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十一月三日、第133連隊が、ヴォルトゥルノ川沿いでドイツ軍への攻撃を開始し、その夜のうちに、ヴォルトゥルノ川とサーヴァ川の接点に到達した。第100大隊は他の大隊の攻撃開始時刻に合わせて、深夜に冷たい水に腰まで浸かりながら渡河を開始するや否や後方から川面に烈しい砲弾が降り注ぎ、兵士たちを愕かせた。なんとこれは、味方の支援砲火の誤射であった。この味方の砲弾をかいくぐって対岸に上陸しオリーブの林の地帯を進撃すると、今度は暗闇の中で兵士が地雷を踏み、一度に大勢の兵士が死傷することが続発した。
さっと過ぐ流星もあり午前二時なほも続くる歩哨の任務
(ロバート・サトウ)
十一月四日、ヴォルトゥルノ川を渡った第133連隊は、その北にあったポッツィッリを一斉に攻撃して占領、その東にある550,590,600,610などの高地を包囲した。このとき第133連隊は、戦死者八名、負傷者四十二名の損害を受けた。それでも第100大隊は、補充の望みの無いまま、第34師団の尖兵大隊としてヴォルトゥルノ川周辺で戦っていた。
十一月五日、異様な夜であった。風が強く吹き続け、低くたれた雲が走るように流れて月が出たかと思うとすぐ雲に隠れたりしていた。第34師団は590高地を確保した。ロバートがこの戦いで敵と遭遇したのは、この600高地であった。イタリアには、高地と名のつく所が随所に見られたが、中でも600高地は希に見る大激戦地であった。逃げる敵を追ってそこまで兵を進めたが、敵はそれを予期してか強力な砲陣を山の中腹に築き上げていた。首脳部はそれを探知することができなかったのであろうか。敵の砲撃は、実に悲惨を極めた。
あちこちから千切れるような声で看護兵を呼ぶのが切なく聞こえた。砲撃が終わったので少しでも励まして上げようと負傷者のもとに走ると、なんとそれはサブロウであった。負傷者にとって寒気は絶対に禁物なので、半ば震えているサブロウに自分の毛布を掛けて上げた。彼は話す気力を失ったのか、声をかけたが何も語ろうとしなかった。ロバートも黙ってサブロウの側に腰を下ろした。600高地の戦いの間中、凍り付くような寒さであった。周辺の高い丘には、雪が積もっていた。ふと見上げると、おぼろ月がさみしく輝いていた。また今日も何人かの戦友が姿を消して行ったことだろうと思った。サブロウの容体がしきりに気になる寒い夜だった。
きず重き友励ましつふと見れば月おぼろなり六百高地に
(ロバート・サトウ)
ドイツ軍は夜が明けはじめると同時に590高地と610高地から撃って出てきた。我々も反撃に出たが敵は煙幕をはったため、視界が二五メートルほどに下がってしまった。そのため敵がどこから出てくるか分からず、緊張を強いられた。この600高地争奪の戦闘でB中隊第2小隊長キム少尉のおびきだしにのせられた七〇名以上のドイツ兵が、600高地の南、約五〇〇メートルの小さな丘を越えて攻めてきた。煙幕が晴れ、待ち構えていた我々の銃撃に、敵兵はバタバタと倒れた。間を置かず第100大隊は反撃に転じた。第34師団は、600,920,1017高地をはじめとして、カッシーノに近いモロネ、パストノ、ロンゴ山などを占領した。
十一月二十九日、第100大隊はアリーフェの近くで休暇に入った。そこで冬の制服、防寒靴、特別の毛布が配布され、熱いシャワーと暖かい食事が準備された。その上、映画やショーが毎晩のように提供された。
人のいいフランクが、「国にいる誰が宣戦布告をする力を持っているのかな」と言い出した。
「もちろん大統領さ」
ヒデオがすぐに返事をした。
ロバートが言った。
「そうじゃない。我々市民に選ばれた五三五人の国会議員が、それを決めるのさ。それだけだよ」
「俺には分からん。俺は一人息子だ。それもあって俺はいつも母に愛されてきた。兵役で島を離れるとき母は俺にこう言った。『私はお前といつも食事を楽しんでいるという願いを持って、毎朝お前の写真の前に炊きたての御飯と梅干し、それに熱いお茶を供えるよ。愛する息子よ、私はお前が戦場で飢えることのないように祈っている』」
普通、陰膳は日が昇る前に供えるものである。以前にもフランクはロバートに二度ほど手紙を見せてくれた。そしてその都度『このことは人に言うな』と言って唇に人差し指を当てて見せた。しかし今度は自分からみんなに言い出したことであるから安心して言った。
「どうして君のお母さんは、そんな素晴らしいことを知っているんだ? お母さんを誇りに思うべきだ」
フランクは言った。
「母がやることに俺は誰にも批判をされたくない。母は常々俺のことを心配してくれている。例えば母は塹壕を知らない。それなのに俺が敵の弾に当たらないように『より深く掘るように』と言うのさ」
「君のお母さんは、本当に素晴らしいお母さんだ。戦場にある君の息子ためにハワイで出来る最高のことをしている」
フランクは言った。
「俺はお母さんがみんなの前では言わないが、いつか俺が生きて家に戻れることを願っているのをよく知っている。母はよく言っていた。『私たちはいつも元気、だから家については何も心配はいらないよ。身体に気を付けて国のためにベストを尽くして戦いなさい』」
陰膳の思い届ける戦場(いくさば)に武運長久祈る母親
(ロバート・サトウ)
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