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原泰久「キングダム(70)」(集英社) 久しぶりにマンガ便がやって来ました。2023年12月のマンガ便は原泰久の「キングダム」(集英社)、第70巻でした。 65巻から始まった秦対趙の宜安の決戦で趙の名将李牧の罠の前に屈し、奇将桓騎を失って敗走した秦軍でしたが、逃げ帰った信をまっていたのは、次の展開で、中国思想史上、名高い法家の天才韓非子の登場だったことは69巻の「マンガ便」で紹介しました。 上の表紙をご覧ください、中央に描かれいるのが韓非子ですが、そのまえに、腰巻のキャッチコピーの文句です。 一億部突破‼ 契約金が10000億円を超えるという途方もない話で盛り上がった2023年でしたが、この国の人口が1億2千万人くらいだそうですから、このマンガがどんな流行り方をしているのか、チョット想像がつきませんね(笑)。結構、面倒くさいマンガだと思うのですがね(笑) で、今回の70巻ですが、秦王、政、後の始皇帝にして、マンガ「キングダム」のここまでの主人公李信の莫逆の友ですが、法治国家をめざす秦王に招かれた韓非子が、秦都咸陽で悲劇の死を遂げる物語でした。 咸陽には韓非子とともに荀子の門人として雌雄を競った李斯がいます。かつての学友李斯と対面したシーンがこれです。 韓非子はドモリ、吃音だったことがいわれていますが、その彼が秦王に仕える李斯に語る最後の言葉です。「し、しっかりやって、その名を歴史に刻め。わが友李斯」「その時が来たら法家の力をみせつけてやれ「・・・・・・」 この会見の直後、韓非子は謎の死を遂げますが、世に名高い始皇帝の法治主義、焚書坑儒の始まりを告げるセリフです。 孔子の教えは孟子の性善説と荀子の性悪説の二つに分かれて受け継がれますが、荀子の思想を引き継ぐ韓非子の「法治主義」が、焚書坑儒へと展開するあたりを、このマンガが描くのはいつになるのでしょうかね。 とりあえず、次号では「番吾(はんご)の戦い」という、再び、趙対秦の決戦ですね。楽しみです。
2023.12.31
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100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) 2020年の春にフェイスブックで始めたブックカバー・チャレンジ、100日で100冊の備忘録です。書名か本の写真をクリックしていたでれば記事が読めると思います。日付はフェイスブックに投稿した日です。no1 2020・05・11 (T・KOBAYASI)星野道夫「イニュニック アラスカの原野を旅する」(新潮社)no2 2020・05・12(T・SHIMADA) ロジェ・フリゾン=ロッシュ「結ばれたロープ」(石川美子訳:みすず書房)no3 2020・05・13 (K・SODEOKA)グレッグ・ジラード、イアン・ランボット『九龍城探訪 魔窟で暮らす人々』(イースト・プレス)no4 2020・05・14(T・K)村上春樹「中国行きのスローボート」(中央公論社・中公文庫)no5 2020・05・15(T・S)レイモンド・カーヴァ―「頼むから静かにしてくれ」(中央公論社)no6 2020・05・16(K・S)ローレンス・ブロック「八百万の死にざま」(田口俊樹訳:ハヤカワ文庫)no7 2020・05・18 (T・K)ポール・オースター「幽霊たち」(訳:柴田元幸 新潮社)no8 2020・05・19 (T・S)いとうせいこう「想像ラジオ」(河出書房新社)no9 2020・05・22 (K・S)奥泉光『モーダルな事象 桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活』(文春文庫)no10 2020・05・24(T・K)北村薫 『夜の蝉』(創元推理文庫) 以上で、始まりの10冊です。日付を見ていただくとわかりますが、2020年の5月11日(月)に始めて、5月24日(日)に10冊目です。快調ですね(笑)。で、いつまでこの会長が続くのでしょうね。 まあ、そのあたりが面白さなのですね。また覗いてくださいね。次は11冊から20冊ですよ。追記2024・05・11 投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目)(51日目~60日目)(61日目~70日目)(71日目~80日目)(81日目~90日目)というかたちまとめています。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。
2023.12.31
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ロマン・ポランスキー「戦場のピアニスト」シネ・リーブル神戸 SSC、シマクマシネマクラブ2023年最後、第15回例会です。見たのはロマン・ポランスキー監督の「戦場のピアニスト」でした。 シマクマ君は初めての鑑賞ではありませんが、M氏は初めてだったようです。作品はM氏の希望リストから選んだのですが、以前、ご一緒した「覇王別姫」をご覧になった時に紅衛兵による糾弾シーンなどに対して「非人間的で見るに堪えない」というような感想をおっしゃっていたので、この映画の殺伐とした殺人シーンをどうご覧になるのか、ちょっと心配しましたが、それほどでもなかったようで、不思議な気がしました。 映画はウワディスワフ・シュピルマンという実在のピアニストの体験記の映画化で、ナチスの侵攻とユダヤ人狩りをかろうじて生き延びたポ-ランドのユダヤ人ピアニストの逃亡生活の実録映画ですが、主人公が体験する恐怖と不安、絶望のリアリティは、ナチスの軍人や、ナチスに協力することで身の安全を守ろうとする市民たちの殺伐とした振舞い、街角で殺された、その姿勢のまま放置されたり、積み上げられた死体がその場で焼かれたり、それぞれのシーンをいかに殺伐と描くか! ということに支えられているかの作品で、ボクは、この殺伐さは、この作品に限らない監督ポランスキーに独特のものだと思うのですが、味もそっけもない、だから、まあ、何の躊躇いも感じさせない暴力的シーンに満ちています。ポランスキーの怒りが充満しています。 で、映画全体を、殺伐としたいやな感じから救っているのは音楽ですね。「ああ、ショパンやな」 そう感じる、スタジオでの録音シーンから始まり、戦争が終わった後、ショパンの協奏曲が演奏されて、映画は終わりますが、最も印象的なシーンは、隠れ家の隣の部屋から聞こえてくるショパンと、ほこりをかぶったピアノを弾いたつもりになって聞こえてくるベートーヴェンでした。 隠れ家の部屋で、音を立ててはいけないシュピルマン(エイドリアン・ブロディ)が弾いたつもりになるのは、ベートーヴェンのピアノソナタ「月光」でしたが、彼がその時、ショパンではなくベートーヴェンを弾いたことに、多分、大した意味はなかったのだと思いますが、胸をうたれました。 作品の底には、実に、冷徹に現実を振り返っているかのポランスキーの祈りが響いているかのようで、見ているボクはその祈りが音楽として響いてくるのを、今か、今か、と待っていた2時間30分でした。 隠れ家に潜んでいるピアニストは、偶然、音楽を理解するナチスの将校ホーゼンフェルト大尉(トーマス・クレッチマン)に救われますが、その将校が、戦後ソ連の捕虜になり収容所で死んだことを、生き残ったピアニストは知ります。 家族を皆殺しにされ、逃亡を支えてくれた人々をすべて失い、最後に敵であり恩人であったナチス将校の死を知ったピアニストに出来ることは、ただ一つ、音楽を、ピアノを、より美しく奏でることだけでした。 ショパンの大ポロネーズの演奏で映画は終わりますが、2023年の世界にポランスキーの祈り! は届くのでしょうか。 まあ、そんなことをフト思い浮かべたりもしたのですが、ポランスキーには、やっぱり、拍手!でした。監督 ロマン・ポランスキー原作 ウワディスワフ・シュピルマン脚本 ロナルド・ハーウッド撮影 パベウ・エデルマン美術 アラン・スタルスキ衣装 アンナ・シェパード編集 エルベ・ド・ルーズ音楽 ボイチェフ・キラールキャストエイドリアン・ブロディ(スワフ・シュピルマン)トーマス・クレッチマン(ヴィルム・ホーゼンフェルト大尉)フランク・フィンレイ(父)モーリン・リップマン(母)エミリア・フォックス(ドロタ)エド・ストッパード(ヘンリク)ジュリア・レイナー(レギーナ)ジェシカ・ケイト・マイヤー(ハリーナ)ミハウ・ジェブロフスキー(ユーレク)2002年・150分・PG12・フランス・ドイツ・ポーランド・イギリス合作原題「The Pianist」2023・12・26・no160・シネ・リーブル神戸no213・SSCno15
2023.12.30
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今敏「東京ゴッドファザーズ」パルシネマ 元町映画館のクリスマス企画「スモーク」の感動の勢いで、パルシネマのクリスマス企画「東京ゴッドファザーズ」を頑張って朝パルで見ました。今敏という、ボクは知りませんでしたが、2010年に、若くして他界されたマンガ家のアニメーション作品です。 予告編で絵柄と音楽に惹かれてやって来ました。映画は教会で合唱されている「きよしこの夜」で始まりました。 博打で身を持ち崩して家を捨てた中年の男ギンちゃんとゲイ・バーで唄っていたゲイのオバーちゃんであるハナちゃん、かわいがっていたネコを捨てられて、逆上し父親を刺して家出した、多分、高校生くらいの少女ミユキちゃんの三人の「ホームレス・野宿者」が、クリスマスの夜に赤ん坊を拾って「親探し」のドタバタの中で、三人の「家を捨てた」来歴が語られていくお話でした。 生田武志の「野宿者襲撃論」(人文書院)が出たのが2005年ですが、2000年くらいの東京に「ホームレス・野宿者」を対置させたセンスが俊逸でした。 大掃除と称して彼らを襲う若者も登場して時代に対する鋭さも感じましたが、三人それぞれを、「家」や「家族」を捨てたことに対する罪の意識の中に生きさせているニュアンスには、まあ、それが常識的なのだと思いますが、少し首をかしげました。 で、この映画の面白さは、絵柄と音楽でした。 絵柄は、アップで描かれる小汚い人物たちと、遠景に美しい背景としてある東京という組み合わせの見事さですね。 音楽は「きよしこの夜」に始まって、ハナちゃんの「ロクデナシ」(越路吹雪ね)の絶唱、それから、何といっても、鈴木慶一とムーンライダーズの「歓びの歌」(ベートヴェンの第9ね)は歌詞も歌も絶品でした。 学校で習う出だしはこんな感じでしたね。晴れたる青空 ただよう雲よ小鳥は歌えり 林に森にこころはほがらか よろこびみちて見かわす われらの明るき笑顔 学校ヨイ子だったボクは今でも歌えますが、映画の歌はこうでした(笑)。鞭で打たれるのは もう いやだよ地獄がなければ 天国もない蒸発したいよ この世は闇だでも 隠れる場所は 人でいっぱいだ黄昏時は 悲しくてやだよどうせ生きるのなら この夜がいい明日はいらない 未来はナシだでも 金で済むなら それで結構だクズにはクズの 死に場所があるよクズにはクズの 生きるところがあるこの空の下で なんとかなりゃいいでも 忘れられない 事がいっぱいだお前と俺とは赤の他人ださあ カリブの海で ラムを一杯やろう お前と俺とは赤の他人ださあ カリブの海で ラムを一杯やろうひとつ屋根の下に いると思うなさあ カリブの島で 煙草いっぱい吸おう ね、とりあえず一番から覚えようと思っています。徘徊のテーマソングですね。まあ、ボクには家も家族もいますけど。 しかし、まあ、納得のクリスマス企画でしたね。パルシネマに拍手!でした。監督・原作 今敏脚本 信本敬子 今敏演出 古屋勝悟作画監督 小西賢一 安藤雅司 井上俊之美術監督 池信孝撮影監督 須貝克俊編集 瀬山武司音楽 鈴木慶一 井上俊之アニメーション制作 マッドハウスキャスト(声)江守徹梅垣義明岡本綾2003年・92分・日本2023・12・28・no161・パルシネマno79 !
2023.12.29
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ケリー・ライカート「ファースト・カウ」シネ・リーブル神戸 今日見たのは「ファースト・カウ」という映画です。theがついていないことが気になりますが、訳せば「最初の牝牛」でしょうか、うーん、なんか意味深ですね(笑) ケリー・ライカートというアメリカの女性監督の2020年の作品だそうです。西部劇だそうで、オレゴン州が舞台だそうです。オレゴンてどこ? 地図を広げて見ると、カリフォルニアの北で太平洋に面している北アメリカ大陸の西の果てでした。 かなり大きな川が流れていて、大きな貨物船がゆっくり画面を横切って動いているシーンで映画は始まりました。この監督の作品では、こういうシーンが、何気ないのですが、見ているボクを引き込んでしまうのです。 河原でしょうか、犬が何か探し当てていて、そこに女性が登場して、犬がほじくっているのをやめさせて、自分で掘り始めると、もちろん素手で、出てきたのが、なんと2体の、どうも全部揃っているらしい白骨でした。 最近、縄文時代の殯(もがり)とかの話を読んでいることもあって、衣服がないとか、二体の白骨が寄り添っているとか、誰かに河原に捨てられたのかとか、あれこれ考えているとキノコを探している男のシーンへと画面が切り替わっていきました。 そこから北米大陸の東の果てボストンからやってきた実直そうな料理人クッキー(ジョン・マガロ)と、中国の農村で生まれらしいですが、香港から始まって、世界中をめぐって、ここオレゴンにたどり着いた男キング・ルー(オリオン・リー)という二人が、全くの偶然で友だち(?)になって、牛乳入りのドーナツの儲けでホテルを手に入れようなどという妄想に掻き立てられながら、このあたりには、たった一頭しかいない牝牛から牛乳泥棒に励むお話が語られるます。チラシの写真ですが、その牝牛が筏のような舟に乗って村にやってきたシーンを見ながら、ナルホドそうか! と納得しました。 始まりのシーンで、川の流れをゆっくり下っていく大きな貨物船を眺め、川岸で白骨を掘り出していたのはケリー・ライカート自身だったのです。 彼女は、100年以上も前に、始まりのアメリカの西の果ての世界を生きて、死んでいった人々の骨を掘り返し、命をあたえ、服を着せ、ブーツを買わせ、儚い夢を生き抜いて森の道を歩ませることで、おそらく、始まりから今に至るアメリカではなく、その時アメリカで生きていた人たちの「ホントウの歩み」 を描こうとしたのではないでしょうか。 川岸に寄り添って埋まっていた骨を丁寧に掘り返しながら、ライカートの脳裏に浮かんだのは、あそこからずっとここまでという歴史ではなく、その時、そこで、この人は、牛乳泥棒として追いかけられて、逃げ回るのにくたびれ果てて、友達と二人、森の中の木の切り株の、少し平らなところをベッドがわりに寝込んでしまったのかもしれないという、そういう、ボクには、それこそが、人間が生きた「ホントウ」の世界の姿だ! と思えるのですが、世界の歴史だったんじゃないかというのが、見終えたボクの、まあ、勝手な想像、妄想ですね(笑)。 妄想ついでに付け加えると、逃げながら寝込んでしまう二人の青年のシーンを見ながら、大江健三郎の初期の傑作「芽むしり仔撃ち」(新潮文庫)のラストシーンを思い浮かべたのですが、あの作品では、前近代的な世俗の権力に追われて森の闇の中にいるのは主人公一人なのですが、この映画では二人でした。二人の方が、チョット呑気に受け取れるところが不思議ですが、ケリー・ライカートは、最初に白骨を仕込んでいるわけで、絶望的であることは、案外、共通しています。 もう少しいえば、大江の作品の背景には、60年代の「日本」の前近代性があったと思いますが、その発想でケリー・ライカートのこの作品の背景が現代アメリカ社会であると考えるなら、オレゴンにやってきた「最初の牝牛」はアメリカで最初に独り占めされた富として描かれていることになるけど、そうなると・・・、というように妄想は広がるのですが、まとまりがつかなくなるのでやめますね(笑)。 なにはともあれ、これまで見てきた数本の彼女の作品が、現代アメリカ社会を背景にして発想されているとボクは感じていて、今回の作品も、そこが面白さの一つだったことは間違いありません。拍手!ですね。 今回もそうですが、彼女の作品が映し出す風景とか動物とかも、対象に対する自然な眼差しを想起させながら、愛情を感じさせるところがとてもいいですね。 新しい作品がすでにあるそうですが、あの、ウェンディでエミリーだった女優さんが出ていらっしゃるそうで、我が家ではチッチキ夫人も喜びそうですが、どんな眼差しで登場なさるのか、興味津々ですね(笑)。 監督 ケリー・ライカート脚本 ジョナサン・レイモンド ケリー・ライカート撮影 クリストファー・ブロベルト美術 アンソニー・ガスパーロ衣装 エイプリル・ネイピア編集 ケリー・ライカート音楽 ウィリアム・タイラーキャストジョン・マガロ(クッキー・料理人)オリオン・リー(キング・ルー・中国移民)トビー・ジョーンズ(仲買商)ユエン・ブレムナー(ロイド)スコット・シェパード(隊長)ゲイリー・ファーマー(トティリカム)リリー・グラッドストーン(仲買商の妻)2020年・122分・G・アメリカ原題「First Cow」2023・12・24・no158・シネ・リーブル神戸no212 !
2023.12.28
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100days100bookcovers no93 93日目関川夏央・谷口ジロー「坊ちゃんの時代-凛冽たり近代 なお生彩あり明治人」(双葉社・全5冊) KOBAYASIさんの小田嶋隆の追悼レビューがアップされたとき、ちょっとびっくりしてしまいました。私もたまたま彼の著作を3冊、図書館で借りていたんです。実はその前のSODEOKAさんの『アイヌの世界に生きる』のときにも、偶然、石村博子著『ピリカ・チカッポ(美しい鳥)―知里幸恵と「アイヌ神謡集」』を読みかけていたこともあって、アップされる本と同じような本を手にしているという偶然が続いたことにまた驚いてしまいました。ただ、手元にあった本はほとんど読み終えないうちに図書館の返却期限がきてしまい、感想をあらためてコメントさせてもらおうと思っていたのに、できないままこんなに時間が経ってしまいました。すみません。 遅れに遅れた言い訳です。このところの体力不足対策にはウォーキングしかないかと、せっせと歩いているのですが、そのせいで毎日クタクタで、本を開いても5行も読まないうちに居眠りタイムになっています。 その上、この3月で仕事が終わって、職場から私物を引き上げてきたため、ますます散らかってしまった家の中の片付けもあって、このブックレビューに手を付けられずにいました。 小田嶋隆をKOBATASIさんが「異端」と評されたのを読んで、「異端といえばこれ」と思う好きな本があってぜひ紹介したいのですが、その本を再読しようと思っているだけで、やはり読めないまま、時が経ってしまいました。言い訳以上。 早くとりかからないと思いつつ机まわりだけでも片付けていたら、しまい込んでいた本に偶然行き当たりました。で、今回は偶然が重なって、「偶然出てきた本」と、かなり苦しい付け方にします。久しぶりに出てきた大事な本です。 関川夏央・谷口ジロー『坊ちゃんの時代-凛冽たり近代 なお生彩あり明治人』(双葉社) この漫画は有名で、このブックレビューの中でも何度か話題にも上がったのではないでしょうか。詳しくご存じだったり、敬愛されている方も多いと思い、何を今さらと思われれるかと、おそるおそる書いていくことにします。 この漫画を買ったのは、8年ほど前かと思います。同僚が持っていた文庫版を借りたのですが、これはしょっちゅう見たい、自分で持っとかなきゃと、アマゾンで即買いです。 Wikipediaによると、「1987年から1996年まで漫画アクション(双葉社)で連載され」、「第2回手塚治虫文化賞マンガ大賞」を受賞していたらしいです。今回調べながら書いてみます。 全5巻、その構成(所持本の発行日付) 第一部 「坊ちゃん」の時代 1987年7月9日第1刷発行 1984年4月17日 第12刷発行・漱石の著作『坊ちゃん』の登場人物のモデルとなるような人物やできごとの実話を元にしたとする内容。第二部 秋の舞姫 1989年10月28日第1刷発行 1992年10月10日第4刷発行・森鴎外の『舞姫』を下敷きに、来日したエリスと長谷川辰之助(二葉亭四迷)が交流する。『普請中』など、鴎外の他の作品も取り入れている。第三部 かの蒼空(あをぞら)に 1992年1月12日第1刷発行 1997年10月22日第5刷発行・石川啄木の生涯第四部 明治流星群 1995年5月26日第1刷発行 1998年9月7日第7刷発行・大逆事件と称される事象とその後の処刑弾圧第五部 不機嫌亭漱石 1997年8月28日 1998年7月24日第5刷発行・漱石の修善寺の大患と生死の境を越えた夢 関川夏央といえば、『ソウルの練習問題』は、絶対読んどかなきゃというくらい有名になったので、当時、入手はしたのですが、まだ読まないままで、あきらめて、かなり以前に処分してしまいました。ほとんど読んだことがないと思っていたけれど、こんな形で出会っていたのかと今さら思いました。 『「坊ちゃん」の時代』を読んでて、司馬遼太郎を思い出すと思ったら、『司馬遼太郎の「かたち」』、『二葉亭四迷の明治四十一年』という著作で司馬遼太郎賞を受賞したらしい。 谷口 ジロー(男性、1947年8月14日 – 2017年2月11日)もとても高名な漫画家だが、日本以上に海外、特にフランスでの評価が高いとのこと。関川夏央ら漫画原作者と組み、青年向け漫画においてハードボイルドや動物もの、冒険、格闘、文芸、SFと多彩な分野の作品を手がける。TVでおなじみの『孤独のグルメ』の原作漫画もこの人だったんだあ。 第一部の関川夏央の「わたしたちは いかにして 『坊ちゃんの時代』を 創作することになったのか」より引用します。 「わたしはつねづね「坊ちゃん」ほど哀しい小説はないと考えていた。この作品が映像化されるとき、なぜこっけい味を主調に演出されるのか理解に苦しんでした。そしてそれらの作品はことごとくわたしの期待を裏切って娯楽とはいいがたかった。同時に、明治がおだやかで抒情的な時代であるという通俗的でとおりいっぺんな解釈にもうんざりしていた。 明治は激動の時代であった。明治人は現代人よりもある意味では多忙であったはずだ。明治末期に日本では近代の感性が形成され、それはいくつかの激震を経ても現代人のなかに抜きがたく残っている。われわれの悩みの大半をすでに明治人は味わっている。つまりわれわれはほとんど(その本質的な部分では少しも)新しくない。それを知らないのはただ不勉強のゆえである、というのがわたしの考えであり、見通しであった。また、ナショナリズム、徳目、人品、「恥を知る」など、本来日本文化の核心をなしていたはずの言葉を惜しみ、それらがまだ機能していた時代を描き出したいという強い欲望にもかられた。 そこでわたしは「坊ちゃん」を素材として選び、それがどのように発想され、構築され、制作されたかを虚構の土台として、国家と個人の目的が急速に乖離しはじめた明治末年を、そして悩みつつも毅然たる明治人を描こうと試みた。」 以上、引用です。 感想をおもいついたまま書いてみます。第一部の作り方が一番凝っているような気がする。漱石の周りの虚実ないまぜのできごとが『坊ちゃん』を構想させたようなつくりです。「堀紫郎」というの人物(青森斗南出身だが、親の代までは会津らしい)がラフカディオ・ハーンと知り合いで、漱石にハーン先生の話をするところもいいなあ。 二葉亭四迷の描き方も気にいりました。周囲が懸念するのにも関わらず、なぜかロシアに旅立ち、過酷な状況で体調を悪化させて帰国する船で亡くなった人。仕事とはいえ、なぜそこまで無理を押して渡露したのか。ここは、西木正明の『間諜二葉亭四迷』を思い浮かべた。 鴎外を追って渡日したエリーゼ・ヴィ―ゲルトと二葉亭四迷を絡ませた刃傷沙汰も愉快。 大逆事件と称される事象とその後の経緯は事件が事件だけに、ちょっと筆が進んでいないように思えた。私は個人的には以前から特に大石誠之助氏のことが気になっていたので、彼のことにも触れてはいるがもう少し欲しかった。 最後の第五部で、漱石が此岸と彼岸のよくわからない夢を見続けるが、ここは絵という漫画の強みがとても生きていると思った。 ほかに気になったのが、鳥、猫、犬がいい案配に描かれていること。煮詰まった時や、言葉にならない気持ちやらが伝わるような気がする。漱石に猫はまあ当然だけど、鴎外は犬、そういえば、樋口一葉が貧乏で飼えなくなったからと、二葉亭四迷に犬を譲るという場面もうまくはめたなあと思ったところ。 漱石以外の人物の周りは犬ばかりだったような。あとで、また確かめないと。でも、鴎外は猫を寄せ付けないような気がするのは私だけかしら。 とりとめなく思いついたままのブックレビューで、作品には申し訳ありませんが、これで終わります。関川夏央も谷口ジローもSIMAKUMAさんはすいぶん読まれているかと思います。どうかこのあとよろしくお願いいたします。E・DEGUTI・2023・04・07追記2024・04・05 100days100bookcoversChallengeの投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目) (51日目~60日目)) (61日目~70日目) (71日目~80日目)という形でまとめ始めました。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2023.12.27
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ウェイン・ワン「スモーク」元町映画館 2023年の12月になったころ、元町映画館から持ち帰ったチラシの束から一枚のチラシを引っ張り出してチッチキ夫人が叫びました。「わたしは、これ!」 というわけで、我が家の2023年のクリスマスは元町映画館のクリスマス3日間限定上映「スモーク」同伴鑑賞に決定しました(笑)。 で、問題は、上のチラシの頬を寄せ合っていらっしゃるお二人が、男と女なのか、男同士なのかでした。 で、見終えて確認しました。ブルックリンの煙草屋の親父と、赤の他人の黒人の盲目の老婆、というわけで、男と女でした。 モノクロで、セリフなし、ただ、ただ、この二人がクリスマスの夜に出会い、こうして抱き合っているシーンが、この映画のすばらしさを、ほどんど歴史的事件のように表現していて、見終えたチッチキ夫人は映画館を出るなり、もう一度叫びました。「今年のベストワン!サイコー!」 2023年のクリスマスの午後を二人で、この映画を見て過ごした老夫婦は、ため息しきりだったのですが、実は、二人ともこの作品を見るのは初めてではなかったにもかかわらず、「男同士」だったのか、「男と女」だったのか、まったく忘れ果てて盛り上がっていたのですから、まあ、いい加減な話です(笑)。 お話に興味がおありの方にはポール・オースターの原作小説「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」(柴田元幸訳・新潮文庫)をお読みなることをお勧めしますが、題名の「スモーク」は、たばこの煙ですね、あの煙には重さがあるかどうかを、ちょっと困った顔で抱き合っている男オギー・レン(ハーベイ・カイテル)の煙草屋にたむろしているヒマな男たちが喋くりあうシーンで語られるアホ話に出てくるのですが、映画の話が「タバコの煙」だというわけですね。実によくできた題名なのです。 今回、見ていて、ハッと、心を打たれたのは最初のシーンでした。ニューヨークの地下鉄とかが走っている街の俯瞰シーンで始まるのですが、少し遠景に、あのツィン・タワーが映るのですね。1995年の映画ですから当然ですが、あのタワー・ビルが崩落していくシーンを、ほぼ、実況で目にしたことがあるわけですから、映画が「スモーク」と題されている、もう一つの意味をしみじみと受け取ることになったわけです。 ちょっと大げさとお考えになるかもしれませんが、主人公の煙草屋の親爺は、抱き合った、見ず知らずのバーさんの部屋から、盗品に違いないとはいえ、キャノンだかの一眼レフを拝借して、自分の店の前の風景を4000日にわたって、同じ時間に撮り続けていて、そのコレクションされた写真、あの日から10年分の一枚一枚が写しとっている、その時、その時の人や町の姿が、この映画の底に流れているメイン・テーマだと、ボクは感じたのですが、二十年以上前に、この映画を見たときには何も感じなかった、ニューヨークの風景のなかに、まあ、映画の中で作家のポール・ベンジャミン(ウィリアム・ハート)が体験する不幸な偶然と同じように、映画そのものが現実化していることに対する驚きですね。 まあ、それにしても、納得の作品でしたね。クリスマス特集でこの作品を選んだ元町映画館に拍手!でした。いや、ホント、思い出にのこるクリスマスになりましたよ(笑)。 監督 ウェイン・ワン脚本 ポール・オースター撮影 アダム・ホレンダー美術 カリナ・イワノフ編集 メイジー・ホイ音楽 レイチェル・ポートマンキャストハーベイ・カイテル(オーギー・レン煙草屋)ウィリアム・ハート(ポール・ベンジャミン作家)ストッカード・チャニング(ルビー・マクナット煙草屋の元妻)ハロルド・ペリノー(ラシード・コール黒人の少年)フォレスト・ウィテカー(サイラス・コール少年の父)アシュレイ・ジャッド(フェリシティ元妻の娘)1995年・113分・PG12・アメリカ・日本合作原題「Smoke」2023・12・25・no160・元町映画館no218 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) !
2023.12.26
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「三宮にええ景色ありました!」 徘徊日記 2023年12月23日(土) 団地から三宮あたり 久しぶりにJR三宮で降りましてん。 で、チョット歩道橋わたりながら、ようやく気付きましてん。懐かしい垂れ幕でんな。阪神タイガース日本一! でっせ。 仕事さぼって家でテレビ見てたら長崎が満塁ホームラン打ちましてん。長崎って知ってます?あれから38年でっせ。 こんなん、また、30年ありまへんねん。まあ、生きてるうちには見られへんゆうことですな。そんなん、ホンモンのダメトラファンはよう知ってまっせ。 で、その垂れ幕が下がってんのが阪急デパートって、これいかに! でんな。 そごうチャイまっせ、阪急でっせ(笑)。新しいなったけど。阪急はこっちやと思いまんねんけど。 神戸に出てきて50年がたつシマクマ君ですが、歩道橋の上で、わけわからんまんま、しみじみしてしまいました。半世紀でんな。すごいことです。 で、今日は、50年前に出会ったお友達と同窓会(?)でんねん。今から阪急六甲行きまんねん。じゃあね。ボタン押してね!
2023.12.25
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ケリー・ライカート「オールド ジョイ」元町映画館 2021年の11月に元町映画館でやっていたケリー・ライカート監督の特集の感想が書きかけでお蔵入りしていたので、引っ張り出して、何とか書き上げて載せました。 見た映画は「オールド ジョイ」です。 見終えて、しばらく座っていて思いました。この、座り心地の悪さというか、落ち着かなさというのはいったい何なんかなあ? もちろん、映画には納得しているし、だから、映画の筋とか展開についてではなくて、ここに座っているボク自身の、今の気分についてですよ(笑)。 題名の「オールド ジョイ」というのは、たぶん「昔なじみ」とか「旧友」とかいう意味だと思うのですがマークという既婚で妊娠中の妻がいる青年(?)が、カートという、まあ、昔なじみのヒッピー暮らしの男とキャンプに出掛けて、帰ってくるだけのお話なのですが、なんというか、ぼくは見ていて落ち着きませんでした。 車は山の中にはいって行って、何年か前に来たことがあるというカートが道を間違えるというか、わからなくなって、結局ゴミ捨て場のようなところでキャンプすることになります。カートは犬を連れていて、マークはずっと訝しそうです。 翌朝、ようやく道を発見して、目的地(?)の温泉(?)にたどり着きますが、マークを見ていて感じるのは充足感でも安心でもありません。苛立ちと言うほどハッキリしたものでもない、ここにいることの理由ははっきりしていて、マークがカートを誘ったときの妻の表情か語っていましたね。あの生活から、ひと時逃げ出したかった、まあ、そんな感じでしょう。 で、こういう場合、すぐに男同士の愛情とか、妻である女性の微妙な立場が話題にあがるのですが、それ以前の「友達」ということについて、もう一度考えるべきなのじゃないでしょうかね。 この映画作家が、所謂、世間的な「大人」とか「女」とか「男」とかいうステロタイプ思考に、「そうかしら?!」 っていう問いを、実にビビッドに映像化していて、だからどうとか、あれこれいう前に、まあ、うまくいえないのですが、ホントウノコト! をきっぱり!と描いていらっしゃると思います。でも、まあ、たとえば今回は実に頼りない男の二人連れだったわけで、身につまされることしきりで、且つ、チクチクするのですね。だから、まあ、適当なところで妥協(?)して、安穏と暮らしている老人は見終えてへたり込んでしまうのですが、でも、まあ、恐る恐る(笑)拍手!ですね。監督 ケリー・ライカート脚本 ケリー・ライカート ジョナサン・レイモンド撮影 ピーター・シレン編集 ケリー・ライカート音楽 ヨ・ラ・テンゴ グレゴリー・“スモーキー”・ホーメルキャストダニエル・ロンドンウィル・オールドハムタニヤ・スミス2006年・73分・アメリカ原題「Old Joy」2021・11・29‐no117・元町映画館no219(132-3) !
2023.12.25
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ブラッドリー・クーパー「マエストロ」シネ・リーブル神戸 記事を投稿した後でこのチラシが手に入りました。このチラシの方、ホンモノ?ニセモノ? と、まあ、そのあたりがとても面白い映画でしたね。せっかくなので、冒頭に貼りなおしました(笑)。いかがでしょう。 SCC(シマクマ・シネマ・クラブ)の第14回例会です。シネ・リーブル神戸でブラッドリー・クーパー監督・主演の「マエストロ」をご一緒しました。 レナード・バーンスタインという、まあ、20世紀アメリカ音楽を象徴するような天才音楽家を主人公にして描いた作品でした。ナットクでした(笑)。 面白かったのはこの映画の監督でもあるブラッドリー・クーパーという俳優さんがバーンスタインを演じていたのですが、異様に似ていたことですね。 バーンスタインの生前の姿はネットの、たとえばYouTubeとかで見ることができます。ファンを称するほどバーンスタインの音楽に関心があるわけではありませんが、小沢征爾とかの師匠だったとかいわれていることもあって彼の作曲した音楽や演奏、指揮の様子を耳にし、目にしたことはありますから、映画のシーン、シーンでの姿が、特にモノクロの回想シーンとかでは「実写?」 と思うほど似ていると思いました。アップの表情もとても似ていて、まあ、それだけでも面白いですね。 二つ目は音楽ですね。どこかで、この夏だったかに見た「ター」と比較して見ているとことがありましたが、こっちの演奏シーンは納得でしたね。実物の映像的な記録がありますし、もともと、かなりヤンチャな指揮ぶりですから真似やすいということがあったのかもしれませんが、こっちの映像はシラケませんでした。メインはマーラーの「復活」だったと思いますが納得でした。まあ、音はバーンスタインの実音でしょうからね(笑)。だから、演技で指揮をしているクーパーさんが邪魔にならなかったということですね。 三つめは、妻のフェリシア(キャリー・マリガン)との「愛憎」の描き方ですね。夫バーンスタインの、男女を問わない、まあ、ある種でたらめな性的・人間的志向のインチキを見破り、糾弾するシーン、にもかかわらずバーンスタインを愛さずにはいられないという、自らの愛のかたちを吐露する場面には胸打たれました。 最後に、夫バーンスタインが死に瀕した妻フェリシアを抱きしめる夫妻の美しいシーンがあります。このシーンが音楽家バーンスタインの、思想としての「愛のかたち」の崇高さを、まあ、天才のなせる業と感じさせて、実に感動的なのですが、少々薹が立った老人の目にはまあ、ねぇー、よくやるね、ホント! というふうな感慨の浮かぶシーンの一面もあるわけで、なんともまあ・・・ でしたね(笑)。要するに勝手な男としての主人公を見ながら、まあ、天才のありさまに自分などを重ねるのは不遜の極み(笑)ではあるのですが、で、そういうこと(笑)は何にもないにもかかわらず、夫婦の片一方としてあれこれ振り返らせていただいたというわけですね(笑) 映画は「彼女が愛したバーンスタイン」 という趣で、恋人であり、妻であったフェリシアの目から見た天才の夫の姿を実に哀切にとらえていて納得でしたね。音楽のシーンにも納得でした。拍手! 監督 ブラッドリー・クーパー脚本 ブラッドリー・クーパー ジョシュ・シンガー撮影 マシュー・リバティーク美術 ケビン・トンプソン衣装 マーク・ブリッジス編集 ミシェル・テゾーロ音楽 レナード・バーンスタイン特殊メイク カズ・ヒロキャストキャリー・マリガン(フェリシア・モンテアレグレ・コーン・バーンスタイン)ブラッドリー・クーパー(レナード・バーンスタイン)マット・ボマーマヤ・ホークサラ・シルバーマンジョシュ・ハミルトンスコット・エリスサム・ニボラアレクサ・スウィントンミリアム・ショア2023年・129分・PG12・アメリカ原題「Maestro」2023・12・11・no152 ・シネ・リーブル神戸no209・SSCno14 !
2023.12.24
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ヴィム・ヴェンダース「PERFECT DAYS」キノシネマ神戸国際 ヴィム・ヴェンダース監督の「PERFECT DAYS」を見ました。神戸では、本日、2023年12月22日封切だったのですが、前評判が高いらしく、いつものシネリーブルの予約欄を見て引きました。調べると、旧国際松竹でもやっているようで、そちらの方が少しゆったりだったので、久しぶりにそっちの映画館を選びましたが、行ってみると、やっぱり人が多くて、結局前から3列目で、これまた久しぶりにスクリーンを見上げながら見ました。 朝焼けの遠景が映って、落ち葉を掃いている人がいて、その音で男が目覚めて、起き上がって布団をあげて、八畳一間かなと思っていると、服を着て部屋を出て、階段を下りて台所で歯を磨いて、玄関を出て、そのアパートの駐車場にある自動販売機で缶コーヒーを買って、駐めてあった軽のバンに乗り込んで、カセットテープを探して、挿入して、出発です。暫くして、スイッチを入れると「あっ!」と思う音が流れてきて、映画は始まりました。最初に聞こえてきたのが、多分アニマルズだったと思うのですが、その時点で、ボクは泣いていました。「ヴェンダースなら、きっと、何にも起きないはずだしなんにも起きなくていいよ、このままでいいよ。」 そのまま、最後まで続きました。さすがですね。何もいうことはありません。ある日の仕事帰り、軽自動車のカーステレオからルー・リードという人の「PERFECT DAY」という歌のさわりだけ聞こえてきました。 聞こえてこなかったサビはこんな歌詞です。Oh it’s such a perfect day なんて完璧な一日なんだI’m glad I spent it with you一緒に過ごせて本当によかったOh such a perfect day本当に完璧な一日だったYou just keep me hanging on君のおかげで、ボクはこうやって生にしがみついてるYou just keep me hanging on君のおかげで、ボクはこうやって生にしがみついてる まあ、こんな歌なのですが、この映画のすべてが下に貼ったこの歌詞の中にあります。缶コーヒーはサンガリアなのかどうかわかりませんし、動物園じゃなくて公衆便所だったり、一杯飲み屋やお風呂屋さんだったりしますが、「君」はホームレスのおじさんや、トイレで泣いている坊や、調子ばかりのいい無責任な同僚や、家出娘や、余命宣告されたおっさんだったりするわけですが、「生にしがみついている」過去を捨てた平山正木(役所広司)さんをkeep him hanging onし続けてくれるのです。 ラストは、役所広司、圧巻の一人芝居です。見ごたえありました。見入りながら、役所広司の到達地点に唸りました。いわゆる、くさい芝居という言い方があって、映画の出だし、彼の芸達者ぶりにふとそんな感じを持ったのですが、ラストの一人芝居には唸りました。拍手!ですね。 何の事件も、サスペンスも描くことなくここまで引き付ける作品を作った監督ヴィム・ベンダースも凄いですね。拍手! 余談ですが、「パリ・テキサス」で母子の体面の部屋を道路から見上げて去っていったトラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)の姿を思い出しました。彼はあれから、何処で、どんなふうに暮らしているのでしょうね。 Perfect DayJust a perfect dayDrink sangria in the parkAnd then later when it gets dark we go homeJust a perfect dayFeed animals in the zooAnd then later, a movie too and then homeOh it’s such a perfect day I’m glad I spent it with youOh such a perfect dayYou just keep me hanging onYou just keep me hanging onJust a perfect dayProblems all left aloneWeekenders on our ownIt’s such funJust a perfect dayYou make me forget myselfI thought I was someone elseSomeone goodOh it’s such a perfect dayI’m glad I spent it with youOh such a perfect dayYou just keep me hanging onYou just keep me hanging onYou’re going to reapJust what you sowYou’re going to reapJust what you sowYou’re going to reapJust what you sowYou’re going to reapJust what you sow監督 ビム・ベンダース脚本 ビム・ベンダース 高崎卓馬撮影 フランツ・ラスティグ美術 桑島十和子編集トニ・フロッシュハマーリレコーディングミキサーマティアス・ランパートキャスト役所広司(平山正木)柄本時生(タカシ・同僚)中野有紗(ニコ・姪)アオイヤマダ(アヤ・タカシの恋人)麻生祐未(平山の妹)石川さゆり(居酒屋の女将)三浦友和(女将の元亭主)田中泯(踊っている街角の老人)2023年・124分・G・日本2023・12・22・no157・キノシネマ神戸国際 !
2023.12.23
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ギャスパー・ノエ「VORTEX ヴォルテックス」シネ・リーブル神戸 今日見たのは 、アルゼンチン出身らしいギャスパー・ノエという監督のフランス映画「VORTEX ヴォルテックス」です。 1940年生まれのジーさんと、1944年生まれのバーさんの老老二人生活と、これでオシマイ! の映画でした。 主人公の一人、ジーさんの方は映画評論かなんかの本を書いている、まあ、所謂、インテリの物書きですが、心臓手術の経験者です。もう一人の主役のバーさんは精神科の医者だったらしい、しっかり者のインテリで、家じゅう本で埋まっています。 息子が一人いますが、どうも、元ヤク中だったらしく、一応社会復帰はしていますが子連れの大麻売りです。経済的にも社会的にも、頼りになる感じではありません。そんな息子がシングル・ファーザーとして育てている孫のキキちゃんも、母親の不在と、見るからに不安定な父親という環境にやっとのことで耐えてる様子で、ジジ、ババの家に来ていても、落ち着かなくてシンドそうです。問題はしっかり者だったはずのバーさんがボケたことです。 老夫婦がベッドで寝ているシーンから始まって、バーさんが先に起きだします。トイレに行って、それからパジャマの上に、そのまま普段着を着込んで、台所に行って薬缶を火にかけて、部屋に戻って何かメモして、それをポケットに入れると、そのまま上着を着てドアを開けて外に出ていきます。もちろん火はつけっぱなしです。通りに降りて来て雑貨屋に入って、・・・・。 ジーさんが目覚めて、トイレに行って、沸き立っている薬缶の火を止めて、お湯をカップに注いで、自分の部屋に帰ってタイプライターをちょっと叩いて、ようやく、バーさんの不在に気付きます。で、あわてて上着を着こんで、よろけながら部屋を出て行って・・・・。 若い方が、ここまでのシーンをご覧になってどう思われるのか、チョット想像がつきませんが、目の前のシーンが他人ごとではないボクには、異様な実感と不安が沸き起こってきました。行って、しまえば、それがこの映画のすべてでした。笑えません。 老々介護の中で、まあ、当然起こるであろう出来事で映画は展開しますが、まだらボケが戻った時には捨ててほしい・・・・ と呟くバーさんと、心のどこかで現実から逃避したい本音を隠せないジーさん、世話する能力を端から持っていない息子、落ち着かない孫、哀しいとか、切ないとかいう以前に、ワラワラと湧いてくるあんなー・・・・ と、まあ、言葉にならない実感にとらわれ続けた2時間でした。題名の「ヴォルテックス」は「渦」という意味だそうですが、バーさんがやたらとごみを捨てたものですから流れないくなった水洗トイレの「渦」にならないシーンだけが記憶に残りました(笑)。 「老い」をめぐって「生」と「死」を真摯にとらえようとする努力というか、態度というかの表明のように、人生は夢の中の夢だとかフランソワーズ・アルディのMon Amie la Rose「バラのほほえみ」の絶唱であるとか、画面二分割の工夫だとか手を尽くしていらっしゃるのですが、かえって、こざかしい屁理屈というか、言わずもがなの講釈というかで、老人二人の演技のリアル! で十分でした。 いや、それにしても老夫婦を演じたお二人、ダリオ・アルジェント(夫)フランソワーズ・ルブラン(妻)には、まあ、だからといって、やっぱり笑えるわけではありませんが拍手!拍手!でした。 監督ギャスパー・ノエの真摯はしっかり受け止めましたが、たしかに、人生は夢の中の夢なのかもしれませんが、「老い」は「現実」 ですよ(笑)。ハハハ、ようやく笑えました(笑)。監督・脚本 ギャスパー・ノエ撮影 ブノワ・デビエ美術 ジャン・ラバッセ衣装 コリーヌ・ブリュアン編集 ドゥニ・ベドロウ ギャスパー・ノエ音楽 ケン・ヤスモトキャストダリオ・アルジェント(夫)フランソワーズ・ルブラン(妻)アレックス・ルッツ(息子)キリアン・デレ(孫)2021年・148分・PG12・フランス原題「Vortex」2023・12・18・no156・シネ・リーブル神戸no210 !
2023.12.22
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ジャン=ピエール・アメリス「ショータイム」シネ・リーブル神戸 予告編を見ていて思いました。「これって、好きかも?!」 まあ、そう閃いて見に来ました。で、好きなパターンでした(笑)。こういう、人情喜劇というのでしょうか、いろいろあるのですが、まあ、なんとなくハッピィ―・エンドというようなお話好きですね(笑)。 チラシにあるとおり、ロープにぶら下がってダンス(?)する、エアリアル・ポール・ダンスのシーンが、なかなかな迫力で、ダンサーのボニーという女性を演じているサブリナ・ウアザニという女優さんは、きっと、その道の人なんだろうと思いましたね。まあ、ポール・ダンスはともかく、エアリアルとかいうダンスの名を初めて聞いて、初めて見る人間のいうことですからあてにはなりませんがね(笑)。あのー、一応、お断りしておきますが、なかなかセクシーというあたりに惹かれて言っているのではありませんよ(笑)。全然ないというわけでもありませんけど。 映画の筋書きは、経営に行き詰った、チョット世間ずれした農場主が牧場の納屋でキャバレーを開くというお話でした。その発想が、まあ、突拍子もなくて面白いのですが、展開は案外ありきたりというか、王道というか、そうなれば、そういう山あり谷ありになるだろうというお話でした。 で、ボクに面白かったのはフランスの農村風景、ゴロゴロしている牛たちの姿とか、そうそう、牛の出産の実写、ボニーさんのダンス、それから、牛とかニワトリの物まねのおじさんの演技でしたね。こういう、のんびり楽しい映画を久しぶりに見ましたね。 で、エンドロールまでやって来て、笑いました。実話なのでした。フランスのお百姓さんがチャレンジして成功したお話だったのですね。キャバレーに挑んだ、牛飼いのダビッドさんは実在する! のです(笑)。どっちかというと、本物のダビッドさんに拍手!でした(笑)。 まあ、それにしても、何処の国でも、真面目に農業をやっていらっしゃる方たちは、とんでもなく苦労なさっているというわけで、そのあたりでしみじみしてしまいました。監督・脚本 ジャン=ピエール・アメリス脚本 マリオン・ミショー ジャン・リュック・ガジェ ミュリエル・マジェラン撮影 ビルジニー・サン=マルタン編集 アン・スリオ音楽 カンタン・シリャックキャストアルバン・イワノフ(ダヴィッド)サブリナ・ウアザニ(ボニー)ミシェル・ベルニエ(ミレーユ)ベランジェール・クリエフ(レティシア)ギイ・マルシャン(レオ)ムーサ・マースクリリュドビック・ベルティロ2022年・109分・G・フランス原題「Les Folies fermieres」2023・12・19・no157・シネ・リーブル神戸no211 !
2023.12.21
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長谷川櫂「震災句集」(中央公論新社) 先だって「震災歌集」(中央公論新社)を案内した長谷川櫂の、まあ、いわば本業「震災句集」(中央公論新社)です。収められている百句ほどの句を、ボソボソ呟くように読んで、十句ほど選びました。あの年、みちのくの海辺に立ち尽くしていたかの長谷川櫂の姿 が浮かびました。二〇一一年新年正月のくる道のある渚かな古年は吹雪となって歩み去る幾万の雛わだつみを漂へる 雛は雛人形焼け焦げの原発ならぶ彼岸かな天地変いのちのかぎり咲く桜滅びゆく国のまほらに初蕨 「まほら」は「まほろば」列なして歩む民あり死やかくもあまたの者を滅ぼさんとは ダンテ「神曲」迎え火や海の底ゆく死者の列怖ろしきものを見てゐる兎の目からからと鬼の笑へる寒さかな二〇一二年新年龍の目の動くがごとく去年今年みちのくや氷の闇に鳴く千鳥鬼やらひ手負いの鬼の恐ろしき 巻末に「一年後」という、いわば、あとがきを載せておられます。「震災歌集」で、「俳人の私がなぜ短歌なのか」 という、自らに対する問いを発しておられた俳人による、答えの一文でしたが、この句集ができる成り行きが書かれている部分を引きます。 大震災ののち十日あまりすぎると、短歌は鳴りをひそめ、代わって俳句が生まれはじめた。しかし、「震災句集」をつくるのに一年近くかかったのは私の怠け心を別にすれば、俳句のもつ「悠然たる時間の流れ」を句集に映したかったからである。また句集の初めと終わりに二つの新年の句を置いたのもこれとかかわりがある。どんな悲惨な状況にあっても人間は食事もすれば恋もする。それと同じように古い年は去り、新しい年が来る。(P154) 俳句という表現形式が「悠然たる時間の流れ」に支えられるものだという長谷川櫂の俳句観が、妥当なものであるのか判断する見識はボクにはありませんが、短歌という表現が、どこかで語りたがっている主体を意識させる、まあ、よくもわるくも押しつけがましさを感じるのに対して、俳句という表現が詠んでいる人の存在以前に、フッと浮かんでくる場や時が浮かんでくるような気はしますね。 まあ、あてにならない感想ですが、同じ震災という事件を前にして、長谷川櫂がどんな場所にいたのか、「震災歌集」、「震災句集」という二つの表現集で、実に、正直にさらけ出していらっっしゃることに感動しますね。 句集とか歌集とか、とりあえず読むことには苦労しませんからね。いかがでしょう。 ちなみに、この句集も、ここの所いじっている池澤夏樹本に出てきた本です。
2023.12.20
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リチャード・リンクレイター「バーナデット ママは行方不明」 パルシネマ 今回は「妻って何?母って何?私って何?」ということかなと、勝手にテーマをつけてやってきたパルシネマの2本立て、1本目はケイト・ブランシェット主演のコメディ、「バーナデット ママは行方不明」でした。監督はリチャード・リンクレイターという人で、名前に聞き覚えがあるのですが、作品は知りませんね。 実は、この2本立てのお目当ては、この作品に出ているケイト・ブランシェットという女優さんでした。 今年の夏に「ター」という作品で、クラッシクのオーケストラのマエストロ、女性指揮者を演じていらっしゃったのを見たのですが、なんだかなというか、辟易するというか、とても印象が悪かったのですが、それを口にすると、知り合いの映画好きの皆さんから「????」の反応で、結局、ボクの中では「?????」の方になってしまったでした。 で、この上映企画です。「ター」の前に撮られた作品のようですから、見ないわけにはいきませんね(笑)。 というわけで、やってきたというわけですね(笑)。ああ、もう1本は「エリザベート1878」で、そっちの感想はもうアップしています。 で、ケイト・ブランシェットさんですが、見終えてどうだったかですよね。ナルホド、お上手ですね! というのが、まあ、二度目の印象ですね。「妻って!母って!私って!」 という、役柄の素直な演技が好印象で、楽しい作品でした。でもね、ボクには新しい疑問が湧いてきちゃったんですね。あの、リディア・ターの印象は何だったんだろう? ですね(笑)。 女優としての振幅の広さということなのでしょうかね。2つの作品に共通しているのは「天才的な才能の持ち主」という人物を演じるということなのですが、この作品で彼女は「妻」、「母」、「私」という、内実が定かでない「空虚」を演じながら、それを充填していくための足掻き、まあ、それが、普通の人生なわけですが、それを実に真摯に表現していて、笑えるし、泣けるし、思わず拍手したくなったわけです。だって、天才が凡庸な「世間」相手に苦労しているんですからね(笑)。 ところで、あの作品で、彼女が演じていたのは天才的音楽家だったのですね。つまり、「音楽」に対する「空虚」が、映画の物語の前提として充填されているという設定でした。で、彼女が演じなければならなかったのは、「音楽」を天才として体現する人の「空虚」への転落だったわけですが、ボクが引っかかったのは、その音楽の天才の演技だったんですね。あまりに通俗! しかし、今考えてみれば、それは女優ケイト・ブランシェットの罪ではないかもしれませんね。彼女は、腹立たしいほどなインチキぶりを実に見事に演じていたともいえるわけで、お上手だから、よけいに引っかかったんでしょうね。 でも、まあ、今回の印象を加えても、大好き、二重丸! とは、まだいきませんね。というわけで、結局、また、出ていらっしゃると聞けば見に行くしかなさそうですね(笑)監督 リチャード・リンクレイター原作 マリア・センプル脚本 リチャード・リンクレイター ホリー・ジェント ビンス・パルモ撮影 シェーン・ケリー美術 ブルース・カーティス衣装 カリ・パーキンス編集 サンドラ・エイデアー音楽 グレアム・レイノルズキャストケイト・ブランシェット(バーナデット・フォックス・主婦)ビリー・クラダップ(エルジー・夫)エマ・ネルソン(ビー・中学生の娘)クリステン・ウィグ(オードリー)ゾーイ・チャオ(スーリン)ジュディ・グリア(カーツ先生)ローレンス・フィッシュバーン(ポール・ジェネリク)ジェームズ・アーバニアク(ストラング捜査官)トローヤン・ベリサリオ(ベッキー)2019年・108分・G・アメリカ原題「Where'd You Go, Bernadette」2023・12・12・no153 ・パルシネマno77 !
2023.12.19
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「今日はおばーちゃんの一周忌でした。」 徘徊日記 2023年12月16日(土) 西脇あたり おばーちゃんが倒れて一年たちました。今日はお寺で一周忌の集まりです。トラキチクンに載せてもらって、チビラくんたちと一緒に西脇徘徊でした。 おばーちゃんがいなくなった庭に南天が一枝だけ実をつけていました。 南天の赤い実は、なんだか寂しい時の流れを感じさせますね。おばーちゃんは一人で暮らしていた自宅で倒れたのですが、ガラス戸越しに、この南天の実を見たのかなあとか、やっぱり思い浮かべますね。 雨の予報でしたが、まあ、今にも降りそうな空模様でしたが、何とか持ちました。観音寺さんという御寺の遠景です。何かだ立派ですね(笑)。 お寺の庭には、樹齢400年だかの榧の大木が聳えています。なかなか壮観です。これまた立派ですね。茅葺(カヤブキ)とかいうのはこの皮だったっけとか訳の分からないことをチッチキ夫人に口走って、首を傾げられましたが、茅葺はススキですね。桧皮葺(ヒワダブキ)というのは檜の皮ですね。榧の木というのは碁盤とか将棋盤ですね(笑)。 で、本堂でのお経の後のお墓参りです。墓場にはススキですね(笑)。何ごともむかしとなりしススキかな 久保田万太郎折りとりてはらりとおもきススキかな 飯田蛇笏 で、帰り道です。 西脇の山手町あたりの町並みのなかですが、家の裏の小さな畑の柿の実を食べる人も、あまりいないのでしょうね。うれ柿をカラスもちさる時雨かな 中勘助 カラスの食べ残しですね(笑)。 柿の木の庭には、やっぱり、南天もありますね。とやかくの家相を払ふ実南天 能村登四郎まあ、そういうものなのでしょうね。 近所には神社もあります。秋葉神社というそうです。まあ、だあれもいませんけど。 そのあたりのお家の庭には。どこもかしこも南天です。赤い色がよく目立つ季節だからでしょうか、余計に眼につきますね。 南天の實をこぼしたる目白かな 正岡子規 スズメやメジロが寄ってくるのは、もう少し寒くなって、雪がちらつくようになってからでしょうかね。で、まあ、最後はこの句ですね。億年のなかの今生実南天 森澄雄 寂しいことですが、西脇にくることも減ってしまいそうですね。ボタン押してね!
2023.12.18
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ロバート・ウェストール「水深五尋」(金原瑞人・野沢佳織訳 宮崎駿絵・岩波書店) 池澤夏樹の「いつだって読むのは目の前の一冊なのだ」(作品社)という、週刊文春に連載していた「私の読書日記」を2003年から2019年までの16年間分集めた書評・ブックレビュー集があります。700ページほどの分厚さで、誰がこんな本を読むのか!? と訝しく思われるような見かけの本ですが、まあ、物好きなゴジラ老人は、最初、図書館で借りていたのですが、結局、買い込んでパラパラやっています。ハイ、ヒマなんですね(笑)。 で、その中で見つけたのが、岩波書店の児童書、まあ、児童書といっても、主人公たちも16歳だし、所謂、ヤング・アダルト、高校生くらい向けかなというのが読み終えた印象ですが、ロバート・ウェストールという、イギリスの作家の「水深五尋」でした。 第二次大戦末期のイギリスの北部の港町を舞台にしたお話です。ナチスのUボートに襲われる貨物船とか、主人公たちが住んでいる港町にもぐりこんだスパイをめぐって、男女、それぞれ二人づつの4人の中学生、16歳が活躍する戦争ものの冒険小説です。で、題名がちょっと意味わかんないという感じなのですが、実は、本文ではお話の終わりころになって出てきて、こんな訳になっている「詩」の一節です。水深五尋の海底にそなたの父は横たわる白い骨は珊瑚になったふたつの目は真珠になった体はすべてそのままで、海に姿を変えられて、美しく珍しいものになる ゴジラ老人には、読んでいて、この詩が出てきても、やっぱり、なんだこれは? だったのですが、シェイクスピアのテンペストという戯曲にあるらしい詩の一節だということが、主人公によって語られます。で、イギリスの中学生は、これを、学校で暗唱させられるらしいのですね。だから、誰でも、みんな知っているらしいのです。だから、イギリスでこの作品を手に取るであろう中学生たちには、なんだこれは?じゃないのですね(笑)。 悔しいので、ちょっと調べました。で、松岡和子の翻訳のシェイクスピア「テンペスト」(ちくま文庫)ではエリアルという妖精が歌う歌、その詩句で、こんな訳です。水底深く父は眠る。その骨は今は珊瑚両の目は今は真珠その身はどこも消え果てず海の力に変えられて今は貴い宝物。(「テンペスト」ちくま文庫P43~P44) まあ、くらべてみて、何かがわかるという知恵もないのですが、向こうの児童文学というのは、題のつけ方からしてシャレてますね(笑) で、上記の書評ですが、池澤夏樹は、小説のあらすじをあらかた語った上(笑)で、最後にこうまとめています。 これはイギリス式の小説の書きかたのとてもよくできた例である。まず読者の共感を誘う主人公がいて、軸となるストーリーがあり、謎につぐ謎があり、ち密で具体的な生き生きとした細部があり、作者の倫理観・人間観という大きな枠がある。(P251) 絶賛ですね(笑)。で、トドメがこうです。 訳はいいし、宮崎駿の絵もいい。それ以上に、一見とっつきにくいタイトルを直訳した訳者たちの判断を高く買いたい。本屋の店頭ではそそらないかもしれないが、読み終わったら絶対に忘れない。出展がシェイクスピアだけに、短くて印象的。 ね、読まないわけにいかないでしょう(笑)。ボクは宮崎駿が、この作品にほれ込んだという話を、どこか別のところで聴いたことがあるような気がしましたが、上の表紙で分からるように、装丁も彼の絵なのですよ。 まあ、池澤の絶賛ほどの読み応えかどうかは、人によるでしょうが、子供向けだとなめてかかると、少々手間取るかもしれませんね。もちろん、読後感は悪くないですよ(笑)。
2023.12.17
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ガリー・キーン アンドリュー・マコーネル「ガザ 素顔の日常」元町映画館 元町映画館が緊急上映として企画したガリー・キーン、アンドリュー・マコーネルという二人の監督が撮った、原題「Gaza」、邦題が「ガザ 素顔の日常」というドキュメンタリーの上映が2023年12月15日の金曜日、最終日になりました。「どうしようかなあ・・・」と逡巡していたのですが、結局出かけました。 で、やっぱり、辛い映画でした。2023年12月現在の今、もう、どうしようもない状況になっていると、何も判っていないボクは思うのですが、映画は2018年頃の、パレスチナ自治区、ガザ地区の日常風景をドキュメントしていて、出だしは、ちょっとホッとするのですが、結局は空爆や狙撃の標的として撃たれたり、瓦礫に埋まったりして、大けがをしたり、命を失っていく人たちの姿を見ないわけにはいきませんでした。 映画の中には、チェロを弾く少女や漁師になる夢を語る少年、民族衣装のファッションショーをするおばさんや、妻が三人いて子どもは40人いるとおっしゃる、まあ、どう見てもお父さんというより、おじいさん、冗談のお好きなタクシーの運転手さん、さまざまな方が出ていらっしゃいます。 で、どの方も、自分自身の人生や、家族の未来を語ろうとすると、最後は俯くしかない様子で映っていらっしゃったこと。 瀕死の重傷者の治療を終えたばかりの救急隊のおじさんが「パレスチナ人以外の、全世界の人間を憎む。」 と呟かれたこと。 家族の死を語ったファッション・ショーのおばさんが「そのとき、大人になったら、兵士になろうと思っていたわ。でもね、気付いたの、暴力では何も解決しないって。」 と涙を流しならおっしゃったこと。おそらく、ボクの記憶に、まあ、それがいつまでなのか予想はつきませんが、残りますね。 海が好きだというチェロを弾く少女が爆煙がただよう海岸に佇み、漁師になりたい少年が小さなボートを操りながら沖に出ていくシーンで映画話終わりました。 エンドロールをボーっと見ながら、涙がこぼれるのは、まあ、そうなのですが、こんなに胸が塞がる気分になるドキュメンタリーはそうないのではないでしょうか。今、この時の、現実を想像したりしたら、とても見ていられないのですが、それでも、やはり、見てよかったですね。ここには生きている人間の普通の姿あるんですよね。 普通に生きていらっしゃる、この人たちを殺したり傷つけたりするのは、いかなる理由があろうとも「戦争犯罪」だとボクは思いました。監督 ガリー・キーン アンドリュー・マコーネル撮影 アンドリュー・マコーネル編集 ミック・マホン音楽 レイ・ファビ2019年・92分・アイルランド・カナダ・ドイツ合作原題「Gaza」2023・12・15・no155 ・元町映画館no217 !
2023.12.16
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マリー・クロイツァー「エリザベート 1878」パルシネマ 今日のパルシネマは、まあ、なんというか、妻って何?母って何?私って何? という感じの2本立てで、1本はケイト・ブランシェット熱演のコメディ「バーナデット ママは行方不明」で、もう1本がこの作品でマリー・クロイツァーというオーストリアの、多分、女性の監督で「エリザベート1978」でした。ハプスブルク帝国の最後から二人目の皇帝、フランツ・ヨーゼフ1世の皇后さんが主人公のお話でした。 原題は「Corsage」で、普通、髪なんかを飾る花飾りのことだと思うのですが、この映画の場合は、女性の胴体を締める「コルセット」のことらしいですね。 で、邦題にくっついている「1878」というのは、映画の中でもスーパーが流れるのですが、エリザベートさんが40歳になったのが西暦1878年というわけで、その一年間の顛末が映画のお話でした。 40歳に、どんな意味があるかというと、当時の女性の平均寿命が、まあ、この映画の場合、史実かどうかは疑わしいのですが、その年だという設定ですね。ちなみに、エリザベート皇妃という方は、その「美貌」で歴史に名を残している人らしくて、映画や、マンガ、それから宝塚の主人公とかで有名な方らしいのですが、ボクは知りませんでした。 で、映画の主人公であるエリザベートさんが何をするのかというと、まあ、ボクの見立てにすぎませんが、逃走! でしたね。上のチラシのエリザベートさんは「かかってきなさい!」 のポーズを決めているようですが、ボクの目にはひたすら逃げまくったように見えましたね。まあ、いってしまえば彼女をコルセットで縛るあらゆるものからの逃走映画だと感じましたですね。 風呂桶に沈み込んで、侍女に時間を測らせているシーンから映画は始まりました。このシーンの映像水にただよう女! まあ、そんなイメージが、唐突に焼き付けられる印象ですね。水の女というコンセプトが、その昔ありましたね(笑)。風呂好きの女性の湯あみシーンでのお遊びではありませんよ(笑)。 歴史が彼女をいかに美貌の皇后として物語り、宮廷画家が皇妃としてふさわしい姿に描き、王宮の人々が、宮廷の主人公らしさを求め続けるとしても、それらはすべて幻影であって、エリザベート自身は、彼女自身の変幻自在の生を生きるほかはありません。 で、この作品の女主人公はコルセットで締めあげられた、押し付けられた「物語」からあくなき闘争の女を生きるのですよ。幻影としての現実から真実の生へ、どうやって逃げ延びるか、これは、それを映し出した作品ですよ! まあ、そういうふうに監督自身が最初に宣言したシーンが、あのシーンだったんだなというのが、最後の最後に、美しい海原に向かって見事に跳躍し、コルセットの人生の幕を閉じるラストシーンを見ながら気付いたことでした(ホンマかいな?)。 というわけで、水のイメージを随所に織り込みながら、主人公に死と再生、あるいは、自由への逃走のドラマを生きさせようとするマリー・クロイツァー監督のアイデアに拍手!でした。 映画の中のエリザベートは41歳になることを拒否して青い海原に跳躍します。そのシーンは、桎梏の現実から再生の夢への飛翔であるかのごとく美しく描かれているわけですが、再生した現実のエリザベートは60歳まで生き延びて、なんと、暗殺というか、所謂、暴漢に襲われて、不慮の死を死んでしまうという歴史的現実があるわけですから、ままなりませんね(笑)。 しかし、まあ、白い豪華客船の舳先から海原に向けて飛翔するまでのエリザベートを執拗に描いた監督マリー・クロイツァーの意図は、まあ、ボクが勝手に想像したにすぎませんが、とても面白いと思いましたね。拍手! 最後に、ちょっと余計なことですが、チラシの作り方とか、キャッチ・コピーとか、フェミニズムを、商品のネタとして、薄っぺらく煽っているかの宣伝の仕方はやめた方がいいと思いますね。 ああ、それから、最後に映された豪華客船が、どう見ても現代の船であったのは何故なのでしょうね。一応、歴史映画の体裁で作られていたはずなのですがね(笑)。監督・脚本 マリー・クロイツァー撮影 ジュディス・カウフマン美術 マーティン・ライター衣装 モニカ・バッティンガー編集 ウルリケ・コフラー音楽 カミーユキャストビッキー・クリープス(エリザベート・皇后)フロリアン・タイヒトマイスター(フランツ・ヨーゼフ・皇帝)カタリーナ・ローレンツ(マリー・フェシュテティチカ)ジャンヌ・ウェルナー(イーダ・フェレンツィ)アルマ・ハスーン(フランツィスカ・フェイファリク)マヌエル・ルバイ(ルートヴィヒ 2 世・バイエルン王)フィネガン・オールドフィールド(ルイ・ル・プランス)アーロン・フリース(ルドルフ)ローザ・ハジャージュ(ヴァレリー)リリー・マリー・チェルトナー(マリー・両シチリア王妃)コリン・モーガン(ベイ・ミドルトン)2022年・114分・PG12・オーストリア・ルクセンブルク・ドイツ・フランス合作原題「Corsage」2023・12・12・no154 ・パルシネマno78 !
2023.12.15
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マーク・トウェイン「ジム・スマイリーの跳び蛙-マーク・トウェイン傑作選」(柴田元幸訳・ 新潮文庫) ひょっとした、この人くらいは読まれているのではあるまいかと淡い期待を寄せているマーク・トウェインでしたが、20歳くらいの方には、今や縁遠いようですね。 1835年生まれで1910年に亡くなったらしいですから、日本でいえば江戸時代の終わりから、明治の終わりくらいの方です。 「最初のアメリカ文学だ」と「武器よさらば」のヘミングウェイがいったとか、「最初のアメリカの作家だ!」と「八月の光」のフォークナーは いったとか、まあ、お二人ともノーベル文学賞ですから大変なのですが、一方で、たとえば「マーク・トウェイン」という筆名は、ミシシッピ川をさかのぼる汽船のための水深二尋の標識のことだとかいうわけで、真面目なんだかおふざけなんだかわからない人なのです(笑)。 以前、このブログで柴田元幸訳の「ハックルベリー・フィンの冒けん」を案内したことがあって、その時に、この文庫の話をチョット出したのですが、ほったらかしていました。 というわけで、今回の案内は「ジム・スマイリーの跳び蛙-マーク・トウェイン傑作選」(新潮文庫)です。 短編集というか、これは小説なの? と尋ねたくなるような超短編も載っていて、なんなんだよこれは? と引っかかるのですが、柴田元幸が巻末で解説しているのを読んで、膝を打つというか、ウフフフと笑うというかの作品群なのですが、きいたふうなことを言っても仕方がないので実例です。 開巻第1作が「石化人間」ですが、以下のとおりです。 しばらく前に、石化した男性がグラヴリー・フォードの南の山中で見つかった。石になったミイラは四肢も目鼻も完璧に残っていて、生前は明らかに義足だったと思われる左脚すら例外ではなかった。ちなみにその生前とは、故人を詳しく調べた学者の意見では一世紀近く前に終わったとのことである。 その体は椅子に座った姿勢で、露出した地層に寄りかかり、物思いにふけるような風情、右手の親指を鼻の側面にあてている。左の親指はあごを軽く支え、人差指は左の目頭を押して、目は半ば開けている。右目は閉じていて、右手の指残り四本は大きく広げられている。この奇妙な自然の変種は近隣で大いに話題となり、情報筋によればハンボルト・シティの判事スーエルだかソーエルだかが要請を受けてただちに現場へ赴き、死因審問を行った。陪審の評決は「死因は長時間の放置だと思われる」云々というものであった。 近所の人々がこの気の毒な人物の埋葬を買って出、実際やる気満々の様子であったが、遺体を動かそうとしたところ、頭上の岩から長年にわたり水が垂れていて、それが背中を伝って流れ、体の下に石灰の沈殿物が築盛されて、これが糊として機能し、椅子の役を果たしている岩に体が堅固無比に接着されており、慈悲深い市民たちは火薬を用いて故人をこの位置から引き剥がそうとしたがS判事はこれを禁じた。そのような手段は冒瀆に等しいという判事の意見は誠に正当にして適切といえよう。 誰もが石男を見にくる。過去五、六週間のあいだに三百人ほどがこの硬化した人物の許を訪れた。(一八六二年十月四日)(P10~11) ね、短いでしょ。本文は改行なしの1パラグラフですが、ちょっと読みにくいので引用する時に勝ってに改しましたこ。で、これを読んで、まあ、ボク程度に鈍い人はいきなり笑いはじめることができませんよね。冗談というかユーモアというか、コラムというべきか小説だというべきか、わかります?で、巻末にある解説がこれです。「石化人間」(Ptrified Man) 一八六二年十月四日、「マーク・トウェイン」の筆名を使い始める以前、本名の「サミュエル・クレメンズ」の名で「テリトリアル・エンタプライズ」紙に掲載された。 トウェイン自身が後に述懐したところによれば、当時、「石化物」をはじめとする自然の驚異の発見譚が流行していて、その過熱ぶりを茶化すためと、ハンボルト・カウンティの判事スーアルをからかうためにこの文章は書かれた。石化した人物の採っている「あっかんべえ」のポーズから見て悪ふざけのデッチ上げあることは明白だが、トウェインによれば当時本気にした人は多く、イギリスの医学雑誌「ランセット」にも採り上げられと本人は称している。が、実のところ「ランセット」にそのような記述は見あたらない。(P243) ね、笑えるでしょ。下に目次を貼りましたけど、まあ、長さはこの作品がとりわけ短いのですが、面白さはよく似ていて、柴田元幸の解説とセットで楽しんでいただきたというわけです。若い方のためのマーク・トウェイン入門に、というより、子どもころ「トム・ソーヤーの冒険」で読んだけど、っていうお暇な方の暇つぶしにぴったりかもですね(笑)。 目次石化人間風邪を治すにはスミス対ジョーンズ事件の証拠ジム・スマイリーの跳び蛙ワシントン将軍の黒人従者―伝記的素描私の農業新聞作り経済学本当の話―一語一句聞いたとおり盗まれた白い象失敗に終わった行軍の個人史フェニモア・クーパーの文学的犯罪物語の語り方夢の恋人 で、実はこの本はここの所いじっている池澤夏樹の「いつだって読むのは目の前の一冊なのだ」(作品社)のなかで2014年10月9日の日記に紹介されていますね。 フリオ・コルタサルという南米アルゼンチン出身の作家の短編作品と絡めて、この短編集の最後の作品「夢の恋人」が話題にしていますが、おぼつかなくて切ない夢の描写がコルタサルに実によく似ている。 と評しています。ちなみにコルタサルは1914年生まれで1984年に亡くなっています。
2023.12.14
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リドリー・スコット「ナポレオン」109ハット 御年86歳のリドリー・スコット監督の新作「ナポレオン」を見ました。 先日、御年76歳の北野武監督の新作「首」を見て、ボク的には「中世的世界最後の大タワケ」だと思っている信長をどうなさるのかと興味津々だったのですが、まあ、なんだかなあ??? という具合で、首を傾げたわけなのですが、こちらは、もう10歳、年上の方なわけで、ご老体、さて、「馬上の世界精神」(ヘーゲル)をどうなさるのだろうと興味津々でやってきました。で、納得! でした(笑)。ボクは、このタイプの歴史映画、やっぱり好きですね(笑)。 映画としての興味の一つは、まあ、ナポレオンといえば、の「アウステルリッツ」、「ワーテルロー」の二大会戦のスペクタクル・シーンを大スクリーンで! と期待していたのですが、大劇場での上映時間を勘違いして109ハットの中では、小劇場上映の鑑賞になってしまったので、チケット購入時点では、ちょっとがっかり! だったのですが、実際は、たった一人の客のための特別上映会(ウソですよ。)で、小なりと言えど、劇場のど真ん中で社長試写会状態での鑑賞で大満足でした(笑)。 二つ目の興味は年上の妻ジョセフィーヌをどうするのだろう?だったのですが、おばさんが出ていらっしゃると思いきや、結構、お若い女優(バネッサ・カービー)さんで、あれ?そうなの? だったのですが、この映画のナポレオンには、まあ、あれはあれでよかったんだろうね(笑) という感想でした。 で、三つめはナポレオンご当人です。映画は「ジョーカー」のホアキン・フェニックスの一人芝居でした。これが、すごかったですね(笑) コルシカ出身の、だから、まあ、田舎者で、大砲を撃つことしか知らない砲兵大尉ナポレオン・ボナパルトがマリー・アントワネットの首が、断頭台ギロチンから転がり落ちるシーンを狂喜する民衆の中を歩いているシーンから始まります。ああ、また、首ですか?! まあ、そんな気分で見ていたのですが、刑場を通りかかったナポレオンは何の反応も見せません。マリー・アントワネットが斬首されたのは1793年です。ナポレオンがその広場に、実際にいたかどうかは、ちょっと怪しい気がしましたが、王妃の首がギロチンから転がり落ちた、まさに、その時、大騒ぎする民衆の中に、一介の砲兵大尉ナポレオンを無感動な「時代精神」として登場させた演出はなかなかな見ごたえでしたね。 で、彼は、ここから、無感動に「大砲」をブッ放し続けます。ピラミッドを破壊し、敵前逃亡を疑われたパリでは民衆相手にブッ放し、アウステルリッツでは氷上の三帝会戦を制し、冬のモスクワを焼き払いますが、要するに「旧世界」に向けてブッ放し続けるわけです。 で、エルバ島への最初の幽閉があって、復活するも、ワーテルローで、ナポレオンのおかげ(?)でナショナリズムに目覚めたウィーン会議の連合軍に敗れ、戦いに付き従ったフランス国民兵の10万を越える命とともにすべてを失い、大西洋の果ての島、セント・ヘレナ島で崩れ落ちる影として最後を迎えます。映画はホアキン・フェニクスの後ろ姿が画面から消えて終わりました。 大砲をブッ放しつづけることで、王妃の首に大騒ぎする民衆に「フランス」をあたえ、「オレたちの国フランス」=国民国家=ナショナリズムを作り出した「英雄」(ベートーヴェン)ナポレオンが、故郷と母親を恋しがる、ただのマザコンであり、ただの砲兵大尉でしかなかったという「空虚」を、何を考えているのかわからない存在として演じたホアキン・フェニックスの、あの眼に拍手!でした。 長いといえば長い映画ですが、ボクには面白かったですね。老いたりといえども、リドリー・スコット、さすがですね。拍手! ああ、それから、ボク一人のために映写してくれた技師さんに拍手!アリガトウ、ご苦労様でした! でしたね(笑)。 ハハハ、ボクは、まあ子どものころから好きですが、それにしても、ナポレオンなんて、今時はやらないんでしょうかね(笑)。監督 リドリー・スコット製作 ケビン・J・ウォルシュ マーク・ハフマン ホアキン・フェニックス リドリー・スコット脚本 デビッド・スカルパ撮影 ダリウス・ウォルスキー美術 アーサー・マックス衣装 ジャンティ・イェーツ デビッド・クロスマンキャストホアキン・フェニックス(ナポレオン)バネッサ・カービー(ジョゼフィーヌ)タハール・ラヒム(ポール・バラス)マーク・ボナールパート・エベレットユーセフ・カーコア2023年・158分・PG12アメリカ原題「Napoleon」2023・12・06・149 ・109ハットno36 !
2023.12.13
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「うちの楓は満開(?)です。」 ベランダだより 2023年12月10日(日)ベランダあたり 棟の玄関に出てきました。これが、うちの楓!! (笑) 実は、隣の棟の庭の楓は散ってしまったんですよね。で、こちらがうちの棟の前の庭に2本ある楓の1本。 今が、満開(?)です。 その隣のアメリカ・フーはご覧の通り、見事に散ってしまいましたが、こういうシルエットも実はいいなあ! と思うんですよね。 ついでです。今年はススキを見かけませんでしたが、すぐそこにありました。なんだか、いいでしょう。 何の脈絡もありませんが、南天もありました。まあ、そういう季節なのですよね。 実は棟のすぐ前にもあるのですが、実がなっていないんですよね。だから、チョット向うの南天に登場していただきました(笑) で、これが、先日来のわが家の楓の、もう1本です。 何だか、色が、しっかりと「紅」になってくれない、なーんちゃって(笑)、なのですが、こちらも今、紅葉の盛りです。まあ、どちらにしても、もう、冬ですね(笑)。ボタン押してね!
2023.12.12
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「裏庭も冬かな?」 ベランダだより 2023年12月10日(日) ベランダあたり 裏庭です。昔はゆかいな仲間たちのあそび場でしたが、今では日曜日の今日も子どもは居ません。ちょっと寂しいですね(笑)。 立ち木の葉っぱが黄色くなったり赤くなったり、みんな散ってしまったり、なかなか、晩秋の雰囲気ですが、松の木とカイズカイブキは緑です。 向うに見える、多分、ドングリの木の、チッチキ夫人がそういうのですが、確かめたわけではありませんが、まあ、その木のアップです。 こちらは、葉っぱが落ちてしまってハダカンボウになったアメリカフーです。 ベランダには唐辛子と風船カズラです。やっぱり、もう、冬ですねえ(笑)。ボタン押してね!
2023.12.11
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長谷川櫂「震災歌集」(中央公論新社) 今日の案内は俳人として知られている長谷川櫂の「震災歌集」(中央公論新社)という短歌集です。くりかえしになりますが長谷川櫂は俳人として知られている人ですが、これは短歌集です。そのあたりの事情が「はじめに」の中にこう記されています。 はじめに この「震災歌集」は二〇一一年三月十一日午後、東日本一帯を襲った巨大な地震と津波、続いて起こった東京電力の福島第一原子力発電所の事故からはじまった混乱と不安の十二日間の記録である。 そのとき、わたしは有楽町の山手線ホームにいた。高架のプラットホームは暴れ馬の背中のように震動し、周囲のビルは暴風にもまれる椰子の木のように軋んだ。 その夜からである。荒々しいリズムで短歌が次々に湧きあがってきたのは。わたしは俳人だが、なぜ俳句ではなく短歌だったのか、理由はまだよくわからない。「やむにやまれぬ思い」というしかない。(P1) ボクはこの歌集の存在を池澤夏樹の「いつだって読むのは目の前の1冊なのだ」(作品社)の2017年4月20日の日記の紹介で知りました。 人々の嘆きみちみつるみちのくを心してゆけ桜前線という1首を引き、池澤夏樹はこういっています。 あの春、ぼくは長谷川櫂のこの歌を知らなかった。六年後の今になって出会って、また別の思いを抱く。「心してゆけ」という自然現象への命令が後鳥羽院の「我こそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け」を引き出す。自然に命令してそれが叶えばどんないいいことだろう。 福島について言うならば 青く澄む水をたたえて大いなる瞳のごとく原子炉ありき が「かつて」であり、「されど」として 見しことはゆめなけれどもあかあかと核燃料棒の爛れるをみゆ が隣に並ぶ。前の歌は河野裕子の「たっぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江といへり」を連想させるけれども、あとの歌に続く歌はない。 句集の方では 千万の子の供養とや鯉幟 にぼくはあの年の五月五日、花巻から遠野に向かう途中で、猿ヶ石川の水面の風に泳いでいた無数の鯉幟を思い出す。まさにこの句のとおりの思いで見たのだ。詩歌の喚起力である。(P585) ぼくが、この歌集と出会ったのは2023年の秋です。数えてみると東北の震災から12年たっていました。一首づつ読み進めてるボクの中に呼び起こされたのは1995年、1月17日の早朝に始まったあの記憶でした。あれからボクには、生きているということは信じられないと呟くしかないような出来事に出会うことだという思いがありますが、その思いを揺さぶるかのように記されている歌の中から10首選びました。 二〇一一年三月十一日津波とは波かとばかり思ひしがさにあらず横ざまにたけりくるふ瀑布乳飲み子を抱きしめしまま溺れたる若き母みつ昼のうつつにかりそめに死者二万などといふなかれ親あり子ありはらからあるを新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやけし吉事大伴家持新年をかかる年とは知らざりきあはれ廃墟に春の雪ふるヒデリノトキハナミダヲナガシサムサノナツハオロオロアルキ 宮沢賢治「雨ニモマケズ」たれもかも津波のあとをオロオロと歩くほかなきか宮沢賢治避難所に久々にして足湯して「こんなときに笑っていいのかしら」被災せし老婆の口をもれいづる「ご迷惑をおかけして申しわけありません」身一つで放り出された被災者のあなたがそんなこといはなくていい黒々と怒りのごとく昂りし津波のあとの海のさざなみ復旧とはけなげな言葉さはあれど喪ひしものつひに帰らず 長谷川櫂には「震災句集」もあるようです。読むことができたときには、また案内したいと思います。
2023.12.11
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瀬々敬久「春に散る」パルシネマ 2023年の夏に封切られた瀬々敬久監督の「春に散る」を見ました。封切のときから佐藤浩市の白髪頭の写真が気にかかっていました。チラシを見れば、ボクシング映画だとわかりますが、トレーナー役の佐藤の姿勢が、まあ、ボクがそう思うだけかもしれませんが、不自然で、なんとなく見ないまま終わったのですが、パルシネマが「ダンサー・イン・パリ」との組み合わせで上映していたのですが、ボクは「夜パル」の「ションベン・ライダー」との2本立てで見ました。「ションベン・ライダー」が本命だったので、封切で見た「ダンサー」はパスしました。三本立ては、もう無理ですからね(笑)。 「ションベン・ライダー」の、いわば前座で見たのですが、まあ、こっちの方は、納得でしたね。「日本映画史上最強の胸熱ドラマ」というコピーですが、「極熱」ってどう読むねん! と突っ込みたくなりますが、それ以前に、チョット持ち上げすぎでしょうね(笑)。佐藤浩市くんを見ようと思って行ったのですが、よかったのは片岡鶴太郎の動きと、窪田正孝の眼つき、それとボクシングの試合シーンの横浜流星でした。 沢木耕太郎の原作ですから、所謂、「人間ドラマ」は予想していましたが、そっちでウルウルはしませんでした(笑)。それよりも、クロス・カウンター!でしたね(笑)。 元ボクサーの老人、広岡仁一(佐藤浩市)とやさぐれているボクサーくずれのチンピラ青年、黒木翔吾(横浜流星)の出会いのシーンで一度。黒木と東洋チャンピオン大塚俊(坂東龍汰)のスパーリングと、タイトルマッチで、それぞれ一度づつ。黒木と世界チャンピオン中西利男(窪田正孝)のタイトルマッチの試合の中で、多分二度、最後には黒木が中西相手に決めますが、もう、目が離せませんでしたね。 そうなんです、ボクは「明日のジョー」でボクシングを知って、それしか知りませんからね。ボクシングといえばクロス・カウンターなのです(笑)。 いやあ、もう、最初に広岡仁一が黒木青年にかました、そのシーンから、もう、ドキドキ、ワクワクでした。 沢木流の人間ドラマを支えた広岡佳菜子(橋本環奈)、真田令子(山口智子)、黒木の母(坂井真紀)の女性陣も悪くなかったですが、元ボクサー佐瀬を演じた片岡鶴太郎の動きにはしびれましたね。彼はボクサーとしてプロだったと思いますが、トレーナーとしての練習場での、なにげない動きはさすがだと思いました。ズブの素人目でいうことですからあてにはなりませんが、リング上での窪田君の動きとともに目を瞠る思いでしたね。まあ、横浜君と佐藤君は、ボクシングについては素人なのでしょうね。 で、窪田正孝という俳優さんですが、「愛にイナズマ」という作品で佐藤浩市と共演していて、ヘンな奴やな?! だったのですが、今回は、所謂、敵役だったのですが二重丸でした。拍手!でしたね。地味なのですが面白い役者になりそうですね。 で、久しぶりに「あしたのジョー」を思い出さてくれた監督瀬々敬久に拍手!でしたね。最後の試合、まあ、黒木君びいきで見てしまうわけですが、ホントにどうなるのか、ドキドキでしたね。映画の試合でドキドキしてどうすんねん! いやあ、ホント、ドキドキしましたよ。もう一度、拍手!監督 瀬々敬久原作 沢木耕太郎脚本 瀬々敬久 星航撮影 加藤航平照明 水瀬貴寛編集 早野亮音楽 田中拓人主題歌 AIキャスト佐藤浩市(広岡仁一・元ボクサー)横浜流星(黒木翔吾・ボクサーくずれ)橋本環奈(広岡佳菜子・広岡の姪)坂東龍汰(大塚俊・東洋チャンピオン)窪田正孝(中西利男・世界チャンピオン)片岡鶴太郎(佐瀬健三・元ボクサー)哀川翔(藤原次郎・元ボクサー)山口智子(真田令子・真拳ボクシングジムオーナー)松浦慎一郎尚玄奥野瑛太坂井真紀(黒木の母)小澤征悦2023年・133分・G・日本2023・12・08・no150・パルシネマno75 !
2023.12.10
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相米慎二「ションベンライダー」パルシネマ 先日、京都まで出かけて見た相米慎二「台風クラブ」がワッチャー?! だったので、神戸のパルシネマでやり返してやろうと勇んで出かけてきたのが相米慎二「ションベン・ライダー」です。 パルシネマという映画館は通常2本立ての名画座です。で、朝と夜に1本立ての「夜パル」「朝パル」という、なかなかディープなというか、シブイというかのプログラムを上映しておられるのですが、先日まで「朝パル」だった、お目当ての「ションベン・ライダー」が、今週は「夜パル」、午後7時50分くらいに始まって、終わるのが10時くらいの番組に変わっていて、ちょっと怯んだのですが、「まあ、昼の2本立てプログラムの「春に散る」と2本見ればいいや。」 と、勝手な2本立てを計画して挑みました。もちろん別料金です。とほ・・・・。 で、あえなく返り討ちでした(笑)、トホホ・・・。 まあ、きいたふうなことはやめておこうと思いますが、この、やたらの、とっちらかり方には、やはり 、監督の意図があるのでしょうね。 かっこよく意味不明な言い方をすれば、語ってしまえばステロタイプ化する物語からの逃走! とでもいえばいいのでしょうが、40年前に衝撃だったしっちゃかめっちゃかが、今見ていると、なんだか、ただ、あほらしいだけというか、かえって、息苦しい感じさえするんですよね。 映画があの「時代」を上手に映しているとはとても言えないのですが、終わってしまった1980年代という時代の映画 ということを強烈に感じさせられた2作でした。 それにしても、主役らしき藤竜也こそ、最近、尾道の豆腐屋さんで見かけましたが、桑名正博とか財津一郎、ケシー高峰、ああ、それから前田武彦、今は亡きなつかしい方たちのお顔がなつかしいような、そうでもないような、で、中学生三人組の一人の辞書くんとかを演じているのが、今時では、バラエティの司会かなんかやっているインチキ臭いおっちゃんの坂上忍だったりするわけで、時がたちましたね(笑)。 イヤー、相米慎二監督は、もういいですね。ノックアウトでした! 今のボクには歯が立ちません(笑)。監督 相米慎二脚本 西岡琢也 チエコ・シュレイダー原案 レナード・シュレイダー撮影 たむらまさき 伊藤昭裕美術 横尾嘉良音楽 星勝編集 鈴木晄キャスト藤竜也(厳兵ごんぺい・極竜会のヤクザ)河合美智子(ブルース・中学生)永瀬正敏(ジョジョ・中学生)坂上忍(辞書・中学生)デブナガ(鈴木吉和・誘拐された中学生)原日出子(アラレ・英語の教員)桑名正博(山・誘拐犯ヤクザのあんちゃん)木之元亮(政・誘拐犯ヤクザの兄貴分)財津一郎(島町・名古屋の組長)村上弘明(金太・島田組のヤクザ)寺田農(木村・すぐに夫婦で殺される)宮内志麻(木村の妻)伊武雅刀(横浜の巡査)きたむらあきこ(知子・ヤクザのあんちゃん山の姉)倍賞美津子(郁子)前田武彦(デブナガの父親)ケーシー高峰(金貸しの中年男)1983年・118分・日本配給:東宝劇場公開日:1983年2月11日2023・12・08・no151・パルシネマno76 !
2023.12.09
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原泰久「キングダム(69)」(集英社) 2023年、夏のマンガ便で届いていた原泰久「キングダム」(集英社)の69巻の感想が、なかなか書けませんでした。65巻から始まった秦対趙の戦いは67巻で「どうせ。最後はおれが勝つ!」とうそぶいた秦六将の雄であり、異能の嫌われ者、桓騎将軍が秦軍の総大将として戦ってきたわけですが、69巻に至り、宜司平野の決戦で趙将李牧の術策にはまり壮絶な最期を遂げてしまいます。 大群のぶつかり合いと、その中での個々の戦闘シーンを描いていくのは、さぞかしご苦労様なお仕事だろうと思いますが、この桓騎の最後のシーンは、実に感動的でした。「三年、秦攻赤麗・宜安。李牧率師、與戦肥下、却之。(幽繆(ゆうぼく)王三年、秦赤麗・宜安を攻む。李牧師を率い、興に肥下に戦い、之を却く。)」(史記)「李牧數破走秦軍、殺秦将桓騎。(李牧数々破り秦軍を走らしめ、秦将桓騎を殺す。)」(戦国策) 「史記」、「戦国策」に残されている記事が詞書されたこのシーンは、ボクの中では「キングダム名シーン」の一つとして記憶に残りそうです。 さて、69巻の後半では、総大将桓騎の死によって、総崩れとなった秦軍の中にあって、この作品の主人公である「信」こと、飛信隊隊長、李信と、彼のライバル楽華・蒙恬(もうてん)という二人の若武者は命からがら敗走し、秦都咸陽にたどり着きます。 帰り着いた都咸陽では、趙に大敗した秦の方針転換が始まっていました。戦い続けてきた趙との最終決戦を迂回し、もう一つの隣国、韓の王族である、あの韓非子の招聘という新展開です。 中国の思想史には老子、荘子で知られる道家、性善説を主張し、孔子の教えを信じる儒家、荀子の性悪説に従い、法治を目指す法家という三通りの流れがありますが、その中で、法家の天才として名高い韓非子の登場です。 法治による国家経営を目指している秦王政が、夢に見る統一王朝のブレーンとして、儒教国家である韓にはいどころのない、法家の思想者韓非子に目を付けたというわけです。 その、韓非子招聘使節団の警護が帰国した李信の初仕事でした。まあ、そこからの顛末は70巻に続きますが、まあ、なによりも韓非子登場! に唖然としました。作者である原泰久の気合というか、重層化して流れている歴史を、少年マンガと言えども、手抜きなし! で描こうとする意欲ですね、そこにカンドーしました(笑)。戦いに次ぐ戦いの中で69巻までやってきた「キングダム」ですが、統治の思想家韓非子がどう描かれるのか、ワクワクします。それでは次は70巻です。また覗いてくださいね(笑)。
2023.12.08
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鈴木清順「陽炎座」元町映画館 「SEIJUN RETURNS in4K」という特集の三本目です。見たのは、「陽炎座」です。泉鏡花の小説の映画化だそうですが、読んだことはあるはずですが忘れました。映画もほぼ忘れていたのですが、ラストシーンだけ覚えていました。 面白いものですね、「ツィゴイネルワイゼン」、「夢二」とポカーン2連発! だったのですが、これはドスン!ストライク! でした。 まあ、なにが、どうストライクなのかというと、判然とはしないのですが、たぶん「人形」ですね。浄瑠璃の人形、焼き物の人形、そのあたりと、なんだか濃すぎる登場人物たちとのギャップですね。 小野小町の歌がそこはかとなく響く中、ポコポコと湧いてくる魂の形象であるらしいオレンジ色のピンポン玉のような球体のリアリティが目に焼き付いていくかのラストは、やっぱり忘れられなくなりそうですね。 やっぱり気になって調べた鏡花の陽炎座にこんな一節がありました。 夢と言えば、これ、自分も何んだか夢を見ているようだ。やがて目が覚さめて、ああ、転寐(うたたね)だったと思えば夢だが、このまま、覚めなければ夢ではなかろう。何時いつか聞いた事がある、狂人と真人間は、唯時間の長短だけのもので、風が立つと時々波が荒れるように、誰でもちょいちょいは狂気だけれど、直ぐ、凪になって、のたりのたりかなで済む。もしそれが静まらないと、浮世の波に乗っかってる我々、ふらふらと脳が揺れる、木静まらんと欲すれども風やまずと来た日にゃ、船に酔う、その浮世の波に浮んだ船に酔うのが、たちどころに狂人なんだと。 危険々々けんのんけんのん。 鏡花の主人公は出家ですが、映画では劇作家松崎春狐を演じた松田優作もよかったですね。早く亡くなったこともあって、伝説のように語られる俳優です。ただ、ボク自身は松田優作がそれほどいいと思っていたわけではないのですが、この作品のあやふやな存在感というか、夢に取り込まれていく人形ぶりというか、バランスの悪いニーチャンぶりというかが、中村嘉葎雄や原田芳雄のインチキぶり、とどのつまりは大友柳太郎ですが、まあ、それはそれで拍手!なのですが、その、お三人とのせめぎ合いを、見事にしのいでいましたね。拍手!拍手!でした。 で、このシリーズは、これまたなつかしいのですがタイトルロールが最初に流れるのです。で、そこに沖山秀子を発見してドキドキしましたね。ボクの生涯で、口をきいたことのある唯一の女優さんです。70年代の半ばですが、バイト先のピアノ・バーに、足を引きずりながら出没して、時には歌っていらっしゃったんですね。あのころ、とてつもない存在感でしたが10年ほど前にお亡くなりだったようです。で、この映画のどこにいらっしゃったかというと、最後の方にちらっとだったと思いますね。うたたねに恋しき人を見てしより夢てふ物はたのみそめてき 映画で、繰り返し口ずさまれる歌ですが、ボクにとっては、時の流れの遠い向うにある、恋しきものが、まあ、その正体は映画そのものではなかったのかもしれませんが、ポコポコと浮かび出てくるかのような作品でした。ためらった3本目でしたが、見てよかったですね(笑)。監督:鈴木清順原作:泉鏡花脚本:田中陽造撮影:永塚一栄美術:池谷仙克音楽:河内紀キャスト松田優作(松崎春狐)大楠道代(玉脇品子)加賀まりこ(みお)楠田枝里子(イレーネ:イネ)中村嘉葎雄(玉脇男爵)大友柳太朗(師匠)麿赤児(乞食)原田芳雄(和田)沖山秀子(着物の女)江角英(執事)東恵美子(老婆)玉川伊佐男(番頭)佐野浅夫(院長)佐藤B作(駅員)1981年・139分・日本公開1981年8月21日2023・12・04・no148・元町映画館no216 !
2023.12.07
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相米慎二「台風クラブ」 烏丸・御池アップリンク 若くして亡くなった相米慎二監督の懐かしい作品が、11月の末から12月にかけて2本、「台風クラブ」がシネリーブル神戸で、「ションベンライダー」がパルシネマでかかっていて、ちょうど同じ時期に鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」「陽炎座」「夢二」の3本が元町映画館で特集されていて、どれから見るのかはともかく、80年代へんてこ邦画特集の趣で、まあ、何はともあれ、とりあえず、みんな見るか! とか思っていたら、シネリーブル神戸の「台風クラブ」が終わっていて出鼻をくじかれました💦 あれ、あれ、と思って調べると、京都ではまだやっているらしいことを発見して、なんだか費用ばかりかかる映画鑑賞を思いつく自分に、我ながら呆れながら、烏丸御池アップリンクという映画館にやって来ました。 声をかけると、ちょうどお休みだとおっしゃる愉快な仲間ピーチ姫と同伴鑑賞でした。相米慎二「台風クラブ」です。「どう?なつかしかった?」「いや、なつかしない。バービーボーイズとか、ダサいなあ。あれで、踊ったんやね。当時の人は(笑)。それで、なんか、とっちらかった映画やったな(笑)」「やっぱり、そう思う?」「そう思うやろ。で、お帰り、ただ今、のあの子って、何?」「ウーン、アブナイなあ、いう感じかな?シャイニングみたいやったやん。」「シャイニングは覗くだけやろ。だいたい、この町どこ?何で、信越本線土砂崩れやのに、東京から昼には帰ってこれんの?で、窓からとんだ男の子、あれ、死んだん?」「いや、動いてたやん、突き刺さったまま。」「もう、八墓村やん?」「イヤ、あっちは死んでる。こっちは、ぴくぴくしてた(笑)。そこがこの映画のええとこかもな。なんか、起こりそうで、起こらへんねん。そやから、撮りたいシーン撮ったになったんちゃうの(笑)」「そういえば、友情出演とかに名前あったけど、佐藤浩市おった?」「わからん。佐藤允はおったけど。」「わからんといえば、最後、グラウンドが池になってはいたけど、水浸しの校舎を見て金閣寺みたいって、何、あれ?」 まあ、中学生のガキたちの「台風!」 なんですけど、そういうと、身もふたもない気もするのですが、ボクの目には、出来事はみんな未遂! なのですよね。だから、とっちらかっちゃってるんですね。 で、まあ、そこが、今時とちがうんでしょうね。いろいろ起こって、なんか、すごそうで、実は、すごくない。で、それを、スゴイ!と言ってた時代があったことが、今となってはスゴイ! まあ、何といっていいかのかわからないので、ことば遊びしてますが、相米慎二という監督の中にわだかまっているものは、素直に共感はできないけれど、わかる気はするというわけです。 というわけで、やっぱり「ションベンライダー」も見ておこうかな、でした(笑)。監督 相米慎二脚本 加藤祐司撮影 伊藤昭裕美術 池谷仙克音楽 三枝成彰編集 冨田功キャスト三上祐一(三上恭一・優等生)紅林茂(清水健「おかえり・ただいま」)松永敏行(山田明・プールで溺れる)工藤夕貴(高見理恵・三上君の近所)大西結花(大町美智子・優等生)会沢朋子(宮田泰子・演劇部)天童龍子(毛利由美・演劇部)渕崎ゆり子(森崎みどり・演劇部)佐藤允(英夫・順子のおじ)寺田農(清水留造・清水健の家の人)伊達三郎(岡部・用務員)小林かおり(八木沢順子・梅宮の彼女)きたむらあきこ(保健室)石井トミコ(八木沢勝江・順子の母)鶴見辰吾(三上敬士・兄)尾美としのり(小林・大学生)三浦友和(梅宮安・数学の教員)1985年・115分・日本1985年8月31日(日本初公開)2023・12・01・no146・烏丸御池アップリンクno1!
2023.12.06
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鈴木清順「夢二」元町映画館 「SEIJUN RETURNS in4K」という特集の二本目です。見たのは「夢二」でした。竹久夢二の、あの夢二です。沢田研二が夢二を演っています。映画館にやって来てびっくりです。コロナ騒ぎ以後の元町映画館では、ついぞ見たことのない入場待ちの行列です。といっても、まあ、60席のミニシアターですから30人ほどのことなのですが、めでたい!ことです(笑)。案外、若い方もいらっしゃいます。ウーン、大丈夫??? まあ、そんな心配も浮かんできますが、何はともあれメデタイ!ことです(笑)。で、入場して後方の端っこのいつもの席に座ると、前に、若い女性の二人連れがお座りになって、実に姿勢がよくていらっしゃる。元町映画館は初めてのご様子で、おしゃべりも、なかなかお元気です。この映画館の欠点は、姿勢のいい人が前に座るとスクリーンの邪魔になることなのですが、深く座る気はなさそうで、前が見えません💦💦。仕方がないので、前から2列に開いていた端の席に移動です。やれやれ・・・ で、紙風船がフワフワと飛び交うシーンで映画は始まりました。なつかしい! 先日見た「ツィゴイネルワイゼン」よりも話にまとまりがありましたが、やっぱり、はあ?、そうですか?!という感じで終わりました。 ついでというか、どうでもいいような話ですが、「ツィゴイネルワイゼン」では今は亡き藤田敏八でしたが、この映画では、生きていらっしゃるはずの長谷川和彦が最後には首をくくってしまう役で出ていて、感無量でした(笑)。そういえば、長谷川和彦の「太陽を盗んだ男」で、話は忘れましたが、主役だったのは沢田研二でしたね。 まあ、思い込みかもしれませんが、あの頃、鈴木清順自身もほかの監督の映画によく出ていた気がしますが、監督が出るのが流行だったのでしょうかね。 というわけで、清順美学、2本めもポカーンでした。こうなったら、あと1本、「陽炎座」にチャレンジですね。実は、一番好きだったような気がしてますが,さて、どうなることやら(笑)。監督 鈴木清順製作 荒戸源次郎脚本 田中陽造撮影 藤澤順一音楽 河内紀 梅林茂キャスト沢田研二(竹久夢二)坂東玉三郎・5代目(稲村御舟)毬谷友子(脇屋巴代)宮崎ますみ(彦乃)広田レオナ(お葉)大楠道代(女将)原田芳雄(脇屋)長谷川和彦(鬼松)麿赤兒(巡査)1991年・128分・日本2023・12・02・no147・元町映画館no215!
2023.12.05
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北原白秋「からたちの花」(小池昌代「通勤電車でよむ詩集」より) からたちの花 北原白秋からたちの花が咲いたよ。白い白い花が咲いたよ。からたちのとげはいたいよ。青い青い針のとげだよ。からたちは畑の垣根よ。いつもいつもとおる道だよ。からたちも秋はみのるよ。まろいまろい金のたまだよ。からたちのそばで泣いたよ。みんなみんなやさしかつたよ。からたちの花が咲いたよ。白い白い花が咲いたよ。 小池昌代さんが編集した「通勤電車でよむ詩集」(NHK生活人新書)の「朝の電車」の章の最後に載せられていました。 北原白秋といえば、たとえば、「あめあめふれふれかーさんが♪」の「あめふり」とか、上に載せた「からたちの花」とか、ボクたちの世代ならだれでも鼻歌で歌える童謡の歌詞の人ですね。 で、小池さんは童謡の歌詞であるこの詩を、詩として読んで「からたち」の白い花のそばで泣いている人の「泣いた理由は何だったんだろう?」 と問いかけていらっしゃるわけですが、とがめだてるわけではもちろんありませんが、そんなことを朝から考え始めると、次の駅で降りそこねてしまうんじゃないでしょうか(笑)。 で、まあ、繰り返しになりますが、北原白秋といえば、短歌で出発した人というのが、高校の国語のパターンです。下に引用した「春の鳥」の歌が教科書の定番で、「桐の花」という白秋の最初の歌集の冒頭の歌です。引用した作品は最初期の歌が多いですが、確認し忘れていますから、そのあたりはご容赦ください。春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外の面の草に日の入る夕かなしきは人間のみち牢獄(ひとや)みち馬車の軋みてゆく礫道(こいしみち)ひなげしのあかき五月にせめてわれ君刺し殺し死ぬるべかりき病める子はハモニカを吹き夜に入りぬもろこし畑ばたの黄なる月の出石崖に 子ども七人こしかけて河豚をつりおり 夕焼け小焼け草わかば色鉛筆の赤き粉のちるがいとしく寝て削るなり秋の色 いまか極まる聲もなき 人豆のごと橋わたる見ゆ。君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ まあ、興味の方向は人それぞれですが、獄中歌らしきところに目がいってしまうのは、個人的な傾向にすぎませんのであしからず(笑)。
2023.12.04
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小池昌代(編)「通勤電車でよむ詩集」(NHK生活人新書) 今日の案内は、時々出逢っている女子大生さんたちに小池昌代という詩人の詩を紹介したこともあって、なんとなくネットで見つけて読み始めたアンソロジー詩集、小池昌代編集「通勤電車でよむ詩集」(NHK生活人新書)です。 多くの人と乗り合わせながら、孤独で自由なひとりの人間にもどれるのが通勤電車。 表紙の裏に、そんなうたい文句が書いてあるのを読みながら、朝、夕の電車通勤をしなくなって30年以上の歳月がたったことに気付きました。 ボクにとって通勤電車の思い出は、勤め始めたのころにJRの西明石駅から六甲道駅の間を通っていたころに始まって、神戸の地震があったころ、市営地下鉄の学園都市から上沢駅まで通っていたころまでの十数年間です。 その後、仕事をやめるまでの二十年ほどは原付通勤でしたから、通勤電車の「孤独と自由」の中で、スポーツ新聞やコミック週刊誌を読んだり、仕事とは関係ない読みかけの本を開くという体験は、40代の終わりころに終わっていたのだというのは、なんだか、ちょっとショックでした。そういえば週刊のマンガ雑誌を読まなくなったのも、その頃でしたね(笑)。 表紙にはこんなキャッチコピーも貼られています。「次の駅までもう1篇。足りないのは、詩情だった。」 ウーン、詩情ねえ(笑)。でも、まあ、ボクの場合、詩集を読んだりしたことはいちどもなかったような気がしますけどね(笑)。 それにしても、電車で運ばれるという経験は、改めて考えると、実に面白い。わたしたちは、どこかへ行くためにその途上の時間を、見知らぬ人と共に運ばれる。電車が走っている途中は無力であり、降りたいと思っても簡単には降りられない。あがいても、次の駅まで運ばれていくだけだ。 移動あるいは途上の時間は、目的地に着いてしまえば、消えてなくなる。それはこの世のどこにも根を下ろさない、不思議な間(ま)としか言えない時間である、しかもその時乗り合わせた人々とは、おそらく再び会うことはないだろう。そんな人々とひととき、運命を共にする。 このことには、どこか人間の生涯を、圧縮したような感覚がある。(P15) まあ、週休1日、ある時期から週休2日のお勤めでしたから、1年間に、600回くらいの電車の旅があったわけで、サンデー毎日の徘徊老人には、ちょっと目が眩みそうな記憶ですが、詩ですか?読まなかったなあ。でも、なるほどなあ、という気もしますね。 とはいうものの、出かけることのない老人には、座りこんでボンヤリする某所での読書にうってつけでした。まあ、詩情が必要な場所でもないのですが、所用時間が適当なのでしょうね(笑)。で、どんな詩が載っているのかということですが、目次を載せてみますね。目次朝の電車「うたを うたうとき」(まど・みちお)「フェルナンデス」(石原吉郎)「イタカ」(コンスタンディノス・ペトルゥ・カヴァフィス)「少女と雨」(中原中也)「緑」(豊原清明)「胸の泉に」(塔和子)「宇宙を隠す野良犬」(村上昭夫)「森の奥」(ジュール・ショペルヴィエル)「いつ立ち去ってもいい場所」(谷川俊太郎)「ばらあど」(ガブリエラ・ミストラル)「春の芝生の上に」(趙明煕)「九才」(川田絢音)「言語ジャック」(四元康祐)「からたちの花」(北原白秋)午後の電車「アドルストロップ」(エドワード・トマス)「川が見たくて 盛岡・中津川」(高橋睦郎)「四十五歳」(ヘイデン・カルース)「見えない木」(エドワード・トマス)「洛東江」(崔華國)「滝のある山」(中本道代)「緑の導火線を通して花を駆り立てる力」(ディラン・トマス)「孤独な泳ぎ手」(衣更着信)「ぼくの娘に聞かせる小さい物語」(ウンベルト・サバ)「しずかな夫婦」(天野忠)「母の死」(草野心平)「賀状」(長田弘)「雪、nobody」(藤井貞和) 夜の電車「駅へ行く道」(山本沖子)「池(pond)」(白石かずこ)「昨日いらつしつて下さい」(室生犀星)「犬を喰う」(金時鍾)「眼にて云ふ」(宮沢賢治)「家」(石垣りん)「ぼくは聞いた」(パウル・ツェラン)「記憶」(小池昌代)「会話」(ルーシー・タパホンソ)「遺伝」(萩原朔太郎)「ひとつでいい」(トーマ・ヒロコ)「踊りの輪」(永瀬清子)「週電車の風景」(鈴木志郎康)「わたしは死のために止まれなかったので」(エミリー・ディキンソン) これで、全部です。41篇ですね。ボクでも知っていた詩が3割程度、ほかの詩ですが、読んだことのある詩人が6割くらい、だから、詩としては、ほぼ、知らない詩ばかりでしたが、読んで意味不明の作品はありませんでした。ページの終わりに記されている小池さんの一言紹介で、ふーん、そうか、という場合もありましたが、おおむね、誰にでも理解可能な詩篇でした。 ああ、それから、この詩集は池澤夏樹の「いつだって読むのは目の前の1冊なのだ」(作品社)の2009年10月15日の読書日記で紹介されています。 編者のセンスをそのまま反映するいいアンソロジー、通勤電車でよむという仕掛けも気が利いている。まず立ち読みで四元康祐の言語ジャック1新幹線・車内案内という1篇でも読んでみるといい。これはすごいよ。 まあ、こんな紹介ですが、四元康祐さんの詩、気になるでしょ。まあ、それはおいおい紹介しますが、今日は小池さん自身の詩を引用してみますね。 記憶 小池昌代オーバーをぬいで壁にかけた十年以上前に錦糸町で買ったものだわたしよりさらに孤独にさらに疲れ果てて袖口には毛玉すそにはほころび知らなかったひとはこんなふうに孤独をこんなふうに年月を脱ぐことがあるのか朝ひどい、急ぎ足で駅へ向かうこのオーバーを見たことがあるおかえりそれにしてもかなしみのおかしな形状をオーバーはいつ記憶したのかわたし自身が気づくより前に このオーバーとは長い付き合いだった。いよいよだめになって捨てるとき、古い自分を捨てるようにすっきりした。感傷なんか、まるでなかった。冬の朝晩は、これを着て通勤。電車のなかで、よく詩集をよんだ。(P150~P153) やっぱり、電車で、詩を読む人だったんですね。
2023.12.03
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「京都まで映画見に行きましてん!」 徘徊日記 2023年12月1日(金)京都・御池あたり 木曜日の夜、突如、思いつきました。梅田の阪急です。阪神では京都には行けまへん。そうだ京都に行こう! で、到着したのが烏丸河原町です。いいお天気ですが、もう、お昼過ぎです。京都はいくつになってもなつかしい街です。 烏丸通を北に歩きました。途中に六角堂の鐘つき堂とかあります。50年前にこの北の突き当り、北大路烏丸あたりに住んでいたこともあります。まあ1年だけでしたが。でも、町の雰囲気は変わってしまったようですね。 今日の、とりあえずの目的地はここです。烏丸御池アップリンク京都とかいう、映画館です。神戸のシネリーブルで見損じた相米慎二という監督の「台風クラブ」という1985年のガキの映画を、京都で見よう! という費用ばかりかかる、訳の分からない思いつきです。 京都には、愉快な仲間の最年少メンバー、ピーチ姫が住んでいますが、今日は金曜日、仕事なら不在なわけで、まあ、とりあえず出発前にラインとかをしてみると、偶然お休みのようです。「行けたら、行くわ。」 というお返事をいただいて、ここまでやって来て、もう一度ラインしてみると現地集合で、動き出しているようです。 というわけで、懐かしの相米慎二を同伴鑑賞しました。なんか、とっ散らかった映画やったね(笑) なんとも、ピーチ姫らしい感想に、そう!そう! とうなづいて、寺町から新京極あたりをアベック徘徊です。 南に歩いている途中に、こんなレンガ造りもありました。「なあ、スマホのカメラやけど、こういう暗い時に明るく撮りたかったらどうしたらええの?」「こうかな?」 ナルホド、夕闇迫る京都文化博物館も、お昼の明るさで撮れました。 で、まあ、今日は、お久しぶりの再会です。なんか、ビールでも飲んで、食べようかというわけで、たどり着いた居酒屋に驚きのメニューを見つけて感動です。 日清のチキンラーメンに温泉卵が乗っていました。これって、まあ、もちろんピーチ姫は食べませんでしたが、お腹の空いたビールのおつまみにサイコーですね。 というわけで、親子でいうのも変ですが、久しぶりの再会を果たし、無事帰途につきました。とことん名所旧跡関係なしの京都徘徊でした。それにしても、京都って、人多いですね(笑)。ボタン押してね!
2023.12.02
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今日の狙いは紅葉です! 徘徊日記 2023年11月29日(水)団地あたり 見上げて撮ると、空が光って青く撮れませんが、隣の棟の紅葉です。もう少しで、美しさのピークという所でしょうか。 日光の光に赤い色が透けて見えるのが、遠くから見ていても美しいのですが、ボクのスマホ写真ではうまく撮れませんね(笑)。 こちらはまだ若い木ですが、緑から赤へのグラデーションが爽やかです。 同じ棟の前に3本の楓がありますが、どれもいい色になってきました。 こちらが3本目ですね。午前中は棟の日陰になっていて、いい色に写りません。ザンネン! 我が棟の前にもあります。 ついでに残念なのは、我が棟の前の楓です。まだ少し時間がかかりそうな様子です。気分は隣の芝生ならぬ、隣の楓! ですね(笑)。 さて、今日はお天気もいいので、チョット、団地をウロウロしてきますね。あります、あります。 一棟、一棟の前庭には、それぞれ、1本、あるいは2本の楓が植わっています。駐車場の桜並木といい、これらの楓といい、最初に住み始めた40年ほど前の方たちの心が伝わって来ますね。 もう少しウロウロするつもりです、で、今日の徘徊はその2を覗いてくださいね。じゃあ、ね(笑)。ボタン押してね!
2023.12.01
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