Tsunami氏寄稿、SCRAP記事、写経・感想など 326
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★小生は、若い頃テニスに負け?、試合後の慰労会で、自分で飲み過ぎて、急性アルコール中毒になり、胃腸が痙攣して病院に担がれたことがある。「自業自得」→「自暴自棄」なのである。 医師から一年間は飲酒禁止を命ぜられたので、「栄養アンプル剤」をチビチビと飲むことで我慢したものである。 急性アルコール中毒は、一歩間違えば胃腸が痛いどころではない危険な状態なのである。惚けの小生は「自殺?」行為直前だったかもしれないが・・・★ 余談になるが、小生は、近くの病院に担ぎ込んでくれた先輩を命の恩人と思っている。そのずっとあとなのだが、同期(4歳以上下)の背の高い素晴らしい女性を連れて恩人のお母さんのもとを訪れて紹介し、お嫁さん候補として認めてもらったような記憶がある。先方のお母さんには大変感謝された記憶もある。 そのことで「命の恩人」には「恩返し」したつもりでいる。恩人とは結婚式以来は疎遠であるが、二人は幸せらしい。其れでよいのである。 全くの脱線で申し訳ない。★惚けの若き頃の、ほろ苦い思い出であった。★脱線のついでである。小生は、「ダメな私に恋してください」を主人公(深田恭子、「アラサー」=around age thirty ; roughly between 27 and 33 years old の肉食女子)が元の上司・「主任」でない人を選ぶのではないかと心配?で視聴していた。(本当はダサくなくて、可愛いのでモテそうなのだが、 そこはコミック・・) 流石はコミック、「主任」にキューピットの矢が当たり、本命になった。テニス仲間では、五代友厚を演じるディーン・フジオカのファンがいる。///彼が浪速の町を素晴らしい近代的な大阪に昇華させた人物を演じるのは二枚目として相応しいと思うが、小生には、三枚目「主任」役を見事に耐えて演じた方が身近に感じる。/// 小柄な四枚目の小生が言う台詞ではないが・・・(小生は、お父さん役に徹した。愛娘?を失う父親の気持ちは辛いモノだ) <プリ画像 by GMO より>★
Mar 23, 2016
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函館山にロープウエイで昇ると、長崎、神戸に加えて、もう一つの1,000万弗の日本三大夜景がみられる。他に比べて、美しいのは、海に浮かぶ星空のような街が、なだらかな山の直前に、鯨の尻尾か、三味線の撥のように綺麗に展開していることである。小生には、お天気が良かったせいかもしれないが、日本で一番の素晴らしい夜景と思う。昼間なら、右手に立待岬、津軽海峡、左手に外人墓地、前方の近くに、ハリストス正教会、旧函館区公会堂、遠くを展望すると、ウオーターフロント、函館駅、縦横に走る市電、石川啄木一族の墓、土方歳三達が戦った星形の五稜郭公園、トラピスチヌ修道院、などが展望できる。また、神戸、長崎も魚は美味しいが、函館は、対岸の青森との間の津軽海峡激流で揉まれた新鮮な魚がぷりぷりとして旨い。巨大で、超高級な大間の鮪でなくとも、充分に美味しいのである。イカなどは透き通っていて、見た目も美味しく感じる。優秀な同期生が単身赴任で旭川支店長をしていて、後述3社のうち1社の工場竣工式に際して泊めて貰ったのもこの時期だ。旬のホッキ貝などを買ってきて、自分で料理してくれたが、酒もつまみも、彼の好意とともに、美味しくご馳走になった。芝桜が群生している景色を見に行ったが、これも絨毯のように綺麗だった。札幌雪祭りの頃にも、ずうずうしく札幌を訪れたが、言うまでもなく、雪像や雪の建築物はおとぎの国の物語だった。熊ちゃんラーメンや、さっぽろジンギスカン、二条市場、時計台なども思い出である。釧路の幣舞橋付近では、バーに入ったらお客は一人もいないのに、おもてなしの方は8人くらいいて、酔って集られた苦い経験もある。小生は、なぜか北海道が好きである。裕次郎の唄のように、「時計台の下で会って」、「なぜか私にやさしくする」の札幌である。坂本龍馬も自由を求めて憧れた土地である。随分とこの地を東西南北に、一人でも旅行したものだった。別の機会があれば、その辺を話したいとおもう。さて、自分の仕事関係では、本社が東京にあり、北海道に工場を持つ企業を4社担当して、うち3社は小生が工場新設に際して、幸い現地で立ち会うことができた。企業秘密ではないので記載する。工場新設の3社はともにニット繊維産業である。当時は、韓国企業などからニット製品を輸入するアパレル(企画商社)が増えていたが、優良な墨田区のニット生地・製品製造業(東京ニットファッション工業組合。以下TNFという。デザイナー、アパレルの機能や生地メーカー、すべての機能を持つ総合メーカーの組合)が、まだ労働力がわずかに残っている北海道に、最新式機械を持って進出したのである。単に仕入れて販売するだけの商社でなく、企画・デザイン力に優れ、独自の製造技術を内や外に抱える優秀な製造能力のある企業群であった。面白いのは、ファッションの先端を行く、イタリアのミラノなどと北海道はおなじ緯度にあると、かの社長達は言っていたことだ。ファッションの発信基地を北海道に、と言うわけである。確かに、留萌市とミラノはほぼ同じ緯度にある。しかし、ミラノは緯度で見るとほぼ同じだとしても、片や地中海気候にあるので、感じる寒さが違うのではないかと、心配したものだ。すでに20年が過ぎているから、工場進出がどのような結果になったかは小生としては、トレース出来ていない。彼たちの北海道工場は、外見上は立派な外観を持った建物であった。もし、縫製工場が成り立たなくなっても、なんらかの用途に転用できるくらい、素晴らしい建物であった。立地も、当地としては良い立地にあった。従業員の厚生のためでもあり、会社が成り立たなくなっても、対応できるような措置を予め準備していたのだ。最近のWEBでトレースしてみよう。そのうち1企業だけが、ホームページを持っているのが判った。元理事長には大変お世話になったTNFの有力メンバーである。それによると、当時のメイン東北工場はそのままあるが、北海道の工場(立地条件はよかった)は「事務所」となっている。代わりに中国に大きな協力工場を持っている。やはり、他の企業と同じく、労働力の豊富な、また、将来の需要の高まりを期待して、中国に協力工場を確保するべく、あまりに寒い工場を閉めて、大陸に乗り出したのだろう。国内工場では、高品質素材の使用、高度工業技術による製法、クリエイティブで高い芸術性をかもしだす高級品を創り、急なデザイン変更や小口・突発受注にも対応できる、安定した生産体制がある。中国協力工場では、遠隔地でも意思疎通が問題ないような報・連・相NETWORKが敷かれて、生産工程、品質管理すべてに目が届いている。製品はスポーツ&カジュアル・ニットウエアーで、当時と同じく、その方面の優良取引先をたくさん抱えている。社長は息子さんに代替わりして元気にやっており、こちらが年賀状を出すものだから、挨拶だけは型どおりにしてくれる。お互いに迷惑だろうと思うが、なかなか当方から止めることが出来ない。会社のProfileに、金融機関の欄で、真っ先に小生の務めたところを掲載してくれているのが有り難い。もう一つの企業については、TNFのメンバーであり、営業品目も以前と同じである。HPは持っていないので、Mapion電話帳情報で北海道工場を見ると、そのまま操業している。この企業は、北海道でも最南端に工場があるが、他の2社は旭川市よりはるか北に工場があった。あとの1企業はMapion電話帳で東京の本社住所は見られるが、TNFのメンバーでもなくなっており、北海道にはそのような工場名が存在しない。知り合いがいるので、その辺の事情を聞けば判るが、特別必要がないので止めておく。たったこのことでも、北海道に20年ほど前に、ニット製品製造業者3社が工場進出して、1社が残り、1社は閉鎖・中国に転出、1社は全く失敗した事実がわかる。これは、サンプルが極めて少ない小生だけの情報で「統計学上の有意性はない」が、すこしだけ、日本繊維産業の現状を顕している。WEBの我が国繊維産業の現状と課題(辻村、溝下両氏)から引用・加筆補足する。・・・・・工業統計による繊維製品製造業のうち縫製業・・・・・1994年→2001年事業所数 34.2千所→20.7千所(-39.5%)従業員数(A) 633.9千人→244.5千人(-61.4%)付加価値(B) 2,5380億円→1,4280億円(-43.7%)A/B 400万円→ 584万円(+46%)貿易統計でも、日本は、素材や生地という原料や中間財を生産基地の中国などに輸出して、縫製した完成品を輸入する方式を採っていることが判る。つまらない事例であるが、呆けの記憶から述べてみた。長くなるが、アジアへの企業進出のノウハウ・最新情報は、クロスボーダー・ジャパン(株)の大場由幸社長が詳しい。若い頃、鈴木杏樹によく似て悩んでおり、英検1級であった優等生・美男である。ホームページは下記。http://www.sailing-master.com/
Sep 21, 2011
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大阪で審査にいた頃の話だから、四半世紀以上も前の話に戻る。社員積立をして毎年、社員(審査部だから部員)旅行に行く計画だった。何かの都合で、数年行かなかったものだから、積立金が貯まってしまった。この間に発生したオイルショックでは、石油輸出国機構(OPEC)に加盟のペルシア湾岸の産油6ヶ国が、原油公示価格を1バレル3.01ドルから5.12ドルへ70%引き上げた。石油は、化学素材であり、燃料でもあり、ビニール被覆電線など石油関連素材を使用する製品が値上がりするのは当たり前だが、便乗して、紙など日用品までが不足してトイレット・ペーパーや洗剤まで値上がりした。いままで下積みや、下請けのような生活をしていた、企業の方も極端に儲かったものである。会社も儲かりすぎて、日頃使い慣れない金を持ったものだから、税金を支払うよりも、家内従業員達へ還元する道を選び、日頃の感謝と称して、社員全員でのハワイ旅行を組んだ企業が多くでたのもこのころだ。品不足と言っても、本当にすべての品物が無いのではなく、噂(風聞)による買いだめで市場から一時的に商品が消えたことが主因なのだが。この時期を「狂乱物価」とも言う。従って、国民はおしなべて品不足のために困窮したのではない。たしかに、今のように東北大震災で電力の供給が細っているのに似て、火力発電能力が原油供給の縮小から制約されたので、実質国内生産は落ち込んでいた。電力消費と、実質国民所得とは相関関係(Relation)が強いのである。ともかく、企業が儲かり、賃金が名目も、実質もあがって、国民みんなが結構楽しんだSpanだった。その後の、反動で来る不況を見通した企業があまりいなかったので、一時的にせよ、分配率が好転し、労働者にも幸せがきた。当時の物価上昇率を振り返ってみる。昭和48年(1973年)から11.7%、23.2%、11.7%、9.4%、8.1%(以上5年の平均で12.7%、単純に足しあげると64.1%)である。前年には4.9%であり、昭和53年(1978年)から平成14年(2002年)が1.7%と低迷しているのだから、いかに物価上昇が凄かったかが判る。第一次オイルショックからの、みんなが幸福であった期間には、物価上昇とともに、雇用の増進があり、一人当たり分配国民所得(われわれには賃金としてみてよい)は大幅に増えたのである。もっとも、その景気は一時的な品不足(高い需要に追いつけない供給不足)が主原因なので、品物が充足される(供給力の追随)までの短命サイクルであり、長くは続かなかった。金利面では、ハイパーインフレーションが懸念されるため、政府は高く維持する必要があり、また、外国から見て、日本が公定歩合を引き下げると輸出奨励策とみなされ、外国経済を圧迫することになるので、公定歩合を下げることには外国から牽制があり、高止まった。当時は、高止まりの金利が続き、儲かった企業の過剰流動性から内部留保のある優良企業を中心に銀行離れが進んだように思う。もちろん、銀行は危ない企業には融資を避けるので、構造的不況業種は慢性的な資金不足で苦しみ、政府系の金融機関がその隙間を埋める必要があった。オイルショックから20年弱の期間に、金利は3回の山を経験したのち、不況と共に低下傾向に転じて、銀行金利は逆鞘となり、銀行の経営は益々悪化を辿ることになる。話を元に戻す。小生達への効果とすれば、民間賃金が上昇すれば、人事院勧告で政府公務員などの賃金は比例して上昇することになっているから、このオイルショックが所得倍増計画以上の効果をもたらしてくれたと言っても良い。給料が超倍増になっても、価格はすべてが倍増にならなかったので、社会的な厚生函数はおおいに高くシフトしたものだった。新婚ほやほやの小生の家庭は、トイレット・ペーパーを製紙業の産地・高知からカートン単位で送ってもらう不便はあったが、給料面では喜んだものだ。話が、大分逸れたが、審査部の先人および現員達の貯めた積立金を一挙に使ってしまおう(繰越金ゼロ計画)、となったことは話した。幹事はたまたま小生達である。畏れを知らない。花金の金曜日に仕事が終わったあとで、神戸・摩耶ケーブル下まで電車とタクシーで行って、ロープウェイで六甲山に昇り、1、000万弗の夜景を楽しみながら、バーベキュー・パーティをする総員30名の大名計画が纏まった。お天気も良く、夏でも涼しい六甲の天空で、夜の絶景を堪能しながら、神戸牛で舌鼓を打ち、冷たい生ビールをがぶ飲みしたものだった。翌年の幹事には、すっからかんになった積立金で苦情を言われたが、使ったもの勝ちなのである。「覆水盆に返らず」、である。ハワイ旅行こそ無かったが、自分たちの積立金で「豪遊」したのはこの時だけであった。
Sep 19, 2011
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Cupid and/or Pierrot山の手線の電車に乗っている。椅子席は満員であるが立ち席はまばらである。美しく背が高い、髪はStraightで長く、皮膚が透明の女性が立っている。皮膚が透明なのは、日焼けをしない体質もあるが、やや病気がちでもあるようだ。「深窓のお嬢さん」とは、彼女に似合う言葉である。そのそばに、ややみすぼらしい学生のような小生が立っている。女性と小生の関係は、子と親のような言葉の契約関係がありそうである。彼女は、東京に住んでいるのに、街のことはあまり知らない。東京タワーにも昇ったことがなかった。田舎ものの小生の方が観光地・東京は知っている。「これから君に紹介したい人がいるから、次の駅で降りよう」と言った。背の高い女性は、ハイヒールを履かない。小生に気兼ねしているかのようである。緑の濃い森から夏の涼しい風が吹き抜けていくのを感じながら、大きな門のある家の前に立つ。呼び鈴を押すと、いつもにこやかな、上品なお母さんがでてきた。この家には、泊めていただいたことがあるくらい世話になっている。「ご紹介したい人をつれてきましたが、先輩はいらっしゃいますか?」というと、先輩が出てきて、「君たちか。上がりなさい。」という風になった。もちろん、先輩は小生達を知っている。なぜなら、先輩は、会社の硬式テニス部のマネジャーであり、小生達は部員である。このことがあって間もなく、上品な奥さんから、「息子に、よい嫁を紹介いただきまして。」と心から嬉しそうに、挨拶された。今日は、先輩と彼女が、チャペルで大結婚式の日である。さて、司会は、先輩と大学同輩、あのハワイアンバンドのウクレレ・ボーカリストであった。言うのを忘れたが、彼女もレイがよく似合うウクレレ奏者であった。先輩の父親が社長をしている関係で、司会者は次々と、お偉方を紹介していく。ボーカリストである以上に、饒舌な司会と、素晴らしいSpeechが続いた。何の打ち合わせもなく、司会者は、それでは、本日の「Cupid」を紹介しましょうという。実は、司会者の奥さんは、本日の花嫁と友達であり、司会者はその辺を聞かされていたのだろう。先輩のお母さんは、にっこりと、こちらを見ている。「やばい。」とあがってしまった。折角の雰囲気を壊さないように、先輩の人柄、彼女の人柄など、思いつくままに並べたが、何をしゃべったのか憶えていない。とにかく、言えるだけ、知っているだけ、最上の文句を並べてみたようだ。よく映画で、結婚式に恋人を奪っていく役柄の俳優をみるが、小生のような、どぎまぎした「キューピッド」の役柄は見たことがない。まるで、Pierrot そのもののようだった。先輩と彼女は幸せに暮らしているようだが、それ以降は彼女にはお目に掛かっていない。先輩がいうには、「Cupidは君ではなく、その前からつきあっていたのだ。」とのこと。後先はどうでもいいが、お母さんには大変感謝されており、兎にも角にも、いつまでも、お幸せにと思う。実は、彼女のお姉さんが会社の近くにいて、一度だけ、お会いしたことがある。小生達の行動が理解できないようだった。大切に思っている人を他人に紹介したり、しあったりすることは可笑しいと。たしかに、不条理だがそれが人生なのだ。彼女を自分が幸せに出来ないなら、幸せに出来る人がそうするしかないのだから。弁解じみるが、映画にあるような、俺についてこい、などといえる格好良い人間ではない。件の司会者の先輩であるが、その後、小生が出張で九州「延岡市」に行ったついでに、彼の赴任地「長崎市」まで、はるばると高千穂峡谷を抜け、バスの乗り継ぎで尋ねたものだ。夜は、バーで一緒に飲み明かした。その夜は雨だったかも知れない。雨でなければ、稲佐山から見下ろす夜景(函館、神戸、長崎が1,000万弗の日本三大夜景である)が素晴らしいのだが。諸兄には、ご注意願いたいことが一つある(読者がいればのことだが)。長崎は、豪雨で被害甚大だったので、小生のように、バーで「長崎は今日も雨だった」と唄うのは、今も昔も、賢明とはいえないそうだ(ママの話)。むしろ、歌唱力があれば、藤山一郎の「長崎の鐘」の方が、「こよなく晴れた青空に・・」で無難であろう。10数年経過して、司会者はなぜかアルコールが原因で亡くなったという。ご冥福を祈る次第である。
Sep 18, 2011
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神鍋高原スキー場は、スキー・シーズンにはその斜面全体が花形で、オフ・シーズンには平坦な部分が花形となる。つまり、スキーからテニスにすり変わる。当時大阪ではソフトテニスが主流だったが、小生達が、大阪に赴任して、本店の硬式テニス部が大勢集まったのを良いことに、硬式テニス部をつくった。その手始めに、新人達を中心に、合宿をすることにした。それが、神鍋合宿である。初めての関西圏の合宿に東京から美人が一人、応援に駆けつけてくれた。阪神甲子園の自宅を尋ねてくれたビューティ・ペアの一人である。そういえば彼女は1年後輩で、新人の歓迎会で小生のたまたま隣の席に座り、侯爵の子女かと思うくらいに眩しい存在であった人だ。星空が素晴らしく煌めいた夜であった。それほどに、満天の星がまるでPLANETARIUMのように、手に取れるような大きさで赫き溢れていた。みんながキャンプファイアーで盛り上がり、下手な小生もGUITARでROMANCEをつま弾いたものである。決して「禁じられた遊び」をした訳ではない。新婚の小生には、そのようなことが出来るわけはない。新婚でなくとも出来ないくせに、というべきか。なにも小生には起こらなかった。仲間達大勢と、友人の車数台に分乗し、途中の温泉で湯浴みをしながら大阪まで帰った。東京から参加してくれた、彼女もテニスを楽しんだようで、新神戸駅から笑顔で帰京した。合宿は、定まった民宿を連続して利用したことで、宿の家族とは親しくなり、小生が電話すると毎年の予約には不安がなかった。最初に行ったときの赤ちゃんが、小生が大阪を離れる頃には随分大きくなっていた。若気の至りであるが、新人を「振り回し」と称して、可愛がったものである。その新人達が、すぐに小生達を追い抜いた。その中の一人からの最近の短信によると、「定年退職して安曇野に隠居し、全日本クラスの県内ランクでNo.4になった。」というから、いまでは、可愛がられるのがオチになった。ついでだが、彼の奥さんは、当時の合宿に参加していた(小生と同郷とのこと)人だから、テニス・コートの愛である。神鍋合宿では、小生には何も起こらなかったが、いろいろ起きていたのだった。東京でも、一緒にテニスをしていた先輩や後輩数人が、テニス部の美人数人を捕まえているので、テニスを通じた交際は本当にうまく成功しているようだ。小生だけが、幸か不幸か知らないが、例外であったのだ。小生が、大阪を離れてからは、神鍋高原は「斜面」と「平面」の多角的利用・開発が進んで、混雑し、簡単には合宿に利用できなくなったと聞いている。件の侯爵の子女と見間違うような美しい彼女は、年賀状を見返しても、いまだに意志が強いのか名前が変わっていない。美女ほど、近づきがたいのか、小生の知っている未だに独身は美女が多い。遠い昔の懐かしい話と「不思議」である。
Sep 17, 2011
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学生時代の唄「蔦のからまる チャペルで 祈りを捧げた日」にあるような、「蔦」の絡まった阪神球場は、小生が新婚時代に過ごした街にあった。会社が借り上げてくれたマンションに「強い浦風」が吹き、阪神タイガーズの応援歌が聞こえてくると、夜空にSTADIUMの木洩れ灯が映えてくる。夜8時を過ぎると、近隣サービスとして、空いている観客席が解放されるのが楽しみで、赤ん坊を抱いて、岡田、掛布、バース、川藤などのいる球場をタダで訪れたものだ。阪神パークの白いライガー君にも会いに行った。プールにも行ったようだ。会社の仲間と阪神球場の側にある阪神テニスクラブの会員になり、素晴らしいコートで楽しんだ。クラブを運営する上品なおばさんが、小生達の会員の一人が非常に上品にみえる人物であり、また、テニスもスマートな対戦をすることで、たいへん丁寧に接する半面で、小生には素っ気なかったのも、当然のことのようにおもいだされる。かのスマートな人物は九大出の選手で、ネットすれすれの剛球しか打たない。小生のような、ロブ中心の球は、「田舎もの」の球という。そのネットすれすれの球を直接に唇で受けたことがある。歯は折れなかったが、しばらくは白く痺れて感覚がなかった。とにかく、速い球と勝負に、潔癖さがかいまみえる紳士であった。すぐそばの、阪神今津駅には安くておいしい鍋物がありよく行ったものだ。阪神梅田駅ちかくでは、一杯立ち飲み屋で、タダのキャベツを囓りながら、友人の、山の手を走る阪急電車と、こちらの海側を走る阪神電車の時間待ちで、あわただしく酒やビールを呑んだものだ。一つのエピソードがある。大阪に赴任と同時に結婚した。東京には、大変な美人たちがそば(空間的)にいたものの、だれからも個人的に相手にされず、当然のように一人で大阪に来た。来る直前に、郷里に帰り、お見合いをした。小生から見てだが、叔母が岸恵子に似た美人であり、叔母に頼んでいた人であった。何回か断られたが、親父の人物を見て信用したらしく、遂に承諾を貰った。小生は、そのとき、「いつでも外国に行けるから」と言ったのが、家内の外国旅行好きに繋がっている。いまでも不思議と思うが、東京からわざわざ、二人の美人が新婚家庭に「様子見に」訪れた。そういえば、東京での「お付き合い」はいつも複数のお付き合いであった。複数のお付き合いが失敗であったのかと、あとで思ったものだ。いや、一人でもダメだったのが正解だ。友人達が家内に向かって良く言うのは、「奥さん、よく、彼と一緒にいられますね!」である。小生は、審査の仕事が好きで、新婚でも夜9時前に会社を出たことが、あまりなかった。いまのように残業代の切り捨てのなかった時期なので、妻も文句は言わなかった。また、友人数人に、新婚時代に「おまえは、このあいだミニスカートの似合う女性と京都に行っただろう。けしからん。新婚なのに。」と言われた。確かに、家内と「四条河原町行き」阪急電車に乗っていたので、それを見られたのか。彼女は10歳くらい若く、小生は「禿げ」(友人に面と向かって言われると腹が立つが、自分から言うのは気楽である)であり、並んで座ると夫婦とは思えない「ぎこちさ」でそう思われても仕方ない。以上は、阪神大震災より遙か前の、ゆっくりと時間が過ぎる時代であった。
Sep 16, 2011
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小生には、「若かりし頃」の思い出の場所といえば、大阪北の新地のバーで名前をたしか、「大伴」という、ママが音大出とかで、大きなPIANOの置いてある所である。小生は、ギターを少し引けるが、歌は上手くない。音符や記号は認識できるが、その指示のようにつま弾いても、綺麗にも、感動を与えるようにも聞こえない。しかし、自分よりもさらに運針がまずい人がつま弾いても、とても綺麗に、感動的に聞こえる。自分が多少とも巧く聞こえるのは、むかし、ハワイアン・スチールを弾いたときであり、伴奏が素晴らしく、旋律の編曲(シンコペーション、ビブラートなど)に助けられたときだけだ。本当に、なんと言おうと自分には「音痴」、なのである。中学時代、音楽担当の先生は、高く評価してくれたが、それは母の七光りである。あまり大きな声を出したことがないので、人前で歌うのは憚られるような気がする。会社は、堂島の新大ビルにあったので、会社の近くで宴会があった後は、繊維問屋街を抜けて、その「大伴」に少人数で良く通った。高級バーであるが、昔の「歌声喫茶」のような雰囲気がその店にはあった。みんなが酔っぱらってママの演奏をバックに歌を楽しく歌う。充分に歌を堪能した時分に、宴会の親分格が全員に唄って貰おうと言うことを宣言し、一人ずつ、数珠繋ぎのように唄っていく。「出番」がとうとうやって来た。小生は、「音感」がいいのか、自分の歌が「音程」を美妙に逸脱しているのが判るし、また、聞いても面白くない、のも知っている。嫌がっていると、ママが一緒に唄おうと言って、助け船を出してくれたものだった。それが、「若かりし頃」の文句が挿入された唄である。本当の題名:タイトルは、みんなが知っている「学生時代」であった。会社のテニスの仲間では、昔、No.1を争った先輩が二人いる。格好の良い、尊敬する慶大OB、かたや自ら「獅子のごとく戦う」という松山商大OBで、昔は、一世を風靡したものだが、アキレス腱の破断事故で、勝負はつかなかった。慶大OBは小生と同じく歌わなく静かに呑むタイプ、松山商大OBは民謡でも何でも来いの、獅子の如く歌い、みんなに感動を与えるタイプである。どちらの先輩も、男ながら当時は「おぼこい?」小生を可愛がってくれた。いまでは、カラオケは当たり前であるので、みんなは唄がうまい。小生は、笑われるかも知れないが、歌の上手い家内の特訓を安曇野(朝ドラの舞台)の貸別荘で受けてから、いまでは少しのレパートリーがある。そのレパートリーを明かすわけにはいかない。なぜならば、少ししかないので、他人がそれを唄うとその晩はそれが唄えなくなるのである。レパートリーが侵害されないことを祈って、酒を飲んでいる自分がいたのである。(今は、禁酒禁煙なのだが)カラオケをその晩に唄うのには、曲に特異な「特許」に似た性格があるように思う。まえに誰かが唄うと、その唄をあえて唄うのは仁義に反する。仁義よりも、反感を買うこととなる。特に、より巧く唄うのは失礼に当たる。不思議なことに、カラオケは巧く歌うことよりも、下手の方が「観客」には受ける。唄はもともと、自分の感情をにじみ出すように相手に訴える力をもっている。訴える力を感じなければ、感動しない。あの美空ひばりの歌声を聞くと、虹のように小節の間でも声質が変化する。感情の移入が滑らかだが、予想とは異なって新鮮に、何度その場所をリフレインして聞いても、普遍的に、たえず美しく聞こえる。素人なら感情を出すと、汚い歌い方になりそうだが、彼女だと、つねに何かしら美しいのだ。米軍キャンプの訪問などしながら、言葉の分からない人々にも感動をあたえることのできる歌い方を、また、美しく歌う歌い方をたえず研究していたに違いない。こちらが酔っぱらっていると、なにも感情を持たない歌唱力は巧いとは聞こえない。がなっているほうが、まだましになる。いや、結局は酔っぱらっているので、だれも聞いてはいないのだが。聞いているようでも、聞いていないので、勝手に自分流に唄って良いのである。マイクを離さないのは困るが、適当に流していけば問題は起きない。「俺は唄わない」と、言うほうが場は白む。だまって、どうぞどうぞ、というほうが無難だ。このようなわけで、下手な小生も、いまではタイミングを計って唄に参加している。タイトル「学生時代」は小生の「若かりし頃」の思い出である。
Sep 15, 2011
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母は、音楽の教師をしていた。中学時代の音楽の先生は、母のことをよく知っていたらしく、小生の声が美声でないにもかかわらず、良い点を付けてくれた。また、高校時代に、母の知人に全国クラシック・ギター・コンクールで優勝した人がいて尋ねてくれたこともあった。そのころ、RADIO放送ではスチール・ギターの音が心地よく流れていた。バッキー白片などのハワイアン全盛期である。小生は、音響版のない、小型の電気ギター(レスポール・ギターという)を親父に買って貰い、横に置いて、「短く重い丸い棒」を動かして、スチール・ギターのまねごとをしていた。和音も正確でなく、雑音が沢山はいるが、音痴の小生には、異国の香りを自分なりに感じたものだ。高校の学芸会に余興で出るほどの、強心臓であったのは自分でも驚く。なぜか、小生にはみんながやさしく接してくれた時代である。大学に入っても、軽音楽が好きな男ばかり友人数人と、よせばいいのにバンドを組んだ。資金は「バイト」でそれぞれが工面した。件のギター先生の「友人の友人」が、バッキー白片のバンドにいたことがあるというので、顧問に来ていただいた。小生は、手取り足取りで、「丸い棒」の動かし方を習った。レパートリーは数曲だが、その数曲だけは編曲が素晴らしくて、いちおう聞くに耐えたと思う。大学での「初演奏のみ」は学園祭のクラスの模擬喫茶店だったと思う。他のクラスはプロもどきもいて、上手だったが、小生達は若気の至りでまったく気にしなかった。会社に入っても、また、その先生に顧問に来てもらい、短い期間だが若者達で「ハワイアン・バンド」を組んだ。そうそう、忘れてはならないのは、早稲田の有名バンドで鳴らしたウクレレ・ボーカリストの2年先輩や、BASEが得意な同期もいたことだ。彼達のお陰で素人ながら、引き締まったバンド演奏が組めたのである。エレベーターで楽器を運んでいる姿を、学生時代から知り合いのお偉方に見られたが、驚いただけで、咎められはしなかった。出演は、会社の運動会だけである。ハワイアン・フラ&レイで着飾った美しい女神たちがウクレレを弾きながら唄う姿だけが、素晴らしく見えた。小生の手の動きは、高校時代から巧くなく、左手は意図しない弦を跨って押さえてしまうし、右手はトレモロがちぐはぐな雑音を奏でてしまうのだが、ハワイアン・バンドでの「スチール」は音量が大きく、多少のミスも素人には判りづらい、のが「ミソ」であった。下手な空手の練習で、ますます、微妙な指の動きができなくなり苦戦したが、この時ばかりは楽しかった。素晴らしい若い美の女神達がいたからなのだが。女性達と音楽の勉強と言っては、本物の「バッキー」や「大橋節夫」を聴きながら、ジャズ喫茶・銀座ACBなどで駄弁り、他方では、包容力のある先輩達と神田の飲み屋「六文銭」の二階などで囲炉裏を囲み「審査の方法論やあるべき姿」を「真面目に」議論したものだった。そのような「若かりし頃」が、小生にもあったことを述べたかっただけである。今は、右手右足がうまく動かないのは、才能の欠如でなく、脳幹梗塞のせいにしている。
Sep 13, 2011
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医学分野で「病気に罹っているか」の判別をするのに多変量統計学を使う方法がある。「病気に罹っているか」の場合は、本人がデータをねつ造するのは病院の場合はほぼ不可能である。たとえば、醤油をたくさん飲んで熱や血圧を上げたりして、データをねつ造することはあるまい。ある国で、徴兵を免れるために敢えておこなうなどの例外を除いてはだ。客観的な指標での統計的処理では、かなりの精度での判定が可能である。それを企業が病気(健全)かどうかの判定に応用するという場合は、ものすごく、難しい。というのは、会計学上のデータは、そのままの状態を示さず、本人が粉飾をしている場合が多い。特に、財務データが良すぎる場合は、節税をしたくなる。また、特に、悪すぎるデータの時は、良く見せようとして、数字を操ることもある。決算書でも同じ会計年度で何通りも造れる猛者もいる。たしかに、バランスシート(複式簿記)は名前のごとく、天秤のように、両側に同じ錘を足して(引いて)いくとバランスだけはとれる理屈だ。しかし、あまりに、現実とかけ離れた錘を使用すると、いつかは自分でも水準が分からなくなり、辻褄が合わなくなる。現金、通帳、電気等動力使用量、機械稼働状況、材料使用量、生産・出荷量、実在庫、従業員勤務実績などは、生産活動と共に変動しており、それらと、矛盾した動きをみれば、なんとなくわかるからだ。ここでも、本質的なことで注意しないといけないのは、機関は「企業から申し込まれている」のであり、その申込を受け入れるか、拒絶するかの判断で調査していることだ。警察や税務署のような強制調査権は持っていないので、怪しいという段階で深追いしてはいけない。相手に、「自分から申込の取り下げという逃げ道」を残しておかねばならない。むしろ、1.申込計画を受け入れて、相手企業がそのプロジェクトに成功するにはその計画内容だけで大丈夫なのか、なにかアドバイスすることはないのか、2.今回は、受け入れできないが、どのような条件が整えばもう一度、検討する余地はあるのか、3.企業内容のかなりの部分で矛盾が生じていて、検討以前の問題があり、それが判明できないので、計画の検討ができない、実態の解明に協力できるか、取り下げるか、といった姿勢でいくしかあるまい。またまたボケで脱線したが、「健康な(良い企業)グループ」であろうと、「病気に罹った(悪い企業)グループ」であろうと、その財務データを実態から精査して、本当の姿、裸の姿にしてから、多変量解析法にデータをゆだねないといけないのだ。したがって、本格的な審査手法を用いて、財務データを帳簿からも洗い出すことのできる機関でないと、その精度は基礎から崩れていると言っても過言ではない。また、「良い企業」、「悪い企業」の見分け方がしっかりしていないと、判別の力が落ちるので、機関の本来持つべき審査能力が問われる。景気変動などにより判別力が落ちているかも知れないのでパラメーターの精度を時々見直す必要もある。財務データだけで企業を判別できないので他の「変数」を取り込む努力も必要である。このようにみると、企業の判別関数を求めるまえに、機関自体の審査能力の向上なくしては、良い判別ができ得ないことになる。機関は、統計的処理は学者大先生やコンピューターに助けてもらえるが、データだけは決して丸投げしてはいけないのである。そして、新判別関数から導かれたスコアなどはあくまで「参考数字」として扱うこととなるのだろう。パラメーターが固まった新判別関数に新しいデータを代入するとき、そのデータが粉飾されたものであればスコアなどの「値」は全く信用できないからだ。結局は、その企業の提出データが信用するに値するか(経営者が信用に値するか)、きちんとした審査が普段からできているか、に戻るのである。パラメーターを決定するためには、データが造られたものではいけないし、データが余りにも特異点であってもいけない(統計上はやむをえずダミーとして扱うことがある)などが注意点だが、パラメーターの構造が有効な期間内での使用と、代入するデータそのものの状態もよく検討されないといけないのである。面倒だけが残るとあっさりこの分野を避けるのではなく、健全・問題企業を判別する「訓練」を通して学ぶことは多いと思う。ここでは、企業の健全性だけに注目したが、当然のことながら、病気の企業については、健全な企業と比べて、財務上(結果)からの問題パターンを見いだし、それを生み出している原因を解明して、新たな企業戦略の策定を探ることが必要になる。回転率の落ちた、ボケの老人では、ここからは説明ができない。頭のいい公認会計士の優れた本の紹介に譲ることとする。その本は、「成長企業の経営戦略」高畑省一郎著である。絶版だが図書館にはあるだろう。自分は、「GOING CONCERN」ではない。また、本日は熱中症にかかりそうだ。そろそろ、日記を書くのは疲れた。数行程度か、または、しばらく休みたい。
Aug 1, 2010
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ヴェネツィアの人々は、干潟の海岸が湿地で人が住めない状態(ラグーナという)であったのを、たくさんの人工の小島を建設し、それらを橋でつなぎ合わせた。人工小島の基礎には松の大木がびっしりと並べられている。海底には森のような松の大木が沈んでいるのだ。仮に、土地をひっくり返すと、家の土台の下には松の森が現れるのだ。松の木は後背地のドロミーティから、年次計画に基づいて、植林・伐採して運ばれた。また、海運国のヴェネツィアを支えてきた「船」の建造のための木材もこの後背地から計画的に供給されたのである。あるものをそのまま使ったのではなく、今で言う「英知を絞ったエコ計画に基づき」繁栄できたのであった。(以上は、NHKの「世界遺産への招待状」#29イタリア・ヴェネツィア・・海と陸の世界遺産・・を参考とした)。いま、ヴェネツィアは地球温暖化で海水面が上昇して大変な目に遭っている。その美しい「ドロミーティ」の景色から思い出したケーススタディである。イタリア以外の国の「ドロミーティ」の怖いおとぎ話とおもってもらいたい。鉱山の埋蔵量は1億円を期待できるが、無理な経営で会社は破綻した。債務会社Aおよび,その社長兼連帯保証人Bは主力行Cに1億円の債務および連帯債務がある(主力行は鉱山に抵当権を設定している)。最近のこと、社長Bは7千万円、その友人Xに3千万円の金ができたので合わせて1億円を支払うという。入金は、主力行Cでなく、社長Bが住む山間村の他行支店Dを指定している。主力行Cの副担当Eは電信振り込みがなされたかの確認のための連絡役。Bから抵当権の解除の書類などは、奥山町の登記事務所に持ち込むよう指示があり、主力行の主担当Fが解除証書を用意して奥山町で待機。打ち合わせ通り、当日、EはB(連帯債務者)、X(一部代位弁済者)と会い、D支店担当から「予定通り送金完了」の口頭連絡を受け、自行Cに電話連絡、Cは現金扱いの自行への入金を確認後、奥山町にいる担当Fに連絡したのである。それで終わりのはずであった。ところが、社長Bは「小切手1億円を持ちこんだのは自分であり、自分名義で1億円を送金するつもりだった」と送金後に言い出したものだ。Bの言い分は、他行支店担当Dが「勝手に現金化し送金」したという。Dは前日までの、B,X,F,Dの打ち合わせどおりにしただけである。打ち合わせではBが7千万円、Xが3千万円との口約束である。ここに、社長Bの狙いが隠されている。B社長のいうには、「Bが実際は全額支払った」というものだ。結局、BはCを巻き込むことはできずに、Dと争うことになる。Dを取引に紛らわせたのはBの想定内の出来事だったのだ。しかし、ここでは幸い問題外となったものの、Cにもおおきな反省点は残ろう。山師(鉱山技師や、詐欺師などの意がある)のいいなりに取引を分散したり、管理者の目を分散すること(騙す人はまず目線を直視できないので注意を分散させる策に出る)は避けよう。本人が現金を振り込む方法が意志確認には便利であり、自分の銀行に利害関係者を一同に集め、おかかえの司法書士を立ち会わせて、担当者が上司と協力して、慎重に取引を見守るのが最善とおもわれる。筋書きと実際は違うという話で、取引毎にその実際を確認すること、確認し易い環境をたえず組織的に造る努力を惜しまないための「一種の訓練」である。美しいドロミーティに似つかわしくない、おとぎの、おとぎ話である。またまた、余談だが、日本の高度な地盤改良の土木技術で、沈み行くヴェネツィアの地を再び浮上できないものか、とおもう。
Jul 29, 2010
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申請書への自署捺印は、「氏名」を漢字で書くことになる。ちなみに、友人の、「氏」の二文字A&Bをみる。最初の漢字字体Aは当用漢字表記では簡略字体となるので旧漢字体で書く。次の漢字字体Bは、昔は上が長いか下が長いかの区別があったが、現在、印刷上は全て上が長い字体に統一されている。自署では、本来の下を長く書く。然し、そのような文字はパソコンでは変換されないとわかっている。また印鑑も安いのは当用漢字体なので、認め印・実印は特注品である。「フリガナ」だけで表記せよというときは、そのような気配りは要らない。「フリガナ」表記ではそれだけ、文字の識別力が落ちるのである。最近はパソコンがめざましく発達して、漢字表記での申請が普通になった。そのために、日本人としては、本来的な漢字でのパソコン印字記載に望みが出ている。が、古い制度の申請書様式には、いまだにカタカナ表記は併用にみえても、現実的にはカタカナが「ドミナント」に動き回っている。このような制度を、カタカナ表記から漢字表記に改めるには、至難のわざであろう。つまりは、古い申請書を保存したマイクロフィルムを取り出して首っ引きであたらないといけないのだ。大変な時間と労力を要するに違いない。また、自分の家系の本当の姓がどの漢字(字体)だったかは現代の少子化のなかで重要でなくなってきており、自分の姓名の「字体の確定」が難しくなっている。昔の申請時に書いた姓名自体が誤って書かれていたり、代理人が勘違いして書いたりしようものなら始末に負えない。問題は、氏名の表記が「カタカナ」か「漢字」なのかではなくて、原点に戻っての、本当に本人が(マイクロフイルムで保存されている)申込書を書いたのか、という、「本人の意志の確認」の方法からやり直す必要があるのであろう。事件が起こった場合は、初動捜索が、あとまで尾を引くことを肝に銘じなければならないのとおなじだ。また、国が決める漢字字体そのものが、そのときどきの学者の気持ちで、右に行ったり、左に行ったり、不安定である。子供達も、義務教育を受ける時代・時代で異なった教育を受けるので、国の文字・言葉(日本語)に決まりがない。楽と言ったら、気楽な国だが、一旦問題が起こると、決めようがない、不安定な国になってきている。お笑いクイズTV番組でも良く取り上げられる「問題」である。たしかに、日本の国の地理の形成(東大地震研究所)をみると、1.中国大陸にくっついている時期、2.糸魚川以東は小島に分散した時期、3.再び海底が隆起し関東平野が現れて今の日本が形成された時期などの巨大な変化があり、漢字の変化などは些細なことかも知れないが、漢字の変化で、法律的な面倒を受ける人がいることを、文科省は超長期的な視野で、もう少し考えてもらいたい。ますます、老人が多くなるので、国が基準、およびその基準の変更の法則を明確に定めないと、変化について行けなくなる国民が大半になるのではないかと懸念している。
Jul 28, 2010
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京都の郵便番号で7桁を全て使用する場合は、よほどの慣れた方でないと、郵便番号と住所表示に不一致がうまれる。また、昔からの伝統的な表記である不動産登記などの住所の表示が、郵便番号の概念と異なるため一致させること自体が不可能なのである。つまりは、公的な機関自体が文章による表記を、番号制より優先しているのである。郵便番号は最初の3桁は有効であるが、京都市では次の4桁は優先権をもたないので、不一致を避けるには、0000としておくしかない。郵便番号を0000としておかないと、○○通△△「上る」「下る」「東入」「西入」のような読み名は、一致させるのが極めて難解なので、住所が不一致になるのである。いや、本当はあるにはあるのだが、京都以外のひとが、きちっと郵便番号を4桁完全に読み分けることが難しいのである。京都の人自体でも、郵便番号簿を正確に記載しているとは到底思えないような事態もあるのだ。登記所が昔から住所の表示について、正確に住民に指示していたとはおもうが、これほど、難しいのは、「応仁の乱」後には京都に大混乱が起きているのだろう。本人が住民票(と「郵便番号」は、なにか公文書が送られてきた時の郵便番号が記載された郵便物)をもって、その表示通りに申請すればいいのに、本人であることの確認がなされないまま、安易に口頭での受付をすると、後日に問題を抱えることになる。町内の「鈴木一郎」さんが同一人と判定される確率は」京都では極めて高いのではないか。笑い話ではないのである。国民総番号付けでもしないといけないかも知れない。参考1.ネットの質問と回答例http://otasuke.goo-net.com/qa2483324.html「京都の住所表記についてお尋ねします。以下の住所【 例 】の場合、どちらが正しい住所表記でしょう。」1、京都市上京区 上御霊南門下る東入二筋目下る 相国寺門前町2、京都市上京区 相国寺門前町 上御霊南門下る東入二筋目下る3、それ以外(例示をお願いします)「ベストアンサー」1が正しい。京都市の旧市街地の場合,行政の便宜上の住所表示ではなく,不動産登記簿と同じ表記です。よって,不動産登記簿にも○○通△△「上る」「下る」「東入」「西入」と書かれています。町名は通り名による表示の後に町名がきます。ですので,やたら住所が長くなります。 また,旧市街地では番地を記載しなくても,郵便や宅配便は届きます。・・・・・・・また、別の採り上げ方をしたネットもあるので紹介したい。参考2.「7桁の郵便番号と京都の住居表示について」http://members.at.infoseek.co.jp/kyotokyokyo/yubin01.htmlhttp://www.geocities.co.jp/MusicHall-Horn/1158/オペレーター: では、郵便番号とご住所をどうぞ。京都人: はい。郵便番号6□□-□□□□、住所は、京都市▲京区○○通◆◆下る◎◎町××番地です。オペレーター: あの、恐れ入りますが、ご住所は、京都市▲京区◎◎町××番地ではだめなのでしょうか?京都人: はぁ、郵便物は届くと思いますけど…。オペレーター: それでは、ご住所は、京都市▲京区◎◎町××番地ということで、ご登録させていただきます。(中略)特に、オペレーターからの問いに応じた最初の正式(というべきか?)な住所の構造にご注意いただくといいだろう。 (1)○○通◆◆下る (2)◎◎町要するに、区以下には(1)及び(2)の二つの要素が含まれているのだ。(1)は、いわゆる通りを座標として、その交点からの位置を示す構文、そして(2)が町名、という作りになっている。実は、(1)でだいたいの位置関係が示されてしまうため、住居表示のキーとなる要素は(2)ではない、と言っても過言ではない。ちなみに、ご存じの方も多いだろうが、京都の古くからの市街地は、通りを挟んで両側が同じ町内に属する。いわゆる「両側町」である。住居表示に「通り」の名が使われる事例は、日本国内ではともかく、世界的に見れば実はそんなに珍しいことではない。シャーロックホームズのベイカーストリートの住所にしても、面している通りが住居表示のキーになっている。当然、通りの両側が同じ「ストリート」に属するわけだ。ちなみに、通りの両側が同じ町名になるところは、実は日本国内にも存在する。大阪市内のいわゆる淀屋橋よりも南側のオフィス街のあたりは、東西の通りに面した両側が同じ町名になっている。梅川・忠兵衛ゆかりの淡路町のあたりがそうだ。ただし、大阪の場合は、「ちょう」ではなく「まち」と読むらしい。だから、丸ノ内線の駅名のように「あわじちょう」ではなく「あわじまち」となる。そして、別途詳述したいが、京都市内の(2)は「ちょう」と読む。かなり脱線してしまったが、話をもとに戻そう。京都市内を除く日本国内で、市制がとられているところの多くの場合は、上で述べたような「両側町」ではない。通りで囲まれた幾つかの区画を含むある範囲が、一般的に●●町と呼ばれている。このことはとりもなおさず、京都の◎◎町と●●町とでは、規模も含めてかなり質的に異なる、ということになる。すなわち、◎◎町は、ある一本の「通り」をキーにしたそれもかなり狭い範囲を指すものであるのに対して、●●町はそれよりは広範囲な範囲を示す呼称なのである。だから、◎◎町の類は、恐ろしく沢山の数が存在し、しかも同一名のものもかなりある。例えば「京都市上京区毘沙門町」などと言われたところで、私などは、「は?それどこ?」と思ってしまう。そして、困ったことに「毘沙門町」は、上京区内にも複数存在していたりするものだから、もうわけがわからない。「今出川通七本松西入毘沙門町」と「上立売通寺町西入毘沙門町」と聞いて、ようやく、位置関係がはっきりするというものだ。だから、冒頭でオペレーターに応えたことの真意は、「▲京区◎◎町××番地」の場合、郵便番号が正確に記載された限りにおいて、「郵便物は届く」 -そう郵便屋さんは配達のプロなのだから- という意味であって、本当は面倒でも通りの名を登録しておいた方がベターだということだったのだ、実は。それなら、「◎◎町というのはどういう存在なの?」-という問いが出てきそうなものである。そう、これについては、また稿を改めてご紹介したい。予告をしておくと、この「町(ちょう)」こそは、中世以来の京の自治組織の単位であり、どこの町もそれなりの歴史を持っていること、この町が小学校の校区とも密接な関係があること、等について言及できれば、と思っている。(たいへん参考となるご意見がありましたので転記しました)
Jul 27, 2010
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息子達が自宅から大学に通い、社会人として巣立つと、独立心を持たすのが大事とばかり、すぐに外に住まわせた。長男は、結婚後しばらくスープが冷めない距離にいた。連れ合いが母親にひかれるらしく、住み心地が忘れられないのか、都心に移ってしまった。長男夫婦は先日の箱根旅行で妻に赤いチャンチャンコをプレゼントしてくれた。少し遅ればせながら、次男夫婦が、小綺麗なイタリアン・レストランで妻の還暦祝いをするから、おいでという。次男は、郊外の社宅住まいである。かわいい孫を連れた次男夫婦から、超高級赤ワインと、真っ赤なジョーゼットと、赤い薔薇の花束が妻にプレゼントされた。赤尽くしである。 小生は、脳梗塞で禁酒の命が出ているが、今日ばかりは、ワインを2口ばかり飲んでみた。すぐに、酔いが回り、やはり、医者の言うことが正しかったのに気づかされた。妻には、小生が単身赴任のあいだ、子供の事は任せきりで苦労を掛けた。小生の定年後は自由に出かけてもらっている。10歳くらい若いので、趣味の仲間との世界遺産スケッチ旅行、お茶・観劇などを、これからは十分に楽しんでもらいたい、とおもう。「そんなに花嫁修業をさせていたら、誰かにとられてしまうぞ!」、と友人は警告する。それでも、元気に楽しく、人生を楽しんでもらえれば、多少の罪滅ぼしができる、と思っている。小生は、家にいて、「一休さん」で行くしかないのである。最近、日本人が海外で交通事故などに巻き込まれる記事が多い。先日も、スイスで氷河急行列車の脱線事故があった。それだけ、日本のお年寄りが、悠然と海外にでかけることができる、ありがたい時代が来たのだ。それだけに、現地の歴史や地理や風土などを事前に深く知ることで、訪問したときの実感を高めて、楽しんで来てもらいたい。随分と慣れてきたようであり、引率もできるような成長ぶりだが、事故・事件に遭わないように充分注意してもらいたいものだ。
Jul 25, 2010
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本日は、もう一つの共済制度を調べる。連鎖倒産などに遭わないように努力するのは経営者として当然だが、万一のことを考えて加入しておいた方がいいとおもう。[経営セーフティ共済]http://www.smrj.go.jp/tkyosai/経営セーフティ共済(正式名称:中小企業倒産防止共済制度)は、取引先企業の倒産の影響によって、中小企業者の方が連鎖倒産や経営難に陥ることを防止するための共済制度で、中小企業倒産防止共済法に基づいて、国が全額出資している独立行政法人中小企業基盤整備機構が運営している。取引先の倒産時に、必要な資金を迅速に借り入れできる。しかも無担保・無保証人。借入最高額は積立金額の10倍である。以下については、本年の7月から10月までに法律(政令)が施行される予定であるので、注意願いたい。できるだけ、判明している箇所は→を記したが、ホームページをたびたび見たり、末尾の相談室に問い合わせして欲しい。法律は「多分では」許されない部分があり、本人が確認すべきものだからです。<加入資格>次のいずれかの条件に該当する、引き続き1年以上事業を行っている中小企業者の方が加入できる。1. 従業員300人以下または資本金3億円以下の製造業、建設業その他の業種の会社および個人2. 従業員100人以下または資本金1億円以下の卸売業の会社および個人3. 従業員100人以下または資本金5,000万円以下のサービス業の会社および個人4. 従業員50人以下または資本金5,000万円以下の小売業の会社および個人5. 企業組合、協業組合など次のいずれかに該当する方は加入できないのでご注意ください。1.住所または主たる事業の内容を繰り返し変更したため、継続的な取引状況を把握することが困難な方2.事業にかかわる経理内容が不明な方3.すでに貸付けを受けた共済金や一時貸付金の返済を怠っている方4.中小機構から返還請求を受けた共済金や一時貸付金、または解約手当金の返済を怠っている方5.納付すべき所得税または法人税を滞納している方6.掛金を12月以上滞納したために中小機構によって共済契約を解除され、解約日から12ヶ月を経過していない方7.不正行為により共済金や一時貸付金の貸付け、または解約手当金を受給した(受給しようとした)日から12ヶ月を経過するまでに再び加入申し込みを行った方8.現在、契約者となっている方(重複加入はできません)注意事項:一般消費者を取引先とする事業者、金融業者および不動産賃貸業者などの業種については、取引先に対する売掛金債権などが生じないのが一般的ですので、通常、共済金の貸付けを受けることはできません。加入にあたってはご注意ください。<掛け金>1. 掛金は掛金総額が320万円になるまで積み立てができます。→掛金総額が800万円になるか確認下さい。2.毎月の掛金は、5,000円から8万円の範囲(5,000円単位)で自由に選択できます。 →8万円の範囲が20万円の範囲になるか確認下さい。3.掛金は、5,000円から8万円の範囲内(5,000円単位)で増額、減額できます。 →8万円の範囲が20万円の範囲になるか確認下さい。ただし、掛金の減額は以下に該当する場合にできます。(1)契約者の事業規模が縮小されたとき(2)事業経営の著しい悪化、病気または怪我、急な費用の支出などにより掛金を払い込み続けるのが著しく困難なとき(3)共済金の貸付残高と掛金残高の10倍に相当する額との合計額が3,200万円に達しているとき→合計額3,200万円が8,000万円になるか確認下さい<共済金の貸付>加入後6ヶ月以上が経過して、取引先事業者の倒産によって売掛金債権等が回収困難となった場合に、共済金貸付けが受けられます。1. 貸付限度額は回収困難な売掛金債権等の額と掛金総額の10倍のいずれか少ない額で、最高3,200万円です。→最高8,000万円になるか確認下さい2. 返済期間は5年間(据え置き期間6ヶ月)です。 →返済期間は10年となるか確認下さい3.返済方法は54ヶ月で均等分割による毎月返済となります。4.担保、保証人はいりません。<以上に関して重大な変更があります・・機構より>第174回通常国会において、平成22年4月14日に「中小企業倒産防止共済法の一部を改正する法律」が成立し、同21日に公布されましたのでお知らせいたします。 改正の具体的な内容や施行日につきましては、今後、政令や経済産業省令等によって定められます。詳細につきましては、決まり次第機構からお知らせして参ります。 〔改正内容〕【平成22年7月1日までに実施】共済金の貸付を受けられる取引先事業者の「倒産」法的整理、取引停止処分に加えて、私的整理の開始を知らせる「通知」が加わりました。 ○取引先の私的整理の開始を知らせる「通知」が届いた場合、共済金の貸付けが受けられます。注1:弁護士等(注2)からの「支払停止通知」があった場合を対象とします。注2:弁護士等とは、弁護士若しくは弁護士法人又は司法書士法(昭和二十五年法律第百九十七号)第三条第二項に規定する司法書士若しくは同項に規定する簡裁訴訟代理等関係業務を行うことを目的とする司法書士法人です。なお、ここでいう司法書士とは、法務大臣の認定を受けた司法書士であって、訴訟の目的となる物の価額が140万円を超えない請求事件訴訟等について代理業務を行うことができる司法書士となります。【平成23年10月までに実施】○共済金の貸付限度額が、3,200万円から8,000万円に引き上げられます。掛金月額は5千円~8万円でしたが、改正により上限は20万円となります。掛金総額は320万円上限でしたが、改正により800万円上限となります。 ※ 掛金は、これまでと同様、全額、損金・必要経費に算入できます。 ○貸付金を繰り上げて償還した完済者に、新たに手当金が支給されます。(早期償還手当金)※ 月々の償還に延滞していない共済契約者が繰上償還した場合に対象となります。※ 手当金の額は、繰上時期と繰上額に応じて決められる予定です。(今時改正により重要な変更がありましたので、細部は変わることもあろうかと思いますので、詳しくは下記にお問い合わせください。 共済相談室 050-5541-7171受付時間:平日 午前9時~午後7時 土曜 午前10時~午後3時)また、以上は、抜粋なので詳しくはホームページを見てフォローして欲しいです。
Jul 24, 2010
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国が全額出資している独立行政法人が運営する共済制度は、ぜひ、企業化したら、すぐ加入しておいた方が有利である。起業家の方は、自分がもはや、事業主であり、被雇用者ではなくなったことを意識すべきである。自分自身で退職金を用意しないといけない。また、商取引を始めると、直接ではなくとも、連鎖倒産の憂き目を負わないとも限らない。自分の積立金は借入金の原資ともなりうるので、調べておこう。詳しくは、下記のホームページを見て欲しい。http://www.smrj.go.jp/kyosai/index.html「小規模企業共済」と「経営セーフティ共済」の詳しい説明がある。加入の方法は、いずれも、中小機構と委託契約をしている全国の金融機関、商工会、商工会議所などが加入窓口になる。これらの法律(政令)は来年1月1日や本年7月1日や10月までに施行される部分があるのでご注意ください。本日はまず、小規模企業の「事業主のための退職金」について調べる。この法律は来年1月1日をもって施行される部分があるので注意願いたいし、所管に詳しく問い合わせ願いたい。分かる範囲で、→で示した。[小規模企業共済]http://www.smrj.go.jp/skyosai/小規模企業共済制度は、事業をやめたときや会社役員を退職した後の生活資金等をあらかじめ積み立てておく共済制度で、小規模企業共済法に基づいて、国が全額出資している独立行政法人中小企業基盤整備機構が運営している。<加入できる方>1.常時使用する従業員の数が20人以下の建設業、製造業、運輸業、不動産業、農業等の個人事業主または会社の役員→共同経営者(個人事業の経営に携わる個人)を含む2. 常時使用する従業員の数が5人以下の商業(卸売業・小売業)、サービス業の個人事業主または会社の役員→共同経営者(個人事業の経営に携わる個人)を含む3. 事業に従事する組合員の数が20人以下の企業組合の役員4. 常時使用する従業員の数が20人以下の協業組合の役員5. 常時使用する従業員の数が20人以下であって、農業の経営を主として行っている農事組合法人の役員6. 常時使用する従業員の数が5人以下の弁護士法人、税理士法人の士業法人の社員会社の役員とは、「株式会社・有限会社の取締役や監査役の方」、「合名会社・合資会社、合同会社の業務執行役員の方(業務執行役員を定款で定めた場合はその定めた社員)」をいう。(注1) 常時使用する従業員には、家族従業員や臨時の従業員は含まない。また、常時使用する従業員の数は、あくまでも加入時における人数要件であって、加入後に従業員の数が増加して要件に該当しなくなっても、引き続き加入できる。(注2) 2つ以上の事業を行っている事業主の方は、「主たる事業の業種」での加入となる。<加入できない方>・・今時改正(H23.1.1.から施行)で1.は変更となるので注意下さい。1.配偶者などの事業専従者(個人事業主とみなされない。) →共同経営者(個人事業の経営に携わる個人)は加入できないものから除外される、ので確認を要する。共同経営者は、通常、配偶者、後継者だが、親類には関係ないものもいる。制度改正は事業承継を円滑にする目的もあるらしい。ただし、来年からの実施である。2.協同組合、医療法人、学校法人、宗教法人、社会福祉法人、社団法人、財団法人、NPO法人(特定非営利活動法人)などの直接営利を目的としない法人の役員など3.サラリーマン(給与所得を得ている方)が副業的にマンション・アパートを経営している場合など4.会社など役員とみなされる方であっても、商業登記簿謄本に役員登記されていない方(相談役、顧問その他実質的な経営者)5.生命保険外務員など<制度のポイント>1.廃業時・退職時に、共済金を受け取れる。受け取り方法は一括・分割・併用のいずれかを選べる。2.共済金は税法上「退職所得扱い」または「公的年金等の雑所得扱い」となる。3.掛金は毎月1,000円~70,000円の範囲内で自由に選べ、全額所得控除となる。(増額や、特別な理由によっては、減額も可能である。)掛金は税法上、全額が「小規模企業共済等掛金控除」として課税対象所得金額から控除される。掛金は将来受け取る共済金(解約手当金)の原資に全額が充当される。4.事業資金等の貸付制度が利用できる。(担保・保証人は不要)地震、台風、火災等の災害時にも貸付を受けられる。<以上に関して重大な変更があります・・機構から> 第174回通常国会において、平成22年4月14日に「小規模企業共済法の一部を改正する法律」が成立し、同21日に公布されましたのでお知らせいたします。 平成23年4月までに施行されることとされていますが、施行日や制度の細かな内容につきましては、今後、政令や経済産業省令等によって定められます。詳細につきましては、決まり次第お知らせして参ります。〔改正内容〕(1)共済契約を締結できる小規模企業者の範囲の拡大加入対象者に個人事業主の「共同経営者(個人事業の経営に携わる個人)」が追加されます。(2)共済契約の締結拒絶事由の追加小規模企業共済への加入を拒絶する事由が経済産業省令で追加されます。(3)共済契約のみなし解除事由の見直し金銭出資による「法人なり」の取扱いについて見直されます。(4)共済契約に係る掛金納付月数の通算の対象者の拡大掛金納付月数の同一人通算手続きが可能となる方の範囲が拡大されます。※内容の詳細につきましては、今後公布される省令により、確定次第お知らせいたします。(お問い合わせ先)中小機構 共済相談室電話:050-5541-7171受付時間:平日 午前9時~午後7時 土曜 午前10時~午後3時以上は、抜粋なので詳しくは機構のホームページを見るか、お問い合わせしてください。あすは、もう一つの共済制度を調べます。
Jul 23, 2010
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起業化、創業などを考えている方には公的な機関が、その道き易いように、情報を提供してくれているのでそれを利用しない手はないであろう。借り入れをするか、しないかは別として、どのように申込をするのかの方法論よりも、自分がどのような会社を作っていくのか、第三者的な視点からみたらどのように見えるのかを、実際に「申込書」を作っていく段階で体験できるのである。一種のプレゼンテーションの作成と思えばよい。「創業」のための情報提供を日本政策金融公庫(注1)などの政府関連機関から得られる。メール配信サービスもあり、行かなくても情報は入手できるので大変便利である。国民金融公庫と中小企業金融公庫は統合されたので、小規模から中規模までの事業規模についての情報がカバーされている。さらに、具体的な業種別の情報を得るには多少の費用がかかるが、経営ソフトリサーチのJRS(注2)などがある。神奈川県の方は、数日前に記した、「KIP」(注3)に行けばよい。(注1)日本政策金融公庫の「情報提供」を利用するには、次を開く。http://www.jfc.go.jp/information/index.html(注2)中小企業の経営問題のコンサルタントなどは、経営ソフトリサーチなどに聞く。http://www.keieisoft.jp/具体的な業種別の経営情報サービス(FAXなど)は、その一部門の「JRS」などを使う。http://www.jrs.ne.jp/やや、具体的な経営戦略の策定には、経営戦略研究所(MSI)などがある。http://www.msi-net.com/01/top_field.html(注3)神奈川県の方は前述のKIP:http://www.kipc.or.jp/content/view/95/32/
Jul 22, 2010
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「起業家と金融業」について記載したとき、惚け老人のメモでも、「起業家」に多少興味がある方が居られるようなので、典型的な中小企業の「ワン・ストップ」支援を行っている(財)神奈川産業振興センター(注)を紹介してみたい。もともとは、県の外郭団体の神奈川中小企業センターが母体で、貿易関係団体などを統合したものである。他県の起業家の方でも、多少名前が違うが、日本企業の大多数を占める中小企業の支援は同様に行われている。「関連機関」として、全国の中小企業支援センターへのリンクが張られているので便利である。英語名称は Kanagawa Industrial Promotion Center (略称 KIP)である。ホームページは下記の通りである。http://www.kipc.or.jp/content/view/95/32/KIPの「事業内容」の説明は多少ダブルが下記に示す(ただし、ハイパーリンクはここでは消してある)。詳しくはKIP本体の事業内容をクリックすること。1. 起業・創業支援事業? ビジネスプラン実践講座の開催? ワンストップ経営総合相談? コミュニティビジネスの経営支援? ビジネスプラン発表の場の提供-ビジネスオーディション-? 設備投資に対する支援? ベンチャー企業に対する支援? インキュベート入居企業への支援2.新分野進出支援事業? ビジネスプラン発表の場の提供-ビジネスオーディション-? 知的財産の活用による経営革新の支援? ワンストップ経営総合相談? 第二創業に関する相談? 産学交流サロンの開催? ベンチャー企業に対する支援3.経営革新・改善支援事業? 経営アドバイザー(専門家)の派遣? 知的財産の活用による経営革新の支援? ワンストップ経営総合相談? 下請取引適正化? ベンチャー企業に対する支援? 設備投資に対する支援? 受・発注商談会? コミュニティビジネスの経営支援? ビジネスプラン実践講座の開催4.事業連携支援事業? ビジネスプラン発表の場の提供-ビジネスオーディション-? 知的財産の活用による経営革新の支援? ワンストップ経営総合相談? 産学交流サロンの開催? ビジネスプラン実践講座の開催? 受・発注商談会? ビジネスプランの評価・事業化促進支援-ビジネス可能性評価事業-5.資金調達支援事業? ビジネスプラン発表の場の提供-ビジネスオーディション-? ワンストップ経営総合相談? 中小企業技術革新制度(SBIR)の紹介・活用支援? ベンチャー企業に対する支援? 設備投資に対する支援? ビジネスプランの評価・事業化促進支援-ビジネス可能性評価事業-6.販路開拓・拡大支援事業? 専門見本市への参加支援? 輸入促進事業? ベンチャー企業の販路開拓支援? 受・発注商談会? 八都県市合同商談会? ビジネスプラン発表の場の提供-ビジネスオーディション-? ベンチャー企業販路開拓ナビゲート事業? 神奈川県新技術・新工法展示商談会? 受・発注取引あっせんの実施? ワンストップ経営総合相談? 下請取引適正化? 技術見本市などの主催? 小田原木製品展示商談会7.国際化支援事業? ワンストップ経営総合相談? 企業の国際化の支援8.事業別に支援した企業一覧と紹介? ビジネス可能性評価事業? ビジネスチャンス開拓研究会? ベンチャー企業販路開拓ナビゲート事業? かながわビジネスオーディション? インキュベートルーム入居企業? ベンチャーファンド投資促進事業特に、起業家の方は、財団で「企業化マニュアル?」などを入手し、財団の有料セミナーに出席するなどで勉強することを期待する。なにしろ、カレンダー年の7年が、技術進歩(コンピューター進歩・DOG YEAR)の1年に相当するのだから起業家は不断の勉強が必要だ。ベンチャー企業の社長達と、目線をできるだけ合わせるには、幕張メッセ、東京ビッグサイトなどの国際展示場に足繁く通わないといけない。なにせ、起業したベンチャー企業群1,000社から、さらに株式の上場により、直接金融からの調達を果たせる企業は僅かに1~3社程度しかいない、極度に狭き門なのだ。(注) たしか、JR関内駅からJR桜木町駅の方角に歩いて、直ぐのところにKIPはある。横浜スタジアムとは反対側。「めいてい君の紹介」ではまったく通用しないし、「おやつ時」も多分通じないだろうが、親切で有能な専門家がたくさんいるので遠慮なく、尋ねてもらいたい。
Jul 20, 2010
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以下は、小生が、本物の起業者から受けた痛烈な批判である。起業家は、借り入れ金利をコスト面で見る。コストであるから絶対量・金額である。変動費を考える際に、重要となる、単位コストは材料の支払い代金(材料費)などで、一単位の産出にそれらがいくら必要かが問題である。金利コストは、産出量に関わりなく発生するので固定費として扱われる。借り入れ金利が4%から4.5%に上がった場合は、金利が0.5%上がったとは言わない。金利支払いが12.5%増えたという。また、借り入れ金利が4%から3.5%に下がった場合は、金利が0.5%下がったとは言わない。金利支払いが12.5%減ったという。他方、政治家や金融業者は金利を利率・%で表現したがる。何%から何%に上がったか、下がったかに目がいく。いや、そこに目をいかせている。銀行貸出金利が4%のとき、銀行の預金者からの借入(仕入れないし預金)金利は(ここでは日銀からの借入金利部分などを考慮しないとする)3.5%とすると、0.5%の利鞘率が稼げる。不況対策を反映して預金金利(銀行の仕入れ金利)が1%に下がっても貸出金利を2%にとどめるとすると、利鞘率は1%となる。利鞘を額で見ると100%の増加である。起業家が金利を見るときは、このような違いが生ずる。起業家を、年金生活者でみても同じような事がいえる。(以上は単純化したもので、脳梗塞に免じてお許し願いたい。)金融業者は、自らの販売・仕入単価を、政府の不況対策としての「金利操作を利用する」ことにより、利益を上げることが可能な性格を持っている。どのような不況下であっても、金利面での自由競争がないとき、とくに、貸出金利の引き下げの「抵抗」が有効な場合は、金融業者への所得の移転が顕著に生ずる。政府は、アメリカでの低所得者向け過剰住宅投資等への集中貸出・倒産に伴う、世界金融恐慌の拡大をおそれ、銀行が倒産し、さらに産業界が疲弊するのを危惧し、銀行に公的資金注入を行った。公的資金注入により、危機を回避してもらった銀行が、産業界や年金生活者が困窮しているとき、恩返しを期待するのは無理なのか?自由競争を尊ぶアメリカでも公的資金を受けた、メガバンクの役員が巨額の賞与を受けようとしているのに対し、道徳的な批判が高まっている。また、中小企業向けに特化した新銀行が、高利の貸出を行い、メールを削除して操作を逃れようとするなどの不祥事も起きている。素人には理解できない高等数学を金利工学に持ち込み、破局までの時間を短縮させた世界的学者の責任も問われている。しかし、銀行には、官僚と同じく優秀な人材がいる。政治家にも、江戸時代の徳政令に似た「元金・金利猶予措置」を唱えた猛者もいる。互いに批判し合うのでなく、日本経済、世界経済をこれらの優秀な人材が力を合わせて立て直して欲しい。自分の所得確保のみでなく、パイが縮小した今ではお互いに痛みを分かち合うことが生き残るために必要なのだ。公正取引委員会のようなところが、政策金利を動かす状況にあるときだけは、「バンカー」に対して中央銀行の指導命令に従うように目を光らせてもらいたい。「自由の名の下に」ある面で「談合」しているような姿を、まじめな起業家に映し出すのははずかしい。くどいようだが、頭の良い起業家から見て、ゴルフで喩えると、金融業は経済活動のなかの「バンカー」になっており、決して、「フェアーウエイ」を目指していないように映るのでは、申し訳ない限りである。
Jul 19, 2010
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官庁の研究所(経済)に出向いていた、若くてもう少し髪があった独身時代の話である。自分の無能力を全く解せずに、ただ、意欲と馬力だけで仕事を楽しみとして、昼夜押してきたものだ。帰宅時間が、朝の2時から3時は当たり前の仕事(朝はやや遅く出勤するので、今で言うフレックスタイム制に近い?)が2ヶ月おきにやってくる。涼しい部屋でパタパタパタとカードが高速で吸い込まれる大型コンピュターの音だけは慣れた。それが空いているのは深夜なのだ。GNPの構成要素を推計する方法がエリザベス女王の頭文字と同じ(QE)なのが気に入っていた。しばらくして発表される確報値(積み上げ)に対して、007のように的を確実にシュートするのが目的なのだと!深夜は「電算機」の順番待ちとなり、統括官(素晴らしくスマートな学者先生)が、「仕事の順番待ちで喧嘩するほどに、元気で熱心なのは良いことだ。」というほど、張り合ったものだ。夕方までが、データ集めと整備(パンチカード依頼)の時間だ。推計に使う基礎のデータを作成している所轄官庁から発表直後の真っ新のデータをもらわないと、「速報値」を超高精度には推定できない。たくさんのデータを使うので、たくさんの官庁・機関のデータ源を知ることが出来た。極度に多忙な1ヶ月が過ぎると、他班のキャップが数学の教授であるので(我が班のキャップも数学者であったが直属上司では習いにくい)、空いている時間に、若者達が集まって教授に、仕事に必須な数学(盲目の数学者の美しい数学などもあった)を教えてもらった。あらためて、数学のおもしろさに気づかせてもらった。難しいと思ったら、数学は苦学になるが、「解くカギ」を教えてもらうと、不思議と「綺麗に解ける」ようになる。役所にいたのでそのような名の人が主役の映画を思い出すが、「ダンス教室」ではプロの先生と踊ると巧くなったような「気がする」・・小生の水準は先生がいなくなるとまるで踊れない!「出題は基本的な仕組みを理解しているか、を試すのが目的である。時間内に解けるように出題は設定されており、解けないような意地の悪い(きたない形の答えがでる)出題はあまりない。回答者が間違った道に紛れ込んだ場合にだけ解けないことが多い。」と、いうことである。ちなみに、ほんの少し問題をいじったなら、例えば0を1や、1を2に代えただけで、もう解けないこともある。どの数学の先生も美しいものを好むように思う。その先生は、すこぶる“DANDY”であった。 そんな時、ある会社の名前を表す「トレードマーク」の応募があった。富士通である。FUJI・・・をみていると、「不死身」とか「無限」などが浮かび、積分記号の「0~無限大」の記号が目に浮かんだ。「無限大」のマークを弄っていると、どこに置くかで感じが変わる。やっているうちになんだか無意味なことをしているように思えた。なぜか、恥ずかしくなった。応募は取りやめた。友人が小生の取り止めたものを参考にして応募した。小生がやっていたものとは違うかも知れないが、よく似たマークになっている。だれも、「ふじ」から「不死」、それから「無限大」のマークを考えるのだな、と今でも富士通のマークを見るたびに気恥ずかしい思いが込み上げてくる。
Jul 11, 2010
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国立市に住んでいた頃、近くの多摩川へ子供二人(幼稚園)とよく出かけたものである。一応格好だけ付けるために、長竿と、投げ竿2本もった。餌は川にいる虫や、庭のみみずである。水嵩はほとんどなく、魚がいそうな場所は見あたらぬ。せいぜい、メダカぐらいいるのか。玉網で、やや水流の速い岩の隙間をさらってみたが何もはいっていない。遠くから自転車に乗った、風体の冴えないお兄ちゃんが近づいてくる。「遊漁料を組合から委託されて徴収してまーす。子供さんあわせて、3人いるので1500円です。」と。小生は、「釣れるような所がない。水遊びさせているだけだ。遊漁料は釣れるところで取るならわかるが、全く釣れない。釣りの楽しみがなく、組合は徴収する資格がない。あなたは、一体、漁協の徴収員たる証明書を持っているか。」と聞くが、金をくれと言うだけ。あまりに強引なので、子供の前で喧嘩はできず、渋々と支払った。自宅に帰って、件の「多摩川漁協」へ電話したが、いつも不在である。土曜、日曜と同じように監視のお兄ちゃんは来る。昔、親父がよく鮎釣りにでかけ、「鑑札」を腰にぶら下げていたのを見たが、こんな、なにも釣れないところで、また、子供をあそばせている程度なのに遊漁料を寄越せとはあきれた話である。最近、多摩川漁協の「内水面漁業規則」を見ることが出来た。入漁料は支払うべきもの、と書いてある。しかし、こどもは無料、それに年会員には割安な料金設定がある。当日会員への徴収者はどんな服装の人で、その徴収員掌はどのような形か、年会員の手続きはどこに振り込むか等不明である。結局、監視のお兄ちゃんは、子供は無料なのに大人と同じ料金を徴収したうえに、年会費を選ぶ方法を教えず、自分の身分を明かすものを何も持たずに、いたことになる。「お兄ちゃん」の小遣い稼ぎを許した漁協にも憤慨したものだ。かなり前の出来事であるが、振り込み詐欺よりは、まだましな犯罪であるが、騙された方は、同じく腹立たしい。余談だが、土佐の高知の横波半島で渡船料を支払い、海釣りをしたことがある。筏(筏の四隅から海底に向けて、長いロープのついた、アンカーを4つ下ろし、ボクシング・リングのようなところで釣る方式。揺れがすごくクーラーをロープに縛り付け、自分も落ちないようにふんばり、救命具を装備している。)の上での戦闘状態である。大きな「かわはぎ」を釣ったのをみた漁船が近づき、「その、かわはぎは俺たちが放流したものなので寄越せ」、という。遊漁料を支払っていないので、「仕方ないか」と思ったが、相手の魚船が大波で「筏リング」に近づけず、諦めて行ってしまった。その直後に、「筏リング」のすぐ下を、1メートル近くある、おおきなヒラマサが悠然と泳いでいるのに気がついた。急いで竿をその方向に投入した。「食い」の反応はあったがプツーンと音がして、しばらくして「錘の鉛」が海から飛び出し、小生の爪に当たり痛かった思い出がある。目を直撃しなかったのがせめてもの慰めであった。そのときの小生の釣り竿は「グレ竿」であった。遊漁料を支払わず、「かわはぎ」を釣った罰があたったのかも知れない。
Jul 5, 2010
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社宅から歩いても30分足らずのところに草津魚港はある。漁業権は放棄されて、日曜日には押し黙った人達が釣り糸を垂れている。小魚が良く釣れるも、誰も魚籠をもたず、ポイとリリースする。猫も釣った魚を欲しそうなふりをしない。「猫またぎ」というが、その魚はよく見ると、小生の地元の「猫またぎ」ではなく小アジである。かなり釣れたので、開きにして干そうと思い持ち帰り、その一尾を焼いて口に入れた。途端に、頭の中で閃光が走り、まるで、外科用メスを突き刺して歯茎から全ての歯を麻酔もせず抜き去ろうとするような鋭い痛みを感じた。太田川は何本にも分かれて広島湾に流れる。川口に現在の草津漁港があるが、原爆投下の直後に、命だけは何とか生き延びた被災者達が脱出した港である。膨大な原爆の灰はかき集められて、広島湾の埋め立て整備、商工センター建設地などの基礎として埋設され、街は新しく復興したので、当時の面影は「原爆ドーム」を除いては見あたらない。しかし、雨で流され、空中で拡散した「死の灰」については行き先不問である。美しい街並みへの復興は、国・市民の努力のたまものであり、赤ヘル軍団の躍進、アジア大会開催、全国男子駅伝開催などで暗いイメージは払拭されている。あまり言う人はいないが、チェルノブイリ原発4号炉のメルトダウン事故地が(広島原爆リトルボーイの5百倍の悲惨な規模を示し、)現在も立ち入り禁止になっているのに、広島はなにもないようである。広島には大変美しい女性が大勢いるが、結婚をためらっている人が多い。聞くと、母親が被爆しているので自分の結婚が怖いという。米国の「核傘」で日本は守られており、北朝鮮の核の脅威や、大国・中国との摩擦等から「抑止力」は保持しなければならない。原爆の爪痕(後遺症)は百年以上経っても完全には消えないことを、被爆国はもちろん、核保有・使用国も忘れてはならない。左手がやせ細り、痙攣して運転に支障が出たため広島原爆病院でMRI検査をしてもらったら、頸椎が異常に曲がっており、首の骨を削るか、牽引するしかないと外人ドクターに宣告された。牽引などを続け、5年後の検査では正常と出た。最近のこと、こんどはMRI検査で脳梗塞が見つかった。小さな穴があいている。随分昔の傷だという。今度は、右手、右足の痺れが強い。福島東海村原発見学で原子炉を上から覗いたことがあったが中性子でも当たったか。そういえば、外にでたときガイガーカウンターがけたたましく鳴っていた。自分のことは自業自得で、自分勝手な推論である。効果はともかく、トレーニング室でリハビリをまた始めよう。余談だが、友人達と魚釣りに隣の山口県「柳井・大島地区」へ車で出かけた。アーチ型の橋から周防大島に渡り、遊漁船でさらに上関(「下関」は遙か西の場所)付近にでる。このあたりは多くの小島により海流が速く、月の引力で海流が西・東に変化するのでいい漁場がある。現在は、上関に中国電力原発設置計画があり揺れている。原子力平和利用は資源の少ない我が国には必須だが、制御技術などのさらなる開発推進や、高精度ガイガーカウンターなどを民間に提供することはできないものか?
Jul 3, 2010
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ネットでみるといろんな見解があるが、次の解釈が広い視野に立つ。「先住民族(東南アジア南方系)である縄文人と、渡来した北方アジア系の弥生人の混血が日本人。北方アジア系とは今の朝鮮半島の民族と近い可能性が高い。遺伝子工学では西日本ほど弥生人の遺伝子が多く、東日本ほど縄文人の遺伝子が多い。ほとんど混血せず北海道に追われた縄文人がアイヌ。さらに、大和朝廷は、当時文化の進んだ朝鮮半島から秦氏など多くの技術者を招き、帰化した。現代日本人で、大陸や半島にいた民族の遺伝子を持たない者はいない。もちろん、天皇家も朝鮮半島から来たかもしれぬが、問題とは思えぬ。」エジプト脱出をしたモーゼによく似た風貌を残す、知人の「秦氏の末裔」。秦の始皇帝の命で不老不死の妙薬を倭の國に探しに出かけたまま戻らなかった一族は日本に帰化したに違いない。小生が日米会話学院に委託生でいた大昔に、台湾生まれの米国人が、お兄さんと生き写しだと。昔、多くの名所に「JAPAN'S INVASION」の看板が立つ韓国で同胞と思われ声をかけられたこと。稲作や豆腐などの風習がチベット近くの少数民族にあり、日本人とよく似ている。人間は、夫婦が20歳程度で結婚し、2人強の子供を産み、現在で70から80歳まで生きるから、アダム・イブの時代から膨大な人口膨張した。龍馬のいう「日本人」は自由人であり、宇宙のなかの地球人なのだ。
Jun 29, 2010
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