゆえに、神さまの自分に対する「裁き」「責め」「罪定め」が、もはやない、そのことが「主の御前の静けさ」と表現されたように思えてくるのです。だから、シオンには賛美があるのだ、そんなふうに読めてきました。 神よ。あなたの御前には静けさがあり、シオンには賛美があります。また、印象深く忘れられない、大好きな聖書の箇所がひとつ増えました。 【 資料 】 今日のセミナー レジュメ
2006年01月29日
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今日の一日一章聖書日課はルカ19章。この章の冒頭で、エリコの町を舞台に、取税人ザアカイが悔い改める記事が載せられていました。エリコの町中が、イエスさまを一目見ようと沸き立っていました。取税人で金持ちザアカイも、イエスさま見たさに通りに出ますが、背が低いため、人壁に阻まれて見えません。嫌われ者であったため、自分を誘ってくれたり、場所を譲ってくれる人もいませんでした。ところがイエスさまは、いちじく桑の木に上っているザアカイに目を留め、語りかけられます。 「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」 (5節)ザアカイは急いで木から下りてきて、大喜びでイエスさまを自宅に招きます。これを見ていた町の人々は、いぶかりながら、つぶやいて言いました。 「あの方は罪人のところに行って客となられた。」 (7節)ところが、ザアカイは、財産の半分を貧しい人に献げ、これまでだまし取ってきたお金は4倍にして返すと言うまで、徹底的な悔い改めに導かれました。(これも、「恵み先行」ですね。)そんなザアカイの様子を、イエスさまは、こう表現されました。 「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」 (9~10節)そして、今日、思わされたのは、こんなことでした。 「きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」 「あの方は罪人のところに行って客となられた。」 「きょう、救いがこの家に来ました。」これらのことばが、ザアカイの心理的現実、言い換えれば、霊的現実をも現しているように思えてきたのです。すなわち・・・ 「きょうは、あなたの内に入ることにしてあるから。」 「あの方は、罪人の中に入って客となられた。」 「きょう、救いがこの内に来ました。」イエスさまは、ザアカイの「家」に入られ、救いをもたらわれただけでなく、ザアカイの「内」も入られ、本当の救いを与えられたのです。 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮です。 コリント人への手紙第一 6:19イエスさまを信じた時、同じことが、自分の内に始まっていたことを覚えます。不思議な選びによって、心の扉をたたいて下さった主を心に迎え入れ、救いがこの身にも及び、聖霊を宿す土の器とされました。人がどんな場所にいようと、どんな罪の中にあろうと、主は近づかれ、みわざをなし、霊の感動を与え、罪からの解放をお与えになることのできるお方なのです。なんと不思議で感謝なことでしょう。ただただ、この主の不思議なみわざと恵みと選びを感謝し、御名をほめたたえるだけです。 " I must stay at your house today." "He has gone to be the guest of a `sinner'." "Today salvation has come to this house"
2006年01月24日
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今日の教会の一日一章聖書日課である、礼拝メッセージの聖書箇所はルカ10章でした。礼拝の中で、この有名なルカ10章のよきサマリヤ人のたとえ話を思いめぐらしながら、強く深く思わされることがありました。それは、メッセージで語られたことでも、たとえ話に直接、表現されていることでもなかったのですが、妙に心の中に響いてきたことです。 ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で (30節) もっと費用がかかったら、私が帰りに払います (35節)この箇所が、使徒信条のこの箇所と結びついてきたのです。 十字架につけられ、死にて葬られ、陰府に下り、 三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇りエリコ。そこは、はるか北方より流れ来たるヨルダン川が、死海に注ぎ込む場所のすぐ近くに位置します。世界で海抜の最も低いところにある町といわれ、世界最古の都市跡があるともいわれています。また、イエスさまが誘惑にあわれた丘もあるともいわれています。ヨルダン川。イエスさまの道ぞなえをした荒野の預言者ヨハネが、悔い改めた人々に洗礼を授けた川。人の罪が洗い流され、その行き着く末が死海・・・ そんなイメージが浮かんできました。「死海」という名の表現とともに、その河口ほど近くにあるエリコが、罪・汚れ・滅び・裁きの最終地点「直前」の象徴に思えてきたのです。そして、旅人も祭司もエリコの道を下っていた・・・滅びへの道・・・?エルサレムからエリコに下る道で、と述べられているのは旅人(と祭司)だけで、隣人となったサマリア人が、どこから来てどこに向かっていたのか、実は書かれていません。しかし、使徒信条に要約されているように、イエスさまは、罪に対する勝利を宣言するために陰府(よみ)に下られ、そして復活されました。だからサマリア人もエリコへの道を下っていた、そして用を済ませ、戻ってくるというように読み取れたのです。栄光のエルサレムから、陰府への道を下られ、そして昇られたイエスさま。その十字架から復活までに至るイエスさまのお姿に、このサマリヤ人の姿がだぶってくるのです。イエスさまは、この「よきサマリア人」のたとえ話の中に、その後、ご自身の身に起こるであろうこと、そして歩もうとしておられる十字架の道を、こっそりと現されていたように思えてくるのです。 もっと費用がかかったら、私が帰りに払います 代価は、いくらかかったとしても私が負担するよ。あなたの罪の代価がどんなに大きかったとしても、わたしの十字架の死とそこで流す血によって、赦し尽くし、きよめ尽くし、癒し尽くす。そんなイエスさまの宣言が聞こえてくる「よきサマリア人」のたとえ話でした。
2006年01月15日
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今日の一日一章聖書日課はルカ5章。1~11節では、イエスさまが、シモン・ペテロたち漁師たちに大漁の奇跡を体験させたことが記されています。今日は、じっくりみことばを味わう中で、「恵み先行」というイメージが浮かんできました。まず、1~2節で、群衆と漁師たちの、イエスさまに対する期待の大きさの違いが対比されます。押し寄せる群衆・・・そのかたわらで、船を下りて、商売道具の網を黙々と洗う漁師たち・・・漁師の中には、直前の箇所で、しゅうとめの病気を直してもらったシモンがいました。ところが、何か、冷めた雰囲気が漂っています。奇跡を目の当たりにして感激したものの、その後、何か期待はずれだったものがあったのでしょうか。ただ単に昨晩の不漁にがっかりしながら、疲れの中、その始末をしていたのでしょうか。そんなしらけている漁師たちに、いえシモンに、イエスさまは近づかれ、声をかけられます。まずは船を出してほしい。そのシモン船の上から、押し迫る群衆に教えられました。(3節)続いて、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」とシモンに言われます。(4節)しぶしぶでしたが、網をおろしてみると、網が破れんばかりの大漁!(5~7節)シモンは「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」と言って主の前にひれ伏します。(8節)イエスさまは「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」と語られ、弟子たちは、すべてを捨ててイエスさまに従いました。(10~12節)ちょっとすねたようにイエスさまに距離を置いていたシモンたちでしたが、イエスさまは、ちゃんと心を留め、ふさわしい方法で近づかれ、取り扱われました。そして、人をとる漁師としての召命を与えられたのです。 もしかしたら、そのために、わざわざシモンたち漁師に聞こえる場所で、群衆たちに語られていたのかもしれません。シモンの内には、ただ大漁という恵みの奇跡を見たことによって罪深さが引き起こされました。それは、特別な罪の指摘・非難など全くなく、引き起こされたものでした。恐れている弟子たちの心を察し、こわがらなくともよいと語られ、弟子たちの「恐れ」を、必要で正しい、神さまへの「畏れ」に変えてくださったのです。人の考える信仰の成長は、このようなものではないでしょうか。 教えられ(学んで) 悔い改め・よき行いを勧められ・求められ それに応じた行動をして 赦されたり、祝福されたり・・・でも、イエスさまのアプローチはちょっと違うように思うのです。 先に近づき 相手の状況・必要に応じて触れ 不思議な問答の中、相手の内側に変化が起こると同時に 恵み・祝福・みわざを体験させ 畏れと感謝に導く・・・人の考える祝福は、人が先に何か行動したりして得られるようにしか考えられませんが、神さまは、たとえ、ふてくされているような者であっても、先に恵み・祝福を経験させて、そのよくない部分を自覚させ、みもとに近く引き寄せて下さる・・・ 福音書は、そんな人々の記事であふれているんですよね。ただ、神さまの側のアプローチに、もっともっと、身をお委ねしていきたいと思います。
2006年01月10日
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今日は新年恒例の、唄野家新年家庭集会でした。今年も、昨年に引き続き、唄野先生ご夫妻が講師役を務めてくださいました。 午前中の前半は、昨年のご夫妻のヨーロッパ旅行での得られたことをお話下さいました。スイスの美しい自然と、そこでの交わり。イギリスでは、伝道者・宣教師を多数輩出した、ケンブリッジでのさまざまな大学におけるクリスチャン学生運動のルーツを訪ねることができたことなど。続いて後半は、中年夫婦の危機について。神さまとの和解は、自分自身との和解につながること。それが夫婦関係にも影響。男性と女性の違いの一つは、女性は比較的、自分の弱さを表現することが容易であるが、男性はそれを表現する言語を持っていないこと。中年夫婦が、結婚生活を振り返り、和解を進めるための5つの質問。 1 結婚生活の中でよかったこと 2 結婚生活の中で難しかったこと 3 結婚生活に何を一番願っているか 4 自分に何ができるか 5 その中から、一つ選んで実践するとすれば何か唄野先生ご夫妻が、最近の課題、使命として思わされていることは、日本人男性に対する働きかけ。夫の側の心の理解が、現状ではまだまだ足りないように感じられる。次に、各自が、神さまを身近に感じた経験を思い出し、以降の人生の旅路、たましいの旅路を思い起こすエクササイズ。この3年あまりの経験が頭を駆けめぐります。思いつくまま、紙にメモしていきます。 神さまを身近に感じた時・・・完全な絶望、完全な失望の時 救いは、上にも横にもなかった 沈んで沈んで、底にたどり着いた時に広がった安息の世界 ゆえに、完全な沈黙・・・ 主の前に待ち、待ち望むことが、自然な行為 現実的・具体的に、その意味が分かり始めた感じ 泥水が、静止の中で泥が沈でんするのを待つ感じ ある問題は、思い通りに解決され、 ある問題は、そのままにされ、 ある問題は、祈れどもさらに悪化・・・ しかし、主の臨在に触れられ、平安がある時、すべての支配が主にあることにうなずける 試練の強さ・問題の大きさは、それらを「自分でコントロールしたいという」支配権の強さ・大きさ 支配権が、自分から主に移る(移される)過程の痛み書き留めた後、夫婦で、自分が書いたメモを読みあいます。新たな発見、共通の感覚・認識・・・、なかなかスリリング(?!)な時間でした。午前の部が終わると、お昼ご飯。新年家庭集会には、参加者の子どもたちもたくさん来ています。 集会中は、礼拝堂で、お子さまがたの中でも年齢の上のお兄さん、お姉さんたちが、あらかじめいろんな遊びの準備をして、お世話をしてくれました。お昼ご飯の時は、みんなでいっしょに食べます。 午後は、午前中に夫婦で分かち合った内容、また、そこから気づかされたことなどを(差し支えない程度に)分かち合い。不思議と、いろんな弱さや悩みが、自然な形で表現され始めました。弱さをそのまま出せるような雰囲気の中、以降、次々と本音や核心のような分かち合いが相次ぎました。本音や弱さと言っても、単なる愚痴などではない、でも自然体の、不思議と深みのある分かち合いの時でした。今回で、何度目になるでしょう。時に外部からの先生をお招きして、時に唄野先生ご夫妻が担当され、続けられてきた集会。いろんな刺激や、必要なことを教えてもらったように思います。夕方、名残りを惜しみながら、ひと家族、またひと家族と、教会を去り、家路についていきました。
2006年01月09日
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礼拝と正田先生の集会の後、信仰の恩師M宣教師にお会いするため、宝塚に行ってきました。昨年のオンギジャンイ・コンサートの会場で、期せずして消息を知ることができました。そのコンサートの頃、M宣教師ご家族は、アメリカに一時帰国されており、お会いできませんでした。その後も何度か電話してみたのですが、先日、ようやくご連絡がとれ、お時間をとっていただけるということで、お伺いしました。地下鉄で梅田に出て、阪急電車で宝塚に向かいます。30分270円の行程。 教会は、駅から徒歩数分のところにありました。教会に着くころには、だいぶ暗くなっていました。M先生は、自分が中学の時に、開拓伝道が開始された山形の教会を牧会されていた宣教師の先生です。幼児洗礼だったので、信仰告白は洗礼ではなく、堅信礼を受けるのですが、その堅信礼まで導いてくださり、授けて下さったのがM先生なのです。高校を出て山形を離れるまでの数年間、指導していただき、お世話になった先生です。教会では、教会総会に向けての役員会がまだ終わっていないということで、M先生の奥さまが出迎えてくださいました。奥さまとは20年近くぶりの再会でしょうか。全然、お変わりありません。M先生とは、91年か92年のジェリコ・ジャパンの東京での集会でお会いして以来、15年ぶりくらいの再会です。伝道生活25年を超えておられるM宣教師ご夫妻です。まずは、父が召されたことなど、お互いの家族の消息を分かち合いましたS。M先生には、お子さまが3人。長女・次女・長男、しかも学年で2つずつ離れているという構成は、なんとぽん家と全くいっしょ!長女のルツちゃんはノルウェーで昨年結婚、今、一時的に来日中なのですが、今日はお出かけ。次女のナオミちゃんは、アメリカの大学在学中に出会った男性と昨年結婚、間もなく二人で中国に語学留学に行くべく準備中。いずれはご夫婦で中国宣教に携わりたいとの希望を持っています。今回は、新婚のナオミちゃんご夫妻とだけお会いできました。高校当時生まれたばかりの赤ちゃんだったポールくんも立派な青年となっているようですが、今日は外出中。お互いの消息から、だんだん、いろんな思い出話になっていきました。途中、役員会の合間をぬって、M先生も顔を出してくださいました。山形当時の写真を見ながら、思い出話に花が咲きます。古い写真には、両親の姿や、中学や高校時代の初々しい自分の姿もあちらこちらに写っていました。M先生も役員会を終え、応対してくださり、ご夫妻とともに会話がはずみます。山形で開拓伝道を始めた頃の記憶が、M先生ご夫妻の中で、次第によみがえってきたようでした。M先生は、神学校を出て、宣教師として日本に送り出され、山形が最初の教会だったのではないかと思います。ご自身の活動初期の、しかも開拓伝道だった山形の教会は、思い出深いものがあるのでしょう。M先生の奥さまは、両親の生き様に対し、涙を流しながら「戦後の混乱期に、日本に福音が根づき、教会が形成されるための中継ぎだった」と語られました。奥さまご自身、ノルウェーから日本に遣わされた宣教師家庭に生まれ、神戸で育ちました。ですから、日本での宣教、また教会が定着するための喜びも苦しみもご存じで、日本を愛してやまないのでしょう。そしていくつかの教会の基礎を築く重要な時期に、その役割の一端を担った両親に対し、ある種の感慨を持たれたように思えました。父を天に送り、一人暮らしをしている母の話題になった時には、先生の奥さまは、すぅ~っと、「祈りましょう」と言って祈ってくださいました。ものすごく自然な流れでした。深い何かを感じさせられる不思議な瞬間でした。そして、母とは、牧会者の妻として数年間接してくださったこともあって、母の性格などをよくご存じの上で、深い憐れみをもって祈ってくださったのです。たった2時間か、3時間の再会でしたが、心温まる時間でした。また、自分の信仰のルーツの一部分を、思い起こす機会ともされました。中学・高校当時の自分は、教会から離れることはなかったものの、実のところ、神さまの愛や、神さまとの交わりなど、ほとんど分かっていませんでした。でも、今、こうして深い分かち合いをできることを、本当に喜んでくださるM先生ご夫妻でした。思えば、M先生ご家族が山形で私たち家族で接してくださっていた時期は、ちょうど今の自分たちのような、子育て真っ最中の時期でした。M先生が牧会してくださっていた年代に自分がなっていたのです。ああ、こんな世代に、開拓伝道と牧会をしておられたのだなと深く思わされました。そして、当時の自分の年代(よりちょっと上)に、今、M先生のお子さんたちがなっているのです。いわば、半世代ずれているという感じでしょうか。そんな不思議さも感じさせられる今日のM宣教師ご家族との再会&お交わりでした。
2006年01月08日
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今日は、学座・とうごまの葉の下代表をしておられる正田眞次先生がいらっしゃり、教会学校では絵本の読み聞かせを、礼拝ではメッセージを、午後の集会では具体的に平和を作り出すものとしての歩みについてのお話をしてくださいました。教会学校での読み聞かせのようす礼拝メッセージはルカ10:25~37から「あなたが隣人になる」。ルカ書は、他の福音書とはちょっと違うユニークな書 使徒の働きとともにテオピロ閣下宛にまとめられた文書ルカだけが記した記事: 放蕩息子、よきサマリア人、大金持ちとラザロ、不正な裁判官とやもめ、十字架上の強盗とのやり取り・・・さてルカ10章は、70人の弟子たちが、宣教に遣わされた場面から始まり、戻ってきた弟子たちの喜びと興奮に満ちた報告が続きます。しかし、イエスさまは、奇跡やわざではなく、いのちの書に名が書かれていることをこそ喜べと言われます。続く21節では、そのことが幼子たちに現された、と述べられます。幼子の特徴は、素直であること、絶対に守られること。しかし、今の世の中、守ってもらいない子どもたちが増えていることだろうか。また、幼子は自己中心。弟子たちこそ、いつも一番弟子を争うような自己中心性。 いわば、弟子たちこそ幼子。守ってあげなければならない弱い存在。しかし、そのことゆえにイエスさまは御名を崇める。続いて、最も大切な律法として、神を愛すること、そして隣人を愛することが述べられ、隣人を提示する「よきサマリア人」のたとえ話。ユダヤ人に差別され、毛嫌いされていたサマリヤ人。嫌われることを承知で半殺しにあった旅人に近づいて行った。イエスに自分を認めてもらおうとした律法学者に対して、イエスさまは「あなたも行って同じように憐れみをかけてあげなさい。」と言われた。出て行って、憐れみをかける。隣人になるために、出て行く。出て行って、誰かに憐れみをかける。その時、あなたはその人を愛する隣人になる。とても大切なことを、しっかり教えられるメッセージでした。午後の時間は、キリスト者として平和に関わることについて。クリスチャン作家であった三浦綾子さんの文学作品は、キリスト教信仰という縦糸に、平和という横糸が編み込まれている。戦争中、教壇に立ち生徒たちを教えながら、終戦による価値観の大転換。 最後の作品「銃声」では、戦争や戦時中の強制連行がテーマだった。 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。 剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。今、憲法が変えられ、戦争ができる国に変わっていく動き。戦争とは、実際に人と人が殺し合うこと。軍隊では、実際に殺すことへのためらいを消すトレーニングから始めらていること。平和をつくり出すことは、主ご自身がお命じになったこと。今、教会として具体的に平和を作り出す具体的な活動をする必要。 深い話です。 結論は出ません。若かりし頃の自分であれば、無批判にすべてを受け入れ、クリスチャン的平和運動を学び、支援し、もろ手を挙げて運動に参加していたかもしれません。 でも、それは、自分で判断して決める自立的な行動ではなかったでしょう。あれれ、何、言おうとしているんだろ。う~ん、何か、一つブレーキみたいに感じていることを、むりやり表現すれば、自分が、「キリスト<平和(運動)」 になってしまわないか、っていうような思い。 知らない間にイエスさまを追い越してしまうこともある(あった)から。年取ったのかな。ちょっと、ずるくなってるのかな。それは、どうか分からないけれど、内側には、午前のメッセージの「隣人を愛しなさい」がループしています。今は、ただ隣にいる人に関わりなさい、そんな静かな声が・・・。結論は出ません。ただ、平和をつくり出す働きが必要なことは、はっきり教えていただきました。主がおっしゃる平和をつくり出すことと、実際の平和運動を、どう認識し、結びつけていくかが課題です。祈りながら、じっくりと、どのように関わっていったらいいか、主と共に探り続けていきたいと思います。
2006年01月08日
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癌で闘病中の教会員K兄のお母さまが、大晦日の朝、緊急入院されました。K兄はキリスト教系NGOスタッフとしてウズベキスタンで活躍中の青年。昨年夏のお母さまの股関節手術の際、一時帰国した後、いったんウズベキスタンに戻りましたが、秋口にまた日本に戻ってきて、お母さまの看病を続けています。お母さまは一昨年夏に癌の手術をなされ、抗ガン剤投与は続けるものの、術後数ヶ月後からは、経過も良好ということで、精密検査は半年ぐらいのサイクルでよいということで一安心していました。ところが、昨年に入ってから足のつけ根の違和感をお感じになり、夏には人工股関節の手術をしたのですが、その準備の検査の過程で、癌の再発が確認されました。そして、闘病生活の中、イエスさまを信じ、11月には洗礼を受けられました。かつては、息子であるKくんが、キリスト教を信じ洗礼を受けるということには大反対され、牧師先生のところにまでやって来られたそうです。そのお母さまが、Kくんの証を通して素直にイエスさまを救い主として受け入れてクリスチャンとなられなした。病状は進行する中におかれても、Kくんも「自分が同じ状況だったらそんなに落ち着いていられるか分からない」というほど、「イエスさまからの平安」をいただいておられます。昨日の元旦には、意識のある時間がほとんどないほど緊迫していたそうですが、今日の夕方に病院にお伺いすると、酸素マスクをつけておられましたが、意識はしっかりしておられ、少しの間でしたが、お話することができました。また、お持ちしたKくんのウズベキスタン派遣時の写真を喜んで受け取ってくださり、じっくりとご覧になっておられました。薬の影響でしょうか、舌がまわりにくくなっていましたが、今回の病状の悪化と見えるできごとは、もしかしたら、その数日前に熱を出したKくんが、もしかしたら、自分のかぜがうつしてしまったのでは、実は単なるかぜだったのではないかという話題になったのですが、ベッドで会話を聞いておられたお母さまは「●●●(K兄の下の名前)がうつした」と横から冗談を言われ、一同大爆笑する場面もありました。途中から、ごはんを買いに行っておられたお父さまも戻ってこられ、本当にむつまじいご夫婦のご関係を垣間見させていただきました。 お父さま 「神さん、ついとるもんな。大丈夫よな。」 お母さま 「当たり前よ。」 (静かに落ち着いて)神さまに、信頼しきり、完全な平安をいただいているご様子を拝見させていただき、神さまのすばらしさをほめたたえる、また、大いに励まされまるお見舞いでした。Kくんが、ずっと病室に寝泊まりして看病しています。Kくんとお父さまの疲れが取り去られますように。蒔かれているところの証とみことばが用いられ、お父さまが信仰へと導かれますように。見えるところ、見えないところにおけるすべてのものごとを通して、御名の栄光が現され、ほめたたえられますように。 主が一人一人にお与えになり、この世における旅路としてお与えになった命とその時間・・・。いろいろと深く思わされます。
2006年01月02日
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