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表紙。福島県内の書店で販売中。
我ら同胞のために ~ 日系二世アメリカ兵(梗概)
一九四一年十二月七日、太平洋戦争の幕開けとなった日本軍による真珠湾奇襲の際、隣接するヒッカム飛行場でその敵機を迎え撃っていたアメリカ兵は二世という名の日本人部隊であった。
「リメンバー・パールハーバー」。日本への宣戦布告に際し、ルーズベルト大統領の使用したこのプロパガンダは、その後設立された二世による第100大隊隊旗にシンボルとして使われた。彼らによると、リメンバーは「記憶」という意味であるが、「復讐」という意味も含まれているという。
やがてハワイの二世たちで編成されたアメリカ陸軍第100歩兵大隊、そしてアメリカ全土から志願してきた二世たちによる第442歩兵連隊がイタリア、フランス戦線で三一四%(三一,四%の間違いではない)の損害を受ける激戦に投入された。そしてこの戦争の末期、第442歩兵連隊隷下の第522野砲大隊はドイツに転戦、ナチのダッハウ強制収容所を解放するのであるが、その事実はアメリカ軍上層部によって、封印されてしまったのである。
その戦う二世兵たちが死に直面したとき、共通の単語を口にしている。それは「お母さん」という呼びかけであった。しかもそれは、英語ではなく日本語であった。彼らの血は、紛れもなく母国・日本のものであった。
これらの部隊の他にも、太平洋戦線で日本軍と直接対峙した日系二世の情報兵たちがいた。彼らが日本軍捕虜の尋問などによって得た情報によるアメリカ軍の勝利は、日本人の父母から血を受けた彼等自身のジレンマとなり、自らの存在意義を問うことになった。この深い心の傷、そして日米双方から疎まれるというさらなる現実の中で、『敵国日本人』のレッテルを貼られ、人質同然にアメリカの強制収容所に囚われた親兄弟そして妻子を残しての戦いであった。実際、その強制収容所内で、息子を情報兵として兵役に出している一世の親に対して「スパイを送り出した」と誹謗する人たちもいたという。しかし彼らは、アメリカ本土に強制収容された同胞たちを助け出し、それを許した人種差別意識と戦うために命を捧げたのである。そしてその効果は、トルーマン大統領の第442連隊への表彰演説で具体化した。あの戦争による犠牲者は、アメリカやブラジルに移住した日本人にも及んでいたのである。 はからずも父母の国・日本に対して、祖国・アメリカのために戦わざるを得なかった二世兵士たち。日本では知られることの少なかったこれら兵士たちの哀歓と心の葛藤を、荒井村(福島市)や保原町(伊達市)などの福島県出身者たちを中心に描いたものである。
この作品は、ホノルルの第100大隊資料館、この大隊創立時からの退役兵たち、そしてそのうちの一人、荒井村(福島市荒井)出身のロバート・サトウ氏によって作られた短歌に負うところが多い。
なお私は、福島県の歴史上忘れられた事件や人物を掘り起こすことをテーマとして書いてきた。たしかに「マウナケアの雪」はハワイに題材を取ったものであるが、主人公が三春町出身の勝沼富造であったからその範疇に入るものと思う。しかしこの「我ら同胞のために」は、ハワイ・アメリカからヨーロッパにわたる話である。ただこの二世兵士の多くに福島県人が含まれていたことから、福島県の歴史の一端と位置づけ、まとめたものである。
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