『福島の歴史物語」

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2007.10.20
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 大槻町の瀬戸地内にこの池がある。鎌倉は伊豆半島ではないが、鎌倉幕府の、つまり源頼朝の本拠地であった。そう考えれば鎌倉池も、伊豆(伊東氏)関連の名と考えてもいいのかも知れない。

  11 春日
 春日という地名は、大槻町春日、三穂田町富岡字春日、三穂田町富岡字春日舘、三穂田町字春日原などという形で残されている。この春日という地名は、伊豆にはないようであるが、春日神社が伊豆の工藤氏の守り神であったということから、これも伊豆(伊東氏)関連の名と考えても、いいのかも知れない。
 この春日神社は大槻町春日の春日神社、宇名己呂和気神社、湖南町中野字二番猿畑の春日神社にも祀られている。

  12 工藤台
 三穂田町野田に工藤台がある。工藤は伊東氏の元の姓であることから、これも伊豆(伊東氏)関連の地名と考えてもよいのではあるまいか。

  13 御霊の宮
 御霊(ごりょう・みたま)とは霊魂を畏敬した表現で、政権争いなどから非運にして命を絶たれた皇族・豪族の霊魂や怨霊が個人や社会に祟ると考え、それらを御霊神として祀ることによって災厄を避けようとした。これが御霊信仰の始まりと考えられているが、鎌倉時代以降、武士が活躍する時代になると非運な最期を遂げた武将たちも御霊神として祀られるようになった。大町二丁目の阿邪訶根神社(通称・うぶすなさま)には、平忠通が、また富久山町福原字福原の豊景神社、多田野町字宮南の多田野本神社には、鎌倉権五郎景政とその一族が祀られ、『御霊の宮』と呼ばれていたという。阿邪訶根神社に祀られた平忠通は、平将門の娘を嫁に貰った平忠常の弟である。若いとき源頼光配下の四天王、渡辺綱、坂田金時(またの名、足柄山の金太郎)、卜部季武の一人であった。大江山の酒呑童子を退治したとして名高い。

  14 鎌倉権五郎景政
 豊景神社、多田野本神社に祀られた鎌倉権五郎景政もまた、前九年・後三年の役に出征した武者である。鎌倉権五郎景政の武勇を伝える逸話として、次のようなものがある。
 後三年の役において、敵兵の放った矢が権五郎の右眼(左眼という説もあり)に深々と突き刺さった。権五郎は刺さった矢を抜くことなく、彼を射た敵兵をいころ射殺した。そのまま陣中に帰って来た権五郎は仰向けに倒れこみ、朋輩(部下という説もあり)の三浦為次に矢を抜くよう頼んだ。あまりに深く突き刺さっているため困った為次は、権五郎の顔に足をかけて矢を抜こうとしたところ、突然権五郎は仰向けのまま抜刀し、為次を刺そうとした。驚いて飛びすさった為次は怒り心頭、理由を尋ねたところ、「弓矢で死するは武者の望むところ、生きたまま顔に土足をかけられるは我慢がならぬ。されば、いま汝を仇として討ち我も死なんとした」と言ったため為次は舌を巻き、かがめた膝で顔をおさえて矢を抜いたという。
 郡山の地名(安積名称考)によると、『多々野村城主鎌倉権五郎阿倍貞任征伐ノ後、是ノ多々野ノ地ヲ権五郎ニ賜ハル。(中略)又大槻ノ北ニ蝦夷原ト云フ處アリ、永承康平(一〇四六~一〇六五)ノ頃モ尚此地ニ蝦夷人ノ長タル者住居セン處ナリ。故ニ蝦夷原ト云』とある。権五郎は寛治三(一〇八九)年に死去したとされるが、奥州での戦いの功により石川郡鎌田の城主となり、六十八才で没したという伝えもある。これらのことから鎌倉権五郎景政もまた伊豆関連の神と考えてもいいと思われる。
 いずれにしても、現在、鎌倉市坂ノ下に御霊神社、(別名・権五郎神社)がある。これらに関連するものとして、郡山に伝わる御霊櫃峠伝説を左に紹介する。

  前九年の役において八幡太郎義家が東征した際、総奉行の
  鎌倉権五郎景政が、里人の願いにより当地方の賊徒を征伐
  した。その後賊の亡霊が祟って冷害凶作にあい農民を苦し
  めた。そこで里人が計らって亡霊を峠の『櫃石(ひつい
  し)』に供養したところ、郷土が五穀豊穣となったためこ
  の御石を御霊櫃と崇めた。その後この峠を御霊櫃峠と呼ぶ
  ようになった。          (御霊櫃峠伝説)






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最終更新日  2007.11.15 17:24:18
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